【『偏差値70の自転車競技部』発刊直前特別インタビュー】

理系素養と文芸を融合させるベストセラー作家の新作
2012年に文庫化され、全4巻で累計60万部(第1巻単体で20万部)を突破したベストセラー『偏差値70の野球部』。その著者である松尾清貴氏が、待望の新シリーズ『偏差値70の自転車競技部』(小学館)を上梓する。第1巻「中学受験編」と第2巻「高校入学編」が2026年7月6日に同時発売され、以降も順次刊行される予定である。
本作の主人公は、教育熱心な家庭に育ち、成績トップクラスの小学四年生・康太郎である。同級生との出会いを機に自転車の楽しさを知り、中学受験が迫るなかで、最難関校の自転車競技部を目指す姿を描く。スポーツ・ライターの佐藤喬氏が監修を務め、緻密な理論と熱いドラマが融合した作品に仕上がっている。
今回は、大学入試や高等教育政策を専門とする教育ジャーナリストの後藤健夫が、松尾氏にインタビュー。松尾氏の独自のキャリア、創作の工夫、そしてAI時代に小中学生の保護者が意識すべき「経験」の重要性について、ファクトに基づき紐解いていく。
既定のレールを避けた独自の進路選択と高専での生活
後藤健夫(以下、後藤):松尾さんは、10代の早い段階で周囲とは異なる独自の進路を選択し、その後小説家としてデビューされました。まずは、北九州工業高等専門学校(高専)の化学工学科を選択された当時の動機と、そこでの生活環境についてお聞かせください。
松尾清貴(以下、松尾):私が高専を選択した最大の動機は、中学校の周囲の同級生と同じように地元の県立の進学校へ進学するという、既定のレールに乗ることが嫌だったからです。中学時代は比較的勉強ができたのですが、なんとなく決まっている進路に対して、人と違った選択をしてみたいという明確な感覚がありました。
当時、私が通っていた中学校から、その高専への進学実績は過去にありませんでした。周囲に学校の具体的な情報が全くなかったため、中学校の先生方にしてもそれを止めようがないし、進めようもないという状態でした。結果、合格し、実家を出て学校の寮に入ることになりました。進学した後には、地元の中学校の保護者や後輩から「高専とは一体どのような学校なのか」「どのような教育が行われているのか」と具体的に質問されることが多々ありました。
高専の教育カリキュラムは一般的な高校と大きく異なり、進度が非常に速いのが特徴です。独自の教科書を使用し、数学などの基礎科目も、系統立てて体系的に教わるというよりは、専門科目の実験や実務を通じて「今これが必要だから必要に応じて」という側面が強かったように記憶しています。学校の自由な校風自体は好きでしたし、寮での集団生活も自分にとっては良い経験となりました。その後、私は住み込みのアルバイトなどで自ら資金を貯め、アメリカのニューヨークへ語学留学しました。そして帰国後もアルバイトを続けながら小説の執筆を続け、2004年に小学館からデビューして現在に至ります。
「本のない家庭」から始まった独自の読書体験と執筆の原点
後藤:理系の専門教育を選択しながらも、自らの意志で小説家としての歩みを進めてこられたわけですが、松尾さんの子どもの頃の読書環境と、執筆活動の原点について教えてください。
松尾:私の実家は、本が一冊も置いていない家庭環境でした。親が日常的に読書を全くしない人たちだったからです。自宅にあった唯一の活字といえば、子ども向けの百科事典や伝記のセットだけ。これは当時の団塊世代の親たちの間の、子どものための教育環境づくりの一環で、こうした事典類を購入して自宅に備えるという一種のブームによるものだったのではないでしょうか。ですから私が幼少期に最初に触れた活字は、それらの百科事典の記述でした。
こんな状況でしたから、私の場合は多くの本を読んで感化され小説を書き始めたのではなく、自分自身の中の「書きたい」という欲求が先でした。小学校の卒業文集の将来の夢という項目にも、小説家になると明確に書いてあります。しかし、周囲に文学的なアドバイスや読書指導をしてくれる大人がいなかったため、普通の子どものように、絵本や童話、児童文学に触れるというステップは一切経験していません。
中学生になってからは、図書館などで何を読めばいいか分からなかったため、いきなり夏目漱石や芥川龍之介といった近代文学の文庫本を自ら購入して読み始めました。そしてそれらの作品の構造を模倣しながら、ずっと小説を書き、それを学校で友達に見せていました。高専に進学し、寮生活に入ってからも執筆活動は継続。1、2年は相部屋でしたが、同居する仲間の目を気にすることなくノートに小説を書いていました。3年で一人部屋に移ってからは、執筆に没頭できる環境となり、一層熱が入りました。
高専では、国語や歴史、社会などの文系科目の授業は1週間に1回程度しかなく、しかも形式的な内容でしたから、授業に出席しなくても成績だけは常に良かったですね。今振り返れば、子どもの頃から小説を書いてきた積み重ねが、基礎的な言語能力を形成していたに違いありません。
時系列を排した構造と論理的整合性
後藤:児童文学作者の多くが辿る道ではなく、しかも高校でも文系科目の本格的な授業を受けていないにもかかわらず、松尾さんの作品は極めて精緻な論理的整合性で貫かれています。物語を時系列通りに記述しない独自の構成と、創作についての思いをお聞かせください。
松尾:私は、物語を過去から始まり、未来へ時系列に沿って一直線に書く手法を意図的に避けることが多いです。人間の記憶や思考、あるいは実際に体感している時間というものは、決して一方向に、時系列の通りに整理されていないからです。
例えば、10年ぶりに昔の友人と再会したとき、人間の意識は10年という物理的な歳月を一瞬で飛び越えて、過去の記憶の断片と現在の状況を直接接続します。こうした時間の跳躍を伴う経験は、誰もが日常の中で自然に行っているものです。したがって、人間の思考や感覚のメカニズムに素直に寄り添って小説を記述しようとすれば、始まりがあって、真ん中があって、終わりがあるという単純な時系列の構成にはならないはずです。
私の感覚では、時間と個別の経験がセットになった「記憶のモジュール」が脳内の異なる場所にそれぞれ配置されており、必要に応じてそれらのモジュールに一個一個アクセスしていくというイメージを持っています。この年にはこれをして、翌年にはこういうことを経験した、という年表的な捉え方はしていません。これは、私自身が若い頃に実家を出て、住み込みのアルバイト生活を経てニューヨークへ留学し、帰国後も東京の中で何度も引っ越しするなど、短いスパンで自分の居場所を目まぐるしく移動させてきた体験によるものだと思います。それぞれの場所に滞在していた時期の自分と現在の自分が、一本の直線的な時間軸で繋がっていないという感覚ですね。
ただし、時制をばらばらに解体して物語を配置する以上、全体の作品構造の「論理的な整合性」が明確でなければ、読み手は理解できません。書き手の感覚や思いつきだけで場面を入れ替え、全体の因果関係や時間の構造に明確なつながりがなければ、読者にとっては、脈絡の無い独りよがりな文章になってしまいます。ですから、「なぜこのエピソードを先に入れ、こちらを後に配置したのか」について、明確な理由の下に、自分の中で明確に説明がつくことを最優先に仕上げています。
時系列を解体して最も効果的な展開を作るこの構造主義的なアプローチには、物事を客観的に組み立てる理系的な思考、ロジックを積み重ねる経験によるものだと思います。最新作『偏差値70の自転車競技部』でも、論理的整合性に基づいた構造を徹底して作り込んでいます。
新作『偏差値70の自転車競技部』が提示する身近な科学
後藤:最新作『偏差値70の自転車競技部』は、前作の『偏差値70の野球部』の全4巻で累計60万部(第1巻単体で20万部、4冊累計では発行部数65万8000部)を突破した実績をベースにしつつ、その緻密なロジックをさらに進化させたスポーツ科学小説ですね。今作も第1巻「中学受験編」と第2巻「高校入学編」を7月6日に同時発売し、第3巻以降は1ヶ月毎に順次刊行するという、非常にスケジュールを重視した展開とお聞きしました。
松尾:ただ、前作の野球部を執筆した14年前の時点では、まだ現場では精神論や科学的根拠のない根性論が根強く残っていたと思います。そのため、そのアンチテーゼとして、力学的な構造や確率論などの明確なロジックを作品に持ち込むことに強い意味がありました。
結果として、実際に野球をやっている子どもたちから、「作中の技術論をグラウンドで実践したら本当にヒットが打てました」という具体的なフィードバックが多く寄せられました。作品が身近な実践の引き金となったことは、著者として素直に嬉しいファクトでした。
一方で、今回の題材である自転車競技(ロードレース)は、現代においてすでに極めて科学的なアプローチが定着しているスポーツです。機材の空力特性の検証や、パワーメーターによる出力データの管理、科学的なトレーニングメニューの導入が最初から前提となっている世界です。したがって、精神論に対するカウンターとして科学を描くという前作の手法は通用しません。今回は、自転車競技がいかに科学的な原理に基づいて構築されているかという前提知識を持たない一般の読者に向けて、いかに身近な物理現象として気づいてもらえるかというアプローチをとりました。
多くの人はロードバイク自体の乗車経験はなくても、日常的にママチャリには乗っています。自分が乗っている日常の自転車という身近な道具に、どのような力学の原理や構造が使われているのかを、物語を通じて疑似経験してもらう形式をとっています。競技描写の正確性と客観性を担保するため、本作では自転車競技に関する著書を多数お出しのスポーツ・ライターの佐藤喬氏に詳細な監修を依頼しています。
作中には難解な数式や物理の法則も登場しますが、これらはすべて登場人物たちの対話の構成要素として配置しています。数式そのものの知識を暗記してもらうことが目的ではないため、読者はその数式自体を理解できなくても、そのまま読み飛ばしてストーリーを読み進めてくれれば全く問題ありません。ロジックを用いて対話を行っている空気の面白さや、それを実際に作中で実行したときに現れる展開のプロセスを、出来事として経験してもらうことが重要なのです。
英語修得のファクトと「身近にある環境」の決定的な重要性
後藤:今回の作品には、言語習得における環境の重要性についても極めて重要なファクトが描かれていますね。
松尾:はい。作中で主人公の康太郎が、英語の学習について触れる場面があります。康太郎は「英語は勉強枠じゃない」と言います。なぜなら、彼のお父さんが自宅で普通に英語を喋っているのを日常的に見ていたからです。康太郎にとって、英語が自分のすぐ近くにある環境は当たり前の現実でした。だからこそ、「英語は喋れる、近くにいたから喋れるもんだって最初から分かっていた」という認識を持っています。
この「日常の風景として身近にある」という環境要因は、子どもの能力開発や学習において極めて決定的なファクトだと思います。どれほど素晴らしい学問や言語、スポーツであっても、自分の日常のなかに全く存在しなければ、子どもにとっては自分とかけ離れた、心理的ハードルの高い「難しい勉強」に見えてしまいます。しかし、日常の生活空間の中にその対象が自然に存在していれば、子どもは過剰な抵抗感を持つことなく、それを当たり前のものとして受け入れ、自ら吸収していきます。
後藤:松尾さんご自身の英語修得に関する実体験も、その環境の力に基づいているのでしょうか。
松尾:私自身、アメリカのニューヨークへ行く前は、英語を全く話すことができませんでした。語学が得意だったわけでもありません。しかし、現地へ渡ってからは、自分の周りの環境がすべて英語となり、そこに身を置いたからこそ、必要に迫られて語学が身についていきました。
今振り返って運が良かったと思う明確なファクトは、当時は大変な円高だったということです。アメリカの物価も今ほど高くはなかったため、経済面でのハードルは低く、非常に海外へ行きやすい環境でした。片道切符で現地へ渡り、周りに頼る人がいない中で、自分自身でアパートなどを探して交渉するという、自立的なプロセスを経験できました。「円高によって海外留学という選択肢が身近にあった」という環境が、私の語学修得と言語感覚の基盤になっています。
保護者の方が子どもに対して「英語を話せるようになってほしい」と願うのであれば、無理に勉強として強制するのではなく、日常のなかに英語の音や会話が自然に存在する環境をいかに用意するかが重要です。身近にあれば、子どもはそれを特別なものとはせず、自らの意志でその世界を楽しみ、進んでいく力を持っています。
AI時代に必要な「潜在的経験」の蓄積と総合知
後藤:現在の高等教育政策や入試改革の動向に目を向けると、松尾さんの「知識そのものよりも、物語を通じた疑似的経験や思考のプロセスを重視する」というスタンスの正しさが証明されています。最近私は、現在の総合型選抜・学校推薦型選抜における形式的な志望理由書の提出や面接試験の限界を一貫して指摘しています。
生成AIの普及によって、小論文のライティングやプログラミングのコーディングといった「結果としての成果物」は、AIを利用すれば誰でも高いクオリティで瞬時に出力できるようになりました。アメリカの大学でも成果物のみによる評価が不当な成績インフレを引き起こしているという構造的問題が論文で指摘されています。これからの時代に評価すべきは成果物のクオリティではなく、どのようなアプローチや考え方を経てその結論に達したかという「思考のプロセスそのもの」です。
世の中では高校生の理系志望者を5割に増やすといった極端な定員政策が文科省主導で進められていますが、重要なのはバリバリの理系専門知識だけを詰め込むことではありません。これからの社会で求められるのは、文系的な教養と理系的なロジックを融合させた「総合知」の獲得です。松尾さんの作品は、まさにこの文理融合の素養を、子どもたちが自然に受け入れるための最適なフックになります。理系の教科書を無理に読ませるのではなく、物語を通じてじわじわと力学の原理や論理的手触りを味わうことができるからです。
松尾:AIはウェブ上の膨大なデータを学習して確率的に推測しているため、それらしい理屈を提示することは得意でしょうね。しかし、人間が実際に身体を動かして味わった個別具体的な経験や、その時々の感情、あるいはウェブ上に存在しない領域において独自に論理を組み立てることは、AIにはできない。
小説家には、幅広い分野についての読書経験や多様な実体験が必要だと考えています。知識を単なる情報として頭の中に蓄えるのではなく、日々の生活のなかで「潜在的な経験」を積み重ねていくこと。子どもの頃に経験したことや触れたものは、その時点では明確な知識になっていなくても、記憶の底にモジュールとして残っていて、それは何かの「きっかけ」によって呼び起こされると、それらは生きた「教養」になるからです。
物語を楽しみ、日常に種を仕込む
後藤:最後に保護者の皆様へ向けて、メッセージをお願いいたします。
松尾:私の小説をあまり「教育的な教材」として受け止めていただいたり、何かを学ばせようと身構えてお子さんに与えたりしてほしくありません。私は子どもたちに何かを教え込もうと小説を書いてはいませんし、そもそも私自身が真っ当なレールの上を歩んでいない人間です。まずは純粋に、一つの面白い物語として気軽に楽しんで読んでほしいというのが第一の願いです。
楽しんで読むというプロセスのなかに、力学の原理をはじめ、教養の種の数々を自信を持って仕込んであります。勉強も語学も、スポーツも、その上達のためには、強制ではなく、日常のなかで身近に用意された環境の中で、そのプロセスを楽しむことが必要です。本作がそのきっかけの種となれば幸いです。
後藤:本日は、これからの時代に必要な教育の本質について、貴重なお話をありがとうございました。
書籍情報
- 『偏差値70の自転車競技部 ステージ1 中学受験編』
- 著:松尾清貴
- 定価:803円(税込)
- 文庫版336ページ
- 装幀:大口典子(ニマユマ)/装画:中島花野
- 出版社:小学館
- 『偏差値70の自転車競技部 ステージ2 高校入学編』
- 著:松尾清貴
- 定価:715円(税込)
- 文庫版256ページ
- 装幀:大口典子(ニマユマ)/装画:中島花野
- 出版社:小学館
- 発売日:2026年7月6日(1、2巻同時発売)






