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進路のヒントススメ!理系 – 地球の果てで生命の謎に迫る

田邊 優貴子 先生 国立極地研究所
生物圏研究グループ 助教
田邊 優貴子 先生

~Profile~
2006年京都大学大学院博士課程単位取得退学。2009年総合研究大学院大学博士課程修了、博士(理学)取得。2009年4月~2011年3月国立極地研究所生物圏研究グループ研究員、2011年4月~2013年3月東京大学大学院新領域創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員、2013年4月~2014年12月早稲田大学高等研究所助教。2015年1月~現職。第49次・第51次・第53次日本南極地域観測隊夏隊、第58次日本南極地域観測隊越冬隊など。著書に『すてきな地球の果て』(ポプラ社:2013年)など。青森県立青森高等学校出身。

南極大陸と言って思い浮かぶのは、一面、白銀の世界。生物がいるなどと考えたことのある人は少ないのではないだろうか。日本の昭和基地の近くにたくさんある湖も一年のほとんどを氷に閉ざされ、短い夏の間だけしか水面をのぞかせない。しかし潜ってみると、そこには緑の世界が広がっていた。発見したのは田邊優貴子国立極地研究所助教(当時同研究所研究員)。二万年前まで氷河に閉ざされていた湖に芽吹いた生命の世界を探求している。現在の研究やこれまでの軌跡、高校生へのメッセージをお聞きした。

Q 現在のご研究内容についてお聞かせください

 南極・北極の両地域で研究を行っています。今までに南極7回に北極7回訪れました。それぞれ研究対象や内容は異なりますが、メインの南極の研究では、氷河後退後の湖の生態系を調査しています。南極では、二万年前まで氷河に覆われていた地域に、氷河後退後多くの湖ができました。元々、生物が全くいなかったと考えられるこれらの湖に潜って発見したのが、藻やコケに覆われた緑の世界。何らかの原因で生物が侵入したとしか考えられません。しかも湖によって、生態系が大きく異なります。それぞれ同じ時代に誕生し、非常に近い場所に位置し、同じ気候条件にさらされた湖にどうしてこのような違いが生じるのでしょうか。

 さらに、4年前には、それまでの調査地点よりさらに内陸に位置する一年中氷に閉ざされた湖に潜りましたが、そこは一面紫の世界でした。藻ではなく、地球上最古の光合成生物といわれるシアノバクテリアがメインの生態系が広がっていたのです。

 氷に閉ざされた世界で、なぜこのような生態系が誕生したのか、謎は深まります。南極は無生物状態から誕生した生態系を探れる地球上唯一の場所で、原始生態系の研究において他にない好条件を揃えた格好のフィールドだと思います。

 一方の北極では、湖の生態系の変化を見ることで気候変動の影響を調べています。地球温暖化や異常気象が叫ばれる昨今ですが、極地ではそれが顕著に表れます。食い止めるのはとても難しいことだと思いますが、それが生態系にどういう影響を与えるのか、それに対して私たちはどう対処すべきかを示していくのも科学者の仕事だと考えています。

 ここ何年かは海外調査が多く、文字通り地球を飛び回る日々でしたが、今年の春に南極越冬隊から帰国し、その後の海外調査も終えた今はやっとひと段落といったところ。これから一年ほどは、今までに採集した試料の分析やデータの解析作業、論文の執筆に専念する予定です。

Q なぜこのようなご研究を?

 子供のときにテレビで見たアラスカの風景に魅了され、以来、極北への憧れを抱き続けていました。大学4年の時、将来したいことも見えずに、流れのままに卒業することが嫌で、一年間休学し、向かったのがアラスカです。真っ白い広大な原野の中でオーロラに魅了されました。

 その後、大学院に進学したものの、当時は現在とは違う生化学を専攻、実験室で日々試験管と向き合う日々を過ごしていました。しかしアラスカの風景が片時も忘れられず、修士2年の夏休みに二度目の渡航。野生の動物、燃えるような紅葉、雪解け後の生命の芽吹き、短い夏の命のきらめき、生きているという実感を得ました。自分の心に素直に従おうと、博士課程の途中で、極地研に編入しました。 実は極地研に入るまで、生物学を勉強したことはありませんでした。高校でも物理・化学しか学んでいませんでしたから、一からスタートです。苦労はありましたが、自分がしたいことのためです。極地への憧れを胸に研究を続けた結果、2007年、第49次日本南極地域観測隊の一員として初めて南極の大地を踏むことができました。

Q これからどんな研究をしたい?

 南極大陸は広大で、その面積は日本の36-37倍で、まだまだ調査されていない場所や湖も数多く残っています。それらを調査していけば、おそらく今までにない発見があるに違いないと思っています。だから調査の範囲をもっと広げていきたい。もちろんそのためには、他国の南極基地・観測隊と交渉してその協力を取り付ける必要もあるでしょう。どのようにして生命は生まれたのか、原始生態系の秘密に迫るとともに、私たち人間も含めて生命はどこへ行くのか、それを知る第一歩となるよう、これからも研究と探求を続けていきたいと思っています。


コラム 高校生へのメッセージ

 自分の心が震えた経験を大事にしてほしい。自分の心に素直になって、それを生きる原動力にしてほしい。みなさんの前には、大学や専門学校に進学し、就職する、といったレールが暗黙のうちに敷かれていますが、人間にはもっと多様な生き方があっていいはずです。

 小学生から大学生まで、いろいろな方を対象に講演する機会も少なくありません。そこで心掛けているのは、子供たちが生きる世界を広げるためのきっかけを作ること。高校生にもなると、考え方もしっかりしてくる反面、自分の殻を作ってしまうことも少なくないと思います。しかし、いろんな人と話したり、様々な世界を見たりして、自分とは違う考え方、価値観を素直に受け入れる感覚を養うことも忘れないでほしいです。

 また女子の皆さんには、女性という勝手に作り上げられている古いイメージだけで自分のしたいことを諦めないでほしい。「男性だからできる」《女性だからできない》ということは決してないと思います。私自身、野外での調査活動も男性と一緒にこなしています。まして研究の世界では、成果を出せば、女性であることは全く問題になりません。才能や可能性を持ちながら、女性がそれを活かせないのはもったいない。自分の気持ちを大事にしてほしいと思います。


IIT-KGP(インド工科大学カラグプール校:Indian Institutes of Technology-Kharagpur)
パルシャ・チャクロバート(Prof. Partha P. Chakrabarti)学長が来日。
京都、東京で主要大学との交流を深める。

 11月9日の来日以来、京都大学、立命館大学、東京大学、早稲田大学等の執行部を訪れ、日本の大学との交流について精力的に意見交換を行ったチャクロバート学長は、12日には日印協力グループの開いたシンポジウムで代表のサンジーブ・スィンハ氏と対談。その中でチャクロバート学長はIIT‐KGP(以下IITK)について「学費は極めて安く、どんな地方、経済力の家庭に育った子どもにも進学の道は開かれており、厳しい入学試験を突破すれば、同じ中身、仕組みの中で学んでもらえる。そして死に物狂いで勉強して卒業すれば、どこに行っても活躍できる人材になれることを保証している。IITKが一人を育てることで、その学生の育った地域に発展をもたらすことができる」と語った。また日本とインドの交流については「ともに古い歴史を持つ点で共通している。今や世界中が、先端技術開発に目を奪われる中、伝統的な価値観、哲学をともに世界へ向けて発信し、あわせて若い世代に伝えていくことが必要だ。また、日本の教育システムは完成度が高く、子どもたちは勉強だけでなく、しつけやルールも身につけながら、ステップバイステップで成長していくが、インドでは、学校でルールや道徳を教えても、別の価値観を持つ家庭も多く徹底されない。だからなおさら、大学では科学・技術教育に力を入れなければならない。そのためか、IITKの卒業生は粗削りで、日本人に比べて大きくジャンプできる可能性を秘めている」、また「日本は現在、高度な技術を確立しているが、高齢化が悩みの種だ。反対にインドは、技術面ではまだまだ追いつかないが、若者が多くお互い補うことで素晴らしい未来が築ける」と語った。「AI時代に生き残るためにはどうすればいいのか」の会場からの質問には、「《自分とは何か》を考えること以外にない」と答え、加えて「現在のIT社会ではアメリカの極、中国の極の存在感が高まるが、これに対してインド・日本・ヨーロッパで、個人をもっと大切にするような第三極を作るべきだ」との見解も示した。

 IITは現在16校、IITKは1951年創設でその中で最も古い。グーグルCEOのピチャイ氏などを輩出していることで知られる。現在IITKでは、大学で学べない若者も高度な学術に触れられるよう、大量の図書を無料で閲覧できるオンライン図書館の充実にも力を入れている。

【記事提供:日印大学協力研究所】

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