
人見 光夫 氏
マツダ株式会社 シニア技術開発フェロー
常務執行役員 技術研究所・パワートレイン開発・統合制御システム開発担当
~Profile~
1979年 東京大学大学院航空工学科修士課程卒業。同年、東洋工業(現在のマツダ)入社。2001年 パワートレイン先行開発部長、2007年同開発本部副本部長、2010年同開発本部長(2011年 執行役員 パワートレイン開発本部長)、コスト革新担当補佐。2014年常務執行役員 技術研究所・パワートレイン開発・電気駆動システム開発担当。2015年常務執行役員 技術研究所・パワートレイン開発・統合制御システム開発担当。2017年常務執行役員(シニア技術開発フェロー) 技術研究所・統合制御システム開発担当。著書に『答えは必ずある一逆境をはね返したマツダのエンジン開発』(ダイヤモンド社:2015年)。岡山県立岡山朝日高等学校出身。
地球温暖化防止、CO₂排出削減を旗印に、自動車産業では、ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)、燃料電池車(FCV)の改善、改良が進んでいます。2040年までには、イギリスやフランスが、ガソリンやディーゼルを使った内燃機関(エンジン)しか持たない車の販売を禁止するとも言われていて、それに追随する動きが増えるとも予想されています。一方、近い将来において、世界中の車をすべてEVやFCVにするのは現実的ではないとして、ヨーロッパを中心に内燃機関の改良をさらに進めようという動きもあります。日本では唯一、乗用車部門で内燃機関の改善でヨーロッパに対抗するのがマツダ。ディーゼル車で世界最高効率の燃費を実現したパワートレイン※1開発責任者の人見光夫さんに、内燃機関へのこだわり、その改善にかける意気込み、イノベーションを生むための秘訣についてお聞きしました。
※1 エンジン、トランスミッション、ドライブシャフトなど、パワーを生成し、伝達する機構。
自動車産業の今後の展望と、私たちの選択
2011年、スカイアクティブ※2ガソリンエンジンを積んだ「デミオ」は、当時の日本の法定モードである10-15モードにおいて30km/Lという HV車並みの数字を達成し、内燃機関の改良でHV並みの環境に優しい車が作れることを世界に示しました。
しかし皆さん方の中には、自動車産業への誤解も根強いかもしれません。内燃機関はCO₂を排出する元凶で、地球規模での車の大幅な増加を考えると、将来的にはすべての車をクリーンエネルギーを使う EVやFCVに置き換える必要があると。
もう内燃機関の時代は終わった、これからは電気の時代だと言われ始めてしばらくすると内燃機関に関連する大学の研究室には、学生が集まりにくくなったと聞いています。CO₂排出と地球温暖化の相関については、学術的な検証に委ねるとして、クリーンなエネルギーである電気や水素だけで、世界中の自動車を動かすべきだという言説には巧妙なトリックが潜んでいます。
まず「クリーンなエネルギーを使って」という言葉が問題の本質を隠しています。
電気で言えば、確かにそれ自体はクリーンエネルギーですが、それがどのように生み出されたかについても考える必要があります。たとえば日本の場合、3.11以降、その90%近くは火力発電(うち30%近くは石炭)によるものです。当然、EVは火力発電による電気で走っているということになります。EV推進のため、その販売割合を法律で定めたカリフォルニア州でも、石炭を使った火力発電所があります。また現在のEVに欠かせない大型の電池の製造に伴うCO₂の排出も考える必要がありますから、EVをCO₂排出量がゼロでクリーンであるという誤解を生むような伝え方は問題があると思います。
もう一つ、近い将来、世界で15億台にも、20億台にもなると予想される車の多くをEVにしたとして、その充電に必要な電力がどれぐらい要るかを誰か考えたことがあるでしょうか。
国内で考えると、一年間で車が消費するガソリンと軽油の半分を内燃機関の代わりに再生可能エネルギーで走るEVで肩代わりするとして、EVのために今より追加で必要な電力は一年間で1790億kWh。それを現在の発電容量比率である太陽光発電で85%、風力発電で15%という分担比率で考えると、一年あたり太陽光発電が1520億kWhと風力発電は270億kWh今より余計に発電しなければならない。太陽光発電と風力発電の現在の日本における稼働率はそれぞれ13%, 20%であるため、必要な発電設備容量はそれぞれ1億3000万kW、1500万kWとなります。
内燃機関をEVに替えてガソリン、軽油の年間消費の半分を減らすには、EVにしにくい大型車は内燃機関のままとすると、大ざっぱな試算では大型車を含めて日本にある7700万台の車のうち大体4400万台をEVにしないといけなくなる。台風などが接近している暑い日にほとんどの家庭ではエアコンを使用していますが、そんな最中の夜、みんなが一斉に充電したらどうなるでしょうか。夏の暑い日は日本の電力供給力の余裕は2000万kWから4000万kW程度しかありません。家庭用充電器は3kWですから、2000万kWなら700万台弱の充電しかできません。それ以上では停電します。夜は太陽光発電はできませんからバックアップとしての火力発電の増強が必要になります。このバックアップ火力発電は、今ある火力発電と合わせて現状の火力発電相当の発電量の供給をすればいいだけなので稼働率は大幅に低下して、維持費が大幅にあがりコストアップします。太陽光発電も火力に比べると高くなりますから、皆さんの負担をする電力料金は高くなります。さらにいうなら、この太陽光や風力発電で得られた電力を電気自動車などに回さず、発電時のCO₂発生の多い石炭発電の抑制に使えば電気自動車に使うよりはるかにCO₂抑制効果が高いということです。バックアップ火力発電も充電器も準備することなくより大きな効果が出るのです。
また内燃機関の改善余地はまだまだ大きく残っています。石炭発電だけですべての自動車よりも沢山のCO₂を出しているわけですから、発電領域は発電領域でCO₂を減らす努力をし、自動車は自動車で内燃機関を改善するといったように、双方で努力するほうがはるかに効率的、効果的にCO₂を低減できます。また大都市の大気汚染が進んでいるから都市部から内燃機関車を排除するという動きに関しても、最新の排ガス規制に不正などしないで対応した車であれば問題は起きないと考えています。なぜなら大都市東京では自動車起因の環境問題は出ていないからです。
※2 スカイアクティブテクノロジー、マツダの理想を追求するために新規開発されたエンジン、トランスミッション、ボディー、シャシー。2006年にスタートし、2010年にマツダの次世代技術として正式発表された。
※3 カタログ燃費と実走行時の燃費とでは違うが、その差はEVの方が大きいとされる。
ヘッドピンを狙え
もちろん私たちは企業ですから、内燃機関の改良は理想論だけによるものではありません。会社の規模や財務状況、置かれたポジショニングを考えた消去法による選択、決断によるものでもありました。
もし当時、HVやEV開発に着手していたとしても決して利益は生んでいなかったと思います。特にEVは全く利益などは生まれなかったでしょうから選択肢にはなりえませんでした。バブル崩壊以降、経営危機に見舞われた弊社は、一時は外資による資本提携を受け入れるなど、生き残りに汲々としてきました。しかもヨーロッパの排出ガス規制は年々強まる一方ですから。それに対応しながら、少ない資金で製品の独自性を出すには、強みである内燃機関の効率改善、燃費改善に託すという選択肢しかありませんでした。
そのエンジンの開発を責任者として任された私が心掛けていたのが、ボーリングに譬えればヘッドピンを狙ってそれを倒すことでした。それを上手に倒せば、他のピンも全て倒せる、つまりストライクが取れる。どんな物事も根っこはつながっていて、必ず要になるポイントがあり、そこを解決すると他のことも一気に解決できるという譬えです。
そのためには全体を俯瞰し、問題をできるだけ絞り、シンプルなものにする必要があります。
では、内燃機関を改善する際のヘッドピンに当たるものとは何か。それは損失を低減すること、内燃機関には排気損失、冷却損失、機械抵抗損失、ポンプ損失の4大損失があり、それらを低減するために人間がコントロールできる因子は圧縮比、比熱比、燃焼時間、燃焼タイミング、壁面熱伝導、吸排気行程圧力差、機械抵抗の7つしかないというように整理ができました。それらはエンジン開発者ならだれでも知っていることですが、このように整理されたものはそれまで見かけたことがありませんでした。これらの因子をどういう順で理想に近づけていくかと考えた時に、まず圧縮比(本当の狙いは膨張比)を高めることにしました。詳しくは拙著(写真)に譲りますが、そこに全社で30名という、決して多いとは言えない研究スタッフ(大手は1000人以上)の力を振り向けました。
圧縮比は、通常のガソリンエンジン車では11か12。高めれば高めるほど通常運転域の熱効率は上がります。しかし圧縮比を上げれば上げるほどノッキングという異常燃焼が出やすくなり、それを避けると大きくトルクが低下してくるため、誰も圧縮比14、15という世界は試そうともしていませんでした。そんな中である時私は、「トルクが下がると言ってもまさか反対には回らないだろう。中途半端に1つずつ上げて試すぐらいなら一気に15で試してみたらどうだろうか」と、思い切ってテストしてもらいました。
すると、15にしてもそれほど大きくトルク低下はしませんでした。後で見ると低温酸化反応というのが起きていてトルク低下を抑制してくれていました。私が大きな手応えを感じたのはその時です。
これまでの常識に囚われず、パラメータを極端に振ってみたことがブレークスルーのきっかけになった。その後、スカイアクティブは、14という世界一の高圧縮比ガソリンエンジンと低圧縮比ディーゼルエンジン(いずれも高膨張比)の開発に成功しました。
もう一つのヘッドピンはCAE※5 (計算解析)を使ったシミュレーションによる開発でした。従来の開発のやり方は、試作エンジンを作ってテストし、問題点はエンジンに訊くといった試行錯誤の開発であったため、新技術領域以外からも問題が様々な形で出て、多大な工数と時間を費やしていました。また使用形態がすべて網羅できるわけでもないため、品質問題も多数出ていました。それを試作する前に計算で検討できるようにしようというのがシミュレーション開発です。安易に物を作るとそれに頼ってしまい、また問題が出たら関係部門やサプライヤーさんなどと調整するなどの手間がものすごくかかります。しかし物がない段階で計算で検討できればそのような時間は不要になりますし、何よりも考えを練りに練ってから進めるようになります。この取組が功を奏し、今ではさらに進んで、企画構想段階から開発製造段階まで、いろいろなレベルのモデルを取り揃えて目的に応じて使いこなすモデルベース開発に移行できつつあります。モデルには模範という意味もありますので考え方、プロセスの在り方まで模範となるものを作り、それにそってやろうというところまでこの考え方を広げつつあります。
※4 マツダは世界で唯一、ロータリーエンジンを実用化した。
※5 Computer Aided Engineering
同じやるなら世界一を目指そう
開発に限らずいかなる仕事においても、理想像、究極の姿を思い描いて、自分達で制御可能な因子を並べどういう順でどこまでやるかのロードマップを描く、そして後はその実現のための具体的手段を案出し実行する。このような当たり前のことを当たり前にやることがイノベーションにつながったわけです。もちろん実現に至る過程は苦労の連続で、その間は悩んで悩んで悩み抜かなければなりません。ヘッドピンを見つけるというのはまずこのような考え方をすることだと思います。ただし目指す方向、つまり理想を達成するための制御因子を網羅的に、しかもシンプルに描くというのはそれほど簡単ではない。だからシンプルに表現できなければまだわかっていないということだと思います。
ここで大事なのが、答えは必ず見つかる、ヘッドピンは必ずあると信じることです。そして理想像をしっかり描くこと。それができていれば、途中で挫折したり、目標が目移りしたりすることもなく、他人に何と言われようとその達成に向けて没頭できるはずです。私が新入社員によく言うのは、人生は短い。だから同じ仕事をするなら世界一を目指せということ。今の世の中では世界一に到達しても、すぐに追いつかれるから二番でいいということはありえないのです。
私の若い頃からの夢は究極の内燃機関を作ることでした。もちろん他社に勝つことだけが目的ではありません。それが社会的に意義があると考えるからです。内燃機関の改良、改善はまだまだ可能です。発電時のCO₂を考慮したEVに勝つ。実用燃費を30%改善できれば、火力発電で得られた電気で走るEVに勝てるので、「まずは火力発電をなくすことに力を入れてください」と胸を張って言えるようになります。エンジニアにとっては、社会的に意義のあることがモチベーションにつながるのです。
最後に一言。私の経験では、自分で考え実践してみてうまくいったものだけが身につきます。そしてそれしか、危機や最後の土壇場で自信をもって使えませんし、それを身につけている人だけが、成功した後も次はもっとよくしたい、もっとよくできるはずだと考えるのではないでしょうか。人により大きな成長を促すヘッドピンとはまさにこれだと思っています。
コラム
2013年に国内で自動車が消費した燃料はガソリンが5680万kL。これをすべて燃やすとCO₂は1億3200万トン出る。これを電気自動車が消費する電力に換算すると2190億kWh。軽油の消費量は2435万kLで、CO₂排出量は6400万トン、電力に換算すると1032億kWhで、ガソリンと軽油とでは1億9600万トンのCO₂を排出したことになる。これは3222億kWhの電力消費に相当するが、電力使用に際しての送電、充電のロスを1割程度と考えると実際には3580億kWhの発電が必要になる。これを排出原単位(ある製品を1トン生産する過程で排出されるCO₂の量。日本は0.57kg-CO2/kWh。3.11以前は0.47kg。中国は0.77kg)から計算すると、2011年のCO₂排出量は1億6800万トンだが、2015年は2億トンとなり、電気自動車の方がCO₂排出量が多いことになる。