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生命の「働く機械」をこの目で見る-私大初、クライオ電子顕微鏡が拓く研究のフロンティア

生命の「働く機械」をこの目で見る
– 私大初、クライオ電子顕微鏡が拓く研究のフロンティア

遠藤斗志也先生

遠藤 斗志也 先生

京都産業大学 生命科学部 教授
タンパク質動態研究所 所長

~Profile~

理学博士(東京大学)。群馬大学、名古屋大学理学部教授などを経て、2014年より京都産業大学教授。ミトコンドリアの生合成と、そこに関わるタンパク質の輸送メカニズム研究の世界的権威。その長年の功績により、2016年に文部科学大臣表彰(科学技術賞)、2021年にはタンパク質科学分野の国際的な栄誉である「ハンス・ノイラート賞」を日本人として2人目に受賞。

生命を動かすナノスケールの“精密機械”、タンパク質。その「機能」の源泉であり、生命活動のすべてを担うとされるその「かたち(立体構造)」を原子レベルで観察可能にしたのが、生命科学に「ゲノム革命」に次ぐ変革をもたらすとされるクライオ電子顕微鏡(Cryo-EM)だ。

今年10月、このクライオ電子顕微鏡を、西日本の私立大学として初めて設置したのが京都産業大学生命科学部(タンパク質動態研究所)である。「良い教育はよい研究から」の理念を掲げ、研究の最前線を学部教育に直結させてきたミトコンドリア研究の世界的権威であり、タンパク質動態研究所の所長でもある遠藤斗志也教授に、この革新的技術とその活用で広がる大学の学びについてお聞きした。

京都産業大学に設置されたクライオ電子顕微鏡
京都産業大学に設置されたクライオ電子顕微鏡(Glacios 2)

スケール革命を起こすクライオ
– 細胞からタンパク質へ、原子レベルの解像度へ

「顕微鏡」と聞くと、多くの人が高校の理科室にある光学顕微鏡を思い浮かべるだろう。しかしこれでは細胞(約10マイクロメートル)の姿は確認できるが、その内部までは見えない。

「最近は卓上の電子顕微鏡を高校などで活用し、虫の複眼など表面を見る機会もあるようですが、生命活動の主役であるタンパク質の“かたち”を捉えるには不十分です」と遠藤教授は話す。

そのスケールの違いは圧倒的で、細胞を「建物」とすれば、タンパク質(数ナノメートル)は「野球ボール」ほどの大きさしかない。クライオ電子顕微鏡の革命は、このナノサイズのタンパク質を原子レベルで可視化した点にある。

京都産業大学には、広大な宇宙を観測する神山天文台もある。「天文台が『マクロ』の極限、宇宙という“見えないもの”を見る研究なら、クライオ電子顕微鏡は『ミクロ』の極限、タンパク質という“見えないもの”を見る研究。その両方がこのキャンパスに揃うのです」と遠藤先生は微笑む。

なぜ革命なのか? – 「結晶」が要らない強み

タンパク質のかたちを見る技術は以前から存在した。主流だったのは「X線結晶構造解析」だ。しかし、これには大きなハードルがあった。

「X線で構造を見るためには、タンパク質を塩の結晶のように整然と並んだ『結晶』にする必要がありました。しかし、タンパク質、特に細胞の膜に埋まっているものや、複数の部品が組み合わさった巨大な複合体は、非常に結晶化しにくい。これが長年の壁でした」

クライオ電子顕微鏡の最大の強みは、この「結晶化」を必要としないこと。「タンパク質が水溶液の中で働いている、そのままの姿を捉えることができます。まさに革命です」と遠藤先生。

CryoETによる細胞内部のイメージ
CryoETによる細胞内部のイメージ

生命の時間を止める「クライオ(極低温)」の秘密

では、どのようにして「そのままの姿」を捉えるのか。秘密は「クライオ(極低温)」での急速凍結にある。

水溶液中で動いているタンパク質を、1000分の1秒といったスピードで一気に凍らせるのだ。「家庭の冷凍庫のようにゆっくり凍らせると、氷の『結晶』が成長してタンパク質を押し潰してしまいます」と遠藤先生。

「そこで、液体エタン(-180℃)などの極低温環境で瞬時に凍結させ、水の分子が整列する暇もない『アモルファス(非晶質)』、いわば“ガラス状の氷”を作り出すのです」。このアモルファス氷の中では、タンパク質は自然な「かたち」を保ったまま閉じ込められる。まさに、時間が止まるのだ。

ゲノム革命の「次」 は、タンパク質の立体構造の解明だ

2000年頃、ヒトゲノム計画が完了し「ゲノム革命」が起こった。生命の設計図であるDNAの全配列が解読され、どんなタンパク質が作られるか、その「部品の並び順(アミノ酸配列)」がすべて解明された。

「しかし、それはあくまで『設計図』がわかったにすぎない」と遠藤先生。「その設計図から、最終的にどんな『かたち』の機械が作られ、どう動くのか。設計図と実際の機械の間には、大きなギャップがあった」とも。

X線解析では見ることが難しかったタンパク質の構造。この大きなギャップを、クライオ電子顕微鏡と、近年のAIによる構造予測が急速に埋め始めている。

「設計図はわかった。そして今、そのかたちが次々と明らかになっている。まさに今、ゲノム革命に匹敵するほどの大革命、生命科学の第二の革命が起きている」と遠藤先生は力をこめる。

細胞の「発電所」- ミトコンドリアの“門番”の秘密を暴く

かたちが分かると、働き方が見えてくる。遠藤先生は、このクライオ電子顕微鏡を駆使し、30年以上にわたり研究してきたミトコンドリアの謎に迫っている。

ミトコンドリアは、細胞が活動するためのエネルギー(ATP)を作る「発電所」だ。この発電所が働くには約1000種類のタンパク質が必要だが、驚くべきことに、そのほとんどはミトコンドリアの外(サイトゾル)で作られ運び込まれる。

TOM複合体の模式図
TOM複合体:ミトコンドリアの入り口となる“門番”の構造

「私たちは、そのタンパク質の入り口となる『孔』(TOM複合体)や、タンパク質を膜に組み込む装置(SAM複合体)の構造を研究しています。これらは、どのタンパク質をいつ、どのように通すかを決める“門番”のような存在です」

X線解析では構造決定が困難だったこれらの“門番”も、クライオ電子顕微鏡によってその姿を現し始めた。

「例えば、入り口のTOM複合体は、ただの筒ではありませんでした。孔の中の性質が場所によって異なり、入ってくるタンパク質の性質に応じて通り道を選べるような、非常に巧妙な仕組みを持っていたのです。かたちが分かったことで、ようやくその精巧な働き方が見えてきました」

構造が分かれば、なぜ特定の変異が病気を引き起こすのか、どうすればその働きを制御(創薬)できるのか、応用研究も一気に次のフェーズへと進む。

「良い教育はよい研究から」 – 見る感動を学生へ

「私立大学としてこの最先端装置をキャンパス内に設置する意義は非常に大きい」と遠藤先生は強調する。これまでは、予約が数ヶ月待ちになるような学外の共同利用施設に、時間と労力をかけて通う必要があった。これからは、学内でいつでも自由に装置を使える。

「かつて大学院生が、共同利用施設で苦労の末に世界で初めての構造を見たとき、『とても興奮した』と語ってくれました。この『見えないものが見える感動』こそが、研究の原動力です」と遠藤先生。

京都産業大学では、この感動を学部生にも味わってもらおうと、来年度から学部生(研究室配属前)でもこの装置に触れられる「体験授業」を計画している。

「学部生向けのハンズオン授業はおそらく日本初でしょう。クライオ電子顕微鏡の操作経験者は、製薬企業などからも強く求められています。学生が最先端の技術に触れ、それが将来のキャリアに直結する。まさに『良い教育はよい研究から』の実践です」と遠藤先生は結んでくれた。

日本はクライオ電子顕微鏡の導入で欧米や中国に後れを取ってきたが、ようやく装置が普及し、巻き返しの体制が整いつつある。京都産業大学は関西地区の新たな研究拠点となることで、生命科学の未来を担う人材の育成にさらに力を尽くしていく。

Keyword

クライオ電子顕微鏡とノーベル賞

この技術を開発したジャック・デュボシェ(スイス)、ヨアヒム・フランク(米)、リチャード・ヘンダーソン(英)の3名は2017年、ノーベル化学賞を受賞している。

ヒトゲノム計画

ヒトのDNAの全塩基配列(ゲノム)を解読することを目的とした国際的なプロジェクト。2003年に完了が宣言され、現在の生命科学研究の基盤となった。

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