雑賀恵子の書評-はじめての経済思想史

雑賀恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

はじめての経済思想史
中村 隆之
講談社現代新書 2018年

 いいところに就職しなければいけないと説教されるのは、収入が安定しているからだ。生きていくために必要なモノ、様々な行動ばかりではなく、現代の生活ではモノを手に入れ、コトを行うには、ほとんどあらゆる場合においてお金がなければならない。お金を手に入れるには、モノを生産して売るとか、労働を売って賃金を得るなどの方法がある。つまり、労働と金を交換することが働くということだとすると、「いいところ」とは要するに儲かるところだ。では、お金儲けはいいことか? 著者は、経済学の父アダム・スミスなら、よいお金儲けと悪いお金儲けがあると答えるだろうと言う。「よいお金儲けをできるだけ促進し、悪いお金儲けをできるだけ抑制することで、社会を豊かにしようとする学問」が経済学だとする観点から、「よいお金儲け」の捉え方の変化の物語として経済学史を綴っていくのが本書である。

 資本主義の道徳的条件を考え抜き、強者と弱者が共存共栄できるようなお金儲けを追求する自由競争市場を肯定したアダム・スミス。フェア・プレイを意識した道徳的人間が自由競争することによって全体が富み、弱者の能力も活かされるというのが、18世紀のスミスの説いた資本主義社会だった。しかしそうはならず資本が利潤獲得機械と化した19世紀にあって、資本を人間の手に取り戻し、他者との関係の中で生きる資本への転換を目指したのがJ・S・ミルである。A・マーシャルも同じく、利潤動機自体は否定せず、道徳的な行動という制約を課して、労働者への利潤分配をして社会が有機的に成長するというヴィジョンを打ち立てた。20世紀に入り、金融資本が発達すると同時に、第一次世界大戦によって進歩と安定の基調が崩壊して、英国は失業と慢性的な不況にあえいでいた。そこで、金融資本と産業資本の利潤追求のあり方を弁別し、価値を生み出す産業活動による利益追求で得た富を分配して、全体の富裕化を促進する方途を、従来の常識を打ち壊して考えたのがケインズである。著者はこうした文脈において、19世紀に社会主義を主張したマルクスを、資本主義の道徳的条件を満たすための試みが彼の経済学であったとして、ミル、マーシャル、ケインズとの共通性において捉え直す。

 現在日本を席巻している経済思想は、M・フリードマンが提唱した新自由主義だ。政府の介入を排除し、規制緩和の名の下に徹底的な市場主義を標榜し、自由競争市場で勝ったものが能力あるものとする。著者の文脈に照らし合わせれば、このような経済学は経済学の本流ではないということになる。 現実と格闘しながらより良き社会の実現を望んだ経済思想を本流として、スミスからフリードマンまでを描いた著者は、最後にこれからの方向性を「組織の経済学」から考えようとする。読むものは「冷静な頭と温かい心」(マーシャル)の経済学を知ることになるだろう。

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