「時間とは何か」なら、まだわかる。物理学や量子力学の難解な議論の本かしらと想像するかもしれない。だが、本書は「心にとって時間とは何か」だ。心にとって、ということは、 時間というのは何かの心象ということをも含むのだろうか。
確かに、子供の時は長いと思えた一日も大人になるにつれ経つのが短く感じられるとか、何年も前のある出来事が「昨日のことのように」感じられるとか、そういうことを考えれば、なるほど、時間とは、心、認識の問題かもしれないと思えてくるのではないだろうか。タイトルにそんな疑問を持つ人にこそ、読んでいただきたい。
実は、時間についての考察は、アリストテレスも、中世のアウグスティヌスなども取り上げた、随分古くからの哲学のテーマだ。そして、本書で挙げられている時間をめぐる問題群及びそこから展開される問題群もまた、身近であり、それだから多くの人が論じてきたものである。決して目新しいものではない。
本書は、心と時間をめぐる議論をいく筋かの道に分けて、 脳科学や心理学や倫理学や、そのほかさまざまな分野における従来の知見を紹介し、そしてその道から導き出される人間生活における心と時間の問題を、別の道筋として示し考察していく。
そのために章立てには趣向が凝らされ、入念に道が配置されている 。第一章には「知覚」(時間の流れは錯覚か)、第三章「記憶」、第五章「SF」(タイムトラベルは不可能か)、第七章「因果」と、奇数章には心と時間をめぐる議論の道が敷設される。偶数章には「自由」「自殺」「責任」 「不死」と人間生活のテーマを置き、その前の奇数章を踏まえながら時間概念とどう関わるかが語られる。さらに、第一章「知覚」と第五章「SF」、第二章「自由」と第六章「責任」、第三章「記憶」と第七章「因果」、第四章「自殺」と第八章「不死」が立体交差するように対応しているのだ。読み手は、それぞれの道を辿りながら、そこにある風景、つまり紹介される知見を愉しむが、どこかに行き着くことはない。
著者とともにいく筋もの道を彷徨いながら浮かび上がってくるのは、時間というものをめぐる謎だ。つまり、本書は、踏み分けられた道を示すことにより、踏まれたことのない未知の領域を指し示しているのである。著者なりの解答ないしは結論を性急に求めるような、クイズ好きの人には向かない本と言ってもいい。
そうではなく、著者とともに巡った思考の旅から帰還することないまま、自分なりの新たな道を探しに行きたくなるような本なのだ。