~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。
カバーの絵を見よう。夜の海。海の彼方はうっすらと明るく、影が伸びているのは月の明かりか、夜明け前の光か。波打ち際に小舟に乗った人が一人、小舟の脇には寄り添うように浜辺に座っている俯き加減の人が一人。柔らかい灯火を灯した細く高い柱が、遠く近くに6本。
夜の海を頼りなく、心許なく独り、小舟を漕いでいるのは、あなた。寄り添っているのは、臨床心理学・精神分析学・医療人類学を専門とし、臨床心理士としてカウンセリングルームを主宰している著者。
人生で迷子になってしまう時期。受験や仕事の失敗といった大きな問題からだけではなく、小さな失敗から自信を失ったり、微妙なすれ違いから他人を信頼できなくなったり、そんなことの積み重ねでありふれた日常が失われ、未来の見通しが消えてしまう。誰にでも起こり得るこうした危機の時期を、著者はユングに倣って「夜の航海」と呼ぶ。
夜の海に小さな小舟で漂いながら、どこを目指してどこへ行こうか、そもそも自分の今いる位置さえおぼつかず、陸地がどちらにあるのかもわからない。そうした不安と混乱にある人に対して、静かに傍に座って、一緒に戸惑いながら、ときには一緒にああでもない、こうでもないとおろおろしながらも、あそこに光が見えるようだよ、でも眩しすぎるからよくわからないね、もう少し柔らかい光で形を見分けられるようなところを探そうか、と語りかけてくれる。そんな本である。
どんな生き方がいいか、やれポジティブに考えよう、いやネガティブを受け入れよう、身の回りの人に感謝しよう、いや自分の人生を生きよう、といった人生指南書や自己啓発本は数多く出ている。本でなくとも、生き方について強力なアドバイスとなるような言説も溢れている。これらは、いわば人生の処方箋(船)だ。だけども、心は一般化できないし、複雑でその都度変わる。処方船に乗り込んで楽になったとしても、人生の問題そのものが解決できているわけではない。安全な港に避難し態勢を整えるために処方箋は有効に働く。これはマネージメントの時期と呼ばれる。それは必要ではあるのだけれども、それだけでは足りずに、これまでの生き方を見つめ直し、新しい生き方を模索せざるを得ない時がある。そういう時がセラピーの出番である。混乱した心に補助線を引いて、複雑な心を複雑なままに分割して見やすくする。いま必要なのはマネージメントか、セラピーなのかをひとつひとつ判断しながら繊細に舵取りを行うのが、カウンセラーの仕事だという。
「処方箋と補助線」「馬とジョッキー」「働くことと愛すること」「シェアとナイショ」「スッキリとモヤモヤ」「ボジティブとネガティブ」そして「純粋と不純」という見出しにある不思議なキータームを灯火にして、著者は、あれかこれか、ではなく、あれもあってもいいしこれもあってもいい、というふうに、決めつけることなく、ゆるやかに、惑いながら夜の海を漕ぎわたることを支えてくれる。
水平線の向こうには、やがて昇りくる陽の光がほのかに空を染めているのが見えるだろう。