–アメリカの大学では、地方のコミュニティカレッジに至るまで天文台を置いているところが多いと聞きますが。
荒木–そうですね。プリンストン大学、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、アリゾナ大学、カリフォルニア工科大学、バークレー本校を含むカリフォルニア大学各分校、スタンフォード大学等をはじめ、研究に主眼を置く諸大学では遠隔地に広範な電磁波・重力波領域の研究を目的とした地球規模の観測ネットワークに参加し、キャンパスとオンライン接続していることが多いですが、別にキャンパス近辺にも初等教育用を含む、主に可視光領域の観測施設も完備されています。
驚くべきことに、学部学生教育用の観測施設及びキャンパス周辺の一般市民向けpublic viewingを目的とした天文台やプラネタリウムを持つ大学(たとえばFlandrau Science Center and Planetariumを持つアリゾナ大学)や団体(オークランド市の丘の上にChabot Space & Science Centerを擁するEAS=Eastbay Astronomical Society, ロサンジェルス市民に親しまれ”La La Land”にも登場するGriffith Observatory 等も多く、各地の4年制大学から2年制のコミュニティカレッジ(Foothill College Observatory , Drescher Planetarium at Santa Monica College)に至るまで、学生や市民に向けた天文学の教育と啓蒙活動は実に盛んです。
私は、2000年Hofstra大学より東北福祉大学に移り20年間勤務しましたが、その前半にオーストラリアSirius Observatories社よりCollege Model5mドーム部材、米国Astro-Physics社よりドイツ式赤道儀1200GTO、米国Celestron社より14インチSchmidt-Cassegrain反射望遠鏡を購入し、大学の総務部営繕課、電気・機械技術者と学生20名余の協力を得て、2009年11月までに自力で天文台を建設しました。総工費約1000万円でした。
–それは天文学が初年次教育、導入教育に向いているから、ということもありますか。
荒木–それは必ずしも正しくありません。確かに天文学は、万人の好奇心を唆る浮世離れした現象に事欠きませんが、有史以来人類と共に発展してきた長寿を誇る分野であるだけに他分野に比べ成熟しており、真の理解を目指す者には数学・物理学等の素養が必須です。ただ、少なくともアメリカ合衆国ではIntroductory Astronomyは一般学生向けに人気の高い選択必修科目(distribution requirements)の一つであり、どこの大学でもあたかも日本の大学における教養科目や語学科目の様相を呈しています。
1990年代に所属していたHofstra大学でも、専任教員だけでは足りず非常勤講師を多数投入して10セクション程開講していました。講義は週2回(2時間x2)、観測又は実験は週1回(2時間x1)の頻度で15週行い、一般学生向けには数学、物理学を含む内容は極力避ける必要がありますが、各セクションとも30名程度で満杯です。
教科書産業は激しい競争を展開しており、天文学では新発見が続出するため、改訂版を巡るビジネスが毎年活況を呈しています。人気のある教科書を列挙すれば、
Astronomy Today, 9th Ed. (E. Chaisson, S. McMillan)
Universe, 11th Ed. (R. Freedman, R. Geller, W. J. Kaufmann)
The Cosmos: Astronomy in the New Millennium,5th Ed. (J.M.Pasachoff, A.Filippenko)
Explorations: Introduction to Astronomy, 9th Ed. (T. Arny, S. Schneider)
Astronomy, Illustrated Ed. ( A. Fraknoi, D. Morrison, S. C. Wolff)
Foundations of Astronomy, 14th Ed. (M. A. Seeds, D. Backman)
これらの多くは前半15章を太陽系天文学、後半15章を太陽系外天文学に割いており通年採用となっています。
–やはりヨーロッパに源流を持つ教養教育を大事にしているのでしょうか。そもそも教養教育とは?
荒木–紀元前6世紀、ピタゴラスに代表される古代ギリシャ人は天地を含む世界の様々な現象を統一的に(uni+versus)理解したいと切望し、そのための方法を探求するうちにQuadrivium(4学科)にたどりついたと思われます。
ピタゴラスは宇宙を支配するのは時間と空間の調和であると考え、彼の弟子たちはその基礎となる「数」の理解(Arithmetica)、これを空間の調和に適用する幾何学(Geometria)、時間の調和に適用する音楽(Musica)、時空の統一的調和に適用する天文学(Astronomia)の4科目を総合的に修得すれば師の真意を悟る事ができると考えました。
しかし人間の思考能力を持って挑戦しうる最も崇高な概念である数について説明したり議論したりするにも、そこで使用する「言葉」に関する能力を磨いておかなければなりません。
ピタゴラスに遅れること百年余り、古代ギリシャのソクラテスとその弟子プラトンは、言葉の正しい使い方を修得する文法(Grammatica)、正しい文法を用いて相手に真実を伝え、相手の話を正しく理解するための対話術(Dialetica)、さらに一対一の対話術を拡張して一対多数でも同じ目的を達成するために必要な雄弁術(Rethorica)、これら3科目即ちTriviumを修得すれば、言葉を使用する上で善・真・美を追求する事ができるようになると主張します。
今日の大学においても、専攻分野の如何に関わらず、Triviumを確実に修得したという確たる証拠が示されれば、学士号授与の根拠となると見なすことができます。学生と教員との間で十分な対話を交わした後、1年間にわたって卒業研究を行い、正しい文法に準拠した卒業論文を執筆・推敲し、それをもとに口頭発表と質疑応答ができれば、一人前の自由人になる準備が完了したと考えられます。Trivium(学士号授与の根拠)とQuadrivium(修士号授与の根拠)とを合わせてSeptem Artes Liberales( https://en.wikipedia.org/wiki/Liberal_arts_education )と呼びますが、自由人となるための7科目のことで、これを教養科目と訳すのは完全な誤訳です。従業員となるための職業訓練(vocational arts, servile arts)ではなく、雇用者、指導者、起業家等を含む「自由人」となるための術(liberal arts)というのが適訳と考えられます。大学を卒業する者はどんな職業に就いても真の自由人として生きて行くことが期待されているわけです。
このような考え方は、ジョン・スチュアート・ミルの以下の言葉によく表れています。
「大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります」(「John Stuart Mill,竹内 一誠. 大学教育について (Japanese Edition) Kindle 版 )
ここでいう自由人とは大学卒業に相応しい高い知性を持つだけでなく、良心に従って行動し、さらに豊かな感性をも備えた人、常に真善美の追求を行動規範とすることができる人を意味します。特に言葉については、文法がよい言葉遣いを、対話術が誤解のない真のコミュニケーションを、雄弁術が感動的な講演を保証します。具体的な案件としては、卒業研究の実施過程、学士論文の執筆・発表過程において指導教員と学生との両者が、故意の有無に関わらず捏造、改竄、剽窃等の不正行為を犯さないように細心の注意を払うことが肝要ですし、この研究活動を通して真実と正義を貫いた学生には学士号の授与が相応しいと考えます。(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/houkoku/attach/1334660.htm)
荒木 俊 先生
~Profile~
1949年生まれ。神奈川県出身、専門は天文学 理学博士(マサチューセッツ工科大学)