オピニオン・連載

「探究」の現場から テーマ設定の理想と現実

秋田県立横手高等学校 教諭 瀬々 将吏 さん

秋田県立横手高等学校 教諭 瀬々 将吏さん瀬々 将吏さん
~Profile~
1991年 広島大学理学部物理学科入学、1995年 大阪市立大学大学院理学研究科前期博士課程物理学専攻入学、1997年 同研究科後期博士課程物理学専攻入学、2003年 単位取得退学。博士(理学)。2003年12月 大阪市立大学 数学研究所 研究員、2004年12月 京都大学基礎物理学研究所 非常勤研究員/研修員/非常勤講師、2005年10月 慶應義塾大学 研究員、2006年 9月 国立台湾大学 研究員、2008年 4月 秋田県立横手清陵学院高等学校 教諭、2020年4月から現職。兵庫県立芦屋高等学校出身。
◉所属学会・団体等 日本物理学会、日本物理教育学会 および 東北支部、博士教員教育研究会、科学教育若手研究会
◉教育活動 勤務校では,理科授業(物理,生物,化学)や総合的な学習の時間・自然科学部などにおける課題研究を担当。2010年から2015年および2020年以降、勤務校にて文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」の企画・運営に携わる。他に県内の小・中・高や社会人を対象とした「出張授業」を行なう。「博士教員教育研究会」に所属し,高校生のための科学講座「未来の博士要請講座」や,高校生のための研究発表会「あきたサイエンスカンファレンス」の企画・運営を行い講師も務める。
◉専門 理論物理学。素粒子論・宇宙論の融合分野としての「ひも理論(string theory)」。とくに弦の場の理論(string field theory)

はじめに

もともと理論物理学の研究員として大学に勤務していた筆者は、2008年に秋田県で行われた、博士号取得者を対象とする教員採用を経て高校で教鞭を執ることになりました。それ以来、「理数課題研究」や「総合的な探究の時間」の指導をしてきました。指導歴が長くなってきたこともあり、近年では、秋田県内の学校で生徒向けの「探究入門」や教員向けの研修などを依頼されることも多くなってきました。本稿では、筆者が高校の現場で感じてきたことを軸に、「探究」の指導について述べたいと思います。

なぜ「探究」?

新学習指導要領の全面実施に伴い、従来の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」になりました。基本的な性格は従来のものが受け継がれていますが、大きな違いは「テーマ設定」にあります。従来は学校側が設定したテーマに取り組むことも可能でしたが、今回は生徒自身がテーマを設定することが求められているのです。より本物の「研究」の姿に近づいたといえます。今なぜこのような教育を行う必要があるのでしょうか?

2022年末頃からのChatGPTなどの人工知能(AI)の台頭を目の当たりにして、少なくとも知識や技能の習得のみを目標としたこれまでの教育過程を「なんとかしなくては」と考える人はかなり増えたのではないでしょうか。この変化に翻弄されることなく対応し、豊かな社会を築いていける人材を育てる教育が必要なことは誰の目にも明らかです。実際、1990年代の終わりから国際的に議論されていた教育改革、特に新しい学力観としての「コンピテンシー」への注目は、このような社会の到来を予測し、先回りして議論したものだったと言えるでしょう。その流れは、現在の学習指導要領や「総合的な探究の時間」に色濃く反映されています。

では、このような変化の激しい時代の教育で求められる資質・能力は何なのでしょうか。それは「博士の資質・能力」である、というのが筆者の考えです。そしてその能力とは専門分野の知識ではなく、「新しい知識を創造する能力」です。博士として認められるには、世界で初めてのオリジナルな(新奇性のある)研究を行う必要があります。博士課程の学生は研究室や学会での厳しい討論や論文投稿などを通して、新奇性のある研究を行う能力を鍛えあげていきます。つまり博士は「新しい知識を創造する能力」に長けた人材なのです。

変化の激しい社会では、この能力が重要になると考えられます。レジ打ちの仕事が無くなってしまったら従業員はどうすればよいのか?宿題にAIが使われるのにどう対応するか?博士が行う研究と同じように、データを収集し、仮説を立て、新たな対応策を講じる必要があります。

今回導入された「総合的な探究の時間」ももちろん、そのような考え方に立って設計されています。学習指導要領解説では、「自己の在り方 生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し」と、かなり踏み込んだ表現で書かれています。ただ単に課題を自ら発見すればそれで良いのではなく、高校生というその後の人生を左右する多感な時期に、「総合的な探究の時間」でライフワークとなるような課題に出会い、熱中し、追求していってほしい。そういう願いが込められているように読み取れます。学習指導要領解説としては非常に珍しく、情熱に満ちた文章です。ぜひご一読をお勧めします。

高校生の中身

さて、あなたは今から教壇に立つ新米教師です。教員養成課程や初任者研修などで、これまでに述べたような「総合的な探究の時間」の意義について学びました。文部科学省の描く高い理想に共鳴し、「総合的な探究の時間」を指導できることにワクワクしています。

探究活動を始めるにあたって、とにかく、テーマが決まらないことには何もできません。まず学校側からはなにも情報を提供せずに、生徒たちに「探究活動で取り組みたいテーマはなんですか?」とアンケートを取ることにしました。

生徒たちはかなり苦戦しているようです。普通教科の学びでは、与えられた課題をいかに上手にこなすかに重点が置かれており、生徒はそれに向けてトレーニングを重ねてきています。

そこにいきなり「なんでもいいから、テーマを考えてみて」と言われるわけです。学校では規則や教科書の内容に縛られ、自由に気持ちを持っている反面、いざ自由にと言われるととたんに苦労します。

あまりに何も出てこないので、生徒には「学校の授業だからどうとかに縛られず、本当にやりたいこと、興味あることを書いてごらん」と指示しました。教師はなんとか本音を引き出せた、と手応えを感じましたが、出てきたテーマに愕然としました。

• KPOPはなぜ世界中で人気があるのか

• 好きな異性のタイプ

• 味噌ラーメンと醤油ラーメン、どっち派が多いか

• ○○でガチ勢に勝つには(○○はゲームの名前)

• 授業で眠たくならない方法

• 血液型と性格に関係性はあるのか

• ドラえもんの秘密道具は実現できるか

• 空想科学

学習指導要領の言う「自己の在り方 生き方と一体的で不可分な課題」とは大きなギャップがあります。一方で、一応はこの授業の狙いに沿っていると思われるテーマも出てきます。

• 少子高齢化を食い止めるには

• ○○市を活性化させるには

• 地球温暖化を防ぐためには

• ジェンダー不平等を改善するには

テーマ自体は妥当なのですが、具体的な内容に乏しく、何をどう探究したいのかが伝わってきません。本当はあまり興味がないのだけど、大人が「やってほしい」と考えるテーマをとりあえず書いただけ、という姿勢が見てとれる生徒もいました。

この状態でいくら生徒に「主体的に活動しよう」と指示しても、全く進む気がしません。その後数回授業を行いましたが、生徒が考えるテーマは深まることもなく、ただ時間だけが過ぎていきます。

筆者がテーマ設定を指導していたときの出来事が印象に残っています。上述のような状況になり、とりあえず、選ぶテーマとして「恋愛禁止、食べ物禁止」という指示を出しました。するとある生徒から「先生、私たち高校生から異性や食べ物のことを取ったら、何が残るんですか」と言われました。自分が高校生のときのことを思いだし、思わずうなずいてしまいました。

テーマの類型化

探究の指導を長年していると、生徒から最初に出てくるテーマの特徴がつかめてきます。中には独自の視点で鋭いテーマを提案する生徒もいるのですがごく少数です。具体的に特徴をあげると、

• エンターテイメント( 音楽、映画、YouTube、ゲーム)

• 感覚、心理、恋愛、友人関係

• なんとなく科学っぽいもの(ドラえもん、健康器具、健康食品、血液型)

等です。全て、消費の対象として人気のあるものばかりであることに気づきます。知識の創造(学術)や価値の創造(ビジネス)につながりそうなテーマがなかなかでてきません。当然でしょう。高校生の消費動向はトレンドを形成するという意味で、企業や経営者にとって極めて重要です。従って、高校生が触れるメディアは彼らの興味を最大化するために、面白いコンテンツであふれます。YouTubeやTikTokなどを見ても大変面白いものがあり、その意味では大変価値があるのですが、あくまで消費を高めるためのものです。探究の目指す「新しい知識を産み出す」とは立場が正反対なのです。では、どうすればよいのでしょうか?高校生が「消費」ではなく「創造」に目を向け、豊かな未来に向かわせるようにするにはどうすればよいのでしょうか?(続く)

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