~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。
新型コロナウイルス感染症に対する規制緩和の流れの中で、大学にも賑わいが戻ってきている。学生同士が直接触れ合い、仲間と課外活動や学校行事を楽しめるようになったのは3年ぶりとなる。卒業式、入学式も今年は多くの大学でコロナ禍以前のように保護者の参加も可能となった。大学によっては、保護者がキャンパスを来訪するタイミングを捉えて懇談会を開催するなど、その後の大学との関係構築を図ろうとするところもある。保護者との信頼関係を基礎として学生の出欠その他の学修状況等を共有することで、学生が課題に直面したときも適切な支援が可能になる。多くの学生は、成人とはいえ未だ成熟途上にある。学生の教育をになう大学にとって、保護者との関係強化は、教育の質保証や教育効果向上に直結する重要な課題なのだ。
ところが、近年、一部の大学で学生の父母等を「保護者」と称するのを避け、代わりに「父母」「両親」「親」等を使用する動きがみられる。その背景には、昨年施行された改正民法における成年年齢の引下げがあるようだ。法令用語としての「保護者」は、一般に未成年に対する養育義務を有する者をいう。そうなると成年しかいない大学生の父母等を「保護者」とすることは不適切だということだろう。確かに一理はある。しかし、それを根拠に「保護者」と呼ばず「父母等」とすることは妥当だろうか、少し考えてみることとしたい。
学校法制で「保護者」は、就学義務に係る法令の規定として登場する。この義務を負う者について、教育令や第一次小学校令は「父母後見人等」と称していたが、明治23年の第二次小学校令では「学齢児童ヲ保護スヘキ者」となり、明治33年の第三次小学校令において「保護者」となった。同令32条は「学齢児童保護者ト称スルハ学齢児童ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ親権ヲ行フ者ナキトキハ其ノ後見人ヲ謂フ」と規定している。この保護者の規定は、100年を超える歳月を経ているが、現在の学校教育法16条の規定とほぼ同じである。
次に、「保護者」が学校や社会に受け容れられた経緯について考えたい。戦前は、「父兄会」や「母姉会」のように性別の組織が学校の支援を行っていたが、戦後は、文部省がPTAを奨励する中で「父母の会」等として広まっていった。
その一方で、戦前由来の「父兄」語も根強く流通していた。それが、昭和の終わり頃には、父兄は、男尊女卑を連想させるとして批判され、これに代わる呼称として、「父母」の使用の動きがひろまった。ところが、さらに時代が下ると今度は、「父母」についても、父母の一方、親戚(代行者)、児童福祉施設の長、後見人などに養育されている子がいる現状に対する理解と配慮が足りないと指摘されるようになり、そのことで従前は「父母」と称していた向きも「保護者」の呼称を使うようになったわけだ。
このように、社会の変化にともない家庭環境も多様化している中で、多くの人々に受け容れられてきたのが「保護者」だといえる。大学が自らの考えに拠って「保護者」を定義し呼称することは、それはそれであってもよいことではないだろうか。(続く)