宮野 公樹 先生
~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。
ここ半年余り、生成系AIの登場により、文章を要約するというのはもうすっかりAIの仕事になりました。例えば、1時間の講演を要約すると、数千字から一万字になるでしょうか。これを手作業で要約するのは大変な作業ですが、AIなら見事に数秒でこなしてくれます。
他にも、書籍を翻訳・要約するサイトがあります。このサイトを利用すれば、本を読まなくても内容を理解することができ、非常に人気です。私も利用したがことがありますし、私の本も要約されています。
しかし、便利なものほど落とし穴もあるというもの。私には過度に要約を求める心が気がかりです。この心は、効率主義の表れだと思うからです。効率主義とは、時間やコストを節約することを第一とする考えであり、現代社会においては非常に重視されています。しかしすべてのものに長所と短所があるように、効率重視の心には注意が必要です。
そもそも要約とは、当たり前のことですが、長かったものから何かを省いて短くすることですよね。では、一体、何を省いたのでしょうか?
その省いた部分にも意識が向かないと、「情報」は得られても「知識」は得られません。確かに要約を読めば、その本に書かれている内容はわかるかもしれませんが、それが生まれるに至ったストーリーを理解し、背景に潜む感情に共感し、著者の個性が現れる文体を味わうことはできないでしょう。つまり、その本に感動はできないのです。
人生において、最も大切なのは、自分が存在していることの意味(←意義ではありません)を知ること。食べるために生きるのなら、そのために有益な情報だけでいいのですが、生きるために食べる場合には、どうしても真善美や喜怒哀楽、そういうロジックではないものが必須です。人間がその歴史において芸術、絵画や音楽、詩を大切にしてきた理由もここにあります。
次に、気をつけたいのは、効率をあげる「目的」を見失わないことです。効率をあげることを第一にすると、何のために時間やコストを節約したいのかを考えなくなってしまいます。とにかく、コスパ、タイパがいい方がいい・・・と。そういう心には、すでに書いたように感動は訪れにくい。なぜなら、物事や事象の生成過程、プロセスにおける苦労や気付きの中にこそ、自分の実感を伴った深い感動や学びがあるからです。それが得られないような効率追求にどれほどの意味があるのか、一度は立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
もちろん、有限の時間を生きる人間が、時間も資源も節約したいと考えるのはある意味当然のことかもません。しかし効率を過度に重視して、そもそもの目的は何かを意識しなければ、効率の虜になり、むしろ忙しくなってしまう。今日の社会はまさにそのように、つまり忙しさのために忙しくなっている、筆者はそう感じています。(続く)