オピニオン・連載

雑賀恵子の書評 番外編 有人宇宙学 宇宙移住のための3つのコアコンセプト 山敷庸亮

雑賀 恵子 氏

 1969年アポロ11号の宇宙飛行士2人が、人類史上初めて月面に足を踏み入れた。このとき人類が宇宙に飛び出す時代が始まるのだ、と胸を躍らせた人も多かったに違いない。ところが、結局米国の宇宙飛行士12人が月面着陸を果たしたものの1972年のアポロ計画終了以降、月面に人類が降り立つことは途絶えた。その理由としては、宇宙開発においても当時冷戦構造下にあった米国と旧ソビエトの覇権争いとなっていたのが米国の成功で決着がつき、その後の冷戦の終結もあって莫大な費用のかかる月探査は下火になったことが大きい。以降は、国際協力による宇宙ステーションがつくられ、人類はステーションの中で地球の周りを回るにとどまった。

 近年になって、米国・ロシア、続く中国に加えてインドも宇宙開発に乗り出し、再び月面を目指すようになってきた。国家プロジェクトだけではなく、民間企業も続々と参入している。米国が2019年に発表したアルテミス計画は、アメリカ航空宇宙局(NASA)と民間宇宙飛行会社、そして欧州宇宙機関や日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)ほか国際的パートナーによって、月面に人間が持続的に駐留できる基盤を確立することを目的とし、最終的には有人火星探査を目指すというものである。月や火星に、人類が居住する時代が来るかもしれない。

 だが、地球という惑星の環境において多種多様な生命体が関係を持った生態系のなかで生存している人類が、他の星で生存することは可能だろうか。他の惑星を地球のように改造するテラフォーミングは、実現が極めて難しい。とはいえ、ドームのような閉鎖空間に、人類が持続的に生存できる環境を作り出すことは不可能ではないだろう。

 本書は、人類が宇宙に移住し、持続可能な社会構築をするために必要な課題について、最新の研究成果から読み解くものである。京都大学大学院総合生存学館に設置されているSIC有人宇宙学研究センター長の山敷庸亮が編者となって、有人宇宙学研究に参加した諸分野の気鋭の研究者たちに加え、宇宙開発組織の研究者、宇宙飛行士(土井隆雄、山崎直子)たちも執筆している。

 本書の構成は、以下のようなものだ。

 Part1「宇宙移住に向けての序論」では、本書の柱となる宇宙移住に必要なコアコンセプトとして、「コアバイオーム(核心生態系)」「コアテクノロジー(核心技術)」「コアソサエティ(核心社会)」の3本が提唱される。

 人類が生存できる場所を創設するには、地球を知らなければならない。なにゆえ、地球は生命を宿す星となり得たのか。序論では、水の惑星としての地球の特殊性、および生命や安定な環境を守るための仕組みが解き明かされる。地球は唯一無二の奇跡の惑星としか思えないが、この知見を梃子にしつつ、地球とは全く異なる環境を持つ生命の惑星の存在を探ることもできよう。そうすると生命とはなにか、という新たな探究にも思考の道は拓ける。有人宇宙学とは、宇宙での居住可能性を探究するために、地球や生命系を考える広がりと深まりに満ちた学問なのである。

 Part2「コアバイオーム」。

 地球生態系において、なくてはならない生態系がコアバイオームである。

 第1章「宇宙海洋と宇宙養殖」では、大気海洋循環における気候安定化という地球物理学的機能と、水圏生態学的機能、さらに養殖技術を通した食料確保と人類の生存基盤的機能という面から、宇宙海洋について考える。

 第2章「宇宙森林学」は、地球ではそれぞれの環境に適応した進化を遂げている多種多様な生物が複雑に連関して物質循環を成していることが説かれる。火星などに生物が生存するためには、外界から隔離された小規模な人工生態系である閉鎖生態系生命維持システムを創設しなければならない。微小重力、真空(圧力)、宇宙放射線、光、気温、大気組成など宇宙の特殊環境とどのように対峙するのか問題点が挙げられ、現在の実験研究が紹介される。植物栽培は食料確保のほかに、樹木育成によって木材資源の供給、酸素の供給、やすらぎ空間の提供などの意義がある。驚くのは、宇宙木材プロジェクトとして現在木材人工衛星も計画されていることだ。

 第3章「空気再生・水再生・廃棄物処理」では、現行の国際宇宙ステーションという限定された閉鎖空間で、持参した空気と水を清浄化し、温度・湿度を維持する環境制御・生命維持システムが、理論を踏まえて紹介されている。空気や水はもちろん、排泄物処理も必要であり、ここでもまた、循環的な維持と利用が重要になっている。

 第4章はまとめとして、地球の生態系を模して宇宙空間に小規模閉鎖生態系を構築することの重要性と問題点、そして今後の展望を挙げる。というのも、変化する環境の中で多種多様な生物が極めて複雑に関連しあって進化してきた地球生態系を極々簡略化して模倣しても、循環のバランスが崩れたり進化することもできず、長期的には生態系を維持できず絶滅してしまう可能性が高いからである。

 Part3「コアテクノロジー」。

 人類が宇宙に適応するにあたり障壁となる宇宙放射線および微小・低重力を乗り越えるための技術がコアテクノロジーとしてあげられる。すなわち、宇宙放射線防護技術と人工重力技術である。

 第1章「人工重力と月面・火星での居住施設」で人工重力施設が検討される。

 また、現在の国際宇宙ステーションでは、生存に必要な様々な物質を地球から補給し、船外に廃棄するという直線型社会/経済(リニアエコノミー)となっている。しかし、持続可能な有人宇宙活動を実現するには、循環型社会/経済(サーキュラーエコノミー)を達成しなければならない。第2章「宇宙での循環システム構築」、第3章「資源・エネルギーその場利用」では、これを模索する理論と技術が現状を説明しながら語られる。

 第4章「宇宙食」では、現状と必要な条件を説明しながら、特に、代用肉としての大豆肉、培養肉、昆虫食が紹介されている。

 Part4「コアソサエティ」。

 現在の地球上の人類の大多数は、国家単位の集団に属しており、国内法と国際法によって社会が維持されている。では、月や火星の土地を開発した場合、所有権や利益の分配などはどうなるのか。諸問題に対応するには、明文化された法が必要になってくる。また、社会が形成されるとそれに伴う調整も必要になってくる。そこで、宇宙法などをつくるための学問体系の確立を目指さなければならない。また、宇宙環境における医療の研究も重要である。第4部では、宇宙法社会と宇宙医療をコアソサエティとして、法律・政治・司法のあるべき姿を提示し(第1章「宇宙法」)、医療について考える(第2章「宇宙医療」)。第3章「宇宙観光」では、一般社会法人宙ツーリズム推進協議会の活動を中心に、観光の観点および文化的な観点が紹介される。

 人類が宇宙に飛び出して、移住する。それは何のためだろうか。資源を求めてか。宇宙そのものの探究か。人類に備わった飽くなき好奇心とフロンティア精神に突き動かされてか。

 わたしたち人類は、この星で約38億年前に誕生した生命を引き継ぎ、長い長い進化の過程で生まれてきた。不思議で唯一の星、地球はいま、人類の活動によって汚染され、温暖化による異常気象に晒されて環境が激変している。このままだと21世紀中に、生物の大量絶滅が予想され、人類そのものの生存も脅かされることになる。それなのに、いまだ各地で戦争や紛争は絶えず、また富の分配の不均衡による格差で貧困に喘ぐ人たちは地球人口の8割もいる。

 そのような現在、危機に瀕した地球を見捨てて、人は宇宙に活路を見出そうとしているのか。

 いや、そうではないだろう。

 本書を読めば、有人宇宙学研究とは、一方でまた地球という星と、そこで生まれた生命の繋がりを深く探究する学問でもあることが見えてくる。有人宇宙学研究で得られた知見や技術は、いまの状況を分析し、危機を回避する手立てにも役立つだろう。そして、人間というものを、生命を、世界を考える道を造設するに違いない。 

 有人宇宙学は、現在にしっかり根を下ろして、未来を繋げようとする探究の営みなのだろう。

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