雑賀恵子の書評
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる (佐藤 賢一 集英社文庫、2024年)
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身
宇宙人はいるだろうか? 生命が存在するのに必要な条件やら、星の環境やら、宇宙にはどのくらいの星があるかの推定から、ともかく、宇宙人がいるかどうかということについて客観的に考えて、検討することはできる。では、神はいるだろうか? これは、検討することができない。なぜなら、神とか魂というのは物質ではないので、想像することはできても、客観的に、つまり万人に共通する言葉で検討することはできないからだ。科学的に神がいるともいないとも検証できないから、科学は対象として神を扱わない。神がいるかどうか、というのは、その人が信じるか、信じないかだけなのだ。
だから、信仰については、害がなければ人それぞれでいいではないかというものだろうが、宗教というのはそう一筋縄にはいかない。人間社会の歴史を振り返ってみても、宗教対立によって戦争まで引き起こされているし、現在でも宗教を理由とした差別や排斥、紛争もある。民族というのは定義が難しいが、分類指標のひとつに宗教が挙げられたり、宗教がその集団のものの考え方や習慣、文化と呼ばれるものの根底をなすこともある。したがって、他文化や歴史、現在の世界で起こっているさまざまな事柄を理解する上で、宗教の知識はあったほうがいい、というより持っておくべきだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、すべて同じ唯一神を信仰している。にもかかわらず、全く相容れないものとして対立し、ときには戦争の理由のひとつにまでなってきた。現在のロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナ問題を深く理解するためにも、これら同根の一神教をわかりやすく解説しよう、として書かれたのが本書だ。
古代のユダヤ教の誕生から、キリスト教の成立、イスラム教の誕生までの歴史を綴ったのが第一部。地理的・歴史的に明快に説明されているので、学校の世界史の補強にもなる。ユダヤ教はなぜ世界宗教にならなかったのか。そこから発生したキリスト教が、世界各地に広まっていき、むしろ欧米の宗教というイメージになったのはなぜか。現在のイスラエルが、イスラエルという地にこだわるのはなぜか、ということなどがすらっと理解できるだろう。
続く第二部が中世、そして第三部で近代・現代と分けられて、一神教が時間軸に沿って世界史の観点から解き明かされる。教義のややこしい解説はないから、たとえば、キリスト教がイスラム教を排斥するだけではなく、その内部においてもなぜ異端と正系を巡って激しい対立があるのか、などということがむしろはっきりするのではないだろうか。
著者は、東北大学大学院博士課程まで仏文研究をした知識を活かし、中世/近世のヨーロッパを舞台とした歴史物を中心に数多く書いている小説家。手慣れた文章で、タイトル通り、ほとんど知識のないものにも実によくわかるように書かれている。ただ、わかりやすいだけに逆に、宗教というものの本質に迫るにはほど遠いし、本書の任ではない。世界史や現代の出来事をもっと理解しようとしていく人には、手に取りやすく良き入り口になるに違いない。