オピニオン・連載

今感じる、大学、学問の役割

京都大学
学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局 学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

 このご時世、大学は閑散。まれに知り合いとすれ違えば「大変ですよね。そちらは大丈夫ですか? 頑張りましょうね」と労をねぎらいあい、2m離れてのマスク越しとはいえ久しぶりの肉声のやり取りに思わず立ち話も長くなるというもの。
 2020年4月中旬の現状では、新入生へのケアやオンライン講義の手法、最低限の保守が必要な実験資料や装置の管理等、この非常事態への対応が急務ではありますが、(希望を込めて)状況が落ち着いた頃には、大学という空間が学生や研究者、教員や職員の集積に依存していたこと、すなわち、学びへの意欲を高め合い、実践し、それを支援する現場であったことがしみじみと再確認されると同時に、そもそも大学ってなんだっけ?という価値の問い直しがはじまることでしょう。
 まだ総括するには時期尚早とお叱りを受けることを覚悟で書きますと、この事態において世間が大学に依存する二つの側面が明確になったように感じます。一つは、感染症や危機管理等、専門知識を直接的に社会活用させる機能です。こういう時にこそ専門知を存分に活用すべきなのはいうまでもありませんが、パンデミック以外にも、世間の動向がどうであれ、「万が一にもことがこうなった場合に一大事となりうるからこれを研究する」といった信念のもとに、(日の目は見なくとも)研究を続ける研究者は他の分野にもいることを忘れてはいけません。とは言っても、社会における大学の存在意義はリスクヘッジであると言い切るほどには、大学という時空は狭くありませんよ。昆虫の生態調査から古代文字の解読など、いうなら世界理解(=人間理解)の端から端までをも網羅しうる、社会における大学の博物的役割とその機能が明らかになったのだと思います。
 もう一つは、精神的支柱としての役割です。この事態が生じた当初から感染症等の研究者だけでなく、著名な哲学者、歴史学者らが文明論的に状況解釈を行う記事を多く見かけます。「かつての経験、歴史に学べ」程度のメッセージではなく、歴史的視点に立った時代理解というものは、事態の対処に追われる日常において「そもそも論」を呼び起こす貴重な言です。いわゆる人社系の識者らの主張はそれぞれ重要と思いつつも、私自身が特に興味深いのは、世間の人(というより記者の方々というべきか)が、なんだかんだいって、日常をメタな視点で原理から見つめなおす視点を学問に求めているのだなあということです。言葉にならない漠とした時代的不安の中、いったい自身の生をどう受け止め、社会の有様(ありよう)をどう考えたらいいのか・・・単発的な情報をもとに安易に政治や他者を批判することで何かを紛らわそうとする空気に嫌気がさし、ふと自分の足元や本来の在り方を意識する時に学問は必要となるのでしょう。これは、「学問とは時代も人も超えた何かへと向けられた眼差しのもとにあるものだ」と世間が感知(期待)している証左です。
 では、その「学問」の側から見たら、この事態がどう映るのか。それを語るには紙面が足りませんのでまた次回に。(続く)

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