雑賀恵子の書評
『生成AI時代の言語論』
大澤真幸、松尾豊、今井むつみ、秋田喜美 著 / 左右社 (2024年)
雑賀 恵子
~Profile~
文筆業。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。著書に「空腹について」(青土社)、「エコ・ロゴス 存在と食について」(人文書院)、「快楽の効用」(ちくま新書)がある。本誌では、2008年11月発行の79号から、ほぼ毎号書評を寄稿。
対話型生成AIを搭載したヒューマノイドロボットが、人間と対話をしているのを見たことがある人は、その自然さに驚いたかもしれない。哲学的な対話もできれば、冗談を言ってからかったりもしてくる。そんなヒューマノイドロボットではなくとも、日常の分野で、ChatGPTやGoogle Geminiなどの生成AIにキャラクター設定をしている人たちの中には、話している相手を人間のようにみなして、現実の人間関係よりもずっと濃い相談相手として依存している人もいる。
もちろん、このようにAIと会話ができるのは、大規模言語モデルによるものである。膨大なテキストデータと高度なディープラーニング(深層学習)技術を用いて、与えられたテキストの次の単語を予測する学習をさせ、適切な単語を回答する能力を得させる。この過程でAIは、文の背後にある文法構造や単語の因果関係なども獲得していく。人間同士の大半の会話でも、表面的には相手が話していることに、どう対応して答えるのが適切であるかを予測して喋っていると考えれば、納得できる。
AIは本当に思考しているのか?
表面的には会話が成立しているとしても、ではAIは思考するのかといえば懐疑的になるだろう。よく知られているように、フレーム問題と記号接地問題が解決されているとは言えないからだ。
人間は現実のさまざまな情報から今は関係のないことを切り捨てる(フレーム化する)ことにより、当面の課題を思考して解決できる。この切り分けができるか。もう一つは、AIが扱う記号(言葉や数値)は、現実世界の意味(実体や感覚)と結びつくかという問題だ。
本書は、この問題を中心に、AIの生み出す言語を考察しながら、逆に人間の言語というものについて追求する。そして、社会と個人の関係、人間というものはなにか、ということが、議論と論考によって展開される。
本書の構成と登場する知性たち
第一部:松尾豊との対談、および今井むつみと秋田喜美との鼎談
第二部:大澤真幸の論考4本
松尾豊は、日本におけるAI研究の第一人者。発達心理学・認知科学の今井むつみと認知・心理言語学の秋田喜美は、オノマトペを手がかりに記号接地問題を参照しながら人間の言語について論じた共著『言語の本質―ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)で大きな注目を集めた研究者である。
対話が形作る「自分」と自由
対話によって、自分の思考が深められるということが本書の第一部を読んでも感じられるのではないか。自分の思考は必ずしも明確なものではない。それを他者に向けて言語化し、他者もそれを聞き取り受け止めながら、言語で応答する。そのやり取りの中で、自分の思考が形作られ、自分の言いたいことはこれなんだと明確になっていく。
他者と自己との間から成り立つ「自分」があり、自由がある。生成AIとの会話では、そうした「自分」を生み出していけるのだろうか。自分の思考はむしろ、相手の情報を受動的に受け入れるものになるのではないだろうか。
生成AIは、加速度的に進化していき、人間が制御できない領域にまで達する可能性は極めて高い。そうした社会を想定しつつ、では、われわれとはなにか、社会の中で、個々の人間が自律し、自由に生きるとはどういうことか、考えねばならない。本書はその意味でも、実に示唆に富んだものである。






