オピニオン・連載

個に応じたSTEAM教育を ―教育の構造変容に期待

『分数ができない大学生』(※1)や「数学受験者は生涯所得が高い」の調査などで、ゆとり教育だけでなく、理数教育が軽視されていることに警鐘を鳴らしてこられた西村和雄先生。文系にもAIやデータサイエンスについてのリテラシーが求められるようになった今、「歓迎すべきことだが、どちらかに偏るのもよくない」と、STEM教育を一歩進めたSTEAM教育に注目されます。一方の杉本厚夫先生は、『“かくれんぼ”ができない子どもたち』(※2)などで、こどもを取り巻く社会の変容について警鐘を鳴らされるとともに、遊びやスポーツの教育効果に着目、OECDのEducation2030の描く教育の未来像に期待を寄せられます。お二人にSTEAM教育の可能性について語ってもらいました。

杉本厚夫先生:『かくれんぼ…』のタイトルを考えた際には『分数が…』から大いにインスピレーションをいただきとても感謝しています。

西村和雄先生:そうでしたか(笑)。

STEAMのAは、AIのA?

杉本:研究者の傍ら、教育実践として長年、子どもたちと関わってきましたが、最近気になるのが、《かくれんぼができない》だけでなく、キャンプの初日に「してはいけないことを聞かせて」と話しかけてくる子が多いことです。

西村:保護者から離れて、「家や学校ではできないことができる!」とは思わないのですね。

杉本:冒険できない、そもそも何事も自分で決められないんですね。

西村:自己決定力が育っていないとも言える。原因は何でしょう。

杉本:一つには、日頃から正解は一つではないということを教えられていないことが大きいと思います。

西村:日本は「人生の選択の自由度がすくない」との国連の調査報告もありますが、自己選択は成長して幸せな生活を送るのに欠かせない。そこで最近、私は同志社大学の八木匡教授と共同で、自己決定度というものが、幸福度に影響するのかを調べました【注1】。すると自己決定力には学歴の8.7倍、年収の1.4倍の影響力がある。また、スポーツでも、介護やリハビリ、勉強でも、自分で決めてやるのが一番効率がいい。もちろん誰もが自分で決めることができなければいけない、というのではありませんが。

杉本:他者に判断をゆだねないのと、他人に対してだけでなく自分に対しても嘘をつかない、周囲のウエルビーイング(Well-being)【注2】にも配慮するという要素を加えて、自立(independence)と区別して自律(self-discipline)性
という言葉を使います。スポーツで自己申告、self judgmentを尊重する競技はこれを大事にしています。イギリスで誕生したゴルフや、スコットランド生まれのカーリング等では、ファールをしたら自己申告しますね。

西村:ところでSTEAM教育が唱えられる背景には、AIの発達に象徴される情報通信技術の急速な発展、国内ではSociety5.0で求められる資質の育成が急がれることがありますが、こういう時代だからこそ、創造性はもちろん、自律性はこれまで以上に求められるのではないでしょうか。一時、シンギュラリティという言葉【注3】が話題になりましたが、デジタル社会の進化で人類すべてが幸福になるとは限らない。AIを使う側、AIに使われる側といった分断や、所得格差の拡大などの危機も孕んでいる。

杉本:自律性は、機械に使われない人間になるのにはまず必要です。

西村:使う側には強い倫理観が求められます。AIやロボットなどを戦争に使わないとか、バイオ技術で生命の尊厳を脅かさないとか。STEAMの「A」をliberal artsと解釈すれば[解説]、STEAM教育はまさに、自分で物事を判断し、自分で生き方を決める、何かへの従属から自分を自由にするための教育、あわせて倫理観も涵養するものということになる。当然、他者と協働する力や、利他の精神等の育成も含みます。
 このような教育は、社会的に成功する、あるいは幸せな人生を送るといったウエルビーイングの観点からも重要
であることが、われわれの行った「基本的モラルと社会的成功」の調査【注4】で明らかになっています。ここで明らかになった基本的モラルとは、「嘘をつかない」「ルールを守る」「人に親切にする」「勉強する(働く)」の4つ。これは哲学者のカントも言っていたことがその後わかりました。また経済学の生みの親であるアダム・スミスが、「利己主義」が経済行動の動機づけになることについて書いていることはよく知られていますが、別の本では、自分の行動は、想定した第三者の目から見て是認できるもののみが認められるとも書いています。つまり、利他主義を伴わない利己主義は長続きしない、基本的モラルを守る方が自分のためにもなるとも解釈できるのです。

杉本:これからの予測不能と言われる社会を生きていく上ではレジリエンスを育てることも大事ですが、そのことにもつながりますね【注5】

[注1] Kazuo Nishimura and Tadashi Yagi” Happiness and Self-Determination – An Empirical Study in Japan”, Review of BehavioralEconomics: No. 4, pp 385-419,2019
[注2] Well-being:良い在り方の意から、健康(WHO)や幸福の意に転用され現在に至る。SDGsの項目3にも掲げられている。
[注3] Singularity;技術的特異点。アメリカの発明家で人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル博士らによる仮設。人工知能(AI)が人間の能力を超え、それにより人間の生活に大きな変化が起こるとされる時点。
[注4] 西村 和雄・平田 純一・浦坂 純子・八木 匡「基本的モラルと社会的成功」Quality Education 6、2014
[注5] 幼少期の「集団遊び体験」が育てるレジリエントな子――理不尽を乗り越えて(『児童心理』2016年1月号)の中で、杉本先生は、「保身と自己犠牲の理不尽を乗り越えるために、失敗のリスクを背負って挑戦することの体験を通じてレジリエントな子が育つ」「今、子どもたちの世界は理不尽なことに満ち溢れている。すぐに折れてしまったり、諦めてしまったりする子どもが、集団遊びを経験してレジリエントな子に育ってくれることを願ってやまない」などと書かれている。ちなみにレジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味する。「レジリエントな」と形容される人物は、困難な問題、危機的な状況、ストレスといった要素に遭遇しても、すぐに立ち直ることができる。

STEAMのAはArtsのA、遊びのA?

西村:「A」を、音楽・絵画などの芸術と狭く解釈するとどうでしょうか。経済活動においてはアート経済などの表現もあって、デジタルプラットフォームが整備されていく中では、仕事のスタイルも働き方も変わってくる。中島さんの言うようにみんながアーティスト、あるいはデザイナーのように仕事ができるかもしれない。またイノベーションの創出、アントレプレナー育成などの観点からは、アート思考がまず重要で次にデザイン思考も求められる。特にアートは、全く新しい視点をわれわれに提供してくれるという意味で、社会・経済の変革やイノベーションの源泉になる。

杉本:教育においては、少し専門的な言い方をすると《機能》ではなく《構造》の変容を促すのにアートの視点がいると思います。長年、学校教育を見ていて思うのは、変わらないこと。今回のコロナ禍も、変化するための絶好の機会だったのに、現場の多くは何とか現状維持しようとしている。しかしコロナ禍を経験した今だからこそ、多くの課題を解決するために学校の構造自体を変える必要がある。西村先生は、自己決定を阻むものとして≪しがらみ≫の存在を挙げておられます【注6】が、なかなかそこから≪逸脱≫できない。
 そもそもデジタル社会が進化した今、知識を得る方法は学校以外にいくらでもある。そういう意味から、私は音・美・体こそ学校教育の中心にすべきと考えています。アートと言い換えてもいい。音・美・体には《遊び》の要素が強く、正解がなく、それ自体が自己目的的で、フロー体験(没入感)などを通じて自己決定力、さらにはレジリエンスなどを育てやすい。

西村:たしかに遊びは大事ですね。アートでもスポーツでも、勉強でもそうですが、楽しんで、遊びながらやっていく過程が最も成長を促すと言われています。

杉本:近年はその遊びが減ったこと、子どもたちがどんどん遊べなくなっていることが問題です。“かくれんぼ”だけではない。ただ、私はいわゆるゲームは遊びではないと考えています。それは、誰かが作ったルールで遊ばされているだけで、プレーヤーはルール(構造)を変えられないから。子どもはみんなが楽しく遊べるように、ルールを変更することで、創造性、クリエイティビティ―が育つ。

西村:あらゆる訓練法の中で優れているのが《遊ぶようにする》ことですからね。ただ、それがわかっている指導者は少ないかもしれません。学校では教える内容はもとより、教え方そのものの変革がいるのではないでしょうか?

杉本:OECDは2015年からEducation2030プロジェクトをスタートさせましたが、その成果の一つが、2019年に日本でも仮訳が出た「OECDラーニングコンパス2030」。ここでは生徒が授業を受動的に受ける《産業形態としての学校教育》を根本的に見直し、子どもたちには新たな価値を創造する力、対立やジレンマを克服する力、責任ある行動をとる力などを身につけてほしいとしています。19世紀、20世紀を通じて学校教育の目的は、産業社会を支え、発展させる人材の育成、つまり社会の要請に応えようというものだったが、これからは未来を創造できる、不確実な未来を切り拓くことのできる人材育成に転換しなければならないと。そのためには、学びは学習者中心(主体的なもの)で、音・美・体のようにプレイフルでワクワク感に満ちたものでなければならない。それが個人のウエルビーイング、社会のウエルビーイングをもたらし、SDGsの達成にもつながると。
 その意味では、STEMにAが入ったことで、これからの社会を創っていく教育になっていくのではないか。また学校教育に閉じないSTEAM教育にはその可能性を感じます。

西村:STEAMと言うまでもなく、やはり高校時代までは、将来の選択肢を減らさないためにも幅広く学んでほしい。2002年から、大学入試で数学を選択した人の方が、非選択者より、社会へ出てからの収入が高いという調査結果を発表してきました【注7】が、これは、早目に数学を捨てて受験科目を絞り込むことは将来の不利益につながるとも解釈できる。
 大事なことは、「個に応じたSTEAM教育」を目指すことです。確かに広く学ぶことは発想の基をつくることにつながりますが、かといってすべてが得意になる必要はない。広く学ぶ中で、得意なことを発見して深めていく。そして、自分の性格を含めて、個性を自覚していく。公教育がその方向に向かっていけるのならいいのですが、今の学校、教員、入試制度でそれをいかしていけるかは疑問です。民間の教育機関がそれを先取りして、「個に応じたSTEAM教育」を提供していくことで、公教育も変わらざるをえなくする方が早いのではないかとも思っています。実は2013年から、大阪市で教育委員、その後は顧問として教育に関わっていますが、ここでは、規範意識と学力をコアとする、全人的な「個に応じたSTEAM教育」を目指しています。

【注6】 「自己決定できない人は・・・自分が何に縛られているのかに気づいていないと思います。  キャリアに主体性、オーナーシップを持つには、自分を縛るものを失うことが第一歩。本業以外の世界を持てば、それまで気づかなかった本業でのしがらみが見えてきます」(東洋経済オンライン2020.7.15[コロナ後キャリアは自分で決めるが鍵な理由]より) 【注7】 浦坂純子、西村和雄、平田純一、八木匡「数学学習と大学教育・所得・昇進」日本経済研究46, 2002年(日本経済研究センター)その他。

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