伊藤亜紗は『目の見えない人は世界をどう見ているのか』や『どもる体』『記憶する体』といった著書で、障害や病気を持った方の身体感覚を探究してきた人だ。本書によると、「できないこと」が生み出す可能性や、その体と付き合うために当事者の方が生み出す工夫に面白さを感じていたという。「できる/できない」という言葉は優劣の価値判断と結びつきがちであり、生産性だけで人を評価する能力主義的な風潮を強化したり、多様な人々を一つの物差しの上に並べる強制力がある。だからこそ、障害や病気とともに生きている方から「できないこと」の価値を教えてもらうこと、私たちの想像をはるかに超えるような体の可能性と、合理的には説明がつかないようなその人ならではの固有性というものを知ることで、こうした二分法を相対化しようとしてきたのが著者の姿勢だった。
その著者が、「できるようになる」という出来事の不思議さや豊かさを知り、面白さに気が付く。理工系の現在進行形の研究成果を参照しながら、「テクノロジーの力を借りて何かができるようになる」という経験に着目して、テクノロジーと人間の体の関係について考えたのが本書である。
5人の別々の分野の科学者、エンジニアとの対話をそれぞれ章立てし、テクノロジーを用いて人間の体を「できるようにする」ことの実践例と、そこからの考察が展開される。手指に装着する人工筋肉とピアノ演奏(第1章)や、野球のピッチング(第2章)から見えてくるのは、「できる」ためには環境等の変化に応じてその都度やり方を柔軟に変える「変動の中の再現性」が重要であり、それを支えるテクノロジーの仕事は、初心者に対しては「正解を提示すること」、上級者に対しては「未知の探索可能性に誘い出すこと」だと著者はいう。では、科学がどうしたら人の体が行っている「変動の中の再現性」をとらえ、「未知の探索可能性に誘い出すこと」ができるのか。3章では、それを可能にする画像処理技術を用いた方法を紹介する。意識の隙をつくような「できない」から「できる」へのジャンプが起こる時に、脳にはどのような変化が起こっているのかを、リハビリの現場での応用例を紹介しながら脳科学の観点から見るのが第4章。最終章では、音を出さずに喋るなど、声のテクノロジーを通して、テクノロジーによって開かれる実際の肉体を超えた身体性や、「自分」と「自分でないもの」の境界の曖昧さ、濃淡について考えさせてくれる。
本書で紹介される事例は、科学番組などで見たことのあるものかもしれない。そこに、人文社会学系の眼差しを差し込み、そして身体を持った科学者たちとの対話を通して思考の領域を広げるのが本書だ。身体というものについて、テクノロジーというものについて、さらには高度テクノロジーで構築されている世界での倫理のあり方についても考える方向性を示唆してくれる本書を手に、わたしたちはみずからの思索に踏み出していけるだろう。