連載・寄稿

《16歳からの大学論》

第17回 「研究力」とは何か

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

 日本人のいわゆる基礎研究者がノーベル賞を受賞するとなるときまって現れる、「我が国の基礎研究、研究力が弱まっている。このままでは我が国から次のノーベル賞はでない!研究力を向上させ基礎研究をもっと強化すべき!若者の研究環境を改善すべき!」の荒々しいフレーズたち。正直言って、これらの意見には少し食傷気味です。毎度ノーべリストらがそう言ったところで何も学術界は変わってないことにこそ注目したほうがいいと思うし、ノーべリストらは、発言に注目が高まるこの時こそ、「○○すべき!」といった空想に近い理想論ではなく、「なぜここまで言っても未だに基礎研究が強化されないのか」について、思慮深い意見を世間に発してほしいと感じます。おそらくその発言内容は、ノーベル賞をとるぐらいの本物の研究者であるからこそ、そして現在の学術界を中心となって構築してきたドンであるからこそ、論語の言うところの「学べば則ち固ならず」という学問的内省的な観点に立った、現場の実情と研究組織のあるべき姿の狭間でも機能するような、本質を突いたものになると思うのです。

 今回は、それを待たずに一介の学者である筆者がその「研究力」なるものについて考えてみたので、それを紹介したいと思います。この研究力という単語。大御所らや政策側がさらっと使ったりしていますが、きちんと向き合ってみるととても曖昧なものだと気づいたからです。

 例えば、非常に短絡的に考えるなら、「研究力」とは論文を多く生産する能力ということになりましょうか。しかし、論文は量を稼げばいいってものでは断じてない。いわゆるゴミ論文を増やしたところで人類の知に貢献したと言えるわけがありません(しかし残念ながら、こういう考えが支配しているからこそ、ハゲタカジャーナルという金さえ出せばほぼ無審査で掲載するジャーナルもでてくるわけですが)。では、論文の量ではなく質の高さでしょうか。だとすると論文の「質」とはいったい何を意味するのかを考えなければいけません。掲載誌が有名だからといって優れた研究内容とは限りませんし、被引用数が多いといったところで、それは単に多くの研究に関わっているというだけで、研究の質が高いということと同義ではありません。極論ですが、あまりにメジャーになった理論(例えば、相対性理論など)は現在引用などされませんし、そもそもある一つの論文がどのように人類の知に貢献するかは歴史こそが判断しうるもの。現時点における瞬間的評価などで研究というものの価値を計られたらたまったものではありません。研究者はみな長期的、超長期的に考えてこそなのですから。

 このように少し考えただけでも、「研究力」とはいったい何を意味しているかわからなくなってきます。何かわからないものを強化することなどできませんし、もしかしたら、基礎研究が強化されないのも、結局はこの研究力という単語の内容が掴みきれていないことが原因かもしれません。

 いろいろ考えたあげく、筆者は、「研究力」とは「個々の研究者の研究遂行能力」とするには限界があると気づくに至りました。そもそも個々人の「能力」とすると、それは努力や資質、そしてなによりも研究にたいするモチベーションによるところが大きいわけで、それを突き詰めていくと研究力=人間力という妙な等式になってしまうわけです。人間力だから、スキルアップやインセンティブ付与などの政策的手段で鍛えようがないのです。

 さて、個々人の能力でないなら研究力とは何なのか。個々人の能力ではないとしたなら、残るは個々人を支える場の力ではないだろうかと考えつきました。例えば、若手研究者が「こんな研究をやりたい!」と発言したら、それを応援するような直属の上司(すなわち教授)が多いかどうか。そういう挑戦を認める政策や制度、気風があるかどうかこそが「研究力」のような気がするのです。新しいアイデアを頭ごなしに否定しない、少し一般的な考えからはズレるけれども、何やら可能性がありそうだと支援するだけの度量が、その研究組織にあるかどうか。それを認める政策はあるか。もっと言うなら、それを許すだけの度量が社会の側にあるかどうか、だと思うのです。つまるところ、研究力向上とは大学といった研究組織に閉じる話ではなく、むしろ社会全体の責任の範疇だと思うわけです。

 であれば、話は簡単です。本質的な効果を求めて真に研究力向上や基礎研究強化を図るなら、大学や研究者を相手にするのではなく、社会の理解促進に注力したほうがいいでしょう。なぜなら大学への投資はこれまで散々やってきたことですから。新しい政策で研究力を向上させる!というなら、論理的に考えれば、研究者ではなくそれを評価する側や社会に対してアプローチしたほうがいい、となるよと言いたいわけです。【続く】

*これまでに、エッジーな研究を助成する政策がなかったわけではありません(総務省の異能(Inno)vation等)。政策側や執行部側は、これらが学術界にどのような影響を及ぼしているかどうかを調べてから「研究力」について考えてみてもいいかもしれませんね。


日本版ディプロマ・サプリメントの開発を目指して

「卒業時における質保証の取組の強化」を目指す東京都市大学(東京都世田谷区)が、
第2回大学教育再生加速プログラム(AP)シンポジウム
「改めて、学修成果の社会への提示とその意義を考える」を開催
11月13日(於:世田谷キャンパス)


 東京都市大学は、文部科学省による平成28年度大学教育再生加速プログラム(AP)「高大接続改革推進事業」-テーマⅤ「卒業時における質保証の取組の強化」の選定を受け、日本版ディプロマ・サプリメントの開発を目指して学修成果を重視した教育改革を進めている。今回のシンポジウムは、学生が成長を実感できる大学教育の実現と社会に通用する学修成果の獲得に向けて、いま取り組むべき教育改革の考え方、事例や課題などを広く共有し、改めて理解を深めることを目的として開催された。

 シンポジウムの前半では、九州大学教育改革推進本部の深堀聰子教授が「学修成果に基づく学位プログラムの設計と教学マネジメントの在り方」と題して基調講演を行った。その後、東京都市大学の皆川勝副学長より、主体的な学修と卒業時の質保証の実現に向けた教育改革の状況、同大学の住田曉弘学生支援部部長より、AP事業を通じた学生のキャリア形成と成長支援の取組について報告があった。引き続き、玉川大学の稲葉興己教学部長より、アクティブ・ラーニング及び学修成果の可視化の取組について報告があった。

 後半では、文部科学省高等教育局大学振興課大学改革推進室改革支援第二係長の河本達毅氏と株式会社NTTデータ公共・社会基盤事業推進部営業推進部長の松本良平氏を加えてパネルディスカッションが行われ、学修成果を重視したこれからの教育のあり方やその評価、学修成果の社会への示し方などについて議論が展開された。

 東京都市大学では、育成する人材像に則ってカリキュラム面での改革を進め、教育システムの改善、全学的なPBL科目の導入による段階的な能力育成、卒業研究ルーブリックの再整備などによって学修成果の評価方法の充実を図る。さらに、eポートフォリオを活用して学生が目標設定と省察を行い、自らPDCAサイクルを回すことで学修習熟度を確認しながら、これからの社会で必要とされる能力の獲得を実現できる取組を進めていくとしている。 「大学ジャーナル」オンラインより転載

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