宮野 公樹 先生
京都大学学際融合教育研究推進センター 准教授
研究者の「興味・関心」はなぜ特別扱いされるのか
ずっと健康的な食事にこだわっているとか、スマホなどIT技術の進展に関心があるとか、たいていの人は何かしらのことに興味・関心があるものです。そして、自身の興味・関心に従って研究している、あるいは自分の興味・関心を徹底的に突き詰めることが仕事となったのが研究者である、と一般的に考えられているでしょう。
このような書き方だと、すぐさま読者の方は「実は、そうじゃない。つまり研究者も興味・関心にしたがって研究しているわけじゃないと言いたいんだな」と続きの文を連想されるでしょう。確かに、それも言いたいことの一つではあります。実際、「興味・関心に従って研究しているか?」と研究者にアンケートを採ったなら、おそらくほぼ100%に近い数でYesと答えるでしょうが、それは興味・関心を広く捉えた上での話。例えば、その質問に続いて、「では、あなたの日常的な研究活動、あるいは今取り組んでいる研究は興味・関心にダイレクトに沿ったものですか?」と尋ねたのならば、Yesの数は大幅に減ると思われます。つまり、「興味・関心を突き詰める」ということは、そのまま「やりたいことだけをやる」とイコールではないのです。
さて、この回で筆者が言いたいのは、そのような「実際の現実は違うよ」といったシニカルな態度でものをわかったように振る舞うことではなく、むしろ、(大学に勤める)研究者はなぜ興味・関心を突き詰めることを許されるのか、研究者の興味・関心というものはそんなにたいそうなことなのか?と問うことです。この問いが、研究者自身にも、そして大学を外部から見る立場の人たちにおいても、見事に欠落していると思うのです。
改めていうまでもなく、興味・関心の中身に優劣はありません。そもそも、優劣など付けようがありません。誰それが何かに興味・関心を持つというものは極めて自由なことですし、極めて個人的なことです。一般的に「仕事」というものには、どういうわけか辛いもの、我慢するもの、趣味と対極にあるものという通念があるため、興味・関心という自由かつ個人的なことを突き詰めることが仕事となった研究者に対して、世間は何かしらの憧れをもつのでしょう。そして、研究者もまたそのような特権的な意識があるため、ノーベリストなどは、ことあるごとに「研究者は興味・関心に従って研究することが大事」などというのでしょう。しかし、企業の社長、会長が年頭訓示などで「社員は興味・関心に従って仕事することが大事」と言われるのはついぞ聞いたことがありません。もし先に述べたように、興味・関心というものに優劣も高低もないとすれば、なぜ研究者の興味・関心だけが突き詰めるに値するもの、もっというなら、税金を投入するのに値すると思われているのでしょうか。
この問いへの応答は、まさにここ数回にわたって述べてきた「趣味と研究の違い」というものに通底するため、くどくどと繰り返すつもりはありませんが、強いて逆説的に言うなら、「私(研究者)の興味・関心だけ、なぜ特別扱いなんだろう・・・。研究者ではない人だって私と同じ興味・関心を持つ人はいるはず。しかし、なぜ私だけが仕事としてそれができるんだろう。その違いはなんだろう。責任はなんだろう」と、最低一度は真剣に問うたことがある研究者のみが、あるいはその問いをずっと抱き続けている研究者のみが、その興味・関心を突き詰めるに値する、と言えるのではないでしょうか(続く)。