~Profile~
京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。京都大学大学院文学研究科非常勤講師。J.S.ミルの功利主義などに関する研究に取り組む。東京都立西高等学校出身。
「ヴィーガン」という言葉をご存知でしょうか。普段から肉を食べない人のことを「ベジタリアン」と言いますが、その中でも「ヴィーガン」とは、卵や乳製品なども含めて動物性食品を全く食べない人のことを指します。現在、世界には様々な理由でヴィーガンになる人がいますが、哲学の分野では、「倫理的に正しいことをしようと思うならば、私たちはヴィーガンになるべきだ」という主張が広まってきています。この主張にはどのような根拠があるのか。『なぜヴィーガンか?――倫理的に食べる』(7月25日発売予定)の共訳者の一人として、この本の内容を紹介しつつ、動物を食べることに含まれる問題を考えました。
『なぜヴィーガンか?』の中で著者のピーター・シンガーは、私たちがヴィーガンに、あるいは少なくともベジタリアンになるべき理由を大きく分けて四つ挙げています。私なりに整理しながら、順番に見ていこうと思います。
一つ目の理由は、現代の畜産業が、莫大な数の家畜に多大な苦しみを与えていることです。現在の先進国では、家畜の大多数は牧場でのびのび育てられているのではなく、大きな畜舎に大量に詰め込まれて飼育されており、シンガーはこうした手法によって動物に様々な苦痛が生じていることを問題視します。例えば肉用鶏は、自由に羽を広げることもできない過密状態でストレスを感じており、また、急速に体が大きくなるよう品種改良されてきたことが原因で心臓や脚の疾患に苦しむことが多く、さらに、屠殺場ではかなりの割合の鶏が意識のあるまま喉を切られたり熱湯で茹でられたりしていることがわかっています。「動物は人間とは種が異なるのだから、食べるために苦しめても問題はない」と考えるべきでしょうか。シンガーはこうした発想を「種差別」と呼び、それは人種差別や性差別と同様に不正であると主張します。自己中心的な差別に反対するのであれば、人間は動物を過度に苦しめる畜産方法を改めなければなりません。そのために消費者一人一人ができることは、畜産の現状に対して反対の声を上げ、そうした手法で生産された食品を買わないようにすることです。したがって、現在の畜産方法が大幅に改善されない限り、私たちはヴィーガンになるしかない。これがシンガーの議論です。
ヴィーガンになるべき二つ目の理由は、環境問題です。今日、多くの家畜を飼育するプロセスによって、人類の持続可能性が脅かされています。肉を生産するためには、その何倍もの量の穀物を餌として家畜に与える必要があり、畜産は食糧や水、エネルギーや土地の無駄遣いだと言います。加えて近年では、畜産業がメタンなどの温室効果ガスの主要な排出源となっており、気候変動に大きな影響を与えていることが指摘されています。私たちが動物性食品を消費しないことが、食糧危機や気候危機への対応につながるのだとシンガーは主張します。
三つ目の理由は、自分の健康への配慮です。肉の食べ過ぎは生活習慣病のリスクを高めると言われており、近年は健康のために植物ベースの食生活を選択する人が増えてきています。とはいえ、この点についてはシンガーも詳しく論じておらず、私自身にも正確なところはわかりません。おそらく、肉食にもベジタリアンやヴィーガンの食生活にもそれぞれメリットやデメリットがある、というのが本当のところでしょう。確実に言えるのは、健康な状態で長生きするヴィーガンは数多くいるため、「動物を食べなければ人間は生きていけない」という主張は誤りだということです。
四つ目の理由は、感染症の問題に関わります。シンガーは、2020年以降世界中に広まった新型コロナウイルス感染症が、中国武漢市の生鮮市場で発生した点を問題にしています。この主張については異論もあるようですが、鳥インフルエンザや豚インフルエンザなど、人獣共通感染症の多くが動物性食品の生産や流通に由来することは確かでしょう。したがって、私たちが動物性食品を消費しないようにすることは、新たなパンデミックのリスクを減らすことにもつながると言えます。
さて、皆さんはこの議論に納得したでしょうか。今まで当然のように感じていた食生活が、差別であり環境破壊であり不健康でありウイルスの温床だ、と言われても簡単にはうなずけないかもしれません。しかし、哲学の役割の一つは、誰もが自明だと感じている前提を疑ってみることにあります。私が言いたいのは、ヴィーガンの主張を最初からおかしいと決めつけるのではなく、自分の頭で真剣に検討してみてほしいということです。ちなみに私自身は、今回の翻訳をきっかけにベジタリアンになりました!もっともいくつかの理由で、ヴィーガンにはなっていません。自分の食べ方を変えてしまうかもしれないスリリングな議論に、今後一層、多くの方が参加することを願っています。
人間は動物とどのように付き合っていくべきかという問題は、「応用倫理学」の一分野である「動物倫理学」で扱われています。京都大学、北海道大学、広島大学、慶應義塾大学、立命館大学などの文学部では、応用倫理学の研究が盛んに進められており、動物倫理学についても学ぶことができるでしょう。また、家畜をはじめとする動物の幸福について科学的に研究する「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という分野があり、農業大学や農学部で学べる場合があります。