ウイルスにも負けない
産業生命科学科 教授
前田 秋彦 先生
~Profile~
獣医師。専門はウイルス学、環境衛生学。1992年北海道大学獣医学部獣医学科卒業、1996年同獣医学研究科修了(応用獣医学)。1996年米国テキサス大学博士研究員。2000年国立感染症研究所研究員。その後、帯広畜産大学および北海道大学准教授を経て2010年京都産業大学教授に。兵庫県立生野高校出身。
新型コロナウイルスの感染拡大阻止を目指して、国を挙げての取組が進められている中、ウイルスや感染症について、グローバル社会で求められるバイオや医療、疫学に貢献できる人材像について、京都産業大学生命科学部産業生命科学科の前田秋彦先生にお話をうかがった。産業生命科学科は、“生命科学と社会の架け橋となり、産業分野で広く活躍できる人”の育成を目指して2019年4月に開設された。獣医師でもある前田先生は現在、日本脳炎ウイルスやウエストナイルウイルスなどの蚊が媒介するウイルス、日本の自然界にいるマダニなどによって媒介されるウイルスなどを中心に研究されているが、学部から大学院、アメリカ留学時代にはコロナウイルスについても研究されていた。
新型コロナウイルスの猛威に曝された3ヶ月。
あらためてウイルスについて考える
休校やスポーツ活動、大規模な集まりの自粛、休止など、みなさんは生まれて初めての体験をされている中で、幼稚園・小学校以来の基本的な生活習慣、手洗いやうがい、栄養や睡眠を十分とるなど、感染予防や免疫力を高めることの大切さを再認識するとともに、ウイルスや感染症の治療や医療体制の在り方に関心を持つようになった人も少なくないのではないでしょうか。
そもそもウイルスとは?
ウイルスとは生命であるとも、また自己増殖できないため非生命であるとも考えられています。その種類はわかっているだけでも約30000種※とも言われ、人をはじめ動物、植物、細菌、そしてウイルスそのものの中にも存在します。またウイルスの遺伝子とよく似た構造をした遺伝子は生物の体内にもあることから、生物の遺伝子の一部が持ち出されたものがウイルスなのか、ウイルスが生物の中に入り込んできたのかもまだよくわかっていません。多くは病気を起こすものではなく、長い年月をかけて生物と共生してきたと考えられていて、その役割については、進化の過程で、情報の受け渡しを担ってきたのではないかとの説もあります。
また昆虫に感染するウイルスの中には、感染した虫の幼虫の免疫システムを攪乱するものや、ミツバチの脳内で活性化し、天敵であるスズメバチに対して戦うように仕向けるものなど、寄生した昆虫の行動パターンを変えるものもあります。まさに謎に満ちた存在なのです。
※国際ウイルス分類研究会による
インフルエンザと
新型コロナウイルスの違いは?
2002年から2003年にかけて、今回の新型コロナウイルス(SARSコロナウイルス2,SARSCo2)とよく似たSARSによる肺炎の流行が脅威となる中、コロナウイルスをよく知る研究者の間には衝撃が走りました。それまで、人のコロナウイルスが引き起こすのは、一般的に、冬の鼻かぜの原因の数10%を占める症状の軽い感染症であると考えられてきたからです。またウイルスとしては形も大きく、エンベロープと呼ばれる脂質で全体が覆われ、アルコールや、石鹸などの界面活性剤で破壊されやすく、紫外線にも弱いとされてきました。
ところが新型コロナウイルスは、人へ病気を起こす力(病原性)は限定的なのに、感染する力(感染性)が強く感染源を特定するのがむずかしいなど、厄介な特徴を備えています。はたして、まったく新種のコロナウイルスなのか?あるいはこれまでのものが、何らかの理由で大きく変異したものなのか?たしかにウイルスが刻々と姿を変えていくのは珍しいことではありません。コロナウイルスとインフルエンザの両方に感染(共感染)した犬の中で、コロナウイルスはインフルエンザの一部の遺伝子を取り込んでいることも報告されています。
これまでもこれからも
様々なウイルスが人間を襲う
人類にとって脅威であったウイルスに天然痘の原因となるバリオラウイルス(Variola virus)があります。致死率は20~50%。3千年ほど前の古代エジプトのピラミッドから発見されたミイラからも、その傷跡が発見されています。しかし、WHOは全世界的なワクチネーション(種痘)を徹底させ、1980年に遂に天然痘の根絶を宣言しました。以後、自然界には存在せず、研究目的のためにアメリカと旧ソ連が保持していて、9.11の直後、バイオテロに使われるかもしれないとの情報が広がり、各国がワクチンの備蓄を進めたのは記憶に新しいところです。ちなみに日本では、1976年に天然痘に対する予防接種は中止されました。
また、狂犬病ウイルスも人類にとって非常に脅威です。致死率はほぼ100%、国内では1956年を最後に人の自然発生例はありませんが、国外で狂犬病の犬に咬まれて感染し、帰国後に発症する事例が報告されています。他の多くの国では、野生のリスやコウモリが感染していることがあり、旅行や留学中には噛まれないよう注意する必要があります。また近年では、国内でも予防接種をしない飼い主も出てきているため、何らかの理由で感染した動物が海外からもたらされるとたいへん危険です。他にもエイズウイルスを筆頭に、ウエストナイルウイルス(脳炎など)、エボラウイルス(出血熱など)、ハンタウイルス(肺症候群)など、世界にはまだまだ人の命を危険にさらすウイルスが数多く存在することを忘れてはいけません。
どんな感染症も、いつか必ず終息する
今回の新型コロナウイルスによる肺炎の流行はいつ収束するのか?その目安が実効再生産数R(流行が起こってからのある時期に、1人の感染者が何人の非感染者に疾患を伝染(うつす)させることができるのかを示す指標)で、1(1人の感染者が1人に感染を広げる場合)を下回ると流行は下火になると考えられています。すでに予防ワクチンのあるものなら、接種した人が増えれば増えるほどその数値は下がります。ワクチンのない今回の新型コロナウイルスでも、時間が経つにしたがってこのウイルスに対する免疫を持つ人が増え、また外出制限により接触する人の数を減らすことができれば、Rは次第に減少し、この流行は収束していくことと思います。日本は、医療崩壊を防ぎ、重症化した人の治療を適切に行えるようにすることを目的に、長期間かけて感染を抑えようという方針ですが、この期間に、効果的な抗ウイルス薬やワクチンが開発されることが期待されます。
専門に進むまでにしておきたいこと
今回のパンデミックでは、世界中で多くの方々が亡くなり、経済活動も大きな打撃を受けています。私たちは天然痘を撲滅できたことから、他のウイルスとの戦いにも勝てると考えていました。しかし、21世紀に入ってからも、人におけるSARSや新型インフルエンザ(2008年)、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、家畜では豚熱(少し前まで、豚コレラと呼ばれていました)等と、ウイルスとの戦いはまだまだ続いています。自然界には未知のウイルスが、未だ無数に存在するでしょうし、薬剤耐性ウイルスの出現も脅威です。
グローバル化した現代社会において、感染症の拡大スピードは早く、あっという間に世界中に拡大することを私たちは目の当たりにしました。同時に、新しいウイルスが原因となる人獣共通感染症など新たな感染症の発生についての予測も、極めて難しいことも経験しました。
日本ではこれまで、人は医学、動物は獣医学が担当で、自然環境に存在する微生物には理学分野の専門家も加わるといったように分割されていました。行政においても人は厚生労働省、家畜は農林水産省、そして野生動物は環境省というように縦割りで管轄してきました。しかしそれではもはや限界ではないでしょうか。今後は、人も家畜も、野生動物、さらには自然界の生き物すべてを視野に入れたワンヘルスという概念の下、専門や縦割り行政の垣根を越えた研究、対策が求められるようになってきていると思います。
同時に、感染症の予防や防御、パンデミック時の対応には、医学、薬学、獣医学、理学からのアプローチに加えて、研究やそのためのインフラ作り、行政システムや法整備、緊急事態下での経済対策、あるいは心のケアなど、法律や経済、福祉、心理といった人文・社会科学系の学問からのアプローチも求められます。
これからの大学では、各自の専門について学ぶだけでなく、異なる分野、あるいは分野横断型の知識を身につけ広い視野を持つ人材の育成がますます求められますし、そのことが、今、地球レベルで求められているSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への一人ひとりの貢献にもつながるのだと思います。その上でも、大学で文系を目指すにしても、AIやバイオを学ぶのに必要な基礎は身につけておく、理系を目指すにしても、政治や公共政策をはじめ、文系に関わる幅広い基礎知識、興味を育てておいてほしいと思います。
大学の研究室でできること
ウイルス感染症の一般的な検査には、ウイルスの遺伝子を検出するPCRやRT-PCR、ウイルスのタンパク質を検出するELISA法、感染したウイルスに対して私たちの体が産生する特異抗体を検査する方法があります。設備に恵まれている日本の大学の多くの研究室には、これらの検査を行うために必要な機材は備わっており、日々、新しい技術が開発されています。最近、ニュースなどでよく耳にするPCRは、対象となるウイルスの遺伝子配列の増幅の様子から陽性か、陰性かを判定できます。また、免疫クロマトグラフィー法は、血液の中の抗体や抗原を調べることで、罹っているかまたは罹っていたかどうか診断します。どれを使うかは感染したあとの時間経過によって判断されます。また診断するには技術が必要で、それを行うのは医師の大切な仕事の一つです。