中央大学・斎藤裕紀恵准教授の英語教育実践
教育界で広がるメタバース
メタバースが注目されている。メタバースとは「メタ(超越した)+ユニバース(宇宙)」という意味で、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)環境の中で、利用者がアバター(分身)となって自由に活動・交流できる「ネット上のもう一つの世界」だ。エンタメやゲーム分野だけでなく教育や医療、福祉などでも応用が模索されているが、教育分野での期待は特に大きい。
話題のひとつは、東京大学工学部が2022年9月に開設した、主に工学分野について学ぶ講座からなるメタバース教育プロジェクト「メタバース工学部」。中学・高校生向けで保者や教師も参加可能の無料講座「ジュニア工学教育プログラム」(メタバースを実際に作る授業や飛行ロボットを作って飛ばす授業などがある)と、法人単位で受け付ける有料の社会人向け講座「リスキリング工学教育プログラム」(人工知能、次世代通信、起業家教育の3分野で構成)がある。高校レベルでは、オンライン学習中心の通信制高校、N高等学校・S高等学校を運営する「角川ドワンゴ学園」がメタバースを活用したプログラム「普通科プレミアム」を実施。2千本を超えるメタバース授業を用意し、入学式もメタバース空間で実施した。
大学では、大正大学が全国の高校生と在学生がコミュニケーションを図る「大正大学バーチャルキャンパス」を、新潟医療福祉大学が「メタバース型オープンキャンパス」を開設しVR技術を使って高校生との繋がりを深めようとしている。授業や留学前教育に利用する大学も増えているが、中央大学国際情報学部の斎藤裕紀恵准教授のメタバースを活用した英語教育もそのひとつである。
わくわく感と不安軽減でモチベーションが高まり英語力がアップ
2019年に開設された国際情報学部で外国語教育を担当する斎藤准教授。研究テーマはEdTech(Education &Technology)。メタバース教育との出会いは4年前、ネイティブ講師によるVR英語学習サービス「immerse(イマース)VR」の体験。空港やレストランなどを3D映像で再現した仮想現実空間に没入する中で、アバターを介して英会話学習を行うことは学生の集中力を高め、教育効果も上がるのではと「未来」を実感、導入を決めたそうだ。いまではImmerse社の戦略アドバイザーを務め、中央大学・斎藤裕紀恵研究室はMeta社の「XRプログラム・研究基金」から研究支援を受けて授業実践を行っている。
2年次の後半から斎藤ゼミに配属され、メタバース空間(VR空間)による英語授業を体験した学生の一人は、最初の驚きを「ワォ!」と表現する。頭に付けたVRゴーグル・HMD(ヘッドマウントディスプレイ)によって360度三次元の空間に没入し、臨場感ある仮想現実の中で自分のアバターが食べたり着飾ったり、自由に行動できることに「勉強するという意識以前に好奇心やわくわく感がたまらず」、夢中になって取り組んだという。アバターで英語ディベートをした学生は、「自分も含め、相手の顔が直接見えない分、意見が言いやすいという感想が多かった」とアバターの効用を評価する。事前・事後のアンケートでも英語を話すことに対して、不安が軽減され自信が持てるという声が多いようだ。実際、事前事後にTOEIC©スピーキングテストを行い比較すると、事後のスコア(平均点)が10点高いという結果も得られた。「英語が使われる場面が鮮明に記憶されるから語彙の習得や長期記憶の保持、モチベーションの向上に繋がる。学生たちの間に仲間意識が生まれることにも注目している」と斎藤先生。
1年生の1クラス20人の授業でも、スマホを前面にはさんで使う簡易版でメタバース空間を体験させている斎藤先生。ニューヨークの街並みを歩く、エベレストに登る、海の中に潜る、コンサートを聴く、あるいはSDGsの活動を見るなどといった場面を仮想的ながら体験することは教科書の内容を深く考えるきっかけにもなる。さらに、仮想空間の中で目にするものを英語で説明し、他の学生がそれを聞きながら絵を描くなどの活動にもつなげられると斎藤先生は言う。
インターンシップや大学間交流にも
中央大学で米シリコンバレーの企業を訪問する海外留学プログラム「国際ICTインターンシップ」も担当している斎藤准教授。2021年度は、コロナ禍で学生を派遣できなかったが、2022年度は現地派遣に備え、メタバース空間を利用した事前研修を実施した。アメリカ大手IT企業のGoogle、Facebook、Microsoft、AWSの日本支社の事前訪問の他、VRを用いて英語によるディスカッションやディベート、プレゼンテーションの練習を行った。そしてこの2月、その学生たち9人が2週間にわたるシリコンバレーでのインターンシップに参加した。
斎藤ゼミでは他に、Web会議システム「Zoom」を使いアメリカの大学と国際言語文化交流をこれまで行っているが、2023年からはメタバース空間を利用することを計画している。仮想空間に大学のキャンパスを360度の動画で再現し、そこでの両大学の学生の交流を様々な問題解決型のプロジェクトに発展させようというもので、海外大学との連携が一層身近なものになりそうだ。
メタバースによって学習スタイルは大きく変化するか?
学習スタイルへの影響も見逃せないと斎藤先生。スマートフォンやタブレットの普及によって、授業で紙のノートに字を書かず、スマホで講義スライドを写したり、スライドデータに検索タグを入力したりして「ノートを取る」学生は増えているという。メタバース空間ではいまのところノートは取りにくいが、授業の大切な部分をメモしたり感想を音声で入れたり、振り返り用検索タグなどを残したりはできる。また調べ物をし、シミュレーションし、発表し、議論し、交流することも可能だ。今後の技術革新いかんでは、メタバース空間がさまざまな情報を集積できるスマホ同様、「外部脳」になると予測する学生や研究者もいる。
まだまだ試行錯誤の段階にあるメタバース教育だが、実践の蓄積によって教材が充実し、さらなる技術革新で導入費用が下がるとともに、学習者がめまいや頭痛を感じる“VR酔い”への対応や、個人情報保護などの体制整備が進めば、その普及に弾みがつくだろう。