沙川貴大先生×坂東昌子先生 対話
初出: 大学ジャーナル Vol.100(2012 年 7 月)
京都大学出身で日本を代表する女性物理学者の坂東昌子先生と沙川貴大先生との対話をお届けします。
非平衡の起源を求めて
坂東:沙川さんのご専門は?沙川:メインの研究は非平衡統計力学ですね。「情報」という要素を絡めたとき、熱力学第二法則がどのように一般化されるかというような議論をしています。非平衡統計力学は基礎的な枠組みが今まであまりできていませんから、これから作っていきたいと考えています。坂東:世の中ってほとんどが非平衡で、平衡系ってそんなにありませんよね。物理では最も簡単な場合を考えて、そこで法則を見つけ、次に複雑な場合に進まねばならないのは確かですが、まだまだ平衡系からほんの少しずらしたところばかりをやっている。沙川さんは、もっとずれているところを扱おうとしているのでしょうか?沙川:そうです。なかなか難しいのですが。平衡系からかなり離れている状態でも、例えばエントロピーに関する対称性などの法則は見出されています。最近は確率過程からのアプローチが多く、僕もこちらが専門です。坂東:宇宙を解明しようと思ったら、非平衡系の探求が必要なんでしょうね。沙川:私は専門ではありませんが、宇宙物理が扱う現象の多くは非平衡ですね。それに、誕生から100億年以上も経っているのに宇宙がなぜ熱平衡化していないのか、それも考えてみると当たり前ではないと思います。坂東:なるほど。沙川:また、例えば地球上においては、そもそも太陽からのエネルギーの供給があるから、地上が熱平衡化せずに非平衡状態になっているといえます。これに限らず、非平衡系の物理学の基礎を深く考えていくと、ひょっとしたら宇宙物理との接点が出てくるかもしれませんね。
物理学の面白さとは
坂東:物理学の言葉を理解するのが難しいですね。エントロピーというのはその中でも一番わかりにくい・・・。沙川:物理における「仕事」や「情報」という用語は、普段の日常で使われる意味と乖離が激しい。重い荷物を持って静止しているとき、力学ではその人による仕事は0になります。あるいは、大きな荷物を斜面において支えようとしているけれども、だんだん支えきれずに滑り落ちていくとき、人は荷物から「仕事をされている」として扱います。このあたりの感覚が日常とかけ離れていると思います。そういった概念を物理学は厳密に扱えるわけです。物理はおそらく、全学問の中で数学の次に厳密だと思います。坂東:高校の物理といえば、ものを投げて落ちるというような現象ばかりを扱っているイメージがあります。普通の人はすぐには面白さを感じにくい。沙川:たしかにそういうイメージがありますね。そんな問題ばかりを高校のときずっとやっていたら面白くなくなる。坂東:高校では物理現象を面白いと思わせる努力がたりないまますぐに数式による説明に入って、挫折してしまう生徒が多いように思います。沙川さんの高校の時はどうでしたか?沙川:先生がオリジナルのプリントを作って配っていました。坂東:先生の魅力もありますよね。学問の面白みがわかっているポスドクが先生になればいいのにと思います。私は「わかる」には三段階あると考えています。最初はブルーバックスの入門書を読むなど、数式を使わないわかり方。次は数式を使って理解するわかり方です。最後は、数式のわからない文系の人にも本質を言葉で説明できるわかり方。物理の一般書などを読むと、筆者の理解度が一目でわかりますね。沙川:文系向けの本をわかりやすく正確に書こうと思ったら、きちんと物理の内容を理解しないといけませんからね。坂東:物理が全くわからないという素人の方に物理の話をすると、面白いと言われることが多い。物理を楽しめる人は限られているわけではなく、誰でもちゃんと聞けば面白いんだと思います。沙川:古典物理にもまだまだ興味深い話があるということを知ってほしいですね。坂東:いきなり数式を出すと嫌がられますが、数学は自然現象を語る言葉ですからね。そこを突破して初めて面白さがわかる。本当はもっと面白い世界があるんですよね。電磁気のように目に見えないものを、どのような形で視覚化するか。現象を抽象化してエッセンスだけを取り出したものに対してもきちんとものを言えるというのが、物理の面白さだと思います。

