16歳からの大学論

16歳からの大学論 (第45回)

ETV特集「ねちねちと、問う」の舞台裏とその意義

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
宮野 公樹先生

1973年石川県生まれ。専門は、学問論、大学論。京大総長学事補佐、文部科学省学術調査官の業務経験も。近著「問いの立て方」(ちくま新書)。2025年5月、NHKによる7ヶ月間の密着取材が番組に(ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果てなき対話ー」)

実は、去年の9月から約7ヶ月、NHKの密着取材を受けてまして、この度、EテレのETV特集「ねちねちと、問う―ある学者の果てなき対話―」(初回放送:2025年5月17日)として放送されました。

この番組は、「学問とは何か」「本当に大切にしたいものは何か」を問い直すもので、成果主義や効率性に傾きがちな現代社会において、企業人や研究者に本質的な問いを投げかけ、思考停止を避け「自分のものさし」を取り戻すことの重要性を伝えたものです。ナレーションは又吉直樹さんが担当。京都大学ELP (エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラム)での私の講義、受講生との対話、さらには「全国キャラバン3QUESTIONS」での議論を通じて、「ねちねちと問い続ける」姿勢を浮き彫りにしました。放送後、視聴者から「深い問いが心に響いた」「自分の価値観を見直すきっかけになった」などの声をいただき、大変励みになりました。以下、本誌読者の皆様に向けて、番組制作の裏側を率直にお話しします。

今回の撮影を通じて得た学びは非常に多く、本当に貴重な経験でした。撮影は合計で150時間に及び、膨大な素材から60分の番組を紡ぎ出すプロセスは、想像を絶するものだと思われます(編集は、ディレクターと編集者がやるので私ではないですが一笑)。「密着」と聞くと、24時間カメラが回っているイメージを持つ方もいるかもしれませんが、実際はそうではありません。私のスケジュールをすべてディレクターが把握し、「この場面とここを撮影します」と、選ばれたイベントや場面に撮影クルーが入る形です。撮影チームは、ディレクター、カメラマン、音声担当の3名で構成。撮影の前半は、番組の方向性はまだ定まっておらず、日常の講義、対話、移動中の何気ない瞬間まで、ありとあらゆる場面を収録します。次第に「このテーマで進めよう」という指針が固まり始めると、その後は意図を持って撮影するシーンを選ぶという流れになります。しかし、150時間もの素材を60分に凝縮するため、使われないシーンはどうしても多くなります。特に、Voicyパーソナリティはるさんとの対談や、その後の交流会がカットされたのは残念でした。育児に関する話題など、大切なテーマになる?と思っていたのですが、いろいろな問題で使用できなかったようです。とても残念ですがこればかりは仕方ありません。

この番組制作を通じて強く感じたのは、ETV特集のアプローチのスタイルは「情熱大陸」や「プロフェッショナル仕事の流儀」とは大きく異なるということです。「情熱大陸」などは、まず番組の「枠」があり、そこに合う人物を探します。私の周囲にも「情熱大陸に出演した」という方は多いですが、番組側が常に被写体を探しているからこそ、声がかかりやすいのでしょう。

一方、今回の番組づくりは「問い」から始まります。ディレクターの「この人物(宮野)を通じて、こんなテーマを伝えたい!」という明確な意図が先にあり、それを実現するために全くゼロから丁寧に作り上げるのです。そのため、番組の作り込みが非常に深いのだと感じました。たとえばインタビューの時間。10時間を優に超えていたと思いますが、ディレクターは真剣に考え抜いた鋭い問いを投げかけてきます。「宮野さんも、当時は効率や成果を追求しすぎていたってことですか?」「今、振り返ってどうですか?」など、核心をつく質問に、私も全力で応える。時には議論が白熱し、深い対話が何時間も生まれました。しかし、その長時間の対話から番組で使われるのはわずか数分!まるで氷山の一角だけを番組で見せるような、なんとも贅沢な感覚を持ちました(笑)。

放送後、SNSでは「宮野さんの問いが心に刺さった」「対話に引き込まれた」との声が多く寄せられ、大きな励みになりました。撮影の裏話はまだまだたくさんありますが、今回はここまで。

番組終了後、多くの学びはVoicyにて放送しておりますので、よければぜひVoicyで検索し、宮野公樹をフォローください。また、番組NHKオンデマンドを契約しておられる方はいつでも見れます。それと、再放送があるかもしれないという情報もあります。

【物理ってなんだろう②】物理の世界はもっと多様に
愛知大学での新たな挑戦で見えてきたもの

物理屋60年の軌跡の一点描

京大に23年間務めた後、後半の23年間は、愛知大学で文系学生を相手に授業を受け持ち、学問の豊かさと広がりという貴重な経験をした。研究テーマは、素粒子論に加えて、交通流理論や経済物理学へ広げ、組織的な取組が必要な環境問題、女性研究者・ポスドク問題の研究環境改善のために日本物理学会でキャリア支援にも関わった。

坂東 昌子先生の顔写真

坂東 昌子先生

~Profile~

愛知大学名誉教授 NPO法人 あいんしゅたいん理事長
1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了(博士号取得)。京都大学理学部助手、講師を経て、87年より愛知大学教養学部教授。専門は素粒子論、非線形物理。京都大学に保育所設立を実現させるなど、女性研究者の支援でも活躍。京都大学の湯川秀樹研究室で素粒子論を専攻。ノーベル賞を受賞した小林・益川博士とは助手時代は同じ研究室。2007年日本物理学会長・同キャリア支援センター初代センター長 を経て、2009年3月若手研究者支援のためのNPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立。現在に至る。
「4次元を越える物理と素粒子」「理系の女の生き方ガイド」など著書多数。大阪府立大手前高等学校出身。

文系学生への講義で、現代の諸問題に目覚める

一般教育科目を担当するようになって、文系の学生に自然科学の講義をする場合、現代社会が抱えている問題と切り離してはいけないという想いが強くなった。急激に発展した科学技術は私たちの生活を大きく変え、同時に、科学と社会の関係を深く反省させられる深刻な問題にも立ち会うことになった。それが原爆開発、優生思想に基づく生殖革命と環境問題だった。私は、これらの専門家ではない。しかし、研究者がそれらを自らの問題として取り組むには、教育の場を通じてまずは自らを鍛えることも必要だ。専門を超えて考えなければならないという想いがあった。

そして周りの仲間と、こうした問題について考えてみようと立ち上げたのが、愛知大学内共同研究「エネルギー・バイオテクノロジー問題の総合的考察」。これが専門以外にも自分の興味を広げさせてくれるきっかけとなった。しかし、単に趣味として、あるいは教養として、より広い領域を冒険しようとするだけではだめだ。そこで納得できないことがあれば自らの目で見直し、さらに専門家とネットワークを組み対等に議論できる力量をつけることが必要だ。とはいえ、専門外の学会に進出して論文を書き、レフリーとやりあい、ジャーナルに論文掲載するまでには苦労も多かった。ただ、多くの新たな発見もあった。

愛知大学教養学部で得た刺激と仲間

教養部には専門の仲間が少なく、議論もなかなかできないと思っていたが、入ってみると杞憂だった。特に、同期転入の浅野俊夫さんとはよく議論を戦わせた。教養部には刺激的で議論好きな教員が多く、専門を超え、時間を忘れて議論した。またドクターをとっていない仲間には、「ドクターを取れ取れ」と励まし、取得したらお祝いの会もする。そんな温かい雰囲気がとても好きだった。

教養教育では、自然科学全般を受け持つ。さらに当時は情報処理センター開所に伴って導入された情報科目の中身を構築する時でもあった。情報処理センターの立ち上げ時には、組織運営などの課題に次々取り組んだが、この時には教養部の多くの仲間が労を惜しまず応援してくれた。

教養部には一般教育研究室という高校の職員室のような部屋があり、アイデア交換したり、新しい試みに向けて盛り上がったりした。そこで磨き上げられたのが、情報教育と総合科目と教養ゼミだ。

総合科目は、共通のテーマを異なる専門家で授業する。私は授業の構成、講師の選定、管理などについて、コーディネータ役を積極的に引き受けた。そのため「情報と社会」「21世紀のエネルギー問題」「環境と命」「愛知万博」などテーマも自由に選べた。講師を外部から招聘できるため、ネットワークも一挙に広がった。また大流行したはしかに対する愛大全体での取組なども含め、医学と生命科学の諸問題をまとめた「生命のフィロソフィ」(世界思想社)の執筆に取り組んだことで、法学の側面からの尊厳死などの位置づけを知ることができた。

ゼミでの取り組みと研究の進化

講義では、文系学生にわかってもらう工夫をするうちに、理系学生相手では式でごまかしていたことがわかってきた。解説本を読み漁っていると、理解している著者とそうでない人とが透けて見えるようにもなった。理解が浅いままでは、文系相手の解説で間違ってしまうことがある。文系の学生だからといい加減に解説するのではなく、自分が納得したことを言葉にしなくてはならない。教養ゼミでは、「新発売のハイブリッドカー」「次世代エネルギ―」「教科書と環境問題」「科学嫌い調査」など、ワクワクするテーマをとりあげたが、学生たちも生き生きと取り組んでくれた。身近な環境問題のテーマとして、全小中学校に毎年配布する教科書の費用をフェルミ推定を使って推定し、教科書会社の意見を問う形で問題提起したり、ハイブリッド車の効率の推定をしたりと、身近な環境問題を取り上げた。これが注目され、環境コンクールで名大大学院の環境専門のチームを抜いて優勝したり、民間の団体とともに名古屋市の環境支援資金をゲットしたりと、学生たちが大活躍をした。名古屋市の環境担当職員や名大の院生とも仲良くなり一緒に研究会も開いた。

研究活動でも視野が広がった。高速道路で起こる渋滞は、それまで「トンネルの入口など車がスピードを変えるボトルネックで起こる」が通説で、渋滞領域と自由流領域は理論式も別々だった。物理屋は「原因がないのに渋滞発生、なんで?」「統一的に理解できないの?」と考える。愛大で唯一の物理屋の同僚長谷部さんと名大のポスドクも交えて議論し、車の渋滞モデル「最適速度模型:OV モデル」を提案した※。交通流の専門家にこのモデルへの意見を聞いたら、「この問題は解決済みです」と言われた。新分野に挑戦すると論文を出すジャーナルさえわからず、苦労の連続だった。結局、アメリカ物理学会の雑誌に掲載された。アメリカ物理学会が視野を広げてその守備範囲を大きく拡張していることを痛感させられた出来事でもあった。

新参者でも内容を見て評価してくれるのは海外なのだ。この論文を見たドイツのボッシュ研究所員から「あなたたちのモデルは実験してみたらよく合う」と評価され、評判になり引用数が増えていった。こうして、ヨーロッパから世界へ広がり、国内へは逆輸入されてやっと認められた。まず海外に挑戦すべしというのがよく分かった。自動運転の時代に突入した現在、引用数はさらに増え続けて4000近くになっている。
※ 統一的理解のためには、車の集団(多体系)の間に働く相互作用(原因)と交通流(結果)の関係式は微分方程式になる。ちょっと刺激を与えると少し変化する。その積み重ねが交通流の結果を与える。結果から原因を探すコツはここにある。ニュートンが偉かったのはここなのだ。多集団の場合は、ミクロとマクロを繋ぐ動的仕組みがいる。この話は、実は南部の「自発的対称性の破れ」というメカニズムを応用したもので、やはり物理学のアイデアが生きた仕事でもあった。

火星の気象災害 – 機械学習で砂嵐(ダストストーム)発生の仕組みにせまる

月とともに、大国間の宇宙開発競争が激しさを増す火星。先ごろ米大統領に就任したトランプ氏は、就任演説で有人火星探査への強い意欲を表明し、火星に星条旗を掲げることを「明白な天命(Manifest Destiny)」と宣言した。その火星での有人探査を妨げると危惧されているのが、特有のダイナミックな気象現象、巨大な砂嵐《ダストストーム》だ。いち早く機械学習を使ってその現象の解明と、発生予測の研究に挑戦してきたのが、理学部の小郷原一智准教授。先生にこれまでの研究の変遷と転機、そして今後の展望を聞いた。

小郷原 一智先生

~Profile~

京都産業大学理学部准教授
京都大学大学院理学研究科地球惑星専攻博士後期課程修了。博士(理学)。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)招聘研究員。滋賀県立大学工学部助教を経て2020年4月現職。専門は惑星気象学(特に火星)。
JAXA火星衛星探査計画 Martian Moons eXploration (MMX)メンバー。
岡山県立岡山城東高等学校出身。

シミュレーションによるダストストームの研究に汗をかいた大学院時代

高校時代から地学が好きで物理学者に憧れていた小郷原先生。専門は「惑星気象学」で、火星の研究を始めたのは学部4回生の頃。当時、火星は研究者が少なく、研究課題も多数残されていた。中でも砂嵐(ダストストーム)は、小さなものでも関東平野ほど、大きなものでは火星全体を覆うほどの規模で、そのメカニズムや発生時期の解明が大きな課題となっていた。

そのダイナミックさに惹かれて研究テーマに選んだ先生だったが、観測手段が限られる中、頼りとするのは理論や数値モデルを用いたシミュレーション。研究の精度をさらに高めるには、実際の観測データと照合し、つど計算モデルを修正する必要があった。

粘り強さと根気のいる研究だったが、修士課程では火星の南半球にある巨大な「Hellas 盆地」を発生源として全球に拡がるグローバル・ダストストームの研究や、博士後期課程では対象地域を広げ、ダストストームの発生しやすい地域の特定など、いくつもの成果を上げることができた。

ただ、実際の観測データが少ない中でのシミュレーションには限界があるのも確か。現在、地球の天気予報の精度が向上しているのは、広範囲に 60年以上蓄積してきた観測データのおかげ。これを火星に当てはめると、公転周期が地球の約2倍だから約 120 年もかかる! 加えて照合すべき観測の元
データも写真中心で、モデルに組み込むにはダストストームの発生メカニズムを推定しなければならなかった。

このように大学院時代の研究は順風満帆とはいかなかったが、これが次の職場での転機につながる。

転機はJAXA時代に。いち早く「機械学習」を取り入れた研究転換

博士課程を終えた小郷原先生は、ポスドク研究員として JAXA(宇宙航空研究開発機構)に勤務する。当初、大学院時代とは比べ物にならないような膨大な量のデータの存在はとても魅力的だった。しかし、すべて目視で行わなければならないことから作業は困難を極め、「一枚一枚処理するのは不可能に近い」とさえ思ったという。そこでもっと効率的にできないかと考えた時に目を付けたのが、当時まだ注目され始めたばかりの「機械学習」だった。ただ、そのためには自らのスキルアップも必要となる。

ここで小郷原先生は、思い切って職場を変える決断をする。工学系に転向し、滋賀県立大学に助教として着任、機械学習の技術を学生と一緒に学び始めたのだ。

そして9年後、観測画像からダストストームを自動検出する技術の開発に成功した。これにより観測データの効率的な分類と解析が可能となり、研究は飛躍的に進展した。特定の地域に限定はされているものの一貫した基準で季節ごとのダストストームの頻度や大きさを自動で計測できるようになったのだ。

火星研究の展望

「ダストストームは、以前は単一の現象だと漠然と考えられてきましたが、近年の観測でその発生メカニズムはそれぞれ全く異なることがわかってきました」と小郷原先生。そこから、水蒸気やダストの鉛直輸送量もダストストームごとに大きく異なるはずとの予想も成り立つ。現在は、火星周回衛星の観測画像からダストストームやダストデビル(塵旋風)※を自動検出して、形状・模様などの外見的特徴、季節や気圧との関連、それらの背後にある大気現象を特定する研究を進める。

惑星研究の全般的な意義については、「火星に限らず、他の惑星の気象を理解することは、地球の気象の深い理解にもつながる」と語ってくれた。
※ダストストームより小規模で、竜巻状に見える。

どんな授業?
理学部の1、2年生には、データサイエンスの基礎を教えています。
様々な種類のデータをコンピュータで分析するために必要な表現方法を学び、それを基礎に統計学や確率論に基づいて、データの扱い方や分析手法を理解し身に付けます。また、Pythonを使ったプログラミングを学び、既存のソフトウェアに頼るばかりでなく、与えられた問題に応じて自らプログラムを作成する力も養ってもらいます。理学部では4年次に、各自が研究テーマを設定し、卒業研究として発表してもらう「特別研究」があります。私の研究室の方針は、自分で面白いと思ったテーマがあればそれをサポートし、明確なものがない場合には具体的なアドバイスをするというものです。もちろんプログラミングの知識が必須なのは言うまでもありません。

どんな授業?

理学部の1、2年生には、データサイエンスの基礎を教えています。様々な種類のデータをコンピュータで分析するために必要な表現方法を学び、それを基礎に統計学や確率論に基づいて、データの扱い方や分析手法を理解し、身につけます。

また、Pythonを使ったプログラミングも学び、既存のソフトウェアに頼るだけでなく、与えられた問題に応じて自らプログラムを作成する力を養っています。

理学部では、4年次に各自が研究テーマを設定し、卒業研究として発表する「特別研究」があります。私の研究室では、自分で面白いと思ったテーマがあればサポートし、明確なものがない場合には具体的なアドバイスを行っています。もちろん、プログラミングの知識は必須です。

京都産業大学のHPがリニューアル。小郷原先生のご研究をはじめ、他学部・他学科の研究紹介もご覧いただけます。リンクはこちら。

アニメサイエンスが地球を救う――細胞農業の最前線を切り拓く

羽生 雄毅さんインテグリカルチャー株式会社 CEO 羽生 雄毅さん
~Profile~
1985年生まれ。栄光学園中学校から父親の転勤でパキスタンへ。インターナショ ナルスクールオブイスラマバードからオックスフォード大学へ。2006年同化学科卒、 2010年同博士課程修了。博士(化学)。東北大学多元物質科学研究所、東芝研 究開発センターシステムラボラトリ―勤務を経て独立。2015年インテグリカルチャー (株)創業、現在に至る。近著に『夢の細胞農業 培養肉を創る』(さくら舎)がある

インテグリカルチャー株式会社※1CEO 羽生 雄毅さんに聞く

※1 インテグリカルチャー株式会社は、シチズンサイエンスで細胞性食品の開発を進めるShojinmeat Projectを母体に、当初、それに必要な実験装置を入手するために登録したスタートアップ。ここから生まれた非営利のシンクタンク日本細胞農業協会(CAIC:Cellular Agriculture Institute of the Commons)が一般社団法人細胞農業研究機構(JACA)の発足に携わるなど、グループ全体で、日本の細胞性食品の開発、細胞農業発展を牽引する。

本気で人生を賭けるものとは?

 2017年、シンギュラリティ大学(Singularity University)のGSP(Global Solution Program)に日本から初めて選ばれた羽生雄毅さんは、主催者の「キミのMTPは?」の質問に、「アニメサイエンス」と答えて、笑いをとったという。
 MTPとはMassive Transformative Purposeの略。羽生さんは「人生をかけて何をするか」の意と心得る。
 アニメサイエンスは、ハリウッドのムービーフィジックス(映画『スタートレック』に出てくるような物理学)を意識した造語。SFアニメの描くサイエンスで、荒唐無稽かもしれないけれど楽しく、ハリウッド映画の描くものより明るいトーンであることを強調したかったと言う。
 シンギュラリティ大学は、シンギュラリティ概念※2の提唱者レイ・カーツワイル氏が、評論家のピーター・ディアマンディス氏とともに2008年に開設した私塾。様々な教育活動を行うが、その一つがGSP。今は休止しているが、世界の課題解決に突き抜けたアイデアをもって挑もうという若者を集めたコンテスト、GIC(Global Impact Challenge)を世界各地で開催し、各会場での最優秀者をシリコンバレーに招待して行う10週間の研修キャンプ。羽生さんはその日本人第一号。ソニー(株)がスポンサーとなり2017年に日本で初めて開催されたGICで6,000人の中から選ばれた。
 「現地には企業家、研究・技術者に加えて政策立案に係る若者もいた。最先端テクノロジーを、世界から選んだ異能の人に与えたら、どんな化学反応が起こるかを見るための実験だったのでは?」と羽生さん。「当時の仲間とは今でも頻繁にコンタクトを取っている。GSPが人生の転換点の一つであったことは間違いないと」振り返る。

※2 日本語では「技術的特異点」と訳される。超知能が生まれる科学史的瞬間。今の時点ではAI (人工知能)が「人間よりも賢い知能を生み出せるようになる時点」を指す。

羽生さんが認められたテーマが、「人工培養肉で世界の食糧危機を救う」

 人工培養肉とは、代替タンパク源の一種だが、動物食物由来のものと異なり、生きた動物の幹細胞(たとえば筋肉の)を、特殊な培養液に浸して増やし成長させたもので、2013年、オランダのマーストリヒト大学教授のマーク・ポスト博士が開いた試食会で注目が集まった。英語ではcell-based meat、国内では近年、培養魚肉や培養脂肪も含めて、一般的に「細胞性食品」と呼ばれる。

 動物を殺すことなく、本物と同じ成分の食肉を作る技術は、人口急増による食糧不足、とりわけ経済発展著しい途上国における食肉消費の増加、それによって懸念される《プロテインクライシス》を回避させてくれるものと期待が高まる。

 また、穀物や水の大量消費につながる牧畜の増加に歯止めをかけることで、CO2をはじめとする温暖化ガスの削減、さらに国内においては、近年、食糧安全保障の観点から懸念される食糧自給率の改善にも寄与するだろう。

 開発の成否は、培地や培養液、培養技術の他に、大量生産のためのプラント作りにかかると羽生さん。当初は200g3000万円、現在でも数百万円ともいわれる生産コストをどれだけ下げられるか。羽生さんたちが注目を集めるのは、現状でも3万円以下にまで下げることのできる独自の材料・技術と、それをベースに構築した基盤を公開することで細胞農業※3の新たなインフラという新しい産業のルール作りを目指している点だ。

※3 細胞農業(Cellular Agriculture)とは、本来は動物や植物から収穫される産物を特定の細胞を培養することにより生産する方法。細胞性食品はその製品の一つ。

大量生産のためのプラント作り

それは同人サークル活動から始まった

 羽生さんが細胞性食品の開発を思い立ったのは、2013年に参加した江東区主催の起業セミナー。そこで「何かSFっぽいことをしたいな」「たとえば人工的に肉が作れれば、将来、人類が火星に住むようになっても困らないだろう」と思ったという。そして2014年、都内の小さな溜まり場で仲間とともにShojinmeat Project(培養肉の研究開発プロジェクト)を始める。当初、培養に欠かせない血清があまりにも高額なことに悩まされたが、2016年に加わった川島一公さん(現インテグリカルチャー株式会社CTO)が、「共培養」※4という方法を使うことを提案して開発に弾みがついた。

 Shojinmeat Projectがユニークなのはものづくりのアイデアだけではない。手軽な価格で手に入りやすい材料を見つけ、高校生も自宅から実験に参加して、ニコニコ動画で発表するなど(オープンサイエンス)、企業や大学によらない、若者中心のシチズンサイエンスを展開してきた点。またカウンターカルチャー、反権威主義の下、集まった同人クリエーターによるサークル的な組織運営にある。

 一方で、海外の同業とは早くから連携、「細胞農業のある世界」の下地作りにも取り組んできた。

※4 複数の種類の細胞を同時に培養すること。

日本の細胞農業を牽引

 そんな活動が2017年から一変する。(株)リバネスのラボにて共培養のコンセプト実証に成功し、自宅で培養肉を作る高校生の姿がテレビで全国放送されると、東京女子医科大学清水達也教授よりTWIns(東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究センター)に招かれてラボを開設。2018年から2019年にかけて、清水達也教授らとの共同研究による微細藻類から作った培養液による閉鎖系空間での食肉生産が、JAXAの宇宙探査イノベーションハブが実施する研究提案プログラム(TansaXチャレンジ研究)に、「3次元組織工学による次世代食肉生産技術の創出」が、JSTの「未来社会創造事業」(現在の内閣府の「ムーンショット」目標5につながる)に採択され、産官学による展開へと発展する。 

 2016年には細胞性食品を自動生成する画期的なCulNet Systemを開発、特許も取得。直近では、Shojinmeat Projectよりスピンオフしたスタートアップであるインテグリカルチャー(株)が、細胞性食品に欠かせない培養液や細胞培養装置のインフラ提供を世界に先駆けて始めるのに協力し、JACA(一般社団法人細胞農業研究機構)による細胞農業という新たな産業の基盤やルール作りをサポートする※5。細胞性食品量産に向けて、残る課題とは何なのか。

 「培養肉そのものを作ることは、今日、技術的にはそれほど難しくはない。実際、Shojinmeat Projectの公開する動画『DIY細胞培養』を見れば高校生でも作れる。難しいのは、それを大規模かつシステマチックに、コンスタントに製造するための原料や装置の開発、そしてそのための投資だ」と羽生さん。

 もちろん成果は、すでに形になり始めている。一つが、細胞性食品の量産技術を進める中で派生した技術の医薬品や化粧品への応用。化粧品ではすでに商品化もされている。細胞培養技術を使った化粧品は、「美容成分をいくらでも生成できるから、これまでのものにない様々な特徴を持つ」と羽生さん。

 そして今春、羽生さんたちは、2025年の大阪万博で、国産初の細胞性食品として、「細胞性フォアグラ」を試食できるようにすると発表した。先行するシンガポール、アメリカに続き、細胞農業という夢の技術の商業化の一里塚となるか、注目される。

※5 設立時の事務局は、Shojinmeat Projectから細胞農業に特化した非営利のシンクタンクとして切り離されたCAIC(Cellular Agriculture Institute of the Commons)が担った。

CulNet System
細胞培養技術を使った化粧品
細胞性フォアグラ

羽生さんの原点 SF、アニメ、ゲーム

 羽生さんに、今話題の生成AIについて聞いてみた。返ってきた答は「大歓迎」「自分が神になれるから」?その心は「生成AIとVRチャットを組み合わせれば、作りたいものが何でも作れるから」だと。

 羽生さんの原点は、小さい時から慣れ親しんだマンガやアニメ、ゲーム、そしてその中心にあるSFだ。培養肉はSFの定番だったから、レゴや積み木を使ってSF世界を想像して遊んでいるうちに、いつの間にか知っていた。

 古さや伝統が格上とされる場面が多いが、SFこそ「崇高」なもの、と羽生さん。そこには人類の夢が、人類にとって必要なもの、人類の望む未来、そして未来への警告も描かれているからだと。だからあえてアニメサイエンスと呼ぶのだとも。

 SFに惹かれ熱中したのがゲーム。中学生になると『シムシティ3000』(街を作るシミュレーションゲーム)などでSF的な建物を設計して未来都市を作り、画像編集で物語(ほとんどSF小説)を書いて掲示板に連投したという。ニコニコ動画で初音ミクの動画を作る際も設定はSF。まさにオタクそのもの。ちなみにそれらの作品の中には、すでに培養肉も、後に社名となるインテグリカルチャーの名前も登場する。

 もっとも、「自分が没入してきた世界はSF小説の世界とは違う」「ゲームも対戦型ではなく、どちらかというと《箱庭作り》に近い」と羽生さん。空想や想像するだけでなく、それらを形にする、表現することに興味があるのだと。培養肉もまさにその一つだ。

羽生さんが本当に知りたいこと 心がけること

 いま一番興味があるのは、OS(基本ソフト)の異なるシステム、生物で言えば本能の違う生物。それらがどんな世界を見、どんな意識を持っているのか。

 地球外知的生命にも、きっとSFはあるはず。彼らの見る夢とは一体どんなものなのか。

 身近なハチやアリになりきってみよう。個体が生存するために「タダ働きはしたくない」という本能を身につけたわれわれは、お金という概念を生んだが、ハチやアリのような知的生命体なら、お金という概念の存在しない文明を作っているかもしれない。それは果たしてどんな世界なのか。いじめやハラスメントはあるのか。組織はどんな考えに基づいて作られているのか。

 羽生さんはさらに続ける。物理法則さえも異なる世界だってあるはず。それらを知るには、今、自分を自分にしているあらゆる前提を外してみることが必要だと。

高校生へのメッセージ

 日本では今、突き抜けたアイデアを持って、これまでの技術にブレークスルーを起こすようなイノベーターの出現が待ち望まれているが、ここでも求められるのは「全ての前提を外してみること」だと羽生さん。

 「人はみな想像力を持っている。だから本来は何でもできるはずなのに、様々な前提が邪魔してそれを阻んでいるのではないか。

 一つには、周りの目を気にしすぎることがある。また大人たちの期待、アドバイスが原因のこともあるだろう。特にライフハック(仕事の質や効率、生産性を高めるための手段や技術)とエシックス(倫理)とを混同して『こうすべき』『こうあるべき』と繰り返される言葉には注意が必要だ。大人自身も気づいていないことが多いが、例えば「いい大学へ入るべき…」という言葉を考えてみよう。「わが子には幸せになってほしい」と願うのは当然だが、そのためのアドバイスとして、それがどんな子どもにも当てはまるのか。それが子どもの将来の可能性を、将来の道(選択肢)を狭める要因の一つになってはいないのか。この際、子どもたち自身も、『それは倫理なのか、ライフハックなのか』、『そのライフハックは間違っていないか』と問い直すことが必要だ」と。

 「もちろんこう言う自分も、博士課程を出るまではその区別がついていなかった」と羽生さん。「目が覚めたのはその後独立してから。GSPに参加したことも大きかった」と。

 また「本来の目的が忘れられ、形式だけの残る《常識》や《良識》にとらわれすぎることにも注意が必要だ」と羽生さんは続ける。確立された当時の背景や目的が置き去りにされ、ルールだけが残り、しかも目的化されていることが少なくないからだと。「これはチンパンジーの社会にもあると聞くが、それを前提にしては何も進まないに決まっている。SDGsも大事だが、単なる標語に踊らされるのでなく、17の項目の裏にある綿密な計算式にも目を向けてほしい」と前提をうのみにしないようにとアドバイスをくれた。

 「今後ますます重要になってくるのは、違うOS、それに依拠したシステムを持つ他者について、思いを巡らせることだ」と最後に羽生さん。「世の中のルールや仕組みの多くは人間の本能に依拠しているようなところがある。しかしニューロダイバーシティ※6を超えて、人間だけでなく、生物全てが限りなく地続きになる世界に目を向けた時には、そうした価値観、依拠すべき前提は崩れ去る。細胞性食品開発の目的の一つとする人も多いが、牛や豚にも感情や意識があるのだから苦しめてはいけないと考えるのもその一つ」。「極めつけはAI 」と羽生さん。「われわれは今後、自分たちとは全く異なる本能(基本ソフト)をもつものと、否応なく向き合い、ともに生きていかなければならないからだ」と未来を引き寄せる。

※6 Neurodiversity:神経多様性。Neuro( 脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念(以下略…)」

【2022年4月8日、経産省:「ニューロダイバーシティの推進について」より】

「フュージョンエネルギー」に注目 「ENGINEERING(工学)」をFUSION(融合)」し、エネルギーの未来を切り拓く 

武田 秀太郎さん武田 秀太郎さん
九州大学都市研究センター・准教授
京都フュージョニアリング株式会社・共同創業者
文部科学省 核融合科学技術委員会
原型炉開発総合戦略TF 主査代理

~Profile~
2014年京都大学工学部物理工学科卒業。2016年京都大学大学院総合生存学館、修士課程相当修了。2018年京都大学大学院エネルギー科学研究科早期修了、博士(エネルギー科学)取得。2019年ハーバード大学大学院修士課程修了(サステナビリティ学)。2018年京都大学大学院総合生存学館特任助教、2020年国際原子力機関(IAEA)プロジェクト准担当官、2022年京都大学大学院総合生存学館特定准教授を経て、現職。2019年10月には京都フュージョニアリング株式会社を共同創業。 International Young Energy Professional of the Year 賞、英国物理学会IOP若手国際キャリア賞、IAEA事務局長特別功労賞ほか、多数受賞。日本国籍で唯一のマルタ騎士団騎士。FBS福岡放送『バリはやッ!ZIP!』コメンテーター。東海高等学校出身。

エネルギー工学と計量サステナビリティ学(Sustainametrics)を研究する傍ら、「フュージョンエネルギー」スタートアップである京都フュージョニアリング株式会社を共同創業した武田秀太郎さん。 研究力と実務実績から数々の国際賞を受賞するとともに、国際支援活動が評価され、現在日本国籍でただ一人のマルタ騎士団のナイトでもあります。 FBS福岡放送『バリはやッ!ZIP!』にてコメンテーターもこなす武田さんに、大学発スタートアップの可能性、国際活動についてお聞きし、未来のアントレプレナー、国際協力の場で活躍することを目指す高校生・大学生に向けたメッセージをいただきました。


提供:京都フュージョニアリング株式会社
提供:ITER機構
提供:核融合科学研究所

世界中の「ENGINEERING(工学)」を「FUSION(融合)」し、未来を切り拓く、京都フュージョニアリング株式会社

みなさんは、「フュージョンエネルギー」という言葉を聞いたことがありますか?フュージョンエネルギーは、「核融合」とも呼ばれていたエネルギーで、太陽を始めとする宇宙全ての星を光らせているエネルギーです。太陽は水素でできていて、この水素同士が融合(フュージョン)してヘリウムに変化することで、膨大なエネルギーを生み出しているのです。

 もし、地上に太陽を作ることができれば、地球環境に優しい未来の持続可能なエネルギー源になるとして、今大きな期待が寄せられています※。これが、「フュージョンエネルギー」です。フュージョンエネルギーは海水中に豊富に含まれる水素原子から大きなエネルギーが得られ、事故のリスクが低く、石油や石炭のように地域、産地、また埋蔵量に偏りがありません。まさに究極のクリーンエネルギーなのです。

 実際に、現在世界では多数のスタートアップや研究機関によって、物理学やプラズマ科学を駆使したフュージョン炉の開発競争が巨額の費用をかけて行われています。そんな中で私たちは、それらのプレーヤーにとって必要不可欠な「プラント技術の研究開発」と「炉心特殊機器の研究開発」の二つに事業領域を絞り、強みとする新たなスタートアップ「京都フュージョニアリング株式会社」を2019年に立ち上げました。

 「FUSION(融合)」と「ENGINEERING(工学)」を掛け合わせた造語による社名には、世界中の工学者とフュージョニア(フュージョン研究者)を融合させ、エネルギーの未来を切り拓きたいという想いが込められています。現在従業員は70名を超え、東京、京都、そして米国や英国で密に連携をとりながら研究開発を展開しています。

 私たちは、世界中の研究機関や民間企業を対象に、先進ハードウェア群の開発や設計支援など、各種炉心要素技術の開発に初期段階から参入し、数十年に亘って継続的に、主要設備を製造、納入するという息の長いビジネスを展開しています。実際これまでに英国原子力公社など多くの顧客から発電プラントの概念設計や、ジャイロトロンという特殊装置の受注などを獲得しています。

※ITER国内指定機関である国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構HP参照

同HPによれば、「ITER(イーター)」は、平和目的のための核融合エネルギーが科学技術的に成立することを実証するために、人類初の核融合実験炉を実現しようとする超大型国際プロジェクトで、「ITER」はラテン語で道という意味を持ち、核融合実用化への道・地球のための国際協力への道という願いが込められているという。

フュージョンエネルギーはあと何年で実現するか?

 これについてはこれまで、「いつまでたっても30年先」などと言われてきました。しかしここ数年の間に、情勢は変わりつつあります。欧米の政府機関関係者の多くが、2035-2040年に実現すると宣言するようになったのです。実際に英国ではフュージョン発電所を設置する候補地の選定が終了しましたし、米国ではホワイトハウスがフュージョンエネルギーサミットを開催し、2040年までに実現すると宣言しています。このようにフュージョンエネルギーの実現が現実味を帯びてきた背景には、民間投資の伸びが挙げられます。米国では2021年、民間企業によるフュージョンエネルギーへの投資額が米国エネルギー省のそれを抜き去り、研究開発が国家主導から民間主導に変わりつつあります。2010年代に見られたSpaceXによる有人宇宙飛行の推進がそうですが、民間主導になるとスピード感が出て、柔軟性も高い。ビル・ゲイツ財団やグーグルが出資する米国マサチューセッツ工科大学(MIT)発のスタートアップCommonwealth Fusion System(CFS)社も、2025年までには実験炉を用いて発電の商業化への道筋をつけ、2030年代初頭の商業用の完成を目指しています。

きっかけはエレベーターの中に?

 このような状況の中で、その中核を担える位置にいることに大きなワクワク感を覚えている私たちですが、会社設立のきっかけは、4人目の共同創業者であり現在Chief Innovatorを務めるRichard Pearsonさんとの出会いでした。元々、私と当時の指導教員で設立構想を練り始めたのが2018年でしたが、同年の国際会議でのRichard Pearsonさんとの出会いがそれを加速したのです。

 Richard Pearsonさんは、当時既にスタートアップに勤務していたこともあって、私は会議後に彼の会社を訪問させてもらいました。そしてそこで比較的小規模の施設で行われていた最先端の研究開発を目の当たりにして、「自分たちにもできる!」と大きな可能性を感じたのです。成功する確率が1/100しかなければ挑戦すらしないのが一般的かもしれませんが、子どもの頃から好奇心旺盛だった私の性格と、もう一人の創業者の情熱が相まって、社名も会議後の懇親会で決めるといった具合に急ピッチで創業を進めました。

 ところでRichardとの出会いには前段があります。アメリカの滞在先ホテルのエレベーターでたまたま乗り合わせ、何となく会話をはずませていたところ、実は同じ学会に参加していたことが偶然にも分かったのです。振り返れば、まさにそれが人生の転機でした。

大学発スタートアップ企業には可能性がいっぱい

 現在、日本には大学発のスタートアップ企業が約3300社あると言われています。日本全体で大学教授が6 ~7万人いるとすると、単純計算で20人に一人が会社を持っている時代です。しかも驚くことに、3300社のうち64社が上場を果たしています。大雑把に言えば、大学発スタートアップは50分の1の確率で社会に大変革を起こせるわけです。

 こう考えると、確率はとても高い。それなら、興味のある学生さん、若手教員を始め大学関係者のみなさんも挑戦する価値があるのではないでしょうか。

 日本経済が成長軌道を取り戻すためには、勢いのあるスタートアップの出現が欠かせないとの認識から、日本政府は2022年を「スタートアップ創出元年」と位置付け、「スタートアップ育成5か年計画」を打ち出しました。近年は社会も、スタートアップ企業の失敗に寛容になってきており、一度ダメなら二度目、二度ダメなら三度目といった具合に何度も挑戦権が得られるような風潮も生まれつつあります。

 スタートアップ企業と中小企業とでは、資金調達の使途や方法に大きな違いがあります。スタートアップは、市場を新たに創出するような破壊的イノベーションを生むのが目的で、投資家から資金を得て、大きくスケールアップすることを目指しています。よく学生さんで誤解をされておられる方がいるのですが、スタートアップは主に借金ではなく、同じ志を共有してくれる仲間から資金を得ています。「借金が残るのが怖いのでスタートアップ起業は考えていません」と言われる学生さんにたまに会いますが、まずはその心配が不要であることをお伝えしたいです。

 スタートアップ企業の中でも、特に大学発の魅力は、学術の探求という情熱と社会への貢献というミッションを両立できるという点だと思います。スタートアップの仕事には、大学では感じることのない刺激があります。大学にとって、研究に100%の力を注ぐ純粋な学者はなくてはならない存在ですが、今後は、起業スピリットを持った冒険心あふれる教員など多様な研究者が混ざりあうことも必要ではないかと考えています。

もう一つの大きな夢、計量サステナビリティ学の確立

 当面の目標は、世界的な研究者として認められることですが、そのための起点の一つが、日本にしっかりしたサステナビリティ学※を確立させること。というのもこれまでのサステナビリティ学は、文理融合によるアプローチが基本とは言え、数理的手法による仮説検証などはあまり行われておらず、純粋学術にも、人材育成、産学連携にも振り切れていない理念先行の分野にみえるためです。しかしサステナビリティ学とはそもそも社会変革の学ですから、定量性を持って、社会に確としたインパクトを与えることが必要だと考えています。

 そこで今取り組んでいるのが、データサイエンスの知見も入れながら持続可能なエネルギー源の社会経済分析や技術評価を行うといったように、サステナビリティ学に実証的内容を持たせる試みです。サーキュラーエコノミーからESG、LCAまで、データサイエンス的な観点から計量的に分析し統合し指標化していく。経済学が計量経済学に発展していったように、サステナビリティ学を計量サステナビリティ学にしていきたいのです。

 目下、研究会を主催していて、すでに論文も15本集まり、4月には、計量サステナビリティ学の学術会議を一般社団法人化することにも目途がついています。今後が楽しみです。

※東京大学第28代総長小宮山宏の提唱によるとされる。『地球温暖化問題に答える』(東京大学出版会)、『地球持続の技術』(岩波新書)などに詳しい。本誌65,75に関連記事

高校生・大学生へのメッセージ

とにかく知的好奇心を大切にして自由にいろいろなことに取り組んでください。周りから言われたことを過度に気にしないことも大事です。幼いころからの旺盛な知的好奇心や行動力が、今の自分を形成してくれたと思います。

聖ヨハネ騎士勲章ナイト・オブ・マジストラル・グレース( 聖ヨハネ騎士勲章)を

受賞、日本で唯一の存命するマルタ騎士に

 2022年に私は、青年海外協力隊、国連職員、そして大学教員として、バングラデシュ、香港、東南アジアにおいて国際支援活動を継続してきたことが認められ、マルタ騎士団によってナイトに叙任されるとともに、聖ヨハネ騎士勲章を受勲しました。日本国籍の騎士叙任は約90年ぶりで、現在、日本国籍の唯一のナイトとなりました。

 マルタ騎士団はカトリックの騎士団として11世紀に設立されました。騎士団でありながら国際法上の主権を有し、パスポートを発行し、120カ国と外交関係を結ぶとともに、国連にオブザーバーの地位を有する「領土なき独立国」です。現在世界に13,500人の騎士、95,000人の常勤ボランティア、52,000人の医療専門職員を擁しており、医療活動、戦争や飢餓に苦しむ人々の緊急支援、自然災害への救援など、国際人道支援を120カ国で展開しています。欧米では中学や高校の歴史の教科書などに掲載されているなど、世界史的にも国際的にも非常に注目を集めていますが、日本での知名度は低く、その向上にも貢献していくつもりです。

社会の役に立ちたい!悶々とした高校・大学生活で見えてきた将来像。

高校、大学で抱いた問題意識から、3.11を契機に自衛隊へ。

大学へ戻ってからも科学技術と社会の繋がりをとことん考える

好奇心旺盛な性格で、社会活動に興味を持ちだしたのは高校生の時。学校での勉強に満足できず、社会運動に参加したり、政治家と直接、意見交換したりしました。生意気にも「社会とはなんと非合理なのだろうか」と考え、教育改革など社会運動にのめり込んでいったのです。好奇心旺盛な若者を、放任主義とも取れるほど自由に活動をさせてくれた高校と両親にはおおいに感謝しています。あの頃の体験があるからこそ、今のバランスの取れた社会に対する視点があると思います。

 高校卒業後は京都大学工学部工学物理工学科に進学。3回生まで自由に学業に励んでいましたが、やはり国の税金で学ばせてもらいながら社会に貢献できていない自分に違和感を覚えるようになりました。そんな折に起きたのが東日本大震災。思うところがあった私は新学期になる前に大学に休学届を提出、二年間自衛隊に入隊しました。少々やりすぎだったかもしれませんが、大学に戻ってからは、科学技術と社会の繋がりをとことん考えるようになりました。

 大学院ではエネルギー工学に加え、持続可能エネルギー政策やその経済性の分析、さらに技術の受容性を研究、修了後は、国連や京都大学での職を経て、現在に至っています。

「地球持続の技術」(岩波新書)
 環境問題の解決と、次の世紀へ向けていかに持続可能な社会を作っていくかが、21 世紀人類にとっての最大の課題。「20 世紀の後半には地球環境の悪化に対する警告がなされました。21 世紀にはそれに対して具体的な答えを出さなければならない。そしてそれはエンジニアとしての使命でもある」(小宮山先生)ことから、本書は書かれた。主に物質とエネルギーの側面から、温暖化や化石エネルギーの枯渇といった問題へのアプローチを試みる。さらに後半では、2050 年を目標に自動車のガソリン使用量を1/4に、エアコンの電力消費量を1/3 になど、すべてのサービスに使用されるエネルギーは1/3 にできるはずという具体的なプランが展開されている。執筆当時からおよそ10 年たった今、小宮山先生は自らの主張について、「ますます確信を深めています。ただ、エアコの効率はすでに当時の2倍になっていて、これだけはうれしい誤算。もっと大胆に言っておけばよかった」と顔をほころばせる。【本紙65号:2006年9月9日発行、東京大学 小宮山 宏 総長インタビューより】