16歳からの大学論 第24回

ほんとうの「自由」

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
京都大学博士(教育学)。専門は高等教育学。関心分野は大学の再編と役割。所属学会は、大学教育学会、日本高等教育学会など。1987年韓国全羅北道出身。九州大学特任助教、三重大学講師を経て現在に至る。韓国忠南大学校師範大学教育学科を卒業した後、2014年に日本国費留学生として渡日し、大阪大学人間科学研究科研究生を経て、京都大学教育学研究科で修士学位及び博士学位を取得。

 このような大げさなタイトルのもとに書くことは著者には荷が重いことは承知の上ですが(例えば、佐伯啓思先生の『自由とは何か』(2004年講談社現代新書)という良書があります)、昨今の騒動をみるにつけ、力不足を認めつつも考えておかなければならないことと思って、自分なりに記します。
言うまでもなく、自分以外の誰かやどこかの組織に、「あなたは自由です」と認められてようやく獲得するような自由は、ほんとうの「自由」ではありません。それは「権利」に近いものでしょう。そのような許可や認定を受けるはるか前から、我々は「自由」です。社会や制度はつまるところ人間が作った(作ってしまった)人工物であり、そういう人工物がどうのこうのという以前に、我々は自由にものを考え自由に行動できる存在という意味です。
「え? 全然、自由じゃないですよ。会社に縛られ、家庭に縛られ、全くやりたいようにやれていません」
なんて思われた方もいるでしょうが、いつ何時でもこの瞬間からでも、それらを手放し何処にだって旅に出かけることができる、つまりそれを「する・しない」のどちらかを選択をしているのはあなた自身であって、やっぱりどう考えても我々は本来的に「自由」です。したがって、極論するなら・・・などという修飾語をつけるまでもなく、すべては自らが選択した結果であり、この世のすべてにおいて誰かや何かのせいにできることなど何一つとしてない、というのは、あまりにも当たり前の事実です。これは小賢しい責任論などではなく、全宇宙の認識についての話であることに注意してください。そう、ほんとうの「自由」とは「孤独」という意味に近いのです。
昨今、責任論の類はよく見かけますが、このような認識論(言うなら、この世や人生への構え)はとんと見かけない。それではいつまでたっても枝葉、末節の域にとどまったままだろう、という苛立ちもまたこのような文章を書くに至ったきっかけですが、「自由=やりたい放題」と考えるのは、自由の対義語を「束縛」や「責任」とする考え方から生じたものです。繰り返しになりますが、それは人工物の域であり枝葉の域です。その束縛とは何か、責任とは何かと考えることこそ、我々の存在の土台の部分について意識を向けることであり-それがすなわち幹の域ですー、我々が持って生まれた本来の性質に気づくことでしょう。
「自由」を「自立」という意味合いで用いたのは福沢諭吉です。彼にとって自立とは、文字通り「自分で立つ」ということであり、自分で食って自分で生きることですから、自由とはやはり、どこか孤独な雰囲気をまとったものになるのではないでしょうか。
あぁ、もし今を生きる人々がこのほんとうの「自由」を認識したなら・・・もっとこの世はさっぱりするのだろうなと思うのです。自分の不都合や不平不満を、誰かやどこかの組織を安易に悪者にした正義論にすり替え、声高に唱えたりしなくなるでしょう。自分が弱者であることを過剰にアピールし、あたかもそのことで自分が正しい側にいるのだと考えたりもしなくなるでしょう。あるいは過剰に熱くなり、なぜみな声をあげないんだ!などと闘志を要請したりすることも。全ては自分の選択であって誰のせいにもできないのですから。
かといって、それは孤独で寂しく、極度に諦めた世界像を抱くことなどでもなく、良いことも悪いことも含めたこの世、この社会に対する覚悟にも似た受諾的態度でもって生きるということなのでしょう。「あぁ、あいつも変なことをしているが、それは自分だってあの立場だったらそうなるかもしれん・・・どうしようもないことをしているとは思うが無碍に責めることもできやしない、なぜなら自分だってそれほど正しくはないのだから。そして、歴史をみればそういうことだってあっただろうし、そういう経緯を経てこの今というものがあるのだから・・・」と。
ほんとうの「自由」の理解は、きっと味わい深い世にいたる第一歩になるのではないでしょうか。(続く)

産業用大麻の安全性のアピールと、新産業創出のための研究拠点を

キラリと光る研究科 三重大学大学院地域イノベーション学研究科

――三重大学神事・産業・医療用大麻研究プロジェクト

三重大学大学院地域イノベーション学研究科長・生物資源学部教授 諏訪部 圭太先生

~Profile~
2000年 三重大学大学院生物資源学研究科博士前期課程修了、2004年博士(学術)。2006年4月~2007年3月英国John Innes Centreマリーキュリーフェロー、2007年4月~2009年1月 東北大学大学院生命科学研究科博士研究員・日本学術振興会特別研究員(PD)、2009年2月~2021年3月三重大学大学院生物資源学研究科 准教授、2021年4月から現職。専門は分子遺伝育種学。三重県立津西高等学校出身。

カーボンニュートラルやCO2削減に向けた取組が様々な分野で進む中、ゴールドラッシュならぬ《グリーンラッシュ》の機運が世界的に高まっている。従来、麻薬との関連から敬遠されてきた大麻の、産業利用を拡大しようという動きだ。国内でも、大麻取締法等の一部が75年ぶりに改正される。神事・伝統文化の継承という課題から、大麻研究の新たな拠点作りを始めた三重大学。それを牽引する地域イノベーション学研究科の諏訪部研究科長に、きっかけや展望を聞いた。

そもそも大麻って?

 大麻は植物分類学上、アサ科アサ属の1年生の草本(学名:Cannabis sativa L. )。農学分野ではアサ、産業分野ではヘンプと呼ばれる。カンナビノイドと言われる生理活性物質を含み、植物体内で各種合成酵素を使って向精神作用がありマリファナの原料として知られるTHC(テトラヒドロカンナビノール)や、向精神作用がなく鎮痛やストレス緩和等に効果のあるCBD(カンナビジオール)を合成できる。サティヴァ亜種、インディカ亜種、ルデラリス亜種の3 種類があり、THC,CBD の含有量には差がある。 一般的に、THC の含有量が一番多いのはインディカ亜種。一方、日本で太古から栽培されてきたサティヴァ亜種は含有量がきわめて少ない。品種や系統によるTHC 含有量にも大きな違いがあり、THC が1.0 ~20% 超のものは薬用型、1.0 ~ 0.3% のものは中間型、0.3% 以下のものは繊維型と分類され、THC1.0% 未満のものは産業用大麻とも呼ばれマリファナ原料にはならない。キノコには毒キノコとそうではないキノコという言い方があるが、そのような呼び方のない大麻でも種類によってそれぐらいの違いがある。我々が研究で扱う大麻は、もちろん産業用大麻である。

きっかけは伊勢からの依頼

 わが国では古来より、大麻は神事・伝統行事においてある意味で主役だった。その茎は神社のお札、しめ縄、神職装束、横綱の化粧まわしから、檜皮葺き屋根の土台、花火の火薬、松明など幅広い用途に使われてきた。またその実は七味唐辛子やいなりずしに入れられているし、その葉は伝統模様として親しまれている【写真】。ところが第2 次大戦後、この状況は一変する。理由はさまざまだが、大麻取締法等が布かれてから、栽培は許認可制となり、麻薬成分の抽出が目的ではないにもかかわらず国の厳しい監督下に置かれるようになった。

その結果、国内農家で栽培を続けているのは2022 年で27 軒、栽培面積も7ha と少ない【図】。品種も、もともと生産地によって多種あったが、現在、商用品種は栃木県産の「とちぎしろ」しかない(これも栃木県外での利用はできない)。当然、神事や伝統行事に使う麻の多くは輸入や模造品に頼らざるをえない状況だ。

 ご利益があるとされるようなものまで輸入に頼っている状況を何とかしたい、と声を上げたのが伊勢神宮のお膝元の企業等で作る社団法人伊勢麻振興協会。伊勢麻の麻とは大麻で、協会の傘下には大麻栽培の許認可業者の一つ( 株) 伊勢麻があり、これまで細々と栽培を続けてきた。 2021 年、同会が県内で生物資源などの研究組織を持つ本学に、大麻の栽培や育種、品種改良、成分分析などについての研究協力を要請。これが産官学による『大麻研究プロジェクト』がスタートするきっかけとなった。以後、本研究科が運営主体となりつつ、2024 年4 月からは理系のみならず文系分野の学部、センターなどが結集し、大学全体で一体となって研究協力する体制を確立してきた。

分野融合、地域や産官学との連携による2大プロジェクトが始まる

 プロジェクトの一つは、きっかけとなった神事・伝統を守り支えるための農業生産基盤の確立や、産業用大麻の社会的認知を高めることを目的に、三重大学の「地域共創展開センター」の中に「神事・産業用大麻研究プロジェクト」として位置づけられた。
  第一弾として2023 年4 月には、伊勢神宮の斎王の御所とされる斎宮【写真】所在地で、古来より大麻を栽培してきた明和町を舞台に、産官学連携で麻産業の振興を目指す『天津(あまつ)菅(すが)麻(そ)プロジェクト』が始動した。これには明和町、(社) 伊勢麻振興協会他5 社2 団体、農家、農業法人、私立大学では皇學館大学が加わった。

提供:三重県明和町

また、高大連携の一環として、三重県立久居農林高等学校との共同研究を開始し、大正時代に作られ現存する物しか残っていない神事用栽培に用いる特殊な播種機も復元した。

 もう一方の柱はバイオ、生物資源や、農学の基礎研究からのアプローチで、本学に9 つある「重点リサーチセンター」の一つ「カンナビス研究基盤創生リサーチセンター」が担う。育種や品種改良、成分分析や毒性の基準づくりから、大麻の幅広い産業応用の基盤となる基礎研究の確立を目指す。
 安全・安心を保障するための基本ともいえる大麻の成分分析体制の確立も目指す。現在、国内での成分分析は、外国の分析機関にサンプルを送って依頼するか、アメリカ企業の持つ検査試薬の輸入に頼っていて、高コストで時間もかかる。また、厳正さが求められるにもかかわらず公的な分析センターもない。そこで、国際標準として使用される成分分析機を2024 年3 月に本学に導入した。この分析機の導入も非常に厳しい審査基準があり、本学に導入されたものが日本国内第1 号である。本分析機と国立大学というポジションニングを活かしつつ、早期に国の認める分析センターの設置を目指したい。
 産業応用では、これまで医療用に加えて、健康・美容のための有効成分に着目したヘンプシードナッツやヘンプシードオイルなどが商品化されているが、睡眠に関するサプリメントへの応用など、新たな知見も取り入れながら、様々な可能性を追及していきたい。
 一年草である大麻は、多くの植物の中で特にCO2 吸収能力にすぐれていると言われていて、伝統的な育種学・作物学による栽培技術の確立や品種改良、新たな品種の開発は、それだけでもカーボンニュートラル、CO2 削減に寄与する。またバイオ燃料としての期待も高まっており、関連企業との産学連携を積極的に進めていきたい。
 工学分野では、茎繊維はカーボンファイバーに負けない剛性を持ち、なおかつ軽量のため、グラスファイバーや金属に替わる車体のパーツ素材としてヨーロッパで使われ始めている。この分野では、「卓越型リサーチセンター」である「エネルギー材料総合研究センター」などと連携し、産学連携を強化していきたいと考えている。
 プロジェクトはまだ始まったばかりで、また日本には70 年を超える研究空白があるため、担当者にとっては未知の分野も多く、手探りで進めなければならないケースも多々ある。しかし世界では、産業用大麻に関する規制の見直し、その法改正が大きく進展し、取り扱いのハードルは大きく下がっている。神事・伝統の維持目的から始まり、地域貢献、さらには新産業創出までの広がりを視野に、本プロジェクトを一歩々々、着実に進めていきたい。

地域イノベーション学研究科とは

 《実社会において、専門知識に基づき、自ら社会課題を発見し、自分の頭で考え、信念を持って行動できる「プロジェクト・マネジメントができる研究開発系人材」と、「地域においてゼロから1を創造できる社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)人材」の育成を目的に、2009年に開設された文理融合(工学、バイオ、人文・社会)の大学院。教員は様々な学部から集まる。教育研究ユニットには、『工学』『バイオ』『社会』の3つに加えて、学際研究を担う文理融合型の『地域新創造ユニット』がある。専門教育を担当するR&D(Research and development)教員に加え、プロジェクト・マネジメント教育を担当するPM(Project Management)教員からも同時に指導を受けられる「サンドイッチ方式教育」と、特に地域の企業等との共同研究におけるプロジェクト・マネジメントについて学ぶOPT(On the Project Training)教育に特徴がある。また、博士前期課程には本格的な「インターンシップ研修」が必修科目として開講され、社会連携を実現する場としてコアラボも設けられている【写真】。2020年度からは、地域創生イノベーター(RRI)養成のための新たな教育コース「地域創生イノベータ―養成プログラム」が導入され、修了者は資格認定される。同年にはまた、博士前期課程地域イノベーション学専攻の正規課程が「職業実践力育成プログラム」(BP)として文部科学省に採択された。社会人にも門戸が開かれていて、2021年には特定教育訓練給付制度の受けられる厚生労働大臣指定の専門実践教育訓練講座として指定を受ける。

16歳からの大学論 「総合知」ってご存知?

 最近、学術界では「総合知」という単語がキーワードになっていることは、みなさまご存知でしょうか?

 言い出しっぺである内閣府によると、総合知とは多様な「知」が集い新たな価値を創出する「知の活力」を生むこととされています。要は、学術界にとどまらず産業界も市民も一緒になってイノベーションを起こしましょう、社会的課題を解決しましょう、というものです。少し聞くと、越境や学際の推進がミッションである京都大学学際融合教育研究推進センターに所属する私にとって、この情勢はよきことのように思われますが、私自身はそうは感じておらず、少々懐疑的なのです。

 理由の第一は、そもそも、総合でない知、個別的な知というものがありうるのかということです。今、私の目の前に缶コーヒーがありますが、これ一つとっても、様々な観点、立場からの見方、少し飛躍した言い方をすればそれぞれの「知」から成り立っている。例えば、素材や味覚、経済や流通といった、いろいろな要素から缶コーヒーを語ることができるのです。つまり、知というものはそもそも複雑な関連性の網に埋め込まれたものであり、総合知でない知などは存在しない。したがって、「これからは総合知!」という看板を掲げて何かを推進することには、ほぼ意味がないように思えるわけです。もちろん、総合知という言葉を使って言いたいことはわかります。しかし、それを推し進めるにあたり、この言葉の使用はちょっと悪手な気がしているわけです。特に、総合知の推進の中には、いわゆる理科系だけでなく、いわゆる人文系との協働も含まれているのですが、総合知という新たな言葉の安易な創出や吟味の足りない言葉の使用は、いわゆる人文系研究者にとっては言葉への配慮が少ないと感じられ、結果として彼・彼女らを遠ざけることになっていると感じます。

 第二の理由は、総合知という言葉そのものではなく、目新しいワードを掲げて何かを推進しようとするその行為に疑問があるということです。総合知!総合知!と騒ぐ以前、類似の言葉として「アンダーワンルーフ」が流行っていました。一つ屋根の下でいろんな人達が集って協同するという意味ですが、最近はめったに耳にしません。「共創」という言葉もありました。これは現在でも頻繁に見かけます。様々なステークホルダーと協働して共に新たな価値を創造するという概念「Co-Creation」の日本語訳とのことですが、これも総合知との違いがわかりません。

 違いがわからないと書きましたが、正直言って、総合知、アンダーワンルーフ、共創・・・

 これらがどう違おうがどうでもいいことと思っています。直視すべきは、これまで目新しさを感じさせる言葉を掲げて何かを推進しようとしてきたが、全く達成されていないという事実の方です。「アンダーワンルーフという看板では達成されてなかった。では、次は総合知だ!」といったように、看板だけをつけかえて何かを推進しようとしているように見えて仕方ないのです。なぜこれまでうまく行かなかったのかという深い反省のもとにことをすすめているように思えないのです。この深い反省をしない限り、アンダーワンルーフや総合知といったように何を掲げようが、それらが意味する内容は決して達成されえないと思います。

 もちろん、政策文章を読み込むとそこには反省の痕跡もありはします。しかし、そもそも根本的な「やり方」が、ここ数十年ほぼ変わっていないのですから、新しい結果を期待する方が無理だと思います。アインシュタインが言ったとされる「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」という言葉を思い出します。ここでいう「やり方」には審議会形式等も含まれますが、これらについては機会を改めて考えてみたいと思います。

 それにしても、「イノベーション」という言葉もかなり古臭く感じるようになりました。これは善きことといって大きな間違いはないでしょう(笑)。生命科学の飛躍的進展を意味したライフ・イノベーション、環境問題を一気に解決するグリーン・イノベーション等、あれだけ騒いでいましたが、いったいなんだったのでしょうね。果たして我々は、何をしたくて何をしていたのか、そしてそれは、何をしたことになったのでしょうか・・・

 こういう内省的な問いを持つことが、いや、持つこと「こそ」が、ほんとうに大事なことのように思えてしかたありません。(続く)