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京都大学総長と進学校校長座談会

文:大学ジャーナル編集部

初出: 大学ジャーナル Vol.91(2011 年 1 月)

大学が求める力、

高校で培いたい力。

大学に入ってから伸びる生徒とは

――こんな誰もが気になるテーマを軸に、昨年度に引き続き難関大学総長と全国有数の進学校校長による座談会が開かれた。今回は、大学入試や高等学校と大学との連携、いわゆる高大連携についてかなり踏み込んだ意見交換がなされた。昨年11月18日に、京都大学品川オフィスで行われたその模様を以下にご紹介します。

●コーディネータ

森上教育研究所・代表

森上 展安 氏

東京都立国立高等学校長

池口 康夫 先生

麻布高等学校長

氷上 信廣 先生

京都大学 総長

松本 紘 先生

豊島岡女子学園校長

二木 謙一 先生

東京都立西高等学校

石井 杉生 先生

千葉県立千葉高等学校長

髙岡 正幸 先生

京都大学 総長

松本 紘 先生

1942年生まれ。1965年京都大学工学部電子工学科卒業。67年同大学院工学研究科(電子工学専攻)修士課程修了。専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送など。2008年10月より現職

豊島岡女子学園校長

二木 謙一 先生

1940年生まれ。國學院大學大学院日本史学専攻博士課程修了。國學院大學文学部教授を経て、2003年より現職。

東京都立西高等学校長

石井 杉生 先生

京都大学卒業後、埼玉県立日高高等学校教諭、東京都立五日市高等学校教諭、東京都教育庁指導部指導主事、同人事部試験室長などを経て現職。

千葉県立千葉高等学校

髙岡 正幸 先生

1953年生まれ。1977年東京教育大学文学部専攻卒業。千葉県立下総農業高等学校、千葉県教育委員会高校教育課管理主事、千葉県立東金高等学校教頭、香取市立佐原第三中学校長などを経て、2010年より現職。

東京都立国立高等学校長

池口 康夫先生

1950年北海道生まれ。東北大学文学部卒業後、東京都立秋留台高等学校教諭、東京都立荻窪高等学校教諭、東京都立五日市高等学校教頭、東京都立南平高等学校校長などを経て現職。教諭として主に日本史を担当し、現在は全国歴史教育研究協議会長も務める。宮城県仙台第二高等学校出身。

麻布高等学校長

氷上 信廣先生

1945年生まれ。早稲田大学政治経済学科卒業、同大学院政治学研究科修士課程修了後、ドイツマールブルグ大学に留学。私立麻布中学・高等学校社会科・公民科教諭を経て、2003年より現職。

(株)森上教育研究所・代表

森上 展安氏

1953年生まれ。早稲田大学法学部卒業。学習塾塾長を経て、1988年私立中高入試や塾に関する情報機関「森上研究所」を設立。『中学校受験入りやすくてお得な学校』(ダイヤモンド社)など著書多数。

わが校、わが校風を語る

松本:今日は、明日の教育について語り合いたい。加えて京都大学の特色も少しばかり話させてほしい。

研究畑を歩んできた私には教育者としての経験は少ないが、教育はとても大事だと思っている。中でも高校の先生の影響は、私自身の経験からも、大学の学問へと続くという意味できわめて大きかったと思う。高校と大学とは多くの点で異なるが、連携することはとても重要だと思う。

森上:それではまず高校側から自校の紹介を。大学と高校の両方をご存知の二木先生から。

二木:40年間近く大学教員をしていたが、62歳で校長になり、これまで大学と高校の二つの立場を経験させてもらっている。外から見た大学の話は後ほどさせてもらうが、校長になってからの三つの改革を紹介して自己紹介としたい。

一つは、建学の精神の継承と特色ある女子教育の確立だ。本校は明治25年に加賀藩士の妻、河村常が女子裁縫専門学校として設立。後に高等女学校として発展し、戦後、現在の池袋の地で再出発した。武士教育、つまり武家風の日本古来の教育を、現代にどう生かすかが一つのテーマで、始業前の運針のほか、和室だけでなく、洋室にも対応した礼法などにも力を入れている。

二つ目は教員研修。より良き教育体制を作るには教師力向上をおいて他にない。そのため大学で一般的に行われているFD(教員のための教育力向上のための研修。シラバス作成、授業アンケート、公開授業などの取組を推進する)を導入、ある程度の成果を上げている。

三つ目は、生徒を元気にさせる、生徒に喜びと感動を与えるための取組の工夫だ。ほめるだけではなく、様々な発表機会を用意する。昨年はインフルエンザに負けまいと、コーラス部と吹奏楽部の200人で校歌の合同演奏を行いCDにもした。また、コーラス部は先日の全日本合唱コンクール全国大会で初出場ながら日本一(小編成の高校部門Aグループで金賞、文部科学大臣賞)になり、NHK全国学校音楽コンクールでも入賞した。

石井:わが校の校風を一言で言うと、《地方の伝統的進学校のイメージ》といったところか。ただし自由度はもう少しあると思う。高1の新入生調査では、70%近くがこの校風に憧れて入学してくる。生徒同士で多様性を認め合いつつ相互に刺激することで生まれる生徒間のエネルギーを、今まで以上に大切にして、たくましい生徒を育てていきたい。

高岡:創立132年。進学先は例年、大阪大学、京都大学で15人、一橋大学、東京工業大学が20~30人、東京大学20~30人、早稲田大学、慶應義塾大学へ合わせて100人ほど。ある京都大学出身の卒業生と先日話をしたら、京都大学の学生の鍛え方には感謝しているとして、《京都大学は単位が空から降ってくる》と、先輩から教わったという言葉を笑いながら語ってくれた。自由な学風に加えて、理Ⅱや文Ⅲ等は進振りがあり、希望の専攻に行くのに入学してからもうひと踏ん張りしなければならない東京大学と比べて、京都大学は最初から専攻が決められるのも魅力だ。それをわかっているから、東大でなく京大を志望する生徒は毎年一定数いる。

森上:現浪比などは。

高岡:約40%が浪人するが、最近は経済情勢が厳しいためか少し減っている。しかし部活は高3の夏以降もやっていて、ラグビー部は先週まで花園出場をかけて奮闘していた。結果はベスト8に留まったが、私としては、このような何にでもひたむきに取り組むバイタリティーをそのまま大学へ持って行ってほしいと思っている。

男女比は2対1だが、最近は頼もしい女子もいる。先日見学した物理の授業では、教科書もノートも開かずただ聞いているだけですべて理解しているという女生徒の存在を知った。

個性的な授業も多く、ある世界史の授業では、ビスマルクの政策だけを1時間かけてやっていた。評価は分かれるかもしれないが、私は生徒の知的好奇心を刺激するいい授業だと思っている。少しは進学指導もしなければということで、今日の午後は保護者対象の進学説明会を実施してきたが、高2の320人中、200人強の保護者が集まった。

池口:西とよく似ていて、スローガンはやはり文武両道。30年前の甲子園出場がきっかけで、ほとんど信仰に近いスローガンになった。モットーは《明朗な人、苦難に耐える人となる》で、生徒はとても明るく元気。何事もお祭り騒ぎにして楽しむ気風に充ちている。例えば今秋の大人の国高祭(ルビ:くにこうさい)には700名ものOBが集まった。新聞の全面広告をご覧になった方も多いと思う。このようなイベントは甲子園出場以来、少し異様とも思えるぐらい熱を帯びる。兄弟が西に行っている家庭も多いが、“国立はテンション高すぎる”からと、西へ行くケースもあるようだ。

校風は、多摩地区のトップということもあって、やはり地方の公立進学校のようなところがある。生徒の間では、集団主義が濃厚で、仲間意識が強い。

森上:進学先は?

池口:基本的には国公立志向で、現浪あわせて約半分が行く。早慶は、現役で早稲田が30、慶應義塾が15人ほど。浪人も同数位が進学する。

氷上:6年一貫で、途中入学なし。旧制中学の校風が今でも息づいているが、中でも創立者江原素六の教育理念の影響が大きい。

江原は幕臣で、戊辰戦争で負けた後も恭順せず、市川・船橋戦争に参加。維新後は、徳川家について静岡へ。この時代の敗者の多くが教育か宗教に道を見出したように、江原もそこでキリスト教と出会う。第一回衆議院選挙で当選して東京へ戻り、東洋英和学校(カナダメソジスト)の校長になり、その後校内に麻布中学を設立し、独立した。

江原校長の残したものは、一つには教育勅語批判で物議をかもしたように、敗者ならではの時流に背を向けた反体制の精神。もう一つは、早くから《自主》と、キリスト教的な意味合いだったが《自由》というものを掲げたこと。校是ではないが、《自由と自主、自律》は伝統で、京都大学と同じだ。私も入学式で松本先生と同じようなことを12才相手に話す。

校風からいえばもっと京都大学へ行ってもいいはずだが、東京大学と比べると実績は少ない。京都大学のアメフト部が全盛時には、それに憧れて行く生徒もいた。もちろんその系譜は今も続いている。

大学入試の問題

森上:自己紹介が一巡したところで、松本先生から問題提起をお願いできますか。

松本先生:京都大学は出来てたかだか113年だが、日本の大学の歴史そのものは古い。ハーバード大学300年、ボローニャ大学は11世紀からというが、中身は違うにしても日本にも8世紀から大学寮※1というものがあった。

日本人はもともと、このように教育に熱心な国民性だが、今の若い世代の大学や高校の選び方、また入学してからの勉強や学問に対する態度については、先生方も日頃気になっておられることと思う。情報が氾濫していて、《何をしておけば得になる》というように、昨今の生徒は先が読めている。確かに京都大学の学生は、自由の学風に憧れて入学して来ているのだろうが、実際の大学での勉強に対しては必ずしもそうなっていない。皆さん方のところはどうだろう。

塾へ低学年から通わせるなど、レールの上に子供を乗せる仕組みもこれを助長している。上手にレールの上に乗れるようにと考えて進路を決めるのだ。そしてレールから外れると落ちこぼれの烙印を押されていじめられるから、それを恐れてみなと一緒のことをする。そして大方の子は、できるだけ楽な勉強の仕方を習って利得を多くしたいと考えている。果たしてこれが正常な状態といえるだろうか。私は本人のため、日本の将来のためにこうした風潮を教育に携わる者が是正しなければならないと思っている。もちろん個々の高校や大学単独で御しきれるものではないから、お互いの連携が必要だ。

幸いなことにというか、ここ10年ほどで日本の社会の在り方が変わってきた。リストラ等に象徴されるように、いい会社へ入ったからといって必ずしも一生安泰ではなくなった。これまでの基準が通用しにくくなってくると、生徒や学生は、高校や大学の接続、同窓生や同級生との関係、そして地域社会との関わり等に関心が戻ってくる。これは教育者にとってまたとないチャンスだと思う。

森上:今の入試システムについては?

松本:こうした風潮を生んだ原因の一つには、今の大学入試がある。これまで誰もこれを根本的に変えようと言わないのが私には不思議だった。

昨今の入試は1点、2点の争いで、人間性を見ることはできない。問題もどんどん難しく、私たちでも解けないぐらいだ。大学としては疑問に思いつつも、選抜もしなければならないという悩ましい状態が続いている。

京都大学では入試制度検討委員会を作って検討を進めたいと考えている。また、教育・学生担当から分離して教育担当を専任とする理事も置くなど体制を整えた。改革の理念や具体的な方策については色々な意見があるだろう。そこはみなで議論したらいいと思う。

森上:具体的には?

松本:個人的には入学するのは易しいが卒業するのは難しい大学にしたい。一つの高校から成績上位者何人かを優先的に取るようにするのも一つの方法だろう。受験生も今よりは高校時代をのびのびと過ごせる。特定の教科だけではなく全教科の成績を見るようにすれば、真面目にコツコツ勉強する子が増えるのではないか。

もちろん入学者は多くなるだろうから、文部科学省が定員制を改めてくれることも必要だ。もちろん、所得の少ない家庭の子には奨学金を出す。ただ落第などのペナルティーは課して、決してところてん式にはしない。先ほどの《空から降ってくる》とか《入って楽な大学》などというのは、多くは今の入試に原因がある。受験テクニックだけで大学に入るには入ったが、その後伸びないような学生は卒業させないことが必要だ。

森上:得意な分野があって進路が明確な子は、早くから専門特化して伸ばした方がいいという考え方もあるが。

松本:分野がはっきり決まっている子と、まだ決めかねるから一旦入学してから考えたいという子とを分けてもいい。入試改革には時間はかかるが10年かけてでもやりたい。もちろんこれも、個々の学校、大学だけでできることではなく、本来は中教審※2などで議論すべきことだ。しかしどこもやらないなら最初は一大学でやってみてもいい。とにかく変える努力はしてみたい。いかがか。

石井・池口:大賛成、やはり国全体でやってほしい。

松本:今は来年ではなくもう再来年の準備をしているというように、入試を変えるには時間がかかる。最短でも10年はかかるだろう。しかし今、幼稚園に子どもを通わせている保護者が理解してくれれば、日本は変わる。

高校側の進路指導も偏差値一辺倒から早く脱却してほしい。今日ご参加の高校の生徒は制度が変わっても影響はないと思うが、そういう声をどんどんあげてほしい。インターネットの普及で、ますます人生が見えすぎるようになっているのはよくない、というか危ういと思う。

入試改革よりも、中身をもっと明らかに
二木:大学入試は、高校生の人生の進路を決めてしまうものだから、受験指導は責任重大だ。大学にいた時とは違う視点で見ると、ユニバーサル時代※3と第二の就職氷河期とも言える時期を迎えた今、どんな大学でもいいから入ればいいという時代ではなくなった。また就職活動を始める時期も早いから、入学時には将来の方向が定まっていて、それなりの自覚も持っていなければならない。

一方で、昭和38年卒の私の頃とは違い、今や大学の数は3倍。先生も当時は名前の知れている方が多く、威厳もあり、学生はそれをわかって入学していた。今はマスコミによく出る一部の人を除けば、一人ひとりの先生の研究内容や業績は見えにくい。最近は個人よりも共同で行う研究も多くなおさらだ。しかも科研費や競争的資金※4もこれに拍車をかけている。こうした中で適切な進路指導をすることはきわめて難しい。入試改革も大事だが、それ以前に研究の中身や業績、どんな卒業生を社会へ出しているのかを、PRのためだけでなく、大学として責任を持ってしっかり見せてほしい。そうすれば高校側も自信を持って進路指導に当たれる。

大学は本来、教員一人ひとりの顔が見えるところのはず。だからこそ、先生の背中を見て学ぶわけだし、自ら専門を深めていくにつれて先生にも負けないという気概も生まれる。それがまた学生の教育にもいい影響を与えるのではないか。

松本:就職状況が厳しいから、社会人として求められるリテラシーを養うための戦術を重視するところが増えているのは事実。それぞれの大学の目指すところにもよるが、われわれとしてはそれが本来の大学・高校のあるべき姿とは思っていない。教育本来の姿を前面に押し出すためには、やはり入試改革しかないのではないか。

京都大学にはどんな教員がいるのか、どんな研究をしているのか、大学の中身の開示については進めている最中だ。遅れていたが、やっと研究者総覧ができた。集団で行うビッグサイエンスのグループは別にして、ご指摘の通り、個々の才能を見えやすくすることは必要だ。研究者というのは、誰かの後ろをついていけば業績はそこそこ上がる。しかしそれでは本当の研究にはならない。やはり本元を務(ルビ:つとむ)のが学問といわれるように、既存のものを疑ってみることが学問の本質で、教員には常々そういう姿勢を持ってほしいとお願いしている。

ただ大学はあくまでも器、畑のようなもの。学生を種子に喩えれば、高校までに充分養分を貯えて、18歳ともなれば自分の力で伸びていくのが本来の姿だ。

その際、《自由》ということがよく言われるが、英語にはfreedomとlibertyの二つの言葉がある。freedomは「縛られない」の意で、大学ではよく権力、圧力からfreeであることが大事だとされる。しかし私は、小さい時から染みついた習慣やこびりついた考え方から抜け出すこと、あるいはインターネット上の情報を鵜呑みにしてそれに捕われないことの方がもっと大事だと思っている。じつはこの束縛の方が大きくて、それに捕われないことこそが本当の自由ではないか。そして、それができて初めて「選択できる」の意のlibertyも、意味あるものになってくると思っている。

しかし、レールの上に乗った人にはそれがわからない。常に答えは教えてもらえるもので、レールから外れさえしなければある程度満足のいく場所へ到達できると思っているからだ。しかしそれでは、この国のこれまでの豊かさや繁栄は維持できないのではないか。

真の高大連携と

教養教育、人間教育

松本:高校時代まではもっと伸び伸びと過ごすべきだと、多くの大学教員は考えている。確かに今回集まられた高校を始め、昔とは異なり大学が専門教育に重心を移したため、少し弱くなってきている教養教育を危惧し、それに取り組んでおられる高校もあるだろうが、大方の高校がそうであるとは思えない。しかし日本の将来を考えると、それでは心もとない。京都大学でも、多少の困難は覚悟で全学共通教育※5を作り直そうと考えている。

氷上:大賛成。ぜひやっていただきたい。

先生がおっしゃっていることは、中等教育、高等教育は本来いかにあるべきかということだと思う。

4年ほど前、文部科学省の高大連携委員会に私学の代表として2年間出席した。都立は戸山高校の校長であとは大学関係者。テーマは、大学の教育を高校へ持ち込む具体的方法と飛び級の二つ。しかし、本來の高大連携は今の入試制度を変えなければ実現しないと思っている私には、終始違和感があった。黙っていたことも多かったが、発言したのは「中学・高校ではやりたいことがたくさんある。大学が教養をやめた今、どこが教養教育の担い手になるのか。おこがましいが、やはり中学・高校が目配りしなければならないのではないか」ということだった。「学問は大学でやればいいが、その基礎、とくに人間教育を考えると、高校時代にやることは山のようにある。飛び級で2年で卒業してどうするのか」、と。たしかに本校からも一人は出たが、続きはいない。

松本:最近は優秀な子の中にも何かが抜けていると感じる子が目につく。幼稚園で教えてもらうようなことができないような場合もある。勉強はできるが何かが足りない。

飛び級には私も反対だ。苗木と一緒で促成栽培ではひずみが出るからだ。中学、高校時代は根をしっかり張る時期。学問の楽しみに辿り着くまでに、記憶したり論理的に考えることを通じて基礎となる学力を身につける。身体を鍛えるのと同じように、脳を活性化させるためのトレーニングを行うのは若いうちだ。

しかし今の生徒は大学の先生のしていることが見えているから、そこへ一足飛びに行きたくて仕方がない。親の誤解もある。しかし促成では必ずひずみが出る。

物理や数学などで論理的なトレーニングを行うのはもちろん、古典や漢文などにも触れることで、ある程度の教養も身に付けてから大学へ入るのが健全なプロセスだろう。

氷上:その通り。

松本:ただ、努力されようとしても、受験の二文字の前になかなか思うに任せずご苦労されている高校も多いと思う。

京都大学は教養部を廃止した。それに代わる全学共通科目は今、2600を超える講義が提供されている。全教員の中にはiPS細胞研究で有名な山中さん以外にも優秀な先生がいっぱいいて、面白い教育を展開している。しかし、今の学生に勝手に選ばせると、いわゆる楽勝科目を選ぶことも多い。そこである程度ブロック化して選択必修にすることを考えている。京都大学は自由にはさせるが勝手気ままにはさせない。世界と戦っているからだ。

池口:こんな問題もある。東京都の進学重点校政策のもとで、この高校へ入ったからいい大学へ行けるという入学段階での刷り込みをしているが、それによって文武両道のあり方が少し変質してきているような気がする。部活や行事を一生懸命にやって、「あとは大学進学実績を出せばいいんでしょう」と、結果だけが大事だと言いたげな生徒が増えているような気もする。しかしわれわれが本当に求めているのは、教養を身につけ、知性の陶冶をしっかり行うこと。だから先生方には知的探究心に訴える、面白くて考えさせる授業をしてほしいと指導している。

高岡:千葉県も県教育委員会に学力推進室があるように、県立高校においても学力向上策には力を入れている。本校ではそれとともに、真の学力向上のために総合的な学習の時間も大切にしている。一年次で生徒の興味関心に応じて選んだ課題について、主体的に2年半かけて調査研究をし、まとめ上げていく探求活動だ。人文科学、社会科学、自然科学、スポーツ・芸術部門に分かれて予選を行い、最終的には、それぞれの優秀作を全体で発表する。発表会の熱気はすごく、千葉高校ノーベル賞発表時には最高の盛り上がりを見せる。3千円程度のメダルだが、感涙に咽ぶ受賞者もいる。受賞者には、文化祭に来校した方に自分の研究を発表できる栄誉も与えられる。

授業については、ほぼ全科目履修するのが千葉高校の伝統で、3年文系でも数学Ⅲを履修するし、化学選択者は3年の秋でも実験をしている。先日は東京医科歯科大学の先生をお呼びして、1年生を対象に実験をしていただいた。医学が臨床だけでは成り立っていないことを教える等、絶えず知的好奇心を呼び覚ますような仕掛けを意識的に行っている。

松本:脳科学によれば、脳がシナプスをいかにつなぐかは18歳までのトレーニングによるという。急にはいかない。いろんなことを記憶させ、考えさせ、脳を発達させるプロセスをお二人とも《知的》と言われたと思うが、トレーニングをせずに与えられるばかりでは欠陥脳になる。欠陥脳はレールの上に乗っている時はいいが、外れた途端に機能しなくなる。

感情を刺激し、多様性を認め、いろんなことに興味を持つ多感な生徒を育てることが大切だ。進学、進学で大変でしょうが、この点は高校の先生方にぜひ頑張ってもらいたい。

大学も就職、就職で大変だ。私はどんどん落ちて来いと思っている。これまでは京都大学の名前で通るようなこともあったが、最近はそうもいかないということで、『キャリアサポートセンター』なるものもできた。しかし、かえってあたふたする学生も出てきて授業に身が入らなくなるなどの弊害も出ている。就職で受験と同じことが起きているのではないか。これは大学の本来業務をひずませるものだ。

この際、生徒のことや本来の教育について真剣に考えておられる先生方と、大学でも教育に熱心な先生とが集まって意見交換するような、真の意味での高大連携ができないだろうか。草の根でもいい。私はここ40年で日本の将来の多くが決まると思っているから、20年かかってもいいと思う。

氷上:一緒にやらないと、今は崖っぷちにいるような状態ですからね。

森上:千石さんの調査でも大変悪い結果が出ています※6。

松本:『「縮み」志向の日本人』※7から胸を張って生きる日本人へならなければ。

氷上:そうですね。

松本:成長、成長では地球は破綻してしまう※8。世界全体が今のままの成長を続けると地球があと2.5個いるという人もいる。それに目をつぶって、心の準備もしていない国民は、綻びがきた時には立ち直れない。このままでは一番先に倒れるのは日本人かもしれない。

しかし日本はこれまで狭い国土の中で、リサイクルを徹底し、少ない資源を有効利用しながら、質素倹約、足るを知るなどの節約の精神も育んできた。その点では、現在世界が抱える課題を先取りして解決してきたともいえる。

先日お目にかかった上海交通大学の学長は、「もはやアメリカから学ぶべきものはない。日本の課題解決型の技術を学ばせるために、トップの学生を日本に送りたい」と言ってくれた。西洋の《MMK》(「もっと」「まだまだ」「勝たなくては」)から新しい《MMK》(「もったいない」「みっともない」「かたじけない」)※9へ。西洋や中東にも発想の転換が必要だ。これからの世界に求められる精神文化と科学技術の両方を持っているのは日本だけ。私たちはこのことに大いに胸を張るべきだし、それを高校と大学とが手を取り合って教えていくべきだと思う。

大学で伸びる子を育てる

幅広く基礎基本のトレーニングを

高岡:昨年まで県教育委員会にいて教育行政の側にいた。夏に、日本で初めて生物オリンピックで金メダルを取った船橋高校の生徒を知事表彰する際、その生徒と話をする機会があった。京都大学へ行きたいが、当時はまだ英語が不安だと言っていたが、今春現役で合格したという。特定の科目、分野に秀でている生徒は多少欠けている部分があっても補いが付くものだと思った。

松本:確かに専門に早くから突出した人もいいが、一般的にはやはりバランスが取れていることが大事だと思う。長い目で見ると、やはりそういう学生が伸びる。特化型は得意分野で伸びきれなかった時にはどうしようもない。やはり基盤となる学力は万遍なく付けさせてほしいし、そういう意味でも、高校時代の成績で入学者を選ぶことも考慮に入れた方がいいのではないかと思う。

石井:今は入口と出口の結果ばかりが強調されているが、本校は大学に入ってから伸びる子を育てたいと考えている。しかも、社会へ出て役立つためには、高校時代にやるべきことはすべてやった方がいいという考えから、必修を多くしている。しかしこういうカリキュラムは、今の大学入試とは少し合わない。これを見て、よく「一浪カリキュラムですね」と言う人さえいる。

しかし大学へ行った生徒の評判は概ねいい。彼らの多くは、高校時代に勉強の基礎を学んだとよく言う。私も土曜日の課外講座では、京都時代に仏像に親しんだ経験を生かして『仏像鑑賞講座』を開いている。生徒は2人しかいないが、こういうことにも学校は価値観を認めているという姿勢をアピールすることも大切だと思って続けている。

大学の悩みもお聞きしたが、やはり高校でも親のプレッシャーは大きいし、そのために子どもたちの自立が遅れているのが気になる。日本の将来が不安だ。

松本:教育の効果測定は難しいが、影響度は若い時ほど大きいのではないか。

ところで学問の現状は左の図のように細分化されている。だからこそ大元が考えられることが大事で、それは若い時にどれだけ幅広いことに頭を回らせてきたかによる。専門を深めていく中で、行き詰っても戻れることが大事だが、それができるかできないかもここにポイントがある。日本をリードする人材を育てるにも、いかに全体を見渡せる力を付けさせるかがとても重要になってくる。

二木:そのためには高校までに基礎をしっかり身につけておくことが大事だ。大学は学力低下に手を焼き、入学前教育※10などで補おうとしているが、原因は高校までに「読み、書き、そろばん」をしっかりやっていないことにある。高校時代までは叩き込み、詰め込んででもやっておく。それで初めて、大学は本来求められている教育・研究に力を注ぐことができるようになる。そして判断力、企画力、人間力など、リーダーシップを発揮するのに欠かせない様々な力を養うことにも全力を傾けることができるのではないか。

松本:大学へ入るまではトレーニングですね。

二木:はい。

松本:習っていることは確かに全体の一部だが、興味のあるところから自分の頭に入れたり、多くの事柄に関して先生の言うことを聞いたりすることがトレーニングになる。どんな教科でもいい、受験のためではなく、教え込むことがトレーニングになっていることが大事で、高校の先生方にはそこをぜひお願いしたい。

仏像を見るのもいいし、美術に夢中になるのもいい。それぞれ刺激は違うが、後で他の事柄とつなぐことはできる。なぜ勉強するのかと聞く生徒に対しては、私は「学ぶことであなたの脳がフレキシブルになりますよ」と答えることにしているが、脳をトレーニングして自分で一人立ちできるようにするのが教育の基本だともいえる。

氷上:基礎基本のトレーニングはもちろん大事だが、それに加えて自分でものを考える、既存の知識を疑ってみる習慣も身につけさせたい。大学へ入ってからでもいいが、訓練はできれば早いうちからさせたい。高校レベルで求められる正解を一度はきっちり教えることも必要だが、それが変わりうるもの、疑いうるものだということも教えておくべきだと思う。

松本:プロセスの活性化もトレーニングすべきだと。

氷上:ええ。高校では大学で学問するための道具を揃えないといけないから、ドリルも絶対いる。しかしもう一つ、ものを考えるトレーニングもいる。

松本:freedom、あるいは批判する精神といってもいい。

氷上:それも早くから養いたい。

松本:中学時代には反抗期があって、生物学的にいっても、そういうものは放っておいても芽生える。その芽を摘まないようにすることだ。

氷上:私は自分から進んで討論部の顧問を引き受けている。討論はディベートとは違う。お互いに意見を交わし合う習慣を、高校生のうちからつけさせたいと思っているからだ。松本:大変重要だと思う。猿と類人猿の違いは音声だといわれているが、音声による脳への刺激もトレーニングの一つ。耳からの刺激、論理や思考のすべてが脳をトレーニングするための道具だ。中身はその都度変わっても、そのプロセスが人を作る。だから、そういう中で優秀な成績を上げられる子はどこへ行っても通用するというのが私の感覚だ。物理だけできるのではどこかがひずんでいる。

森上:最後に京都大学から一言。

松本:これまではしっかり情報発信してこなかったが、今は北海道から九州まで大学説明会も行っている。研究者の業績もインターネットで見えるようにした。ただ、高校ではいまだに「京都大学は勝手に行き勝手にやって、伸びる子は伸びればいい大学」などという認識も根強く、われわれが目指している方向とはまだまだギャップがある。

京都には街そのものに人を育てる機能がある。大都会で親元で育った子が、社会の状況が変わった時に逞しく生き抜いていけるかははなはだ疑問だ。人間はやはり思想を持つことが大事で、それは、自分はなぜここにいるのかを一人で考えることから始まる。またそのためには時間と場所も必要だ。親元を離れ、そういうことを時間を気にせず仲間と議論する。それに応えられるのが京都であったり京都大学だと思うし、そういう若者がもう少し増えてもらいたいとも思う。

たしかに東京には優れた大学がたくさんあって、今後も間違いなく多くの優秀な人材を輩出することと思う。しかしそれに頼っているだけでは日本社会はモノトーンになり、活力も失われてしまう。

仏教哲学やとがった物理、数学、また医学の先端研究など、京都大学では刺激的な学問にもたくさん出会える。大学時代、親元でそのまま過ごすのもいいが、一旦京都へ行ってみるというのも、自分を鍛えるための一つの選択肢ではないだろうか。

※1 8世紀に成立、9、10世紀で全盛期を迎える。貴族の子弟などを対象とした官吏養成のための教育機関

※2 中央教育審議会。文部科学省が設置する諮問機関。教育界を中心に委員を選び、教育・学術・文化に関する重要事項について審議する。

※3 大学生に該当する学齢人口の50%以上が大学に在籍している状態をユニバーサル段階と呼ぶ。

※4 大学に交付される経常的な補助金と区別し、公募した課題に対して出された大学や研究者、研究グループの優れた取組に対して配分される資金をいう。

※5 大学設置基準の大綱化以来、ほとんどの大学で教養部が廃止されるのに伴って、それまで教養部で行われていた語学などの基礎的な教育及びその教育組織をこのように呼ぶ。一般教育と呼ぶ場合もある。

※6 『高校生の勉強に関する調査』―日本・米国・中国・韓国の比較 2010年4月(財)日本青少年研究所(理事長 千石保)、(財)一橋文芸教育振興会による。

※7 李御寧著『「縮み」志向の日本人』(学生社)

※8 松本先生が日頃から唱えられている《生存学》―サステナビリティーを超えていくという意味からサバイバビリティーとも呼ばれる―による。人類全体が地球という星の中でいかに生きのびるかについて総合的・多角的に研究する学問。詳しくは本紙79号などを。

※9 『産官学連携ジャーナル』2010、6月号の巻頭言に詳しい。

※10 推薦、AOなどで早めに合格の決まった受験生に対して、入学前に大学が用意するプログラム。入学してから必要となる学力を補ったり、未履修科目の補習をするのが目的。

大学ジャーナル Vol.91 掲載

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