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新しい自分と出会うために

文:大学ジャーナル編集部

初出: 大学ジャーナル Vol.89(2010 年 8 月)

## 対話力を高めよう

最近は、大学の4年間を通して身につけるべきものを、学士力、研究力、就業力、社会人基礎力などと“力”をつけて呼ぶことが多いようですが、私もこの春には、卒業していく学生に「対話力」という言葉を贈りました。対話とは、議論するだけでなく互いに論点を明らかにしてそれを新しい次元へ引き上げながら、最終的にはお互いが共通認識を持つためには欠かせないもので、その力は、コミュニケーション能力の中核となるものです。

この言葉を贈った一番の理由は、これからの社会ではチーム力がこれまでにも増して重要になってくると考えるからです。企業における商品開発や企画の立案はもとより、大学や研究機関での研究開発においても、専門分化の進む今日、これまで以上にチームワークは不可欠だと思います。そもそも人は、背負っている歴史や文化、育ってきた環境がそれぞれ異なりますから、一つの問題に対しても受け止め方や対応の仕方が違います。そこでチームで何かを成し遂げるには、対話によってお互いに意思の疎通を図り、合意を形成していかなければなりません。各々の違いに気付いてお互いが認識を改め、大きく豊かな考え方を共有する必要があるのです。

対話の力を意識してほしいと考えたもう一つの理由は、学生の気風の変化です。私の所属する文学部ではゼミが必修ですが、そのゼミで、最近気になっているのは、報告者に対する質問が以前ほど他のメンバーに広がっていかないことです。ゼミでは毎回、報告者の発表に対して、先生も加わってゼミ生が質問を投げかけ、質疑応答を通じてその日のテーマを掘り下げていくわけですが、それが発表者と質問者の間だけで完結してしまうことが多々あるのです。自分の抱いた疑問に対して答えが得られればそれでよしとするのでしょうか、他のメンバーの質問やそれに対する答えをきっかけに白熱した議論に発展することが少なくなった気がします。このままでは対話の力がなかなか育たないのではないかと心配です。

私の思い描く本来のゼミ、あるいはこれまでに強く印象に残っているゼミでは、一つの質問をきっかけに対話が始まり、当初予想もしなかった大きなテーマが次第に浮かび上がって、みな時間を忘れます。あるゼミ合宿では喧々諤々、議論が深夜まで続いたこともありました。こうしたゼミでは、最後には、テーマが人生や人間の生き方にまで及ぶことも少なくありません。このような経験こそ、社会へ出てからも生きるものなのです。

## 初めに問いありき

もう一つ、大学で心掛けてほしいのが、「問い」を大事にすることです。大学では高校と違って、何でも自分から進んで学んでいかなければなりませんから、「なぜ」と疑問を持つことがなければ、学びたいことがまず見つかりません。しかしもっと重要なのは、問うことから、自分なりに答えを見つけていく過程が始まるということです。まさに、《初めに問いありき》で、極端に言えばその問いがどんな些細なものであってもかまいません。まず疑問を抱きそれを確かめたいと思うことが大事なのです。

反対に、答えを探すことを安易に考えてはいけません。辞書を一通り引くだけで済ませたり、簡単にまとめたノウハウ本を見て済ませたりするのでは、せっかくの問いが台無しです。少々まどろっこしいかもしれませんが、一つの問いに対して、手間隙かけて苦労しながら自分なりの答えを見つけることが大切なのです。実はこの過程こそ、大学でしか経験できないような知の営みであり、そこから得られるものが大学で身につけるべき「知」であるともいえるのです。これに対話を重んじることを加えれば、広い意味での教養を身につけることと言い換えられるかもしれません。

私は研究者、歴史家ですから当然かもしれませんが、気になる事象については、その原因や、そこに至った必然性を常に問います。そしてその答えを見つけるために、さまざまな史・資料に当たります。自分なりの答えの確証を得るために膨大な文献を読み漁ることもあります。そこから、これまで誰も気付かなかったような見解、オリジナルな解釈にたどりつくことができるのです。

歴史に関することでなくても、一つの事象や出来事、問題に対しては多様な解釈や見方が成り立ちます。ですから問いはどんなに素朴でも、自分なりに調べていくことで、実にさまざまな意見や主張、考え方に出会います。場合によっては自分のそれまでの見方や考え方が次々と反省を強いられるようなこともあるかもしれません。しかし、それらを付き合わせ総合していく中から、最後には自分なりの解答を見つけることができるのです。

そしてこのことはまた、今の高校生や大学生にとってもっとも大切だと私が考える、「自分のやりたいことを見つけること」にもつながってくるものなのです。

## 自分のやりたいことが見つかると強い

これまで長年、多くの学生を見てきましたが、好きなこと、自分が社会へ出てやりたいこと、やりがいのある仕事や研究を見つけた学生は、見違えるように積極的になるなど、その変貌ぶりには何度も目を見張らされてきました。反対に、多くの学生が苦労しているのもまさにこの点です。大学では授業だけでなく、課外活動、先生や友達と人間関係を深めることも大事だといわれるのも、一つにはこのためです。

私自身は、小さい頃から読書が好きで、中学、高校では歴史書に興味を持ち、大学では歴史を学ぶことを志しました。もっとも最初は日本史をやりたかったのですが、大学で講義を聞き、さまざまな本を読むうちに西洋史を専攻するようになったのですから、高校時代に大学で学ぶことを決めることは、それほどたやすくはないと思います。

ただ、高校時代から、早く将来自分のやりたいことを見つけようという姿勢や態度を持っておくことはできるはずです。私はそれだけでもあれば、大学でさまざまな経験を重ねるうちに、自分のやりたいこと、自分がやりがいを持てることに必ず出会えるはずだと思っています。反対に、ただ漠然とみんなが大学へ行くからとか、模擬試験の成績だけを頼りに入れる大学を安易に選ぶのでは、4年間の大学生活が本当に自分のためになるのか疑問です。

高校時代の成績についていうと、入学してからもそれによって自らに枠をはめてしまっている学生が少なからず見受けられるのも気がかりです。本来はもっと力がある、もっとすばらしい資質を持っているのに、なぜそこそこのところでよしとしているのか、もったいないと思うことさえあります。若いのだから失敗しても構わないし、やってみたいことなら少々背伸びをしてでもやってみたらいいのです。

かつて私たちは、ゼミの先生が何を考えているのか探ろうと、必死にその著書を読んだものです。ゼミで先生の揚げ足を取ろうと仲間と事前に作戦を練ったこともあります。今振り返ると、ずいぶん気負っていたものだと思いますが、私はこの「気負う」という言葉に少しも悪いイメージを感じません。むしろこの言葉の表す積極的な意味合いが、まさに若さを象徴しているようで好ましく思っています。大学生ならずとも、高校生ならたまには少し見栄を張って、自分の力ではちょっと読めそうもないような本でも買ってみたらどうでしょう。案外そんなところから、これまで考えもしなかったような自分が見つかるかもしれません。

そのためにもやはり、できるだけ早く自分が将来したいことを見つけることです。それが難しくても、見つけようという姿勢は持ち続けることです。それだけでも、同じ高校生活がずいぶん違ってくるでしょうし、日々の教科の勉強や受験勉強の中に、自分が将来深めてみたいテーマが潜んでいるのに気付くことがあるかもしれないのです。

大学ジャーナル Vol.89 掲載

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