高等学校「探究」の現場から その5

博士号教員と探究活動

大曲農業高等学校 教諭 大沼 克彦さん

~大沼 克彦さんProfile~
岩手大学大学院で博士(農学)の学位を取得後、生物資源研究所(現農研機構)、産業技術総合研究所などでポスドク。2010年から現職。秋田県立湯沢高等学校出身。
博士号教員とその業務内容

 秋田県の博士号教員は、平成20年度の採用から、社会人枠の博士号取得者という枠組みで募集が始まりました(宇佐見忠雄,2009, A Study on New Waves of the Teacher Adoption: 21–35p 博士号教員の活用について:平成21年5月18日秋田県教育委員会、文部科学省HP
現在は7名が県内の主要な高校に配置され、教科指導のほか「出前授業」を行っています。

 年度初めに出前授業の紹介文書を提出し、その内容、あるいはそれぞれの博士号教員と打ち合わせした内容で、博士号教員の出前授業を依頼校の授業の中で活用するというものです。内容は博士号教員に一任されているため、それぞれの博士によって特色がありますし、テーマも各人の専門にかかわる理科、工業や農業などの専門分野、環境や境界領域などもあり興味深いです。依頼もすべての校種から来ます。博士号教員の出前授業の実績は、年度や教員によっても異なりますが、平成30年度は博士号教員全体で68件、私個人、直近では年間20 ~30件ほどの博士号教諭としての出張があります。

博士教員教育研究会

 秋田県の博士号教員の最も特色ある活動は、「博士教員教育研究会」としての活動です。採用当初博士号教員は他県に例がなく、他県出身者も多いためメーリングリストを作って情報交換してきました。採用されて数年間、博士号教員それぞれが出前授業を通して秋田県の科学教育の活性化を図ってきましたが、個人でできることには限界があると感じていました。そこで集まって、より効果的な事業を企画運営するため、また協働して秋田県の科学教育の推進に取り組むため、平成23年8月に研究会を組織しました。 

発足当初から毎年実施しているのは研究発表会。県教委や企業の後援を受けて我々の主催で実施しています。この発表会の特色は、秋田県内の高校生であれば普通科、理数科、工業科、農業科などすべての生徒が参加できる点にあります。発表者には博士号教員が、研究活動のよかった点、改良すべき点を記したカルテを発行しています。

 しかし、我々が最もこだわっているのは、発表者すべてが研究者として意見を交換できる会にすることです。それぞれの生徒が、普段自分たちが学んでいることを他の生徒と教えあうことで、研究活動へのモチベーションを高める会なのです。実際に実業高校の生徒が普通科の生徒に、理数科の生徒が他学科の生徒に、授業で得た知識をもとに質疑応答する例もあり、参加した生徒や教員からも、質疑応答が活発で有意義な会であるという感想が数多く寄せられています。コロナ禍においてはオンラインで実施し、これまで13年間一度も欠くことなく実施しています。そのほか、高校生を対象とした実験講座や、ハイレベル授業の開催など、我々が科学教育を活性化できそうなことを実施してきました。この活動は他県にはない我々博士号教員によるオリジナリティ溢れる主体的な活動なのです。 

また、先に述べた出前授業は個人の授業紹介ですが、この他に博士号教員が全員で当たる探究活動の指導や、各校で実施される発表会での指導講評、また、教員対象の探究活動の指導法についての講座も提供しています。この結果、正課、課外を問わず秋田県内での探究的な学習活動は活発であると評価されています。(地域に貢献できる人材育成を博士号教員に期待 https://jrecin.jst.go.jp/
html/app/seek/html/yomimono/interview1/akita/index.html  JREC-IN Portal)  しかし、底上げと上位の引き上げはまだまだ不足しているというのが実感です。探究の授業は、教科横断型の思考力を必要とし、新たな考えを導き出す未来的思考を育てる授業形態ですが、十分に活用されていないところに課題があります。また我々の探究活動活性化の取組を小中学校にも広げていく必要性も感じています。特に課題として考えられる事象について、以下に具体的に紹介します。

探究活動の進め方

 高校生の探究活動においても、テーマ設定、仮説を立てての実験計画の立案、実験、結果の分析、考察、仮説の検証という一連の研究手順は不可欠であり、研究者のそれと変わりありません。それゆえ研究活動が未経験の高校生にとってはハードルが高く、それを指導する教員にも研究スキルが必要になってきます。実際、多くの教員は大学の卒論で研究に携わったが、指導に関しては負担を感じていると言います。私は秋田県の博士号教員として、県内の探究発表会で指導する機会に恵まれており、それに携わる教員の皆様から探究の指導について相談を受けることも少なくありません。その中で特に多いのが、生徒の研究テーマをどのように設定したらよいのか、また実験計画や実験はどのように指導したらよいのかということです。

研究テーマの設定

 最初にして最大のポイントで、多くの生徒、教員がここで二の足を踏みます。テーマ設定には大きく2通りの方法が考えられます。1つは教員がテーマを生徒に与える方法、もう一つは生徒に見つけさせる方法です。どちらにも長所短所があり、指導する生徒の学習到達段階にも依存するため、教員側が注意深く選択する必要があります。私の場合、時間はかかりますが、それがどのようなものであっても生徒から提案されたテーマについて、ディスカッションをして、その生徒が本当に何について疑問を持っているのか聞き出します。そしてできるだけ条件を絞って簡略化した実験に修正するようにします。それはインターネット上から持ってきたものだったとしても同じです。まずは予備実験としてやらせてみて、再現性の検証、条件設定の見直しを行い、結果について検証させる。すると、生徒のほうから疑問を投げかけてくることがあるので、それを本当のテーマとして取り組ませます。どうしても見つけられない生徒には、ディスカッションの中から、生徒の興味を引きそうなものをテーマとして、予備実験から始めさせます。できるだけ生徒の話の中からピックアップすることを心がけています。

実験指導

 実験指導の要点は、正しい答えを出させることではなく、生徒が安全に実験を遂行するように促すことです。間違いに気づいてもすぐに指摘せずに、「おかしくない?」と聞いてみる。それで生徒が間違っていないと言い張るなら、あえてそのままにしておきます。うまくいかなければ、生徒が気づきます。そこで生徒自身が気づいたら、実験は失敗でも、授業としては成功ですね。どうしても生徒が気づかずに放り出してしまいそうなときには、「ここ間違ってないかな?」と、指摘することもありますが、あくまでもディスカッションをしながら生徒に気づかせるというスタイルで指導しています。結果を求める指導をすると、ここを省いて教員が正しいと思っている答えを押し付ける危険があるので、時間の許す限り生徒の考えをよく聞いてみてください。生徒の表現力が不足していて教員が気づかないこともありますが、私でもハッとするくらい重要な気づきをしていることがあります。  テーマの設定、実験指導、結果の判断、考察、すべてにおいて重要なポイントは、生徒に任せきりにしないで、常に生徒の実験内容を把握し、声をかけながら生徒とディスカッションする。その上で生徒の考えを聞いて、生徒の目指す方向に進めるために必要なアドバイスをすることです。探究的な活動では、生徒が課題を見つけ出したり何かに気づいたりするような指導をすることが最も大切なことなのです。もし、生徒が実験の中で何かに気づいた時は、その驚きと興奮を共有してあげてください。どんな科目よりも生徒も教員も楽しく、夢中になれますよ。

ここまで進んだ!大学の起業家育成

――起業家育成教育で、近畿大学とiUが連携

近畿大学経営戦略本部 世耕石弘 本部長×iU情報経営イノベーション学部 阿部川 久広 学部長

日本では今、あらゆる分野、セクターでイノベーション創出が求められていて、その推進役となる起業家やアントレプレナーシップに満ちた人材の育成に力を入れる大学が増えています。そんな中、近畿大学とiUが、起業家育成教育で連携に向けて動き出しました。創立100周年に向けて、大学発ベンチャーを100社以上輩出するとする近畿大学。「イノベーターを育てる大学」「全員起業を目指す大学」をキャッチフレーズに、創設4年ながら学生起業数48社と早くも成果を出し始めているiU。その情報経営イノベーション学部の阿部川久広学部長と、近畿大学の世耕石弘経営戦略本部長に、今なぜ起業家育成教育なのかから、提携に至る背景およびその進捗状況や展望について語りあっていただきました。ちなみにiUは経済産業省の2023年の大学発ベンチャー実態調査で、起業率、起業増加率ともに一位(起業増加率は2年連続1位)【下図】。近畿大学は2022年にKINCUBA Basecamp、情報学部を開設、「2025年の創立100周年までに近畿大学発ベンチャーを100社に」の目標をすでにクリアしています。

今なぜ、大学は起業家育成教育に力を入れるのか

両大学の原点

世耕:長年かかわってきた大学広報の観点から見ると、受験生の保護者の多くが最も関心を寄せるのは就職実績、それもかつての《就職率》に代わって、人気400社などと呼ばれる大企業や有名企業への就職者数などのランキングです。

 次が公務員試験の合格者数、率、そして医学部なら国家試験合格率。そして近年は、就職事情や働き方、また社会・経済情勢の変化から起業家育成に注目が集まっています。学生数も多いが、上場企業から中小企業に至るまで社長の数が今5000人以上で、関西の大学では圧倒的にトップの近大にとってはブランディングのしやすい分野ということで、《大学発ベンチャーを100社、さらに150社に》というわかりやすい目標を掲げ取り組んでいます。そのためのシンボリックな施設KINCUBA Basecampも作った。仲間からの刺激による影響が大きい大学では、環境を用意するだけで、カリキュラムに関係なく起業家が勝手に育つというシナリオです。「近大に行ったら起業できる」と考える野心的な高校生が入学し、それが全学3万4千人の1%でも300人以上が動くことになります。

阿部川:KINCUBA Basecampには本当にやられたなって感じでした。iUの教育のミッションは、「変化を楽しみ、自ら学び、革新を創造する」(Change,Learn ,Innovate.)。「全員起業」「失敗大学」などという言い方もしますが、原点は「イノベーターを育てる大学」。イノベーターとは自ら学んでしかもなおかつ革新を創造する者、世界中からイノベーションの種を見つけてきて、それを育てることと自分のやりたいことをマッチさせる、社会課題の解決と自分のやりたいことの両方とも叶える人といってもいかもしれません。だから世界のどこへ行っても生きていける。それに一番近くてわかりやすいのが起業家で、そんな人材を育てる大学を作ろうと始めたのが本学です。

世耕:iUさんの《起業率ランキング1位》というアピールを見た瞬間、上手な打ち出しに感心すると同時に、ベンチマークにしていきたいと思いました。18歳人口が減少する中で、大学には、わかりやすい取組が、またそれを簡潔なフレーズで発信することが求められると考えるからです。

起業も就職も

阿部川:ありがとうございます。ただ、一期生のうち8割は就職、それも保護者の納得する企業に就職しています。10%が進学で、起業は10%です。ですから学生には、「起業を勉強すると起業もできるし、就職もできる。なぜなら経営マインドが育ち、自ら仕事を創り出しマネージメントすることができるから」と言っています。時期も「明日からでも、卒業してからでも、就職して3年後からでもいい」「5年10年経ってから、ふと思い返してでも良い」と。最近は、会社に入ること、社会に出ることに否定的で、大学が一番いいと考えている学生も少なくないですが、「それなら自分で居場所を作り出したら」と言ってもまだしり込みする学生もいます。ですから「学生時代には失敗してもいいから」とも繰り返し言っています。

意外な共通点

――それぞれの立地に根差したベンチャーを

世耕:大阪は商人の街で、政治に近い東京とは違って自由な発想ができるという土壌がある。また本拠地の東大阪キャンパスのある東大阪市は、中小の工場が非常に多いものづくりの街。現在は起業というと、東京の大学のスタイルが目立ちますが、東大阪のフィールドで育った学生が起業家になれば、それとは異なる形のイノベーションが起こせるのではないかとも考えています。そんな思いから、2023年に「実社会起業イノベーション学位プログラム(修士課程)」※1を開設しました。

阿部川:起業には、プレゼンが上手で、縦板に水のごとく英語で喋るといったおしゃれなイメージがありますね。でも今おっしゃるように、起業にもたくさんの形がある。本部キャンパスのある墨田区も、都内では大田区と並ぶ匠の町。古くからの中小企業が多く、鉄の加工以外にも、皮製品、シャンプー、石鹸、それから薬、繊維と製品は実にバラエティに富んでいます。ただ、今は事業継承も大問題ですから、学生たちも、iUの大きな教育の柱である「ビジネスとITとグローバル」の全てを掛け合わせて、伝統的手法を少し効率化し、世界に対して市場をアピールするなど、サポート活動にも力をいれています。板金や旋盤などは日本の技術力の高さを示すもので、逆説的ですが、ローカルなものほど世界に通用する可能性が高いと思っています。こういうことも起業家の視点を養えば見えてきますね。

世耕:起業は地元に残ってもできるということもあり、地元志向のニーズには親和性があるのもいいですね。

連携構想について多いに語る

大学界のベンチャーと組みたい。両者のリソースを組み合わせれば可能性は無限大に

阿部川:起業支援に関してiUの持っている資産は、連携企業や客員教員が多い※2という点。これをKINCUBAの活動などと融合できれば、起業の新しい分野、あるいはやり方なりが見えてくるのではないでしょうか。

世耕:iUさんはまさに大学界のベンチャーですから、私たちの人的ネットワークが少ない東京センターも含め、勉強させてもらうつもりでご一緒させてほしいですね。

阿部川:ありがとうございます。本学では来年4月から、カリキュラムの中核でもある開学以来の「実社会でのロジェクトから学ぶ」というカリキュラムにこれまで以上に力を入れていきます。各企業や団体と具体的にプロジェクトを進められる教員が集結してきていますから、学生とともに様々な企業と社会実装を目指します。うまくいきそうなものならプロジェクトごと売ることもできるでしょう。実はiUには「儲ける大学」というキャッチフレーズもあり、企業とのプロジェクトを通じて大学も教員もしっかりと儲ける。そしてその儲けを次の研究や実装の原資に充てたい。学生には、「この大学では座って待っていても何も起こらない」と言っています。自分から教員の主宰するプロジェクトに入るのもよし、もしこんなプロジェクトをやりたいというのなら教員がそのプロジェクトを持ってくるとまで言っています。1000人を超える客員教員の中には、必ず専門家やサポートできる人がいる。それに加えて近大さんの力を借りられれば選択肢はもっと広がると思います。

世耕:近大は関西で一番学生数が多く、資金も一番あるとされていて、他大学に比べると取引企業は多く、しかもみなさん学生の起業家には好意的、協力的です。また理工学部、農学部、薬学部、医学部などには起業のリソースもたくさんあります。

目玉はeスポーツ!

阿部川:ご一緒できそうなことが無限大ではないかと思えるほどあり今からワクワクします。中でもeスポーツ。iUでは来年から、eスポーツを中心に学んで卒業できるコースを始めますから、そこで先を行かれている近大さんと一緒に何かできればいいなと思いますが。

世耕:2022年に、「esports Arena」(イースポーツアリーナ)【下写真】を情報学部棟に設置し、eスポーツサークルもすごい人数で盛り上がっています。ただeスポーツで起業という発想はまだまだ少数。ゲームが好きでたまらない学生のうちの何人かが、就職を考える際にでも起業を考えてくれれば面白いと思いますが。

阿部川:そうですね。eスポーツは野球やサッカー同様、周りにビジネスチャンスがたくさんある。プレーヤーのマネージメントからトレーニング場所やリーグの物品販売まで。うちの学生たちは、ゲームにも一所懸命ですが、ゲームをビジネスにしたいというマインドが強い。学生がiU eスポーツ株式会社を今春作りましたし、来年度から始める「eスポーツの概論」も、内容はビジネスよりです。こちらからビジネスのアイデアをいろいろぶつけさせてもらえば、今まで全くなかったビジネスやeスポーツの会社ができそうですね。

一般教育科目のオンデマンド化を一緒に増やしたい

世耕:他に本学のリソースとしては、コロナ禍に構築した「KICS(KIndai Creative Studio)オンデマンド授業」があります。一般教育科目を集めたもので、今は対面授業との併用ですが、学生の人気は高い。

阿部川:うちは客員の方々による30分動画などをオンデマンドで提供していますが、今後はさらに増やしていきたい。われわれとしてはさらに、学生の自主的な取組なども単位化もしたい。例えば年に1回の大イベント、「ちょもろー」※3の企画スタッフをこなしたとか、その他のイベントの企画などに1単位、さらには、将来的には起業したら単位を与えるなどを考えています。

高校生、保護者へのメッセージ

阿部川:自分で考えて自分で道を切り拓いていく人生が、やはり一番楽しいと思いますから、そのように考えている若者に、様々な機会を与えたい。ここ5年はそのために必要なものを用意してきましたが、今後はそれを近大さんと連携してさらに増やしていきたいと思っています。

世耕:大学のPRとしては、「起業するなら近大へ」というわかりやすいメッセージを出していきたい。かつiUさんとは東と西で分かれていてバッティングすることはありませんから、連携を深め、伝統的な大規模総合大学がベンチャーであるiUさんと組むことで、自分たちもベンチャーマインドを大切にしていることをアピールできたらと思います。

お二人:西の近大、東のiUと呼ばれるように頑張りましょう。

※1養成する人物像として以下が挙げられている
1.スタートアップ・アントレプレナー研究シーズと社会ニーズや課題をマッチングさせ起業できる人材
2.イントレプレナー(企業内起業家)企業における社内ベンチャーやプロジェクトリーダーとして新事業・新商品開発の活性化や改革に貢献できる人材
3.アトツギベンチャー起業家事業承継のノウハウを備えた人材
4.ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)NPO・NGO立ち上げ、グローバルな社会的課題の解決に挑戦できる人材
5.ポリシー・アントレプレナー(政策起業家)革新的な公共政策を立案できる人材。
※2 iUには客員教員が1,100名以上、また研究機構のBlab(大学・研究所、企業、行政、地域、個人を巻き込んだオープンな参加型研究プラットフォ―ム)には1,200名の研究員がいる。
※3『ちょっと先のおもしろい未来 –CHANGETOMORROW-』の略。サテライトオフィスがあり「デジタル×コンテンツ」の集積地を目指す港区竹芝で2021年からスタートした。ポップカルチャーとテクノロジーの未来が体験できるイベントで、本年は35,000名以上が来場した。

両大学の起業家を紹介します
私たち起業しました!

左から、小松田(こまつだ) 乃維(のい)さん、福島(ふくしま) 翔(と)和(わ)さん
KINCUBA Basecampにて
左から、東(あずま) 徳人(かつひと)さん、余野 桜さん、細見(ほそみ) 朋暉(ともき)さん
「自分の居場所は自分で作る」

小松田(こまつだ) 乃維(のい)さん:iU情報経営イノベーション学部4年

株式会社 Raccot 代表取締役 (2024年2月設立―大学3年次) 資本金500万円 従業員 4名(うち業務委託2名)
事業内容:全国の学生に向けたオンライン・ハイフレックス型インターンシップのマッチングプラットフォーム「ReMova」(リモバ)の運営

小学校3年生の頃から体調不良などで、あまり学校に通えなかった。両親ともに自営業であったことから、出社するイメージもなかったため、朝9時から夕方5時まで会社で働くことは考えられず、「起業するしかない。自分の居場所は自分で作ろう」と思っていた。高校時代は、アメリカの高校への留学などと進路を模索するが、コロナ禍で帰国。帰国した後は・、東北大学の学生が起業した塾で勉強した。塾が入っているビルにはコワーキングスペースがあり、起業した学生が生き生きと働いていたうえ、そこの運営者が起業に関する情報をくれたので、学生起業への希望が見えた。高3の10月に「起業」「東京」「新しい大学」のワードでネット検索をして、iUを見つけ、入学。
 大学1年生の10月から「早稲田スタートアップサークルWit」に入り、2年生の5月から3年生の10月まで代表を務めた。この時の経験などを元に、3年生の2月にキャリア支援事業の会社を作った。主な事業は企業と学生をつなぐ「オンラインインターンシップのマッチングプラットフォーム」の運営だ。今はまだスモールビジネスだが、今後は事業の軸となるシステムの開発にも取り組んでいく。今後は大学院で研究し、科学的根拠に基づいて、自己実現を諦めない人を増やしていきたい。


「推しの力で世界中の心を動かしたい」

福島(ふくしま) 翔(と)和(わ)さん:iU情報経営イノベーション学部卒(東京都市大学等々力高等学校出身)

株式会社 推しメーター 代表取締役/CEO (2022年9月設立―大学3年次)
資本金 27,753,359円(累計資金調達額約5,500万円)
従業員 13名(うち5名はeスポーツの選手)
事業内容:推し活のコンサルティング、他に5事業を展開

 祖父と父が柔道整復師で、接骨院を開業していたため、小学4年生の頃には「サラリーマン以外の仕事をしたい」と漠然と思っていた。高校時代に「将来、社長になるんだ!」との想いで、「マイナビキャリアコンテスト」などのビジネスコンテストに参加する過程で、iUの存在を知る。起業をテーマにした新設大学にほれ込み、1期生として入学。
大学3年次のアクセラレータープログラムでスタートアップ精神を学び、実務実習の最中に、大学関連のベンチャーキャピタルからの資金提供を受けて起業した。在学中だったため、登記会社の所在地は大学の住所だ。今春卒業したが、現在も大学の部屋をオフィスとして使用している。
 高校時代はアニメ、漫画、ゲーム、VTuber、アイドルなどのエンタメから元気をもらい、なんとか学校に通っていたため、「エンタメ業界に恩返ししたい」「エンタメに触れて元気になり、外出できる子どもを増やしたい」との熱い想いが原動力となった起業だ。事業内容は、推し活コンサルティング事業、法人向けバーチャルアバタ―制作事業、推し活ユーザーが集まるアプリ「推しMAP」の運営、eスポーツチーム事業、企業のアプリ・Webサービス開発運用保守をサポートする事業と多岐にわたる。推し活コンサルティング事業としては、星野リゾートとコラボして、ホテルに推し活を楽しむための「推し活ルーム」をプロデュースし、好評を得た。エンタメで元気になる人を増やすため、エンタメを楽しむ喜びを最大限に味わってもらうために、上場も視野に入れている。


「家族に社会に笑顔を届ける」

余野 桜さん:近畿大学国際学部卒(四天王寺高等学校出身)

グーイー株式会社 代表取締役 (2023年3月設立) 資本金 410万円
従業員 8名(全員パート)
事業内容:無添加焼き芋スイーツ専門店「YonoImo(ヨノイモ)」を展開


「わくわくすることをしよう」

東(あずま) 徳人(かつひと)さん:近畿大学実学社会起業イノベーション学位プログラム(修士課程)2年 (福岡舞鶴高等学校出身)

Boo Boo Factory株式会社 代表取締役( 2023年8月設立)
資本金 100万円 従業員 2名
事業内容:オリジナルルアーを製作する釣り具メーカー。ビッグベイト、ジャイアントベイトを独自にデザインし、3Dプリンターを使って製作する。

 オリジナルルアーを製作する釣り具メーカーを起業。ビッグベイト、ジャイアントベイトを独自にデザインし、3Dプリンターを使って製作する。浪人時代、自分にとって大切なものとは何かを真剣に考え、幼い頃から親しんできた釣りこそが本当にやりたいことだと気づく。大学3年のとき、近大の起業支援をたまたま知り起業する決心を固めた。昨年の10月から販売を開始して、今年の2月時点ですでに100個以上売り上げている。将来的には業容を拡大して釣り具の総合メーカーを目指す。型にはまりがちな業界を変え、自分たちで新しいものをつくりだしたい。


「身体に特化したトレーニングでスポーツ界に革命を」

細見(ほそみ) 朋暉(ともき)さん:近畿大学経営学部会計学科3年(初芝立命館高等学校出身)

株式会社Topas 代表取締役 (2023年11月設立)
資本金 20万 従業員 なし
事業内容:トレーナーと提携し、幼少期の野球少年とその保護者に対し、「栄養・フィジカル・メンタル」に特化したトレーニング指導をオンラインで行う。

トレーナーと提携し、幼少期の野球少年とその保護者に対し、「栄養・フィジカル・メンタル」に特化したトレーニング指導をオンラインで行う。もともと精神的な持病を抱えて心療内科に通っていたことがあり、その時は「普通に働くことは難しい」と担当医から言われ、また自分自身も無理だと自覚していた。どのように生きるか悩んだところに、近大の起業支援プログラムができたことを知り起業を決意した。選手が自立的に自分の心身をケアでき、保護者が選手のために適切なコーチングを提供できるようになることをミッションに掲げている。

どうなる大学・高校の英語教育?

対談

――生成AIの登場は新たな改革議論を巻き起こすか

京都大学准教授 金丸敏幸×滋賀県立伊吹高等学校英語科教諭 南部久貴

大学における英語教育のあり方については、大学入試制度とともに長らく議論の対象となってきました。大学入学共通テストへの4技能評価の導入は立ち消えになった今、生成AIの登場は次の議論を予感させます。大学や高校の現場で英語教育に携わるご両人に、大学・高校の英語教育およびその結節点となる受験英語についてお聞きました。

京大一回生用の『英語ライティング』のテキスト(教師用)。2020年からオリジナル制作になった。
教育現場でのAIの活用

金丸
生成AIは英語の基礎の習得には不向きですが、応用や実践の場では大いに役立ちます。AIと対話することで、これまでとは違った方法で英語力を鍛えることができますから、特に大学生や社会人にとっては、数年後には一般的な学習手段になるのではないでしょうか。AIは学習者のレベルやテーマに応じて柔軟に対応できるため、例えば、AIとコミュニケーションする中で、学生が自ら発信したいことを工夫すれば、英語を「使う」力を自然に養うことができます。

南部
私の高校では、主に英作文のフィードバックで生成AIを活用しています。以前は、生徒が手書きで提出したものに教師がフィードバックしていましたが、今はAIと生徒の間の対話でそれが成り立ちます。生徒が課題を提出すると、AIがその内容の単語や構文の誤りを訂正し、ある程度意図をくみ取って応答してくれるため、個別対応がとても楽にできるようになりました。ある時、生徒が「siatre」と誤入力したものを、AIが「theatre」と訂正したのには驚きました。まるで生きているかのようですね。

金丸
AIを使うことで、インプット量を増やすこともできます。中学校や高校では、英語のやり取りをALTの先生に頼る部分もありましたが、生成AIの導入で一人の生徒が英語と触れ合う機会はより増えるでしょう。一人ずつにALTの先生がいるようなものなので、英語でやり取りするだけでなく、自分の使う英語について質問したり、訂正してもらったりすることも可能です。この延長線上で、大学では自分から英語を「使い」、「学ぶ」という姿勢で英語学習に取り組むことが大事になっていきます。

南部
AIのおかげでワークシート作成などの事務的な負担が軽減され、10分休みの時間に次の授業の準備ができるようになったことも大きいですね。今後、生成AIでベテラン教師のノウハウを再現できるようになれば、新人でもベテラン同様のクオリティの高さで授業を提供できるようになるかもしれません。

大学、大学入試と英語教育

金丸
高校で進化した英語教育を受けたにもかかわらず、大学に入った途端にこれまでの英語教育に戻るようでは学習者にとって不幸です。大学側は現在の教育を、指導や制度の面でもアップデートする必要があります。これから大学に進学する生徒たちはAIネイティブ世代と呼ばれるでしょうが、彼らに合わせたやり方や生成AIなどの技術を考慮して、英語スキルを上げていかなければならないでしょう。大学入試の内容も、高校の教育方針と連携しながら再考することが必要かもしれません。

南部
大学入試は高校生の学習を大きく左右します。日ごろのスピーキングやライティング対策に生成AIはとても有用ですが、入試を意識すると、受験英語に特化した学習も避けられません。生成AIを活用しつつ、受験に必要な知識や対策も取り入れるバランスが必要で、高校現場での指導のあり方もこれからさらに問われていくでしょう。

【2024年5月26日@京都大学金丸研究室】

南部久貴の新刊

第6回 杜の都の西北から

進むか、キャンパスの全面禁煙

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員

小松 悌(やす)厚(ひろ)さん

~小松 悌厚さんProfile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

喫煙が健康に及ぼす影響は多岐にわたる

 厚生労働省「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」では、喫煙とがん、循環器疾患、呼吸器疾患、2型糖尿病、歯周病の因果関係について、推定するのに十分な科学的根拠があるとして「レベル1」に判定されている。報告書は、疫学研究の成果から、未成年者や若者の喫煙はニコチン依存性が重篤化し、生涯喫煙量も増加するため、死亡や疾病発生リスクが増加すると警鐘を鳴らしている。未成年者や若者に対する喫煙対策の重要性は、教育機関も社会的責務を負っていると言える。

 喫煙は喫煙者本人だけでなく、周囲の人々にも「受動喫煙」による被害をもたらす。検討会報告書によれば、受動喫煙と肺がん、虚血性疾患、脳卒中、小児喘息の既往歴に関しても「レベル1」に分類されている。  近年では、若者の喫煙防止や公共の場所における受動喫煙防止策を含む喫煙対策が、世界レベルで進められている。その中で世界保健機関(WHO)の貢献は無視できない。WHOは「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(FCTC)」を起草し、2003年に採択に導いた。FCTC第8条は、締約国に対して立法・行政などを通じて、公共の場所における受動喫煙防止措置を講じることを求めている。FCTCの発効を受けて、WHOは定期的に各国のたばこ対策の推進状況を評価(MPOWER)している。FCTC8条の項では、病院や学校など、8種類の公共の場について「包括的な禁煙措置」を講じている国・人口は、2007年には10か国・2億4400万人だったが、2022年には74か国・21億人に増加しているという。

日本における喫煙対策の進展

 日本はまだ「包括的な禁煙措置」を講じている国とはなっていないが、世界的な潮流を踏まえ、国内の法制度を順次整備している。FCTCが輪郭を見せ始めた2002年、日本でも健康増進法が施行され、公共施設における受動喫煙防止が推し進められた。また、同法に呼応して労働安全衛生法等の規定も都度整備されている。さらに、東京オリンピックを控えた2018年には健康増進法が大幅に改正され、学校や病院など、受動喫煙により健康を損なうおそれが高い者が主として利用する「第1種施設」とされ、同施設では原則として全面禁煙が義務化され、大学もその対象となった。改正健康増進法の施行を受け、多くの大学が屋内喫煙所を撤廃し、キャンパス内全面禁煙化に向けて舵を切った。しかし大学の中にはキャンパス内全面禁煙に踏み切れない大学もある。大学による対応にはばらつきがある。

 厚生労働省の「喫煙環境に関する実態調査」によると、2019年度に「敷地内全面禁煙」を達成している大学は41.8%だったが、2020年度には60.4%に急増した。しかし、その後は漸増に転じ、2021年度には65.8%、2022年度には67.3%にとどまっている。

 調査結果からは、いまだに3割以上の大学がキャンパス内に喫煙所を設置していることがわかる。その理由は以下による。改正健康増進法では、第1種施設の全面禁煙を原則としているが、その例外として法令の要件を満たす「特定屋外喫煙所」は設置可能となっているのだ。もちろん国として推奨しているものではない。また、喫煙所を設置している大学についても、喫煙に寛容だからというわけではないだろう。むしろ、完全禁煙にすると、大学周辺の道路や公園で学生が喫煙を繰り返し、周辺住民とトラブルになる事例もあることを懸念して、特定屋外喫煙所を設置している例が多いのではないか。  一方で、長期的な計画を立案し様々な施策を総合的に推進することによりキャンパス内全面禁煙を成し遂げた大学もある。中には、医療サポートやカウンセリング、教育・啓発活動、教職員によるパトロールや服務強化など、根気強く教職員が全学的に取り組みを進めた結果、全面禁煙に辿り着いたという例もある。きめてがあるわけではないのだ。健康増進法の趣旨を踏まえれば、キャンパス内完全禁煙100%が望まれるが、この問題に対する大学の苦悩はしばらく続くことになるだろう。

参照・引用した資料・ 厚生労働省「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」2016年。本報告書では、米国公衆衛生総監報告書に倣い,喫煙と疾患等との因果関係を 4 段階で判定している。 レベル1は「科学的証拠は,因果関係を推定するのに十分である」としている。・ WHO Report on the global tobacco epidemic 2023 p51-55・ 厚生労働省「喫煙環境に関する実態調査」の調査結果(令和元年度から4年度)

金融リテラシーと経済学的思考を身に付けよう

経済的に安心できる人生を送るために

京都産業大学 経済学部准教授 関田 静香先生

関田 静香先生 ~Profile~
2001年長崎大学経済学部卒、2004年大阪大学大学院経済学研究科修了(応用経済学修士)。2007年応用経済学博士。日本学術振興会特別研究員、大阪大学社会経済研究所特別研究員を経て2011年から現職。鹿児島県立大島高等学校出身。

「貯蓄から投資へ」の流れや成年年齢の18歳への引き下げなどから、将来の経済的自立や、学生が金融トラブルに巻き込まれないための金融教育への関心が高まっています。地方銀行員として投資信託※1に出合ったのをきっかけに、日本人の金融リテラシー※2に興味をいだき、経済学研究の道を歩まれてきた関田先生に、金融リテラシーや金融教育について、また所属される経済学部での学びについてお聞きしました。

※1 投資家から集めたお金をひとつの大きな資金としてまとめ、運用の専門家が株式や債券などに投資・運用する商品で、その運用成果が投資家それぞれの投資額に応じて分配される仕組みの金融商品((一社)投資信託協会)。
※2 「経済的に自立し、より良い生活を送るために必要なお金に関する知識や判断力のこと」(政府広報)。

地方銀行員から研究者に

 私は大学で経済学を専攻し、卒業後は地元の地方銀行に入行しました。地元に戻れば親が喜ぶと思ったからです。当時銀行では、私が入行する3年前の1998年12月から投資信託の窓口販売が可能になり※3、勤務先でもその販売に乗り出していました。しかし、先輩たちからは「投資信託は、定期預金と違ってリスクがあるからとお客さんが買ってくれない」という声をよく耳にしました。

 「投資信託は儲かるかもしれないのになぜみんな買わないのだろう?」、そんな疑問から私は、日本人の貯蓄行動や資産選択行動についての本や論文を読み始めます。そこでわかったのは、日本では他の国に比べ投資を避ける傾向が強いということでした。  これは金融教育に力が入れられておらず、個々人の金融リテラシーが低いことが原因かもしれないと思った私は、それを検証できるデータを探しましたが、なかなか見つかりません。そこで、それなら自分で研究するしかないと、入行から半年で銀行を辞め、大学院へと進学しました。

※3 1997年に日本で提唱された金融システム改革(イギリスの金融ビッグバンをモデルにしたため日本版金融ビッグバンと呼ばれる)によって、銀行、証券、保険の垣根が取り払われたことによる。

どこを探してもない!日本人の金融リテラシーのデータ

 ところが大学院に入ってわかったのは、日本国内では金融リテラシーの個票データ※4が存在しないことでした。データ収集のためにはアンケート調査をしなければならないのですが、当時のアンケートは、郵送調査が主で、コストが高く、個人で行うことはなかなかできません。仕事を辞めてすぐにこんな状況に直面してしまったのは若気の至りでしたが、若かったから楽観的でもあり、まずは研究に必要な理論やデータ分析の手法などを勉強しようと方針を切り替えました。

 転機は、博士号取得後、卒業した大学院に研究員として戻ってから訪れます。博士課程の指導教員がまだ在籍しておられ、ご自身がメンバーとなっている研究グループが実施するアンケートの中に、金融リテラシーに関する項目を入れて下さったのです。集まったデータはまさに日本初。私はそれを利用させてもらうことで、漸く金融リテラシーの研究をスタートさせることができました。10年越しで夢が叶ったのです。 ※4 金融リテラシーは通常、アンケート調査の回答者に、金融知識を問うような質問をすることで測られる。また、知識に加えて、態度や行動などによって測る場合もある。

日本だけではない、世界的にも低い金融リテラシー。金融教育は世界的な課題

 大阪大学社会経済研究所が実施した「くらしの好みと満足度」調査のデータを分析すると、やはり日本人の金融リテラシーは十分とは言えないことが分かりました。とはいえOECDの国々と比較して著しく低いわけでもありません。国民の金融リテラシーの低さは世界各国が抱える問題で、世界中の研究者が金融教育充実のために力を注いでいます。

 日本の場合、高校以下の金融教育は、家計管理や生活設計などの観点から家庭科が担ってきました。しかし近年は、クレジットやリスクのある金融商品も取り扱う必要が出てきたため、数学的な要素も含め扱う領域が多岐にわたるようになりました。これは家庭科を専門とする教員にとって負担が大きすぎるとの声もあり、金融広報中央委員会や金融庁などが動画教材を提供するなどして支援を行ってきましたが、まだまだ工夫の余地があるとも言われています。  なお、あらためて紹介する必要はないかもしれませんが、金融リテラシーの測定に用いられる問題(右コラム参照)の多くは、お金に関連する国語と算数の基礎的な問題とも言えます。以前に行った研究では、国語や算数の力のある人ほど金融リテラシーも高い傾向にあるという結果を得ており、改めて基礎学力が大事であると実感しています。

経済学部ではどんな授業を?

 私は2年次の専門科目の授業では『日本経済論』を教えています。経済学的手法を使って、日本の戦後の高度成長実現の要因から、バブルとその後の長期停滞、他にも、財政、金融、貿易、環境など、様々な側面から解説します。学生が昔の日本の様子を想像しながら学べるよう、例えばNHKのドキュメンタリー映像を用いて高度成長期の生活から集団就職の様子なども見てもらいます。具体的な映像を前に、都市部への労働移動が日本の経済成長にいかに影響を与えたかを語ると、学生たちは「過去があって、今がある」ことを実感してくれます。また、バブル崩壊後の銀行業界の変遷や、当時の汚職事件なども取り上げ、将来への教訓としてもらっています。

 2年次秋学期からのゼミでは、日本経済論をテーマに経済成長、財政、金融、労働、社会保障など幅広いトピックを扱います。指導面で重視しているのは、経済情報のたゆまぬ収集。日本経済について理解を深め、研究成果を論文にまとめるには、常にアンテナを張り信頼できる情報を集め、自分なりに分析することが重要だからです。最初のステップでは、日本経済論の教科書を使って基礎を固めるのに加えて、関連する新聞・雑誌記事に目を通す習慣を身に付けてもらいます。またゼミ生同士で、集めた情報を共有したり、読んだ記事についての感想や意見を発表しあったりもします。ちなみにゼミで身に付ける力として私は、 

①「経済理論」を用いて物事を考えられるようになる。②経済情勢に常にアンテナを張ることができる。③データ収集・分析能力を身に付け建設的な議論をすることができる。④学術論文の読み書きができる。⑤プレゼンテーション能力を身に付ける、の5つを目標に掲げています。

 なお、特に力を入れて研究している金融リテラシーについては、日本経済との関連で卒業研究したいという希望があれば、既存の研究の紹介からテーマ設定まで、丁寧に論文指導する用意もあります。   経済という言葉は、「経世済民」を略したものであり、「世を経(おさ)め、民の苦しみを済(すく)う」という意味です。それを学問としているのが経済学ですから、「世の中学(ヨノナカガク)」と表現することもできると思います。経済学部では、学生が将来、世の中のあらゆる課題解決にたずさわり活躍していけるよう、「現代社会」「ビジネス経済」「地域経済」「グローバル経済」の4つのコースを用意し、2年次から実践的な学びを提供しています。また、秋学期は月に4回程度、企業人(実務家)を招いて、実際の企業活動について聞く特別講義「経済人特別講義」なども行っています。産業構造の変化、直接投資、企業統治、脱炭素への対応、規制緩和など、座学だけではなかなか理解しにくいようなテーマも、経験者の話を聞けば実務的な側面も含め理解が深まると好評です。


「金融リテラシービッグ3」(利子計算、物価変動、リスク分散)の中から、リスク分散の問題に挑戦

問:次の一文は正しいでしょうか
一般的に言って、一つの会社の株式を購入することは、株式投資信託を購入するよりもより確実な収益が得られる。

答:間違っている。

解説:株式投資信託とは、複数の会社の株式に投資する金融商品をイメージしてください。この質問に答えるには、分散投資の概念が必要ですが、以下、関西学院大学の梶井厚志氏と東京大学の松井彰彦氏の書籍の内容に基づいて説明します。

 今、200万円の資金をもとにA、B2社の株式を買うことを検討しているとします。現在、2社の株価はどちらも1000株あたり100万円で、来年の株価は50%の確率で2倍になり、残り50%の確率で半分になるとします。また、購入したら1年後までは売買しないものとします。

ケース1:手元資金200万円を全てA社の株式に投資する。期待収入は、400万円×0.5+100万円×0.5=250万円。

ケース2:手元資金の半分をA社の株式に、残りの半分をB社の株式に投資する。期待収入は、両社の株価が共に2倍になる、両社の株価が共に半分になる、片方の株価が2倍になりもう片方の株価が半分になる、という3つのシナリオを考えます。すると期待収入は、

400万円×0.25+100万円×0.25+250万円×0.5=250万円。  どちらも期待収入は250万円で同じですが、ケース1では資金が半減するリスクは50%、ケース2では25%(資金が2倍になる確率も50%から25%に減っています)。資金を一つの投資対象に全て投資した場合と、2つの投資対象に分散投資する場合、期待収入は変わらないのに、分散投資の方がリスクは減少します。つまり、冒頭の質問の答えは「間違っている」ことになります。

自由の校風・学風で育てる女子学生・女性研究者

京都からの発信

京都大学女性副学長と首都圏女子進学校校長は語る

出席者:桜蔭中学校高等学校 理事・教務主任井上 瑞穂 先生、女子学院中学校高等学校校長鵜﨑 創 先生、フェリス女学院中学校・高等学校校長阿部 素子 先生、豊島岡女子学園中学校・高等学校校長竹鼻 志乃 先生
京都大学男女共同参画担当理事・副学長稲垣 恭子 先生

【2024年8月27@京都大学東京オフィス】

長年この時期に行われてきた京都大学総長と首都圏進学校校長座談会企画。コロナ禍での中断以降途切れていたが、この度、女性副学長・理事と、首都圏女子進学校校長・理事との座談会が実現した。テーマはダイバーシティ推進の一環である、大学の学生および教員の女性比率向上とその支援の在り方。前段では中等教育における女子伝統校の教育の一部も紹介する。

女子枠、女性枠を超えて。
京都大学理事・副学長と、首都圏有名女子校校長らが語る
中高大における女子の育て方と女性活躍支援

森上(森上教育研究所所長)
近年、旧帝国大学から続く国立大学においても、学生・教員の女性比率を高めようという動きが目立つ。入学者選抜でも、東京大学の推薦入試での男女別定員や、一般入試における女子枠新設などが始まっている。京都大学も2026年度入学者のための特色入試で、理学部、工学部が女性枠の設置に踏みきるようだ。 本日は、大学につながる中学・高校教育の中で、長年、質の高い女子教育で定評のある首都圏私学4校のみなさんにお集まりいただき、京都大学理事・副学長との座談会を開催させていただきます。各校それぞれ、設立母体は異なるものの、《自由》や《自主》、自立(自律)の校風や教育理念には相通じるものがあると感じています。まずはお集まりの高校の先生方から、ご自身の学校の特徴と、中学校の段階で選ばれた生徒さんを、どのように教育されているのか、その一端についてお聞かせ下さい。

森上(森上教育研究所所長)

Ⅰ 首都圏女子校の今

鵜﨑(女子学院中学校・高等学校校長)
本校は、今年で創立154年を迎えます。生徒の自主性を重んじ自由な校風の中で、聖書の教えの下、自立した女性の育成を目指してきました。校則はなく、多くのことは自分で決めるというのが基本方針。好奇心の強い生徒が多いため、知識の詰込みではなく、様々な体験による教育を重視し、文系・理系を意識せずに自分の将来を思い描き、大学で学ぶべきことを見つけてもらっています。個を大切にする教育を徹底しているから、校内では競争よりも協働、互いに助け合い補い合うことを大切にし、競い合うのではなく、個々の特性を認めあって学んでいく姿勢を育んでいます。

女子学院中学校高等学校校長 鵜﨑 創 先生

井上(桜蔭中学校高等学校理事)
本校は、今年で創立100周年を迎えたが、創立以来、時代に適応した学習と道徳の指導を通して「礼と学び」の心を養い、品性と学識を備えた人間形成を教育理念としています。「理想の女子教育を実現し、社会に恩返ししよう」という創立時の情熱を忘れずに、中・高六年の一貫教育で、人を思いやる心を大切に博(ひろ)く学び、自律する女性を育成したい。これからも自らの主体的な活動を通して自己を確立し、多方面で活躍できる女性を社会に送り届けていきたいと考えています。

 ちなみに個々の成長を促すという意味から通知表は出しますが、他人と比べるという意味での順位は出していません。

桜蔭中学校高等学校 理事・教務主任 井上 瑞穂 先生

竹鼻(豊島岡女子学園中学校・高等学校校長)
女子裁縫専門学校からスタートして132年目。現在も毎朝8時15分から5分間、全校生徒が運針をしている。第一志望で入学する生徒ばかりではないので、豊島岡で良かったかもと、自分に自信を持ってもらうところから始めている。自信がなければチャレンジできず、ひいては女性が輝く社会の実現も遠い。社会へ出れば様々な試練が待っているだろうから、高校、大学の間は自信を持って自分の可能性を広げるためにチャレンジしてほしいと思っている。

競争というか、運針の時間を使った全校一斉の英単語や漢字の月例テストなど、課題はたくさん与えています。受からないと追試があり、朝7時45分から来ないといけないからみな必死です。

鵜﨑
本校も、中学生にはかなり手厚く指導しています。

阿部
(フェリス女学院中学校・高等学校校長)本校は、アメリカ人女性宣教師によって154年前に建てられた学校です。以来ずっと大切にされてきた教育理念は、「For Others」。六年一貫で自由と自律を尊重する教育を通して、「他人のために」自らの力を用いることのできる人を世に送りだすことを使命としています。個性や才能といった賜物を、自分のためだけでなく、他人のために役立てる。そのための学びには限界がなく、分野・領域を越えて学び続け、自己を磨き続けることが必要です。自ら学ぶ意欲を育てる工夫や、視野を広げ、学びを広げ、深めるための機会を、今後ますます増やしていこうとしているところです。

フェリス女学院中学校・高等学校校長 阿部 素子 先生

各校が育てたい女性像とは

森上
ありがとうございました。ここで少しテーマを絞らせていただき、有名校のミッションともいえる社会を牽引できる人材育成についてお聞きしたいと思います。井上先生からは、桜蔭は理想の女子教育を実現し、社会に、多方面で活躍できる女性を送り届けていきたい旨、お聞きしました。阿部先生からは「For Others」ですね。これは男子校や共学校の掲げるリーダーシップ像、リーダー育成の理念に読み替えることができそうですが、どのような違いがあるのでしょうか。

井上
女性ばかりですべての仕事をこなさなければならないという環境で、自然に統率力を身につけているという感じで、リーダー育成という概念にはつながってこなかったと思います。

鵜﨑
本校にも特別にリーダー育成という概念はありません。社会に出たら自分に与えられた仕事を探してそこにしっかりと携わりなさいとは言いますが、あえてトップに、リーダーになれと言っているわけではない。もちろんそうなるなとも言っていません。求められるなら、誰かがやらなければいけないのならそれは引き受けるべきだ、と。

竹鼻
「私はリーダーを支える役のほうが合っています」と言う生徒も結構います。鵜﨑 それぞれの適性によって働く場面が違ってくる。同じ生徒が必ずしも全てのリーダーではない。体育祭や文化祭、修養会や修学旅行などの運営では、それぞれ担う生徒が違う。自分にはこれが向いている、私はこれがやりたいなど力の入れ方が違うため、同じ生徒が何事においてもリーダーになりたいと考えているわけではない。

豊島岡女子学園中学校・高等学校校長 竹鼻 志乃 先生

阿部
居心地がいいというか、やはり女子だけの中でお互い受け入れて受け入れられて育っていくから、いかにもリーダー的な生徒、例えばすごく活発で大きな声が出せるようなタイプでなくても、「ここは私がやります」みたいなことがよくあります。日ごろ本当におとなしい生徒でも。

鵜﨑
中学時代から、やりたい実行委員を決めていて、早い段階からその委員会に入るようなこともありますね。

竹鼻
そうですね。先輩を見て憧れ、「何年後かにはあそこに」みたいな。

井上
本校も個性的な生徒がたくさんいて、それぞれが個性にあわせて各種行事の係などを選んでいるようです。みんな同じというより、それぞれをそのままに受け入れるという傾向がとても強い。だから弾かれる人もいません。

鵜﨑
女子には特に、働きの場とは目立つところだけではないという認識がちゃんとあるように思う。草の根運動もそうだし、目立たないところでも人を支える仕事があるというように、それぞれが大切だということをよく理解している。だから、いわゆるリーダーになることにこだわりを持つ必要がないのかもしれない。

森上
そのための意図的な教育というのはされていますか。

竹鼻
リーダーシップという意味で言えば、それは、教育というよりも、実践の中で学ぶものだと思います。本校では、リーダーを経験する場は多い方がいいとの考えから、学校行事を大事にするだけでなく、クラブには全員参加としています。クラブの中には少人数のものもありますが、メンバー構成は中1から高3までと学年差がありますからいい経験になる。失敗して保護者から 怒られるような経験もできますし。

阿部
たしかに部活の役割は大きいです。本校では、高2が引退する頃にリーダーズキャンプというものを実施し、高1の次期部長を集めて、どういうリーダーを目指すのか、生徒支援部長が話をします。中1と高2では体の大きさもスピードも違う。他者への配慮や目配りが必要であることを伝えます。実際、生徒は部活を通して「For Others」を考え、身につけていくことが多いです。リーダーシップには様々な形がありますが、生徒を見ていると、よく話し合い、支え合うところに特徴があります。部長のリーダーシップだけでなく、役職を持たない幹部学年の生徒たちも、自分がどうサポートできるかを考えるのです。女性的なリーダーシップというものがあるとしたら、それは「連帯的」というか、「協力しながら」「相談しながら」進めていくものではないでしょうか。本校の生徒たちは話し合いが大好きだから、そのようなリーダーシップは身に付けているのではないかと思います。

森上
先生方ありがとうございました。男子や共学の進学校からはあまりお聞きできない示唆的なお話をお聞きできました。先ほど来お聞きになられていて、稲垣先生いかがだったでしょうか。ちなみに稲垣先生のご専門は教育社会学。ご著書もあるように、私立学校の歴史研究などの一環で、女子校の研究もされておられます。

Ⅱ 京都大学の女子学生・女性研究者支援

稲垣
ご紹介いただきましたように、私は女学校研究をしたこともあって、神戸女学院など関西の伝統校とはお付き合いもあり、女子校にはとても親近感があります。先程も、皆さまがおっしゃっていたように、女子校育ちの学生さんには伸びやかで、自分に自信がある方が多い。かといって背伸びをしすぎたりもしない。ナチュラルな感じと言うんでしょうか。歴史のある女子校の校風や伝統には、代えがたい独自の良さがあると感じています。

京都大学男女共同参画担当理事・副学長 稲垣 恭子 先生

一方で近年は、共学化が進む中で、新たな方向性を模索されている面もあるのではないでしょうか。《女性の力をサイエンスに》とか《女性の視点に立ったイノベーションを》など、女性の人材育成機関としての女子校が改めて注目されています。それと同時に、やはりそれぞれ培ってこられた伝統文化、その厚みも、これまで同様、大事にしていただきたいと思っています。また皆さま方の学校にも訪問させていただき、それぞれの教育方針などについて意見交換させていただければと思っています。

 ところで本日は、京都大学の女子学生や女性研究者の支援について、ぜひお話しさせていただきたいと思っております。

 その前に、まずは本学の校風である自由の学風についてご紹介させてください。京都大学はノーベル賞受賞者を日本で一番輩出している大学であることは知られていますが、たとえばそうした世界的な賞を受賞された先生方と学生が、直接にディスカッションできる雰囲気があります。また、そうした自由な校風が生まれる背景には、京都大学の立地もあります。街の中心部から鴨川、京都御所、下賀茂神社などの、自然や歴史、風土が感じられる場所に自転車ですぐ行くことができ、学生の多くも大学の近くに住んでいます。

 先生方の生徒さんには、小中高と進み、そのまま首都圏の大学に進んで、就職も首都圏でという方も多いかもしれませんが、人生の多感な時期を京都で過ごすと、時間の流れや生活環境も違うことから、その後の人生にとって大切な経験になるのではないかと感じています。実際に、首都圏に就職した多くの本学卒業生が、多方面に尖った優れた先生から学問を尊重することを学んだだけでなく、歴史、文化、自然あふれる京都という街で過ごしたことがその後の人生の糧になったと言ってくれています。

 ただこれまでは、伝統的な国立大学の例にもれず、女性研究者の比率は極めて低かった。その危機感から、2014年に男女共同参画推進センターが設置されました。これをベースに「ダイバーシティ推進室」ができ、女子学生、女性研究者への幅広いサポートを充実させてきました。その中でも、今日いらっしゃる女子校の先生方にご興味があると思われるのが、2年目に入った『女子学生チャレンジプロジェクト』です。先ほどのお話の中でも、リーダーシップを育てることに力を入れておられるという話題がありました。このプロジェクトは、学部生、大学院生が、リーダーとなり、男子学生も含めてチームをつくって、自分の専門の研究に限らず、広く興味のあることや社会的課題をテーマに設定して1年間取り組む研究プロジェクトです。多くの中から採択されたチームには活動補助金が支給されます。初年度は5件の採択予定に55件と10倍以上の応募があり、発表会もとてもレベルの高いものになりました※。なかには地域などから連携の問い合わせもあるようです。今年度もたくさんの応募があって、選ぶのに本当に苦労しました。採択されたチームは、フィールド調査に出かけたり、学部生でも研究科のラボで実験したり、また学生自身の発案で中間報告会を開催するなど、チーム同士の横のつながりもできてきています。自分たちがやりたいことや楽しいと思うことをどんどん提案して、まさにリーダーシップを発揮しているので、大学側も最大限それに応えています。

 他にも、女子学生に母校に帰って京大での生活や魅力を語ってもらう『女子高生応援大使』も実施しています。また年に1回、『女子高生車座フォーラム』というイベントを開催しています。これは、志望学部別に京都大学の教員・学生と女子高生が学生生活や入試、研究などについて、ざっくばらんに話し合うというものです。

 このような活動を支えるのが「京都大学ここのえ会」という同窓会組織。京都大学の女性の卒業生によって、女子学生や研究者への支援を目的につくられたものです。このほか、オープンキャンパスに合わせて、女子高生向けに、女子学生と一緒にキャリアについて、また悩みなどの相談をできるようなイベントも行っています。

 もう一つ、2023年12月に、学童保育施設『京都大学キッズコミュニティkusuku』を開設しました。実験ができる土間キッチン、レクチャールーム、天井までのライブラリーホール、吹き抜けの遊戯空間など、充実した空間で、子供たちに本学の研究者や京都の文化関係の方によるアカデミックプログラムを提供していて、女子学生チャレンジプロジェクトに採択された学生たちにも担当してもらっています。小学生と触れ合うことは学生さんにとっても新鮮な感動があるようで、プログラムを実施する方も受ける方も、学問の面白さに触れる良い機会になっているようです。そこから将来の研究者が育ってくれればと思います。

 このような幅広い支援を積極的に行なってきた成果もあって、女性教員比率が2018年には国立大学で最下位の12%だったのが、今年は18.4%まで上昇し、2022年度~2023年度の1年間の女性教員増加数では国立大学で最高となりました。京都大学の学生は卒業後、多様な道に進んでいますが、女子学生と年齢の近い若手の女性教員が増えれば、身近なロールモデルも広がります。研究者の道も含めて広い分野で活躍を志す女子学生が増えていくことが、大学にとっても社会全体にとっても大きなパワーになると思っています。  これからは、男性研究者、男子学生に負けずに張り合っていこうというのではなく、性別に関係なく、多様な背景をもつ人たちがインクルーシブな雰囲気の中で、互いを認め合い、能力が発揮できるような環境になることが、自由な学風の京大の理想だと思っています。

※第一回の受賞例:薬用作物栽培と地域共生研究というテーマで、フィールドに出て調査、分析を行った。

森上
今日はみなさま、どうもありがとうございました。

我々は「アドバイス」できない

第42回 16歳からの大学論

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
宮野 公樹先生
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。
2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究
奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

 「そういうときは、こうしたらいいんじゃないかな」、「たぶん、◯◯のほうがいいよ」など、我々は日常的に他者に対して提案をしています。例えば、同僚や部下に仕事の現場で、子供や配偶者に家庭において、そして、生徒などに学校等、学びの場において。

 もちろん、相手のことを思ってよかれとやっているのですが、よくよく考えてみれば、結局のところ、他人様にアドバイスすることはできない、いや、正しく言うなら「本当に意味のあるアドバイス」はできないということに気づきます。言うまでもなく、自分と他人は違う人間であり、自分が上手くやった経験は自分のものであって、それを他人様に適用して上手くいくとは限りません。それに、アドバイスはえてして先輩や年上が後輩や年下にする傾向が強いですが、自分が体験した時代は過去であり、現在の状況とは異なっていることも多い。自分にとっての「よい」が、常に他人にとっても「よい」とは限らないのです。しかし我々は、とっても気軽に、かつ日常的に「アドバイス」しています。いったいこれはどういうことでしょうか。

もちろん、「私、昨日、このみかんを食べたけど、もう傷んでいた。食べないほうがいいよ」といったように、状況がかなり具体化され、限定的な場合においては「アドバイス」は有効でしょう。他方、「どっちとも内定をとれたのなら、こっちの会社を選んだほうがいい」などといったあまりに不確定要素(勤務地がどこになるか、どの部署に配属されるのか、どんな人が上司になるのか等)が多い状況でのアドバイスはあまり意味がありません。アドバイスする側の個人的な経験を一般化していることには危険性すら潜んでいます。つまるところ、アドバイスするという営みは、相手のことを思ってのことのようでいて、実は、自分語りの範疇にある、とも言えます。

 だから(アドバイスするときは)気をつけなさい、と言いたいのではありません。そのような「正しい答え」または「正しそうな答え」を私は持っていません。ただ、ふと我々の「日常」というものを疑問に思い、すこし突き放して眺めてみることで感じることのできるもの、いうならば「日常の不思議」を感じるということは、我々を非常に豊かにしてくれます。それは、人生を味わい深いものにし、また、生きることの肯定にもつながることなのです。  「我々は◯◯できない。」。今後、これをシリーズ化して、色々書いていこうと思っています。(続く)

*追記 今年3月に発表した論考「探究とは。」現代思想2024 Vol.52-5 p.108− 115が、一般公開されました。「学問図鑑」を監修した経緯や、「探究学習の本来のあり様」について述べています。QRコードから無料でダウンロードできます。よければ、ぜひご感想や質問をおよせください。いただけましたら、今後、この紙面を使ってご返答いたします。

人類はどこで間違えたのか

中村桂子 中公新書ラクレ、2024年

雑賀 恵子
文筆家。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)がある。

 「人類はどこで間違えたのか」という問いかけは、現在の有り様は間違っているとの認識が前提となっている。

 なにが間違っているというのだろう。

 近年の気候変動や環境の激変は、地球上の生物全てに影響を及ぼし、生存が危ぶまれる生物種は極めて多く、地球史上、第6番目の大量絶滅期だといわれている。もちろん人間も、その影響は免れない。水や食料問題は今後より一層深刻になってくるだろうと予想される。環境汚染は直接人体に被害を及ぼしているし、細胞レベルにまで入り込むマイクロプラスチックのような、今まで考えられなかったような問題もある。人間の社会では、いまなお、紛争や戦争があちこちで起こっている。科学技術の飛躍的な発展は、文明を繁栄させたと同時に、大量破壊や大量殺害を可能にした。近年いろいろなところで「持続可能な社会」とか「持続可能な発展」といわれるが、これはつまり、わたしたちの社会はこのままでは持続するのが難しいということだ。やはり、どこかおかしい。間違っているのなら、わたしたちのこれから進むべきべつの道を探し求めなければならないのだろうか。  

いや、本書は、べつの道ではなく、人間の本質を見つめて本来歩むはずの道を探すべきだという。本書の問いかけは、人間ではなく、人類だ。著者の中村桂子さんは、生命科学という学問分野を創出した科学者として知られる。生物を分子の機械としてとらえ、その構造と機能を解明するのが生命科学である。しかし、自ら開拓した生命科学の手法や生命観に疑問を持ち、機械ではない生命そのものを探求する「生命誌」というものを構想し、JT生命誌研究館創立に携わった。生命誌のなかに人類を置き、本来の道を探るというのが本書である。 

地球史から見ると、いまいる多種多様な生物はみな同じ40億年まえの始原の細胞に源を発し、多種多様な生物群に広がって進化を遂げてきた。そして、相互に関わりをもって生きている。この生命が織りなす絵巻を生命誌と呼び、そのなかにホモ・サピエンスもいると著者は考える。ホモ・サピエンスは、意識を持ち、抽象的思考を獲得し、技術を生み出し、自然を対象として対峙する「人間」になり文明を築き上げた。生命誌において特異な進化をいかにしてなし遂げたかを辿り、人間を人間とならしめたものはなにかを考察し、そして、絵巻から飛び出ていくのはどの地点かを見ようとする。

 著者の考えでは、農耕に踏み出したことが、生命誌から外れていく大きな分かれ目だ。人類はなにゆえ自然を飼い慣らす農耕を始めたのか、それがもたらしたものはなにか。それを追うことで、これからわたしたちが歩むべき本来の道を探す。もちろん、農耕以前の社会に戻るということではない。

 本書は、いま直面している問題を地面にして、生命始原からいままでの40億年を、分子レベルから地球レベルまでを、行きつ戻りつする。人間とはなにか。生命誌を織りなす糸の一本である人類というところから、「わたしたち」の現在を捉え直し、未来を見通す。「わたしたち」とは、このわたし個人であり、同時に地球生命全てである。本書とともに、問いかけそのものをほぐしながら、応答を試みよう。

第7回 大学ランキングからはわからない大学の実力

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

地方出身、浪人減少で大学の多様性ははかられるか

 2017年11月、早稲田大はダイバーシティ宣言を発表した。こんなフレーズがある。

「本学には、なお多くの課題があります。新たな Vision を実現するためには、性別、障がい、性的指向・性自認、国籍、エスニシティ、信条、年齢などにかかわらず、本学の構成員の誰もが、尊厳と多様な価値観や生き方を尊重され、各自の個性と能力を十分に発揮できる環境が必要です」

 7年経った現在、どうだろうか。「女性」「国籍」については、女子学生と女性教員、海外からの外国人留学生と外国人教員は順調に増えている。 グローバル化は進んだが、国内、地域別出身者はどうだろうか。早稲田大は全国から多くの学生が集まると言われているが、昨今はそうでもない。

 一般入試合格者において関東1都6県出身(出身高校所在地)の割合について、10年間の推移を見てみよう。76.9%(2015年)→77.5%(16年)→76.2%(17年)→76.9%(18年)→76.9%(19年)→76.5%(2020年)→79.9%(21年)→79.2%(22年)→78.6%(23年)→79.1%(24年)

 関東の高校生が8割に迫る勢いだ。

 2021年はコロナ禍中の入試で、遠隔地に住む高校生が東京への移動を控えたことで地方出身者がかなり減少したと思われる。残念ながら、コロナ禍明けでも地方出身者が戻ってきたとは言い難い。経済的な理由は大きいが、東京に出なくても家から通える大学に通いたい、と望む高校生が増えたようだ。早稲田大というブランド力が今やたいして発揮されていないともいえる。

 2024年、早稲田大一般入試合格者のうち関東以外の上位校は、東海高校80人(40位)、旭丘高校68人(52位)、西大和学園高校65人(55位)だった。なお、1984年の関東以外上位校は広島学院高校84人(15位)、浜松北高校71人(20位)、灘高校70人(24位)となっている。地方の高校は奮わない。

 地元志向の高まりというより、都心回避といえなくもない。

 「年齢」はどうだろうか。一般入試合格者における浪人の割合について、振り返ってみた。 32.0%(2015年)→31.1%(16年)→30.9%(17年)→32.4%(18年)→34.3%(19年)→31.7%(2020年)→27.0%(21年)→24.6%(22年)→24.5%(23年)→22.7%(24年)

 10年間で浪人が10ポイントも減っている。少子化にともない浪人の母数が減ったことによる。かつては「何が何でも早稲田に入りたい」という層が一定数いて浪人したが、いまではそこまで強いこだわりをもつ受験生はいなくなり、現役で合格した大学に進むというケースが増えたからだろう。

 また、中高一貫校の受験指導が徹底されたことも大きい。 2024年の早稲田大一般入試現役合格者の上位は聖光学院高校161人、渋谷教育学園幕張高校155人となっている(附属、系列校を除く)。

 早稲田大はここ数年、学校推薦型選抜、総合型選抜の受け入れ枠を広げてきた。こうした非一般入試が増えることで、現役での合格者、入学者はますます多くなるだろう。早稲田大のキャンパスには9割が20歳前後の学生であふれることになり、年齢の多様化とは逆方向に進んでしまう。

 地方出身者に避けられ関東出身が増加、現役増加で学生の年齢が20歳前後に集中―――は学生の均質化を促し、キャンパスの知的な活性化は望めないのではないか。早稲田大は危機感を持っていい。

 どうしたらいいか。

 地方出身者には特別な奨学金、学生寮(食事付き)を完備する。地方枠を設ける、などを考えてもいい。さまざまな経験を持つ高年齢層を受け入れるためには、学校推薦型選抜、総合型選抜の門戸を広く開放すべきだろう。いずれにも現役に限定(「○○年卒業見込み」という資格)されていない選抜方法があり、既卒者も受けられる。ただ、前年卒つまり1浪までという制限がある。これらを取り払って、すこし年を重ねているがおもしろい人材をたくさん受け入れていい。

 もちろん、これらは早稲田大だけの話ではない。

 おもな私立大学での入学者総数における現役比率(2023年)をみると、専修大89.9%、東海大87.3%、日本大86.8%、法政大86.1%、立教大89.2%、南山大94.4%、立命館大88.1%、関西大91.2%、近畿大89.0%、関西学院大89.9%、福岡大90.9%となっている。 

これらは附属校、系列校、提携校から推薦で現役入学した者が多いからだろう。少子化対策として、定員割れに悩む学校の附属校化、系列校化、そして提携校を多く作ることは募集戦略として間違っていない。成績優秀な学生をしっかり確保できるからだ。  だが、中学高校と同じ環境で育った者が多く集まって均質な集団が形成されないか。ますます多様性からかけ離れないか。心配である。

(出典は早稲田大一般入試合格者、関東1都6県出身(出身高校所在地)の割合は同大学案内2016年版~2023年版。早稲田大一般入試合格者および現役合格者は大学通信。入学者総数における現役比率(2023年)は「大学ランキング 2025」から)

今、あらためて論理力を

未来を支える力を育てるために

水王舎 代表取締役 出口 汪さん

生成AIは、近年急速に発展し、教育現場においてもその活用が広がっています。
とくに英語においては、スピーキングやライティングの練習において
生成AIを利用した指導が注目されているようです。
では、国語教育においてはどのような効果が期待できて、
そのためには何が必要となるのでしょうか。
私が開発した「論理エンジン」教材を使いながら生成AIを利用することで、
国語教育にどのように寄与し得るかについて考察してみたいと思います。

国語教育の現状と課題

 国語教育は、多様な目的を持っています。読解力、表現力、論理的思考力の育成はその中心です。しかし、従来の教育方法でこれらを教え、習得させるためには、さまざまな題がありました。なかでも教科の特性上、生徒一人ひとりの弱点を把握し、理解度や到達度に応じた指導を実践することは、実際にはきわめて困難であるということができます。このような現状において、その解決策のひとつとして生成AIの利用と「論理エンジン」の導入を挙げることができるのです。

「論理エンジン」とは

 「論理エンジン」は、私たちが開発した国語教育プログラムで、生徒の論理的思考力を育成することを目的としています。無学年制を採用し、小学生から高校生(あるいはそれ以上)まで、どの学年からでも学習が可能です。段階的かつ体系的に、一貫して同じ考え方で具体例の整理や要点の把握、文章の要約など、言葉の使い方の規則を身につけるトレーニングをしていくもので、生徒一人ひとりが着実に論理力を身につけていけるように設計されています。

「論理エンジン」の必要性

 では、なぜ生成AIを活用するために「論理エンジン」が必要なのでしょうか。生成AIとはインターネット上に蓄積された膨大な情報から必要な情報を抽出し、最適な形に整えた回答をユーザーに提供するものです。しかし、そのためには的確な形でリクエストを送る必要があります。自分が求めることについて、曖昧さを排除し、要求をきちんと整理して明確にし、正しい日本語で入力できないと、生成AIは欲しい答えを返してくれません。つまり、生成AIは自身の言語力の不足を補ってくれるものではなく、むしろこれまでにも増して論理的な考え方、正確な言葉の使い方を求めてくるものなのです。
 さらに、情報過多ともいえる現在の状況において、生成AIが提供する回答の中には、不要な情報や、誤りではないが正しいとは言い切れない情報が含まれていることもありえます。その中から必要なものを選び取るためには、文章を正確に理解して、論理的に判断する能力がますます重要になってきます。
 また、得られた情報を元にして、自分の意見を論理的に構成し、他者にわかりやすく伝える能力は、これからの情報化社会における基本スキルともいえます。
ここでも、生成AIは自らの意見を構築するヒントを与えてくれるツールとなりますが、質問の難易度が上がる場合はもちろん、AIの完成度が高くなればなるほど、それを使いこなす論理力や思考力が要求されるのです。
 では、論理を意識せずに生成AIを使うことに意味はあるのでしょうか。生成AIを使った授業実践に「ある問いに対するAIの回答と自身の回答との比較」という例があるようです。これは対立関係や対比関係という基本的な論理構造がベースになっています。しかしながら、このようなごく基礎的な論理は、意図的に教え、意識して学ばない限り、「論理」として身に付きにくいものです。したがって、多くの児童、生徒たちは漠然と二つ
を並べたり、感覚的な好き嫌いでどちらかを選んだりするだけで、一つひとつの言葉を意識して対比させたりはしません。つまり、論理を論理として意識する機会がないままに、このような活動を繰り返しても、論理力や思考力はなかなか向上しないものなのです。
 また、ともすれば難解ともいえるAIが示す文章を読むにあたっては、言葉のつながりや一文の意味を正確に捉える基礎力があってこそ生成AIを使うメリットが生まれ、授業への導入が可能になると考えられるのです。

生成AIを利用した指導

 論理エンジンによるトレーニングと並行して、生成AIを国語教育に導入することで、これまでの課題を克服する一助になると考えています。具体的には次のような応用が考えられます。

1.作文や小論文指導

 生成AIは大量の文章データを解析し、瞬時にフィードバックする能力を持っています。すべての生徒に細やかな指導をするのが難しい作文や小論文などの採点や添削において、生成AIは文法の誤りや論理の破綻などを指摘できるため、効率的な学習が可能になると考えられます。

2.自学自習の推進

 「論理エンジン」は自学自習の習慣を育成することを重視していますから、生成AIでその効果を高めることが可能だと考えています。たとえば、問題を解く過程で疑問が生じたとき、生成AIを利用してヒントを得ることができるようになれば、ただ答えを知るのではなく、自分で考える力を伸ばすことができます。これは、他教科のように直接正答につながる回答を得るのではなく、あくまで思考の筋道を立てるためのサポートとして生成AIを利用するというやり方です。この意味において、デジタル教材を利用しにくい教科といわれた国語には、生成AIの適切な利用が向いていると考えられます。
 その他にも、生成AI導入のメリットはありそうです。授業におけるデジタル教科書の利便性は高いものの、紙の教科書や資料に比べて集中力の維持が難しいという報告もあります。そこで、生成AIを活用してインタラクティブな要素を取り入れれば、生徒の興味を引きつけ、より活動的な授業をすることが可能になります。生徒が基本的な論理力を身につけていけば、デジタル化が進むことで、さらに質の高い学びが実現するのではないでしょうか。

おわりに

 生成AIは国語教育において、革新的な変化をもたらす可能性を秘めています。ただし、その目的はあくまで生成AIを使いこなして物事を考え、自分の意見を組み立て、それを話したり書いたりする力をつけることに置かれるべきです。そのためにも、生徒の論理力養成が必要であり、定期的にその力を測定し、客観的な評価として確かめておくことが重要です。
 私が関わる「論理文章能力検定」を受検して、論理力がどの程度身についているかを試すのもひとつの方法でしょう。この検定では、読解力や記述力、要約力など、論理的思考力を分野ごとに細分化して測定し、その到達度を測ることができます。
 論理エンジンや論理文章能力検定を利用して論理力を習得し、それを礎として生成AIを使いこなす力を育てる、このことは未来を生きるうえで欠かすことのできない力を子どもたちに与えることにつながるに違いありません。

出口 汪さん ~Profile~
関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。(株)水王舎代表取締役、広島女学院大学客員教授、出口式みらい学習教室主宰、(一財)基礎力財団理事長。現代文講師として、入試問題を「論理」で読解するスタイルに先鞭をつけ、受験生から絶大なる支持を得る。そして、論理力を養成する画期的なプログラム「論理エンジン」を開発、多くの学校に採用されている。現在は受験界のみならず、大学・一般向けの講演や中学・高校教員の指導など、活動は多岐にわたり、教育界に次々と新規軸を打ち立てている。著書に『出口先生の頭がよくなる漢字』シリーズ、『出口のシステム現代文』、『出口式・新レベル別問題集』シリーズ、『子どもの頭がグンとよくなる!国語の力』(以上水王舎)、『日本語の練習問題』(サンマーク出版)、『出口汪の「日本の名作」が面白いほどわかる』(講談社)、『ビジネスマ ンのための国語力トレーニング』(日経文庫)、『源氏物語が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)、『やりなおし高校国語:教科書で論理力・読解力を鍛える』(筑摩書房)など多数。

書評 紙の魚の棲むところ

――〈書物〉について

(青土社 7月18日刊)

雑賀恵子の書評 特別編
新刊について、自ら書評を書いてみた。
本紙『雑賀恵子の書評』でおなじみの筆者による一人語り。
雑賀 恵子
文筆家。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪教育 大学附属高等学校天王寺学舎出身。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)がある。本誌では、2008年11月発行の79号から、ほぼ毎号、書評を寄稿。

 今回は、わたしの『紙の魚の棲むところ <書物>について』を紹介します。
 紙の魚といえば古紙などにつくシミのことで、部屋に溢れかえった本についての話かしら、と想像されるかもしれません。でも、そういうわけではないのです。
 わたしのいるこの世界が、もし一冊の書物だとしたら、と考えてみましょう。書物ですから、書かれていることには意味があるはずです。その書物の中で、<わたし>という存在も意味のあるものとして、そして役割のあるものとして置かれている。 
 たとえば、わたしを「さ」という文字とします。「さ」そのものは、形はあるけれども、そして誰かに読まれる時には[sa]という発音として声に出されるけれども、「さ」は「さ」であって、それ以上のなにものでもないというか、「さ」としか言いようがない。一方、あらゆる言葉を作る可能性をうちに秘めています。ところが、他に配置された文字との関係で「さくら」になったり、「さびしい」になったり、「さそう」になったりします。それぞれは前後のことばとの関係によって意味を持ちます。そうして、その「さ」は文章の中に閉じ込められます。
 <わたし>は社会の中で、年齢や性別、生まれた場所や所属や地位など、さまざまな網に捉えられてその都度のレッテル=意味をつけられます。レッテルが意味だというのは、貼られたレッテルに相応しい振る舞いや在り方を要求されたり、自分は実はそうではないのだとしてもそういうふうに見られたりするからです。さらに、自分のいま生きている社会は、大きなひとつの物語みたいにすでに決まったものであって、自分ひとりでは変えられないもののように思い込まされたりもします。
 だが、書物の中に巣食っていながら、書物が持つ意味とは無関係に書物を食い荒らすものがいる。小さいけれども、書物に閉じ込められた文字を意味から解放し、「さくら」が「さら」になるように別の可能性を開くこともある。それが紙魚です。厄介ごとをもたらす「巣食う」紙魚は、「救う」紙魚になるかもしれません。
 そのように、社会のなかにありながら社会が押し付ける網に捉われず、自由に泳ぎ、システムをずらしていく在り方を、多分ずっとわたしは探し求めてきた気がします。
 この本は、主として『ユリイカ』という雑誌に書いたものをまとめました。雑誌の特集テーマに沿って、大江健三郎や宮沢賢治、石牟礼道子といった文学者、荒川弘(『鋼の錬金術師』ほか)や赤塚不二夫などの漫画家、『アンパンマン』のやなせたかし、落語家の立川談志、アニメ監督・細田守…そうした作家や作品をめぐって書いたものです。とはいえ、作家/作品論というよりも、どうもわたしは、作家や作品世界の中に、けったいで、不器用で頼りないけれども、システムを奇妙にずらし、綻ばせるものの姿、紙の魚の影を求めて、あちこちと寄り道しながら思考を飛ばしているようです。ですからこの本は、これらの作家や作品を知らなくても読めるエッセイ集です。
 どこに身を置いたらいいのかおぼつかなくて、背骨のあたりがなんだか寒い。自分がなになのだかつかめなくて、心をかたちづくることができなくて、わけもなく苛立たしい。息苦しい。そういう人たちに、いや年齢ばかり重ねても未だわたし自身がそうなのですが、少しばかりの空気を送り込むことができたら、とひそかに願いながら書きました。ちょっと面白いと受け取ってくれたら、嬉しい。ほんとうにそう思っています。

太陽系誕生の謎と生命の起源探究から宇宙ビジネスまで

――学部では、物理・数学の基礎を身に付けてほしい

河北 秀世先生 京都産業大学 理学部 教授 河北 秀世先生

~Profile~
京都大学にて情報工学を学んだ後 、電機メーカーに就職。28歳で群馬県立天文台の職員。2005年に京都産業大学講師、2010年から授。大阪府立工業高等専門学校(現、大阪公立大学工業高等専門学校)出身。

秋本番、天体観察には絶好の季節を迎えました。ただ、近年は、天体に交じり多くの人工衛星の姿も目立ちます。それもそのはず、地上からは今、2日に1回以上の割合でロケットが打ち上げられ、大量の人工衛星が衛星軌道上をめぐっています。今や地球上空や月面など、宇宙空間は、宇宙科学研究だけでなく、通信での利用をはじめ各種の宇宙開発に伴うビジネスの対象にもなっているのです。天体からの微弱な光を「虹に分けて」分析する分光技術を活用し、太陽系をさすらう彗星や恒星の爆発現象などの素顔に迫る研究を推し進め、そのための観測機器の開発や天文台の運営を両輪として、独自の教育・研究の道を歩まれてきた河北先生※に、現在のご研究について、また宇宙ビジネスのこれからと、そのための人材育成についてお聞きしました。
※独学で天文学を学び天文学者になられた河北先生。2004年度には、若くて将来性のある天文学者に送られるゼルドビッチ賞、日本惑星科学会04年度最優秀研究者賞、日本天文学研究奨励賞の3賞を受賞。2015年には学生やアマチュア天文家を巻き込み、彗星の分光観測による生命の起源に迫る研究で第一回地球惑星科学振興西田賞を受賞。

今春、宇宙産業で活躍できる人材育成を目指した「宇宙産業コース」※がスタート

宇宙時代の「常識」をそなえた理系人材の育成を

 「・・・3、2、1。発射!」の声がグラウンドに響くと、固体燃料を用いた小型のモデル・ロケットが燃焼音とともに空へと勢いよく発射された――これは京都産業大学・理学部の物理科学科に設置された「宇宙産業コース」の授業「宇宙工学基礎」(3年生対象)での一幕です。地上の常識が通用しない宇宙空間で動作する機器の製作や宇宙ステーション、月面基地の建設など、これからの宇宙ビジネスで必要とされる「宇宙の常識」は、私たちのふだんの(地上の)身近な体験からは得られません。地上に慣れ親しんだ私たちが、宇宙空間や月面での常識を理解するために役立つのが、この世界のルールである物理学。たとえば、宇宙空間や月面では空気がなく、太陽の光が当たっている場所と日陰の場所では200度以上の温度差が生じ、金属でつくった物体は熱膨張の違いによって、形がゆがんでしまう。また、宇宙線や太陽風と呼ばれるエネルギーの高い粒子がたくさん降り注ぐことで、プラスチックやガラスは劣化する。こうした「宇宙の常識」は、宇宙空間をビジネスの場として活躍することになる今の若い人たちにとって、必須のものとなるでしょう。 
宇宙を舞台として様々なビジネスを展開する時代において、様々な「ものづくり」を進めることができる理系人材を育てていきたい、そんな想いから、京都産業大学では様々な物理学を専門として学ぶ理学部・物理科学科に、「宇宙産業コース」を設置しました。

※物理科学科では、2024年に「宇宙産業コース」とあわせて「半導体産業コース」も開設しています。

これまでの研究を宇宙でも展開、宇宙ビジネスの新たな可能性も探りたい

 今やわたしたちの頭上には、1万を超える人工衛星が飛び交い、ロケットや衛星の開発競争や、各国による月面探査など、宇宙を舞台にした開発やビジネスの話題に接しない日はありません。まさに本格的な宇宙産業革命がおこっており、新時代の幕開けと言っていいでしょう。
 その中で、ロケットの開発/打ち上げに象徴されるように、近年は宇宙ビジネスの民間への移行が急速に進んでいます。予算規模の小さいロケットに搭載する観測機器の開発はまさにその主戦場で、キーワードはコストダウンのための小型化。そのためには観測目的の明確化と、高性能、軽量化が求められていますが、現在、そうした技術開発に世界中がしのぎを削っています。
 私はこれまで、宇宙の天体から届く赤外線を地上の望遠鏡で集め、分析する、という手法で宇宙の謎を探ってきました。そのために必要な高性能の分析装置は、企業との協働によって開発し、世界を相手に成果を競っています※。一方、人工衛星がこれだけ手軽に利用できる状況を受けて、地上からだけではなく宇宙から観測を行うことも視野に入れ、赤外線の分光分析装置を小型化し、これを搭載した超小型衛星を実現しようと開発を始めました【写真右:分光器の原寸大模型】。
 これからは、地球を周回する衛星から「宇宙望遠鏡」として私の研究対象である彗星や新星を観測するだけでなく、地球の大気を観測し、二酸化炭素など温暖化ガスが大量に排出されている地域を常時チェックするなど、ビジネスへの応用も目指せるのではないかと考えています。ここ数年は日本のJAXAや欧州宇宙機関(ESA)が進めている彗星探査計画(Comet Interceptor:コメット・インターセプタ―)にも積極的に関わっていて、いつか自前で超小型衛星を飛ばしたいと考えています。
※京都産業大学は、今年8月に京セラ株式会社および株式会社フォトクロスと包括協定を締結し、3者で協力して宇宙ビジネスの推進にも取り組んでいます。

宇宙はまさにニュービジネスの宝庫

これまでの地上のビジネスのすべてが求められる?

 学術的な科学研究に加えて、さまざまな宇宙利用や資源探査にも注目の集まる宇宙ビジネスですが、それとともに、様々な分野で人材不足が早くも懸念されています。
 一例を上げれば保険分野です。衛星の打ち上げには失敗はつきものですから、大手の保険会社は軒並み宇宙保険を商品化しています。打ち上げに際してのリスクの確率から掛金と補償額を算出し、さらに打ち上げ後に衛星が正常に稼動するかどうかも考慮に入れる。ここで求められるのは、衛星の打ち上げから宇宙での稼動までの成功確率について、物理学の知見をもって判断できる人材です。しかし現時点では、そのような人材は世界中を見渡しても両手で数えられるほどしかいないと言われています。
 法律分野でも課題があります。宇宙ゴミの清掃は誰が責任を負うのかなどです。つまりこれまで人類が営々と築き上げてきた制度、ビジネスのすべてが、そっくり、いわば《宇宙版…》として求められ、それに対応できる人材が求められるようになってきたのです。ますます増え続けていく衛星の数に比例して惹き起こされる様々な課題に、対処できる人材の供給が追いついていないのが現状です。

急がれる人材育成と、大学に求められること

 ではどんな人材育成を企業は大学に求めているのか。あるロケット部品メーカーからは、専門的な技術教育は社内でできるから、大学では、それを学ぶのに必要な基礎力をしっかりと身につけてほしい、という声が聞かれます。例えば、人工衛星の姿勢を変えるのにはどういう原理が働いているかを学んでおいてもらえば、自社製品がどのような工夫で高性能化されているかがスムーズに理解できる、といった具合です。
 科学技術の進展に伴い、学生が学ぶべき理系の知識・技術は増え続けています。一方で高校卒業時に到達する理系のレベルは昔とさほど変わっていない。そのため大学の学部が4年制のままであれば、その間で基礎から最新技術までを網羅的に身に付けるのは現実的には難しいと考えられます。とすると、大学、学部としての選択肢は、基礎教育を多少薄くしてでも実社会で即戦力となる応用を学んでもらうか、基礎教育をしっかり行い、応用については導入を行いつつも本格的には企業の教育に委ねるか、のどちらかしかありません。
 こうした中で本学部では、創立以来の伝統である、「社会を支える科学技術の、その基礎を担う」というスタンスを貫いていきたい。ちなみに本学は今年度、経済産業省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」で「応用基礎レベル」の教育プログラムが認定されましたが、理学部では全国的にも珍しく、こうしたデータサイエンス関連科目を必修科目にしています。理系人材にとって、必須の基礎と考えるからです。
 京都産業大学は1965年、理学部と経済学部の2学部で創立され※、2025年には創立60周年を迎えます。その原点は、現代科学技術と産業の土台である理学と経済・ビジネスを両輪として教育・研究を推進していくというところにあります。これを宇宙ビジネス時代に当てはめれば、理学部においては宇宙ビジネス時代に必要な物理学の基礎を学び、それをビジネスとして産業へ結びつけることができる素養を身につけるということもできます。そしてこれはあくまでも個人的な思いつきですが、自前での衛星開発、さらには衛星の打ち上げは、まさにそれを象徴する一つの事業になるのではないかと考えています。

※宇宙物理学者、天文学者として著名な荒木俊馬博士が創設し、私学では国内最大の望遠鏡を有する。ノーベル賞受賞者の益川敏英博士も理学部教員として活躍した。

高校生へのメッセージ

大事なのは、学び方、研究の仕方を学ぶこと 理系志望者は、常になぜという疑問を持ってほしい

 私は、学部や大学院修士課程は、研究の仕方を身に付ける場だと考えています。工業高等専門学校で電気工学を学び、大学に編入して情報工学を学んで電機メーカーに就職した私は、幼いころからの宇宙への憧れを捨てず、独学で天文学を学び専門家になりました。独学で夢が叶えられたのは、研究の基礎となる部分とその仕方を高専、大学で身に付けていたからだと思っています。一つの分野を突き詰めておけば、その経験が別の分野でも通用する。特に理系ではそれが当てはまるのではないでしょうか。現在、AI、機械学習をベースにした技術革新が社会の注目を集めていますが、機械学習を理解するための代数学の基礎知識があれば、それについていける。そして数十年後、いやもっと早く、次の技術革新が起きた際にも、その元になる基礎を押さえ、研究の仕方を身に付けておけば恐れることはないはずです。
 高校生、特に理系を目指すみなさんには、日頃からなぜという疑問を意識的に持つように《訓練》してほしい。疑問は意識しないと浮かばないものだからです。ニュースであれ教科書の記述であれ、それについて疑問を抱くことが理系の研究の出発点です。もちろん答はすぐに見つからないかもしれません。ただそのなぜを起点に、この原理はどんなものに応用できるだろうかとか、他の何かに使えないのかなどと関心の幅は広がっていきます。大学での学びは、そうした関心の先にあるもの。ぜひ、ふだんからなぜを探してみてください。

高等学校「探究」の現場から その4

高校の探究活動における「高大連携」指導

秋田県立秋田高校 教諭 博士( 生命科学) 遠藤 金吾さん

現在、様々な形で「高大連携事業」が盛んに行われています。
今回は「探究活動」に関する高大連携について、
筆者の勤務校の「生物部」と「東北大学」との連携事例を紹介します。

1 東北大学「科学者の卵養成講座」

 小・中学生、高校生を対象にした講座ですが、高校生向けの事業には「基礎コース」と「発展コース」、「研究推進コース」があります。「基礎コース」では、東北大学の様々な学部の先生たちが高校生に向けて、それぞれの専門分野の講義を行い、それを受けた高校生はレポートを作成。優秀なレポート作成者は発展コースへと進み、東北大学で希望する分野の研究室に通って研究できます。「基礎コース→発展コース」への申し込みは「自己推薦」によって個々で申し込み、高校は関与しません。
 一方、「研究推進コース」は、高校の科学系部活動や理数科のような学科の授業内で実施している「理数探究」などの探究活動を東北大学が支援するというものです。高校生は「基礎コース」同様、講義を受けレポートを提出するなどしますが、「発展コース」の選抜対象にはなりません。申し込みも、「その探究活動を実施するグループ」単位で、学校側の推薦を得て指導教員が付くところも「基礎コース→発展コース」とは違います。また採択されたグループには、探究活動の指導役として、大学院生が「メンター」として
付きます。

2 メンターの役割 ~週報告~

 本校では生物部の研究グループが、この「研究推進コース」に採択されていて、日々学校で行っている研究の進捗状況を、毎週末、メンターに報告しています(週報告)。ただ、東北大学とは地理的に離れているため、報告にはメールやチャットツール、時にはオンライン会議ツールを使います。メンターからは、「こういう条件にしてみては?」「このような可能性はないだろうか?」などのアドバイスが送られてきますが、研究の最前線にいる大学院生からの定期的なメッセージは、高校生にとって何よりの励みになりますし、それがきっかけで研究に新たな方向性が拓かれることもあります。
 ただ、このコースはあくまでも「高校における探究活動」のサポートとして位置づけられているため、探究の過程で「これは大学の最先端の機器を使えば簡単に解決できるのでは?」という状況が生まれても、安易に大学の設備は使わないというのが東北大学の方針です。極力、高校生や大学院生には「若い頭脳」を駆使し、「創意工夫」をこらして代替案を考えてほしい。研究成果が出るに越したことはありませんが、このような過程を通じて彼らの思考力を磨くなど、人材育成を第一に考えたいからとのことです。

どんな週報告?

 以下に高校生が書いた週報告文の一例を紹介します。

今週は薬剤Aと薬剤B処理と薬剤X濃度検討を行いました。 ①薬剤Aと薬剤B処理 薬剤Aを培養前に添加した場合では、薬剤A、薬剤B単独実験区よりも、薬剤A×薬剤Bの実験区の方が、生存率が下がりました。 薬剤Bを加えた後に薬剤Aを添加した場合でも、薬剤Bの効果があまり見られませんでした。 ②薬剤X濃度検討 ほとんどの実験区の生存率が10%以下でした。そのため、実験中にミスをした可能性が高いと思います。

あらかじめ断っておきますが、この報告文は「今週は実験しました。来週も実験したいと思います」で終わっておらず、具体的で相当良いと思います。しかし、せっかくの成長の機会ですので、より良い報告文にするための改善点として、メンターと私は以下を提案しました。
・この条件の実験を何の目的で行っているのかを述べておらず、毎日見ているわけではない相手には伝わらない。
・薬剤の濃度はどうなっているのか、どんな実験区を設けていて、サンプル数はいくつか、など条件を伝えきれていない。
・①に関して、単に「生存率が下がりました」「効果があまり見られませんでした」としか言っておらず、具体的な数値を述べていない。
・①に関して、結果は述べているものの、その結果からどのようなことが考えられるのか(考察)を述べていない。
・②に関して、生存率が10%だとなぜ実験のミスだと言えるのか、その根拠が不明確で、本当にミスと決めつけて良いのか相手からはわからない。
・今回の結果を踏まえて、次回はどのような目的で、何をしようと考えているのかを述べていない。
といった具合です。
 このようなやり取りによって高校生たちは「相手に伝えるための文章作成術」を向上させていきます。そして、具体的な週報告を送ることで、メンターとのディスカッションは活性化され、より的確なアドバイスが得られる可能性が高くなります。また、週報告を行うためには、その前にデータをまとめ、グループ内や指導教員とのディスカッションが必要になります。「データをまとめずに無為に同じことをくり返してしまう」、「指導教員とのディスカッションがないまま、気づいたときにはあらぬ方向に研究が進んでいる」などは、高校生の研究あるあるですが、週報告があることでこのような事態を未然に防ぎ、研究をスムーズに進めることができます。

3 探究活動におけるメンターの役割~発表準備~

 近年、各種学会では「ジュニア部門」として、中高生による発表の場が設けられていることがあります。また、学会以外でも高校生の発表会は数多く実施されています。本校生物部も、研究成果をそれらの場で発表することを目標に日々活動していますが、「研究推進コース」はそのための支援も行ってくれます。
 具体的には、成果発表に必要な「論文作成」「要旨作成」「ポスターorスライド作成」「発表練習」の支援です。高校生は作成した論文、要旨、ポスター、スライドなどを、メンターにメールやチャットで送り、添削を依頼します。発表練習に関しては、オンライン会議ツールで見てもらったり、練習風景の録画を送って感想を求めたりします。いずれの場合もメンターは、「このような表現の方が伝わりやすいのでは?」「このグラフはこのようなデザインの方が見やすいのでは?」といったように助言してくれます。大学院生であるメンターは、学部の卒業論文を書いた経験から、論文の構成や科学用語の使い方を一通り身に付けています。その彼らから「真っ赤」に添削して返却された原稿を修正していく中で、高校生も少しずつ成長していくというわけです。
 加えてこのコースでは、申請すれば旅費も支給されます(支給条件はありますが)。大都市部では実感しにくいかもしれませんが、これは地方の高校生にとってはとてもありがたい制度です。地方はどこに移動するにも長時間かかり、交通費も嵩みます。近隣の県に移動するのに万単位の金額がかかることもざらで、宿泊費が必要となることも少なくないからです。

4 高大連携を行う上での高校教員の心得・高大連携の効果

 では、筆者のような指導教員の役割とは何でしょうか?高校の探究活動と大学連携で最も重要なのは、「高校教員が大学に任せっきりにせず、一緒に取り組むこと」だと思っています。本来指導すべき高校教員が何もしなかったら、メンターも良く思わないでしょうし、日頃からコミュニケーションを取って相互理解をしていないと、いつの間にか「進むべき方向の認識に食い違いが生じていた」ということにもなりかねません。しかしながら、博士号保有者である筆者が最初からコメントや添削をしてしまうとそれが全てになってしまい、メンターが意見を言う余地がなくなってしまいます。そこでまずは、メンターがコメントや添削を行い、その後に筆者が確認し、コメントや添削をするようにしています。
 筆者はこの高大連携事業は、高校の探究活動をアップグレードさせることを通して、高校生が様々な能力を磨き、成長するとともに、大学院生であるメンターが高校生に教えることにより、自らの研究能力を向上させる場になっていると考えています。高校生は、最先端の研究に従事している大学院生というロールモデルを間近に見て刺激を受けますし、大学院生は、限られた時間・設備でも懸命に探究活動に取り組む高校生から刺激を受け、「負けていられない」と自らの研究課題に取り組む意欲を高める。まさに双方に「意識面で相乗効果」が生み出されているのではないかと感じています。なお、メンターには指導時間に応じて、東北大学の規定に従って給与が支払われていますから、生活支援という面でもありがたいと思います。

5 最後に

 東北大学「科学者の卵養成講座」は国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)による「次世代科学技術チャレンジプログラム」および一般財団法人・三菱みらい育成財団の支援を受け実施されています。国家や大学の予算には限りがありますが、未来の科学技術や社会を担う有為な人材を育成するために、ぜひともこのような事業が継続・拡大し、探究活動における高大連携がさらに活性化していくことを切に願います。

先生 ~Profile~

東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より、秋田県の博士号教員。2016年より、現任校(秋田県立秋田高等学校)に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」。埼玉県立川越高等学校出身。

言葉を覚える、 使えるって?

――幼児・児童英語教育に携わって40年、 日本の子どもたちの英語について考える

アレン 玉井光江先生 青山学院大学 文学部英米文学科 教授 アレン 玉井光江先生

~Profile~

Notre Dame de Namur University英文科卒業後、San Francisco State University 英語専攻 修士課程修了、Temple University 教育学研究科 英語教育学専攻博士課程修了、Temple University Ed.D.(教育学)。1986/04~2007/3文京女子短期大学英語英文学科専任講師から助教授、文京女子大学人間学部教授、文京学院大学、外国語学部教授を経て、2007/4~2010/3千葉大学教育学部・大学院教育学研究科教授。2010年から現職。1991/02~1997/07及び2015/04~2016/03ハーバード大学 大学院教育学研究科客員研究員、専門分野及び関連分野:小学校英語教育、 第二言語教育、 読み書き教育。主な著作に『小学校英語の文字指導 リタラシー指導の理論と実践』(東京書籍)、『小学校英語の教育法 ―理論と実践―』(大修館書店)。広島市立舟入高等学校出身。

みなさんにとっては当たり前の小学校での英語の授業。でもそれはそんなに以前から行われてきたものではありません。長い間、日本の子どもたちにとって、ABCは中学になって初めて学ぶものでした。一昨年から今年にかけて、この英語教育にまた新たな変化が加わろうとしています。生成AIの登場と、今春の小・中学校へのデジタル教科書の他教科に先駆けた本格的な導入です。長年、研究に加えて、日本の児童英語教育を実践してこられた青山学院大学のアレン 玉井先生にこうした状況の中での日本の子どもたちにとっての英語学習についてお聞きしました。

紙かデジタルか?

 デジタル教科書にはいい面がたくさんあると思います。特に英語の場合は音声が出るため、家庭での自学自習にはとてもいい。また各教科書会社の令和6年度版は、令和2年度版に比べ、とても充実しています。
 ただ私は正直、中学校までは必要ないと思っています。現場の先生方からも、利点はあるがマイナス面も多いという声が多く聞かれます。機器の操作中、子どもも先生も画面に目線が釘付けで、インタラクションはほとんどない。この間、準備に手間取ったりすると15分程度かかることもある。毎日ならともかく、公立小学校での英語の授業は今、3、4年生で週1回、5、6年生で週2回、それも各45分。海外と比べ、とても少ない授業時数の中で※1、この時間はもったいない。一つのアクティビティがしっかりできる時間ですから。
 また《文字を読み書きする力(リテラシー)》を育成する視点からは、手で紙に書く作業は欠かせません。新しく外国語を習得するのにも、漢字の修得と同じように、Eye-Hand Coordination ――目で見て、手を動かしてというのはすごく大事だと思っています。
 最近になって私が注目しているのは、ICT教育先進国の一つスウェーデンが、4年ぐらいかけてデジタル教科書を紙の教科書に戻すとの報道です※2。スマートフォンの禁止などは、既にいろんな国で事例が報告されていますが、デジタル教科書を紙に戻すというのは、私の知る限りでは初めてです。

※1 文科省が2013年に出したグローバル化に対応した英語教育改革実施計画では、小学校5、6年生に導入する教科外国語は週3回(モジュールも含め)、3、4年の外国語活動も週2回とされていたが、実施時点では、他教科との調整でそれぞれ1コマずつ減らされた。「世界的には、週1回ということはまずなく、そのために英語を教えるというよりも、楽しめればいい、つまりLanguage Experience Programになった」とアレン先生。
※2 スウェーデンは2010年代から教育のICT化を積極的に推進し、多くの学校でタブレットやPCを1人1台配布し、紙の教科書を原則廃止するなど世界でも最も先進的な取り組みを進めてきた。ただ、デジタルデバイスの使用による健康への悪影響や学習格差の拡大、教師の負担増加など、デジタル教科書の効果に対する疑問も高まり、2023年8月に発表した新学習指導要領で、印刷された教材や静かな読書時間、手書きの練習を重視する方針を打ち出した。

語学教育は肉声と身振り手振りで、五感に訴えたい

 私は、子どもの英語指導では、 声を大切に、五感に訴えることにこだわっていますが、デジタル教科書にはそういう味わいは全くと言っていいほどありません。コロナ下に、マスクをしてその上からマイクを使って授業したこともありましたが、子どもの反応は全然違った。マスク越しで声が聞こえにくいこともあったからかもしれませんが、去年、少し目を悪くしてサングラスをかけて授業した時の反応とも明らかに違う。やはり言葉を語る時に口元を隠すと、表情が見えないことが原因ではなかったか。幼稚園に12年間入った経験でも、授業中、園児たちは私たちの口だけではなく、顔全体をじっと見つめ、確かめるように声を出していました。
 このように考えても、幼児・児童英語教育とICTとはあまり相容れないのではないか。ヴィゴツキー(レフ・ヴィゴツキー:1896~1934年ロシアの心理学者)が、言語獲得も含め、学びはまず人との間で起こり、その後それを自分で落とし込み内面化していくイントラパーソナルなフェーズに移っていくというように、やはり初期の学びには生身の人間がかかわることが必要だと思っています。母語の場合、それはお家の方々であり、英語は、多くの子たちにとっては教室の先生、信頼のおける大人の声ではないでしょうか。

私のメソッド

ジョイント・ストーリーテリング

 昔話やおとぎ話を、児童用に難易度を調整して会話形式に書き換え、授業ではそのセリフを先生のあとについて身振り手振りを加えて発話し、覚えていくというメソッドです。目的の一つは、リーディングの基礎となる豊かな音声言語を作り上げることで、「ジョイント」には、先生と子どもたち、子どもたち同士、そして母語と外国語を結ぶという意味をこめています。
 具体的には、5、6分程度の一回の活動で、児童は先生の言う英語をまねて発話します。この際、日本語訳は一切与えられず、児童は先生のジェスチャーやアメリカ手話をヒントに英語の意味を模索します。そして動作を頼りに長い文章も覚えていきます。このカリキュラムが導入されている地域では、1年で『桃太郎』の簡単バージョン、2年で『ウサギとカメ』と『アリとキリギリス』。3 年では『3匹の熊』と『ミトン』、4年で『大きなカブ』と『浦島太郎』、そして5年で『赤ずきん』、6年で長いバージョンの『桃太郎』を学習しています。低・中学年では英語を簡単に、またお話しも短めなものを選んでいるので、1年で2話、高学年では英語を少し難しくして、1年間で1話にしています。 
子どもたちは、お話を知っているから少々わからない単語でも想像して理解できる。外国語教育で最も大切な「わからなくてもひるまず、がんばろう」という逞しさ、つまり曖昧なことに耐える力を伸ばしていきます。 
しかも、何回も繰り返して自分一人で復唱できるようになれば、言葉は自分のものになる。これを私はLanguage Ownership と呼んでいますが、EFL環境でexposureが少ない【英語に触れる環境にない】中でも言葉が育つ。それとともに心も育つんですね。 
また復唱するだけの中・低学年と違い、5,6年では丸暗記した英語の書かれている原稿を使い、文を読む練習をします。覚えている英語を発話しながら、目でそれらを確認するという活動です。さらに時間があれば、文法への気付きを促したり、CLIL(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)に展開したりもします。

音を大切にしたリテラシー教育

「音を大切に」としているのは、リテラシーには、聞く力・話す力も不可欠だからです。よく言われる4技能ですね。 文字と音との関係を知るためには音韻意識※3の発達が必要だと言われていますが、英語の場合は、それに加えて音素意識※4を高める必要があります。音素に慣れ、操作する力を身につけることが大切なのです。
 一方で、英語は音と文字との関係が非常に複雑な言葉なので、母語話者も読み書き能力の獲得には苦労します。そこで音素体操※5という活動を開発し、音素意識を高め、その後、文字と音との関係を意識的に教えるフォニックスを始めます。その際、短母音については、音の聞き分けが難しいこと、また長母音・二重母音については綴りが複雑になることに留意しています。
 これまで日本の《小学校英語》では取り扱われてこなかったフォニックスですが、文字と音との関係を学ぶことで、文字を通して英語音について意識を高めることができます。日本の外国語学習環境では、英語の音に自然に親しみ、それを獲得していくには摂取量があまりに少なすぎる。そこで、文字に対応する形で英語の音を学習できることは大きな助けになります。
 もちろん英語に限らず、言語はもともと音声しかなかったもので、書き言葉を得たことは人類最大の発明などと言われますが、裏を返せば、書き言葉は自然には身につかないということでもあります。ですから、昔の寺小屋の読み書き算盤ではありませんが、先生の指導はとても大事です。
 音を合わせて単語になることが理解できるようになった子どもたちは、新出単語に出会っても何とか音が出せるようになる。誰でも外国語を音読できると嬉しいし、また、音と文字を一緒に覚えて読めるようになった子は、やはり発音が良いですね。

※3 話されている単語の音の構造を理解できる力
※4 言葉の中にある最も小さな単位である音素に気づき単語の構造が理解できる力
※5 アルファベットの名前を音素で区切り、それらを動作を加えて発音する活動

どうするこれからの日本の英語教育

 かつてカナダの応用言語学者が、英語を習得するには3000時間要ると言っていたのを覚えています。日本はようやく小学校で157時間。中学校はその倍で約300時間程度、高校、大学を入れても、授業時数だけなら1000時間ぐらいにしかならない。よく「中学・高校、大学と10年間も英語を学んできたのに…」と言われてきましたが、反対に言えばそれだけしかやっていないからできない。さらに言えばやればできるんです。受験英語も、否定的に言われることがありますが、一つの大切な基礎を作ってくれているという意味で役に立たないことはありません。
 今みなさんに必要なのは、とにかくできることはやること。learn about English ではなくuse English の風潮下では、小学校では言語活動においてbig voice, gesture, eye contact が評価され、pronunciation や intonation など言語的な側面はまだ十分に評価されていない。そしてその弊害が一番顕著に出るのがリテラシーです。
 かつてよく英語が使えても使わないと言われていたフランス人をはじめ、近年のヨーロッパの人たちの英語力向上には目を見張るものがあります。良くも悪くも止めることはできないグローバル化の中で、英語格差の拡大には歯止めをかけたいもの。情報収集、情報発信を英語でできるかどうかで、世界の広さが変わってくる。その違いは、私たちの若い時とは雲泥の差だと思います。個人レベルでは、それこそ生涯年収に大きな差が出てくるかもしれない。また、「日本は稼ぐ力が弱くなった」と言われていますが、その要因の一つに英語が使えないことはないのか、あらためて考えてほしいものです。
もちろん、直近では機械翻訳の性能向上や生成AIの登場などの好材料もあります。ただそれだけではコミュニケーションの深さは補えない。まして子どもの外国語学習の基本は変わらないと思います。
 言葉は心、言葉が心を育てる。言葉があるから心が育っていく。そしてまた心を表す言葉のみがその人の言葉として残っていく。ストーリー学習で『ミトン』をしていた時、寒い冬に、寒さに震えるネズミさんになったつもりで、Can I come in ? と、心を丸ごと出して英語学習に取り組む子どもたちを見ていると、それが実感できます。だから子どもたちには、デジタルには還元できない人と人とのつながりの中で、生きた言葉を育ててほしい。デジタル音ではなく、肉声で語る言葉に触れ、端末に書かれた文字情報ではなく、人の顔を見て、息遣いを感じて、新しい言葉に接してほしいと思っています。

私と児童英語教育

 アメリカの大学に編入して、卒業時に、当時、女性が仕事を一生持って生きていくことを考えた時には、教師になることぐらいしか思いつかず、英語だけでは難しいだろうと、帰るかどうか迷いました。BAを終えた段階でもう少し頑張ろうと、MAまで続けていった時に、TESL※を知り、それを学び、英語教育の研究者になりたいと思いました。
 82年にアメリカから戻り、最初の勤務先の大学では、研究の傍ら、付属の子ども英語教育センターでも教えました。民間の英会話教室のようなもので、幼稚園や小学校を終えた子どもたちを小人数で教えるんです。それを25年間続け、その大学を辞め他の大学に移りましたが、今度は18年間、東京都のある区でボランティアとして実際に教室で教えながら、研究を続けることになりました。
 当時のその区の教育長さんは新しいことにいろいろ挑戦されていて、英語も、早い段階から教科として小学校1年から入っていました。直接のきっかけは、英語教育を担当されていた小・中学校の先生に「ハードは整っているけど、ソフトがない」と相談されたこと。英語教育に真剣に取り組むその地域に魅力を感じ、関わらせていただくにしました。 
 ちょうど公立小学校で高学年を対象に「外国語活動」が始まった時期でしたが、本格的には、2010年から2014年にかけて、それまで獲得してきた理論や実践を基に公立小学校用にカリキュラムを開発し、一つの学校の高学年生2クラスで実践しました。具体的には、最初に私が5年生を受け持ち、翌年はそのまま持ち上がって6年生を教え、次の5年生は、私のやり方を1年間見ていたゼミ生が教える。そして2年間のプログラムを作っていったのです。
 しばらくして、そのプログラムを修了して中学校に進んだ子たちの英語の試験の成績が、それ以外の子たちに比べてかなり高かったことが教育委員会の調べで分かりました。現場の先生方からの支援もあり、教育委員会は私が開発したプログラムを全区展開することを決めました。現在、小学校、一貫校も含めておそらく37校ぐらいでこのカリキュラムが実施されています。
 よく「子ども大好きですか?」って聞かれます。もちろんですが、それ以上に魅せられるんですね。子どもはかつての自分も含め、人間とはこういうものだということをとてもよく見せてくれる。それが面白くて面白くて、これまでやってきました。

※Teaching English as a Second Language:英語を母語としない人のための英語教授法

もっとリアルにオンラインで

「効き目アリ!」から10年

6Gで巻き返そう

宮田 清蔵 先生 元東京農工大学学長
宮田 清蔵 先生

~Profile~
1969年東京工業大学大学院博士課程修了(工学博士)後、東京農工大学助教授、カリフォルニヤ工科大学客員教授、ベル研究所客員研究員を経て、86年より東京農工大学教授。2001年には同大学学長。05年より独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)シニアプログラムマネージャー等を務めてこられた。

「効き目アリ!」は、東京農工大元学長で、国の科学技術推進において目利き役を果たしてこられた宮田清蔵先生監修の元に、2012年まで続けられた企画です。その第1回【2010年5月25日 vol.87】では、CO2削減等の時代の要請に応える究極の切り札としてホログラム※1技術を使ったテレビ会議システムをご紹介しました。

 新年度に入って、みなさんの多くは、突然のオンライン授業に戸惑っておられるかもしれません。あるいは、来る日も来る日もオンライン授業で、画面に映る先生や仲間、教材にはもう飽きてきたという人もいるでしょう。中には、もっと授業や仲間とのコミュニケ―ションがリアルに近い形になればいいのにと考えている人もいるかもしれません。
 そんな期待に応えられるのが上のマンガでご紹介したホログラムによるテレビ会議です。
 ただ、その実現に必要な情報量を試算すると、たとえば3D画素で4K映像を作るとして、横3,840×縦2,160の平面に、奥行きも横幅と同じ3,840とすると、31,850,496,000=316G画素。1画素につき24bit(RGB8bitずつ)で765Gbit。それを1秒間に30フレーム送るとするとさらに30をかけて22932Gbit/sec=22Tbpsというものすごい通信量になります。かりにこれを1000分の1ぐらいまで圧縮できたとしても22Gbpsとなり、今話題の5G※2でも実現できそうにありません。
 ちなみにこの5G。アメリカと中国の熾烈な主導権争いの中で、日本の存在感は薄く、今からはもう、追いつけないかもしれないとの声も聞かれます。
 「だからこそ6G※3だ」と、宮田先生はおっしゃいます。先生がプロジェクトマネージャーをされてきた国のプロジェクト※4からは、6G時代を支える技術が数多く生まれ、次なる展開に備えています。ホログラム技術の確立もその一つ。これまで経験したことのない危機の中で、次世代科学技術にイノベーションを起こしたいと考える人が現れてくれれば、ピンチもチャンスに変わる。直近では10年後、日本の情報通信産業が6Gで復活するのも夢ではないかもしれません。

※1 平面では紙幣の偽造防止用に使われている。現在開発されている裸眼立体視テレビなど、多くのホログラムと呼ばれるものとは別の技術。
※2 80年代から90年代にかけての「アナログ無線技術のモバイルネットワーク」(第1世代:1G)。90年代のデジタル無線による携帯電話システム(第2世代:2G)。国際連合の専門機関であるITU(国際電気通信連合)によって標準化が進められた3G。「スマートフォンのためのモバイルネットワーク技術」と言われる4Gを経て、5Gでは超高速、多数接続。超低遅延をうたう。
※3 第6世代移動通信システムと言われる。大手キャリアによれば速度、容量とも5Gの10倍を目指すとされ、宇宙旅行や空飛ぶクルマの実用化などに対応して、現在はカバーしきれていない海、空、宇宙での通信を視野に入れる。他に、これまでの携帯電話通信、ロボット、ドローン、ウェアラブルコンピュータ、遠隔医療、拡張現実、仮想現実、複合現実、セキュリティシステム、治安維持機能などのさらなる進化、強化に加え、触覚、嗅覚、味覚などを用いた感覚通信や遠隔ホログラフィックプレゼンスの実現を目指すとする。
※4 JST(日本科学技術振興機構)による10年にわたる(2009~2019)プロジェクト「S-イノベ」。宮田先生はその中の『フォトニックポリマーによる先進情報通信技術の開発』のプログラムオフィサーを務められた。
そこで思いつくのがホログラムです。レーザ光で撮影して画像に情報を盛り込んでおき、 同じレーザ光で再生して、画像を空間に立体的に浮かび上がらせる技術です。

ホログラムによる画像は、被写体から出る光そのもので、立体的に見えるだけでなく普通に見えるものと同じで見る位置によって見え方も変わります。

現在のところは静止画しか作れませんが、膨大な情報を乗せられるようにすれば、動画を作ることも十分可能です。私がホログラムに一番期待を寄せるのは…

テレビ会議のシステムです。ホログラムでは相手の等身大の画像を空間に浮かび上がらせることができますから、情報通信技術と組み合わせれば面と向かって膝を交えて会話しているような状態が作り出せます。
イノベーションを起こそうと思えば、これぐらい大胆な発想も必要だと思います。

世界哲学史

伊藤邦武/山内志朗/中島隆博/納富信留責任編集
ちくま新書

雑賀恵子プロフィ―ル

京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 2020年世界のあちこちで猖獗(しょうけつ)を極めているコロナ禍のなか、君たちはなにを見、なにを聞き、なにを感じ、なにを考えているだろうか。あっという間に、学校生活も、家族の生活も変わってしまい、これからの進路に戸惑いと不安を抱いているかもしれない。
 感染拡大を防ぐという目的で、個人の自由な行動や経済活動を制限するために、すなわち私権を制限するために、行政はどのような手順を踏んだのか。個人と公益の関係はどうなっているのだろう。各国の対応は、どうであるか。独裁的な国家と民主的な国家とでは、このような非常事態に対する政策及びその結果にどのような違いがあり、どう評価したらいいのか。これは戦争だと語った各国指導者も何人かいたが、実際の戦争の場合と、パンデミックによる非常事態とでは、何が異なり、何が同じなのか。
 医療崩壊を起こしたところでは、「命の選別」がやむなくなされたと報道されている。「命の選別」について、生命倫理はどのように語ってきただろうか。また、目に見えないものに対する恐怖から、感染者と目される人々やさらにはその民族への差別や排除もみられたが、大衆の心理はどのように動くのか。
 パンデミックにより新自由主義に支えられたグローバル経済の脆さが露呈されたし、パンデミック自体グローバリゼーションによって蔓延が加速されたとも言える。事態が収束しても、全体的な経済的ダメージは大きく、このダメージは低所得者層ほど苛烈に受けるからさらに格差が広がるのは間違いない。一方で、経済活動の停滞は、深刻な環境汚染を少しばかり改善し、空の青さや河川や運河の透明さに驚いた人々もいる。
 いずれにせよ、君たちは、紛れもなく世界史に記録される大きなイベントに立ち会っているのだ。
 このパンデミックのなかで起こっていることをしっかり観察しよう。そして、パンデミック後の社会や価値観がどう変容していくか、いや、どう変わっていくべきなのかを考えよう。提示された問題群は、現在のものであると同時に、野生から離脱し文明社会を築いてきた人類がその原初から背負ってきた問題でもある。
 そうだ、考えるための武器は、哲学である。今年1月から毎月一冊刊行されている『世界哲学史』は、全8巻の新書シリーズだ。従来哲学史というのは、ギリシア哲学から始まって西洋哲学を中心に語られてきた。そもそもが歴史を記述するという視点、近代という区分そのものが西欧の思想に立脚している。本シリーズは、西洋のみならず、中近東、ロシア、インド、中韓日、東南アジアやアフリカ、オセアニア、ラテンアメリカやネイティブ・アメリカと空間的にも、現在から過去や未来へと時間的にも、地球から宇宙へ、万物へと対象を広げ、世界哲学を描き出す。第一巻序章には、「世界哲学とは、哲学において世界を問い、世界という視野から哲学そのものを問い直す試みなのである。そこでは、人類・地球といった大きな視野と時間の流れから、私たちの伝統と知の可能性を見ていくことになる」と宣言されている。さあ、武器を磨き、身につけよ。この世界で、君が生きるために。

今感じる、大学、学問の役割

京都大学
学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局 学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

 このご時世、大学は閑散。まれに知り合いとすれ違えば「大変ですよね。そちらは大丈夫ですか? 頑張りましょうね」と労をねぎらいあい、2m離れてのマスク越しとはいえ久しぶりの肉声のやり取りに思わず立ち話も長くなるというもの。
 2020年4月中旬の現状では、新入生へのケアやオンライン講義の手法、最低限の保守が必要な実験資料や装置の管理等、この非常事態への対応が急務ではありますが、(希望を込めて)状況が落ち着いた頃には、大学という空間が学生や研究者、教員や職員の集積に依存していたこと、すなわち、学びへの意欲を高め合い、実践し、それを支援する現場であったことがしみじみと再確認されると同時に、そもそも大学ってなんだっけ?という価値の問い直しがはじまることでしょう。
 まだ総括するには時期尚早とお叱りを受けることを覚悟で書きますと、この事態において世間が大学に依存する二つの側面が明確になったように感じます。一つは、感染症や危機管理等、専門知識を直接的に社会活用させる機能です。こういう時にこそ専門知を存分に活用すべきなのはいうまでもありませんが、パンデミック以外にも、世間の動向がどうであれ、「万が一にもことがこうなった場合に一大事となりうるからこれを研究する」といった信念のもとに、(日の目は見なくとも)研究を続ける研究者は他の分野にもいることを忘れてはいけません。とは言っても、社会における大学の存在意義はリスクヘッジであると言い切るほどには、大学という時空は狭くありませんよ。昆虫の生態調査から古代文字の解読など、いうなら世界理解(=人間理解)の端から端までをも網羅しうる、社会における大学の博物的役割とその機能が明らかになったのだと思います。
 もう一つは、精神的支柱としての役割です。この事態が生じた当初から感染症等の研究者だけでなく、著名な哲学者、歴史学者らが文明論的に状況解釈を行う記事を多く見かけます。「かつての経験、歴史に学べ」程度のメッセージではなく、歴史的視点に立った時代理解というものは、事態の対処に追われる日常において「そもそも論」を呼び起こす貴重な言です。いわゆる人社系の識者らの主張はそれぞれ重要と思いつつも、私自身が特に興味深いのは、世間の人(というより記者の方々というべきか)が、なんだかんだいって、日常をメタな視点で原理から見つめなおす視点を学問に求めているのだなあということです。言葉にならない漠とした時代的不安の中、いったい自身の生をどう受け止め、社会の有様(ありよう)をどう考えたらいいのか・・・単発的な情報をもとに安易に政治や他者を批判することで何かを紛らわそうとする空気に嫌気がさし、ふと自分の足元や本来の在り方を意識する時に学問は必要となるのでしょう。これは、「学問とは時代も人も超えた何かへと向けられた眼差しのもとにあるものだ」と世間が感知(期待)している証左です。
 では、その「学問」の側から見たら、この事態がどう映るのか。それを語るには紙面が足りませんのでまた次回に。(続く)

史上初!全国の浄土宗宗門関係大学9校の学生が集い、地域との「ともいき(共生)」について語る!

シリーズ 大学が地域の核になる—京都文教大学の挑戦

2019年12月14日(土)京都文教大学・短期大学にて開かれた、年に一度の大学開放イベント「ともいき(共生)フェスティバル2019」。これに併せて開催した学生たちの社会連携活動の報告会と、内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に関するシンポジウムの様子を報告します。

第7回 浄土宗宗門関係大学 社会連携企画報告会
「ともにまなび、ともにくらし、ともにいきる。

浄土宗の宗門関係大学は、本学も含めて全国に9大学あります。京都府に本拠を置く佛教大学、京都華頂大学、華頂短期大学、京都文教大学、京都文教短期大学に愛知県の東海学園大学を加えた「西日本地区」6校と、関東の大正大学、淑徳大学、埼玉工業大学の「東日本地区」3校で、これまでも地区ごとに「報告会」等の催しを開催してきました。
今回、京都文教大学、淑徳大学、埼玉工業大学が協働で取り組む事業が、2019年5月、内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に採択されたことを記念し、初めて浄土宗宗門関係大学9校が一堂に会し「報告会」を開催することとなりました。
各大学の建学の精神・理念の根幹にあるのは浄土宗開祖法然上人の教えである「ともいき」ですが、設置されている学部や大学が所在する地域の特性や状況によってアプローチは異なります。今回の報告会では、正課の学び(大学の授業)以外でも学びを探究し、人や地域との繋がりを広げている学生たちが、具体的な取り組みと、地域との連携で得た「学び」を報告しました。また、ともいきフェスティバルにも参加し、ワークショップや活動紹介を通して、地域住民等との交流も図りました。
【参加大学の発表団体】

  1. 京都華頂大学・華頂短期大学(京都府)「多文化交流サークルLuncheon」
  2. 佛教大学(京都府)「作業療法学科有志学生団体 BUOT」
  3. 東海学園大学(愛知県)「戦略・交渉シミュレーション研究会」
  4. 京都文教短期大学(京都府)「太陽が丘カレープロジェクト」
  5. 京都文教大学(京都府)「商店街活性化隊 しあわせ工房 CanVas」
  6. 埼玉工業大学(埼玉県)「出会いM3ゼミ」
  7. 淑徳大学(千葉県・埼玉県・東京都)「淑徳大学「地域」と学び」
  8. 大正大学(東京都)「とも学び 大正大学×島根大学×島根県益田市の事例から」

内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に
採択の京都文教大学・淑徳大学・埼玉工業大学が、
「協働連携事業推進に関する協定」を締結。
また記念シンポジウム「地域とともにいきる大学
ともいき(共生)社会の実現をめざして」を開催

「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に採択された3校では、「産官学民「ともいき学習」による持続可能な地域社会創造人材育成」プログラムを協働で推進しています。
この日は、3大学が、展開予定の各プログラムを今後円滑に実施するため、淑徳大学学長の磯岡哲也先生、埼玉工業大学学長の内山俊一先生を本学へお招きし、「協働連携事業推進に関する協定」の締結式を挙行しました。
さらに、協定締結を記念して、3大学の学長と同じ浄土宗宗門関係大学である大正大学より佐藤徹明氏(教務部長、地域創生学部学監(代行))をパネリストに迎え、シンポジウム「地域とともにいきる大学」を開催。各大学による地域連携事業の事例報告を交えながら、大学と地域の連携とは、地域から大学が求められることはなにか、それらを正課教育とどのように接続していくのかなどを、各大学の建学の精神の根幹となっている「ともいき(共生)」社会の実現を目指してディスカッションを行いました。

Society5.0のために

何かに夢中になる、熱中する経験を

――文系・理系の垣根が驚くほど低くなる時代はすぐそこに
下條 真司 先生 大阪大学サイバーメディアセンター
センター長(応用情報システム研究部門)
大学院情報科学研究科教授
下條 真司 先生

~Profile~
1986年3月 大阪大学基礎工学部大学院 後期課程修了。1986年大阪大学助手、1991年4月同助教授、1998年4月同教授。2005年8月 大阪大学サイバーメディアセンター センター長、2008年4月 情報通信研究機構大手町ネットワーク研究統括センター センター長/上席研究員、2011年4月 大阪大学 サイバーメディアセンター 教授、2011年4月 情報通信研究機構テストベッド研究開発推進センター センター長。2016年から現職、現在に至る。六甲学院中学校・高等学校出身

Society5.0※1の実現へ向けて、多くの大学でも、そのための研究に加えて教育、人材育成にも力が注がれています。こうした中、平成30年に国の「Society5.0実現化研究拠点支援事業(iLDi :Initiative for Life Design Innovation)」※2に唯一採択されたのが大阪大学。ライフデザイン・イノベーション研究拠点(iLDi)の名のもとに10のプロジェクトが進行中です。その中で、全体の要とも言えるPLRシステムを担当し、サイバーメディアセンターで2度目のセンター長を務める下條先生に、iLDiについて、Society5.0で求められる力、高校までに学んでおきたいこと、経験しておきたいことについてお聞きしました。

※1 IoT(Internet of Things)、ビッグデータ、ロボット技術、人工知能等のイノベーションを、産業や社会生活に活用し、人々が活力に満ちた質の高い生活を実感できる社会。
※2 情報科学技術を基盤として事業や学内組織の垣根を越えて研究成果を統合し、社会実装に向けた取組を加速することでSociety5.0の実現を目指す拠点団体の支援を目的とする事業。

iLDiへの期待と、
そのための課題とは?

 ライフデザイン・イノベーションとは、個々人の医療・健康情報(PHR:Personal Health Recordパーソナルヘルスレコード)と、職場や学校などにおける食事、スポーツなどの日常の活動データ(PLR:Personal Life Recordsパーソナルライフレコード)を蓄積、活用する仕組みを作ることで、より豊かで快適な生活を送ることができる社会が創出されることを言います。IoTを使ったSmartCity構想(図1)に基づくもので、大阪大学では、エデュテインメント(edutainment: entertainmentとeducationの造語)、ライフスタイル、ウェルネスの3分野において、3つの領域にまたがる以下の10のプロジェクトを展開しています。
 ①保健・予防医療プロジェクト(個人の生涯の健康記録を軸とした医療の実現)、②健康・スポーツプロジェクト(パフォーマンス解析からその向上予測と外傷障害予測)、③未来の学校支援プロジェクト(学習や学生生活支援と、ひきこもり、いじめの早期発見)、④共生知能システムプロジェクト(情報メディア、ロボットの活用で高齢者が長期に働けるなど、人口減少時代に向けての新しいQOL(Quality of Life生活の質)を提供)(以上が「未来創生研究」)、そして⑤情報システム基盤プロジェクト(ブロックチェーン(Blockchain)による分散管理、データベース内の個人情報保護などパーソナルデータハンドリング基盤の研究開発)と、⑥行動センシング基盤プロジェクト(スマートフォンや腕時計型センサーなどのIoTを活用)(以上が「データビリティ基礎研究」)。さらに「社会実装のためのプロジェクト」として、⑦実証フィールド整備プロジェクト(実証実験フィールドの設置とデータ利活用基盤の構築)、⑧社会技術研究プロジェクト(個人情報、プライバシー保護などELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)についての研究)、⑨データビリティ人材育成プロジェクト(多種多様な産業で活躍するAI技術の目利き人材育成)、⑩グランドチャレンジ研究プロジェクト(PLR活用拡大のための革新的研究の募集)。
 SmartCityをさらに4つに分けて考えたのが図2で、どのシステムにおいても〈計測・可視化〉〈改善〉〈実現〉のサイクルを繰り返すところに特徴があります。例えばIoTシステムでは、家電にIoTを内蔵することで、ソフトを入れ替えるだけでハードを買い替えずに済むようになるといった具合です。
 基盤となるのが様々なデータの収集と、蓄積、分析を行うためのシステムです。長年、広域環境における大規模データの効率的処理を可視化する研究を続けてきた私は、今回のプロジェクトでは基礎となる部分(プロジェクト⑤)を担当しています。
 Society5.0では、あらゆるものをデータ化し、それらを統一した仕様の下に蓄積することで、AIやIoT、ロボット等を駆動し、人工システムやサイバーシステムだけでなく、人間や自然のシステム、つまり社会政策やサスティナビリティ(Sustainability持続可能性)など、人文社会科学が対象とする課題の解決も図ります。ただその際、〈計測・可視化〉〈改善〉〈実現〉のサイクルの回るスピードが、《人工》《サイバー》システムでは早く、《人間》《自然》のシステムでは遅いことには注意が必要です。《人間》では、法制度や政治、経済、経営など、《自然》では気候変動といったように、長期の観察や計画が必要な課題も多いからです。様々なデータは、集まれば集まるほど利用者の利便性は高まり、社会の課題の多くを解決できるようになるかもしれませんが、一方で、《人間》システムにおける個人情報の取り扱い※3のように、社会の理解や合意、納得を取り付けるためには時間が必要なものも多いからです。

※3 現在、個人情報の取扱いについては、①国家が管理する中国型、②企業に厳しい規制を設けるヨーロッパ型、③緩やかな規制を設けるアメリカ型の3つがあり、今後、日本がどういう方針を取るのかは、目下様々な検討がなされています。

大学は社会の箱庭。
――箕面新キャンパスでプレSociety5.0の実証実験を

 この点で《大学》は、きわめて恵まれたポジションにあると思います。教育・研究の場であることで、もちろん同意を取った上でですが、その目的のために学生個々の情報を収集し活用することができるからです。例えば学生の選択した授業を予め把握することで、空き教室をなくし、ムダな冷暖房を止め、エネルギーを削減できる。顔認証システムを使えば正確な出欠管理、詳細な学修ポートフォリオを作成できるかもしれません。
 大阪大学は2021年春を目指して、豊中の外国語学部のキャンパス移転も含めて、「グローバルキャンパス」「スマートキャンパス」「サスティナブルキャンパス」をコンセプトに、最新鋭のキャンパスを箕面に新設します。石橋と吹田のキャンパスを含めた3キャンパスの交流拠点とするとともに、生きた実験室、“リビングラボ”として、個人情報などのデータ取得とその活用、ロボットの活用やセンシングによる空調などの環境制御、モビリティ(mobility交通)のスマート化など、先端技術を駆使して人文・社会科学系の実証実験なども行い、イノベーションの創出を目指します。もちろん民間企業との共同研究や市民との共創によるオープンイノベーションが前提で、大学をプレSociey5.0の実証実験フィールドとして開放、活用しようと計画しています。
 大学はまた、失敗の許される場でもあります。国によるプロジェクトや企業による事業では、一旦失敗すると、その後2,3年は動きが止まります。しかし教育・研究という大義名分によって、大学には色々な新しいことに挑戦しやすい雰囲気があります。
 もちろん、大学は社会と隔絶されていていいと言っているのではありません。今や大学には、近代のヨーロッパの大学がそうであったように、来るべき時代に向けて新しい社会のモデルを提示することが求められています。オープンイノベーションで企業、社会、人を巻き込み、そこへ学生というニューカマーを受け入れ、何事も懼れないという若者、学生のエネルギーをイノベーションのエンジンにしていかなければなりません。このことはすでに、私たちが梅田のグランフロント大阪において、5年以上に亘って実証してきたことでもあります。大学とはまさに社会の箱舟のようなものであり、これからの大学の存在意義もここにあると思います。

専門に進むまでにしておきたいこと

 大学の情報系学部には、AI、セキュリティ、ネットワーク、計算機科学など様々な選択肢が用意されています。対象も、コンピュータのパワーが大きくなってきた今では、理系に限らず、人文・社会科学系分野までカバーできます。
 一方で、一人の人間が学べることは限られていますから、学部、大学院の修士課程ぐらいまでは、知識であれ技術であれ、何か一つの体系をしっかりと身につけることです。そして以後は、様々な人とそれらを持ち寄って協働すればいいと思います。
 そこで求められるのが、全体を俯瞰する目、専門分野を跨いで協働できる力です。そのためにも、中学高校、場合によっては大学の前半までは、できるだけ様々な分野の知識の体系に触れておくこと。とりわけ今後は、文系・理系ともにしっかり学んでおくことが必要です。
 AIに象徴されるデジタル技術の急速な進展で、人文・社会科学系の学問においても《デジタルヒューマニティ》と呼ばれる分野が拡大しています。本学で言えば、分野融合で学ぶ人間科学部の人気が高まっていますし、個別の研究事例では、文学部の美術史学の藤岡穣先生による、《AIによる仏像の顔画像分析》などがあげられます。また理系の技術や研究開発を目指すにしても、個人情報保護や市民の合意形成など、法律や社会制度といった《人間》システム、またSDGs(持続可能な開発目標)に象徴されるサスティナビリティなどの《自然》システムを視野に入れる必要もあり、文系の知識や知見についても、理解できるようにしておくことが不可欠です。
 さいわいなことに、みなさんは高校、大学と人生の中で最もゆとりをもって学べる時期を迎えられています。研究者であっても、専門家ともなると、自らの領域を深堀りする時間はあっても、分野の異なる研究について調べたり、学んだりする時間は限られてきますから、今、この時期にできるだけ様々な分野について幅広く学んでおくことです。将来その経験や蓄積は、直接的にしろ、間接にしろ、必ず生きてくるはずです。
 進路選択については、確かに今は、学問分野が細分化し、一方で分野融合の研究が求められるなど必ずしも簡単ではないかもしれません。そんな中で、私が特に大事だと考えているのは、何かに夢中になる、熱中する経験をしておくことです。将来、何を選択するにしても、それは必ず、最後までやり遂げるためのエンジン、エネルギーになるはずですし、イノベーションを起こすための必須条件でもあるのです。
 また、長年インターネットに係わってきた者としては当たり前のことですが、コミュニケーション力、人と協調する力も育ててきてほしいと思います。インターネットとは文字通り、人と人とをつなぐものですし、これからの研究開発では多くのメンバーとの協働が欠かせないからです。
 最後に、理系の女子にも選択肢が広がってきていることを付け加えておきます。
 これまで理系の女子、数学のできる女子は、進路選択において医学、薬学、あるいは生命科学などに限定されがちだったかもしれません。しかしコンピュータの性能が高まり、ツールとしてのAIが普及することで、これまでやや敬遠されがちだった工学などへも進出しやすくなってくると思うからです。女性の視点を反映した新しい工学の創出に、ぜひチャレンジしてほしいと思います。


コラム① ご専門は?

スーパーコンピューティングやキャンパス情報ネットワークシステムの構築、運用の経験を活かして、サイバーワールドとリアルワールドを、クラウド、センサーネットワーク、コンピュータネットワークの技術を駆使してシームレスに統合する技術を研究。

コラム② 今、大阪が熱い

本学の箕面新キャンパスの開設に続いて、2022年には全国初となる総合公立大学同士の、大阪府立大学と大阪市立大学の合併が予定されています。目下、Smart Cityを目指して改革を進める大阪市ですが、新大学も、「都市シンクタンク」「技術イノベーション」という2つの機能を掲げ、スマートシティ、パブリックヘルス/スマートエイジング、バイオエンジニアリング、データエンジニアリングの4つの戦略的領域を設け、本学同様、社会との強い結びつきを意識していると聞いています。2025年には、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、「未来社会の実験場」をコンセプトにした大阪万博2025も控えています。これからの5年、大阪からは目が離せないと思います。

「ワンヘルス」や分野融合の学びでSDGsに貢献

ウイルスにも負けない

前田 秋彦 先生 京都産業大学生命科学部
産業生命科学科 教授
前田 秋彦 先生

~Profile~
獣医師。専門はウイルス学、環境衛生学。1992年北海道大学獣医学部獣医学科卒業、1996年同獣医学研究科修了(応用獣医学)。1996年米国テキサス大学博士研究員。2000年国立感染症研究所研究員。その後、帯広畜産大学および北海道大学准教授を経て2010年京都産業大学教授に。兵庫県立生野高校出身。

新型コロナウイルスの感染拡大阻止を目指して、国を挙げての取組が進められている中、ウイルスや感染症について、グローバル社会で求められるバイオや医療、疫学に貢献できる人材像について、京都産業大学生命科学部産業生命科学科の前田秋彦先生にお話をうかがった。産業生命科学科は、“生命科学と社会の架け橋となり、産業分野で広く活躍できる人”の育成を目指して2019年4月に開設された。獣医師でもある前田先生は現在、日本脳炎ウイルスやウエストナイルウイルスなどの蚊が媒介するウイルス、日本の自然界にいるマダニなどによって媒介されるウイルスなどを中心に研究されているが、学部から大学院、アメリカ留学時代にはコロナウイルスについても研究されていた。

新型コロナウイルスの猛威に曝された3ヶ月。
あらためてウイルスについて考える

 休校やスポーツ活動、大規模な集まりの自粛、休止など、みなさんは生まれて初めての体験をされている中で、幼稚園・小学校以来の基本的な生活習慣、手洗いやうがい、栄養や睡眠を十分とるなど、感染予防や免疫力を高めることの大切さを再認識するとともに、ウイルスや感染症の治療や医療体制の在り方に関心を持つようになった人も少なくないのではないでしょうか。

そもそもウイルスとは?

 ウイルスとは生命であるとも、また自己増殖できないため非生命であるとも考えられています。その種類はわかっているだけでも約30000種※とも言われ、人をはじめ動物、植物、細菌、そしてウイルスそのものの中にも存在します。またウイルスの遺伝子とよく似た構造をした遺伝子は生物の体内にもあることから、生物の遺伝子の一部が持ち出されたものがウイルスなのか、ウイルスが生物の中に入り込んできたのかもまだよくわかっていません。多くは病気を起こすものではなく、長い年月をかけて生物と共生してきたと考えられていて、その役割については、進化の過程で、情報の受け渡しを担ってきたのではないかとの説もあります。
 また昆虫に感染するウイルスの中には、感染した虫の幼虫の免疫システムを攪乱するものや、ミツバチの脳内で活性化し、天敵であるスズメバチに対して戦うように仕向けるものなど、寄生した昆虫の行動パターンを変えるものもあります。まさに謎に満ちた存在なのです。
※国際ウイルス分類研究会による

インフルエンザと
新型コロナウイルスの違いは?

 2002年から2003年にかけて、今回の新型コロナウイルス(SARSコロナウイルス2,SARSCo2)とよく似たSARSによる肺炎の流行が脅威となる中、コロナウイルスをよく知る研究者の間には衝撃が走りました。それまで、人のコロナウイルスが引き起こすのは、一般的に、冬の鼻かぜの原因の数10%を占める症状の軽い感染症であると考えられてきたからです。またウイルスとしては形も大きく、エンベロープと呼ばれる脂質で全体が覆われ、アルコールや、石鹸などの界面活性剤で破壊されやすく、紫外線にも弱いとされてきました。
 ところが新型コロナウイルスは、人へ病気を起こす力(病原性)は限定的なのに、感染する力(感染性)が強く感染源を特定するのがむずかしいなど、厄介な特徴を備えています。はたして、まったく新種のコロナウイルスなのか?あるいはこれまでのものが、何らかの理由で大きく変異したものなのか?たしかにウイルスが刻々と姿を変えていくのは珍しいことではありません。コロナウイルスとインフルエンザの両方に感染(共感染)した犬の中で、コロナウイルスはインフルエンザの一部の遺伝子を取り込んでいることも報告されています。

これまでもこれからも
様々なウイルスが人間を襲う

 人類にとって脅威であったウイルスに天然痘の原因となるバリオラウイルス(Variola virus)があります。致死率は20~50%。3千年ほど前の古代エジプトのピラミッドから発見されたミイラからも、その傷跡が発見されています。しかし、WHOは全世界的なワクチネーション(種痘)を徹底させ、1980年に遂に天然痘の根絶を宣言しました。以後、自然界には存在せず、研究目的のためにアメリカと旧ソ連が保持していて、9.11の直後、バイオテロに使われるかもしれないとの情報が広がり、各国がワクチンの備蓄を進めたのは記憶に新しいところです。ちなみに日本では、1976年に天然痘に対する予防接種は中止されました。
 また、狂犬病ウイルスも人類にとって非常に脅威です。致死率はほぼ100%、国内では1956年を最後に人の自然発生例はありませんが、国外で狂犬病の犬に咬まれて感染し、帰国後に発症する事例が報告されています。他の多くの国では、野生のリスやコウモリが感染していることがあり、旅行や留学中には噛まれないよう注意する必要があります。また近年では、国内でも予防接種をしない飼い主も出てきているため、何らかの理由で感染した動物が海外からもたらされるとたいへん危険です。他にもエイズウイルスを筆頭に、ウエストナイルウイルス(脳炎など)、エボラウイルス(出血熱など)、ハンタウイルス(肺症候群)など、世界にはまだまだ人の命を危険にさらすウイルスが数多く存在することを忘れてはいけません。

どんな感染症も、いつか必ず終息する

 今回の新型コロナウイルスによる肺炎の流行はいつ収束するのか?その目安が実効再生産数R(流行が起こってからのある時期に、1人の感染者が何人の非感染者に疾患を伝染(うつす)させることができるのかを示す指標)で、1(1人の感染者が1人に感染を広げる場合)を下回ると流行は下火になると考えられています。すでに予防ワクチンのあるものなら、接種した人が増えれば増えるほどその数値は下がります。ワクチンのない今回の新型コロナウイルスでも、時間が経つにしたがってこのウイルスに対する免疫を持つ人が増え、また外出制限により接触する人の数を減らすことができれば、Rは次第に減少し、この流行は収束していくことと思います。日本は、医療崩壊を防ぎ、重症化した人の治療を適切に行えるようにすることを目的に、長期間かけて感染を抑えようという方針ですが、この期間に、効果的な抗ウイルス薬やワクチンが開発されることが期待されます。

専門に進むまでにしておきたいこと

 今回のパンデミックでは、世界中で多くの方々が亡くなり、経済活動も大きな打撃を受けています。私たちは天然痘を撲滅できたことから、他のウイルスとの戦いにも勝てると考えていました。しかし、21世紀に入ってからも、人におけるSARSや新型インフルエンザ(2008年)、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、家畜では豚熱(少し前まで、豚コレラと呼ばれていました)等と、ウイルスとの戦いはまだまだ続いています。自然界には未知のウイルスが、未だ無数に存在するでしょうし、薬剤耐性ウイルスの出現も脅威です。
 グローバル化した現代社会において、感染症の拡大スピードは早く、あっという間に世界中に拡大することを私たちは目の当たりにしました。同時に、新しいウイルスが原因となる人獣共通感染症など新たな感染症の発生についての予測も、極めて難しいことも経験しました。
 日本ではこれまで、人は医学、動物は獣医学が担当で、自然環境に存在する微生物には理学分野の専門家も加わるといったように分割されていました。行政においても人は厚生労働省、家畜は農林水産省、そして野生動物は環境省というように縦割りで管轄してきました。しかしそれではもはや限界ではないでしょうか。今後は、人も家畜も、野生動物、さらには自然界の生き物すべてを視野に入れたワンヘルスという概念の下、専門や縦割り行政の垣根を越えた研究、対策が求められるようになってきていると思います。
 同時に、感染症の予防や防御、パンデミック時の対応には、医学、薬学、獣医学、理学からのアプローチに加えて、研究やそのためのインフラ作り、行政システムや法整備、緊急事態下での経済対策、あるいは心のケアなど、法律や経済、福祉、心理といった人文・社会科学系の学問からのアプローチも求められます。
 これからの大学では、各自の専門について学ぶだけでなく、異なる分野、あるいは分野横断型の知識を身につけ広い視野を持つ人材の育成がますます求められますし、そのことが、今、地球レベルで求められているSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への一人ひとりの貢献にもつながるのだと思います。その上でも、大学で文系を目指すにしても、AIやバイオを学ぶのに必要な基礎は身につけておく、理系を目指すにしても、政治や公共政策をはじめ、文系に関わる幅広い基礎知識、興味を育てておいてほしいと思います。


大学の研究室でできること

ウイルス感染症の一般的な検査には、ウイルスの遺伝子を検出するPCRやRT-PCR、ウイルスのタンパク質を検出するELISA法、感染したウイルスに対して私たちの体が産生する特異抗体を検査する方法があります。設備に恵まれている日本の大学の多くの研究室には、これらの検査を行うために必要な機材は備わっており、日々、新しい技術が開発されています。最近、ニュースなどでよく耳にするPCRは、対象となるウイルスの遺伝子配列の増幅の様子から陽性か、陰性かを判定できます。また、免疫クロマトグラフィー法は、血液の中の抗体や抗原を調べることで、罹っているかまたは罹っていたかどうか診断します。どれを使うかは感染したあとの時間経過によって判断されます。また診断するには技術が必要で、それを行うのは医師の大切な仕事の一つです。

21世紀こそ子どもの世紀に

小林 登先生 東京大学名誉教授・国立小児病院名誉院長 小林 登先生

~Profile~
1927~2019年 医学博士。昭和29年東京大学卒業。米・英の小児病院留学。東京大学医学部教授(小児科学)、国立小児病院小児医療研究センター初代センター長、国立小児病院院長を歴任。臨時教育審議会委員、国際小児科学会会長等を務めた。東京府立第19中学校(現:都立国立高等学校)出身。

子どもについて学際的に研究し、その成果を現場の実践にも活かしてほしいと始まった子ども学。今日では多くの大学で、学部や学科等の名称にも使われています。昨年12月ご逝去された小林登先生を追悼し、生前いただいたご厚誼に感謝の念を込めながら、先生の子ども学序論を本紙60号(2005年9月27日発行)から再掲載します。

「子ども学」とは

――「子ども」について総合的に学ぶには

 「子ども」は、『生物的存在』として生まれ『社会的存在』として育ちます。『生物的〜』というのは、文字通り、両親から遺伝子をもらった一個の受精卵が胎児となり、やがて新生児となって生まれてくることを言います。『社会的〜』というのは、子どもは親子や家庭という小さな社会、それを取り囲む地域・国という大きな社会、それに保育所や幼稚園、学校というその中間的な社会の中で、文化の影響を受けて、体が成長し心が発達するということです。
子どもについて、子どもの問題について何か考えてみたい、研究してみたい、あるいは将来子どもに関わる仕事をしてみたいと思った時は、まずこの2つの視点を持っておくことが大切です。それは保育・教育ばかりでなく、子どもに関係する機械・校舎、さらに都市計画などをデザインしたいと考えて、工学系を学ぼうとする人にとっても同じです。それでは、この2つの視点に沿って、子どもについて学ぶには、具体的にどんな学問、研究分野があるのか、考えてみることにしましょう。
 まず私の場合ですと、自然科学の中の、自分の専門である小児科学を真っ先に思いつきます。もう少し広くとらえれば小児医療ですね。それに関連して小児保健学、栄養学、そして今の時代なら脳科学や遺伝子についての学問なども思い浮かぶでしょう。(中略)
 人文科学になると、保育学、福祉学、教育学を思いつく人もいるでしょう。これらに隣接して心理学というのもあります。もう少し視野を広げれば社会学や文化人類学、さらに倫理学や哲学なども対象になってくるでしょう。(中略)
 また霊長類を含む、動物に関する様々な研究分野は、人間の子どもを考えるモデルとして、この2つの側面のそれぞれに関わってくるものといえます。遺伝子で決まる行動と生態の関係は重要です。(中略)
 さらに子どもの『生物的存在』、『社会的存在』という2つの側面を結びつけるには、“システム”と“情報”という考えが重要です。生命自身の、また生命をもつ社会的な存在としての人間のシステム情報論はもちろんのこと、ロボット工学などの工学系のシステム情報論は、ひいては子どもの理解に役立つものです。「子ども学」は文理融合科学なのです。(中略)
 子どもについての理解をより深めよう、子どもの問題についてよりよい解決法を見出そうとするなら、今あげた様々な学問分野からできるだけたくさんの知恵を引き出し、それを一箇所に集め、照らし合わせることで、新しい知見や対処方法を導き出すことが必要です。子どもに関わる研究者、実践家が共通の場に集い、共通のテーマを決めてお互いに論じ合って、その解決に真剣に取り組むべきなのです。
 私はこのような場を作るための理念、そのような研究や方法を示す理念を「子ども学」と呼んでみました。英語で言えば、(中略)「CHILD SCIENCE」ですね。そしてそれを新しい一つの学問として体系化して行きたいと考えたのです。

私と子ども学

――30年の軌跡

 私がこういうことを考え始めたのは今から、約30年前でした(掲載当時)。
 私の専門は小児免疫学で、東大病院、国立小児病院時代を通じて、いわゆる小児難病の研究と治療を主な仕事としてきました。同時に、医者としての役割は治療だけでなく、子どもの健全な発達を促すことでもあるという恩師の教えもあって、その頃から「母子相互作用」の研究など、育児についての科学的な研究も始めるようになったのです。
 当時はちょうど、経済の発展が安定期に入り、社会全体は明るい未来を夢見て希望に満ち溢れていました。しかし、豊かな社会が実現されて行くのに合わせて、これまでになかったような問題も起こり始めました。公害、大気汚染、環境破壊…。そして子ども社会にも徐々に変化が起こり始めます。核家族化、女性の社会進出が進み、「かぎっ子」などという言葉が生まれました。都市化の波が広がり、子どもの遊び場が次々と失われて行き、少子高齢化が進み、“子どもが街から消えた”などの表現がマスコミをにぎわせるようにもなりました。熾烈な受験競争、偏差値の弊害、そしてついに校内暴力のような、社会に強いインパクトを与える問題も吹き出してきたのです。(中略)
 1984年に『臨時教育審議会』という首相直属の審議会のメンバーとなった私は、改めて子育て・教育の問題に行政の立場として向き合うことになります。(中略)
 同じ頃、学問・研究の世界にも変化があらわれました。20世紀、学問や研究は専門分野をどんどん深め物事を細かく分析することで、高い成果をあげてきました。しかし20世紀も次第に残り少なくなるにしたがって、これまでのそうしたやり方にも限界が見えてきました。さらに専門分野が狭められることで、かえって問題が見えにくくなっているといった指摘もなされるようになりました。問題をひたすら分析するだけでなくもう一度全体の視点から見直してみる、部分から全体へ、分析から統合へというように学問研究の方向転換も求められるようになったのです。
 複雑で、これまでに前例を求めることのできない「子どもの問題」を数多く目の当たりして、誰もがこれまでの教育観、対応の仕方に限界を感じるようになったのではないでしょうか。
 子どもに対しても、子どもの問題に対しても、これまでにない見方、学問研究の方法を早急に確立しなければならない、私は日増しにその思いを募らせ、国立病院を退官したら、「子ども学」の確立に全力を傾けよう、そう決心したのです。(中略)

「子ども学」の柱

――それは『優しさの科学』である

 「子ども学」を学ぶということは、「子ども」について、「子どもの問題」について、様々な分野から客観的に科学的に学ぶということだけではありません。一番大事なことは、そのことを通じて子どもの体の健やかな成長、心の発達をどれだけ促すことができるか、ということです。そのためにはまず、「優しさ」というものが子どもの成長にとっては欠くことのできないものだということを知っておいてほしいと思います。
 胎児や新生児の研究が進むにつれて、生物学存在としての子どもは、脳の中に心と体のプログラムを前もって備えて生まれてくることがわかってきています。胎児の指しゃぶり、産声とともに始まる呼吸は、体のプログラムに組み込まれたものです。生まれた瞬間の泣き声は、不安や恐怖を感じる心のプログラムが作動したものと考えられています。ただ、これらの働きは、それぞれの時点ではバラバラの動きにすぎません。子どもが人間として成長していくためには、生活環境の情報(文化)によって様々なプログラムが働きながら組み合わされ、知性のコントロールの下に統合されなければなりません。その際、最も大きな影響を持つ情報が「優しさ」です。さらに、「優しさ」は、発育のプログラムを作動させ、体をすくすく育てるのです。
 第2次世界大戦後、イギリス、ドイツ、アメリカで行われた「情緒剥奪症候群」の研究などによって、乳幼児期に大切なのは、「感性の情報」であることが明らかにされましたが、「感性の情報」の代表が、「優しさ」なのです。
 優しく育てられた子どもは心のプログラムをフルに稼動させることができ、体のプログラムも円滑に作動させることができます。優しさを感じると子どもは「生きる喜びいっぱい(joie de vivre)」の状態になります。そうなると体の消化・吸収、ホルモンの分泌、抗体産生などに関係するプログラムがフル回転し、すべての生体機能がよく働き、体の成長が促され、病気の治癒力も強まります。
 「生きる喜びいっぱい」の状態を経験して育った子どもは、体のプログラムばかりでなく、心のプログラムも働かせ、しかもそれらを組み合わせていきます。そして、成長とともに、『周りの人は十分信頼に値するもの、人生は平和なものだ』という、人間に対する「基本的な信頼」(BASIC TRUST)という心のプログラムをもてるようになります。自分というものを肯定的に捉え、同時に他人も大切にするという、人間が社会の中で生きていく上で欠かせない基本的な資質が育まれて行くのです。
 20世紀の初頭、スウェーデンの教育者エレン・ケイは、『20世紀は子どもの世紀にしなければならない』と語りました。しかし私たちは20世紀の終わりを、その反対の思いで迎えたのではなかったでしょうか。
 (中略)皆さんの多くが「子ども学」を学び、子どもにとって優しさがいかに大切なものかを知ってもらえれば、未来の子どもたちは健やかに明るく育つに違いありません。
 私達の力で、21世紀こそ、『子どもの世紀』とすることができるよう願っています。


子どもから見た世界の“今”

 下の絵は、1991年から2016年にかけて、6歳から15歳の子どもを対象に、国連環境計画(UNEP)等が毎年行った「国連子供環境ポスター原画コンテスト」の応募作品。20万点以上に及ぶ全応募作品は国立民族学博物館に寄贈され、その後、総合地球環境学研究所に移管されている。絵を見ていると、昨年末に亡くなられた小林登先生のことを思い出す。20年ほど前、この子どもたちの絵をどのように活用すればいいのか相談したことがあった。記憶に残っているのは、子どもは決して未熟な大人ではなく、独自な世界を持った「人」だと思いなさいと教えられたこと。その時、子どもたちの絵は僕の宝物となったような気がした。じっくり見ていると、細かなところから描き手の思いが伝わってくる。子どもたちの絵から、大人では表せない環境問題への思いと世界観を読み取っていただければと思う。

総合地球環境学研究所教授 阿部健一


大学ジャーナル87号(2010年5月25日発行)進路のヒント:教育・子ども学特集 先生になろう!から
子どもの問題を小児神経科の立場から考える

子どもの発達は
胎児期から始まっている

小西 行郎 先生 前同志社大学赤ちゃん学研究センター長
教授 小西 行郎 先生

~Profile~
1947年~2019年。京都大学医学部卒業後、同大学附属病院未熟児センター助手を経て、1983年福井医科大学小児科講師、88年同大学助教授。89年より文部省(現文部科学省)在外研究員としてオランダ・フローニンゲン大学にて発達行動学を学ぶ。埼玉医科大学小児科教授を経て、2001年10月より東京女子医科大学教授。同年日本赤ちゃん学会を創設。08年10月から同志社大学赤ちゃん学研究センター教授、センター長。専門は小児神経学。『赤ちゃんと脳科学』、『赤ちゃんのからだBOOK』など著書多数。香川県立高松高等学校出身。

 小学生の10人に一人に何らかの発達障害が認められると言われる中で、子どもの発達をもっと医学・医療の立場から捉えるべきだと声をあげられてきた小児神経科の小西行郎先生。さらに小林登先生とともに、工学、心理学、社会学なども加えた学際的アプローチによる「赤ちゃん研究」を目指す〝日本赤ちゃん学会〟を発足。昨年9月にお亡くなりになるまで、その理事長も務められました。また学校教育との連携や胎児の研究にも取り組むかたわら、産科・小児科との連携にも精力的に係わってこられた。小西先生の長年のご研究による知見と、将来、教育者をめざす高校生へのメッセージです。

 生まれたばかりの赤ちゃんはしゃべることができません。そんな赤ちゃんは意思を主張したり周りとのコミュニケーションを、泣いたり笑ったり、見たものに手を出したりする運動によって行っています。
 最近では、こうした運動はお母さんのお腹にいる胎児の間から行われていることがわかってきています。そしてそれは自分の身体の認知につながり、脳を作っているともいわれます※1。これは、ADHD(注意欠陥多動性障害)※2などの発達障害が超低出生体重児(未熟児)では健常児の5から8倍の割合で多く発生していると言われていることとも関係するのではないか、と考えています。
 未熟児とふつうに生まれる子との一番の違いは、子宮内生活の長さです。胎児は動くことによって自分の体や子宮に触れ、自分の体や自分以外のものを認知するのではないかという意見がありますが、だとすると、子宮外に出た胎児は、それまで羊水の中に浮かんでいたのが外の世界の重力にさらされるわけですから、自由な運動がしにくくなり、自分の体を触ることも少なくなって自分の体を認知することが難しくなるのではないかと考えられます。さらに子宮内と違って明るさや騒音などの刺激も強くなることもあります。したがって、感覚能力の発達も違ってくる可能性がある、だから未熟児に発達障害が多く発生するのではないかというのです。
 とはいうものの、胎動※3はいろいろな因子の影響を受けると言われており、また未熟児がすべて発達障害をきたすということではありません。そこで、胎児期から子どもの発達は始まっていて、発達障害はそこからきちんと見ていかないとわからないというのが最近の見解です。
 そしてもう一つ大切なのは、人間は動くことによって自分を知るということ。また動くことによって他人と関わり他人を知るということです。胎児は自発的に動いて、それが触覚によってフィードバックされることで自分や他人を認知して、自分の世界を作っているのです。そのためそれができない子どもが発達障害になるというのは、ある程度納得のいく説明です※4。こうした考えは、新生児において発達障害を持つ子どもは自発運動や原始反射に異常があるとの報告とも密接に関係しているように思います。

※1 手足が子宮の内壁にぶつかることで自分の周りに壁があることや、自分の手足を認知できる。また、羊水の抵抗によって受ける圧力の違いによって腕と手の先を区別すると考えられる。そうしたことで脳に自らの体の地図を創るのではないかといわれている。
※2 Attention Deficit/Hyperactivity Disorder.昔はLD(学習障害)なども含めてMBD(微細脳障害)と診断されていた。
※3 母胎内で胎児が動くこと、その動き。
※4 発達障害の原因はまだはっきりとはしていないが、生後1年以内の調査データから、発達障害の子どもたちに原始反射(生まれつき持っている反射の運動で多くが乳児期の間に消える)が消えない、自発運動がおかしいという結果が出ている。

まず大切なのは子どもと向き合うこと

 昨年(2009年)4月から埼玉県朝霞市の「育み支援バーチャルセンター事業」で、認知心理のわかる心理士や作業療法士などと専門チームを作って、60近くある市内すべての保育園と幼稚園、小学校、中学校を訪問しています。医者が教育の中に入ったのです。
 この取組でよかったのは、医療的な立場から保護者に子どもの話ができることと、認知主義的な観点から現場の先生方にアドバイスができることです。たとえば、黒板に1題だけ問題を書き出すとたちどころに解けるのに、教科書にいくつも問題が並んでいると解けない自閉症の子がいました。情報が多くて混乱してしまうのです。音読しないと情報が処理できない子もいました。それぞれに合わせた対応をすればよいのですが、経験主義的な教育現場では先生が判断を下すのも難しい。発達障害のマニュアルなどはよくありますが、すべての子に当てはまるわけではありません。なぜこの処理ができないのかがわかる医者か認知科学の専門家が、先生の隣で考えてあげることが必要なのです。そのためには認知心理ができる人、アメリカでいう神経心理士の役割を担う人も今後求められてくるでしょう。
 またこの1年間で確信したのは、病院と学校では子どもの表情がまったく違うということです。友達との関係などを見ずに病院だけで診断していては、本当の子どもはわからないと思いました。すぐにMRIや脳波、血液検査あるいはチェックリストなどを用いて診断を下す医者が小児科でも増えていますが、まず大切なのは子どもをしっかりと見ること。そうしないと本当の解決にはなりません。同じように、これから保育士や幼稚園の先生、小学校の先生などを目指す人たちには、色々なチェックリストやマニュアルにとらわれずに、まず子どもと向き合うこと、子どもを観察して、子どもを信じて、子どもとコミュニケーションをとることを大切にしてほしいと思います。


最強の研究仲間、
小西行郎先生を偲ぶ

熊本大学名誉教授
三池 輝久 先生

小西先生と親しく、《眠育》という言葉の生みの親であり、長年、体内時計の混乱に伴う睡眠障害と発達障害や不登校などとの関連を指摘されてこられた熊本大学名誉教授の三池輝久先生から、追悼メッセージをいただきましたのでご紹介します。

 1999年、マレーシアのペナン島で開催されたアジア・オセアニア国際小児神経学会で出会い、意気投合して以来、小西先生はそのお顔の広さと豊富な人脈で私のその後の研究に多大な影響をもたらしてくれました。
 中でも忘れられないのは、小西先生共々多大な後援をいただいた元ニューウェルブランズ・ジャパン合同会社会長・葛西健蔵氏(1926〜2017年:アップリカ・チルドレンズプロダクツ株式会社創業者)との出会い。二度とお目にかかれないような豪快なお人柄でしたが、既に会長とは親しい関係にあった小西先生が、「会長の関心が深い《子どもの幸せ》は睡眠と関係がある」として、当時、乳幼児期の睡眠障害と発達障害の関係を主張し始めていた私のことを伝えてくれたようです。
 小児科医としては一桁、二桁、額の違う研究費を獲得されてくるのも小西先生でした。ただ時に、その歯に衣着せない物言いによって、その本質である子どもに対する心の底からの優しさが見落とされることもあったようです。私にも似たところがあり、「お互いそれが災いしてあまり人に好かれませんね」などと話すうちに、親しみはますます深まってきたようです。
 2006年、小西、榊原洋一(お茶の水女子大学名誉教授、日本子ども学会理事長)の両氏に担がれて日本小児神経学会の理事長に選ばれた私は、当時流行りのマニフェストを作るなど様々に物議を醸しました。この事から一部には、会員に様々な波紋を投げかけその調和を乱したという評価もあったようです。ただ結果的には、学会として法人化を成し遂げることができ、しかもこれは、偏に小西・榊原両先生の先見の明と精力的な活動のおかげであるにも関わらず、学会がこのことに目をつぶっているのは私には公平とは思えないのです。
 2008年、熊本大学を辞した私は葛西健蔵氏のご紹介により兵庫県知事・井戸敏三氏と出会い兵庫県立リハビリテーション中央病院 子どもの睡眠と発達医療センター長として熊本を離れ神戸に赴任しました。この折にも小西先生には、何かとお心遣いをいただき、お手伝いもしていただくなど多大なお世話になりました。そして2013年、私がセンター長を辞して熊本に帰る決心をした折には、次のセンター長をお願いし、お受けいただきました。
 当初は、子どもの睡眠にのめり込むほどの関心はなかったはずの小西先生でしたが、1-2年後には私以上に「眠育」推進に熱弁をふるう存在となられ、会うたびに子どもたちの生活習慣作りの重要性を熱く語り合うようになりました。いわく、「睡眠覚醒リズムを営む体内時計の形成は、胎児期に始まり、形成の未熟性、混乱は、幼小児期には発達障害的症状をもたらし、更には行き渋り、不登校、引きこもり、うつ、成人代謝病、認知症に至る問題の基盤となり得る」「だからこそ、小児科医には治療と予防の可能性があるという事実を社会に知らせていく大事な使命、仕事がある」。これが二人の共通認識であり、同時に多くの小児科医がこのことに無関心であることへの危機感にもつながってきたのです。小西先生が亡くなる数日前に病室を訪れた際も、この同じ思いを二人で握手しながら語りあいました。「先生のおかげでこの年で最後まで心底、打ち込める研究主題を見つけることができて、研究に没頭できたことは医学の臨床研究者として本当に幸せだった。先生に会えてよかった。本当にありがとう。」
 小西さんこれまでありがとう。私はもう少し、君の志と共に生きている間は頑張ってみます。

新型コロナウイルス感染拡大防止と
大学の活動の維持・拡大のために
「大学PCR検査」という選択

緊急事態宣言の解除から5カ月。新型コロナウイルスの感染収束については予断を許さないものの、小・中学校、高等学校がほぼ全面的に再開する中、大学の秋学期の動向に注目が集まっている。その中で、安全・安心のキャンパス実現のために、学内でのPCR検査実施に踏み切る大学も現れ始めた。今春の感染拡大期、PCR検査実施の抑制か拡大かの議論の中でも言及された大学での実施。それを独自のコンセプトで取り入れて事態の打開を目指す取組には、教育的な見地からも注目が集まる。

安全・安心なキャンパスづくりへの
新たな挑戦が始まる
京都の産官学で総力を結集

京都産業大学

 産官学の連携で、今日から稼働したのが、京都産業大学PCR検査センター。医学部・薬学部を持たない総合大学としては初の試みとなる。
9月1日に分析機器や医用機器の大手メーカー、株式会社 島津製作所(本社:京都市中京区)と「包括的連携協力に関する協定」を結び、同社の開発した新型コロナウイルス検出試薬キットを用い、唾液による検査を行う。対象は症状のない学生、教職員。京都府・市との連携では、他大学への情報提供、学生の街・京都における感染拡大防止への貢献も目指す。
教育・研究面では、PCRなど基礎科学を行う生命科学部や感染症分子研究センターと連携して、理系人材の育成にも役立てるとともに、島津製作所と連携して感染防止に向けた新たな研究の展開も目指す。またコロナ禍の中での新しい形の産官学連携の構築も試みる。
設置されたのは、ラーニングコモンズなどのある2013年に新築された雄飛館の4階。診療所の附属機関として、併設する既存の施設を改修した。施設の安全基準はバイオセーフティレベル2+(BSL-2+)で設定。2025年までの運営を予定しているが、衛生検査所としての登録も目指す。学生の負担は900円に抑える。
床面積約88㎡で「検体採取室」(簡易防護対策)、「検体取扱室」(BSL-2+)、「試薬調製室」、「PCR測定室」の4区画に区切られる(図)。常勤スタッフは検査技師など4名で、週5日稼働、午前に検体採取、午後から検査を行い、1日の検査目標数は最大150人。ただ、当面は無理のない範囲の40人分に抑える。無症状感染者による感染リスクへの不安をできるだけ払拭するのが目的で、当初はリスクの高い集団生活をする寮生や、実習・フィールドワーク等で学外へ出向く学生、同居する家族に高齢者のいる学生など約1900人に優先的に声をかける。また全学生に対しては、積極的に情報を開示していくとともに、新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAのインストールを推奨するなど感染意識を高め、行動のさらなる変容を促す。
希望する学生は予約を取り、学内用WEB掲示板から申請書類をダウンロードして印刷、必要事項を記入して来室。入室後すぐに検温し手指を消毒。用意された50mlのチューブを持って3室ある陰圧ブースに一名ずつ入り、自ら唾液を採取し、小窓の中の収納ラックへ入れ扉を閉めて退出する。陰圧ブースは、殺菌灯も備え万全の安全対策を施す。ブースの裏側ではスタッフが待機し、小窓から間接的に検体を回収し、検体取扱室へ送るパスボックスへ入れる。検体取扱室では、検体を遠心分離機にかけたあと、前処理試薬をまぜ、90℃で7分間加熱し、パスボックス経由で試薬調製室へ送る。こうして前処理を済ませた検体は、試薬調製室で検出用の試薬を入れPCR検査器にかけられ測定が行われる。この間の一連の流れが約1,5時間だ。検査で陰性の場合はメールにて連絡。陽性が疑われる場合には、再検査など慎重な対応が予定されている。陽性/陰性の判定、および万が一陽性と判定された場合の保健所への連絡は医師が行う。
PCR検査の大学モデル、コロナ禍での新しい産官学連携のこれからに期待が集まる。

19日に行われた開所式では、近くの上賀茂神社から神職を招き、神事一式を行うとともに【下写真】、その後、除幕式が行われた。

開所式の最後に行われた内覧会で、自らPCR検査について説明する黒坂光新学長。専門は生化学。総合生命科学部長も務めた。新型コロナウイルスについては、「相手を知って正しく恐れよう」と。

来賓として駆けつけた西脇隆俊京都府知事は、この取組が全国のモデルケースとなり、府内の大学や他府県へも波及することを期待するとエールを送った【下写真】。

検査を受けた学生・教職員への啓発用のリーフレット(アマビエ)。上賀茂神社のお守りも兼ねる。

株式会社島津製作所の上田輝久社長は、同社としては医学部、薬学部を持たない大学とは初の連携となるとしたうえで、海外でも感染拡大しており、世界へ発信すべき取組と意気込みを述べた。最後に京都産業大学のスローガン、“むすんで、うみだす。”をひき、学生、教職員、地域の人とむすんで新しいものを生み出してほしいと締めくくった。

PCR検査センターが設置された雄飛館
PCR検査センター啓発パンフレット

16歳からの大学論 第24回

ほんとうの「自由」

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
京都大学博士(教育学)。専門は高等教育学。関心分野は大学の再編と役割。所属学会は、大学教育学会、日本高等教育学会など。1987年韓国全羅北道出身。九州大学特任助教、三重大学講師を経て現在に至る。韓国忠南大学校師範大学教育学科を卒業した後、2014年に日本国費留学生として渡日し、大阪大学人間科学研究科研究生を経て、京都大学教育学研究科で修士学位及び博士学位を取得。

 このような大げさなタイトルのもとに書くことは著者には荷が重いことは承知の上ですが(例えば、佐伯啓思先生の『自由とは何か』(2004年講談社現代新書)という良書があります)、昨今の騒動をみるにつけ、力不足を認めつつも考えておかなければならないことと思って、自分なりに記します。
言うまでもなく、自分以外の誰かやどこかの組織に、「あなたは自由です」と認められてようやく獲得するような自由は、ほんとうの「自由」ではありません。それは「権利」に近いものでしょう。そのような許可や認定を受けるはるか前から、我々は「自由」です。社会や制度はつまるところ人間が作った(作ってしまった)人工物であり、そういう人工物がどうのこうのという以前に、我々は自由にものを考え自由に行動できる存在という意味です。
「え? 全然、自由じゃないですよ。会社に縛られ、家庭に縛られ、全くやりたいようにやれていません」
なんて思われた方もいるでしょうが、いつ何時でもこの瞬間からでも、それらを手放し何処にだって旅に出かけることができる、つまりそれを「する・しない」のどちらかを選択をしているのはあなた自身であって、やっぱりどう考えても我々は本来的に「自由」です。したがって、極論するなら・・・などという修飾語をつけるまでもなく、すべては自らが選択した結果であり、この世のすべてにおいて誰かや何かのせいにできることなど何一つとしてない、というのは、あまりにも当たり前の事実です。これは小賢しい責任論などではなく、全宇宙の認識についての話であることに注意してください。そう、ほんとうの「自由」とは「孤独」という意味に近いのです。
昨今、責任論の類はよく見かけますが、このような認識論(言うなら、この世や人生への構え)はとんと見かけない。それではいつまでたっても枝葉、末節の域にとどまったままだろう、という苛立ちもまたこのような文章を書くに至ったきっかけですが、「自由=やりたい放題」と考えるのは、自由の対義語を「束縛」や「責任」とする考え方から生じたものです。繰り返しになりますが、それは人工物の域であり枝葉の域です。その束縛とは何か、責任とは何かと考えることこそ、我々の存在の土台の部分について意識を向けることであり-それがすなわち幹の域ですー、我々が持って生まれた本来の性質に気づくことでしょう。
「自由」を「自立」という意味合いで用いたのは福沢諭吉です。彼にとって自立とは、文字通り「自分で立つ」ということであり、自分で食って自分で生きることですから、自由とはやはり、どこか孤独な雰囲気をまとったものになるのではないでしょうか。
あぁ、もし今を生きる人々がこのほんとうの「自由」を認識したなら・・・もっとこの世はさっぱりするのだろうなと思うのです。自分の不都合や不平不満を、誰かやどこかの組織を安易に悪者にした正義論にすり替え、声高に唱えたりしなくなるでしょう。自分が弱者であることを過剰にアピールし、あたかもそのことで自分が正しい側にいるのだと考えたりもしなくなるでしょう。あるいは過剰に熱くなり、なぜみな声をあげないんだ!などと闘志を要請したりすることも。全ては自分の選択であって誰のせいにもできないのですから。
かといって、それは孤独で寂しく、極度に諦めた世界像を抱くことなどでもなく、良いことも悪いことも含めたこの世、この社会に対する覚悟にも似た受諾的態度でもって生きるということなのでしょう。「あぁ、あいつも変なことをしているが、それは自分だってあの立場だったらそうなるかもしれん・・・どうしようもないことをしているとは思うが無碍に責めることもできやしない、なぜなら自分だってそれほど正しくはないのだから。そして、歴史をみればそういうことだってあっただろうし、そういう経緯を経てこの今というものがあるのだから・・・」と。
ほんとうの「自由」の理解は、きっと味わい深い世にいたる第一歩になるのではないでしょうか。(続く)

シリーズ 大学が地域の核になる—京都文教大学の挑戦

地域に愛され、地域と育つクラブチームを目指して!
来春、女子硬式野球部創部!

京都文教大学・短期大学ではこれまでも軟式野球部や女子サッカー部が地域の応援を受けながらスポーツと学業の両立を図ってきました。それらの実績を踏まえ、2021年4月、京都文教短期大学・京都文教大学に新しく「女子硬式野球部」が誕生します。京都府内の大学では初めての設置となる女子硬式野球部。女子プロ野球選手としてワールドカップでの活躍もある小西美加さんを総監督に迎え、地域に必要とされるチームと人材育成に務めていきます。

地域と共に歩む部活動

事例①京都文教女子サッカー部

2008年度から本格的にスタートしたクラブです。地元企業からもご後援いただき、そのサポートを受けながら公式戦出場やサッカーを通じた地域貢献など、多彩な活動に取り組んでいます。2009年からは日韓交流事業「日韓女子サッカー交流フェスティバル」を続けており、本学女子サッカー部と韓国大邱(テグ)広域市の大邱東部高校のサッカー部女子生徒とが、両国を行き来し、各国の文化紹介や親善試合を重ねています。また、京都府立宇治支援学校などでのサッカー教室の実施など、地域の子どもたちがスポーツに親しむイベントの開催なども積極的に行っています。

事例②京都文教大学軟式野球部

大学開学3年目の1998年に創部された歴史あるクラブです。所属する京滋大学軟式野球連盟では、毎年、春と秋にあるリーグ戦が行われ、その勝者が8月に行われる全日本選手権、11月に行われる西日本選手権への出場権を手に入れます。本学野球部は、例年京滋リーグで優秀な成績を修めており、2015年西日本選手権大会優勝、2017年全日本選手権優勝という輝かしい実績を持っています。部員には、大学のある宇治市や近隣の久御山町、城陽市の出身者で地元のリトルリーグにも所属していた選手が多く在籍しており、地元の野球愛好家や地元紙のスポーツ担当記者など、選手達の成長を見守ってくださるファンの方にも恵まれています。一方、軟式野球部も大学のイベント等で地域の子どもたちを対象にした野球教室などを開き、地域貢献にも力を入れています。

2021年春 京都初、女子硬式野球部 誕生!

現在、京都文教短期大学・京都文教大学では、来春に予定する女子硬式野球部の始動に向けて、高校生を対象にした入学相談会や硬式野球体験会を実施しています。
地域に密着した大学だからこそ可能な、スポーツと勉強を両立し、将来を見据えた学びのできるプログラムを紹介します。

大学でも野球を続けたい!
そんな女子の希望を叶える日本に女子プロ野球リーグが誕生したのは、2009年。それ以降、女子硬式野球の人気は上昇し競技人口も増加してきました。京都府内でも福知山成美高校、京都外国語大学西高校、京都明徳高校、両洋高校の4校に女子硬式野球部ができ、野球をしたいと思う女子選手の育成に務めてきました。しかし、高校後の進路として考えられる短大・大学で女子硬式野球部があるのは、全国でわずか8校。近畿圏では大阪体育大学と桃山学院教育大学の2校のみで、高校で野球を辞めざるをえない選手も少なくないと言われていました。

将来に備えた両立プログラム

来春に女子硬式野球部が誕生する本学では、野球をやりたい、続けたいと思う気持ちと、大学での勉強や進路に不安を感じる気持ちに寄り添い、資格取得や就職サポートにも力を入れています。
女子硬式野球部に入部を希望する高校生は、まず京都文教短期大学に入学します。京都文教短期大学では、幼児保育・教育分野、栄養・食物分野の国家資格をはじめ約40もの資格取得を目指すことができます。これらの資格を取得し、進路の基盤を作った後に、京都文教大学へ編入することで、トータル4年間野球に打ち込むことができます。また、短大・大学を卒業後、社会人として働きながらクラブチームで野球選手として活躍する道も開けています。資格に強い短大で学ぶことで、卒業後のあらゆる進路に対応できる環境を整えていきます。

女子硬式野球体験会

8月、本学のオープンキャンパスに併せ、高校生を対象に、女子硬式野球部の体験会を実施しました。体験会では、総監督を務める小西美加氏が指導にあたり、実際の練習さながら約2時間のメニューをこなしました。

地域に根付いた進路サポート

開学以来60年、女子の教育に力を入れてきた京都文教短期大学では、在学中に取得した資格を活かし、保育関係や栄養・食物分野をはじめ、一般企業や福祉施設、公共団体など地元地域に多くの卒業生が就職していきます。また、京都文教大学も地元への就職に力を入れており、在学中のインターンシップや企業と学生との交流会など本学の学生を知っていただく機会も多く設けています。企業や地域団体とのネットワーク強化が、学生たちの安定した進路にも繋がっています。

総監督 小西美加氏

~Profile~
2004年 女子野球日本代表に選出。IBAF女子野球ワールドカップに3度出場。 2006年 (第2回大会)銀メダル/2008年(第3回大会)金メダル 2012年 (第5回)金メダル 2009年 日本女子プロ野球リーグ創設時よりプロ選手として活躍。 「兵庫スイングスマイリーズ」「大阪ブレイビーハニーズ」「ウエスト・フローラ」「京都フローラ」の各球団に在籍し、最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の3冠王に輝くなどの功績を残す。 2019年 プロ野球「京都フローラ」退団

食べることと出すこと

雑賀恵子の書評

頭木弘樹 医学書院 2020年

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 日常を「フツー」に生きていると、「フツー」というのが実は「フツー」ではないことにはなかなか気がつかないものだ。だって、「フツー」なのだから。「フツー」ではない状態になってようやく気がつく、ということがある。「フツー」ではない状態、その一つが、病気だ。
二十歳の普通の大学生だった著者は、突然潰瘍性大腸炎という難病になり、以降35年以上、この病名の身体を抱えて生きることになってしまった。名前から分かる通り、大腸、つまり食べて出す通路に潰瘍ができて、食べると血の混じった激しい下痢を起こしてしまう。食べなければ死ぬけれども、食べると余計に死んでしまいそうになるというわけである。
発病してすぐの治療は、静脈に直接輸液を入れて栄養補給しながら一月以上もなにも口にせず、飲み込むことなく、完全に絶食する、というものだった。そこで、栄養が補給されているのに、飢餓感があることに気がつく。自分の中にあるさまざまな器官、胃袋、喉、顎、舌…。それぞれの輪郭がはっきりして、それぞれが著者に訴えかけるのだ。
絶食が終わった後の食べ物を口にした時の感覚、それから食/味覚に対する劇的な変化。感覚も思考も、慣れを吹き飛ばし、鋭敏に反応するようになった。食べるということが、身体というとても複雑なものと外部とが織りなす重層的な意味を持ったやりとりであり、「食べることは受け入れること」が鮮やかに描き出される。
受け入れるというのには、共に食べることに意味を見出す人間関係も含む。コミュニケーションとしての食事文化がある以上、一緒に食べられない人間は、他人からは面倒な人間だと見られることになる。「受け入れる」ということは、受け入れないものを排除するということと裏腹なのだ。同じものを食べるもの同士はまとまり、そうではないものと分断線をひく。宗教的な食べ物のタブーもここにあると著者は考える。
食べることは人との関係の中で重要だしおおっぴらなのに、出すことは人前ではとても恥ずかしいことであるのはなぜか。出すことの失敗は、人を無力にしてしまう。そして人前で恥ずかしさを感じると、人に服従してしまうという心理に陥る。
緩やかな状態になっても悪い方へぶり返し、治ることの望みがとても薄く、食事の制限も多い上、下痢のために日常生活もカセがはめられるが、直ちに死ぬというわけではない、厄介な病気。
本書は、闘病記ではない。「フツー」でない身体で日常を生きている著者が、自分の身に起こったこと、考えたことを、小説や映画の言葉の引用をちりばめながら、軽やかに、ユーモアを交えて語っていく。「フツー」に思っていたことを著者にひっくり返されて、「フツー」というのは思考の「不通」だったのだなあと、目から鱗の驚きの連続に満ちた本である。

秋冬に備え、新型コロナウイルス感染症の
検査センターの能力を倍増
実習前の学生と受け入れ側に安心感。地域医療への貢献も目指す

長崎国際大学

 6月に、医学部や病院を持たない大学としては初めて、新型コロナウイルス感染の有無を診断する検査センター(「NIU疾患検査センター」)を設置した長崎国際大学(佐世保市ハウステンボス町。人間社会、健康管理、薬学の3学部)。11月からは、秋冬の感染再拡大やインフルエンザの流行も視野に、検査能力を倍増する。
同大は学生や教職員、近隣住民の安全・安心、および長崎県の地域医療に貢献すべく、県から2台の検査機器を無償貸与してもらい、衛生検査所の登録も受けて、7月1日から運用を開始した。「感染者を早期発見、隔離し治療することが大事で、感染が疑われる人がすぐに検査できない状況を少しでも解決したかった」と医師でもある安東由喜雄学長。実際、全学科の学生の間には、実習前に検査を受け、感染していないことを証明してから実習に臨めると安心感が広がるとともに、実習先からは好感を持って受け入れられているようだ。
検査方式は、短時間で結果がわかり、コストを抑えられるLAMP法で、唾液を使う。薬学部の隈博幸教授(臨床検査学)ら8人が土・日曜日を除く週5日対応、検査能力は1日5サイクル最大100件との設定で行っている。9月末までの3カ月間で計618人を検査。うち学生が35%、同一法人の短大などの学生が9%、教職員13%で、残りの43%が一般の受検者だった。
同大では8月に、「利休庵診療所」も開設。学長ら医師免許を持つ教員4人が講義の後などに診療も始めた。そして11月からは、県からさらに2台の貸与を受け、1日200人の検査が可能な体制を整え、佐世保を中心とした長崎県北部、佐賀県の一部の住民への対応も視野に入れている。
長崎国際大学は2000年、学校法人九州文化学園と長崎県及び佐世保市の公私協力方式で開設(安部直樹理事長)。「人間尊重を基本理念に、よりよい人間関係とホスピタリティの探求・実現、並びに文化と健康を大切にする社会の建設に貢献する教育・研究」を建学の理念に掲げ、茶道を必修とするユニークな大学として知られる。

シリコンカーバイド SiC異端からメインストリームへ

イノベーションの軌跡 第3回

SiCパワー半導体がパワーエレクトロニクスのこれからを拓く

松波弘之先生 京都大学名誉教授 松波弘之先生

~Profile~
○研究・教育(39年):1964年4月 京都大学助手。1971年12月 京都大学助教授。1976年9月-1977年7月 米国ノースカロライナ州立大学客員准教授。1983年2月 京都大学教授。2003年3月 京都大学定年退官。○産学連携(12年):2004年4月-2012年3月科学技術振興機構(JST)イノベーションプラザ京都館長。地域の科学技術支援と産学連携(産学連携経験8年)。2013年12月-2018年3月 「JSTスーパークラスタ事業京都」アドバイザ。○現在:2010年度-SiCアライアンス会長。2014年度-NEDO次世代パワーエレクトロニクス・プログラム推進委員。大阪府立市岡高等学校出身。

グローバルITの拡大など、世界中で電気エネルギーへの依存が高まる中、ポストコロナにおいても新たな電源の拡充に加えて、電気エネルギー利用の効率化がSDGs実現の重要なキーであることに変わりはない。そのための有力なアプローチの一つがパワーエレクトロニクス※1の革新、その切り札として急浮上してきたのがシリコンカーバイド(SiC)※2パワー半導体だ。パワー半導体は、PCなどに搭載され消費者にもなじみ深いメモリやCPUなどと同じ半導体だが、家電やエレベータ、鉄道車輌にコンバータ、インバータなどとして搭載され、電源に直結して主に高電圧、高周波の電流や電力を制御する。他にも化学工場などでは、瞬停対策装置に使われ重要な役割を果たす。素材はメモリなどと同様、シリコン(Si)が一般的だが、近年、小型化でき冷却が簡単で、電力損失も少ないSiC素材のものが量産されるようになって状況は一変してきた。“産業のコメ”とも言われ、かつては技術大国日本を象徴する存在だった半導体。メモリなどその多くがその地位を失う中、SiCパワー半導体技術・社会実装技術は、世界をまだ2周回ほどリードしているとも言われる。開発の第一人者と言われ、半世紀以上にわたって研究開発に携わってこられた松波弘之京都大学名誉教授に、反骨者と呼ばれた若手研究者の時代から、表舞台へ躍り出られるまでを振り返っていただくとともに、明日の科学技術を担うみなさんへのメッセージをお聞きした。

※1 power electronics:電力用半導体デバイスを用いた電力変換、電力開閉に関する技術を扱う工学
※2 炭化ケイ素Silicon Carbide:シリコンとカーボンを50対50で混ぜ合わせた化合物

SiCとの出会い、ショックレーの予言

水素を動力に、排出するのは水だけという究極の環境対応車として注目されるホンダの燃料電池車クラリティ【写真1】。

写真1 ホンダの新型燃料電池車 CLARITY FUEL CELL 2016年5月発売開始

水素エネルギーを使った燃料電池に加えて、SiCパワー半導体を使うことでボンネットにコンパクトに収納されたインバータ・コンバータにも特長がある。SiC半導体にはSi素材によるものに比べて優れた特徴が数々あるが【表】、小型化できることもその一つ。この夏からはJR東海の新型新幹線N700Sにも(トランス、コンバータ・インバータ、モータなどを見直すことで車両の軽量化につながる)搭載されるなど、近い将来、パワー半導体素材の地図を塗り替えるのではないかと期待されている。【図1】(図中に使用の用語については、用語集も参照)の赤線で区切られた右側は、デバイスが今後SiCに置き換えられていくであろう領域を示す。ほとんどすべての用途、電力帯(容量)、周波数帯でSiCの優位性が見てとれる。

【表】Si、SiCの比較とSiCパワーバイスのメリット
【図1】パワーデバイスの棲み分けとSiCへの期待
BPT:バイポーラトランジスタ
THY:サイリスタ
GTO:ゲートターンオフサイリスタ
MOSFET:金属・酸化膜・半導体 電界効果トランジスタ
IGBT:絶縁ゲートバイポーラトランジスタ

松波先生によると、パワー半導体にSiCを使うことで、発電から消費までの電力フローの中で、電力変換器の高効率化や、これまで使われてこなかった分野への導入によって、最低でも15%のロスを防げるという。ハイブリッドや燃料電池車が普及し、車が電力フローの中に組み込まれればその割合はさらに高まる。材料調達コストも、Siに炭素(C)が加わるだけだから問題はない。
そんなSiCデバイスの製品化を長年阻んできたのは、技術開発が極めて難しかったからだ。
1950年代、SiCは半導体の材料として、ゲルマニウム(Ge)に続いて大いにもてはやされたが、きれいな結晶が作りにくいところへ、高温動作性がGeよりも優れたSiが現れ、注目の度合いが減っていった。1960年代後半、松波先生が京都大学工学部電子工学研究科の助手時代、SiCに出会った頃には、半導体に使おうとする研究者はほとんどいなくなっていた。
そんな中で松波先生は、高い温度で使え、放射線に対しても強い特性が活かせるSiCへの期待を捨てなかった。様々な半導体で電気の流れを調べ、新材料を見つけようという物性研究全盛の中で、SiCを材料に世の中で使ってもらえるトランジスタを作りたいとの思いを募らせていった。
世界中の研究者がSiやガリウムヒ素を使った研究に参入する中で、大学の中で少人数で立ち向かっても限界があるとの判断もあった。そして、人のしないことをしてみたいという持ち前の反骨精神に火がついた。
もう一つ、今でも松波先生の頭に残る言葉がある。1959年後半の第1回SiC国際会議で、全盛のSiCに対して、トランジスタ生みの親であり、尊敬するノーベル賞受賞者ショックレー(William Bradford Shockley Jr.)が述べた次の言葉だ。
「SiCは結晶成長が難しい点がネックになるかもしれない。しかし、それを乗り越える者が出て来たらとても面白い素材になる」。この言葉に導かれるように、松波先生のSiC研究は、その後進んでいく。

青色発光ダイオードの開発で 凌いだ我慢の10年

 元素であるSiに比べ、カーボンとの化合物であるSiCは単結晶が作りにくい。現在でも、コスト面での問題は100%解決していないが、半導体ウェハに求められる表面が均一な結晶を成長させる方法の確立には、実に20年以上の歳月が費やされた。この間には、いくつものブレークスルーが、またノーベル賞受賞者のエピソードにもよく登場するセレンディピティにも恵まれた。まさに「天の時」「地の利」「人の和」によるところが大きい、と松波先生は振り返る。
SiCウェハの開発は、基になるSiCの単結晶がなかったため、Siを基板としてその上にSiC単結晶厚膜を成長させること(SiC/Si(気相)ヘテロエピタキシャル成長)から始まった。しかし、国の科学技術政策は当時も今も、目に見えて成果の期待できるものにしか資金をつけない。そこで不足する研究費を補うために並行して行ったのが、当時期待の高まる青色発光ダイオードの研究開発。電気を光に変換し発光させる研究(フォトニクス)はレーザー光技術や太陽光発電、LEDにつながるもので、電流制御(エレクトロニクス)と並ぶ、半導体を使った技術のもう一方の柱だ。当時は、RGB(赤(Red)、緑(Green)、青(Blue)の三つの原色)によるフルカラーの白色実現のために、赤、緑に次ぐ第三の色である青の実現が待ち望まれ、研究助成も受けやすかった。
1976年、松波先生らはSiCを使って実用化に成功(LPE液相エピタキシャル法)。ノーベル賞受賞の対象となった窒素ガリウム(GaN)によるもの※3に比べ、光る力がやや弱いが、ヨーロッパ車ではハイビームの表示などで使われた。
一方、SiCウェハの開発の方は試行錯誤の連続で、まさに「我慢の10年だった」と松波先生。ポイントは厚膜の再現性をいかに高めるかだったが、転機となったのは高温のSi表面の原子の活性を抑制するためのバッファ層の導入。Si結晶の上に低温でプロパンガスを流し薄いバッファ層を作るというもので、これがブレークスルーとなり(1980年)、1986年には、これを材料に3C-SiC-MOSFETの試作にも成功した。

※32014年(開発完成1989年)赤崎勇(名城大学教授)、天野浩(名古屋大学教授)先生らによる。
注)赤崎先生達は、GaNのp型が作製できることを見つけられました。簡単なp-n接合では紫色しか発光せず、真の青色発光ダイオードは1993年、日亜の中村修二氏がGaN/InGaN/GaN構造で実用化したのが初めです。

第二のブレークスルーにはセレンディピティも

 成果は、世界初との評価も受け、大学研究室のものとしては満足できるものだったが、SiCとSiとの20%に近い格子定数※4の差で生じる漏洩(リーク)電流を抑えることができず、実用化には程遠かった。「学術的な成果を出すだけでは工学ではない、単なる理論(物理)屋ではなく、社会で実際に使われるものを追い求める」というのが、松波先生の反骨精神と双璧をなすもう一つの信条。
実用化には、やはりSiCの結晶を基板に使うホモエピタキシャル成長しかない、と松波先生の挑戦が再び始まった。
【写真2】はAcheson(アチソン)法で作られたSiCの塊。富山県のある工場で耐火煉瓦の材料や研磨材用に作られていたものを分けてもらったもの。中央にあってきらっと輝いて見えるのがSiCの小さな単結晶で、それを削り出し薄く削って基板にすることから実験は始まる。SiC基板温度をほぼ1500℃に保ち原料ガスを流してSiCの結晶を成長させる。しかしSiCであるため、様々な多形が混じり、思い通りの均一な表面がなかなか作れない。

【写真2】

挑戦が始まって間もない1986年、ブレークスルーのきっかけとなったセレンディピティが、修士課程2年のKさんによってもたらされた。指導教員に倣って人のやらないことをあれこれ試したKさんだったが、ある時たまたま、表面に平行になるよう研磨していた裏面が、やや傾いていたのに気付かず、それを使って結晶を成長させてしまったらしい。通常は表面が結晶軸(c軸)に垂直なオン基板(下図のジャスト基板に同じ)なら、それと平行な裏面もオン基板となるが、少し傾いていたため結晶軸(c軸)に垂直ではないオフ基板になっていた。このことが、それまで“見たこともないものが見えた”という画期的な結果をもたらすことになった。オフ基板が斜め階段状になり、その上に高品質単結晶が成長したのだった。
その後は松波先生が基板の角度を調整するなどして再現性を高める手法を確立。そのメカニズムを「ステップ制御エピタキシャル法」と名付けた【図2】。これはSiC結晶成長の核心的技術として高く評価された。1987年には、それをウェハにしたp-n接合ダイオードが高機能であることを見いだし、以後、傾斜面を使うことが世界の標準となり、ショットキーバリアダイオード(SBD)、MOSトランジスタへと展開していった。

【図2】 ステップ制御エピタキシー

1995年にはSiをはるかに上回る耐圧を示したことでパワーエレクトロニクス用として最適との確証も得られ、“SiCパワー半導体”という新しい概念の生まれるきっかけも作った。2001年には、ドイツのインフィニオン・テクノロジーズ社(情報通信機器等の製造、大手のシーメンス社傘下)がSiCショットキーバリアダイオードとして市販するに至った。

※4結晶軸の長さや軸間角度。単位格子の各稜間の角度(α、β、γ)と各軸の長さ(a、b、c)を表わす6個の定数

SiCパワー半導体導入による電気エネルギーの有効利用、環境負荷低減

「天の時」「地の利」「人の和」

 松波先生のこの技術に、国内で早くから目を付けていたのが地元京都の電子部品メーカーのローム株式会社。松波研究室から卒業生も受け入れていて、研究室の成果をスピーディーに実用化したり、地の利を活かして、企業にない設備を古巣の大学研究室で借りたりするなど、理想的な産学連携が進んでいく。当時の京都大学には手作りながら、高温の炉等、半導体製造に欠かせない設備が揃っていて、それも基礎研究の強みにつながっていたと松波先生。ロームは、2010年に国内で初めてSBDの、同年また、世界で初となるMOSFETの大量生産を行った。そして2015年には世界初のSiCトレンチMOSFET※5を開発。半導体素子製造をLSIに並ぶ柱に成長させ世界展開を加速させていく。
2009年頃には国も動き出し、Lehmanショック後委縮していた超大手企業も国家プロジェクト開始によってSiCパワー半導体に参入し始めた。
かなり早い時期でのインバータエアコンでの採用に続き、その後は地下鉄、私鉄そしてJRと、SiCの高速スイッチを活かし、回生ブレーキを使って電力消費を減らすのに成功している。また小型、薄型の特徴を活かしてHEVや燃料電池車に搭載が続く。他に太陽電池用パワーコントローラーなど、まさにパワーエレクトロニクスという大市場を革新するものとして用途が広がる。隣り合う高速エレベータ同士を結んで、回生ブレーキを使うと使用電力を65%低減させるなど、システムごと作り変える事例や、機電一体型モータの開発、また福島県のベンチャー企業では、SiCの強みを活かした高電圧のパルス電源、直流電源、大電流開閉器などの開発も進む。
国内だけでなく、パワエレのアライアンス(提携、連携)を世界に広げ、応用回路を工夫すれば、世界全体の電気エネルギー消費を50%程度減少させることができると松波先生。もちろん、それには、ウェハの大口径化やコストダウンも必要と課題も指摘する。

※5MOSFET:金属(M)-酸化膜(O)-半導体(S)電界効果トランジスタトレンチMOSFET:SiC層に溝(トレンチ)を掘り、その壁面に沿って電流を流すMOSFET

後輩へのメッセージ

 日本が科学技術力においてかつての優位を取り戻すためには、技術主導ではなく、“What to make” “How to use”を考え、様々な意見を出し、ぶつけ合える若手研究者・技術者の育成が欠かせないと松波先生。また目下問題となっている大学院博士課程進学者の減少については、若手研究者への一層の支援を国に求めるとともに、研究に進む者には、多くの先人や同僚が口にするように「3P(Passion、Persistence、Patience、―-情熱、継続、忍耐)を持って取り組めば、Luck(偶然、幸運)を得るchanceがある」ぐらいのマインド、姿勢を持って欲しいと説く。何事においても予定調和的な今の社会の風潮に背を向け、「人と異なることをする勇気」を持ってほしいとも。最後に、座右の銘としている尊敬するショックレーの言葉“Creative failure”「失敗は成功の基」、“Accident favors prepared mind”「幸運は用意された人のみに宿る」、“Try the simplest case, or approach the simplest case”「もっとも簡単なものを試せ、あるいはもっとも簡単なものに近づけ」を引き、これらの言葉を忘れず、コロナ禍さえも一つの契機としてほしいと力強く語ってくれた。


用語集

SDGs:(Sustainable Development Goals)持続可能な開発目標で17の目標がある。
インバータ:直流電流を交流電流に変換する電気回路。
コンバータ:交流電流を直流電流に変換する電気回路。
瞬停対策装置:UPS(Uninterrupted Power Supply)停電などによって交流電力が断たれた場合にも電池などに蓄えた直流電力をインバータで交流電力に変換して供給し続ける電源装置。
燃料電池:電気化学反応によって燃料の化学エネルギーから電力を取り出す(発電する)電池。SDGs向けには水素と酸素の反応を用いるのが好ましい。
セレンディピティ:素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。
HEV:(Hybrid Electric Vehicle)エンジンと、モータの動力源を同時、または個々に作動さる自動車
パワーコントローラ:(Power controller)太陽光発電で作った直流の電気を交流に変換する機器。インバータのこと。
回生ブレーキ:(Regenerative brake)運動エネルギーを電気エネルギーに変換する装置。
機電一体型モータ:モータの内部にインバータを組み込んだもの。

16歳からの大学論 第41回

高校生と研究ポスターを作っていて気づいたこと

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

 今年も「日経STEAM」(日経新聞主催)というイベントのアドバイザーをすることとなり、7月末の研究ポスター発表大会に向けて、今、全国で15校の高校生グループたちと意見交換をしております。今回、その過程で気づいたこと、特に、研究テーマ設定段階で気をつけてほしいことがあるので、記載してみます。
 もちろん、限られた人数で限られた回数の打ち合わせしかできていませんので、下記の考えを一般化するつもりはありません。筆者自身が体験した感想としてお読みください。

◯もっと手を使って考えて!

  研究テーマを複数人で考える際、「あれって大事だよね」「あれはどうなんだろう・・・」とあれこれ話すのはいいのですが、各自がその時々に感じたこと、感情や思いつきに留まっている感じがあります。もっと厳しくいうなら研究テーマが「妄想どまり」なんです。研究者がテーマを考えるときは、調査や実験、あるいは自身の体験など、膨大な経験をもとにします。それを高校生に求めるのは酷なことですが、せめてGoogle等検索サイトで調べながらブレストをしてはどうでしょうか。みなさんが考えているテーマと似たようなものを探し比較することで、みなさん自身の切り口、視点を浮かび上がらせるのです。ホワイトボードなどに書き込みながら話すことも有効です。そうしないと、話が堂々巡りになりがち。僕に送ってくる質問メールの文章を読めばすぐにわかりますよ、これ、ちゃんと考えてないな、思いつきのレベルだなって。しっかりと議論を可視化すれば、「これは本当かな?」「他にも重要な要素ないかな・・・」など色々気づきがでてくるはずです。

◯「褒められること」より「心からやりたいと」を!

 確かに社会は課題だらけ・・・
解決しないといけないことは多いですが、それに取り組むのは「課題解決」であって、本来の「探究」ではありません。探究学習においては、何かを解決することがマストではないのですよ。自分たちの好きを追い求めればいいのです。テーマを考えるときには、まず「問題」から入らないで「関心」から入ってください。みなさんが、気になって仕方ないこと、大好きで仕方ないこと、それらに強い関心があるからこそ気づく「不思議」について深堀りすることが探究なのです。
 もちろん課題解決は大事なこと。みなさんが、それに注力することはとても大切なのですが、以下のポイントにおいて難しい側面もあるのです。

◯テーマの設定の範囲をバグらせないで!

 例えば、シャッター街となった商店街を何とかするといったテーマ。これは、はっきり言ってしまえば、市役所等行政やその地域の住民の方々の仕事(役目)です。それをみなさんが課題にする理由はどこにあるのでしょうか。もちろん、しっかり現状を調査し、その上で行政のやり方に欠点があり、生活者目線からいうともっとこういうことが大事だと思う!という切り口であればよいのですが、単に「・・・が問題。そこでわたし
たちは・・・を提案します」というのでは、テーマ設定としてはあまりに素朴です。研究テーマの設定にあたっては、自分たちができること、自分たちがやる意味を踏まえないと、結果は絵に描いた餅になってしまいます。他にも、「海洋のマイクロプラスチック問題について、私達は・・・という研究をします」といったあまりにも広大なテーマも違和感があります。それは、全世界の行政、または企業が何十億もかけて実施していることであり、高校生のみなさんが太刀打ちできることではないように思います。繰り返しますが、徹底的に調べて「いや、やはりこのやり方は根本的に間違ってる!私達はその一点について、こうやったら良いと思う!その具体案を提案する」というのはアリですよ。しかしそうではなく、ただ重要な課題だからといって自分たちができないこと、責任もとれないことをあれこれ考えても、それは机上の空論になりがちですし、なによりみなさん自身もその研究テーマに熱が入りにくいのではないでしょうか。
 以上、探究学習に関係した研究ポスターのテーマ設定について思ったことを述べました。探究については、今年3月に現代思想(2024Vol.52-5 p.108−115)に論考を掲載したので、もしよければお読みください。(続く)

大学ランキングからはわからない大学の実力 第6回

パレスチナ連帯を訴える学生の憂鬱

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

~Profile~
1 9 6 0 年神奈川県生まれ。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

 今年5月、大妻女子大の学生がXでこうつぶやいていた。
 「正直しんどいですよね 人間の頭や体が吹き飛ばされ、逃げ延びた場所をなお燃やされ続けているのに、私が生活の中で触れ合う学生は誰もその話をしないんだから」。
 パレスチナ・ガザ地区での悲惨な状況をさしており、学生は抗議の意志表示をしたいけれど、話し合う仲間がいない、という訴えだ。
 それでも学生は行動を起こした。「パレスチナに連帯する本よみデモ」を企画した。Xでこう呼びかけたのだ。
 「大妻構内にて、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイド・民族浄化について学び抵抗を示す、読書を通じたデモ活動を始めます。これは、パレスチナに対するイスラエルの大量ぎゃくさつ・民族浄化について学び、抵抗を示す、大妻生有志による静かなデモです。パレスチナに関する本や資料を用意しました。大妻生のみなさん、気軽に参加どうぞ」(5月9日)。
 デモといえば、街頭や大学構内を行進するというイメージを抱かれやすい。1970年前後の学生運動世代にすれば、ヘルメットに覆面姿で石や火炎ビンを投げつけ、機動隊と衝突したことを思い浮かべるかもしれない。
 いまは令和、2020年代だ。半世紀以上前のシーンは現れるわけがない。
デモ=demonstration、つまり意志表示さえできればその手段は創意工夫で何でもありだ。「読書を通じ」「イスラエルの大量ぎゃくさつ・民族浄化について学び、抵抗を示す」デモと、機動隊と角材で対峙したデモのメンタリティは、本質的に変わっていないはずだ。
 だが、大妻女子大の学生はキャンパスで戦争反対を訴え、デモ行進をしたかったのではないか。しかしそんなことをしたら、大学職員が飛んできて事情を聞かれ、大学から厳しい処分を受けかねない。
 大妻女子大にはこんな学則がある。
「大学・短大学則第25 条、大学院学則第38 条に基づき、以下の「本学学生としての本分に反する行為」をした場合は、処分の対象になります。
 学内での喫煙・飲酒、学内での政治活動及び宗教活動・・・・」(大学ウェブサイト)。
 なるほど、読書デモが精一杯である。
これは大妻女子大に限ったことではない、戦争反対を訴えたいが処分される、就職活動で不利益を被ると考えただけで行動を起こせない。学生は社会と向き合い発信しようとすると憂鬱な気分になる。もちろん、大学は読書デモを罰するような焚書坑儒的な処分はしないは
ず。そういう意味で読書デモというアイデアはなかなかのものだ。
 もっとも、多くの学生にすれば、正々堂々とデモを行いたかったはずだ。
たとえば、東京大駒場キャンパスではパレスチナ国旗に模したテントが建てられ、集会を開くと多い時で500人の学生が集まった。早稲田大キャンパスでも100人以上の学生が声をあげている。学生が英語でアジテーション、いやアピールをした。
 上智大では50人が学内などでデモを行っている。大学新聞が学生の訴えをこう伝えた。
 「~~“We will not stand down until publicly call for a ceasefire, and you divest from Tel Aviv University(大学が公に停戦を呼びかけ、テルアビブ大学から手を引くまで、私たちが身を引くことはない)”と主張した」(上智新聞2024年5月21日号)。
 上智大はイスラエルのテルアビブ大と提携しており、その解消を求めたものだ。これに対して、同大学の曄道佳明(てるみち・よしあき)学長は声明を出した。「教皇フランシスコのメッセージにもあるように、国際社会はパレスチナ・ガザ地区に起きている人々の非人道的な状態に極めて大きな憂いと憤りを抱いています。上智大学は、武力行使によって引き起こされる全ての人権侵害に反対するとともに、即時停戦と、人間の尊厳に基づく当該地域の人々の生活の回復、安全を求めます」(2024年5月28日)。
 上智大トップの「大きな憂いと憤り」はイスラエル批判とも受け止められる。実際、駐日パレスチナ常駐総代表部はXで謝意を示した。「上智大学の皆様ありがとうございます」(5月29日)。
 だが、テルアビブ大との提携に触れていない。これに不満な学生はキャンパス内で抗議活動を続けている。
 2024年7月現在、キャンパスでパレスチナ連帯のデモ(テント設営、集会、スタンディング、座り込み、施設にポスター掲示など)が見られたのは、SNSで確認できる限り、東北大、東京大、東京都立大、青山学院大、大妻女子大、国際基督教大、上智大、多摩美術大、東洋大、明治大、早稲田大、大阪大、京都大、立命館大など。
 学問の目的の一つには戦争を起こさせず、平和な社会を追求することがある。そのために研究者は理論を構築し、学生は学び実践する。いま、世界中の大学でパレスチナ連帯の輪が広がっている。だが、日本の大学ではそれほど盛り上がっていない。その理由として、大学の管理が厳しい、学生に意志表示する習慣がなかったことなどがあげられる。戦争に反対する、それは大学での学びでもあることを、大学構成員(学生、教職員)は肝に銘じ、大学は戦争をやめさせる術を研究し、それを行動によって示してほしい。間違っても、学生を憂鬱にさせる指導、管理はやめていただきたい。

杜の都の西北から 第6回

進むか、大学の性的マイノリティ支援

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌(やす)厚(ひろ)さん


~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 大学等における性指向や性自認に関するマイノリティ(性的マイノリティ)学生に対する国の施策の動向について概観する。
マイノリティは、貧困、障がい、発達特性、外国ルーツなどによる社会的少数集団である。マイノリティは、社会的排除の対象となるなど不当な扱いや不利益を被るリスクに直面している。その中でも性的マイノリティは、青年期から孤立や孤独を感じたり、差別、偏見によるリスクを抱えていることが多い。認定NPO法人ReBitが2022年に行った調査によると、十代の性的マイノリティの自殺念慮が全体よりも3.8倍も高かったという*1。こうしたデータは当事者である若者が生きづらさを感じていることの証左であり、大学等が当事者である学生を支援し環境を整える必要性を物語っている。
 性的マイノリティの学生に対する大学等の支援については、国の施策に先んじて、国際基督教大学(ICU)などが先駆的な取り組みに着手している。また、総合大学などにおいても支援体制の整備等を進めている。こうした中、政府は、2018年に大学等教職員向けの啓発資料として、独立行政法人日本学生支援機構による「大学等における性的指向・性自
認の多様な在り方の理解増進に向けて」をとりまとめ公表した。この資料は、大学等が取り組むべき方策として、①学長や副学長等の下で、実効性・機動性を有する組織を立ち上げ、その組織が検討・実行の役割を中心的に担うこと、②各大学等の建学の理念や特色を考慮しながら、自らの基本理念を掲げ主体的に取り組むこと、③基本理念に沿って各場面に必要となる対応等を明示すること、 ④専門的な人材を配置した相談窓口等の体制を整備し情報共有等を図ること、 ⑤雰囲気の醸成、アウティング(当事者の意思に反する暴露)対応、個々の教員・担当者との調整、高等学校との連携などの役割も必要であること、等が具体的に例示されており、大学が取り組みを進める上で
の参考となっている。
 さらに、2023年6月には、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律 」(理解増進法)が公布された*2。
 理解増進法は、国としての「基本理念」を明示し規定している(3条)。基本理念の概略は、①全ての国民が、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるという理念にのっとり関連施策が行われるべきこと、②相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として関連施策が行われるべきこと、③性的指向及び性自認を理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下で関連施策が行われなければならないこと、である。
 理解増進法にはさらに、基本理念に基づく国・地方公共団体、事業主、学校に求められる役割等が明らかにされている(4 ~ 12条)。理解増進法が求める国の役割のうち、推進体制の整備、学術研究の推進、基本理念に基づく基本計画等の策定、施策の実施状況の公表等については政府の義務となっている。なお、本法は大学等(幼稚園等を除く)に求められる役割について規定している*3。大学等の設置者に対しては、性的指向及び性自認の多様性に関する学生等の理解の増進に関し、教育又は啓発、教育環境の整備、相談の機会の確保等を行うことにより、性的指向及び性自認の多様性に関する学生等の理解の増進に自ら努めるとともに国や地方公共団体が行う理解増進策に協力すべきことを規定する。さらに、設置者及び大学等に対しては、学生等が性的指向及び性自認の多様性に関する理解を深めるために、教育又は啓発、教育環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずべきことを求めている((6条③、10条③)。
 同法は政府に対して、基本理念の総合的かつ計画的な推進を図るための基本計画の策定を求めている(8条)。現在、政府において基本計画の検討が進められているという。こんご基本計画が策定され、大学等が取り組むべき施策の方向性がより詳細に示されることで、大学等における、性的マイノリティの学生支援の取組が一層加速されることが期待される。法律がめざす「包括的な共生社会」に向かっていくことを期待したい。

*1 認定NPO法人ReBit「LGBTQ子ども・若者調査2022」についてHPで公表されている調査結果による。同法人はGBTQの子ども・若者の支援をしている団体で2022年9月4日から9月30日までの間、LGBTQなどのセクシュアル・マイノリティの子ども・若者の、学校・暮らし・就活等の現状に係るアンケート調査を実施し、本件引用を含む調査結果を分析し公表している。(本調査の有効回答は2623人)

*2 理解増進法制定以前は、性的マイノリティに関する包括法がなかったため、当事者団体、支援団体、学術団体、法曹界等が新法の制定等を求めてきた。当初の超党派の国会議員による法案作成から最終的な法律となるまでの過程等で曲折があったが、本稿では、理解増進法が制定されたことの意義に着目しその内容を概観することに主眼を置くこととする。なお、本法の規定は施行後3年を目途として、その時の状況等を勘案し検討を加え、その結果に基づき必要な措置が講ぜられることになっている。(附則2条)

*3 理解増進法の条文では大学を含めて「学校」、学生を含めて「児童等」と規定しているが、本稿ではそれぞれ「大学等」「学生等」と称することとした。

大学トップから高校生へのメッセージ

創立100周年に向けて 改革を加速する東京都市大学

2029年に創立100周年を迎える東京都市大学。今年1月、新たに学長に就任された野城智也先生は、建築学の新分野であるサステナブル建築を出発点に 技術経営分野のイノベーション・マネジメントまで、分野を超越した、独自のアカデミック・キャリアパスを切り拓いてこられました。教員人生をスタートした場所であり、今また学長として戻られた東京都市大学に、どんな未来を託されるのか。イノベーション・マネジメントの視点も加え、これからの日本に求められる人材の育成について、また高校生へのメッセージをお聞きしました。

イノベーション創出の担い手になるために

――専門性を縦糸に デザイン思考を横糸に

東京都市大学学長 野城 智也先生

野城 智也先生
~Profile~
1980年東京大学工学部建築学科卒業、1985年東京大学工学系研究科建築学博士課程修了(工学博士)。同年4月より建設省建築研究所研究員。1986年同省住宅局住宅建設課係長などを経て 1990年同省建築研究所主任研究員。1991年武蔵工業大学(現東京都市大学)建築学科助教授、1998年東京大学大学院工学系研究科助教授、1999年同学生産技術研究所助教授、2001年同 教授、2007年同副所長、2009年同所長。2013年同学副学長。2018年同学価値創造デザイン人材育成研究機構長。2023年東京都市大学総合研究所特任教授、高知県公立大学法人高知工科大学教授。2024年1月から現職。専門分野はサステナブル建築、イノベーション・マネジメント。東京教育大学附属高等学校(現、筑波大学附属高等学校)出身。

私のアカデミック・キャリアパス

●武蔵工業大学(現東京都市大学)で研究者人生の基盤を固める

 私は、学部・大学院では建築を専攻しました。探索・試行の末に切り拓いたのはサステナブル建築(※1)という、計画・設計、構造・材料、環境工学という確立された建築学三分野を横串で刺したような分野で、地球環境の持続可能性を損なわない建築・都市の在り方を探究しています。具体的には、国内全体の30~40%を占めるとされる建築に起因するCO2などの温室効果ガスの排出をいかに減らすか、また、国全体の資源生産性(※2)を高める観点から、建築・都市を、どのような材料で構成し、どのようにして使いまわしていくべきかなどを研究し、その工学的解決策・緩和策を考案・提案してきました。
サステナブル建築研究の始まりは、1980年代後半。今でこそ、カーボン・ニュートラルという概念は世界中で共有され、建築においてはゼブ(ZEB:Zero-Energy Building)の概念は当たり前になっていますが、私が武蔵工業大学に赴任した1991年当時は、まだバブル経済の余韻が残っていて、建築業界は、スクラップ&ビルドで新築建物をどんどん増やしていくという風潮でした。そんな状況の中で私は、このままこのようなことを続けていっていいはずはないという危機感を抱きました。一部の研究者、建築家も、これからは地球環境に配慮した建築・まちづくりが大事だと考え始めていて、日本建築学会でも1990年に地球環境特別研究委員会が産声をあげていました。
何はともあれ、建築がCO2などの温室効果ガスをどのくらい出しているのかを定量的に測定し評価することが必要だと考えた私は、武蔵工業大学の学生諸君と一緒に、それぞれの建築材料が製造されるまでにどのくらいの温室効果ガスが排出されるのかを調査し、データベースとして発表しました。また、建築材料を使い回して資源生産性を高めるため、彼らと一緒に、建物の解体現場に出向き、それらがどう壊され、材料はどう廃棄されるのか、あるいはどうリユースされるのかを調査しました。そして様々なデータを泥臭く集めて分析して得た知見を英語圏で論文発表したところ、高い評価が得られたことから研究の手応えを感じ、その後の研究の方向性を定めることができました。
サステナブル建築を実現するためには、建築業界だけでなく様々な分野との連携が必要です。国内外の研究者との連携交流から、建築分野以外の企業や研究者とのネットワークも広がっていきました。 このように、私は、当時、武蔵工業大学と呼ばれていたこの東京都市大学で、自らの研究基盤を作ることができました。

※1 サステナブル建築とは、地域レベルおよび地球レベルでの生態系の収容力を維持しうる範囲に収まるように、省エネルギー・省資源・リサイクル・有害物質排出抑制を図り、その地域の伝統・文化を保ちつつ、将来にわたって、人間の生活の質を向上させていくことができる建築。

※2 生み出されたモノ・サービス・付加価値の量(output)÷使用資源量(input)、すなわち、単位量の資源を用いることによって生み出されるモノ・サービス・付加価値の量。経済活動において使用される資源をどれだけ効率的に活用して付加価値を生み出すかを示す指標。

世田谷キャンパス
横浜キャンパス

● 東大ではプロジェクト・マネジメント(※3)研究や、イノベーション・マネジメント
(※4)研究にも先鞭をつける

 1998年、母校、東京大学に教員として着任します。ただその着任先は、卒業・修了した建築学専攻ではなく社会基盤工学(土木工学)専攻でした。「コンストラクション・マネジメント」という新しい研究室の立ち上げに力を貸してほしいという要請に応じたものです。コンストラクション・マネジメントはまさに分野融合の分野でした。その後、急な欠員ができたなどの学内事情から生産技術研究所に移籍し、プロジェクト・マネジメント研究の開拓に従事しました。
その矢先、小宮山宏先生(その後東大総長)からお声がかかります。武蔵工業大学時代からのサステナブル建築に関する研究への取り組みをどこかでお聞きになったようで、先生が立ち上げようとしていたバイオマス(木くず、廃食油など生物由来の有機性資源)活用促進を目的とした研究開発プロジェクトへの参加要請でした。学内外の化学、機械工学、林学など様々な分野の専門家と連携し研究開発に取り組みました。地域に散在するバイオマス資源をどこで、どういう処理をすれば、その運搬収集に要するエネルギー使用も含めた利用効率が最大化できるのかを探究しました。また、当時出始めたバーコードやICタグを活用してバイオマスのトレーサビリティー・システムを開発し、それを森林資源にも適用・試行することで、日本の林業が抱える流通上の問題点も明らかになり、その課題解決にも取り組みました。
こうした異分野の専門家が連携して何かを創り出していった経験は、 MOT(management of technology)を担う技術経営戦略学専攻という新たな専攻を東京大学大学院工学研究科に立ち上げるお手伝いをした際にも活かされました。この新専攻で私は「イノベーション・マネジメント」という授業を託されましたが、この科目は、様々な得意技をもった人々が神輿を担ぐようにして現代のイノベーションが進んでいくことを理解し実践できるようになることが主眼になっています。武蔵工業大学が提供してくれた一年間の英国研修で知己を得たインペリアル・カレッジ・ロンドンのデビット・ギャン教授(のちに同副学長、さらに後にオックスフォード大学副学長)など多くの国内外の先達に示唆・助言をいただきながら、2016年には 、「イノベーション・マネジメント」 [書影]を出版することができました。

※3 独自の目的を期限までに達成していく一連の活動及びプロセスが、適切に動いていくように、種々の対策を施し、価値創造に導いていくこと。

※4 何らかの新たな取り組み・率先により、何らかの、精神的・身体的・経済的な豊かさや潤い、または、人や社会に役立つこと、あるいは、しあわせを創造・増進し、現状を刷新するような社会的な変革が生み出されるように、組織・プロセスを動かしていくこと。

イノベーション・マネジメントの 視点から見た 日本のものづくり産業

――どう活かす?日本の得意技

 かつてナンバーワンとも言われた日本のものづくり企業の多くは、情報技術を駆使して世界規模でサービス・コトを提供し巨万の富を築いている企業に、部品を提供することで売り上げをあげる立場になってしまっています。こうした状況が進んでしまった一因は、創造性の低下や、本質を見抜く力、言い方を変えると洞察力の欠如にあると私は考えています。
それは、日本語にはイノベーションという言葉がなかったため、技術革新と混同されるなど、必ずしもイノベーションが適切に理解されてこなかったこととも無縁ではありません。イノベーションは必ずしも技術革新を伴うものとは限りません。例えば、世界の多くのイノベーションの教科書で紹介されている「ウォークマン」。技術的には殆ど新しいものはあり ませんでした。しかし《音楽を持ち歩く》という新しい意味を創り出したのです。
iPhoneなどスマートフォンの部品の多くは日本製ですが、その新規性は単なる携帯電話ではなく、そこに《サービス端末》という新たな意味を与えたことにあります。
ウォークマン開発を主導した盛田昭夫さんも、iPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズさんも、人間にとっての新たな 《意味を作り》出すことという側面で創造力を発揮したわけで、人工物が人間にもたらす体験の本質を洞察する力がその創造力の基盤にあると考えられます。
これまでの日本の企業、特に製造業の縦割りの事業部制は、既存の人工物を改良、改善していく点では優れていました。 しかし、人にとっての新たな体験、新たな意味を提供する、まったく新しい種類の人工物を創出するためには、不向きの組織構造になってしまっています。
世界は今、GAFAと呼ばれる巨大IT企業が提供するモノ・コトと全く無縁で生活や業務ができなくなっているほどになっています。コロナ禍がもたらしたき方、教育についての大きな変化も、巨大 IT産業には追い風であったと後世の歴史家は評するでしょう。
私は、いまを席巻するこうした企業の本質は、《システムのシステムを構築する》ことにあると思っています。20世紀の日本企業のようにすべてを自前で行おうとするのではなく、Apple Storeに様々な企業が開発販売するアプリが「展示」されていることが象徴するように、何層にも分かれたシステム階層の基盤層、言い換えれば、さまざまなシステムを束ねる システムだけを自ら握るという戦略を組み立てています。
一昨年からは、こうした巨大なシステムの各層に、生成AIが適用されるようになり、教育を含むさまざまな分野で、人々にとっての新たな体験、新たな意味を怒濤のように生み出し始めています。
このように、強大化しつつある枠組みのなかで、少なくとも当面は私たちはこれからの産業のあり方、人材育成を構想せざるをえないと思います。ただ、将来は、この国から、新世代の「システムのシステム」の構築者、担い手が生まれていくよう、私たち大学の教育者は知恵を絞り実行していかねばならないと思っています。

専門性プラスデザイン・ シンキング

――神輿が担げ、二枚腰の人材を育成したい

●デザイン・シンキングのためのプログラム とPBLのさらなる充実を

 このような状況の中で、大学を卒業した後、「人生100年時代」をどう生きて行くのか。そのために必要な能力・スキルとは何か。かつて日本企業がもっていた社内での能力構築が縮退しているなかで、大学は一歩前に出ていかないといけません。
そこで、本学は、工学教育の良き伝統は守りながらも、本質を見抜く力を育成しようとしています。カメラのついた携帯を見たら、「もはやこれは携帯ではなく サービス端末になりうるのだ」と見抜けるような洞察力を、です。
そのためには、座学に加えて課題解決型学習(PBL)の重要性がますます高まってきます。本学では、「ひらめき・こと・もの・くらし・ひと」づくりプログラム等、創造力を育むための授業、言い換えれば、デザイン・シンキングをトレーニングするプログラムが既に始まっていますが、今後それらをさらに本格化していきます。これらの取り組みは、未知の状況で出会った課題に対する解決策を組み上げていく力を育むだけでなく、異分野、異なる学科の仲間と取り組むことが大きな助けになるという体験知も生み出すことになり、こうして育まれた力や知は、将来どこかで、必ず生きてくるはずです。
ちなみに、一人の天才、発明家による業績が歴史を大きく動かすイノベーションは、これからもおきえるでしょう。ただ、イノベーションのやり方の主流は、様々な人が集まり、各自が得意技を出し合いながら生み出していく、いわば《みんなで神輿を担ぐ》ような流儀になっていくであろうと、最新のイノベーション・マネジメント研究では認識されるようになっています。試作されたプロトタイプについて、多様な人々が参画するフォーメーションを作り、みんなで「試作⇨評価⇨ 造り変える」のプロセスを繰り返す、その際、ユーザーと作り手が協働することが必要ならユーザーも巻き込んでいく、といった具合です。こうしたプロセスは、まさにサステナブル建築を開発していく際にも必要なものでした。仲間とのPBL、異分野のメンバーとの協働を通じたデザイン・シンキングの修練は、神輿の担ぎ手に なるための絶好のトレーニングになると思います。

「ひらめき・こと・もの・くらし・ひと」づくりプログラム 授業の様子
●伝統の専門教育をさらに磨きつつ、教養教育も充実させたい

 もちろん専門性を育む教育の質保証はこれまで以上に重視していきたいと考えています。レートスペシャリゼーション傾向にあるように見える大規模大学とは異なり、入学直後から専門性の育成に取り組むことで、“手が動く”、基礎的な能力のある技術者を育てるという、武蔵工業大学時代から積み上げてきた産業界からの信頼をさらに強固にしていきたい。新進企業が興味を示さないニッチな分野で、日本が優位性を保ちながらイノベーションを進めていける余地はまだたくさん残されています。本学では、他大学では看板をおろしてしまったり、担当教員が殆どいなくなっている分野の先生方が力強く活躍されています。例えば、理工学部原子力安全工学科や理工学部電気電子通信工学科の強電分野、あるいは水素エネルギーの利用に関する教育研究については、日本全体を見渡しても私たちは貴重な担い手となりつつあります。これらの技術は、なくてはならぬ技術ですので、様々な挑戦をしつつ技術継承の責務を果たしていきたいと思います。
リベラルアーツ教育も充実させていきたいです。変化の激しい時代を生き抜くには、大学で学んだことだけでなく、《自学自考》、自分で学び、自分で考えつつ、継続的に能力構築していかねばなりません。その基盤となるのがリベラルアーツ教育です。哲学でもいいし、農業、歴史でもいい、専門以外に興味のある分野を見つけ、専門とは違ったアングルでものご とを考えられるようになることはとても大事です。ただ、中規模大学としては、用意できる教科数は大規模大学のように豊富ではないかもしれません。こうした問題意識を共有できる仲間の大学と連携することで、多種多様な科目を用意し、学生 諸君の多様な知的好奇心に応えていきたいです。こうした観点からは、教育コンテンツのデジタル化が進んでいることも追い風です。
創立100周年を迎える2029年以降、私たち大学のあり方とはどのようなものであるべきか。日本の大学というものの本質を見極め、未来の大学のあり方を洞察し、そのために必要な施策を考え実行に移していきたいと思っています。

高校生へのメッセージ

――専門プラスアルファで、先の見えない未来を切り拓く

 本学だけではなく、大学はみな、それぞれの専門領域で、4年間あるいは6年間でどのような能力を身につけていけるかを示しています。ただ、変化・変革の激しい時代には、大学で身につけた能力だけでその後の人生を乗り切っていくのは難しいでしょう。そこで大学で学んだことが陳腐化してしまったとしても、前例のない課題に対処できる能力を生涯に わたって構築していける素養を育成していきたい、本学はそういう思いで教育に取り組んでいます。言い換えれば、《二枚腰》の人材となれるようお手伝いしたいのです。私たちは、皆さんの大学生活が、専攻を縦糸に、自学自考能力を横糸にして、自らの力を磨く機会になるよう努めています。 専門課程の内容に加えて、貴兄貴女にとっての横糸を編み込める可能性も大学選びの観点に加えてみては如何でしょうか。

コラム

リカレントプログラムで、社会人を応援

 社会人を対象に、東京都市大学が得意とする応用的なデジタル・グリーン分野の知識と技術を修得する「東京都市大学リカレントプログラム」を開講。オンデマンドと対面授業を組み合わせた学習を提供。対面での授業は、渋谷サテライトクラスなどで開講される。マイクロクレデンシャル制度をベースに、オープンバッジ(デジタル証明)も発行。

社会人向けのリカレントプログラムを開講

平和な世界を構築するために

――見えない暴力に気づくことから始めよう

ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルとハマスとの紛争など、平和を揺るがすニュースに日々接する中で平和学や平和構築※に注目が集まっています。凄惨な暴力を経験した人々は、どのようにして平和を取り戻せるでしょうか。紛争を再燃させないためには何が必要でしょうか。冷戦後に多発した内戦後の平和構築について、フィールドワークに基づく研究で成果を上げてこられたクロス京子先生に、私たちにできることについてアドバイスをいただくとともに、所属する国際関係学部の学びについてもお聞きしました。

※平和学は、国家間の戦争だけでなく、国家以外の集団間で起きる暴力の発生原因や平和を阻害する要因を分析し、平和の諸条件を分析する学問。
 平和構築は、平和学から発生した概念で、紛争後の復興や再建という意味で1990年代以降、国連の政策用語として広く知られるようになった。

京都産業大学国際関係学部教授 クロス 京子先生

クロス 京子先生 ~Profile~
1971年兵庫県西脇市生まれ。京都外国語大学外国語学部英米学科卒業。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程修了。修士(国際公共政策)。神戸大学大学院法研究科博士課程後期課程修了。博士(政治学)。現在、京都産業大学国際関係学部教授。兵庫県立西脇高等学校出身。

平和学、平和構築との出会い

 私が平和学や平和構築に関心を持ったのは、冷戦が崩壊し、世界中で内戦が勃発していた時期でした。アパルトヘイトという人種隔離政策が撤廃された南アフリカでは、ネルソン・マンデラが大統領に就任した後、白人による黒人差別など過去の不正義をどのように克服するかという重要な課題に直面していました。このとき設置されたのが、「真実和解委員会」でした。この委員会による問題解決は、刑事裁判による処罰でも、誰も罪に問われない恩赦でもない、真実を知ることによって共存の道を探る「第三の道」と評されます。被害者やその家族、加害者などからの聴取を行い、アパルトヘイト下でどのような暴力が誰によって行われたのか、真実の解明を行うとともに、メディアを通じて広く社会全体で事実関係を共有しました。また、公聴会と呼ばれる公開の聞き取り会では、被害者が自分の辛い経験を語り、加害者がそれを傾聴して謝罪するなど、被害者と加害者間の和解のシーンを広く国民が目にし、新生南アフリカの国民を勇気づけることになりました。
 このような紛争解決方法があることを知った私は、紛争を経験した社会がどのように痛ましい過去を克服していくのかを研究するために、シエラレオネやリベリアなどのアフリカ諸国、東ティモールやフィリピンなどの東南アジアの紛争地に赴き、紛争後社会の平和構築の実態をつぶさに研究してきました。あわせて紛争下における女性に対する性暴力や、それらが女性や社会全体に与える影響についても研究してきました。

移行期正義って?

 幅広い活動を含む平和構築の中で、特に私が力を入れて研究してきたのが「移行期正義」(transitional justice)です。南アフリカの真実和解委員会の活動もその一例ですが、紛争後の社会における正義のあり方を意味します。過去の暴力や犯罪に対しては真相究明と責任追及を行い、将来の紛争防止のために制度改革を行う、過去と未来に働きかけるプロセスです。以下の4つが主なもので、紛争の過程や、その規模、原因など、個別の状況に応じて組み合わせることでよりよい道筋を探ります。
① 真実委員会などによる真相究明
② 刑事裁判による責任の所在解明と処罰
③ 警察や軍隊、憲法など国の仕組みを より民主的なものへと改革
④ 補償・賠償(金銭的補償に限らず、博物館や石碑のような過去を忘れないためのシンボル設立も含まれる

遠い世界での紛争を身近に感じるためのトレーニングを

 私が授業やゼミで暴力の構造を説明するときに使うのが、ヨハン・ガルトゥング※の暴力の三角モデルです。紛争に限らず、人々は目に見える「直接的暴力」に目を奪われますが、それは暴力の一部に過ぎず、その水面下には「構造的暴力」と「文化的暴力」と呼ぶ二つの暴力が潜んでいるとする考え方を表わしたものです。
 構造的暴力とは、社会や政治、経済システムの中に組み込まれた差別や不平等を生み出す構造を指し、直接的暴力ではない形で間接的に生命や人生・自己実現の機会を奪う要因とされます。一方、文化的暴力は、直接的暴力や構造的暴力の存在を正当化する偏見や差別的な考え方とされます。
 身近な問題に例えると、「男性はこうあるべきだ」や、「女性はこうあるべきだ」という性別役割分業や家父長的な考え方(文化的暴力)は、女性の経済的自律を阻み男性に依存させるような社会システム(構造的暴力)を正当化し、また女性を劣った存在として従順でない女性への暴力(直接的暴力)を生み出すと考えられます。この考え方に基づけば、障がい者やLGBT、さらには外国人に対する偏見や差別構造など、目には見えない文化的暴力や構造的暴力が存在し、直接的な暴力となって現れる危険性に気づくことができます。こうした日本社会にある身近な問題をこの暴力の三角構造から捉えてみることで、自分たちの周
りには「紛争の種」が転がっていることに気づき、世界の紛争との距離を縮めるトレーニングができます。

※Johan Vincent Galtung:1930年~2024年。ノルウェーの社会学者・数学者、平和学の父と呼ばれた。

高校生へのメッセージ

 平和構築や紛争解決などに興味のある人は、できるだけ広い視野を持つために本や新聞など多様な情報源に当たり、多様な立場を理解する力、理解しようとする態度を養ってほしいと思います。例えば、特定の国の人たちに対する偏見はないでしょうか。一つの情報から判断することなく、どの国にも多様な人々がいてそれぞれの生活があることに気づいてほしいと思います。
 ウクライナ紛争やパレスチナ問題など、目を覆いたくなるような暴力に対し、自分たちに何ができるのかと質問を受けることがよくあります。直接的な支援ではありませんが、日本に住む私たちができることとして、政治に関心を持ち行動することを勧めています。日本政府は世界平和のために何をしているのか。ウクライナ問題や中東の紛争に、日本の政治や経済はどのように関わっているのかなどに関心を持ち、投票行動を通じて自分の意志や意
見を表明するのです。これが、遠く離れた紛争地に対して今すぐ私たちができることです。


大学での研究や高校の探究学習について一言

国際関係学に限らず、明確な答えのない社会科学分野では、学部生レベルでも難しい課題が少なくありません。そんな時は「Why?」ではなく「How?」と問いを変えてみてはどうでしょうか。過程を問う問いに変えることでハードルはずいぶん下がると思います。


コラム

1年次から専門を英語で学べる

国際関係学部の学びと2025年度からのカリキュラム改革

 国際関係学は、政治・経済、法、社会、文化や歴史など、多角的なアプローチが必要な学際的な学問です。グローバルな課題は様々な要素が複雑に絡み合っています。国際関係学では、その複雑な要素を解きほぐしながら、同時に得られた知見を結びつけ、課題の全体像を理解しようとします。
 私たちの学部では、1年次に国際関係学の基礎を広く学び、全員が「海外フィールド・リサーチ」という3週間の海外での現地調査を行います。そこで得た現場感覚をもとに、2年次から「政治」「経済」「共生」の3つのコースに分かれ専門性を高めます。コースに分かれても所属コース以外の講義科目を一定数履修しますので、専門分野を絞りつつ同時に多角的な視点を鍛えることができます。
 2025年度からは一部カリキュラムを改編します。1年次と2年次の学部必修の英語を国際関係英語とし、専門の基礎的概念や理論だけでなく、データ分析、ディベート、プレゼンテーションなどの実践的なスキルも全て英語で習得しかつ発信できるようにします。集大成として、3年次ではグローバルな課題に対する解決策を考察し、英語でのプレゼンテーション・ディベート大会を行います。

よくわかる一神教

雑賀恵子の書評

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる (佐藤 賢一 集英社文庫、2024年)

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身

 宇宙人はいるだろうか? 生命が存在するのに必要な条件やら、星の環境やら、宇宙にはどのくらいの星があるかの推定から、ともかく、宇宙人がいるかどうかということについて客観的に考えて、検討することはできる。では、神はいるだろうか? これは、検討することができない。なぜなら、神とか魂というのは物質ではないので、想像することはできても、客観的に、つまり万人に共通する言葉で検討することはできないからだ。科学的に神がいるともいないとも検証できないから、科学は対象として神を扱わない。神がいるかどうか、というのは、その人が信じるか、信じないかだけなのだ。
 だから、信仰については、害がなければ人それぞれでいいではないかというものだろうが、宗教というのはそう一筋縄にはいかない。人間社会の歴史を振り返ってみても、宗教対立によって戦争まで引き起こされているし、現在でも宗教を理由とした差別や排斥、紛争もある。民族というのは定義が難しいが、分類指標のひとつに宗教が挙げられたり、宗教がその集団のものの考え方や習慣、文化と呼ばれるものの根底をなすこともある。したがって、他文化や歴史、現在の世界で起こっているさまざまな事柄を理解する上で、宗教の知識はあったほうがいい、というより持っておくべきだ。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、すべて同じ唯一神を信仰している。にもかかわらず、全く相容れないものとして対立し、ときには戦争の理由のひとつにまでなってきた。現在のロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナ問題を深く理解するためにも、これら同根の一神教をわかりやすく解説しよう、として書かれたのが本書だ。
 古代のユダヤ教の誕生から、キリスト教の成立、イスラム教の誕生までの歴史を綴ったのが第一部。地理的・歴史的に明快に説明されているので、学校の世界史の補強にもなる。ユダヤ教はなぜ世界宗教にならなかったのか。そこから発生したキリスト教が、世界各地に広まっていき、むしろ欧米の宗教というイメージになったのはなぜか。現在のイスラエルが、イスラエルという地にこだわるのはなぜか、ということなどがすらっと理解できるだろう。
 続く第二部が中世、そして第三部で近代・現代と分けられて、一神教が時間軸に沿って世界史の観点から解き明かされる。教義のややこしい解説はないから、たとえば、キリスト教がイスラム教を排斥するだけではなく、その内部においてもなぜ異端と正系を巡って激しい対立があるのか、などということがむしろはっきりするのではないだろうか。
 著者は、東北大学大学院博士課程まで仏文研究をした知識を活かし、中世/近世のヨーロッパを舞台とした歴史物を中心に数多く書いている小説家。手慣れた文章で、タイトル通り、ほとんど知識のないものにも実によくわかるように書かれている。ただ、わかりやすいだけに逆に、宗教というものの本質に迫るにはほど遠いし、本書の任ではない。世界史や現代の出来事をもっと理解しようとしていく人には、手に取りやすく良き入り口になるに違いない。

高等学校「探究」の現場から その3

高校における「研究倫理」指導

秋田県立秋田高校 教諭博士( 生命科学) 遠藤 金吾さん

遠藤 金吾さん ~Profile~
東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より、秋田県の博士号教員。2016年より、現任校(秋田県立秋田高等学 校)に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」。埼玉県立川越高等学校出身。

研究の世界では「研究不正」が起こることがあり、ニュースとして一般にも報道されることもあります。「研究不正」を起こさないために、全国の大学では研究倫理に関する教育が行われています。昨今の高校では、大学で言うところの「研究」に相当する「探究活動」が盛んに行われています。では、高校における「研究倫理教育」はどのように行われているのでしょうか。筆者の実践を交えながら紹介します。

高校「理数科」における「探究」

 筆者の勤務校には「理数科」という学科が設置されています。「科学的、数学的な能力を高め、思考力をもつ人材を育成すること、探究的な活動を通して、専門的な知識や表現力等の育成を行い、医師や研究者、技術者など、専門的な知識・技能を生かして社会に貢献できる人材を育成すること」を設置目的とした学科です(第七次秋田県高等学校総合整備
計画)。原則として「理数探究」を全生徒に履修させるものとされており、筆者の勤務校でも2年次に設定されています。高校で実施する教育活動の内容は「学習指導要領」に細かく定められており、「理数探究」「理数探究基礎」については文部科学省から平成30年に学習指導要領が告示されています。
 「理数探究」を含む「理数」の学習指導要領解説は実に50ページ以上にわたりますが、「理数探究」で実施する内容を抜粋すると次の通りです。
・ 個人又はグループで課題を設定して主体的に探究を行い、その成果などをまとめて発表させる。
・ 課題は数学や理科などに関するものを中心に設定させ、探究の手法としては数学又は理科に基づくことが必要である。
・ 中間発表を行うなど、途中段階での進捗を確認しながら粘り強く取り組ませることが重要である。さらに、探究した成果やその過程を報告書等にまとめさせることが求められる。
 そして、学習指導要領解説の中では、「内容の取扱いに当たっての配慮事項」として次のような記載があります。


高校生として配慮する研究倫理として、次のようなものが考えられる。
・ 探究の過程における不正な行為
・ 探究の過程における人権侵害


探究の過程における不正な行為について

 学習指導要領解説には、「研究活動における不正行為とは、データや研究結果などの『ねつ造』、『改ざん』、『盗用』などがある」と記載されています。
問題①:やり忘れた実験結果を、他の実験区のデータをもとに予想される値を算出し、結果の表に追記した。
問題②:顕微鏡写真を撮影したところ、ゴミのようなものが見えたので、見栄えを良くするために背景部分をコピペして消去した。
問題③:自分の研究と似た研究成果をインターネット上で発見し、発表会のスライドに、出典を明示した上で写真1 枚と文章を 1 文貼り付けた。
問題④:実験結果にばらつきがあったので、明らかにおかしそうだと思った数値を除外して平均値を算出した。
 これらは勤務校の「研究倫理セミナー」の中で出題したクイズです。読者の皆さんも考えてみて下さい。このようなクイズに答えながら、「どこまでは是でどこからが非か」ということを生徒たちは学んでいきます。なかなか難しいのは問題④で、「外れ値は自分
の感性に従って除去して良い」と考えてしまう生徒が意外と多いものです。科学的に判断するためには統計的な知識も必要になります。学習指導要領には「観察、実験、調査等の手法や統計処理の方法などを含んだ探究を遂行する上で必要な知識及び技能を身に付けさせる」とも示されていて、勤務校では「統計処理講座」も実施しています。
 学習指導要領解説は次のようにも述べています。


これら(不正行為)を防ぐため、探究の過程において適宜研究倫理について意識させる場面を設け、信頼できる探究になっているかどうかを確認させることや、探究の過程においてできる限り記録を取り再現性や信頼性を確保させることなどが重要である。


 大人の研究業界で「研究不正」が起きた際に、真偽を判断する情報源となるのは「研究ノート」です。全国の大学の研究室で「不正を疑われないための記録(ノート作成)」の作法についてはみっちりと学生に対して指導が行われています。研究ノートは、後から研究の過程を振り返ることができる「研究者の日記」であると同時に、不正行為を疑われないようにするための「証明書」でもあり、とても重要です。研究室ごとに流儀は多少違いますが、
・付け足しも削除もしていない新品のノートを用意(ルーズリーフ不可)。
・ 消しゴムで消せないようにペンで記載。
・ 修正液は元の記述がわからなくなるから使用不可。
・書き損じのときは、元の記述がわかるように二重線で修正。
・グラフや写真は糊で貼る。セロハンテープは剥がせるので使用不可。
ということを、大学で卒業研究を経験した方は指導教員から教え込まれたのではないでしょうか。高校の探究でも同じことを指導しています。

探究の過程における人権侵害・その他について

 学習指導要領解説には、「個人情報の不適切な扱い等による人権侵害が起こらないよう十分な配慮が必要である」と記載されています。
 では、ここで再びクイズです。
問題⑤:自作の石鹸をクラスの友達に試してもらったが、身近な材料を使ったので危険性は無いと思い、材料や危険性に関しては特に説明しなかった。
問題⑥:誕生月と100m走の記録との関係を調べるために、アンケート調査を行った。氏名・誕生月・100m走の記録欄だけを記したアンケートフォームをweb上に設置した。
 問題⑤は、安全上の問題に関する説明責任を果たしていません。問題⑥とも関わってくることですが、ヒトを対象とした研究は、被験者に対して十分な説明が求められます。昨今、GIGAスクール構想による1人1台端末の配備と校内のネットワークの整備により、webツールを用いてアンケートを配布し、集計することが簡単にできる時代になりました。高校生は安易に「〇〇に関する意識調査」というような研究を実施しがちです。読者の中で、大学の研究者としてアンケート調査を行ったことがある方、高校の先生で大学からのアンケート調査を請け負ったことがある方は、依頼文書はどうあるべきかということをご存じかと思います。
・ 目的や方法など、どんな研究に用いる内容なのか。
・ 参加者には利益や不利益があるのか。
・ 謝礼はあるのか。
・調査結果をどのように利用するのか。学術研究目的で発表に使う可能性があるのか。その場合、成果の権利はどこに帰属するのか。
・ 得た情報は、どのように管理するのか。
・ 学内の倫理委員会(高校の場合は「理数科」「探究活動委員会」などの教職員組織)の審査を経ているか。
・ 研究の責任者は誰なのか。
 これらのことを、事前に被験者に示し、同意を得ることが研究業界では求められますが、冒頭の学習指導要領解説の記述はこのことを示しています。
 動物実験に関する配慮も学習指導要領は示しています。一般財団法人公正研究推進協会「中等教育における研究倫理:基礎編」という教材では、「動物実験の3Rの原則」として、
①できるだけ脊椎動物を使わず、昆虫や微生物で代替(Replace)。
②用いる個体の数を減らす(Reduce)。
③与える痛みや苦痛を最小限に抑える(Refine)。
が掲載されています。生命科学系の大学では必ず指導する内容ですが、同じことを高校でも指導しています。ヒトや動物を対象とした実験に関する倫理規定は、海外の高校生のコンテスト、例えば「ISEF(アイセフ:International Science and Engineering Fair)」では非常に厳しく定められていますが、日本国内の高校の現場にはまだまだ浸透しきっていないというのが現実です。

最後に

 ここまで、「理数科」で実施している研究倫理教育を紹介してきました。大学の先生方は、「今の高校ではここまで指導しているのか」と驚かれたのではないでしょうか。では、「普通科」はどうでしょうか。現在、全国の普通科高校では必修科目として「総合的な探究の時間」が実施されています。現在の「総合的な探究の時間」の学習指導要領には研究倫理に関する記述はありません。しかし、筆者の勤務校では「どんな分野の研究でも大切なこと」「普通科の生徒も、大学で卒業研究に取り組むときのために」ということで普通科においても研究倫理教育を実施しています。本稿を読んでいただいた高校の先生方の参考になればと思います。

※本稿の実践内容の詳細は、筆者が共同執筆した「学校教育の未来を切り拓く 探究学習のすべて:PC×Rサイクルによる指導原理と評価法」(環境探究学研究会(著)・合同出版)に掲載しています。

次号予告 生成AIの登場と大学・高校の英語教育

対談

滋賀県立伊吹高校英語科教諭南部 久貴
VS 京都大学准教授金丸 敏幸

2022年11月末にChatGPTが公開されてから、すでに1年半が過ぎた。この間にも生成AIが提供するサービスは、今年5月に新バージョン・GPT-4omniが公開されるなど、機能性・精度面で向上し続けている。やがてくるであろうAI時代に備えて、教育現場での対応は待ったなしだが、現状は手探りで知見を積み重ねている状況だ。
言語を出力する生成AIは、特に英語教育と親和性が高い。英語教育の方法を根本的に変革させるだけでなく、英語教育の意義をも変えてしまうほどの可能性を秘めている。
 金丸先生は、京都大学の全学英語カリキュラムの改定・実施に携わってこられた。一方の南部先生は、育休中に生成AIと出会い衝撃を受け、その後の実践を昨年「ChatGPT×教師の仕事」(明治図書)として出版した。教育現場で蓄積されたAI活用のノウハウや、また言語を出力するAIの実際の挙動をも踏まえ、英語教育の方法論、さらにはその意義、果ては日本の新たな国際化に至るまで、生成AIと高校・大学の英語教育について様々な観点から語り尽くす。

これまでの大学とは違うけど、キラリと光る大学 第1回

iU情報経営イノベーション専門職大学

大学の新しい形を求めて

――グローバルコミュニケーション×ビジネス×ICTの学びの3本柱で、
グローバルにイノベーションを起こせる人材を育てる

在学中は、全員に起業のチャンスが
1期生卒業記念特別対談 於:墨田キャンパス
情報経営イノベーション学部 阿部川 久広 学部長 VS 安河内 哲也 客員教授

2019年、日本の大学の新しい形をと55年ぶりに新設された専門職大学。専門学校、大学それぞれの長所を取り入れ、日本の大学改革に一石を投じるのが目的だ。2020年に開設されたiU情報経営イノベーション専門職大学もその一つ。2024年春には「変化を楽しみ、自ら学び、革新を創造する」の教育理念の下、未来を先取りしたカリキュラムと教育で、一期生142名を社会へ送り出した。アップル、ディズニーに勤め、CNNキャスターでもあった阿部川先生と、新しい形の大学に大きな期待を寄せ、開学当初年から客員教授を務める大学受験界のカリスマ英語講師安河内先生のお二人に、教育とiUの未来について語っていただいた。

大学英語教育を刷新

ともに英語教育をご担当のお二人の会話は、いきなり生成AIと英語教育の話題から始まった。

安河内:英語教育は今、生成AIの出現により大きく変わろうとしている。その影響を最も受けそうなのが大学英語教育だ。ここで私は、「AI時代に備えて、言語の学び方を変えよう。特にiUの学生は、起業してビジネスを成功させることが目標であって、就職のためにマークシートテストで点数を上げる必要はないのだから、AIをフル活用する方法を学ぼう」と。
阿部川:人間の代わりができるようにと開発されてきたコンピュータが、生成AIを搭載することで能力が極限まで高まりつつある。英語なら単語や文法だけでなく構文でも、膨大な情報を収集、分析して標準的な解釈や使い方を提案してくれる。人間に求められるのはアウトプットやコミュニケーション分野の教育
に絞られてくる。
安河内:コミュニケーションで言えば、エモーションに訴えかけて相手の心をつかむ会話力育成などはその一つ。日本は今、人口が急激に減っている。起業家がインドやアフリカ、東南アジアなど人口が増加傾向にある市場に打って出ることを視野に、彼らの心をつかむ英語コミュニケーション力を鍛えてもらっている。
阿部川:私も英語を勉強するというよりツールにして、グローバルビジネスに求められる力を身に付けてもらえるように講義を工夫している。1、2年生ではビジネスプランやその改善策のピッチ、3年生ではディベート、というかより良いアイデアを出すためのディスカッションを、そして4年生ではプレゼンテー
ションやネゴシエーションをといった具合だ。ブレインストーミングなどは英語の方がやりやすいし、そのまま世界中で使える。
安河内:拝見していると、私が研修を担当している、あるグローバル企業の研修とすごくよく似ています。そこではある国への進出に先立って現地企業相手のビジネスプランのピッチを、社員全員が1年ぐらいかけてやる。
阿部川:こういう機会を提供するのが、大学の英語教育の基本的なスタンスであるべきではないかと思っている。
安河内:もちろん、アウトプットに必要なインプットは、最低限中学、できれば高校の範囲までしっかりとやる。
阿部川:「中学校英語くらいしかできないし喋れない」と言ってくる学生には、それで十分だと言っている(笑)。
安河内:確かに生成AIを使えば後はなんとかなる。難関大学の入試問題や各種の資格試験を解かせると、人間よりもはるかによくできる。これまで理系人材にしか操作できなかったAIが自然言語で動かせるまでに進化してきた今、語学教育を含め、教育は変わらなければならない。怖がるより使ったほうがいいし、上手に効率よく使う術を学ぶ方がいいと思っている。
阿部川: 「答は何ですか?」ではなく、「どうやったら答えが出そうかな」を学ぶのですね。もちろんそのためにはある程度の知識は要る。
安河内:他の教科でも、中学生ぐらいまでは知識を吸収し基礎力を固める従来型の教育は重要だ。高校生ぐらいになったら積極的に生成AIを活用してみたらいいと思う。

大学発ベンチャー増加率2年連続日本一
起業はもちろん、就職にも強く実績は97.5%

「全員起業」「就職率0%」、「失敗大学」などユニークなキャッチフレーズやネーミングを掲げるiUだが、一期生の出口としては有名企業も多かった。

阿部川:一期生で就職せずに起業したのは全体の10%。他大学はどこでも1%未満という数字だから、iUはとても高い。経産省の2023年度の大学発ベンチャー実態調査で、iUは起業率1位、起業増加率1位、起業数も全国6位。中でも増加率は2年連続1位だった【下表】。

安河内:起業には、在学中や卒業直後にするものだけでなく、何年か働いて組織のあり方や動かし方を学んでからというパターンもある。
阿部川:私自身は38歳で、様々な経験をして自信をつけてから起業した。
安河内:成功している起業家にも官僚やビジネスマン経験者は多い。学生時代に起業の仕方を覚えておけば、就職しても普通のサラリーマンにはならない。反対にこのことが高い就職実績につながっているのかもしれない。
心配したインターンも、軽々とクリア
阿部川:就職した学生の就職先のうち、多くが連携企業や実習先企業だった。産業界との連携を重視する専門職大学は、20単位以上を、本学でインターンと呼ぶ企業等での長期実習(臨地実務実習)や、「イノベーションプロジェクト」と呼ばれる演習、実習形式の授業が占める。一般的に就活を始める3年次に配当されていて、考えようによっては不安がないわけではなかった。しかし起業を目指している学生は企業からの評価も高くなる。
安河内:入社後に経営サイドにいろいろな提案もできる。伝統的な日本企業ではあまり好まれないようだが、世界的にはこういう新入社員が尊ばれる。
阿部川:日本企業で合わなければ外資に行けばいい。
安河内:転職サイトを活用してスキルアップもできる。

起業サポート体制が充実

阿部川:花形授業である『イノベーションプロジェクト』に加え、課外では、起業の仕方とベンチャーマインドを、セッション、実践、メンタリングを通じて学べる『アクセラレーションプログラム』がある。また資金面でのサポートでは、iU生のためのベンチャーキャピタルi株式会社と、iU生を含むZ世代のスタートアップ起業家のための合同会社iU Z investmentの2社がある。上記3つがすべて揃っているのは、国内の大学では唯一ではないか。

《好きを学んで卒業できる大学》に
さらに近づけたい

2025年度から新たなカリキュラム改革が始まる?

阿部川:まずは一方的な知識伝達型の授業を、最低限必要なものに絞り、他は学生が自由に選べたり、教員からアドバイスをもらえるラボ制度にしたり、またVODなどで講義が受けられるように将来はしたい。安河内先生のような客員が1100名以上、また研究機構のBlab※では1200名の研究員がおられるから、その中から教材作成に協力してくださる方を募る。
安河内:はい、喜んで。
阿部川:そして教室では、討論や英語でプレゼンするなど、集団ならではの授業に注力したい。また起業には、今の段階ではAIに頼るより、プロジェクトベースで仲間と一緒に議論するほうがずっと良い。せっかくキャンパスがあり仲間がいるんだから。
 もう一つは、各教員が専門性や得意分野を活かしたテーマを中心に据えた《コース》を作って、好きなことを一生懸命追求することが卒業につながるようにしたい。第一弾がeスポーツ。4月には学生が教員と一緒にiU eスポーツ株式会社を起業し、eスポーツルームもオープンした【下写真】。

プレイヤー、コーチ、配信、大会運営など、eスポーツのあらゆる分野でのビジネス展開を目指す。それも先行する海外を視野に入れて。
安河内:スマホでゲームを消費して課金される側ではなく、パソコンを使って課金する側に回ると。
阿部川:はい。こういうのがおそらく、あと20くらいいろんな分野からでてくる。例えばオタク学とか失敗学とか、初音ミクなどのボーカロイドについてとか。僕がやろうとしているのはグローバルマネージメント、グローバルマーケティング、そして企業戦略とアートです。

※大学・研究所、企業、行政、地域、個人を巻き込んだオープンな参加型研究プラットフォ―ム

失敗を恐れない

最後にお二人から、iUを目指す高校生にメッセ―ジをいただきました。

阿部川:やりたいことが決まっている人にはとても楽しいところです。もちろんやりたいことが決まってない人も、いろんなタレントを持った仲間と一緒にワイワイ話しているうちに、「自分もこれなら」と、起業家マインドが目覚めるかもしれない。
安河内:客観的に見てすごくいいところは、時代に合った教育が受けられ、時代の先を見ている仲間と一緒に学べること。そのうえビジネスも一緒にできる。ゲーマーやプログラミングのできる人間と、ピッチがうまい人間が組めば最強のチームになる。
 一方で、高校時代から、何事も先生任せの人にはつらいかもしれない。
阿部川:朝来て、さあ、今日何が起こるのかと待っていても何も起こらないから。
安河内:確かに大学の高校化が進んでそういう子も多いかもしれない。
阿部川:どんどん画一化もしている。
安河内:何事も失敗しないようにと、自分でなかなか決められない。これではイノベーションは起こりにくい。
阿部川:私は、新入生で失敗を怖がる子には、《ここは失敗大学》でもあるから、恐れずやってみればいいと言っている。
安河内:今は起業のハードルが下がっていますからね。それに大学発ベンチャーは制度的にリスクが少ない。
阿部川:やってみてダメなら止めればいい。そういう経験は大学時代にするのがいい。僕らの時代にこういう大学があったらと思いますよ。
安河内:こんな風潮の一方で、通信制高校へ進学する生徒が増えている。学校で同じことを学び、一律に偏差値ランキングで進路を決められることに疑問を持つ、あるいは既存のレールに乗って大学へ進学して30年後は大丈夫かと考える若者だ。
阿部川:iUにもそういう子がたくさん入ってほしい。
安河内:大学も高校も変わらなければならない節目が訪れているのかもしれない。

特別コラム 安河内先生から受験生への提案

AIを使って今までの3倍のタイパで突破しよう!

生成AI時代を生きる今の受験生のみなさんへ、私からの大胆な提案です。
 今後、生成AIが学習のあり方を変えるのは間違いありませんが、それに合わせて大学受験問題が変わるのはおそらくはるか先のこと。
 入試問題が従来通りなら、これまでは紙と鉛筆と動画を使って100時間かけて突破していたものを、今度は生成AIを使ってタイパを極限まで改善し、30時間で突破する方法を開発してはどうでしょう。この経験は、受験勉強だけでなく、将来あらゆることに必ず役立ちます。実際、私が教えている超難関クラスの生徒は、すでに生成AIを日頃の勉強に使っています。特に英語では顕著で、英作文などは、冗談でなく5倍速で習得できます。脳にブースターがついたようです。逆に使ってない人はこれまで通り亀の歩みのままです。AIを使うか使わないかで相当な差が出て
きています。

教える側も変わらなければ

 私自身も含め、教える側にも対応が迫られています。
 自分でコマンドを打って、コンピュータを動かしていた時代からグラフィックインターフェイスとスマホの時代へ、そしてついに自然言語でAIを動かせる時代へと進化しました。一部の理系人材にしか操作できなかったAIが、言葉が書ける人なら全員に開放されたわけです。僕でもアプリが作れ、教材作成なども一瞬でできる。これにはwindowsやスマホの出現同様のインパクトがあると思います。
 学ぶ側の頭脳も、生成AIを使えば、世界最高の頭脳が自分の脳にインストールされているのと同じ状態になる。だから語学教育だけでなく、すべての教育に無視できないものになってくると思います。馬車が自動車になった時、それを否定してもどうしようもなかったように、この流れには抗えないと思います。
 さらに、これまでの知識伝達型の授業が動画に移行しつつあるということもあります。YouTubeの他、今は書籍にQRコードが付いていて、スマホをかざすだけで様々な説明を見ることができます。莫大な予算をかけ、競争原理のもとで作製された動画と競争してもなかなか勝てない。だからこれらの流れには抗わないで、生成AIや動画でできることはそれらに任せ、人と人をつないでコミュニケーションさせるなどの、人にしかできないような教育に転換を図らなければならないと思っています。学校や大学の役割が問われてきていると思います。

安河内 哲也 ~安河内 哲也~
上智大学外国語学部英語学科卒業。一般財団法人実用英語推進機構代表理事、東進ハイスクール・東進ビジネススクール英語科講師、学校法人麹町学園女子英語科特別顧問、福岡県遠賀郡岡垣町英語教育アドバイザー、ふるさと大使、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。ICEE(国際コミュニケーション能力検定)2014年優勝、2016年準優勝、2018年優勝。

追悼 北原保雄先生 日本語力を高めよう

本紙127号(2017年5月10日発行)から

北原保雄先生 ~Profile~
昭和43年東京教育大学大学院文学研究科博士課程中退。文学博士(筑波大学)。和光大学人文学部助教授などを経て昭和49年筑波大学文芸・言語学系助教授、同59年9月同教授。その後同学系長、同大学附属図書館長などを経て平成10年4月~16年3月同大学学長。平成16年4月~20年10月独立行政法人日本学生支援機構理事長。この間国語審議会など多数の委員を歴任。その後、地元柏崎の新潟産業大学学長、公益社団法人日本教育会会長などを歴任。新潟県立柏崎高等学校出身。

 2000年代初頭、日本語の乱れが問題視され、それがきっかで起きた日本語ブーム。研究者としてその中心におられたのが、日本語学者の北原保雄先生。都立高校教員から研究者の道へ、第6代の筑波大学学長も務められた。去る2月に、87歳の生涯を閉じられたが、生成AIの登場という日本語にとっても新たなエポックに、日本語、中でも書き言葉の重要性についてのご意見を抜粋してご紹介する。生成AIについてはどんな思いを抱かれていたのか、にこやかにお話されるお顔がしのばれる。

表現に即して理解しよう

 国語教育では「何を」「いかに」表現するかの観点から、「いかに」をしっかり捉えて「何を」にあたるものを教えることが大事だと語られていた北原先生。
 「いかに」が大事なのは、表現されたものをその表現に即して正しく理解する力を付けなければ、深い読解力も豊かな表現力も育たないからだと。「『《要するに》退治』が必要だと私はよく言っていますが、表現の内容を正しく理解しないで、表現から離れて『要するにこういうことだ』で済ませていては国語教育にはなりません」とも。
 続けて、「私がこのように言葉にこだわるのは、幼児がカオスともいえる状態の中から、言葉で物を区別し概念に名を付けていくことで知的に成長していくのを見てもわかるように、言葉の理解が浅いと思考力は深まらないからです。日本語力の低下は読解力、表現力の低下につながり、さらには英語をはじめ全ての学力の向上にも支障をきたします」と北原先生。

語彙を増やし、言葉を深く学ぼう

 それでは言葉を深く学び、読解力・表現力の基礎となる日本語力を高めるにはどうすればいいいのか。それには、まずは当たり前のようだが語彙を増やすことだと北原先生。語彙は増えれば増えるほど、その間の微妙な違いがわかるようになり、表現全体についての理解も深まるからからだと。
 では語彙を増やすには?まず人の話をよく聞き、人の書いたもの、本を読むこと。そのうえで、人に話すときはよく考えて、言葉をしっかり吟味することだと語られます。この点読書は、言語能力の基層を形成する書き言葉を学ぶという意味からも大事だと。
 「古典・漢文について言えば、内容だけでも得るものは多いですが、決して《要するに》で終わらせないことです。あくまでも言葉に即して、できる限り原語、原文で味わってほしい。難解な『源氏物語』もやはり原文に触れないと、本当に読んだこと、本当に理解したことにはなりません。五十四帖すべてを読むのは大変ですが、一帖だけならなんとかなります。それをじっくり味わって読めば、そこに込められた感性の一端に触れることもできるはずです」と。そして、「同じように、漢文なら引き締まった語感や言いまわしを感じ取ることができます。固い果物を齧って食べる代わりにミキサーにかけて飲んでも、摂取できる成分に変わりはありません。しかし味わいは違います。それと同じで、やはり元となるもの、本物に触れないことには、表現者の感性や表現そのものが持つ深さを理解し、それを自らの表現に活かしていくことはできないと思います」と結んでいただきました。

『日本国語大辞典』(小学館、全13巻)『明鏡国語辞典』(大修館書店)『全訳古語例解辞典』(小学館)などの編者。『問題な日本語』は平成16年から平成23年まで全4編が発行され、2017年には100万部を超えて親しまれている。

「細胞死」のまだ秘められた謎を解く

――37兆個の細胞が織りなす細胞社会、それを解明する細胞社会学のこれまでとこれから

京都産業大学 生命科学部准教授 川根公樹先生

~Profile~
1997年京都大学理学部卒業。1998年長田重一教授の研究室で、DNA分解、細胞死に関する研究に従事(2010年まで)1999年大阪大学大学院医学系研究科修士課程医科学専攻修了、2007年京都大学大学院医学研究科助教。2010年フランスのThomas Lecuit博士の研究室で上皮組織の形態形成、上皮細胞の細胞死に関する研究に従事(2013年まで)、2010年日本学術振興会海外特別研究員、2012年上原記念生命科学財団海外リサーチフェローシップ。2013年京都大学大学院医学研究科特任助教、2014年京都産業大学総合生命科学部准教授、広島学院中学校・高等学校出身。

2003年に「ネイチャー・イミュノロジー」、2006年に「ネイチャー」、そして2011年には「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」、2023年には「 Developmental Cell」※1と、世界的に権威ある学術雑誌に論文が掲載された川根先生。研究の主なテーマは大学で興味をもったアポトーシスなどの「細胞死」。学部では分子生物学(細胞生物学)、大学院ではさらに基礎医学と、その探究を深めてこられました。細胞はなぜ自ら死ぬのか?またなぜ一人で死ねないことがあるのか? 21世紀に生まれた細胞社会学※2をライフワークとされる先生に、その探究の一端、並びに高校生へのメッセージをお聞きしました。

※ 1 2003年:Nature immunology/Impaired thymic development in mouse embryos deficient in apoptotic DNA degradation. 2006年:Nature/Chronic polyarthritis caused by mammalian DNA that escapes from degradation in macrophages 2011年:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America/Cytokine-dependent but acquired immunity-independent arthritis caused by DNA escaped from degradation. 2023年:Developmental cell/Apoptotic extracellular vesicle formation via local phosphatidylserine exposure drives efficient cell extrusion.
※2 細胞同士の相互作用、また俯瞰的な観点から細胞理解を深めようという学問。2002年、アメリカの生物学者リー・シルバーらが、雑誌「Nature」に「細胞社会学:新しい生物学のフロンティア」と題する論文を発表、その後、急速に発展した。2008年には、国際細胞社会学会も設立された。

「細胞死」は生命活動?

 ひとりの人間にはおよそ37 兆個の細胞があるとされますが、それらの多くは1日からおよそ1週間単位で新陳代謝を繰り返しています。人間の場合、一日に生まれくる細胞は約3000 億個。それと同数の細胞が死んでいくことで生体は維持され、このバランスが崩れると様々な不都合がおきます。
 細胞を減らすことに大きく貢献しているのがアポトーシスと呼ばれる細胞死。様々な細胞死の中でも、細胞自ら死を選ぶという現象で、生体の維持の他、胎児の水掻きが誕生時には人間らしい指の形になるなどの、発生時の形態形成などにも貢献します。この場合、水掻きの細胞が誕生までに自ら死ぬのです。
 アポトーシスのプログラムはすべての細胞に内蔵されていて、何らかの原因やきっかけ、あるいは指示を受けることでスイッチが入ります。
 なぜ細胞は、自ら死を選ぶことがあるのか。これは生物というものの意思?に反しているのではないか…。現在、アポトーシスは生体がよりよく生きるための営みであり、生命活動の一種であるとされるようになりました。全体を活かすために個が自ら死を選ぶ。細胞死がうまく機能せず、必要な細胞が死に過ぎる場合にはアルツハイマーなどの神経系の疾患に、本来死ぬべき細胞が死なない場合は癌などにつながります。

腸上皮細胞の「細胞脱落」の仕組みの一端を解明

 細胞死の解明は、分子生物学の進展とともに急速に進んできました。しかし個々の細胞がいかに死ぬかはともかく、周りの細胞とのやりとりを含めて実行される死についての理解はまだ遅れています。中でもその典型が腸の上皮細胞などに見られる「細胞脱落」です。 
 上皮とは、皮膚や消化器官など、体や臓器の表面組織で、腸の場合は内側(食べたものが通過していく側)の層にあたります。腸管の内部は、腸内細菌、ウイルスや雑菌で満ちていて、それが体内組織に入り込まないよう、上皮細胞は強い接着力でびっしりと敷き詰められています。とはいえ新陳代謝は必要ですから(腸上皮細胞の入れ替わりのサイクルは極めて短い)、日々一定数の細胞はそこから除去されなければなりません。そのための振る舞いが細胞脱落です。 
 絨(じゅう)毛(もう)の根本、谷の部分で生まれ、先端( 山の部分) へと押し上げられ一定期間経った細胞が、最後に細胞層から離れ腸管内部へと落ちていくのです【図1】。ここでかかわるのが隣接する細胞。アクチンとミオシンで構成されたリングを作り、それで対象となる細胞を取り巻き、絞ることで脱落を促します。死んでいく細胞は、自力ではなく、隣接する細胞に押し出されるのです。

ライブセルイメージング※で新たな機構を発見

 最近私たちは、その瞬間を動画撮影し、さらに詳しく様子を見ることに成功しました【写真】。それによると、脱落する細胞は、自身の下の部分を次第に発芽させるようにして、最終的には自らちぎります(黄色矢印)。このちぎられてできた、膜に包まれた細胞の一部は、これまでアポトーシス小体とも言われてきた細胞外小胞と考えられますが、これは隣接細胞に食べられす。またこの小胞形成の際に、それを形成する細胞膜の構造に変化がおこり、普段は細胞膜の外側には存在しないリン脂質ホスファチジルセリン(PS) が露出することもわかりました。面白いのは、アポトーシス小体が形成されてできた隙間に、周りの細胞が入り込み、脱落する細胞に力を加え押し出しているかのように見えることです【図2】。脱落していく細胞が自らの一部をちぎるとともに、周りの細胞もそれに協力する。細胞社会ではこのように細胞たちが協調・協力して、いらなくなった細胞を除去しているのです。

※生きたままの細胞や組織を動画に撮り、実際に目で見る研究手法。専用の高額な機器が必要で、本格的な研究は大学で。プレパラートを使った観察では、ホルマリン固定によって死んだ細胞が対象になるが、「死んでいるからこそできる染色法もあり、工夫次第では面白い実験も可能」と川根先生。

細胞社会学の観点も取り入れ、腸の未知の機能の解明を

 細胞生物学の知見が積み重なるに連れ、細胞が社会性を持っていること、私達の身体が細胞社会によって成り立っているとの理解が深まってきました。細胞は集まって、細胞社会とも呼べるコミュニティを形成し、コミュニケーションを通じて相互作用している。ここからは、個々の細胞を見るだけでは見えてこなかった仕組も見えてきます。
 細胞社会の性質が最もよく表れているのが上皮組織。腸上皮細胞では、周りの細胞の作用を受け、また自らも動くことが確認できました。今後はここにどのようなコミュニケーションと協働が成り立っているのかの究明が待たれます。いずれにせよ、細胞の理解は個に注目するだけではなく、周囲の細胞とどう関連しているのか、つまりは細胞社会を見ることが必要になってきているのは確実です。
 ちなみに腸については、近年、腸内細菌も含めたその環境が、様々な臓器と連携して、全身の健康、ひいては寿命まで規定しているのではないかという見方がされるようになりました。腸内環境とうつ病との関連も指摘されています。腸上皮における細胞脱落の仕組みのさらなる究明は、基礎医学への貢献も含めてますます大事になってきているのではないでしょうか。

どんな授業、実験?――学生主体で、研究力プラス社会で活躍する力を育成

 授業では、研究に必要な能力と同時に、社会へ出てから求められる能力も養成できるよう工夫しています。実習の授業というと大抵は実験手順が書いてあって、その通りにやって成功したかどうかで終わってしまいがちですが、私の授業では、正体不明のサンプルを渡し、それをさまざまな方法で観察してもらって何かを当てるというクイズ形式で行うこともあります。学生は一つのサンプルを前に観察方法や、その結果を元にどう考察すればいいのかを考える。研究の疑似体験にもなっていると先輩からは好評です。 
演習でのグループワークでは、クイズ番組のような形式で、仲間で共同して一つの答えに辿りつくような活動も取り入れています。学生の多くは企業に就職していくため、チームで成果を上げる取組が学べるよう意図したものです。プレゼンについても丁寧に指導します。研究もしっかり、さらに研究を通じて企業へ就職しても活躍できるような力も身につけてもらいたいと考えています。

高校生へのメッセージ

高校までの生物は暗記科目のような側面があるかもしれませんが、生物の世界にも理屈や論理があって、それに基づいて生命現象、ひいては自分たちのことまでもが、綺麗に説明できるところに面白さがあります。高校時代、そんな面白さを教えてくれた生物の先生との出会いが私の原点です。これらは大学に入って実験を積み重ねていくことで気づく面白さではありますが、高校でも教科書に書いてあることを鵜呑みにせず、なぜこうなっているのか、ここにどういう意味があるのかと問いを立てるようにしてください。生物学はもっともっと面白くなると思います。

これからの大学再編について考える

――韓国の事例に基づいて

北海道大学 高等教育推進機構高等教育研究部 助教 鄭(じょん) 漢模(はんも)

鄭(じょん) 漢模(はんも)先生 ~Profile~
京都大学博士(教育学)。専門は高等教育学。関心分野は大学の再編と役割。所属学会は、大学教育学会、日本高等教育学会など。1987年韓国全羅北道出身。九州大学特任助教、三重大学講師を経て現在に至る。韓国忠南大学校師範大学教育学科を卒業した後、2014年に日本国費留学生として渡日し、大阪大学人間科学研究科研究生を経て、京都大学教育学研究科で修士学位及び博士学位を取得。
大学の「生物学的多様性」とは

 研究者は、自分の専門分野を説明する際に例えを用いることが多々あります。私が大学を説明する際によく用いる例えは、「生物学的多様性」です。
 この概念は一見難しそうですが、実に簡単です。要するに、世の中の生物がそれぞれの生息する環境において生き残るために適応と進化を続けた結果、私たちの周りには多様な生物が暮らすようになっていることを意味します。基本的に大学とは、人類の知的好奇心を満たし、得られた結果の保存と継承のために作られたものだと言えます。しかし各大学が生物と同じく、社会、文化、政治という環境において、適応と進化を繰り返してきた結果、それぞれが個性を競い、大学の世界にも一種の「生物学的多様性」というものが存在するようになったと私は見るのです。

少子化が招いた大学の「氷河期」

 大学を生物に例えるならば、大学にも氷河期といった絶望的危機が訪れてもおかしくありません。 特に18 歳人口が大学入学者の多くを占めている東アジア各国では、国によって度合いは異なるものの18 歳人口の減少が進み、大学の「氷河期」が現在進行中で、大学全体の縮小は不可避であると予想されています。
 中でも隣国である韓国は、非常に大きな変化を経験しています。日本において、2040 年に向けて18 歳人口の減少に備える様々な対策が打ち出されているのと同様、韓国においても2040 年に向けて様々な対策が講じられています。
 また18 歳人口の減少と同時に、地方消滅の問題も浮上しています。人口が減少すればするほど、比較的仕事が見つかりやすく、社会インフラがよく整備されている首都圏に人が集中する現象が起きています。このことは大学にも無関係ではありません。首都圏の大学への異動を望む教員が増え、地方からの頭脳が流出しているのです。2023 年現在、韓国政府による研究費の約60% は首都圏に所在する大学に支給されています。頭脳流出により、こうした傾向は今後一層強まると予想されています。

韓国政府による取組

①財政支援の変化
 韓国政府はこうした人口減少を予想し、2000 年代以降、大学に対する財政支援制度を変化させてきました。その一つの現れが、定員充足率、就職率、教育や研究における成果などに応じた傾斜配分式財政支援です。これによって、大学によっては支援が中止されたり、閉鎖を誘導されたりするところが出てきています。一方、地方の国立大学に対しては支援を拡大しています。代表的な取組は2023 年にスタートした「グローカル大学30」です。2023 年から2025年までに30 大学を選抜し、集中的に財政支援を行うというものです。選考基準には、大学統廃合など、積極的に大学の再編を行っていくことなどが含まれています。
②地域性の強化
 地域性の強化もあげられます。例えば、韓国政府が提案しているのが「共有大学」という新しい大学モデルです。これは各地域の自治体、複数の大学、複数の企業が仮想の大学を共同で設立し、地域に特化した学位課程を編成・運営するというものです。マイクロクレデンシャル(注:学習者の学習成果を証明する単位として、従来の学位よりも細かいものを意味します。集めて基準を満たすと学位が授与される方式になっています)による教育課程を設け、最終的に学生には学位が授与されます。また、「地域革新中心大学支援体系」の構築にも取り組んでいます。目的は、従来政府が持っていた各大学に対する財政支援に関する権限を、各自治体に移譲すること。すでに2023 年にいくつかの地域において施行されており、2025 年にはすべての地域に導入される予定です。

研究開発費の「効率化」

 最後にもう一つの変化として、政府による研究費の効率化があげられます。これは人口減少と直接関係があるとは言えませんが、大学の再編に影響を及ぼすことから、結果的には大学の再編を加速するという側面があります。従来、韓国はGDP(国内総生産)に比べて研究開発費に積極的な投資を行う国としてよく知られています。2021 年には、GDP の約4.93% を研究開発費として策定し、世界1位を記録しました。しかし2024 年に政府は研究開発費の「効率化」を図り、従来の研究費を約14%程度も削減しました。2023 年、韓国の大学における研究開発費の75.7% は政府によるものと言われていますから、各大学は内部の再編が不可避な状況に追い込まれています。これには学界から猛烈な反対が起き、これを受けた政府は2025 年の予算を従来通りに戻すという方針を発表しました。しかし、研究者の間ではまだ不安は消えていません。

大学を「ノアの方舟」に乗せるとしたら

 現在の韓国政府の政策的変化を一言で表すならば、それは「選択と集中」です。これに対して、教職員・学生、地域住民など、大学に直接的・間接的に関わる利害関係者を中心に、反対の声が上がることもけっして少なくありません。しかし一方で、人口や産業構造に比べて大学の数が多いこと、大学教育が就職に役立っていないことなどに、全国民的な共感が集まっているのも確かです。冒頭で私は、大学を生物に例えました。生物学的多様性が豊かな生態系を支えているのと同じように、大学の多様性もまた、社会をより豊かにするうえで非常に大事だと思っています。しかし、私たちに、「ノアの方舟」に乗せる大学を必ず選ばなければならない瞬間が来るとすれば、一体どうすれば良いでしょうか。だからこそ私たちには、こうした最悪の状況に備えるための研究も求められているとも言えるのではないでしょうか。課題は山積みですが、私は各大学固有の価値を守るためにも、大学の役割およびその再編に関する研究を続けていくつもりです。

(出典:ヨン(2021)をもとにハン(2022)が作成した図を筆者が翻訳,修正)ヨン・ドクウォン. (2021). 大学の構造調整の現在と未来(定員政策を中心に).ハン・ユヨン. (2022). 大学定員不充足加速化… 2年後、入学定員8万人不足. 忠清トゥデイ.https://www.cctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=2159357

産業用大麻の安全性のアピールと、新産業創出のための研究拠点を

キラリと光る研究科 三重大学大学院地域イノベーション学研究科

――三重大学神事・産業・医療用大麻研究プロジェクト

三重大学大学院地域イノベーション学研究科長・生物資源学部教授 諏訪部 圭太先生

~Profile~
2000年 三重大学大学院生物資源学研究科博士前期課程修了、2004年博士(学術)。2006年4月~2007年3月英国John Innes Centreマリーキュリーフェロー、2007年4月~2009年1月 東北大学大学院生命科学研究科博士研究員・日本学術振興会特別研究員(PD)、2009年2月~2021年3月三重大学大学院生物資源学研究科 准教授、2021年4月から現職。専門は分子遺伝育種学。三重県立津西高等学校出身。

カーボンニュートラルやCO2削減に向けた取組が様々な分野で進む中、ゴールドラッシュならぬ《グリーンラッシュ》の機運が世界的に高まっている。従来、麻薬との関連から敬遠されてきた大麻の、産業利用を拡大しようという動きだ。国内でも、大麻取締法等の一部が75年ぶりに改正される。神事・伝統文化の継承という課題から、大麻研究の新たな拠点作りを始めた三重大学。それを牽引する地域イノベーション学研究科の諏訪部研究科長に、きっかけや展望を聞いた。

そもそも大麻って?

 大麻は植物分類学上、アサ科アサ属の1年生の草本(学名:Cannabis sativa L. )。農学分野ではアサ、産業分野ではヘンプと呼ばれる。カンナビノイドと言われる生理活性物質を含み、植物体内で各種合成酵素を使って向精神作用がありマリファナの原料として知られるTHC(テトラヒドロカンナビノール)や、向精神作用がなく鎮痛やストレス緩和等に効果のあるCBD(カンナビジオール)を合成できる。サティヴァ亜種、インディカ亜種、ルデラリス亜種の3 種類があり、THC,CBD の含有量には差がある。 一般的に、THC の含有量が一番多いのはインディカ亜種。一方、日本で太古から栽培されてきたサティヴァ亜種は含有量がきわめて少ない。品種や系統によるTHC 含有量にも大きな違いがあり、THC が1.0 ~20% 超のものは薬用型、1.0 ~ 0.3% のものは中間型、0.3% 以下のものは繊維型と分類され、THC1.0% 未満のものは産業用大麻とも呼ばれマリファナ原料にはならない。キノコには毒キノコとそうではないキノコという言い方があるが、そのような呼び方のない大麻でも種類によってそれぐらいの違いがある。我々が研究で扱う大麻は、もちろん産業用大麻である。

きっかけは伊勢からの依頼

 わが国では古来より、大麻は神事・伝統行事においてある意味で主役だった。その茎は神社のお札、しめ縄、神職装束、横綱の化粧まわしから、檜皮葺き屋根の土台、花火の火薬、松明など幅広い用途に使われてきた。またその実は七味唐辛子やいなりずしに入れられているし、その葉は伝統模様として親しまれている【写真】。ところが第2 次大戦後、この状況は一変する。理由はさまざまだが、大麻取締法等が布かれてから、栽培は許認可制となり、麻薬成分の抽出が目的ではないにもかかわらず国の厳しい監督下に置かれるようになった。

その結果、国内農家で栽培を続けているのは2022 年で27 軒、栽培面積も7ha と少ない【図】。品種も、もともと生産地によって多種あったが、現在、商用品種は栃木県産の「とちぎしろ」しかない(これも栃木県外での利用はできない)。当然、神事や伝統行事に使う麻の多くは輸入や模造品に頼らざるをえない状況だ。

 ご利益があるとされるようなものまで輸入に頼っている状況を何とかしたい、と声を上げたのが伊勢神宮のお膝元の企業等で作る社団法人伊勢麻振興協会。伊勢麻の麻とは大麻で、協会の傘下には大麻栽培の許認可業者の一つ( 株) 伊勢麻があり、これまで細々と栽培を続けてきた。 2021 年、同会が県内で生物資源などの研究組織を持つ本学に、大麻の栽培や育種、品種改良、成分分析などについての研究協力を要請。これが産官学による『大麻研究プロジェクト』がスタートするきっかけとなった。以後、本研究科が運営主体となりつつ、2024 年4 月からは理系のみならず文系分野の学部、センターなどが結集し、大学全体で一体となって研究協力する体制を確立してきた。

分野融合、地域や産官学との連携による2大プロジェクトが始まる

 プロジェクトの一つは、きっかけとなった神事・伝統を守り支えるための農業生産基盤の確立や、産業用大麻の社会的認知を高めることを目的に、三重大学の「地域共創展開センター」の中に「神事・産業用大麻研究プロジェクト」として位置づけられた。
  第一弾として2023 年4 月には、伊勢神宮の斎王の御所とされる斎宮【写真】所在地で、古来より大麻を栽培してきた明和町を舞台に、産官学連携で麻産業の振興を目指す『天津(あまつ)菅(すが)麻(そ)プロジェクト』が始動した。これには明和町、(社) 伊勢麻振興協会他5 社2 団体、農家、農業法人、私立大学では皇學館大学が加わった。

提供:三重県明和町

また、高大連携の一環として、三重県立久居農林高等学校との共同研究を開始し、大正時代に作られ現存する物しか残っていない神事用栽培に用いる特殊な播種機も復元した。

 もう一方の柱はバイオ、生物資源や、農学の基礎研究からのアプローチで、本学に9 つある「重点リサーチセンター」の一つ「カンナビス研究基盤創生リサーチセンター」が担う。育種や品種改良、成分分析や毒性の基準づくりから、大麻の幅広い産業応用の基盤となる基礎研究の確立を目指す。
 安全・安心を保障するための基本ともいえる大麻の成分分析体制の確立も目指す。現在、国内での成分分析は、外国の分析機関にサンプルを送って依頼するか、アメリカ企業の持つ検査試薬の輸入に頼っていて、高コストで時間もかかる。また、厳正さが求められるにもかかわらず公的な分析センターもない。そこで、国際標準として使用される成分分析機を2024 年3 月に本学に導入した。この分析機の導入も非常に厳しい審査基準があり、本学に導入されたものが日本国内第1 号である。本分析機と国立大学というポジションニングを活かしつつ、早期に国の認める分析センターの設置を目指したい。
 産業応用では、これまで医療用に加えて、健康・美容のための有効成分に着目したヘンプシードナッツやヘンプシードオイルなどが商品化されているが、睡眠に関するサプリメントへの応用など、新たな知見も取り入れながら、様々な可能性を追及していきたい。
 一年草である大麻は、多くの植物の中で特にCO2 吸収能力にすぐれていると言われていて、伝統的な育種学・作物学による栽培技術の確立や品種改良、新たな品種の開発は、それだけでもカーボンニュートラル、CO2 削減に寄与する。またバイオ燃料としての期待も高まっており、関連企業との産学連携を積極的に進めていきたい。
 工学分野では、茎繊維はカーボンファイバーに負けない剛性を持ち、なおかつ軽量のため、グラスファイバーや金属に替わる車体のパーツ素材としてヨーロッパで使われ始めている。この分野では、「卓越型リサーチセンター」である「エネルギー材料総合研究センター」などと連携し、産学連携を強化していきたいと考えている。
 プロジェクトはまだ始まったばかりで、また日本には70 年を超える研究空白があるため、担当者にとっては未知の分野も多く、手探りで進めなければならないケースも多々ある。しかし世界では、産業用大麻に関する規制の見直し、その法改正が大きく進展し、取り扱いのハードルは大きく下がっている。神事・伝統の維持目的から始まり、地域貢献、さらには新産業創出までの広がりを視野に、本プロジェクトを一歩々々、着実に進めていきたい。

地域イノベーション学研究科とは

 《実社会において、専門知識に基づき、自ら社会課題を発見し、自分の頭で考え、信念を持って行動できる「プロジェクト・マネジメントができる研究開発系人材」と、「地域においてゼロから1を創造できる社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)人材」の育成を目的に、2009年に開設された文理融合(工学、バイオ、人文・社会)の大学院。教員は様々な学部から集まる。教育研究ユニットには、『工学』『バイオ』『社会』の3つに加えて、学際研究を担う文理融合型の『地域新創造ユニット』がある。専門教育を担当するR&D(Research and development)教員に加え、プロジェクト・マネジメント教育を担当するPM(Project Management)教員からも同時に指導を受けられる「サンドイッチ方式教育」と、特に地域の企業等との共同研究におけるプロジェクト・マネジメントについて学ぶOPT(On the Project Training)教育に特徴がある。また、博士前期課程には本格的な「インターンシップ研修」が必修科目として開講され、社会連携を実現する場としてコアラボも設けられている【写真】。2020年度からは、地域創生イノベーター(RRI)養成のための新たな教育コース「地域創生イノベータ―養成プログラム」が導入され、修了者は資格認定される。同年にはまた、博士前期課程地域イノベーション学専攻の正規課程が「職業実践力育成プログラム」(BP)として文部科学省に採択された。社会人にも門戸が開かれていて、2021年には特定教育訓練給付制度の受けられる厚生労働大臣指定の専門実践教育訓練講座として指定を受ける。

杜の都の西北から 第5回

大学にとっての「改正障害者差別解消法」とは?

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌(やす)厚(ひろ)さん

~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 障害者の権利擁護に向けた政府の取組が進展している。令和6年4月には改正障害者差別解消法が施行され、障害者に対する合理的配慮(reasonable accommodation)の提供が事業者にも法的に義務付けられた。改正法施行に先立ち、令和5年3月には、政府全体の「基本方針」が閣議決定され、この基本方針に即して文部科学省など各府省が所管する事業分野における「対応指針」が分野ごとに策定された。これら政府の基本指針や対応指針等は改正法施行と同じ4月から実施されている。
 一連の制度改正により、合理的な配慮の提供について法的な義務を負うこととなる事業者の中には、私立学校の設置者も含まれる。本年4月から私立大学等も合理的配慮の提供が義務化されたが、それはこのような文脈によるものなので、特別に教育機関のみが改正法の対象となったものではない。
 私立学校における合理的配慮の義務化により、国公私立の全ての大学等が合理的配慮の提供義務を法的に負うこと等を踏まえ、文部科学省は、昨年5月「障害のある学生の修学支援に関する検討会」を立上げた。検討会は大学等が共有すべき「基本的な考え方」などについて審議を重ね、本年3月に報告(第三次まとめ)をとりまとめた。報告は「障害のある学生の現状」、「これまでの取組の進捗状況」など7章と附属資料等で構成されている。ここでは主要な検討テーマである「障害学生支援に関する基本的な考え方」「諸課題の考え方と具体的な対処の取組」の章に掲載された事項のうち、主要な事項の概要を紹介する。文部科学省ホームページから、検討会の報告の主要な文言を抜粋・要約すると以下のようになる。
1.大学等は、自らの価値を高め、学生に対する責務を果たすため、事前的改善措置により教育環境の整備を図るとともに、障害学生支援を障害学生が平等に学ぶ権利を保障する手段であるとの認識の下で、着実に実施することが必要。支援では合理的配慮以外の学生支援リソースも総合的に活用することが望ましい。
2.「障害の社会モデル」の理解に関して、社会的障壁とは、障害がある者にとって生活上の障壁となるような社会における一切のものをいう。この考えに基づくと、障害のない学生を前提とし構築された仕組みや構造が社会的障壁となっている場合がある。このことを大学等の構成員全てが理解し、社会的障壁を除去するとともに、各種支援リソースを総合的に活用しながら取り組むことが必要。
3.障害の根拠資料に関する考え方について、個々の状況を適切に把握するため、学生から根拠資料の提出を求めることが適当。一律に「根拠資料がなければ合理的配慮を提供しない」といった形式的な対応をとらないよう留意する必要がある。
4.責任の所在を明確にし、障害学生支援に取り組むために、教職員の共通認識が不可欠。その手段としては教職員向けの対応要領・ガイドライン等が有効である。
5.学生の状況と授業の状況を総合的に考慮し、オンライン参加の可否を個別に判断すること。対面とオンライン学修を組み合わせたブレンディッド型授業も要考慮。大学等の事情ではなく、本人の意向や教育の質の担保の観点が必要。
6.大学等と国、地域・企業・民間団体等との連携や大学等連携プラットフォームを更に活用すること。
 最後に、本報告は、「大学等が学生を第一に考え、障害のある学生が平等に教育を受ける権利を享受できる環境を構築することは、コンプライアンスの観点からはもちろんのこと、開かれた大学等として価値や魅力を高めるための重要な要素となる。各大学の役員や管理職はこのことを強く認識し、障害学生支援への理解を深めるとともに自大学等の運営方針の一つとして位置づけ、取組を推進していくことが望まれる」としている。このたびの改正法による合理的配慮の義務化を契機として、大学等における障害のある学生への修学支援が一層充実されるとともに、公正な社会の実現に向けた取組が加速化することを期待したい。

雑賀恵子の書評「むなしさ」の味わい方 きたやま おさむ 岩波新書、2002年

雑賀 恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 白い雲は 流れ流れて/今日も夢はもつれ わびしくゆれる/悲しくて 悲しくて/ とても やりきれない/この限りないむなしさの/救いはないだろうか
「 悲しくてやりきれない」という1968年の歌の2番である。古い歌だが、多くのアーティストにカバーされ、映画やドラマなどでも使用されているので聞いたことがある人も少なくないだろう。歌ったのはザ・フォーク・クルセダーズ、本書の著者であるきたやまおさむ(北山修)はそのメンバーであった。医学生時代にフォークルを結成し、解散後も数々の名曲の作詞なども含めて音楽界で活躍した。一方医大卒業後は精神科医の道に進み、九州大学教授を定年まで勤め上げて現在白鴎大学学長、医学界でも活躍している。精神分析学関係でも文化論関係でも専門書から一般書まで著書は多数、華々しく羨ましい人生だ。そのきたやまおさむが「むなしさ」について書く。
 期待したものに裏切られたり、愛していた相手が亡くなったり、何かを求めていたのに意味のあるものが得られないなどという、自分の外側に空虚なものができてしまう「むなしさ」。自分自身に価値や中身、生きている意味がないと感じるような、自分の内側に空虚なものが生じてしまう「むなしさ」。前者は対象喪失、後者は自己の喪失であり、自己が対象に強く依存しているなら、対象喪失は自己の喪失に結びつき、内も外も空っぽになって深刻な「むなしさ」に陥ることになる。
 本来私たちは、常に「間(ま)」に囲まれている。ところが現代社会では、相手との「間」があってはならないようだ。「間」を埋めるために、溢れるばかりの意味のない言葉や情報、商品が用意されている。ないものはない社会は、「間」つまり喪失を感じさせない社会であり、喪失を喪失した時代だ。しかし意味のない言葉や情報の氾濫している現代は、実は大きな「むなしさ」のそばにある。「むなしさ」はあって当然であり、「むなしさ」に慣れ、呑み込まれない術を身につけなければならない。
 自己と外界とのかかわりの中で「むなしさ」が生まれてくるが、自己と外界をつないで「間」を埋めるのは言葉だ。本書でおもしろいのは、言葉の連想によって意味の連関を分析していくところである。原初的な自己を包摂する母との「チ」のつながり、チは血、乳、父、口、膣、命、大地と私たちに親密で生々しいつながりを連想させる。チの「つながり」に意味が与えられ「通じる」。言葉の「意味(イミ)」が結果という「実(ミ)」をうみ「身(ミ)」になる。私たちの身につけている日本語がほぐされて、意識が読み解かれる。だがなおも分明されない、どろどろと泥(ナズ)む心の沼がある。未処理、未消化のものたちを沈める心の沼は、創造の場でもある。「むなしさ」を混乱させたまま沼におき、たちのぼるもやもやを味わう時間は、人との関係性や自分自身に奥行きを持たせると、きたやまはいう。取り返しのつかない喪失、わりきれない「むなしさ」は味わうしかない。自身いくつも、いくども味わいながら、ここに生きてある北山修だから言い切れるのだろう。

大学ランキングからはわからない大学の実力 第6回

司法試験予備試験という劇薬、天才発掘とその功罪

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

~Profile~
1960年神奈川県生まれ。 教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

 おもしろいランキングを作ってみた。
 2023年度、司法試験予備試験合格率上位校である。
①奈良大、ロンドン大100%、③東京医科歯科大、静岡県立大33.3% ④東京大15.5% ⑤京都大10.5% ⑥一橋大7.3% ⑦千葉大7.14% ⑧大阪大、静岡大6.25% ⑩慶應義塾大6.2%(奈良大、ロンドン大は受験者1人、合格者1人。東京医科歯科大は受験者6人、合格者2人)。
司法試験の受験資格を得るためには、原則として法科大学院に在学しているか、またはそこを修了していなければならない。しかし、時間の制約や経済的な理由などで法科大学院を経ない者でも、司法試験を受けられる。司法試験予備試験(以下、予備試験)に合格すれば、司法試験の受験資格を得られるという制度だ。
では、肝心の司法試験はどうか。最新データをみてみよう。
2023年、司法試験合格率は45.3%だった。(受験3928人、合格1781人)。 
これを出身ルート別にみると、①予備試験合格者92.6%(受験353人、合格327人)。②法科大学院学生(在学中)59.5%、③法科大学院修了者32.6%となっている。ちなみに司法試験合格率上位の法科大学院は①京都大68.4%、②一橋大67.2%、③慶應義塾大60.0%、④東京大59.1%、⑤神戸大48.6%となっている。合格者を出せなかった法科大学院は13校あった。これでは、司法試験合格実績からみれば、予備試験合格者は法科大学院修了者よりもはるかに優秀という見方が成り立ってしまい、残念だ。
予備試験の内容は、法科大学院修了者と同等の学識を有するかどうかを判定するものだ。それゆえ、法律の知識、運用方法をかなり身につけていなければ受からない。実際、かなりの狭き門で、2023年の合格率は19.0%だった(受験2562人、合格者数487人)。 だが昨今、頭脳に自信がある者が多くチャレンジしている。
 冒頭で紹介した予備試験合格率上位校をあらためてみてほしい。予備試験合格者の9割以上は司法試験に合格しており、近々、奈良大、東京医科歯科大、静岡県立大など法学部、法科大学院のない大学出身者から法曹の道に進む者が出てくるだろう。
 いったい、彼らはいつ、どのように勉強したのだろうか。東京医科歯科大合格者2人は2年生と4年生である。医学部生が医師国家試験受験前に法曹へのもっとも近道である予備試験に合格している。近い将来、2人は法曹、医師の両方の資格を持つことになる。 予備試験合格者の出身校には青山学院大、成蹊大、新潟大、静岡大、熊本大などがある。これらは法科大学院があったものの募集停止したところだ。一方で東京外国語大、三重大のような法科大学院と無縁な大学の出身者もいる。
 予備試験合格者を年齢別、属性別、大学の学年別にみると驚くべきことがわかる。最低年齢16歳、高校在学中1人。高校1年生または2年生だ。大学学年別では東京大1年7人、慶應義塾大5人、明治大2人、京都大1人だった。
高校2年生がどういう勉強をすれば予備試験に受かるのか。
前例があった。2021年に灘高校の2年生が予備試験に受かり、22年に3年生になると司法試験に合格してしまう。彼は翌年、東京大法学部へ推薦入学で進んだ。灘高校関係者によれば「ギフテッドと言っていい、ずば抜けた天才でした」。
もう1つ前例があった。2010年代、慶應義塾高校3年生が予備試験に受かり、慶應義塾大法学部に入学してから7月上旬に行われる司法試験に挑み合格している。しかも年代を違えて2人いて、いずれも19歳での合格だ。これは受験勉強をする必要がない、附属・系列高校出身のなせるわざと言えよう。
 では、入学したばかりの大学1年生はなぜ予備試験に合格できるのか。予備試験は7月下旬に行われる。前述のように、慶應義塾大なら「高大接続」を活用できればいいが、東京大は2月下旬の入試が終わってから、予備試験まで4カ月弱しかない。こんな短期間の勉強で受かるのはギフテッドなのだろう。
 これでは法科大学院の立場がない。2004年、法科大学院制度がスタートしたとき、グローバル化、ハイテク化を見据えさまざまな出来事に対応できる多様な法曹人材の育成が掲げられた。当初74校が設立されたが、2024年までに40校が募集停止となる。残り34校は関東、関西が中心で、北陸、甲信越、四国、山陰はゼロ、九州と沖縄は1校だけだ。そういう意味では予備試験合格者に新潟大、静岡大、西南学院大、熊本大の出身者がおり、結果的に地域格差が是正されているのは悪い話ではない。
 また少子化が進むなか、若く天才肌の人材が予備試験、司法試験を目ざすのも、法曹界にすれば嬉しい話だ。もっともゲーム感覚、資格マニア的に司法試験に挑まれるのはかなわない、法曹界にマイナス、という批判もある。
 お金も時間もかからない予備試験の受験者は増えている。劇薬的魅力と言えようか。法科大学院ルートより予備試験ルートのほうが法曹全体に活性化をもたらすことになれば、法科大学院教育の意義がぼやけてしまう。悩ましい。(データは法務省による)

16歳からの大学論 第40回

生成系AIに問う「大学の意味」とは

京都大学 学際融合教育研究推進センター准教授 宮野 公樹

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

この原稿を書いている4月上旬は、大学入学の時期でもあります。今年度も多くの新入生が期待に胸を膨らませ、日々、キャンパスに通い、思い思いに学びの場についていることでしょう。本紙の読者とは異なるかもしれませんが、彼・彼女ら新入生に向けて、この場にてお祝いの言葉を述べたいと思います。 ただし、普通に書いたのではつまらない。生成系AIに、「大学の意味」というタイトルで入学式の祝辞を書いてもらい、それに対してツッコミをいれるという形で、私のメッセージを伝えられればと思います。以下、どうぞお楽しみください。

『大学の意味』

 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。本日は、皆様にとって待望の大学入学の日であり、新たな人生の門出となる日です。 私は、皆様が今日この日に至るまで、多くの努力を重ねてきたことを知っています。そして、これから始まる大学生活においても、更なる努力と挑戦が必要となることを覚悟していることと思います。 しかし、同時に、皆様は大きな夢と希望に胸を膨らませていることでしょう。大学生活は、専門的な知識を学び、将来のキャリアを築くための貴重な時間です。

 違います。専門的な知識を学ぶのは、専門学校でも可能です。大学は「学問」をする場ですので、「学問に通じた専門(知識)」を学ぶのです。そもそも専門的な知識とはなんですか? それらはもうインターネット上に溢れており、今、それを学ぶことにどれほどの意味があるのですか? かといって、それを使いこなすことが大事、と言いたいのではありませんよ。そもそも、知識とは何か、を問うているのです。そして、このような「問い」を持つことこそが、学問の営みであり、単なる知識習得の学習とは大きく異なる点です。
 そういう観点からすると、大学は「将来のキャリアを築くため」にあるのではないことに気づくでしょう。言うならば、将来とは?キャリアとは?と考えることこそが大学でやらねばならぬことなのです。

 しかし、それ以上に、自分自身を見つめ直し、新たな価値観を創造していくための場でもあります。

 そう、そのとおり。「自分自身を見つめ直す」のが大学での時間です。ただ、これは自分の興味関心や生涯かけてやりたいことは何かと考えることではありませんよ。それは学問ではありません。自分自身=この世、という絶対的事実に向き合うということです。少しわかりにくいかもしれませんが、なんのことはない、「この世は、自分が見たいようにしか見れない」という深い自覚を持つということです。これは、普遍たる学問の大切な立ち位置として、ぜひ大学4年間で感じて頂きたいことです。

 大学は、様々な分野の専門家が集まり、最先端の研究が行われている場所です。

 違います。単なる専門家の集まりが大学ではありません。例えば、最先端の研究がなされていることもさることながら、その「最先端とは何か?」もまた自省的に問い続けることも含んで、大学である、ということです。

 ここでは、これまでとは全く異なる視点から世界を見る機会を得ることができます。また、異なる価値観を持つ人々と出会い、議論することで、自分の考えを深めることができます。

 そのとおりです。素晴らしい。専門を超えた多様な共同、対話があって初めて「大学」であり、それが社会の実験場としての大学の存在意義です。

 大学生活は、決して楽ではありません。時には困難に直面することもあるでしょう。しかし、そのような経験を乗り越えることで、人間として大きく成長することができます。私は、皆様一人ひとりが、大学生活を充実させ、自分自身を成長させていくことを願っています。そして、大学生活を通して、それぞれの「大学の意味」を見つけていってほしいと思っています。

 それぞれの「大学の意味」を見つけることも大事ですが、学問の営みを通じて、誰しもが所有する「意味」というもの、人も、時代も、国も超えて、それが確かに在るのだというあの驚き。「あぁ、なんということだ…」 自分が溶けてなくなるような、精神の呼応にこそ出会わんことを心から願っています。

 大学生活は、自分自身の人生を切り開くためのチャンスです。この貴重な時間を有効活用し、充実した大学生活を送ってください。皆様のご入学を、心よりお祝い申し上げます。◯◯大学 学長 宮野公樹

 以上です。いかがでしたか? 紙面の都合上、極力簡潔にまとめてみましたが、もっと丁寧に説明する必要があったかもしれません。必要であれば拙書「学問からの手紙」(小学館)を手にとって頂ければ幸いです。(続く)

記者席から 第13回 科学の甲子園全国大会特集 その4

実技競技❶ アッピン地質ワールド(地学分野)

 本実技競技では、「アッピン地質ワールド」といわれる仮想の海岸の地質調査を行うことが目的。 
どんな岩石や地層がどのように分布しているかを示した図を地質図といい、これを作るためには岩石の種類や性質、地層の走向・傾斜、厚さ、断層、褶曲、地層の新旧関係などを色々な地点で調べなければならない。これが地質調査である。 
実際に野外で地質調査を行うためには、事前調査によって把握した情報を元に調査ルートを決定し、露頭を探すことから始まる。 多くの露頭を調べ、地層や岩石の繋がりを調べ、ルートマップを作成し、その分布を理解し、地質構造を明らかにしていく。 
こうして、最初は点にすぎなかった露頭の情報も調査が進めば線状につながっていき、情報は点から線(ルートマップ)へ、そして線から面( 地質図)へと広がっていく。 
地質図は2次元の平面図であるが、いわば3 次元の空間情報や時間情報も表している。本課題は地質調査としての特色ある課題が取り上げられており、大きく3つに分かれている。 
【課題1】 では地質構造を明らかに、【課題2】では地質構造の模型作成、【課題3】では岩石標本の製作となっている。

課題1 「海岸に露出している地層の走向・傾斜を測定し、地質構造を明らかにせよ」

 この課題は、実際にクリノメーターを用いて地層の走向・傾斜を測定し、ルートマップを作成し、断面線による地質断面図を作るというもの。クリノメーターと言えば、ハンマー、ルーペと共に地質調査の三種の神器といわれる重要な測定機器である。
 ちなみに大学入試センターが行った平成30年( 2018年)度試行調査の地学の問題で、走向・傾斜についてクリノメーターを用いて適切に読み取ることができるかという問題が出題されたことは記憶に新しい。
 問1は、クリノメーターの方位磁針の東・西の表示が逆になっている理由を問う問題。 他にも、読み取りの便宜上、方位角度が360°表示でなく90°表示になっているのも特徴である。 問2では、地層の上下構造の判定として、堆積構造に関する問題が出題された。 これらの判定では、特徴的な堆積構造として、級化成層(級化層理、級化構造、graded bedding)、斜交層理( 斜交葉理、クロスラミナ、cross-bedding)、漣痕( 砂紋、リップルマーク、ripple mark)、流痕(current mark)、荷重痕(load cast)、生痕(trace fossil) などがある。中でも級化成層は砕屑物が下位から上位に向かって細粒化する構造のことをいい、流水中において堆積する粒径の垂直的な変化のことを、級化(grading)と呼ぶ。
 問3は、実際にクリノメーターを用いて地層を測定し、そこから褶曲を調べ、地質断面図を作成する問題。
 地層の真の傾斜は、走向に垂直な垂直断面でのみ現れるため、それ以外の断面では真の傾斜角よりも小さく見えてしまう。
 そのため、見かけの傾斜角は、真の傾斜角と、傾斜面の走向と断面線のなす角度をもとに求めることになる。
 しかし今回の断面線は、走向に対してピッタリと垂直でないものもあるが、大きく外れていないので、露頭をつなぎ合わせても地層の立体構造は把握できる。

課題2 「トンネルを AR『Augmented Reality (拡張現実) 』で調査し、地質構造の模型をつくれ」

 この課題( 問4 )は、トンネル内部(天井)を観察し、それに基づいて地質構造の模型を作成するというもの。 ARを用いて、トンネルの内部構造を写真および動画により観察し、いかに情報を得ることができるかがポイントとなる。
 一見天井部を見ると、褶曲構造(背斜)に思えるが、左右の壁も合わせて観察することにより、単斜構造であることが分かる。
 これを見抜くことができれば、単斜構造を作成し、その後にトンネル部分を掘り出せば模型は作成できる。

課題3 「地質ワールドで採取できる岩石の標本を製作せよ」

 この課題(問6 )は、実際に海岸に落ちている礫を用いて岩石標本を作成するというもの。普段見かける岩石標本では、同じ大きさ、同じ形に形成されているため、実際の礫から目的の岩石を識別することができるかということがポイントとなる。
 岩石は、その成因により 1862 年にBernhard von Cotta によって、火成岩(マグマが冷え固まった岩石)、堆積岩(礫・砂・泥などの堆積物が長い年月を掛けて固結した岩石)、変成岩( 既存の岩石が変成作用を受けて変化した岩石)の 3 つに大別した類型が元になっている。
 今回は、火成岩2 種類、堆積岩4 種類の合計6 種類が問題として出題された。
 火成岩には火山岩(マグマが地表や地下の浅い所で急速に冷えたもの)と深成岩(マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えたもの)とがあり、SiO 2の含有量によって超塩基性岩(超苦鉄質岩)、塩基性岩(苦鉄質岩)、中性岩( 中間質岩)、酸性岩(珪長質岩)と分類される。
閃緑岩は深成岩であるため等粒状組織を持っている中性岩であり、白い地に黒ごまをまぶしたような岩石である。主に石碑や墓石などに使用される。
 安山岩は火山岩であるため斑状組織を持っている中性岩であり、有色鉱物を多く含んでおり、石は灰色、褐色、赤茶色である。また大きな斑晶のあいだを小さな結晶がうめている。主に石垣や石壁、砂利などに使用される。

 堆積岩には砕屑岩(浸食や風化によって岩石から生じた砕屑物によって堆積してできたもの)、火山砕屑岩(火山から噴出された火山砕屑物が堆積してできたもの)、生物岩(生物の遺骸が堆積してできたもの)、化学的沈殿岩(水中に溶解している物質が、化学的変化によって析出し沈澱してできたもの)、蒸発岩(水中に溶けていた成分が、水の蒸発によって析出し固まったもの)などの分類がある。
 さらに、砕屑岩は砕屑物の粒径によって礫岩(平均粒度が2 mm以上)、砂岩(平均粒度が1 / 16 mm以上 2 mm以下)、泥岩( 平均粒度が1 / 16 mm以下)に区分される。
 砂岩は形も色も模様も手触りも様々で、細かな石英の砂粒でできたものが多い。主に土木・建築材や砥石などに使用される。
 泥岩は小麦粉くらいの大きさの粒なので肉眼で確かめることは難しく、色も褐色、黒色、赤色などである。主に瓦や硯などに使用される。さらに、生物岩はもとの生物がどのような成分の殻や外骨格などを持っていたかで再分類できる。
 石灰岩は石灰質遺骸(CaCO 3 )によってできており、表面が白い粉をまぶしたような灰色で、丸みがある。主に大理石として石材に利用されたり、セメント、カーバイト、肥料などの原料や製鉄などに使用される。
 チャートは珪質遺骸(SiO 2 )によってできており、割れたところは鋭い角を持ち、釘などでこすってもほとんど傷が付かないほど非常に硬く、赤色、黒色、灰色、小豆色、緑色、白色など様々な色がある。主に庭石や玉砂利、珪石レンガや耐火レンガ、火打石などに使用される。(足利大学 講師 中川幸一)

実技競技❷ 手のひらの金属鉱山

会場のある茨城県は、古くから多くの金属鉱山があることで知られているが、それに因んだ金属とその化合物に関する化学実験問題である。制限時間は100分、4人で行う競技である。問題用紙には化学の実験だけあって、安全に実験を行うための必要事項、白衣,保護めがね、実験用手袋の着用が明記してある。また実験中のゴミの分別や廃棄も指示されている。またSDGsを意識して、試薬の使用量が少なくなるスモールスケールでの実験を徹底させるため、操作手順、点眼ビンやセルプレートの使い方、綿棒を使ったにおいの確認方法など、写真を使ってかなり細かく説明されている。 
また実験に使用した試薬類が万が一にも口に入ることのないように場内での飲水は禁止。喉の渇いた生徒は監督者の指示のもと、場外で飲むようにとの指示が黄色のマーカーで強調され記載されていた。この指示は,脱水症予防のため、教室に飲み物を持ち込み授業を受ける生徒も多い現状を知る先生方の配慮であろう。

 実験は、14本の点眼ビンに入っている水溶液に含まれている化合物と6種類の金属板の同定である。
 陽イオン8種類+未知の陽イオン2種類と、9種類の陰イオンの組み合わせの表が与えられていて、この表を元に14本の点眼ビンに含まれている陽イオンと陰イオンの種類を決める。また、6種類の金属板は上述の陽イオンを還元して得られる金属である。

 陽イオンの種類は液の色を観て予想できるものもあるが、万能pH 試験紙によるpH測定、セルプレート上での2 液の混合とその変化( 沈殿の色,気泡発生,発生気体の臭い)などから決定していく。また、金属板も特徴のある色、持ち上げた時の重さ(密度)の違いから予想できるものもある。
 陽イオンと陰イオンを特定し点眼ビンに入っている水溶液を特定した後、金属板と水溶液の反応で金属の種類が特定できる。
 実験自体は平易であり、その方法についても写真入りの手引き書があり安全に実施でき、実験後の試薬の処理なども丁寧に記載されていて十分な配慮が感じられた。
 ところでこの問題を見たとき私は、何の違和感もなく妙にすんなり全容を受け入れることができた。そして気付いた。「どこかで見た記憶があるな…、そう、国際化学オリンピックの問題に似ている」と。

 自宅に戻り調べると、私も高校生を引率していた第40 回国際化学オリンピック(ハンガリー・ブタペスト大会)の実験問題3の類題であった(https://icho.csj.jp/index 40 .html)。
 しかも私自身、2008年から第42 回の東京大会に向けてのプレイベントとして、高校生や教員の啓発のための実験教室を「化学実験カー」と銘打って全国展開していたが、その際、リメイクして使っていたのがこの問題であった。(東洋大学元教授 日本化学会フェロー 柄山正樹)

神奈川・栄光学園が大会初の連覇を達成

第13 回 科学の甲子園全国大会

――チームの団結力で通算3度目の総合優勝

総合優勝した神奈川栄光学園高等学校のメンバー
(後列左から)金是佑、大沼拓実、稗田和希、山中秀仁
(前列左から)加藤奏、中川柊哉、藤井悠貴

第13回科学の甲子園全国大会(科学技術振興機構主催、茨城県など共催)が、3月15 ~18日の4日間、つくば市のつくば国際会議場およびつくばカピオで開催されました。昨年度は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、無観客での開催となりましたが、今年度は通常開催となりました。予選を勝ち抜いた全国47都道府県代表校は、1・2年生の6~8人から成るチームで科学に関する知識とその活用能力を駆使してさまざまな課題に挑戦し、総合点を競い合いました。
 筆記競技と3種目の実技競技の得点を合計した総合成績により、神奈川県代表の栄光学高校が大会史上初の連覇を達成し3度目の総合優勝を果たしました。2位は東京都代表筑波大学附属駒場高校、3位は岐阜県代表県立岐阜高校でした。

優勝の喜び 連覇の秘訣は事前練習の積み重ね

 栄光学園高等学校は、神奈川県横須賀市にあるイエズス会によって設立された私立中高一貫校です。「科学の甲子園」全国大会には12回出場しており、第7回大会で初優勝。今回3度目の総合優勝を大会史上初の連覇で飾りました。
 今年のメンバーは金是佑君、加藤奏君、山中秀仁君、大沼拓実君、稗田和希君、中川柊哉君、永田駿平君、藤井悠貴君の8人。表彰式では、他の大会に出場している永田君を除く7人で登壇し優勝旗・トロフィー・金メダルが授与されました。優勝校インタビューでは2大会連続出場の加藤君が「この日の為に県大会の準備も含めて、長い間努力をしてきましたので、それが優勝という一番いい形で報われて本当に嬉しいです」と喜びを表し、連覇できた秘訣をキャプテンの金君が「優勝できた理由として筆記競技で1位となったこと。今回のチームはある一科目に凄く力のある人がいて、そういったメンバーに相談したりして事前に練習を重ねたことが本番で生きたのではないか」と教えてくれました。今夏開催の第56回国際化学オリンピックに出場が決定した大沼君がチームとしての強みを、「個人大会の時は自分一人で処理しなければならないが、実験や筆記競技で自分の知らない知識が問われたりしたときに、その知識を知っていたり処理能力が高い人に任すことができるのはチーム競技として本当に良い面だと思います」と語ってくれました。

第12回大会
第7回大会

704校、8042人がエントリー

 科学の甲子園は、全国の科学好きな生徒らが集い、競い合い、活躍できる場を構築し、提供することで、科学好きの裾野を広げるとともに、トップ層の学力伸長を目的としています。第13回大会には、704校から8042人のエントリーがありました。 
開会式では、司会者から47都道府県の代表校の紹介が行われ、各校が学校名の書かれているフラッグを掲げ、決めのポーズを披露してくれました。また、選手宣誓は1月1日に発生した能登半島地震の被災地である石川県代表・金沢大学人間社会学域学校教育学類附属高校の武川桜太朗君と川原紗和さんが務めました。大会初日は開会式、オリエンテーション、科学に関する知識とその応用力を競う筆記競技を、2日目に実技競技を行い、3日目に表彰式やフェアウェルパーティーなどが行われました。 
「第14回科学の甲子園全国大会」は令和7年3月下旬に茨城県つくば市で開催される予定です。

筆記 教科・科目の枠を超えた融合的な問題にチームで挑む

 筆記競技は各チーム6人を選出して行われました。競技時間は120分。メンバーそれぞれの得意分野を活かしてチームで協力しながら、理科、数学、情報の中から習得した知識をもとにその活用について問う問題で、教科・科目の枠を超えた融合的な問題など計12問に挑みました。例えば第1問、空気鉄砲は昔、竹で作った筒の中に水で濡らして丸めた紙を2つ入れ、竹の棒で押して発射させていました。今は小学校の理科の教材としてプラスチック製のものが販売され、目盛りがついた半透明の筒と、少し柔らかい円筒形の弾が2つ、弾を筒の中に押し込むための持ち手のついた棒という構成となっています。この装置で弾Aを発射できる仕組みについて説明する設問。昭和の時代は、細くて柔らかいタイプの竹で、水鉄砲や空気鉄砲を作った子供がたくさんいました。今も各地の自然教室などで竹の空気鉄砲を作る機会がありますが、最も簡単な原理の説明は、気体の圧力と体積の関係を示したボイル・シャルルの法則です。空気の体積と圧力の関係は小学校4年生の理科で学習しますが、ここでは高校生向けに棒を押し込むときの速さも考慮し、気体の状態変化を断熱変化と考えさせています。
 筆記競技では栄光学園高校(神奈川県)が最高得点をあげ、第1位のスカパーJAST賞を受賞しました。

実技① 地質ワールドフェア・互譲の精神で競技に臨む

 「アッピン地質ワールド」(競技時間100分・配点240点)課題1「海岸に露出している地層の走向・傾斜を測定し、地質構造を明らかにせよ」ではビデオ視聴後にローテーション表の時間内(10分間)に各チームで譲り合って計測などを行い解答しました。課題2「トンネルをAR『Augmented Reality(拡張現実)』で調査し、地質構造の模型をつくれ」も指定の時間内(10分間)に各チームで会場中央の指定場所で観察を行い、粘土模型を製作し、スケッチを行いました。課題3「地質ワールドで採取できる岩石の標本を製作せよ」では岩石標本採取場所で標本を採取し、実技卓で解答しました。課題1の出題意図は「走向・傾斜の測定から大まかな断面図を書く」ことにあり、露頭をつなぎ合わせてできる地層の立体構造が理解できているかが問われました。課題2の模型製作は粘土で単斜構造を製作、その後トンネル部分を地層の重なりが乱れないように慎重に掘れば完成。課題3は標本箱に記された岩石名に従って、採取・鑑定・確認したすべての岩石が、正しい場所に収まっていればよく、「地学」という時間と空間の連なりを視野に入れた、幅広い総合的な学びを大切にしながらフェア・互譲の精神で競技に臨み3つの課題に挑戦して欲しい狙いがありました。県立宮崎西高校(宮崎県)が1位のトヨタ賞に輝きました。

実技② 手のひらの金属鉱山未知化合物や金属板を特定せよ

「手のひらの金属鉱山」(競技時間100分・配点240点)は与えられた①~⑭のラベルの付いた点眼ビンおよび⑮~⑳の6種類の金属板を用いて点眼ビンの水溶液に含まれている未知化合物や6種類の金属板を特定し、それぞれのイオン化学式や化学式で解答を行う競技。無機化合物の定性分析といえば、陽イオンである金属イオンのみを追いかけて沈殿や水溶液の色を手がかりに特定していくことが多いですが、本競技では水溶液中の陰イオンが沈殿などに関わってきます。混合させる水溶液の双方に陽イオンと陰イオンがそれぞれ1種類ずつ入っているため、それらのイオンのどの組み合わせで反応が起こったのかを見つけ出すことが本競技の難しい点です。水溶液中の陽イオンのみに注意を払うのではなく、水溶液中のあらゆるイオンについて考える点が、より実際の定性分析の実験に近いものとなっています。
 この競技は、未知の水溶液同士や金属板との反応から、その変化に気付き、何も反応が起きないことも判断材料としてこの水溶液や金属板は何であるかを仲間と協議し、判断していくものであり、複数の試薬を混合して行う実験のため高い推理能力が求められます。最高得点を獲得した神戸大学附属中等教育学校(兵庫県)が1位に輝き、UBE三菱セメント賞を受賞しました。

実技③ バルーンフェスタ㏌つくば熱気球の昇降運動を科学せよ!

 事前に公開されていた実技競技の「バルーンフェスタ㏌つくば」(競技者4人・競技時間170分)は、指定の材料で3つの要素―ⅰ指定された時間(一定の範囲)で上昇および下降(以下、滞空という)できる。ⅱできるだけ重いおもりを積載して滞空できる。ⅲ滞空後、スタート地点からできるだけ近い場所に着地できる。―を併せ持つ熱気球(以下、気体という)を製作し、限られた時間内で製作された機体に定められた方法で熱風を入れて滞空させ、滞空した時間と積載した重量に基づいて算出される得点を競う競技。全チームが2回の予選チャレンジを行い、上位15チームで決勝チャレンジを行いました。 各チームの順位および競技得点は、決勝チャレンジを行ったチームはその結果で、それ以外のチームは予選チャレンジの得点に基づいて決定されました。県立藤島高校(福井県)が1位となり、学研賞に輝きました。

大学ランキングからはわからない大学の実力 第5回

東大推薦入試の結果から女子優遇措置を考える

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

 2024年2月13日、東京大で2024年度の学校推薦型選抜(以下、推薦入試)の合格者が発表された。志願者は256人でうち女子は118人(46.1%)。合格者は91人で女子42人(46.2%)だった。女子の人数、比率いずれも過去最高である。
 この結果を「意外」と受け止めた方は少なくないだろう。
2023年、東京大は一般選抜で合格者2997人のうち女子は653人で21.8%で、初めて20%を超えたが、それ以前は20年以上、10%台後半を推移していた。この現実を考えると、女子が半分近いというのは信じがたかったからだ。
 なぜ、推薦入試の合格者で男女がほぼ半々になるのか。高校教員からは「女子はまじめでコツコツ勉強するから」「東大が推薦で求める高校在学中の活動では、女子のほうが意欲的でチャレンジングな成果を残しているから」という話を聞くことがある。もっともらしい意見だが、これらは感覚的
な受け止め方で、「女子だから」という性差に理由を求めており、説得力に欠ける。
 じつは推薦入試において、女子が多いのはそれなりの理由がある。募集要項には、学校長は合計4人まで推
薦でき、その内男女は各3人まで。ただし、男女いずれかのみが在学する学校においては、推薦できる人数は3人までとある。共学校は推薦枠を4人持っているが、男女それぞれ3人までとなっており、4人すべて男子あるいは女子はダメだ。一方、男子校と女子校はそれぞれ推薦枠3人である。共学、女子校いずれも3人志願できるようになった。
 なぜ、共学校に男子校と女子校よりも推薦枠を広げたのか。それはこれまで東京大に合格者を多く出す学校の分析に基づく「政策判断」によるものと読み取れる。2023年、東京大合格者上位5校(開成、筑駒、灘、麻布、聖光学院)はすべて男子校だ。上位21校まで広げるとは男子校14、共学校6、女子校1で、男子校が圧倒的に強い。この状態は30年近く続いている。 
そこで、東京大は「男女いずれかのみが在学する学校」、現実には東京大合格上位常連校の男子校からの推薦枠を制限し、女子を増やそうとしたことがうかがえる。もし、共学校、男子校、女子校の推薦枠が同じ4人ならばどうか。2023年上位14校の男子校に占有され、女子比率はこんなに高くならなかったことは容易に想像できる。
 もちろん、これは女子枠ではない。だが、女子を増やそうという巧妙なやり方と言えよう。東京大は共学校、女子校の女子にウエルカムという姿勢を示したのだ。言葉を変えれば、女子優遇措置である。
 女子を増やしたい。これは多くの大学が望むことである。中長期計画に「○○年まで女子学生を○○割にする」ことを掲げる大学がたくさんある。現在、東京大は女子学生比率を2026年までに3割に引き上げることを目標としている。あと2年後である。しかし2023年は留学生を含んでも23%台。さすがにこれはむずかしい。ならば女子枠を作るしかない…。
 しかしそもそも、女子枠というのは、学生募集には馴染まない。女子に対する特別扱いではないか、という男子側から不満の声を聞くことがある。「アファーマティブ・アクション」によって優秀な人材が高等教育を受けられないというロジックと同じだ。
 だが一歩譲って、わたしは大学で女子枠があってもいい、と考える。日本社会では長い間、さまざまなところで女性が活躍できなかった。大学はその最たるものである。キャンパスが「女子禁制」だったというわけではない。「女子は大学へ行く必要ない」「女子は文科系が合っている」という社会的刷り込みが蔓延していたからだ。その名残は東京大、そして理工系の女子比率の低さに示されている。
 1980年代以降、男女共同参画社会という考え方が広がったとはいえ、男女の役割分担的な考えは染みついている。これを変えるには思い切った政策が必要だ。ショック療法と言ってもいい。女子を優遇して数を増やすという既成事実を作る。女子枠導入で学生のレベルが下がると大学は思っていない。女子学生を教えてきた経験から、その優秀さを認めているからだ。
いくつかの大学は決断した。優れたポテンシャルを秘めた優秀な女子を優遇したいと、理系学部で女子枠を検討するところが続々と現れた。少子化が進むなか、大学の危機感の表れでもある。
 2010年代半ば以降、北見工業大、東京工業大、芝浦工業大、東京理科大、富山大、名古屋大、兵庫県立大、島根大、熊本大などが、学校推薦型選抜、総合型選抜で女子枠を設けた。理系分野で女子を増やすこと。それが日本社会の発展につながると信じたい。

小林 哲夫さん 小林 哲夫さん

~Profile~
1960年神奈川県生まれ。 教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。
左図は著者近著

雑賀恵子の書評 謝罪論(古田徹也:柏書房、2023年)

――謝るとは何をすることなのか

 蹴ったボールがたまたま教室のガラスを割ってしまった。謝りなさい、と先生に叱られた。とりあえず「すみません」と言ったら、それですむと思っているのかとまた叱られた。すみませんがいけなかったのかしら。言い方が悪かったのかな。謝れと言われても、しようと思ってしたわけじゃない。単なる過失なのだし、先生に直接迷惑をかけたわけでもなし、なんで謝らなくてはらないのか納得できない。あれ?、謝るってなんだろう。
 私たちは日常的に謝罪したりされたりして生活しているし、謝罪とはどういうものかはわかっている。だが、謝罪とは何かを言葉で説明するのは一筋縄ではいかないらしい。謝罪という言葉で括られても、行為や意図のあるなしや結果において軽いものから重いものまであり、あるいは誰が誰に対して謝罪するのか、いつ(まで)謝罪するのかの時間の幅についてもいろいろである。電車で揺れて足を踏んだというものから、国家規模のものまである。したがって謝罪をなんのためにするのかも一義的には言えない。
 ただ謝罪は、人と人のあいだでなされるということは変わらない。謝罪は、人間関係の維持や修復、つまり、社会で生きることと深く関係しているのだ。本書は、わかりやすく事例を挙げてそこで起こっていることの具体的な中身を解きほぐし、謝罪とは何かに迫っていこうとする。
 「すみません」という言葉は、呼びかけから重大な迷惑や損害を与えた場合まで使われる。その他の定型的な謝罪の言葉も同様だ。さまざまな具体的な場面の事例をめぐり、謝罪の言葉を細かく検討することによって、「軽い謝罪」から「重い謝罪」までのスペクトラムがあることが示され、謝罪の言葉の字義通りの意味と発語の背景にある意図や感情、謝罪によって目指すものなどが、主として言語哲学の手法で明らかにされていく。続いて「重い謝罪」を取り上げ、その典型的な役割とはなにかが分析される。さらに、社会学などでの謝罪についての先行研究を批判的に取り上げつつ、具体的な事例から謝罪の諸特徴を浮かび上がらせる。さらに、それらの特徴に当てはまらない例を挙げ、定義することのできない謝罪という領域の全体像に接近していく。
 身近でわかりやすい事例が、丁寧に腑分けされ、いろいろな角度から光が当てられる。ああでもなくこうでもなく、こちらから、あちらからとぐるぐる掘り進めていく著者の思考についていくと、普段考えもせずに当たり前にしていたことがなるほどこういうことでもあってこうなのだと目を開かされるだろう。
 本書でなされる探求の営みは、わたしたちの生活や社会について、ひいては自分自身について、より深い理解を獲得することにつながるはずだと著者はいう。そして、謝罪とは何をしようとしているのか、何が求められているのかを詳しく明確に捉えることは、自分自身を知り、自分の心情や思考を整理して、不適切な、あるいは不要な謝罪を回避することにつながるのだと。
 そうだ、謝罪とは、人や組織体、国家の関係の中でできてしまった傷を明らかにして修復し、共にいきるために社会に埋め込まれた技術に違いない。

~筆者Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非 常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

「誰かの笑顔のために」から始める 場のデザインとソーシャル・イノベーション

――キーワードは笑顔、思いやり、居心地の良さ

京都産業大学 現代社会学部教授 宮木 一平先生

高校時代、世界はどうしたら平和になるかに思い悩み、まずは貧困をなくすのが近道と、大学では経済学部を選んだ宮木先生。大学院で基礎となる理論経済学を学ぶものの、実践への思いに駆られ、政治家等の集まる政策研究会に参加。それがきっかけで国際NGOの代表となり、以来、環境問題や途上国支援などに邁進。大学教員としては当初、経済学や経営学の授業を担当したが、その後NGOでの経験を買われ、大学と地域や企業とのコラボ活動を行う授業を担当することに。経営コンサルタントとしても活躍しながら、2017年に新設された京都産業大学現代社会学部に着任。それまでのキャリアを活かし、「場のデザイン」と「ソーシャル・イノベーション」をテーマにしたゼミは、人気ゼミとなっている。《笑顔、思いやり、居心地の良さ》から考える国際貢献、地域貢献、身近な課題解決について、また高校生へのメッセージをお聞きしました

笑顔、思いやり、居心地の良さ

 人が集まれば、そこが一つの「場」となり、各自の内面や行動が相互に影響を与えあうことになり、その「場」全体のありようを決めていくと考えられています。「場」とは学生なら、家庭、学校、バイト先、社会人なら、家庭、職場を中心に、お店や公共施設などが一般的です。人はみなそのような「場」を渡り歩いており、その連なりが人生であるとも言えます。
 このように「場」というものを考える時、その「場」は明るく快適に過ごせるものであるに越したことはありません。ではそのような「場」をいかに作るか、それを考えるのが《場のデザイン》です。そしてその際のキーワード、よりどころと言っていいかもしれませんが、それを私は「笑顔」、「思いやり」そして「居心地の良さ」の3つのキーワードで表すことにしています。
 国際貢献であれ地域貢献であれ、あるいは地域づくり、ひいては学校や家庭における日常の身近な問題の解決に際しても、そこに暮らす人々、ともに学ぶ仲間の居心地の良さとは何か、どうすればその場にいる人々を笑顔にできるかを最優先に考える。そして大事なのはそのベースとして、他者への思いやりが不可欠であるということです。
 この点をおろそかにすると、地域づくりの現場で、実情にそぐわない計画、施策が生まれることがあります。例えば、過疎の町に東京で流行りの洗練されたスタイリッシュなカフェを何店も建てるといった計画。少し考えてもこのことで住人の多くが笑顔になれるとはとても考えられませんね。しかし現実には、このような施策、それによって作られた施設があちこちにあるのを皆さんも見たことがあると思います。その多くに、補助金、つまりは税金が投入されているのは残念なことです。

みんなの努力を無駄にしたくない

 地域や街の活性化には、学生も駆り出されます。若者を巻き込んだ地域づくり、若者のアイデアによる商店街の活性化。こんな夢に満ちたプロジェクトが全国的に行われています。新しいアイデアの欲しい省庁、地方行政が、積極的にこうした取り組みを支援しているのも一因です。参画する学生はみな純粋な動機から真剣に取り組みます。しかし、それが実は誰の笑顔にもつながらないものだとしたら…。私は、授業やゼミで繰り返し、この企画は「誰を笑顔にするためのものか」、「誰の居心地を良くするためのものか」を、常に問い直そうと呼びかけています。

ソーシャル・イノベーションのために

 様々な貢献活動でもう一つ大事なのは、対象となる人々が何を望んでいるのかを聞き取る、肌で感じる作業です。経済・経営学の視点に立って言い換えるならば、ヒアリングを通して「ターゲットのニーズを把
握する」、いわゆるマーケティングが不可欠です。これは企業活動では当たり前のことですし、私の原点でもある国際NGO 活動では、多くの施策が生死と直結しますから、不可欠なアプローチなのです。
 その際、まずは対象となる国や地域の魅力、良いところを発見しようという姿勢が欠かせません。問題や課題という言葉からは負の側面に目がいきやすいですが、良いところを見て、それをさら伸ばす方向で企画し計画を練る方が、楽しく、やりがいも感じられるはずです。
 貢献活動では、GDP に代表されるような経済・経営学的な指標、あるいは単位面積あたりの病院数など、数値を前提に計画・立案することが多いです。ただ、限られたカテゴリーでの数値だけを判断基準にすることには限界があります。《居心地の良さ》、《誰かの笑顔のために》というのは、一見情緒的で、曖昧さを残した表現のように思うかもしれませんが、そういった感覚こそ有効な判断基準の一つだと私は考えています。
 もう一点、人は概して、身近なもののありがたさには気づかなかったり、どこが不便なのかが明確でなかったりすることも多いものです。それを前提に、それらを想像してあるべき姿を構想する《構想力》、問題を発見する《発見力》が最も大事です。経営学で言うところの「潜在的ニーズ」を顕在化させる力です。対象者に《思いやり》をもって接し、「先回りして」彼らが笑顔になる企画、施策を思い描く。これら一連のプロセスこそが、ソーシャル・イノベーションを生む原動力になるのです。

高校生へのメッセージ

 私もそうでしたが、若い時は、「ここですべてが決まる、もう取返しはつかない」というような追い詰められた思い込みに陥ることが少なくありません。しかし、「貧困をなくしたい」という思いから経済学部に進んだ私は、その後様々なキャリアを経験し、今は現代社会学部で教えています。人がやりたいと思うことは時とともに変化しますし、あちこち横道にそれることも当たり前です。時には、これは遠回りではないかと思うこともあるかもしれません。しかし年齢を重ねて振り返ると、それらすべてが今の自分につながっていることがよくわかります。大切なのは、その時々にこれと思ったことには全力で立ち向かうこと。それらは自分が本当にやりたいこと、やらねばならないことが見つかった時に必ず活きてくるからです。

現代社会学部の4年間

現代社会学部の学びは、「地域」、「人間」、「メディア」のいずれのコースにおいても、2年次の秋学期からゼミへ分属されるのが大きな特徴です。私のゼミでは、2年次に問題発見・課題解決のロジック、およびマネジメントとファシリテーションの基礎的な知識とスキルを身に付け、「場のデザインとソーシャル・イノベーション」をケーススタディーで学びます。3年次では、自分たちで考えたいくつかのプロジェクト※に取り組みます。そして4年次では、その成果を卒業研究として発表します。

※プロジェクト例:(2019年度)絵本プロジェクト【写真】、(2023年度)鞍馬「地蔵寺」の活性化、学びの場のデザイン他

宮木 一平先生宮木 一平先生
~Profile~
慶応義塾大学経済学部、同大学院経済学研究科博士課程を経て、法政大学大学院政策創造研究科准教授、法政大学地域研究センター特任教授を歴任。2017年京都産業大学現代社会学部教授。1995年より、NPO法人GNCJapanの代表として国際協力の現場でも活動。NPO法人グローカル人材開発センター監事。桐朋高等学校出身。

2023年度担当科目
1年:自己発見と大学生活他
2年以上:地域活性論、地域社会とリーダーシップ、演習Ⅰ~Ⅴ
3年以上:NPO起業論、国際NGO論、神山STYLEリーダーシップ論B

2024年度からは、「災害時におけるボランティア」をゼミの3学年共通のプロジェクトテーマにする予定。国際NGOでの経験から、被災者や被災地のために、独りよがりでない本当に役立つボランティアを真摯に考えれば、ここで述べた3つのキーワードと真剣に向き合うことになるから。やることありきでなく、寄り添って耳を傾け、本当に笑顔につながる活動とは何かを追求して欲しい。

太陽電池を一人一台、自給自足の時代を

探究応援号第6弾 学問と探求 日本を代表する研究者から高校生へのメッセージ

――光電気化学で次世代新エネルギーを

宮坂 力先生宮坂 力先生
桐蔭横浜大学 特任教授

~Profile~
1976年早稲田大学理工学部応用化学科卒業、1981年東京大学大学院工学系研究科合成化学博士課程修了。この間1980~81年カナダ・ケベック大学大学院生物物理学科客員研究員。1981年4月富士写真フイルム(株)入社,足柄研究所研究員、2001年12月~2017年3月 桐蔭横浜大学大学院工学研究科教授、2017年4月桐蔭横浜大学医用工学部特任教授、2017年10月東京大学先端科学技術研究センター・フェロー、2020年4月~2023年3月、早稲田大学先進理工学研究科・客員教授。2023年1月朝日賞、2022年7月 英国 Rank Prize 等受賞多数。早稲田大学高等学院高等学校出身。

 新エネルギーの中核を担う太陽電池に転換期が訪れている【下グラフ:面積あたりの各国太陽光設備容量(経産省資料より)】。そこで注目を集めているのがシリコン製に代わる薄型太陽電池、中でもペロブスカイトと呼ばれる結晶の膜を使ったもので、実用化が目前だ。シリコンとは全く違う材料を使うことで、社会のありようまで変える可能性を秘める。世界情勢が不透明になる中で、国産の材料だけで作れることにも期待が集まる※1。2030年に太陽光発電のシェア14~16%を目標とする政府が、「早期の実用化を」※2と旗を振る中、電機や化学、住宅メーカー大手も2025年からの展開をにらんで生産体制を整える。ペロブスカイト太陽電池の発明者として脚光を浴びる宮坂力先生に、「大学研究者→企業の研究職→大学教員とベンチャー経営者」というキャリアから、研究・開発のこれまで、アカデミアのエコシステムなどを振り返っていただくとともに、高校生へのメッセージをお聞きした。

※1 日本のエネルギーの自給率はOECD諸国の中でも最下位に近く10数%と言われている。
※2 2021年10月に閣議決定された「エネルギー基本計画」では、2030年度の電源構 成として再エネ導入目標を36~38%とし、そのうち太陽光は14~16% とされている。 https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/green_innovation/green_power から、経済産業省 グリーン電力の普及促進等分野ワーキンググループ 2023年8 月31日第6回も参照。

(経産省資料より)

そもそもペロブスカイトって?

鉱物の名前?

 元々はそうで、発見したレフ・ペロフスキー (ロシアの貴族、鉱物学者:1792~ 1856年)の名前に由来する。主成分はチタン酸カルシウム(CaTiO3)。カルシウムとチタン、酸素からできている無機化合物だ。珍しい構造をしているため【下図】、同じ結晶構造を持ったものの総称となっていて、これらの金属の酸化物からなるペロブスカイトは強い誘電性を示すのが特徴で、身近ではインクジェットプリンターの印刷ヘッドなどに使われている。いっぽうで、酸化物の代わりに、ヨウ素(I)などのハロゲンからなるペロブスカイトというものがある(たとえば、CsPbI3など)。これらは人工的に合成することができ、中には光を吸収すると発電をするものがある。

 このハロゲン化ペロブスカイトは溶剤に溶けることから、溶かした原料を塗って乾かし薄い膜にすると発電に使える。例えば、プラスチックフィルムなどに原料を塗ることで薄くて軽いペロブスカイト太陽電池を創ることができ、これを生活のいろいろな場所に設置することで、光が当たると高い変換効率で電力をつくることができるわけだ。【下図】

 現在普及している半導体シリコンを使った太陽電池とは、組成も製造方法も全く異なり、その特徴を比較するとこんなことになる。【下図】

ちょっと見ただけでも期待が持てそうだね。どんなことを学べば作れるのかな?

 研究開発分野は、光電気化学と呼ばれる。化学の中の「物理化学」の分野にある「電気化学」に生まれた領域で、光がかかわる電気化学という意味。半導体を電極に使った水の光分解はその典型的な例。ちなみに英語表記はPhotoelectrochemistry。 2004年に立ち上げたベンチャー、ペクセル・テクノロジーズ株式会社は、その頭文字にCell(セル)を足したものだ。

ペロブスカイト太陽電池の発明

材料をガラス板やプラスチックフィルムの上に貼ったり印刷したりするだけって、ずいぶん突飛なアイデアだけど、いつ、どこで、誰が?

 発明に至る前段を話そう。僕は大学院博士課程を光触媒などで著名な本多健一先生※1の研究室で過ごし、修了後は日本有数のフィルムメーカーに就職した。植物の光合成を光電気化学でシミュレーションする研究をかわれてだ。ただ企業の研究所だからなんでもやらされた。人工網膜やリチウムイオン2次電池の研究開発は代表的なもの。製品化には至らなかったが、ともに原理を解明し『サイエンス』にも掲載された。もちろん僕一人の力ではないが。この間、準備万端の研究が、会社の都合で中断されるなど辛い思い出もある。まあ組織の一員だから、社命に従うのは当然だけど。

大学の研究とは違うね、で、転職を?

 結局45歳を過ぎて転職を考えだしたが、その頃に与えられたテーマが色素増感太陽電池だった。銀塩の写真の高感度化に使う色素増感技術を使って太陽電池を作るというアイデアで、化学で作る太陽電池の代表であり、発電の仕組みとしてはペロブスカイトの先輩にあたる。ただ個人的にはあまり乗り気ではなかった。液体(電解液)を使うから液漏れしたりして耐久性に問題があると予想していたからだ。発明者はマイケル・グレッツェル教授※2。1991年に論文を発表した彼は今でも研究を続けていて、最近では変換効率も14%まで高めている。あまり電力のいらない機器なら十分動かせる値で、商品化もされている。

※1 1925 ~2011年、東京大学教授、京都大学教授、東京工 芸大学教授、同学長、1972年の「本多-藤嶋効果」などで 知られる。酸化チタンに光触媒の性質があることに着目、数々 の発見・発明をリードした。
※2 Michael Grätzel:1944年~スイス連邦工科大学ローザン ヌ校教授

ここからペロブスカイトにどうつながる?

 ここまでの話で気づいた人もいるかもしれないけれど、光触媒も光合成も、色素増感も光のエネルギーを酸化還元反応で化学や電気のエネルギーに変える。光合成は二酸化炭素と水をグルコースに、光触媒は酸化チタンを半導体に使って水を分解して酸素と水素に。色素増感太陽電池とペロブスカイト太陽電池は光を直接電気エネルギーに変える。ここでも電子の輸送には酸化チタンが使われる。前者は可視光線を吸収させるために色素を使い(酸化チタンは紫外線しか吸収しないから)、後者は可視光線を吸って発電する半導体としてペロブスカイトを使い、これを電極に塗って印刷することで電池ができる。

全部つながるんだ!

 僕は会社を辞めてこの大学に移ってすぐ、さっき紹介したベンチャー企業を作ったが、研究室とそことの両輪で色素増感太陽電池も研究していた。そんな僕の前に、色素の代わりにペロブスカイトを使ってみたいという若者が現れた。日本で写真技術教育の伝統をもつ東京工芸大学の修士課程にいた小島陽広君で、ペロブスカイトを研究していた。紹介してくれたのは東京工芸大で教員をしていたがペクセル社の求人に応募、入社してくれた手島健次郎さんだ。僕は小島君の話を聞いて、「どんなものかわからないが、光機能があるということで、誰もやっていない方法だから、試しに実験してみてはどうか」と、彼を受け入れて、学外研究員という形で来てもらうことにした。

ずいぶん思い切ったね。伝統のある大学や、大規模大学では考えられないね。

 そう、ここは小規模だから小回りが利く。それに受験に失敗した子たちも多いから、彼らの刺激にもなると思った。もちろん不思議な縁も感じていた。当時の東京工芸大の学長はなんと本多健一先生。東大定年後に京大へ移籍され、その後東京へ戻っておられたんだ。
 小島君は僕の指導で、だれもがあまり可能性はないと思っていたペロブスカイトを使って黙々と実験を続けた。しかも修士卒業後は、僕が東大にも持つようになった研究室の博士課程に入ってくれた。
 そして博士課程3年目の2009年に、ペロブスカイトを使ってエネルギー変換効率を3.8%まで高め、世界初のペロブスカイトを使った太陽電池の論文を、僕と共著で出版した【下年表の赤の☆印】。小島君はこのペロブスカイトの研究で学位論文を出して博士号を取った。

さらなるブレークスルーが

そこからほぼ15年、現在は4万人のペロブスカイト太陽電池の研究者がいるとも言わるけど、すんなり来たのかな?

 まだまだ。ペロブスカイト太陽電池は、今でこそシリコン製の光変換効率に追いついたが、当時の4%弱からそれを上げるためには、もう一つブレークスルーが必要だった。
どんな?そしていったい誰が?
 当初、僕らは色素増感と同じようにヨウ素などを含んだ液体を電荷の輸送に使っていた。しかしこれではペロブスカイトの一部がそこへ溶け出して効率が上がらないという問題があった。

つまり、ペロブスカイトが電解液で分解してしまうということ?

 まあそうだね。これではいくら効率が上がっても実用性がない。小島君もそれに気づいていて、2008年には固体の可能性を示唆していた。ところがだ。

何か新展開が起こるんだね?

 詳しくは下の年表を見てほしい。僕の研究歴が中心だが、舞台はこの桐蔭横浜大学から、スイス、イギリスへ、さらには韓国、そして中国、ポーランドへも広がっていく。次も主役は若者だが、今度はイギリス人。

ええ…!?

 色素増感太陽電池に固体の電荷輸送材料を使えないかを研究していたヘンリー・スネイス君※3だ。彼がマイケル・グレッツェル教授のもとへ来ていた時、たまたまうちの研究室からポスドクとして行っていた村上拓郎君※4と仲良くなり、ペロブスカイトのことを知った。その後オックスフォード大に職を得た彼は、よほど気になったのか、院生を僕の研究室へ3か月間
送り込みペロブスカイトの作製法を習得させた。そしてまさにその一年後だった。彼の研究室はなんと10.9%という変換効率を達成したんだ【下図】。

色素増感からペロブスカイトへ(産総研資料より)
え、え、何をしたの?

 液体の電解質を、得意の固体にしてみたんだね。この高い効率には世界中がびっくり、「これは使えるぞっ!」ということになった。僕らとの共著論文は注目を集め、その後この時の関係者は世界的に権威ある賞をいくつも共同受賞した※5。そしてそれまでの色素増感太陽電池の研究者も、あっという間にペロブスカイト研究者になった!

そこからはとんとん拍子だね

 うん。僕らの研究室も特許をとるし、世界中が変換効率を上げるのに鎬を削り、今ではシリコンとほぼ同じ26%以上を達成している。あとは具体的な製品作り、いわゆる実装あるのみだ。

※3 Hennry Snaith:現オックスフォード大教授
※4 現国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)有機 系太陽電池研究チーム長
※5 2017年のクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞に始まり、 2022年ランク賞、2024年朝日賞まで多数受賞。

日本の企業と、そこを目指す若者へ

ただ問題もあるんだね。日本の企業が出遅れてるって?ペロブスカイトはいいことづくめだし、素材開発で先行しているのに。

 やはり大企業は儲かるものしかやらない。儲かっている間はリスクを取る必要がない。前職でもこれは何度も経験した。しかも日本人には、石橋を叩いて渡る人、叩いても渡らない人が多い。欧米や中国に追い抜かれることが多い原因の一つだ。
 もう一つは、シリコン太陽電池のトラウマがある。当初、日本は圧倒的なシェアを誇っていたが、韓国、中国に逆転された。ペロブスカイトも「同じ太陽光発電だから、また負けるのでは」との先入観が経営陣に蔓延している。これから大企業に就職しようとしている人には、そんな風土を覆してほしい。今度は失敗しないぞって。

研究室の選び方

先生の周りでは人が育つと拝見しましたが、小島さん、池上和志さん、村上拓郎さん、手島健次郎さんと、バックグラウンドの異なる学生さん、若い研究者が、重要な局面で、表舞台や縁の下で活躍された。先生を東大に呼ばれた瀬川浩司さんを入れてもいいかもしれない。

 そうだね。彼は京大で本多先生の助手をしていて、東大教授になると僕を東大の客員教授に推薦してくれた。
僕はどこにいても、学生が喜ぶ顔を見るのが好きだ。そのためにできることはいろいろしてきたつもりだ。学部生でも海外の学界へ連れて行く。そして行った先で自分が触媒になって、いろんな人に会わせる。それがきっかけで育つ人が出てくる。

「人事、検分、努力を尽くす」を座右の銘とされているとか。

 《人事を尽くして天命を待つ》という古い言い回しをもじったものだ。《人事》とは人の集まり、巡り会わせ、これは企業の研究室であれ大学であれ、とても大事。人が人を呼び、輪が広がり、成果がうまれていく。ちなみに《検分》とは徹底的に調べて、いいものを探すこと。

「研究とは真実を巡る人間関係である」という言葉を聞いたことがあります。

高校生へのメッセージ

高校時代は広く浅く学ぶことはもちろん大事だが、深くやるものも一つはもちたい。『総合的な探究の時間』『理数探究』などという授業もあるから、方法論、手段を学びやすい。「これどうなってるんだろう?」と思ったら、そこから調べ始める。また一見テーマとは関係ないように思えることでも、手を伸ばせば届きそうだったら、まずは試してみよう。そして自分で納得できるまで徹底的に調べる。実験の中で、「あれ?」って何か引っかかることがあったら、見過ごさず立ち止まって原因を考えてほしい。先を急ぐあまり無視すると、大きな発見を見逃してしまうかもしれない。
 まさに「努力を尽くして…」成果を待つだ。この過程で、自分が何に興味があるかもわかってくるし、また不幸にも不成功に終わったとしても、それが分かったことも大きな成果だ。
 少し話は脱線するが、僕は今でも研究の合間を縫ってバイオリンを弾き、楽器として研究もしている。あらたに発見したことは権威のある専門誌に投稿することにしていて、これまでに3度も掲載された。
 中学・高校時代、スピード優先の受験勉強で一旦挫折を味わった僕だが、大学、大学院へと進む中で立ち直った。特に大学院時代は充実していて、『ネイチャー』や『サイエンス』に掲載されたものも含め、論文をたくさん書いた。それまでの「なぜの追求」「好きの追求」が花を開かせてくれたのだと思う。これは今でも僕を支えてくれているものでもある。

最後に生成AIについて一言お願いします

 AIは膨大な情報量(ビッグデータ)をもとに結論を出すわけで、考えているわけではない。AIに頼ると人が努力して思考する能力が衰える危険から、僕の見方は否定的だ。AIを情報の高度な処理だけに使うなら良いが。

ありがとうございました。

(関連コラム)

色素増感太陽電池制作にチャレンジ!――都立王子総合高校の科学部

使用したのはペクセル・テクノロジーズ社製の色素増感太陽電池実験キット(PECTOM02)。キットには作成マニュアルが添付されているが、高校生には戸惑うところもあり、顧問の適切なアドバイスや指示が必要だった。完成に至る一連の作業は、起電力、電流、光量による発電能力の違い、並列回路や直列回路など理科の基本的な学習に繋げることができる。
1.授業で使用している化学資料集で化学電池と太陽電池の仕組みを復習し、実験キットの取扱説明書に書かれている色素増感太陽電池の仕組みや作成手順等を確認した。
2.キットの内容や導電フィルムの裏表を確認した。このキットは電池2個で作成できるので、予算に余裕があれば4人の班あたり1キット、予算が少なければ、2班に1キットがよいと思われる。
3.作成はマニュアルを参照してもらいたい。
ここでは部員の活動を見ていて気づいた点を示す。丸数字はマニュアルの手順の番号である。
①導電性プラスチックフィルムへのチタンペーストの塗布…誰でもセロハンテープ3枚分の厚みで塗布できるようにマニュアルが工夫されている。しかし、最初にセロハンテープに乗せるペーストの量が少なすぎると薄くなり厚さにムラができる。点眼瓶に入っているぺ-ストは電池2個分なので、目分量で全液量の1/3程度を乗せるとよい。
③室温が低いときは時間を長めにとったほうが良い。
④セロハンテープでステンレス板の辺を包むように貼るのだが、「包み込む」という表現が理解できなかった部員もいた。
⑤対向電極となるステンレス板に裏表があり、鉛筆で塗りつぶすのは光沢の少ない白っぽい面がよい。
一連のダイジェストは
URL: https://youtu.be/qBbdOFw-kPQ
をご覧ください。(科学部顧問 木内美帆)

16歳からの大学論 第39回 特別編

今回は筆者が足掛け2年かけて構想した一大プロジェクトのご紹介です

あなたはどんな“不思議”を追っていますか

全国9地区で開催する一大プロジェクト、『全国キャラバン3Questions』始動!

京都大学 学際融合教育研究推進センター准教授 宮野 公樹

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

 現在の大学は、事業戦略立案やKPI設定、ガバナンス強化、大学ランキング対策などに多大な時間を費やしています。社会の中の大学としての中長期戦略を考えることはもちろん重要です。しかし、利益誘導型の政策では、大学が企業体に形式的に近づくだけで大学の色合いは薄まり、それはまた学問の魅力の低下につながっていくのではないでしょうか。実際、この20年における研究時間や博士課程進学率は減少傾向です。また現場も短期的な成果を生まなければならないというプレッシャーに常にさらされています。
 このままでは、我が国の学問の土壌はどんどん枯渇し、未来は先細りになる一方ではないか。論文産出や研究資金の獲得もさることながら、原点である探求者としてのピュアな「問い」を磨きあい、かつ、それらを多様なものにすることこそが学問の営みのはず。にもかかわらず、今や私たちはその灯火を単独の大学で守ることが不可能とも思えるような状況に置かれていると言わざるをえません。であれば、全国規模で多様な学問を掘り起こし、その灯火を再点火していくしかない。
 このように考え、今年2024年より、研究者の「問い」にフォーカスした研究ポス
ター発表大会(主催:『全国キャラバン3Questions』を、公益財団法人国際高等研究所※主催の下に全国9地区で実施することにしました。各地区では、その地区の大学、研究機関に所属する教員、研究者、大学院生、そして高専生が研究ポスターを掲示し、来場者は誰でも付箋紙でコメントを残すことができます。ポスターには
①「わたしが追っている不思議」として、研究者としての核心や原点にあるテーマが300字で、
②「これまでやってきたこと、やろうとしていること」として、前例・類似研究にも軽く触れながら自身の研究活動とこれからの目標やねらいどころ、展開方法が300字で、
③「みなに問う!」として、これからしたいことや、今抱える苦労や困難、投げかけてみたい質問や求めたいアドバイス、話し合いたいトピックが200字以内で、
示されます。
 最⼤の特徴は、あえて匿名の発表とすること。これにより、閲覧者は所属組織や専⾨名だけで内容を判断してしまうなどの先⼊観から自由になり、発表者と本音で意⾒交換することができます。さらに、初対面でグループセッションを行うなどで出会いを演出したり、新たな共同研究を創出する「コラボ用ハッシュタグ」を準備したりするなど工夫をこらしています。
 第一回目は、3月3日から4日間、広島大学にて開催。小・中学生や高校生、その保護者、高校関係者などの来場も大歓迎です。
 詳細は以下からhttps://www.iias-3questions.info/tyugoku
 本会ではあわせて、今後2年にわたる全国キャラバンを応援、ご支援いただくためのクラウドファンディングも実施しています。
■今、⼤学なのに「学問」がしづらくなっている状況をなんとかしたい
■アカデミアとビジネスをはじめとする我々の暮らしとは「地続き」であることを行動として表したい
との私たちの趣旨に賛同いただける方のご支援お待ちしています。
 またご支援いただける・いただけないにかかわらず、下記の「実施への想い」をぜひともご覧ください。
https://academist-cf.com/fanclubs/336/progresses?lang=ja

※公益財団法人国際高等研究所:京都府木津川市、理事長 上田輝久、所長 松本 紘
「人類の未来と幸福のために何を研究するかを研究する」を基本理念とする。

芸術の秋に考える アートってなんだろう? それができることのために

日比野 克彦先生東京藝術大学学長 日比野 克彦先生
~Profile~
1958年岐阜市生まれ。1982年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。卒業制作で第一回デザイン賞受賞。1984年同大学院美術研究科修了。在学時にはサッカー部に所属。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞、1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレ出品。1999年毎日デザイン賞グランプリ、2015年文化庁芸術選奨芸術振興部門 文部科学大臣賞受賞。1995年東京藝術大学美術学部デザイン科助教授。1999年美術学部先端芸術表現科の立ち上げに参加。2007年同学部教授。2016年から同学部長。2022年4月から現職。岐阜県立加納高等学校出身。

リズムが合ったダンボールとの出会い

美術の世界を志したのは高校1年の時。クラスでみんなと一緒に大学進学を考えていた時に、「絵が好きだから、美術で自分を表現できたら、生きている実感を深く味わうことができるだろうな」と考えたことが、進路決定につながりました。

高校を卒業して最初に入った大学は多摩美術大学。当時、多摩美からは人気のシンガーソングライター、荒井由実さんが、武蔵美(武蔵野美術大学)からは芥川賞受賞作家の村上龍さんが、といったように、ジャンルを超えたスターが生まれるなど、私立の芸術系大学は、1980年代のジャパンアートアズナンバーワンと言われた時代を予見させるような輝きを放っていました。

結局僕は、翌年、東京藝大のデザイン科に入り直すわけですが、ここでは1・2年生のうちに、基礎的な創作活動を経験するために様々な素材に触れます。3年生で自分なりの表現を探すことになるわけですが、鍵になったのが素材やテーマ選び。周りの教員から教わるのではなく自分で探す。というのも、芸術系の学びでは、例えば教員が40歳なら学生とはほぼ20歳違うけれど、同じ表現者で、美術史から見れば同時代作家になる。テクニック的なことを教える・教わるということはあっても、大人と子どもとか、学生と教員と区別することにあまり意味がないからです。大事なのは、自分で何をどうやって生活の一部にしていくか、でした。

そこで僕が選んだのがダンボール。

歌を歌うにしても、走るにしても、喋るにしても、人それぞれの持つリズムというものがある。だからそれに合った素材に出会えれば、夢中になって楽しい時間を過ごせる。楽しい時間とは苦労する、しないに関係なく、その素材と対話している時間で、そんな時間を経て気付くと「作品」ができている。

僕にとって、そんな息の合う素材がダンボールでした。中でもそのスピード感。石を削るのだと、1ヶ月はかかる。焼き物も乾かしてから焼くのに2ヶ月かかる。鉄にしてもそうです。色合いなども含めて自分にしっくりくる、それが段ボールだったのです。

作品の写真は、いずれも東京芸術大学提供

アートの社会的な機能とは?を大学から社会へ、日本から世界へ発信したい

2027年に開学140年を迎える東京藝術大学。
国内唯一の国立の総合芸術大学で、岡倉天心※1、伊沢修二※2など、 明治を代表する思想家、教育者、芸術家などが創始者や歴代校長に名を連ねる。
ミッションは、わが国固有の芸術文化の振興と国際社会への発信に加えて、 世界の芸術文化の発展に寄与し、 国際舞台で活躍する芸術家、研究者を輩出すること。
このような伝統の中で、2022年4月、現代アート専攻(先端芸術表現)から 初の学長になられたのが日比野克彦先生。
先生の考えるアートとは、藝大の新たなミッションや芸術教育について お聞きするとともに、高校・大学時代におけるアートとのかかわり方、 さらには、日本のアートや芸術系大学に興味のある海外の若者にも メッセージをいただきしました。

※1 1863年~1913年、日本の思想家、文人。前身である東京美術学校の設立に大きく貢献した。第2代校長。
※2 1851年~1917年、明治・大正期の日本の教育者、教育学者。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者。前身である東京音楽学校の創始者の一人で初代校長。

東京藝大の伝統とこれまでのミッション

本学ができたおよそ140年前は、明治維新の完成期に当たり、西洋から様々な文明を取り入れた日本は、生活スタイルも含めて大きく変わった。ヨーロッパをモデルに、大学をはじめいくつもの高等教育機関も設置された。その役割は、和魂洋才と言われたように、主に欧米の知識・学問の移入・紹介だったと言っていい。

芸術に関する学問、研究機関としてスタートした本学も例外ではなく、現代美術とか西洋美術といった学問・研究の文脈の中でアートを捉えてきた。それはアートを芸術と訳した時点から始まっているのかもしれない。《学問として》の芸術、その教育・研究は以来、伝統となり、僕らも受けてきた西洋美術史などの授業にまでつながる。

しかし芸術、アートは本来、学問ではない。人間が元々持っている感情が創出するエネルギーの結晶であり、表現者だけではなく受け取った人、鑑賞者や集団の心も揺さぶるものだ。当時まで日本に受け継がれてきた絵画・彫刻、舞踊・音楽、文芸も立派な芸術だし、世界的には、今の人類の絵画の歴史は1万6000年ほど前の洞窟壁画にまで遡る。ものを作る源となる人間の感情は太古からあり、学校で描き方を習ったり、デッサンの勉強をしたりしなくても立派な壁画は描ける。

写真提供:東京藝術大学

未来に向けて東京藝大が目指すもの

《学問として》入ってきた芸術についての教育・研究は、伝統を重ねる中で《縦割り》の弊害に陥りやすい。例えばお笑いなどの芸能も文化の一つだが、《芸術》としては認められてこなかった。しかしリレーショナルアート(relational art)、会話をはじめ人間関係も、生活のすべてはアートであるという概念が生まれてきたように、今では文化も芸術として捉えるのが当たり前になっている。

このような芸術――以下はアートと呼ぶが――の歴史、概念の変化について、私たちがきちんと伝えてこられたかというと少し不安だ。「藝大って入るの難しいですよね」「上手じゃないと絵じゃないですよね」、あるいは「知識がないと美術館行ってもつまらないですよね」というようなメッセージの方が強く受け止められてきたのではないか。美術館に行って絵を観たり、コンサートを聞いたりするだけがアートにかかわることではないが、今、あえてそう言わなくてはいけないのは私たちの責任でもある。

僕の考える藝大の使命は、芸術の教育・研究やトップアーティストの育成だけではない。

アートとは本来何なのかを社会に対して声高に、しっかり発信し、それを通じて、アートを社会の課題解決に役立てることのできる人材を育成し、その価値を認めてくれる社会の構築に寄与したい。もちろんこれは大学だけでできることではないから、小・中学校、高校の美術教育と一緒に取り組む必要がある。

STEAMについて

理系人材育成、あるいはイノベーション創出が、大学や産業界に求められる中で、STEM(科学Science、技術Technology、工学Engineering、数学Mathematics)にA(Art)を付けたSTEAMをキーワードにしようという考え方がある。STEMだけでなくA、つまりアートが大事だと。これは理系の研究や技術開発において、今後は、より豊かな発想力や想像力、観察力や描写力が必要である、そこでアートシンキングというものを起爆剤にしていこうということだろう。しかしアートが文化や日常生活とは不可分なものだと考えれば、あらためてそう言う必要はないのではないか。

星を見て、あれは何だろう、宇宙ってどのようにしてできたのだろうと想像力を働かし、イメージを膨らませる。それが宇宙の解明へとつながっていく。人はなぜ死ぬのかという好奇心から、医学においても遺伝子レベルまで研究が進む。これらが科学技術の進展へとつながってきたことは言うまでもない。アート、アート的なものは科学的な態度、思考の土台、基盤でもあって、後付けするようなものではないと思う。

反対に言えば、何がアートなのかについては、藝大だけでなく、教育全体、地域全体、社会全体で考えていかなければならない。

アートは心の揺らぎだ『100の指令』で意図したこと

写真提供:東京藝術大学

この部屋には、上のように、発想の転換を促すような短いメッセージの書かれた額を懸けている。その一つひとつは著書『100の指令』から抜き出したものだ。人が何かをイメージするのは、多くは言語によるものだし、反対にイメージを伝える時にも言語化することが多いから、それを遊びにしたのだ。特別に突拍子もない指令ではないけれども、それに応えていく、あるいはそれを自分でも作っていく中で、いろんな感覚が刺激されていく。

僕はこれこそがアートだと考えている。

アートを見て人は感動するが、例えば油絵なら、ゴッホ、ピカソの絵も、物質的にはキャンバスに絵の具が塗ってあるだけ。それを見て感動するのは、絵がすごいのではなく、見た人がすごいからだ。感動とはこちら側、人間の中で、その気持ちが動くことだ。

だからアートって、揺らぎ、心が揺らいだ時に生まれるエネルギーみたいなものとも言える。

誰でも気持ちが揺らぐ時がある。夕焼けを見て「ああ綺麗だな」と一瞬目が止まる。旬の果物を見て、美味しそうだなと思う、映画を見て感動する、音楽を聞いていて、なんとなくいいメロディだなとか。外的な刺激によってふと心は揺れ動く。それがアートのきっかけ、というよりそれ自体がもうアートって呼んでいいと思う。

美術館や音楽会には、みなそういう揺らぎを体験したくて行く。でも、自分でスイッチが入れられるようになれば、別に行かなくても、名画や名品を見たり名演奏を聴いたりしなくても、「なんかいいな」という世界に入れる。確かに、自分はこれから心を揺り動かされに行くという心の準備があると、人間は暗示にかかりやすいから、行った先で感動しやすい。しかしその暗示力みたいなものも、自分でコントロールできれば、心は動かせる。もちろん人間には、人がいいと思うものをいいと思えると安心するという集団心理も働くから、もっと総合的な分析も必要ではあるけれど。

いずれにせよ物だけがアートなのではない。それはこちら側、観る側、鑑賞者の側にある。絵画や音楽は、そのスイッチを押すきっかけでしかない。『100の指令』を出した意図もここにある。

考えてみれば、目の見えない人、耳の聞こえない人も美術や音楽と無縁ではない。心は動くから、いろんなものをきっかけにして、これがアートだと感じることができる。最近、白鳥建二さんという全盲の美術鑑賞者が話題だが、彼の話を聞くと、やはりこの確信は深まる。

アート、近未来

情報通信技術やメディアの急激な進展で、アートの在り方もここ3年から5年ぐらいの間で随分変わってきている。

その結果、生徒、学生が教員の知らないことを知るようになり、先人が、もう先生ではないという、これまでと違う関係性が生まれてきている。鑑賞の仕方も、創作や表現の仕方も変わってきている。作家の中には、VRゴーグルを使って鑑賞できる「バーチャルアトリエ」で製作する者も出てきている。そこでは重力のある空間では作れなかったものもできてしまうし、サイズも関係なくなる。これからの3年から5年ぐらいでは、こうした作品は急激に増え、これまでのリアルの、物質文明で生み出された作品と同じぐらいの量になるのではないか。その結果、現実の空間とバーチャルの空間がどんどん滲んできて、お互いに価値を交換できる時代になるかもしれない。

とはいえ、現実の空間はなくならないし、身体は年老いてはいく。

このようなこれまで誰も経験したことのないような時代が訪れたときに、どういう心の動きが現れてくるのかが、とても楽しみだ。藝大にとっても、これまでの140年とはまた違う140年になるのは確実だと思う。

高校生へのメッセージ

私のように志望校選びをきっかけにアートを考えるのもいいと思うが、受験生の多くは、アートは受験とは関係ないから、できるだけ入試で問われる教科の勉強に力をいれようと考えるかもしれない。しかし、アートは大学へ行ってから、さらには年を取ってからでも始められるもの。この記事を読んだ人が、今は受験勉強に力を入れて、「大学へ入ってから、絵を描こうとかギター弾こう」と考えてもいいと思う。アートがいつも身近にあると、人生はもっと豊かになる。回りとの競争の中で、評価や数字と対峙するのもいいけれども、傍らに数値化できないような領域で過ごすすべを持っていると、最近よく言われるウェルビーイングではないが、精神的にも豊かな人生を送れるのではないか。アートのエキスパートにならなくてもいい、でもアートが身近にある人生はぜひ送ってもらいたいと思いますね。

海外の高校生へのメッセージ

昨今、中国から日本の芸術系の大学へ進学を希望する人たちが増えている。そのための予備校もできていると聞く。大学院進学が中心だが、本学も例外ではない。

では東京藝大、というか日本の芸術系大学のどこに魅力があるのか。とっさにアニメが思いつくが、他にも理由があると思う。

一番の理由は、日本が安全であり、また学費もアメリカやヨーロッパに比べて安いこと。コンテンツについては、日本は、長い歴史に培われた文化の中から最先端のものも生まれてくるという、不思議というか独特の国で、アニメ以外にも様々なものがあること。確かに日本には、長い歴史の中で中国から取り入れたものが多いと思うが、それを独自に消化し進化させてきたところに特徴がある。

言語の問題も大きいかもしれない。言語は、英語で喋ると英語の思考になり、日本語で喋れば日本語の思考になるといったように思考回路を作るが、歴史や地理的な環境の影響を強く受けて成り立つ。日本は小さな島国で、同じような小さい島国は他の地域にも様々あるが、アジアのファーイーストという立地、南北に長いといった地形に特徴がある。そのため四季折々の表情が豊かで、詩や俳句には季節を表す様々な言葉がある。これは独特の感情や心の揺らぎ方を表現できるから、大きな魅力の一つになっているのではないか。もっとも日本がなかなか国際化できない原因の一つにこの言語の問題があることも確かだが。

かといって日本人がこれまで海外文化を拒絶してきたわけではない。漢字を中国から取り入れ、それをデフォルメして平仮名にし、西欧の言語・概念もカタカナを使って取りこんでいる。拒絶はせずに取り入れて変容させ、そして混ぜていくのが得意だ。この融合力もまた魅力の一つになっていると考えられる。

2022年度入学式:式そのものがアートになった(写真提供:東京藝術大学)

2025年度入試へ向けて 大学入学者選抜機能の変容と高校の進路指導

文部科学省は「学力の3要素」として認知能力と情動的な能力を合わせて「学力」と位置付ける。知識や技能を用いて思考・表現・判断する認知能力も大切だが、学習に向かう気持ちや主体性、やり切ることなどの情動的な能力も大切であるということだ。これらの認知能力、情動的な能力をバランスよく養うことが重要であり、今回の大学入試改革でこれらの「学力」(学力の3要素)をすべての入学者選抜で課すことを求めた。

ところが情動的な能力は得点化しにくい。これまでも総合型選抜などで「志望理由書」を提出させて評価していた大学はあるが、合否への寄与度は如何程のものなのだろうか。そもそも何を高く評価して有意差をつけて得点化するかは難しい。だから大学も後ろ向きになる。考えようによっては、高い学費を払い、多感な4年間を大学で過ごそうと進学を志願するだけで十分にやる気があると判断できると言えなくもない。

そうこうしているうちにも少子化の波はとめどなく打ち寄せる。「定員割れ」「無選抜化」に追い込まれる大学はますます増えてくる。大学進学率は50%台後半で高止まりしており、急に進学率が上がって受験人口を増やすことは期待できない。既に大学を「高等」教育と呼ぶことに抵抗を感じる状態でもある。今後、選抜機能を保持できる大学はどれほどあるだろうか。全米では選抜機能がある大学は10数%と言われており、そこに向かうと考えられる。

2021年度の高校入試では人口減により志願者減少、定員割れが其処彼処にみられた。この状況が大学入試でも3年後に起こる。いまの高校3年生、2年生と生徒数は2万人ずつ減るが、さらに1年生では4万人の減少だ。逆に中学3年生の生徒数は増加しているから、大学入試改革が完全実施され、大きな変化が起きる2025年度入試の受験生は増える。そのため送り手側の高校では、3年生、2年生と1年生の進路指導は大きく変えることになる。そこでこうした変化を見据えた対応ができた高校とそうでない高校とでは、進学実績に大きな違いが出ることは間違いない。反対に受け手側の大学でも、2025年入試が将来の改革の大きな試金石になることも間違いない。

◇どう変わる?大学の個別試験

新課程に応じた問題作りには、問いの連鎖に代表されるように受験生の探究的な思考の流れを日常や課題解決の中で捉える必要がある。記述式や論述式であれば作題しやすいが、マークシート方式のような多肢選択型では高度な作題能力が問われる。各大学の個別試験を作題する大学関係者にそうした余裕はあるだろうか、そして高校現場もこうした出題に対応できるか。大学の作題能力は、オーバードクターの頃に予備校の模擬試験で作題の修行を積んだ教員たちが既に定年退職しており、大きく後退していることも気になる。

こうした状況の中で受験生に確かな学力を求めるのであれば、積極的に共通テストを活用すべきというのが筆者の意見だ。個別試験では共通テストでは測定できない学力等を問う。共通テストと代わり映えしない出題をする私大は再考し、作題に要するマンパワーを教育に向けるべきである。大学における教育でも少人数での議論やプロジェクト型学習が求められており、これまで以上に人的コストがかかるのだ。

注目すべきは2021年度で選抜方式を変えた早稲田大政治経済学部である。学校推薦型でも共通テストを必須とした。個別試験では総合問題を課す。志願者が大きく減っても良い入学者を確保できたのではないだろうか。

大阪大学大学院情報科学研究科「SNS研究者紹介」が50回を迎える

大阪大学大学院情報科学研究科では、毎週SNS(Twitter/Facebook)で研究者紹介を配信しており、今回で50回を迎えました。

本企画は、若手研究者から「なぜ、研究者になろうと思ったか?」「今、研究者になってどう感じているか?」等、情報科学を志す高校生や高専生、大学生等に研究の面白さを伝えたいと思い始まりました。

他にも私たち研究者を身近に感じて頂けるように、情報科学研究科の日々の様子を随時掲載していますので、是非ご覧ください。

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日本最大の公立大学、大阪公立大学(仮称)認可・開学に向けて準備中

大阪市立大学と大阪府立大学が融合し、大阪の「知の拠点」として2022年4月に開学予定の大阪公立大学(仮称・設置認可申請中)。日本最大規模の公立大学が誕生する。学部入学定員は約2850人、国公立大では大阪大学、東京大学に次ぐ規模となり、12学部・学域、15研究科で約1万6000人の学生が学ぶ予定。

現在は着々と準備が進む。2021年1月にはロゴマークを公表。シンボルカラーを、格調高くゴールドとシルバーとし、市大と府大、大阪府と大阪市を象徴する3つの伝統的なシンボル「銀杏・桜・ヤシ」を融合したマークで、2大学の「伝統」と新大学に人や知が集まり、世界へ「飛翔」していく姿を表している。

また、教育・研究・社会貢献の3機能に加えて、大都市・大阪の課題解決にも貢献する2機能4領域を設定し、さまざまな連携を図る。その一事例として、感染症対策を支える拠点形成を目的とした「大阪国際感染症研究センター」を2021年4月に設置。理系分野、文系分野の総合知を結集し、新型コロナウイルスをはじめ未知の感染症対策に積極的な貢献を果たしていく。

ロゴマーク

総合学科開設とその後の変遷から見た今回の「普通科改革」

本年1月26日、中央審議会は、「《令和の日本型学校教育》の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」を答申した。

高等学校教育では、①多様な能力、適性、興味、関心等に応じた学び、②学校生活への満足度や学習意欲の低下、③急激な変化の中での高等教育機関、実社会との連続性、④18歳から主権者の一人であること、⑤令和4年度から高等学校学習指導要領の年次進行実施、⑥個別最適、協働的な学びの実現、などの課題が上げられている。

高校教育を取り巻く状況をみると、産業構造や社会システムが非連続的とも言えるほどに急激に変化している。人工知能(AI)、ビッグデータ、Internet of Things、ロボティクス等の先端技術が高度化してあらゆる産業や社会生活に取り入れられたSociety5.0時代が到来しつつある。また少子化の進行によって学校としての機能を維持することが困難となっている地域・学校も生じているなど、社会経済の有り様をふまえた高校教育の在り方の検討が必要になってきている。また高校生の現状の一つとして、学校生活への満足度や学習意欲が中学校段階に比べて低下していることから、高校における教育活動を、高校生を中心にすえることを改めて確認し、その学習意欲を喚起し、可能性及び能力を最大限に伸長するためのものへと転換することが急務であるとされる。

その上で、「約7割の高校生が通う学科を「普通科」として一括りに議論するのではなく、「普通教育を主とする学科」を置く各高等学校がそれぞれ特色化・魅力化に取り組むことを推進する観点から、各設置者の判断により、当該学科の特色・魅力ある教育内容を表現する名称を学科名とすることを可能とする制度的な措置が求められる」としている。この「普通教育を主とする学科」の弾力化、大綱化は、「普通科改革」という大きな変革である。

学科については、「SDGsの実現やSociety5.0の到来に伴う諸課題に対応するために、学際的、複合的な学問分野や新たな学問領域に即した最先端の特色・魅力ある学びに重点的に取り組む学科や、「現在及び将来の地域社会が有する課題や魅力に着目した実践的な学びに重点的に取り組む学科」などが考えられている。

新たな学科における教育課程については、必履修教科・科目の学びを基盤に置きつつ、学校設定教科・科目や「総合的な探究の時間」を各年次にわたって体系的に開設することや、現代的な諸課題という生きた事象を取り扱うために、教室内だけではなく実際の現場に赴いてその現状を目の当たりにしたり、国内外の高等教育機関や施設、各種団体と連携することが求められるとしている。

確かに現行制度でも、必履修科目をすべての生徒に履修させたうえで選択科目を自由に開設することはできる。しかし多くの学校では教育目標はかかげられているものの、教育課程と十分に関連付けられていないなど、生徒の個性を発揮し社会の要請等に応えられるような特色作りはできていないという課題がある。

ここで、30年ほど前、おそらく最初の高校教育改革の一環として誕生した総合学科高校開設に関わった者として思い出すことがある。

総合学科は普通科と職業学科(別の資料では専門学科)とを総合する新たな学科として1994年に設置された。今回の普通科改革では、普通科の特色に応じた学科名や(類型の設置、)学校設定教科・科目の設定など、総合学科の特色が多く含まれている。見方を変えると、総合学科の特色を引き継ぎながらSociety5.0という新たな時代に備えた普通科のための新しい企画や措置ともとれる。一方で、このような普通科改革が進展すれば、総合学科はその特色の一層の発揮という観点から大きな課題があることも明らかだ。

大阪では1996年、100年以上の伝統校である普通科今宮高校が総合学科に学科改編し、筆者は学科改編の翌年から1971年度までの5年間、校長を務めた。この間、生徒・保護者、教職員は、いわば未知の領域で、前向きにがむしゃらに取り組んでくれた。報道関係者が「総合学科はベンチャー企業ですね。ベンチャー・ハイスクールという名前にしては」などと冗談半分に言っていたのを思い出す。

総合学科の教育課程は、「産業社会と人間」「情報」「課題研究」の原則履修科目と総合選択科目、自由選択科目で構成される。1年次に行った、教育内容の核となる「産業社会と人間」は生徒達には大変好評だった。どの系列に所属するかや、どのような選択教科・科目を選ぶかを生徒に考えてもらい方向付けをする。また多数の総合選択科目の準備に教職員は大変な努力をした。それこそが総合学科の特色、生命線と考え、普通科高校や職業高校では作れない科目を置くことに力を入れた。私自身も大学(大阪府立大学)と連携し、大学院生による「航空宇宙工学」という講座を設けたり、大学の研究室訪問のルートを開拓したりした。

今回の普通科改革における学校設定教科・科目の重視などは、総合学科で行われてきたことそのものであるように思われる。総合学科の生徒数は高校全体で現在5%強。総合学科の広がりが見られないところから思い切った普通科改革に至っているのではないかと考えることもできよう。

ICTの発達によって、国内の大学だけでなく、いろんな事業所や海外の学校や施設などとも連携をはかれるようになった今、これまでになく多種、多様な選択科目が設定できるはずだ。ただ一方で注意しなければならないこともある。かつて総合学科に対する世間の評価には「パイロットスクール」「自由な学校」などの好意的なものから、「あいまい学科」「おかゆ学科」などといった批判的なものまでいろいろあった。「普通科と職業科のよいところを総合する」という理念は、一歩間違うと「あいまい学科」になる可能性を今も秘めているのではないか。また大学受験の圧力は弱まったとは言えまだまだ根強く、少子化が進む中、公私を問わず、学校間の生徒獲得競争がますますし烈になる中、生徒・保護者のニーズの把握も欠かせないだろう。今回の普通科改革が総合学科改革の轍を踏まないことを切に願う。

総合学科に話を戻せば、その改革継続には、まず「産業社会と人間」の内容を精選、確立し、魅力ある選択科目を多数用意することがやはり重要だと思う。ICTやAIなどの先端技術を駆使し、輝かしい未来を作り活躍する人材育成を担える総合学科であることが望まれる。

東京都市大学の新ファンクション(機能)カリキュラム ゲームチェンジ時代の製造業を切り拓く「ひらめき・こと・もの・ひと」づくりプログラムとは? 新ファンクションカリキュラム一気に公開!

東京都市大学の画期的な工学教育プログラム『ひらめき・こと・もの・ひと』づくりプログラム、その具体的なカリキュラム構成と、プロジェクトリーダーであり理工学部長の岩尾徹先生のお話を交えて詳細をお伝えする。

文部科学省に採択された新しいタイプのカリキュラム

従来の大学での学びは“学術分野”が基盤になってきたが、これからは社会の要請・産業分野の変化に応じた新しい教育プログラムの展開に注目が集まる。文部科学省の「知的集約型社会を支える人材育成事業」は、そうした新しいタイプの教育カリキュラムやプログラムを選定し助成するもので、2020年には全国で6大学が採択され、「ひらめき・こと・もの・ひと」づくりプログラムはその一つ。理工学部の機械工学科・機械システム工学科・電気電子通信工学科の3学科を横断した専門科目、「ものづくり」の履修とともに、文理融合の「ひらめきづくり」「ことづくり」といった授業科目で“アイデアを生み出し形にする”トレーニングを行う。従来の大学教育にはないこれらの授業科目は産業界から招聘した教授陣も担当し、学修アドバイザーによるケア体制も整っている。他に、社会課題やグローバル化に対応したテーマ型教養科目中心の「ひとづくり」を加えた4つのカテゴリーで構成。それに「AI・ビッグデータ・数理・データサイエンス」の科目群が並走することで、文系・理系の枠組みや分野を超えた「統合的な学び」が構成されている。

所属学科の専門分野を磨きあげていく従来型のカリキュラムを選択しても、この新ファンクション(機能)カリキュラムを選択しても卒業要件は同じ124単位だ。

選抜された110名が参加してスタート

このプログラムは初年度、3学科の新入生360人に対して募集を行い、応募者の中から約110名を選んで始まった。授業の多くは、問いを見つける問題発見と課題解決型で対話中心のものが占める【下コラム参照】。これには2020年からスタートした「SDPBL」(チームを組み、学生主体で持続可能な社会に資する問題発見や課題解決に取り組む)がバックボーンになっているが、受講する電気電子通信工学科の山田さんは、「これこそ自分が求めていたもの。一人だけで講義を受け学んだり実験を重ねていくだけでなく、チームでディスカッションしながら学生自ら問題を発見し探究していくことに魅力を感じた」と志望動機について語る。他に、「閉塞感のある製造業の課題を、新しい発想で解決できる人材になりたい」という現実的なものもある。ここまで授業を受けた感想について女子高から進学した学生は、「アイデア力や起業力を授業科目として学べることにワクワクしている」と語る。この他、すべての学びが統合されてきたことにより、物事の本質や概念が理解できるようになってきたという声も。なお、本年度はパイロット的に3学科を対象としているが、段階的に拡大して2024年度には全学的な展開となる予定だ。

電気電子通信工学科の山田さん
岩尾先生、プログラム導入の背景と目的を語る

――背景の一つには、本学が中心的に輩出する製造業では今、ゲームチェンジ(革新的な技術による従来の産業構造からの変革)が着々と進行していることがある。例えば、これまで日本の強みとされてきた自動車産業では、自動運転の普及で新規参入が増え、シェアリングエコノミーが拡大すれば、自動車そのものに対する価値観が変わることが予想され、その優位は揺るぎかねない。巨大な発電、送配電など生活を支えるインフラを扱う電力業界にも転機が訪れている。世界的にグリーンエコノミーへの転換が進む中で、再生可能エネルギーや、エネルギーを効率良く運用するエネルギーDXを扱う新しいプレーヤーへの期待が高まっている。まさにゲームが変わろうとしている。またこれまで、メイドインジャパンは品質や機能の優れていることの代名詞ではあったが、一方で過剰なまでの機能を備えていて、ガラパゴスと揶揄されることも多い。品質や機能が豊富なことはゲームチェンジ時代においても重要だが、マーケティングにはむしろ、それが何に使えるかのストーリー、つまり<こと>の要素の方が重要だ。品質が良ければ売れるという時代ではなくなりつつある。物と物を繋いだり、物にストーリー性を持たせて世に送り出す、そんな力を育てていくことは急務だと思う。

もう一つの背景には、近年の卒業生の追跡調査の結果がある。本学の学生は専門性や技術の高さでは定評があるが、統合的学びや人を巻き込んで新しいことを始める力が弱いことがわかってきた。特に私が着目しているのが、入社ほぼ10年後の35歳。仕事に脂が乗り、次のステップへのターニングポイントと位置づけられるが、ここで、単にものづくりのプロフェッショナルにとどまるのか、マネジメント力や企画開発力を身につけ、組織や研究チームをリードするポジションに就くのかで、その後のキャリアは違ってくる。

いずれのケースにおいても、求められるのは、全体最適解を導くために、「アイデアと技術を繋いでイノベーションを起こせる力」であり、発想力を鍛え、自分の責任で新しいもの生み出す“人の上にではなく、人の前に出る”というタフさだ。どれも、成果主義に偏り、インターネットで誰よりも早く解を探し出すことが良い成績につながるという『捜し物競争』的な教育からは生まれてこない。まさに、ひらめき、こと、ものに加えてひとづくりの4つの力、文理の垣根を超えた幅広い教養と深い専門を備えた融合知、見識を4年間で身につけてもらうカリキュラムがどうしても必要だと考えた。目指してほしいのは、統合的学びを通した知識集約的な思考アプローチにより、グローバルで未来志向の判断力、多様な人々と共創する力、論理的かつ総合的に判断し、自ら挑戦する力とマネジメント力を身につけた人材。そして、若い学生の将来とこの国の未来のために、すべての学びを統合させ、学生の生きる力になることを目指している。本プログラムにより、問いを生み出し、力強く、前へ進んでいくタフな学生を輩出し、全体最適解を導くことで明るい未来を切り拓く「社会変革のリーダー」を育てていきたい。

プログラムに連接する総合型選抜も新設

本年度の入試では、このプログラムに連接する「総合型選抜」も新設される。タイプ1「学際探究入試(機械・電気系)」では、このプログラムの理解と志望理由を見るために「志望理由書」「小論文」を課し、「探究」をキーワードにした新しい総合問題を課す。気づき、問いを立てる力、問題発見、仮説を立て課題を解決する力を見るために、数学や物理学の力を駆使してその課題を技術の力で解決、結論まで導いてもらう。総合問題では、文科省検定済み教科書を6冊まで持ち込み可としている。まさに「探究」や高大接続改革をも意図した新しい試みでもある。「面接」はなく、合格後の辞退も可能だ。またこのプログラムに連携し、英語で60単位以上の専門科目を学ぶことができ、研究室への優先配属、学部大学院一貫教育、大学院での早期修了も目指す、電気電子通信工学科の「国際イノベータ育成オナーズプログラム」に参加するタイプ2の募集もある。こちらは、英語での面接を課す。

プログラムの詳細は特設ホームページで確認できるほか、7/18(日)にはキャンパス来場型(人数制限・来場条件あり)の説明会も行われる。

ひらめき授業の様子

コラム

「ひらめきづくり」 のある日の授業では、「通学途中に不便を感じたこと」をテーマにディスカッション。日常の何気ない気づきを新しい課題として共有し、次に「機械や電気の技術を使って解決できる可能性」を探るステップに進む。高校の探究活動に似ているが、「技術はイノベーションを起こすための駆動力である」を合言葉に、高校までに身につけた理科や数学の力、自分の学科の学びを用いて結論を導く。大学ならではの高度でアカデミックな展開だ。

「ことづくり」 の授業では世界を変えたスタートアップとしてGAFAM(Google・Apple・Facebook・Amazon・Microsoft)を取り上げたり、日本でベンチャー企業を起こしたトップを招いて講演を聞いたり、各企業の概要説明から、学生自ら各企業の問題点と社会課題を抽出し、それらを技術の力で解決に導いたりする。すでに10社から協力が得られており、それらの企業から、経営者、研究者、技術者、人事担当者などが参画して学生とディスカッションするような授業も行われる。

開学以来もっとも大きなカリキュラム変更

既存の教育では、従来型の人材しか育成できない。その考えから、学部の枠や大学教育に対する固定概念をすべて取り払った、今までにないプログラムが誕生しました。ここまでの大きなカリキュラム変更は、本学90年の歴史の中でも初の試み。学生たちが、思う存分発想力や提案力を磨いていくことが期待されます。

東京都市大学
総合型選抜(1段階選抜制)学際探究入試(機械・電気系)

入試制度の趣旨
文部科学省 令和2年度大学教育再生戦略推進費
「知識集約型社会を支える人材育成事業」
機械工学科・機械システム工学科・電気電子通信工学科の3学科横断型の新機能カリキュラム「ひらめき・こと・もの・ひと」づくりプログラムに連接する
入試で、この先駆的なプログラムでの活躍が期待できる学生を受け入れる。
▼プログラムの詳細は特設ホームページへ

特徴
タイプ1:3学科一括出願/合否も3学科セット/入学手続時(12月)に所属学科選択/ 入学後は「ひらめき・こと・もの・ひと」づくりプログラムに参加
タイプ2:「ひらめき・こと・もの・ひと」づくりプログラムと同時に、連携する電気電子通信の 「国際イノベータ育成オナーズプログラム」に参加

出願要件
当該入試と連接するプログラムの趣旨を理解し、当該学科で教育を受 けるに十分な基礎学力を有し、以下の条件を満たす者。
・数学・理科・英語のうち2教科が3.8以上
・タイプ2については「英検2級」以上を加える
現浪:制限なし

選考方法
タイプ1:(1)調査書
(2)志望理由書(ひらめきプログラムに関わるもの)
(3)「探究」総合問題(問題発見、課題解決を、数学や物理の力を使い、導く。)
(4)小論文(ひらめきプログラムの理解を問う)
タイプ2:(1)調査書
(2)志望理由書(ひらめきプログラム、国際イノベータ育成オナーズプログラムに関わるもの)
(3)面接(英語で授業に参加できる力を確認する)

募集人員
機械工学科     3名
機械システム工学科 3名
電気電子通信工学科 5名
※それぞれ「総合型選抜(2段階選抜制)」に含む

「人生100年時代」を生き「22世紀を見る」 高校生・受験生・学生たちに向きあう大学アドミッション専門職とそのミッションを考える

入試だけでなく大学教育の変革をめざす専門家集団が誕生する 今春、実施された「大学入学共通テスト」。この新テストをめぐって、“50年に一度”とまで言われ期待を集めてきたのが大学入試改革。ところが、この改革、主要なパーツの多くが先送りになることでも注目を集めた。もちろん改革課題のすべてが見送られたわけではない。改革議論の当初から説かれていた入試の現場で高大接続を担当する大学スタッフ「アドミッションオフィサー」の本格的な養成もその一つ。先頃、それを主な目的に「大学アドミッション専門職協会」が旗揚げした。日本にも高校から大学への「学び」を接続する本格的な大学アドミッションオフィサーが誕生することへの期待が高まる。協会理事長の木村拓也先生と、多くの私立大学で一般化している入試改革を立命館大学で先駆けて導入・牽引した小畑力人先生が、今日の大学入試と将来展望、求められる教育改革、日本の大学のこれからを背景に「アドミッション専門職」について語り合った。

木村 拓也 先生一般社団法人大学アドミッション専門職協会理事長 九州大学准教授 木村 拓也 先生
~Profile~
九州大学大学院 人間環境学研究院 教育社会計画学講座(教育学部) 教育学部准教授。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。博士(教育学)東北大学。京都大学助教、長崎大学助教・准教授、九州大学准教授を経て2016年8月から現職。専門は教育社会学。独立行政法人 大学入試センター客員教授。日本教育社会学会理事。岡山高等学校出身。
小畑 力人 先生公益財団法人日本漢字能力検定協会普及部参与 元和歌山大学副学長 元立命館大学入試部長 小畑 力人 先生
~Profile~
九州大学大学院 人間環境学研究院 教育社会計画学講座(教育学部) 教育学部准教授。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。博士(教育学)東北大学。京都大学助教、長崎大学助教・准教授、九州大学准教授を経て2016年8月から現職。専門は教育社会学。独立行政法人 大学入試センター客員教授。日本教育社会学会理事。岡山高等学校出身。立命館大学経済学部卒業、関西文理学院(予備校)進学指導部長、立命館大学入試部長、和歌山大学観光学部教授、同副学長、追手門学院大学社会学部長、神戸山手大学社会学部観光学科教授、大阪観光大学客員教授、日本観光ホスピタリティ教育学会会長、大阪初芝学園常務理事、大阪経済法律学園評議員、立命館大学校友会顧問等歴任。大阪府立清水谷高等学校出身。

大学入試をより良くしたい

木村:2016年にアドミッションオフィスの整備に対して、文部科学省(以下 文科省)からの予算措置があり全国の国立大学に入試の専門職が配置された。文科省からの委託を受けてアドミッションオフィサー養成講座を実施したところ、国公私立の別に関係なく多くの教員・職員の方々にお集まりいただいた。

入試は各大学の重要事項でありながら、秘匿事項も含むので情報を他大学と共有することが難しい面がある。こうした中で、このような研修の場が専門家集団の関係づくりにたいへん有効であることがわかった。また国立大学からは入試担当の教員の方、私立大学からは入試課の職員の方が参加されているが、大学の設置者の違いや職階、職能を超えて大学入試をより良くしていこうという雰囲気になっている。

小畑:大学入試の実施と改革にとって、アドミッションオフィサーという専門家集団が果たす役割に大いに期待したい。この度の入試改革の要諦は、大学と高校それぞれの教育改革と高大接続改革だと言われてきた。アドミッションオフィサーは、高校から大学の「学び」への移行について一人ひとりの受験生に直接関わって、大学とその先に拡がる未来を語り合い、親身になって相談に乗る重要な存在である。

長年、大学教育と大学入試の現場に関わってきたが、大学としての「専門職」の必要性を痛感してきた。高校や塾あるいは予備校は生徒のために大学受験に向けた進学・学習指導を熱心に行っているが、大学からの受験生に対する直接的なアプローチはまだまだ少ない。アドミッションオフィサーは、高校生と大学生双方に接して、大学の教育研究と大学生活の魅力について、パンフレットやネットを超えて「生きた」情報を語りかけて欲しい。そのための幅広い知識を得るためには日本中の大学から知恵を結集できる仕組みが必要で、今回の大学アドミッション専門職協会は重要な役割を果たす。個別大学の利益だけではなく大学教育の全体最適を目指すことができる。

木村:文科省の担当者とも事前に連絡を取り合い、国が目指す入試改革の方向性に寄り添いながら進めている。ありがたいことにこの専門職協会のことを文科省の担当者から聞いたと入会してくださる方も増えている。4月に設立シンポジウムを実施した。今後は毎月研修会を実施し、将来は資格制度などを構築していきたい。

大学入試は評価軸が多様化していて、入試の専門家がいなければ対応が難しくなっている。例えばTOEICやIELTSなど外部試験を入試に取り入れる場合もどのような特徴を持ったテストで、高校ではどのように認知されているかなど常に最新情報を取り入れる必要がある。

最近は文科省から示されるテーマが専門化しており、例えば主体性評価(面接、調査票、志願理由書を組み合わせて評価する方法)、CBT(Computer Based Testingの略で、コンピュータを用いた試験方式)などがある。これらをテーマにした研修を行うと大変盛り上がるし、大学が助成金に応募するときなども、トレンドを理解しなくては採択されるのが難しくなっている。これらの情報収集を、国立大学の教員は教育や研究をしながら行わなければならないので、一人で全てを行うのは難しい。そこで私大の教職員のメンバーも含めて、みんなで学び、一緒に新しい企画を考えたいという熱い思いを持っている。

入試に関わる専門家が集まるメリットは、最新の情報を共有し、学び合えることにある。コロナ禍でオンライン入試が導入されたが大学ごとに方式が違い、受験生は戸惑っただろう。今後やり方を統一することで受験生の労力を減らせるかもしれない。また、立場を超えた集まりなので多面的に入試を考えることができ、今後の入試改革に専門的な提言を社会や国に発信することも可能となる。

小畑:ふり返ると、2008年から2012年の論議を経て学士課程答申が公表された。そこで提唱されたアクティブラーニング等の教育改革から10年が経った。この間に大学教育は大きく変わったし、コロナ禍のWeb授業等によって大学教育はさらに劇的な変化の直中にある。そして、コロナ禍直前の2019年11月に答申された「2040年に向けての高等教育グランドデザイン」を見ると、2012年答申の「予測困難な時代」から「予測不可能な時代」の大学教育への転換を提起している。一方、2022年から高等学校新学習指導要領が本格実施される。

大学の教育も高校の教育も変わる、そして入試も変わるし多様化する。先ほど述べられた主体性評価もその一つだろう。入試の多様化とその評価は高校生の立場になって考えても重要な問題だ。今後、入試のペーパーテストの出題傾向も変化するが、課外活動等で力を発揮してきた高校生をどのように、それこそ「総合的」に評価するのか?これまでの入試でも問われてきた問題だ。主体性評価を取り入れることで、多様な学生を評価し大学に迎え入れることができる。この課題は大学にとって重要だが、これからの入試の多様化、複合化とその評価をめぐって入試関連業務は高度化する一方だろう。大変な課題だが、それこそ大学アドミッション専門職(の先生方)の「腕の見せ所」だ。

これから必要なのは育成型入試

木村:九州大学で育成型入試のシンポジウムを行った時に大きな反響があった。日本では大学生の中退が大きな問題となっているからだろう。受験生を何人集めたかよりも、入学した学生をいかに伸ばせる大学かにトレンドが明らかに移りつつある。アメリカの大学ではアドミッションオフィサーの役割は1年目までと言われている。そのあとは学部の責任とされているが、大学の卒業生が職員やクラブのコーチとして関わることで、教員以外との関わりで成長していけるようになっている。

我々はアドミッションオフィサーが1年生の授業を担当するなど関係性を継続することで、学生が必要とすれば大学内の必要な部署に繋いでいく役割も担いたい。北海道在住の高校生が、道内の進学を考えていたのにもかかわらず、私の講演を聞いて九州大学に志望を変えたと入学後に挨拶に来てくれたことがある。彼の将来を大きく変えてしまったことに責任を感じるとともに、この仕事のやりがいを感じることができた。

特に地方の国立大学では、生徒を集めるのに苦労されている。ピンチをチャンスと捉え、大学の先生方には「自分が一緒に研究したい学生を、ご自身で高校まで迎えにいきませんか?」とお誘いしている。我々は学生を一緒に育成してくださる先生を常に探している。

小畑:今の木村先生の話は「いい話」だし、本当に大事なことだと思う。確かに大学の先生からすると、入試という大学の入口から自分がかかわった学生さんなので、入学後の相談や指導に熱が入る。高校と大学のシステムとしての「高大接続」は、先生と生徒・受験生・学生との「学びの絆」を創っていくことになる。

私は予備校から大学に転職したこともあって、学生さんを送っていただく高校とともに塾や予備校との関係を重視してきた。高校以外にもたくさんの塾や予備校を訪問させてもらった。それが、立命館大学の志願者数を4万名台から10万名まで増やすことができたことにつながった。「校塾連携」も重要な教育システムの一環として関係性を強める必要があると考えてきた。それから、私学には付属校や系列校との「一貫教育」が昔からあって、中学・高校と大学のそれぞれの年数、スパンを超えた育成型教育が実施されてきた。公立学校でも中学校と高校や小学校と中学校の連携が増えている。このような学校と学校の連携システムとともにアドミッション専門職の方々の活躍は学校の枠を超える絆となって、全国津々浦々で「育成型」の教育実践を創っていくことになる。

木村:私が入試業務に関わり始めた15年ほど前には、国立大学で高校を訪問しているところはほとんどなかった。一方で私大の職員さんは高校の先生と信頼関係を築いておられてお手本にさせてもらっていた。高校生を引き込むプレゼンテーションに長けた方も多かった。高校と大学の連携のノウハウを持つ私大の職員の方と国公立大のアドミッション教員が混じり合うことで、お互いに持っている知識を共有することができる。

誰もが第一志望の大学に入学できる仕組みづくりを

小畑:近年かかわった高校に東大の推薦入試で入学を決めた生徒がいた。東大合格者3000人のうちたった60人程の超難関を突破、しかも多様な資質・能力と意欲あるトップ生だった。京大の「特色入試」などもある。この様な日本の新しいタイプのエリートを発掘し育成につなげることもアドミッション専門職のミッションと言える。勿論、アドミッション専門職の役割はもっと広く多様だと思うが・・・。

木村:本当に学びたい学生を、最適な大学や大学教員へつなげることがアドミッションオフィサーの役割と考えている。トップエリート育成も含めて全ての学生が第一志望の大学に入学することをサポートしたい。もちろん第一志望ではない大学に入学しなければならない場合もあるだろう。それなら、入学した大学で多いに学び、成長することで第一志望にしてもらえばいい。アドミッションオフィサーとしてそのお手伝いをしたい。

小畑:地方出身の学生が夏休みに地元に帰った際、母校を訪問して大学と自分の大学生活を伝えてもらう“しくみ”をつくった。これは、学生募集に効果的だったが、本人の大学への帰属意識、「母校愛」の醸成につながったと思う。入学前教育や入学時のオリエンテーションの時に在校生が「不安いっぱい」の新入生をサポートする役割を持ってもらうことも学生の成長につながる。この「ピアエデュケーション」でもアドミッション専門職の先生方は重要な役割を果たしておられる。優秀な学生に入学してもらいたいのは確かだが、入学してくれた学生をみんなで真の大学生へと育成していくことも大事だ。

良い入試、新しい入試とは

小畑:今、向きあっている高校生・受験生・大学生は、「人生100年時代」を生き「22世紀を見る世代」だと言われる。しかも、予測不可能とまで表現される変化が激しい時代、受験生が一生を通じて「この学校に進学してよかった」と思える大学を選ぶことは簡単ではない。入試は一通過点ではあるが、人生の重要なターニングポイントになりうる。

大学入試には選抜機能とともに大学の「入口」としての接続機能がある。これまで、なかなか手をつけることができなかったのが、この接続であり、その専門職が生まれ、育つことで大学入試が大きく変わる。入試を生徒・受験生・学生目線で多面的に考え、大学の教育改革につなげる。それができる人材が日本中の大学で活躍するようになれば、入試のみならず大学教育の質を上げることになる。

木村:入試という短いスパンではなく、それぞれの生徒さんに合った大学に入学してもらい、質の高い教育を受けてもらえるようにしたい。だから受験生の声を大学に伝え、反対に大学の情報をわかりやすく受験生に伝える努力も重要だ。アドミッションオフィサーと話すことで、行きたい大学のイメージがクリアになり、勉強へのモチベーションも高まるかもしれない。この大学に入ってよかった!と思ってもらえるようになるのが理想。そのための組織的・本格的な研鑽がこれから始まる。今後、大学アドミッション専門職協会の教職員を入試説明会などで見かけることがあれば、是非声をかけて積極的に活用してもらいたい。

大学アドミッション専門職協会 https://www.jacuap.org/annai

日本漢字能力検定協会 https://www.kanken.or.jp/kanken/contact/

⼤学アドミッション専⾨職協会とは

ビジョン Vision

すべての⼤学に⼤学アドミッション専⾨職を配置する大学アドミッションに関する職能を確立し、大学および高等学校の発展に寄する大学アドミッションの価値創造を行う大学アドミッション専門職をすべての大学に配置する。

ミッション Mission

a. ⾼校⽣の⼤学移⾏定着を⽀援する専⾨職を養成する大学に入学し、充実した大学生生活をおくる学生を一人でも増やすことを目的として、大学アドミッションの職務を遂行できる専門職を養成する。

b. 多領域に及ぶ専⾨性を互いに補い合い⼀定の職務レベルを保った専⾨職を養成する大学アドミッションに関する専門領域は多岐に及び、個々でその専門性を全てカバーすることが難しい。そのため、協会が構築するネットワークの中で、互いに専門性を補い合い、大学アドミッションの職務を遂行できる専門職を養成する。

c. 実務につながる研究知を持った専⾨職を養成する大学アドミッションの研究知を通して、基礎素養を身につけ、専門スキルを修得し、実務につなげることのできる専門職を養成する。

バリュー Value

⼤学アドミッション専⾨職として、⾼⼤接続システムを創出するための以下の3つの職能を重視する。

a. コーチング・コミュニケーターとしての職能

    高校生の知的好奇心や進学意欲を適切に喚起することができ、高校生および高校教員、保護者に対して大学に進学する意味を伝えることができる。

    b. アカデミック・コミュニケーターとしての職能

    複雑に進化する大学の先端諸学問の情報を収集し、大学で学問する魅力について、高校生の興味関心、発達段階に対応する形で適切に解説を加えることができる。

    c. テスティング・コミュニケーターとしての職能

    大学アドミッションの国内外の動向を深く理解し、各大学の立ち位置に応じた大学アドミッションを提案・実施できる。

    九州大学伊都キャンパス
    立命館大学衣笠キャンパス
    和歌山大学

    アフリカ及び日本における食料安全保障の最前線 ポストコロナを見据えて、私たちはどう変わる?どう変わらなくてはならないのか?

    2019年末頃から大流行している新型コロナウイルスは、生命・健康を直接的に脅かすのみならず、感染拡大防止策として人の移動・接触の制限が求められることから、世界中の人々の生活・社会活動に大きな影響を与えている。最も基本的かつ重要な国の責務である食料の安定供給も、世界各地でその不安が拭い去れない状況が続く。国連(UN)専門機関の国連食糧農業機関(FAO)及び世界保健機関(WHO)、関連機関の世界貿易機関(WTO)などは、新型コロナウイルスの感染拡大防止策が原因で起こり得る食料不足を避けるには世界各国が協力することが必要だと訴え続けている。一方、2021年初旬よりワクチン接種が急速に進められ、ポストコロナを想定した政策立案、経済活動、研究及び教育活動も始められている。こうした中、安全で栄養価のある食料を安定的に供給するため、われわれ国民一人ひとりはどのように行動すべきか、また日本に求められている国際貢献とは何か。2013年から約7年間にわたり、FAO駐日連絡事務所長として日本及びFAOの関係強化に尽力し、名古屋大大学院で博士号を取得するなど日本の食料安全保障事情にも見識の深いンブリ・チャールズ・ボリコ氏に、FAOでの勤務を経験し、この春から京都大学大学院で助教として勤める白石晃將さんが話を聞いてくれました。

    ンブリ・チャールズ・ボリコ 氏国連食糧農業機関(FAO)マダガスカル事務所代表 ンブリ・チャールズ・ボリコ 氏 Mbuli Charles Boliko
    ~Profile~
    コンゴ民主共和国出身、キサンガニ大学で学士(心理学)及び修士(産業心理学)取得。キンシャサの商科大学で3年間教鞭を執った後、1990年に来日。名古屋大学大学院国際開発研究科より国際開発論で博士号を取得。時に自らをmade in JAPANと語る。1997年よりFAOに勤務。1998年からNY連絡事務所、2003年より事務局長官房付としてローマ本部に赴任し、2009年からは人事部雇用・配属担当チーフ。2013年にFAO駐日連絡事務所初の外国人所長として着任し、約7年間にわたり日本及びFAOの関係強化に尽力。2020年9月にマダガスカル事務所代表に着任、現在に至る。母国コンゴ民主共和国・カトリック大学の客員教授として、人事管理及び行政・開発についても指導する。
    白石 晃將 氏京都大学 大学院農学研究科 助教 白石 晃將 氏
    ~Profile~
    2012年京都大学農学部卒業、2014年京都大学大学院農学研究科修士課程修了。修士課程在籍時、日本国際協力機構(JICA)を通じて短期青年海外協力隊としてバングラデシュでボランティア活動を経験。2015-2016年FAOでインターン、2016-2017年日本学術振興会特別研究員を経て、2017年に京都大学大学院農学研究科から博士号(農学)を取得。また、同年京都大学大学院思修館プログラム修了。同大学院博士課程修了後、2017-2018年外務事務官として外務省経済局経済安全保障課に勤務。2018-2020年FAOジュニア専門官、2020-2021年FAO食品安全専門官を経て、2021年1月より京都大学大学院農学研究科助教、現在に至る。岐阜県立多治見北高等学校出身。

    アフリカ諸国の新型コロナウイルス事情

    白石:ジョンズホプキンス大学の統計によると、2021年5月24日現在、世界では、累計での感染者数及び死者数がそれぞれ約1.67憶、346万人となっており、未だ新たな感染者数も60万人を超えている。日本でもこのところ新規感染者数が4千人程で推移しており、東京を含めた大都市で緊急事態宣言の延長が決定された。アフリカ全土は少し広すぎるかもしれないが、所轄しているコモロ、マダガスカル、モーリシャス及びセーシェルでの状況を教えて欲しい。

    ボリコ:4か国中、貧困度の高い国※として分類されるコモロ及びマダガスカル両国では、新型コロナウイルスに関する統計データの収集が非常に遅れており、政府が発表した情報にも、信頼性の欠けるものが多い。正確な感染者数や死者数は分からないというのが実際のところだが、2020年9月に着任した頃と比較し、肌感覚としては状況は酷くなっていると思う。当時はほとんどいなかったが、今ではマダガスカル事務所のスタッフやその家族を含め感染者が出ている。数字上、累計感染者数は、マダガスカルで約4万人(全人口約2700万人)、コモロで約4千人(同約85万人)ではあるが、実際の感染者数はその4-5倍いてもおかしくはない。また、医療体制が脆弱であるため、これ以上感染者数が上昇すれば、医療が崩壊し、非感染性疾患(Non-Communicable Diseases: NCDs)など他の病気への対応にも甚大な被害が及ぶ可能性が高い。一方、モーリシャス及びセーシェルではワクチン接種も始まり、感染者への対応も順を追って行われている。しかし最近、重要な収入源である観光産業を再開し、海外からの観光客を受け入れたことで国内の感染者数は再び増加に転じた。国際交通網の発達により、地球全体が一つの村のように捉えられるようになった現在、自国だけ感染者を抑えるのは不可能であり、隣国と協力しつつ、地域・世界全体として感染拡大の抑制に尽力することが大切である。

    白石:コモロ及びマダガスカルのワクチン接種状況はどうか。

    ボリコ:両国では、主に政治的な理由によりワクチン接種はまだ始まっていない。FAOを含めた国連機関職員については、個々の組織で調達したワクチン接種は許可されており、FAOマダガスカル事務所では、6月上旬からワクチン接種を開始する予定である。恐らく、マダガスカル政府は、国連諸機関が使用したワクチンの効果を見て、自国国民への提供を決定すると推測される。コモロについては、ワクチンの取得自体は可能であったと把握している。しかしソーシャルメディアによる誤った情報拡散や政治的な圧力により、同国政府がワクチン接種を始められずにいる。信頼のおける情報源からの科学的証拠に基づき、各国政府が適切な意思決定をすることを望む。

    ※世界銀行はアトラス方式を用いて計算された1人当たりの国民総所得(GNI)に基づき、世界の国と地域を4つの所得グループ、高所得国、中・高所得国、低・中所得国、低所得国に分類している。2020年発表の最新分類によると、コモロ、マダガスカル、モーリシャス及びセーシェルはそれぞれ、低・中所得国、低所得国、高所得国及び高所得国に分類される。

    コロナ禍・ポストコロナにおけるアフリカの食料安全保障

    白石:次に、コロナ禍・ポストコロナにおけるアフリカの食料安全保障事情について教えて欲しい。

    ボリコ:世界人口が増大する中、アフリカ諸国全体では、2005年から10年間にわたり、飢餓人口が減少していたが、気候変動・紛争・経済停滞などの影響で、2014/2015年頃から同人口は増加に転じた。その中で、新型コロナウイルスの大流行が起こったため、アフリカ諸国の食料安全保障は非常に厳しい状況にある。特に、より脆弱な家庭への影響が大きく、入手できる食料が少なくなっているなどの問題が起きている。また、入手できたとしても安全性・栄養価に問題のある食料も出回っており、地域・世界全体で協力し、食料安全保障問題に立ち向かうことが重要である。統計データを見ると、アフリカ諸国全体では、食料価格が38%上昇し、主食の一部であるとうもろこしについては80%も上昇している国があり、需要と供給のバランスが崩れているのが良くわかる。しかしヒトやモノの動きが制限されている現在、生産者側の中には、生産した食料をスーパーやレストランなどに卸せない農家もあり、食料廃棄物が増えているというなんとも異常な状態にある。

    現在急務のアフリカの食料安全保障問題の解決

    白石:新型コロナウイルスの大流行で食料安全保障が非常に難しい状況にあることは理解できた。そのために解決すべき課題は様々に存在するとは思うが、中でも最も急務なのは何だろう。FAO勤務中は、アフリカ東部を発生源として始まったサバクトビバッタの大発生による壊滅的な食害が、緊急の課題とされていたのを覚えている。

    ボリコ:現在、サバクトビバッタによる食害は、アフリカ全土約23か国に広がっている。マダガスカルについては、2014年から2017年にかけて行われたプロジェクトで成果が出ていたが、プロジェクト終焉とともに、バッタ大量発生の問題が再び顕在化している。新型コロナウイルスの大流行によりヒトとモノの移動が制限されたことで、この問題への対応が後手に回っている。モロッコなど経験豊富な国から他のアフリカ諸国への情報提供や援助が期待される。また、チョウ目の害虫であるFall armyworm(ツマジロクサヨトウ)の爆発的拡散も、農業生産に深刻な影響を及ぼしている。マダガスカルでは、生産されるトウモロコシ全体の約53%が食害にあっており、早急な対応が叫ばれているが、農薬を積んだ船や飛行機が到着しないなどその遅れが生じている。また、気候変動による影響から南マダガスカルでは2019年以降、降水量が減少し、干ばつの被害が大きく、2021年は食料生産が約60%低下すると推測されている。その他にも、動物の感染症や食品安全の問題など課題は山積みである。

    白石:FAOは、そのような早急に解決すべき課題に対して、どのような支援をしているのか。

    ボリコ:FAOでは、国連食糧計画(WFP)や他の国連機関など様々なパートナーと連携しつつ、科学的知見に基づいた情報・知識を提供している。信頼性の高い情報を世界各地から収集し、分析して得られるデータは多岐にわたる。最近では、国連食料システムサミットの開催に先立って国家間の対話が行われたが、FAOはWFP及び国際農業開発基金(IFAD)事務所と連携してそれをファシリテートした。WFPのレポートによると、2020年4月から2021年4月の約1年間で、アフリカ諸国において、継続的な食料支援が必要な人口の割合は約30%上昇した。新型コロナウイルス感染症の大流行は、アフリカ諸国の食料安全保障に大きな影響を及ぼしている。

    アフリカ諸国から見る日本の食料安全保障事情とその課題

    白石:アフリカ諸国から次は日本に焦点を当て、わが国の食料安全保障について意見を伺いたい。元FAO駐日連絡事務所長として、7年にわたり日本で指揮を執られ、また名古屋大学で博士号を取得されたこともあり、日本の食料安全保障には非常に見識が深いと思われる。私自身が外務省に勤務していた頃、仕事を一緒にさせてもらったことも多々あるが、当時は食料廃棄が大きな問題とされていたことを覚えている。日本からマダガスカルへと任地が変わったが、今一度日本の食料安全保障について考えたとき、最大の課題は何だと思われるか。

    ボリコ:やはり課題の中心になるのは食料廃棄の問題であるように思う。今日入手可能なものが明日も手に入るとは限らないということを、東日本大震災を含む様々な自然災害や新型コロナウイルスの大流行から学ぶべきだと考えている。日本は、レジリエンス(回復力)の強い国であり、さまざまな大きな問題を乗り越えてきたが、その度に食料安全保障に関する問題が議論になっている。FAO駐日連絡事務所長時代は、FAO議連の設立やセミナーの開催、FAO事務局長及び事務局次長の訪問など様々な活動を行ってきた。その中で、「食品ロスの削減の推進に関する法律」(略称 食品ロス削減推進法)が、令和元年5月31日に令和元年法律第19号として公布され、令和元年10月1日に施行されたことは大変喜ばしいこととして見ていた。生産者や消費者、全ての人が食料を捨てないように意識し、持続可能な行動をして欲しい。

    食料安全保障において日本に期待すること・国際貢献

    白石:国際的にもレジリエンスの強い国として認識されているようだが、続けて、世界の食料安全保障について日本ができる国際貢献について聞きたい。現状、感染拡大の影響で、現地で支援活動をすることは困難であると考えられるが、ポストコロナにおいて(可能な範囲でコロナ禍においても)、どのような支援・協力が期待されているか。

    ボリコ:日本は既に、国際社会に多大な貢献をしている。ケニア、コモロ、マダガスカル、セーシェル、モーリシャスの5か国で実施されていて自身との関係も深い、「インド洋アフリカ諸国におけるサンゴ礁漁業に依存する漁業コミュニティの強靱性の向上を通じた生計、食料安全保障及び海上保安の強化計画」プロジェクトへの支援には大いに感謝している[下コラム参照]。日本も新型コロナウイルス大流行を受けて、大変な経済状況であると見受けられるから、これまで行っている支援・国際貢献を続けてもらえれば十分である。

    貧しい人々に対してどのような貢献が出来るか。マダガスカルの中でも貧困層の多い南地域を訪問したが、貧しい人々を助けるには必ずしも大きなお金を必要としないことを身をもって経験している。日本を含めた先進国の人々にとっては少ないともとれる金額が、彼らにとっては大きな金銭的支援となり、干ばつなどの気候変動問題や害虫への対応が可能となる。また、日本には農業・食料生産に関する様々な技術や知識が蓄積されている。日本からの支援は、それで学校にいけない子供が学校に行けるようになり、飢餓で困窮している人々を救うことができ、巡り巡ってその国の食料安全保障に貢献することになる。

    最近、FAOのスタッフであることに誇りを持てた出来事がある。南マダガスカルにおいて、特定の家族に対し、農家学校(farmer’s school)で気候変動対応型の農業を教えた。彼らは、干ばつで降水量がほとんどない中、習得した技術を使用して食料を生産し続けることができ、さらに、生産した農作物からヤギを購入した。私はこのような小さなプロジェクトを広げることで、大きな効果を得ることができると信じている。特に5歳以下の子供は、必要な時期に必要な栄養を摂取することができないと、後の成長に大きな悪影響を及ぼすことがある。FAOは食料・農業を取り巻く諸課題に対して、それが大問題へと発展しないように、また、問題が発生したとしても、加盟国と協力しつつその被害が最小で済むように支援を続けている。

    高校生・大学生へのメッセージ

    白石:最後に、これからの日本、世界を背負って立つ高校生にメッセージをお願いしたい。

    ボリコ:情報網・交通網の発達により、現在、世界は小さな一つの村に譬えることができる。今回の新型コロナウイルスの大流行は中国から始まったが、世界各国は最初、それを中国だけの問題だと思っていた。欧州においては、イタリアで最初に感染者の拡大が見られた際、他の欧州諸国は積極的にイタリアに対して手を差し伸べなかった。その間に、世界各国でヒトの移動により多くの感染者が出て、現在のような大流行になっている。イラクとシリアで発生したイスラム過激派組織(ISIS)が問題になった時も、当初、日本では遠くで起こっている事と気にも留めない人が多かった。しかし日本人二名がシリア国内で人質となり、日本政府やヨルダン政府の解放へ向けての努力にもかかわらず、相次いで殺害されるという最悪の形で終わった。

    リーダーシップを取る際の大きな間違いは、ある問題を他人事として捉え、放置していることである。初めは中国のある特定の地域で発生した新型コロナウイルスによる感染症は、今や世界中に拡大した。リーダーには、一見他人事に見える問題に対しても自分のこととして捉える力が必要である。何とか解決しよう、協力してより良い方向を探ろう。そのようなリーダーがたくさん生まれることで、より良い世界が形成されると信じている。現在の高校生にも、そのようなリーダーとなり、国際貢献ができる可能性は十分にある。

    コラム

    ケニア、コモロ、マダガスカル、セーシェル、モーリシャスの5か国 サンゴ礁漁業を通して食料安全保障の向上

    ナイロビーアフリカの食料安全保障の強化と海上保安の促進を支援するため、FAOは、440万米ドル(4億7500万円)規模のブルー成長イニシアチブに関する共同事業への協定を日本政府と締結した。2019年から3年間にわたるこのプロジェクトでは、インド洋沿岸諸国の漁業従事者約3万人を対象とし、サンゴ礁漁業の生産を改善することが期待されている。また同時に、海上保安や漁業管理等に関する研修等を通じて、対象5か国の漁業従事者約30,000人の知識や能力向上が見込まれている。同支援の詳細は、外務省HPなどで閲覧可能。

    https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007729.html

    本紙から読者へのメッセージ

    生徒の皆さんへ 

    この記事を読んで気づいたこと、考えたことについてボリコさんに手紙(メッセージ)を書こう(英文も大歓迎)。

    先生方へ 

    ボリコさんと生徒のオンライン対話にご関心があれば編集部までご連絡ください。時間設定には制限がありますのであらかじめご容赦ください。またご希望多数の場合は抽選とさせていただきます。

    いずれの場合も一旦編集部までご連絡下さい。手紙はメールでも、手書きの場合は、スキャンしてメールもしくはFAXで。対話ご希望のクラス、学校はその旨をお書きいただき、メールもしくはFAXでお願いします。

    アドレス:kya01311@nifty.com FAX:06-6372-5374 電話:06-6372-5372

    大学入学共通テスト その理想と現実

    後藤 顕一 先生東洋大学食環境科学部教授 後藤 顕一 先生
    ~Profile~
    東洋大学 教職センター長、日本化学会教育・普及副部門長 学校教育委員長 埼玉県立高校教諭,埼玉県高校教育指導課指導主事を経て,2009年より2017年3月まで国立教育政策研究所 教育課程研究センター 基礎研究部総括研究官 2017年4月より現職。

    国家百年の計である高大接続改革、大学入学者選抜改革(以下、大学入試改革)の核心といえる初めての大学入学共通テストが令和3年1月に実施された。これは、高等学校教育・大学教育・大学入試改革、三位一体の改革を目指した取組であり、今後の我が国の教育の進展を見据える上でも、多角的な視点から早急に検証する必要があろう。今回は理科を具体例に挙げながら示すこととする。

    「大学入学共通テスト」実施の理念と実施までの変化

    三位一体の改革を推進するために、当初、大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の「実施の趣旨」では「共通テストでは、各教科・科目の特質に応じ、知識・技能のみならず、思考力・判断力・表現力も重視して評価を行うものとする」としていた。教育改革を断行するためには、これまでの大学入試センター試験(以下、センター試験)との違いを明確にし、改革の決意と、実効性のある取組を示す必要がある。具体的には、多くの教科・科目で複数の資料やデータ等を読み取る思考力や判断力が必要とされる問題の出題等を増やし、一部の解答を記述型にするなど、改革を推進する計画であった。

    ところが、国語と数学における記述式導入、民間試験の活用を目指した英語試験ともに頓挫し、計画は根幹から覆り、今回の実施となった。そのため受験生や高等学校は、目まぐるしい変化に対応せざるを得ない事態となった。

    共通テスト「理科」の実施後の評価、検証

    上に示したような「事件」が頻発する中で行われた共通テストは、実施後どのような評価を受けているだろうか。「理科」について考察する。

    共通テストは、「独立行政法人大学入試センター」から示された「大学入学共通テストの概要」や「大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト問題作成方針」に沿った出題であった。具体的には、「知識の理解の質を問う問題や、思考力、判断力、表現力を発揮して解くことが求められる問題を重視し、社会生活や日常生活の中から課題を発見し解決方法を構想する場面、資料やデータ等を基に考察する場面など、学習の過程を意識した問題の場面設定を重視」するとしていた。各科目では思考型といえる良問もあれば、単なる暗記再生型の問題もあり、種々雑多で差が大きい状況であった。

    理科(具体的に「生物」と「化学」)では、まじめに取り組んできた受験生が浮かばれない状況も見受けられた。「生物」は、極めて平易で、深い学びが成立していなくても高得点が得られていた。高得点が得られているので、受験生からの苦情は特に聞こえてこないが、思考型問題と言えるのか疑問視する声があったのも事実である。一方、「化学」は、本質的な良問、奇をてらったような問題の双方が見受けられた。特に、教科書には記載の見られない出題(第5問、問2)、化学を題材にしていながらも結果的には中学校数学の問題になっている出題(第4問、問5)等が見受けられた。問題文をよく読めば、答えられると言えばそれまでだが、学校や受験生、受験関係者、教科書会社に間違ったメッセージが伝わると、その影響は計り知れない。教科書改訂の時期だけに、ただでさえ分厚い教科書が、さらに厚くなってしまうのではないかと危惧するところである。新学習指導要領では、資質・能力の育成を目指し、学問本来の本質を捉え、思考を深めることが求められ、それに応える出題が求められよう。

    また、理科での科目間の出題調整等の検討がなされていたとは考えづらい。「生物」では数量的な扱いやグラフを読み取る出題はあったものの平易であった。「化学」では共通テストの趣旨にしっかりと沿っているが、出題に無理が生じ、一瞬で解けてしまう問題もあれば、みかけだけ思考型の問題もあり、慣れない現役生は得点を落とす結果となった。

    また、高校の受け止めとして、いわゆる学力上位校の地頭の良い受験生にはプラスに作用したが、いわゆる学力中堅校等の生徒、単なる知識再生、ドリル的なトレーニングを重視した受験対策パターン練習を重視するタイプの生徒は苦戦したのではないかとの見方があった。国が目指す「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善がしっかり実現でき、生徒が力を付けていれば対応は可能であったとの見解であった。

    今後に向けて~持続可能性の視点から~

    そもそも近年のセンター試験では、例えば、教科書で見慣れている2次元の図を3次元的に表現して思考させる、本質的かつ工夫した出題がされるなど、問題自体が授業改善に示唆を与えるような、いわゆる練られた思考型問題が作成されていた。また、共通テスト試行テストは、思考型試験の実現に向けて、さらに多くの工夫が感じられた。しかし共通テスト本試験と進むにつれ、作問の限界を感じざるを得ない結果となった。

    国が目指す趣旨に基づき、マークシート方式という条件で水準を担保しながら問題作成し続ける困難さは、極まっているのではないか。マークシート方式で思考力を問う問題の作成は、果たして持続可能なのだろうか。常に新規性に富んだ思考型の問題を提供し続けるには率直に限界を感じる。関係者の想像を絶する努力により思考型の問題を作成したところで、すぐに各予備校等がこぞって対応を考え、対策問題を作成してくる。まさにイタチごっこなのだ。それに高等学校も受験生も試験対策に終始しては、本来の趣旨から大きくずれる。思考型問題もパターン化された知識再生問題へと変化していく。この循環では、共通テストを導入した趣旨が損なわれるのは目に見えている。

    諸外国では、国家の維持・繁栄のために、極めて丁寧な大学入試が実施されている。受験生の知識だけではない能力を見据えるために記述型試験を行っている国も多い。

    我が国の未来を託す受験生が向き合う妥当な思考型テストとは何か、さらなる真摯な議論が求められよう。

    16歳からの大学論 「ほんとうの学び」とは何か

    京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
    宮野 公樹 先生
    ~Profile~
    1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

    考えるほどに、「学び」、または、その動詞「学ぶ」という言葉は、我々にとって非常に身近に思えます。本記事を読まれているみなさんには高等学校関係の方々も多くおられることから、「学び」と聞いて直ちに想起する「勉強」や「学習」と言った、自分の外に既に在る情報、知識を身につけるという営みの他、失敗も含めたあらゆる経験から学ぶというフレーズに代表されるような、自己の成長、成熟に資する営みも決して外すことはできません。そうすると、生きていることすべてが「学び」、と言いたくなります。

    ところで、「学び」は目的とセットです。先に述べた「勉強」や「学習」においては、明確にその目的が設定されています、試験への合格や、英語等の第二言語の習得と言ったように。さらに思索を進めるなら、その試験への合格や言語習得は何のためか?という問いを立てることも可能でしょう。その場合、希望する大学の入学や資格取得による、自身の人生の充実、となるでしょうか。そうすると、先にあげた勉強や学習とは異なるもう一つの学び、「生きることすべてが学び」という目的に接続されることになります。つまり、「生きること=学び」の(究極の)目的は、自分の人生の充実、としていいのではないかと。

    では、さらに問います。「人生」とは何のことを意味するでしょうか。「充実」とは何がどうなったら充実なのでしょうか。もとより、「自分」とは何でしょうか。

    手元の辞書によると、人生とは、その文字の通り、人がこの世を生きていくことですが、「生きていく」ということをまず問う必要があるように思います。「充実」も「自分(=人)」もそもそも「生きている」からこそであって「生」について考えることが何もかもの根本、土台にあるのは間違いないことですから。

    ここで我々の心情に敏感になるなら、直前の段落で使用した「生きていく」と「生きている」、そして「生」という三語は、それぞれの意味合いがかなり違うことに気づきます。「生きていく」とは、何やら食っていくこと、生存についての営み。「生きている」とは、何やら気づいたら「自分」というものが「この世」に存在しているという感覚、そして、「生」とは、そうして存在していることです。つまり、「生きていく」のも「生きている」のも、存在(=生)しているからのことであり、そう考えるなら、人生も、充実も、自分も、存在しているから存在している、となります。

    在るから、在る。同語反復でしか表現できないこの悲しい到達が終点です。当たり前すぎるこの一文は、何も言ってることになっていません。もはや目的が消滅しているのです。もちろん、なぜ存在が存在しているかという問いは立てることができますが、究極的には、それは一度、脱存在、あるいは非存在になってみないと分かりえないことですから。

    ほんとうの学びとは何か。そういうタイトルで筆を進めましたが、私には上記のような「存在」に触れるような思索、思いを巡らす営みが「ほんとうの学び」であるように思えてしかたありません。しいて言うならそれは目的を持たない学び。答えなどなく、その思考を、具体と抽象、個別と全体の間で往来させるしかないような考えのことです*。このような「学び」よりも根本に位置する学びはなく、そういう意味で、学びの本質と言えるのです。

    他方で、世間を見渡せば、なんと(具体的な)目的を持った方の「学び」の方が多いことか。何かを獲得する、身に付けるといった学びは狭義なもので、ある意味で枝葉でしかなく、より根本にある「ほんとうの学び」を扱った方が断然我々の暮らし(人生)に影響を及ぼすのはいうまでもないことなのに。受験勉強や、業績向上のための学びを否定しているわけではありませんが「ほんとうの学び」もまた忘れず意識することが、より我々の生を味わい深いものにすることでしょう、人生に答えなどないのは当たり前のことなのですから。

    *参考:拙書「問いの立て方」(ちくま新書)の第ニ章「いい問いにする方法」

    デジタル化で見えてきた、新しい大学選び コロナ禍を経てどう変わる?学び方、専門分野、働き方

    村上 正行 先生大阪大学全学教育推進機構教育学習支援部・教授 村上 正行 先生
    ~Profile~
    1997年京都大学総合人間学部卒業、1999年同大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了、2002年同大学大学院情報学研究科知能情報学専攻博士課程指導認定退学。博士(情報学)(2005年9月)。2002年4月より京都外国語大学外国語学部講師、マルチメディア教育研究センター講師、准教授、教授などを経て、2019年4月より現職。専門は教育工学・大学教育学。大阪府立天王寺高等学校出身。
    金丸 敏幸 先生京都大学国際高等教育院・准教授 金丸 敏幸 先生
    ~Profile~
    京都大学博士(人間・環境学)。専門は、外国語教育(英語・日本語)、理論言語学(認知言語学・コーパス言語学)。コーパスやICTを活用した言語研究や言語教育に関する教育研究に従事。2015年度に「国際言語実践教育システム(GORILLA)」を開発、翌2016年度より京都大学の全学共通科目英語において、統一シラバスの下、GORILLAによるe-Learningを活用したカリキュラムの実施運営に携わる。大分県立大分上野丘高校出身。

    2000年代に入り、社会の変化が加速する中、数年先も見通せない時代が到来し、大学のあり方も見直されるべき時期が来ていた。その最中に2020年に始まった新型コロナウィルス感染症の拡大によって大学教育へ向けられる関心はさらに高まっている。とくに、十分な準備期間がない中で始まった大学の授業のデジタル化は、授業の質や課題の量に対する不満に加えて、施設や設備が使えないといった不便さとも重なり、マスコミなどでも度々取り上げられる問題となった。こうした中、大学を選ぶ側としてはどのような視点を持つべきなのか。教育工学がご専門で大学におけるICTを活用した授業、大学教育の改善に取り組まれている村上正行先生と、言語教育に自然言語処理など工学からのアプローチを取り入れ、グローバル化に対応した英語カリキュラム運営を行っている金丸敏幸先生にお話をうかがった。

    大学教育の現場で、学び方の多様化が始まった

    村上先生:コロナ禍で顕著な変化といえば、やはり学び方の多様化である。感染拡大防止のために大学生がキャンパスに集まることが難しくなり、一気に教育のデジタル化が進んだ。

    まだまだ検証の余地はあるが、この1年間で大学生の学力が向上したという調査結果もある。学習時間の増加、アルバイトに追われない生活、自分にあった学び方の構築、教える側の創意工夫などがその要因と考えられる。もっともアルバイトに関しては、減ったことで生活が苦しくなり、退学を余儀なくされるケースもあるので、多面的な検証は必要である。いずれにせよ教育の質やスタイルが多様化した一年とも言える。

    教育のデジタル化には2種類ある。オンラインで時間割通りに実施されるリアルタイム形式と、事前に録画された動画を学生が自分の都合に合わせて視聴するオンデマンド形式である。

    基礎学力が高く独学が向いている学生と、理解力に不安がある学生とでは適切な学び方も変わってくる。例えば、基礎学力が高い学生はオンデマンドの授業を早送りで視聴したり、分からなかったところを見直したりして学び、本やWebサイトの関連資料などを読むことで効率的に学びを進めることができる。理解力に不安がある学生には教員や周囲に質問したり、助けを求めたりしやすくなるような環境が重要となる。

    どのような学び方が自分に合っているのかを考えた上で、各大学がどれくらいオンデマンド形式を取り入れているのか、対面授業を重視しているのかなどを確認することをお勧めする。

    ――ちなみに京都大学では2021年度は対面授業へ戻す方針、大阪大学では対面授業を取り入れる方針とニュアンスが微妙に異なる(2021年3月現在)。また、地域や大学の規模によってもばらつきがある。関東の大学はオンライン授業を継続する傾向がある一方で、関西や小規模大学では対面授業に戻す傾向がある。

    どうなる?人気の専門分野

    金丸先生:近年、大学は“グローバル”というキーワードで学生を集めてきたが、今は大きな転換期を迎えている。新型コロナウィルスの発生によって旅行や留学が自由にできない状況になっているからである。また、人気があった旅行業界や航空業界への就職を目指しても、いつ求人状況が改善するかもわからず、就職に苦労することが予想される。

    村上先生:留学が卒業に必須の大学では、留学できない学生のためにオンライン留学などの代替手段が用意された。しかし、これで学生が満足できるかどうかは難しいところがある。海外留学の価値を改めて考えてみると、海外で暮らすことによってサバイバル能力が向上する、視野が広がる、リーダーシップを身につける、多様な価値観に触れるなど、数値化しにくい要素がある。留学できない時代にこそ学生は「なんのために留学するのか?」という目的意識が必要となる。語学を学ぶだけであれば国内でもある程度可能である。自動翻訳機能やAI(人工知能)の発達で外国語の読み書き能力そのものの希少価値は下がってくることも念頭におく必要がある。一方で、海外生活で得られるサバイバル能力やリーダーシップなどは労働市場においては今後も必要とされる能力である。また留学というと欧米が人気だが、今後の経済情勢を考えると東南アジアの重要度がますます高まるだろう。

    金丸先生:コロナ後のアジア圏への留学は欧米圏より早く解禁される可能性がある。中国などアジア圏からの留学生はアメリカへの留学が難しくなり、日本への留学が増えている。そのため自ら留学しなくても、国内で留学生との交流によって能力を高めることも可能となっている。これまでの常識に捉われず「留学」の価値について考える良い機会と言える。

    村上先生:近年、受験生に人気なのはAI(人工知能)を含む情報科学分野である。これらの技術の発展は近年目覚ましく、実用化、産業化の道筋が見えている。そのため、この分野の人材は企業からのニーズも高く、優秀な学生が集まる分野となっている。数学やプログラミングに自信があり、この分野に進みたい人にとっては朗報だ。

    金丸先生:今後は、その分野に精通していなくても、これらの技術を理解した上で技術や人材を使いこなすマネジメント能力や、プロジェクトを推進するためのリーダーシップを持つ人材も求められている。多様な人材をまとめあげられるグローバル人材は引き続き必要とされる。

    村上先生:外国語学習は一概に不要になるわけではない。さまざまな分野の専門書が近年日本語に翻訳されないケースも出てきていて、道具としての英語の必要性は増している。語学を「道具」として、今発展している産業にどう貢献できるかを広く考えることが今後のキャリアを考えるポイントとなる。

    働き方という視点で学びを考える 将来は海外で働くか? 日本で働くか?

    ――GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazonなどの巨大IT企業)の台頭からも分かるように、産業はもの作りからICTへと急速に移行している。これまでなかった市場を見つけ、ICT技術を用いて課題を解決することにより、巨額の利益を生む世界的な企業が生まれている。

    村上先生:研究者もビジネスパーソンも海外で働く方が、待遇面から考えると働きやすい。与えられる権限も大きいのではないか。その際、求められるのは論理的思考、主体性、リーダーシップ等だ。対して、このような人材は日本企業では働きにくい、活躍しにくい環境にあったと言え、この改善は望まれるところである。

    金丸先生:これからは一口に国際人といっても、グローバル人材(世界全体を見る人)とインターナショナル人材(日本から他国を見る人)の違いを意識する必要があるかもしれない。世界で活躍できる人物になりたいのか、日本で必要とされる人物になりたいのか。ただし、後者が50年後まで生き残れるかどうかは大いに疑問が残る。

    高校生へのメッセージ

    村上先生:できる人については、国内はもちろん、海外の大学や環境を見るなど、まず自由にやってみて欲しい。それが難しい人は、中学や高校で基本的な知識を身につけると効率が良い。知識を習得して人脈を広げていくと選択肢が広がるので、その後に型を外す、いわば守破離の精神で行くことを意識したらどうだろうか。

    金丸先生:留学が難しい現状を考えると、今できる範囲で地に足のついた進路選択をして欲しい。ただし、将来を見据えてグローバル、インターナショナル、ドメスティック(国内)の視点の違いを意識しておくことが重要だと思う。

    2021年度入試を振り返る 入試改革を先導した私立大学の入試結果は?

    高大接続改革による最初の入試となった2021年度入試。 実施面では新型コロナ感染症対策に追われ、受験生にはもちろん、試験を実施する大学にとっても 厳しい入試だったと言えるが、多くの私立大学は従来通りの枠組みで入試を行った。 高大接続の理念に沿って果敢に入試改革を行った代表格は、早稲田大学、上智大学、青山学院大学、立教大学だろう。 これら入試改革を先導した大学の入試はどのような結果だったのか。 早稲田大学の事例を参考に、上智大学、青山学院大学、立教大学の入試結果を振り返った。 なお、青山学院大学は阪本浩学長に、立教大学は石川淳統括副総長に総括していただいた。

    早稲田大学は複数学部で改革

    早稲田大学は政治経済学部の入試改革が注目されるが、ほぼ全ての学部が何らかの入試制度改革を行っている。国際教養学部、スポーツ科学部も一般選抜では、大学入学共通テスト(以下、共通テスト)が全員必須だ。それでも、政治経済学部が注目されるのは、一般選抜で数学(数学Ⅰ・数学A)を必須受験としたからである。入試方式は、共通テスト5教科6科目(数学Ⅰ・数学A、数学Ⅱ・数学B必須)の成績で合否判定する共通テスト利用入試と、共通テストで4科目(数学Ⅰ・数学A必須)を受験した上で大学が独自に実施する総合問題が課される一般選抜の2方式である。総合問題は日英両言語の長文読解で一部は論述式、英作文もある。

    従来の私大文系入試は英・国・地歴公民もしくは数学の3教科型が基本である。そして、多くの受験生は数学を選択受験しない。大学入学後の学修に数学の素養が必要だとしても、である。これは長らく大学と受験生との間にあった暗黙のルールでもあった。政治経済学部の入試改革はここに一石を投じた。経済学を学ぶ上で数学が必要なことは自明であり、また現代の政治学を学ぶ上で数的データ活用は必須である。新しい入試制度は、入学後の学修に必要な素養を入試で問うという当然のことを行ったのだが、志願者減が話題にされることもあった。ただ定員も減っているため(一般選抜:450名→300名、共通テスト利用入試:75名→50名)、一概には言えないというのが大筋の見方だ。

    上智大学

    上智大学は初めて共通テストを導入

    上智大学の入試改革のポイントは共通テストの導入である。上智大学は主要な私立大学としては、大学入試センター試験を利用していない大学の一つだった。しかし、2021年度入試の一般選抜では、①TEAPスコア利用型(TEAPスコアと学部学科試験の合計点で合否判定、一部の学科は面接も課す)、②共通テスト併用型(共通テストと学部学科試験の合計点で合否判定)、③共通テスト利用型(共通テストの成績のみで合否判定)の3方式で実施され、ほぼ全面的に共通テストを導入した。なお、②、③の方式は外国語の検定試験結果を任意提出でき、加点あるいはみなし得点化の措置もある。

    こうした入試改革に踏み切った背景には、グローバル化する社会の変化とそこで求められる人材像の変化がある。また、初中等学校における教育も変わりつつあり、探究的な学びを実践する高校も増えている。こうした状況に対して、大学としてどう対応するか、議論を重ねた末、学力の3要素を適切に評価する入試制度改革に至った。また、そこでの考え方は文部科学省が進める高大接続改革の理念とも符合した。この他、共通テストを導入することで問題作成など実務面での効率化、合理化も期待されていた。上智大学入学センター事務長飯塚淳氏は「共通テストを初めて実施する負担は大きな課題でした。しかし、共通テスト導入によって得られる成果がそれを上回るという結論になりました」と導入の経緯を語る。

    3方式の入試が持つそれぞれの特徴

    新しい3つの入試方式には、それぞれ異なる特徴がある。①TEAPスコア利用型は、共通テストは課されないが、事前にTEAPの受験が必要だ。試験当日は1〜2教科を受験する。この方式は従来型の教科・科目型の試験のため、受験生にとっては対策が立てやすかったと思われる。

    ②共通テスト併用型は、基礎学力を共通テストの3教科で確認し、学部学科独自の試験で適性を見る方式で、記述式の問題も含まれている。独自試験の問題は、高校での探究活動等で培った思考力を問うことに加え、各学部学科への適性を問う役割もある。また、試験当日に受験する教科数が少ないことから、午前と午後で別々に行われる他学部の併願が1日で可能なシステムになっていることも特徴の一つだ。「試験日が午前に総合グローバル学部、午後に外国語学部の日は、3割ぐらいは続けて受験していました」(飯塚氏)と従来よりも併願がし易かったようだ。ただ、感染症対策のため「午前で使用した教室は、午後は使用しないように教室を配当しています」(飯塚氏)と実施面では苦労も多かったと見られる。

    この共通テスト併用型は、志願者数の面から見ると受験生からは敬遠されたようだ。「各学問分野に意欲ある受験生にチャレンジしていただく意図でしたが、出題内容に不安を感じた受験生が多かったようです」(飯塚氏)とのことだ。なお、午前・午後入試は中高受験では一般的な試験日程だが、今後は試験日が重複することを避けるために、他大学でも取り入れられる可能性もあるだろう。

    ③共通テスト利用型は4教科受験のため、文系でも数学が、理系でも国語が課されている。主に国公立大学志望で各教科を幅広く学んでいるオールラウンダーの受験生向けの方式だ。「文系でも数学を課すことは、志願者数の減少につながりますが、今後全学でデータサイエンスの授業が必須となりますので、カリキュラムポリシーとは整合します」(飯塚氏)。また、上智大学は学外会場を設けていないこともあり、首都圏以外の地域からの志願者が多いことを想定していたが、「他の2方式の志願者は1都3県が8割を超えているのですが、共通テスト利用型は3割以上が首都圏以外の地域からです。学生の多様性を図る意味でも全国から出願いただいて良かったと思います。コロナ禍で大学に受験に来る必要がなかったことも影響したかも知れません」(飯塚氏)と想定通りだったようだ。

    タイプの異なる3方式からどれを選ぶか

    入試改革を行った初年度の入試としては、大きな混乱もなく終えたことから、一先ずは成功だった言って良いだろう。ただ、延べ志願者数は増加したものの実志願者数は減少したことに加え、入試方式の変更により合格者の入学手続率も従来とは大きく変わってしまったため、補欠合格者の繰り上げ人数も例年以上だった。さらに、一部の方式で記述式が導入されたため、採点の負荷と公平な採点という課題があり、今後も向き合い続ける必要がある。このように一部に課題は残るが、飯塚氏は「基礎的な学力は共通テストで見る方式がメインですので特別な勉強は必要ありません。大学で目的を持って学ぶ志の高い受験生を歓迎する方式を用意して待っています」と話し、タイプの異なる3方式から選べることをポイントとしてあげる。受験生は、それぞれの準備状況に合わせてどのタイプを選ぶのか、今後、公開される合格最低点、倍率などの情報も確認しながら対策を練ることになるだろう。

    青山学院大学

    阪本浩学長に聞く2021年度入試結果

    志願者数は減少したが学部独自試験を軸にした入試改革には手応えも 改革のポイントは学部独自試験

    青山学院大学は2021年度入試の一般選抜で「個別学部日程」、「全学部日程」、「大学入学共通テスト利用入学者選抜」の3方式で選抜を実施しました。中でもポイントとなるのは「個別学部日程」です。多くの学部では、大学入学共通テスト(以下、共通テスト)と各学部の独自試験の組み合わせによって選抜する方式を導入しました。

    また、独自試験は特定の教科・科目に依らない複数の教科で構成された「総合問題」や「論述」で実施され、解答方法も記述・論述式が中心です。特定の教科・科目の試験を行う学部もありますが、解答方法は記述・論述式が含まれています。独自問題の出題方針は、各学部のアドミッションポリシー(AP)に基づいているため、学部によっては英語・資格検定試験のスコアを活用するなど、まさにそれぞれのAPに基づいた入学者選抜です。なお、記述・論述式にしているのは、受験生一人ひとりの確かな知識・技能に基づく思考力・判断力・表現力を丁寧に評価すべきだと考えているからです。

    初中等教育の改革とも連動

    今回の改革の背景には、文部科学省が進める高大接続システム改革があります。2025年度入試からは新学習指導要領で学習した高校生が大学入試に挑みます。初中等教育が、思考力・判断力・表現力を重視した教育に転換し、これからの日本を担う若者たちを育てていこうという改革の理念に共感し、改革を決意しました。

    一方で、こうした改革に対して、中央教育審議会答申 注)でも、現在の知識偏重の大学入試が阻害要因になっているのではないかとの指摘がありました。高校以下の学校教育とともに大学入試も変わらなければなりません。現に国立大学は、共通テストと個別試験を組み合わせた入学者選抜を行っており、国立大学の個別試験は90%近くが記述・論述式問題を出題しているという調査結果もあります。

    ただ、全てを一気に変えるのは、受験生の準備状況なども含め、難しい課題もあります。そのため、改革初年度は移行期間と考え、従来型のいわゆる私大3教科型方式も併用しています。

    注)平成26年12月22日中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」

    志願者の減少はある程度想定

    初年度は結果として「個別学部日程」の志願者数が減少しましたが、改革を決めた時からある程度の減少は覚悟していました。その理由として、一つは共通テストと組み合わせた方式であることです。初めて実施される共通テストは受験生にとって未知のテストです。受験生が不安に思うのは当然です。さらにもう一つは、学部独自試験として記述・論述式問題を出題したことです。私立大学で、従来型の試験とは異なる試験をここまで大規模に展開している大学は他に例を見ません。

    予想外だったのは新型コロナ感染症の拡大です。これによって受験生はさらに慎重な出願行動を取り、特に首都圏以外の地域からの出願が減少しました。そのため予想を上回る志願者数減少となったと考えています。ただ、私立大学全体の志願者数が減少しているにも関わらず、「全学部日程」では前年比107%と増加しています。

    各学部がより主体的に選抜に関わる

    改革を実施して良かったことは、高校によっては記述・論述式問題を高く評価してくれたことです。従来から主体的・対話的・深い学びを実践している高校からは、修得した力をそのまま発揮すれば良いので特別な対策が不要な出題形式だと受け止めていただきました。また、学内では学部独自問題としたことで、各学部の先生方がこれまで以上に入学者選抜に深く関わることとなりました。総合問題、記述・論述式問題は従来よりも多くの作問者、採点者が必要です。これまで以上に多くの先生方が入学者選抜に深く関わり、自分たちが求める受験生像について、これまで以上に真剣に議論しました。記述・論述式ですので、採点の際には公平公正な採点ができているか厳重にチェックをしています。学部によっては採点作業がこれまで以上に長時間に及びました。

    学部独自試験の内容は、言わば受験生に対するメッセージです。そして、受験生が作り上げた答案は、そのメッセージへの回答です。改革初年度は課題も残りましたが、今後、私たちが反省すべき点があれば、受験生の視点で改善していきたいと考えています。

    個性を伸ばせる大学を選んで欲しい

    これからも入学者選抜に込めた大学の意図を、受験生により明確に理解してもらえるように努力を続けていきたいと思います。そして、受験生が大学を選ぶ際には、入試難易度ランキングや偏差値に依らないで、学びの内容、取得資格、将来どのような道に進めるのか、などを自分の目で見てよく考えて欲しいと思います。自分の個性を本当に伸ばせるのはどの大学なのか、という視点で選んで欲しい。結果として、それが本学であればこんなに嬉しいことはありません。理想論ではなく、現実にそうなることを目指して、私たちはチャレンジを続けていきます。

    立教大学

    統括副総長石川淳教授に聞く2021年度入試結果

    教育改革が入試改革の契機、受験機会の拡大で志願者数も増加 外部試験の全面導入と受験機会の拡大

    立教大学の2021年度入試における改革のポイントの一つは、英語資格・検定試験(以下、検定試験)と大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の全面的な導入です。文学部の一部の試験を除き、大学独自の英語試験を廃止し、指定された検定試験のスコアまたは共通テストの英語成績を合否判定に利用します。複数のスコアで出願した場合は、最も高得点に換算されたスコアが合否判定に採用され、試験の種類による有利、不利はありません。

    もう一つのポイントは受験機会の拡大です。東日本では初めて、原則、全学部が同じ日程・制度で受験できる「全日程全学部日程」を実施しました。本学の教育理念やカリキュラムに賛同し、本学で学びたいという熱意を持つ受験生に対して、できるだけ門戸を広げたいと考え、同じ学科の受験機会をこれまでの最大2回から5回にまで拡充しました。試験日が異なれば違う学科を併願することも可能です。

    英語教育のカリキュラム改革が背景に

    今回の改革に至った背景には教育改革があります。グローバル教育を支える「英語の立教」の教育をさらに充実させるため、本学では英語教育のカリキュラム改革を実施しました。そのため、入試段階でも英語4技能をしっかりと測定し、カリキュラム改革がより効果的に機能することを目指しました。

    従来からあった少人数クラスの科目「英語ディスカッション」に加え、新たな科目「英語ディベート」を設置し、さらに、自らの専門科目を英語で学ぶ「CLIL(内容言語統合型学習)」科目を設置するなど、“英語で学ぶ”ための言語教育の体系を整えました。こうしたカリキュラムを理解した上で、立教大学で学ぶ意欲と能力のある入学者を得るためには必要な入試改革でした。

    新しい入試制度が広く理解され志願者増加

    実際に志願者数が増えたことは、それが目的だった訳ではありませんが、大変有り難いと思います。増加の理由としては、想定していた以上に検定試験のスコアを持つ受験生が多かったことがあげられます。本学は、もともと受験生の首都圏比率が高いのですが、首都圏は検定試験のスコアを持つ高校生が多いことも影響しています。こうしたグローバルな関心を持つ層が、我々の教育改革に呼応してくれたこと、新しい入試制度がそれにマッチしていたことなどがあったのでしょう。志願者ベースで見ると、検定試験のスコアと共通テストの英語成績の両方で出願した受験生が70%、共通テストの英語成績のみは24%、検定試験のスコアのみは6%です。この数字から、受験生は本学の入試制度を完全に理解して出願してくれたことが分かります。

    また、受験機会が増えたため、一人当たりの併願件数は1.98件から2.25件に増えています。この結果は、立教大学で学びたいという強いマインドを持った受験生が、併願の機会を生かして受験してくれたと捉えています。

    多様性と多元的な視点が重要

    新しい入試制度による新入生については、まだ授業が始まったばかりで詳しいことは分かりませんが、これまでの実績から、英語4技能を重視した入試での入学者は、グローバル志向も強く、留学希望者も多いという特徴があります。そのため、同じような傾向が現れるのか、これからの学生の成長が楽しみです。

    また、志願者ベースでは首都圏比率が従来よりもやや上がりましたが、これは課題の一つです。グローバル教育を展開する上では学生の多様性は大切です。その根底にあるのは、多元的なものの見方の重要性です。そのため、出身地一つを取っても多様な方が望ましいでしょう。ただし、それは国内に限ったことではありません。今後は海外からより多くの学生を受け入れられるよう、カリキュラム改革とそれに伴う入試改革を検討していく必要があると思います。キャンパスには出身、年齢、性別など多様な学生がいて、お互いに刺激し合うのが理想の姿です。我々はそれに向けてこれからも着実に改革を進めていきます。

    今、まさに我々は、これまで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないということを経験しています。日本の常識が世界の常識ではないことはたくさんあります。これからの社会では、そういう多元的な視点を持つことが極めて重要です。加えて、今回の新型コロナ感染症に見られるように、ある特定の課題が、社会や人々に影響を及ぼす要因は複雑で、単純な方法では解決できません。しかし、我々は複雑な課題を複雑に受け止めて、それでもなお、諦めずに取り組み、前に進まなくてはなりません。そうした課題に立ち向かう意欲のある受験生に本学を目指してもらいたいと思います。我々はその意欲に応えるカリキュラムを用意して待っています。

    東京都市大学の新ファンクションカリキュラム『ひらめき・こと・もの・ひと』づくりプログラムとは?ゲームチェンジ時代を見据えた、新たなものづくり教育が始まる

    1929年の開設以来、日本の経済発展の基盤となる製造業を支える堅実な技術者を輩出し続けてきた武蔵工業大学。2009年の大規模な改革によって東京都市大学に名称変更してからは「都市研究の総合大学」を目指す大学として、文理融合や学際領域への展開も加速している。近年の産業界ではスーパーシティやSociety5.0などのコンセプトが提唱され、ゲームチェンジ(革新的な技術による従来の産業構造からの変革)の予感が広がっているが、2021年度、東京都市大学はそうした時代の要求にいち早く応えた新ファンクション(機能)カリキュラムを導入した。

    プロジェクト名は、「ゲームチェンジ時代の製造業を切り開く『ひらめき・こと・もの・ひと』づくりプログラム」。これまでのものづくり教育の抜本的改革を目指すカリキュラムとして、文部科学省の「知識集約型社会を支える人材育成事業」にも採択された。今年度はパイロット的に理工学部3学科(機械工学科・機械システム工学科・電気電子通信工学科)でスタート、今後は、理工学部全7学科に拡大し、2024年には全学7学部17学科での展開を目指す。

    本年度の3学科におけるカリキュラムは、まず、主軸となる専門科目においても機械から電気までの3学科を横断して履修できるという特徴を持つ。「ものづくり」における専門技術を固めながらも分野を融合した知見を拡げることができるということだ。「ひらめきづくり」という授業科目では、スタートアップベンチャーの事例を学んだり、STEAM型のアクティブ・ラーニングを重ね、デザイン思考のアイデア脳をどんどん磨いていく。「ことづくり」という授業科目では、ものごと(物語)や流行を生み出す基礎知識として、社会の構成要素を整理したりSDGsの思考も身につけながら、近未来のシナリオを学んでいく。いずれも単発的な授業ではなく、1年次から4年次まで連続的に行うもので、高校での探究活動が、毎週の授業として高度かつ総合的にプログラムされていると考えるとイメージしやすい。「ひとづくり」授業科目群には、複合的な社会課題を解決するための統合的な学びによる教養教育や技術者倫理の育成、さらにグローバル社会に対応するための英語教育も含まれる。

    また、こうした4つのカテゴリーに「AI・ビッグデータ・数理・データサイエンス」の科目群が充実して並走しているのが理工系大学ならではと言える。様々な知識・情報・アイデア・仮説などを理論的にまとめていくための分析力や、予測を組み立てるデータ技術の修得もカリキュラムとしてセットされているのだ。

    工学教育ではこれまでも様々な改革が行われてきた。教育の質を国際的に保つためのJABEE(Japan Accreditation Board for Engineering Education: 一般社団法人日本技術者教育認定機構)に始まり、専門のより一層の深化を狙って大学院修士課程まで一貫して学ぶ6年一貫制、そして近年は、分野横断、学際融合などのキーワードの下、学部教育の大くくり化、あるいはレイト・スぺシャライゼーション(1,2年次に幅広い一般教養科目を履修し、自分の適性を見極めたうえで進学する)を促すためのカリキュラム改革も進む。都市大でもこれらの取り組みを行ってきたが、このプログラムは、従来の大学教育の枠組みをさらに超えた取り組みとして注目される。

    工業大学からスタートし、学校法人が東急グループの系譜である東京都市大学。各学科は学生のベストケア体制を重視した定員規模で構成され、独自の校風と、改革を実現しやすい土壌を育んできた。今回の新ファンクション(機能)カリキュラムは、工学教育に留まらず大学教育のゲームチェンジのためのプロトタイプとして注目される。

    雑賀恵子の書評 言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか 今井むつみ 秋田喜美 中公新書

    雑賀 恵子 さん
    ~Profile~
    京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

    日常ぼうっとしているような時でも「お腹が空いたな」とか考えているものだし、「先週食べた焼肉は美味しかったな」とか思い出したりする。わたしたちは、自分と自分以外のものとの関係を言語によって繋いでいる。また、言語があることで、過ぎ去ったことや未来のこと、ここにないものや抽象的なものを考えることができる。思考するとは言語で世界を切り取って区切り、形づくっていくことだ。そして言語による思考は、その言語を理解する他者に伝達できる。だから、社会を作り、文化を作って、それを発展させることができる。言語は人間を人間たらしめるもののひとつだ。まだ言語を持たない赤ん坊は、自己と世界をどのように捉えているのか、わからない。子どもは、どうやって言語を身につけていくのだろうか。

    当たり前のように使っている言語というものを改めて考えてみると(考えるということも言語があるからなのだが)実に不思議で面白い。言語とは、なんだろう。

    本書は、オノマトペを手掛かりに言語とはなにかを探る。そして子供の言語習得の過程をオノマトペとアブダクション(仮説形成)推論に軸をおいて分析しながら言語の成り立ちや構造を考察し、さらには言語が体系に成長していくことを見通す。とりかかりの根底にあるのは、認知科学やAI研究での大きな課題である「記号接地問題」だ。言語体系にある記号(たとえば「りんご」という文字や音)がどのようにして現実世界の対象、意味と結び付けられるのかという問題である。ことばを使うために身体経験が必要かどうか、ということから、感覚イメージを写しとるオノマトペの「アイコン性」を取り上げ読み解いていく。オノマトペを言語の10種類の特性(言語学でスタンダードとして論じられる十大原則)と照らし合わせるとほぼ言語であると言えるのであるが、言語の特性からはみ出たところは、身体と抽象的な記号体系である言語との間を埋めるものと考えられる。

    著者の今井むつみさんの専門は認知科学・言語心理学・発達心理学、もうひとりの秋田喜美さんは認知・心理言語学。認知科学と言語学が合わさって、オノマトペを手掛かりに言語を探求する手法は、新鮮で実におもしろい。著者たちは、オノマトペを分析しながら次々と湧いてくる問いと格闘し、きり捌いていく。そしてついには言語の発生までたどられ、人間がどのように進化していったのか、人間というものについてまで展開される。最後に、著者たちは、独自の言語の本質的特徴を7つに絞って提唱する。

    日常何気なく使い、あたりまえのように受け取っている音の「感じ」がこれほどまで深く掘り進められるのは驚きでもある。本書を読みながら、読者もまた、いろいろな方向に知的興味が喚起されるだろう。わくわくするような冒険に誘うスリリングな書である。

    京都大学が動画コンテンツを一元的に表示するポータルサイト、KyotoU Channelを開設

    コロナ禍で加速した大学DX。少し以前から大学では、動画コンテンツの充実が図られていて、それがDXの加速の一翼を担っていることは間違いない。コンテンツには大学広報全般から受験生に向けた広告宣伝を目的にしたものを中心に様々あるが、コロナ禍を経て、今やおびただしい数の動画コンテンツが全国の大学サイトを埋める。かつては広告宣伝には地味、と言われてきた国立大学においても例外ではない。

    こうした中、京都大学は11月1日から、京都大学の動画コンテンツを一元的に表示するポータルサイト、KyotoU Channelを開設した。京都大学公式YouTubeチャンネルのほか、学部・大学院などのYouTubeチャンネルの動画約4,000本(2023年11月1日時点)のリンクを一元的に表示する。

    既存のシリーズ動画に加えて、新たに月間特集を組むほか、新シリーズとして「京大先生、質問です!」を月1本のペースで配信する。これまでの人気動画やおすすめ動画なども検索しやすくなる。また2005年にスタートした京都大学オープンコースウェア(OCW)の動画にもアクセスできる。京都大学ではこれを期に、研究者や学生をもっと身近に感じてもらい、これまで以上に京大の知を社会に還元していきたいとしている。

    杜の都の西北から 第3回 やはり大切なのはGRIT(グリット)

    (学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌厚(やすひろ)さん
    ~Profile~
    1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

    高大接続改革等の進展を背景に、一斉に客観的な知識を問う従来型の大学入試は、いまや多様な入試形式の一部にすぎなくなった。代わって、個々の大学が独自のアプローチにより受験生の意欲や学びに向かう姿勢などを多面的に評価する新たな入試が拡がっている。かつて画一的だった大学入試は、多様性と柔軟性を重視する方向に着実に進化している。

    これからの大学は、高等学校とも連携し、受験生一人ひとりの能力・適性をきめ細かく見極め、入学後の伸びシロも展望し丁寧に評価し判断することになるだろう。この方向はいわゆる名門大学でも変わらない。短期間の瞬発力や一発勝負は通用しなくなるわけだ。若者にとって大学入試は大きなライフイベントである。受験勉強は一朝一夕で終わるものではない。大学入学後も含めた長期的な目標達成への道程として捉えるべきであろう。

    ところで、成功の鍵になるのは、才能や呑み込みの早さ、瞬発力ではなくGRIT(グリット)にあるという考えをご存知だろうか。GRITは日本語で「やり抜く力」とされている。ペンシルベニア大学の心理学教授であるアンジェラ・ダックワース博士は、GRITの重要性を科学的に究明したことで知られている。博士とその研究については、以前、東北大学の入試問題でも取りあげられたこともある。博士は、GRITに関する研究の功績が認められ2013年に米国で天才賞といわれているマッカーサー賞を受賞している。博士の著書は世界各国で翻訳・出版されており、我が国でも邦訳が出版されている(神崎朗子訳、ダイヤモンド社、2016年)*。TEDトークの視聴回数は1300万回に及ぶ。

    余談になるが、私がGRITについて知るところとなったのは、勤務する東北文化学園大学の加賀谷豊学長が式辞の中で紹介されたことによる。加賀谷学長は、先ず入学式の訓示の中でダックワース博士の研究やGRITの重要性を説かれた後、新入生に卒業後の理想の自分を想像する時間を与え、その後GRITにより「なりたい自分」の実現に向かって地道に努力することの大切さと大学の役割を説示されていた。

    GRITに関するダックワース博士の研究を簡単に紹介すると、その要点は、学問を含むあらゆる分野において成功している人は、知能指数が高いとか、特別な才能に恵まれているのではなく、長期的視座で目標を設定し、その実現に向けて「情熱」と「粘り強さ」をもって継続的に努力し、苦難に立ち向かい困難を乗り越えた人だったというものだ。この「情熱」と「粘り強さ」を構成要素とする力がGRIT(やり抜く力)なのである。GRITは先天的なものではなく、いつからでも獲得でき、さらには向上させることができるとされる。著書には様々な実証研究やエピソード、GRITの伸長方法や測定スケール等も紹介されているので一読をお勧めする。

    大学受験生にとってもGRIT(やり抜く力)は非常に重要であると言える。単なる知識や才能だけでは目標は達成できない。長期的な視座、継続的な努力、熱意と粘り強さこそが、成功につながることを改めて強調したい。

    ※アンジェラ・ダックワース著 神崎朗子訳『GRITやり抜く力』ダイヤモンド社 2016年

    16歳からの大学論 専門とは何か

    京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
    宮野 公樹 先生
    ~Profile~
    1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

    ふと考えてみたのですが、専門とは何でしょうか・・・。特定の学術分野の知識に詳しいことを「専門」としてしまうと、我々人間はAIにかないません。もはや詳しい知識や技能の所有が「専門」でなくなった今、「専門」について改めて考えてみると、専門の「もん」は「門」であることにふと気づきます。慌てて古今東西の偉人たちの学問についての言を集めると・・・。

    「一般に規則としなければならないことであるが、知識のあらゆる区画は、切断し分離するものとしてよりも、むしろ線と脈絡として認められるべきであって、知識の連続性と全体性とは保存されなければならない。というのは、そうでないために、個々の学問(専門)は、共通の源から養分を与えられ扶養されず、そのために実を結ばず、軽薄で、まちがいだらけのものになってしまったからである。」

    フランシス・ベーコン(1605)

    「つまり、現に実在しているものすべてが種々様々な特性からいかに構成されているかを考察することです。個別科学や個々の研究方法によってはそれらの特性のほんのわずかな部分しか明らかになりません。それらの全体が考慮にいれられると、われわれは実在するものを抽象としてではなく、《自然》の一事実として真に知ることができるのです。」

    J・S・ミル(1865)

    「すべての専門は唯一の真理に奉仕するものであって全体との関連を失えば消滅してしまう。」

    パウル・ティリッヒ(1923)

    「ところでそもそもこの場合、「学問」とは何を意味するのだろうか。それは以下に見るように、「諸命題の体系的総体」である。(中略) なぜなら諸命題を結合することによって現実の一構成要素がその完全性において思考されるか、それともこの諸命題の結合によって人間活動の一分野を秩序付けられうるかのいずれかだからである。」

    ディルタイ(1923)

    「専門家たるもの、突き詰めればおのずと基礎たる哲学に接触するのは当然とし、自分の専門の意味をその外に立つことによってよりよく反省せんがため、あるいは自分の保持する原理の包括力および影響力を種々の分野において試さんがため、他分野と接触することを余儀なくされるもの。」

    三木清(1937)

    「根源的知識欲とは、まず初めにあるものであり、やがて全体へと赴くものです。それは常に特殊的なものにおいてのみ、つまり専門性の手仕事的労働の中で具体化されるものであるとしても、その専門性はそれが全体の部分であることによって初めて自らの精神的生命を得ることになるのです。」

    ヤスパース(1945)

    たしかにそうなっている!

    今を生きる我々は、専門をついつい「領域」として捉えがちですが、それは大きな間違い。閉じた区域ではなく、むしろ全体(普遍)へと通じる入り口だったのです。果たして、今を生きる我々の専門観を本来のものに置き換えることができたなら、何がどう変わるでしょうか。文理の壁とて、我が国においてもほんの19世紀までしか遡れないのですから、これは十分可能な考察です。

    まずなんといっても、孤立的に各専門領域がある(と思い込んでいる)からこそ生まれた越境や学際、異分野連携という言葉は瞬く間に消滅することでしょう。自分(の専門)が何を当たり前とし、それは実は他専門の探求の結果なのだとしたら、いったい何がどういうふうに他の専門の道とからみあっているのか。互いを互いに根拠付け、ときに離れ、ときに共同し、歴史的で複層的な関係性の中に我が問いが存在している…。道としての専門は、他と交差することで探求の大山における自分の位置を自覚的に把握します。なぜなら、山頂を目指すのはなにか確固たる答え(真理)を希求してのことではなく、自分(たち)が歩いてきた道を俯瞰することこそが目的なのですから。局所から入り大局を感受することでこそ、自分でありながら自分ではない全体としての物語を語れ、物語として生きられるようになる。研究(個別科学)が学問(全体)になるのはこの地点においてであり、私は学問論という研究を通じ、大学が学問を取り戻す、ないしは学問がその本来あるべき席に戻ることを目指します。

    以上、京都大学アカデミックデイ2023発表資料(2023年9月24日)より抜粋しました。

    大学ランキングからはわからない大学の実力 第4回 「女子大離れ」という言説に惑わされてはいけない

    教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん
    ~Profile~
    1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

    2024年、神戸女学院大は国際学部と心理学部を設置する。

    既存の文学部英文学科の定員の3分の2を国際学部英語学課に、3分の1をグローバル・スタディーズ学科に振り分ける。また、人間科学部心理・行動科学科は心理学部心理学科となる。

    なぜ、1949年開学以来70年以上続いた文学部は大きく姿を変えるのか。

    2023年の神戸女学院大文学部の入学者数は220人(定員350人)、定員充足率62.9%である。学科別の内訳は英文学科57人(同150人)、総合文化学科163人(同200人)となっている。文学部1~4年までの全学生数は1148人(同1400人)。英文学科の学年別学生数は1年57人、2年90人、3年91人、4年151人。現在の4年生が入学した2020年、定員を超える学生が神戸女学院大の門をくぐったが、そのわずか4年後には、3分の1にまで減ってしまった。

    1990年代まで、多くの大学で英文学科は文学部のなかで志願者が多く難易度も高かった。英語も文学も大好きで将来語学を生かした仕事に就きたい、という高校生から支持されていた。

    ところが、2000年代半ばあたりからアゲインストの風が吹き始める。①あくまでも一般論だが、英語をマスターするためには留学制度がより整備された国際系や外国語系学部へ進んだ方がいい。②これまで文学部を支えてきた女子がビジネス、官僚、法曹などで活躍したいと経営、経済、法学部を目ざすといったように、文学部英文学科への志願者に減少傾向が見られるようになった。

    神戸女学院大はかつて全国の女子大において、関西の大学の中では難易度が高くブランド力があった。就職状況も抜群によかった。しかし、昨今、前述のように定員割れが著しくなった。文学部のカリキュラム改革が遅れ、魅力をアピールできなかったからである。そこで大きな手術をすることになった。英文学科のウェブサイトにはこうある。

    「英文学科は文学部から独立、「国際学部」になり、英語力と感性をバランスよく、より社会で活躍できる人材になる「英語学科」と、多様な背景を持つ人々との協働を可能にする「グローバル・スタディーズ学科」に進化します」と。

    しかし、課題はある。文学を専門とする教員が、文学でなく、「英語力と感性」を教えること、「多様な背景を持つ人々との協働を可能にする力」を養うことができるか。看板が変わっても中身が変わらなければ、そこは高校生に見透かされてしまい、受験しようとは思われないだろう。大学にとっては正念場だ。

    文学部では将来性を見込めないと判断して募集を停止し、新しい学部を作る女子大もある。聖心女子大では現代教養学部に、椙山女学園大では文化情報学部と国際コミュニケーション学部に生まれ変わった。

    いま、女子大として文学部を持っているのは、藤女子大、日本女子大、実践女子大、清泉女子大、白百合女子大、フェリス女学院大、金城学院大、京都女子大、甲南女子大、神戸女子大、安田女子大などがあげられる。人文学部をカウントすればもう少し増える。意外に多い。

    残念なことに、これらの大学のなかには学生募集でかなり苦戦しているところが少なくない。定員充足率が半分を切るところも散見され、いつ募集停止になってもおかしくない。

    しかし、定員を十分に確保し教育を充実させているところもある。

    実践女子大文学部の2023年入学者数は364人(定員310人)だった。定員充足率117.1%である。学科別の内訳は英文学科123人(同110人)、国文学科128人(同110人)、美学美術史学科113人(同90人)となっている。すべての学科において2020~2023年の4年間、入試で定員割れを起こしたことはない。文学を講じるだけでなく、語学の授業などをしっかり行っていることが評価されたようだ。

    実践女子大文学部英文学科では、2024年度から新しいカリキュラムが始まる。教育の内容、目標については、「ジェンダーについて、多様性について、英語圏の文化や言語を通して考えます。これらの学びを通して、みなさんがさまざまな文化的背景を持つ他者の力となり、自己と他者を尊重し、多様な人々が共に暮らす社会を構築できるようになってもらいたいと願っています」としている(大学ウェブサイト)。

    女子大離れ―――その理由としては、少子化が進むなか女子だけを受け入れているから、実用性があまりない文学部がメインになっているから、というのが通説だ。一理ある。だが、これですべて説明がつくわけではない。実践女子大のように教育内容を工夫して文学部をしぶとく守っているところもある。一つの女子大の危機から女子大全体を捉えるのは、正しい見方ではない。「女子大離れ」という言説に惑わされてはいけない。

    定員割れを起こしていない大学をつぶさに調べてみよう。どんな秘密が隠されているのか。一方で、文学部をあきらめて新しい学部で挑戦する大学をしっかりフォローしよう。これから何を始めてどれだけ期待できるか。これも大学選びの一つである。

    生成AIで変わる生活・社会 特性や注意点を知って、上手に付き合おう

    私たちの生活に徐々に浸透してきているChatGPTをはじめとする生成AI。とても便利な一方、出力される情報は必ずしも正しいとは限りません。生成AIを上手に利用し、付き合っていくには・・・?「その特性や注意点を知る必要がある」と語られる宮森先生にお話を伺いました。

    宮森 恒 先生京都産業大学 情報理工学部教授 宮森 恒 先生
    ~Profile~
    1997年早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。専門は、マルチメディアデータ工学、機械学習、情報検索。もともと電気系に興味があったが、大学では、放送や通信等を扱う電子通信学科を専攻。4年次では、映像を扱う研究室に入り、現在、地デジ放送などで用いられているMPEG規格に関連した研究に携わった。学位取得後は、NICT、現・国立研究開発法人情報通信研究機構にて、映像シーン検索、テレビ番組とインターネットの融合的利用、情報の信頼性評価支援などを研究。2008年に京都産業大学コンピュータ理工学部准教授、2013年同教授、現在に至る。大阪府立北野高等学校出身。

    生成AIとは

    生成AIとは、言葉や画像などを「作り出せる」AIのことです。従来のAIは、言葉や画像などを「理解する」点を重視した理解型のAIでした。生成AIは以前からも存在していましたが、性能が高くなかったため、ChatGPTの登場まで注目される機会は多くありませんでした。

    ChatGPTは、流暢な言葉遣いで対話できる生成AIの代表例で、人間の質問に答えたり、アイデアを提案してくれたり、書面の作成を助けてくれたり、様々な依頼に応えてくれます。以前にも日本語など自然言語での質問応答や対話を行うシステムは存在しましたが、ChatGPTは出力される文章の品質がとても高い点が特長です。文章だけでなく、箇条書きや表形式にまとめてくれる点もそれまでの従来システムとは大きく異なります。

    一方、画像を作り出す生成AIも利用が広がっています。例えば、X線画像から病気診断するAIを構築するには、良質のX線画像が大量に必要になりますが、希少な病気の場合、そのようなX線画像を収集すること自体が困難です。そこで、画像生成AIで作成した擬似X線画像も追加して訓練することで、病気の診断性能が向上することが報告されています。同様の使い方は、衛星画像による違法操業船検出でも行われています。生成AIの生活や社会への影響は大きく、現在、世界中で法整備などが急ピッチで進んでいます。

    生成AIの問題点とは

    便利に思える生成AIにも問題点があります。一つは《出力内容の正しさを担保できない》こと。例えば、ChatGPTにお薦めの店を聞いたら、架空の店名と住所が返ってきたという経験はないでしょうか。回答があまりに自然なため注意が必要です。医療や法律に関わるやりとりの場合は特に要注意です。また、《人間の常識》が通じない点も問題です。例えば、ChatGPTは法律を無視したことを平気で提案します。居酒屋の売り上げ向上案を尋ねると、未成年にお酒を勧めるなどの提案をしてきたりします。

    こうした問題の一因は、生成AIが文章などを学習する仕組みが人間とは異なる点にあります。例えば、ChatGPTのような言葉を扱う生成AI(大規模言語モデル;LLMとも呼ばれる)は、ネットから集めた膨大な文章をもとに、ある単語の次に出現しやすい単語は何かを学習します。つまり、ChatGPTなどの生成AIは、純粋に言葉の規則性に基づいた知識しか獲得できていないのです(注)。

    一方、人間は、身体、五感を通じて外の世界から多くの刺激を得ることで言葉の知識を獲得します。身体のないChatGPTなどにはこういう学習はできないため、現状では人間の感覚や知識とは大きな隔たりがあるのです。

    注:ChatGPTについては、2023年9月にGPT-4Vと呼ばれる新たなバージョンが発表され、言葉だけでなく、画像を扱うこともできるようになりました。

    高校生へのメッセージ

    ChatGPTをはじめとする生成AIの仕組みをきちんと理解するには、プログラミングを学ぶだけでは不十分で、数学の知識も不可欠です。数学が特別得意である必要はありませんが、苦手意識を持たないように勉強しておきましょう。また、AI技術の進化はとても速く、最新の成果の多くは英語で発表されますから、英語力も常に磨いておくことをお勧めします。

    進路選択にあたっては、悩むこともあるかもしれませんが、社会の動向もよく注視しつつ、自分がワクワクする、楽しそうだと思える分野を見つけてほしいと思います。生成AIは、新しい技術であり、社会のあらゆる領域で変化をもたらしています。技術開発に興味のある方は、ぜひその仕組みを学び、自分の能力を存分に発揮してほしいと思います。また、技術開発に興味のない方も、AI自体の進化は私たちの生活や社会に大きな影響を与え続けると予想されるため、基本的な理解を深めることは重要です。将来を予測しながら、やりたいことをやり切れる環境を見つけ、そこに積極的に飛び込んでいってください。

    どんな授業?

    専門科目の授業では、自然言語処理や機械学習について、最新技術も含め丁寧に説明しています。主には反転授業形式で、学生にはオンデマンド講義動画で予習してきてもらい、授業ではグループワークを行っています。学生自身で学習内容の確認問題を作ったり、サンプルプログラムの穴埋めを行ったりと、学生が《主体的・対話的に参加することで深い学びにつながる》よう工夫しています。

    研究室でのゼミは、週ごとの担当者が自分の研究の進捗を報告、その内容について全員で議論するという形式です。数時間の議論を行いますので、自分だけでは得られなかった気づきや新たな情報なども得られ、毎週、密度の濃い、充実した時間になっていると思います。

    研究室には、自然言語処理やコンピュータビジョン、機械学習、情報検索の融合的研究をしている学生が多く、学部、大学院に限らず、卒業生の多くは、ここでの研究を活かして就職しています。

    どんな研究?

    現在の研究テーマの一つは、言葉や画像を扱うAIが、数のような抽象的概念をどのように理解しているか、その理解度を向上させるにはどうすればよいかについてです。

    現在の大規模言語モデル(LLM)などのAIは、数の理解や計算が苦手とされています。例えば、4桁×4桁の計算はほとんど正解できません。電卓のような計算アプリと連動させれば正解できますが、単体では難しい。

    研究室では、AIが人間のように10という数が理解できたら1000という数も的確に理解し、状況に応じて活用できるかについて調査しています。例えば、様々な色、形状、材質の物体が円形に並んでいる画像(上図)を見せ、「黄色の金属の円柱から数えて反時計回りに3番目の物体は?」と質問し、該当する物体をAIに答えさせます。AIは3番目ならば正解します。しかし、10番目、100番目と数が大きくなると正しく回答できなくなります。現状のAIの数の理解度は表面的で、桁数の大きな数でも的確に活用できるような深い理解には至っていません。この理解度を向上させる方法を明らかにすることが一つの目標です。

    クイズ

    生成AIからの挑戦状!

    次の4枚のイラストは、生成AIが紫式部、清少納言、小野小町、小野妹子をそれぞれイメージし、アニメ風イラストとして作成したものです。このうち「清少納言」はどのイラストでしょうか?

    正解はC。枕草子の冒頭がヒントです。ちなみに、Aは小野妹子、Bは紫式部、Dは小野小町です。なぜそのようなイラストになっているのか推理してみると面白いかもしれません。

    原子力人材の養成を通じて、未来のエネルギー政策に貢献したい

    鈴木 徹先生東京都市大学理工学部原子力安全工学科 教授 鈴木 徹先生

    求められる原子力人材という選択肢 ー国内大学最大級の原子力教育・研究の拠点、東京都市大学理工学部原子力安全工学科を訪ねてー

    国内でも稀有な“原子力”を冠した学科を持つ東京都市大学では、前身の武蔵工業大学時代の1960年に、原子力の平和利用推進を目的として「原子力研究所」が開設され、全国の大学の共同利用施設として様々な活用がなされてきました。現在、原子炉は廃止されていますが、放射性同位元素の取り扱い施設として原子力安全工学科や早稲田大学との共同大学院「共同原子力専攻」の実験実習に活用されており、学生が“原子力や放射線”について理解を深める機会を提供するとともに、社会貢献を目的とした施設としても利用されています。今回、ここ数年でエネルギーを巡る社会情勢が大きく変動している中で、人材育成の必要性が高まっている同大学原子力安全工学科を訪ね、教育・研究の内容や分野・領域の将来性、高校生へのメッセージを伺いました。

    理工学部 原子力安全工学科とは?どんな分野が学べるのか

    本学科は原子力工学、原子力安全工学、放射線工学、サイクル工学という原子力工学の4つの柱を、原子力システム工学、原子力安全工学、放射線工学の3分野【表】にアレンジしており、10の研究室を設置しています。基礎から応用に至るまで、原子力工学のほぼ全ての分野をカバーした研究を行うとともに、倫理観を持って原子力の安全を支え、新しい時代を担う原子力技術者の養成を目指した教育も行っています。

    また、大学院もユニークで、日本国内における連携大学院の先駆けとなった『共同原子力専攻』を早稲田大学と共同で設置しています。

    教育の特徴は?

    日本技術者教育認定機構(JABEE)※1に認定されているように、技術者として必要な知識と能力を身に付けるためのプログラムが組まれていて、「世界に通用する技術者」になるための学びが用意されています。まず1、2年生では、講義を通して基礎知識※2を学ぶとともに、電気・機械・放射線に関する実験を通して基礎的な技術を身につけます。多くの高校では教科書中心の学びだと思いますが、本学科では、電磁気学や力学など多くの分野を実際の実験装置を使って学んでいきます。工学は「物を創る学問」であるからこそ、物に触れ、手を動かして学ぶことは効率的で、卒業後に社会で「即戦力」として活躍する場も広がっています。

    ※1 JABEE:(一社)日本技術者教育認定機構。1999年設立。「技術者に必要な知識と能力」「社会の要求水準」などの観点から“教育プログラム”を審査し、認定する非政府系組織。通常、工学・農学・理学系の学科あるいは学科内のコースに対応する。認定プログラムの技術者教育は国際的に同等であると認められる。

    ※2 代表的な講義が工学教養の一つ『原子力汎論』。これは他学科や他大学の学生も受講可能。

    本学科卒業生の約半数が大学院に進学

    学部3年次からは、専門性の高い各研究室に分かれ、大学院生とも関わりながら、最先端の研究に触れていきます。研究室によっては原子力発電にかかわることだけでなく、医療用の放射線や加速器を使った資料の分析技術なども学べますから、学部や大学院を問わず、就職先は電力会社や原子力プラントメーカー以外にも様々な業種・業態に広がっています。

    また、本学の原子力研究所では、放射線を用いた外科手術によって多くの患者の命を救ってきただけでなく、放射化分析による環境中の微量元素の解析等でも国際的な研究成果を収めています。

    私の専門と、ここまでの道

    学部および大学院の原子力安全工学分野において、原子力プラントの安全性を高めるための研究を行っています。具体的には熱流体工学※3という学問をベースに、プラント内部を循環する「流れ」の中から、安全性向上の観点から重要なものを取り上げ、基礎実験とコンピュータシミュレーションを駆使してその「流れ」を詳細に分析し、制御する方法を研究しています。実は私が博士号を取ったのは原子力とは一見関係のない化学工学という分野で、生体内における血液の循環システムに関する研究でした。現在は、それを原子力プラント内の循環システムの研究に活かしているわけです。

    自然科学では、全く異なる対象であっても同じ原理や方程式が当てはまることがよくあるのです。私は高校時代、天体の動きを説明する万有引力の法則が、プラスとマイナスの微小な荷電粒子の振る舞いにも当てはまることを知り、目から鱗が落ちる経験をしました。これも異なる対象に同じ原理が働いているという良い例です。

    大学院で博士号を取得した後に原子力分野の研究へ進んだのは、日本のエネルギーの将来を考え、資源の多くを輸入に頼る日本において、原子力という選択肢がとても魅力的に思えたからです。日本の研究所でポスドクを終えた後、ドイツの大学で4年間、EUやIAEAが進めるプロジェクトに参画し、その思いは一層強くなって現在に至っています。ちなみにドイツは20年近く前、国内のすべての原発を廃止することを決めて順番に稼働を止め、つい最近、最後の原発が停止してしまいました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、エネルギー供給に不安を感じる国民の6割が原発の再稼働を望んでいるという調査もあり、歴史の皮肉を感じます。

    ※3 原子力プラントの配管内を流れる水蒸気のように、熱を持つ流体の圧縮性を考慮して「流れ」を取り扱う学問分野

    原子力人材入試で、意欲の高い生徒を

    本学の総合型選抜では、原子力安全工学科で教育を受けるに十分な基礎学力を有し、明確な目的を持って原子力・放射線に関する専門的な知識・技能の修得を志望している者を対象とした「原子力人材入試」を導入しています。

    この入試は、原子力や放射線について学び、将来その知識・技術を使って社会に貢献したいという志のある高校生を対象にしています。年々志願者数は増えており、原子力に対するみなさんの関心が高まっていることを肌で感じています。もちろん他学科と共通の入試方式もありますから、原子力や放射線についての知識や技術を身につけ、それを土台に異なる分野の研究や課題解決に挑戦したいという人にも門戸は開かれています。

    東日本大震災以降、日本では原子力規制庁が設置され、各電力会社は世界最高水準の安全性を備えた原子力発電プラントを目指しています。世界に目を向ければ、小型モジュール炉、ナトリウム冷却材を使った高速炉などの開発に積極的に乗り出している国々もあります。発電プラントに限らず、船舶用や宇宙船用の小型原子炉の実用化や、放射線を利用した様々な医療技術の開発も欠かせません。

    電力エネルギー、原子力に興味がある、安定したエネルギーと豊かな生活を確保するにはどうすればいいか悩んでいる、福島事故の復興に貢献したい、さらには、安全で、新しい原子力エネルギー発電施設を作りたいなど、世界を視野に、そんな大きな夢を持った高校生のチャレンジを待っています。

    高校生へのメッセージ

    高校時代には、大学の研究の基礎となる様々な教科を着実に学んでおいてほしいと思います。一つひとつの教科の学びを深めていけば、他の教科との間に共通する法則などを見つける喜びも味わえるかもしれません。また、原子力や放射線というのは、社会に対してきわめて高いコミュニケーション能力が求められる研究分野です。探究学習などにおいて自ら課題に取り組み自分なりの答えを導き出し、様々な人達との議論やコミュニケーションを通して自分の答えを確かなものにしていくというプロセスも非常に重要だと思います。理系に限らず、法律や世界情勢など社会科学的な視点も交え、日本や世界の将来について議論を深めていってください。

    原子力発電所の再稼働や高速増殖炉等の新型炉の開発の是非なども、理系・文系を問わず、とてもいい題材だと思います。ちなみに、今夏の本学の「オープンミッション」※において、本学科では高校生に「地震から金魚を守る」というテーマに取り組んでもらいました。様々なアイデアに基づく装置を持ち寄って実際に実験を行ってもらい、どのような方法が一番効果的に金魚を守れるのか、活発な議論が行われました。

    ※「オープンキャンパス」とは異なり、期間は約3か月。参加者には探究活動とその成果についてのレポート作成や発表が求められる。大学の研究施設・設備や図書館を体感しながら、大学教員やサポート学生とともに高度な探究学習に取り組むだけでなく、成果を総合型選抜などの年内入試に生かせる。入学への動機付けになるとともに志望動機を確認する手段としても注目されている。高校生にとっては、大学入学後の研究活動を短期間でシミュレートできる機会にもなる。

    このような取組を可能にしているのが、近年の一連のカリキュラム改革。2021年度から導入された、ゲームチェンジ時代を切り拓く人材育成を目指す「ひらめき、こと、もの・くらし・ひと」づくりプログラムは、これまでのものづくり教育の抜本的改革を目指すカリキュラムとして、文部科学省の「知識集約型社会を支える人材育成事業」にも採択された。具体的には、新設科目を加え、従来の科目をひらめきづくり14単位、ことづくり14単位、ものづくり48単位、ひとづくり28単位に再編した。

    原子力研究所【王禅寺キャンパス】
    理工学部の研究室が入る新研究棟【世田谷キャンパス】

    「探究」の現場から その2 探究活動のテーマ設定

    秋田県立横手高等学校 教諭 瀬々 将吏さん瀬々 将吏さん
    ~Profile~
    1991年 広島大学理学部物理学科入学、1995年 大阪市立大学大学院理学研究科前期博士課程物理学専攻入学、1997年 同研究科後期博士課程物理学専攻入学、2003年 単位取得退学。博士(理学)。2003年12月 大阪市立大学 数学研究所 研究員、2004年12月 京都大学基礎物理学研究所 非常勤研究員/研修員/非常勤講師、2005年10月 慶應義塾大学 研究員、2006年 9月 国立台湾大学 研究員、2008年 4月 秋田県立横手清陵学院高等学校 教諭、2020年4月から現職。兵庫県立芦屋高等学校出身。
    ◉所属学会・団体等 日本物理学会、日本物理教育学会 および 東北支部、博士教員教育研究会、科学教育若手研究会
    ◉教育活動 勤務校では,理科授業(物理,生物,化学)や総合的な学習の時間・自然科学部などにおける課題研究を担当。2010年から2015年および2020年以降、勤務校にて文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」の企画・運営に携わる。他に県内の小・中・高や社会人を対象とした「出張授業」を行なう。「博士教員教育研究会」に所属し,高校生のための科学講座「未来の博士要請講座」や,高校生のための研究発表会「あきたサイエンスカンファレンス」の企画・運営を行い講師も務める。
    ◉専門 理論物理学。素粒子論・宇宙論の融合分野としての「ひも理論(string theory)」。とくに弦の場の理論(string field theory)

    さて、いよいよ探究活動のテーマ設定を行う時期がやってきました。高校2年生のAさんの学校では、1年生で個人研究、2年生でグループ研究を行うことになっています。「『自分でテーマを決めていい』って言っても、ゲームと部活しか好きなことないし、困ったな・・どうしよう。」「一応、文理選択では『文系』を選んだけど、どの大学のどの学部にしよう。来年は受験だし、もう決めないといけないけど、学部とか将来の仕事とか、想像もつかない。」

    このような状態からテーマを決めるのはなかなか大変そうです。Aさんのような生徒が数人集まってグループになったところで、誰もやりたいことがないので全くテーマ設定が進みません。どのようにして進めればよいのでしょうか。

    テーマ設定は「始める前から」始まっている

    はたして、頭の中に何もない、白紙の状態から探究のテーマがぽっと出てくるようなことがあるのでしょうか?もし出てきても単なる気まぐれにすぎないのではないでしょうか? 実は、良いテーマを設定するには、事前の準備が重要なのです。高校生が「大人の世界」との接点を持てるよう、学校・保護者・自治体の援助も必要です。

    最も効果が高いのは体験活動です。学校や外部の団体による体験活動をきっかけにして探究活動のテーマを見つける生徒もいます。現場に行くのが大変であれば、講師として社会人を招くのも一つの方法です。

    しかし、体験活動の準備は学校側にとっての負担も大きい。そもそも、ありとあらゆるテーマの体験活動を網羅することは不可能です。どうすれば良いでしょうか。

    本を読もう

    書籍は大人の世界に関する情報を得るための最も大切なメディアです。本の世界であれば、遠くて行けない国にも、過去にも未来にも、さらには地球の外へさえ自由自在に行くことができます。

    きっかけを掴むだけであればネットの動画などから入るのも悪くはありません。最近ではYouTubeなどに良質なコンテンツが多数あります。それでも、本を読んで欲しいのです。ネットの動画や記事で得られる知識は尺の短い「断片」がほとんどです。一方、書籍からは体系化され論理の筋道が整った知識を得ることができます。探究活動で真に有用なのはそのような知識です。書籍はそのような知識の習得に最も効率が良いのです。

    また、研究・仕事を問わず、「大人の世界」で最も重要な情報は、必ず文字情報として記録・伝達されます。リーディング・ライティングスキルや、書物を通して「知」に親しむ態度の育成は、探究活動のみならず学校教育のあらゆる場面において重視されるべきです。

    しかしながら、高校生は、(そして大人も?)あまり読書をしないようです。「全国学校図書館協議会」による調査によると、2022年時点で高校生は一ヶ月に平均1.6冊の本を読んでいるとされています。小学生13.2冊、中学生4.7冊、と比べて圧倒的に少ないのです。児童書から大人の読書への移行がうまく進んでいないのではと推察されます。筆者の探究出前授業では新書を推奨していますが、「新書ってなに?どんな形の本」というところから初めなくてはいけません。探究活動を支えるために、公・民双方での読書環境の充実と支援が求められるところです。

    テーマを絞り込む

    とにもかくにも、似たテーマの生徒同士でグループを編成します。例として、「医療」に関心のある生徒が集まってグループになったとしましょう。Aさんは医師を目指していて、遺伝子の仕組みに興味があるようです。Bさんは逆に過疎化の進む地元で今後も医療が受けられるのかを心配しています。Cさんはバスケの部活に夢中ですが、故障に苦しんだ経験からスポーツリハビリテーションに興味を持ちました。3人は興味も意欲もかなり異なりますが、グループ研究ですから、共通の研究課題(テーマ)を設定する必要があります。以下の3つが基本的な条件となります。

    (1)興味を持って意欲的に取り組めるか。

    意欲(モチベーション)は探究活動を進める上で最も重要です。やる気のない探究はまったく進みませんし、面白くもありません。逆に、ワクワクして取り組めるテーマであれば、生徒たちだけでどんどん進んでいきます。

    グループ研究の場合、メンバー一人ひとりの興味・関心や利害が異なります。全員が納得できる落とし所を探っていく必要があります。

    (2)社会的・学術的に価値があり、高校生が行う探究活動として適切か。

    社会経験に乏しい高校生は、自分たちのテーマが社会でどのような位置を占め、どのような意義があるのかについて無頓着です。そのような目的意識を持つインセンティブもありません。研究者の研究や自治体・企業のプロジェクトとは大きく異なるところです。意義のあるテーマを設定させるには、やはり外界との接点をどれだけ設けることができるか、にかかっていると考えます。研究テーマに社会的・学術的な価値を持たせるインセンティブは、社会・学会の中でこそ自然に発生するからです。

    (3)「総合的な探究の時間」の枠内で実行できるか。

    どんなプロジェクトにも時間的、金銭的、能力的、地理的な制約がありますが、高校生の探究活動には制約が非常に多い。活動時間は週1~2時間、予算も少額の場合がほとんどです。授業時間内での実施を前提とすると、フィールドワークや外部機関の訪問は近隣に限られます。これらの制約のもとでできることを考えなくてはいけません。

    アイデアを生み出す技術

    探究活動のテーマ設定は、上述(1)〜(3)の極めて狭い重なりを見つける作業です。自分たちが本当に知りたいことは何か、取り組みにはどんな価値があるのか。自分たちはどんな状況に置かれているのか。これらを明確に把握し、重なりを見出すのは決して簡単ではありません。研究者にとっても決して簡単ではないのです。図形の問題で一本の補助線を見出すようなひらめきが求められます。

    こうして、高校生は初めて、テーマを絞り出すという「産みの苦しみ」に直面します。「何をやったらいいかわからない」「テーマが決まらない」という焦りのもと、時間が過ぎていきます。生徒たちが当惑するのも無理はありません。どうすればよいのでしょうか?

    現在では様々な「思考ツール」が知られており、それらを紹介した教材が多数開発されていますが、それらの解説は他の専門家に譲ることにします。ここではもっと素朴に、筆者が研究の現場で実際に有効だと感じた方法を紹介します。

    (1)ボードで議論する

    情報を整理し、自分たちの進む道を見出すのに最も有効なのは、ボード(黒板もしくはホワイトボード)を用いた議論です。「研究」というと、ひたすら机に向かって、資料を読んだり計算したり文章を書いたり、そんな様子を想像するのではないでしょうか。もちろんそういった作業は必要です。しかし、私が研究で交流した理論物理学者の印象は「ボードで会話するプロ」です。新しいアイデアがボードを介した議論から生まれます。高校生がこれに取り組むには多少の慣れが必要でしょう。グループのうち一人が発表役になり、言葉、図形、式、あらゆるスタイルでボードに書き込んでいきます。他のメンバーは絶えず意見を提案し、議論を深めていきます。

    (2)インフォーマルな雰囲気で会話する

    教室や会議室のような場所だとどうしてもフォーマルな雰囲気になってしまいます。良いアイデアは食堂や休憩室など、リラックスできるインフォーマルな場所での会話から得られることが多いのです。昼の食堂で議論が始まり、紙ナプキンに書いた内容から研究が始まる、そんなことも珍しくありません。

    (3)歩く

    映画やドラマで科学者や探偵が部屋の中を歩き回りながら考えている場面を見たことはないでしょうか。実際、歩くと様々なアイデアが浮かんできます。部屋の中ではなくて外の景色を見ながらが良いようです。歩きながら自問自答を繰り返すと、ぽっとアイデアが浮かんでくることがあります。

    新たな価値の創造

    「新たな価値の創造」は総合的な探究の時間の重要な目標です。新しいものって、なんだかワクワクすると思いませんか?好きなバンド、Youtuber、作家の新作、Appleの新製品。私たちがワクワクするのは、これらが新しい価値を届けてくれるからです。自分がそのような新しい価値の創造者、発信者となったときのワクワク感、楽しさ、充実感は前者とは比べものにならないくらい素敵なものです。探究活動のテーマ設定は、「新たな価値の創造」の入り口です。一人でも多くの高校生が、そして教員も地域もいっしょに、楽しんでほしいと思います。

    問われる「情報Ⅰ」の真価 共通テスト「情報Ⅰ」が拓く情報教育の未来形とは

    京都市立日吉ケ丘高等学校 情報科教諭 / 京都大学非常勤講師 藤岡 健史さん
    ~Profile~
    京都大学工学部情報学科卒業、京都大学大学院情報学研究科修士課程修了、京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了、博士(情報学)。京都市立堀川高等学校教諭、京都市立塔南高等学校教諭、京都市立西京高等学校教諭等を経て、2023年から京都市立日吉ケ丘高等学校情報科教諭、京都大学非常勤講師、大阪府立茨木高等学校出身。

    理数系に偏っている?共通テスト試作問題「情報Ⅰ」

    2022年11月9日、大学入試センターは大学入学共通テスト(以下、共通テスト)の試作問題「情報Ⅰ」を公開した。私は、当時勤務していた高校の生徒40名に協力してもらい、この試作問題を実際の60分間で解答してもらった。その正解率【下図】をもとに、試作問題の難易度や情報科と他の教科との関連性について分析・考察したところ、驚くべき結果が浮かび上がった。(藤岡健史,共通テスト「情報Ⅰ」試作問題の校内実施結果報告,第16回日本情報科教育学会全国大会,2023/7/1-2)

    試作問題「情報Ⅰ」と数学の模試の点数との間に明確な相関が存在することが確認されたのである。この発見は、試作問題「情報Ⅰ」が数学的思考に密接に関わっている可能性を強く示唆している。実際の配点をみても、確かにコンピュータやプログラミングなど、典型的な理数系分野への偏りが見られるのである。

    今回発表されたのはあくまで「試作」問題ではあるが、これではコンピュータやプログラミングをはじめとする理数系に偏重した力を測っていることになるのではないか。これで本当に、新しく開始された情報科での学びを正確に評価できるのだろうか。新しい学習指導要領がスタートして2年が経つものの、真の情報教育の要点が見過ごされたままになってしまっているのではないだろうか。強い懸念を抱かざるを得ない。

    コンピュータやプログラミングを扱うだけが情報教育ではない

    私は以前、本誌にて「情報」という概念がコンピュータや情報技術の枠内でしか扱われない傾向があることに危機感を覚え、警戒を呼びかけた。(藤岡健史,どうなる2025年度入試~新しい教科「情報」をめぐって~,大学ジャーナル)コンピュータやプログラミングを扱うだけが情報教育の全てではない。それは、学習指導要領をみても明らかである。急速に進展する生成AIをはじめとする人工知能、IoT、ビッグデータの時代において、私たちが最も必要とするのは、「情報とは何か」という基本的な概念を、「基礎情報学」の観点からしっかりと理解することから始めることだ。

    3つの情報概念を用いた「情報Ⅰ」の体系化

    再度、強調したい。「情報Ⅰ」の本質を理解するための第一歩は、「基礎情報学」のエッセンスをしっかりと掴むことである。「基礎情報学」は理数系ではなく、文理融合の学問である。「基礎情報学」のエッセンスには、「情報一般の原理」と呼ばれる、情報および情報技術の基底にある概念の理解が含まれている。(藤岡 健史,すべての高校生に「基礎情報学」のエッセンスを―まずは3つの情報概念から―,じっきょう.情報教育資料(56),16-19,実教出版,2023/4)

    「基礎情報学」では、情報概念を「生命情報」、「社会情報」、「機械情報」という3つに分類しており、これらの3つの情報概念を用いて「情報Ⅰ」の内容を新たな視点から体系化することが可能となる(下図)。

    以下、この3つの情報概念の観点から、「情報Ⅰ」の内容を眺めてみたい。

    まず、3つの情報概念の間には、「生命情報⊃社会情報⊃機械情報」という包含関係が成り立つことをおさえなければならない。最も広義に位置づけられるのは「生命情報」であり、すべての情報は「生命情報」の範疇に含まれる。informという語源が示すように、情報は本質的には生物の内部(in)に形成(form)されるものであり、主観的な要素を多く含む。それは、生物が個々の経験や蓄積された歴史に基づいて情報を形成していることを意味する。この観点からみると、「情報Ⅰ」の「情報社会の問題解決」の分野で扱われる知的財産や個人情報などは、「生命情報」の枠組みを起点として考察していくことができる。例えば、著作権に関わる諸問題の解決には、主観的な情報という視点が欠かせないのである。

    また、私たちは社会(共同体)の中で日常的にコミュニケーションをとることが可能である。このコミュニケーションにより、私たちは情報が伝わっているという感覚を持つ。これは、「生命情報」に内包される「社会情報」の存在による。「社会情報」とは、言語や記号を通じて意味や価値を伝達する情報の形態を指す。この「社会情報」のはたらきによって、我々はコミュニケーションを成立させているのである。「情報Ⅰ」の「コミュニケーションと情報デザイン」の分野は、この「社会情報」の領域に位置する。

    3番目に位置する「機械情報」は、「社会情報」の中で意味が欠落・潜在化した情報である。コンピュータが扱う0と1のビット列は、「機械情報」の典型的な形態であり、これを用いてコピーと伝送を行うが、意味の伝達を直接的にはできない。「情報Ⅰ」における「プログラミング」や「情報通信ネットワーク」などの情報科学分野で扱う情報は、この「機械情報」である。人工知能(AI)が情報の意味を理解することができないのは、このためである。

    さらに、「情報Ⅰ」の終盤で取り上げられる「データの活用」の領域では、統計学やプログラミングなどを用いて、データから意味を抽出し、新たな知見を獲得するデータサイエンスの手法が重要視される。この過程では、「社会情報」と「機械情報」の双方の層が深く関与してくる。これらの間のインターフェースとして、データサイエンスの重要性を位置づけることができる。

    このように、「基礎情報学」における3つの情報概念を用いてはじめて、「情報Ⅰ」を体系的に理解することができるのである。

    「情報Ⅰ」が拓く情報教育の未来形すべての高校生に「基礎情報学」のエッセンスを

    先に示した学習指導要領をみても、情報科で養成すべき能力は、数学的思考とは異なる次元のものであり、独自の力である。この独自性を共通テストでどのように評価するかは非常に大きな課題である。試行問題で見られる理数系分野への偏重は、先に述べた3つの情報概念のなかで最も狭義の「機械情報」に偏っている状況を露わにしており、これでは「情報Ⅰ」の能力を真に評価しているとは言い難い。

    現状では、上記の「基礎情報学」のエッセンスが高校の現場に十分浸透しているとは言えず、教科書での取り扱いにもばらつきが見られる。共通テスト「情報Ⅰ」の導入を目前に控えた今こそ、情報教育の真の目的を再考するための好機であると捉えるべきではないか。情報科の授業と共通テストは、互いに影響を与え合い、その相乗効果で教育の質を向上させることができる。そのためにも、共通テストは理数系の知識に偏重することなく、3つの情報概念を包括的に網羅するような出題を行うべきである。プログラミングの問題を解くために特化した入試対策などは、情報教育の目的を達成するにはまったく不十分である。そのような共通テスト対策に情報科の授業が堕してしまっては本末転倒であると言わざるを得ない。

    今こそ、基礎・基本に立ち返り、確固たる基盤を築くべき時だ。この挑戦は、情報教育を新たなステージへと進めるための決定的な転機となり得る。情報科の授業と共通テストが互いに手を携え、文理融合の情報教育を深化させ、学びの新たな地平を切り拓く起点となることを強く望む。

    1年後に迫った共通テスト「情報Ⅰ」に向け、現在高校2年生の皆さんは具体的な準備を進めるべき時期にある。新たな共通テスト時代の幕開けに際して、最初の挑戦者となる生徒たちの努力と成長を、心から支援し、応援している。皆さんがこの挑戦を通じて、自らの可能性を広げ、情報学の深い理解と活用の力を身につけることを強く願っている。未来を拓く若者たちにとって、躍動の1年でありますように!

    生成AIとどう向き合うか 生成AIの登場と大学教育

    金丸 敏幸 先生京都大学国際高等教育院・准教授 金丸 敏幸 先生
    ~Profile~
    京都大学博士(人間・環境学)。専門は、外国語教育(英語・日本語)、理論言語学(認知言語学・コーパス言語学)。コーパスやICTを活用した言語研究や言語教育に関する教育研究に従事。2015年度に「国際言語実践教育システム(GORILLA)」を開発、翌2016年度より京都大学の全学共通科目英語において、統一シラバスの下、GORILLAによるe-Learningを活用したカリキュラムの実施運営に携わる。大分県立大分上野丘高校出身。

    日本は世界をリード?

    2022年11月にChatGPTが世の中に登場して、そろそろ1年になろうとしています。ChatGPTの登場は、日本だけでなく、世界にも大きなインパクトを与えました。とくに教育界に与えた影響にはとても大きなものがあります。当初、世界の主要国の立場は生成AIを教育に導入することに否定的でした。そのような中で、日本は比較的早くから生成AIの活用に目を向けていて、7月には文部科学省が生成AIの利用についてガイドラインを発表しています。これまでどちらかというと新しい技術の導入には否定的、またはあまり積極的ではなかった日本ですが、こと生成AIについては世界をリードする立場を取っていると言えるでしょう。

    大学も生成AIについては大きな関心を寄せています。東京大学が5月に学生に向けて方針を示して以来、多くの大学で生成AIの利用についての方針やガイドラインが公表されています。これらを見る限り、多くは利用を禁止はしないものの、利用については十分に注意すべきであると述べています。とくに、課題やレポートに生成AIの出力をそのまま使用することについては、不正行為の恐れがあるとして禁止しているところが多いようです。また、利用する際には著作権やセキュリティ面に気をつけるよう呼びかけています。

    大学では多くの講義や演習が行われていますが、その中でもとくに影響を受けると見られているのが、プログラミングと英語(外国語)の科目だと見られています。どちらも言語(プログラミングは人工言語と言われます)に関する科目であることから、言語を出力するAIと相性が良いのは当然です。

    プログラミングを学ぶ科目では、生成AIがプログラムのエラーを修正してくれたり、途中まで入力することで、残りを補完してくれたりする機能を利用しているようです。実際のソフトウェアの開発現場でも、生成AIは幅広く導入されていることから、今後、この分野での活用は加速していくことでしょう。

    どうなる?どうする大学英語教育

    さて、それでは英語の授業と生成AIはどのような状況なのでしょうか? 現在のところ、大学や学部として積極的に導入を進めているところは多くありません。ほとんどの大学は、これからどのように活用できるかを模索しているところのようです。このような状況で、英語授業に生成AIを積極的に活用しようとしているところとしては、立命館大学の生命科学部が挙げられます。プロジェクト型の英語授業にAI技術を取り入れることによって、アウトプットの精度を高めることを目指しています。

    生成AIを積極的に活用する英語教員の間では、この1年で生成AIの活用に関してかなりノウハウが蓄積されてきました。有効な活用方法としては、たとえば、学生が書いた英文を生成AIに修正してもらって、どのように修正したのかをAIに説明させるというものです。これまで学生が書いた英文は英語話者か教員が見るしかなかったわけですが、第三の選択肢(しかも、24時間対応してもらえる)が登場したことで、学習の幅が大きく広がる可能性が出てきました。

    生成AIの活用は良い面もありますが、当然、懸念も出てきています。実際のところ、当初心配されたような、英語をそのまま日本語に翻訳させる(逆に、日本語を英語に翻訳させる)という使い方はあまり広がっていないようです。そうではなく、生成AIを上手に使える人とそうでない人の差が広がることが、これからの問題として考えられています。上に挙げたように、生成AIを上手に使えば、一人でどんどん英語学習を進めて行くことができますし、一方で、使わない人、使えない人はそのままです。

    また、生成AIを使って英語を学ぶには、AIの出力する英語を理解したり、時には間違いに気がついたりするだけの英語力が必要です。

    つまり、英語力があって、生成AIを使って英語を学べる人は、今後、ますます英語力を伸ばしていくことができるようになります。また、生成AIを使うことで英語による情報をどんどん取り込んだり、英語で発信したりできるようになります。そのため、生成AIを上手に使えなかったり、英語力が不足していたりする人との差は開く一方です。できるだけ多くの学生に、生成AIによる英語学習の好循環に乗ってもらえる仕組みを作っていくことが、これからの英語教育の鍵になりそうです。

    生成AIの発展は止まることはないでしょう。この技術を活用することは、日本の大学にとって国際化を推し進める大きな助けにもなります。生成AIによって言葉の壁を低くすることで国際的な発信や受け入れを高めていき、人材交流をもっと盛んにすることが可能になります。学生も生成AI時代に適応した英語力を身につけることで、ポストコロナ時代の国際化時代を生き残っていけるようになるでしょう。生成AIに依存するのではなく、生成AIを上手に活用することで自らの能力を伸ばしていけるように舵を切ることが求められています。

    「大学入試学」始まる

    「大学入試学」という新しい研究分野の創出を目指した学会が設立に向けて動き出した。来る12月17日(日)には東京で、その発起人会(設立総会)が開催される【於:一橋大学一橋講堂(学術情報センター内)。14時30分から16時まで】

    同会の設立準備委員会によれば、その使命は、「大学入試という現実の制度を中心課題に置きながら、それについてこれまで学術研究の対象とはみなされなかった関連する諸分野も含め可視化し、そのアカデミックな価値を明らかにし、制度の説明責任の向上を目指す」とともに、「現在の仕組みについて、学問的知見を伴ったエビデンスを基に、改善のサイクルを作り出すこと」とされる。

    大学入試は明治時代以来、多くの若者の人生を左右する重要な制度でありながら、このようなアプローチがなされてきたとは言い難い。ネーミングをズバリ大学入試としたのは、なじみのある言葉を使うことで、アカデミックな価値の追求に終わらず、日本社会の在り方に密接にかかわるより良い未来を導く知恵を生みだすことを強調したいためという。

    同会はまた、近年の大学入試改革にあわせ各大学で活発化している入試専門部署への適切な専門家の配置を視野に、その育成に資するアカデミックな研鑽や、キャリア形成の場も提供したいとしている。このことは今後の日本の大学の浮沈を左右する重要な鍵になるからだ。

    さらに将来的には、グローバル化の進展に合わせ、独自に発達を遂げてきた諸外国の制度との接続も改善していきたいとしている。

    具体的な研究テーマとしては、大学入学者選抜制度(歴史や諸外国のものも含め)、大学入試の方法、評価・測定法、大学入試政策、進学動向分析、個別大学の学生獲得戦略、高大連携の実践事例、入試の実施結果の評価、入試にかかわる追跡調査、社会階層と大学進学、高校等におけるキャリア教育・進路指導、受験生の心理、大学だけでなく、短大、大学院、高校や高専の入試などを例示している。

    学会の下には、高校・大学関連団体の協議会を設置し、相互の研鑚や情報交換の場とする。ステークホルダーである高校と大学にはこれまで、互いの実情を認識し、より良い制度設計に向けて、知恵を持ち寄る場が少なかったからだ。

    高校協議会は、高等学校(中等教育学校を含む)やそれらが組織する進学指導関係の団体(例えば,○○県進学指導研究会)で構成。原則として高校ないしは複数の高校で構成される団体が加盟する。大学協議会は大学入試に関わる組織で構成。いずれも個人メンバーの特定は行わず、加盟団体に所属する教職員をメンバーとする。

    方向性としては、大学入試センターが主催する「全国大学入学者選抜研究連絡協議会(入研協)」とは一線を画す。また、学会設立数年後には「日本学術会議協力学術団体」の指定を目指し、出版物(学会誌や学術書等)の制作、刊行なども予定している。

    設立委員会では、大学入試に関心がある人々、関連する分野の人々でこれらの趣旨への賛同者に参加を呼び掛けている。

    詳細は以下に

    https://www.jaruas.jp/

    芸術の秋に考える アートってなんだろう? それができることのために

    日比野 克彦先生東京藝術大学学長 日比野 克彦先生
    ~Profile~
    1958年岐阜市生まれ。1982年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。卒業制作で第一回デザイン賞受賞。1984年同大学院美術研究科修了。在学時にはサッカー部に所属。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞、1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレ出品。1999年毎日デザイン賞グランプリ、2015年文化庁芸術選奨芸術振興部門 文部科学大臣賞受賞。1995年東京藝術大学美術学部デザイン科助教授。1999年美術学部先端芸術表現科の立ち上げに参加。2007年同学部教授。2016年から同学部長。2022年4月から現職。岐阜県立加納高等学校出身。

    リズムが合ったダンボールとの出会い

    美術の世界を志したのは高校1年の時。クラスでみんなと一緒に大学進学を考えていた時に、「絵が好きだから、美術で自分を表現できたら、生きている実感を深く味わうことができるだろうな」と考えたことが、進路決定につながりました。

    高校を卒業して最初に入った大学は多摩美術大学。当時、多摩美からは人気のシンガーソングライター、荒井由実さんが、武蔵美(武蔵野美術大学)からは芥川賞受賞作家の村上龍さんが、といったように、ジャンルを超えたスターが生まれるなど、私立の芸術系大学は、1980年代のジャパンアートアズナンバーワンと言われた時代を予見させるような輝きを放っていました。

    結局僕は、翌年、東京藝大のデザイン科に入り直すわけですが、ここでは1・2年生のうちに、基礎的な創作活動を経験するために様々な素材に触れます。3年生で自分なりの表現を探すことになるわけですが、鍵になったのが素材やテーマ選び。周りの教員から教わるのではなく自分で探す。というのも、芸術系の学びでは、例えば教員が40歳なら学生とはほぼ20歳違うけれど、同じ表現者で、美術史から見れば同時代作家になる。テクニック的なことを教える・教わるということはあっても、大人と子どもとか、学生と教員と区別することにあまり意味がないからです。大事なのは、自分で何をどうやって生活の一部にしていくか、でした。

    そこで僕が選んだのがダンボール。

    歌を歌うにしても、走るにしても、喋るにしても、人それぞれの持つリズムというものがある。だからそれに合った素材に出会えれば、夢中になって楽しい時間を過ごせる。楽しい時間とは苦労する、しないに関係なく、その素材と対話している時間で、そんな時間を経て気付くと「作品」ができている。

    僕にとって、そんな息の合う素材がダンボールでした。中でもそのスピード感。石を削るのだと、1ヶ月はかかる。焼き物も乾かしてから焼くのに2ヶ月かかる。鉄にしてもそうです。色合いなども含めて自分にしっくりくる、それが段ボールだったのです。

    作品の写真は、いずれも東京芸術大学提供

    アートの社会的な機能とは?を大学から社会へ、日本から世界へ発信したい

    2027年に開学140年を迎える東京藝術大学。
    国内唯一の国立の総合芸術大学で、岡倉天心※1、伊沢修二※2など、 明治を代表する思想家、教育者、芸術家などが創始者や歴代校長に名を連ねる。
    ミッションは、わが国固有の芸術文化の振興と国際社会への発信に加えて、 世界の芸術文化の発展に寄与し、 国際舞台で活躍する芸術家、研究者を輩出すること。
    このような伝統の中で、2022年4月、現代アート専攻(先端芸術表現)から 初の学長になられたのが日比野克彦先生。
    先生の考えるアートとは、藝大の新たなミッションや芸術教育について お聞きするとともに、高校・大学時代におけるアートとのかかわり方、 さらには、日本のアートや芸術系大学に興味のある海外の若者にも メッセージをいただきしました。

    ※1 1863年~1913年、日本の思想家、文人。前身である東京美術学校の設立に大きく貢献した。第2代校長。
    ※2 1851年~1917年、明治・大正期の日本の教育者、教育学者。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者。前身である東京音楽学校の創始者の一人で初代校長。

    東京藝大の伝統とこれまでのミッション

    本学ができたおよそ140年前は、明治維新の完成期に当たり、西洋から様々な文明を取り入れた日本は、生活スタイルも含めて大きく変わった。ヨーロッパをモデルに、大学をはじめいくつもの高等教育機関も設置された。その役割は、和魂洋才と言われたように、主に欧米の知識・学問の移入・紹介だったと言っていい。

    芸術に関する学問、研究機関としてスタートした本学も例外ではなく、現代美術とか西洋美術といった学問・研究の文脈の中でアートを捉えてきた。それはアートを芸術と訳した時点から始まっているのかもしれない。《学問として》の芸術、その教育・研究は以来、伝統となり、僕らも受けてきた西洋美術史などの授業にまでつながる。

    しかし芸術、アートは本来、学問ではない。人間が元々持っている感情が創出するエネルギーの結晶であり、表現者だけではなく受け取った人、鑑賞者や集団の心も揺さぶるものだ。当時まで日本に受け継がれてきた絵画・彫刻、舞踊・音楽、文芸も立派な芸術だし、世界的には、今の人類の絵画の歴史は1万6000年ほど前の洞窟壁画にまで遡る。ものを作る源となる人間の感情は太古からあり、学校で描き方を習ったり、デッサンの勉強をしたりしなくても立派な壁画は描ける。

    写真提供:東京藝術大学

    未来に向けて東京藝大が目指すもの

    《学問として》入ってきた芸術についての教育・研究は、伝統を重ねる中で《縦割り》の弊害に陥りやすい。例えばお笑いなどの芸能も文化の一つだが、《芸術》としては認められてこなかった。しかしリレーショナルアート(relational art)、会話をはじめ人間関係も、生活のすべてはアートであるという概念が生まれてきたように、今では文化も芸術として捉えるのが当たり前になっている。

    このような芸術――以下はアートと呼ぶが――の歴史、概念の変化について、私たちがきちんと伝えてこられたかというと少し不安だ。「藝大って入るの難しいですよね」「上手じゃないと絵じゃないですよね」、あるいは「知識がないと美術館行ってもつまらないですよね」というようなメッセージの方が強く受け止められてきたのではないか。美術館に行って絵を観たり、コンサートを聞いたりするだけがアートにかかわることではないが、今、あえてそう言わなくてはいけないのは私たちの責任でもある。

    僕の考える藝大の使命は、芸術の教育・研究やトップアーティストの育成だけではない。

    アートとは本来何なのかを社会に対して声高に、しっかり発信し、それを通じて、アートを社会の課題解決に役立てることのできる人材を育成し、その価値を認めてくれる社会の構築に寄与したい。もちろんこれは大学だけでできることではないから、小・中学校、高校の美術教育と一緒に取り組む必要がある。

    STEAMについて

    理系人材育成、あるいはイノベーション創出が、大学や産業界に求められる中で、STEM(科学Science、技術Technology、工学Engineering、数学Mathematics)にA(Art)を付けたSTEAMをキーワードにしようという考え方がある。STEMだけでなくA、つまりアートが大事だと。これは理系の研究や技術開発において、今後は、より豊かな発想力や想像力、観察力や描写力が必要である、そこでアートシンキングというものを起爆剤にしていこうということだろう。しかしアートが文化や日常生活とは不可分なものだと考えれば、あらためてそう言う必要はないのではないか。

    星を見て、あれは何だろう、宇宙ってどのようにしてできたのだろうと想像力を働かし、イメージを膨らませる。それが宇宙の解明へとつながっていく。人はなぜ死ぬのかという好奇心から、医学においても遺伝子レベルまで研究が進む。これらが科学技術の進展へとつながってきたことは言うまでもない。アート、アート的なものは科学的な態度、思考の土台、基盤でもあって、後付けするようなものではないと思う。

    反対に言えば、何がアートなのかについては、藝大だけでなく、教育全体、地域全体、社会全体で考えていかなければならない。

    アートは心の揺らぎだ『100の指令』で意図したこと

    写真提供:東京藝術大学

    この部屋には、上のように、発想の転換を促すような短いメッセージの書かれた額を懸けている。その一つひとつは著書『100の指令』から抜き出したものだ。人が何かをイメージするのは、多くは言語によるものだし、反対にイメージを伝える時にも言語化することが多いから、それを遊びにしたのだ。特別に突拍子もない指令ではないけれども、それに応えていく、あるいはそれを自分でも作っていく中で、いろんな感覚が刺激されていく。

    僕はこれこそがアートだと考えている。

    アートを見て人は感動するが、例えば油絵なら、ゴッホ、ピカソの絵も、物質的にはキャンバスに絵の具が塗ってあるだけ。それを見て感動するのは、絵がすごいのではなく、見た人がすごいからだ。感動とはこちら側、人間の中で、その気持ちが動くことだ。

    だからアートって、揺らぎ、心が揺らいだ時に生まれるエネルギーみたいなものとも言える。

    誰でも気持ちが揺らぐ時がある。夕焼けを見て「ああ綺麗だな」と一瞬目が止まる。旬の果物を見て、美味しそうだなと思う、映画を見て感動する、音楽を聞いていて、なんとなくいいメロディだなとか。外的な刺激によってふと心は揺れ動く。それがアートのきっかけ、というよりそれ自体がもうアートって呼んでいいと思う。

    美術館や音楽会には、みなそういう揺らぎを体験したくて行く。でも、自分でスイッチが入れられるようになれば、別に行かなくても、名画や名品を見たり名演奏を聴いたりしなくても、「なんかいいな」という世界に入れる。確かに、自分はこれから心を揺り動かされに行くという心の準備があると、人間は暗示にかかりやすいから、行った先で感動しやすい。しかしその暗示力みたいなものも、自分でコントロールできれば、心は動かせる。もちろん人間には、人がいいと思うものをいいと思えると安心するという集団心理も働くから、もっと総合的な分析も必要ではあるけれど。

    いずれにせよ物だけがアートなのではない。それはこちら側、観る側、鑑賞者の側にある。絵画や音楽は、そのスイッチを押すきっかけでしかない。『100の指令』を出した意図もここにある。

    考えてみれば、目の見えない人、耳の聞こえない人も美術や音楽と無縁ではない。心は動くから、いろんなものをきっかけにして、これがアートだと感じることができる。最近、白鳥建二さんという全盲の美術鑑賞者が話題だが、彼の話を聞くと、やはりこの確信は深まる。

    アート、近未来

    情報通信技術やメディアの急激な進展で、アートの在り方もここ3年から5年ぐらいの間で随分変わってきている。

    その結果、生徒、学生が教員の知らないことを知るようになり、先人が、もう先生ではないという、これまでと違う関係性が生まれてきている。鑑賞の仕方も、創作や表現の仕方も変わってきている。作家の中には、VRゴーグルを使って鑑賞できる「バーチャルアトリエ」で製作する者も出てきている。そこでは重力のある空間では作れなかったものもできてしまうし、サイズも関係なくなる。これからの3年から5年ぐらいでは、こうした作品は急激に増え、これまでのリアルの、物質文明で生み出された作品と同じぐらいの量になるのではないか。その結果、現実の空間とバーチャルの空間がどんどん滲んできて、お互いに価値を交換できる時代になるかもしれない。

    とはいえ、現実の空間はなくならないし、身体は年老いてはいく。

    このようなこれまで誰も経験したことのないような時代が訪れたときに、どういう心の動きが現れてくるのかが、とても楽しみだ。藝大にとっても、これまでの140年とはまた違う140年になるのは確実だと思う。

    高校生へのメッセージ

    私のように志望校選びをきっかけにアートを考えるのもいいと思うが、受験生の多くは、アートは受験とは関係ないから、できるだけ入試で問われる教科の勉強に力をいれようと考えるかもしれない。しかし、アートは大学へ行ってから、さらには年を取ってからでも始められるもの。この記事を読んだ人が、今は受験勉強に力を入れて、「大学へ入ってから、絵を描こうとかギター弾こう」と考えてもいいと思う。アートがいつも身近にあると、人生はもっと豊かになる。回りとの競争の中で、評価や数字と対峙するのもいいけれども、傍らに数値化できないような領域で過ごすすべを持っていると、最近よく言われるウェルビーイングではないが、精神的にも豊かな人生を送れるのではないか。アートのエキスパートにならなくてもいい、でもアートが身近にある人生はぜひ送ってもらいたいと思いますね。

    海外の高校生へのメッセージ

    昨今、中国から日本の芸術系の大学へ進学を希望する人たちが増えている。そのための予備校もできていると聞く。大学院進学が中心だが、本学も例外ではない。

    では東京藝大、というか日本の芸術系大学のどこに魅力があるのか。とっさにアニメが思いつくが、他にも理由があると思う。

    一番の理由は、日本が安全であり、また学費もアメリカやヨーロッパに比べて安いこと。コンテンツについては、日本は、長い歴史に培われた文化の中から最先端のものも生まれてくるという、不思議というか独特の国で、アニメ以外にも様々なものがあること。確かに日本には、長い歴史の中で中国から取り入れたものが多いと思うが、それを独自に消化し進化させてきたところに特徴がある。

    言語の問題も大きいかもしれない。言語は、英語で喋ると英語の思考になり、日本語で喋れば日本語の思考になるといったように思考回路を作るが、歴史や地理的な環境の影響を強く受けて成り立つ。日本は小さな島国で、同じような小さい島国は他の地域にも様々あるが、アジアのファーイーストという立地、南北に長いといった地形に特徴がある。そのため四季折々の表情が豊かで、詩や俳句には季節を表す様々な言葉がある。これは独特の感情や心の揺らぎ方を表現できるから、大きな魅力の一つになっているのではないか。もっとも日本がなかなか国際化できない原因の一つにこの言語の問題があることも確かだが。

    かといって日本人がこれまで海外文化を拒絶してきたわけではない。漢字を中国から取り入れ、それをデフォルメして平仮名にし、西欧の言語・概念もカタカナを使って取りこんでいる。拒絶はせずに取り入れて変容させ、そして混ぜていくのが得意だ。この融合力もまた魅力の一つになっていると考えられる。

    2022年度入学式:式そのものがアートになった(写真提供:東京藝術大学)

    雑賀恵子の書評 番外編 有人宇宙学 宇宙移住のための3つのコアコンセプト 山敷庸亮

     1969年アポロ11号の宇宙飛行士2人が、人類史上初めて月面に足を踏み入れた。このとき人類が宇宙に飛び出す時代が始まるのだ、と胸を躍らせた人も多かったに違いない。ところが、結局米国の宇宙飛行士12人が月面着陸を果たしたものの1972年のアポロ計画終了以降、月面に人類が降り立つことは途絶えた。その理由としては、宇宙開発においても当時冷戦構造下にあった米国と旧ソビエトの覇権争いとなっていたのが米国の成功で決着がつき、その後の冷戦の終結もあって莫大な費用のかかる月探査は下火になったことが大きい。以降は、国際協力による宇宙ステーションがつくられ、人類はステーションの中で地球の周りを回るにとどまった。

     近年になって、米国・ロシア、続く中国に加えてインドも宇宙開発に乗り出し、再び月面を目指すようになってきた。国家プロジェクトだけではなく、民間企業も続々と参入している。米国が2019年に発表したアルテミス計画は、アメリカ航空宇宙局(NASA)と民間宇宙飛行会社、そして欧州宇宙機関や日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)ほか国際的パートナーによって、月面に人間が持続的に駐留できる基盤を確立することを目的とし、最終的には有人火星探査を目指すというものである。月や火星に、人類が居住する時代が来るかもしれない。

     だが、地球という惑星の環境において多種多様な生命体が関係を持った生態系のなかで生存している人類が、他の星で生存することは可能だろうか。他の惑星を地球のように改造するテラフォーミングは、実現が極めて難しい。とはいえ、ドームのような閉鎖空間に、人類が持続的に生存できる環境を作り出すことは不可能ではないだろう。

     本書は、人類が宇宙に移住し、持続可能な社会構築をするために必要な課題について、最新の研究成果から読み解くものである。京都大学大学院総合生存学館に設置されているSIC有人宇宙学研究センター長の山敷庸亮が編者となって、有人宇宙学研究に参加した諸分野の気鋭の研究者たちに加え、宇宙開発組織の研究者、宇宙飛行士(土井隆雄、山崎直子)たちも執筆している。

     本書の構成は、以下のようなものだ。

     Part1「宇宙移住に向けての序論」では、本書の柱となる宇宙移住に必要なコアコンセプトとして、「コアバイオーム(核心生態系)」「コアテクノロジー(核心技術)」「コアソサエティ(核心社会)」の3本が提唱される。

     人類が生存できる場所を創設するには、地球を知らなければならない。なにゆえ、地球は生命を宿す星となり得たのか。序論では、水の惑星としての地球の特殊性、および生命や安定な環境を守るための仕組みが解き明かされる。地球は唯一無二の奇跡の惑星としか思えないが、この知見を梃子にしつつ、地球とは全く異なる環境を持つ生命の惑星の存在を探ることもできよう。そうすると生命とはなにか、という新たな探究にも思考の道は拓ける。有人宇宙学とは、宇宙での居住可能性を探究するために、地球や生命系を考える広がりと深まりに満ちた学問なのである。

     Part2「コアバイオーム」。

     地球生態系において、なくてはならない生態系がコアバイオームである。

     第1章「宇宙海洋と宇宙養殖」では、大気海洋循環における気候安定化という地球物理学的機能と、水圏生態学的機能、さらに養殖技術を通した食料確保と人類の生存基盤的機能という面から、宇宙海洋について考える。

     第2章「宇宙森林学」は、地球ではそれぞれの環境に適応した進化を遂げている多種多様な生物が複雑に連関して物質循環を成していることが説かれる。火星などに生物が生存するためには、外界から隔離された小規模な人工生態系である閉鎖生態系生命維持システムを創設しなければならない。微小重力、真空(圧力)、宇宙放射線、光、気温、大気組成など宇宙の特殊環境とどのように対峙するのか問題点が挙げられ、現在の実験研究が紹介される。植物栽培は食料確保のほかに、樹木育成によって木材資源の供給、酸素の供給、やすらぎ空間の提供などの意義がある。驚くのは、宇宙木材プロジェクトとして現在木材人工衛星も計画されていることだ。

     第3章「空気再生・水再生・廃棄物処理」では、現行の国際宇宙ステーションという限定された閉鎖空間で、持参した空気と水を清浄化し、温度・湿度を維持する環境制御・生命維持システムが、理論を踏まえて紹介されている。空気や水はもちろん、排泄物処理も必要であり、ここでもまた、循環的な維持と利用が重要になっている。

     第4章はまとめとして、地球の生態系を模して宇宙空間に小規模閉鎖生態系を構築することの重要性と問題点、そして今後の展望を挙げる。というのも、変化する環境の中で多種多様な生物が極めて複雑に関連しあって進化してきた地球生態系を極々簡略化して模倣しても、循環のバランスが崩れたり進化することもできず、長期的には生態系を維持できず絶滅してしまう可能性が高いからである。

     Part3「コアテクノロジー」。

     人類が宇宙に適応するにあたり障壁となる宇宙放射線および微小・低重力を乗り越えるための技術がコアテクノロジーとしてあげられる。すなわち、宇宙放射線防護技術と人工重力技術である。

     第1章「人工重力と月面・火星での居住施設」で人工重力施設が検討される。

     また、現在の国際宇宙ステーションでは、生存に必要な様々な物質を地球から補給し、船外に廃棄するという直線型社会/経済(リニアエコノミー)となっている。しかし、持続可能な有人宇宙活動を実現するには、循環型社会/経済(サーキュラーエコノミー)を達成しなければならない。第2章「宇宙での循環システム構築」、第3章「資源・エネルギーその場利用」では、これを模索する理論と技術が現状を説明しながら語られる。

     第4章「宇宙食」では、現状と必要な条件を説明しながら、特に、代用肉としての大豆肉、培養肉、昆虫食が紹介されている。

     Part4「コアソサエティ」。

     現在の地球上の人類の大多数は、国家単位の集団に属しており、国内法と国際法によって社会が維持されている。では、月や火星の土地を開発した場合、所有権や利益の分配などはどうなるのか。諸問題に対応するには、明文化された法が必要になってくる。また、社会が形成されるとそれに伴う調整も必要になってくる。そこで、宇宙法などをつくるための学問体系の確立を目指さなければならない。また、宇宙環境における医療の研究も重要である。第4部では、宇宙法社会と宇宙医療をコアソサエティとして、法律・政治・司法のあるべき姿を提示し(第1章「宇宙法」)、医療について考える(第2章「宇宙医療」)。第3章「宇宙観光」では、一般社会法人宙ツーリズム推進協議会の活動を中心に、観光の観点および文化的な観点が紹介される。

     人類が宇宙に飛び出して、移住する。それは何のためだろうか。資源を求めてか。宇宙そのものの探究か。人類に備わった飽くなき好奇心とフロンティア精神に突き動かされてか。

     わたしたち人類は、この星で約38億年前に誕生した生命を引き継ぎ、長い長い進化の過程で生まれてきた。不思議で唯一の星、地球はいま、人類の活動によって汚染され、温暖化による異常気象に晒されて環境が激変している。このままだと21世紀中に、生物の大量絶滅が予想され、人類そのものの生存も脅かされることになる。それなのに、いまだ各地で戦争や紛争は絶えず、また富の分配の不均衡による格差で貧困に喘ぐ人たちは地球人口の8割もいる。

     そのような現在、危機に瀕した地球を見捨てて、人は宇宙に活路を見出そうとしているのか。

     いや、そうではないだろう。

     本書を読めば、有人宇宙学研究とは、一方でまた地球という星と、そこで生まれた生命の繋がりを深く探究する学問でもあることが見えてくる。有人宇宙学研究で得られた知見や技術は、いまの状況を分析し、危機を回避する手立てにも役立つだろう。そして、人間というものを、生命を、世界を考える道を造設するに違いない。 

     有人宇宙学は、現在にしっかり根を下ろして、未来を繋げようとする探究の営みなのだろう。

    情報学と工学、生物学を融合 人の感覚・知覚拡張から昆虫の感覚研究へ。昆虫ロボットの開発から「動きの標本」作りまで

    永谷 直久さん永谷 直久さん
    ~Profile~
    1982年生まれ。2011年電気通信大学大学院電気通信学研究科博士後期課程単位取得退学。2012年博士(工学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)。東北大学大学院情報科学研究科研究特任助教、八戸工業大学防災技術社会システム研究センター博士研究員を経て、2015年4月より京都産業大学コンピュータ理工学部助教、2018年より現職。ヒトの感覚知覚特性を利用した感覚拡張インタフェースや節足動物の行動解析の研究に従事。宮城県仙台第一高等学校出身。

    研究室をのぞくと、機械系の工作室のような一画が目に飛び込んでくる。奥へ進むと、ブルーのプラスチックでできた巨大なダンゴムシの姿が。情報学、工学、生物学が融合する不思議な空間の主が、人間の感覚・知覚拡張※から生物の感覚までを研究されている永谷直久先生。その多様な研究・教育の一端をご紹介します。 ※テクノロジーを使って、感覚知覚機能を拡張させること

    人間らしいロボット作りから虫研究へ

     学生時代は、学部から博士課程まで電気通信大学の知能機械工学科に在籍していました。小学生の頃に憧れたドラえもんの影響か、人間らしいロボットを作ることに関心があり研究の道に進みました。しかし当時は、今ほど人工知能は発達していませんでしたから、人間らしい「動き」の原因となるヒトの感覚・知覚の究明に、VRを使ってアプローチしている研究室に入りました。ここでは特定の電気的な刺激を与え、感覚や知覚を拡張させる研究などを行っていましたが、工学科ということもあり、人の感覚や知覚、行動を計測するだけでなく、それに必要な実験装置も作っていました。

     長らく人を対象に研究する中で、人らしさを深く理解するためには他の生物との比較も必要ではないかと感じていたところ、本学赴任前に所属していた研究室がアリの研究をしていたことから、アリやダンゴムシなどの行動観察も始めました。以来、生物系の研究者ではないにもかかわらず、虫の行動も研究対象に含め、そのためのVR実験装置『ANTAM』など、虫専用の観察装置の開発も行っています。

    VR実験装置『ANTAM』

    虫が操縦する?逆転の発想から生まれたANTAM

     虫の行動観察研究には長い歴史がありますが、私たちは、これまで目視で行われていた行動観察に、データ計測を基にした定量的な手法を導入して、新たな知見を得ようと考えています。そのために工夫した装置がANTAM。また、その改良版のANTAM-Qでは回転する透明な球体上に虫を置き、裏側(腹側)から移動行動をカメラに収め、脚や触角などの特徴点を抽出して追跡することで、自然環境に近い行動軌跡、運動データを収集します。 今日、深層学習は急速に進歩し、得られたデータを自動的にかなりの精度で数値化できますから、これまで捉えられなかった細かい動きまで見ることができ、昆虫学の世界では数十年前ぐらいに確定した知見でも塗り替えられるのではないかと期待しています。

    「動きの標本」作りの科学的価値は?

     ANTAMを使うことで、行動を数値化し、より詳細な行動データを取ることができますが、これは災害救助現場で活躍する昆虫ロボットなどの開発に役立つだけでなく、「動きの標本」としての価値もあると思っています。

     一つは科学的価値。例えば、オカダンゴムシも数十年後には違う歩き方をしているかもしれませんから、現在の動きを記録しておくことには博物学的な価値があるはずです。生物種の分類は、通常、形状やDNAが基準ですが、動きのデータも新たな基準になるかもしれない。人類の知的資産としての価値があると言ったら言い過ぎでしょうか。

     もう一つはエンターテイメントへの応用です。アニメーションやゲームのモデリングに、動きの標本を活用する。人のモーションキャプチャーは珍しくありませんが、虫のモーションキャプチャーはどうでしょう。ANTAMでたくさんの生物種の動きのデータが取れれば、虫を動かすのに、クリエイターが0から動きをモデリングする必要はなくなるかもしれません。さらに蓄積されたデータを分析することで、メタバース空間でリアルに近い動きをするアバターを作ったり、虫の知覚を詳しく解明して《虫の視点》を楽しんだりすることもできるかもしれません。何か、ドラえもんの秘密道具を使った世界を彷彿とさせませんか。

    図工の続き、ものづくりの授業

     担当する授業の一つが、1年次秋学期開講の『デジタルファブリケーション』です。ファブリケーション(製造)ですから、3Dプリンタやレーザカッタなどを使って制作を行います。CADというコンピュータでの作図設計も学びます。デザイン系の先生と私の二人で担当していて、スマートスピーカをデザインするなど、美術系の大学に近いものまで作ります。1年次生が作業内容を理論的に完全に理解するのは難しいかもしれませんが、CADで作ったモデルが3Dプリンタから出力されると、「小学校の図工以来!」とみな嬉しそうです。私も、「失敗を気にせず、あのときの楽しさをもう1回思い出そうよ」とよく言っています。土曜日の集中講議ということもあり、学生にとっても教員にとってもややハードな授業ですが、学生の満足度はとても高くやりがいがあります。この授業を受けた学生が私の研究室に入ってくれることも増えてきましたし、履修者の制作物がIVRC(Interverse Virtual Reality Challenge)※で入賞し、フランスで開催されたVRイベントでも展示され受賞したこともあります。

    ※1993年から続く、学生を中心としたチームでインタラクティブ作品を企画・制作するチャレンジ。

    探究学習に向けて 自由研究の精神を大切に

     研究を続けていく中で、小・中学生や高校生の自由研究からは大いに刺激を受けています。図工のワクワク感と同じように、素朴な好奇心に由来するものが多いからではないでしょうか。ダンゴムシについては、一般の方による行動研究が盛んですし、小・中学校の自由研究や、高校生の生物コンテストなどで高評価を得たものにはとても面白いものが多いです。オカダンゴムシがいる飼育ケースの近くにはカビが生えにくいことに着目し、フンの中に抗カビ剤の成分が含まれていることを発見した高校生の研究等には、素直にすごいなと感心させられています。

     これに比べると、私の研究は小学生レベルの知識でもできる簡単な研究をデジタル化しているだけです。ANTAMのような装置を作ることは技術的には難しいかもしれませんが、発想は、虫を普段見ない腹側から見たらどうだろうかというとてもシンプルなものでした。しかし、脚の動きをより詳細に分析できましたし、脚を使って排便をする!などの新発見もありました。見慣れた生物でもいつもとは違う視点で観察してみるのもおもしろいですね。

    デジタル工作機器が揃う「ファブスペース」にて

    雑賀恵子の書評 動物がくれる力 教育、福祉、そして人生 大塚敦子

    雑賀 恵子 さん
    ~Profile~
    京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

     外出先で体の不調を感じ、夜這々の体で一人暮らしの部屋に帰宅するなりベッドに倒れ込み、そのまま気絶するように寝込んでしまったことがあった。どのくらい経ったか、高熱の苦しみでうっすらと目を開けると、そのころの飼い猫の綱吉が心配そうに顔を覗き込んでいた。綱吉は前脚でそっと私の頬に肉球を押し当て、そろそろと私の胸元あたりまで下がった。どうやらずっと添い寝してくれていたようである。その後、何回か、そろそろとまた近づいて、唇や頬に冷たく柔らかい肉球を押し当てては、傍に下がってじっとしていた。ようやくどうにか起き上がれるようになったのは翌日のお昼も回ってから。その間、ご飯をねだりもせず、声も出さずにぴったりと体をつけてずっと寄り添ってくれていたのである。後からわかったが、インフルエンザだった。

     猫派とか犬派とかいうことなく、動物が好きだ。一緒に暮らすものとして動物を尊重し愛した経験のある人ならおそらく、かれらが(たとえ人間にはわからないことがあるにしても)豊かな情動を持っていることを「知って」いるだろう。ある場合は、言語を持たないからこそ、人間の力を超えたなにかでわたしたちとより深く交感できることも「知って」いる。だから読む者は、この本に書かれていることには、まったくもって然り!と手を叩くはずだし、実践されていることがもっともっと日本でも広まってほしいと願うに違いない。

     困難を抱えたり、生きることにつまずいた人々が動物とともにいることによって、自分の力が引き出されたり、よりよく生きられる方向に歩みを変えられることがある。さまざまな分野でそのようなことをサポートするプロジェクトや施設の現場を米国と日本でルポしたのが本書である。本書にも紹介されている盲導犬や介助犬、病棟や高齢者施設などで活躍する動物たちは、わりとよく知られているだろう。だが、それだけではないのだ。問題を抱えた子どもたち、劣悪な環境や虐待によって心に深く傷を受けて人との関わりができない子どもたちを、自然豊かな農場のような施設に受け入れ、プログラムされたサポートのもとで動物たちと交流することで回復を促し、自立を支援する米国の諸団体の取り組み。盲導犬や介助犬育成を受刑者が担うことにより、自分と向き合い、社会と自分のつながりを見つめることで、その生き直しを助ける刑務所のプロジェクト。そのほか、教育現場や司法の分野などで取り組まれている動物たちと人の関わりが描かれる。

     こうした取り組みは、人間のために動物たちの力を「利用」しているというものではない。人間による虐待や遺棄で心身に深い傷を負った動物たちを保護する団体が関わって、保護された動物が参加しているものも多い。そうでない場合でも、働く動物たちへの配慮は十分になされている。つまり、生きるものたちへの尊重が基本にあって、相互関係の中で生きる力を引き出すものともいえるのだ。いくつもの具体的な事例に驚きと感動がある。

     動物の力。人間もその動物界の一員だ。それをあらためて考えよう。

    杜の都の西北から 第2回 いつから「保護者」? いつまで「保護者」?

    (学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌厚(やすひろ)さん
    ~Profile~
    1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

     新型コロナウイルス感染症に対する規制緩和の流れの中で、大学にも賑わいが戻ってきている。学生同士が直接触れ合い、仲間と課外活動や学校行事を楽しめるようになったのは3年ぶりとなる。卒業式、入学式も今年は多くの大学でコロナ禍以前のように保護者の参加も可能となった。大学によっては、保護者がキャンパスを来訪するタイミングを捉えて懇談会を開催するなど、その後の大学との関係構築を図ろうとするところもある。保護者との信頼関係を基礎として学生の出欠その他の学修状況等を共有することで、学生が課題に直面したときも適切な支援が可能になる。多くの学生は、成人とはいえ未だ成熟途上にある。学生の教育をになう大学にとって、保護者との関係強化は、教育の質保証や教育効果向上に直結する重要な課題なのだ。

     ところが、近年、一部の大学で学生の父母等を「保護者」と称するのを避け、代わりに「父母」「両親」「親」等を使用する動きがみられる。その背景には、昨年施行された改正民法における成年年齢の引下げがあるようだ。法令用語としての「保護者」は、一般に未成年に対する養育義務を有する者をいう。そうなると成年しかいない大学生の父母等を「保護者」とすることは不適切だということだろう。確かに一理はある。しかし、それを根拠に「保護者」と呼ばず「父母等」とすることは妥当だろうか、少し考えてみることとしたい。

     学校法制で「保護者」は、就学義務に係る法令の規定として登場する。この義務を負う者について、教育令や第一次小学校令は「父母後見人等」と称していたが、明治23年の第二次小学校令では「学齢児童ヲ保護スヘキ者」となり、明治33年の第三次小学校令において「保護者」となった。同令32条は「学齢児童保護者ト称スルハ学齢児童ニ対シ親権ヲ行フ者又ハ親権ヲ行フ者ナキトキハ其ノ後見人ヲ謂フ」と規定している。この保護者の規定は、100年を超える歳月を経ているが、現在の学校教育法16条の規定とほぼ同じである。

     次に、「保護者」が学校や社会に受け容れられた経緯について考えたい。戦前は、「父兄会」や「母姉会」のように性別の組織が学校の支援を行っていたが、戦後は、文部省がPTAを奨励する中で「父母の会」等として広まっていった。

     その一方で、戦前由来の「父兄」語も根強く流通していた。それが、昭和の終わり頃には、父兄は、男尊女卑を連想させるとして批判され、これに代わる呼称として、「父母」の使用の動きがひろまった。ところが、さらに時代が下ると今度は、「父母」についても、父母の一方、親戚(代行者)、児童福祉施設の長、後見人などに養育されている子がいる現状に対する理解と配慮が足りないと指摘されるようになり、そのことで従前は「父母」と称していた向きも「保護者」の呼称を使うようになったわけだ。

     このように、社会の変化にともない家庭環境も多様化している中で、多くの人々に受け容れられてきたのが「保護者」だといえる。大学が自らの考えに拠って「保護者」を定義し呼称することは、それはそれであってもよいことではないだろうか。(続く)

    16歳からの大学論 効率主義の光と影

    京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
    宮野 公樹 先生
    ~Profile~
    1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

     ここ半年余り、生成系AIの登場により、文章を要約するというのはもうすっかりAIの仕事になりました。例えば、1時間の講演を要約すると、数千字から一万字になるでしょうか。これを手作業で要約するのは大変な作業ですが、AIなら見事に数秒でこなしてくれます。

     他にも、書籍を翻訳・要約するサイトがあります。このサイトを利用すれば、本を読まなくても内容を理解することができ、非常に人気です。私も利用したがことがありますし、私の本も要約されています。

     しかし、便利なものほど落とし穴もあるというもの。私には過度に要約を求める心が気がかりです。この心は、効率主義の表れだと思うからです。効率主義とは、時間やコストを節約することを第一とする考えであり、現代社会においては非常に重視されています。しかしすべてのものに長所と短所があるように、効率重視の心には注意が必要です。

     そもそも要約とは、当たり前のことですが、長かったものから何かを省いて短くすることですよね。では、一体、何を省いたのでしょうか?

     その省いた部分にも意識が向かないと、「情報」は得られても「知識」は得られません。確かに要約を読めば、その本に書かれている内容はわかるかもしれませんが、それが生まれるに至ったストーリーを理解し、背景に潜む感情に共感し、著者の個性が現れる文体を味わうことはできないでしょう。つまり、その本に感動はできないのです。

     人生において、最も大切なのは、自分が存在していることの意味(←意義ではありません)を知ること。食べるために生きるのなら、そのために有益な情報だけでいいのですが、生きるために食べる場合には、どうしても真善美や喜怒哀楽、そういうロジックではないものが必須です。人間がその歴史において芸術、絵画や音楽、詩を大切にしてきた理由もここにあります。

     次に、気をつけたいのは、効率をあげる「目的」を見失わないことです。効率をあげることを第一にすると、何のために時間やコストを節約したいのかを考えなくなってしまいます。とにかく、コスパ、タイパがいい方がいい・・・と。そういう心には、すでに書いたように感動は訪れにくい。なぜなら、物事や事象の生成過程、プロセスにおける苦労や気付きの中にこそ、自分の実感を伴った深い感動や学びがあるからです。それが得られないような効率追求にどれほどの意味があるのか、一度は立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。

     もちろん、有限の時間を生きる人間が、時間も資源も節約したいと考えるのはある意味当然のことかもません。しかし効率を過度に重視して、そもそもの目的は何かを意識しなければ、効率の虜になり、むしろ忙しくなってしまう。今日の社会はまさにそのように、つまり忙しさのために忙しくなっている、筆者はそう感じています。(続く)

    大学ランキングからはわからない大学の実力 第3回 法学部離れ、日本の将来は大丈夫か

    教育ジャーナリスト 小林 哲夫 さん
    ~Profile~
    1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

    2023年、中央大法学部のキャンパスが多摩から都心(文京区茗荷谷)へ移ってきた。これによって千葉、埼玉、神奈川の高校生が受験しやすくなった。それは数字にも示された。中央大法学部の一般選抜の志願者数は前年比で402人増えている。一方、大学関係者のなかには、「中央の法」というブランド力から1000人以上の増加を見込んでいた者もいた。

    だが、これが現実である。ここ数年、法学部の人気がなくなっているからだ。

    2023年の一般選抜入試では、おもな私立大学法学部が軒並み志願者を減らしている(いずれも前年比)。◆青山学院大725人、◆慶應義塾大39人、◆明治大412人、◆立教大2598人、◆早稲田大332人

    東京大法学部も人気がふるわない。

    東京大は入試では科類で募集している。法学部に進学するコースの文科一類は、文科二類(おもに経済学部進学コース)、文科三類(おもに文、教育学部進学コース)より、合格最低点で10 ~ 20点高かった。つまり、東京大法学部は文系でもっとも難しかったのである。

    ところが、昨今、異変が起きている。科類ごとに合格最低点をみると、2019年、文科二類が文科一類を初めて上回った。2020年には文科一類が逆転したが、2021年、22年は文科二類に加えて文科三類まで文科一類を上回ってしまう。いうなれば、この2年間、東京大では法学部よりも経済、文、教育学部のほうが難易度は高かったわけだ。

    2023年、文科一類は二類、三類を上回った。だが、かなりの僅差であり、来年以降、いつひっくり返されるかわからない。

    なぜ、法学部の人気はなくなったのだろうか。卒業後の進路と関係がありそうだ。

    法学部は法学教育がメインとなっている性格上、出身者には法曹、国家公務員が多い。両者の志願状況から、法学部志望との因果関係を見出すことができる。

    まず法曹である。弁護士、検事、判事の仕事に就くためには、一般的には法科大学院に通って司法試験に合格しなければならない。ところが、法科大学院入学志願者は4万1756人(2006年)→2万414人(10年)→1万1450人(14年)→8058人(18年)→1万633人(22年)となっている、 2014 ~ 21年の間はずっと1万人台を切っており、低調といえる。

    この数字は司法試験受験者数にも当然、はね返ってくる。その数は8015人(2014年)→5238人(18年)→3082人(22年)と右肩下がりを続けた。法科大学院通学に時間とお金がかかるから、避けられたとの見方もある。

    このように司法試験受験者数が少なくなるのは、日本の社会にとってかなりまずい状況になりはしないか。将来、弱い立場の人たちを守ってくれる弁護士が足りなくなってしまう。こう考えると、暗たんたる思いを抱いてしまう。

    そして、国家公務員である。

    国家公務員総合職、いわゆるキャリアになるための採用試験の申込者数(院卒者試験と大卒程度試験の合計)も減少しており、2012年の2万5110人が2022年には1万8295人と、10年で4割近く少なくなっている。なかでも東京大の落ち込みは顕著で、459人(2014年)→433人(16年)→329人(18年)→249人(20年)→102人(22年)となっている。

    そもそも東京大は前身である東京帝国大学時代において、官僚養成色を強く打ち出してきた。教育目標で「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授・・・」(帝国大学令)と謳っている。「須要」とは、「なくてはならないこと」である。つまり、東京大の役割は、国家にとって必要なことに応えるための専門分野を教える、平たく言えば政策を考える専門家=官僚を養成する、というものだった。

    ところが、官僚はすっかり人気がなくなってしまった。さまざまな理由、背景がある。

    深夜まで公的文書作成に追われるなどの労働環境の厳しさ、国会の委員会で対応する官僚のしどろもどろな様子、国民の疑問に応えようとしない姿勢に、いまの東京大の学生は職業としての魅力を感じなかった、ということだろう。

    それでは東京大など難関大学から法曹や官僚を目ざしていた層はどこへ行ったのか。

    金融、商社、ソフトバンクや楽天など新興のIT企業は人気が高い。そして、能力に応じて高給が保証される外資系金融、コンサルティング会社が注目されている。

    東京大法学部教授からこんな話を聞くようになった。

    「クラスでもっとも優秀な学生は財務省、というのは過去の話になりつつあります。最近では頭抜けて切れる学生がゴールドマンサックスやマッキンゼーを選びますからね」。

    法曹や官僚に優れた人材はいなくなって、日本社会の将来は大丈夫か。危っかしいとんでもない政策が横行しないか。一般常識から離れたデタラメな法的判断が下されないか。想像すると恐ろしい。法学部離れが進むことで、法曹や官僚のレベルが大幅に下がってしまえば、大げさにいうと、日本社会を混乱させかねない。

    日本社会はもっと危機感をもったほうがいい。そのためには法学部出身者を大切にする、法学部教育をより充実させることが、喫緊の課題となる。(続く)

    「探究」の現場から テーマ設定の理想と現実

    秋田県立横手高等学校 教諭 瀬々 将吏さん瀬々 将吏さん
    ~Profile~
    1991年 広島大学理学部物理学科入学、1995年 大阪市立大学大学院理学研究科前期博士課程物理学専攻入学、1997年 同研究科後期博士課程物理学専攻入学、2003年 単位取得退学。博士(理学)。2003年12月 大阪市立大学 数学研究所 研究員、2004年12月 京都大学基礎物理学研究所 非常勤研究員/研修員/非常勤講師、2005年10月 慶應義塾大学 研究員、2006年 9月 国立台湾大学 研究員、2008年 4月 秋田県立横手清陵学院高等学校 教諭、2020年4月から現職。兵庫県立芦屋高等学校出身。
    ◉所属学会・団体等 日本物理学会、日本物理教育学会 および 東北支部、博士教員教育研究会、科学教育若手研究会
    ◉教育活動 勤務校では,理科授業(物理,生物,化学)や総合的な学習の時間・自然科学部などにおける課題研究を担当。2010年から2015年および2020年以降、勤務校にて文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」の企画・運営に携わる。他に県内の小・中・高や社会人を対象とした「出張授業」を行なう。「博士教員教育研究会」に所属し,高校生のための科学講座「未来の博士要請講座」や,高校生のための研究発表会「あきたサイエンスカンファレンス」の企画・運営を行い講師も務める。
    ◉専門 理論物理学。素粒子論・宇宙論の融合分野としての「ひも理論(string theory)」。とくに弦の場の理論(string field theory)

    はじめに

    もともと理論物理学の研究員として大学に勤務していた筆者は、2008年に秋田県で行われた、博士号取得者を対象とする教員採用を経て高校で教鞭を執ることになりました。それ以来、「理数課題研究」や「総合的な探究の時間」の指導をしてきました。指導歴が長くなってきたこともあり、近年では、秋田県内の学校で生徒向けの「探究入門」や教員向けの研修などを依頼されることも多くなってきました。本稿では、筆者が高校の現場で感じてきたことを軸に、「探究」の指導について述べたいと思います。

    なぜ「探究」?

    新学習指導要領の全面実施に伴い、従来の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」になりました。基本的な性格は従来のものが受け継がれていますが、大きな違いは「テーマ設定」にあります。従来は学校側が設定したテーマに取り組むことも可能でしたが、今回は生徒自身がテーマを設定することが求められているのです。より本物の「研究」の姿に近づいたといえます。今なぜこのような教育を行う必要があるのでしょうか?

    2022年末頃からのChatGPTなどの人工知能(AI)の台頭を目の当たりにして、少なくとも知識や技能の習得のみを目標としたこれまでの教育過程を「なんとかしなくては」と考える人はかなり増えたのではないでしょうか。この変化に翻弄されることなく対応し、豊かな社会を築いていける人材を育てる教育が必要なことは誰の目にも明らかです。実際、1990年代の終わりから国際的に議論されていた教育改革、特に新しい学力観としての「コンピテンシー」への注目は、このような社会の到来を予測し、先回りして議論したものだったと言えるでしょう。その流れは、現在の学習指導要領や「総合的な探究の時間」に色濃く反映されています。

    では、このような変化の激しい時代の教育で求められる資質・能力は何なのでしょうか。それは「博士の資質・能力」である、というのが筆者の考えです。そしてその能力とは専門分野の知識ではなく、「新しい知識を創造する能力」です。博士として認められるには、世界で初めてのオリジナルな(新奇性のある)研究を行う必要があります。博士課程の学生は研究室や学会での厳しい討論や論文投稿などを通して、新奇性のある研究を行う能力を鍛えあげていきます。つまり博士は「新しい知識を創造する能力」に長けた人材なのです。

    変化の激しい社会では、この能力が重要になると考えられます。レジ打ちの仕事が無くなってしまったら従業員はどうすればよいのか?宿題にAIが使われるのにどう対応するか?博士が行う研究と同じように、データを収集し、仮説を立て、新たな対応策を講じる必要があります。

    今回導入された「総合的な探究の時間」ももちろん、そのような考え方に立って設計されています。学習指導要領解説では、「自己の在り方 生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し」と、かなり踏み込んだ表現で書かれています。ただ単に課題を自ら発見すればそれで良いのではなく、高校生というその後の人生を左右する多感な時期に、「総合的な探究の時間」でライフワークとなるような課題に出会い、熱中し、追求していってほしい。そういう願いが込められているように読み取れます。学習指導要領解説としては非常に珍しく、情熱に満ちた文章です。ぜひご一読をお勧めします。

    高校生の中身

    さて、あなたは今から教壇に立つ新米教師です。教員養成課程や初任者研修などで、これまでに述べたような「総合的な探究の時間」の意義について学びました。文部科学省の描く高い理想に共鳴し、「総合的な探究の時間」を指導できることにワクワクしています。

    探究活動を始めるにあたって、とにかく、テーマが決まらないことには何もできません。まず学校側からはなにも情報を提供せずに、生徒たちに「探究活動で取り組みたいテーマはなんですか?」とアンケートを取ることにしました。

    生徒たちはかなり苦戦しているようです。普通教科の学びでは、与えられた課題をいかに上手にこなすかに重点が置かれており、生徒はそれに向けてトレーニングを重ねてきています。

    そこにいきなり「なんでもいいから、テーマを考えてみて」と言われるわけです。学校では規則や教科書の内容に縛られ、自由に気持ちを持っている反面、いざ自由にと言われるととたんに苦労します。

    あまりに何も出てこないので、生徒には「学校の授業だからどうとかに縛られず、本当にやりたいこと、興味あることを書いてごらん」と指示しました。教師はなんとか本音を引き出せた、と手応えを感じましたが、出てきたテーマに愕然としました。

    • KPOPはなぜ世界中で人気があるのか

    • 好きな異性のタイプ

    • 味噌ラーメンと醤油ラーメン、どっち派が多いか

    • ○○でガチ勢に勝つには(○○はゲームの名前)

    • 授業で眠たくならない方法

    • 血液型と性格に関係性はあるのか

    • ドラえもんの秘密道具は実現できるか

    • 空想科学

    学習指導要領の言う「自己の在り方 生き方と一体的で不可分な課題」とは大きなギャップがあります。一方で、一応はこの授業の狙いに沿っていると思われるテーマも出てきます。

    • 少子高齢化を食い止めるには

    • ○○市を活性化させるには

    • 地球温暖化を防ぐためには

    • ジェンダー不平等を改善するには

    テーマ自体は妥当なのですが、具体的な内容に乏しく、何をどう探究したいのかが伝わってきません。本当はあまり興味がないのだけど、大人が「やってほしい」と考えるテーマをとりあえず書いただけ、という姿勢が見てとれる生徒もいました。

    この状態でいくら生徒に「主体的に活動しよう」と指示しても、全く進む気がしません。その後数回授業を行いましたが、生徒が考えるテーマは深まることもなく、ただ時間だけが過ぎていきます。

    筆者がテーマ設定を指導していたときの出来事が印象に残っています。上述のような状況になり、とりあえず、選ぶテーマとして「恋愛禁止、食べ物禁止」という指示を出しました。するとある生徒から「先生、私たち高校生から異性や食べ物のことを取ったら、何が残るんですか」と言われました。自分が高校生のときのことを思いだし、思わずうなずいてしまいました。

    テーマの類型化

    探究の指導を長年していると、生徒から最初に出てくるテーマの特徴がつかめてきます。中には独自の視点で鋭いテーマを提案する生徒もいるのですがごく少数です。具体的に特徴をあげると、

    • エンターテイメント( 音楽、映画、YouTube、ゲーム)

    • 感覚、心理、恋愛、友人関係

    • なんとなく科学っぽいもの(ドラえもん、健康器具、健康食品、血液型)

    等です。全て、消費の対象として人気のあるものばかりであることに気づきます。知識の創造(学術)や価値の創造(ビジネス)につながりそうなテーマがなかなかでてきません。当然でしょう。高校生の消費動向はトレンドを形成するという意味で、企業や経営者にとって極めて重要です。従って、高校生が触れるメディアは彼らの興味を最大化するために、面白いコンテンツであふれます。YouTubeやTikTokなどを見ても大変面白いものがあり、その意味では大変価値があるのですが、あくまで消費を高めるためのものです。探究の目指す「新しい知識を産み出す」とは立場が正反対なのです。では、どうすればよいのでしょうか?高校生が「消費」ではなく「創造」に目を向け、豊かな未来に向かわせるようにするにはどうすればよいのでしょうか?(続く)

    なんでヴィーガンなの?これからの食べ方を哲学する

    林 和雄さん林 和雄さん
    ~Profile~
    京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。京都大学大学院文学研究科非常勤講師。J.S.ミルの功利主義などに関する研究に取り組む。東京都立西高等学校出身。

    「ヴィーガン」という言葉をご存知でしょうか。普段から肉を食べない人のことを「ベジタリアン」と言いますが、その中でも「ヴィーガン」とは、卵や乳製品なども含めて動物性食品を全く食べない人のことを指します。現在、世界には様々な理由でヴィーガンになる人がいますが、哲学の分野では、「倫理的に正しいことをしようと思うならば、私たちはヴィーガンになるべきだ」という主張が広まってきています。この主張にはどのような根拠があるのか。『なぜヴィーガンか?――倫理的に食べる』(7月25日発売予定)の共訳者の一人として、この本の内容を紹介しつつ、動物を食べることに含まれる問題を考えました。

    『なぜヴィーガンか?』の中で著者のピーター・シンガーは、私たちがヴィーガンに、あるいは少なくともベジタリアンになるべき理由を大きく分けて四つ挙げています。私なりに整理しながら、順番に見ていこうと思います。

    一つ目の理由は、現代の畜産業が、莫大な数の家畜に多大な苦しみを与えていることです。現在の先進国では、家畜の大多数は牧場でのびのび育てられているのではなく、大きな畜舎に大量に詰め込まれて飼育されており、シンガーはこうした手法によって動物に様々な苦痛が生じていることを問題視します。例えば肉用鶏は、自由に羽を広げることもできない過密状態でストレスを感じており、また、急速に体が大きくなるよう品種改良されてきたことが原因で心臓や脚の疾患に苦しむことが多く、さらに、屠殺場ではかなりの割合の鶏が意識のあるまま喉を切られたり熱湯で茹でられたりしていることがわかっています。「動物は人間とは種が異なるのだから、食べるために苦しめても問題はない」と考えるべきでしょうか。シンガーはこうした発想を「種差別」と呼び、それは人種差別や性差別と同様に不正であると主張します。自己中心的な差別に反対するのであれば、人間は動物を過度に苦しめる畜産方法を改めなければなりません。そのために消費者一人一人ができることは、畜産の現状に対して反対の声を上げ、そうした手法で生産された食品を買わないようにすることです。したがって、現在の畜産方法が大幅に改善されない限り、私たちはヴィーガンになるしかない。これがシンガーの議論です。

    ヴィーガンになるべき二つ目の理由は、環境問題です。今日、多くの家畜を飼育するプロセスによって、人類の持続可能性が脅かされています。肉を生産するためには、その何倍もの量の穀物を餌として家畜に与える必要があり、畜産は食糧や水、エネルギーや土地の無駄遣いだと言います。加えて近年では、畜産業がメタンなどの温室効果ガスの主要な排出源となっており、気候変動に大きな影響を与えていることが指摘されています。私たちが動物性食品を消費しないことが、食糧危機や気候危機への対応につながるのだとシンガーは主張します。

    三つ目の理由は、自分の健康への配慮です。肉の食べ過ぎは生活習慣病のリスクを高めると言われており、近年は健康のために植物ベースの食生活を選択する人が増えてきています。とはいえ、この点についてはシンガーも詳しく論じておらず、私自身にも正確なところはわかりません。おそらく、肉食にもベジタリアンやヴィーガンの食生活にもそれぞれメリットやデメリットがある、というのが本当のところでしょう。確実に言えるのは、健康な状態で長生きするヴィーガンは数多くいるため、「動物を食べなければ人間は生きていけない」という主張は誤りだということです。

    四つ目の理由は、感染症の問題に関わります。シンガーは、2020年以降世界中に広まった新型コロナウイルス感染症が、中国武漢市の生鮮市場で発生した点を問題にしています。この主張については異論もあるようですが、鳥インフルエンザや豚インフルエンザなど、人獣共通感染症の多くが動物性食品の生産や流通に由来することは確かでしょう。したがって、私たちが動物性食品を消費しないようにすることは、新たなパンデミックのリスクを減らすことにもつながると言えます。

    さて、皆さんはこの議論に納得したでしょうか。今まで当然のように感じていた食生活が、差別であり環境破壊であり不健康でありウイルスの温床だ、と言われても簡単にはうなずけないかもしれません。しかし、哲学の役割の一つは、誰もが自明だと感じている前提を疑ってみることにあります。私が言いたいのは、ヴィーガンの主張を最初からおかしいと決めつけるのではなく、自分の頭で真剣に検討してみてほしいということです。ちなみに私自身は、今回の翻訳をきっかけにベジタリアンになりました!もっともいくつかの理由で、ヴィーガンにはなっていません。自分の食べ方を変えてしまうかもしれないスリリングな議論に、今後一層、多くの方が参加することを願っています。

    動物倫理学が学べる大学
    人間は動物とどのように付き合っていくべきかという問題は、「応用倫理学」の一分野である「動物倫理学」で扱われています。京都大学、北海道大学、広島大学、慶應義塾大学、立命館大学などの文学部では、応用倫理学の研究が盛んに進められており、動物倫理学についても学ぶことができるでしょう。また、家畜をはじめとする動物の幸福について科学的に研究する「アニマルウェルフェア(動物福祉)」という分野があり、農業大学や農学部で学べる場合があります。
    『なぜヴィーガンか?――倫理的に食べる』(7月25日発売予定)

    ひとつだけ生き残ったタイタンの謎に、コンピュータシミュレーションで迫る

    藤井 悠里さん藤井 悠里さん
    ~Profile~
    京都大学大学院人間・環境学研究科助教。2015年、名古屋大学大学院理学研究科素粒子宇宙物理学専攻博士課程修了。東京工業大学地球生命研究所(ELSI)研究員、デンマーク王国コペンハーゲン大学ニールス・ボーア研究所研究員、名古屋大学高等研究院/大学院理学研究科特任助教を経て2021年より現職。惑星や衛星の形成過程やその環境に興味を持って研究している。京都市立堀川高等学校出身。

    太陽系には土星と木星の2つのガス惑星があり、それぞれに100個前後の衛星がある。土星の衛星全部の95%以上もの質量を占めるタイタンは、土星の衛星の中でぶっちぎりに大きい。一方、木星の周りには、400年以上も前にガリレオ・ガリレイが手製の望遠鏡で観測できたほどの大きな衛星が4つもある。では、タイタンは始めから独り勝ち状態だったのだろうか。

    土星がガス惑星となるべく大気をたっぷり獲得する際には、土星の周りにガスでできた円盤が形成される。ちなみに、この時点では氷の粒でできた土星の輪はまだ存在しない。ガスの円盤は土星の自転と同じ向きに回転していて、その中にわずかに含まれる岩石や氷の粒から衛星が生まれていく。ここで、バケツに水を入れて勢いよく回転させるとバケツが逆さになっても水が落ちない状況を思い浮かべて欲しい。回転の勢いを減らしていくとどうなるか——?これと似たような現象だが、ガス円盤の中で土星の周りを公転する衛星は、ガスの影響で回転の勢いを削がれ、やがて土星に飲み込まれてしまう。土星に向かっていく衛星をせきとめるためのアイデアも提案されているが、問題は一つ救うとそれ以外も救うことになってしまうことだ。つまりそういったアイデアは、木星の場合には都合が良いが、土星とタイタンには適さなかった。

    ガス円盤の状況によっては、通常失われる一方の衛星の回転の勢いが増えることもある。衛星の公転軌道は、土星の重力だけでなく、ガス円盤の圧力や重力の影響を受け微妙なバランスで決まっているからだ。そこで公転軌道の変化を調べるために、私たちはガス円盤の温度と密度の分布を精密に計算した。そして、土星の近くでは、衛星の公転軌道は土星に近づいていくことが予想される一方で、少し遠くには、軌道がほぼ変化しない「安全地帯」があることが判明した。実際に、コンピュータシミュレーションで、公転軌道の長時間変化を調べたところ、内側の軌道のものはすべて土星に飲み込まれ、外側に位置していた衛星がひとつだけ「安全地帯」に一時避難し、その後、ガスの円盤が土星の周りから散逸してしまうまで生き残ることが分かった。こうして、長年の謎だった土星-タイタン系の成り立ちを説明する大きな手掛かりを得ることに成功したのだ。

    このように、私たちの分野では遠くで起きている似た様な状況を、辛うじて観測することはできても、生物や化学のように実験で同じ状況を再現することが不可能なため、コンピューター上での「再現」が主要な研究手法のひとつとなっている。

    この研究について詳しく知りたい場合はこちらもご覧ください。

    太陽系の母体となった原始太陽系円盤の中で土星の周りにガスが円盤状に集積し、その円盤の中で衛星が誕生しつつある様子のイメージ図 ©名古屋大学
    ガス惑星を学べる大学
    • 東京大学 理学部 地球惑星物理学科・地球惑星環境学科
    • 東京工業大学 理学院 地球惑星科学系
    • 東京理科大学 理学部 第一部物理学科
    • 北海道大学 理学部 地球惑星科学科
    • 東北大学 理学部 地圏環境科学科・地球惑星物質科学科
    • 名古屋大学 理学部 地球惑星科学科・物理学科
    • 大阪大学 理学部 物理学科
    • 神戸大学 理学部 惑星学科
    • 九州大学 理学部 地球惑星科学科

    博士課程進学者が伸び悩んでるって本当?世界に、社会に開かれた博士課程という選択

    国内において、イノベーションの有力な担い手とされる博士課程進学者。しかしその数は、学部学生数の増加に比べると伸び悩んでいる。「博士課程修了者を採用しない企業に問題がある」との大学側の意見に対し、「博士課程修了者は使いにくい」という企業の声も聴かれる。アメリカに比べて高い学費の問題に対しては、先頃新しい施策が始まった。一方で、大学院、大学院教育そのもののあり方が問題だとする声も根強い。直近の大学院改革は、2011年に始まったリーディング大学院構想。1990年代に始まった大学院改革の一連の流れの中で、それまでの大学院教育の不足を補い、次世代リーダーの養成を掲げて始まった。その中で、当初から独立大学院設置を目的に2011年に開設されたのが京都大学総合生存学館(通称:思修館)。その修了生が社会で活躍する様子を紹介する。

    京都大学大学院農学研究科助教 白石 晃將さん白石 晃將さん
    ~Profile~
    2012年京都大学農学部卒業。国連食糧農業機関(FAO)インターンおよび日本学術振興会特別研究員を経て、2017 年に京都大学で博士号(農学)を取得。同大学院博士課程修了後、2017年外務省外務事務官、2018年FAOジュニア専門官、2020年FAO食品安全専門官を経て、2021年1月より京都大学大学院農学研究科助教、現在に至る。研究の傍ら、経済産業省「2050年カーボンニュートラルに向けた若手有識者委員会」、グローバルバイオエコノミー国際諮問委員会はじめ有識者として科学政策の立案に携わる。 岐阜県立多治見北高等学校出身。
    公務員 中本 天望さん中本 天望さん
    ~Profile~
    京都大学法学部卒業。経済協力開発機構(OECD)インターンを経て、博士号(総合学術)を取得。大学院総合生存学館修了後、国税庁に入庁。明星高等学校出身。
    株式会社セブン&アイ・ホールディングス 野村 亜矢香さん野村 亜矢香さん
    ~Profile~
    2018-19年国連食糧農業機関(FAO)インターンを経て2020年に京都大学で博士号(総合学術)を取得。同年、株式会社セブン&アイ・ホールディングス入社後、ESG推進本部・サステナビリティ推進部へ所属。現在、グループ事業会社とともに環境宣言『GREENCHALLENGE 2050』の推進、特に持続可能な調達のチームを担当。ESG投資の企業価値向上や国際機関等の海外連携業務も兼務する。同時に、ISO国際委員会の日本エキスパートとして食品ロス削減に関するマネジメント規格の策定に携わる。浜松湖南高校出身。
    立命館アジア太平洋大学 アジア太平洋学部助教 平野 実晴さん平野 実晴さん
    ~Profile~
    2013年京都大学法学部卒業。日本学術振興会特別研究員および国際水協会(IWA)特任研究員を経て、2018 年に京都大学総合生存学館(思修館)で博士号(総合学術)を取得。日本学術振興会特別研究員PD(神戸大学大学院法学研究科の受入)を経て、2019年10月より現職、現在に至る。愛知県立千種高等学校(国際教養科)出身。
    八千代エンジニヤリング株式会社シニアアソシエイト Charles BolikoさんCharles Bolikoさん
    ~Profile~
    2014年ノースイースタン大学金融・マーケティング専攻卒業。在学中、Mass General-BrighamおよびJohn Hancockにてインターン。2014-15年和歌山大学経済学部にて研究生、国連開発計画(UNDP)インターンを経て、京都大学大学院総合生存学館にて博士号(総合学術)を取得。修了後、2021年6月より八千代エンジニヤリング株式会社シニアアソシエイトとしてエネルギー開発プロジェクト支援に携わる。ローマ・メリーマウント・インターナショナル・スクール出身。
    横山 泰三さんCharles Bolikoさん
    株式会社ドットコンサルティング社外取締役 Wisa/NPO 法人わかもの国際支援協会シニア・ディレクター /
    ラオス国立大学LJI 上席研究員・講師 /
    国際機関コンサルタント
    ~Profile~
    2007年広島大学卒業後、民間企業へ就職。2009年にIT企業及び社会参加に困難を抱える若者支援に取り組むNPO法人を設立。2018 年に京都大学総合生存学館(思修館)で博士号(総合学術)を取得。大阪府立鶴見商業高等学校出身。

    思修館スピリットを胸に、自分にしか創造できない価値を創出する国際人・学際人(文理融合のグローバルリーダー)を目指す

    総合生存学館(通称:思修館)では、これまでに29名の「総合学術」博士が誕生し、国際機関や行政機関、研究機関、そして民間企業など様々な場所で活躍している。人類と地球社会の生存を基軸に文理融合のアプローチで社会課題の解決を目指す!そんな志で、大学院時代に学んだ総合生存学を活かして活躍する5名の卒業生に、大学院での学びとキャリアパス、将来展望について語ってもらいました。あわせて、高校生や大学生へのメッセージも頂きました。対談の座長は、思修館プログラムの修了生である白石晃將さんです。

    現在の仕事や研究内容は?――各業界の最前線を走り続ける“思修館卒”

    白石:平野さんと横山さんは2018年卒業、Bolikoさんと野村さんは2020年卒業、中本さんは2021年卒業でしたね。皆さん、現在はどこでどのような仕事をされているのですか。

    Boliko:八千代エンジニヤリング株式会社の海外事業部・エネルギー部門で社会経済分析を行っています。国際協力機構(JICA)からの依頼で準備調査を行うのが主な仕事で、これまでにアフリカのマラウイ共和国とコンゴ民主共和国に出向きました。毎年約5回現地を訪れ、小水力発電など再生可能エネルギーに関してエネルギー省や関連企業と面談し、現地の状況を確認し情報を収集します。コンゴ民主共和国は私の出身国でもありますが、開発途上国の開発を支援できることに大きなやりがいと喜びを感じます。

    中本:大学院修了後、公務員に入職しました。1920年代に制定された国際課税ルールを100年ぶりに見直す動きがあり、約140か国・地域が参加するプロジェクトに日本チームの一人として携わっています。GoogleやAppleなど、「モノ」を売り買いしないビジネスの出現は、これまでのビジネスモデルを大きく変えました。そんな中で、改めて公平に税を配分する仕組みを作るべく、チーム一丸となって知恵を絞っています。

    野村:セブン&アイ・ホールディングスのサステナビリティ推進部に所属しています。「食」を軸に様々な仕事に携わってきましたが、現在は主に、持続可能な調達や国際ルールを決める会議への参加、ESG投資に関する企業価値の向上を担当しています。国際機関との連携も多く、例えば最近では、国連児童基金(UNICEF)とノルウェー中央銀行投資管理部門が共同で推し進めている「子供の健康と栄養」をテーマにしたプロジェクトに携わっています。

    平野:立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部で教員をしています。国際法が専門で、現在は「水」に関わるルールや制度について研究しています。水によって引き起こされるかもしれない対立を未然に防いだり、起きてしまった紛争を解決したりするために、国際法をどう活用できるか研究しています。近年、水は人権であるという考え方が広がり、国は個人の安全な飲用水へのアクセスを保障する国際法上の義務があると認められるに至りました。他にも、国際河川の利用を規律する条約や湿地の保護などを目的とした環境条約、水ビジネスにも関わる国際経済法など様々な国際法があります。

    横山:IT分野の人材育成に必要な独自の対話型教育を研究・開発しています。大学院修了後は、福祉教育×哲学教育×ITを掛け合わせて、専門性を追求してきました。様々な国にクライアントがいるので、自ら会社も経営しています。

    白石:皆さん、様々な業界でフル回転していますね。横山さん、研究と実務を統合した活動の様子をもう少しお聞かせください。

    横山:私が開発している対話型教育は、教育学でいうところのアクティブラーニングに近いですが、自己について知る、言語化による自覚(self-awareness)という哲学のキーワードを取りいれているところに特徴があります。自己変容をもたらすものですから、実務ではチームワークや問題解決能力が高まるという成果が出ています。例えば国内外で注目されている東南アジアの人材。民族的に多様なバックグラウンドをもっていますから、それぞれが自らの文化や価値観、言語を誇りにできれば、生活・就労・福祉のすべての面にいい影響を与えます。これまでこの3つはバラバラに考えられてきたのですが、総合的に捉えることが必要だと分かってきました。ラオスでのシステム・アプリ・ウェブなどに関するオフショア開発では、国内人材の不足するIT産業の出資を募って、ラオス少数民族の文化を研究するための研究所を設立しました。1年でルアンパバーン県行政内の公益研究所に昇格するなど、成果が出ています。

    大学院での学びとキャリア形成

    白石:総合生存学館は、多様な専門分野の研究が推進されていることに加えて、分野横断で俯瞰的視野を獲得するための教育プログラムに特徴があります。これまでのキャリア形成や現在の仕事に役立ったプログラムや活動について振り返ってください。

    Boliko、中本、野村、横山(揃って): 4年次の『海外武者修行』です。

    白石:なるほど、皆さん、どこへ行かれたのでしたっけ。

    Boliko:私は日本・東京にある国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所。

    中本:フランス・パリにある経済協力開発機構(OECD)本部です。

    野村:イタリア・ローマにある国連食糧農業機関(FAO)本部。

    平野:私はオランダ・ハーグにある国際水協会(IWA)本部。

    横山:カンボジアのプノンペンにあるUNDPカンボジア事務所です。

    白石:そうでしたね。そこでの経験は今どう役立っていますか。

    野村:現在国際機関と仕事をする機会がありますが、仕事の進め方やスピード感などを経験できたため、それぞれの機関の動きを予想しつつ、スムーズに仕事を進められています。

    横山:国連機関を含め、国際的な環境で仕事をすることが修了要件である大学院は他になく、最も大きな特徴の一つだと思います。

    Boliko、中本:野村さん、横山さんの意見に同感です。

    平野:社会の現実に向き合う機会としては、『熟議』も非常に有効だったと思います。頻繁にマスコミに登場するような民間企業のトップをはじめ、各業界のトップランナーとの意見交換は刺激的でした。

    Boliko:日々、研究に没頭したことも、実務の遂行能力向上に大きく寄与していますね。大学院では再生可能エネルギーに関する社会経済分析を行いましたが、その解析方法などは現在、八千代エンジニヤリング株式会社にて行っている準備調査でもそのまま応用できています。

    中本:私は国際課税を研究していたため、現在の仕事はその延長線上にあると言えます。

    横山:国際開発に関する知識と経験、国際機関やそこで働くエキスパートとの人的ネットワークが構築できたことがすごく活きています。異分野・異業種で経験豊かな講師陣に恵まれていたので、常に新しい視野を獲得できました。これが、現在でもさまざまな国籍、あるいは専門分野の方々と仕事をすることに役立っているのだと思います。

    野村:横山さんの意見に賛同します。私はいま、食品ロス削減の国際ルールを決めるために、日本チームの専門家の一人としてISO(International Organization for Standardization)の規格制定に関する国際会議に参加していますが、これなどはまさに、大学院時代の人的ネットワークと研究の賜物だと感じています。

    平野:同じ志を持つ仲間とともに寮生活を送ったことも良かったです。学生の進路相談に乗る際、様々な業種で活躍している仲間の当時の姿を想像して、学生たちの目標とするキャリアパスについてアドバイスできます。今回の参加者もこれだけ多様な場で活躍していますしね !

    思修館カリキュラム概要
    寮生活のための合宿型研修施設 「船哲房(左)」と「廣志房(右)」

    あらためて将来の夢を

    白石:大学院の学びとキャリア形成だけでも丸一日話せそうですね(笑)。大学院修了から数年たち、仕事も軌道に乗ってきた頃だと思いますが、次の展開について模索され始めている人もいるかもしれません。あらためて将来展望についてお聞きします。

    Boliko:仕事をしていく上での大前提は、人の役に立つような仕事をやり続けたいということですね。新たな挑戦としては、米国・ボストンの大学で学んだ経済学とマーケティングの知見を基に「起業」する、自分で会社を作ってみたいです。

    中本:人の役に立つというのは、私も常に意識していたい。現在公務員として働いていることもありますが、ここ5年間ほどで、人の役に立ちたい、困っている人を助けたいという気持ちがますます強くなっているのを感じます。もちろん、楽しいと思えるような仕事をしていきたいとも思っています。

    野村:好きなことを仕事にする!というのは重要ですよね。私の場合、それが「食」。自分の好きな食が100年後も200年後も枯渇することがないようにと、日々仕事に力を注いでいます。今後については、社内での海外勤務や、転職も視野に入れ、様々なキャリアパスの可能性を考えています。博士であることを武器に、次のステップにも挑戦してみたいですね。

    横山:中本さんや野村さんの考えに近いかもしれませんが、自分の道は自分で決めたい。私は学部時代に、経営者になると決意しました。現在、開発した教育プログラムは韓国でも成功しつつあるので、5年後には中国での展開を目指したいです。

    平野:Water-wise、《「水からして」賢い社会》を創りたいと思っています。水に関わる国際法は様々な地域・分野でそれぞれに発展・整備されてきました。しかし水の視点からその全体像を見ると、重複していたりギャップがあったりして、世界規模の課題を解決するのに有効だと思えないこともあります。こうした問国際社会のガバナンスのあり方を見直す際に示唆を与えてくれると考えています。私たち人間の目線とは異なる、水の視点から国際問題を捉えなおし、研究に反映していきます。

    高校生・大学生へのメッセージ  

    白石:専門分野も異なり、現在携わっている仕事や業界も全く違う5名のみなさんから話を伺いましたが、いくつか共通するメッセージ、いわば「思修館魂」のようなものが伝わってきました。具体的には、

    ①自分にしか生み出せない価値を社会に創出する。

     各自が自己を成長させ、独自の才能や能力、アイデアによって、あるいは個性的な視点から独自の価値を社会に生み出そうと考えていること。そのためにまず重要なことは「自分は何が好きで、何に向いていて、何に対して情熱を注ぎ続けられるか」をトコトン考え抜くこと。人があまり目を向けないような物事、活動でもいい。見つけたものを、やり抜いてやり抜いてやり抜いて、壁にぶち当たってもまたやり抜く。そしてその中で獲得した新たな発想で壁を乗り越える。このプロセスは世界で一流になるためには絶対に欠かせない。そのためにも他者に目を向けるのではなく、自分の好きなこと、信じたことをトコトンやり抜くことが重要ですね。

    ②自分らしい国際性を身につける。

     海外で学び、働き、生活し、言語や文化、宗教の異なる環境に身を置き、国際性を身につけること。そこに「わたし」独自の考え方をプラスすれば、自分らしい国際性が身につきます。これまでの習慣や既知の情報に基づいて行動することも重要ですが、現在は、新たな可能性を模索しイノベーションを創出していくことも同じくらい必要です。国際性は、そのために重要な資質の一つだと思います。

    Boliko:アフリカ大陸に足を踏み入れたことがない人は、是非訪れてみてください!

    ③学際性をまとった先導者になる。

     複雑な社会課題は一つの専門分野だけでは解決できません。今求められているのは、異なる学問分野や専門領域を横断し、多様な知識や視点を持ってコミュニケーションできる能力、他者と協調し問題を解決に導く能力です。これを身につけた人を、学際性をまとった先導者と呼びたい。そのような人材は、

    1)複数の学問分野や専門領域について幅広い知識を持っていることから、相手の専門分野についても理解を深めることができる。

    2)異なるバックグラウンドや知識を持つ人々と円滑にコミュニケーションを図る能力を持つとともに、専門的な用語や概念をわかりやすく説明し、異なる専門家や関係者との間で意見交換ができる。

    3)そして、異なる分野の知識や視点を組み合わせることで、より包括的かつ創造的な問題解決を行うことができる。

    私たちはそんなリーダーを目指し、日々精進を続けていきたいと考えています。

    アニメサイエンスが地球を救う――細胞農業の最前線を切り拓く

    羽生 雄毅さんインテグリカルチャー株式会社 CEO 羽生 雄毅さん
    ~Profile~
    1985年生まれ。栄光学園中学校から父親の転勤でパキスタンへ。インターナショ ナルスクールオブイスラマバードからオックスフォード大学へ。2006年同化学科卒、 2010年同博士課程修了。博士(化学)。東北大学多元物質科学研究所、東芝研 究開発センターシステムラボラトリ―勤務を経て独立。2015年インテグリカルチャー (株)創業、現在に至る。近著に『夢の細胞農業 培養肉を創る』(さくら舎)がある

    インテグリカルチャー株式会社※1CEO 羽生 雄毅さんに聞く

    ※1 インテグリカルチャー株式会社は、シチズンサイエンスで細胞性食品の開発を進めるShojinmeat Projectを母体に、当初、それに必要な実験装置を入手するために登録したスタートアップ。ここから生まれた非営利のシンクタンク日本細胞農業協会(CAIC:Cellular Agriculture Institute of the Commons)が一般社団法人細胞農業研究機構(JACA)の発足に携わるなど、グループ全体で、日本の細胞性食品の開発、細胞農業発展を牽引する。

    本気で人生を賭けるものとは?

     2017年、シンギュラリティ大学(Singularity University)のGSP(Global Solution Program)に日本から初めて選ばれた羽生雄毅さんは、主催者の「キミのMTPは?」の質問に、「アニメサイエンス」と答えて、笑いをとったという。
     MTPとはMassive Transformative Purposeの略。羽生さんは「人生をかけて何をするか」の意と心得る。
     アニメサイエンスは、ハリウッドのムービーフィジックス(映画『スタートレック』に出てくるような物理学)を意識した造語。SFアニメの描くサイエンスで、荒唐無稽かもしれないけれど楽しく、ハリウッド映画の描くものより明るいトーンであることを強調したかったと言う。
     シンギュラリティ大学は、シンギュラリティ概念※2の提唱者レイ・カーツワイル氏が、評論家のピーター・ディアマンディス氏とともに2008年に開設した私塾。様々な教育活動を行うが、その一つがGSP。今は休止しているが、世界の課題解決に突き抜けたアイデアをもって挑もうという若者を集めたコンテスト、GIC(Global Impact Challenge)を世界各地で開催し、各会場での最優秀者をシリコンバレーに招待して行う10週間の研修キャンプ。羽生さんはその日本人第一号。ソニー(株)がスポンサーとなり2017年に日本で初めて開催されたGICで6,000人の中から選ばれた。
     「現地には企業家、研究・技術者に加えて政策立案に係る若者もいた。最先端テクノロジーを、世界から選んだ異能の人に与えたら、どんな化学反応が起こるかを見るための実験だったのでは?」と羽生さん。「当時の仲間とは今でも頻繁にコンタクトを取っている。GSPが人生の転換点の一つであったことは間違いないと」振り返る。

    ※2 日本語では「技術的特異点」と訳される。超知能が生まれる科学史的瞬間。今の時点ではAI (人工知能)が「人間よりも賢い知能を生み出せるようになる時点」を指す。

    羽生さんが認められたテーマが、「人工培養肉で世界の食糧危機を救う」

     人工培養肉とは、代替タンパク源の一種だが、動物食物由来のものと異なり、生きた動物の幹細胞(たとえば筋肉の)を、特殊な培養液に浸して増やし成長させたもので、2013年、オランダのマーストリヒト大学教授のマーク・ポスト博士が開いた試食会で注目が集まった。英語ではcell-based meat、国内では近年、培養魚肉や培養脂肪も含めて、一般的に「細胞性食品」と呼ばれる。

     動物を殺すことなく、本物と同じ成分の食肉を作る技術は、人口急増による食糧不足、とりわけ経済発展著しい途上国における食肉消費の増加、それによって懸念される《プロテインクライシス》を回避させてくれるものと期待が高まる。

     また、穀物や水の大量消費につながる牧畜の増加に歯止めをかけることで、CO2をはじめとする温暖化ガスの削減、さらに国内においては、近年、食糧安全保障の観点から懸念される食糧自給率の改善にも寄与するだろう。

     開発の成否は、培地や培養液、培養技術の他に、大量生産のためのプラント作りにかかると羽生さん。当初は200g3000万円、現在でも数百万円ともいわれる生産コストをどれだけ下げられるか。羽生さんたちが注目を集めるのは、現状でも3万円以下にまで下げることのできる独自の材料・技術と、それをベースに構築した基盤を公開することで細胞農業※3の新たなインフラという新しい産業のルール作りを目指している点だ。

    ※3 細胞農業(Cellular Agriculture)とは、本来は動物や植物から収穫される産物を特定の細胞を培養することにより生産する方法。細胞性食品はその製品の一つ。

    大量生産のためのプラント作り

    それは同人サークル活動から始まった

     羽生さんが細胞性食品の開発を思い立ったのは、2013年に参加した江東区主催の起業セミナー。そこで「何かSFっぽいことをしたいな」「たとえば人工的に肉が作れれば、将来、人類が火星に住むようになっても困らないだろう」と思ったという。そして2014年、都内の小さな溜まり場で仲間とともにShojinmeat Project(培養肉の研究開発プロジェクト)を始める。当初、培養に欠かせない血清があまりにも高額なことに悩まされたが、2016年に加わった川島一公さん(現インテグリカルチャー株式会社CTO)が、「共培養」※4という方法を使うことを提案して開発に弾みがついた。

     Shojinmeat Projectがユニークなのはものづくりのアイデアだけではない。手軽な価格で手に入りやすい材料を見つけ、高校生も自宅から実験に参加して、ニコニコ動画で発表するなど(オープンサイエンス)、企業や大学によらない、若者中心のシチズンサイエンスを展開してきた点。またカウンターカルチャー、反権威主義の下、集まった同人クリエーターによるサークル的な組織運営にある。

     一方で、海外の同業とは早くから連携、「細胞農業のある世界」の下地作りにも取り組んできた。

    ※4 複数の種類の細胞を同時に培養すること。

    日本の細胞農業を牽引

     そんな活動が2017年から一変する。(株)リバネスのラボにて共培養のコンセプト実証に成功し、自宅で培養肉を作る高校生の姿がテレビで全国放送されると、東京女子医科大学清水達也教授よりTWIns(東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究センター)に招かれてラボを開設。2018年から2019年にかけて、清水達也教授らとの共同研究による微細藻類から作った培養液による閉鎖系空間での食肉生産が、JAXAの宇宙探査イノベーションハブが実施する研究提案プログラム(TansaXチャレンジ研究)に、「3次元組織工学による次世代食肉生産技術の創出」が、JSTの「未来社会創造事業」(現在の内閣府の「ムーンショット」目標5につながる)に採択され、産官学による展開へと発展する。 

     2016年には細胞性食品を自動生成する画期的なCulNet Systemを開発、特許も取得。直近では、Shojinmeat Projectよりスピンオフしたスタートアップであるインテグリカルチャー(株)が、細胞性食品に欠かせない培養液や細胞培養装置のインフラ提供を世界に先駆けて始めるのに協力し、JACA(一般社団法人細胞農業研究機構)による細胞農業という新たな産業の基盤やルール作りをサポートする※5。細胞性食品量産に向けて、残る課題とは何なのか。

     「培養肉そのものを作ることは、今日、技術的にはそれほど難しくはない。実際、Shojinmeat Projectの公開する動画『DIY細胞培養』を見れば高校生でも作れる。難しいのは、それを大規模かつシステマチックに、コンスタントに製造するための原料や装置の開発、そしてそのための投資だ」と羽生さん。

     もちろん成果は、すでに形になり始めている。一つが、細胞性食品の量産技術を進める中で派生した技術の医薬品や化粧品への応用。化粧品ではすでに商品化もされている。細胞培養技術を使った化粧品は、「美容成分をいくらでも生成できるから、これまでのものにない様々な特徴を持つ」と羽生さん。

     そして今春、羽生さんたちは、2025年の大阪万博で、国産初の細胞性食品として、「細胞性フォアグラ」を試食できるようにすると発表した。先行するシンガポール、アメリカに続き、細胞農業という夢の技術の商業化の一里塚となるか、注目される。

    ※5 設立時の事務局は、Shojinmeat Projectから細胞農業に特化した非営利のシンクタンクとして切り離されたCAIC(Cellular Agriculture Institute of the Commons)が担った。

    CulNet System
    細胞培養技術を使った化粧品
    細胞性フォアグラ

    羽生さんの原点 SF、アニメ、ゲーム

     羽生さんに、今話題の生成AIについて聞いてみた。返ってきた答は「大歓迎」「自分が神になれるから」?その心は「生成AIとVRチャットを組み合わせれば、作りたいものが何でも作れるから」だと。

     羽生さんの原点は、小さい時から慣れ親しんだマンガやアニメ、ゲーム、そしてその中心にあるSFだ。培養肉はSFの定番だったから、レゴや積み木を使ってSF世界を想像して遊んでいるうちに、いつの間にか知っていた。

     古さや伝統が格上とされる場面が多いが、SFこそ「崇高」なもの、と羽生さん。そこには人類の夢が、人類にとって必要なもの、人類の望む未来、そして未来への警告も描かれているからだと。だからあえてアニメサイエンスと呼ぶのだとも。

     SFに惹かれ熱中したのがゲーム。中学生になると『シムシティ3000』(街を作るシミュレーションゲーム)などでSF的な建物を設計して未来都市を作り、画像編集で物語(ほとんどSF小説)を書いて掲示板に連投したという。ニコニコ動画で初音ミクの動画を作る際も設定はSF。まさにオタクそのもの。ちなみにそれらの作品の中には、すでに培養肉も、後に社名となるインテグリカルチャーの名前も登場する。

     もっとも、「自分が没入してきた世界はSF小説の世界とは違う」「ゲームも対戦型ではなく、どちらかというと《箱庭作り》に近い」と羽生さん。空想や想像するだけでなく、それらを形にする、表現することに興味があるのだと。培養肉もまさにその一つだ。

    羽生さんが本当に知りたいこと 心がけること

     いま一番興味があるのは、OS(基本ソフト)の異なるシステム、生物で言えば本能の違う生物。それらがどんな世界を見、どんな意識を持っているのか。

     地球外知的生命にも、きっとSFはあるはず。彼らの見る夢とは一体どんなものなのか。

     身近なハチやアリになりきってみよう。個体が生存するために「タダ働きはしたくない」という本能を身につけたわれわれは、お金という概念を生んだが、ハチやアリのような知的生命体なら、お金という概念の存在しない文明を作っているかもしれない。それは果たしてどんな世界なのか。いじめやハラスメントはあるのか。組織はどんな考えに基づいて作られているのか。

     羽生さんはさらに続ける。物理法則さえも異なる世界だってあるはず。それらを知るには、今、自分を自分にしているあらゆる前提を外してみることが必要だと。

    高校生へのメッセージ

     日本では今、突き抜けたアイデアを持って、これまでの技術にブレークスルーを起こすようなイノベーターの出現が待ち望まれているが、ここでも求められるのは「全ての前提を外してみること」だと羽生さん。

     「人はみな想像力を持っている。だから本来は何でもできるはずなのに、様々な前提が邪魔してそれを阻んでいるのではないか。

     一つには、周りの目を気にしすぎることがある。また大人たちの期待、アドバイスが原因のこともあるだろう。特にライフハック(仕事の質や効率、生産性を高めるための手段や技術)とエシックス(倫理)とを混同して『こうすべき』『こうあるべき』と繰り返される言葉には注意が必要だ。大人自身も気づいていないことが多いが、例えば「いい大学へ入るべき…」という言葉を考えてみよう。「わが子には幸せになってほしい」と願うのは当然だが、そのためのアドバイスとして、それがどんな子どもにも当てはまるのか。それが子どもの将来の可能性を、将来の道(選択肢)を狭める要因の一つになってはいないのか。この際、子どもたち自身も、『それは倫理なのか、ライフハックなのか』、『そのライフハックは間違っていないか』と問い直すことが必要だ」と。

     「もちろんこう言う自分も、博士課程を出るまではその区別がついていなかった」と羽生さん。「目が覚めたのはその後独立してから。GSPに参加したことも大きかった」と。

     また「本来の目的が忘れられ、形式だけの残る《常識》や《良識》にとらわれすぎることにも注意が必要だ」と羽生さんは続ける。確立された当時の背景や目的が置き去りにされ、ルールだけが残り、しかも目的化されていることが少なくないからだと。「これはチンパンジーの社会にもあると聞くが、それを前提にしては何も進まないに決まっている。SDGsも大事だが、単なる標語に踊らされるのでなく、17の項目の裏にある綿密な計算式にも目を向けてほしい」と前提をうのみにしないようにとアドバイスをくれた。

     「今後ますます重要になってくるのは、違うOS、それに依拠したシステムを持つ他者について、思いを巡らせることだ」と最後に羽生さん。「世の中のルールや仕組みの多くは人間の本能に依拠しているようなところがある。しかしニューロダイバーシティ※6を超えて、人間だけでなく、生物全てが限りなく地続きになる世界に目を向けた時には、そうした価値観、依拠すべき前提は崩れ去る。細胞性食品開発の目的の一つとする人も多いが、牛や豚にも感情や意識があるのだから苦しめてはいけないと考えるのもその一つ」。「極めつけはAI 」と羽生さん。「われわれは今後、自分たちとは全く異なる本能(基本ソフト)をもつものと、否応なく向き合い、ともに生きていかなければならないからだ」と未来を引き寄せる。

    ※6 Neurodiversity:神経多様性。Neuro( 脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念(以下略…)」

    【2022年4月8日、経産省:「ニューロダイバーシティの推進について」より】

    2023年度 大学入学共通テスト 数学 分析

    数学II・数学B の第 2 問 〔 2 〕

    「定積分を用いてソメイヨシノ(桜の種類)の開花日時を予想する」

    この問題を概説すると、気温を時間の関数とみてこの関数を一次関数や二次関数を用いて近似し、これらを積分した値をもとにしてソメイヨシノの開花日時を予想するということになる。文章量は多いが、積分の計算に関しては、ごく基本的なもので。大学入試センターの問題作成方針にも書かれているとおり、日常生活の話題に対して、既知の知識(ここでは積分法)等を活用しながら導くという、数学の良さを実感できるものであった。

    古くから和歌や日記に、花見を含むサクラの開花や満開などの記述は残っており、様々な時代においても人々が関心をもっていたことを知ることができる。また、気象庁では、生物季節観測(植物の状態が季節によって変化する現象について行う観測。令和2年までは動物も観測していたが現在は行われていない)を行っており、観測結果から季節の遅れ進みや、気候の違い、変化など総合的な気象状況の推移を記録している。

    桜の開花予想は植物季節学の応用分野の一つであると言われており、気象庁では、1953 年(昭和 28 年)以降の桜の開花日の観測データが公開されている。ちなみに、桜の開花日は、あらかじめ標本木として選ばれている特定のソメイヨシノ(北海道の一部ではエゾヤマザクラ、南西諸島ではヒカンザクラを代替種目とする)の花が 5~6 輪以上開いた最初の日を指す。なお、胴咲き(枝ではなく幹や根から咲く)による開花は、通常の開花とは異なるプロセスによると考えらえることから、5~6 輪に含めない。

    次に、桜の開花予想の歴史を見てみる。

    「さくら百科」(丸善, 2010)によると、中央気象台(現在の気象庁)産業気象課では 1950 年代ごろから、毎年一定の期日に花芽を採取し、その長さ、幅、10 個の重量を測定し、過去の資料と比較してその年の開花日を推定していた。1996 年(平成8 年)からは花芽の成長段階(休眠、覚醒、成長)に応じた気温の影響の植物生理学的考察をもとに、統一された方法で各気象官署の新しい予想式を気象庁本庁で一括して作り発表することになった。この新しい予想式は、大阪府立大学農学部の青野 靖之、小元 敬男による「速度論的手法によるソメイヨシノの開花日の推定」(農業気象, 45 巻, 1 号, p. 25-31, 1989 年)、「チルユニットを用いた温度変換日数によるソメイヨシノの開花日の推定」(農業気象, 45 巻, 4 号, p. 243-249, 1990 年)等を応用し作成された。その後 IT の爆発的発展を背景に、2004 年(平成 16 年)から民間のウェザーニューズ、2007 年(平成 19 年)から日本気象協会が、基本的には気象庁の方法とは変わらないが、それぞれ独自の工夫を凝らした開花予想を発表し始めた。これにより気象庁は、「最近では、全国を対象とした気象庁と同等の情報提供が民間気象事業者から行われているため、2010 年(平成 22 年)春以降の桜の開花予想の発表は行わない」と発表した。

    ではいよいよ、共通テストに沿って、積算温度による開花日の推定を行ってみよう。

    この推定は、ある起算日から開花日までの基準値以上の温度の積算値が一定であると仮定し、各年の積算温度がこの平均値に達する日を推定開花日とする方法である。共通テストでは、この基準値以上の温度という制約を外したモデルを考えている。図 は 1953 年から 2023 年までの東京の桜の開花日までの積算温度(青色)である。グラフから分かるように、積算値がおよそ 400℃ (赤色)で桜が開花していることが分かる。ここで、  世界気象機関(WMO)の技術規則により、30 年間の観測値を用いて平年値を作成し、30 年移動平均(緑色)も描画してみた。これより、400℃ より僅かに高い温度で開花していることが分かる。しかし、10 年移動平均(橙色)を見てみると、ここ 2000 年からは減少傾向にあり、2017 年からは 400℃ を下回っていることが分かる。

    さて、2023 年の東京の開花はどうであったか。3/13 に一部咲いていたものの、午前に 2 輪、午後に 4 輪と開花の条件にはならず、翌日に持ち越しになった。3/14 には 11 輪が咲き、はれて開花となった。これは 2021 年と同じ最短記録であった(2020 年も 3/14 であったが、この年は閏年であったため、2/1 からの日数という意味では一日多くなる)。

    また、積算温度を見てみると、3/13 は 371.2℃、3/14 は 381.2℃、3/15 は 393.5℃、3/16 は 408℃ となっていた。400℃ を初めて越えるのが 3/16 だと予想されていたため、開花予想日は 3/16 となっていたが、2013~2022 までの過去 10 年の積算温度の平均を見ると 379.92℃ であったため、これを採用した場合 3/14 が開花予想日となっていた。

    ここで桜の開花についてもう少し詳しく見てみることにする。「新しいサクラの開花予想」解説資料第24号(気象庁,1996)によると、サクラは、前年の夏に翌春咲く花の元となる花芽を形成する。花芽はそれ以上成長することなく休眠に入り、秋から冬にかけての低温(一説には 5℃ 前後)にある一定期間さらされると休眠から覚める(これを「休眠打破」という)。その後、花芽は春先の気温の上昇とともに生長するが、この生長量は気温が高ければ大きく、春先の気温が高い年には早く開花する。つまり、暖冬により休眠打破が遅れ、開花が遅くなることもあるが、近年の気温上昇により、桜の開花が早くなっているということが分かる。例えば、1980 年代後半から東日本は暖冬の傾向があり、休眠打破の遅れにより開花が遅くなった影響で、2/1 から開花までの日数が長い分、積算温度が高くなったのではないかと考えられる。また、2023 年の 3 月は、記録的な暖かさの影響もあり、開花が早くなったのではないかと考えられる。このように、桜の開花と温暖化は密接な関係がある。色々な解析をすることで、今日本で何が起こっているのかを知ることができる良い題材である。

    「探究応援号」(学問と探究)に寄せて 核融合

    はじめに

    探究は、興味を持ち疑問をもって、その事象を客観的に解明したいと思う願望から始まりますが、それには科学的な方法、科学方法論が有効になります。これは簡単に言うと、観察・実験、分析・総合を繰り返しながら、何度も仮説―演繹―検証のサイクルを回す、そしてその際、数学論理を援用するとともに、議論という他者の思考との交差も活用しながら、思考を進化させる方法です。

    次に研究資料を集める。仲間が集まればなおよいと思います。違った視点や思考が研究には重要だからです。後は、失敗を繰り返しながら、考察・結論へと進めていく。ただ何よりも大切なのは、「無知の知」からスタートし、真摯に課題に向き合う姿勢であることを忘れてはいけません。

    今号のテーマ 

    核融合とは、軽い原子核同士が融合して、重い原子核になるという核反応を言いますが、宇宙や素粒子、それにエネルギー問題にも関わり、まだまだ研究課題の残るテーマだと言えます。

    どこから取り組むかによって、研究の仕方は異なりますが、一般的には、エネルギー問題として取り上げられていますので、まずその視点からの取組について考えます。

    初めに、研究データを列記しておきます。

    ①核融合は誰が最初に考えたのか

    1939年、コーネル大学(米)のハンス・ベーテ博士が「星のエネルギー発生について」という論文を発表し、太陽を含む恒星が原子核の反応、つまり核融合をエネルギー源にしていることを世界で初めて明らかにしました。

    ②核分裂と核融合の違いについて

    核分裂とは、原子核が分裂することですが、核融合とは水素のような軽い原子核がもう一つの水素原子核と融合して、より重い原子核になる核反応を言います。この反応で原子核の質量が少し減るためにその分がエネルギーとして放出されることになり、このエネルギーを生活に利用しようと考えているわけです。アインシュタインによる質量エネルギーの式:E = mc² を参考にするのもいいですし、水素には、原子核が陽子だけの軽水素と、陽子と中性子を1個含む重水素(D:デュートリウム)、中性子を2個含む三重水素(T:トリチウム)の仲間がいて、それらを効率よく利用することを考えてもいいと思います。

    ③核融合エネルギーの利点について

    原子力発電の安全性が再び問われてきている今、「資源が海水中に豊富にある」「二酸化炭素を排出しない」といった特徴を持つ核融合エネルギーには、エネルギー問題と環境問題を根本的に解決するという側面から期待が寄せられています。また、磁場閉じ込めによる核融合エネルギーの研究開発は、軍事用技術とは原理的に異なるという理由で、平和目的という国際協力が得られているようです。

    ④核融合発電の課題について

    人工的に核融合反応を起こすには、水素気体を1億度以上の超高温プラズマにしなければなりません。問題はそのプラズマを確保する方法とその容器が問題になります。磁場でプラズマを閉じ込め容器との距離を保つトカマク型核融合炉が、現在実用化に向けて動き始めているようですが、まだまだ課題はあるようです。

    また高温に連続して耐えられる安全性の高い炉壁の開発、それに核融合発電のための技術開発・研究にかかる膨大な費用や建設地の確保にも課題を残しています。

    ⓹発展的研究へ

    核融合について探究すると、必ず原子核を構成する核子や核力のことについても考えなければならないでしょう。そこから、物質を構成する最小単位としての素粒子について、さらには粒子・波動の二重性について興味が広がれば、時空記述と状態記述を統合する量子論への扉を開くことになります。

    また、太陽(恒星)のエネルギーは、水素原子核が核融合によってヘリウム原子核へと変化する過程で生まれ、それが熱や光の形で放出されています。他の恒星のエネルギー源も核融合反応と考えられており、宇宙の成り立ちや素粒子についてのさらなる研究にもつながるはずです。宇宙論におけるダークマターやダークエネルギーの研究も興味深いテーマです。

    杉岡 俊男 さん

    ~Profile~
    東京理科大学卒業後、京大理・研究生時代に岸和田高で非常勤講師、大阪府立佐野工業高、岸和田高、勝山高で教諭。 大阪府科学教育センター指導主事兼研究員(指導要領改訂等のため文部省に出向、原発関連で科学技術庁に出向)。 大阪府立藤井寺高、岬高で教頭。大阪府教育委員会事務局で首席指導主事、大阪府教育センターでカリキュラム研究室兼情報研究室の室長、大阪府立高石高校校長。この間、資質向上研究室長(指導力不足教員の指導計画作成)、第14回全国物理教育学会(於:大阪大学)実行委員長を務める。大阪府立高校退職後は、甲南大学理学部講師、私立高校校長など歴任。現在、国際留学生センター(ISES JAPAN)顧問、公益財団法人中谷医工計測技術振興財団顧問。

    2023年度 大学入学共通テスト 国語 分析

    従来、国語の読解問題では、一つの文章を正確に読み取ることが最重要課題だった。2020年度まで実施されていた大学入試センター試験の国語の問題は、評論・小説・古文・漢文を扱う4つの大問から構成されており、限られた時間内で、各大問において「一つのまとまりのある文章を読み取り、その内容を正確に言い換えている選択肢を見抜く」能力が求められていたと言える。

    これに対して、2021年度から実施されている大学入学共通テストの国語の問題では、大問が4題、制限時間が80分、全設問が記号選択問題という形式面での変更はないものの、一つの大問で複数の資料が示されるパターンが多くなった。例えば、2023年度本試験の第1問では、同じ題材について異なる著者が異なる角度から考察した2つの評論を読ませた上で、それらを関連づけるとどのような解釈が導けるのかを答えさせる。他にも、第2問では小説の舞台となった時代の雑誌広告が資料として提示されており、第3問は古文を読んだ後の教師と生徒の対話が素材とされている。こうした傾向から、共通テストで新たに求められているのが、「図や対話を含む複数の資料を読み取った上で比較し、そこから適切な結論を導く」能力であることが推測できる。

    このような変化の背景には、高等学校学習指導要領の改訂がある。高等学校では2022年度から、新しい学習指導要領が順次適用されているが、そこでは「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」の3つが重視されている。共通テストの国語の問題では、多様な資料を比較しながら考察を進めていく能力が、主体的・対話的に学びを深めていく力だと見なされているのである。2022年度に高校へ入学した生徒が受験することになる次々回、2025年度の共通テストでは、図やグラフの読み取りを含めた新たな大問を追加し、制限時間を90分に変更することが検討されている。過去3年の共通テスト及び次回2024年度の共通テストは、この大きな変更を見据えた過渡的な問題だと言える。

    受験生にとって、このような試験問題の変化は大きな不安要因かもしれないが、国語の読解問題の原則は、これまでもこれからもたった一つである。それは、「示された資料だけを根拠として、問われたことに答える」ということだ。図や対話を含む複数の資料が示されたとしても、個々の資料の内容を正確に読み取り、その内容を言い換えている選択肢を見抜かねばならないことに変わりはない。是非この点を心に留めて日頃の学習に取り組んでほしい。

    天文学と大学教育 荒木俊 東北福祉大学名誉教授に聞く

    –アメリカの大学では、地方のコミュニティカレッジに至るまで天文台を置いているところが多いと聞きますが。

    荒木–そうですね。プリンストン大学、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、アリゾナ大学、カリフォルニア工科大学、バークレー本校を含むカリフォルニア大学各分校、スタンフォード大学等をはじめ、研究に主眼を置く諸大学では遠隔地に広範な電磁波・重力波領域の研究を目的とした地球規模の観測ネットワークに参加し、キャンパスとオンライン接続していることが多いですが、別にキャンパス近辺にも初等教育用を含む、主に可視光領域の観測施設も完備されています。

     驚くべきことに、学部学生教育用の観測施設及びキャンパス周辺の一般市民向けpublic viewingを目的とした天文台やプラネタリウムを持つ大学(たとえばFlandrau Science Center and Planetariumを持つアリゾナ大学)や団体(オークランド市の丘の上にChabot Space & Science Centerを擁するEAS=Eastbay Astronomical Society, ロサンジェルス市民に親しまれ”La La Land”にも登場するGriffith Observatory 等も多く、各地の4年制大学から2年制のコミュニティカレッジ(Foothill College Observatory , Drescher Planetarium at Santa Monica College)に至るまで、学生や市民に向けた天文学の教育と啓蒙活動は実に盛んです。

     私は、2000年Hofstra大学より東北福祉大学に移り20年間勤務しましたが、その前半にオーストラリアSirius Observatories社よりCollege Model5mドーム部材、米国Astro-Physics社よりドイツ式赤道儀1200GTO、米国Celestron社より14インチSchmidt-Cassegrain反射望遠鏡を購入し、大学の総務部営繕課、電気・機械技術者と学生20名余の協力を得て、2009年11月までに自力で天文台を建設しました。総工費約1000万円でした。

    –それは天文学が初年次教育、導入教育に向いているから、ということもありますか。

    荒木–それは必ずしも正しくありません。確かに天文学は、万人の好奇心を唆る浮世離れした現象に事欠きませんが、有史以来人類と共に発展してきた長寿を誇る分野であるだけに他分野に比べ成熟しており、真の理解を目指す者には数学・物理学等の素養が必須です。ただ、少なくともアメリカ合衆国ではIntroductory Astronomyは一般学生向けに人気の高い選択必修科目(distribution requirements)の一つであり、どこの大学でもあたかも日本の大学における教養科目や語学科目の様相を呈しています。

     1990年代に所属していたHofstra大学でも、専任教員だけでは足りず非常勤講師を多数投入して10セクション程開講していました。講義は週2回(2時間x2)、観測又は実験は週1回(2時間x1)の頻度で15週行い、一般学生向けには数学、物理学を含む内容は極力避ける必要がありますが、各セクションとも30名程度で満杯です。

     教科書産業は激しい競争を展開しており、天文学では新発見が続出するため、改訂版を巡るビジネスが毎年活況を呈しています。人気のある教科書を列挙すれば、

    Astronomy Today, 9th Ed. (E. Chaisson, S. McMillan) 

    Universe, 11th Ed. (R. Freedman, R. Geller, W. J. Kaufmann)

    The Cosmos: Astronomy in the New Millennium,5th Ed. (J.M.Pasachoff, A.Filippenko)

    Explorations: Introduction to Astronomy, 9th Ed. (T. Arny, S. Schneider)

    Astronomy, Illustrated Ed. ( A. Fraknoi, D. Morrison, S. C. Wolff)

    Foundations of Astronomy, 14th Ed. (M. A. Seeds, D. Backman)

     これらの多くは前半15章を太陽系天文学、後半15章を太陽系外天文学に割いており通年採用となっています。

    –やはりヨーロッパに源流を持つ教養教育を大事にしているのでしょうか。そもそも教養教育とは?

    荒木–紀元前6世紀、ピタゴラスに代表される古代ギリシャ人は天地を含む世界の様々な現象を統一的に(uni+versus)理解したいと切望し、そのための方法を探求するうちにQuadrivium(4学科)にたどりついたと思われます。

     ピタゴラスは宇宙を支配するのは時間と空間の調和であると考え、彼の弟子たちはその基礎となる「数」の理解(Arithmetica)、これを空間の調和に適用する幾何学(Geometria)、時間の調和に適用する音楽(Musica)、時空の統一的調和に適用する天文学(Astronomia)の4科目を総合的に修得すれば師の真意を悟る事ができると考えました。

     しかし人間の思考能力を持って挑戦しうる最も崇高な概念である数について説明したり議論したりするにも、そこで使用する「言葉」に関する能力を磨いておかなければなりません。

     ピタゴラスに遅れること百年余り、古代ギリシャのソクラテスとその弟子プラトンは、言葉の正しい使い方を修得する文法(Grammatica)、正しい文法を用いて相手に真実を伝え、相手の話を正しく理解するための対話術(Dialetica)、さらに一対一の対話術を拡張して一対多数でも同じ目的を達成するために必要な雄弁術(Rethorica)、これら3科目即ちTriviumを修得すれば、言葉を使用する上で善・真・美を追求する事ができるようになると主張します。

     今日の大学においても、専攻分野の如何に関わらず、Triviumを確実に修得したという確たる証拠が示されれば、学士号授与の根拠となると見なすことができます。学生と教員との間で十分な対話を交わした後、1年間にわたって卒業研究を行い、正しい文法に準拠した卒業論文を執筆・推敲し、それをもとに口頭発表と質疑応答ができれば、一人前の自由人になる準備が完了したと考えられます。Trivium(学士号授与の根拠)とQuadrivium(修士号授与の根拠)とを合わせてSeptem Artes Liberales( https://en.wikipedia.org/wiki/Liberal_arts_education )と呼びますが、自由人となるための7科目のことで、これを教養科目と訳すのは完全な誤訳です。従業員となるための職業訓練(vocational arts, servile arts)ではなく、雇用者、指導者、起業家等を含む「自由人」となるための術(liberal arts)というのが適訳と考えられます。大学を卒業する者はどんな職業に就いても真の自由人として生きて行くことが期待されているわけです。

     このような考え方は、ジョン・スチュアート・ミルの以下の言葉によく表れています。

    「大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります」(「John Stuart Mill,竹内 一誠. 大学教育について (Japanese Edition) Kindle 版 )

     ここでいう自由人とは大学卒業に相応しい高い知性を持つだけでなく、良心に従って行動し、さらに豊かな感性をも備えた人、常に真善美の追求を行動規範とすることができる人を意味します。特に言葉については、文法がよい言葉遣いを、対話術が誤解のない真のコミュニケーションを、雄弁術が感動的な講演を保証します。具体的な案件としては、卒業研究の実施過程、学士論文の執筆・発表過程において指導教員と学生との両者が、故意の有無に関わらず捏造、改竄、剽窃等の不正行為を犯さないように細心の注意を払うことが肝要ですし、この研究活動を通して真実と正義を貫いた学生には学士号の授与が相応しいと考えます。(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu12/houkoku/attach/1334660.htm)

    東北福祉大学名誉教授
    荒木 俊 先生

    ~Profile~
    1949年生まれ。神奈川県出身、専門は天文学 理学博士(マサチューセッツ工科大学)

    第12回 科学の甲子園全国大会 神奈川栄光学園が2度目の栄冠に輝く

    第12回科学の甲子園全国大会(科学技術振興機構主催、茨城県など共催)が、3月17~19日の3日間、つくば市のつくば国際会議場およびつくばカピオで開催されました。昨年度は、新型コロナウイルス感染症拡大防止を考慮し、各都道府県会場をオンラインでつなぎ筆記競技のみを行う分散開催でした。今年度は通常開催となり、予選を勝ち抜いた全国47都道府県代表校は、1・2年生の6~8人から成るチームで科学に関する知識とその活用能力を駆使してさまざまな課題に挑戦し、総合点を競い合いました。筆記競技と実技競技3種目の得点を合計した総合成績により、神奈川県代表の栄光学園高校が第7回大会以来5年ぶり2度目の総合優勝を果たしました。2位は奈良県代表東大寺学園高校、3位は愛知県代表海陽中等教育学校でした。

    優勝するという情熱がチームの強み

     栄光学園高等学校は、1947年にカトリック教会の修道会の1つであるイエズス会によって設立された私立中高一貫校です。「科学の甲子園」には、第7回大会で初優勝を果たし、今回2度目の総合優勝の栄冠に輝きました。筆記競技、実技競技3種目がいずれも2位以内に入らないでの総合優勝は、史上初となりました。

     今年のメンバーは武田恭平(キャプテン)君、中村陽斗君、山口敦史君、成山優佑君、加藤奏君、山中秀仁君、真野恵多君、金是佑君の8人。表彰式では、チーム全員で登壇し優勝旗・トロフィー・金メダルを授与されました。優勝校インタビューではキャプテンの武田君が「各競技項目で何も表彰されず、今大会はダメだったか…と落ち込んでいたところ、最後に校名を呼ばれ驚きました。優勝できたことはいまだに信じられずものすごく嬉しいです」と優勝の喜びを語りました。チームの強さや優勝できた要因などについては、「みんな優勝に向けてすごく勉強した。毎日放課後に残ったり休日でも学校や公民館などを借りて集まったり。実技競技の練習量も多かったですが、やっぱり優勝する! という情熱がチームの一番の強さだと思います」と成山君。

     また、中村君は、「科学の甲子園は科学好きな人なら貴重で楽しい経験になるのでぜひ出場してほしい」と科学の甲子園を目指す後輩たちにメッセージをおくりました。

    総合優勝した神奈川栄光学園高等学校(写真提供:JST)
    2位 奈良県東大寺学園高等学校(写真提供:JST)
    3位 愛知県海陽中等教育学校(写真提供:JST)

    2年ぶりに会場に集結! 668校7870人がエントリー

     科学の甲子園は、全国の科学好きな生徒らが集い、競い合い、活躍できる場を構築し、提供することで、科学好きの裾野を広げるとともに、トップ層の能力伸長を目的としています。今年の大会には、668校から7870人のエントリーがありました。

     開会式では、司会者から47都道府県の代表校の紹介が行われ、各校が学校名の書かれている横断幕を掲げ、決めのポーズを披露してくれました。大会は初日に科学に関する知識とその応用力を競う筆記競技を、2日目に実技競技を行い、最終日に表彰式が行われました。

     「第13回科学の甲子園全国大会」は令和6年3月中旬に茨城県つくば市で開催される予定です。

    筆記:チームで協力して習得した知識をもとに融合的な問題に挑む

     筆記競技は各チーム6人を選出して行われました。競技時間は120分。それぞれの得意分野を活かして協力しながら、理科、数学、情報の中から習得した知識をもとにその活用について問うもので、教科・科目の枠を超えた融合的な問題など計12問に挑みました。例えば第2問は、ハンドスピナーで遊んでいるうちにどれくらい回り続けるのか調べてみたくなり、回転する様子をスマートフォンで動画撮影したという身近にありそうな設問。肉眼ではしっかり回っているように見えるのにスマートフォン上の画面ではほぼ静止しているように見える時間帯があったのはなぜか。回転しているハンドスピナーが動画上では静止しているように見えるとき、ハンドスピナーの「回転数」について、少なくともどのようなことがいえるのか。関係する数値を含んだ形で答えるなど、数学と物理の融合問題でした。

     筆記競技では久留米大学附設高校(福岡県)が最高得点をあげ、第1位のスカパーJSAT賞に輝きました。

    実技❶:にほんの振り子 振動現象の奥深さを感じる

     「にほんの振り子︱連成振り子の物理」(競技時間100分・配点240点)は、各チームにハンガーラックで作られた実験用スタンドとゼムクリップや水平器、スケール付きマスキングテープ等が配られ、それらを使用して行う競技。実験1では振り子の周期を指定された秒数以内に調整。実験2‐1は連成振り子の設定と観察、実験2‐2は連成振り子の実験・計測・動画撮影、実験3は連成振り子の設定と測定、実験4では斜め45度方向の観察を行いました。振り子のように固有振動を持つものには共振(共鳴)と呼ばれる現象が見られます。高等学校までの物理では振り子や共振現象については簡単にしか扱われませんが理工系大学ではより深く、関連づけて扱います。少し背伸びをして、振動現象の奥深さを感じてもらおうという競技でした。

     今年度は白陵高校(兵庫県)が1位となりトヨタ賞を獲得しました。

    実技❶:にほんの振り子 詳細解説

     振動は日常よく見られる現象である。代表例として振り子の運動があげられるが、ひとつの振り子の場合、振動の振幅が大きくないときには、その周期は重力加速度と振り子の糸の長さだけに依存する。ふたつの振り子を互いに力を及ぼすようにバネなどで連結した場合(連成振り子)、その運動は複雑になる。しかし、この連成振り子の運動は、それぞれ固有の周期(糸の長さや連結するバネのばね定数などに依存)を持つふたつの基準振動(normal mode)の重ね合わせで表されることがわかっている。

     実技競技①では、糸の長さlとおもりの重さが同じであるふたつの振り子を、支点からl0の位置に軽くて硬い( 重さ0で伸び縮みしないと見なせる)ストローを使って連結した連成振動を扱う。この場合のふたつの基準振動は、周期がそれぞれ長さlと(– l0)の振り子の振動となることが運動方程式を用いて示すことができる(大学の物理で学ぶ)。

     実際に、【実験2−2 ( 1 )、( 2 ) 】と【実験3( 1 )、( 2 ) 】で、このふたつの基準振動を観測させている。実験2ではl0 = 10 cm、実験3ではl= 20 cmとした場合である。<同方向条件>と<逆方向条件>で測定した振り子1(振り子2でも同じ)の周期が、それぞれ糸の長さと(– l0)に対応する基準振動の周期である。<同方向条件>の場合は、【実験1】で観測した同じ振動であり、<逆方向条件>の場合は、結果的に動かないストローの端を支点にした(糸の長さが短くなった)振動である。

     【実験2−2 ( 3 ) 】と【実験3 ( 3 ) 】では、振り子1と振り子2の振れ幅が交互に入れ替わる連成振り子の現象をタブレットを用いて動画撮影し、それを解析する。この現象もふたつの基準振動の重ね合わせで表される。個々の振り子の運動を詳しく見ると、振れ幅がゆっくりとした一定の周期tで大小を繰り返し(うなりの現象)、その振れ幅の間を短い周期Tで振動していることがわかる。問4では、撮影動画の解析から、tTを求めさせている。ふたつの基準振動の振動数(周期の逆数)をf1sf2s( f1s > f2s )と書くと、1 / f1s – f2s、1 / = (f1s f2s) / 2と表せることが解説に述べてある。これをもとに、問4で得られたtTの値からf1sf2sを計算し、その逆数をとって、ふたつの基準振動の周期T1sT2sを求めるのが問5 ( 1 )である。果たして、T1sT2sの値が、【実験2−2】と【実験3】で計測した<同方向条件>と<逆方向条件>の場合の周期とよい一致をみるであろうか、それを検討し考察するのが問5( 2 )である。

     連結部分に(重さ0で伸び縮みしないと見なせる)ストローを使ったこの連成振り子の実験は、関連するふたつの基準振動を直接目で見ることができる(従ってその周期を簡単に測定できる)点で、たいへん興味深いものである。

     最後に、問題の中で使われていた用語についてひとこと:問題及び実験の手引きに、振り子1と振り子2の振れ幅が交互に入れ替わる現象で<共振>という用語が使われていた。

     ふたつの振り子が共に動くという意味で<共振>と記されたと思うが、違和感がある。系(あるいは物体)にその固有振動数に近い振動数で振動する外力を加えると、系は外からのエネルギーをもらって大きく振動するようになる。一般に、この現象を共振と呼ぶ。上記の連成振り子の場合は、全体で一つの閉じた系とみなされ、そのエネルギーは保存し、ただ、系の中のふたつの振り子の間でエネルギー(従って振れ幅)が交互に入れ替わる現象である。

    横浜国立大学名誉教授 佐々木 賢

    実技❶:にほんの振り子(写真提供:JST)

    実技❷:顕微鏡、自分で作れるってよ 自作顕微鏡で細胞を観察

     「顕微鏡、自分で作れるってよ」(競技者3人・競技時間100分)は別冊「顕微鏡製作と実験の手引き」を読み、顕微鏡を製作し、その顕微鏡を用いて与えられた標本や、作成したネギ根端組織のプレパラートを観察し、問題を解き進める実技競技。標本を用いた観察を正確に行うため、まず優れた顕微鏡をチーム内で創意工夫をして製作すること。十分な実験計画をたてることや実験技術の高さや正確さ、豊富な知識や思考力、発想力、チームワークなど複合的な要素が求められました。

     最高得点を獲得した久留米大学附設高校が1位に輝き、学研賞受賞しました。

    実技❷:顕微鏡、自分で作れるってよ 詳細解説

    「【問題と手順】概要」にそって、高校時代に全国大会に参加した大学生が説明します。

    別冊「顕微鏡製作と実験の手引き」を読み、顕微鏡を製作する。

     製作にあたっての重要なポイントは、2つのレンズを結ぶ光軸に光源と観察する標本があることを確認しながら実験を進めること。そして振動を避けるために滑り止めシートを敷き、机の振動などが顕微鏡装置になるべく伝わらないように工夫することである。接眼レンズと対物レンズを接近させているチームもあったが、接眼レンズと対物レンズの距離は「およそ160 mm 」というヒントが与えられているので、それをベースに調節していく必要がある。

    顕微鏡に関する文章1と文章2を読んで、問1と問2に答える。

     問1はレーウェンフックの単式顕微鏡の構造に関する問題。光学顕微鏡の種類、歴史、仕組みについて十分な知識があれば解答できるが、なくても問題文を丁寧に読み構造を分析すれば正解へ辿り着けたはず。問2は複式顕微鏡のレンズに関する問題。顕微鏡の倍率や鏡筒部の長さを求め、分解能や開口数について考察するなど、物理の素養も求められる。生物と物理を同時に学んでいる高校生は少ないかもしれないが、こういう横断的な知識を見るのも科学の甲子園の特徴だ。

    製作した顕微鏡を用いて、標本A・標本Bの観察を行い、問4に答える。

     問4は生物の各組織の特徴を知り、顕微鏡の製作とそれを用いた撮影を適切に行うことができれば解答できる。実際の撮影では、標本を適度な明るさで撮影するために、偏光フィルターで光度を調節する必要がある。標本Aは維管束が散在していることから、単子葉茎横断だとわかる。また、標本Bは髄質の中に糸球体が散在していることから、腎臓だとわかる。

    「ネギ根端組織の写真」を使って細胞周期に関する問5に答える。

     問5は細胞周期に関する典型的な問題。体細胞分裂中期と後期の細胞数を数え、そこからそれぞれの期の時間を計算すれば良い。ただし、実際の写真を使っているため、移行状態にある細胞や、通常習う角度とは異なる角度から見た細胞についての判定が難しく、難易度を上げている。

    体細胞分裂が盛んなネギ根端組織のプレパラートを製作し、問3と問6に答える。

     問3はステージの微動装置の製作に関して、留意するべきことを穴埋めする問題。微量なステージの動きを実現するために小さいシリンジで大きいシリンジを動かすこと、空気よりも水の方が圧力による体積変化が少ないので、水で注射筒と連結チューブの中を満たすこと、圧力により伸縮しにくい固いチューブを使用すること、チューブが曲がることによる内容積の変化を防ぐために、チューブと制御用注射筒は架台に固定しておくこと、といった具合。「【問題と手順】概要」には最後に答えることになっているが「1~ 5は並行して行うことも可能である。チームで相談のうえ,役割を分担するなどして効率よく進めること」ともあるように、最初に軽く目を通していれば、顕微鏡製作の強力なヒントになるはずである。問6はこの競技でやってきたことが全て試される、最終問題に相応しい問題。求められる知識は問5と同様だが、制作した顕微鏡やプレパラートの精度の高さが求められる。400 倍で観察するには、ピント合わせのためにステージの移動装置も作る必要がある。100倍で観察した画像より、400倍で観察した画像の方が高得点になるため、各チームの戦略が問われた。プレパラートの作成では、日頃の実験の積み重ねが所要時間や完成度の差になって表れたと思われる。また、細胞同士が同期しておらず、細胞周期のさまざまな段階にある根端分裂組織を選択的に取り出してプレパラートにすることが重要であり、それができないと間期の細胞しか観察できない。

     選手たちは、最初の方は特に、なかなか上手く撮影できていない様子だった。頭であれこれ考えていても、実際にやってみると上手くいかないのが実験では当たり前。100 分という短い制限時間の中で、試行錯誤を繰り返し、どれだけPDCAサイクルを回せたかが勝利の分かれ目だったに違いない。

    実技❷:顕微鏡、自分で作れるってよ(写真提供:JST)

    実技❸:おかえりフックン船長 マイコン制御でカートを自律航行

     事前に公開されていた実技競技の「おかえりフックン船長 マイコン制御によるサンプルリターンカート」(競技者3人・競技時間150分)は、小惑星探査機「はやぶさ」になぞらえて、マイコンボードを搭載した競技用車両(以下、カートという)を用いて小惑星(サンプル採取場所)のサンプルを地球(スタート・ゴールエリア)に持ち帰る競技。実際の「はやぶさ」は主に地球からの通信データで航行ルートを制御したが、この競技では、マイコンボードに書き込まれたプログラムに基づいて、設定されたコースをすべて自律的に航行させる。 

     事前に配付された部品・材料を用いて、規定に則ったカートを製作して大会当日に持参し、実際のコースでの試走状況等に応じてカートやプログラムを調整し、各校が競技課題にチャレンジした。

     海陽中等教育学校(愛知県)がチームポイント120 ポイント、航行時間1分54秒の成績で1位となり、アジレント・テクノロジー賞に輝きました。

    実技❸:おかえりフックン船長(写真提供:JST)

    【第12回 科学の甲子園全国大会】 成績一覧

    総合優勝(文部科学大臣賞・ETS Japan 賞) 神奈川:栄光学園高校

    総合2位( 科学技術振興機構理事長賞・日本理科教育振興協会賞) 奈良:東大寺学園高校

    総合3位(茨城県知事賞・SHIMADZU 賞) 愛知:海陽中等教育学校

    総合4位(つくば市長賞・旭化成賞) 北海道: 札幌市立札幌開成中等教育学校

    総合5位栃木:県立宇都宮高校

    総合6位千葉:県立東葛飾高校

    総合7位大分:大分東明高校

    総合8位兵庫:白陵高校

    総合9位岐阜:県立岐阜高校

    総合10位鹿児島:ラ・サール高校

    筆記競技1位(スカパーJSAT 賞) 福岡:久留米大学附設高校

    筆記競技2位(内田洋行賞) 奈良:東大寺学園高校

    実技競技① 1位(トヨタ賞) 兵庫:白陵高校

    実技競技① 2位(ケニス賞) 北海道: 札幌市立札幌開成中等教育学校

    実技競技② 1位(学研賞) 福岡:久留米大学附設高校

    実技競技② 2位(テクノプロ賞) 群馬:県立前橋女子高校

    実技競技③ 1位(アジレント・テクノロジー賞) 愛知:海陽中等教育学校

    実技競技③ 2位(ナリカ賞) 山梨:県立甲府南高校

    企業特別賞(帝人賞)(女子生徒応援賞) 女子生徒3名以上を含むチームの中の最優秀校 岩手:県立盛岡第一高校

    学校名(カッコ内は出場回数)

    県立開邦高校(5)

    ラ・サール高校(12)

    県立宮崎西高校(12)

    大分東明高校(3)

    真和高校(5)

    県立長崎西高校(6)

    県立唐津東高校(5)

    久留米大学附設高校(11)

    高知学芸高校(8)

    愛光高校(5)

    県立丸亀高校(6)

    徳島市立高校(9)

    県立山口高校(4)

    県立広島叡智学園高校(初)

    県立倉敷天城高校(4)

    県立松江北高校(6)

    県立米子東高校(2)

    智辯学園和歌山高校(9)

    東大寺学園高校(4)

    白陵高校(2)

    府立北野高校(4)

    京都市立西京高校(初)

    県立膳所高校(12)

    県立四日市高校(4)

    海陽中等教育学校(7)

    県立浜松北高校(2)

    県立岐阜高校(12)

    長野県屋代高校(2)

    県立甲府南高校(6)

    県立高志高校(初)

    県立金沢二水高校(2)

    県立富山中部高校(10)

    県立新潟高校(10)

    栄光学園高校(11)

    都立武蔵高校(2)

    県立東葛飾高校(3)

    県立大宮高校(4)

    県立前橋女子高校(3)

    県立宇都宮高校(9)

    県立並木中等教育学校(6)

    県立福島高校(5)

    県立酒田東高校(2)

    県立秋田高校(10)

    聖ウルスラ学院英智高校(初)

    県立盛岡第一高校(10)

    県立弘前高校(5)

    札幌市立札幌開成中等教育学校(2)

    「第12回 科学の甲子園全国大会」協働パートナー一覧(50音順)

    ●旭化成株式会社

    ●アジレント・テクノロジー株式会社

    ●ETS Japan

    ●株式会社内田洋行

    ●株式会社学研ホールディングス

    ●ケニス株式会社

    ●株式会社島津製作所/株式会社島津理化

    ●スカパーJSAT株式会社

    ●帝人株式会社

    ●テクノプロ・グループ

    ●トヨタ自動車株式会社

    ●株式会社ナリカ

    ●公益社団法人日本理科教育振興協会

    応援企業・団体一覧

    ●サントリーホールディングス

     株式会社

    ●公益財団法人日本発明振興協会

    16歳からの大学論 探究学習を進める難しさとその原因

    京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
    宮野 公樹先生
    ~Profile~
    1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

     2023年3月末に、現代ビジネスWEB版に寄稿しました。『誰も教えてくれない「学びとは何か」、学び直しブームへの「大きな違和感」』(https://gendai.media/articles/-/108320)というタイトルで、リカレントやリスキリング、そして探究学習といった今日的な「学び」のキーワードを取り上げ、僕なりの学問論と結びつけて考察してみたものです。この記事、ぜひご覧頂きたいのですが、実は「学習」について書ききれなかったことがまだあるため、紙面を借りて書き残そうと思います。以下は、主に探究学習に携わる先生方を念頭に置いたものです。

     物の本によると、探究学習を指導する際の悩みとして、「生徒への評価が難しい」「指導内容に不安が残る」「学習場所が広範囲になり過ぎる」「十分な学習計画が作成できない」「学習計画通りに授業が進まない」「生徒の授業に対するモチベーションが低い」があるそうです。以下、順に考えます。

    「生徒への評価が難しい」について

     大学においても卒業論文等で学部4回生を評価はしますが、基本的なスタンスとしては、その研究を評価するのであって、研究者としての人物を評価するのではありません。そこが高校とは決定的に違うかもしれません。学術研究の場合、価値ある研究のできる研究者を高く評価します。高校でも、生徒ではなく生徒の研究テーマを評価するという意識に変えると、もっとやりやすくなるかもしれません。そして、生徒も教師も、テーマ選定やその実践により身が入ると思います。

    ●「指導内容に不安が残る」「学習場所が広範囲になり過ぎる」について

     探究においては、指導(ティーチング)よりコーチングですから、生徒の選んだテーマについて教師の方が詳しい必要はありません。それより、教師自身が探究者として、挑戦や失敗、紆余曲折や苦労を繰り返すなどして熱中している姿を見せること、生徒とともにそれらを味わうことが何よりも大事だと思います。そもそも「探究」とは、指導できるようなものではないのですから。

     なお、自然科学分野の実験系ではないテーマの場合、社会学の研究方法がかなり参考になると思っています。社会学には、しっかりとその分野の手法や手続があり、「宝塚」から、「遅刻」「ジェンダー」「マンガ」「フェス」「映画」「伝統産業」「古本屋」「ツーリズム」などに至るまで、研究テーマにすることができますから。

    「十分な学習計画が作成できない」「学習計画通りに授業が進まない」について 

    これは学術研究では当たり前のことです。研究とは、ビルの建築のように設計図を作ってそのとおりに建てるような営みではありません。研究であるなら、計画は絶えず変化し、柔軟性のあるものでないとむしろだめですし、計画通りにいかなかった方がすごい発見が得られるなどの場合もあったりもします。

     以上、振り返ってみると、いずれも「研究(≒探究)」と「学習」の混同が根っこにあるように思えます。通常、高校の教科の学習では、試験問題よろしく教師が「答え」を用意して生徒はそれを《当て》にいきます。しかし、探究にはそのような確固たる「答え」はありません。にもかかわらず、通常の「学習」と同じように考えてしまっているために、評価や指導が「大変だ」「計画通りに行かない」などの悩みがでてしまう。「生徒の授業に対するモチベーションが低い」のもそれが一因かもしれません。繰り返しますが、「探究=学習指導」とするから戸惑うのであって、「探究=研究」という本来のありように戻せば、かなりの悩みはなくなるのではないでしょうか。

     勿論、問題は残ります。指導という営みが本務である高校の先生方は、どう「研究」すればいいのか。そして、どういう研究が価値ある研究、良い研究なのか・・・本来、大学の範疇であるものを、部分的とはいえ高校へ導入できるのか。

     僕は2つの道があると思っています。一つは3分間クッキングのように、ある程度の答えを用意した形で実施する道。これなら評価もしやすく計画もたてやすいでしょう。もう一つは、完全に「研究」を目指す道。もちろん実践には学校側としても覚悟と勇気が必要でしょう。しかし学習と研究の混同で悩むよりましではないでしょうか。その方がより本来の姿に近く本質的ですし、先生たちの負担や悩みもかえって減少すると思います。

     おそらく現状は、後者の方にむかっているのではないでしょうか。問題は高校には十分な研究資金はなく、実験装置も論文へのアクセス手段も十分ではないことです。しかも、通常の教科と同時進行で進めるのにどれほど注力できるのか。

     未だ揺籃期ともいえるこの「探究学習」には、たしかにそのような困難はあるでしょう。しかしその最適な姿はきっとあるはずですし、僕自身その手応えを感じないわけではありません。昨年度につづき今年度も、日経STEAMのアドバイザーを拝命しましたから、今年も10校ほどの高校で探究学習を《探究》してみようと思っています。

    雑賀恵子の書評 「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」 東畑開人 

    雑賀 恵子さん
    ~Profile~
    京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

     カバーの絵を見よう。夜の海。海の彼方はうっすらと明るく、影が伸びているのは月の明かりか、夜明け前の光か。波打ち際に小舟に乗った人が一人、小舟の脇には寄り添うように浜辺に座っている俯き加減の人が一人。柔らかい灯火を灯した細く高い柱が、遠く近くに6本。

    夜の海を頼りなく、心許なく独り、小舟を漕いでいるのは、あなた。寄り添っているのは、臨床心理学・精神分析学・医療人類学を専門とし、臨床心理士としてカウンセリングルームを主宰している著者。

     人生で迷子になってしまう時期。受験や仕事の失敗といった大きな問題からだけではなく、小さな失敗から自信を失ったり、微妙なすれ違いから他人を信頼できなくなったり、そんなことの積み重ねでありふれた日常が失われ、未来の見通しが消えてしまう。誰にでも起こり得るこうした危機の時期を、著者はユングに倣って「夜の航海」と呼ぶ。

     夜の海に小さな小舟で漂いながら、どこを目指してどこへ行こうか、そもそも自分の今いる位置さえおぼつかず、陸地がどちらにあるのかもわからない。そうした不安と混乱にある人に対して、静かに傍に座って、一緒に戸惑いながら、ときには一緒にああでもない、こうでもないとおろおろしながらも、あそこに光が見えるようだよ、でも眩しすぎるからよくわからないね、もう少し柔らかい光で形を見分けられるようなところを探そうか、と語りかけてくれる。そんな本である。

     どんな生き方がいいか、やれポジティブに考えよう、いやネガティブを受け入れよう、身の回りの人に感謝しよう、いや自分の人生を生きよう、といった人生指南書や自己啓発本は数多く出ている。本でなくとも、生き方について強力なアドバイスとなるような言説も溢れている。これらは、いわば人生の処方箋(船)だ。だけども、心は一般化できないし、複雑でその都度変わる。処方船に乗り込んで楽になったとしても、人生の問題そのものが解決できているわけではない。安全な港に避難し態勢を整えるために処方箋は有効に働く。これはマネージメントの時期と呼ばれる。それは必要ではあるのだけれども、それだけでは足りずに、これまでの生き方を見つめ直し、新しい生き方を模索せざるを得ない時がある。そういう時がセラピーの出番である。混乱した心に補助線を引いて、複雑な心を複雑なままに分割して見やすくする。いま必要なのはマネージメントか、セラピーなのかをひとつひとつ判断しながら繊細に舵取りを行うのが、カウンセラーの仕事だという。

     「処方箋と補助線」「馬とジョッキー」「働くことと愛すること」「シェアとナイショ」「スッキリとモヤモヤ」「ボジティブとネガティブ」そして「純粋と不純」という見出しにある不思議なキータームを灯火にして、著者は、あれかこれか、ではなく、あれもあってもいいしこれもあってもいい、というふうに、決めつけることなく、ゆるやかに、惑いながら夜の海を漕ぎわたることを支えてくれる。

     水平線の向こうには、やがて昇りくる陽の光がほのかに空を染めているのが見えるだろう。

    杜の都の西北から 第1回 新しくて古い? “新”学習指導要領 (学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員

    小松 悌厚さん
    ~Profile~
    1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

     2021年度から、高大接続改革の一環である新たな大学入学共通テストが導入され、選抜方式は一般選抜、総合型選抜、推薦型選抜方式に移行した。入学者選抜、高等学校教育、大学教育を通じて一体的に学力形成が図られるようにするのがねらいだった。さらに、2025年度入試からは出題内容が大幅に変更される。大学入学共通テストでは、出題教科に「情報Ⅰ」が加わり、国語は、内容の拡充に伴い試験時間も延長されるという。地理歴史は、総合性を重視した科目と探究に係わる科目に再編成される。公民の現代社会の代わりに公共が設定される。数学は科目が再編され数学②の内容に数学Cが加わるとともに試験時間も延長となる。英語も新たな教科名に変更になる。

     共通テストをはじめとする2025年の大学入試内容の大幅な変更は、新しい高等学校学習指導要領の完全実施を踏まえたものだ。新しい学習指導要領では、内容を知識・技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力と人間性等の三つの柱で再整理し、主体的対話的で深い学びを進め社会で生きる力や社会で活かす力を培うことを狙いとしており、大学入試においても改善の趣旨が反映されることとなる。

     大学関係者は、2025年度から新しい学習指導要領の下で学んだ学生の学修を円滑に進めるために、これまで入試の改善や円滑な高大接続に資する初年次教育、その他の教育課程の在り方等の検討を幅広く進めてきた。目前に迫った新しいカリキュラム編成に向けた詳細設計を慌ただしく準備を進めているのが実情であろう。

     しかしながら、新しい学習指導要領の制定に至る経緯も含めて振り返ってみると、2025年度入試で受け入れる高校生が学ぶ新しい高等学校学習指導要領が改訂されたのは2018年。その内実を検討した中央教育審議会の審議は2014年から2016年となる。「新しい」学習指導要領といってもそれほど新しくはないわけだ。

     学習指導要領は、昭和の時代から、およそ10年ごとに全面改訂というサイクルが定着している。10年もかかる背景には、文科省の検討着手から告示、解説書編纂・周知、教科書編集・出版・採択というチェーンで関連業務が進むからだ。幼稚園、小学校から学校段階ごとに実施時期が異なる上に、高等学校段階は学年進行となるので、完全実施に至るまでには相当の歳月を要することとなる。将来的には、時代の変化に対応できず教育内容が陳腐化することも危惧されかねない。教育DX等により改訂プロセスの効率化や、10年ごとにフルモデルチェンジすること以外のよい方法も見いだせるかもしれない。今後、学習指導要領の改訂プロセスの合理化に関する検討が行われることを望みたい。

    人と動物の共生社会に貢献する

    130年以上の獣医学教育の伝統と実績を基に、麻布大学が「愛玩動物看護師」を養成

    獣医師養成133年という長い歴史を持つ麻布大学は、2024年4月、「生命を看つめ、生命を護る(いのちをみつめ、いのちをまもる)」をモットーに、獣医学部に愛玩動物看護師(国家資格)を養成する獣医保健看護学科※の新設を予定している。 愛玩動物看護師は2022年5月1日施行の愛玩動物看護師法によって制定された新たな国家資格で、今年3月には第1回国家試験に合格した初の有資格者が誕生した。麻布大学はこれまで、獣医学科卒業生が約1万7千人、国内最多の臨床獣医師を輩出している。その実績が裏付ける高度な教育・研究力を基に、「高い倫理観を持ち、獣医保健看護学におけるリテラシー(知識や能力の活用力)とコンピテンシー(優秀な人材に供えられた行動特性)を兼ね備え、人と動物の共生社会に貢献する」愛玩動物看護師養成を目指す。 ※仮称/2024年4月新設予定/設置構想中につき内容を変更する場合があります。


    動物病院増築棟外観 ※完成予想図につき内容を変更する場合があります

    新学科開設の目的とその意義

     1890年に創設された東京獣医講習所をルーツとする麻布大学は、「学理の討究と誠実なる実践」という建学の精神にのっとり「人と動物との共存及び人と自然環境との調和の途を探求すること」を目的に教育と学術研究を展開、獣医系大学として最多の研究室を有する。獣医臨床センターの地下1階から地上2階を占める附属動物病院は、国内トップクラスの規模を有し、年間約1万2千症例の診療を行うとともに、学生が臨床の現場に立ち会い、獣医療技術を学ぶ教育施設としても機能している。今年は動物病院と研究室、実習室などからなる獣医臨床センターの改築工事が予定されており、来春の新学科開設までには施設の規模と機能を拡張・充実させることとしている。

     獣医療チームの要となる愛玩動物看護師を養成する新学科に大きな期待をよせる川上泰学長は、開設の目的を、「本学が掲げる“地球共生系~人と動物と環境の共生をめざして”という理念に沿って、獣医療の発展とそれを介した人間社会の健康と福祉、生活の質の充実に貢献する」ためとする。そして「獣医学・畜産学・動物科学の分野で活躍する人材を養成してきた大学として、獣医療分野で重要となる愛玩動物看護師の養成は、本学の発展のみならず質の高い獣医師の養成やペット産業の永続的な発展に貢献するはず」と力をこめる。さらに「本学にある附属動物病院や高度な設備環境、充実した学習環境で教育研究を行うことにより、社会の求めるリテラシー、コンピテンシーを備えた愛玩動物看護師を育てたい」との意気込みを示す。

    キャンパス全景

    新学科の特徴の一つ 獣医師養成と同じ環境で学び、チーム獣医療の礎を築く

     新学科の特徴について、同学科で講師に就任予定(現 動物応用科学科 講師)の久世明香(さやか)先生の挙げるキーワードは、《獣医学科と共に》。これは、獣医学科と同様の最先端の設備と充実した教育体制の中で学ぶことで、チーム獣医療を体感することを意味する。愛玩動物看護師として活躍する上で、自身の役割の理解と獣医師や動物病院スタッフとの協力は欠かせない。そのため、獣医学科で行われている保護動物の避妊去勢手術の実習にあわせて、獣医保健看護学科(仮称)の学生が動物の入院管理を担うなど、同じ環境で実習を行う計画としている。また、4年次の病院実習は、附属動物病院だけでなく、公益社団法人日本動物病院協会(JAHA)と包括協定を結び、同協会に加盟する全国の動物病院でも行う予定だ。

     もう一つの特徴は、教養科目をしっかり学べる体制を整えていること。教養科目は専門科目を理解する上での基礎となり、暗記した知識に頼るだけではなく、応用力や問題解決能力を備えた専門職を育てるのにも欠かせない。また、基礎教育科目として設けられた「生物学入門」「化学入門」などでは、初年次教育・リメディアル教育を担当する教育推進センターで個別相談や補習などを行い、高校時代に生物・化学を履修しなかった学生も、専門科目の授業についていけるよう支援する。

     「教養教育に加えて、協調性やコミュニケーション能力の養成も重視したい」と久世先生。「臨床現場において、チーム獣医療を実践する上でも、飼い主との関係構築のためにも、コミュニケーションはとても重要。相手の立場に立ち、相手に伝わるように説明できるようになるため、コミュニケーションの科目に限らず、さまざまな科目の中でグループワークを重視し、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会をできるだけ設けたい」とも。

     また、コミュニケーションは、人間だけではなく「動物との間にも必要」とし、「本来、動物にとって、病院は苦手な場所。動物の行動学や適正飼養学を通じて、動物の気持ちを理解し、動物が診察を受け入れやすくなるための工夫も身につけてもらいたい」と語る。

     植竹勝治獣医学部長からは、「看護師教育のキーワードのひとつは“アドボカシー”(弱い立場にある動物の生命や権利、利益を擁護して代弁すること)で、獣医療チームの一員として、痛みや感情を伝えられない動物や飼い主の代弁者となる専門性と人間性を兼ね備えた人材の養成を目指したい」と、意気込みを聞いた。

    獣医療現場

    獣医系大学最多の研究室で、学科を超えて専門分野を学ぶ

     麻布大学では、3年次から研究室に所属し、興味のある専門分野について研究活動を行う。そこは知識を深めたり、特殊な技術を修得するだけでなく、論理的思考・主体性・チームワークを身につける場ともなる。また、希望があれば、獣医学部にある他学科(獣医学科および動物応用科学科)の研究室に所属することができるため、動物と人の関係性、産業動物、野生動物など、愛玩動物の看護を超えた分野についても学ぶことができる。

     他大学にはない特色ある教育「麻布出る杭プログラム」があるのも、麻布大学を選ぶ大きなメリットだ。これは、文部科学省の「出る杭を引き出す教育プログラム」で麻布大学が全国の大学の中で唯一採択されたもので、伴侶動物(犬や猫)や野生動物、生態系、SDGs、植物などをテーマに約30の研究プロジェクトが全学的に展開されている。学部・学科を超えて応募でき、1年次後期から参加できるが、多様な分野から専門分野を選択し、早くから知識や技術を修得できると好評で、文部科学省の中間評価でも最高評価「S」を受けている。

    万全の就職支援、卒業生の獣医師ネットワークが大きな力に

     新学科では4年次に愛玩動物看護師国家試験を受験し、合格すれば資格が得られる予定だ。卒業後は、ほとんどが愛玩動物看護師として動物病院などに就職することになるだろう。その際に強みとなるのが獣医学科卒業生のネットワーク。麻布大学はこれまでに輩出してきた臨床獣医師数が国内No.1であり、全国の動物病院や動物関連施設で多くの卒業生が働いている。大学としては、これら卒業生のネットワークや公益社団法人日本動物病院協会(JAHA)との密接な関係などを活用することで、着実に動物病院に就職し活躍できるよう支援する計画だ。

     動物病院以外の就職先としては、地方自治体に設置が義務づけられる動物愛護管理担当職員(一般市町村は努力義務)、ペットショップなどの第一種動物取扱業とされる事業所に配置が義務づけられている動物取扱責任者や動物の栄養管理指導者などへの道が開かれている。このほか、適正飼養のための工夫に取り組む動物園や水族館なども就職先として考えられるなど、愛玩動物看護師としての知識や技術を生かせる分野は多い。

     久世先生は「飼い主もペットも高齢化によって飼育が困難となり、動物の世話が必要なケースが増えている。また、ペットを同伴できるホテルや、ペットの飼える高齢者施設が増えることで、動物のいる環境が広がるとともに愛玩動物看護師として活躍の場も広がる」とする。新学科では、学生に広い視野を持ってもらうためキャリア形成科目を多く組み入れており、動物病院以外の就職も含め、自分に合ったキャリアを見つけられる指導体制を整えている。また、2人の教員がクラス担任となり学生の相談に応じるほか、専門の就職支援アドバイザーを置くなど、学生支援体制を充実させるとしている。

    獣医学部棟

    「動物が好き、人も好き」だけでなく、「広い学びと実践力を身につけたい」人、求む

     では、どのような人が愛玩動物看護師に向いているのか。

     久世先生は、「まず動物が好きな人」と述べた後、すぐに「ヒトとのコミュニケーションも求められるため人も好きであってほしい。1対1で向き合うだけでなく、社会全体の中での人と動物の共生も意識できる人はさらに歓迎したい」と語る。

     「地球共生系~人と動物と環境の共生をめざして~」という教育理念の下、人と動物の健康とそれを取り囲む生態系や社会に貢献する人材を育成する麻布大学。川上学長によれば「リテラシーとコンピテンシーを兼ね備えた人材養成」ということになるが、それを実現するために全学共通科目に置かれているのが「地球共生論」と「地球共生系データサイエンスプログラム」。

     1年次に置かれる「地球共生論」は、麻布大学の建学の精神や歴史に始まり、全学科の教員がオムニバス形式でそれぞれの教育に対する思いや内容を伝えるもので、「麻布大学概論」であるとともに、人と動物との共生について深く考える姿勢を身につけるものとなっている。「地球共生系データサイエンスプログラム」は、1年前期に必修の『基礎プログラム』と2年次通年で選択の『発展プログラム』の2段階からなり、数理・データサイエンス・AIへの関心を高め、各専門分野における課題をデータに基づいて適切に判断し、解決に導ける人材の育成を目指す。

     新学科を志望するにあたっては、「国家試験の受験資格取得だけでなく、知識を活用して問題解決を追求するというように、広い学びと実践力を身につけることも目標にして欲しい」と久世先生。麻布大学獣医学部獣医保健看護学科(仮称)は、発展し変化し続ける共生社会を切り拓きたいという意欲に満ちた入学者を待って、来年4月に開設される予定だ。

    愛玩動物看護師とは

    診療の補助や愛玩動物(ペット)の看護にとどまらず、愛玩動物の飼い主などへの愛護・適正飼養に関する助言などを行う専門職で、特に輸液剤の注射や採血、マイクロチップの装着、カテーテル留置、投薬など、獣医師の指示の下に診療の補助業務が行える独占業務(獣医師を除く)である。これまで獣医師だけが行ってきた医療行為のうち、衛生上の危害が生じるおそれは少ないと認められる行為を、その指示の下で行える。ちなみに愛玩動物とは、犬や猫および政令で定める動物と法に規定されており、犬・猫のほかは愛玩動物看護師法施行令で愛玩鳥(オウム科全種、カエデチョウ科全種、アトリ科全種)と定められている。  また、動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)ではペットショップやブリーダー、トリミングサロン、ドッグトレーナーなど、第一種動物取扱業を行う事業所には動物取扱責任者を置くことが義務づけられており、動物取扱責任者になるには「一定期間以上の実務経験または飼養に従事した経験」と、「専門知識を学ぶ学校の卒業資格または所定の民間資格」の双方が必要とされる。しかし愛玩動物看護師は獣医師同様、その資格だけで動物取扱責任者になることができる。  2019年には、動物の福祉が守られる社会を目指して改正された動物愛護管理法では、出生後56日を経過しない子犬や子猫のペット販売の原則禁止や、動物虐待に対する厳罰化、都道府県・政令指定都市・中核都市に動物愛護管理担当職員を置くことなどが決められた。昨年4月からは、犬猫等販売業者に犬・猫へのマイクロチップ装着義務が課されるようになるなど、人と動物の共生社会の発展という流れが加速する中、それを背景に設けられた国家資格と言うことができる。

    お話を伺った方々

    学長 川上 泰 先生

    ~Profile~ 麻布大学環境保健学部を1988年3月に卒業後、4月から同学部助手、講師、2008年からは現在の生命・環境科学部の准教授、教授を経て、2021年11月に学長に就任し獣医保健看護学科の設置に向けて舵を切った。大学では寄生虫や衛生動物を対象とした研究に従事して35年。2000年〜2002年にワシントン大学に留学し、生化学的な実験手技や技術を学んだ。何事にも怯むこと無く取り組んでいくことをモットーにしている。趣味は愛犬と遊ぶことである。青森県立弘前高等学校出身。
    講師 久世 明香 先生

    ~Profile~ 神奈川県出身。東京大学農学部獣医学専修卒業後、同大学大学院農学生命科学研究科博士課程(獣医動物行動学研究室)に進学し、『盲導犬における早期適性予測に関する行動遺伝学的研究』で獣医学博士号を取得。大学院時代より、イヌ・ネコの問題行動に関する行動遺伝学的研究や問題行動の治療に携わり、獣医行動診療科認定医を取得。東京大学大学院農学生命科学研究科特任助教(獣医動物行動学研究室)、一般動物病院勤務医、東京大学附属動物医療センター特任助教を経て、2018年4月より現職。桐蔭学園高等学校出身。

    大学の最新の研究成果・知見をまちづくりに

    ――3月25、26日、京都大学の若手研究者が北海道倶知安町で、

    市民参加型の「ビジョナリーワークショップ 2050年の倶知安町

    —町民と若手研究者で描くビジョン—」を主催

    北海道倶知安町は北海道の南西部に位置する町で、ニセコ連峰や羊蹄山などの自然景観が美しいことで知られる。近年は、外国人観光客の増加に伴い多言語対応の観光施設やサービスが充実し、日本にいながら国際的な環境を味わうことのできるユニークな町。一方、過疎化や高齢化、若者や労働力の流出、観光客の季節的な変動によってオフシーズンへの対応をどうするかなどの課題も抱える。このワークショップは、そんな倶知安町の持続的な発展を見据え、将来の町の方向性や目標を考える機会にしようと開催された。倶知安町からは農業従事者、商業関係者、スキー場・開発事業者、役場職員、病院関係者、中学生・高校生など、京都大学からはL-INSIGHT※フェローおよび大学生・大学院生が参加し総勢は46名となった。 ※京都大学L-INSIGHTは、2019年11月に文部科学省による令和元年度科学技術人材育成費補助事業の「世界で活躍できる研究者戦略育成事業」の採択を受け開始されたプログラムで、2030年代に世界一級の研究者と成り得る、世界視力を備えた次世代トップ研究者を育成することを目的としている。


    集合写真

    「研究成果を社会実装したい」(研究者)、「研究者の技術やアイディアを

    まちづくりに取り入れたい」(町民のみなさん)との想いが形に

     主催者の一人である京都大学大学院農学研究科助教の白石晃將さんは、「2022年7月、倶知安町で農林水産業を中心にフィールドワークを行った際、たくさんの魅力を発見するとともに町が抱える諸課題を知った。町のビジョンや長期的な戦略に研究者の視点を加えることで、何かしらの貢献ができるのではと感じた」とワークショップ開催の発端を語る。そこで他のフェローとともに計画、今回の運びとなったという。「研究者としては専門的な知見をまちづくりに活かすための実践的な学びの場となり、町民のみなさんには大学の最新の研究成果を取り入れ、新しい町づくりや将来へ向けてのアイディアに活かすきっかけになるのでは」とその意義についても語ってくれた。

     ワークショップは、自分たちの価値観や町の魅力を参加者で共有することからはじまり、「観光と開発と自然環境共生」、「教育やコミュニティ発展と公衆衛生」、「気候変動と一次産業」、そして「中高校生」の4つの視点から2050年の町の未来を語り合い、最後にそこに至るビジョンを描いた。その際「目の前の課題ばかりに目が向き過ぎないよう、バックキャスティング(未来思考)で議論が進むことにも注力した」とフェローの一人として会を主催した京都大学医学部附属病院助教の磯部昌憲さん。

    文字町長による開会挨拶

    「おいしさ シンカ 羊蹄山

    〜NOW WE SEE, NOW WE CHANGE, FUN NISEKO〜」

     ワークショップの最後に考案されたのがこのキャッチコピー。「シンカ」は、進化、深化、真価などを表し、技術の進歩と、コミュニティが深まることによって、町の精神的支えとなっている羊蹄山の麓で育まれる美味しい作物の価値がいつまでも保たれて欲しいという願いを込めた。また「おいしさ」をひらがな、「シンカ」をカタカナ、「羊蹄山」を漢字にすることで多様性を、サブタイトルを英語表記にすることで国際性も表現した。

     「町の将来を考える会議は倶知安だけでなく全国各地で行われていますが、若手研究者の知見が得られ、地元の10代の中高生も参加し、意見が反映される会合は、今まで私は聞いたことがありません」と倶知安観光協会理事の早川貴士さん。参加した中高生も、「大学生や大学院生、若手研究者と意見交換でき、とても有意義だった」と語る。大学生として参加した京都大学農学部2回生の土田美咲さんは「唯一無二の自然、地元をこよなく愛する町の人々、一方で複雑な利害関係…全てが自分の想像を超えていてとても驚きました。大学での研究を通じて、このような町の課題を解決できるような人物になるため、さらに学業に励もうと思いました」、京都大学大学院総合生存学館博士一貫課程2回生の光部雅俊さんは「研究者でもまちづくりに貢献できることが実感できた。専門知識を身につけ、それを実践する場をたくさん作り出せる研究者になりたい」と語ってくれた。「研究成果として得られた知見や技術には学術的価値があるのはもちろん、それが社会で有効活用されると、新たな社会システムの創出や、製品・サービスの開発などにつながり、経済や社会に多くの恩恵をもたらす。そのためにも研究者と市民との対話は欠かせないことから、これからもこのような機会をできるだけ多く設けていきたい。また、ビジョンを打ち出した倶知安町とは今後とも連携を続けたい」と白石さんは今後の抱負を語ってくれた。

    グル-プワークの様子

    「フュージョンエネルギー」に注目 「ENGINEERING(工学)」をFUSION(融合)」し、エネルギーの未来を切り拓く 

    武田 秀太郎さん武田 秀太郎さん
    九州大学都市研究センター・准教授
    京都フュージョニアリング株式会社・共同創業者
    文部科学省 核融合科学技術委員会
    原型炉開発総合戦略TF 主査代理

    ~Profile~
    2014年京都大学工学部物理工学科卒業。2016年京都大学大学院総合生存学館、修士課程相当修了。2018年京都大学大学院エネルギー科学研究科早期修了、博士(エネルギー科学)取得。2019年ハーバード大学大学院修士課程修了(サステナビリティ学)。2018年京都大学大学院総合生存学館特任助教、2020年国際原子力機関(IAEA)プロジェクト准担当官、2022年京都大学大学院総合生存学館特定准教授を経て、現職。2019年10月には京都フュージョニアリング株式会社を共同創業。 International Young Energy Professional of the Year 賞、英国物理学会IOP若手国際キャリア賞、IAEA事務局長特別功労賞ほか、多数受賞。日本国籍で唯一のマルタ騎士団騎士。FBS福岡放送『バリはやッ!ZIP!』コメンテーター。東海高等学校出身。

    エネルギー工学と計量サステナビリティ学(Sustainametrics)を研究する傍ら、「フュージョンエネルギー」スタートアップである京都フュージョニアリング株式会社を共同創業した武田秀太郎さん。 研究力と実務実績から数々の国際賞を受賞するとともに、国際支援活動が評価され、現在日本国籍でただ一人のマルタ騎士団のナイトでもあります。 FBS福岡放送『バリはやッ!ZIP!』にてコメンテーターもこなす武田さんに、大学発スタートアップの可能性、国際活動についてお聞きし、未来のアントレプレナー、国際協力の場で活躍することを目指す高校生・大学生に向けたメッセージをいただきました。


    提供:京都フュージョニアリング株式会社
    提供:ITER機構
    提供:核融合科学研究所

    世界中の「ENGINEERING(工学)」を「FUSION(融合)」し、未来を切り拓く、京都フュージョニアリング株式会社

    みなさんは、「フュージョンエネルギー」という言葉を聞いたことがありますか?フュージョンエネルギーは、「核融合」とも呼ばれていたエネルギーで、太陽を始めとする宇宙全ての星を光らせているエネルギーです。太陽は水素でできていて、この水素同士が融合(フュージョン)してヘリウムに変化することで、膨大なエネルギーを生み出しているのです。

     もし、地上に太陽を作ることができれば、地球環境に優しい未来の持続可能なエネルギー源になるとして、今大きな期待が寄せられています※。これが、「フュージョンエネルギー」です。フュージョンエネルギーは海水中に豊富に含まれる水素原子から大きなエネルギーが得られ、事故のリスクが低く、石油や石炭のように地域、産地、また埋蔵量に偏りがありません。まさに究極のクリーンエネルギーなのです。

     実際に、現在世界では多数のスタートアップや研究機関によって、物理学やプラズマ科学を駆使したフュージョン炉の開発競争が巨額の費用をかけて行われています。そんな中で私たちは、それらのプレーヤーにとって必要不可欠な「プラント技術の研究開発」と「炉心特殊機器の研究開発」の二つに事業領域を絞り、強みとする新たなスタートアップ「京都フュージョニアリング株式会社」を2019年に立ち上げました。

     「FUSION(融合)」と「ENGINEERING(工学)」を掛け合わせた造語による社名には、世界中の工学者とフュージョニア(フュージョン研究者)を融合させ、エネルギーの未来を切り拓きたいという想いが込められています。現在従業員は70名を超え、東京、京都、そして米国や英国で密に連携をとりながら研究開発を展開しています。

     私たちは、世界中の研究機関や民間企業を対象に、先進ハードウェア群の開発や設計支援など、各種炉心要素技術の開発に初期段階から参入し、数十年に亘って継続的に、主要設備を製造、納入するという息の長いビジネスを展開しています。実際これまでに英国原子力公社など多くの顧客から発電プラントの概念設計や、ジャイロトロンという特殊装置の受注などを獲得しています。

    ※ITER国内指定機関である国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構HP参照

    同HPによれば、「ITER(イーター)」は、平和目的のための核融合エネルギーが科学技術的に成立することを実証するために、人類初の核融合実験炉を実現しようとする超大型国際プロジェクトで、「ITER」はラテン語で道という意味を持ち、核融合実用化への道・地球のための国際協力への道という願いが込められているという。

    フュージョンエネルギーはあと何年で実現するか?

     これについてはこれまで、「いつまでたっても30年先」などと言われてきました。しかしここ数年の間に、情勢は変わりつつあります。欧米の政府機関関係者の多くが、2035-2040年に実現すると宣言するようになったのです。実際に英国ではフュージョン発電所を設置する候補地の選定が終了しましたし、米国ではホワイトハウスがフュージョンエネルギーサミットを開催し、2040年までに実現すると宣言しています。このようにフュージョンエネルギーの実現が現実味を帯びてきた背景には、民間投資の伸びが挙げられます。米国では2021年、民間企業によるフュージョンエネルギーへの投資額が米国エネルギー省のそれを抜き去り、研究開発が国家主導から民間主導に変わりつつあります。2010年代に見られたSpaceXによる有人宇宙飛行の推進がそうですが、民間主導になるとスピード感が出て、柔軟性も高い。ビル・ゲイツ財団やグーグルが出資する米国マサチューセッツ工科大学(MIT)発のスタートアップCommonwealth Fusion System(CFS)社も、2025年までには実験炉を用いて発電の商業化への道筋をつけ、2030年代初頭の商業用の完成を目指しています。

    きっかけはエレベーターの中に?

     このような状況の中で、その中核を担える位置にいることに大きなワクワク感を覚えている私たちですが、会社設立のきっかけは、4人目の共同創業者であり現在Chief Innovatorを務めるRichard Pearsonさんとの出会いでした。元々、私と当時の指導教員で設立構想を練り始めたのが2018年でしたが、同年の国際会議でのRichard Pearsonさんとの出会いがそれを加速したのです。

     Richard Pearsonさんは、当時既にスタートアップに勤務していたこともあって、私は会議後に彼の会社を訪問させてもらいました。そしてそこで比較的小規模の施設で行われていた最先端の研究開発を目の当たりにして、「自分たちにもできる!」と大きな可能性を感じたのです。成功する確率が1/100しかなければ挑戦すらしないのが一般的かもしれませんが、子どもの頃から好奇心旺盛だった私の性格と、もう一人の創業者の情熱が相まって、社名も会議後の懇親会で決めるといった具合に急ピッチで創業を進めました。

     ところでRichardとの出会いには前段があります。アメリカの滞在先ホテルのエレベーターでたまたま乗り合わせ、何となく会話をはずませていたところ、実は同じ学会に参加していたことが偶然にも分かったのです。振り返れば、まさにそれが人生の転機でした。

    大学発スタートアップ企業には可能性がいっぱい

     現在、日本には大学発のスタートアップ企業が約3300社あると言われています。日本全体で大学教授が6 ~7万人いるとすると、単純計算で20人に一人が会社を持っている時代です。しかも驚くことに、3300社のうち64社が上場を果たしています。大雑把に言えば、大学発スタートアップは50分の1の確率で社会に大変革を起こせるわけです。

     こう考えると、確率はとても高い。それなら、興味のある学生さん、若手教員を始め大学関係者のみなさんも挑戦する価値があるのではないでしょうか。

     日本経済が成長軌道を取り戻すためには、勢いのあるスタートアップの出現が欠かせないとの認識から、日本政府は2022年を「スタートアップ創出元年」と位置付け、「スタートアップ育成5か年計画」を打ち出しました。近年は社会も、スタートアップ企業の失敗に寛容になってきており、一度ダメなら二度目、二度ダメなら三度目といった具合に何度も挑戦権が得られるような風潮も生まれつつあります。

     スタートアップ企業と中小企業とでは、資金調達の使途や方法に大きな違いがあります。スタートアップは、市場を新たに創出するような破壊的イノベーションを生むのが目的で、投資家から資金を得て、大きくスケールアップすることを目指しています。よく学生さんで誤解をされておられる方がいるのですが、スタートアップは主に借金ではなく、同じ志を共有してくれる仲間から資金を得ています。「借金が残るのが怖いのでスタートアップ起業は考えていません」と言われる学生さんにたまに会いますが、まずはその心配が不要であることをお伝えしたいです。

     スタートアップ企業の中でも、特に大学発の魅力は、学術の探求という情熱と社会への貢献というミッションを両立できるという点だと思います。スタートアップの仕事には、大学では感じることのない刺激があります。大学にとって、研究に100%の力を注ぐ純粋な学者はなくてはならない存在ですが、今後は、起業スピリットを持った冒険心あふれる教員など多様な研究者が混ざりあうことも必要ではないかと考えています。

    もう一つの大きな夢、計量サステナビリティ学の確立

     当面の目標は、世界的な研究者として認められることですが、そのための起点の一つが、日本にしっかりしたサステナビリティ学※を確立させること。というのもこれまでのサステナビリティ学は、文理融合によるアプローチが基本とは言え、数理的手法による仮説検証などはあまり行われておらず、純粋学術にも、人材育成、産学連携にも振り切れていない理念先行の分野にみえるためです。しかしサステナビリティ学とはそもそも社会変革の学ですから、定量性を持って、社会に確としたインパクトを与えることが必要だと考えています。

     そこで今取り組んでいるのが、データサイエンスの知見も入れながら持続可能なエネルギー源の社会経済分析や技術評価を行うといったように、サステナビリティ学に実証的内容を持たせる試みです。サーキュラーエコノミーからESG、LCAまで、データサイエンス的な観点から計量的に分析し統合し指標化していく。経済学が計量経済学に発展していったように、サステナビリティ学を計量サステナビリティ学にしていきたいのです。

     目下、研究会を主催していて、すでに論文も15本集まり、4月には、計量サステナビリティ学の学術会議を一般社団法人化することにも目途がついています。今後が楽しみです。

    ※東京大学第28代総長小宮山宏の提唱によるとされる。『地球温暖化問題に答える』(東京大学出版会)、『地球持続の技術』(岩波新書)などに詳しい。本誌65,75に関連記事

    高校生・大学生へのメッセージ

    とにかく知的好奇心を大切にして自由にいろいろなことに取り組んでください。周りから言われたことを過度に気にしないことも大事です。幼いころからの旺盛な知的好奇心や行動力が、今の自分を形成してくれたと思います。

    聖ヨハネ騎士勲章ナイト・オブ・マジストラル・グレース( 聖ヨハネ騎士勲章)を

    受賞、日本で唯一の存命するマルタ騎士に

     2022年に私は、青年海外協力隊、国連職員、そして大学教員として、バングラデシュ、香港、東南アジアにおいて国際支援活動を継続してきたことが認められ、マルタ騎士団によってナイトに叙任されるとともに、聖ヨハネ騎士勲章を受勲しました。日本国籍の騎士叙任は約90年ぶりで、現在、日本国籍の唯一のナイトとなりました。

     マルタ騎士団はカトリックの騎士団として11世紀に設立されました。騎士団でありながら国際法上の主権を有し、パスポートを発行し、120カ国と外交関係を結ぶとともに、国連にオブザーバーの地位を有する「領土なき独立国」です。現在世界に13,500人の騎士、95,000人の常勤ボランティア、52,000人の医療専門職員を擁しており、医療活動、戦争や飢餓に苦しむ人々の緊急支援、自然災害への救援など、国際人道支援を120カ国で展開しています。欧米では中学や高校の歴史の教科書などに掲載されているなど、世界史的にも国際的にも非常に注目を集めていますが、日本での知名度は低く、その向上にも貢献していくつもりです。

    社会の役に立ちたい!悶々とした高校・大学生活で見えてきた将来像。

    高校、大学で抱いた問題意識から、3.11を契機に自衛隊へ。

    大学へ戻ってからも科学技術と社会の繋がりをとことん考える

    好奇心旺盛な性格で、社会活動に興味を持ちだしたのは高校生の時。学校での勉強に満足できず、社会運動に参加したり、政治家と直接、意見交換したりしました。生意気にも「社会とはなんと非合理なのだろうか」と考え、教育改革など社会運動にのめり込んでいったのです。好奇心旺盛な若者を、放任主義とも取れるほど自由に活動をさせてくれた高校と両親にはおおいに感謝しています。あの頃の体験があるからこそ、今のバランスの取れた社会に対する視点があると思います。

     高校卒業後は京都大学工学部工学物理工学科に進学。3回生まで自由に学業に励んでいましたが、やはり国の税金で学ばせてもらいながら社会に貢献できていない自分に違和感を覚えるようになりました。そんな折に起きたのが東日本大震災。思うところがあった私は新学期になる前に大学に休学届を提出、二年間自衛隊に入隊しました。少々やりすぎだったかもしれませんが、大学に戻ってからは、科学技術と社会の繋がりをとことん考えるようになりました。

     大学院ではエネルギー工学に加え、持続可能エネルギー政策やその経済性の分析、さらに技術の受容性を研究、修了後は、国連や京都大学での職を経て、現在に至っています。

    「地球持続の技術」(岩波新書)
     環境問題の解決と、次の世紀へ向けていかに持続可能な社会を作っていくかが、21 世紀人類にとっての最大の課題。「20 世紀の後半には地球環境の悪化に対する警告がなされました。21 世紀にはそれに対して具体的な答えを出さなければならない。そしてそれはエンジニアとしての使命でもある」(小宮山先生)ことから、本書は書かれた。主に物質とエネルギーの側面から、温暖化や化石エネルギーの枯渇といった問題へのアプローチを試みる。さらに後半では、2050 年を目標に自動車のガソリン使用量を1/4に、エアコンの電力消費量を1/3 になど、すべてのサービスに使用されるエネルギーは1/3 にできるはずという具体的なプランが展開されている。執筆当時からおよそ10 年たった今、小宮山先生は自らの主張について、「ますます確信を深めています。ただ、エアコの効率はすでに当時の2倍になっていて、これだけはうれしい誤算。もっと大胆に言っておけばよかった」と顔をほころばせる。【本紙65号:2006年9月9日発行、東京大学 小宮山 宏 総長インタビューより】

    今年度から始まった《大学で》探究学習プログラム 東京都市大学 OPEN MISSIONとは

     「探究」という学びのキーワードは、大学入試や高大接続プログラムにも変化を与えている。東京都市大学では、総合型選抜で探究活動の成果を評価する新入試を導入し、一般選抜では「探究総合問題」という複数の教科を横断して探究力を問う試験問題を新設した。また、高校生向けの進学イベントとして従来型の「オープンキャンパス」に加えて、本年度から探究学習プログラム「オープンミッション」を実施した。

     「オープンキャンパス」は、大学の施設設備を見学したり教育研究内容に関する具体的な説明を提供するフェスティバル型のイベントで、1dayプログラムであるのに対し、「オープンミッション」は探究学習イベントとして約3か月の期間を必要とする。

     参加者は、大学のホームページで提示された探究テーマから、関心あるテーマを選択して登録(各テーマごとに人数制限あり)。ミッション(課題)動画に基づき、自分なりにまとめたレポート等を6月26日(日)に持参し、当日はテーマごとにグループワークを行ったり、大学の研究機器を利用した実験を体験。大学教員から直接指導を受けることも貴重な機会となるが、アシスタント役の大学生からのアドバイスは、年齢の近さもあって参加者の緊張感を和らげるのに一役買っていたようだ。

     そして、このプログラムはこの1日では終わらない。担当教員からのレクチャーに基づき、ここからさらに深く内容を掘り下げ、8月9日(火)にあらためてキャンパスに集合し、最終成果を発表した。参加者はこの期間内、大学図書館を自由に利用し、担当教員から適宜アドバイスを受けたり、テーマによっては参加者どうしでの意見交換なども行い、大学のアカデミズムに触れながら探究活動を深めた。

     東京都市大学がこの「オープンミッション」を企画した背景には、高校での「探究」の学びの動向をいち早くキャッチし、大学の教育研究と有機的に連接させたいという意図がある。また、高校の探究活動を支援したいという目的もある。

     本年度は周知期間も短く、全389名の受け入れ枠に対して約200名の参加だったが、このプログラムの成果を利用して総合型選抜に出願する受験生は130名にも及んでいる。本年度のプログラムは終了したが、高校から「探究活動として公式に連携したい」という問い合わせも多く、来年度はさらに拡大して実施する予定だ。

    世田谷キャンパス

    受付会場(TCUホール)
    参加者による探究課題の成果発表(電通)
    参加者による探究課題の成果発表(都市)
    参加者による探究課題の成果発表(都生)

    横浜キャンパス

    高校生デザイネージコンテスト(社メ・情シ)
    参加者による探究課題の成果発表(環創)
    参加者による探究課題の成果発表(環経)
    参加者に受講証明書を授与(デ科)
    東京都市大学
    東京都市大学は、武蔵工業大学を前身(2009年名称変更)とし、「理工学」分野を中心に「文理融合」や「学際領域」の教育・研究を積極的に行っている大学である。現在は、理工学部、建築都市デザイン学部、情報工学部、環境学部、メディア情報学部、都市生活学部、人間科学部の全7学部17学科で構成され、来年度には8学部めのデザイン・データ科学部も開設される。

    「脱炭素」で本当にいいの? 日本化学会が炭素循環を提言

    2022年9月4日、日本化学会は学会長名、教育・普及部門長名で「科学(化学)的に正しい「炭素循環」を 我が国が目指す社会の用語として使おう!」というメッセージを日本化学会機関紙「化学と工業」、「化学と教育」9月号、さらには学会ホームページに公開した。日本化学会では、この科学(化学)的に間違った言葉が使われることに強い懸念をもっており、科学(化学)的に正しい「炭素循環」という用語を使うことを強く求めることを主張している。さらに、9月7日、日本化学会関係者が文部科学省関係部局に出向き、本事案の説明と情報提供を行った。本事案が世の中に浸透し、議論が活性化され関心が高まること、さらにこれがきっかけとなり本件に対する正しい理解と共に国民の科学的リテラシーの向上を期待したい。以下、今回の公開文書の本文の一部を示す。


     (前文略)人類が協調して目指す社会を指す言葉として、「脱炭素」がしばしばマスコミ記事、場合によっては政府の資料でも使われます。この言葉は科学(化学)的に適切でしょうか。「脱炭素」という言葉からは、その目指す究極の到達点は「炭素がない」、「炭素がなくなった」状態と捉えられる言葉です。しかし、我々人間を含めたすべての生物は炭素を含んでいますし、木材のような自然由来の物質にも炭素が含まれており、私たちの社会から炭素をなくすことは現実的ではありません。つまり、「脱炭素」という用語は、炭素のない生物や物質社会を目指すという間違った印象や目標を人々に与えてしまうかもしれないのです。社会が求めているのは、二酸化炭素の排出と吸収のバランスの取れた状態で、科学的には二酸化炭素を媒体とした「炭素循環が100%達成」された状態です。この状態では炭素は決してなくなっているわけでもなく、なくすことを目指すことも真の目標ではありません。したがって、「脱炭素」よりも「炭素循環」という用語が科学(化学)的に適切です。すなわち、我々が目指す姿として社会や経済という言葉と組み合わせるのであれば、「脱炭素社会」や「脱炭素経済」ではなく、「炭素循環社会」や「炭素循環経済」(英訳:Circular Carbon Economy)という用語をつかうべきなのです。

     次代を担う子供たちや社会に化学を正しく伝えることは日本化学会の重要な役割のひとつです。例えば、中等教育においては、高等学校教科書と大学入試で使われてきた用語でその用法に疑問を感じるものについては日本化学会の委員会で検討をし、その「望ましい」用語や用法を提案してきました。事実、これらの提案は文部科学省の新しい学習指導要領にも反映されました。「脱炭素」という言葉は、これまで公的な文書でも用いられることがありましたが、その結果として初等、中等、高等教育の教科書に掲載される可能性が出てきています。日本化学会は、この科学(化学)的に間違った言葉が使われることに強い懸念をもっており、科学(化学)的に正しい「炭素循環」という用語を使うことを強く求めたいと思います。科学(化学)的に正しい用語を用いて、子供たちの科学に関する見方や考え方を育てていくことは極めて重要であり、我が国の将来の科学技術を担う優れた人材を育成することにつながると確信しております。

     公益社団法人 日本化学会 会長 菅 裕明  教育・普及部門長 塩野 毅

    ※全文及び詳細は、https://www.chemistry.or.jp/news/information/post-443.htmlを参照のこと。

    雑賀恵子の書評 「清少納言がみていた宇宙と、わたしたちのみている宇宙は同じなのか? 」池内了(青土社)

     自分は理系だから国語が苦手だとか、逆に文系だから数学はわからないとか、いとも簡単に決めつけることがある。こうした文系・理系の分け方は当然のように受け入れているけれども、実際は日本の大学受験の際に必要なだけだ。経済学のある分野はほとんど数学の世界だし、動物実験中心の心理学というのもある。ではあるが、理系か文系かという区別は、進路を決めるのに決定的といっていいほど受験生を縛り付けている。では、博物学は理系、文系のどちらだろうか。博物館はあるが、博物学部とか博物学科というのは聞かない。そもそも博物学とはなんだろう。

     読書家であり文系志望だった著者の池内了は、中学の頃、優秀であるが理数系に弱い兄(独文学者の故・池内紀)に対抗して理学部に進もうと考え、大学院では天体物理学を研究した。厄年を過ぎる頃、天文学者としての自分の才能に迷いが生じ、研究場所を国立天文台から阪大、名古屋大へと変え、他の分野の研究者と交わるうちに、宇宙を見上げる仕事から宇宙からの視線で地上を見下ろす仕事(科学・技術・社会論)へと重点を移したという。理系知と文系知を融合して両方の視点からものを見るようになったのだ。

     このような視線は、洋の東西を問わず昔から博物学に備わったものであり、西欧では自然科学発祥の母体となっていった。日本では、薬草・薬物の研究(本草学)やら希少な動植物の蒐集・観察が博物画などとして花開き、博物学は、遊び・洒落・機知・粋や潤い…といった江戸文化を体現するものとなっていく。それが西欧科学の輸入に勤しむ近代化の流れの中で、実利に結びつくような科学技術一辺倒となり、自然と密接して生きてきた人間の営みと結びつき異質なものが入り混じった博物学は忘れられてしまった。科学を難解な知識の塊として捉える現代の学問のあり方はさみしいものであり、文化をひ弱なものにしているのではないかと著者は嘆く。

     そこで、理系の知識と文系の人間の営みを合体し融合させて、読む人が科学と文学を同じ地平に捉えることができる作品ができれば素晴らしい。そう考え、「池内流の新しい博物学」として書かれたのが本書である。

     とはいえ、小難しいものではなくて、さすが江戸の博物学に遊びや粋をみた人である。レンズや磁石、ブランコ、真珠にフグ、ホタル、朝顔、彼岸花などを対象に、古今東西の小説や詩歌、歴史に残るエピソードを綴り、角度を変えて物理学や化学などの方面からの知見を織り込み、軽やかに語っていく。洒脱なエッセイ集であり、これを雑学、学者の余技とすることほど愚かしいことはない。ものをよく観察し、知ること、思考の方向を決めつけないで自由に遊ぶこと。そうして自分の世界を広げ、深めていく。知ることの悦びが、ここにある。