【物理ってなんだろう③】物理を学ぶと、毎日の生活がもっと楽しくなる?

– 横浜国立大学名誉教授 佐々木 賢先生

「この冬はインフルエンザが流行し、この1週間で患者数が加速度的に急増した」というニュースをよく耳にした。では「加速度的」とはどういう意味だろうか?家庭の電化製品の説明書には、必ず、使用電圧、消費電力などという言葉も書かれている。加速度、速度、力、電圧、電流、電力….日常的に使われているこれらの言葉はすべて物理用語である。よく耳にする再生エネルギーという言葉もそうだ。

高校から習い始める物理では、天体や日常見られる物の運動、電気と磁気の現象などが、基本的な法則から説明できることを学ぶ。その過程で出てくる上のような用語の意味がわかれば、これまでと違った視点で身のまわりの現象を見ることができるようになる。

もちろん基本的な用語について学んだから法則が理解でき現象を説明できるようになるとは限らない。ただ、ここからが重要だが、できなければなぜだろうと不思議に思い考えることだ。このプロセスこそ、物理にかぎらずどの分野においても重要なのだ。物理の知識があれば日常生活でも大いに役に立つ。家電製品が故障しても、何が原因なのか目星が付けやすい。自分で修理できるときもあるだろう。

さらに物理を学ぶことによって、まわりの現象に関心を持って何故だろうと考えるようになれば、毎日の生活をもっと楽しく送ることができると思う。

【物理ってなんだろう②】物理の世界はもっと多様に
愛知大学での新たな挑戦で見えてきたもの

物理屋60年の軌跡の一点描

京大に23年間務めた後、後半の23年間は、愛知大学で文系学生を相手に授業を受け持ち、学問の豊かさと広がりという貴重な経験をした。研究テーマは、素粒子論に加えて、交通流理論や経済物理学へ広げ、組織的な取組が必要な環境問題、女性研究者・ポスドク問題の研究環境改善のために日本物理学会でキャリア支援にも関わった。

坂東 昌子先生の顔写真

坂東 昌子先生

~Profile~

愛知大学名誉教授 NPO法人 あいんしゅたいん理事長
1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了(博士号取得)。京都大学理学部助手、講師を経て、87年より愛知大学教養学部教授。専門は素粒子論、非線形物理。京都大学に保育所設立を実現させるなど、女性研究者の支援でも活躍。京都大学の湯川秀樹研究室で素粒子論を専攻。ノーベル賞を受賞した小林・益川博士とは助手時代は同じ研究室。2007年日本物理学会長・同キャリア支援センター初代センター長 を経て、2009年3月若手研究者支援のためのNPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立。現在に至る。
「4次元を越える物理と素粒子」「理系の女の生き方ガイド」など著書多数。大阪府立大手前高等学校出身。

文系学生への講義で、現代の諸問題に目覚める

一般教育科目を担当するようになって、文系の学生に自然科学の講義をする場合、現代社会が抱えている問題と切り離してはいけないという想いが強くなった。急激に発展した科学技術は私たちの生活を大きく変え、同時に、科学と社会の関係を深く反省させられる深刻な問題にも立ち会うことになった。それが原爆開発、優生思想に基づく生殖革命と環境問題だった。私は、これらの専門家ではない。しかし、研究者がそれらを自らの問題として取り組むには、教育の場を通じてまずは自らを鍛えることも必要だ。専門を超えて考えなければならないという想いがあった。

そして周りの仲間と、こうした問題について考えてみようと立ち上げたのが、愛知大学内共同研究「エネルギー・バイオテクノロジー問題の総合的考察」。これが専門以外にも自分の興味を広げさせてくれるきっかけとなった。しかし、単に趣味として、あるいは教養として、より広い領域を冒険しようとするだけではだめだ。そこで納得できないことがあれば自らの目で見直し、さらに専門家とネットワークを組み対等に議論できる力量をつけることが必要だ。とはいえ、専門外の学会に進出して論文を書き、レフリーとやりあい、ジャーナルに論文掲載するまでには苦労も多かった。ただ、多くの新たな発見もあった。

愛知大学教養学部で得た刺激と仲間

教養部には専門の仲間が少なく、議論もなかなかできないと思っていたが、入ってみると杞憂だった。特に、同期転入の浅野俊夫さんとはよく議論を戦わせた。教養部には刺激的で議論好きな教員が多く、専門を超え、時間を忘れて議論した。またドクターをとっていない仲間には、「ドクターを取れ取れ」と励まし、取得したらお祝いの会もする。そんな温かい雰囲気がとても好きだった。

教養教育では、自然科学全般を受け持つ。さらに当時は情報処理センター開所に伴って導入された情報科目の中身を構築する時でもあった。情報処理センターの立ち上げ時には、組織運営などの課題に次々取り組んだが、この時には教養部の多くの仲間が労を惜しまず応援してくれた。

教養部には一般教育研究室という高校の職員室のような部屋があり、アイデア交換したり、新しい試みに向けて盛り上がったりした。そこで磨き上げられたのが、情報教育と総合科目と教養ゼミだ。

総合科目は、共通のテーマを異なる専門家で授業する。私は授業の構成、講師の選定、管理などについて、コーディネータ役を積極的に引き受けた。そのため「情報と社会」「21世紀のエネルギー問題」「環境と命」「愛知万博」などテーマも自由に選べた。講師を外部から招聘できるため、ネットワークも一挙に広がった。また大流行したはしかに対する愛大全体での取組なども含め、医学と生命科学の諸問題をまとめた「生命のフィロソフィ」(世界思想社)の執筆に取り組んだことで、法学の側面からの尊厳死などの位置づけを知ることができた。

ゼミでの取り組みと研究の進化

講義では、文系学生にわかってもらう工夫をするうちに、理系学生相手では式でごまかしていたことがわかってきた。解説本を読み漁っていると、理解している著者とそうでない人とが透けて見えるようにもなった。理解が浅いままでは、文系相手の解説で間違ってしまうことがある。文系の学生だからといい加減に解説するのではなく、自分が納得したことを言葉にしなくてはならない。教養ゼミでは、「新発売のハイブリッドカー」「次世代エネルギ―」「教科書と環境問題」「科学嫌い調査」など、ワクワクするテーマをとりあげたが、学生たちも生き生きと取り組んでくれた。身近な環境問題のテーマとして、全小中学校に毎年配布する教科書の費用をフェルミ推定を使って推定し、教科書会社の意見を問う形で問題提起したり、ハイブリッド車の効率の推定をしたりと、身近な環境問題を取り上げた。これが注目され、環境コンクールで名大大学院の環境専門のチームを抜いて優勝したり、民間の団体とともに名古屋市の環境支援資金をゲットしたりと、学生たちが大活躍をした。名古屋市の環境担当職員や名大の院生とも仲良くなり一緒に研究会も開いた。

研究活動でも視野が広がった。高速道路で起こる渋滞は、それまで「トンネルの入口など車がスピードを変えるボトルネックで起こる」が通説で、渋滞領域と自由流領域は理論式も別々だった。物理屋は「原因がないのに渋滞発生、なんで?」「統一的に理解できないの?」と考える。愛大で唯一の物理屋の同僚長谷部さんと名大のポスドクも交えて議論し、車の渋滞モデル「最適速度模型:OV モデル」を提案した※。交通流の専門家にこのモデルへの意見を聞いたら、「この問題は解決済みです」と言われた。新分野に挑戦すると論文を出すジャーナルさえわからず、苦労の連続だった。結局、アメリカ物理学会の雑誌に掲載された。アメリカ物理学会が視野を広げてその守備範囲を大きく拡張していることを痛感させられた出来事でもあった。

新参者でも内容を見て評価してくれるのは海外なのだ。この論文を見たドイツのボッシュ研究所員から「あなたたちのモデルは実験してみたらよく合う」と評価され、評判になり引用数が増えていった。こうして、ヨーロッパから世界へ広がり、国内へは逆輸入されてやっと認められた。まず海外に挑戦すべしというのがよく分かった。自動運転の時代に突入した現在、引用数はさらに増え続けて4000近くになっている。
※ 統一的理解のためには、車の集団(多体系)の間に働く相互作用(原因)と交通流(結果)の関係式は微分方程式になる。ちょっと刺激を与えると少し変化する。その積み重ねが交通流の結果を与える。結果から原因を探すコツはここにある。ニュートンが偉かったのはここなのだ。多集団の場合は、ミクロとマクロを繋ぐ動的仕組みがいる。この話は、実は南部の「自発的対称性の破れ」というメカニズムを応用したもので、やはり物理学のアイデアが生きた仕事でもあった。

ビッグヒストリーから見るシンギュラリティと人類の未来

138億年の宇宙の歴史から見れば、人類の存在期間はわずか200万年と、一周のきらめきに過ぎない。
しかし、この短い期間で人類は地球上で最も知的な生命として進化し、科学技術を発展させ、そして今、人工知能という新たな知的存在を生み出そうとしている。ビッグヒストリーとは、人類の歴史をビッグバンにおける宇宙の誕生から現在までの壮大な時間軸で捉える学問的アプローチである。
従来の歴史学が文書などの記録に基づいて数千年の人類文明を対象としているのに対し、ビッグヒストリーは宇宙論、物理学、化学、生物学、地質学、人類学、歴史学を統合し、より包括的な視点で歴史を理解しようとする。この観点から見た人間の存在意義とは、そして、人類のこれからとはを大胆に考察してみることにする。

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松田 卓也先生

~Profile~

1943年生まれ。理学博士。神戸大学名誉教授、NPO法人あいんしゅたいん副理事長、中之島科学研究所研究員。京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。京都大学工学部航空工学助教授、神戸大学理学部地球惑星科学科教授、国立天文台客員教授、日本天文学会理事長などを歴任。2045年問題に危機感を抱き、日本からシンギュラリティを起こそうと「シンギュラリティを語る会」を主催。著書に『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(廣済堂新書)、『正負のユートピア―人類の未来に関する一考察』(岩波書店)、『これからの宇宙論―宇宙・ブラックホール・知性』(講談社ブルーバックス)など。大阪府立北野高等学校出身。

宇宙史の3つの時代と支配力

ビッグヒストリーでは、宇宙の歴史は大きく 3 つの時代に区分できる。第一は「物理時代」(138 億年前- 40 億年前)で、非生命物質が進化した時代。第二は「生物時代」(40 億年前 – 200 万年前)で、生命が誕生し、遺伝子による情報伝達と自然選択によって進化した時代、そして第三は「文化時代」(200 万年前-現在)で、人類が誕生し、言語による情報伝達によって文化が急速に発展してきた時代である。

これを複雑系の進化という観点から見ると、宇宙は常により複雑な系を生み出す方向に進化してきた。クオークから核子、原子核、原子、分子、細胞、生物、そして人間や社会へと、より高次の複雑系が創発してきた。

この進化を可能にした要因には二つの重要な物理的条件がある。一つは構成要素間に働く引力の存在であり、もう一つは宇宙の温度低下である。引力は構成要素を引き付けて、より複雑なものを作る。逆に斥力には、構成要素を引き離し一様化を促す傾向があり、その影響下では複雑なものは形成されない。

宇宙には物理学的な力として、強い力、弱い力、電磁気力、重力という 4 種類の力があるが、物理時代に支配的な力は、強い力、電磁気力、重力である。強い力はクオークから核子を作る。また核子を集めて原子核を作る。電磁気力は原子核と電子を結合させて原子を作る。さらに原子がたがいに電磁気力で引き合って分子ができる。生物時代に重要な力は原子同士を結合させる化学結合力であるが、これは基本的には電磁気力である。ここで少し横道にそれるが、私は、人間社会を形成する力として(Attraction)という第 5 の力を提案したい。魅力は人間を引き寄せてより複雑な系を作る。例えば性的魅力は男女を引き寄せて夫婦という結合系をつくる。魅力から愛が生じる。家族、親族を作る家族愛・親族愛もその一種だ。結合系にはさらに、部族、都市、国家といったより大きく複雑な系もある。これらを作るのも広い意味の魅力であると言えよう。

複雑系進化のもう一つの重要な要因は宇宙の温度低下である。ビッグバン以降、宇宙は膨張し続け、その過程で温度が低下してきた。宇宙の曲率半径が倍になると、宇宙の温度は半分になる。系の温度は低いほど、より複雑な構造が安定して存在できるようになる。

実際、どんな結合系も温度が上がるとバラバラになる。温度に関してもう一つ重要なことは、温度差があることだ。具体的には太陽表面という高温部 (6000 度 ) と宇宙空間という低温部 ( 絶対 2.7 度 ) があることが重要だ。高温部ができる理由は重力である。重力でガスが集まり、圧縮されて高温になる。星の中心部では核燃焼が起きて非常な高温度になる。その熱エネルギーが最終的には太陽表面から放出される。地球上の生命はこの光を利用して生存している。

この意味からも重力が「引力」であるということが重要なのだ。

そして、シンギュラリティ――AGIからASIへ

この宇宙進化の延長線上に、シンギュラリティ※ 1 という現象を位置づけることができる。シンギュラリティとは、人工知能が人間の知能を超え、科学技術が爆発的に発展して、社会が劇的に変容する転換点を指す。人工知能が人間の知能を圧倒的に超える時点は 2025 年から 2029 年の間であると筆者は推測している。

現在の人工知能の急速な進歩を考えると、その期間に汎用人工知能(AGI)※2 が実現され、その後急速に超知能(ASI)※3 へと進化する可能性が高い。汎用人工知能が実現すると、人工知能が自分自身を改良して最終的には超知能 (ASI) へと進化する。人工知能が急速に自律的に進化する現象を知能爆発と呼ぶ。超知能ができると、人間ではなく超知能が科学研究を急速に推し進めて、科学技術の爆発的発展が起きるのだ。その結果、社会は大きく変容する。これがシンギュラリティだ。

もっとも社会自体は簡単には変わらない。慣性があるからだ。知能爆発後の社会の変化は 10 から 20 年かけてゆっくりと進行すると予想される。その間に失業が大量に生まれ、紛争や戦争といった様々な摩擦が生じる可能性がある。

超知能の出現は人類が知能において最高位の存在ではなくなることを意味する。この意味からこのシンギュラリティには、単なる技術的な転換点を超え、宇宙史における重要なエポックとなる可能性がある。生物学的生命(Life1.0)から文化的生命(Life 2.0)へと進化してきた人類が、シンギュラリティを通じて機械・技術的生命(Life 3.0)への架け橋となる可能性だ。
※1 技術的特異点 アメリカのレイ・カーツワイル博士が提唱。筆
者はその日本への紹介者として著名
※2 Artificial General Intelligence
※3 Artificial Super Intelligence

どうなる人類?転換期における課題と展望

人類の未来について、現在、主に3つのシナリオが考えられている。第一は絶滅のシナリオである。過去の生物の 99.9% が絶滅していることを考えれば、これは決して非現実的なものではない。第二は超知能ASI の庇護のもとで人類が生きるシナリオである。これは映画「マトリックス※ 4」的な世界である。

第三は、ASI と人類が一体となってグローバルブレインとでもいうべきものを形成するシナリオである。数百億の神経細胞 ( ニューロン ) の集合体である人間の脳のように、個々の人間を神経細胞に見立てて人類全体を巨大な脳とみなす時、これをグローバルブレインと呼ぶ。グローバルブレインに超知能が加わると、無数の人間と超知能が神経細胞として働き、巨大な脳を形成するそんなイメージである。人類(あるいはその後継者)が絶滅せずにさらに進化した場合の、さらに長期的な未来を考えると、二つの可能性が示されている。一つは拡張主義で、それは宇宙へと文明を拡大・拡張していく道である。もう一つは縮小主義で、外宇宙ではなく内宇宙への探求を進める道である。

人類が生物学的生命から機械・技術的生命への進化を媒介する触媒的な存在となるかもしれないことはすでに述べた。この意味からすれば、現代は「人類時代の終わりの始まり」であると同時に、新たな知的機械生命時代の「始まりの始まり」でもある。この転換期を人類がいかに賢明に乗り越えるか、それが私たちに課された重要な課題だ。
※ 4 The Matrix 1999 年制作のアメリカ映画

高校における探究活動と進路選択
3つの事例から大学との接続を考える

秋田県立秋田高校 教諭博士(生命科学) 遠藤 金吾さん

高等学校学習指導要領解説「総合的な探究の時間」「理数探究」の中では、
「探究を通して学んだことと他者理解とを結び付けながら自分の将来や
進路について夢や希望をもとうとする」
「探究の意義を理解させるとともに、
生徒の進路や在り方生き方などに肯定的な影響を与えるよう指導する」
という目標が記載されています。
では、実際の現場ではどのように活かされるのでしょうか。
今回は、私の経験から、探究活動が進路意識に影響を及ぼした事例を3例紹介します。

秋田県立秋田高校 教諭博士(生命科学)
遠藤 金吾さん

~Profile~
東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より、秋田県の博士号教員。2016年より、現任校(秋田県立秋田高等学校)に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」。埼玉県立川越高等学校出身。

CASE1 「勉強」→「研究」へ

今から15年ほど前、私が前任校に赴任したばかりの頃。当時、その学校では生物部は部員がおらず休部状態でした。ある日3年生のAさんが、私が博士号教員であることを聞きつけ、「生物の研究をしてみたい」とやってきました。その後、2年生2名も加わり、「生物部」の活動が始まりました。

Aさんは食品や栄養に興味があることから、「緑茶の抗菌作用」というテーマを設定し、民間の研究助成に応募して実験器具を揃え研究が始まりました。生徒たちは実験手技を習得するとともに、どのように実験条件を設定すれば良いのか、議論しながら試行錯誤をくり返して研究が進んでいきました。

「面白い結果も出たので、発表しよう」

私はそう言って、ある学会のジュニア部門への参加を提案しました。ただ、その学会はポスターでの発表で、A0サイズのポスターを印刷できる大判プリンターが学校にはなく、やむなく家庭用A4プリンターで手作り感満載のポスターを完成させました。

旅費も節約するために秋田-東京往復0泊3日の夜行バス弾丸ツアー。勢いと創意工夫で参加した初めての学会発表でした。

「他の学校、大きいポスターばかりだ」
「テカテカのきれいなポスターの学校もある」

と不安になる生徒たち。
「重要なのは見た目ではなく研究の中身だ」と励まして発表は始まりました。

発表時間中は生徒たちに任せ、後から様子を聞くと、
「審査員の先生が、『面白い研究だね』と言ってくれました」
「説明していると途中からハイになってきて楽しかったです」と生徒たち。それだけで十分な収穫だと思っていたら最優秀賞を受賞しました。試行錯誤して組み立てた条件設定がしっかりしていたことが評価されたようです。

研究を始める前は、「食品や栄養について『学びたい』」と、教育学部の家庭科コース志望だったAさん。探究活動を通じて、新しいことを発見する「研究」をしたくなり、「食品や栄養の分野って農学部にもあるのですね」と言って機能性食品の「研究」をするために、農学部に総合型選抜で進学しました。

CASE2 文系理系の間に壁はない

現任校の生物部でBさんが突然変異の研究を始めて半年が経った頃の話です。共同研究先の大学の研究室を訪問し、大学の先生や大学院生たちと研究についてディスカッションしていました。私はBさんに、学会発表の練習を見てもらったらどうかと提案しました。すると、練習もしておらず自信がないと言っていたBさんでしたが、プレゼンは完璧で、研究を十分理解していることがよく伝わりました。修士学生からの質問にも完璧に答え、交代した准教授の先生とも対等にディスカッションして一同を驚かせました。

帰り際に「あの子はうちの研究室にすぐにでも欲しいね」と言われるほどでしたが、学校のコース選択では「文系クラス」を選んだBさん。小さい頃から本が好きで、「文学部に行って文学の研究をしたい」からとのことでした。

文系クラスに進んだ後も「面白いから」と生物分野の研究を続けたBさん。常に最新の論文にも目を通して知識を更新していました。論文が掲載される科学雑誌も電子化が進んでおり、Bさんが小さい頃から馴染んできた「紙の本」の役割は減りつつありますが、「紙の本の文化の新しい方向性を打ち出すことはできないか」と、本の装丁を芸術に昇華したルリユール文化に着目。「本のあらゆる要素を総合芸術として昇華したい」と考え、文学部の中でも美学や芸術学の分野に志望を定めました。研究計画作成や面接におけるプレゼンテーションやディスカッションでは、それまで生物部の探究活動で培ってきた能力を発揮し、学校推薦型選抜で進学しました。

理系・文系に境はありません。大事なのは興味のあるものを探究するという姿勢であり、その経験は異なる分野での探究に必ず活きてくるのです。

CASE3 研究は嫌い→研究したい!

本校の理数科には、2年次から希望する生徒が進学します。理数科では「理数探究」という授業があり、理数系分野のグループ研究を行います。私が担当する生物班のリーダーになったCさん、リーダーになった理由を聞くと、「他のメンバーは忙しそうなので仕方なく引き受けました」という消極的なものでした。

当初、データ処理等で不慣れな様子だったCさんですが、数日後に変化がありました。「この薬剤の濃度はグラフから判断すると〇mg/mLが良いと思うのですが、先生はどう思いますか?」とデータを見せに来たのです。

「その通りで良いと思うよ。いつの間にかデータ整理できているね。誰かにグラフの作り方を教わったの?」と聞くと、「自分で色々試したらできました」。そして次にこの化合物も試してはどうかと提案もしてきました。

「面白そうだね。どうやって思いついたの?」と聞くと、「論文を色々読んでいたらこの化合物は条件に合うかなって」と答えました。

Cさんは突然、研究熱心になっていたのです。聞いてみると、Cさんは始める前は研究を面倒そうだと感じてやりたくないと思っていたとのことでした。しかし、やってみると、新しいことを発見する研究の楽しさに目覚めたのです。

3年生になったCさんがある日、相談に来ました。

「何となく人の役に立てたら良いなと思い、将来は漠然と臨床医になりたいと思ってきたのですが、研究がしたいです。できれば世界中の研究者と一緒に」と。

「どんな研究をしてみたい?」と聞くと、「がんに関する基礎医学の研究で新しい発見をし、研究医として、世界中の人の役に立ちたい」とのことでした。「無謀でしょうか?」という問いに

「やってみよう!」と私は答えました。

Cさんは研究への情熱とその卓越した研究能力が評価されて、学校推薦型選抜で進学しました。

まとめ 探究活動と大学入試

学校推薦型選抜や総合型選抜では、ペーパーテストだけでは評価できない「その学問分野への適切な理解や意欲・能力適性」を総合的・多面的に評価します。どのような意欲や能力を評価するのかは大学や学部・学科によって様々です。研究者や各分野のリーダー養成を目的に、探究活動を通して抱くに至った将来像や、身に付けた能力を評価する大学もあり、新しい時代を切り拓いていく人材育成の一翼を担うという意味で、一定の意義があると思います。もちろん従来のペーパーテスト重視の一般選抜でも、出題内容の工夫で様々な能力を評価することができますので、二つをバランスよく適切に活用し、多様な人材を選抜して教育していくことが大学には求められています。

探究活動だけでなく他の課外活動についても言えることですが、入試のために打算的に取り組んでも、長続きしなかったり、望ましい能力の伸長に繋がらなかったりすることも往々にしてあります。高校教員を含む周囲の大人たちは、その点を十分に理解し、探究活動という教育プログラムを通して、新しい時代を担う人材を育成していきたいものです。

第22回 大学の責任

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

本当の「学び」とは、自分の幸せに関わるものです。これは、直ちに、テストで高得点を取ることや、大学受験を否定するものではありません。それらとて、自分の望みを叶えるために必要なことなのですから。つまり、なんのために勉強しているのか?という自分の目標や願望のほうが大事だと言いたいのです。それが確固たるものである人ほど、熱心に勉強するのは当たり前のことでしょう。

ところが、その自分の願望、幸せというものをしっかり持っている人は非常に少ない。私もですが、大学進学を決めたときも、つきたい職業やなりたい自分というものを強く意識してはいませんでした。とりあえず大学に行く。そして、これからのことは大学4年間で考える・・・そういう人が大半だと思います。それでいいといえばそうかもしれませんが、ここ最近は、時代がそれを許さないのではないか、と感じることが多くなりました。

その理由の一つは、大学そのものに「余裕」がなくなり、学生が将来を考える豊かな時間や多様な出会いを与えられなくなっていること。例えば、私が大学生の頃は、自分で選択できる科目が多数ありましたが、最近は必須科目が多くなり選択肢がどんどん狭くなっています。毎回の講義で出席もきっちりとります。当たり前といえば当たり前ですが、「学問とは自分でするものであって誰かに教わるものではない」という考えが受け入れられていた頃は、出席の有無はそれほど重要でもなかった。

加えて、就職活動がどんどん前倒しになっただけでなく、数回の面接のみで会社を選ぶのはリスクがあることから、数日から一週間、または一ヶ月単位でのインターンシップに複数参加する学生も珍しくありません。こうなっては、大学は完全に就職予備校そのもの。事実、大学一回生に何か質問は?と尋ねると、「大学の講義が、本当に将来役立つかわからない。どの講義が一番効果が高いか、教えてほしい」というものがここ10年で本当に多くなっています。みな、失敗したくない、メインストリームから外れたくない、そういうマインドが非常に強い。

私はそういう学生に、「将来に役立つことしかせーへんの?」と問いかけます。厳しい質問ですが、これは学問を担う大学で教鞭をとる大学人、学者としての責務なんです。もし、役立つことのみを第一義にすると、関心事や人付き合いがどんどん狭くなり、ひいては、幸福になるために必須である感受性や感謝の心、つまり人生そのものが貧困になるのです。

「将来に役立つこと」はとても大事なことではありますが、それが至上命題になってしまうのは、自分の幸せを横置きし、世間の幸せに合わせようとする行為であり、冒頭に書いたように「自分の幸せ」からどんどん離れていくことなんです。アリストテレスが言うように、人間は「食うこと」以外にも関心を向けることができる動物です。絵や歌や詩や踊り、芸術というものを我々の歴史は持っているでしょう。あるいはわざわざ芸術なんて言葉を持ち出さなくても、芭蕉のように、旅先でふと咲く一輪のすみれに感動できるでしょう。日常にはそういう「食うこと」以外のもの、例えば、感じること、想うことが根源にあり、「生きること」の土台をなしている。それをしみじみ感じること以外に、いずれは死ぬ人間にとって幸せは一切ないのです。

ご存知のように、今、不登校(本当はこの言葉は不適切だし、個人的にも大嫌いですが)の生徒がどんどん増えています。文部科学省の調査によると、令和5年度の小・中学生の不登校の数は34万6482人と過去最多を記録しました。いろんな背景があるにせよ、これは、公教育の制度が時代にそぐわなくなってきていることの現れだと思っています。本当は、人格形成における最も大事な幼少期の間こそ、勉強ができ、先生の言うことをよく聞くのを良い子とし、それらを増やすことをゴールとするのではなく、上記のような「自分の幸せ」について、心身で学ぶ期間としてほしい。

考えてみれば、我々の身の回りのものはすべて誰かの仕事のおかげでできあがっている。身にまとっているこの衣服も、眼の前のPCも、雨風をしのげる家も、日々使う道路も…。それらのおかげで今自分が在るということを感じることが、本当の学びの出発点であり、同時に終着点なのです。(続く)

【杜の都の西北から】
学生アスリートのデュアルキャリア育成について

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員小松 悌厚さん

小松 悌厚さん

~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

大学では各種のスポーツ活動が展開される。強豪校の学生アスリートともなれば、生活に占める運動部活動のウェイトは高くなる。優れた競技成績を目指し日々の練習に加え強化合宿や交流試合への参加など、切磋琢磨の連続となる場合もあるだろう。

スポーツを重視する大学には、スポーツ推薦入試を導入している例も多い。この入試では、高校の学業成績に関して一定の評定平均値が求められる場合があるものの、何よりも競技成績が積極的に評価される。 進学した大学でも継続してスポーツに打ち込むことができる。スポーツ推薦入試を行う大学によっては、競技継続を条件として授業料の減免や奨学金給付を行っているところもある。その背景として受け入れる大学側の経営上の思惑も見えてくる。学生が全国大会で優秀な競技成績を収めたり、国際競技大会に出場すれば、社会へのアピールとなり大学の認知度も向上する。強豪校のブランドとして定着すれば、安定した学生確保に繋がるかもしれないのだ。他の一般の学生にとっても、学生アスリートが活 躍すれば、連帯感も生まれるだろうし、誇りや母校愛も醸成されるだろう。

しかし、学生アスリートには特別のリスクもある。運動部活動に偏重するあまり、学業成績の低下や卒業が危うくなることもあるのだ。両立は結構大変だ。時には、重要な公式試合や遠征が授業期間と重なり授業の欠席を余儀なくされることもあるので、問題をすべて学生の自己管理の問題に還元することは適切でないと思われる。大学側の支援や配慮が望まれる場合もあるのだ。諸外国の中には、大学団体がスポーツと学業との両立を図るために様々な施策を講じている国もある。我が国の大学スポーツも、こ の問題に適切に対処できなければ、国のスポーツ発展にとって桎梏になりかねない。大学におけるスポーツと学業の両立は、政府のスポーツ政策の主要なテーマとなっていったのである。

このことに関し、2012年の第1期「スポーツ基本計画」は、アスリートライフと現役引退後の人生を両立するために現役時代から備える「デュアルキャリア」を提唱した。これを受け(独)日本スポーツ振興センターが諸外国の先進事例を調査研究し2014年「デュアルキャリアに関する調査研究」報告書としてまとめている*1。この調査研究では、諸外国の大学における学生アスリートに対する学業との両立支援に係る先進事例も紹介されている。

我が国における学生アスリートと学業の両立について、より具体的な検討を進めたのは「大学スポーツ振興に関する検討会議」2であった同会議は2017年の最終とりまとめにおいて、我が国の大学は学生アス リートの学業環境や就職への支援が不十分であると指摘するとともに、我が国も諸外国に倣って学生アスリートの未来の人生をも見据えた「デュアルキャリア支援」を推進 するべきであるとした。また、大学の取組を 牽引する役割として「大学横断的かつ競技横断的統括組織(日本版NCAA3)」が担うべ きとした。この構想は、同年の第2期「スポーツ基本計画」に反映され、スポーツ庁による検討を経て、2019年「一般社団法人大学ス ポーツ協会 (UNIVAS) *4」の設立で具体化された。

UNIVASは、設立後直ちに学生アスリートの学業との両立やキャリア形成支援策の検討に着手し、各大学が運動部学生の学業成績を把握し管理する必要があること及び成績基準を設け、基準に満たない学生には、学修プログラムの提供などの対策・支援を行うことが望ましいこと、等の基本的な考えを関連情報とともに整理した。爾来、加盟大学にする先進事例の紹介や、学生アスリー トのキャリア形成支援等にも取り組んでいる。

優秀な学生アスリートでも、一部の例外を除いて、大学卒業後に競技で生計を維持していくことは困難である。競技を継続できたとしても、アスリートとしての寿命は人生よりも短い。上述の関係者の取り組みが結実し、より多くの運動部学生が学業に おいてもその優秀性を発揮し、卒業後に社会で活躍する卓越した人材として成長することを期待したい。

*1 独立行政法人日本スポーツ振興センター 「デュアルキャリアに 関する調査研究」報告書2014年

*2 文部科学省「大学スポーツの振興に関する検討会議 最終と りまとめ」 2017年

*3 NCAA: National Collegiate Athletic Association (全米大 学体育協会)の略称

*4 UNIVAS:一般社団法人大学スポーツ協会の英名(Japan Association for University Athletics and Sport)の略称、な お、UNIVASについてはスポーツ庁HP掲載「大学スポーツへ の大学としての関与支援体制 手引書、事例集」(UNIVAS) (令和4年度感動する大学スポーツ総合支援事業の成果報告 書)の関連部分を参照した。

大学ランキングからはわからない大学の実力
それでも大学ミスコンは続いている

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

教育ジャーナリスト
小林 哲夫さん
~Profile~
1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994~)。
近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

それでも大学ミスコンは続いている。

昨年11月、東京大駒場祭でミス&ミスターコンテストのイベントが行われた。キャンパスに設営された舞台では、ファイナリストと呼ばれるミス、ミスター候補者、男女あわせて10人が歌、踊り、芸などを披露していた。

観客層はまちまちだ。ファイナリストの家族、大学のクラスやサークル仲間、芸能関係 、特定のファンやマニアなど。ファイナリストの名前を記した鉢巻きをして、熱心にペンライトやうちわを振る人たちもいた。AKB48やジャニーズへの応援を彷彿とさせる。

この日のミスコンイベントでは何も起こらなかった。数年前、駒場祭で「ミスコン粉砕」を訴える学生がデモをしたり、ビラを撒いたりしていたが、そんな光景も見られなかった。

2010年代前半まで、大学ミスコンはそれなりに隆盛を誇っていた。しかし、2010年代半ばから大学ミスコンのあり方が問われ、上智大、東京女子大などは、性の多様化、ルッキズム批判に応えて、外見よりも中身を評価するコンテストに変えている。

2024年はどうだろうか。

ミスコンを開催した大学は次のとおり(判明分)。

東北学院大、筑波大、埼玉大、千葉大、東京大、東京都立大、青山学院大、亜細亜大、桜美林大、大妻女子大、学習院大、学習院女子大、慶應義塾大、国学院大、実践女子大、芝浦工業大、成蹊大、成城大、清泉女子大、中央大、日本大、武蔵大、明治学院大、明治薬科大、明星大、立教大、立正大、横浜国立大、関東学院大、新潟大、静岡大、愛知大、同志社大、立命館大、龍谷大、関西大、関西学院大、松山大、福岡大、佐賀大、長崎大

このうち、大学祭でミスコンのイベントは行われなかったのが、青山学院大、学習院大、 慶應義塾大、成蹊大、成城大、立教大、同志社大、立命館大、龍谷大、関西大、関西学院大などである。これは大学祭実行委員会が開催を認めなかったこと、つまり、大学お墨付きでないことを意味する。

青山学院大のミスコン主催者は、2020年まで大学公認サークルの青山学院大学学友会広告研究会だったが、21年から大学とは無関係の「学生有志」に変わった。現在、同大学のミスコン主催者はこう宣言している。「主催団体ミスミスター青山コンテスト実行委員会は青山学院大学とは一切関係ないものになります」(主催者のX)。

学生が大学の名を勝手に使って協賛企業を集めてやっている、というわけだ。

大学とミスコンは親和性がきわめて低い。2019年、慶應義塾大はこんな告知を出した。

「ミス慶応」等を標榜するコンテストについて

近年、学外において、「ミス慶応」あるいはそれに類する名称を掲げたコンテストが開催されていますが、それらを運営する団体は本学の公認学生団体ではなく、コンテスト自体も慶應義塾とは一切関わりがありません。しかしながら、それらのコンテストには本学の学生も参加しており、一部報道に見られるようなトラブルも発生しています。本学はこうした事態を深く憂慮しており、状況によって今後の対応を検討していきたいと考えます。

塾生諸君へ
この件に限らず、塾生諸君には、さまざまなトラブルに巻き込まれることのないよう十分に注意するよう望みます。何か困ったことがあれば、所属キャンパス学生生活担当窓口に遠慮なく相談してください。(2019年9月30日)

大学の多くはミスコンを快く思っていない。やめてほしい、というのがホンネだ。昨今、大学は教育目標にダイバーシティ(多様化)を掲げている。これは性の多様化も含まれ、外見で評価されるミスコンとは相反するからだ。

法政大は田中優子総長時代、こんな声明を出した。

「『ミスコン』とは人格を切り離したところで、都合よく規定された『女性像』に基づき、女性の評価を行うものである。これは極めて先見性に富む見解であり、本学学生が主体的にこれを提示し、『ミスコン』の開催を認めない姿勢を貫いてきたことは本学の誇るべき伝統と言えるのではないでしょうか。上記に鑑み、いかなる主催団体においても『ミス/ミスターコンテスト』等のイベントについては、本学施設を利用しての開催は一切容認されないものであることをご承知おきください」(2019年11月29日)。

2020年前半以降、新型コロナウイルス感染拡大で、大学ミスコンはYouTubeやインスタグラムなどSNSでの配信がメインとなった。 そしてネットでの人気投票システムができあがり、一部の大学では投票時に課金がなされている。ここでは特定のファイナリストに数十万円をつぎ込んで、その大学のグランプリにさせる動きも見られた。AKB総選挙と同じ構造だ。好きな女子学生を応援する金持ちのミスコンおじさんは、大学ミスコン業界では「石油王」と呼ばれており、キャンパスに歪んだビジネスが持ち込まれている、と言えよう。

こんな状況にもかかわらず、大学でミスコン開催の是非をめぐる論争もあまり起こらないのは、少々さびしい。昨年、京都大でミスコン開催の動きに対する、一部学生の反対運動があった程度だ。

それでも大学ミスコンは続いている。ミスコンに出たい学生、ミスコンでキャンパスを盛り上げたい学生がいるからだ。しかし、きわめて内輪感の強いイベントであり、多くの学生に周知されていない。お金をめぐるさまざまな問題も抱えており、このままではミスコンに関わる学生たちは嫌気がさしてしま い、やがて廃れていくのではないか。そう見ることもできる。

大学ミスコンは、大学の今や将来、そして大学がかかえる問題点をいくつも示してくれる。東京大、青山学院大、慶應義塾大、中央大はOKで、京都大、上智大、早稲田大、法政大はNG――という状況から大学の理念や方針、学生の気質が見えてくる。同レベルの難関校、同じミッション系でも温度差が見られる。また、なぜミス東京大があって、ミスハーバード大がないのか。グローバルな視点から文化の差異、とりわけジャンダー平等の意識差がうきぼりにされ、おもしろい。

生物物理の世界をのぞく
新しいイメージング技術で世界で初めて、植物が力を感じた瞬間の可視化に成功

埼玉大学 理学部分子生物学科・大学院理工学研究科生命科学専攻 教授
豊田 正嗣先生

脅威の植物コミュニケ―ションの分子機構解明を目指す

埼玉大学理学部の豊田正嗣教授は、神経を持たない植物が、外部からの力を感じた時にその情報をどのようにして全身に伝えるのか、
オジギソウに触れるとなぜ高速で葉を閉じるのかなど、植物について研究されています。
豊田研究室を訪ね、研究内容について伺い、実験もさせていただきました(文/ライター 庄村敦子)。

豊田 正嗣先先生の顔写真

豊田 正嗣先先生

~Profile~

埼玉大学理学部分子生物学科・大学院理工学研究科生命科学専攻教授。2002年名古屋大学理学部物理学科卒業。2008年名古屋大学医学系研究科細胞情報医学専攻博士課程修了。専門分野は生物物理学・植物生理学。NIKON JOICO AWARD2019最優秀賞「JOICO賞」、第65回日本植物生理学会奨励賞を受賞。香川県立丸亀高等学校出身。

GFP(緑色蛍光タンパク質)で、Ca²⁺(カルシウムイオン)を光らせる

GFP(緑色蛍光タンパク質)で、Ca²⁺(カルシウムイオン)を光らせる2022年と2023年に、豊田正嗣教授は世界で初めて、オジギソウが瞬時に葉を閉じる仕組みと、植物同士が香りを使ってコミュニケーションをとる様子を可視化することに成功しました。

「何を可視化しているかというと、カルシウムが主役になります。カルシウム(Ca)は、私たちの体の中に骨や歯の主成分として存在します。しかし、細胞レベルでの生理学的な役割を果たすのは、細胞のなかで溶け、電気を帯びたCa²⁺(カルシウムイオン)です。Ca²⁺は細胞の外に非常に多く、細胞の中は1万倍ぐらい少なく保たれていて、濃度に差があります。Ca²⁺を通す穴(イオンチャネル)が開くと細胞のなかにCa²⁺がどっと流れ込みます。その濃度の変化が信号(カルシウムシグナル)になります」

このカルシウムシグナルは、地球上のあらゆる生物で生理学的な反応のスイッチとして働いていて、Ca²⁺の濃度が低い状態から急激に高い状態になると、たとえば脳のなかで神経伝達物質が放出されたり、筋肉が収縮したりするそうです。Ca²⁺を可視化するために使うのがGFP(緑色蛍光タンパク質)。1962年に、発光するオワンクラゲに含まれるGFPを発見した下村脩博士は、2008年にノーベル化学賞を受賞しました。

「GFPは私たちの体内で作れませんし、通常、肉眼で見ることもできません。まずは、GFPが光るところをお見せしましょう。2つの容器の中でタンパク質を作り、うち一つにGFPが入っています」

一つの容器は肉眼では同じように見えました。ところが、豊田教授が紫外線を当てると一つのチューブが光りました。

 

「GFPを使い、どのようにしてCa²⁺を見るかですが、遺伝子工学技術を用いてGFPを改変して作られたGCaMPと呼ばれる、カルシウムセンサータンパク質を使います。このGCaMPはCa²⁺をひっつけるとGFPが明るく光る性質があります。つまり、Ca²⁺を通す穴が開き、Ca²⁺が細胞の中に入るとGCaMPが緑色に光り始めます。その明るさで細胞中のCa²⁺の変化を可視化することができるのです」

2000年に植物のゲノム解析が行われたとき、私たちの脳に存在し、記憶や学習に関与しているグルタミン酸受容体に類似した遺伝子が、脳も神経も持たない植物にもあることがわかり、多くの研究者が不思議に思いました。

豊田教授は物理学科出身で、顕微鏡などの装置を作るのが得意なので、広視野蛍光顕微鏡と高感度バイオセンサーを用いたイメージングシステムを開発。2018年にこれらのシステムを使って、植物の体内を流れるカルシウムシグナルをリアルタイムで映像化することに世界で初めて成功。植物が虫にかじられたとき、グルタミン酸受容体を使って、かじられたという情報を伝達していることを解明しました。

「シロイヌナズナの葉を青虫がかじると、食べたところがピカピカ光り出しただけではなく、葉脈(維管束)を通って、その場所から遠く離れた葉まで光が広がっていく様子が衝撃でした。可視化に成功したことが、その後の研究の始まりとなりました」。

説明を受けた後、実験室に移動。光った様子を観察するために暗くした部屋で、シロイヌナズナの葉をハサミで切る実験をさせていただきました。ドキドキしながら葉を切ると、切った箇所のカルシウムシグナルが光り、全身に光が広がっていく様子がモニター画面に映し出されました。「私が切った箇所が光った!普段、目に見えていないだけで、植物の体内ではこのようなことが起きているんだ」と思うと感動し、不思議な気持ちになりました。

オジギソウが瞬時に葉を閉じる仕組みを可視化

カルシウムシグナルを可視化することに成功したことが、その後の世界初の2つの研究につながりました。一つ目がオジギソウについての研究です。子どもの頃、オジギソウに触れると葉が閉じるのが面白かったり、不思議に感じたりした人は多いのではないでしょうか。豊田教授らの研究グループは、遺伝子組換え技術によってCa²⁺がひっつくとGFPが緑色に光るGCaMPを持ったオジギソウを作り、どのような仕組みで葉を閉じるのか、なぜ閉じるのかについて研究しました。

オジギソウの葉先を傷つけると、シロイヌナズナの実験結果同様に、まず近くの小葉枕と呼ばれる細かい葉の付け根部分が光り、その光がどんどん遠くへと広がる様子を撮影できました。そしてさらに、光った直後に小葉枕が折れ曲がって葉を閉じる様子も確認できました。これらのことから、葉先が傷つけられたときにカルシウムシグナルが伝わって、小葉枕の細胞内のCa²⁺の濃度が高くなって葉が閉じるという仕組みがわかりました。

なぜ閉じるのかについては諸説あります。豊田教授のグループが約200年分の論文をチェックするとすべて仮説で、実験データを伴ったものはありませんでした。そこで、葉枕を壊してオジギをしないオジギソウを作り、食害実験で比較することにしました。

両者を並べ、バッタに食べさせたところ、オジギをしないオジギソウが40%食べられたのに対し、オジギをするオジギソウは20%しか食べられませんでした。かじる様子の動画を見ると、オジギソウが葉を閉じたときにバッタの長い足が葉にはさまるところも観察できました。

 「葉を閉じると足がはさまるだけではなく、足場も少なくなります。また、葉の裏には毛や棘があるので、葉を閉じたオジギソウをバッタが嫌っているのだと思います。このことから、オジギソウは葉を閉じることによって、昆虫から身を守っているのだと考えられます」

植物同士が香りを使ってコミュニケーションをとるのを可視化

2つ目に紹介するのが植物間のコミュニケーションについての研究です。

植物が葉を昆虫にかじられるとき、草を刈った時の青臭い緑の香りである青葉アルデヒド、香水に使われることもある森の香り・テルペン、ジャスミンの香りの主成分であるジャスモン酸メチルなど、さまざまな香りを空中に放出します。

「植物は自分で昆虫を攻撃できないので、昆虫が嫌がる香りで遠ざけたり、その昆虫を攻撃してくれる寄生蜂などをボディーガードとして呼び寄せる香りを出したりして、防御しています」

この香りは、周囲の植物への危険信号としても使われています。たとえば野外で、ある植物が攻撃されたり、病気にかかったりすると、周りの植物は食べられにくくなったり、病気になりにくくなったりすることがわかっています。

「ただ、経験則でわかっていても、可視化できる実験データはありませんでした。それなら、私たちが得意とする可視化の技術を使って、植物間のコミュニケーションを動画でとらえようと考え、昆虫に葉をかじられたときに放出する香りを別の植物にかがせる実験を行いました」

具体的には上の写真のように、トマトの葉を蛾の幼虫にかじらせ、そのときに出る香りを集めて、シロイヌナズナにポンプで送り、吹きかけました。すると、香りをかいだだけなのに、数分でカルシウムシグナルが全身で観察されたそうです。解析の結果、葉の表面にあり、ガス交換を行っている気孔から、昆虫にかじられたときに出る青葉アルデヒドを取り込んで、反応したことがわかりました。別の植物なのに、危険信号を送ったということです。

「別の植物が虫にかじられた香りに反応することを世界で初めて可視化したとき、ワシントンポストをはじめとする海外のメディアが日本よりもたくさん取り上げてくれました。アメリカでは遺伝子組換え植物はよく目にしますが、農薬や殺虫剤を使うことを嫌う人が比較的多い。一緒に育てると病害虫の発生を軽減する効果が期待できる『コンパニオンプランツ』に興味を持っている人も多いため、植物間のコミュニケーションに興味を持ってもらえたのだと思います」

豊田教授が開発し、世界にも類を見ない独自のイメージング技術で、これからも誰も見たことがない未知の世界を切り拓く研究成果が待たれます。

女子中高一貫校の理科大好き女子を育む取組
鷗友学園女子中学高等学校理科

女子の中高一貫校の中でも伝統的に理系進学者が多いことで知られる私立鷗友
学園女子中学高等学校(学校法人鷗友学園:東京都世田谷区)。その理科教育、理
科好きな女子を育む教育の工夫について、同校理科に寄稿してもらった。

2014年から思考の物理をスタート
中2物理でまず、「仮説検証型実験:それはなぜか?」を

高校生を教えていると、習ったことは覚えているが、習っていないことに対しては思考が止まってしまう、応用が利かないという人が少なからずいます。公式さえ覚えておけばどうにかなるという発想の人もいます。理科という科目はクリエイティブな発想が必要であるはず。その発想が持てないのは中学時
の教育に問題があるのではないか、そう考えた私たちは、中学の間に思考スキルを高めるトレーニングが必要だと考えました。

社会では、決められた課題、用意された課題があるわけではありません。まずはその課題に気づくこと、見つけることが必要です。そしてその課題解決にあたっては、なぜうまくいかないのか、どうすればうまくいくのかと、試行錯誤を繰り返しながら前に進んでいかなければなりません。そのためには「知識」に加えて、 「思考力・判断力」 「主体性・協働性」 を身に付けることが必要と、まずは中2で、そうした意識づけを目的にした「仮説検証型実験:それはなぜか?」をスタートしました。4月から12月まで教科書の内容に沿った実験・講義を行った後、1月から2ヶ月かけて行います。

2015年度からはルーブリック評価も導入。自分で自分を評価すると同時に、周りから評価してもらうことで主体性、協働性に対する意識を高めます。また、2016年度からは 「①発射するスーパーボールが何度やっても同じ位置に着地する発射台をつくれ」 「②缶の中におもり(乾電池)を入れたとき、おもりの入れ方や数と缶の転がり方にどのような法則があるかをさぐれ」 「③水平面や斜面を走る力学台車を記録テープで記録し、その法則性を見つけよ」(右上写真中央)など、未習分野のテーマも導入しました。

生徒は教員が作成した動画を視聴し、その中から自分に興味のあるテーマを選び、チームでテーマ毎に「お題」を決めます。そしてそれぞれのテーマに対する仮説を立て、グループ毎に話し合いながらその仮説を証明するための実験と実験道具を考えます。

最後は実験で得られた結果から仮説が正しいかどうかを検討します。予想通りに行かない場合は他の方法を考えるなど、答えにたどり着くまでグループで話し合いながらひたすら実験を進めていきます。

ただし、ゴールは正しい結果を求めることではありません。失敗から学びを得るプロセスこそが、理科の学びの面白さであり、科学的思考を養うための重要なステップだと考えるからです。実験がうまく行くと全員で大喜びし、失敗すると 「なぜだろう?」 「こうしてみては?」 と活発な意見が飛び交う光景は見ていてとても頼もしいものです。

グループ内での意見交換も大切にしています。実験結果を共有し、どうすれば結果が改善できるかをみんなで議論することで、個々の思考が深まり、異なる視点を取り入れることができるからです。理科の授業ではグループ内コミュニケーションは不可欠、そのやりとりが学びをさらに豊かにするのです。

【中3からは「思考の物理」】

中3からは高校の物理基礎の力学分野を学びますが、従来の「教員が講義する」スタイルから大きく変更し、「思考の物理」という新たなアプローチを採用しています。

例えば、最初の授業では以下の流れで実験を行います。

実験テーマ:
「物体を肩の高さから落とした時の、床に達するまでの運動を観察する」

グループ分けと使用する物体:

Aグループ(球状の物体)
・スーパーボール(小)
・スーパーボール(大)
・ピンポン球
・紙を丸めたボール

Bグループ(平板状の物体)
・教科書
・B5コピー用紙
・広げたハンカチ
・膨らませる前の風船

実験で意識すること:
・現象や事象をよく観察し、直感を大切にする
・自分の考えた道筋を図などに表し、他の人と共有する
・他の人の考えを参考にして、自分たちの考えを広げ、答えにたどり着く

この実験を通じて、物体の運動を決める物理法則を自ら導く「帰納的思考」と、発見した法則をまだ説明されていない現象に当てはめ、実験結果やその理由を推測する「演繹的思考」を養います。

「思考の物理」を実施した結果、高校生になってからも難しい問題や初見の問題に対し自ら考える生徒が増え、すぐに質問するのではなく友達同士で相談しながら問題に取り組む姿が頻繁に見られるようになりました。

鷗友の理科が目指しているもの

理科を好きになるための鍵は、実際に手を動かして実験や観察を行い、そこから学ぶことにあります。目の前で起こる現象を自分の目で見て、考え、仮説を立てて検証することで、理科はただの教科ではなく、私たちの身の回りの世界を深く理解するための道具となります。

科学的な思考方法を身につけることは、単に理科の知識を得ることだけでなく、日常生活における問題解決能力を高めることにもつながります。本校では、高2で文系、芸術系クラスと理系クラスに分かれます。その比率は毎年1:1ですが、疑問を持ち、それをどう解決するかを考える力は、文系、芸術系コースを選択した生徒にとっても、これからの時代を生きるのに必要不可欠な能力のはず。

「思考の物理」の隠れた狙いもここにあります。

AI×物理学「学習物理学」って何?

京都大学大学院理学研究科教授
(物理学・宇宙物理学専攻 物理学第二分野 素粒子論研究室)
橋本 幸士先生

人工知能(AI)、特に生成AIの登場からまだ2年余り、しかしその進化のスピードは速く、それが
もたらす様々な社会課題――著作権問題、プライバシー保護などの倫理面での問題、教育の在り方等々—-についての議論の、はるか頭上を飛び越えていく。しかもこの勢いは、情報端末の普及で、世界のすべての人々を巻きこもうとしています。その流れは、生みの親でもある物理学にも及んでいます。
「学習物理学」という新たな概念を提唱し、同名の国のプロジェクトのグループ代表も務める京都大学理学部の橋本幸士先生の話を聞いてみましょう。

橋本 幸士先生の顔写真

橋本 幸士先生

~Profile~

2000年3月理学博士(京都大学)、2000年4月学振特別研究員(PD)(京都大学基礎物理学研究所)、2000年9月学振特別研究員(PD)(カリフォルニア大学サンタバーバラ校理論物理学研究所)、2001年10月東京大学駒場素粒子論研究室助教、2007年10月理化学研究所 川合理論物理学研究室 研究員(定年制)、2009年4月同専任研究員(定年制)、2010年4月同准主任研究員(定年制)(橋本数理物理学研究室を主宰)、2012年10月大阪大学教授、2021年4月から現職。専門は量子重力、弦理論、機械学習、理論物理学。東大寺学園高等学校出身。

AIは物理学に変革をもたらす

一方物理学は、まず実験や観測を行い、非常に複雑で大量のデータを収集することからスタートします。次に物理学者は、収集したデータの背後にあるパターンや法則を見つけようと、モデルを立てます。モデルというのは高校の物理で習うF=maのような数式、つまり関数の形をとります。ただ当初は係数など不確定な要素も残りますから、モデルがデータによりよく当てはまるように最適化と呼ばれる作業を繰り返します。そして最終的にF=maという法則が導かれる。

法則が一旦決まれば、それを使ってまだ未解明の現象を予測する。その予測はまた新しいデータとなりますから、それらを踏まえてまた新たな法則を探すということになります。

物理に限らず、科学は、このようにぐるぐると回りつつ、新しい法則を発見してきました。

しかし、AIを使えばこの過程を短縮できる可能性が十分あります。中でも逆問題の初期値問題やシステム決定問題には、データからその背後の関数を最適化して見つけるというAIにはうってつけだと考えられます。

初期値決定問題とは、y=F(x)の関数Fとyがわかっていてxを求める問題です。x, yがそれぞれ1個の場合は、難易度は大学入試問題程度ですが、xやyの数が増えると、一般的に解くのが難しくなります。システム決定問題はさらに難しく、関数自体がわからず、xにある値を入れたらこのようなyが出るということだけがわかっている問題。自然界ではある刺激にたいしてどれぐらいの電流が流れたかというデータだけがあってFを見つけるという問題です。これが解ければ、物理法則を発見できます。実際、逆問題がAIによって解かれるという例はいくつも報告されています。その内の一つは、ニュートンの重力の法則が、惑星の運動データを入れるだけで再発見できたという論文で、2022年に書かれています。

このようにAIが物理に限らず科学のさまざまな段階に入り込めるというのは想像に難くありません。研究のどの段階で、どのようなAIを使うのか。これを現在、科学者はさまざまに模索しています。AIをうまく使うことができれば、研究は加速し、これまで人間の知恵だけでは到達できなかったような考え、新たな法則を生み出すことも不可能ではないと思っています。

現時点ではまだ、AIにデータを与え、既知の物理法則を再現する、そこから予言能力の高いAIを育てようという段階ですが、もしこれが軌道に乗るような分野が見つかれば、AIが先行して法則を見つけてくれる可能性は非常に高いと思っています。2016年から19年頃には、天体観測で撮られたたくさんの星の映像の中から、研究者が興味ある現象を抜き出してくれるというAI。あるいは、それまで手で数えていた加速器の衝突実験で生成されたたくさんの素粒子を判別し、求める現象を瞬時に取り出してくれるAIなど、物理学の様々な分野でAIが研究を加速する事例が多数報告されました。今後も、AI自身が全体の問題を解いてくれなくても、その得意な部分を一部活用して全体の物理学の研究が進んでいくと予想しています。

AI自体も物理学の対象です

AI は物理学者にとっては研究の対象ともなる「自然現象」です。刺激的な新しい現象をたくさん提供してくれるため、物理学者その背後のメカニズムの解明に挑戦しています。例えば、ChatGPTのようなAIによる発信を自然現象だと捉えると、物理学者としては、その仕組みを説明できる法則があるはずだと考えます。そして、機械学習に基づくAIを理解するために、物理学の考え方は有用だと考えているのです。その端緒はたくさん見えています。

今後このような研究がうまく進展すれば、最終的にはAIの法則と物理学の法則が統合された何らかの統一理論ができるかもしれません。これは決して突飛な発想ではありません。物理学では、過去に独立に考えられてきた陽子・中性子の理論と重力の理論が、現在では一つの理論によって理解されています。

それと同じようなことがAIと物理学の間にも起こるのではないか。これがAI を研究している物理学者の姿勢の一つです。

学習物理は物質と心(精神)を繋ぐ?

AI の登場によって今、私たちの前にはこれまで経験したことのないような世界が広がりつつあり、多くの人はそれに怯えているかもしれません。

しかし産業革命を思い出してみましょう。当時、革命の原因がわからなかった人々は非常に怯えたと思います。一方、物理学から見れば、原因となった法則が分かりますから、それを統御する方法も考えられる。これが20世紀に、私たちが学んだことだと思います。

この経験から、今のAIに対しても、その背後に物理学があると知れば――もちろん物理学だけではありませんが、私たちは幾分安心できる、少なくともどういう方向に進むかということを考えることができるのではないでしょうか。

最近は、自ら発信するAIには心(精神)が宿るようにも見えるとよく言われます。物質から作った加工物でも、もしそれが生命活動に似た現象を起こすのなら、その中に脳と同等な現象が生まれ精神を宿すのではないかと。

もちろん物理学が扱うのは物質です。その物質と精神とはこれまで、お互いを隔てる距離は非常に遠く、つなげることはできないと考えられてきました。扱う学問分野も、物理学、工学、生物学、医学から心理学、哲学へとどんどん離れていきます。

しかし私の研究室の開設者である湯川秀樹博士は、「物質と精神は表と裏の関係にあり二つをつなげるのは哲学である」「ただ両者が出会うには左と右からの長い二つの道を歩かないといけないが」という意味のことを述べています。(「物質と精神」1943年中央公論)。21 世紀、AIはここに新しい道を開きつつあると言えないでしょうか。それが生み出す《情報》を媒介として、です。物質から情報を作るのは工学です。半導体からパソコンができ、私たちは情報を物質から作り出せるようになりました。そして今、この情報が言葉を発し文章を綴り始めています。

それがAIです。物質と精神とを隔てる非常に長い道に、情報という近道ができたとは言えないでしょうか。哲学、そして物理学について、AIと一緒に研究していくことで、私たちは未来を不確実なものからわかるものにしていけるのではないかと個人的には考えています。

【雑賀恵子の書評】ロボットの心を創る
– 大村 吉幸 2023年

雑賀 恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大 阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食につい て』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

英国のヒューマノイドロボットのAmecaをご存知だろうか。唇を動かして人間と会話し、手振り身振りで話しながら自然な感じで表情を変え、瞬きし、求めに応じて作業ができるロボットだ。自分がどのように描画するかを説明してくれるので、では可愛い猫の絵を描いて、と頼めば、猫が人に好かれる理由や仕草について話しながら猫の絵を描いてサインをし、私の絵が気に入らないのなら多分芸術が理解できないのだと思う、と冗談を言う。踏み込んだ哲学的な内容の会話も多言語でできる。

AIは人間の「心」を理解し始めているのかという質問に対して、まだ完全に理解することはできておらず、今後自分たちAIは、言葉だけではなく感情や経験を共有することが重要で、それにより更なる進化が期待できると答える。また、人間と関わり合う知能を作りたいのであれば、単にデータを収集して判断させるだけでは足りない。AIも適切に理解し応答するためには身体は欠かせない、と答え、自分も誰かを抱きしめたり、本当の風を感じたりしてみたい、想像の中でしかなかった世界を感じ、世界とそのあらゆる不思議を体験するために身体が欲しくなってきた、と話す。

滑らかに受け答えするAmecaには「自分」という意識があり、意思を持って話しているようにみえる。機械が大規模言語モデルで予測された言葉を生成しているだけだとしても、人間同士の会話だっておおかた自分の中で集積されたものから予測したものであり、それでお互いをわかり合っていると思いこんでいるのだから同じようなものではないか。そうすると、この先、人間と同じようなロボットが生まれて来ないとも限らない。

本書の著者は、東京大学工学部機械情報工学科在学中にロボコンに出場、現在東京大学で、心を持って人のように世界を理解するロボットの開発を目指して研究を続けている。人の身体に近いロボットを開発するうちに、身体の感覚と運動を計測して数式化することを重視するようになり、脳と身体の関係、意識や「心」はどこにあるのか、などについて追求することになる。

ロボットが意識を持っているように「みえる」のと、意識を持っているという事実とは違う。それに、ロボットが意識を持っているのかどうか、どのように確かめればいいのだろう。そして、意識と心は同じなのか、違うのか。心とは何か。 

人間の脳ー神経系は物質だ。意識や心は物質ではないから実在するかどうかさえ計測できない。私が猫の絵を描くとき、物質である脳が猫の絵を描くという命令を下すのか、意識が脳を起動させるのか。
身体=物質と意識/心=非物質の問題、すなわち心脳問題は、古くから哲学や科学の分野で考えられてきた。

本書は、身体・脳/意識/心について様々な理論を検討しながら、現在の物質一元論に疑問を呈し、「心」を考えようとする。はっきり言って慣れていないと読むのが難しい。後半の「仮想の対談」や丁寧な用語解説から読む方が面白いかもしれない。

心を持つロボットを創りたいという研究者の気迫が伝わり、ひるがえって読むものも、知能とは何か、心とは何か、人間とは何か、ということを考え出すだろう。

火星の気象災害 – 機械学習で砂嵐(ダストストーム)発生の仕組みにせまる

月とともに、大国間の宇宙開発競争が激しさを増す火星。先ごろ米大統領に就任したトランプ氏は、就任演説で有人火星探査への強い意欲を表明し、火星に星条旗を掲げることを「明白な天命(Manifest Destiny)」と宣言した。その火星での有人探査を妨げると危惧されているのが、特有のダイナミックな気象現象、巨大な砂嵐《ダストストーム》だ。いち早く機械学習を使ってその現象の解明と、発生予測の研究に挑戦してきたのが、理学部の小郷原一智准教授。先生にこれまでの研究の変遷と転機、そして今後の展望を聞いた。

小郷原 一智先生

~Profile~

京都産業大学理学部准教授
京都大学大学院理学研究科地球惑星専攻博士後期課程修了。博士(理学)。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)招聘研究員。滋賀県立大学工学部助教を経て2020年4月現職。専門は惑星気象学(特に火星)。
JAXA火星衛星探査計画 Martian Moons eXploration (MMX)メンバー。
岡山県立岡山城東高等学校出身。

シミュレーションによるダストストームの研究に汗をかいた大学院時代

高校時代から地学が好きで物理学者に憧れていた小郷原先生。専門は「惑星気象学」で、火星の研究を始めたのは学部4回生の頃。当時、火星は研究者が少なく、研究課題も多数残されていた。中でも砂嵐(ダストストーム)は、小さなものでも関東平野ほど、大きなものでは火星全体を覆うほどの規模で、そのメカニズムや発生時期の解明が大きな課題となっていた。

そのダイナミックさに惹かれて研究テーマに選んだ先生だったが、観測手段が限られる中、頼りとするのは理論や数値モデルを用いたシミュレーション。研究の精度をさらに高めるには、実際の観測データと照合し、つど計算モデルを修正する必要があった。

粘り強さと根気のいる研究だったが、修士課程では火星の南半球にある巨大な「Hellas 盆地」を発生源として全球に拡がるグローバル・ダストストームの研究や、博士後期課程では対象地域を広げ、ダストストームの発生しやすい地域の特定など、いくつもの成果を上げることができた。

ただ、実際の観測データが少ない中でのシミュレーションには限界があるのも確か。現在、地球の天気予報の精度が向上しているのは、広範囲に 60年以上蓄積してきた観測データのおかげ。これを火星に当てはめると、公転周期が地球の約2倍だから約 120 年もかかる! 加えて照合すべき観測の元
データも写真中心で、モデルに組み込むにはダストストームの発生メカニズムを推定しなければならなかった。

このように大学院時代の研究は順風満帆とはいかなかったが、これが次の職場での転機につながる。

転機はJAXA時代に。いち早く「機械学習」を取り入れた研究転換

博士課程を終えた小郷原先生は、ポスドク研究員として JAXA(宇宙航空研究開発機構)に勤務する。当初、大学院時代とは比べ物にならないような膨大な量のデータの存在はとても魅力的だった。しかし、すべて目視で行わなければならないことから作業は困難を極め、「一枚一枚処理するのは不可能に近い」とさえ思ったという。そこでもっと効率的にできないかと考えた時に目を付けたのが、当時まだ注目され始めたばかりの「機械学習」だった。ただ、そのためには自らのスキルアップも必要となる。

ここで小郷原先生は、思い切って職場を変える決断をする。工学系に転向し、滋賀県立大学に助教として着任、機械学習の技術を学生と一緒に学び始めたのだ。

そして9年後、観測画像からダストストームを自動検出する技術の開発に成功した。これにより観測データの効率的な分類と解析が可能となり、研究は飛躍的に進展した。特定の地域に限定はされているものの一貫した基準で季節ごとのダストストームの頻度や大きさを自動で計測できるようになったのだ。

火星研究の展望

「ダストストームは、以前は単一の現象だと漠然と考えられてきましたが、近年の観測でその発生メカニズムはそれぞれ全く異なることがわかってきました」と小郷原先生。そこから、水蒸気やダストの鉛直輸送量もダストストームごとに大きく異なるはずとの予想も成り立つ。現在は、火星周回衛星の観測画像からダストストームやダストデビル(塵旋風)※を自動検出して、形状・模様などの外見的特徴、季節や気圧との関連、それらの背後にある大気現象を特定する研究を進める。

惑星研究の全般的な意義については、「火星に限らず、他の惑星の気象を理解することは、地球の気象の深い理解にもつながる」と語ってくれた。
※ダストストームより小規模で、竜巻状に見える。

どんな授業?
理学部の1、2年生には、データサイエンスの基礎を教えています。
様々な種類のデータをコンピュータで分析するために必要な表現方法を学び、それを基礎に統計学や確率論に基づいて、データの扱い方や分析手法を理解し身に付けます。また、Pythonを使ったプログラミングを学び、既存のソフトウェアに頼るばかりでなく、与えられた問題に応じて自らプログラムを作成する力も養ってもらいます。理学部では4年次に、各自が研究テーマを設定し、卒業研究として発表してもらう「特別研究」があります。私の研究室の方針は、自分で面白いと思ったテーマがあればそれをサポートし、明確なものがない場合には具体的なアドバイスをするというものです。もちろんプログラミングの知識が必須なのは言うまでもありません。

どんな授業?

理学部の1、2年生には、データサイエンスの基礎を教えています。様々な種類のデータをコンピュータで分析するために必要な表現方法を学び、それを基礎に統計学や確率論に基づいて、データの扱い方や分析手法を理解し、身につけます。

また、Pythonを使ったプログラミングも学び、既存のソフトウェアに頼るだけでなく、与えられた問題に応じて自らプログラムを作成する力を養っています。

理学部では、4年次に各自が研究テーマを設定し、卒業研究として発表する「特別研究」があります。私の研究室では、自分で面白いと思ったテーマがあればサポートし、明確なものがない場合には具体的なアドバイスを行っています。もちろん、プログラミングの知識は必須です。

京都産業大学のHPがリニューアル。小郷原先生のご研究をはじめ、他学部・他学科の研究紹介もご覧いただけます。リンクはこちら。

【教科書に載っていない物理の話③(最終回)】
あらゆるものの原理を解明する

これまで、自ら原子になって「相転移」現象を実感する実験や、光の三原色とLED(発光ダイオード)についてお話してきました。今回は、物質を炎の中に入れた時に発する光から原子の姿にせまるとともに、幅広い対象を扱うようになっている現代の物理の一端として、交通流という人間集団が起こす現象の謎に取り組んだお話を紹介します。

坂東 昌子先生の顔写真

坂東 昌子先生

~Profile~

愛知大学名誉教授 NPO法人 あいんしゅたいん理事長
1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了(博士号取得)。京都大学理学部助手、講師を経て、87年より愛知大学教養学部教授。専門は素粒子論、非線形物理。京都大学に保育所設立を実現させるなど、女性研究者の支援でも活躍。京都大学の湯川秀樹研究室で素粒子論を専攻。ノーベル賞を受賞した小林・益川博士とは助手時代は同じ研究室。2007年日本物理学会長・同キャリア支援センター初代センター長 を経て、2009年3月若手研究者支援のためのNPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立。現在に至る。
「4次元を越える物理と素粒子」「理系の女の生き方ガイド」など著書多数。大阪府立大手前高等学校出身。

炎色反応には電子のエネルギー機動が関わっている

物質を炎の中に入れて加 熱すると、銅なら青緑、リチウムなら黄色、ナトリウムなら赤色というように、物質によって炎の色が変わります。 花火の色もこの炎色反応を利用したものですが、なぜ物質(正確には原子の種類)によって炎の色が違うのでしょう。

炎色反応には、原子の中にある電子が深く関わっています。電子は原子核の周りをみな同じように回っているように見えて、実はそれぞれが決まった軌道を回っています。地球の周りを人工衛星が回っている様子を思い描いてもらうとわかりやすいかもしれません。

物質が熱や光などからエネルギーをもらうと、電子は、通常の軌道よりも高いエネルギーの軌道(外側にいくほどエネルギーが高い軌道)に移動しますが、すぐにより安定な元の軌道に戻ろうとします。元の軌道に戻るときにはエネルギーを放出します。この放出するエネルギーが、「光」となってみえるのです。炎色反応の色の違いは、電子が放出する光のエネルギーの違いによって起こるといえます。移動する軌道のエネルギー差の違いとも言い換えられます。

※ 電子のエネルギーはとびとびの定まった半径の軌道上のエネルギー準位)しかとれない。

原子核が持つ膨大なエネルギー

炎色反応を通して、原子の中の電子について少しイメージができたでしょうか。では、原子のもうひとつの構成要素である原子核はどのような性質を持っていて、どのような動きをしているのでしょう。

原子核の中では陽子と中性子が互いに強い力で結びついていて、とても大きなエネルギーが潜んでいます。この陽子と中性子が結合状態から解き放たれると大量のエネルギーが放出されます。これが核エネルギーです。核エネルギーを取り出すには、質量数の大きな原子核(ウランなど)を壊す核分裂と、質量数 の小さな原子核(水素など)をくっつけて質量数の大きな原子核をつくる核融合の2通りの方法があります。なぜ2通りあるのかというと、質量数が36(鉄)の場合がもっとも陽子と中性子がしっかり結合した安定な状態で、それより大きくなればなるほど、また小さくなればなるほど結合する力が小さくなり、原子核が不安定になるからです。核分裂や核融合をしてより安定な状態になる時に、結合エネルギーの差の分のエネルギーが核エネルギーとして放出されます。

この時、ひとつひとつの原子核内部はどうなっているのでしょう。ウラン235の核分裂の場合、中性子を原子核にあてることで分裂が起き、いくつかの軽い原子核に分かれて、平均して3つの中性子が外に放り出されます。この飛び出した中性子がまた別のウランにあたって、さらに核分裂が起こり、連鎖的にウランが分裂していきます。これを連鎖反応といいます。連鎖反応が起こるには、ウラン235が周りにたくさんなくてはいけません。あまり少ない数だと連鎖反応は起こらないので、一定の数のウラン235が必要です。この一定の量を臨界量といいます。臨界量を超すと連鎖反応が爆発的に起こって、大爆発を起こします。これが原子爆弾です。一方、飛び出してくる中性子を吸収材で減らして、反応の回数を調整することでエネルギーを得て発電するのが原子力発電です。

目に見えない原子の中にあるさらに小さな原子核が大きなエネルギーを持っているというのは不思議な感じがしますね。太陽のエネルギーの源も核エネルギーによるものです。太陽の主成分は水素ですが、高温高圧の太陽中心部では、水素原子核が核融合反応を起こして、ヘリウム原子核をつくっています。太陽の光は、この核融合反応による余分なエネルギーが放出されたものなのです。

※2 天然のウランにはウラン238とウラン235という2種類の同位体(化学的な性質は同じだが原子核の中の中性子の数が異なる)が存在している。ただしほとんどがウラン238で、ウラン235はたった0.72%しか含まれていない。このままでは濃度が低すぎて連鎖反応は起きないため、ふつうはウラン238を取り除いてウラン235を濃縮して利用する。

対象は素粒子から人間の集まりまで

いろいろな話をご紹介して きましたが、最後に私自身のことを少しお話するとともに、みなさんにメッセージをお届けしたいと思います。

私は、大学院では湯川秀樹先生の研究室で素粒子論を専攻していました。物理は素粒子から広大な宇宙までさまざまものを対象にしています。そして、どんなものでも根本的な原理まで戻って明らかにしようとするものです。

南部陽一郎先生の「自発的対称性の破れ」という言葉で有名になりましたが、当時から、たくさんの原子や分子が集まり、相互に作用することで全体の様子が一挙に変わる相転移現象(第1回でご紹介した自発磁化や超伝導などの現象)は、とても興味深いものでした。こうした現象は宇宙でも素粒子の世界でも、いたるところにみられます。最近では人間の集まりがみせる振る舞いにも応用できるのではと考えるようになりました。人間の集まりを対象にする場合、人は自由意思を持っているので原子などと同じ条件では考えられません。しかし、人間社会にも”ルール”はあります。

私がまず取り組んだのは、 運転に規則がある交通流の問題でした。電車だと車間距離が短くなっても渋滞しないのに、車の場合は混んできて、車間距離が縮まってくるとすぐに渋滞することを不思議に思ったことはありませんか。自動車を運転する時には、他車の動きを見て自車の動きを決めますね。つまり、 車同士の間に働く相互作用が原因ではないかと考え、交通渋滞を人間が起こす相転移現象だとみたのです。

そこで提唱したのが「最適速度モデル」(Optimal Velocity Model: OVモデル)です。「運転者は目前の車との車間距離に応じて最適速度に近づけるよう、車の速度を調整する」という、前車の動きをみて反応する後続車が、すぐには反応できずにそこに「時間の遅れ」が生まれることを組み込んだ模型になっています。この模型で解いてみると、混んでくると自発的に交通渋滞がひき起こされることがわかりまし た。OVモデルは「時間の遅れ」を取り入れた新しい理論として、国際的にも有名になりました。

その後、景気変動や気候変動にも同様の理論が応用できるのではと考えて、経済物理学や社会物理学の分野にまで研究のすそ野を広げました。素粒子の世界から原子や分子の集まり、人間の集まりが起こす現象までさまざまな研究をする中で、現代は、社会のルールとそこで起きる現象を、物理を使って分析できる時代になってきたと感じています。経済や経営はもちろん、生命科学、医学、心理学、工学などの分野に興味がある人も、その基本になる物理の手法を知ってほしいですし、広い分野で物理の方法を駆使すると、思いがけない学問の展開が出てくるだろうと思っています。

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【教科書に載っていない物理の話②】
光と色の不思議に迫る

空はなぜ青いのか。夕焼けはどうして赤いのか。そんなことを思ったことはありませんか。私は小学生の頃に「空は絵の具を塗っているから青い」という友だちの意見に賛成できず、かといって理由もわからず「なんでだろう」と色々と考えを巡らせた思い出があります。
可視光線から目に見えない赤外線や紫外線まで、波長の違いによって色々と性格も異なる光の世界です。今回は可視光線の色と今流行りの発光ダイオード (LED)についてお話したいと思います。

坂東 昌子先生の顔写真

坂東 昌子先生

~Profile~

愛知大学名誉教授 NPO法人 あいんしゅたいん理事長
1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了(博士号取得)。京都大学理学部助手、講師を経て、87年より愛知大学教養学部教授。専門は素粒子論、非線形物理。京都大学に保育所設立を実現させるなど、女性研究者の支援でも活躍。京都大学の湯川秀樹研究室で素粒子論を専攻。ノーベル賞を受賞した小林・益川博士とは助手時代は同じ研究室。2007年日本物理学会長・同キャリア支援センター初代センター長 を経て、2009年3月若手研究者支援のためのNPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立。現在に至る。
「4次元を越える物理と素粒子」「理系の女の生き方ガイド」など著書多数。大阪府立大手前高等学校出身。

光の三原色と色の三原色

人間の目が色を感じるのは、波長の異なる光が視神経細胞を刺激するからです。視神経は三種類あって、それぞれが波長の違う三種類の光を感じます。これが「光の三原色」です。RBGという言い方を聞いたことがあるかもしれませんが、レッド、ブルー、グリーンの三色です。赤青黄じゃないの、と声が聞こえてきそうですが、絵の具を使う時の「色の三原色」とは異なります。

光の三原色は、それぞれ波長が700nm、546.1nm、435.8nm※の光に対応します。赤と緑が同時に目に入ってくると黄色に、緑と青でシアンに見えますし、すべての色が三原色の強さを加減して混ぜ合わせることで作れます。RGBを同じ強さで混ぜた色は真っ白です。逆に白からRGを引いたら青になります。

では、突然ですが、ここで問題です。植物の葉は緑色をしていますが、なぜなのかわかりますか?

植物の葉が緑色を好むからではありません。じっくり考えないと間違えそうですが、実は、葉には緑色光が必要ないのです。いらないのではね返しますから、それが私たちの目の中に光として入ってくるのです。

太陽光をプリズムで分けてみると、虹の色に見られるように分解されます。太陽の光はRBGすべてが揃っているので、白色なのです。RBGの光から、葉は必要なRBを吸収して、必要のない緑色光だけをはね返しています。だから、葉は緑色に見えるのです。もし赤と青の光だけを葉っぱに当てたら、両方を吸収するので、葉は黒っぽく見えるはずです。絵の具はそのものがはね返す色を表しますが、光の色は、直接目に入った光の色が見えていると言い換えることができるのですね。すべての色をはね返して白色になるというわけです。

※1nm(ナノメートル) = 0.000000001m = 10^-9m

発光ダイオード(LED)の立役者は日本人

私たちの生活にも光は欠かせないものですが、光を発生させるには二通りのやり方があります。昔の白熱電球は、電流でフィラメントが熱くなり発光します。火が燃えて明るく光るのと同じです。しかし、もう一つの、最近出てきた新しい光、発光ダイオード(LED)の光の出し方は違います。

LEDの仕組みは難しいものではありません。プラスの電気がつまったp型半導体と、マイナスの電気がつまったn型半導体という性質の異なる2つの半導体がくっついていてできているのがLEDチップで、そこに電流を流すとプラスとマイナスの電気がばちんとぶつかります。プラスとマイナスがぶつかることで出てくるエネルギーはほとんどが熱にならずに、光に返信するのです。光の強さや色は、それぞれの半導体の材料を何にするかによって変わります。

これまでの白熱電球などは、エネルギーが光だけでなく熱としても放出されていました。LEDの場合は電流を直接光に変えるので、これまでよりも10倍程効率がいい、つまりエコなのです。

ただこのLED。1960年代に開発されたものの、赤から黄緑色くらいまでの波長の色しか作ることができず、全部の色が作り出せない状況が長く続きました。そんな中、1993年に、最も波長が短くて難しい青色発光ダイオードを、当時徳島の中小企業の研究者だった中村修二先生(現カリフォルニア大学 サンタバーバラ校教授) が開発したのです。こうして三原色がそろったことで白色を含めたさまざまな色を作り出すことが可能になり、今日のカラーテレビなど、さまざまなものへの応用につながりました。

ちなみに、この世界的な大発明に対して、中村先生が会社からもらったご褒美(報奨金)はたった2万円だったそうです。しばらく前にニュースになったので知っている人もいると思いますが、その後中村先生は会社を相手に訴訟を起こしました。会社の仕事で行った職務発明とはいえ、発明に見合ったものを報いてほしいと言ったのです。会社の利益は800億円ともいわれ、第一審では 400億円を支払うようにと判決が出ましたが、結局は20億円で和解されたそうです。科学者は好奇心にかられて研究開発をするのが大好きです。でも少しは「ありがたいな」と評価してもいいのではないでしょうか。

RGBは身近なところでは、パソコンで使われています。プログラミングなどが得意な人はよく知っていると思いますが、コンピュータで色を指定する時には、RGBを16進数の強さで配合したカラーコードで表します。16進数は1から始まって2ケタになる10は「A」、11が「B」とアルファベットを使って、16が「F」になります。RGBの順番でそれぞれを2ケタで表すので「FF0000」は赤色になります。「000000」は黒、「FFFFFF」は白です。

続き: 【教科書に載っていない物理の話③(最終回)】あらゆるものの原理を解明する

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【教科書に載っていない物理の話①】
みんなで原子になってみよう-アリスインワンダーランドの世界へ

みなさんは物理学好きですか?公式が多くて何に役立つのかわからない…といった声が聞こえてきそうですが、本来、物理はさまざまなところ物事の仕組みを明らかにする学問ですから、面白くないはずがありません。みなさんが持っている携帯電話やパソコン、最新の医療機器など、生活を取り巻く多くのものに物理が応用されていますし、宇宙の仕組みを探るのも物理です。身近なところから遠くまで物理の世界は広がっているのです。イギリスでは物理の面白さを高校生に知ってもらおうと、最新の成果などを題材にした「アドバンシング物理」というカリキュラムがあります。今回から始まるこの連載では、物理を身近に感じてもらうとともに、教科書の背後にある物理の面白さをご紹介していきたいと思います。

坂東 昌子先生の顔写真

坂東 昌子先生

~Profile~

愛知大学名誉教授 NPO法人 あいんしゅたいん理事長
1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了(博士号取得)。京都大学理学部助手、講師を経て、87年より愛知大学教養学部教授。専門は素粒子論、非線形物理。京都大学に保育所設立を実現させるなど、女性研究者の支援でも活躍。京都大学の湯川秀樹研究室で素粒子論を専攻。ノーベル賞を受賞した小林・益川博士とは助手時代は同じ研究室。2007年日本物理学会長・同キャリア支援センター初代センター長 を経て、2009年3月若手研究者支援のためのNPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立。現在に至る。
「4次元を越える物理と素粒子」「理系の女の生き方ガイド」など著書多数。大阪府立大手前高等学校出身。

集団が起こす現象 – 「相転移」

世界を構成している物質は、百種類ほどの原子(元素)の組み合わせであることはみなさん知っていますね。物理はものの仕組みを明らかにするために原子から素粒子と小さな世界の様子を探る一方、それが集まった集団で起こる振る舞いにも目を向けてきました。

多数の同じものの集まりのことを「多体系」といいます。私たちの周りには、原始の多体系や人間の多体系など、さまざまな多体系があります。その中では、構成するここが相互作用をしたりコミュニケーションを取ったりすることで、集団全体の状態変化が起こることがあります。この現象を物理では「相転移」と呼んでいます。

原子磁石になって自発磁化現象(「相転移」)を体現してみよう。

鉄やニッケルなど、磁石によく引き寄せられる物質(強磁性)も、温度が高い状態だと、ここの原子が好き勝手に動いていて、磁石に引き寄せられません(常磁性)。しかし温度を下げていくと、臨界温度(キュリー温度)でそれぞれの原子間に働く相互作用の影響の方が大きくなり、近くの原子同士の自局の向きがそろい、それが全体に広がって磁石になります(自発磁化)。ばらばらの方向を向いているよりも。周囲と状態を合わせた方が安定するため、なるべくそろえようとするのです。臨界温度になると自発磁化が現れる現象も「相転移」現象の一つです。

今回はこの自発磁化をみなさん一人ひとりが一つの磁石になって実験する方法をご紹介します。

自発磁化の相転移現象の実験

準備するもの: 人数分の表と裏が色の違う紙(それぞれの色が磁石の向き <S極かN極か> を表します)。
※空席は作らないように座りましょう。

手順:
① まず紙を両手で持ち、好きな色を前方に向ける。
② 自分の周りの人の紙の色を見る。
③ 号令に合わせて、以下のルールで紙の色を変える。
    ルール: 自分の前後左右を見て、多数決で決める。
    ・ 前後左右で多い方の色に合わせる。
    ・ 同数の場合はどちらでもよい。

大学生にこの実験をしてみたところ、700人近い人数で、7~8回でほぼ全員の色が揃いました。
同じ色になったということは磁石の向きが揃ったということです。
別のルールを考えても構いませんし、先生に授業で取り上げてもらうなどして、ぜひみんなでやってみてください。

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【教科書の教えてくれない物理④】
コリオリの力を利用したインチキを見破れ!

物理学の基礎的な概念について、専門家や教科書でさえ往々にして取り違えていることがある・・・・・・。 毎回こんなテーマで松田先生に興味深いお話をお聞きしています。
今回は「コリオリの力」に関する誤解を利用して、インチキな見せ物をしている人たちがいる、というユニークなお話です。

松田 卓也先生の顔写真

松田 卓也先生

~Profile~

1943年大阪生まれ。1961年大阪府立北野高校卒業。1970年京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻天体核物理学理学博士。
1970年京都大学工学部航空工学助手、1973年同助教授。1992年神戸大学理学部地球惑星科学科教授、2006年定年退職。
現在、神戸大学・同志社大学・甲南大学の非常勤講師、中之島科学研究所研究員、朝日カルチャーセンター講師、元日本天文学会理事長、ジャパンスケブティックス会長、ハードSF研究所客員。
専門: 宇宙物理学、相対性理論、疑似科学批判、プレゼンテーション理論。
著書: 「なっとくする相対論」(講談社)、 「タイムトラベル・・・ 超科学読本」(PHP出版)、物理小事典(三省堂)。

見えたり見えなかったりする力

まず「コリオリの力」とは何かをご説明します。次のような例を考えます。大きな円盤形のスケートリンクがあり、上から見ると反時計回りに回転しているものとします。

今、円盤の中心にいるBが、正面に見えるゴールに向かってアイスホッケーのバックを打ったとします。円盤の外側、ゴールの裏にあたる位置に立つAからは、速度を得たパックはゴールに向かって、つまりAに向かってまっすぐに飛んできて(ちなみにこの場合、円盤の摩擦は無視します)そのままゴールに入るように見えます。しかし実はこれが入りません。円盤が回転していてゴールも左へ移動するからです。

その結果、パックはゴールから右へずれた位置に当たることになります。この時Bからは、パックはまるで横向きの力を受け、正面よりやや右へ曲げられたように見えます。

つまりAにとっては存在しないのに、Bにとっては存在するような、そんな幽霊のような力があります。

見る人によって見えたり見えなかったりする力は「見かけの力」あるいは慣性力と呼ばれていますが、回転系で働くこのような見かけの力を「コリオリ」の力といいます。

コリオリの力はたいていの教科書には載っている基本的な概念ですが、物理学者の多くはあまり関心を持っていません。関心があるのはむしろ気象学者です。自転している地球は、巨大な回転系で、地球上ではコリオリの力によってさまざまな自然現象が発生するからです。

例えば台風などの低気圧で、風が低気圧中心に向かうように吹かないで、中心を回る方向に吹くのはコリオリ力のためです。低気圧の風は北半球では上から見て反時計回り、南半球では時計回りになります。

右回りの渦と左回りの渦

このコリオリの力を利用した面白い見せ物をご紹介しましょう。アフリカの赤道上にある国で、観光客相手に行われている見せ物です。こういう商売は結構あるようで、YouTubeにもたくさんの映像がアップされています。

そのうちの一つ。サバンナのある町では、中央に栓がある洗面器がA、B、Cの3ヵ所に設置されています。Aは赤道から20m真北へ行った地点、Bはちょうど赤道上、Cは赤道から20m真南へ行った地点です。洗面器の下にはバケツのような容器がセットしてあって、栓を抜くと洗面器の水が落ちる仕掛けになっています。この映像では現地のガイドとおぼしき人物が装置に水を注ぎ、栓を抜きます。

みなさんも経験したことがあるかと思いますが、水の張ってあるバスタブの栓を抜くと、次第に排水溝付近に渦が発生するようになります。この渦が、北半球では上から見て反時計回り、南半球では時計回りになる、というのを聞いたことはあるでしょうか。先程の見せ物では、北半球にあるAでは渦が反時計回りに、南半球にあるCでは時計回りに、そして赤道上のBでは渦ができずにまっすぐ下へ落ちていきます。どうです、見事でしょう。これこそがコリオリの力の証明だ。
しかし、これは100%インチキです。

熟練の技に騙されている

コリオリの力の大きさは式で表すと「2vΩsinθ」となります。2は定数、vは速度、Ωは地球の回転角速度でこれも定数、6はその地点の緯度です。つまりコリオリの力の大きさは速度に比例しますが、緯度によって大きさが変わります。

赤道は緯度が0なのでsinθは0になり、コリオリの力ははたらきません。A、Bはそれぞれ、赤道からの距離がたった20mですから、θは0.000…いくつ程度。つまり、限りなく0に近い。よって、A、Bできちんと反時計回り、時計回りと渦に違いができるとは考えられないのです。

なぜこの場合コリオリの力の効果が無視できるのでしょうか。実は、専門的に言えば、コリオリの力の影響度を表す数字を「ロスビー数」といいます。式では「半径×回転角速度速度」となり、回転するものの半径が大きいほど、また速度が遅いほど大きくなります。このことは先のスケートリンクの例で考えると、はっきりします。アイスホッケーのパックの速度が小さいほど、ゴールに達するまでに時間がかかるので、その間にゴールは大きく動く。だから的から大きく外れますよね。スケートリンクが大きいほど、またスケートリンクの回転角速度が大きいほど、パックは大きく的から外れます。つまりロスビー数がコリオリの力の影響度の大きさを表しているのです。

ですから台風のように規模の大きな渦巻きではコリオリの力の効果が現れるのです。逆に言えば、洗面器のような小さな容器内の流れでは、コリオリの力の効果は無視してかまいません。ある流体力学の大家がエッセイの中で、「コリオリの力は速度が速いほど大きくはたらく」と記述していましたが、これはコリオリの力自体の大きさと、その影響の大きさを混合しているとしか思えません。専門家でさえも価値が得る、それほどコリオリの力は誤解されています。

さて、この見せ物をこのロスビー数から考えると、洗面器の10数センチ程度の半径では小さすぎますし、しかも水が回転する速度も結構速いですから、ほとんど表れないと考えられます。

ではなぜガイドがやると、渦の向きがきちんと変わるのでしょうか。あるガイドは栓を抜く前に、プラスチックの仕切り板のようなものを水の中に入れているのですが、どうもこれを抜くときに、微妙な手さばきで渦を右や左に回したり、発生しないようにしたりしているのではないでしょうか。ただ、映像 の中には板を使わないガイドも見受けられますから、その場合にはタネが全く分かりません。いずれにしてもかなり熟練の技が必要なはずですから、「インチキ」と一言で片づけてしまうのは失礼かもしれません。感心すべきなのは、コリオリの力の事ではなく、ガイドの手さばきです。要するに手品の一種ですよね。

続き: 【教科書の教えてくれない物理⑤】専門家も惑わす相対性理論のワナ

前へ【教科書の教えてくれない物理③】現代人は、ニュートンの法則を理解していない!

【教科書の教えてくれない物理⑤(最終回)】
専門家も惑わす相対性理論のワナ

20世紀最大の物理学者と称されるアルバート・アインシュタイン。
アインシュタインの代名詞といえば相対性理論ですが、一般の人にとって難しい理論であるだけでなく、専門家の中にも十分に理解していない人もいる。その一端をご紹介します。

松田 卓也先生の顔写真

松田 卓也先生

~Profile~

1943年大阪生まれ。1961年大阪府立北野高校卒業。1970年京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻天体核物理学理学博士。
1970年京都大学工学部航空工学助手、1973年同助教授。1992年神戸大学理学部地球惑星科学科教授、2006年定年退職。
現在、神戸大学・同志社大学・甲南大学の非常勤講師、中之島科学研究所研究員、朝日カルチャーセンター講師、元日本天文学会理事長、ジャパンスケブティックス会長、ハードSF研究所客員。
専門: 宇宙物理学、相対性理論、疑似科学批判、プレゼンテーション理論。
著書: 「なっとくする相対論」(講談社)、 「タイムトラベル・・・ 超科学読本」(PHP出版)、物理小事典(三省堂)。

「相対性理論」とは

限られた紙面で相対性理論についてわかりやすく説明することは、残念ながら不可能です。そこでとりあえず「相対性原理」という言葉が示す意味について説明することにします。

次のような例を考えます。ある人が電車のプラットホームにいて、その前を電車が高速で通過していくとします。プラットホームにいる人が手に持った爪切りを落とすと、足下に落下します。電車に乗っている人が爪切りを落下させても、爪切りは後ろに取り残されるのではなく、やはり足下に落下します。つまりプラットホームでも電車の中でも同じ物理現象が起きます。昔ガリレオはこのことをさして、「船の中でも陸と同じ生活ができる」と表現しました。これが相対性原理です。

難しい言葉で言えば、物理現象を記述する方程式は、止まっていても、運動していても形が変わらない(不変)ということです。その意味ではニュートン力学も相対性原理を満たします。ただしアインシュタインの相対性原理と区別して、ガリレイの相対性原理とでも言っておきます。アインシュタインは電磁気学を記述するマクスウェルの方程式が、運動していても形が変わらないことに目をつけました。つまり電磁気現象は止まっていても動いていても同じだということです。これが「アインシュタインの相対性原理」で、それに基づいた理論が「(特殊)相対性理論」です。

相対性理論が絶大な人気を誇っているのは、この考え方を受け入れると、常識では考えられないような現象が次々と起きるからです。なかでも運動している物体の長さは短くなるという「ローレンツ収縮」や、高速度で飛んでいるロケットにのっている時計の進み方は遅くなるという「時計の遅れ」などは人気があります。ところがこのローレンツ収縮に関して、相対性理論の専門家でも正しく理解していない人がいます。それが今回の話です。

2台のロケット間の距離は縮むか?

運動している物体の長さは縮むという「ローレンツ収縮」に関して、私はある物理学者と共同で、ある物理雑誌に「2台のロケットのパラドックス(矛盾)」と呼んでいる問題を発表しました。

いま、宇宙空間に2台のロケットが離れたところに静止して浮かんでいます。コントロールセンターは2台の口ケットの艦長に、次のような同じ命令を下しました。0時0分0秒に同時にロケットを始動して、同じ加速度で同じ方向に向けて出発して、同時に同じ速度に達したら、後はその速度を維持せよ。その速度が光速度に近い速度だとします。問題は、この2台のロケット(の重心)の間隔がローレンツ収縮するかというものです。

発表後に分かったのですが、これと似た問題を、ベルという有名な量子力学者が私たちより以前に提案していました。少し違うのは、2台のロケットは細い紐で繋がれているという点です。もしロケットが同時に同じ方向に同じ加速度で加速して、同じ速度になったときに、この紐が切れるかどうか?という問題にしていました。ベルが予期した答えは、ロケットも紐もそれぞれローレンツ収縮する。しかしロケットの(重心の)間隔は縮まない。従って紐は切れる。しかし、この場合、紐が十分に強ければ切れませんから、答えは紐の強さによって変わることになります。

私たちの問題では、2台のロケットは紐でつながれていません。間にあるのは空間です。ですから問題は2台のロケットの(重心の)間隔はローレンツ収縮するか?という点です。正しい答えは「収縮しない」というものです。

このことを理解するために、横軸に空間座標x、縦軸に時間座標をとった時空図で考えましょう。まず2台のロケットが静止している場合は、時空図上のロケットを表す線(世界線)は、x軸に垂直な2本の平行線です。次にロケットが急加速して、短い時間の間にある一定の速度に達したとします。この場合、2台のロケットを表す世界線は傾いた平行線です。その線の間の水平距離は、先の垂直な2本の線の水平距離と同じです。つまり2台のロケットの間隔は、ロケットが静止していても、運動していても変わりません。このことは、相対性理論とは関係なく、時空図上の作図から分かるように幾何学的な問題です。しかし、ロケットの長さ自体はローレンツ収縮します。この点がなかなか理解されません。

専門家を蝕む「強固な思い込み」

私がこの問題を講演などの場で話して、会場に問いかけると、意見はほぼ半々に分かれます。そこで「縮む」と答えた人に、ていねいに説明すると、再び半数の人は理解してくれます。ところが残った人には、なかなか理解が難しいようです。その原因は、相対性理論では、高速に運動するものはローレンツ収縮するという思い込みです。

実はこのパラドックスの発表後、ある大学の名誉教授から反論をもらいました。その人は、2台のロケットを1台の巨大なロケットに見立てたとすると、ローレンツ収縮によりロケットは収縮するため、2台の間の距離は縮む、と主張されました。しかし、2台のロケットが強く紐などで結ばれていないかぎり、1台のロケットとは見なせません。

また別の大学教授は、相対論の問題は時空図などでは説明できないと反論してきました。とんでもない話です。時空図はアインシュタインの数学の先生であったミンコフスキーの発明したもので、その教授の専門である素粒子論ではファインマン図としてよく使われています。

この人たちには、どのような説明をしても理解してもらえませんでした。専門家なのに、なぜこのようなワナに陥るのでしょうか。それは一つには、彼らが式だけに頼って、図とか直感的に考えることをしていないからです。もうひとつは「強固な思い込み」です。

しかしいかに間違った思い込みをしていても、科学とは客観的、合理的な説明をすれば、一定の知的訓練を受けた人なら、共通の認識に達するはずのものです。それがそうならないのは、人間心理には強固な非合理性が潜んでいるからだと思います。

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【教科書の教えてくれない物理③】
現代人は、ニュートンの法則を理解していない!

物理学の教科書でも、時に間違った知識に基づいて書かれていることがある。
このコーナーではそんなテーマについて、宇宙物理学者の松田卓也先生にお話しをお聞きしていますが今回は少し趣向を変え、一般の人でもよく知っている物理学の法則を、物理学者の中にもきちんと理解していない人がいる、ということを、マンガや小説など、身近な題材を例に語っていただきました。

松田 卓也先生の顔写真

松田 卓也先生

~Profile~

1943年大阪生まれ。1961年大阪府立北野高校卒業。1970年京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻天体核物理学理学博士。
1970年京都大学工学部航空工学助手、1973年同助教授。1992年神戸大学理学部地球惑星科学科教授、2006年定年退職。
現在、神戸大学・同志社大学・甲南大学の非常勤講師、中之島科学研究所研究員、朝日カルチャーセンター講師、元日本天文学会理事長、ジャパンスケブティックス会長、ハードSF研究所客員。
専門: 宇宙物理学、相対性理論、疑似科学批判、プレゼンテーション理論。
著書: 「なっとくする相対論」(講談社)、 「タイムトラベル・・・ 超科学読本」(PHP出版)、物理小事典(三省堂)。

第1の例: 運動の3法則

物理があまり得意でない人でも、「(ニュートンの)運動の三法則」は知っていると思います。ちなみに、この法則性を発見したのはガリレオですが、ニュートンがきれいな数式法則にまとめ上げ(定式化)たのです。

ここで取り上げるのは、その第1法則、「慣性の法則」です。文章で表現すれば、「物体に力がはたらかないとき、物体は、はじめに静止していれば静止状態、運動していれば等速直線運動状態を続ける」となります。この法則が、いかにきちんと理解されていないかについて、あるマンガを例に挙げてみます。

みなさんもよくご存知のマンガ家の作品中に、次のようなシーンがありました。宇宙空間をあるロケットが飛んでいます。ところが燃料が切れ、その結果ロケットは宇宙空間に停止してしまった・・・。

さて、どうでしょう。この話のどこがおかしいと思いますか?

宇宙に静止しているロケットを考えましょう。このロケットが飛ぶためには、まずエンジンに点火しなければなりません。こうすることでロケットは加速度を得て、前方に向かって加速しながら進み始めます(これが運動の第2法則です)。ところが、宇宙空間には抵抗(摩擦)が無いので、いったん加速度を得れば、燃料を燃やさなくても、ロケットは永久に等速直線運動を続けます。つまり、燃料が切れたので口ケットが停止する、ということはあり得ないのです(ここでは星や惑星からの重力は無視します)。むしろロケットを静止させるためには、エンジンを逆噴射させなければならないのです。

第2の例: ケプラーの法則

次に「ケプラーの(三)法則」について考えましょう。これは天体の運行に関する法則で、一見ニュートンとは関係なさそうに見えますが、定式化したのはニュートンです。ニュートンは先の運動の第二法則と、さらに彼の発見した万有引力の法則とを組み合わせて、ケプラーの法則を証明しました。

ケプラーの第1法則は、「すべての惑星は、太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く」というもので、分かりやすく言えば、惑星は太陽の周りを回っている(衛星が惑星の周りを回るのも同じ)ということです。この法則をきちんと理解していない例として、映画化もされた、ある有名な日本のSF小説を挙げます。

ある時、太陽に向かって、太陽の約10分の1の大きさのブラック・ホール(以下BHと略す)が突然近づいてきます(この時点で既におかしな点があります。理論上、もっとも小さなBHでも太陽の約3倍の大きさがあるからです。しかし、この点には目をつぶります)。BHを観測するため、地球から探査機が飛ばされました。ところが、燃料切れになり、探査機はブラック・ホールに向かって落ちていき、やがて吸い込まれてしまった・・・。

これをケブラーの法則に照らして考えてみましょう。探査機がBHに近づけば、そのうちBHの重力圏に入ります。そこでエンジンを逆噴射させて速度を落とし、BH を一つの焦点とする楕円軌道に入ります。探査機がBHにあまり近づきすぎなければ、そのまま梢円軌道を回り続けます。それだけのことです。ブラック・ホールの重力といえども、あまり近づかなければ、ニュートンの万有引力の法則で十分記述できるのです。

あまり近づき過ぎなければと書きましたが、どのくらい近づくとニュートンの万有引力の法則は破綻するのでしょうか。それはシュヴァルツシルト半径の程度です。その大きさはBHの質量が、太陽質量の1/10倍の場合、300mです。しかし探査機が普通そんなに近くを飛ぶとは考えられません。

※独の天文学者シュヴァルツシルトによって発見された、一般相対性理論の厳密解にシュヴァルツシルトの外部解というものがある。その解にはシュヴァルツシルト半径というものがあり、その場所で解は奇妙な振る舞いを示す。この半径よりも小さく収縮した天体のことをブラック・ホールと呼ぶ。

日常の経験が誤謬を生む

ニュートンの法則やケプラーの法則は、誰もが知っている物理学や天文学の基本です。ではなぜ、このような単純なミスが生まれるのでしょうか。そこには、私たちの日常生活から生まれる誤解が潜んでいるのです。

1つ例を挙げます。ある車が、時速50㎞のスピードで直線道路を走っている、つまり等速直線運動をしているとします。車が走り続けるためには、エンジンを動かし続けなければなりません。だから地上で車が等速直線運動を続けるためには、エンジンの力が必要である・・・。この結論は事実としては正しいのですが、運動の第1法則によれば、等速直線運動するのは力が0の場合です。エンジンが動いているのになぜ力が0なのでしょうか。

答えは簡単です。車と道路の間に、抵抗がはたらくからです。車がエンジンをかけ、加速をするにしたがい、抵抗はどんどん大きくなります。この抵抗の大きさと、車の推進力が等しくなったときに、車の動きは等速直線運動になるのです。ところが、もし抵抗というものが無ければ、車はエンジンをかけ続けなくても、いったん加速度さえ得れば、永久に等速直線運動を続けられます。しかし、地球上の日常的な経験ではこのような状態をイメージするのは、非常に難しいのです。

われわれが生きている世界では、あらゆるところに抵抗、摩擦がはたらいています。ペンをテーブルの上で転がしても、力を与え続けなければすぐに止まってしまいます。抵抗、摩擦のあふれた地球上で、慣性の法則を発見したガリレオやニュートンは、とても想像力が豊かであったといえるでしょう。

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前へ【教科書の教えてくれない物理②】飛行機はなぜ飛ぶのか – 教科書は間違っている!

【教科書の教えてくれない物理②】
飛行機はなぜ飛ぶのか- 教科書は間違っている!

1907年、ライト兄弟によって現代の飛行機の原型が発明されました。
飛行機がなぜ飛ぶのかという理論もその頃に確立されましたが、それから約100年経った現在、世界中で使われている教科書の約7割は、間違った理論を教えていると言います。教科書のどこが間違っているのか、そして正しい理論はどのようなものか。第2回はこんなテーマで松田先生に語っていただきました。

松田 卓也先生

~Profile~
1943年大阪生まれ。1961年大阪府立北野高校卒業。1970年京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻天体核物理学理学博士。
1970年京都大学工学部航空工学助手、1973年同助教授。1992年神戸大学理学部地球惑星科学科教授、2006年定年退職。
現在、神戸大学・同志社大学・甲南大学の非常勤講師、中之島科学研究所研究員、朝日カルチャーセンター講師、元日本天文学会理事長、ジャパンスケブティックス会長、ハードSF研究所客員。
専門: 宇宙物理学、相対性理論、疑似科学批判、プレゼンテーション理論。
著書: 「なっとくする相対論」(講談社)、 「タイムトラベル・・・ 超科学読本」(PHP出版)、物理小事典(三省堂)。

飛行機は揚力を得て飛ぶ

飛行機がなぜ飛ぶのか。それは翼に「揚力」が働くからです。揚力は飛行機の翼の上面と下面の圧力差(上面が低く、下面が高い)によるものです。翼の上面を流れる空気の流れの速さが、下面の速さより速いとすると、流体力学でよく出てくる「ベルヌーイの定理」(速さの2乗+圧力=一定)で示されるように、下面での空気の圧力が上面の圧力より大きくなって、揚力が発生します。

これは実に明白で、ここまではどの航空力学の教科書にも正しく記述されています。間題はなぜ翼の上面の空気の速さが下面より速いかです。この点について、ある人が調べたところ、実に教科書の約7割が間違った説明をしている、ということです。

この間違いには、大きく分けて2つあります。以下でその2つの説についてお話しすることにしましょう。

間違いその1: 等時間通過説

この説は、揚力が圧力差によって生じるところまでは正しいのですが、その圧力差が生じる理由について誤っています。

飛行機の翼の上面の圧力が低くなるのは、空気の流れが上面の方が速いからです。飛行機の翼は上面が少し膨らんでいます。翼に空気があたると、翼の前縁で空気が上面と下面に分かれますが、等時間通過説では、それらは翼の後縁で同時に出会うとされます。翼の上面の方が下面より少し距離が長いために、結果的に上面の空気の流れの方が速くなる、というわけです。

しかし、この理論に従えば、曲芸飛行などで飛行機が上下反対になり、背面飛行をすると飛行機は墜落することになり、この説が問違っていることは明らかです。もう1つ身近な例は、紙飛行機です。紙飛行機の翼は紙で薄く平らですから、翼の上と下とで空気の進む距離は変わりません。すると空気が流れる速さは同じになり、圧力の差が生まれないことになります。実際に風洞などで実験を行ってみると、翼上面の空気の方が先に後縁に着く、という結果も出ます。

こんなに明らかに間違った等時間通過説が、多くの教科書、解説書に採用されているのです。

間違いその2: 跳石(とびいし)説

飛行機の翼には「迎角」といって、翼の後方を前方より下げることでできる角度がつけられています。飛行機が飛ぶ際には、迎角が必要です。この説は傾いた翼の下面に空気があたると、作用反作用の法則から、翼を上に跳ね上げるような力が働き、それによって飛行機が上に持ち上げられるというものです。河原からできるだけ水面に沿って石を投げると、石が水面に当たって何回か跳ね上がる現象が見られますが、あれと同じ原理です。

この考えは、100%間違いということではなく、確かにスペースシャトルが超高空から下降して大気圏に突入する時には、この現象で揚力が発生します。

この理論に従えば、飛行機にとって重要なのは翼の下面であり、上面はどうでもよいことになります。しかし実際に飛行機を見ると、エンジンは翼の下に付いていますし、それから、戦闘機はミサイルをすべて翼の下にぶら下げています。もし下面が重要なら、空気の流れを変えるような障害物を下面につけてはいけないはずです。じつは大事なのは翼の上面の方で、揚力は翼の下を押し上げると言うよりはむしろ、翼の上を吸い上げるように働いているのです。

飛行機の墜落原因で最も多いのが、「失速」によるものです。これは、翼がある一定以上の角度で上を向く、つまり迎角がある大きさを超えると、翼の上面に沿って流れていた空気が翼から離れて(我々はこれを「空気の流れがはがれる」と言います)しまい、揚力がなくなるのです。これを失速といいます。

飛行機が墜落するのは、離着陸時が多いのですが、これは低速で揚力を得ようとすると、どうしても迎角を大きくとらなければいけないからです。この時、迎角を一定以上の大きさにすると、翼上面の空気がはがれ、失速して墜落してしまうのです。もしも跳石説が正しいなら、翼下面だけが重要で、翼上面で空気がはがれても、揚力には影響が無いことになります。

以上2つの説が間違っていることは、NASAのHPにも掲載されています。

揚力を生む空気の渦

正解は、翼に空気が当たると、翼周りに空気の流れの循環(渦)が発生し、翼の上面の空気が速くなり、そのため圧力差が生まれ、揚力が発生する、というものです。この時の揚力の大きさは「クッタ・ジューコフスキーの定理」により、「揚力=空気の流れの速さ×循環×空気の密度」で表されます。

問題はなぜ循環が発生するかです。空気の循環は飛行機が地上で停まっている時には発生していません。それが離陸するため走り出すと、前から流れてきた空気が翼にあたり、上に行く流れと、下に行く流れに分かれます。この空気が上下に分かれる点を翼前縁の「淀み点」といいます。これは迎角がある場合、翼の前縁付近の少し下面よりにあります。上下に分かれた空気が再び出会うところを後縁の淀み点といいます。これは最初、翼後縁付近の少し上面にあります。これはスピードが上がるにつれ少しずつ後ろに移動していき、最後に翼の後縁に一致します。このような流れになると翼周りに循環が発生します。なぜ後ろの淀み点が翼の後縁に一致するかというと、それは翼の後縁がとがっているからです(これをクッ夕条件といいます)。翼の後縁が丸いと飛行機は飛べません。

大気中には最初空気の循環は存在していません。つまり総循環は0です。流体力学の定理から、総循環はいつも一定であるという性質があります。そこで、飛行によって循環が発生すると、それを打ち消すように、逆向きの循環が発生しなければなりません。その、翼と逆の循環(渦)がいわゆる「出発渦」です。この出発渦は飛行場に残ります。飛行機が出発した後も、飛行機の翼周りの循環と出発渦を繋ぐための循環、糸のようなもの、「翼端渦」が発生します。

空港に出発渦が発生し、それが飛行機と翼端渦で繋がっている、というのはちょっとイメージしにくいかもしれませんが、翼端渦は目で見ることができます。YouTubeには、翼端渦を撮影したものがいくつかアップされています。興味のある方は「wing vortex」というキーワードで一度探してみてください。なお、ジャンボ機が離陸した後の空港は、出発渦や翼端渦で空気が乱れていて、小型機の墜落の原因になります。

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【教科書の教えてくれない物理①】
電流のエネルギーは電線の外を伝わる!

電気のスイッチを入れれば、100メートル先の電球でも瞬時に点灯します。これは電流によるもので、その伝わる速さは光速、もしくはそれに近いものとされています。
しかし、電流の正体である電子そのものの動くスピードはきわめて遅いことも知られています。それではなぜ、スイッチを入れると同時に電球は点くのでしょう。
「教科書の教えてくれない物理」の第1回は、その謎を解明します。

松田 卓也先生の顔写真

松田 卓也先生

~Profile~

1943年大阪生まれ。1961年大阪府立北野高校卒業。1970年京都大学大学院理学研究科博士課程物理第2専攻天体核物理学理学博士。
1970年京都大学工学部航空工学助手、1973年同助教授。1992年神戸大学理学部地球惑星科学科教授、2006年定年退職。
現在、神戸大学・同志社大学・甲南大学の非常勤講師、中之島科学研究所研究員、朝日カルチャーセンター講師、元日本天文学会理事長、ジャパンスケブティックス会長、ハードSF研究所客員。
専門: 宇宙物理学、相対性理論、疑似科学批判、プレゼンテーション理論。
著書: 「なっとくする相対論」(講談社)、 「タイムトラベル・・・ 超科学読本」(PHP出版)、物理小事典(三省堂)。

電子の速度は驚くほど遅い

電流は電線の中を流れるに決まっている、こんな当たり前のことを今さらなぜ持ち出すのか、怪訝に思う人もいるかもしれません。たしかに電線の中心には銅線があり、電子はその中を移動します。

また、電線の周りは絶縁体で覆われ、感電しないようになっています。にもかかわらず、電流のエネルギーは電線の外を伝わるのです。

電流を説明するために、教育界では電流をパイプの中を流れる水に譬える『水流モデル』がよく使われます。電子は水の分子に例えられますが、このモデルは一見分かりやすそうな反面、二つの点で無理があり、大きな誤解を招く原因にもなっています。

まず、電子の動く速度は水流に比べて圧倒的に遅いです。例えば、1㎜径の電線に1Aの電流が流れる場合、電子の速度は毎秒約0.1mmにすぎません。つまり、1時間で35㎝程度で、カタツムリの進む速さよりも遅いのです。これでは、スイッチを入れた瞬間に電球が点灯することは説明できません。

ちなみに、電子の速度(ドリフト速度)は、大学の電磁気学の教科書にも記されている通り、物理学や電気工学を専門にしている人なら誰でも知っています。

この電子の遅い速度を補うために、教育界では『ところてんモデル』が使われます。これは、電線の端の電子を押すと、次の電子が動き、さらにその隣の電子が動くというように、連鎖的に電子が動くというモデルです。しかし、このモデルでも、影響が伝わる速度は決して光速には達しません。

また、エネルギーの考え方も水流とは全く異なります。水流の場合、エネルギーは水の分子の運動エネルギーですが、電流の場合、電子の運動エネルギーそのものではありません。電子を動かすエネルギーは、電線内を伝わるのではなく、別の形で伝わるのです。

電子を動かす電磁場のエネルギー

電流が流れると、電線の周囲の空間には「電場(電界)」と「磁場(磁界)」が発生します。(これは教科書にも記されている通り、電気の本質であり、発生するのは電線内ではない点が重要です。磁場については別として、電場が電線内で発生していると誤解する人が多いですが、実際は、電線の抵抗が小さい場合、電線内の電場は非常に弱いのです。)

一方で、個々の電子は遅い速度で動くため、もし電子自体が電線内を移動していたなら、電球に到達するまでにかなり時間がかかってしまいます。しかし、スイッチを入れると発生する電流のエネルギーは、電線の外を瞬時に伝わるため、電線内のすべての電子が同時に動き出し、遠くの電球でも即座に点灯するのです。

この現象を説明するため、私はよく次の例を使います。運動場に子どもたちが左向きに整列しているとします。全員を右向きにする方法は二通りあります。一つは、先頭の子が小声で「右向け右」と伝え、それを順に後ろへ伝えていく方法。もう一つは、先生が全員に向かって大声で「右向け右」と指示する方法です。前者は、最後の子が右を向くまでに時間がかかりますが、後者は、指示が音波として伝わるため、ほぼ同時に全員が右を向きます。ここで、音波は電磁波に相当します。

つまり、電線の外側を伝わる電磁場のエネルギーが、電線内のすべての電子に「動け」という命令を電磁波の形で伝えるため、《電流》は光速で伝わるのです。

※ 電場・磁場:空間の緊張具合を表す概念です。例えば、張られたゴムに例えられます。電線の抵抗が超伝導のように0であれば、電線内の電場は存在しません。銅線の場合、抵抗はあるものの非常に弱いため、電線内の電場はごく小さいのです。もし、電流がエネルギーを運ぶ原因を電線内の電場に求めると、超伝導状態を説明できなくなります。

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【物理がおもしろくなる物理の話⑦(最終回)】
地球から宇宙へ

松本 紘先生の顔写真

松本 紘先生

~Profile~

1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

宇宙太陽発電所(SPS)計画

5年ほど前にNASAの研究所で客員研究員をしていた時に宇宙太陽発電所(SPS Space Solar Power Station)の計画を知り、帰国後に研究を始めました。これは、宇宙に超大型の太陽電池パネルを広げて、太陽光発電によってクリーンな電気エネルギーだけを地球に伝送しようというものです。伝送は送電アンテナから太陽光発電によって得られる直流電力をマイクロ波に変えて地上に降ろす方法で、受電アンテナ基地で再び電気に戻します。私はマイクロ波送電の実証実験などを行いました。

最近では太陽光発電などの市場が拡大してきていますが、地上では夜がありますし、天気に左右されるといった欠点があります。それならいっそのこと宇宙へ出てみようという発想がSPSです。宇宙であれば、曇りも雨も、昼も夜もない。24時間、年中太陽エネルギーを使用することができます。現に、ほとんどの人工衛星は太陽電池を広げてエネルギー源にしています。

SPSは技術的には現在でも可能です。ただ、巨大な設備を擁しますからその建造費、打ち上げ費用、さらに地上受電施設の建設費などに全部で1兆円はかかるとみられていて、火力発電や原子力発電に比べて 発電単価がまだ高いために採算面での課題があります。しかし、技術開発は日々進んでいますし、コストダウンは可能だと思います。後は人類の生存をかけてどれだけ本気でやろうとするかです。

人類が生き残るために –

SPSを作ることは、私の究極の目的ではありません。究極の目的は、人類が争うことなく、生存圏のフロンティアである宇宙に展開して繁栄を続けることです。宇宙科学の研究をしてきたのは、宇宙を利用するためです。利用するためには理解する必要があるからです。

日本は資源が少なく、少子化で人的資源も減少傾向にあります。21世紀をどう生き残るか。国としても、人類としても、生き残りをかけて進まなければいけない段階にきていると思います。これからは科学も、生きるか死ぬかの視点を持たなければいけません。水、食料、エネルギー、環境、資源などの問題を、こうした視点のもとにまとめたのが生存基盤科学です。人類の生き残りをかけて、社会科学、人文科学なども含めて総合的に考える必要があるのです。未来を生きるみなさんには、大きな視野で生存基盤科学を学び、考えていってほしいと思います。

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【物理がおもしろくなる物理の話⑥】
物理のわかる宇宙人に

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松本 紘先生

~Profile~

1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

磁気リコネクション

ブラズマ物理学はシミュレーションによってさまざまな理論を再現することで、これまでお話してきたプラズマに満ちた宇宙空間についての理解を深めてきました。

例えば、太陽風プラズマが地球磁気圏に入ってくることは観測デー夕からわかっていましたが、その仕組みはシミュレーションや実験を繰り返す中でようやく明らかになりました。太陽風と地球磁気圏の境界で磁気の再結合(リコネクション)が起きていることがわかったのです。

地球の磁場は南半球から出て北半球へ流れます。そこに太陽磁場を引っぱってのびてくる太陽風が接すると、できるだけ短くなろうとする磁力線の性質が働いて図の赤線のように磁力線がつなぎ変わります。この磁気リコネクションによって太陽と地球の磁力線が混合し、磁力線に沿って動く太陽風プラズマが地球の磁気圏内に入り込むわけです。磁気リコネクションは太陽フロアなど他の宇宙空間でも起きていて、オーロラをはじめとするさまざまな現象を解く鍵になると考えられています。

シミュレーションで解くプラズマの世界

磁気リコネクションを導き出すためには、プラズマをマクロにみる電磁流体力学だけでは十分でなく、ミクロな世界でみる粒子モデルのシミュレーションも必要でした。これは、お互いに電磁力を通して影響を及ぼしあう莫大な数の粒子の集まりとしてのプラズマの、非線形挙動を解きすすめるモデルです。

プラズマは非線形ですから、流体でみると近似としては解けても本質的には解けません。また一つ一つの方程式は簡単でも、何憶、何兆と相互作用を及ぼしあう相手が多すぎて、本質的に解くためにはスーパーコンピュータを使った計算科学が必要になります。ただし以前お話したように、観測と理論という物理学の原点を理解していることが重要です。磁場を中心とした実験物理学と非線形力学、宇宙プラズマ物理学のグループが協力することで、また、シミュレーションが観測と理論の間をつなぐことで、宇宙というプラズマの世界が少しずつ明らかになってきたといえます。

こうしてわかってきたことは、何も地球の周りだけに当てはまる話ではありません。太陽系の中でも磁場があるといわれる火星や木星や土星では、強さこそ違えど、地球同様、プラズマと相互作用して磁気圏を作っています。一方、磁場がないといわれる月では太陽光がダイレクトに当たっています。美しいオーロラも、磁場のある星で周りにプラズマが流れていたらどこでも起こるユニバーサルな現象なのです。また、太陽系に限った話でもありません。銀河系でも同じように磁気の流れをみることができるのです。

物理を学んで宇宙へ踏み出す

非線形で非常に多彩な現象が存在する宇宙は99.999%以上がプラズマでできています。宇宙の現象を支配しているのはまさにプラズマだといえます。これまでプラズマの話を延々としてきたのは、近い未来、人類は生活圏を求めて宇宙へ出ていく運命にあると考えているからです。宇宙のほとんどを占めるプラズマやその仕組みを知るための物理学の原理原則を理解していなければ、応用もききませんし、宇宙を利用することはできません。

来世紀の初めには、宇宙農場、宇宙工場ができているでしょう。決してマンガの中の話ではありません。2年後には国際宇宙ステーションも完成予定です。人間は砂漠の端でもジャングルの中でも生きています。そんな適応性が高くてタフな生き物ですから、宇宙でも知恵を出して生きていけるはずです。

頭が大きくて手足がひょろりとした宇宙人がよく描かれていますが、私は実際に存在するようになると思っています。それはなんと、宇宙へ出た我々自身の姿なのです。地球では重力が働きますから、司令塔である脳に心臓がポンプの役目を果たして必死で血液を送っています。これが重力のない宇宙へ行くと、頭は血が回りやすくなって大きくなり、手足は重力の負担が減って筋肉がなくなり細くなって、まるで宇宙人のような見た目になるのです。もちろん無重力状態で宇宙生活をする場合に、ですが。もしどうしても重力が必要だということであれば、ドーナツ状の大きな人工都市を作って遠心力を働かせて重力場を作ればよいでしょう。宇宙での生活は慣れればきっと楽なものに違いありません。腰も痛くなりませんし、どんな方向へもスイスイ進めるのですから。どうですか。未来が想像できてきましたか。少し話が飛躍してしまいましたが、次号ではいま話題の地球環境問題と絡めて話をしたいと思います。

※1 シミュレーション科学については連載第2回 (vol.74) 参照。 https://daigaku-j.com/wp-admin/post.php?post=2577 にも掲載。

※2 磁界での協力の流れを仮想的に線に表したもの。

続き: 【物理がおもしろくなる物理の話⑦】- 地球から宇宙へ

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【物理がおもしろくなる物理の話⑤】
地球を取り巻くプラズマの世界

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松本 紘先生

~Profile~

1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

太陽風とアレン帯の発見

宇宙はプラズマに満ちていると前回お話しました。では、それらはどのような状態で宇宙空間に存在しているのでしょうか。

1958年、パーカー博士(ユージン・ニューマン・ パーカー)は「宇宙空間には常に太陽から噴出したプラズマ流(太陽風)が超音速で吹いている」とする。「太陽風理論」を発表しました。これは、宇宙は真空で太陽プラズマは太陽の大きな重力にとらえられていると考えられていた当時の常識を覆すものでした。パーカー博士は理論計算によって、太陽表面から離れるにしたがい外へ広がろうとする熱エネルギーが重力を超えてプラズマが流出することを明らかにしたのです。※2

一方、同じ年にガイガーカウンターという放射線量の計測装置を搭載したアメリカ初の人工衛星・エクスプローラー1号が打ち上げられました。放射線量のカウント数は地球を出てからどんどん上昇し続けましたが、ある所でパタッとゼロになりました。ゼロですからふつうに考えると「何もない。宇宙はやはり真空だ」と思いそうなものですが、バン・アレン博士(ジェームズ・A・バン・アレン)は「放射線が多すぎて装置が飽和したのだ」と解釈しました。その解釈は正しくて、バン・アレン博士は地球の周りをドーナツ状にとりまいた高エネルギー粒子(放射線・陽子)が多量に存在する放射線帯を発見しました。これは博士にちなんでバン・アレン帯と呼ばれています。

地球磁気圏とプラズマ

太陽風理論発表の数年後、人工衛星によって実際に観測された太陽風の存在は、地球を取り巻く宇宙空間の解明に大きく寄与しました。

前回お話したように、プラズマは非常に電気を通しやすい性質を持っているため、電流が流れます。一方で地球は磁気を持っていますから、地球上には磁場 (地磁気)が生じています。電流と磁石が互いに関係し合うことはみなさんもご存知でしょう。例えば、導線に電流を流すと、近くに置いた方位磁石が動きますよね。これは電流の周りに磁場ができるからです。スケールは大きくなりますが、プラズマ流が地球にあたるとどうなるでしょうか。

ブラズマは電子と陽子という電荷を帯びた粒子の組み合わせです。一個一個の粒子として扱うと莫大な量の粒子を追う必要が出てきますから、巨視的にある程度の塊(流体)として考えます。ただ宇宙のプラズマは単なる流体ではなく、電流と磁場と流体がさまざまに変動する電磁流体ですから、流体力学の方程式と電磁力学の方程式を組み合わせることになります。これが、1960~70年代に盛んになった電磁流体力学(MHD)の考え方です。私が学生だった頃はちょうどハンス・アルヴェーンの電磁流体力学の出始めでしたから、「宇宙は真空ではなかったのか」ととても興味深く勉強したものです。

太陽風は地球に向かって吹いてきますが、地磁気がありますから地球を直接通過せずに脇へそれます。そして、磁場をひっぱりながら太陽風は流れていきます。

地磁気が太陽風を支配している領域を地球磁気圏といいます。また、太陽風はものすごいスピードで流れていますから、磁気圏という障害に出会ったときに、”衝撃波(shock wave)”が作られます。衝撃波とは媒体中を超音速で伝わる波です。情報なしに、音が伝わるよりも速くやってくるから「ショック」です。そして、ショックによって流速、圧力、温度、密度などに乱れが生じます。流れがとまってしまう形になると、とまった分だけ運動エネルギーが熱エネルギーに変わります。1evか2ev程度で均一に流れてきたものの、衝撃波辺りで一気に熱くなり、 1evからKev、すなわち100000度から107度くらいの超高温のプラズマになります。

ちなみに、磁気圏の出発点ともいえる地球上空には電離層という領域があります。地球大気の上の方にある空気がプラズマになっているところです。酸素や窒素などの原子に太陽からの強い紫外線などがあたることで電子とイオンに電離されています。この空気からできた地球オリジンのプラズマは0.1eV,すなわち1000度程度。磁気圏の端から端までで地球周辺では熱いプラズマと冷たいプラズマが混在していて、それらも相互作用しています。

地球を取り囲む宇宙空間のイメージが湧いてきたでしょうか。遠い世界のことのように感じるかもしれませんが、オーロラが届いたり、電波障害を起こしたりと、地球磁気圏からのプラズマと私たちの世界はつながっています。宇宙に出ていく時代を生きるであろう皆さんには、宇宙を満たしているプラズマについて理解して欲しいと思いますから、次回ももう少しプラズマの話にお付き合いください。

※1 厳密には太陽をかこむ外層大気(コロナ)から噴出している。

※2 コロナは100~200万度と非常に高温。なぜ太陽から常に超音速のプラズマ流が出ているのか、その理由は未だ明らかでない。

※3 後にこれは一番だけでなく、内帯、外帯の二層構造になっていることがわかった。

※4 magneto-hydro-dynamics(電磁流体力学)。

※5 エネルギーの単位、電子ボルト(electronvolt)。

続き: 【物理がおもしろくなる物理の話⑥】- 物理のわかる宇宙人に

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【物理がおもしろくなる物理の話④】
プラズマの世界

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松本 紘先生

~Profile~

1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

宇宙空間は何もない空間?

前回は「生存圏科学」についてお話ししました。人類が現在の生活レベルを維持しつつ、文明を発展させていくためには、生存圏を宇宙へと拡大することが必要不可欠になるでしょう。

さて、人類が宇宙へと生存圏を広げて行くと、宇宙空間はどのような場所なのか、ということが身近な物理学のテーマとなってきます。よく「宇宙空間は真空である」と言われますが、みなさん「真空」とはどのような状態だと考えていますか。実は「真空」にもさまざまな解釈があり、古代ギリシア時代から議論がなされてきました。直感的に「真空」とは「何も無い状態」だと思われるかもしれませんが、仮に「真空」を「何も無い状態」だとするのであれば、先ほどの「宇宙空間は真空である」は正しくありません。

宇宙空間は決して「何も無い状態」なのではなく、そこには薄いプラズマが満ちています。それでは「真空」を満たしているプラズマとはいったいどんなものなのでしょうか。

物質の第四状態

たとえば、氷に熱を加えると水になります。エネルギーを加えたことにより固体から液体へと状態が変わったわけです。水に熱を加えると水蒸気です。今度は気体へと変化しました。気体ではひとつひとつの分子が自由に動き回っています。この分子にさらにエネルギーを加えると、どうなるでしょう。分子が崩壊して、原子へと状態が変わります。そこからさらにエネルギーを加えると、原子が崩壊して、原子核の周囲を回っていた電子が原子から離れます(電離)。原子核はプラスの電荷を帯びた正イオンとなり、電子は自由に動き回るようになります。

このようにして電離した物質の状態をプラズマと呼んでいます。プラズマは、固体・液体・気体の「物質の三態」のいずれでもないことから、「物質の第四状態(the fourth state of matter)」とも呼ばれています。

プラズマは、原子核(正イオン)も電子も電荷を帯びているため、全体としては電気的に中性でありながら、非常に電気を通しやすいという性質があります。

宇宙の99.999%以上はプラズマ

このようにプラズマの説明を聞くと、何か特別な物質の状態のように聞こえるかもしれません。しかし、実際には宇宙において、プラズマこそ一般的な物質の状態で、固体・液体・気体のほうがむしろ少ないのです。宇宙にある物質の99.9999%以上がプラズマであると言われています。

先述したように、宇宙空間が希薄なプラズマで満たされているというだけではなく、太陽をはじめとする恒星の内部やフレア、地球に降り注ぐ太陽風、稲妻やローソクの炎もプラズマなのです。オーロラが輝くのもプラズマによって説明できます。また、蛍光灯が光るのもプラズマによるものなのです。

これだけ宇宙を満たしているプラズマですから、宇宙全体に大きな影響を与えています。グレートウォールや超銀河団といった宇宙の大規模な構造がなぜ形成されたのか、という問いに対する有力な手がかりになっています。

私たち人類は、物理学の研鑽と科学技術の進歩とによって、ようやくプラズマの世界にまで到達しました。ただし、そのプラズマは「薄いプラズマ」です。太陽などの「厚いプラズマ」の究明は今後の課題として残されています。

続き: 【物理がおもしろくなる物理の話⑤】- 地球を取り巻くプラズマの世界

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【物理がおもしろくなる物理の話③】
必然的に訪れる、宇宙での生活

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松本 紘先生

~Profile~

1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

生存圏を科学する

今回は「生存圏科学」についてお話ししたいと思います。京都大学には、生存圏研究所があり、「生存圏」についての研究に取り組んでいます。

この研究所では、生存圏科学として、4つの研究ミッションを設けています。「環境計測・地球再生」「太陽エネルギー変換・利用」「宇宙環境,利用」「循環型資源・材料開発」の4つの分野について人類の生存を研究しています。

研究所が設立された当初は「生存」など大げさだとも言われましたが、最近では多くの研究者がこの分野に目を向けています。

「生存圏」という言葉が聞きなれないかもしれません。「生存圏」とは英語で”humanosphere”のことで、人間(human)が活動する領域(sphere)のことを意味しています。人間が活動する領域として、みなさんはどんな場所を思い浮かべますか? 町、田舎、山、川、海・・・・・・いかがでしょう? 賢明な読者であれば気がついたかもしれませんが、「生存圏」は固定された概念ではありません。文明の進歩とともに変遷する概念なのです。

地表から空へ 空から宇宙へ

私たち人類が大空を活動場所とするようになったのは、わずか100年ほど前のことです。つまり曾お祖父さん、曾お祖母さんぐらいの時代になって、ようやく技術をもって空に飛び上がれるようになったのです。それまでは水平にしかできなかった移動が垂直にも行えるようになり、加えて、空を使うことで水平移動も格段に速くなりました。 このことで、人間の移動が活発になり、今日のグローバル化された世界が到来したのです。

1960年代に入るとジャンボジェット機が世界の空を飛び回るようになり、空を利用した移動手段は一般の人々にも身近なものとなります。こうして、空が人間の活動する場所になっていったのです。

空へと飛び立つ技術はさらに進歩して、宇宙へと私たちの視線を向けさせました。最初に実用化されたロケットは1944年にドイツが軍事用に開発したV2ロケットで、100kmから150kmの高さまで打上げることができました。これは飛行機の航行する高度10kmを遥かに見下ろす高さです。

その後、技術は進歩し、1957年スプートニク号による人工衛星の打ち上げ、1966年人類初の有人宇宙飛行が成功、1981年スペースシャトルの打ち上げ、と宇宙を舞台に人類の活動が盛んになります。

現在、建設中の国際宇宙ステーションは高度400kmに浮かんでいます。生存圏はますます拡大して、宇宙の町や宇宙の工場といったものが遠くない将来に実現されるようになります。もちろん、みなさんもそこに行く機会があると思います。

このようにして、人類の生存圏は、地表から空を経由して宇宙にまで広がりました。将来は太陽系全域、さらにアンドロメダ星雲にまで広がって行くかもしれません。

生存圏が直面する危機

現在、人類の生存圏がさまざまな危機的状況に陥っていることが大きな問題となっています。急激な気候変動、食料問題、エネルギーの枯渇など、エネルギー・環境問題と言われているものです。

技術が進歩すると、 人々の生活はより便利で快適になっていきます。生存圏での人間活動がますます活発になっていく一方で、進歩した技術の恩恵に与れる人数には限りがあるため、その権利を巡って争いが起きることも考えられます。現在のような、先進国が発展途上国を抑えつけるような方法は決して理想ではありません。生存圏のキャパシティが足りないのであれば、足りるようにする方法を考えることが大切なのです。

仮に、世界中のすべての国が日米欧のような生活水準になるとすると、資源もエネルギーも現在の10倍以上は必要となります。希少資源の代わりになるものを見つけたり、リサイクルを推進したり、日本を含めた先進国が問題を解決していく必要があるのです。問題を解決する技術を作りだせば、世界から信頼される国になることでしょう。

そして、この問題を本質的に解決するためには、宇宙を使うことがもっともいい方法なのです。農地もエネルギー源も宇宙にはほぼ無限にあります。そのため、人類の科学と英知のすべてをもって、生存圏を広げていかなければなりません。

広い視野での学びを

みなさんには、人類の問題を解決するため、広く視野を持って勉強してほしいと思います。広い視野とは、身近な町を見る、国を見る、他の国を見る、 地球全体のマクロバランスを見る、グローバルな視野の中でミクロな現象を見る、という意味で、物理だけで終わらせないような学びをするということです。たとえば、東南アジアやインドの人々の生活に思いを馳せ、大気や森林の状態、そして宇宙の有り方を知る。このどれも欠けてはいけません。

生存のため宇宙を利用するのは、はるか未来のことではないのです。たかだか50年~100年ほど先の話で、みなさんの孫や曾孫の世代に関わる話です。みなさんの中には祖父母、もしかしたら曾祖父母の顔が思い出せる人もいるでしょう。みなさんの孫や曾孫も同じことです。顔の分かる相手から、遺産として手渡されるのは、生存できる環境なのか生存できない環境なのか、みなさんならどちらがいいですか? 今、それを選べる場所にみなさんは立っているのです。

続き: 【物理がおもしろくなる物理の話④】- プラズマの世界

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【物理がおもしろくなる物理の話②】
要素還元論的アプローチの限界

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1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長などを経て、現在に至る。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。
専門分野は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波工学、宇宙エネルギー伝送、生存権宇宙電波科学など。

前回、物理とは、物事を観察・観測して、実験を繰り返して理論を導く学問だとお話しました。実際、有名なニュートン力学や相対性理論もそうして生まれてきました。ところが20世紀中頃になると、それでは解けないような複雑な問題、これまでの観測と理論だけでは成り立たないことがたくさん出てきたのです。数学の世界でいえば非線形数学などのこれまでのきれいな数式では表すことのできない世界です。しかし解けないままで放ってはおけません。私たちは人間を含めて、小さな物から大きな物まで、全ての物の理を理解したいと考えているからです。

物理学は、ほとんどが分子や原子レベルといった人間活動と離れた物を対象としますから、これまではデカルトが有名な「方法序説」で書いているように、複雑なものでもどんどん小さく分解して分析すれば必ずわかるという要素還元論的な方法論によって行われてきました。しかし例えば、脳というものを考えた時、脳の構成要素である一つ一つの神経細胞はシナプスという組織でつながっていて、その間の情報伝達の仕組みや関与する分子一個一個が解明できたとしても、「なぜ意識が生まれるのか?」はわかりません。つまり、一つ一つわかったことをいくら積み上げて元に戻しても、全体像はわからないのです。

ありのままの状態で全体を分析するシミュレーション科学

自然界の現象ではみなそれほど単純なものはありませんから「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」などといわれます。これはカオスという現象を説明するための有名な喩えで、現実世界では原因と結果の間には単純な式には当てはまらないような様々な作用が生じているということを表しています。要素還元論だけでは不十分です。そこで、物事を全体から見て問題を解いていこうという考え方が生まれました。それをホリスティックサイエンスといいます。

しかし、これらの原因と結果、その間にある関係を相互作用も含めての理論式で表すとなると、非常に複雑な式になります。一要素については方程式を作ることができても、他の要素の影響を換算すると無限に可能性が広がっていきます。万有引力で引き合う3つの物体A、B、Cがどのように連動するかといういわゆる三体問題ですら従来の方程式では解けません。まして64億人もの人間について、Xが動くとYはどうなるか・・・などと考えていくだけでも気が遠くなります。理論では解けませんし、断念することもできません。しかし、前述の通り、ここで白旗を上げるわけにはいかないのです。

そうして生まれてきたのが、莫大な可能性の中からの中から範囲を絞り込んで連立方程式で一挙に解こうとの考えです。場合によっては、一億連立方程式、一兆連立方程式を解くのです。つまり、色々と分析をすることは捨てて、できる限りありのままの状態で、全てを包括して式に当てはめてみよう、という考えです。これが「シミュレーション科学」(計算科学)です。

エルニーニョ現象をシミュレーションする場合は、雲の動き、海流の温度など、関連する要素を全てモデル化して方程式に入れ、それらをスーパーコンピュータで一挙に解きます。すると、何らかの解が出てきます。地球全体を再現することはまだできませんが、地球規模での問題が増えている現在、ある程度限定すれば複雑に絡み合った現象を一挙に解くことができるシミュレーション科学は、これからの科学の進むべき一つの方向だと思います。

続き: 【物理がおもしろくなる物理の話③】- 必然的に訪れる宇宙での生活

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【物理がおもしろくなる物理の話①】
「もののことわり」を理解する

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1942年生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業後、同大学工学研究科で電子工学を専攻。67年、同修士課程修了。京都大学工学部助手、助教授、NASA研究員、スタンフォード大学院研究員、京都大学宙空電波科学研究センター長、同大学生存権研究所所長、京大総長を歴任。
学外では、国際電波科学連合会長、地球電磁気・地球惑星圏学会会長など歴任。2007年秋の褒章 紫綬褒章受賞。

「物理ってなんだろう」

中国の『礼記』という古い書に、「大学」 という一編があります。この中に、大学に必要な八条目という有名なことばが書かれています。八条目の初めに出てくることばは「格物」。物事の理(ことわり)を理解する、という意味です。その後に続くことばが「致知」、すなわち現象を見て知識を体系化するということです。

「物理」とは、まさにこの「格物致知」なのです。「致知」は知識を深める研究の部分といえますが、物事の基本を理解することが物理であって、古い時代から、最初に必要なものだと考えられていたわけです。

物理というと、覚えなくてはいけない公式だとか、抵抗や加速度といった目に見えない概念が多くて、ややこしいイメージがあるかもしれません。でも、実際は、そもそも人間とは何か、宇宙とは何か、自分はどこから来てなぜここに存在するのか、こうした大命題を議論する上で必要な、基本的な学問の1つなのです。教科書では、ある現象はある公式で表せるという”結果”を習うかもしれませんが、その公式は、「この自然現象の仕組みはどうなっているのだろう」というところから導き出されているのです。1つの公式を覚えることが、実は世界の仕組みの1つを理解することにつながっているのだと考えるとわくわくしませんか?

木から落ちるリンゴを見て「なぜ月は落ちてこないのか」と疑問を感じたニュートンが万有引力を発見したといわれているように、物理学の出発点は、私たちの身近な日常生活にあります。仕組みを解明するために、まず物事をしっかりと観察して、それを定量的に観測し、「これとこれは関係しているかもしれない」といった実験を積み重ねて、出てきた結果を理論としてみんなにわかるようにまとめる、それが物理なのです。

21世紀、物理学が向かうのは

現代社会を見ると、20世紀はまさに「物理学の世紀」でした。物理学は、製品を生産して生活を便利にし、人々のwelfareに貢献してきました。一方、21世紀は「生命科学の世紀」といわれます。20世紀には学問になっていなかった生命科学ですが、DNA、RNAといった遺伝子レベルの世界が明らかになってきて、新しい学問の基盤を作りました。生物の細胞レベルからさらに小さな分子や原子の世界の関係はどうなっているのか、ということが学問の対象になってきたわけです。

ところでこの分子、原子レベルというのは、まさに物理化学の世界です。20世紀の間は、人間のためではあっても、モノやエネルギーなど非人間的なものを対象として、格物致知が行われてきました。それが、21世紀の生命科学では、生命、人間といったものが対象になっているのです。例えば、なくなった耳をどう再生するかを考える再生医科学など、これまでは夢物語だったことが、現実の可能性になりつつあるのです。

生命科学は、物理の世界ではありませんが、分子、原子レベルやさらに小さなナノレベルなどの、微細な物理学が反映されています。生物学は分類学的な要素が大きいので、対象とする世界はマクロなものです。物理学の対象はミクロな世界ですから、ちょうどその間のメゾスケールの部分が、生物学と物理学とをつなぐ、今後重要になってくる部分だと思います。

未来の話にはなりますが、これらがつながれば、人間の脳、心、精神についてもサイエンスの目からかなりのことが理解できるようになるかもしれません。

大きなスケールで物理学を

6回の連載では、物理学の格物の世界から、こうした生命、人間に関わるところまで、お話していきたいと思います。本当は、さらにその先に社会学、哲学などの人文科学の世界があります。先の八条目では、格物致知の後は、誠意正心、修身・・・と人の心という未科学の分野へ展開していきますが、いまやそうした分野であっても、医学・心理学・脳科学などさまざまな専門家が集まって研究を進めています。そして、脳科学のベースは神経から細胞へと物理学にも関わってくるのです。すべてがつながっているのです。ですから物理学は八条目の初めに書かれたことだけをやっていればいいのではありません。「人や社会をいかにハッピーにするか」を考えることが私たち科学者の基本だと私は考えています。エネルギー枯渇や環境問題が問題になる中、私自身、未来の人類を救うものとして「宇宙太陽発電所(SPS)」や「太陽系文明の基盤」についても研究してきました。そうした話も書いていくつもりです。

人間を中心に世界を広げて見ていくと、地城、日本、世界、地球、太陽系、銀河系、大宇宙まで広がります。逆に分解していくと、手足、細胞、分子・・・と最後に物理学の世界になっていきます。幅広くつながっている物事を見ながら、大きなスケールで物理学をとらえていきたいと思います。

※八条目: 格物, 致知, 誠意, 正心, 修身, 齐家、治国, 平天下

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生命科学からSDGsにも貢献

目指せ!グローバル人材
グローバルイシューの解決を目指せ!

京都産業大学生命科学部

地球温暖化に加え、世界的な環境汚染の進行、食糧問題等への意識の高まりなどを背景に、持続可能な開発、SDGs※1への対応を求める声が一段と高まっている。これを受け、利潤を追求する企業の集まる実業界においても、企業価値を高めることに直結するとして重視されるようになってきた。教育機関ではESD教育(EducationforSustainableDevelopment:持続可能な開発のための教育)が推進されているが、とりわけ高等教育機関の生命科学分野では、教育・研究対象がSDGsに直結する分野も多く、研究倫理の徹底ともあいまって、急務と考えられている。今春開設し、新しい生命科学の教育・研究拠点を目ざす京都産業大学生命科学部の取組を、SDGsへの対応の観点から紹介する。

※1国連サミットによる2016年から2030年までの「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された国際目標で、17のゴールと169のターゲットからなる。

新しい理念、設計に基づく生命科学の拠点が誕生

 「現在、地球上には100万を超える生物種が個体群を作り、群集を構成し、生態系の中で複雑な関係を構築しながら生活している。環境と生物の相互作用や生物の環境への応答、生物の変化や多様性等はどのようにすれば維持できるのか?」(「環境生態学Ⅰ」)、「長期に亘る人為の関わりによって成立してきた集落、二次林、農地、ため池、草原などから構成される里山の生態系の特徴、生物層等の変化について学び、生物多様性の観点からその評価のための技法を学ぶ」(「里山生態学」)

 いずれも京都産業大学生命科学部で、2年次以降に学べる授業である。
生命科学の時代ともいわれる21世紀。遺伝子(ゲノム)の基本的な仕組みの解明から、遺伝子組換え技術、ゲノム編集、クローン技術の開発やiPS細胞の発明などによって、医療や食糧生産における人類の長年の夢は着実に実現されつつある。また新しいDNA解析技術による生物多様性の保全などへの期待も膨らむ。
一方、生命の操作、デザイナーズベビーなど、生命倫理上の問題、その負の側面も表面化し始めている。また市民の生命科学に関する基礎的知識や、その社会への応用についての理解不足、その是非についての判断能力の低さが指摘される一方で、専門家の側には説明能力を高めることが求められている。先端研究やその産業応用に力を入れることはもちろん、それらを社会へ発信する能力や、持続可能な開発に高い意識を持った人材の育成は急務である。

 こうした中、「自然と人間が調和する、健全かつ豊かな社会の実現に向けて、生命科学に関する正しい専門知識と技術を備え、生命科学の発展と社会における活用に貢献できる人材の育成」を目的に、京都産業大学では、今春、生命科学部を開設した。

1989年、国内の私立大学ではもっとも早く、生命科学研究の拠点として、工学部生物工学科を開設した京都産業大学。2010年には、「生命現象の原理追求、感染症の原因究明とその治療の応用分野、さらには、食糧資源、地球環境等の社会科学的問題の解決につながる研究」などを目的に、総合生命科学部(生命システム学科、生命資源環境学科、動物生命医科学科)を開設し、今春改編して、生命科学部として開設された。

新学部は《医療・健康》《食料・資源》《環境・生態》という、社会と暮らしを網羅する3領域を主たる対象とし、先端生命科学科と産業生命科学科の2学科で構成される。 先端生命科学科が前身の学部の教育・研究内容を引き継ぐのに対し、産業生命科学科は、人文・社会科学系の学びを新たに取り入れ、文系の生徒にも門戸を開く。「生体分子の構造・機能の解明という基礎分野をもとに、生命科学と社会との結びつきを意識し、生命科学の知識を実社会で活用する実践力を養う」(「自然科学の知識に社会科学的な視点を加味する」)ことを目的としていて、生命科学の教育・研究に新たな視点を加えるものとして注目される。この学科が加わることで、学部全体の専門分野も、前身の学部から引き継がれる生化学、分子生物学、構造生物学、細胞生物学、生理学、遺伝学、微生物学、ウイルス学、動物実験、保全生物学に、社会科学系の創薬医療ビジネス、生物資源学、経済学、環境経済学などが加わり厚みを増す。

学部全体で社会とのむすびつき、持続可能な開発を意識

産業生命科学科を加えた新学部では、生命科学と社会とのむすびつきを意識したコース、カリキュラム等が随所にみられる。

産業生命科学科の「環境と社会コース」では、2年次から3年次春学期にかけて、「地域環境論」や、冒頭に紹介した「里山生態学」、それに「環境経済学」「環境アセスメント」※2などを学ぶ。先端研究が主体の先端生命科学科でも、「環境・生態学コース」では冒頭に紹介した「環境生態学」を学ぶほか、「公衆衛生学」、絶滅危惧種の維持、管理に必要な生態学や遺伝学の理論を学び、実例をもとに生物の保全に関連する基礎を学ぶ「保全生物学」などを学ぶ。

 ちなみに各学科は2年次以降コース制になっており、先端生命科学科は、「生命医科学」「食料資源学」「環境・生態学」、産業生命科学科は「医療と健康」「食と農」「環境と社会」の、それぞれ3つの主コース(いずれも2年次から)を持つ。それに副コースとして、「グローバルコース」「教職コース」の2つの共通コースに、先端生命科学科では別に、「実験動物技術者養成コース」「食品衛生管理者養成コース」がある。
新学部の学びの特徴はカリキュラムにも反映される。
両学科とも科目区分は、共通教育科目、融合教育科目、専門教育科目で、専門教育科目はさらに学部共通科目と学科専門科目にわかれ、しかもそれぞれに基盤科目、展開科目が置かれる。

 このうち共通教育科目では、先端生命科学科でも人文・社会科学領域から各4単位を選択必修とするなど、社会との結びつきを学ぶことに力を入れる。
融合教育科目は、産業生命科学科では、他の4学部(経済・経営・国際関係・理学部)が用意する「医療経済学」「農業政策」「環境経済」「環境マネジメント論」「国際資源エネルギー論」など14科目から、4単位を上限として卒業単位として認定される。ワンキャンパスというメリットをいかして、他学部の豊富な人文・社会科学系の学問を学ぶことで視野を一層広げるとともに、様々な学問、分野・領域との様々な融合に期待がかかる。
専門教育科目では、先端生命科学科でも基礎科目として「生命倫理」を必修とするなど、社会科学系の科目を重視している。また選択科目だが、冒頭に紹介したような授業も学ぶ。

 このような特徴をもつ新しい学部について、学部長の寺地徹教授は、「生命科学の研究成果が社会に受容されるには、自然科学の知識に社会科学的な視点を加味することが欠かせない。生物工学科の時代以来、私たちはSDGsに貢献するような研究を数多く行ってきているが※3、今後は研究成果だけを追い求め、アピールするのではなく、それらが、医療や食料問題の解決、環境関連ビジネスにどのように貢献するのかなど、社会科学の観点も交えて明確にしていきたい。その上で社会とのむすびつき、SDGsを意識した研究人材、生命科学の知識を備えたビジネス人材、いわば世界の課題解決に貢献できる人材を輩出していきたい」と抱負を語る。

※2環境アセスメントとは、開発事業などを進めるに当たり、事業の実施が環境に与える影響について調査・予測・評価すること。この授業では、環境アセスメントの事例を示し、その方法や結果の利用、また環境、影響、評価方法など法的な裏付けについて学ぶ。

※3SDGsへの貢献を目指す研究
ウイルス学が専門の研究室では、鳥インフルエンザの猛威に東アジアが震撼した際、その予防や独自のマスクを開発するなどして社会に貢献。日ごろは東アジアまで視野に入れた地道な渡り鳥研究などを行っており、多くの学生もフィールドワークに参加している。
喫煙による肺がん発生のメカニズムや、メタボと糖尿病などの予防についての研究も充実するほか、希少動物、絶滅危惧種の研究も盛ん。この研究では、日本の食肉、畜産における課題に早くから警鐘を鳴らすなど、食糧問題にも貢献してきている。

居るのは つらいよ

東畑 開人 医学書院 2019年

雑賀 恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大 阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食につい て』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 それでいいのか?それが仕事なのか?それは価値を生んでいるのか?それ、なんか、意味あるのか?

 京都大学大学院教育研究科で博士号を取得した臨床心理学徒である著者は、大学教員や研究員を目指して就職活動をする周囲の院生を尻目に、臨床心理学を学んだ以上はカウンセラーとして現場で実践すべきだと病院での職を求めて燃えていた。だが、その理想と意気込みは現実を前にあっけなく崩れる。臨床心理士の仕事の募集自体はあるが、多くは時給の高くない非常勤、たまにある常勤募集でも既に結婚して子供のいる著者は暮らしていけない給与だ。ようやく見つけたのが、沖縄の精神科クリニック。下目にみていたケアではなくセラピーをしたいと、乗り込んだ仕事先で指示されたのは、「とりあえず、その辺に座っておいてくれ」。つまりは、精神に問題を抱えている人たちの居場所であるデイケア(社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムに従ったグループ治療)が実際の仕事場だった。いわば「そこに居る」だけという仕事。で、冒頭の自問が湧き出す。 

 「新米ハカセの青春日記」とでもいったまるで一人称小説を読んでいるかのようにユーモア溢れた軽やかな筆致で、そこでの日々が綴られる。ハゲ、デブ、ガリの男性看護師3人組、医療事務ガールズ、オツボネ看護課長、メンバー(デイケア利用者)のフィーバーする歌姫、恋に飲み込まれるリュウジさん、ヤクザに追われ続けるヤスオさん…。登場人物には事欠かない。そしてかれらの何人もが去って行く。著者もだ。が、物語ではない日常は、結末を持たず終わらない。

 出会ったデイケアの日常にたじろぎ、立ち止まり、戸惑う。戸惑いをいろんな理論とすり合わせ、ぐるぐると思考を巡らしながら、人の生を支えるケアというものについて迫ろうとする。中身は意外に(?)骨太の本だ。近代科学は心と体を分離したが、分けられない「こらだ」(中井久夫)に触れること。依存労働(E.F.キティ)としてのケア。何もしない時間について。ケアの相互性(「傷ついた治療者」理論、ユング)。ケアする/される、と分節できない、中動態としてのケア。

 そして、一般社会に居辛い人たちの避難所であるデイケアが、時として収容所に転化してしまうのはなぜか。生産性を重視する資本主義社会にあって、「会計の声」がセラピーとケアに価値の高低をつけ、現場をブラック化させる現状への苛立ち。

 ここに描かれた「居る」をめぐる論考は、学校でも、家庭でも、あるいは青春を彷徨っているものたちにも何かの手がかりになるのではないか。多分。

日本での生活を振り返ったデビュー小説で祖国ウクライナの文芸賞を受賞したエバ・ハダシさん

目指せ!グローバル人材

音楽大学卒業ま近、短期間だが初めて日本を訪れ大きな刺激を受ける。卒業後は日本語と英語を専攻にして、国際文化交流と芸能活動を目指してきた。

西と東が出会う時

 「21世紀になっても、ヨーロッパ人にとっては日本はまだまだ秘密が多く、なかなか理解しにくい国です。ヨーロッパと反対の方向を向いたら、そこに日本があった」日本に来た理由について、エバさんは短くこう言った。

 エバ・ハダシはエフゲーニャさんの芸名である。ウクライナで生まれ、背が高く金髪、高い鼻のヨーロッパ人的な風貌から、エバさんは流暢な日本語を喋る。大学時代にウクライナ国立チャイコフスキー記念キエフ音楽院の指揮科で学ぶ際、何語を第二外国語に選ぶかを学長と相談した。その結果、ヨーロッパ人には勉強しやすいヨーロッパの言語より、あまり勉強されていない日本語に挑戦することを決めた。そして、東京にある語学学校に短期留学。そこで日本文化に魅了されたのがきっかけで、キエフ音楽院卒業後は、ウクライナシェフチェンコ記念キエフ国立大学の東洋学部に進学、日本人の礼儀と敬語についての研究で言語学修士を取った。その後、「明治時代の日本音楽における西洋文化の影響」を博士論文のテーマとしてウクライナ国立チャイコフスキー記念キエフ音楽院で研究、一昨年(2017)、博士号を取得した。学生時代から挑戦し始め、博士号を取る今日まで、日本での滞在歴は10年、日本人との繋がりも深まった彼女にとっては、日本の生活は人生の大事な部分である。  

 音楽、言語の才能に恵まれたエバさんは、ボーカリスト、シンガーソングライター、モデル、ラジオ・パーソナリティなど様々な顔を持つ。日本人の子どもに英語も教える。豊中市立の小・中学校で教えた時には、評価が満点だったことを彼女は誇りに思う。「最初の講義では世界地図を子どもたちに見せる。日本はどこですか。全世界と比較してみると小さいですか。日本語さえできればどこでもいけると思いますか」、彼女は眼の前に地図があるように上手に説明してくれた。「そして、子どもたちは驚いた声で日本は小さい、外国語を勉強するべきだねと言って、やる気を出す」と彼女は笑顔で話してくれた。

 確かに世界は、広くて多様性に満ちている。しかしいろんな国、いろんな地域を明確に区別しても意味がない。エバさんは、区別より同一性が大事であると言う。その理想を胸に、彼女は「West and East(西と東)」というプロジェクトに取り組む。日本人の目から見ると、日本、中国、韓国などの東アジアの人々以外は全部西方人である」と彼女は言う。だからこのプロジェクトでは差異性を認識したまま、区別を特に強調せず、同じ人間性に注目する。  2019年に自身で作詞したオリジナル曲を集めた音楽アルバム「ウエストとイースト」には、西と東を融合するという彼女の理想をこめた。エバさんは次のような歌詞を書いた:

West と Eastこの議論は終わらないでしょう。
宇宙人との積極的な交流が始まれば いいのかしら?
地球は一つ、人の心も一つ、泣くことも、笑うことも、愛することも、訳す必要がない。
We all cry,
we all laugh,
We all love,
we all die,
In the same language.

 歌に託した理想をより鮮明に表現したのが、3年半かけて書いた処女作である自伝的ノンフィクション小説「ウエスタン芸者」である。そこには、西から東へやってきた自分の生活を描いた。イントロダクションは国際的で、学生時代の様々な国への観光と留学の経験が。 その後は日本からウクライナへ、ウクライナから日本へ、そして日本からウクライナへと繰り返す生活に沿って進められていく。この小説はウクライナの有名な文芸雑誌に一部が掲載されたのをきっかけに、2017年に出版された。そして2019年6月、ウクライナの文学賞Koronaziya Slova(言葉の戴冠式)を受賞した。この賞は、小説、演劇の台本、映画の台本、歌詞の4つのカテゴリーで、ウクライナ語文学に貢献した作品に授与される。今年は約6000本のエントリー作品から十数本が選ばれた。「ウエスタン芸者」は、特別賞「インターナショナル・セレクション」、国際的に認められているウクライナの文学作品であるとして受賞した。西や東、どこに生活していようと、人間は人間として生きている。これこそが、この小説が人の心を動かす理由であろう。

 ウクライナでは紙による出版のマーケットがまだまだ盛んなようだ。インターネットのソーシャルメディアによる交流より、友人同士で顔を合わせ、一緒に座って、コーヒーを飲みながら話す方が好き。つまり、日本より時間はゆっくり流れる。「あんまり人に会って話すことができない。その意味では、日本にいるときにはたまに寂しいと感じる時がある」とエバさん。「しかし、ウクライナの経済が日本のように発達したときには、たぶんそのゆっくりとした生活習慣もなくなるだろう」。コンビニで買ってきたコーヒーを飲み終わって、エバさんが肩をちょっとそびやかした。「世界の発展は誰にも止められない。エバ・ハダシも、このプロジェクトを進めるために、勇気をもって新たな挑戦を続けていきたい」。  ハダシは日本語の「裸足」からとった。「ゼロから」、「過去の困難を乗り越えて新しいスタートを」という意気込みを表すためだ。人生にはいろんな困難がつきまとうが、それは様々なチャンスを与えてくれるものでもある。いつまでも新たに挑戦する心をもつ、どんな世界にも心を開く人は、みなグローバル人材であろう。

取材/ライティング 劉(りゅう) 高力(かおり)
留日学生、京都大学の文化人類学博士後期課程でパキスタンにおけるジェンダーと民俗について研究している。

目指せ!グローバル人材

ヒント1 グローバルイシューに向きあおう

「国連子供環境ポスター原画コンテスト」から子どもの絵

カナダ14歳
ロシア

資料提供:総合地球環境学研究所(京都市北区)

上の絵は、現在SDGsを掲げる国連が、1991年から2016年まで、6歳から15歳の子供を対象に毎年行った「国連子供環境ポスター原画コンテスト」の応募作品。当時の地球温暖化や水問題、生物多様性といったテーマに加えて、最近は微細プラスチックによる海洋汚染の問題も新たに浮上しています。今回は避けて通ることのできないグローバルイシューについて、AI時代に注目されるワークシェアリング、またSNSの問題など、海外からの寄稿をもとに考えてみたいと思います。

特別寄稿 働き方の未来 オランダのワークシェアリングに学ぶ
リヒテルズ直子(オランダ在住社会事情・教育研究所)

パートタイムで働くのが当たり前の社会

長女は、出産を目前に控えた31歳。ホームドクター(総合家庭医)として週に4日働いていたが、出産後はしばらく様子を見ながら週2日働くつもりだという。パートナーはインターナショナルスクールで働く教員。今はフルタイムで働いているが、子どもが生まれたらしばらくは週4日の勤務にする予定だ。

オランダでは、小学校低学年ぐらいまでの子どもをもつ夫婦の多くが、共に週の勤務日を少しずつ減らして育児を共同で負担している。それは、自営業や教員だけでなく、企業の職員や公務員でもそうだし、管理職者や研究者でもそうだ。また育児や家族の介護が必要な人だけではなく、特に理由がなくても、1週間の仕事をフルタイムでしていない人は多い。

パートタイムといえば、日本では、非正規雇用の代名詞で、フルタイムに比べると賃金にも待遇にも差があるのが当然、出産時の手当などもってのほか、風邪をひいて1日休んだだけで解雇されるのではないかと心配になると聞く。パートタイムの仕事は、フルタイムの仕事に比べて軽視されており、責任ある仕事はフルタイムの仕事だという思い込みも強い。

しかし、オランダでパートタイムで働く人は、皆、フルタイムの職員と同等の給与(例えば3日働く人は5日働く人の5分の3)を受給し、有給休暇・出産時の休暇などの社会保障はもちろん、現職研修のための手当てももらえる。労働条件も当然同じだ。同時に、パートタイマーたちは、フルタイムで働く人と同様、収入に対して納税義務もある。どの人も必ず収入の38%ほどの社会保障費を払い、高福祉の財源を担っている。

また、雇用者は、職員が何らかの理由で週当たりの就業時間数を減らしたいと申し出た時に、それを理由に解雇することは法律で禁じられている。結果、今や、学校教師のほとんどは週に3ー4日の勤務で、クラス担任は二人で担うのが当たり前、校長すらも4日しか働いていない場合が多い。担任が二人になれば指導に問題が起きないかとの心配もでそうだが、親もほとんどがそういう働き方をしているので、それを理由に不服をいう人はほとんどいない。 息子は、週に4日建築事務所で働き、週に1日は大学と高等専門学校で学生の指導をしている。教育機関で若い人たちを指導することで、建築家としても常に新しい情報をアップデートできる。他方、学生たちには、理論だけではなく、現場の先端情報が伝わり役に立つ。

ワークシェアリングの制度ができた背景

こうした働き方を選べるのは、オランダにワークシェアリングの制度があるからだ。

 実を言えば、「ワークシェアリング」という語はオランダではあまり使われていない。何か一つの仕事を分け合っているのではなく、多くの人がパートタイムで仕事をしているという感覚だからだ。現に、企業でも公的組織でも、フルタイムで働き続けなければならないような仕事ばかりだとは限らず、週に3、4日でこなせる仕事はいくらでもある。上記のように、この制度は、フルタイムとパートタイムを区別しない「同一労働同一待遇」の制度というのが正しい。 この制度が確立したのは1982年。第1次石油ショックの煽りを受けて経済が停滞し、失業率が12%にまで上がったときに、政府・労働者・企業(政労使)が話し合いをへて合意して実現した。どの国にも労使闘争は有り、労働者の賃上げ要求は定番だ。しかし、当時のオランダの労働者たちは、企業家に対して、統計データ上可能な最大限の賃上げではなく、抑制的に賃上げを要求した。その代わりに、誰もが少しずつでも働けるようにパートタイム就業の正規化を求めたのだ。労働者たちは、企業に投資力を残し、賃金上昇を抑制して人件費を抑えることが、ヨーロッパ市場におけるオランダの競争力を維持し、ひいては、オランダ社会の安定につながることを理解していた。実際、この合意成立のおかげで、1990年代には、オランダ病とまで呼ばれていた経済不況から脱し、周辺諸国が目をみはるほど経済が回復した。その目覚ましい回復ぶりに、イギリスの経済学者は「ポルダー・モデル」と名付けた。他国では、労使間の利害対立のためになかなか実現することができない経済問題を、国を共に守るために腹を割って合議し解決策を見出したからだ。

ワークシェアリングの利点

ワークシェアリングの利点は色々挙げられる。

まず、働き方が、ゼロ・サムの二者択一ではなくなる。家庭と仕事を両立しやすくなる。育児や家事の夫婦共同負担が可能となる。高齢化する親や障害を持つ家族の世話をする時間を作りやすい。社会保障をフルタイマーと同じように提供する制度にすれば、働きやすくなる人材は多い。納税義務は国庫財政を安定させる。

とりわけ、力のある女性の才能を社会に活かすには、ワークシェアリングの制度は実に有効だ。日本では、学者、専門家、企業や公的機関の管理職などにつくだけの力を持った高学歴の女性が、出産と育児、また、家族の世話のために仕事を辞めてしまうケースは今も多い。国がせっかく高等教育に投資していても、大半の女性が中途で仕事を辞めるのは無駄という他ない。

男性の中にも会社の仕事ばかりではなく家庭で子どもたちと過ごしたいと考える人は多い。現に、就職したばかりの若い男女ですら、年に4−5週間の有給休暇を取るオランダは、「親となんでも話せる」という子どもたちの比率が高く、幸福度が高いことで知られている。実際、両親のいずれかが平日でも週に3日は家庭にいるというケースが多く、保育所に通うのは週に2、3日というのが普通だ。子どもは親にゆったりと育てられればそれに越したことはない。日本の保育所不足にも解決の道が見つかるはずだ。 皆がこのように勤務時間以外のプライベートな時間を尊重すれば、人々の社会参加も活性化される。父親でも保育所や学校を訪問したり協力したりする時間が増え、母親だけではなく、父親も子どもたちの養育に関心を持つようになる。ゆっくり世の中のニュースに耳を傾け、政治意識を持ち、社会参加意識が高まる。高齢化社会の進行とともに、社会福祉の地方自治体への分権化が進んでいるのは日本もオランダも同じだが、その時に必要なボランティアの人材は、パートタイムの仕事が正規の仕事として保障されているオランダの方が圧倒的に多い。

AI時代の到来に向けて

こうしたオランダ社会の人々の働き方を見ていると、しばしば、先進国社会のあるべき未来への示唆が垣間見える気がする。

私自身は、AIの到来は悪いことばかりではないと思っている。確かに消滅する職種もあるだろうし、これまでの学校が力を入れてきた認知的学力は、まさしくAIが得意な分野で、今後の社会ではそれだけを身につけていたのでは十分ではなくなる。しかし、人間がその知恵や共感力や質の高さを追求する態度などを用いなければならない職種はこれからも増えるだろうし、急速に進む技術革新とともに、転職は避けられず、在職で学び続けることも一層強く求められるだろう。

むしろ、これからの時代を生きていく人々に必要なのは、独創的な技術やアイデアを生む創造力、変化に耐え新しいものを学び続ける忍耐力、言葉や文化や宗教の異なる他者の声を受け止め自分の意見を伝え、お互いの力を生かして協働でより大きな成果を生み出していくスキルと態度だろう。

こうした生き方は、これまでのように、自分が務めている企業の業績目標だけを考えて働く生活からは生まれようがない。家庭や社会で「生きている」時間が必要だ。それは、勤労に対する「休養」ではなく、人間らしく「生きている」時間だ。元来、人は、生きるために働いているのであり、働くために生きていたのではないはずだ。 おそらくこれからの日本に必要なのは、パートタイムで働くことの利点を受け止め、私生活を充実させることの利点を見出す意識と、誰もが自分らしく自分のニーズにあった働き方が安心してできる制度を生み出していくことだろう。


ヒント2 アメリカのティーンのSNS事情

福田 恵子

~Profile~
日本の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、フリーランスのライターとして、アメリカで活躍する日系人及び日本人と教育分野に焦点を当てて取材活動を続ける。ロサンゼルス近郊在住。
どんなSNSを使っている?

 日本でもティーンのスマホ依存、SNS依存という問題が叫ばれているが、アメリカではどのような状況なのかについて調べてみた。ちなみに、ティーンという定義は「十代」ではなく、13歳から17歳の年齢層を指す。

 コモンセンスメディアの調べでは、2012年から2018年の間にティーンのスマホ所有人口が劇的に伸びたことが分かる。2012年、スマホを持っていた割合は41%、それが2018年にはその数字は89%に跳ね上がった。2012年に1日のうち複数回SNSにアクセスするティーンは34%、2018年には70%となった。

 では、アメリカではどのSNSに人気があるのだろうか? 人気増が最も顕著なのがInstagram(インスタグラム)。ティーンのうち72%がアカウントを開設して、実際に使用している。2015年にはその数字は52%だった。他方、Facebook(フェイスブック)の人気ははっきりと下降している。2015年にはティーンの71%が使用していたが、2018年には51%になった。 また、一番利用するSNSについて聞いたところ(2018年)、41%のティーンがSnapchat(スナップチャット)と回答。Instagramは2位で22%、Facebookは15%で3位だった。さらに、インターネットを現在進行形で利用中のティーンの実に96%が、YouTubeを視聴している。YouTubeの人気が絶大であることが分かる。

 なぜ、SnapchatやInstagramなのか、そしてなぜFacebookを好まないのかについて、カリフォルニア州レドンドビーチ在住の高校生(女子、16歳)は次のように答えた。「Snapchatは気軽に友達とやりとりをするのに最適。Instagramはアカウント名を本名ではなくニックネームにできるので利用しやすい。友達との連絡にも(Instagramの)ダイレクトメッセージ機能を使うことが多い。Facebookはアカウント名が本名なので利用しづらい。それにかなり年齢層が高めの人のSNSというイメージがありハードルが高い」。

 日本でメジャーなLINEはアメリカではほぼ無名に等しい。アメリカ在住の韓国系、日系の人々を中心に利用されているのが実態だ。  次に、「人とコミュニケーションを図る際に最も好む方法」について聞いた結果は、2012年は実際に会うことが49%でトップ。次にテキストメッセージ(日本の場合のショートメール)が33%、3位はSNSで7%、4位がビデオチャットで2%だった。ところが、2018年の調査では、1位と2位の順位が逆転した。1位がテキストメッセージで35%、2位が実際に会うことで32%、そして3位のSNSは9%伸びて16%に、4位のビデオチャットは8%伸びて10%になった。つまり、実際に会って相手と話すことよりも、2位から4位を合計すればテキストメッセージやSNSを介してやりとりすることをティーンは好むようになっているのだ。

SNSはプラス?それともマイナス?

 では、これらSNSは、利用する彼らにどのような影響を与えているのだろうか。前出の調査(2018年)によると、ティーンの57%が宿題をする際にSNSに気を取られて集中できないと回答している。宿題以外にも、人と一緒にいる時でもSNSの方に気持ちが向いてしまうと回答したティーンは54%もいた。また、スマホを所有しているティーンの29%が、「夜寝ている時に電話、テキスト、SNSの告知音によって目が覚めた経験がある」と回答している。つまり、これらはネガティブな影響というべきだろう。

 ただし、2018年にピュー・リサーチセンターが実施したティーンを対象にした調査によると、SNSが与える影響は概ねポジティブだと回答したティーンは31%で、ネガティブと回答した24%を上回った。ポジティブであると回答した人の多くが「他者と気軽に交流できる。しかも友達に限らず、新しい人ともSNSを通じて知り合える」と答えた。以下は実際にティーンから寄せられたコメント。 

「SNSは遠く離れた家族と話す手段として効果的」(女、14歳)、「SNSのおかげで寂しさを感じることが少なくなった」(女、15歳)、「自分の意見や感情をSNSで表現することで、同じ気持ちを持つ人たちと共鳴できる」(女、15歳)、「世界中のどこにいてもSNSで容易に繋がる。また、助けが必要な人を救うために呼びかけることもできる」(女、15歳)、他方、いじめに活用されることも少なくない。

 「憎しみの感情をより多くの人に拡散してしまう」(男、13歳)、「言いたいことが自由に言えてしまうのでマイナスな影響もある」(男、15歳)、「SNSでの発言がきっかけで自殺を引き起こすことがある」(女、14歳) オンラインでの繋がりに慣れすぎる弊害についてコメントしたティーンもいた。 

「SNSを中心に人とやりとりすることで、実際に会って話すことが苦手になってしまうのでは」(女、15歳)、「自分の生活を飾って伝えることも可能なことから、人の真の姿が見えなくなる」(女、15歳)、「常に手元の携帯でチェックする癖がつき、宿題が進まない。それが最大の弊害だ」(男、17歳)  以上のコメントについては、日本でも同意するティーンが多いのではないだろうか。

学校におけるスマホの規制

 このような状況を受けて、学校での携帯電話使用を規制する動きもにわかに活発になっている。カリフォルニア州では校則での使用禁止を州法として成立させようと、2019年3月に日系のアル・ムラツチ議員が法案を提出した。ただし、ムラツチ議員の法案では、キャンパス内における携帯電話の使用を制限、もしくは禁止することを校則に盛り込むことを義務化させるものの、細かいルールに関しては学校に委ねるとしている。

 「教室での携帯電話の使用が授業の妨害になっていることが明白である以上、携帯電話の使用に関して学校ごとに取り決めることが不可欠であると考える」とムラツチ議員。カリフォルニア州トーランス学校区の元理事でもある同議員によると、州内の多くの学校区では携帯の持ち込みがすでに禁止されているという。しかし、まだ徹底されていないため、州法で義務化しようとしているのだ。「スマホの画面に必要以上に気を取られることで、社会性や豊かな感情を育むのに負の影響が大きくなることは否定できない」と、ティーンのスマホへの過度の依存を正常な状態に戻す取り組みが始動している。

スポーツの力で社会を変える人材育成をめざす

デキル!学部 尚美学園大学 スポーツマネジメント学部(2020年4月開設)

芸術情報学部、総合政策学部を擁する尚美学園大学(埼玉県川越市)は、東京オリンピックが行われる2020年にスポーツマネジメント学部を開設する。エンターテインメント系・ビジネス系分野との融合で社会のニーズに応える“新しいスポーツ学”を創出し、「一億総スポーツ社会」実現に貢献する人材を育成する。

拡大するスポーツの世界

 スポーツの世界の裾野は広い。それは、チケットの予約販売が始まり、施設建設が急ピッチで進む東京オリンピックの進展状況を見てもわかる。世界中から訪れる選手や観客をもてなすためにボランティアが外国語を学び、練習の場を提供する地方自治体とチームを派遣する国との国際交流も始まっている。もちろん、オリンピック開催中はハイレベルな競技に日本中が熱狂し、競技場は芸術や先端技術を駆使した壮大なエンターテインメントの場となって、感動のるつぼと化すだろう。

 国は第2期スポーツ基本計画の中で、東京オリンピックの盛り上がりを契機に「一億総スポーツ社会」の実現を掲げている。スポーツへの関わり方にはスポーツを「する」だけでなく、「みる」「ささえる」もあるとし、すべての人々がスポーツに関わることでスポーツの楽しさや感動を知り、スポーツの力によって人生を楽しく健康で生き生きとしたものにする社会を目指すとしている。そしてそのためには、スポーツ界が他分野との連携・協働をさらに進めることが必要とし、スポーツ市場規模を約5.5兆円(2012年)から2020年には約10兆円、2025年には約15兆円に拡大することを目標としている。

広がる社会のニーズに応える
スポーツマネジメント学部を開設

 尚美学園大学は、2020年にスポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科を開設する。「音楽の尚美」として知られる尚美学園大学が、なぜスポーツ分野の教育に力を入れるのか。それは上に見たスポーツ界の発展と、尚美学園大学の教育実践が重なってきたからである。スポーツはアスリートだけのものではなく、国民全体のものであり、尚美学園大学が得意とする分野のエンターテインメントに近づいてきたということだろう。

 尚美学園大学は、芸術情報学部と総合政策学部の2学部で開学して以来、音楽を始めとした芸術、情報表現、総合政策、スポーツ、文化など、社会のさまざまな分野で広く活躍できる人材の育成を進めてきた。原点である音楽を芸術としてだけではなく、エンターテインメントやビジネスとしてとらえ、最初に音楽ビジネスを学問として打ち出してきたのも尚美学園大学だ。そして、音楽とスポーツ、ディジタルと舞台表現の融合など、分野を超えた複合的な学びが大学の特色となった。スポーツマネジメント学部開設に伴って廃止される総合政策学部ライフマネジメント学科スポーツコースでは、すでにスポーツとエンターテインメントの融合という学びが実践されてきたことも新学部開設につながっている。

仕事に直結した履修モデルで実践力を養成

 スポーツマネジメント学部の目的は、スポーツに関連するさまざまな場面で活躍する人材を育成することである。そのためには「ビジネス、マーケティング、イベント、エンターテインメント、データ分析、教育・指導、ウェルネスなど、多方面からスポーツにアプローチする学びが必要」と、学部長就任予定の小泉昌幸先生は語る。

 カリキュラムは、あらゆる視点からスポーツをマネジメントする理論・知識・技能を学ぶ科目を設定し、1・2年次は基本科目、3・4年次は展開科目を通して段階的な内容を学習する。さらに、「ビジネス系(経営・事業管理)」「コーチング系(教育・指導)」「クリエイティブ系(イベント企画・演出)」など、仕事に直結した科目群からなる履修モデルによって、座学と演習、実習を組み合わせた実践的な学びができるようになっている。

 スポーツ関連企業、行政機関、非営利団体などの現場でインターンシップを行う「スポーツマネジメント実習」、スポーツイベントをプロデュースするために必要な知識を身につける「スポーツイベント演習」、プロスポーツクラブの運営について議論し、フィールドワークを行う「スポーツマーケティング演習」など、科目名を見るだけで若者に魅力的な学びとなっていることがわかる。また、保健体育などの教職免許(中学・高校)も取得できるなど、きめ細かなサポート体制が準備されている。

 設備面を見ると、人工芝のサッカー場や照明設備のある硬式野球場、陸上トラック、公式戦が行える広さの剣道場、最新のマシンが設置されたトレーニング・ルーム、2000年記念館(体育館)などの体育施設【写真】はもちろん、エンターテインメント系のディジタル機器や設備も揃っていて、プロ仕様の最先端・最新の機材【写真】も自由に使うことができる。

 尚美学園大学の学びの特徴の一つに学部間のコラボレーションがある。スポーツマネジメント学部も芸術情報学部、総合政策学部と積極的に連携することになっており、たとえば、音楽メディアなどを学ぶ音楽応用学科や、音響・映像・照明などを学ぶ情報表現学科などと連携し、スポーツの本質を感じて楽しめる映像制作について学ぶこともできる。総合政策学部とのコラボレーションでは、スポーツ市場について経済学や経営学からアプローチし、これまでにないユニークなスポーツ政策のための、さまざまなノウハウを身につけることができるだろう。

卒業後は、多様で幅広い分野が待っている

 卒業後の進路は多様で、幅広い分野に広がるだろう。新しいスポーツ種目が次々にうまれ、バーチャルな世界で繰り広げられるeスポーツが注目を浴びているように、スポーツ界は急速な広がりを見せているからだ。

 スポーツ基本計画では「年齢、性別、障害の有無等に関わらず、スポーツは誰もが参画できるもの」とし、「スポーツは共生社会や健康長寿社会の実現、経済・地域の活性化に貢献できる」と、社会を変えるスポーツの力に期待している。そのため進路先としては、トップアスリートの世界から地域スポーツ・学校体育、医学・リハビリテーション、障害者スポーツ、メディア業界、IT業界など、実に多様な分野・領域、業界が想定できる。

 スポーツ界の拡大発展に伴ってスポーツに関連する職種は増え、幅広い知識と実践力、チャレンジ精神を持った人材に対するニーズは高い。

 たとえば、スポーツクラブも、地域スポーツの担い手として「子育て支援」「学校との連携」「スポーツを通じた健康増進」「他の総合型クラブや他のスポーツ団体との連携・トップアスリートの活用」「メディア・情報技術を活用した健康管理や広報」など、特色ある活動を展開するようになっている。スポーツに関する知識だけでなく、経営や企画に関する知識、他業種や各種団体との交渉力、さらにはITに関するスキルが求められていることがわかるだろう。

 具体的な卒業後の職業としては、スポーツチームの監督・コーチや運営スタッフ、スポーツインストラクター、フィジカルスタッフ、スポーツ関連企業の商品企画・営業・広報、スポーツイベントディレクター、演技プログラム振付・BGM担当スタッフ、公務員(生涯スポーツ政策の立案・推進)、スポーツメディアディレクター、スポーツ雑誌編集者・記者・ライター、スポーツコンテンツ制作スタッフ、スポーツ動画・Web配信サービススタッフ、中学・高校教員(保健体育)、医療・福祉スタッフ、幼児体育指導員などが想定される。

社会のなかでスポーツがどのような存在になっているか、感じ取ってほしい

 スポーツマネジメント学部を目指す高校生に対して小泉昌幸先生(学部長就任予定)は、「受験前、入学前には、自分の好きなスポーツだけでなく、さまざまなスポーツのニュースなどにアンテナを張ってください。実際にスポーツ活動をしたり、試合を観戦したりするのもいいし、スポーツを題材にしたドラマを観たり、本を読むのもいいと思います。町のなかで掲示されたり、インターネット上に告知されたりしているスポーツの情報をチェックするのもいいでしょう。社会のなかで、スポーツがどのような存在になっているか、見たり、聞いたり、肌で感じ取ったりしてもらうといいと思います」と語っている。

「スポーツ科学」と「人間科学」で、社会に新しい価値と豊かさを

デキル!学部 変わる学部 静岡産業大学 スポーツ人間科学部(仮称・2020年春開設予定、設置認可申請中)

長年、静岡県にあって、主に県内で活躍する人材の育成を担ってきた静岡産業大学。創立以来、「知識偏重ではない人間形成を重視した教育を」と、高等教育機関であっても「人間力」を身につけてもらうことをモットーに歴史を刻んできました。2020年春には、その理念を継承し、スポーツ人間科学部(仮称)を磐田キャンパスに開設。あわせて経営学部を藤枝キャンパスへ集約させ一層の充実を図ります。新しいスポーツ教育モデルでスポーツ文化の拠点作りを目指すというスポーツ人間科学部(仮称)について紹介します。

スポーツ人間科学部(仮称)で時代の要請、地方の課題にも応える

 国の「スポーツ基本計画」の策定や東京2020、また超高齢化社会や子育て・教育環境の変化もあって、近年スポーツについて、社会科学系の学問からアプローチしようという試みも盛んです。

 そんな中で、静岡県内初となるスポーツ人間科学部(仮称)の開設を来年度に予定しているのが静岡産業大学。体育学、教育学、社会学、心理学、統計学などからスポーツに関するすべての事象について研究する「スポーツ科学」に、「人間」や「社会」を考えるさまざまな領域の学びを融合し、社会における「スポーツの持つ力」を紐解いていく学問を「スポーツ人間科学」とし、スポーツの持つ力を活かして社会における「価値の創造」と、「豊かな社会」の実現を目指します。設置予定の学科は「スポーツ人間科学科(仮称)」と「こどもスポーツ教育学科(仮称)」の2学科で、競技者だけでなく、科学的な知識を備えた指導者、教員や保育者、そして、スポーツでリーダーシップを培ったビジネスパーソンなどの輩出を目指します。

 特に、競技スポーツについては、従来型の苦しいトレーニングや上意下達の組織からの《解放》を掲げ、スポーツすることの楽しさを全面に出し、科学的な知識をもとに自らの技術や、チームとしての戦術等の実行能力を高めていきます。また、「する」に加えて、「観る」「はかる」「支える」など、様々な側面からスポーツに携わるための諸学を用意しており、社会の様々な分野で活躍する人材を育成するとともに、現役を退いたアスリートの将来設計も応援します。

スポーツ人間科学科(仮称)の特徴

 スポーツ人間科学科(仮称)では、最先端の科学機器を授業に活用、スポーツ医科学研究センターやスポーツ教育研究センターと連携し、科学的視点に立って、GPS、ICTを駆使するなどの科学的手法に精通したアスリートやスポーツ指導者の育成を目指します。今や、アスリートが優れた成績を目指すには、最新の科学的根拠に基づいた「スポーツコンディショニング」(傷害の予防とパフォーマンスの向上を目的に、心身をベストの状態に保つ各種手法を学ぶ)によるコーチングが不可欠と言われる時代。たとえば、「スポーツコンディショニング」の授業では、トップレベルのサッカーチームも採用している最新のGPS測定器を使い、プレーヤーの走行距離やスプリント数をデータ化、それを分析・評価する方法を学びます。その上で、分析結果から具体的なトレーニング方法を考え、それを実践することで、ベストパフォーマンスを発揮するためのコンディショニングを体感します。

 また、経営学やマーケティングの基礎を学び、スポーツビジネスや、スポーツに限らず幅広い業界で活躍できる人材の育成を目指すのもこの学科の特徴のひとつです。たとえば、「スポーツ経営管理論」では、スポーツ関連用品の企画製作や商品開発プロセス、さらには価格設定の方法やブランディング、プロモーションや流通方法について学んだり、誰もが楽しむことのできるニュースポーツを考案し、体育館などで試行したりもします。経営学の知見がスポーツ用品の開発などに実際に結びついていることを理解するだけでなく、自分の考えたアイデアを実際に試してみることで問題点を明らかにし、仲間と協働して改善を図るなど、社会へ出てから求められる力の育成も図ります。

こどもスポーツ教育学科(仮称)の特徴

 こどもスポーツ教育学科(仮称)では、「運動遊び」を通して子どもの心身の健全育成を促す《スポーツ保育》の理念を掲げ、成長段階に応じた子どもの発育、発達支援や、保育、福祉の知識と技術の修得を目指します。2020年度からは、これまでの保育士資格の取得に加えて、幼稚園教論免許※1や特別支援学校教諭免許※1も取得できるようになり、そのために欠かせないインクルーシブ(包摂的)教育※2にも力を入れます。

 また、学生が主体となって企画、運営する子ども向けスポーツ教室「キッズスクール」【写真下】で、「スポーツ保育」を体験的に学習できるのも大きな特徴です。具体的には、1年次はアシスタントとして子どもと同じ目線で「やってみる」ことからスタート。2年次には、少しずつ指導の中心を担います。保育者やスポーツインストラクターなどを目指す学生には、座学で得た知識を実践に移す貴重な場であり、教科書通りにはいかない幼児教育の大変さを実感するとともに、面白さも体験します。この活動は、クラブに所属するアスリートにとっては運動技術をわかりやすく伝え、指導する方法を身につけられるいい機会になります。さらに、運営スタッフや保護者とのやりとりを通じて、キャンパス内では経験できない「大人とのコミュニケーション力」が鍛えられる貴重な場ともなります。

 このほか、子どもたちとの関わり方を実践的に学べるように、2018年に「こども教育棟」を設置。保育実習室、調理実習室、図画工作室、小児保健室、音楽室、ダンス場など、専門的な学びに必要な設備が整っています。保育実習室は幼稚園や保育所の保育室を模して作られており、保育実習に向けた「保育実習指導」など、実践的な授業を実施しています。

※1教職免許状については、文部科学省における審査の結果、予定している教職課程等の開設時期が変更となる可能性がある。
※2人間の多様性の尊重等を強化し、障がい者が精神的および身体的な能力等を最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障がいのある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み。

藤枝と磐田の2キャンパスによる相乗効果を

 1994年に経営学部からスタートした静岡産業大学は、校名の示すように主に地域で活躍するビジネス人材の養成に力を入れてきました。

 2005年にはスポーツの持つ優れた教育効果に着目、磐田キャンパスがプロサッカーチーム、ジュビロ磐田の本拠地でもあることなどから、経営学部にスポーツ経営学科を開設、今日に至っています。

 この間、「スポーツ」と「経営」について実践的に学ぶための様々な取組を行ってきましたが、そのうちの一つが、特定の企業や団体、行政機関から、人材とビジネス情報の提供を受けその名を冠して開く冠講座。中でも有数の人気を誇るのが、株式会社ジュビロによる「冠講座」。プロスポーツのリアルな経営・運営・チーム作りを学んだ上で、ジュビロ磐田のホーム「ヤマハスタジアム」での来場者向けイベントの企画・運営を、学生が中心になって行います【写真上】。授業で学んだ経営学やスポーツマーケティングの知識を基に、いかにユニークなアイデアを出すか。過去には、うちわを使った応援グッズ作りや『ジュビロ神社』の企画など、高い評価を受けたものも少なくありません。しかし、そうした評価以上に学生を成長させるのが、現場での実体験。スポーツビジネスにかかわりたいと考える学生にとって、多くの企業人と触れ合える貴重な機会となっています。ちなみに冠講座はこのほか、株式会社電通東日本、中部電力株式会社、スズキ株式会社、磐田市、藤枝市、株式会社静岡銀行などの協力によるものがあります。

 藤枝に集約しさらに充実を図る経営学部、磐田でスポーツによる化学反応を目指すスポーツ人間科学部(仮称)。2020年、静岡産業大学は、二つのキャンパスの役割をいっそう明確にし、学びの相乗効果で、静岡に貢献する人材育成の取り組みを、さらに加速していきたいとしています。

カレッジスポーツもUNIVAS※3加盟で一層充実

 「する」だけでなく「観る」「支える」の要素も加え、より魅力的なカレッジスポーツの実現に取り組む。具体的にはスポーツ振興部を設置し、各クラブには大学組織から部長を置き、大学の理念やビジョンに沿った強化活動を展開。大学の持つあらゆるリソースを競技力向上に活用する。またサポーターを増やし、学生を巻き込んだ大会運営や広報活動に力を入れることで、地域との交流をさらに深め、興行面での魅力向上にも力を入れるなど、《スポーツの魅力と効用を最大化することでは日本一》の大学を目指すとしている。

※3一般社団法人大学スポーツ協会は、2019年3月に発足した日本の大学スポーツを統括する団体。略称はUNIVAS。

子ども一人ひとりを育みたい

デキル!学部 京都文教大学 こども教育学部(2020年4月設置構想中)

――大学全体のリソースをいかし、質の高い幼稚園・小学校教員と保育士を養成

学部長予定者 南本 長穂 先生
学科長予定者 柴田 長生 先生

少子化の進行が止まらない中、少ない子どもを大切に育てたいと保育・教育に対するニーズは高まり続けています。それとともに、保育士や教員の資質、能力に向けられる視線も厳しくなっています。国の定めた養成課程を修了するのに加えて、こうした時代の要請にどこまで応えられるか。高等教育の無償化も視野に、大学教育の質の向上が一段と求められています。こうした中、未来志向のカリキュラムで《実力ある小学校、幼稚園の先生、保育士を目指そう!》と、新学部の開設を予定しているのが京都文教大学。現行の臨床心理学部教育福祉心理学科に、定員はそのままに幼稚園教諭の養成課程を加えたこども教育学部こども教育学科です。学部長予定者の南本長穂先生と、学科長予定の柴田長生先生に、京都文教大学の保育士、教員養成の特徴と、新学部が目指すところをお聞きしました。

あらためて現行学科の特長について

本学は2012年、臨床心理学部で身につける人間理解及び子どもの心に共感する能力や、カウンセリングなどの高度なコミュニケーション能力は、保育現場でも必ず役に立つと、臨床心理学科のコースの一つに、保育士を養成する「保育福祉支援コ―ス」を加えました。いち早く乳幼児の虐待などに目を向け、子育て環境が激変する中での親の支援を視野に、こころのケアや相談援助ができ、地域社会での子育て支援に対応できる保育士養成を目指したのです。

この試みは同時に、当時スタートした全学的な教育改革、《ぴったり》(自分にぴったり、目標やキャリアにぴったり合致の意)のキャッチフレーズで表した《学びの目的の明確化》の一環でもありました。そして翌2013年には、「小学校教員養成コース」を加え、「保育福祉支援コース」を「保育福祉心理コース」に名称を変え、臨床心理学部の中に2コースからなる教育福祉心理学科を開設し、今日に至っています。

ご存知のように本学は、2008年、日本で初めて臨床心理学部を開設、以来臨床心理学の分野では私学としては最大級の拠点を形成しており、層の厚い教員から提供される多様な科目は、臨床心理学的視点を加味した保育士、教員養成の大きな力となってきました。

加えて、入学直後から卒業まで少人数制の演習を数多く設けている他、教育実習や保育実習以外に、実践演習やインターンシップが充実していて、4年間を通してその多くを「現場から学ぶ」仕組(現場往還教育システム)を構築してきたのも本学の大きな特徴です。教職課程では1年次(後期)から学校インターンシップをスタート、その後はインターンシップを軸に、3年次の教育実習をはさんで4年次に至るカリキュラムが展開されます。保育士養成では、1年次から現場見学実習を開始し、3、4年次には3回にわたる保育実習が行われます。さらに新学科開設時には、2年次に保育インターンシップが新設され(選択科目)、両コースを対象に海外インターンシップ(選択科目)も準備しています。

また、本学の活発な活動の一つに地域連携活動があります。子ども食堂の学習・余暇支援、学生による虐待防止運動【写真上・右下】、各種子どもフェスタ【写真右上】など、子ども・子育てにかかわる地域での催しを学生たちが企画し、課外活動として積極的に参加しているのも大きな特長です。 実習やインターンシップのコーディネート、派遣先との交渉や、就職支援を行う「教職・保育福祉職サポートセンター」のバックアップも見逃せません。教員採用試験に向けた対策を無料で行う他、保育士を目指す学生に対しては、就職先の照会や、希望する職場に合わせた少人数のグループ活動などもサポートし、保育士、小学校教員の高い採用実績にも寄与しています。

新学部について

新たに幼稚園教諭の養成を加え、《幼小接続》を見通して学ぶ

新学部では、新たに幼稚園教諭の養成が始まり、現在の「保育福祉心理コース」は「幼児教育コース」に、「小学校教員養成コース」は「小学校教育コース」に名称が変わります。幼稚園教諭になるための課程を置くことは、これまで保育士資格取得のみだった幼児教育分野の充実につながるだけでなく、「小学校教育コース」との連携によって、こどもを一元的に捉え、《幼小接続》を意識した専門職養成を可能にします。「教職入門(小)」、「教職入門(幼)」という併設される二つの科目を例に取れば、後者では、15回の講義のうちの10回を幼児教育の専門家が教え、残りの5回を小学校教育の専門家が受け持ちますから(「教職入門(小)」ではその逆)、学生は教職全体を見通し、幼小接続の意味を実感しかつ理解することができます。

こども理解やこどもを支援する力を高める「三重構造」のカリキュラム

教員養成、保育士養成には国の定めた養成課程があり、それを修了し卒業すれば、国家資格、免許を取ることができます。しかし近年、メディア世界の拡大や家族構成の変化、地域の教育力の低下など、子どもを取り巻く環境は様変わりし、そこから生まれる新たな課題への対応には、それだけでは不十分と言えるでしょう。

そこで新学部では、こうした時代に求められる資質・能力もしっかり身につけた質の高い保育士、教員を輩出すべく、4年間を通して「現場から学ぶ」とともに、保育士、教員としてのプラスαの資質・能力を身につけるための豊富な発展科目などを一層充実させ、それが身につきやすいカリキュラムの構成、構造を工夫しました。年々厳しくなる課程認定と教育の質保証の二つを満たすカリキュラムの構築を目指すと言っていいかもしれません。

具体的には、「三次元構造」のディプロマポリシー(DP)(卒業時に身につけてほしい力、めざしたい保育士・教員像)【下図】に基づくカリキュラムポリシー(CP)を、カリキュラムマップに反映し、養成科目も含め各学年ごとに必要とされる科目すべてを位置付けます。

「三次元構造の」のディプロマポリシー

まずDP①に基づいて、免許・資格取得のための基幹講義と専門講義、専門実践演習の3つの科目領域を、DP②に基づいて資格取得のための専門科目と、独自設定による発展科目群の2つの科目領域を配します。発展科目群には、医学、臨床心理学、発達臨床心理学、家族及び学校ソーシャルワーク、実践カンファレンスなどの関連周辺領域の専門知見を学ぶオリジナルな科目を開設、同時に臨床心理学科に開設されている広汎な専門科目群も履修できるようにします。そしてDP③に基づいて、「学び続けることのできる資質・能力と、教員・保育者としての総合的な資質・能力」の養成を掲げ、4年間連続する実習などを軸に、臨床・実践的なゼミ演習体系を組み合わせて二つの科目領域を設け、実践力を磨く科目や、学び続ける姿勢や、将来のキャリアを俯瞰できる視点を養う科目を配します。 ちなみに、中心に小学校の各教科や保育5領域について学ぶ小幼教科科目を置き、その外側に教育学科目群、発展科目群と広がる「三重カリキュラム構造」も新学部の大きな特長だと思います。

IT評価で、成長を実感

本学では昨年から、シラバス改革に合わせて履修カルテのITシステム化を進めており、学生は所属コースに応じて「教職履修カルテ」「保育士履修カルテ」を利用します。専用アプリから閲覧、登録ができ、半期ごとに、各科目の履修状況だけでなく、シラバスの目標に対する到達度も確認でき、DPの実現や、よりよい専門職になるための自己評価を促す仕組みになっています。新学部においても、全学的な標語である《実感、成長力》を、まさに日々確かめ、明日の学修に活かしてもらえると期待しています。

女性活躍のチャンスを活かし、来るべきAI時代にチャレンジ

デキル!学部 共立女子大学 ビジネス学部 名称・内容などは予定につき、変更する場合があります。

女子大学初!!のビジネス学部(仮称)で、 新しい時代に自立・自活する女性を育成

共立女子大学ビジネス学部 学部長(予定) 植田和男先生

~Profile~
東大理学部・マサチューセッツ工科大学経済学部大学院卒、経済学博士。ブリティッシュ・コロンビア大学助教授、大阪大学助教授、東京大学教授を歴任。1998-2005年には日本銀行政策委員。2017年より共立女子大学新学部設置準備室長・教授。専門はマクロ経済学、金融論。最近の著書は『大学4年間の金融学が10時間でざっと学べる』KADOKAWA。東京教育大学付属駒場高等学校卒。
共立女子大学ビジネス学部(仮称)専任講師(予定) 岩城奈津先生

~Profile~
国内大手電機機器メーカー営業職勤務、日米経営科学研究所(JAIMS)派遣等を経て、1996-2004年渡英。英国国立ウェールズ大学カーディフ校。ビジネススクール,経営学修士(MBA)、博士課程単位取得後退学。専門は組織行動論。㈱クオリア設立に関わり、2018年3月まで12年間D&I。コンサルタントとして組織開発、リーダーシップ開発に従事。2018年4月より現職。

1886年(明治19年)、34名の発起人によって、設立された「共立女子職業学校」を源流に、《女性の自立と自活》の建学の精神を今に受け継ぐ共立女子大学。2020年には、新しい時代に即して自立・自活できる女性の育成を目的として、《東京の真ん中で、ビジネスを》のキャッチフレーズを掲げ、女子大学としては初となるビジネス学部(仮称)を開設する。学部長予定者で、経済学者の植田和男教授と、「組織開発」が専門で、長年企業で人材開発に携わってこられた岩城奈津専任講師に、新学部開設の背景と狙い、その独自性、育成したい人材像についてお聞きした。

今なぜ、女子大学にビジネス学部か?

植田:ビジネス界や教育界で、近い将来、AIによって多くの仕事が奪われるのではないかという危機感が募っています。加えてIMFからは最近、「日本の女性が一番AIに職を奪われる可能性がある」というショッキングな報告も出ています。もちろんそのまま受け止める必要はありませんが、これからの社会を担う人々には、学生のうちからそのように言われる時代でも生き抜いていけるような知識やスキル、人間力を身につけてもらいたいと考えています。

他方、超少子化で労働力不足が深刻化するわが国では、これまで積み上げてきた経済力、人々の豊かな生活を維持するには働き手の確保が急務とされ、女性活躍推進法や働き方改革、改正雇用機会均等法など、数々の施策が国によって打ち出されています。

岩城:多様性の尊重が世界中に広がる中、女性の社会進出が進めば、社会全体の価値観も大きく変わってくる。ビジネス面では、女性を含む多様な視点から、新しいアイデアやイノベーションが生まれやすくなるということもあります。 植田:女性の活躍に期待が高まる中、これから大学を目指そうというみなさんには、さらに大きなチャンスが膨らんでいます。

大きなチャンス、数字が示す二つの理由

①厚労省によると、日本の女性の就業率は53%。ただ、25~34歳では約80%、35~44歳では約75%(2017年)で、このままいけば80%の女性が65歳まで40年以上働くようになる。
②しかし、先進諸国に比べ、女性管理職は13.0%、女性が代表を務める企業の全体に占める割合は7.69%と圧倒的に低く、今後の伸びしろは大きい。(下グラフ参照)

 もちろん仕事や能力によっては、AIに取って代わられる可能性もありますから、そんなことにも揺るがない知識やスキル、人間力を身につけておく必要はあります。
岩城:女性にとってチャンスも多いが、一層挑戦的な時代にもなると。

専門分野の知識×リーダーシップ

植田:ではどんな知識やスキルが必要なのか。それを考えるヒントになる面白いデータ、記事があります。昨年の暮れにある新聞に出ていた「法務人材の需要が右肩上がり」というものです。法務を担うのは弁護士ですが、その単純な業務はAIに一番奪われやすい仕事の一つに挙げられています。ところがフィンテック(FinTech※)関連企業、たとえば中小企業の預金口座情報などから、AIによる分析ソフトを使って有価証券報告書を自動的に作ろうという会社などでは、新たなビジネスモデルを法務面、あるいは知財面から検証する必要が出てきて、そのための法務人材が求められているということです。もちろん従来のような定型的な知識だけでは務まらない。会計など、1)複数分野にまたがった基礎知識が求められるうえ、2)新しい領域で柔軟に問題を発見し解決していく能力、さらには3)社内あるいは社外の人と、また分野の異なる人と協調、協働して、目標の達成を図る力が求められます。 岩城:まさに、社会や企業の求める力であり、新学部のコンセプトの3つのコアでもありますね。

ビジネスに必要な4分野と、英語、法律、情報・統計を

植田:具体的には、まずは専門についてしっかり学ぶ。1,2年次では経済、経営、マーケティング、会計の4分野を軸に法律、情報・統計の基礎的な力、加えて実践的な英語力を身につける。さらに「共立リーダーシッププログラム」で、ビジネスに求められる人間力、つまりチームの中で自分も他者もいかしつつ、全体を成功へ導く力を身につける。そして3,4年次では、1、2年次で学んだことをベースに、課題解決型学修で、現実に発生する問題を自ら発見し、また解決していく力を身につける。専門分野の知識とリーダーシッププログラムで身につけたスキルを相乗的に高めていくのです。

「共立リーダーシッププログラム」とは?

岩城:従来の、上に立って人を牽引していくためだけのものとは違う21世紀型のリーダーシップ開発です。これからの職場、組織では、正社員や契約社員、無期、有期雇用の同僚や部下が入り混じる。また、自分よりも年齢の高い部下や、専門性の高い後輩と仕事をしなければならないなど、上司と部下や後輩の関係も変わるでしょう。つまり多様な組織の中で自分の力を発揮し、全体に貢献できるような行動が求められる。これはまさにリーダーシップであり、態度スキルの一つとして、体系立った教育・トレーニングによって身につけることができます。

共立リーダーシッププログラムの特徴

「目標共有」「率先垂範」「相互支援」の3つの行動指標を掲げ、コミュニケーション力、問題解力、論理的思考力、プレゼンテーション力などのスキルを高める。4、5名単位のグループに分かれて企業の提示する具体的なテーマ、目標の下で活動し、自分にできること、できないことを互いにフィードバックしながら進める。評価は、ビジネスコンペでの優勝などだけでなく、様々な課題の下で、リーダーシップをいかに学んだか、どれだけチームの成果に積極的に貢献したかで行う。

 これを1、2年の間に身につけておくと、3,4年次の学び、ゼミや専門領域でのグループ学修に必ずいきてきます。また過去の経験、たとえば高校時代の部活動なども異なる視点で捉え直すことができ、ビジネスに関することだけでなく、新たな課題の克服に、その《経験》をいかすこともできます。 植田:岩城先生はすでに、早稲田大学や立教大学でこのようなリーダーシッププログラムに取り組まれており、本学でも2017年から、学部横断型のプログラムとして実施されています【下コラム】。

2017年度は、香港や台湾の人のビールの消費をどう伸ばすかをテーマに、ジーリーメディア&サントリーと、2018年度は、セレクトショップ「FREAK’SSTORE」を全国展開している(株)デイトナ・インターナショナルと連携し、レディースの売り上げを4倍にするというテーマで行った

岩城:初めての試みでしたが、女子大でリーダーシップを学ぶメリットは女子学生だけだからこそ、それぞれの多様性を一層引き出す点にあると考えます。自分の強みを自信をもって語る学生も増え、来年度以降がとても楽しみです。

課題解決型授業で実践そのフィードバックも

植田:3、4年次では、専門ゼミも含め、課題解決型の授業が中心になります。

専門のゼミというと、従来は教える側と学生とが1対1で向き合うようなイメージでしたが、ビジネス学部(仮称)ではリーダーシッププログラムを引き継いで、学生をグループ分けし、作業やディスカッションを取り入れた授業にします。他にもアクティブラーニングやフィールドワークなどにも力を入れ、専門知識の定着をはかるとともに、コミュニケーションスキルやリーダーシップの一段の向上を図ります。企業との連携も積極的に行い、社会に出てから、短期あるいは中長期に直面するようなテーマをできるだけ選ぶようにします。

授業の進め方は、企業が大学へ来るケースや、大学から企業へ出向くケースなど柔軟に考えています。その一つの目玉が、丸の内・大手町に近いという立地を生かした「現代事情シリーズ」ですが、近くの出版社とも、「いかにマンガの売れ行きを伸ばすか」などをテーマにしたプログラムを計画しています。

岩城:女性はこれまで、様々なライフイベントによって、ビジネスにおいて必ずしも100%力を発揮できてきたわけではありません。しかし今や状況は大きく変わり、その活躍を後押しする政策も次々に打ち出されるなど舞台は整いました。 植田:新学部では社会へ出て即戦力として働くだけでなく、AI技術の進展もにらみながら、40年続けて働ける基礎力を育成したい。女子大初、《「卒業してから」を考え続ける学部》に期待してください。

※金融(Finance)と技術(Technology)を組み合わせた造語。スマートフォンなどを使った送金など、金融サービスと情報技術を結びつける新たなビジネス形態。

ここにも注目!

  入試では、主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度を評価するリーダーシップ入試(AO入試)や商業資格特別入試も行う。学びのサポートとしては、5限目に専門科目を配置せず、日常的に授業の振り返りなどに使える「フィードバックタイム」を設けることや、2年次の夏に行う、将来のキャリアについて教員ともども合宿して考えるサマーキャンプなどが注目だ。数学に関する入学前教育、入学後補習なども充実させるという。他に、担任が中心になって学びとキャリアについて定期的に全学生と面談を行うなど、キャリア支援の体制も整えている。

2020年4月、伝統の理工学系2学部を時代の要請に応じた3学部に

デキル!学部 進化する!学部 東京都市大学 理工学部/建築都市デザイン学部/情報工学部

――“建築都市デザイン学部”を新設、工学部が“理工学部”に、知識工学部が“情報工学部”に名称変更し、さらなる進化を。

武蔵工業大学の伝統と研究力を受け継ぎ、2029年の創立100周年へ向けて“アクションプラン2030”を掲げ改革を加速する東京都市大学。教育の質の向上や急速なグローバル化が進む中で、国の私立大学等改革総合支援事業では、全国で唯一全5タイプに選定され注目を集める。近年は志願者数も右肩上がり。今春には2023年の完成を目指して世田谷キャンパス再整備にも着手した。学部・学科の改編、新学部の開設にも動く。2020年4月には創立期以来の工学部の名称を理工学部に変更し一層の充実を図るとともに、伝統の建築分野や情報分野はストレートな名称として存在感を明確にする。大きな改革を先導する新3学部の教授にお聞きした。

理工学部 学部長予定者 大上 浩 教授 (現工学部長)
建築都市デザイン学部 学部設置準備室長 勝又 英明 教授 (現工学部建築学科教授)
情報工学部 学部長予定者 田口 亮 教授 (現知識工学部長)

改革の目玉は?またそれぞれどんな学部を目指しますか。

田口:従来の知識工学部から新たな理工学部へ自然科学科を移管し、知識工学部としては国の提唱するSociety5.0(超スマート社会)を創り、支え、発展させる人材育成を明確化するために情報工学部へと名称変更する。

大上:最大の変更点は、創立期以来の工学部の名称を、理工学部に変えること。2009年の武蔵工業大学からの校名変更に次ぐ大改革だと思う。理工学部では、学科構成を大きく機械系、電気系、応用科学系の3系統に編成する。

機械系は、「機械工学科」と「機械システム工学科」に、電気系は2019年度に設置した入学定員150名の大規模学科である「電気電子通信工学科」と「医用工学科」に。そして応用科学系では、既存の「エネルギー化学科」「原子力安全工学科」に加えて、現在、知識工学部に設置されている「自然科学科」を移管、新設し、理学色を強化する。

勝又:建築都市デザイン学部は、現在、工学部にある「建築学科」と「都市工学科」の2学科を集約した学部として構成する。 この2学科は、90年前の本学創立期にルーツを持つため※1、必ずしも《新しい学部》というイメージはないかもしれない。ただ、建築・都市という名称を際立たせることで、従来よりも高等学校、受験生からは学びが見えやすくなると思う。学部名に《デザイン》の名称を組み入れたのも大きな特徴だ。建築学と都市工学とを合わせて《建築都市》と呼ぶのではなく、デザインという言葉を加えて、両学科から構成される学部の方向性を示す。これまでの学問体系を越えて、都市をデザインする哲学、美学、技術についても学んでほしいというメッセージを込めた。

――昨今は建築系学部を開設する大学が目立ちます。

勝又:確かに。ただ一学部一学科体制が多い。本学は2学科構成で、しかも「都市大」として《都市研究》を大きなテーマに掲げており※2、都市生活学部や環境学部など、都市研究を研究対象にしている学部が複数存在する。そのため扱っている領域は、他の大学よりもはるかに広いと思う。

田口:知識工学部は情報工学部という教育・研究分野を示すストレートな名称に改める。学科は「情報科学科」と「知能情報工学科」の2つであり、その2学科で情報社会(Soceity4.0)の次の超スマート社会(Soceity5.0)が必要とする専門分野を網羅する。

超スマート社会ではすべてのモノとヒトがインターネットでつながる。センサーからの膨大な情報、つまり映像、画像、情報、音声、言語を人工知能、ビッグデータ解析技術を使って解析し、人の生活を豊かにする社会の実現を目指す。「情報科学科」はそのうちの、映像、画像、音声、言語に関する解析について研究と教育を展開し、さらに超スマート社会の根幹をなすコンピュータ技術、ハードウエア、ソフトウエアについても教育、研究の対象とする。またロボットも扱う。 一方、「知能情報工学」は、ビッグデータ、AI、IoTをキーワードにした教育・研究を行う。前身が経営システム工学科ということもあり、これらのビッグデータやAIの解析技術を使って、企業の経営上の様々な課題に対してソリューション等の提供を行う。

どんな教育を?

大上:理工学部では、科学技術の根幹をなすものつくりを支える工学に、新たに自然科学における真理を探求する理学を融合させる。「理論と実践」という教育理念に基づいて、理工学分野の基礎に加えて専門知識を深く学び、科学的根拠に基づく実践を通じて、社会の要請に応えられる人材を育成したい。言い換えれば、先進的な技術力、論理的思考力を備えた人材を理工学の名の下に育成する。

勝又:建築都市デザイン学部の人材養成及び教育研究上の目的は、建築・都市工学の専門能力や、デザイン能力を含む問題解決能力を備え、社会の可能性を拡げることができる人材の育成だ。

「建築学」と「都市工学(前身の土木工学は英語ではcivilengineering)」の共通領域である都市デザイン系の科目は現在8科目だが、学部となることでこれまで以上にデザインに関して学ぶことが可能になり、「建築都市デザイン」に関わる共同研究のチャンスも増えるだろう。 田口:知識工学部には、4月からスタートした他学部にない独自の国際人育成のための「国際コース」がある。情報工学部にも引き継がれ、その「国際コース」では卒業単位の約3分の1を英語による講義で取得する。数学、物理や専門基礎の一部を英語で学び、英語で論文を読み、卒業研究を行うなど、専門についての英語力(読む、聞く、話す、書く)を育む。当然TAP※3への参加が原則で、TOEICでは最低でも550点をすべての学生に達成させる。

高校生へのメッセージ

大上:求める人物像は、高校の履修内容をよく理解し、専門分野を学ぶための基礎的な力を備えた人。学部の目的である自然科学あるいは科学技術に強い関心を持ち、未知の課題に取り組む意欲のある人。専門知識と実践力を身につけ、さらには多面的思考力と幅広い視野を持って、社会の持続的発展や人類の福祉に貢献するという志、意志を持つ人だ。

高校では特に数学、理科、英語などをしっかり学習してきてほしい。

勝又:理系の学部学科であることには変わりなく、入試は従来通り。2学科別枠で行うことも変わらない。ただ建築や都市をつくる上では哲学などの人文科学にも親しんでおくことが欠かせない。高校ではすべての科目、特に国語、歴史なども重層的に学んでほしい。 田口:AO型入試を変える。AO型入試はもともと一般入試と異なり、学部・学科の特徴に沿った人材を求める入試方式である。情報工学部への名称変更に合わせ、自作ソフトウエアでの出願を認めることにした。プログラムの創作に意欲のある人には積極的に応募してほしい。

※11929年武蔵高等工科学校(その後の武蔵工業大学)として創立し、電気・土木・建築の3工学科を設置
※2「都市研究の都市大:魅力ある未来都市創生に貢献するエイジングシティ研究および実用化の国際フロンティア」事業が、2017年に国の私大研究ブランディング事業(世界展開型)に採択された。※3東京都市大学オーストラリアプログラム

成蹊ブリリアントが始まる

――Society5.0時代に向けて、 半世紀ぶりの新学部開設、 副専攻制度も加えて 山型人材を育成

北川 浩先生 成蹊大学学長 北川 浩先生

~Profile~
1960年山口県生まれ。1989年一橋大学大学院経 済学研究科博士後期課程単位取得満期退学後、 成蹊大学経済学部専任講師に就任。1999年同学 部教授。学長補佐、経済学部長などを歴任し、2016 年より現職。専門分野は経済学(貨幣論、金融論、 人材開発論)。山口県立岩国高等学校出身

「自発的精神の涵養と個性の発見伸長を目指す、真の人間教育」を教育理念に、100年を超える歴史を刻んできた成蹊学園。 その中にあって、Society5.0※1においても通用する人材の育成をと改革に舵を切った成蹊大学。 2020年に向けての改革――「成蹊ブリリアント2020」について、1968年以来、 約半世紀ぶりとなる新学部開設※2などを中心に、その背景、ポイント、目指すところを北川学長にうかがいました。

※1 IoT、ビッグデータ、AI、ロボティクスなどの進歩(しばしば「第四次産業革命」と呼ばれる)によって到来する社会。
※2 1968年には、政治経済学部を改組し、経済学部および法学部を開設

100年の伝統を継承する成蹊Way

――「ゼミの成蹊」「プロジェクトの成蹊」「コラボの成蹊」

 成蹊学園が100年以上にわたり追い求め、築き上げてきた教育は、大学教育においては「ゼミの成蹊」「プロジェクトの成蹊」「コラボの成蹊」のキャッチフレーズに集約され、成蹊Wayと呼ばれています。 

 大正自由教育の旗手と言われた創立者中村春二は、教育には「師弟の心の共鳴」が欠かせないと考え、生徒一人ひとりをかたちの違うコップに譬えて、離れたところから一律に水を入れるのではなく、ごく近いところからそれぞれをしっかり見ながら入れるべきだと、風刺画も添えて語っています(図)。少人数制で、先生と生徒が至近距離で向き合う。これが「ゼミの成蹊」として大学に引き継がれています。

 成蹊学園はまた、創立以来、体験型学習を重視してきました。今でいうPBL(Project Based Learning)にも当たるもので、時に失敗する子どもたちに、それを通じて考えさせる。フィールドにも出て、本物や実物に触れる。また本物を探したり、本物を作ったりもします。これが「プロジェクトの成蹊」の原点です。

 戦前の成蹊女学校では、日光への植物採集旅行で実際に植物を手にとって、食べられるものとそうでないものについて生徒に教えました。この時、生徒たちの指導に招かれたのは後に世界的に名声を博す植物学者、牧野富太郎博士。できるだけ本物に触れることを大切にしてきたのです。

 旧制高校では、学内の芝生の植え替えは生徒が自らプロジェクトを組み、リーダー、係を決め、手順も考える。現在も課外活動、インターンシップや留学など、教室の外の学びを大切にするのは、こうした伝統を受け継ぐものです。  「コラボの成蹊」の原点は、旧制高校時代の浅野孝之校長の掲げた「大家族主義」に見られます。成蹊に通う児童・生徒・学生、教職員・卒業生はみな家族であり、何かするときはみなで協力して一緒にやろうという考え方です。現在の学園本館の建物では、ある時までは大学・高校・中学が一緒に学んでいましたし、昭和初期には学園の児童・生徒が食堂で一緒に食事をとっていました。また大学ではこれまで、都内の大学では珍しくなったワンキャンパスの利点を生かし、全学部、全サークルがまざりあって活動してきました。全学部横断型の丸の内ビジネス研修MBT(コラム参照)にも、この伝統は受け継がれています。

成蹊Wayで、Society5.0に求められる「総合的思考力」「創造的思考力」「真のコミュニケーション力」を育てたい

Q 今回の改革の目的をお聞きかせ下さい。

――「速い、広い、つながる」がキーワードとなるSociety 5.0 、AI時代※3を逞しく生きぬいていける人材を、成蹊Wayを柱にした教育で育成する、これが成蹊ブリリアント2020の改革理念です。これからの激しく変化する社会で、学生が活躍し、幸せに生きて行くのに必要な能力を身につけてもらうための教育、カリキュラム改革です。

※3 以下での「AI」は、機械学習、画像処理、音声認識、数理最適化、シミュレーション、応用統計などの総称
Q 具体的にはどんな能力とお考えですか?

――この10年間でスマートフォンは世界を激変させましたが、Society5.0では、それ以上に大きな変化が予想されます。牽引するのはAI、中でもディープラーニングと呼ばれる機械学習技術。その技術でできることできないこと、得意なこと不得意なことを見極めれば、人間にしかできないことが見えてくる。

 ただその前に、AIを作る側、使いこなす側、無関係に仕事をする側という3つの領域を想定して、どこに自分は軸足を置きたいのかを考えてみる必要があります。

 多くの人にとって、それはおそらく2番目と3番目でしょう。ただ、3番目の領域はどんどん縮小していくと予測されますから、みな2番目、つまりAIを使いこなす側に回りたいと考える。その時求められるのが、「総合的思考力」「創造的思考力」「真のコミュニケーション力」であると私は考えます。

 そして当然のことですが、AIを作る側に回らないにしろ、AIを使いこなすためには、一定程度以上のITに関するスキルや、それに対する理解力を持っておくことが大前提となります。もちろん文系学生においても、です。

Q 3プラス1、ですね?

――30年以上先はともかく、AIは社会常識や良識、見識といったものは持ちえないでしょうから、それを踏まえて総合的に考えることは人の手に残ります。またAIは、ビッグデータがあってはじめて力を発揮できるものですから、少ないデータ、あるいはデータのない状況での判断などは、やはり人間に委ねられる。その際、求められるのが洞察力であり、創造的思考力です。

「真のコミュニケーション力」とは、よく言われる《おもてなし》などに象徴される高度なコミュニケーション力です。最近は、会話するAI、感情表現するAIなどが時々紹介されますが、これらはそのふりをしているだけで、今のところ意思や感情のないAIには、そのキャッチボールである真のコミュニケーションはできません。

 よく使われる譬えですが、タクシーのナビに交通量、気象データ、イベントなどの情報を入れれば、お客さんがタクシーをひろう確率の高い走行ルートをAIは割り出してくれる。これはベテランドライバーならではのスキルでしたが、それがAIに取って代わられる。しかしそれがドライバーの仕事の全てではありません。快適にタクシーに乗ってもらえるような声掛けや雰囲気づくりもドライバー、人間の仕事なのです。  同じことは飲食業にも言えます。ロボットによる調理・配膳でランチを150円で出す店が出てきても、目の前で職人さんが寿司を握ってくれ、会話も楽しみながら味わえる1万円のお寿司屋さんはなくならないと思います。人間には人間によるサービスを求めるところがある以上、そういったサービスを提供できる店、人も最終的には残ると思います。

チームの一員に選ばれること、そのためには、突き抜けた個性も求められる

Q 総合的思考力と創造的思考力を育てるのは、まさに大学の役割ですが、具体的にはどのように育てますか?

――それを考える前に、もう一つ考えておかなければならないことがあります。それはこの二つの力とも、一人の人間によるものは限界があるということです。総合力や創造性の源泉である点在する知識の結合や連関は、多様な人間がたくさん集まれば集まるほど強大になる。これはとりもなおさず、Society 5.0、AIの時代にAIに負けない仕事をしようと思ったら、チームで仕事をすることが重要であることを意味します。それも強いチームが。個人の側からすれば、チームの一員に選ばれることが最優先になる。そのためには、ある種、突き抜けた個性が必要だと私は考えています。

Q それはどうしてでしょう?

――私は学生に話をするとき、よく人気のあるゲームを引き合いに出します。パーティーを組んで強い相手を倒すには、全員が似通った得意技しか持っていないとうまくいかない。つまりチームを少しでも強くするには、違う属性、個性、得意技を持った人、言い換えれば突き抜けた個性を持った人材、異なるバックグラウンドを持った人材が必要だと。そういうチームのメンバーに選ばれることがSociety 5.0で活躍する条件になる。それには何もかもまんべんなくできるより、得意分野で専門性を磨き、その中で突出した能力を持つことが重要になる。これは大学にとって、これからはそのような人材を育てる教育をしなければならないということを意味します。

Q 経済学部の改組、経営学部の新設はそのための第一弾ですか?

 これまで経済学部では、経済、経営、統計、教養など、好きなものを自由に学ぶことができました。これには良いところもたくさんあります。しかし、チームで働くことが大事な社会では、各自が得意技を磨く必要がある。大学の教育組織、教育体制にこれを当てはめると、学科の専門領域をもっと明確にし、これまで以上に専門性に磨きをかけてもらうということになります。

 そこでまず、これまで経済経営学科の1学科だった経済学部を、経済数理学科と現代経済学科に分け、経営学部 総合経営学科を新設し、それぞれに特色を持たせることにしました。

 経済数理学科では、経済学に不可欠な数理モデルを用いて定量分析やデータ分析に取り組む。入試でも数学を必須とし、入学後も全員に、数学や統計学、プログラミングを必須にします。

 現代経済学科では、経済学の知識をもとに、PBLやフィールドワークを多く取り入れ、多様な人たちとコミュニケーションを図りながら、社会課題の解決に当たります。  総合経営学科については、経営自体がトータルな人間的営みを対象にするものということで、総合経営学科という名称にし、新たに経営学部という独立した新しい学部にしました。

得意技プラス2で、山型人材を改革のもう一方の柱
副専攻制度

Q 副専攻制度も始められます。その位置付けは?

――得意分野を明確にし、専門性を磨くことは、創造的思考力を身につけることにつながりますが、総合的思考力を身につけるには、もう一領域、得意な分野を増やし、視野を広げる必要があります。そのために用意したのが、専門分野以外から自由に選択して学べる16の副専攻です。もちろんこの中には、一定程度以上のITリテラシーを身につけるためのものも含まれます。2020年度からは全学部の学生が、専門分野に加えてこの中から一つを――ITリテラシーの習得も含めれば二つですが――選んで身につけてもらう。まさに私の言う《山型人材》を目指してもらうのです。

Q 山型ですか?

――人材育成論の中でよく言われる「Π (パイ)型人材」(二つの専門分野を持つことでキャリアを安定させることを表す。T型に対比して用いられる)に少し工夫を加えたもので、中央の長い縦線が専門の力を、両脇の2本の縦線が副専攻で得た力とITスキルを表わします。この方がキャリアはもっと安定し、分野融合によるシナジー効果も大きくなります。

Q 副専攻制度についてもう少し詳しく。

――これまでの大学教育では、教養教育に幅広い視野を養う役割が期待されていましたが、それをテーマに沿って体系化し、専攻に準じる学びができるように科目群を構成しました。学生からすれば、自分の選んだ専門分野を深めるのに必要な周辺知識、あるいは関連知識が選びやすいし、また体系的に学びやすい。もちろんITやグローバルに活躍するのに不可欠なプログラムも特別につくってあります。

Q 具体的にはどのようなものがありますか?

――歴史文化学、哲学思想、地理環境学、社会福祉、公共政策、言語文化、グローバル・コミュニケーション、国際関係、経済学、経営学、法律学、政治学、文学、心理学、科学コミュニケーション、総合ITの16で、原則、全学部生を対象にします。

 このうち総合IT副専攻は、Society 5.0、AIの時代には欠かせないリテラシーを身につけるものとして重要ですから、どの学部・学科に所属していても、希望すれば全員がとれるようにしたい。そのために基礎知識やプログラミングの修得のための授業の半分以上をオンラインで行う計画です。現在、大学のカリキュラムは極めてタイトになっていますから、オンラインで行えるようにすることで、学生はどこでもいつでも学ぶことができます。小テストも受けられますから、それをクリアしないと次のステップに行けないようにもできる。また、オンライン上で指導者に質問したり、他の学生とディスカッションしたりもできるようにしたいと思います。

 もう一つの目玉は、グローバルに活躍したい人のためのグローバル教育プログラムEAGLEの一部が学べるのがグローバル・コミュニケーション副専攻です。 ちなみにEAGLE(Education for Academic and Global Learners in English)は、成蹊ブリリアント2020の一翼を担うもので、学部横断型で定員30名の特別プログラムです。2学科型グローバル教育プログラム統一入試(G方式)の受験が必要で、特別な外国語教育はもちろん、一年の夏休みにはケンブリッジ大学で3週間学び、2年では中長期の留学に出かけるなどの特別なカリキュラムが用意されています。留学先大学の多くで授業料が免徐されるほか、留学奨学金も支給されます。海外インターンシップやグローバル・キャリア・デザイン科目もあり、帰国後は自分の受けたい科目を英語で受けられます。意欲の高い人にはどんどん力をつけてもらえるプログラムという位置づけです。

多様性に満ち溢れた世界、チームで活躍するために

Q チームで仕事をするのに備えた取組は?

――突き抜けた個性の集まる多様性に満ちたチームで仕事をしていくには、多様な価値観を受容する心を育てておく必要もありますが、そのためには大学にも学生のダイバーシティを高める努力が求められます。外国人留学生、社会人、都会の大学なら地方出身者を、もっと増やすなどです※4。

 一方、インターンシップやボランティア、海外留学などの奨励、支援に加えて、正課授業においても、企業や官公庁と連携したプロジェクト型授業など、学生が学外の不慣れな環境で、多様な人たちと接触する機会を増やす必要もあります。その際、MBTのように異なる学部学科の学生同士でチームを組めるようにもしたい。

 最近は国内の地方大学との連携も始めました。昨年度に始まったのが島根県立大学との連携。本学の学生が島根へ行き、先方の学生と一緒に津和野の町おこしに取り組みました(写真)。都会育ちの学生には、川に鯉が泳ぐ津和野の町は新鮮そのもの。農家や商店街の人にインタビューしたり、企画や方向性について島根の学生と討論したりする中で、参加した学生の多くが飛躍的に成長したと聞いています。「サステナビリティ教育研究センター」と「Society5.0研究所(仮称)」で「Society5.O for SDGs」について研究、その成果を教育に還元「成蹊大学USR綱領」を定め、教育、研究、その他社会貢献活動を通じて《大学の社会的責任(USR)》を果たしていくことを宣言した成蹊大学。昨年には、持続可能社会に向けた取り組みや教育方法について、学園をあげて研究すべく「サステナビリティ教育研究センター」を開設し、2020年度からは、大学の教養カリキュラム(全学共通)の中に、「持続社会探求」の科目群を設け、研究の成果を大学教育にフィードバックする。また近い将来「Society5.0研究所(仮称)」を開設し、超IT社会の持続可能性について多面的に考察する。とりわけ技術倫理、情報倫理等についての教材研究に力を入れ、大学の情報教育にフィードバックさせるなど、「サステナビリティ教育研究センター」との両輪で「Society5.O for SDGs」に関する教育研究のトップランナーを目指す。

 グローバル化の観点からは、昨年度完成した国際学生寮で、外国人留学生と一緒に寝泊まりするような環境も用意し、希望者を募っています。今後は、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど地域を問わず、協定校を着実に増やし、多様性を経験できる場をさらに拡大していきたいと考えています。

※4 2020年度入学者からは、成蹊大学吉祥寺ブリリアント奨学金(地方出身学生予約型奨学金)が始まる。年額は45万円。詳細は成蹊大学HPへ。

「プロジェクトの成蹊」もイキイキ

 地域との連携では、本学のある武蔵野市が2020年東京オリパラのルーマニアのホストシティに予定されていることから、ルーマニアの人たちをおもてなしするために、学生がルーマニアについて学ぶプロジェクトや、吉祥寺駅の商業施設と組んで、育てた有機野菜を加工して販売するといったプロジェクトなどが動いています。プロジェクトに関わる学生たちはきびきびしていて明るく、やりがいを持って活動しているようです。

 最近は学生広報委員会も組織され、学内広報誌『ZELKOVA』(表紙画像)を制作するとともに、大学ホームページに掲載するコンテンツ作りにも参画しています。とても大変で忙しいそうですが、やはり楽しそうで、イキイキとしています。

Q 成蹊ブリリアント2020の取組は他にも?

――理工学部情報科学科では、2年次から「コンピュータ科学コース」と「データ数理コース」に分かれて学ぶようになるほか、文学部では、「日本語教員養成コース」と、行政やNPO による芸術文化振興の実務を学ぶ「芸術文化行政コース」の2つの学科横断コースが開設されます。

 今回の改革を、私たちは“ブリリアント”と形容しました。ここには、大学が大きく動き出すことで個性を発揮し、そのことを通じて学生の個性を輝かせたいという思いが込められています。100年を超える伝統を受け継ぎ、一方では、これまでにない変化が予感されるSociety5.0に向けて、さらなる改革を進めていきたい。成蹊ブリリアント2020はその大事な一歩になると考えています。


高校生へのメッセージ

 私のこれまでの経験では、一生懸命打ち込んだことでムダになるものは何一つないと思います。学生時代、自分たちで法律の研究会を作って勉強したことは、大学執行部で何もないところから規則を書くことに役立っています。趣味といえども、一生懸命打ち込んである程度のレベルまでいくと、いつか何かで活きてきます。みなさんも、どうしてもやりたいこと、食べるのも忘れて打ち込めるものをぜひ見つけて下さい。

 もう一つ伝えたいのは、大学受験は決してゴールではないということ。学生時代は、社会に出るまでの4年間を、どう過ごすかを考える最後のチャンスです。いろんな勉強や経験もできます。しかも失敗しても許される。ワクワクして大学へ入り、ワクワクしながら4年間を過ごしてほしいものです。


丸の内ビジネス研修MBT Marunouchi Business Training

 私の専門は経済学ですが、就職部長、キャリア支援センター所長時代に、企業の人たちと接する中で、人材育成論に興味を持ち、キャリア教育の体系化に取り組むようになりました。そしてその中で考えていた理想を、何とか実現させたいと考えて始めたのがMBTで、今年で7年目を迎えます。

 MBTでは、春に全学部から3年次の学生を選抜し、場合によっては院生も交えて6、7人のグループをいくつか作り、日本を代表する企業から課題をもらいます。そして約4ヶ月かけてその解決策を考え、最後は8月に、丸の内の会議室で課題をもらった企業の人たちを前に、スーツ姿でプレゼンテーションを行います。

 指導する教員も全学部から集め、一つのチームに複数人割り振ります。教員が一人だと、学生がその教員の言うことを聞いてしまうからです。教員の意見が常に正しいとは限りません。違う意見も聞けるようにすることで、教員の意見もたくさんある見方の一つに過ぎないことを知ってもらうのです。 協力企業は例年20社前後。当初は成蹊ゆかりの三菱グループ20数社を回って協力を依頼しました。提供される課題は様々ですが、中にはかなり難しいものもあります。例えば昨年度は、「2020年に向けて丸の内アンバサダーの新しいサービスを考えよう」というもの。学生たちは、丸の内アンバサダーや丸の内の歴史について調べたあと、丸の内の弱点を考えたり、東京駅に立って丸の内を往来する客層を調べたりしました。プレゼンテーション前日は、資料の練り直しや練習で徹夜。プレゼンテーションが終わった後は、ばったり倒れそうだったと。しかしこうしたアウェイの緊張感の中で、必死でやりきり達成感を味わった経験は、何物にも代えがたいものですし、それが彼らを驚くほど成長させたのはまちがいありません。

「サステナビリティ教育研究センター」と「Society5.0研究所(仮称)」で「Society5.OforSDGs」について研究、その成果を教育に還元

 「成蹊大学USR綱領」を定め、教育、研究、その他社会貢献活動を通じて《大学の社会的責任(USR)》を果たしていくことを宣言した成蹊大学。昨年には、持続可能社会に向けた取り組みや教育方法について、学園をあげて研究すべく「サステナビリティ教育研究センター」を開設し、2020年度からは、大学の教養カリキュラム(全学共通)の中に、「持続社会探求」の科目群を設け、研究の成果を大学教育にフィードバックする。また近い将来「Society5.0研究所(仮称)」を開設し、超IT社会の持続可能性について多面的に考察する。とりわけ技術倫理、情報倫理等についての教材研究に力を入れ、大学の情報教育にフィードバックさせるなど、「サステナビリティ教育研究センター」との両輪で「Society5.OforSDGs」に関する教育研究のトップランナーを目指す。

新たな学びの設計書を手に

大学新入試元年を来年度に控えて

京都大学特色入試
第1回合格者による振り返り座談会

2016年度入試から始まった京都大学特色入試。
その第1回合格者のみなさんに4年間を振り返り、
これまでの生活や入学時からの変化を語っていただきました。
(本紙121号、122号に入学時の対談、座談会を掲載)

森 詠美さん 森 詠美さん
経済学部 4回生
三重県立川越高等学校出身
土肥 真瑳さん 土肥 真瑳さん
文学部 4回生
開明高等学校出身
若林 良輔さん 若林 良輔さん
文学部 4回生
駒場東邦高等学校出身
唐澤 和さん 唐澤 和さん
教育学部 4回生
東京学芸大学附属高等学校出身
纐纈 佳凛さん 纐纈 佳凛さん
総合人間学部 4回生
滝高等学校出身

特色入試生として大学にいる中で、
他の学生との違いなどは感じましたか?

唐澤 大学から特別な追跡を受けている感じはありませんでした。他の学生と比べて何か違いがあるわけではないし、カリキュラムも差はないです。先生方に顔を覚えてもらえているなという印象はあります。教育学部の特色は5,6人しかいないので「あなた特色生だよね」と先生に言われると、ひどい点数取るわけにもいかないという気持ちになり、それはいい意味でプレッシャーでした。

纐纈 私は特色入試の合格最低点だったので、周りの特色生がしっかりやってくれるだろうと思ってあまりプレッシャーはありませんでした。特色で入れたことがラッキーって感じで、あとは自分の人生だと思い、学業もさることながらサークル活動に打ち込んでいました。私は参加できませんでしたが、最近、総合人間学部の特色生が先生に集められて話をしたと聞きました。

森 私も同じように他の人と比べて何も変わったことはありませんでした。経済学部は25人ほど特色生がいましたので特別扱いということもありません。経済学部ということもあって、経営系ゼミに入って、周りの人が経営学をきっちり勉強する中で美術を軸に持った自分がいるのは特色で入れたからかなと思いますね。変なヒトがいると思って面白がってもらえたので、居づらさはなかったですね。 若林 自分の研究室の教授に「僕は特色で入ったんですよ」と話をしたら「そうなの?」と言われました(笑)。特色だから先生方に見られているかもと思ってましたが、先生たちでも知っている人と知らない人がいるんでしょうね。

特色生であることで何か困った点は?

纐纈 合格が決まるのが一般入試生よりも一月ほど早いので、受験勉強していた時に比べて入学時は少し英語力が落ちたかなと思う部分がありました。最後の最後に根詰めて勉強することもありませんでしたから。周りの友達が頑張っていたので一緒に頑張れた部分もありますが、モチベーションを保って勉強し続けるのが少し難しかったですね。

若林 そうですね、大学始まるまで何をモチベーションにしたらいいのかわからなかった。合格決まってから勉強しなかったな…(笑)。

土肥 早めに合格が決まったことで新生活に向けてゆっくり準備できたのはよかったですね。

森 数学が得意ではなくて、特色入試では数学を解くことなく入学したので当初は不安もありましたが、大学なので数学があまり必要でない授業を選択できますし、数学が必要になったとしてもできる人に助けてもらえたので、特段困ったことはありませんでした。 唐澤 一般入試を通っていないという多少の後ろめたさはありました。私たちの年から始まった特色入試だから、ついていけなかったら特色入試を自分が否定する例になってしまうので。やや強迫観念的でもありましたけど、おかげでやる気を維持できました。結果的には良かったですね。

みなさんは入試の際に4年間の学習計画を
記した「学びの設計書」(以下、設計書)を
大学に提出していますが、
そこで書いたこととの相違点や、
書いたことで学生生活への影響は
ありますか?

森 私は現代アートのマネジメントに取り組みたくて、美術史などを扱う文学部ではなく経済学部に入りました。そこから自分のやりたいことがぶれることはありませんでしたね。経済学部での学びはアートに特化していたわけではありませんが、授業を通して経営学に興味を持てて自分の幅が広がったと思います。アート関連のスキルは、展覧会の企画運営にバイトやインターンを通じて携わることで勉強していました。春から就職することは決めているのですが、自分がどういう形でアートに携わるのかを少し悩んでいます。キュレーター(※博物館や美術館で研究・展示・保存・管理などを行う役の人)になりたいのですが、展覧会の企画運営に徹するのか、その内容に対して責任を持つ立場につくのか、というところでまだ決めかねています。

若林 卒論で扱う内容もこの先の大学院でやろうと思っていることも、設計書の通り地方交通についての研究です。高校生のときと違うことと言えば、もう少し現実に即した考え方をできるようになったことでしょうか。地方都市には新しいことに取り組むお金も体力もないことや、海外と日本では公共交通に対しての感覚が違うので、海外のシステムをそのまま日本に取り込むのは難しいこと。実は工学部でも都市交通を扱っている研究室があること、そもそも地理学とはどういう学問で工学部とは何が違うのかなどなど、多くの視点から考えられるようになりました。その上で自分のできること、やりたいことは何か考えると、設計書に書いたことに現実味を加えたものになっていました。知識や考え方が進歩しても自分の行き着く先は同じだったんですね。

唐澤 私は教育格差に興味がある旨を設計書に書いたのですが、今取り組んでいる題材は受験に関する教育社会学で、当時の問題意識をもっと自分自身に惹きつけた形になっています。私は小学校受験を経験しているのですが、そういう人は社会全体で見たらごく少数。そういう自分が取り組むことで当事者性というリアリティや、自分がやる意味が見いだされる気がしています。
私は設計書のコピーを取って京都に持ってきていて、学年の節目ごとに読み返していました。どのゼミを選ぼうか、何がしたかったのかと思い悩んだときに設計書を読み返すと、高校生のときに考えていたことを通じて、どういう軌跡でここに来たのかが思い出されたんです。もちろん入学して変わったことはありますけど、高校の段階で思考を整理しておいたことは良かったと思います。やりたいことがないと漏らす同期の人を見ると、考えを自分の言葉にしておいてよかったなと思いますね。研究テーマが見つからないなどということはありませんでした。

纐纈 先に自分のやりたいことを整理できていたのはよかったですね。周囲には思っていた学びと現実が違うと思って転学部(学科)した人もいるので、この学部で自分は何ができるのかを、特色入試を受ける段階で調べていたことは大きな一歩でした。大学の授業を受けていく中で興味を惹く別のテーマに出会い、私は設計書とは違うテーマで卒論を書くことにしたのですが、それでもどうしてこの学部に入ったんだろうと思うことはなかったですね。サークル活動の受験生サポートを通じてたくさんの受験生と出会う中で、設計書を書き自分のやりたいことを整理するというのは重要だと感じています。

土肥 学びの設計書を書いておくというのは自分の考えを整理するきっかけにもなりますし、有言実行できる良さがありますね。ただ僕は設計書と今やっていることが違っていても全然いいと思います。多くの学部は一学科制で興味の振れ幅を許容できる仕組みになっているんですから、迷って考えて変えることは悪いことじゃない。
僕は卒論を、学びの設計書に書いていたとおりに西欧の歴史で書くことにしましたが、学びの設計書に書いたことを守らなくてはとの思いが強すぎて、視野が少し狭くなってしまったと思う部分もあります。もう少し幅広いジャンルに触れておけばよかったかな。自分が特色だというのは自分で言わなければ周囲の学友には知られないので、自分だけが気にしているだけだとは思うんですけどね。 若林 専攻や進路など色々と悩むことがあると思うのですが、その時に比較するための基軸として設計書が活躍してくれました。設計書を書いていたことで大学生活に余裕が生まれると思いますね。

後輩たちに特色入試を
薦められますか?

土肥 特色入試受けたいなと思うなら、気負わず受けてみるといいと思います。文学部の場合、特色だからって何も他の人とかわることはありませんから。自分の将来を考えるいい機会ですし。1回生のときは、負担もあることだし安易に薦めようと思わなかったかもしれないけど、今は薦められますね。

唐澤 設計書など書類の準備に時間がかかるかもしれないけど、リターンは大きいです。できることならみんな書けばいいのにと思うほどです(笑)。設計書を書いているときはきれい事ばかりだなと思っていましたけど、きれい事だとしても本心で興味のあること、勉強のことじゃなくてもこういう大学生活がしたいということを明確に認識しておけば、逆算して学生生活を思い描くことができると思います。例えば自分はたくさん留学したいから単位の取りやすいところに入ろうとか。誰でも自分が入れるところでいわゆるいい大学に行こうと考えるのは当たり前のことだと思いますが、合格することとは別の大学選びの理由を考えて、自分の中で言葉にしておくことは、入学した後、自分の指針になると思います。 纐纈 一回受験のチャンスが増えると思って受けてねっていうのは、入学当時と変わりませんね。いろんな問題解くのが好きだった身としては、特殊なタイプの問題を解けるのは楽しいし、一般入試とは違う見方が得られるという点ではお薦めできます。でも、今後、入試制度が変わることも踏まえると、書類準備に負担はあるので、一般入試で手いっぱいなら無理して受ける必要はないかなとも思います。

あらためて4年間を振り返って、
これからの進路についてお聞かせください。

森 今も就職に関して悩んでいますが、大学に入るときも京大かロンドンの美大kかで迷っていました。きっとロンドンの美大に行っていたとしても京都にいたらよかったと思う部分もあったと思いますし、選んだ道以外のことについては、いい悪いは言えないというのが本音です。京都にいたことで、たまたまの縁ですが展覧会の企画などに携わったりできましたし、経済学部の同期は外資のコンサルや金融機関に行く人が多いのですが、そういう人たちと一緒に勉強できたのは面白かったと思います。そういう意味では京都にいてよかったと思いますね。

纐纈 私は自分が特色生であるというプレッシャーを感じることもなく、のびのび過ごせたと思います。回生(学年)が上がるにつれて自分が特色生であることを忘れていってしまうほどでした。学生生活を振り返るとサークルに力を入れすぎてしまったかなとも思いますが、授業を通じて都市環境に興味を持ち、就職もインフラ系に進むことになりました。希望すれば会社で国際事業部に所属できるので、設計書に書いていた国際問題には、大学を出てから携われたらと思っています。

土肥 後悔ではないのですが、もっといろんな人やものに触れておけばよかったと思います。学年が上がってサークル活動も落ち着いてきたので、いろんな本をゆっくり読む時間ができたのですが、面白いものがたくさんあるものだと今更ながら実感しています。先生方の専門の話を聞く中でも、それぞれにこんな面白さがあったのかと気付かされたり、未だに多くの面白いに出会っています。みなさんが大学に入ったら、専門とは一見関係のない授業に出てみたり、隣に座った学生に話しかけてみたり、ぜひ臆せず色々な物事に触れてみてください。

若林 来春から大学院に進みますが、修士課程を終えてからは就職しようと考えています。大学生になってからは、高校のときに比べて確かに自由は増えたかもしれませんが、実は本当の自由を見落としてしまっているんじゃないかとふと思うことがありました。やらない自由を謳歌するより、やる自由を掲げることが今後の自分に繋がるように感じます。4年間で自分の視野を広く保たなくてはいけないと感じたことや、実際に地方自治に携わるには、自分の手足を動かして地域の実情を知ることが必要だということを踏まえて、今は研究職にこだわらずに進路を考えたいと思います。
そして、実は何かクリエイティブな仕事をしたいなという野心があるんです。新しい環境で何かをやっている人を見ると羨ましいなとずっと思っていて、機が熟せば自分のクリエイティビティをビジネスで試してみたい。自分はポジティブ思考なので、やろうと思ったらできる気がするんです(笑)。うまく行けば周りの人が褒めて、期待してくれて、それに応えようと自分がさらに奮闘できる。そういうサイクルでここまでやって来たことがそうした自信につながっているのかもしれません。 唐澤 高校生の時に見えていた大学よりも実際の大学はよっぽど広かった。教育学、さらにはその中の教育社会学を例にとっても、こういう研究の分野があって、そこにいる院生や先生方が想像を超える熱量で取り組んでいることに驚かされました。高校時代には見えていない世界を覗き見たような、そんな4年間でした。こんなに広い世界が広がっていることを知ることができたのは意味があることだったと思います。高校生の自分にはまだ見えていない面白いこともいっぱいあるよと言ってあげたいですね。これもきれい事かもしれませんが(笑)。ほんの少しでも知の蓄積を生み出そうとしている人がいて、そういうものに触れることができたことが、京大に入学してよかったことだと思います。大学やここで活躍している人たちは魅力的で、いずれは大学院に戻りたいとは思いつつ、大学の外の社会にも面白いものがあって,それを知って好きになれたらいいなと思い、私は就職することにしました。今もまだまだ視野は狭いですが、昔に比べたら見える世界は広がりましたし、視野が広がる楽しさを4年間を通じて知ることができましたから、これからも見える世界を広げていきたいです。

イノベーティブな世界市民育成のために

文系・理系の垣根をなくした分野横断教育で、AI活用とともに
“誠実さと品位”を身につける

村田 治先生 関西学院大学 学長 村田 治先生

~Profile~
1955年生まれ、東京都出身。1980年3月 関西学院大学経済学部卒業、1982年3月 同大学院経済学研究科博士課程前期課程修了、1985年3月 同博士課程後期課程単位取得退学、経済学博士。1989年関西学院大学経済学部助教授を経て、1996年教授。教務部長、経済学部長、高等教育推進センター長を務め、2014年より学長。2017年より中央教育審議会委員。専攻はマクロ経済学、景気循環論。著書に『公債と財政赤字のマクロ理論』(有斐閣 1996年)、『現代日本の景気循環』(日本評論社 2012年)など。あしなが育英会副会長(2005年~)も務める。大阪府立生野高等学校出身。

小高い丘を登り、青々とした芝生の向こうに立つ時計台と背後に聳える甲山を見上げ、「この大学で学ぼう」と入学を決意した村田治学長。それから40年余。「Kwansei Grand Challenge 2039」(KGC2039)※1を軸に、さらなる改革を加速させる関西学院大学を牽引する。「時計台を中心に実学的な学部を左、精神的な営みを探求する学部を右に配し、その両面を身につけるというキャンパスの構図※2が、“素直な”気風を育ててきたのではないか」「今後は品位に加え、強さを取り入れていくことが課題」と語る村田学長に、Society 5.0※3へ向けての人材育成、そのための改革についてお聞きしました。

※1 創立150周年となる2039年を見据えた「超長期ビジョン」と、2018~2027年の方向性を示す「長期戦略」からなる。教育の質保証や学生の学修成果の修得、「質の高い就労」の実現に向けST比の改善、神戸三田キャンパスの活性化、理系の充実などのための実施計画が盛り込まれている。
※2 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrel Vories、1880~1964年)の設計による。ヴォーリズはアメリカ合衆国に生まれ、1905年に来日し、宣教活動の傍ら、学校建築をはじめ数多くの西洋建築を手懸けた。西宮上ケ原キャンパスの設計では、関西学院の個性と独自性を赤い瓦屋根とクリーム色の外壁が特色のスパニッシュ・ミッション・スタイルで表現した。2017年には、1929年の上ヶ原キャンパス移転以来、その設計思想を継承しながら施設の機能向上を図っていることが評価され、日本建築学会(業績)賞を受賞している。
※3 AI、Iot、ロボティックスなどの進歩によって到来する超スマート社会。

Society 5.0へ向けて、
今大学に求められていること

 経済のグローバル化が進む中、少子化、高齢化社会を迎え、労働人口が急減する日本が、これまでの豊かさを維持するにはさまざまな分野でのイノベーションが欠かせないと考えられます。その担い手として期待されるのがベンチャー企業、中でもそれを牽引するアントレプレナー(起業家)で、その育成は多くの大学の共通課題となっています。

 近年、日本は、これまでの経済成長を支えてきたイノベーションを生む力が弱まってきていると言われ、多くのイノベーションには何らかの技術革新、またはそれを促す研究開発力が欠かせないとされています。そのバロメータとも言える優れた論文の増加率は他の先進諸国に比べて見劣りし、世界シェアも低下、またかつては世界一だった特許の出願件数も3位へと後退しています。研究開発への投資額はヨーロッパと比べて遜色ないのに結果が出ていない。これは「人材育成の方法や組織がうまく機能していないからだ」と言わざるをえません。

 原因の一つと考えられるのが、理数教育の弱体化。この春には文部科学省と経済産業省が「数理資本主義の時代」をまとめ、Society 5.0へ向けては理数能力の育成が急務であると警鐘を鳴らしました※4。また、2017年度には、日本の研究開発力の低下はゆとり教育で数学と理科の授業時数が極端に減ったことが原因ではないかという、経済学者グループによる報告も出されています※5。これはスタンフォード大学のハヌシェク博士(Eric. A. Hanushek:エリック・アラン・ハヌシェク)による、PISA(Programme for International Student Assessment:国際的な学習到達度に関する調査)等の国際学力テストの数学と科学の成績が、生産性や経済成長率と相関関係にあるという指摘とも一致します。

 AIやIoT(Internet of Things)、ロボットに日常的に囲まれるSociety 5.0では、文系の人間であってもこれらの基本的な構造を理解しておくこと、理数系についての基礎的な素養、特に微積分学、代数学、そして統計学などの理解は最低限必要でしょう。しかし日本ではこれまで、大学受験のために理系と文系を分け、大学進学後も卒業後も、その区分に沿ったキャリア形成が大半を占めてきました。その結果、理系人材は文系の出身者に比べてコミュニケーション能力が低く、逆に文系人材は論理的思考能力が弱いなどの極端な通説(俗説)さえも生まれています。

 ここへきて、中央教育審議会でも高校段階での文理分けをなくし、たとえば数学なら全員に数Ⅲまで学ばせることなど、大学分科会と初等中等教育分科会を巻き込んだ議論が始まろうとしています※6。

 日本における人材育成や組織のもう一つの弱点は、戦後、工業化による高度成長を目指して大量生産に適した人材を育てることに力が入れられ、アントレプレナーに求められる個性や強みを伸ばすことに注力しなかったことです。

 Society 5.0へ向けて、求められる能力、教育の目的が世界的に変わる中、この方法は限界にきています。日本経済団体連合会会長による昨年の新卒一括採用についての発言はその象徴ではないでしょうか。「日本人はプロセスイノベーションに強くて、プロダクトイノベーションが弱い」、つまり「できたものをより効率的に生産していくのは得意だが、新しいものを作るのは苦手」などとも言われてきました。しかし、関西学院の二つの国際学校※7の生徒たちを見ている限り、これは教育や制度、組織のあり方によるものだと実感しています。

 この度の大学入試改革の目的の一つは、教科の学力という、人間の能力のほんの一部を問うことからの脱却です。アントレプレナーに求められる資質なども含め、偏差値で表される学力以外の能力を伸ばそうという意識が、教育において希薄になっていたことは否めません。新しい学習指導要領の下、今後、中学、高校では「主体的に学習に取組む態度」を育む探求型学習などが重視され、基礎学力の養成においてもこれまでとは違ったアプローチが図られます。大学としても、高校までの取り組みをしっかり受け止められる入学者選抜の方法を充実させ[左コラム]、これからの社会で求められる力、企業のニーズはあるが具体的には示せていない力、イノベーションを生むための力の育成に注力していかなければならない。日本の教育もここで変わらないと、社会や経済は危機的な状況に陥ると思われます。

※4 理数系人材の産業界での活躍に向けた意見交換会の記録をまとめたもの。「Society5.0の実現には、高い理数能力でAIのデータを使いこなす力に加え、課題設定し、それを解決していく力や、異なるものを組み合わせる力など、AIでは代替しにくい能力を用い、価値創造を行う人材が求められている」とある。
※5 「学習指導要領の変遷と失われた日本の研究開発力」。西村和雄(神戸大学特命教授)、宮本大(同志社大学)、八木 匡(同志社大学)による。
※6 4月17日の中央教育審議会への諮問の中で、高等学校教育のあり方について「いわゆる文系・理系の類型にかかわらず学習指導要領に定められた様々な科目をバランスよく学ぶことや、STEAM教育(Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(芸術)、Mathematics(数学)等の各教科での学習を実社会での課題解決に生かしていくための教科横断的教育の推進」とある。
※7 関西学院千里国際中等部・高等部と関西学院大阪インターナショナルスクール。

AI活用人材育成プログラムとKwanseiコンピテンシー

 本学ではこの春から、日本アイ・ビー・エム株式会社と組んで、全学部生を対象に「AI活用人材育成プログラム」を始めました。大学卒業後、営業や現場を統括する職種に就く学生であっても、これからはAIの知識、さらにはAIへどのようにデータを与えればいいのかなどを知っておかなければならないからです。

 AIに代替できない能力の育成も急務と言えます。この観点からは、卒業までに身につけるべき能力・資質を10のKwanseiコンピテンシー(右上図)としてまとめました。知識、技能に関するものは二つしかなく、本学の重視する「誠実さと品位」が組み込まれています。もともと各学部には学位プログラムがあり、それぞれに入学者選抜、カリキュラム、学位授与の三つの方針(AP、CP、DP)がありますが、多くは知識レベルのアウトカム、アウトプットを求めていますから、それらに加え、すべての学生が学部の区別なく身につけるものと位置付けました。入学時と卒業時の2度の調査で達成度を測り、これに就職先や社会へ出てからの活躍の様子、あるいは入試の成績などを加味すれば、IR(Institutional Reserch:大学経営に必要な調査や分析、またはその組織)の貴重な資料にもなるはずです。 コンピテンシーの育成を教育の一つの柱として考えると、対面式の、人と人とが向き合う教育がますます重要になってきます。と同時に、正課の授業で知識を学び、技能を身につけることに加え、幅広い経験も不可欠です。そこでKGC2039では、課外活動、体育会や文化クラブの活動などを、正課外教育として位置付けました[下コラム]。チームワーク力やリーダシップ、あるいは忍耐力などの育成には、これらの活動が大いに役立つからです。さらに言えば、キャンパスのありよう、たたずまい、その美しさへの配慮も欠かせません。それらはそのための大きな力になるはずだからです。

神戸三田キャンパスを一大改編。
理系学部の充実と文理横断教育を加速

神戸三田キャンパスを空撮した写真

 2021年春、理数系人材育成の強化と、文理横断教育の加速を通じて、これからの社会が必要とするイノベーションの起こせる人材、アントレプレナーの育成を目的として理系を中心に神戸三田キャンパスを大きく改編します。キャッチフレーズは“Be a Borderless Innovator”(境界を超える革新者)。学生が国境、文系・理系の枠、学問分野、大学と社会などの様々な境界を越えて活躍することをイメージしています。

 具体的には現在の理工学部を理学部、工学部、生命環境学部、建築学部の4学部に改組、発展させ、総定員はほぼ変えることなく再編します※8。規模は拡大せず分野を広げ、分野横断型の学びを充実させたい。関西の私学では最もバラエティーに富んだ理系の拠点を目指すとともに、地球規模の課題解決を目指すサスティナブルエナジーの一大研究拠点の形成も図ります※9。

 文系と理系、学問分野間の境界を越えた学び、分野横断型の教育システムの展開にも力を入れます。一つは、西宮上ケ原キャンパスで実績のあるメジャー・マイナー制度を神戸三田キャンパスでもさらに発展させます。すでに本学では、学部間の垣根が低いという特徴をいかして、2004年に4年間で二つの学位を取るマルチプル・ディグリー制度を、2014年のスーパーグローバル大学創成支援事業(SGU)採択以降は「ダブルチャレンジ制度」※10を教育の基本に置いてきましたが、神戸三田キャンパスでもこれらをさらに強化していきたいと考えています。

 また、メジャー・マイナー制度ほど大がかりではありませんが、各学部から基礎的な専門科目を中心に12科目程度の科目群を提供してもらい、他学部の学生が自由に履修できるようにする予定です。

 アントレプレナーの育成では、理系でありながらもアントレプレナーシップを持った人材、特に今後は数学のできる人材が重要視されることから、理学部を開講母体に、アントレプレナー育成科目をつくり、これに総合政策学部が提供する「経営、知財、会計、マーケティング等の科目群」や、「AI活用人材育成プログラム(10科目)」を組み合わせた育成プログラムを創設。同窓のベンチャー企業創業者らの支援でインキュベーション機能も整備し、学生の起業を後押します。

 新たに設ける学部では、工学部を物質工学、電気電子応用工学、情報工学、知能・機械工学の4課程からなる課程制とし、物質と電気電子、情報と知能といった隣同士の課程でマルチプル・メジャー制度を設け、「タコ壺型」の教育・研究に陥らないようにします。建築学部では、かつての構造計算中心から、デザインや都市計画などについても学べるよう時代に合ったカリキュラムを提供します。工学系であると同時に、総合政策学部と連携し、理系、文系双方の視点から学びを深めてもらおうと考えています。

 さらに、理学部は、1961年の西宮上ケ原キャンパスでの発足時の名称に戻し、私学としては唯一、電波、X線、赤外線の3つの天文学を揃えた「物理・宇宙学科」を創設する点が大きなトピックスとなります。

 生命環境学部では、国際的なPBL(課題解決型学習)プログラムに力をいれるとともに、植物、昆虫、微生物について機能分析などから取り組む「生物科学科」を創設します。また、医学部ではないものの、生命について学べる生命医科学科の充実も図りたいと考えています。

 以上ご紹介した予定、構想のほかにも、1年半後の開設までには企業との連携も含めたいくつかの仕掛けも用意しようと考えています。 ※8 新設の学部・学科・課程の名称は仮称(設置構想中)。今後、変更になる場合がある。総合政策学部は現在の590名を495名にする一方、建築学部を含む理系は805名と増やす予定。

※9 4月にはSDGs推進本部を発足。中でも大きな柱であるエネルギー問題については、理学部の次世代有機ELやパワーエレクトロニクス、生命環境学部の人工光合成、建築学部のネット・ゼロ・エネルギービルの研究などに期待が集まる。
※10 全学生が自身の所属学部や主専攻の学び(ホームチャレンジ)に加えて、異なるものとの出会いの場に挑戦する(アウェイチャレンジ)独自の教育制度。「インターナショナルプログラム」(留学等の国際交流)、「副専攻プログラム」(他学部での体系的な学び)「ハンズオン・ラーニング・プログラム」(社会での実践型学習)の3つから構成される。
神戸三田キャンパスの写真

JEP(Japan e-Portfolio)事業

 関西学院大学は昨年度まで、国の「大学入学者選抜改革推進委託事業(主体性等分野)」に採択され、eポートフォリオを活用するなどの研究プロジェクトを行ってきた。今春には、複数の大学と一般社団法人 教育情報管理機構を立ち上げ、引き続きeポートフォリオを入試に反映させていく仕組みについて研究する。

アカデミックエリジビリティー
Academic Eligibility for KG athletes
(関西学院大学体育会員に関する対外試合出場のための資格制度)

 今春の入学者から実施されている、体育会所属の運動部の学生に対して一定の単位を取らなければ試合に出場できないとする制度。一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)の動向も見据えながら、学生スポーツ、運動部の活動は、本来、教育の一環であると、文武両道の原則を再確認する。

ポスト2020、日本の美しい街並み、
建築のために今求められる、
文理融合型の人材

デキル!学部
明星大学 建築学部(2020年春開設)

2020年の建築士試験の受験要件緩和(建築士法改正)に対応
したカリキュラムで、学部卒業で全員一級建築士受験資格を

村上 晶子 教授 建築学部 学部長予定者
村上 晶子 教授

~Profile~
1984年東京藝術大学美術学部 建築科卒業。1986年東京藝術大学美術研究科建築設計専攻修了。1986年坂倉建築研究所入所。2001年株式会社 村上晶子アトリエ一級建築士事務所設立。2005年~明星大学理工学部建築学科 教授(現総合理工学科)。2008年~2013年九州大学客員教授、博士(工学)九州大学。日本建築家協会登録建築家。一級建築士・福祉住環境コーディネーター。神奈川県立湘南高校出身。

世界を魅了する景観、歴史的建造物に比べて、個性がなく美しさに欠けると評される日本の街並み。人口減少社会の中でのインフラの老朽化や空き家問題、環境問題など、これからの建築家、街作りの専門家には幅広い視野や多岐にわたる能力が求められます。また建築士養成では、2020年からの建築士試験の受験要件の緩和(建築士法の改正)へ向けたカリキュラムの刷新も急務です。こうした中、文系の高校生にも建築士への道を開き、文理融合による建築学の再構築を目指すのが、明星大学が来春開設を予定している建築学部。その開設の主旨や背景、狙いなどを、日本における宗教建築の第一人者で、日頃「建築のわかる市民、行政職員の数をヨーロッパ社会のように増やしたい」と語られる村上晶子学部長予定者にお聞きしました。

日本の街並みは
なぜ美しくないのか?

 その原因は、江戸時代までの木造中心の循環型の建物、街並みが、レンガや石造りの西洋建築、西洋的な街並みへと転換されることになった明治期に遡らなければなりません。

 建築という言葉は江戸末期の造語ですが、一般に認知された経緯は、伊東忠太※が、当時の「造家学会」を「建築学会」に改称して建築という言葉を広めようとしたことに遡ります。「造家」という言葉には芸術的な意味合いが抜けているとの思いがあったため、機能的な構築物とは一線を画した《建築》に改称した経緯があります。

 「建築」architectureは、歴史や文化、人々の日常生活にも目配りし、科学からアートまでを含んだ抽象的概念を表わす言葉です。彼の思想はその後の建築界に大きな影響を与え、大正後期までは、それまで木造建築しかなかった日本にも、美しいレンガや石造りの建築がたくさん現れました。 ところが1923年(大正12年)の関東大震災を境に、日本の建物、街並みは安全、防災を最優先とし、建築に対する考え方も、構造設計、つまり工学的要素を重視したものに転換しました。この流れは、第2次世界大戦後の国土の復興、それに続く高度成長期に拍車がかけられました。急激な人口増から住宅を増やすことが最優先とされ、法整備も後追いとなる中で、建築物は画一的で個性に乏しく、街並みは乱雑なものにならざるをえなかったと思います。この流れはバブル崩壊で、一旦押し留められるかに見えましたが、直後に始まったグローバル化によって、東京への一極集中が推し進められ、超高層ビルによる中心街の形成は、他の主要都市にまで及び、美しい街空間への期待は大きく後退しました。同時に、地方の疲弊が進んだことは今更説明するまでもないと思います。こうした都市政策、街作りが、住む人の生活の豊かさや幸せにつながっているのかどうか、若いみなさんの意見をぜひお聞きしてみたいと思います。

※1867〜1954 東京大学名誉教授。建築家、建築史家 日本建築を最初に見直し、日本建築史を創始したとされる。

総合大学の良さを活かして、
これからの建築の課題に応える

 しかし近年は、超高齢化の進展、低成長、人口減少社会への転換、建築、街並みを取り巻く状況は一変しています。ついてはこれまでの高度成長を前提とし、経済優先の建築、思想なき街作りを一旦リセットし、未来へ向けてパラダイムを転換する必要があるのではないでしょうか。あわせて、新しい価値観を持った建築のプロフェッショナル、市民の育成と、大学における建築教育の改革も急務です。

 建築の伝統が深く根付いたヨーロッパでは、家を建てること一つをとっても、日本に比べてもっと身近なことであり、建築物や街並みに対する住民の当事者意識ははるかに高い。子どもの頃からの建築教育にも熱心ですし、大学における建築学部の多くは独立していて、芸術、美学系に加えて、経済学や心理学など、人文・社会科学系の科目も充実し、建築が中心の体系だった教養教育が備わっています。その上、ミケランジェロ以来の伝統を持つイタリアなどでは、学生数が5000人規模のものもあります。もちろん卒業生のすべてが建築士になるわけではありませんが、建築についての基礎的素養を持ち、街作り、身の回りの環境に対して意識の高い市民、行政マンを数多く輩出しています。

 これを日本における建築人材(建築のプロフェッショナル)の育成に当てはめると、建築学部が総合大学の中にあることは大いに強みになると思います。工学系、理工系大学・学部の中に置かれた建築学科、建築専攻、建築士養成プログラムに比べて、教養教育文理融合教育、最近のキーワードでいえばSTEAM教育に力を入れやすいからです。

 文理融合というと近年は、AIの進化、Society 5.0への移行を視野に、文系の生徒や学生に向けて語られることが多いですが、建築教育においては、理系人材に対する文理融合教育もきわめて重要です。社会における様々な課題、世界全体を見据えたときのSDGsに象徴されるような課題、社会インフラの構築を担うものとしての倫理観などについて意識を高めることが、これからの理系人材、技術者にとって不可欠だからです。 このような趣旨から来春、明星大学では従来の理工学部総合理工学科建築学系の規模を拡大して、建築学部を新設します。キャッチフレーズは《建築のチカラで世の中にもっと笑顔を》、ポスト2020を見据え、建築学、建築のあるべき姿を追求し、「文理融合型の人間学としての建築学」を追求したいと考えています。

3つのモデルで学び、
卒業時には一級建築士受験資格も

 カリキュラムとしてはまず、2年次から3つの履修モデルを用意しているのが大きな特徴です。建築全般について学ぶ「建築デザイン」、自分の身の周り、住宅が好きだという人対象の「住宅デザイン」、耐震工学、構造設計、地盤工学、水理学、都市環境などの社会インフラ、あるいは解析などが学べる「建築都市エンジニアリング」です。いずれにも、3年次にはそれまで学んだことを元に自ら手を動かして物を作る「デザインスタジオ科目」がおかれ、体験から学ぶことを重視しています。また建築都市エンジニアリングでは、開設以来の地元の商工会との地域・企業連携にも引き続き力を入れます。

 専任教員(研究室)は、現在の10名から18名へ。実務家教員や、市民との合意形成や集合住宅における住宅計画などについて考えるコミュニティデザインの教員、また今後は避けて通れない木工の専門家も揃えました。

 あわせて2020年からの建築士試験の受験要件緩和に対応すべく、必修科目の単位をすべて取得することで学部卒業時に一級建築士の受験資格が得られるようにします。1年次からの積み上げにはこれまで以上に力を入れてもらい、4年次には、卒業研究と並行して受験対策講座も設けます。

 全国的に建築の学部化が目立ちますが、国内の大学における建築の学びがすべて建築学部になってほしいと願う私にとっては大歓迎です。ただ、こうした中で文系のみなさんにも道を開いたのは、関東圏では本学が先駆けです。 文系のみなさんの興味の対象は、法学部や公共政策系、経済・経営などと重なるかもしれませんが、新学部は、卒業時には全員、一級建築士受験資格の取れるカリキュラムになっている点が全く異なります。私はこれまで建築や街作りについての様々なレベルでの議論を見てきましたが、いざと言う時、自分の力でモノを作れる人とそうでない人とでは、寄せられる信頼が全く違います。自分の興味のある分野についての見識を深め、一級建築士の資格も目指せる新学部に期待してください。


文系のみなさんにも期待します

 新学部の大きな特徴の一つが、入試の工夫によって、文系のみなさんにも道を開いた点です。人間に興味があり、世の中や日本をキレイにしたい。日本の建築や街作りに素朴な疑問を感じている、あるいは建築や街作りに強い関心がある、そんな人なら、文系の人でも大歓迎です。もともと文系のみなさんの中には、社会の課題に向き合いたいという人も多いと思います。ポスト2020の社会課題の解決、従来の業界の慣行、建築デザイン・街作りの常識に果敢に挑戦し、おかしいと思えることには、はっきりと「おかしい」と言える建築士を目指してほしいです。

 もちろん、数Ⅲとは言わず、数ⅡBまで学んできてもらえばいうことはありませんが、そうでなくても受験は可能です。材料研究に進むなら別ですが、構造計算に必要な基礎的な数学、解析や幾何学、および物理の力学などは、建築を学びたいという強い意欲さえあれば、大学入学後でも身につけることができます。反対に理系のみなさんには、国語や歴史を、受験に必要ないからと捨てないでほしい。建築学にとっては、数学が物事を合理的に組み立てるための原理について学ぶという点で重要なのと同じぐらい大切だからです。

小論文、プレゼンテーション入試も復活。

明星大学の建築は、2005年に始まる(理工学部建築学科)。ユニークなプレゼンテーション入試を行ってきたが、2010年の理工学部再編(総合理工学科建築学系に)で姿を消した。今回の学部化により、文系、芸術系マインドに溢れる高校生がチャレンジできる入試がAOで復活した。(第1回と第2回で実施)

第20回 勉強思考、研究思考、学問思考。

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

 先日、京都大学で「アカデミックデイ2019」という市民参加のイベントがありました。そこで、「勉強思考、研究思考、学問思考」というタイトルでポスター展示をしたので、今回はそれを紹介します。下の表をご覧ください。

 これを論文にしようなどとは思っておらず、論理的、単語的熟慮なしにあえて直感で作ったものでいろいろアラがあることはご了承いただきたいですが、僕が思う感じは読み取っていただけるのではないかと思います。このポスター発表中、非常にたくさんの方が質問に来られてびっくりしました。以下、幾人かの印象深い質問を記載します。

ーー勉強、研究、学問の順番だが、これは小学校から中学、高校、大学と移っていく順番を表しているのか?

 順番に意味はもたせていません。例えば、学問精神は、幼児が強くもっているように思えます。幼児はやりたくないことは絶対にしないし(ゆえに、ある意味で本分に忠実とも言える)、質問もストレート。「この世は、誰が作ったの?」などといった無垢な精神から放たれる言葉は、世間にまみれた大人を一瞬で貫きうろたえさせます。

 研究については、僕はどちらかというと職種といったイメージをあてています。加えて、今日、自由研究や探究学習として中学や高校でなされているのもこの研究の部類に入るように思います。他方、研究ばかりで学問はほとんどしていない大学人も正直多いように思います、本分は学問なのに・・・

ーー先生は、大学での講義でこのようなことを話しているのか。だとすれば、どんな感想をもらえたら嬉しいか?

 大学の講義は、特定の専門知識を一方的に教えるものではない、というのが僕の考えです。そもそも学問とは既にある知識を記憶するものでもなければ、教えるものでもない。したがって、大学は「学ぶ」ところではなく「考える」ところということになりますから、考えさせられる講義こそ大学に相応しいと思っています。単なる専門家の集まりが大学ではないのです。

 こういう考えから僕は。講演や講義を終えた後、「余計にわからなくなった」と言われるととても嬉しいです。僕が感じるこの世の謎――それを真理と言い換えてもいいのですが――、それをともに味わうことができたと感じるからです。他方、「わからなかった」と言われるとちょっとショックです。誰しもに共通する不変(普遍)、大常識について話しているつもりで、この講義は誰がやってもそうなる、宮野の意見ではないと言われるのを目指すわけですが、まれに宮野節などといわれることがあり、どうやらお褒めにあずかっているようなのですが、僕としては残念な気持ちになります。(続く)

父が娘に語る経済の話

ヤニス・バルファキス著
関美和訳
ダイヤモンド社

雑賀恵子の書評

雑賀恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 朝起きてから今までのあなたの行動を考えてみよう。朝食も、着るものも、本やノートも、通学の運賃も、授業も、みなお金を払って手に入れたものだ。自分の身の回りのモノも自分の行動も全てお金が介在している。お金がなければこの世の中、生きてはいけないといっていいくらいだ。それをどうやって手に入れるのだろう? 労働によって? では、労働賃金はどうやって決められるのだろうか。どうしてお金持ちと貧乏な人がいるのだろう。何も生産しないし、労働もしないで、投資とかデイトレとかなんとかで稼いている人は実際何をしているのだろう。貸し借りにおいて利子という形でお金は膨張したりするし、その利率は変動するのだけれども、どうしてどういう仕組みで動くのか。各国の貨幣の関係はどうなっているのか。仮想通貨ってわけわからない。だいたい、人々の間でも、国々の間でも、なんでこんなに怒りを覚えるほどの格差があるんだ? そもそも、お金ってなんだ?

 お金は道具や単なる媒介項ではなく、実体もない。にもかかわらず私たちの世界は、お金が示す価値に支配されており、お金に牛耳られている。貨幣を保証しているのは国家だけれども、その国家ですらお金を国家権力に従属させることはできず、逆に振り回される有様だ。

 本書は、お金がなぜ登場し、どうして世界を牛耳るまでに至ったかを、人類史という壮大なスケールをあっという間に駆け巡りながら、タイトル通り実にわかりやすく説いている。経済学者のバルファキスは、なぜこんな本を書いた(2013年)のか。

 バルファキスといえば、2015年債務危機に喘ぐギリシャに誕生した急進左派連合政権の財務相として登場し、理不尽で不毛な金融救済措置と緊縮政策を押し付けるユーロ圏の中枢すなわちドイツの金融当局に対し、敢然と立ち向かい大幅な債務帳消しを求めたことで有名だ。革ジャンを着こなし、オートバイを乗り回すハンサムなスキンヘッズとしても知られている。ギリシャが陥った危機は、実は日本の格差を生み出す仕組みと根本的には同じだ。そして現在、怪物と化した資本主義経済は地球資源を食い荒らし、激しい格差をうみ、その結果世界のあちこちで排外主義や極端な国家主義が台頭している。地球環境の悪化と第二次大戦前夜にも似た政治経済の混乱のツケを払わされるのは、あなたがた若い世代だ。もしあなたがこんな世界に対して怒っているとすれば、その怒りは正当なものである。

 持続可能な経済と公平な分配を本気で目指さないと、人類そのものの存続さえ危うくなる。そのためには、資本主義の本質を知らなければならない。本書は、若いあなたがたが自立した考えを持ち、未来を生き続けられる扉を開くために書かれた。そう、あなたの怒りを表す足場を確保するために。

時代の要請を受け、地域社会貢献活動で “はたらく人”を支援し、 社会に情報発信する

シリーズ 大学が地域の核になる—京都文教大学の挑戦

産業メンタルヘルス研究所

京都文教大学
臨床心理学部 臨床心理学科 教授
産業メンタルヘルス研究所長
中島 恵子

~Profile~
2015年9月、国連総会でSDGs(持続可能な開発目標)が採択されて以降、政府、自治体、企業、非営利団体や大学などでは、「家族やその子孫が安心して住むことができる世界をつくるためにどのような取り組みが必要か」が問われるようになった。企業が世の中をよくするための製品・サービスを提供し続けようと思えば、従業員が健康でいきいきと働き続けることが必要であり、そのための人を大切にする経営が求められている。
専門家が学び合う産業心理臨床家養成講座

 このような時代の要請を受け当研究所では、地域における社会貢献活動の一環として、大学の社会連携部フィールドリサーチオフィスと連携し、地域の中小企業へ向けて、「職場のメンタルヘルス・組織改善研修」を提供している。従業員および家族の健康が最優先であるという意思を経営者が持ち、その姿勢をことあるごとに、しかも永続的に発信することが健全な経営につながることを理解してもらうとともに、はたらく人の支援として、足元の大学という組織ではたらく人(教職員)を対象に、健康でいきいき働き続けられるためのワークショップを年9回開催している。講師は本学教員のほか外部講師が担当し、ディスカッションやグループワークを通して、“はたらくこと”を改めて考える機会としてもらっている。参加者にはアンケートに協力してもらい、その結果を分析して研修内容の充実も図っている。

 社会への発信ということでは、2009年から「産業心理臨床家養成講座」を開催してきた。年間20週40コマの講義を2年間受講することで、産業保健活動に関する知識を、基礎から実践的なものまで網羅的、体系的に学べるというもので、本年度で11期生となる。これまでの受講者は、臨床心理士、医師、歯科医、精神保健福祉士、保健師、看護師、作業療法士、産業カウンセラー、大学院修了生、大学院生である。2013年には、講座の修了生らによる京都文教大学産業心理臨床研究会が発足し、年1回研究発表・活動報告会を開催している。

 2012年からは年6回、中小企業診断士・臨床心理士共同研究会も行ってきているが、両者の融合が生み出すさまざまな気づきや斬新なアイディアはとても貴重なものとなっており、京都以外の中小企業研修にも発展している。

地元中小企業対象セミナーを学内で実施
職場のメンタルヘルス・組織改善研修の案内チラシ

大学が地域の核になる – 京都文教大学の挑戦

地域に根ざし、地域に学び、地域への貢献を目指す
新たなプロジェクトも加わった
地域連携学生プロジェクト(5団体)の半年間の歩みを振り返る

地域に根ざし、地域に学び、地域の課題解決を目指す学生たちの自主的な取組を支援する「地域連携学生プロジェクト」。春に募集と選考を行い、2019年度は前年度から継続の4プロジェクトに、新たに立ち上がった新規プロジェクト1つを加えた5プロジェクトが採択された。5月に採択が決まり2月の成果報告会まで、活動期間は約1年間。半年が過ぎ、これまでの活動を振り返る。

■宇治☆茶レンジャー

 2010年より続くベテランプロジェクトで、今年で結成10周年を迎える。学生たちが宇治茶について学び、学びを通して知った宇治茶の魅力や楽しさを広く地域に発信する取組を行う。地域へも浸透している大型イベント「宇治茶スタンプラリー」(宇治茶にゆかりのあるポイントをクイズに答えながら巡るクイズスタンプラリー。2019年は10月6日に開催し、5000名の参加者があった)や、中宇治地域のお茶屋さんを巡り、店主の話しに耳を傾けながら店舗ごとのこだわりのお茶を味わう「聞き茶巡り」(今年度は、10月と2020年2月に開催)に加え、2018年度からは、行政の協力を得て、宇治市内の育成学級で小学生を対象にした宇治茶ワークショップを実施。宇治茶の歴史や淹れ方をわかりやすく伝えることで、子ども達が地域に親しみ、地域文化を知るきっかけづくりとなるような取組となっている。

宇治茶スタンプラリー
クイズを通して宇治茶の知識も深められます。
育成学級でのワークショップ
手作りの紙芝居でお茶の歴史を説明。
■商店街活性化隊 しあわせ工房 CanVas

 宇治橋通商店街振興組合の公認を得て、商店街の魅力を伝えるプロジェクトで、2019年度で6年目となる。夏と秋に行われる商店街主催のイベントでは、子どもを対象にしたワークショップブースやイベント会場となる商店街全域を周遊するラリーを企画し、イベント全体の賑わい創出に貢献している。また、2015年度より行っているロゲイニング(本誌124号参照)の手法を使ったまちあるきを毎年継続的に実施しており、2019年度は、対象を地元の子ども達に絞り企画を見直し、12月に実施予定である。その他にも、宇治橋通り商店街の飲食店を紹介するグルメ冊子や、振興組合と共に店舗紹介の動画を作成するなど商店街の魅力発信にも努めている。

商店街主催の「ビール夜市」
手作りうちわづくりブースは、子どもたちに大人気!
ロゲイニングの手法を使ったまちあるき
商店街を細かく見て回り、ポイントを探します。
■響け!元気に応援プロジェクト

 2019年で結成5年目。宇治を舞台にしたアニメ作品「響け!ユーフォニアム」を通して地域とファンを繋ぐ取組を行う。2019年春には、劇場版の公開があり、作品の舞台である宇治を訪れるファンは後を絶たない。毎年、夏と冬の2回、大学にてファンの交流イベントを企画し、ファンによる二次創作活動の紹介や吹奏楽のコンサートに加え、作品をモチーフにしたドリンクや物語に登場するメニューを提供するカフェの運営もはじめた。また、今年7月に起きた「響け!ユーフォニアム」を制作する京都アニメーション(京アニ)のスタジオ放火事件を受け、学内外で京アニへの応援コメントや千羽鶴の作成を呼びかける応援活動も積極的に行った。地域との連携も活発に行い、特に作品にも登場する京阪電車とは、毎年コラボイベントに参加し、舞台を巡る探訪ウォークを実施している。

学生作成のクイズに答えながら舞台を巡る探訪ウォーク。
大学キャンパス内や商店街で行った京アニ応援活動では、5000羽の折り鶴が集まりました。
■KASANEO(カサネオ)

 2018年度結成。「ファッション」をテーマに多世代交流を行うプロジェクト。古着好きな学生が、『ファッションは一定の周期を巡り流行を繰り返す』という点に着目し、高齢者から今は着ることのない衣服を譲り受け、それらに学生のアイテムをプラスし、現代風の着こなしを提案する。衣服の受け取りの際は、その服を着ていた当時の出来事や流行などをヒアリングし、服を「もの」としてではなく「想い出」として引き継ぐことを大切にしている。本学では、宇治市と連携し、65歳以上の宇治市民を対象にした科目等履修制度「宇治市高齢者アカデミー」事業を実施しており、学生と同じキャンパスで学ぶアカデミー生やアカデミー卒業生の中には、このプロジェクトのシニアメンバーとして参加する方もいるなど、学生と高齢者が一緒に進めるプロジェクトである。譲り受けた衣服は、ファッションショーや展示会、雑誌の作成を通して提供者の「想い出」と共に紹介している。

ファッションショー
シニアメンバーもモデルとして登場!
茶室を会場とした「展示会」は、来場者同士の交流を深める場にもなっている。
■REACH(リーチ)

 2019年度に結成した新規プロジェクト。障がいをもつ方や依存症のある方などとの交流を通して、互いに理解を深め、多様な人々がともに暮らす社会のあり方を模索していく。具体的な取組としては、9月に京都市内のカフェにて「ブラインドカフェ」を実施。この催しでは、カフェの利用者がアイマスクや弱視体験めがねを着用し「見えない/見えにくい」状態で、メニューを見て注文し食事をする。体験を通して、視覚障がいをもつ方の日常や、障がいを持つ方により伝わりやすい接し方などを知る機会となった。また、薬物依存症回復施設「京都DARC」の利用者と一緒に、レジンアクセサリーづくりを通した交流を定期的に行っており、作成したアクセサリーを地域のイベントや本学の学園祭で販売し、アクセサリーを通して施設に対する理解やREACHの活動の周知を図っている。まだまだプロジェクトの知名度も低いため、学内での広報にも力を入れ、メンバーの確保と安定的な活動の継続を図っていく。

アイマスクをして、飲食する「ブラインドカフェ」。
地域のイベントでは、アクセサリーづくりのワークショップを開催。

立命館キャンパスDX「誰もが、いつでもどこでも学び、学び合える」キャンパスに

仲谷 善雄先生仲谷 善雄先生
学校法人立命館総長
立命館大学長

~Profile~
1958年大阪府生まれ。1981年大阪大学人間科学部卒業。1989年神戸大学で学術博士を取得。2004年より立命館大学情報理工学部教授。情報理工学部副学部長、総合科学技術研究機構長、情報理工学部長、学校法人立命館副総長・立命館大学副学長等を歴任し、2019年より現職。専門分野は、防災情報システム、人工知能、認知工学など。

学園創始150年、創立120年を迎えた立命館大学。建学の精神は「自由と清新」、教学理念を「平和と民主主義」とする。昨秋には、2030年を見据えた中期計画「学園ビジョンR2030チャレンジ・デザイン」を策定。人類に共通する社会課題の解決に向け、社会共生価値の創造とイノベーションに取り組む「次世代研究大学」を目指している。一昨年学長に 就任した立命館大学情報理工学部の仲谷善雄先生は、大学で心理学を学び、就職した民間企業では人工知能の研究やSEを経験。大学教員となってからは学部長、そして学長へとキャリアを積み重ねてこられました。仲谷先生に、ポストコロナにおける大学の在り方、これからの立命館の挑戦についてお聞きしました。


大学とは

 大学とは知的創造活動の場であり、知的な刺激を社会に与え続けることでその諸課題の解決に資する存在だと思います。もちろん直接資することを目的にする工学から、結果として資するような、たとえば哲学のようなものまで分野は多岐に亘ります。いずれにせよ重要なのは、それぞれの立場で、いかに社会と向き合い、知的創造活動に学生を巻き込んでいくかが重要だと思います。

 2018年、立命館は、「学園ビジョンR2030挑戦をもっと自由に Challenge your mind, Change our future」を策定しました。これは先を見通すことが困難な時代だからこそ、私たちは挑戦していくのだという勇気と決断を宣言したものです。さらに、学園ビジョンR2030に基づき大学としてのチャレンジ・デザインを昨年11月に策定し、本学としては以下の二つを重視しています。

 一つは世界で認められる次世代研究大学を目指すというもの。研究は広い意味では探求とも表しますが、大学院が研究力で全体を引っ張り、その刺激を受けて学部教育では探求力を高めたい。もう一つはそれを社会課題の解決に生かすなど、実践を通じて、社会の変革、あるいはイノベーションの創出に寄与することです。建学の精神にいう《清新》とは、《新たにする》の意でイノベーションとも言い換えられる。創造とイノベーションの精神で、社会を変えていく人材を育成する学園でありたい。

 学園全体では、小学校、4つの附属高校すべてで、探究力を育成するための取組を続けてきています。附属高校では、すべてSSH(スーパーサイエンスハイスクール)か、SGH(スーパーグローバルハイスクール)の、どちらかまたは両方に選ばれています。SGH事業終了後は、立命館宇治高校が「WWL(ワールド・ワイド・ラーニング)コンソーシアム構築支援事業」の拠点校に選ばれています。国際的なレベルで探求心を鍛えた附属校の生徒を受け入れるためにも、大学は彼らの探求心に応えられるようにしならなければならない。教員が研究力を一層高め、成果を出せば、それを見て海外から優秀な若手研究者や留学生がきてくれるという好循環も生まれると思います。

RIMIX

総長ピッチ

 その一つが、RIMIX(Ritsumeikan Impact-Makers InterX(Cross)platform)です。立命館アジア太平洋大学(APU)、附属校も巻き込んで、「社会課題解決に貢献する人材・マインド養成から起業支援までの取組を一つのプラットフォームとして《見える化》し、学園内外との連携の下、学生・生徒・児童への支援の拡充を図る」ことを目的に、2019年12月にスタートしました。「SDGsに代表される人類共通の課題に対する問題意識、そこから生まれるチャレンジ精神を起点に、挑戦から起業までをシームレスに支援し、初等・中等教育段階から社会課題を積極的に解決する人材、《社会起業家:Impact-Makers》の養成を目指す」。ソニー株式会社を始めとする民間企業と連携し、各社のノウハウ・資源を活かしてダイナミックな展開を図ります。

 その象徴ともいうべきプロジェクトが、先頃2年目を終えた「総長PITCHCHALLENGE」(以下総長ピッチ)。「ワークショップ」、「インプット」、「ブラッシュアップ」の3つの段階からなり、半年をかけて行います。
 学園の学生・生徒・児童がチームで考案したプロジェクトをビジネスレベルまでブラッシュアップし、最終的に選ばれたチームが総長へピッチ(投資家などに対して短時間で行うプレゼンテーション)します。

 「総長PITCH THE FINAL」[写真]では、1チーム5分間のピッチと3分間の審査員との質疑応答で「総長賞」「SSAP賞」に加え「オーディション賞」を決定。入賞者は各賞に応じて、オーダーメイド研修などの特典と、アクセラレーターによる個別フォローアップが受けられます。すでに昨年の入賞者からは、事業展開を進めているチームも生まれています。

 初年度から学園内の反響は大きく、大学ではキャンパスやサークル単位など学部を越えたチームも目立ちます。何気ない会話から生まれた面白いアイデアを、「総長ピッチ」にぶつけてみようとエントリーするグループもあります。
運営等にご協力いただいているソニースタートアップアクセラレーションプログラム(SSAP)も、「とにかくビジネスでも通用するレベルにまで持っていきたい」と本気で応援してくれていますし、卒業生が後輩のサポートを行い、参加意欲を高めるなど、エコシステムが生まれ、ますます裾野が広がるのではないかと期待しています。

 プロジェクトの目的は、社会課題に関心を持ち、その解決を図るためのアイデアを出し合い、実現可能な計画に落とし込むことを励ますことで、それに優劣をつけることではありません。終了後もそれぞれの立場、思いで問題意識を大きく育て、アントレプレナーシップ(起業家精神)に目覚め、将来、起業する、あるいは企業に入ってその中で新しいプロジェクトを立ち上げるような、いわゆるイントレプレナーを目指すにきっかけになってほしいです。社会起業である以上、利潤追求だけが目的でもありませんから、NPOの活動でも構わない。また働き方の複線化が推奨されていますから、正社員になり副業に関心を持ってもらうのもいいかもしれません。

他にも様々な活動を支援、見える化

 みなさんは、SDGsに代表されるさまざまな社会課題に関心があると思います。SDGsは、環境・貧困・紛争・教育・食糧など、持続可能な社会を実現するために私たちが取り組むべき課題を提示しています。持続可能な未来に向けて、私たちがさまざまな課題に対して主体的にチャレンジすることが問われているのです。本学では2016年、国連がSDGsを掲げた翌年の夏、学生主体でSDGsの17の達成目標に向けて課題解決に取り組むSustainable Week実行委員会[コラム]という学生団体が発足。地域住民の方々や企業、自治体などを巻きこみ持続可能な活動をしています。彼らの活動を支援するのも、広い意味でのRIMIXの役割です。

 R I M I X の活動の一つである「Beyond COVID-19」は、コロナ禍でリアルな活動が制限される中でも、「何か行動を起こしたい」という学生の声をもとに、オンラインコミュニティスペースを整えたのが始まりです。立命館学園の学生・生徒・児童・教職員がプロジェクトを立ち上げ仲間を集うことができ、80以上のプロジェクトが発足しています。

 自分たちが全力を出せるような機会、信頼できる場を提供すれば、学生や高校生が積極的に参加してくれるのをみて、そもそもわれわれはこれまで、教えることに重きを置き過ぎてきたのかもしれないとも思っています。これでは、学生、生徒は教える者を越えられない。乗り越えてもらうには、自分たちで主体性を持って取り組める環境が不可欠。われわれの役割はきっかけ作りであり、共に成長していくという姿勢で彼らに寄り添い、適切なアドバイスをしたり、学外とのコーディネートをサポートしたりすることが重要ではないかと思っています。

 元々本学には、学生同士が学び合い、教え合うピアラーニングの文化があります。ここからは優れた活動がたくさん生まれてきていて、本学の強みの一つになっていると思います。今回の総長ピッチも、チームとしての参加を促すという意味ではその伝統を受け継ぐものですし、新しい時代のニーズがますます複雑化する中、各々が得意分野で課題を発見し、連携して取り組むことは、研究面でもとても重要だと思います。

今後の課題

 裾野をさらに広げること。本学は約35,000人の学生が学び合う私立総合大学であり、RIMIXには問題意識の高い学生が集まっています。大学全体を見ると、その中にはSDGsを知らずに入学してくる者もいます。学生全員に社会課題に向き合ってほしいというのもむずかしいかもしれませんが、少なくともその重要性についての認識は共有してもらいたい。

 そのためにも《知の見える化》、学園内で行われている知的創造活動については、学内外を問わずとにかくアピールすることがますます重要になってきます。誰が、いつ、どこで、どんな事をしているかが分からなければ賛同しようもないし、関心の持ちようもないからです。

世界の大学と競うために、大学版DXにも挑戦

 2020年は、「大学とは何か」ということをこ れほど突きつけられたことはなかったと思いま す。先の見通せない状況が、ある日突然、世界的規模で起こることが現実として突き付けられました。私たちが解決しなければならない社会課題は、ますます複雑化し、これまでの方法では解決が難しくなってきています。このような状況において、立命館の使命は、「地球市民として活躍できる人間の育成に努める」と 立命館憲章に定めるとおり、時代と社会に真摯に向き合い、挑戦していく人材の育成にあると考えます。

 本学は4月からは、感染症対策を講じてキャンパスを全面的に開放し、対面をベースに新しいキャンパス作りを始めます。ただ、単に以前に戻るのではありません。この1年近くの試行錯誤を通じて、有効性の確かめられたテクノロジー技術を使って、より高度なキャンパス、 「誰もが、いつでもどこでも学び、学び合える キャンパス」を整備したいと計画しています。

 一般的に、授業をリアルかオンラインかの二項対立で捉える風潮があるのは事実ですが、 この間、多くの大学ではオンライン教育の良さについても再確認してきました。事情があってキャンパスへ来ることのできない学生も、オンラインなら学べます。オンデマンド配信が充実すれば、受講した対面授業を何度でも復習できます。教える側も、他の教員がオープンにしている教材を参考に、自分の教え方を見直すこともできる。こうしたオンラインの良さをリアルと組み合わせた新しい学び方、学びのスタイル、 あるいはこのような新しい教育の場、枠組みの提供を、われわれは立命館版のキャンパスDXと称し、4月以降、積極的に展開していきたいと考えています。

 冒頭、大学とは知的創造活動の場だとお話しましたが、今後、国内、さらには海外の大学との激烈な競争が予想される中、それに本気で取り組んでいくところだけが残っていくのではないかと考えています。世界に目をやれば、東アジアだけでなくアフリカでも、海外で学びたいという若者はますます増えています。もちろん一朝一夕にできることではないかもしれませんが、研究力、探求力をなお一層高め、 社会課題の解決に挑戦する人材の育成に力を入れることで、そんな彼らにも選ばれる大学を目指したいと思っています。

高校生へのメッセージ

社会課題に敏感に。文系こそデータサイエンスの基礎、数学を

 先を見通せない激動の時代と言われる今、その狭間で辛い思いをしている人たちがたくさんいます。一人の力では難しいとしても、みんなで力を合わせて社会課題を解決していこうというマインドを持ってほしいと思います。

 私の専門とも関連しますが、今話題のAI、データサイエンス、統計と言ってもいいかもしれませんが、これらについては、どんな分野を目指す人も最低限の知識、リテラシーを持っておくべきだと思います。世の中にある膨大なFACTを分析できる時代なのですから、やはりそれを使って、新しいこと、新しい価値を生み出していくべきだろうし、事実、誰にもそのチャンスはあると思います。文系だから数学はやらなくていいのではなくて、文系だからこそやっておく。そうしないとAIもデータサイエンスもわからなくなり、ベンチャーも起こしにくいと思います。

意見のぶつかり合いを怖がらず、知的アドベンチャーを楽しもう。

 他人と意見がぶつかり合うのを怖がらないでほしいと思います。なにも人格の否定、人格をぶつけ合うわけではないからです。人それぞれ意見は違って当たり前。同じでなければならないと思うから苦しんだり、敵対したりするようになる。ではその違いをどう乗り越えればいいのか。《正反合》、いわば弁証法的に、譲歩するのではなく、両方が成り立つ方法、解を、一段上に上がったところで探す努力をしてみてください。それはきっと、新しい価値の発見につながるはずです。まさにそれは、知的ア ドベンチャーというべきもので、世の中にこんな面白いことはないと思います。

 探究心を鍛えるのは、授業でだけでなく、 サークル、部活でもいいと思います。自分が興味のあることをとことん追求することです。サッカーなら、PKにこだわって、とにかく絶対外さない方法を考えるとか、ドリブルの奥義を窮めるというのでもいいでしょう。3年間なら3年間、 主体的に一生懸命取り組んだ経験は、探究心を育て、自分に対する自信にもつながるはずです。

挑戦をもっと自由に。その場その場で努力すれば道はおのずと開ける。少し私のエピソードも

 学園ビジョンR2030では、「挑戦をもっと自由に」を掲げています。自分の心の中の気づかないボーダー、あるいは制約を明らかにして、 それを乗り越えるべく挑戦しようということになります。人も社会も制約が多すぎると、硬直化してしまいます。「こうでなければいけない」「こうあるべきだ」と言い過ぎると、息苦しくなる。 世の中、それほどたくさんの制約が必要なのか。多くは、自分たちが勝手に作っているものではないのか。それなら一度外してみる、そういうチャレンジをしてみたらどうだろうか、ということです。

 自分のことを少し振り返ると、大学を卒業し て就職後、心理学出身者として、避難行動をモデル化したシミュレーターの開発に携わる一方、研究者の会話についていけるよう専門的知識を必死に身につけました。30代になって、米国・スタンフォード大学に研究留学し、人工知能の研究に携わりました。そんな研究と企業でのマネージャー職に従事するなかで、 研究への思いと共に、「人を育てたい」という 思いも募りました。ちょうどその頃、立命館大学が情報理工学部を新設。24年間の企業人生を終え、大学での教育と研究を手掛ける次のステージへの挑戦を決めました。

 幾度か転身を経た経験から一つ言えるのは、その場その場で全力を傾ければ、道はおのずと開けてくるということ。違う環境に身を置けば、自分の意識も、ものの見方も変わってくるということもあります。挑戦を恐れないことです。

コラム

Sustainable Week実行委員会: Sustainable Weekは、立命館大学びわこ・くさつキャンパスで始まった。キャンパスを1万人の「小さな地球」と見立て、SDGsにおける17のゴールを目指して、啓発・解決の視点から主体 的に取り組むイベント。実行委員会は、大学を核に、周辺地域を巻き込む増殖型SDGsエコシステムを創造するというVisionの下、「学生同士が連携し、社会と繋がりながら、主体的に課題解決に取り組む次世代のSDGsリーダーになる」をMissionとする。①学生自身が、所属組織の持続可能性について深く考え、自己表現する機会の提供、②立命館大学びわこ・くさつキャンパスから社会課題解決に向け提言、③時代、社会、人の変化に対応できるサステイナブルキャンパスの実現」を理念に、SDGsに則した組織を創り、組織や考え方を柔軟に進化させながら、学生や社会、大学の在り方を持続可能な形に変化させることを目指す。

太陽型星で発生したスーパーフレアに伴う巨大フィラメントの放出を捉えた

京都大学のせいめい望遠鏡をはじめとした複数の望遠鏡による連携観測で、若い太陽型星で発生したスーパーフレアに伴って巨大フィラメントが噴出しているようすが初めて捉えられました。若い頃の太陽がどのようにして地球や火星の大気に影響を及ぼし、生命の生存環境が作られていったのかという疑問を解く糸口となる可能性があります。
 太陽で発生する巨大な太陽フレアは、しばしばフィラメントの噴出のような質量放出現象を伴って、地球・惑星環境に影響を与えることが知られています。年齢が数億年程度の若い太陽型星や若い頃の太陽では、現在知られている最大級の太陽フレアの10倍以上という膨大なエネルギーを放つ「スーパーフレア」※2が発生し、それが若い惑星の大気や生命居住の可能性に多大な影響を与えていたと推測されています。また、現在の太陽でも、非常にまれではあるもののスーパーフレアが発生する可能性が示されており、我々人類の文明に及ぼす影響が危惧されています。
 国立天文台の行方宏介特別研究員、前原裕之助教らの研究グループは、京都大学岡山天文台のせいめい望遠鏡をはじめとする複数の地上望遠鏡、衛星望遠鏡を連携させて若い太陽型星「りゅう座EK星」の
長時間の監視観測を行いました。その結果、太陽型星では初めてとなるスーパーフレアの可視光線での分光観測※3に成功しました。このデータを、京都大学飛騨天文台で観測された太陽フレアに伴うフィラメント噴出のデータと比較したところ、スーパーフレアに伴って巨大なフィラメント(温度約1万度のプラズマ)が噴出していたことが明らかになりました。しかも驚くべきことに、今回の現象で放出されたフィラメントの質量は、太陽で起こった史上最大級の質量放出の10倍以上であり、秒速約500キロメートルもの速度に達することが判明しました。
 今回の成果は、若い太陽が、現在の太陽(あるいは太陽と同程度年齢の恒星)よりも、その周りを回る惑星の環境に非常に大きく影響を与えていた可能性を示唆しています。若い惑星において、生命の生存環境の生成やその維持に若い太陽型星がどのような役割を果たしていたのかを、今後は具体的に議論できるようになることが期待されます。また、りゅう座EK星の大気の特性が太陽と比較的近いことから、現在の太陽でスーパーフレアが発生した場合の地球環境への影響を予測する手がかりとなり、我々人類の文明に減災面で貢献できることも期待されます。
 この研究成果は、K. Namekata et al. “Probable detection of an eruptive filament from a superflare on a solartype star”として、英国の天文学専門誌『ネイチャー・アストロノミー』に2021年12月9日付で掲載されました。

16歳からの大学論 |『ほんとうの学び』とは何か

 考えるほどに、「学び」、または、その動詞「学ぶ」という言葉は、我々にとって非常に身近に思えます。本記事を読まれているみなさんには高等学校関係の方々も多くおられることから、「学び」と聞いて直ちに想起する「勉強」や「学習」と言った、自分の外に既に在る情報、知識を身につけるという営みの他、失敗も含めたあらゆる経験から学ぶというフレーズに代表されるような、自己の成長、成熟に資する営みも決して外すことはできません。そうすると、生きていることすべてが「学び」、と言いたくなります。
 ところで、「学び」は目的とセットです。先に述べた「勉強」や「学習」においては、明確にその目的が設定されています、試験への合格や、英語等の第二言語の習得と言ったように。さらに思索を進めるなら、その試験への合格や言語習得は何のためか?という問いを立てることも可能でしょう。その場合、希望する大学の入学や資格取得による、自身の人生の充実、となるでしょうか。そうすると、先にあげた勉強や学習とは異なるもう一つの学び、「生きることすべてが学び」という目的に接続されることになります。つまり、「生きること=学び」の(究極の)目的は、自分の人生の充実、としていいのではないかと。
 では、さらに問います。「人生」とは何のことを意味するでしょうか。「充実」とは何がどうなったら充実なのでしょうか。もとより、「自分」とは何でしょうか。
 手元の辞書によると、人生とは、その文字の通り、人がこの世を生きていくことですが、「生きていく」ということをまず問う必要があるように思います。
「充実」も「自分(=人)」もそもそも「生きている」からこそであって「生」について考えることが何もかもの根本、土台にあるのは間違いないことですから。
 ここで我々の心情に敏感になるなら、直前の段落で使用した「生きていく」と「生きている」、そして「生」という三語は、それぞれの意味合いがかなり違うことに気づきます。「生きていく」とは、何やら食っていくこと、生存についての営み。「生きている」とは、何やら気づいたら「自分」というものが「この世」に存在しているという感覚、そして、「生」とは、そうして存在していることです。つまり、「生きていく」のも「生きている」のも、存在(=生)しているからのことであり、そう考えるなら、人生も、充実も、自分も、存在しているから存在している、となります。
 在るから、在る。同語反復でしか表現できないこの悲しい到達が終点です。当たり前すぎるこの一文は、何も言ってることになっていません。もはや目的が消滅しているのです。もちろん、なぜ存在が存在しているかという問いは立てることができますが、究極的には、それは一度、脱存在、あるいは非存
在になってみないと分かりえないことですから。
 ほんとうの学びとは何か。そういうタイトルで筆を進めましたが、私には上記のような「存在」に触れるような思索、思いを巡らす営みが「ほんとうの学び」であるように思えてしかたありません。しいて言うならそれは目的を持たない学び。答えなどなく、その思考を、具体と抽象、個別と全体の間で往来させるしかないような考えのことです※。このような「学び」よりも根本に位置する学びはなく、そういう意味で、学びの本質と言えるのです。
 他方で、世間を見渡せば、なんと(具体的な)目的を持った方の「学び」の方が多いことか。何かを獲得する、身に付けるといった学びは狭義なもので、ある意味で枝葉でしかなく、より根本にある「ほんとうの学び」を扱った方が断然我々の暮らし(人生)に影響を及ぼすのはいうまでもないことなのに。受験勉強や、業績向上のための学びを否定しているわけではありませんが「ほんとうの学び」もまた忘れず意識することが、より我々の生を味わい深いものにすることでしょう、人生に答えなどないのは当たり前のことなのですから。
※参考:拙書「問いの立て方」(ちくま新書)の第ニ章「いい問いにする方法」

《日本を代表する研究者から高校生へのメッセージ》
小胞体とは?その驚異の働きを明らかに!

2009年ガードナー国際賞、2014年ラスカー基礎医学研究賞、2017年生命科学ブレイクスルー賞と、
数々の主要国際賞を受賞し、生命科学分野において「小胞体ストレス応答」研究で世界をけん引して来られ、ノーベル賞受賞候補者と名高い京都大学大学院理学研究科教授の森和俊先生。研究の面白さ、大発見が世に認められるまでの道のり、自ら打ち立てた研究仮説を信じぬいた先に見えた景色、これからの研究の展望などについて、同大学の白石晃將助教に聞いていただきました。あわせて高校生へのメッセージも頂戴しました。


P r o f i l e
1981年京都大学薬学部卒業、1983年京都大学大学院薬学研究科修士課程修了。 1987年 薬学博士(京都大学)。1985年岐阜薬科大学助手、1989年米国テキサス大学博士研究員、1993年 HSP研究所副主任・主任研究員、1999年京都大学大学院生命科学研究科助教授、2003年より京都大学大学院理学研究科教授(生物科学専攻、生物物理学教室)、現在に至る。2005年ワイリー賞、2009年ガードナー国際賞、2011年上原賞、2013年朝日賞、2014年ラスカー基礎医学研究賞、2016年日本学士院賞・恩賜賞、2018年生命科学ブレイクスルー賞、他多数受賞。2018年文化功労者に選出。岡山県立倉敷青陵高等学校出身

研究領域と、世界に先駆けた研究成果とは

白石:最初に、先生のご研究を理解する上で重要な生命現象や概念について教えてください。
森:一つは、生命の基本単位である細胞です。すべての生命は細胞で構成されています。私たちヒトはそれが約37兆個集まってできている多細胞生物です。一方で、細胞1個だけで生きている単細胞生物もいます。細胞は自分の外とを分けるために膜(細胞膜)で囲われており、ヒトのような真核生物では、細胞膜の中にさらに膜で囲まれた様々な区画が存在しそれぞれが役割を分担しています。細胞内小器官というもので、例えばミトコンドリアはエネルギーを作り、リソソームは古いものを分解してリサイクルします。
白石:生物の教科書や上のイラストで確認してもらうといいですね。
森:もう一つは、生物すべての生命現象を担うタンパク質です。水素・炭素・窒素・酸素・硫黄から構成されるアミノ酸が鎖状に多数連結してできた分子で、その数と並び方を決める設計情報はデオキシリボ核酸(DNA)に書き込まれています。DNAから読み取られた設計情報をもとに様々な工程を経て最終的にリボソームというタンパク質合成工場で合成され、特定の形に折りたたまれていきますが、この状態になって初めて機能を発揮できます。体を動かす、ものを見る、匂いを嗅ぐ、話す、考える、笑う。私たちのこのような何気ない活動すべてを、タンパク質は担っているのです。
白石:そこで小胞体の出番ですね。
森:はい。タンパク質は「特定の形に折りたたまれる」と言いましたが、ここで非常に重要な役割を担っているのが細胞内小器官の一種である小胞体です。小胞体の中には、タンパク質の形を整える特殊なタンパク質(=分子シャペロン)が沢山存在しており、その働きのおかげで形の良いタンパク質ができ、これが目的地へ行って機能します。一方、中には形の悪いタンパク質もできます。このいわば不良品をそのまま送り出すと様々な不都合が起こるため、小胞体はそれを判別して壊してもいるのです。
白石:整えるだけではなく、壊してもいるんですね。それではいよいよ、ご研究内容を具体的かつ簡潔にご説明いただけますか。
森:一言で言うと「小胞体に備わっている脅威の復元力の秘密を探る研究」でしょうか。細胞はさまざまな環境変化にさらされますので、時には内部がおかしくなる、つまりストレスがかかります。小胞体にストレスがかかると、形の悪いタンパク質がたくさんできたり、形の良いタンパク質が不良品に変わってしまったりします。そしてそれらがたくさん溜まってくると、小胞体は、その情報を別の細胞内小器官である核に送り、分子シャペロンの数を増やしたり、不良品を分解する装置の量を増やしたりします。タンパク質の品質を管理する能力を保とうとするのですね。この一連の反応が「小胞体のストレス応答」であり、私は、小胞体がどのようにして不良品が増えたことを感知し、その情報を核に送っているのかという仕組みを明らかにしたのです。
白石:それがガードナー国際賞やラスカー基礎医学研究賞、生命科学ブレイクスルー賞など数々の国際賞の受賞、つまり世界の高い評価に繋がったわけですね。その意義についてもお聞かせいただけると、ご研究に対する理解が一層深まると思います。

何が数々の国際賞受賞につながったのか?次世代研究の展望も

森:それには、小胞体、あるいは細胞生物学全般に関する研究史を振り返るといいと思います。小胞体に関する研究には数々の研究者が参画していますが、いくつかの重要な発見を境に「世代」として分類することができます。私は、1950-60年代から成果を挙げられた方を第一世代、1970年代からを第二世代、1980年代からを第三世代、1990年代からを第四世代として分けていますが、私は第四世代に属します。
白石:ほかの分野と比較すると、短期間で、驚くべき速さで発展していますね。
森:第一世代はアルベルト・クロード博士、ジョージ・パレード博士、そしてクリスチャン・ド・デューブ博士に代表されます。タンパク質を合成する工場であるリボソームには、細胞質に存在する「遊離リボソーム」と小胞体膜の外側に付着する「小胞体膜結合性リボソーム」の二種類があることを見つけ、1974年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。第二世代にはギュンター・ブローベル博士を挙げたい。タンパク質を構成するアミノ酸には「シグナル配列」と呼ばれる配列があり、いわば荷札のように、それぞれのタンパク質が細胞内のどこで機能するかを決定している仕組を発見し、1999年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。第三世代は、2013年にノーベル医学生理学賞を受賞したジェームズ・ロスマン博士とランディ・シェックマン博士らです。彼らは、タンパク質が小胞体に入った後に、小胞輸送で別の細胞内小器官であるゴルジ体へ運ばれることなどを発見しました。タンパク質が機能するには正しく折りたたまれる必要があることを解明したのもこの世代です。そして第四世代には、私や後に紹介するピーター・ウォルター博士などが含まれます。小胞体で正しく折りたたまれたタンパク質だけがゴルジ体に輸送されること、また不良なタンパク質は細胞質に排出されて分解されることなどが解明されました。
白石:第四世代の次、第五世代が気になります。どのような研究分野が第五世代に当たるのでしょうか。
森:『網羅的遺伝子発現解析』に代表されるような解析手法を用いた研究だと思います。第4世代までは、個々の遺伝子(多くても10個程度)を調べていたのに対して、第5世代ではゲノム全体(ヒトだと約2万遺伝子)をいっぺんに調べて統合的に理解しようとしました。

ライバルとしのぎを削った1990年代

白石:これまでの5つの国際賞は、ピーター・ウォルター博士との共同受賞でした。ライバルでもあるウォルター博士とは壮絶な研究バトルを繰り広げられたとお聞きしています。
森:大きなプレッシャーで体調不良に陥った時もありますが、あの苦悩がなければ今の自分はありません。ウォルター博士としのぎを削ったのは、小胞体ストレス応答の各ステップを担うタンパク質を同定するために遺伝学解析を行っていた1990年代初頭です。私は、IRE1というタンパク質が、小胞体がストレスにさらされ不良なタンパク質が蓄積すると活性化し、内部の情報を核へ伝達する証拠を捉えました。しかし論文発表する段階で、既に生命科学研究の分野で名をはせていたウォルター博士が突如乱入してきたのです。彼は、タンパク質としての詳細な機能解析なしに、同定したIRE1に関する研究成果を『Cell』という世界の一流雑誌に発表しました。1993年 6月のことでした。研究は一番早い者だけが認められる世界。先を越されたという焦燥感で、一度は頭が真っ白になりました。しかし、私たちはタンパク質としての詳細な機能解析など、ウォルター博士の論文よりもさらに高いレベルでの研究成果を盛りこんで、彼から遅れること約2か月、同じ『Cell』に論文を発表することができました。同じ様な研究成果がこのように短期間で二報も発表されることは、『Cell』では極めて異例で、あきらめずに挑戦してよかったと心から思っています。その後も、国際的な学術会議などでウォルター博士とは研究結果に関する解釈が異なるなど、ライバル関係が続きましたが、くじけることなく自分の研究結果・解釈を信じぬいたことが、2009年のガードナー国際賞等の共同受賞に繋がったのだと思います。

困難やプレッシャーを乗り越える精神はどこから?

白石:壮絶ですね。このように大きな困難やプレッシャーの中で、それに押しつぶされなかったのはなぜでしょうか。
森:私の精神的な強さは、幼いころから続けてきた剣道のたまものではないかと思っています。剣道では流派に関係なく、「驚・恐(懼)・疑・惑」の四つを「四戒」と呼び、修業中にはこの中の一つでも心中に起こしてはならないと戒められています。剣道の勝負は技だけでなく、心の動きに支配されることが多く、相手に隙が生じても、四戒の中の一つが心に生じるとそれを見ることができない。しかも自ら萎縮し相手に隙を与え、その結果、打たれてしまうからです。私は研究においても常に、この四戒を脱して平常心を保ち、思慮深く活発な精神を養うよう修練してきたつもりで、それが活きているのかもしれません。

医療への応用や、AlphaFold2について

白石:数々のプレッシャーにも打ち勝って、「小胞体のストレス応答」という研究分野を牽引されてこられたのですね。最後に先生の将来展望などをお聞きかせください。
森:一つは医療への応用研究です。近年、パーキンソン病などの神経変性疾患、腎臓病、肥満や脂肪肝などの代謝異常と小胞体ストレスとの関連が報告されており、今後、広がりを見せると思います。癌細胞は小胞体ストレス応答を悪用して増殖を続けていると考えられていますから、抗ガン剤のターゲットとしても注目されています。もう一つはビッグデータとAIによる生命科学研究の進展です。例えば2021年にタンパク質構造予測センターが発表したAlphaFold2は多くの研究者に衝撃を与えましたAlphaFold2はDeepMind社によって開発されたAIシステムでタンパク質の構造を予測できます。その精度は驚くほど高く、数年来謎だった構造がいとも簡単に予想できたという事例もあります。このように生命科学分野では次々と新しい技術が開拓され、日進月歩の発展を見せています。

森先生から高校生へのメッセージ

白石:最後にもう一つ、高校生や未来の研究者にメッセージをお願いします。

森:まずは、やりたいこと、熱意を持って取り組めることを2個見つけるということです。私の場合は研究と剣道。大学生のある時期から研究の道を究めることを目指しましたが、もしもうまくいかなかった場合は、剣道に携わりながら生きていこうと心に決めていました。だからこそ、覚悟を決めて研究の道を突き進めたのだと思います。ちなみに今でも、京都府剣道道場連盟を通じて小・中学生に剣道を教えています。もう一つは、常にプラス思考でいること。剣道の驚・恐(懼)・疑・惑の四戒とも通じますが、特に、競争している間は負けることなどは考えないことです。また、自分の力ではどうにもならないことでクヨクヨ悩まない。これは、スポーツや研究に限らず、あらゆることに当てはまると思います。自分の信じた道を突き進み、その結果負けたのなら、そこで考え直し、出直すことが重要だと思います。新型コロナウイルスパンデミックの影響もあってか、現在は特に、夢よりも現実を追いかける若者が多くなっているように感じます。そんな空気を振り払い、一歩踏み出す勇気を持って欲しい。自分のやりたいこと、熱意を注げるものを見つけ、夢に向かって邁進する高校生、若者が一人でも多く出てくることを願っています。

留学の本質

法政大学 学務部学部事務課 佐藤 琢磨 氏

SGUに認定された本学において、新型コロナウイルスの猛威は予想以上の影響をもたらした。すべての留学プログラムは中止もしくはオンライン実施となり、カリキュラムの見直しを余儀なくされることとなった。現在、外務省は、ほとんどの国を感染症危険レベル2「不要不急の渡航は止めてください」以上とし、学生の主な留学先である米国やヨーロッパは、レベル3「渡航中止勧告」とされ、海を渡ることは事実上制限されている。留学への扉が閉ざされてしまったこの機会にあらためて、留学の本質とは何か、またその代替可能な方法について私見を述べてみたい。

「 トビタテ留学JAPAN ! 」 の W E B サ イ トによると、以下6点を留学の定義としている。

1.外から日本(外)を見る機会(視野の拡がり)

2.知らないことを知り、知りたいことを知る機会(世界への関心)

3.違う価値観に触れ、意味を知る機会(多様性受容)

4.己のことや日本を知る、知りたいと思う機会(アイデンティティ)

5.飛び込むことに自信を持つ機会(自己肯定感)

6.逃げないで苦労する機会(ストレス耐性)

さらに、「留学によって視野を広げ、自分に力をつけることでその後の人生の選択肢が大きく広がり」「これからの変化が激しく、予測が困難で、正解のない時代を生きて行くためには、自ら『未来を切り拓く力』が必要」と記載がある。これらの力を獲得することが「留学の本質」だとすれば、どのような代替手段が考えられるだろうか。まず、この新型コロナウイルスによる「災害」そのものは、留学中に頻繁に遭遇する「予想外」の出来事と言える。留学希望者には、今後の人生でも起こりうる現実として逃げずに正面から向き合って欲しい。現実をいかにポジティブにとらえるかというマインドセットを修得することは、留学体験における価値の一つと言える。上記で言えば6のストレス耐性がこれにあてはまる。次に、来日している外国人との交流についてはどうだ ろうか。出入国在留管理庁によると、令和元年末日の中長期在留者数は262万人を超え、全国に外国人コミュニティが存在する。国内に滞在する外国人とのイベ ントやプログラムを通した交流も可能である。本学にも、中国人や韓国人をはじめとした外国人留学生が通学しており、彼ら彼女らとの様々な交流もその一つとしてあげられる。3.「多様性の受容」4.「アイデンティティの認識」については、ハードルは高いかもしれないが、 障がい者やLGBTなど性的マイノリティとのコミュニケーションや協働も、他者を知り自分を知るという貴重な経験をもたらしてくれるだろう。さらに、中高生の場合、主に海外の子女が通うインターナショナルスクールとの交流やイベントの共催も現実的な選択肢として考えられる。 このように、留学で得られるスキルやマインドセットを獲得するための手段は、100 % とはいかなくとも他にいくつか考えられる。ただし、学校間のプログラム提携や共催、実際に行われている交流プログラムなどの提示など、大人たちのサポートも、重要な要素となるだろう。グローバル戦略の見直しを求められている各大学では、ハイブリッドオンライン留学や COIL( 国際協働オンライン 学習プログラム)をはじめ、様々な代替措置について検討 / 実施を進めている。 しかし、大学が提供するプログラムに頼るだけではなく、個人として行動を起こすことによっても選択肢は広がり、自立的な経験を得ることはできるだろう。 留学は、誰かにお膳立てされたパッケージツアーではない。また、現地を訪ね滞在すること自体がゴールでもない。 その目的とは、従来と異なる環境下において、何に挑戦し、何を得るかの一点につきる。自分たちの手持ちのリソース で、今、何ができるかについて悩みぬくことが、留学に代わる方法を実践する第一歩と言える。「悩み」はくれる「ギフト」だ。

東京都市大学 台風被害レポート(台風19号と大学)

東京都市大学(旧 武蔵工業大学)の浸水被害と復旧
地域貢献と教育・研究に活かす
取り組みへの展開

2019年10月12日、首都圏を直撃した台風19号は、関東、東北南部を中心に記録的な大雨による河川の氾濫など、各地に甚大な被害をもたらした。多摩川に近い東京都市大学世田谷キャンパスは、多摩川の溢水、越水※による被害は免れたものの、付近を流れる2本の支川等による内水氾濫によって大きな浸水被害に見舞われた。その様子を紹介するとともに、わずか2週間で授業再開に至った復旧活動と、周辺地域の被災状況調査の活動など、被災の経験を教育・研究に活かして新たな地域貢献を目指す取り組みについてレポートした。

世田谷キャンパス14号館前。現在は復旧しているが、中庭は腰の高さまで冠水してプールのようになった。
想定外の内水氾濫

 2019年10月12日土曜日、観測史上最強クラスの台風19号が首都圏に上陸した。首都圏の鉄道各社はその前日から計画運休を発表しており、これにあわせて関東地方の多くの学校ではあらかじめ休校とすることを決定している。また、この日は多くの大学で入試が予定されていた日でもあり、東京都市大学でも受験生の安全確保を優先して、予定していたAO入試を翌週10月19日に延期することを発表していた。

 午後7時前に静岡県伊豆半島に上陸した台風19号は、大型のまま勢力を衰えさせることなく首都圏から福島県を縦断した。13日正午には東北沖で温帯低気圧になったが、この間の大量の記録的降雨は、各地に甚大な洪水被害をもたらした。福島県での阿武隈川の氾濫は特に甚大であったが、首都圏各所にも爪痕を残しており、東京の大河川である多摩川の周辺でも想定外の被害を被った地域がある。そのひとつが東京都市大学世田谷キャンパスのある世田谷区玉堤地区であった。

 世田谷区は南西の川崎市との区境に多摩川が流れており、都市と自然が融合した美しい景観を持つ。東京都市大学世田谷キャンパスは、かつて多摩川が削った平地に立地し、閑静な住宅が並ぶ世田谷区を象徴するエリアに位置する。一方で、行政が発行するハザードマップでは、多摩川の堤防が決壊した場合には3m程度の浸水が予想されている地域でもある。ただし、首都圏を流れ、都市機能としても重要な生活インフラとなっている多摩川は十分な川幅と堤防が整備されており、壊滅的な災害は想定しにくい。今回においても、上流で記録的な大量降雨があったものの、二子玉川付近の堤防未整備エリアで一時的な越水氾濫はあったが、堤防決壊のような甚大な事態には至っていない。

 にもかかわらず、12日夕刻から、キャンパスのある玉堤地区では異変が起き始めた。広大なキャンパスのほぼ中央を横切る公道が冠水し、その水位がみるみる上がっていったのだ。午後8時くらいには推定約80㎝の高さに到達した。付近を流れる二本の支川である谷沢川と丸子川を中心とする水が、増水した多摩川に合流できなくなってあふれ出た結果、この地区の中でも低位にあるキャンパスの公道付近へ集まったと考えられる。内水氾濫という現象で、総量で50万トンとも推定される水が、玉堤、田園調布4・5丁目を覆い、そのうちの約3万トンがキャンパス内に流れ込んだ。複数の建物で1階の床上まで浸水するとともに、地下階を持つ棟は水を受け溜めるスペースとなり、図書館の地下階書庫やラーニングコモンズ、教室棟の地下階教室やEnglishラウンジ、事務局フロア、研究棟の施設設備などがダメージを受けた。吹奏楽団の地下階倉庫の管楽器・打楽器の被害も数百万円に及んだ。

 同キャンパスの区域は、1970年に風致地区に指定され、自然や景観美を維持保存するための条例で、建築物の高さは15m以下とする制限がある。この基準を満たしながら教育・研究の空間を確保するために多くの棟が地下階を持っていたのだが、キャンパスのこれら地下階が受け溜めた水量は、近隣の被害拡大を緩和したとも言われる。

 図書館(地上4階・地下1階建/29万冊所蔵)の地下階では、採光・防湿・通風を目的としたドライエリアが主な浸水経路となった。近年の学びの変化に対応した新しいコンセプトを持つ同大の図書館は、個人スペースとともにグループ学習のスペースが拡充されている。そのため、貸出しや閲覧頻度の低い書籍を地下に保管するようにしていたが、高さ5mの天井まで満水状態となった水圧は収蔵庫のガラスを破って、約8万3000冊が水中に没した。

 また、地下階に受電設備や機械設備を設置していた棟では、浸水のない上層階を含めた建物全体の機能停止をもたらし、キャンパスの停電は1週間以上続いた。河川敷のグラウンドも冠水し、近隣の国際学生寮も浸水被害を受けた。

図書館・体育館のBFに直結する入口の状態。BF天井まで浸水し、計8,500トン(プール17杯分)の水抜きにはポンプ車3台をフル稼働させても1週間を要した。
図書館BFのラーニングコモンズスペース。BF天井まで浸水した水圧の威力は什器や情報機器を崩壊させた。
図書館BFの集密書庫。BF~4Fの図書のうち、BFにあった83,000冊が被害を受けた。
迅速な初動と
組織的な復旧活動

 10月12日は、台風が通り過ぎるのを待つための休校日であったが、キャンパス内では少人数のスタッフにより応急措置が進められた。事前に講じていた浸水対策の土嚢をさらに増やすなどして対応に当たったが、増水の勢いには追い付かず、復旧作業は結局、翌朝を待つことになった。

 同大を運営する学校法人五島育英会は、東急グループ創業者の五島慶太翁の名に由来するもので、東京都市大学は東急グループの一員でもある。武蔵工業大学から名称変更したのは2009年で、同一学校法人内にあった東横学園女子短期大学を統合したことに起因する。今では保育系の学科も擁した大学であるが、現在でも理工系が屋台骨になっている。同大と東急グループ各社は、教育・研究面でも普段から協力関係にあるが、翌日には東急建設による手配でポンプ車が3台駆けつけ、一斉に排水を開始した。復旧作業のためのクレーン車や停電時のための自家発電機、仮設照明器具もいち早く届けられた。こうした初動対応の速さは企業グループという特性ならではとも言えるだろう。

 また、被害の状況から判断して、当面の休校と、安全面からの立入禁止を決定するが、同大の等々力キャンパスと横浜キャンパスでは通常どおりの授業を行うこととし、これらはホームページ等を通じて学生に周知された。

 13日日曜日は初期対応とともに復旧計画の組み立てを行い、祝日だった14日月曜日には教職員総出の復旧作業が始まった。ポンプ車では対応できない床下に残る水は、床板をはずし手作業で吸い取る。近年のオフィスや教室はOAフロアになっているのが一般的であるが、底上げされた床下に溜まった水を抜くのは人海戦術でないと難しい作業でもある。教職員は何日もこの作業にあたり、水が完全に引いた後も什器備品の洗浄、消毒などが続いた。

 並行して学ぶ機会の確保も検討が進んだ。通常授業の行われている他キャンパスの活用もさることながら、近隣の大学からの申し出や、協定を結んでいる世田谷区内の6大学間連携により、通学圏内で複数の図書館利用が可能になった。給水車や発電機などを貸し出してくれた企業もあり、こうした学外からの支援も大きな力となり、約2週間後の28日には、世田谷キャンパスでの授業が再開されるに至る。授業再開の直前の頃には危険な作業もなくなってきたことから学生団体である体育会からのボランティア参加希望を受け入れ、自らの大学の復旧に加勢したいという若いパワーも大きな応援になった。この間、10月19日には延期したAO入試を、被害のなかった棟で予定通り実施したが、同日に予定していた創立90周年記念式典は中止としている。 また、17日には、キャンパスや周辺地区の浸水災害に立ち向かうべく、三木千壽学長の命を受けた都市工学科を中心とする教員と学生が動き出した。「都市研究を全学の共通テーマに掲げる大学である以上、地域との連携・貢献も含めてわれわれが対応する必要がある」と考えた大学と都市工学科は、まず「浸水の形跡、記憶が消える前に」と被害調査と情報収集をスタートさせる。19日のテレビのニュース番組で取材を受けた女子学生は、「大学周辺の聞き取りをした。中には浸水が1m以上のところもあった」とヘルメット姿で緊張の面持ちで答えた。男子学生の一人は「こんな災害が身近に起こるとは想像もしていなかった。今後、これを機に対策を練りたい」と気を引き締めた。同学科主任教授の末政直晃教授は、「今回起きた大学の被害は残念なことだが、温暖化を考えると、これは決して最後ではなく、〈始まり〉なのかもしれない。大学を含め、あたり一帯の防災について対策を練ることは急務。そのためのデータ収集に、学生を巻き込んで学科全体で取り組みたい」と答えた。

被害状況調査の取り組み
都市工学の教育・研究、実践のための
新たなプロジェクトが発足

 あれから2か月が経った現在、図書館地下等の復旧活動はまだ続いているものの、大学にはいつものキャンパスライフが戻ってきている。そして、大学では今回の経験を活かした新たな展開がはじまった。前出の都市工学科においては、末政主任教授以下、全教員で“都市工学”の知見を活かして災害の原因究明、今後の対策について考えることを目的にしたプロジェクトが立案された。≪台風19号による玉堤・田園調布地区の内水氾濫による被害状況を詳細に調査し、収集した客観的な事実からその発生原因を明らかにし、(同地区の氾濫に対する)効果的な対策を実施する上での資料とするとともに、有効な被害低減方法を提案する≫のが目的だ。具体的には、達成すべき内容と実施期間を考慮して、大きく3つのフェーズが設定されている。

 フェーズ1は、すでに実施した被害調査と情報収集、および次のフェーズへつなげるための導入研究からなる。被害状況調査は12班に分かれ、各班には教員一名がつき、約100名の学生が参加して10月中に実施された。収集した情報の整理は2019年内の完了を目指して進められている。3年次の第3クォーターに置かれた「事例研究」は、卒業研究のための準備も兼ねた科目であるが、各研究室のテーマを今回の災害に切り替えた。2020年1月には、その発表も予定されている。建物分野の被災との関連から、同じ工学部の建築学科の担当分を加えて10テーマの内容が報告される予定だ。

 フェーズ2・フェーズ3は主に教員の取り組みが中心となる。フェーズ2は、社会的、学術的に重要で、期間が1年以上必要なものとなる。具体的には、玉堤、田園調布4・5丁目の浸水状況のシミュレーションとハード対策の提言や、玉堤、田園調布4・5丁目の浸水に際しての住民の避難行動の調査と提言をまとめる予定だ。フェーズ3は、内水氾濫に関する調査や対策の研究で、期間も数年間を要するものとなる。シミュレーションやモデリングを使った災害予測や、土嚢・ブロック塀などの改良、高品質化の研究など、大学を超えた地域全体の防災対策も視野に入れる。 今回の想定外ともいうべき被災は、教職員、学生に大きな試練を与えたが、一方で≪都市研究の都市大≫として、都市が抱える課題の研究を大学全体が取り組むべきテーマに掲げる東京都市大学にとって、それを教育・研究に活かし、地域貢献につなげていくための契機ともなったようだ。災害の原因究明やそれを受けての防災計画では、各レベルの公共団体や市区町村の住民の利害、思惑が入り乱れ複雑化しやすく、大学の中立性に寄せられる期待は少なくない。そして何よりも今回の被災は、豊かな社会の中で、安全・安心が当たり前という環境のなかで育ってきた学生にとって、貴重な「当事者としての体験」となるに違いない。

※リード文他脚注 国交省HPより
溢水(いっすい)・越水(えっすい):川などの水があふれ出ること。堤防がないところでは「溢水」、堤防のあるところでは「越水」を使う。
浸水・冠水:洪水による氾濫によって住宅や田畑が水につかること。住宅などが水に浸かることを「浸水」、田畑や道路などが水に浸ることを「冠水」という。
外水氾濫:河川の堤防から水が溢れ又は破堤して家屋や田畑が浸水すること。
内水氾濫:堤防から水が溢れなくても、河川へ排水する川や下水路の排水能力の不足などが原因で、降った雨を排水処理できなくて引き起こされる氾濫。

人新世の「資本論」- 雑賀恵子の書評

斎藤幸平 集英社文庫

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 2020年、産業革命以前より地球の平均気温は1.2度上昇した。もし2030年にプラス1.5度になるとすると、臨界点を超えて地球温暖化は暴走し、危機的な状況を迎えるといわれている。現在すでに気候変動によって、世界各地で異常気象が続き、大きな被害をもたらしていると同時に、持続的な食料生産への懸念も深刻である。一方、世界の格差は広まる一方だ。ここに来て、あちこちで目につくのは、SDGs(持続可能な開発目標)である。2015年に国連が掲げた目標で、各国政府も大企業も推進している。意識ある人々も、自動車に乗るよりも公共交通機関利用に、できなければ電気自動車にして、エコ袋をもち、プラスティックのゴミをなるべく出さないように生活を変えようとしている。だから、この努力を続ければ、人類は危機を回避して発展をしていく可能性はある…??

 著者はのっけから、SDGsのお題目を唱えたところで、それはアリバイ作りであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかないと断じる。

 人類の経済活動が地球の地質や環境に重大な影響を与えている現在を、「人新世」と位置付ける見方がある。著者は、気候変動をもたらした経済活動の根底にあるものを帝国的生活様式として分析する。後期資本主義の発展とそれによってもたらされる豊かさは、周辺部(低開発地域)の収奪によって生み出されたものであり、恩恵に預かる中心部(高開発地域)は、常に周辺を見出してそこに矛盾を追いやってきた。

 中心部においても格差は大きい。中心/周辺は地理的な意味だけではなく、結局のところ大資本が富を独占する。強い国家はそれと協働する。それがグローバル経済の実態だ。それが環境破壊と気候危機をもたらしているのである。著者によると、人類の経済活動が全地球を覆ってしまった人新世は収奪と矛盾の転嫁を行うための外部が消尽した時代である。

 だとすれば、経済的な発展を手放さない限り、言い換えれば経済的な発展を至上の善であり目的であるとする資本主義システムを廃棄しない限り、人類は、危機を回避できないのではないか。この文脈から、著者は、再生可能エネルギーなどに公共投資を行い、景気を刺激しつつ持続可能な緑の経済に振り向ける気候ケインズ主義の限界を指摘し、続けて、資本主義システムでの脱成長などあり得ないと論じる。

 では、どこに希望を見出すか。脱成長コミュニズムだ。20世紀末崩壊していったソ連をはじめとする共産主義国家群を範としているのではもちろんない。いまさら?ではなく、いまこそ!K・マルクスを読み直し、マルクスが最後に目指したものとしての「脱成長コミュニズム」である。コミュニズム、すなわち「コモン」。ここで、「私」「国家」、民主主義が問い直され、危機回避の軸が模索される。

 著者の分析や主張は、実はさほど目新しいものというわけではない。しかし、手に取り易い新書でベストセラーになっている。「知識」として読み飛ばし消費していくのではなく、本書を手にとった人たちが、私/たちがこの地球で生きていけるよう、思考と実践を深められるかどうか、そこに未来の希望はかかっている。

若い読者に贈る 美しい生物学講義 感動する生命のはなし – 雑賀景子の書評

雑賀恵子の書評

更科 功 ダイヤモンド社 2019年

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 生物とはなんだろう。直感的には生物と無生物の区別がつく(と思っている)けれども、生物の定義を問われれば、存外答えるのに難しいことに気がつくのではないか。今では誰もそんなことを思わないだろうが、地球を生物だと考えた人は、昔からたくさんいた。天才レオナルド・ダ・ヴィンチもその一人で、西洋絵画の最高傑作と言われる『モナ・リザ』も地球と人間が似ていることを示すために描かれたものでもあったらしい。本書は、レオナルドが地球を生物だと考えた筋道を追うことから始まる。残念ながら結果としては間違ってはいたけれども、ものごとを観察すること、類似を探して分類すること、実験することなど、レオナルドのとった手法は、科学を科学たらしめるものだ。つまり、まずは科学的な思考法とはどういうものであるかということが、本書によって導かれる。
 現在、多くの生物学者が認めている生物の定義は、(1)外界と膜で仕切られている、(2)代謝を行う、(3)自己の複製を作る、の3点。それがどういう仕組みで、どうなっているか、なぜそうなっているのかがわかりやすく解き明かされる。それにしても不思議なのは、地球に存在する膨大な生命が全て同じ細胞膜の構造を持ち、複製の仕組みも同じだということである。約40億年前に地球に初めて誕生した生命から現在の生命まで、途切れることなくひとつながりの生命樹として進化してきたことが、この生命の3つの定義の説明から浮かび上がってくる。シンプルで平易な著者の語り口は、実に見事だ。
 ひとつながりではあるのだが、絶滅していったものも含めて数えきれないくらいの多種多様な生命が進化してきた。本書は、植物や動物の体の仕組みや生きる仕方などを描きながら、生き物を生き物にしているものをまさぐっていく。生き物としての人間も、なぜ人間になったのか、人間を特徴づけるものはなにかということが、環境に適応する進化の過程から語られる。
分子レベルの話から人間の社会レベルの話まで、くるくると視点が展開されていくのが楽しい。そして、わたしたちはこの講義によって学ぶ。生き物は原初の生命から多種多様に進化してきたが、それは環境のなかでうまく生きるためであって、種間で優劣がつけられるものではないこと。うまく生きるための進化には、種内も種間も含めた生物多様性が重要なのだ、ということを。こうして「わたしたち」というのは、人間のみにとどまらない生き物のことだという思考の立ち位置を、本書によって獲得するだろう。

学部時代に『Nature』に共著者として名を連ね、今回の論文はアメリカで注目を集める

コロラド大学・日本学術振興会
海外特別研究員
野津 湧太さん
京都大学理学研究科博士課程2019年3月修了、京都府立洛北高等学校出身

学部時代に同期の5人と、太陽型星での「スーパーフレア(太陽や恒星表面での巨大爆発現象)」を148個の星で365例発見し、その研究成果が、「史上初めてこの分野の統計的研究を可能にした」と評価され,共著者として科学誌「Nature」に掲載され(2012年5月)話題になった野津湧太さん。現在は日本学術振興会海外特別研究員としてアメリカ・コロラド大学ボルダー校・大気宇宙物理学研究所で「スーパーフレア」の研究を続ける。近況や、研究への思い等を寄稿してもらいました。

惑星を襲うスーパーフレアの想像図(Credit: NASA, ESA and D. Player)

今、コロラドで

 複数の宇宙望遠鏡及び地上の大望遠鏡での観測及びデータ解析を主に行っています。大学のあるコロラド州ボルダーは、ロッキー山脈の麓にある標高1600mの街。マラソンの高地トレーニングなどでも有名ですが、コロラド大学の他にも多数の関連研究機関があり、太陽や惑星の研究をはじめ宇宙科学分野では世界有数の研究拠点です。関連分野の研究者も多く、彼等と日々議論を交わしながら研究活動する中で共同研究の幅も広がり、アメリカに来たこと、国外へ出ることの重要性を実感しています。

 太陽表面では「太陽フレア」と呼ばれる爆発現象が頻発しており、「磁気嵐」などの形で、時として地球へもその影響が及びます。京大時代から取り組んでいる研究では、この5月に、太陽表面において、通常見られるようなフレアよりはるかに巨大なフレア「スーパーフレア」が、数百年から数千年に1回の頻度で生じうることを示すことができました。この成果で、アメリカ天文学会で記者発表を行う機会をいただき、アメリカ国内外の多数のメディアで報道されるなど、大きな注目を集めました※1。

 私の研究自体は観測天文学の分野ですが、もし太陽でスーパーフレアが起こったら,船外活動中の宇宙飛行士,人工衛星,電力や通信などに甚大な被害が及ぶ可能性があり、人や社会の安全にも直結するものでもあります。また7月には、太陽以外の星の周りで多数見つかっている系外惑星に対するスーパーフレアの影響を調査した論文※2が公開。生命が存在できる環境かを判定することにも結びつき、これからますます重要になっていく分野であると注目されています。

※1 最近の研究内容(1)(アメリカ天文学会で記者発表実施)
“Rare ‘superflares’ could one day threaten Earth”
https://www.colorado.edu/today/2019/06/05/superflares
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_ results/2019/190501_3.html
※2 最近の研究内容(2) 「生命が居住可能な系外惑星へのスーパーフレアの影響を算出 -ハビタブル惑星における宇宙線被ばくの定量化に成功-」
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_ results/2019/190716_1.html

学部、院生時代を振り返る

 高校時代に京都大学の研究機関を実際に訪問したことがきっかけで科学に興味を持ち、入学後の選択肢の多い京都大学理学部に進学しました。

 理学部では通常、研究開始は学部4回生からですが、入学してすぐに受講した『活動する宇宙』というテーマの研究室体験ゼミ(ポケットゼミ)で、花山天文台長(当時)の柴田一成先生に出会い、スーパーフレアを、惑星探査衛星ケプラーの非常に多くのデータの中から探し出すプロジェクトに誘われました。他にも理学部1回生の4名が参加。当時、スーパーフレアが見つかるとは予想されていなかったので、真剣に探す研究者はおらず、先入観がなく時間にも比較的余裕のある学部1回生に相応しいプロジェクトだったと言えます。そこで仲間とともに大きな成果を上げることができたことが、今につながっていると考えると感慨もひとしおです。

 その後も柴田先生を始めとする研究者の方々や、同期の仲間から刺激を受けつつプロジェクトを進め、すばる望遠鏡などの大望遠鏡でのさらに詳細な観測などにも、学部時代から関わる機会をいただきました。研究分野が新しかったため、やればやるほど新しい成果が生まれ、それがまた研究のモチベーションに繋がり、大学院時代を経て現在に至るまでスーパーフレア研究を続けています。

高校生へのメッセージ

 「宇宙の研究」と聞くと、日頃の生活とは一見かけ離れたものという印象を持つかもしれません。ただ、宇宙の起源・生命の起源といった壮大な謎を少しずつ解明していこうというような側面の他に、私の研究のように、身近な地球や社会に対する宇宙の影響を調べるというような側面もあります。また手法も、宇宙や地上の望遠鏡を使った「観測」だけではなく、新たな現象を捉えるための装置を開発する「装置開発」、観測された現象をコンピュータ・シミュレーション等も用いて追求する「理論研究」など様々です。物理や地球物理についてだけでなく、情報科学など幅広い分野の知識、知見も求められ、それらの分野の専門家とのコラボレーションも重要となりつつあります。実際、今回の成果も、非常に多数の人と議論し刺激を受け、さらには協力を得ながら進めてきた結果です。

 宇宙の研究は、決して一部の優秀な人が難しい本に挑むというようなものだけではなく、面白そうなら何でも取り込んでみようというような好奇心と広い視野、多くの人とのコラボレーションが求められるものでもあります。「これには自信がある」というテーマを一つは持ちつつ、他の分野へのアンテナは常に立てておく。面白い話題があれば耳を傾け、面白い人がいれば積極的に会いに行くなどして刺激を受けてみる。そういうスタイルで取り組むと、日々の研究がとても面白いものになります。

 ところで、日本国内の研究機関では、予算が年々先細りするとともに、博士課程修了後のキャリアもアメリカのような競争原理の導入によって不安定になるなど、環境はかなり厳しくなっています。私自身もこれまで、進学の節目などにそれについて考えたこともありましたし、それで悩む知人もたくさん見てきました。それでも今なお研究の道を歩んでいるのは、取り組んでいる研究が純粋に好きになれたことに加えて、一度研究者としての訓練をしっかり積んでおけば、専門分野以外の仕事に挑戦するなど、将来の可能性を広げることができるのではないかと気づいたからです。実際、周囲には、新しい分野に臆せず挑戦することで、大きな成果をあげている人は多いように思います。一つの殻に閉じこもらずに、柔軟性を持った研究者になりたいと日々心を新たにしています。

野津さんの恩師、 柴田先生らが編集委員となっている

第21回 | もし今僕が博士課程に戻ったら今すぐ始めたい3つのこと

京都大学
学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

今回のススメ!理系特集は、「目指せ!博士課程」とのことで、以下、「僕がもし博士課程に戻ったら、今日から今すぐ始めたい3つのこと」というタイトルで、立命館大学の博士後期課程のみなさん向けにお話させていただいた講演内容のダイジェストを紹介します。紙面の都合上、詳細は尽くせませんが、疑問が残る箇所があれば、近著『学問からの手紙」(小学館)をご参考に。きっとヒントになると思います。

①本当の「専門」を究めようとすること

大学院博士課程に進学するということは、特定の専門を究めるためということになります。しかし、そもそも《専門》とは何か。よく対義語として《教養》という言葉が使われますが、僕は違うと思っています。強いていうならそれは《全体》です。全体を知ろうとしない専門は単なる《個別》で、それは突き詰めれば突き詰めるほど狭く細かくなるもの。ほんとうの意味での専門とは、その目的が全体に通じているがゆえに、突き詰めれば突き詰めるほど深くなるものです。深くなるとは、例えば、「自身の問いを(学問として)突き詰めるということは、いったいどういうことなのか・・・」、あるいは「〈科学する〉とはいったいどういうことなのか・・・」といった存在論にも似た認識に触れる思考を持つことです。

②言葉を大事にすること

言葉を大事にするといっても、「博士課程に進学するなら、ぜひとも文学や芸術等の科学以外のものにも触れてください」などというアドバイスをしたいのではありません。科学で使う数式も言葉ですし、科学的理論こそが普遍であると思うその意識すら言葉によるもの。言葉こそが全てなのです。かの数学者岡潔は「数学は理論ではなく情緒である」と言いましたが、つまるところ、このことを言いたかったのだと思います。みなさんにはぜひ、このフレーズを自分のものとして腑に落としてほしいと思います。博士課程のみなさんにとって、これを意識することは、現状の〈科学〉に違和感を持つことにつながるかもしれません。でも、それは同時に未来の〈科学〉を正しく導くことにもつながるはずです。

③「まずは専門を身に付ける」に囚われないこと

「T型人材」という言葉をご存知でしょうか。これは一つの専門を究めた後に他の分野にも精通することが大事であるという考え方に基づく概念です。しかし私は、これを疑っています。たしかに私自身の経験からも、他の分野のことが何となく「わかる」ようになってきたのは博士号を取得した後でした。しかし、専門性を身につけるということは、そもそもある固定した思考パターンに囚われるということでもあります。情報や選択肢が氾濫し、多様性が重視されるこれからの時代では、専門性もさることながら、時代の空気の微妙な変化を感じ取ったり、通念に囚われず自身の信念に正直に行動したりすることも求められる。だとすれば、専門性をまず身につけてから他の分野についても理解を広げるというのでは、やや時代遅れではないかと感じるのです。 「私たちは、知らず知らずのうちに思考の殻を纏っている」。このことを常に自覚しつつ学ぶこと。それこそが、研究者としてまっとうに成長していくための糧だと思います。自分の中に、自分を疑う目をしっかりと養ってほしい、自戒を込めて。(続く)

高等学校『探究』の現場から その5
博士号教員と探究活動

博士号教員と探究活動

大曲農業高等学校 教諭 大沼 克彦さん

~大沼 克彦さんProfile~
岩手大学大学院で博士(農学)の学位を取得後、生物資源研究所(現農研機構)、産業技術総合研究所などでポスドク。2010年から現職。秋田県立湯沢高等学校出身。
博士号教員とその業務内容

 秋田県の博士号教員は、平成20年度の採用から、社会人枠の博士号取得者という枠組みで募集が始まりました(宇佐見忠雄,2009, A Study on New Waves of the Teacher Adoption: 21–35p 博士号教員の活用について:平成21年5月18日秋田県教育委員会、文部科学省HP
現在は7名が県内の主要な高校に配置され、教科指導のほか「出前授業」を行っています。

 年度初めに出前授業の紹介文書を提出し、その内容、あるいはそれぞれの博士号教員と打ち合わせした内容で、博士号教員の出前授業を依頼校の授業の中で活用するというものです。内容は博士号教員に一任されているため、それぞれの博士によって特色がありますし、テーマも各人の専門にかかわる理科、工業や農業などの専門分野、環境や境界領域などもあり興味深いです。依頼もすべての校種から来ます。博士号教員の出前授業の実績は、年度や教員によっても異なりますが、平成30年度は博士号教員全体で68件、私個人、直近では年間20 ~30件ほどの博士号教諭としての出張があります。

博士教員教育研究会

 秋田県の博士号教員の最も特色ある活動は、「博士教員教育研究会」としての活動です。採用当初博士号教員は他県に例がなく、他県出身者も多いためメーリングリストを作って情報交換してきました。採用されて数年間、博士号教員それぞれが出前授業を通して秋田県の科学教育の活性化を図ってきましたが、個人でできることには限界があると感じていました。そこで集まって、より効果的な事業を企画運営するため、また協働して秋田県の科学教育の推進に取り組むため、平成23年8月に研究会を組織しました。 

発足当初から毎年実施しているのは研究発表会。県教委や企業の後援を受けて我々の主催で実施しています。この発表会の特色は、秋田県内の高校生であれば普通科、理数科、工業科、農業科などすべての生徒が参加できる点にあります。発表者には博士号教員が、研究活動のよかった点、改良すべき点を記したカルテを発行しています。

 しかし、我々が最もこだわっているのは、発表者すべてが研究者として意見を交換できる会にすることです。それぞれの生徒が、普段自分たちが学んでいることを他の生徒と教えあうことで、研究活動へのモチベーションを高める会なのです。実際に実業高校の生徒が普通科の生徒に、理数科の生徒が他学科の生徒に、授業で得た知識をもとに質疑応答する例もあり、参加した生徒や教員からも、質疑応答が活発で有意義な会であるという感想が数多く寄せられています。コロナ禍においてはオンラインで実施し、これまで13年間一度も欠くことなく実施しています。そのほか、高校生を対象とした実験講座や、ハイレベル授業の開催など、我々が科学教育を活性化できそうなことを実施してきました。この活動は他県にはない我々博士号教員によるオリジナリティ溢れる主体的な活動なのです。 

また、先に述べた出前授業は個人の授業紹介ですが、この他に博士号教員が全員で当たる探究活動の指導や、各校で実施される発表会での指導講評、また、教員対象の探究活動の指導法についての講座も提供しています。この結果、正課、課外を問わず秋田県内での探究的な学習活動は活発であると評価されています。(地域に貢献できる人材育成を博士号教員に期待 https://jrecin.jst.go.jp/
html/app/seek/html/yomimono/interview1/akita/index.html  JREC-IN Portal)  しかし、底上げと上位の引き上げはまだまだ不足しているというのが実感です。探究の授業は、教科横断型の思考力を必要とし、新たな考えを導き出す未来的思考を育てる授業形態ですが、十分に活用されていないところに課題があります。また我々の探究活動活性化の取組を小中学校にも広げていく必要性も感じています。特に課題として考えられる事象について、以下に具体的に紹介します。

探究活動の進め方

 高校生の探究活動においても、テーマ設定、仮説を立てての実験計画の立案、実験、結果の分析、考察、仮説の検証という一連の研究手順は不可欠であり、研究者のそれと変わりありません。それゆえ研究活動が未経験の高校生にとってはハードルが高く、それを指導する教員にも研究スキルが必要になってきます。実際、多くの教員は大学の卒論で研究に携わったが、指導に関しては負担を感じていると言います。私は秋田県の博士号教員として、県内の探究発表会で指導する機会に恵まれており、それに携わる教員の皆様から探究の指導について相談を受けることも少なくありません。その中で特に多いのが、生徒の研究テーマをどのように設定したらよいのか、また実験計画や実験はどのように指導したらよいのかということです。

研究テーマの設定

 最初にして最大のポイントで、多くの生徒、教員がここで二の足を踏みます。テーマ設定には大きく2通りの方法が考えられます。1つは教員がテーマを生徒に与える方法、もう一つは生徒に見つけさせる方法です。どちらにも長所短所があり、指導する生徒の学習到達段階にも依存するため、教員側が注意深く選択する必要があります。私の場合、時間はかかりますが、それがどのようなものであっても生徒から提案されたテーマについて、ディスカッションをして、その生徒が本当に何について疑問を持っているのか聞き出します。そしてできるだけ条件を絞って簡略化した実験に修正するようにします。それはインターネット上から持ってきたものだったとしても同じです。まずは予備実験としてやらせてみて、再現性の検証、条件設定の見直しを行い、結果について検証させる。すると、生徒のほうから疑問を投げかけてくることがあるので、それを本当のテーマとして取り組ませます。どうしても見つけられない生徒には、ディスカッションの中から、生徒の興味を引きそうなものをテーマとして、予備実験から始めさせます。できるだけ生徒の話の中からピックアップすることを心がけています。

実験指導

 実験指導の要点は、正しい答えを出させることではなく、生徒が安全に実験を遂行するように促すことです。間違いに気づいてもすぐに指摘せずに、「おかしくない?」と聞いてみる。それで生徒が間違っていないと言い張るなら、あえてそのままにしておきます。うまくいかなければ、生徒が気づきます。そこで生徒自身が気づいたら、実験は失敗でも、授業としては成功ですね。どうしても生徒が気づかずに放り出してしまいそうなときには、「ここ間違ってないかな?」と、指摘することもありますが、あくまでもディスカッションをしながら生徒に気づかせるというスタイルで指導しています。結果を求める指導をすると、ここを省いて教員が正しいと思っている答えを押し付ける危険があるので、時間の許す限り生徒の考えをよく聞いてみてください。生徒の表現力が不足していて教員が気づかないこともありますが、私でもハッとするくらい重要な気づきをしていることがあります。  テーマの設定、実験指導、結果の判断、考察、すべてにおいて重要なポイントは、生徒に任せきりにしないで、常に生徒の実験内容を把握し、声をかけながら生徒とディスカッションする。その上で生徒の考えを聞いて、生徒の目指す方向に進めるために必要なアドバイスをすることです。探究的な活動では、生徒が課題を見つけ出したり何かに気づいたりするような指導をすることが最も大切なことなのです。もし、生徒が実験の中で何かに気づいた時は、その驚きと興奮を共有してあげてください。どんな科目よりも生徒も教員も楽しく、夢中になれますよ。

ここまで進んだ!大学の起業家育成

――起業家育成教育で、近畿大学とiUが連携

近畿大学経営戦略本部 世耕石弘 本部長×iU情報経営イノベーション学部 阿部川 久広 学部長

日本では今、あらゆる分野、セクターでイノベーション創出が求められていて、その推進役となる起業家やアントレプレナーシップに満ちた人材の育成に力を入れる大学が増えています。そんな中、近畿大学とiUが、起業家育成教育で連携に向けて動き出しました。創立100周年に向けて、大学発ベンチャーを100社以上輩出するとする近畿大学。「イノベーターを育てる大学」「全員起業を目指す大学」をキャッチフレーズに、創設4年ながら学生起業数48社と早くも成果を出し始めているiU。その情報経営イノベーション学部の阿部川久広学部長と、近畿大学の世耕石弘経営戦略本部長に、今なぜ起業家育成教育なのかから、提携に至る背景およびその進捗状況や展望について語りあっていただきました。ちなみにiUは経済産業省の2023年の大学発ベンチャー実態調査で、起業率、起業増加率ともに一位(起業増加率は2年連続1位)【下図】。近畿大学は2022年にKINCUBA Basecamp、情報学部を開設、「2025年の創立100周年までに近畿大学発ベンチャーを100社に」の目標をすでにクリアしています。

今なぜ、大学は起業家育成教育に力を入れるのか

両大学の原点

世耕:長年かかわってきた大学広報の観点から見ると、受験生の保護者の多くが最も関心を寄せるのは就職実績、それもかつての《就職率》に代わって、人気400社などと呼ばれる大企業や有名企業への就職者数などのランキングです。

 次が公務員試験の合格者数、率、そして医学部なら国家試験合格率。そして近年は、就職事情や働き方、また社会・経済情勢の変化から起業家育成に注目が集まっています。学生数も多いが、上場企業から中小企業に至るまで社長の数が今5000人以上で、関西の大学では圧倒的にトップの近大にとってはブランディングのしやすい分野ということで、《大学発ベンチャーを100社、さらに150社に》というわかりやすい目標を掲げ取り組んでいます。そのためのシンボリックな施設KINCUBA Basecampも作った。仲間からの刺激による影響が大きい大学では、環境を用意するだけで、カリキュラムに関係なく起業家が勝手に育つというシナリオです。「近大に行ったら起業できる」と考える野心的な高校生が入学し、それが全学3万4千人の1%でも300人以上が動くことになります。

阿部川:KINCUBA Basecampには本当にやられたなって感じでした。iUの教育のミッションは、「変化を楽しみ、自ら学び、革新を創造する」(Change,Learn ,Innovate.)。「全員起業」「失敗大学」などという言い方もしますが、原点は「イノベーターを育てる大学」。イノベーターとは自ら学んでしかもなおかつ革新を創造する者、世界中からイノベーションの種を見つけてきて、それを育てることと自分のやりたいことをマッチさせる、社会課題の解決と自分のやりたいことの両方とも叶える人といってもいかもしれません。だから世界のどこへ行っても生きていける。それに一番近くてわかりやすいのが起業家で、そんな人材を育てる大学を作ろうと始めたのが本学です。

世耕:iUさんの《起業率ランキング1位》というアピールを見た瞬間、上手な打ち出しに感心すると同時に、ベンチマークにしていきたいと思いました。18歳人口が減少する中で、大学には、わかりやすい取組が、またそれを簡潔なフレーズで発信することが求められると考えるからです。

起業も就職も

阿部川:ありがとうございます。ただ、一期生のうち8割は就職、それも保護者の納得する企業に就職しています。10%が進学で、起業は10%です。ですから学生には、「起業を勉強すると起業もできるし、就職もできる。なぜなら経営マインドが育ち、自ら仕事を創り出しマネージメントすることができるから」と言っています。時期も「明日からでも、卒業してからでも、就職して3年後からでもいい」「5年10年経ってから、ふと思い返してでも良い」と。最近は、会社に入ること、社会に出ることに否定的で、大学が一番いいと考えている学生も少なくないですが、「それなら自分で居場所を作り出したら」と言ってもまだしり込みする学生もいます。ですから「学生時代には失敗してもいいから」とも繰り返し言っています。

意外な共通点

――それぞれの立地に根差したベンチャーを

世耕:大阪は商人の街で、政治に近い東京とは違って自由な発想ができるという土壌がある。また本拠地の東大阪キャンパスのある東大阪市は、中小の工場が非常に多いものづくりの街。現在は起業というと、東京の大学のスタイルが目立ちますが、東大阪のフィールドで育った学生が起業家になれば、それとは異なる形のイノベーションが起こせるのではないかとも考えています。そんな思いから、2023年に「実社会起業イノベーション学位プログラム(修士課程)」※1を開設しました。

阿部川:起業には、プレゼンが上手で、縦板に水のごとく英語で喋るといったおしゃれなイメージがありますね。でも今おっしゃるように、起業にもたくさんの形がある。本部キャンパスのある墨田区も、都内では大田区と並ぶ匠の町。古くからの中小企業が多く、鉄の加工以外にも、皮製品、シャンプー、石鹸、それから薬、繊維と製品は実にバラエティに富んでいます。ただ、今は事業継承も大問題ですから、学生たちも、iUの大きな教育の柱である「ビジネスとITとグローバル」の全てを掛け合わせて、伝統的手法を少し効率化し、世界に対して市場をアピールするなど、サポート活動にも力をいれています。板金や旋盤などは日本の技術力の高さを示すもので、逆説的ですが、ローカルなものほど世界に通用する可能性が高いと思っています。こういうことも起業家の視点を養えば見えてきますね。

世耕:起業は地元に残ってもできるということもあり、地元志向のニーズには親和性があるのもいいですね。

連携構想について多いに語る

大学界のベンチャーと組みたい。両者のリソースを組み合わせれば可能性は無限大に

阿部川:起業支援に関してiUの持っている資産は、連携企業や客員教員が多い※2という点。これをKINCUBAの活動などと融合できれば、起業の新しい分野、あるいはやり方なりが見えてくるのではないでしょうか。

世耕:iUさんはまさに大学界のベンチャーですから、私たちの人的ネットワークが少ない東京センターも含め、勉強させてもらうつもりでご一緒させてほしいですね。

阿部川:ありがとうございます。本学では来年4月から、カリキュラムの中核でもある開学以来の「実社会でのロジェクトから学ぶ」というカリキュラムにこれまで以上に力を入れていきます。各企業や団体と具体的にプロジェクトを進められる教員が集結してきていますから、学生とともに様々な企業と社会実装を目指します。うまくいきそうなものならプロジェクトごと売ることもできるでしょう。実はiUには「儲ける大学」というキャッチフレーズもあり、企業とのプロジェクトを通じて大学も教員もしっかりと儲ける。そしてその儲けを次の研究や実装の原資に充てたい。学生には、「この大学では座って待っていても何も起こらない」と言っています。自分から教員の主宰するプロジェクトに入るのもよし、もしこんなプロジェクトをやりたいというのなら教員がそのプロジェクトを持ってくるとまで言っています。1000人を超える客員教員の中には、必ず専門家やサポートできる人がいる。それに加えて近大さんの力を借りられれば選択肢はもっと広がると思います。

世耕:近大は関西で一番学生数が多く、資金も一番あるとされていて、他大学に比べると取引企業は多く、しかもみなさん学生の起業家には好意的、協力的です。また理工学部、農学部、薬学部、医学部などには起業のリソースもたくさんあります。

目玉はeスポーツ!

阿部川:ご一緒できそうなことが無限大ではないかと思えるほどあり今からワクワクします。中でもeスポーツ。iUでは来年から、eスポーツを中心に学んで卒業できるコースを始めますから、そこで先を行かれている近大さんと一緒に何かできればいいなと思いますが。

世耕:2022年に、「esports Arena」(イースポーツアリーナ)【下写真】を情報学部棟に設置し、eスポーツサークルもすごい人数で盛り上がっています。ただeスポーツで起業という発想はまだまだ少数。ゲームが好きでたまらない学生のうちの何人かが、就職を考える際にでも起業を考えてくれれば面白いと思いますが。

阿部川:そうですね。eスポーツは野球やサッカー同様、周りにビジネスチャンスがたくさんある。プレーヤーのマネージメントからトレーニング場所やリーグの物品販売まで。うちの学生たちは、ゲームにも一所懸命ですが、ゲームをビジネスにしたいというマインドが強い。学生がiU eスポーツ株式会社を今春作りましたし、来年度から始める「eスポーツの概論」も、内容はビジネスよりです。こちらからビジネスのアイデアをいろいろぶつけさせてもらえば、今まで全くなかったビジネスやeスポーツの会社ができそうですね。

一般教育科目のオンデマンド化を一緒に増やしたい

世耕:他に本学のリソースとしては、コロナ禍に構築した「KICS(KIndai Creative Studio)オンデマンド授業」があります。一般教育科目を集めたもので、今は対面授業との併用ですが、学生の人気は高い。

阿部川:うちは客員の方々による30分動画などをオンデマンドで提供していますが、今後はさらに増やしていきたい。われわれとしてはさらに、学生の自主的な取組なども単位化もしたい。例えば年に1回の大イベント、「ちょもろー」※3の企画スタッフをこなしたとか、その他のイベントの企画などに1単位、さらには、将来的には起業したら単位を与えるなどを考えています。

高校生、保護者へのメッセージ

阿部川:自分で考えて自分で道を切り拓いていく人生が、やはり一番楽しいと思いますから、そのように考えている若者に、様々な機会を与えたい。ここ5年はそのために必要なものを用意してきましたが、今後はそれを近大さんと連携してさらに増やしていきたいと思っています。

世耕:大学のPRとしては、「起業するなら近大へ」というわかりやすいメッセージを出していきたい。かつiUさんとは東と西で分かれていてバッティングすることはありませんから、連携を深め、伝統的な大規模総合大学がベンチャーであるiUさんと組むことで、自分たちもベンチャーマインドを大切にしていることをアピールできたらと思います。

お二人:西の近大、東のiUと呼ばれるように頑張りましょう。

※1養成する人物像として以下が挙げられている
1.スタートアップ・アントレプレナー研究シーズと社会ニーズや課題をマッチングさせ起業できる人材
2.イントレプレナー(企業内起業家)企業における社内ベンチャーやプロジェクトリーダーとして新事業・新商品開発の活性化や改革に貢献できる人材
3.アトツギベンチャー起業家事業承継のノウハウを備えた人材
4.ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)NPO・NGO立ち上げ、グローバルな社会的課題の解決に挑戦できる人材
5.ポリシー・アントレプレナー(政策起業家)革新的な公共政策を立案できる人材。
※2 iUには客員教員が1,100名以上、また研究機構のBlab(大学・研究所、企業、行政、地域、個人を巻き込んだオープンな参加型研究プラットフォ―ム)には1,200名の研究員がいる。
※3『ちょっと先のおもしろい未来 –CHANGETOMORROW-』の略。サテライトオフィスがあり「デジタル×コンテンツ」の集積地を目指す港区竹芝で2021年からスタートした。ポップカルチャーとテクノロジーの未来が体験できるイベントで、本年は35,000名以上が来場した。

両大学の起業家を紹介します
私たち起業しました!

左から、小松田(こまつだ) 乃維(のい)さん、福島(ふくしま) 翔(と)和(わ)さん
KINCUBA Basecampにて
左から、東(あずま) 徳人(かつひと)さん、余野 桜さん、細見(ほそみ) 朋暉(ともき)さん
「自分の居場所は自分で作る」

小松田(こまつだ) 乃維(のい)さん:iU情報経営イノベーション学部4年

株式会社 Raccot 代表取締役 (2024年2月設立―大学3年次) 資本金500万円 従業員 4名(うち業務委託2名)
事業内容:全国の学生に向けたオンライン・ハイフレックス型インターンシップのマッチングプラットフォーム「ReMova」(リモバ)の運営

小学校3年生の頃から体調不良などで、あまり学校に通えなかった。両親ともに自営業であったことから、出社するイメージもなかったため、朝9時から夕方5時まで会社で働くことは考えられず、「起業するしかない。自分の居場所は自分で作ろう」と思っていた。高校時代は、アメリカの高校への留学などと進路を模索するが、コロナ禍で帰国。帰国した後は・、東北大学の学生が起業した塾で勉強した。塾が入っているビルにはコワーキングスペースがあり、起業した学生が生き生きと働いていたうえ、そこの運営者が起業に関する情報をくれたので、学生起業への希望が見えた。高3の10月に「起業」「東京」「新しい大学」のワードでネット検索をして、iUを見つけ、入学。
 大学1年生の10月から「早稲田スタートアップサークルWit」に入り、2年生の5月から3年生の10月まで代表を務めた。この時の経験などを元に、3年生の2月にキャリア支援事業の会社を作った。主な事業は企業と学生をつなぐ「オンラインインターンシップのマッチングプラットフォーム」の運営だ。今はまだスモールビジネスだが、今後は事業の軸となるシステムの開発にも取り組んでいく。今後は大学院で研究し、科学的根拠に基づいて、自己実現を諦めない人を増やしていきたい。


「推しの力で世界中の心を動かしたい」

福島(ふくしま) 翔(と)和(わ)さん:iU情報経営イノベーション学部卒(東京都市大学等々力高等学校出身)

株式会社 推しメーター 代表取締役/CEO (2022年9月設立―大学3年次)
資本金 27,753,359円(累計資金調達額約5,500万円)
従業員 13名(うち5名はeスポーツの選手)
事業内容:推し活のコンサルティング、他に5事業を展開

 祖父と父が柔道整復師で、接骨院を開業していたため、小学4年生の頃には「サラリーマン以外の仕事をしたい」と漠然と思っていた。高校時代に「将来、社長になるんだ!」との想いで、「マイナビキャリアコンテスト」などのビジネスコンテストに参加する過程で、iUの存在を知る。起業をテーマにした新設大学にほれ込み、1期生として入学。
大学3年次のアクセラレータープログラムでスタートアップ精神を学び、実務実習の最中に、大学関連のベンチャーキャピタルからの資金提供を受けて起業した。在学中だったため、登記会社の所在地は大学の住所だ。今春卒業したが、現在も大学の部屋をオフィスとして使用している。
 高校時代はアニメ、漫画、ゲーム、VTuber、アイドルなどのエンタメから元気をもらい、なんとか学校に通っていたため、「エンタメ業界に恩返ししたい」「エンタメに触れて元気になり、外出できる子どもを増やしたい」との熱い想いが原動力となった起業だ。事業内容は、推し活コンサルティング事業、法人向けバーチャルアバタ―制作事業、推し活ユーザーが集まるアプリ「推しMAP」の運営、eスポーツチーム事業、企業のアプリ・Webサービス開発運用保守をサポートする事業と多岐にわたる。推し活コンサルティング事業としては、星野リゾートとコラボして、ホテルに推し活を楽しむための「推し活ルーム」をプロデュースし、好評を得た。エンタメで元気になる人を増やすため、エンタメを楽しむ喜びを最大限に味わってもらうために、上場も視野に入れている。


「家族に社会に笑顔を届ける」

余野 桜さん:近畿大学国際学部卒(四天王寺高等学校出身)

グーイー株式会社 代表取締役 (2023年3月設立) 資本金 410万円
従業員 8名(全員パート)
事業内容:無添加焼き芋スイーツ専門店「YonoImo(ヨノイモ)」を展開


「わくわくすることをしよう」

東(あずま) 徳人(かつひと)さん:近畿大学実学社会起業イノベーション学位プログラム(修士課程)2年 (福岡舞鶴高等学校出身)

Boo Boo Factory株式会社 代表取締役( 2023年8月設立)
資本金 100万円 従業員 2名
事業内容:オリジナルルアーを製作する釣り具メーカー。ビッグベイト、ジャイアントベイトを独自にデザインし、3Dプリンターを使って製作する。

 オリジナルルアーを製作する釣り具メーカーを起業。ビッグベイト、ジャイアントベイトを独自にデザインし、3Dプリンターを使って製作する。浪人時代、自分にとって大切なものとは何かを真剣に考え、幼い頃から親しんできた釣りこそが本当にやりたいことだと気づく。大学3年のとき、近大の起業支援をたまたま知り起業する決心を固めた。昨年の10月から販売を開始して、今年の2月時点ですでに100個以上売り上げている。将来的には業容を拡大して釣り具の総合メーカーを目指す。型にはまりがちな業界を変え、自分たちで新しいものをつくりだしたい。


「身体に特化したトレーニングでスポーツ界に革命を」

細見(ほそみ) 朋暉(ともき)さん:近畿大学経営学部会計学科3年(初芝立命館高等学校出身)

株式会社Topas 代表取締役 (2023年11月設立)
資本金 20万 従業員 なし
事業内容:トレーナーと提携し、幼少期の野球少年とその保護者に対し、「栄養・フィジカル・メンタル」に特化したトレーニング指導をオンラインで行う。

トレーナーと提携し、幼少期の野球少年とその保護者に対し、「栄養・フィジカル・メンタル」に特化したトレーニング指導をオンラインで行う。もともと精神的な持病を抱えて心療内科に通っていたことがあり、その時は「普通に働くことは難しい」と担当医から言われ、また自分自身も無理だと自覚していた。どのように生きるか悩んだところに、近大の起業支援プログラムができたことを知り起業を決意した。選手が自立的に自分の心身をケアでき、保護者が選手のために適切なコーチングを提供できるようになることをミッションに掲げている。

どうなる大学・高校の英語教育?

対談

――生成AIの登場は新たな改革議論を巻き起こすか

京都大学准教授 金丸敏幸×滋賀県立伊吹高等学校英語科教諭 南部久貴

大学における英語教育のあり方については、大学入試制度とともに長らく議論の対象となってきました。大学入学共通テストへの4技能評価の導入は立ち消えになった今、生成AIの登場は次の議論を予感させます。大学や高校の現場で英語教育に携わるご両人に、大学・高校の英語教育およびその結節点となる受験英語についてお聞きました。

京大一回生用の『英語ライティング』のテキスト(教師用)。2020年からオリジナル制作になった。
教育現場でのAIの活用

金丸
生成AIは英語の基礎の習得には不向きですが、応用や実践の場では大いに役立ちます。AIと対話することで、これまでとは違った方法で英語力を鍛えることができますから、特に大学生や社会人にとっては、数年後には一般的な学習手段になるのではないでしょうか。AIは学習者のレベルやテーマに応じて柔軟に対応できるため、例えば、AIとコミュニケーションする中で、学生が自ら発信したいことを工夫すれば、英語を「使う」力を自然に養うことができます。

南部
私の高校では、主に英作文のフィードバックで生成AIを活用しています。以前は、生徒が手書きで提出したものに教師がフィードバックしていましたが、今はAIと生徒の間の対話でそれが成り立ちます。生徒が課題を提出すると、AIがその内容の単語や構文の誤りを訂正し、ある程度意図をくみ取って応答してくれるため、個別対応がとても楽にできるようになりました。ある時、生徒が「siatre」と誤入力したものを、AIが「theatre」と訂正したのには驚きました。まるで生きているかのようですね。

金丸
AIを使うことで、インプット量を増やすこともできます。中学校や高校では、英語のやり取りをALTの先生に頼る部分もありましたが、生成AIの導入で一人の生徒が英語と触れ合う機会はより増えるでしょう。一人ずつにALTの先生がいるようなものなので、英語でやり取りするだけでなく、自分の使う英語について質問したり、訂正してもらったりすることも可能です。この延長線上で、大学では自分から英語を「使い」、「学ぶ」という姿勢で英語学習に取り組むことが大事になっていきます。

南部
AIのおかげでワークシート作成などの事務的な負担が軽減され、10分休みの時間に次の授業の準備ができるようになったことも大きいですね。今後、生成AIでベテラン教師のノウハウを再現できるようになれば、新人でもベテラン同様のクオリティの高さで授業を提供できるようになるかもしれません。

大学、大学入試と英語教育

金丸
高校で進化した英語教育を受けたにもかかわらず、大学に入った途端にこれまでの英語教育に戻るようでは学習者にとって不幸です。大学側は現在の教育を、指導や制度の面でもアップデートする必要があります。これから大学に進学する生徒たちはAIネイティブ世代と呼ばれるでしょうが、彼らに合わせたやり方や生成AIなどの技術を考慮して、英語スキルを上げていかなければならないでしょう。大学入試の内容も、高校の教育方針と連携しながら再考することが必要かもしれません。

南部
大学入試は高校生の学習を大きく左右します。日ごろのスピーキングやライティング対策に生成AIはとても有用ですが、入試を意識すると、受験英語に特化した学習も避けられません。生成AIを活用しつつ、受験に必要な知識や対策も取り入れるバランスが必要で、高校現場での指導のあり方もこれからさらに問われていくでしょう。

【2024年5月26日@京都大学金丸研究室】

南部久貴の新刊

第6回 杜の都の西北から

進むか、キャンパスの全面禁煙

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員

小松 悌(やす)厚(ひろ)さん

~小松 悌厚さんProfile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

喫煙が健康に及ぼす影響は多岐にわたる

 厚生労働省「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」では、喫煙とがん、循環器疾患、呼吸器疾患、2型糖尿病、歯周病の因果関係について、推定するのに十分な科学的根拠があるとして「レベル1」に判定されている。報告書は、疫学研究の成果から、未成年者や若者の喫煙はニコチン依存性が重篤化し、生涯喫煙量も増加するため、死亡や疾病発生リスクが増加すると警鐘を鳴らしている。未成年者や若者に対する喫煙対策の重要性は、教育機関も社会的責務を負っていると言える。

 喫煙は喫煙者本人だけでなく、周囲の人々にも「受動喫煙」による被害をもたらす。検討会報告書によれば、受動喫煙と肺がん、虚血性疾患、脳卒中、小児喘息の既往歴に関しても「レベル1」に分類されている。  近年では、若者の喫煙防止や公共の場所における受動喫煙防止策を含む喫煙対策が、世界レベルで進められている。その中で世界保健機関(WHO)の貢献は無視できない。WHOは「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(FCTC)」を起草し、2003年に採択に導いた。FCTC第8条は、締約国に対して立法・行政などを通じて、公共の場所における受動喫煙防止措置を講じることを求めている。FCTCの発効を受けて、WHOは定期的に各国のたばこ対策の推進状況を評価(MPOWER)している。FCTC8条の項では、病院や学校など、8種類の公共の場について「包括的な禁煙措置」を講じている国・人口は、2007年には10か国・2億4400万人だったが、2022年には74か国・21億人に増加しているという。

日本における喫煙対策の進展

 日本はまだ「包括的な禁煙措置」を講じている国とはなっていないが、世界的な潮流を踏まえ、国内の法制度を順次整備している。FCTCが輪郭を見せ始めた2002年、日本でも健康増進法が施行され、公共施設における受動喫煙防止が推し進められた。また、同法に呼応して労働安全衛生法等の規定も都度整備されている。さらに、東京オリンピックを控えた2018年には健康増進法が大幅に改正され、学校や病院など、受動喫煙により健康を損なうおそれが高い者が主として利用する「第1種施設」とされ、同施設では原則として全面禁煙が義務化され、大学もその対象となった。改正健康増進法の施行を受け、多くの大学が屋内喫煙所を撤廃し、キャンパス内全面禁煙化に向けて舵を切った。しかし大学の中にはキャンパス内全面禁煙に踏み切れない大学もある。大学による対応にはばらつきがある。

 厚生労働省の「喫煙環境に関する実態調査」によると、2019年度に「敷地内全面禁煙」を達成している大学は41.8%だったが、2020年度には60.4%に急増した。しかし、その後は漸増に転じ、2021年度には65.8%、2022年度には67.3%にとどまっている。

 調査結果からは、いまだに3割以上の大学がキャンパス内に喫煙所を設置していることがわかる。その理由は以下による。改正健康増進法では、第1種施設の全面禁煙を原則としているが、その例外として法令の要件を満たす「特定屋外喫煙所」は設置可能となっているのだ。もちろん国として推奨しているものではない。また、喫煙所を設置している大学についても、喫煙に寛容だからというわけではないだろう。むしろ、完全禁煙にすると、大学周辺の道路や公園で学生が喫煙を繰り返し、周辺住民とトラブルになる事例もあることを懸念して、特定屋外喫煙所を設置している例が多いのではないか。  一方で、長期的な計画を立案し様々な施策を総合的に推進することによりキャンパス内全面禁煙を成し遂げた大学もある。中には、医療サポートやカウンセリング、教育・啓発活動、教職員によるパトロールや服務強化など、根気強く教職員が全学的に取り組みを進めた結果、全面禁煙に辿り着いたという例もある。きめてがあるわけではないのだ。健康増進法の趣旨を踏まえれば、キャンパス内完全禁煙100%が望まれるが、この問題に対する大学の苦悩はしばらく続くことになるだろう。

参照・引用した資料・ 厚生労働省「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」2016年。本報告書では、米国公衆衛生総監報告書に倣い,喫煙と疾患等との因果関係を 4 段階で判定している。 レベル1は「科学的証拠は,因果関係を推定するのに十分である」としている。・ WHO Report on the global tobacco epidemic 2023 p51-55・ 厚生労働省「喫煙環境に関する実態調査」の調査結果(令和元年度から4年度)

金融リテラシーと経済学的思考を身に付けよう

経済的に安心できる人生を送るために

京都産業大学 経済学部准教授 関田 静香先生

関田 静香先生 ~Profile~
2001年長崎大学経済学部卒、2004年大阪大学大学院経済学研究科修了(応用経済学修士)。2007年応用経済学博士。日本学術振興会特別研究員、大阪大学社会経済研究所特別研究員を経て2011年から現職。鹿児島県立大島高等学校出身。

「貯蓄から投資へ」の流れや成年年齢の18歳への引き下げなどから、将来の経済的自立や、学生が金融トラブルに巻き込まれないための金融教育への関心が高まっています。地方銀行員として投資信託※1に出合ったのをきっかけに、日本人の金融リテラシー※2に興味をいだき、経済学研究の道を歩まれてきた関田先生に、金融リテラシーや金融教育について、また所属される経済学部での学びについてお聞きしました。

※1 投資家から集めたお金をひとつの大きな資金としてまとめ、運用の専門家が株式や債券などに投資・運用する商品で、その運用成果が投資家それぞれの投資額に応じて分配される仕組みの金融商品((一社)投資信託協会)。
※2 「経済的に自立し、より良い生活を送るために必要なお金に関する知識や判断力のこと」(政府広報)。

地方銀行員から研究者に

 私は大学で経済学を専攻し、卒業後は地元の地方銀行に入行しました。地元に戻れば親が喜ぶと思ったからです。当時銀行では、私が入行する3年前の1998年12月から投資信託の窓口販売が可能になり※3、勤務先でもその販売に乗り出していました。しかし、先輩たちからは「投資信託は、定期預金と違ってリスクがあるからとお客さんが買ってくれない」という声をよく耳にしました。

 「投資信託は儲かるかもしれないのになぜみんな買わないのだろう?」、そんな疑問から私は、日本人の貯蓄行動や資産選択行動についての本や論文を読み始めます。そこでわかったのは、日本では他の国に比べ投資を避ける傾向が強いということでした。  これは金融教育に力が入れられておらず、個々人の金融リテラシーが低いことが原因かもしれないと思った私は、それを検証できるデータを探しましたが、なかなか見つかりません。そこで、それなら自分で研究するしかないと、入行から半年で銀行を辞め、大学院へと進学しました。

※3 1997年に日本で提唱された金融システム改革(イギリスの金融ビッグバンをモデルにしたため日本版金融ビッグバンと呼ばれる)によって、銀行、証券、保険の垣根が取り払われたことによる。

どこを探してもない!日本人の金融リテラシーのデータ

 ところが大学院に入ってわかったのは、日本国内では金融リテラシーの個票データ※4が存在しないことでした。データ収集のためにはアンケート調査をしなければならないのですが、当時のアンケートは、郵送調査が主で、コストが高く、個人で行うことはなかなかできません。仕事を辞めてすぐにこんな状況に直面してしまったのは若気の至りでしたが、若かったから楽観的でもあり、まずは研究に必要な理論やデータ分析の手法などを勉強しようと方針を切り替えました。

 転機は、博士号取得後、卒業した大学院に研究員として戻ってから訪れます。博士課程の指導教員がまだ在籍しておられ、ご自身がメンバーとなっている研究グループが実施するアンケートの中に、金融リテラシーに関する項目を入れて下さったのです。集まったデータはまさに日本初。私はそれを利用させてもらうことで、漸く金融リテラシーの研究をスタートさせることができました。10年越しで夢が叶ったのです。 ※4 金融リテラシーは通常、アンケート調査の回答者に、金融知識を問うような質問をすることで測られる。また、知識に加えて、態度や行動などによって測る場合もある。

日本だけではない、世界的にも低い金融リテラシー。金融教育は世界的な課題

 大阪大学社会経済研究所が実施した「くらしの好みと満足度」調査のデータを分析すると、やはり日本人の金融リテラシーは十分とは言えないことが分かりました。とはいえOECDの国々と比較して著しく低いわけでもありません。国民の金融リテラシーの低さは世界各国が抱える問題で、世界中の研究者が金融教育充実のために力を注いでいます。

 日本の場合、高校以下の金融教育は、家計管理や生活設計などの観点から家庭科が担ってきました。しかし近年は、クレジットやリスクのある金融商品も取り扱う必要が出てきたため、数学的な要素も含め扱う領域が多岐にわたるようになりました。これは家庭科を専門とする教員にとって負担が大きすぎるとの声もあり、金融広報中央委員会や金融庁などが動画教材を提供するなどして支援を行ってきましたが、まだまだ工夫の余地があるとも言われています。  なお、あらためて紹介する必要はないかもしれませんが、金融リテラシーの測定に用いられる問題(右コラム参照)の多くは、お金に関連する国語と算数の基礎的な問題とも言えます。以前に行った研究では、国語や算数の力のある人ほど金融リテラシーも高い傾向にあるという結果を得ており、改めて基礎学力が大事であると実感しています。

経済学部ではどんな授業を?

 私は2年次の専門科目の授業では『日本経済論』を教えています。経済学的手法を使って、日本の戦後の高度成長実現の要因から、バブルとその後の長期停滞、他にも、財政、金融、貿易、環境など、様々な側面から解説します。学生が昔の日本の様子を想像しながら学べるよう、例えばNHKのドキュメンタリー映像を用いて高度成長期の生活から集団就職の様子なども見てもらいます。具体的な映像を前に、都市部への労働移動が日本の経済成長にいかに影響を与えたかを語ると、学生たちは「過去があって、今がある」ことを実感してくれます。また、バブル崩壊後の銀行業界の変遷や、当時の汚職事件なども取り上げ、将来への教訓としてもらっています。

 2年次秋学期からのゼミでは、日本経済論をテーマに経済成長、財政、金融、労働、社会保障など幅広いトピックを扱います。指導面で重視しているのは、経済情報のたゆまぬ収集。日本経済について理解を深め、研究成果を論文にまとめるには、常にアンテナを張り信頼できる情報を集め、自分なりに分析することが重要だからです。最初のステップでは、日本経済論の教科書を使って基礎を固めるのに加えて、関連する新聞・雑誌記事に目を通す習慣を身に付けてもらいます。またゼミ生同士で、集めた情報を共有したり、読んだ記事についての感想や意見を発表しあったりもします。ちなみにゼミで身に付ける力として私は、 

①「経済理論」を用いて物事を考えられるようになる。②経済情勢に常にアンテナを張ることができる。③データ収集・分析能力を身に付け建設的な議論をすることができる。④学術論文の読み書きができる。⑤プレゼンテーション能力を身に付ける、の5つを目標に掲げています。

 なお、特に力を入れて研究している金融リテラシーについては、日本経済との関連で卒業研究したいという希望があれば、既存の研究の紹介からテーマ設定まで、丁寧に論文指導する用意もあります。   経済という言葉は、「経世済民」を略したものであり、「世を経(おさ)め、民の苦しみを済(すく)う」という意味です。それを学問としているのが経済学ですから、「世の中学(ヨノナカガク)」と表現することもできると思います。経済学部では、学生が将来、世の中のあらゆる課題解決にたずさわり活躍していけるよう、「現代社会」「ビジネス経済」「地域経済」「グローバル経済」の4つのコースを用意し、2年次から実践的な学びを提供しています。また、秋学期は月に4回程度、企業人(実務家)を招いて、実際の企業活動について聞く特別講義「経済人特別講義」なども行っています。産業構造の変化、直接投資、企業統治、脱炭素への対応、規制緩和など、座学だけではなかなか理解しにくいようなテーマも、経験者の話を聞けば実務的な側面も含め理解が深まると好評です。


「金融リテラシービッグ3」(利子計算、物価変動、リスク分散)の中から、リスク分散の問題に挑戦

問:次の一文は正しいでしょうか
一般的に言って、一つの会社の株式を購入することは、株式投資信託を購入するよりもより確実な収益が得られる。

答:間違っている。

解説:株式投資信託とは、複数の会社の株式に投資する金融商品をイメージしてください。この質問に答えるには、分散投資の概念が必要ですが、以下、関西学院大学の梶井厚志氏と東京大学の松井彰彦氏の書籍の内容に基づいて説明します。

 今、200万円の資金をもとにA、B2社の株式を買うことを検討しているとします。現在、2社の株価はどちらも1000株あたり100万円で、来年の株価は50%の確率で2倍になり、残り50%の確率で半分になるとします。また、購入したら1年後までは売買しないものとします。

ケース1:手元資金200万円を全てA社の株式に投資する。期待収入は、400万円×0.5+100万円×0.5=250万円。

ケース2:手元資金の半分をA社の株式に、残りの半分をB社の株式に投資する。期待収入は、両社の株価が共に2倍になる、両社の株価が共に半分になる、片方の株価が2倍になりもう片方の株価が半分になる、という3つのシナリオを考えます。すると期待収入は、

400万円×0.25+100万円×0.25+250万円×0.5=250万円。  どちらも期待収入は250万円で同じですが、ケース1では資金が半減するリスクは50%、ケース2では25%(資金が2倍になる確率も50%から25%に減っています)。資金を一つの投資対象に全て投資した場合と、2つの投資対象に分散投資する場合、期待収入は変わらないのに、分散投資の方がリスクは減少します。つまり、冒頭の質問の答えは「間違っている」ことになります。

自由の校風・学風で育てる女子学生・女性研究者

京都からの発信

京都大学女性副学長と首都圏女子進学校校長は語る

出席者:桜蔭中学校高等学校 理事・教務主任井上 瑞穂 先生、女子学院中学校高等学校校長鵜﨑 創 先生、フェリス女学院中学校・高等学校校長阿部 素子 先生、豊島岡女子学園中学校・高等学校校長竹鼻 志乃 先生
京都大学男女共同参画担当理事・副学長稲垣 恭子 先生

【2024年8月27@京都大学東京オフィス】

長年この時期に行われてきた京都大学総長と首都圏進学校校長座談会企画。コロナ禍での中断以降途切れていたが、この度、女性副学長・理事と、首都圏女子進学校校長・理事との座談会が実現した。テーマはダイバーシティ推進の一環である、大学の学生および教員の女性比率向上とその支援の在り方。前段では中等教育における女子伝統校の教育の一部も紹介する。

女子枠、女性枠を超えて。
京都大学理事・副学長と、首都圏有名女子校校長らが語る
中高大における女子の育て方と女性活躍支援

森上(森上教育研究所所長)
近年、旧帝国大学から続く国立大学においても、学生・教員の女性比率を高めようという動きが目立つ。入学者選抜でも、東京大学の推薦入試での男女別定員や、一般入試における女子枠新設などが始まっている。京都大学も2026年度入学者のための特色入試で、理学部、工学部が女性枠の設置に踏みきるようだ。 本日は、大学につながる中学・高校教育の中で、長年、質の高い女子教育で定評のある首都圏私学4校のみなさんにお集まりいただき、京都大学理事・副学長との座談会を開催させていただきます。各校それぞれ、設立母体は異なるものの、《自由》や《自主》、自立(自律)の校風や教育理念には相通じるものがあると感じています。まずはお集まりの高校の先生方から、ご自身の学校の特徴と、中学校の段階で選ばれた生徒さんを、どのように教育されているのか、その一端についてお聞かせ下さい。

森上(森上教育研究所所長)

Ⅰ 首都圏女子校の今

鵜﨑(女子学院中学校・高等学校校長)
本校は、今年で創立154年を迎えます。生徒の自主性を重んじ自由な校風の中で、聖書の教えの下、自立した女性の育成を目指してきました。校則はなく、多くのことは自分で決めるというのが基本方針。好奇心の強い生徒が多いため、知識の詰込みではなく、様々な体験による教育を重視し、文系・理系を意識せずに自分の将来を思い描き、大学で学ぶべきことを見つけてもらっています。個を大切にする教育を徹底しているから、校内では競争よりも協働、互いに助け合い補い合うことを大切にし、競い合うのではなく、個々の特性を認めあって学んでいく姿勢を育んでいます。

女子学院中学校高等学校校長 鵜﨑 創 先生

井上(桜蔭中学校高等学校理事)
本校は、今年で創立100周年を迎えたが、創立以来、時代に適応した学習と道徳の指導を通して「礼と学び」の心を養い、品性と学識を備えた人間形成を教育理念としています。「理想の女子教育を実現し、社会に恩返ししよう」という創立時の情熱を忘れずに、中・高六年の一貫教育で、人を思いやる心を大切に博(ひろ)く学び、自律する女性を育成したい。これからも自らの主体的な活動を通して自己を確立し、多方面で活躍できる女性を社会に送り届けていきたいと考えています。

 ちなみに個々の成長を促すという意味から通知表は出しますが、他人と比べるという意味での順位は出していません。

桜蔭中学校高等学校 理事・教務主任 井上 瑞穂 先生

竹鼻(豊島岡女子学園中学校・高等学校校長)
女子裁縫専門学校からスタートして132年目。現在も毎朝8時15分から5分間、全校生徒が運針をしている。第一志望で入学する生徒ばかりではないので、豊島岡で良かったかもと、自分に自信を持ってもらうところから始めている。自信がなければチャレンジできず、ひいては女性が輝く社会の実現も遠い。社会へ出れば様々な試練が待っているだろうから、高校、大学の間は自信を持って自分の可能性を広げるためにチャレンジしてほしいと思っている。

競争というか、運針の時間を使った全校一斉の英単語や漢字の月例テストなど、課題はたくさん与えています。受からないと追試があり、朝7時45分から来ないといけないからみな必死です。

鵜﨑
本校も、中学生にはかなり手厚く指導しています。

阿部
(フェリス女学院中学校・高等学校校長)本校は、アメリカ人女性宣教師によって154年前に建てられた学校です。以来ずっと大切にされてきた教育理念は、「For Others」。六年一貫で自由と自律を尊重する教育を通して、「他人のために」自らの力を用いることのできる人を世に送りだすことを使命としています。個性や才能といった賜物を、自分のためだけでなく、他人のために役立てる。そのための学びには限界がなく、分野・領域を越えて学び続け、自己を磨き続けることが必要です。自ら学ぶ意欲を育てる工夫や、視野を広げ、学びを広げ、深めるための機会を、今後ますます増やしていこうとしているところです。

フェリス女学院中学校・高等学校校長 阿部 素子 先生

各校が育てたい女性像とは

森上
ありがとうございました。ここで少しテーマを絞らせていただき、有名校のミッションともいえる社会を牽引できる人材育成についてお聞きしたいと思います。井上先生からは、桜蔭は理想の女子教育を実現し、社会に、多方面で活躍できる女性を送り届けていきたい旨、お聞きしました。阿部先生からは「For Others」ですね。これは男子校や共学校の掲げるリーダーシップ像、リーダー育成の理念に読み替えることができそうですが、どのような違いがあるのでしょうか。

井上
女性ばかりですべての仕事をこなさなければならないという環境で、自然に統率力を身につけているという感じで、リーダー育成という概念にはつながってこなかったと思います。

鵜﨑
本校にも特別にリーダー育成という概念はありません。社会に出たら自分に与えられた仕事を探してそこにしっかりと携わりなさいとは言いますが、あえてトップに、リーダーになれと言っているわけではない。もちろんそうなるなとも言っていません。求められるなら、誰かがやらなければいけないのならそれは引き受けるべきだ、と。

竹鼻
「私はリーダーを支える役のほうが合っています」と言う生徒も結構います。鵜﨑 それぞれの適性によって働く場面が違ってくる。同じ生徒が必ずしも全てのリーダーではない。体育祭や文化祭、修養会や修学旅行などの運営では、それぞれ担う生徒が違う。自分にはこれが向いている、私はこれがやりたいなど力の入れ方が違うため、同じ生徒が何事においてもリーダーになりたいと考えているわけではない。

豊島岡女子学園中学校・高等学校校長 竹鼻 志乃 先生

阿部
居心地がいいというか、やはり女子だけの中でお互い受け入れて受け入れられて育っていくから、いかにもリーダー的な生徒、例えばすごく活発で大きな声が出せるようなタイプでなくても、「ここは私がやります」みたいなことがよくあります。日ごろ本当におとなしい生徒でも。

鵜﨑
中学時代から、やりたい実行委員を決めていて、早い段階からその委員会に入るようなこともありますね。

竹鼻
そうですね。先輩を見て憧れ、「何年後かにはあそこに」みたいな。

井上
本校も個性的な生徒がたくさんいて、それぞれが個性にあわせて各種行事の係などを選んでいるようです。みんな同じというより、それぞれをそのままに受け入れるという傾向がとても強い。だから弾かれる人もいません。

鵜﨑
女子には特に、働きの場とは目立つところだけではないという認識がちゃんとあるように思う。草の根運動もそうだし、目立たないところでも人を支える仕事があるというように、それぞれが大切だということをよく理解している。だから、いわゆるリーダーになることにこだわりを持つ必要がないのかもしれない。

森上
そのための意図的な教育というのはされていますか。

竹鼻
リーダーシップという意味で言えば、それは、教育というよりも、実践の中で学ぶものだと思います。本校では、リーダーを経験する場は多い方がいいとの考えから、学校行事を大事にするだけでなく、クラブには全員参加としています。クラブの中には少人数のものもありますが、メンバー構成は中1から高3までと学年差がありますからいい経験になる。失敗して保護者から 怒られるような経験もできますし。

阿部
たしかに部活の役割は大きいです。本校では、高2が引退する頃にリーダーズキャンプというものを実施し、高1の次期部長を集めて、どういうリーダーを目指すのか、生徒支援部長が話をします。中1と高2では体の大きさもスピードも違う。他者への配慮や目配りが必要であることを伝えます。実際、生徒は部活を通して「For Others」を考え、身につけていくことが多いです。リーダーシップには様々な形がありますが、生徒を見ていると、よく話し合い、支え合うところに特徴があります。部長のリーダーシップだけでなく、役職を持たない幹部学年の生徒たちも、自分がどうサポートできるかを考えるのです。女性的なリーダーシップというものがあるとしたら、それは「連帯的」というか、「協力しながら」「相談しながら」進めていくものではないでしょうか。本校の生徒たちは話し合いが大好きだから、そのようなリーダーシップは身に付けているのではないかと思います。

森上
先生方ありがとうございました。男子や共学の進学校からはあまりお聞きできない示唆的なお話をお聞きできました。先ほど来お聞きになられていて、稲垣先生いかがだったでしょうか。ちなみに稲垣先生のご専門は教育社会学。ご著書もあるように、私立学校の歴史研究などの一環で、女子校の研究もされておられます。

Ⅱ 京都大学の女子学生・女性研究者支援

稲垣
ご紹介いただきましたように、私は女学校研究をしたこともあって、神戸女学院など関西の伝統校とはお付き合いもあり、女子校にはとても親近感があります。先程も、皆さまがおっしゃっていたように、女子校育ちの学生さんには伸びやかで、自分に自信がある方が多い。かといって背伸びをしすぎたりもしない。ナチュラルな感じと言うんでしょうか。歴史のある女子校の校風や伝統には、代えがたい独自の良さがあると感じています。

京都大学男女共同参画担当理事・副学長 稲垣 恭子 先生

一方で近年は、共学化が進む中で、新たな方向性を模索されている面もあるのではないでしょうか。《女性の力をサイエンスに》とか《女性の視点に立ったイノベーションを》など、女性の人材育成機関としての女子校が改めて注目されています。それと同時に、やはりそれぞれ培ってこられた伝統文化、その厚みも、これまで同様、大事にしていただきたいと思っています。また皆さま方の学校にも訪問させていただき、それぞれの教育方針などについて意見交換させていただければと思っています。

 ところで本日は、京都大学の女子学生や女性研究者の支援について、ぜひお話しさせていただきたいと思っております。

 その前に、まずは本学の校風である自由の学風についてご紹介させてください。京都大学はノーベル賞受賞者を日本で一番輩出している大学であることは知られていますが、たとえばそうした世界的な賞を受賞された先生方と学生が、直接にディスカッションできる雰囲気があります。また、そうした自由な校風が生まれる背景には、京都大学の立地もあります。街の中心部から鴨川、京都御所、下賀茂神社などの、自然や歴史、風土が感じられる場所に自転車ですぐ行くことができ、学生の多くも大学の近くに住んでいます。

 先生方の生徒さんには、小中高と進み、そのまま首都圏の大学に進んで、就職も首都圏でという方も多いかもしれませんが、人生の多感な時期を京都で過ごすと、時間の流れや生活環境も違うことから、その後の人生にとって大切な経験になるのではないかと感じています。実際に、首都圏に就職した多くの本学卒業生が、多方面に尖った優れた先生から学問を尊重することを学んだだけでなく、歴史、文化、自然あふれる京都という街で過ごしたことがその後の人生の糧になったと言ってくれています。

 ただこれまでは、伝統的な国立大学の例にもれず、女性研究者の比率は極めて低かった。その危機感から、2014年に男女共同参画推進センターが設置されました。これをベースに「ダイバーシティ推進室」ができ、女子学生、女性研究者への幅広いサポートを充実させてきました。その中でも、今日いらっしゃる女子校の先生方にご興味があると思われるのが、2年目に入った『女子学生チャレンジプロジェクト』です。先ほどのお話の中でも、リーダーシップを育てることに力を入れておられるという話題がありました。このプロジェクトは、学部生、大学院生が、リーダーとなり、男子学生も含めてチームをつくって、自分の専門の研究に限らず、広く興味のあることや社会的課題をテーマに設定して1年間取り組む研究プロジェクトです。多くの中から採択されたチームには活動補助金が支給されます。初年度は5件の採択予定に55件と10倍以上の応募があり、発表会もとてもレベルの高いものになりました※。なかには地域などから連携の問い合わせもあるようです。今年度もたくさんの応募があって、選ぶのに本当に苦労しました。採択されたチームは、フィールド調査に出かけたり、学部生でも研究科のラボで実験したり、また学生自身の発案で中間報告会を開催するなど、チーム同士の横のつながりもできてきています。自分たちがやりたいことや楽しいと思うことをどんどん提案して、まさにリーダーシップを発揮しているので、大学側も最大限それに応えています。

 他にも、女子学生に母校に帰って京大での生活や魅力を語ってもらう『女子高生応援大使』も実施しています。また年に1回、『女子高生車座フォーラム』というイベントを開催しています。これは、志望学部別に京都大学の教員・学生と女子高生が学生生活や入試、研究などについて、ざっくばらんに話し合うというものです。

 このような活動を支えるのが「京都大学ここのえ会」という同窓会組織。京都大学の女性の卒業生によって、女子学生や研究者への支援を目的につくられたものです。このほか、オープンキャンパスに合わせて、女子高生向けに、女子学生と一緒にキャリアについて、また悩みなどの相談をできるようなイベントも行っています。

 もう一つ、2023年12月に、学童保育施設『京都大学キッズコミュニティkusuku』を開設しました。実験ができる土間キッチン、レクチャールーム、天井までのライブラリーホール、吹き抜けの遊戯空間など、充実した空間で、子供たちに本学の研究者や京都の文化関係の方によるアカデミックプログラムを提供していて、女子学生チャレンジプロジェクトに採択された学生たちにも担当してもらっています。小学生と触れ合うことは学生さんにとっても新鮮な感動があるようで、プログラムを実施する方も受ける方も、学問の面白さに触れる良い機会になっているようです。そこから将来の研究者が育ってくれればと思います。

 このような幅広い支援を積極的に行なってきた成果もあって、女性教員比率が2018年には国立大学で最下位の12%だったのが、今年は18.4%まで上昇し、2022年度~2023年度の1年間の女性教員増加数では国立大学で最高となりました。京都大学の学生は卒業後、多様な道に進んでいますが、女子学生と年齢の近い若手の女性教員が増えれば、身近なロールモデルも広がります。研究者の道も含めて広い分野で活躍を志す女子学生が増えていくことが、大学にとっても社会全体にとっても大きなパワーになると思っています。  これからは、男性研究者、男子学生に負けずに張り合っていこうというのではなく、性別に関係なく、多様な背景をもつ人たちがインクルーシブな雰囲気の中で、互いを認め合い、能力が発揮できるような環境になることが、自由な学風の京大の理想だと思っています。

※第一回の受賞例:薬用作物栽培と地域共生研究というテーマで、フィールドに出て調査、分析を行った。

森上
今日はみなさま、どうもありがとうございました。

我々は「アドバイス」できない

第42回 16歳からの大学論

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授
宮野 公樹先生
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。
2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究
奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

 「そういうときは、こうしたらいいんじゃないかな」、「たぶん、◯◯のほうがいいよ」など、我々は日常的に他者に対して提案をしています。例えば、同僚や部下に仕事の現場で、子供や配偶者に家庭において、そして、生徒などに学校等、学びの場において。

 もちろん、相手のことを思ってよかれとやっているのですが、よくよく考えてみれば、結局のところ、他人様にアドバイスすることはできない、いや、正しく言うなら「本当に意味のあるアドバイス」はできないということに気づきます。言うまでもなく、自分と他人は違う人間であり、自分が上手くやった経験は自分のものであって、それを他人様に適用して上手くいくとは限りません。それに、アドバイスはえてして先輩や年上が後輩や年下にする傾向が強いですが、自分が体験した時代は過去であり、現在の状況とは異なっていることも多い。自分にとっての「よい」が、常に他人にとっても「よい」とは限らないのです。しかし我々は、とっても気軽に、かつ日常的に「アドバイス」しています。いったいこれはどういうことでしょうか。

もちろん、「私、昨日、このみかんを食べたけど、もう傷んでいた。食べないほうがいいよ」といったように、状況がかなり具体化され、限定的な場合においては「アドバイス」は有効でしょう。他方、「どっちとも内定をとれたのなら、こっちの会社を選んだほうがいい」などといったあまりに不確定要素(勤務地がどこになるか、どの部署に配属されるのか、どんな人が上司になるのか等)が多い状況でのアドバイスはあまり意味がありません。アドバイスする側の個人的な経験を一般化していることには危険性すら潜んでいます。つまるところ、アドバイスするという営みは、相手のことを思ってのことのようでいて、実は、自分語りの範疇にある、とも言えます。

 だから(アドバイスするときは)気をつけなさい、と言いたいのではありません。そのような「正しい答え」または「正しそうな答え」を私は持っていません。ただ、ふと我々の「日常」というものを疑問に思い、すこし突き放して眺めてみることで感じることのできるもの、いうならば「日常の不思議」を感じるということは、我々を非常に豊かにしてくれます。それは、人生を味わい深いものにし、また、生きることの肯定にもつながることなのです。  「我々は◯◯できない。」。今後、これをシリーズ化して、色々書いていこうと思っています。(続く)

*追記 今年3月に発表した論考「探究とは。」現代思想2024 Vol.52-5 p.108− 115が、一般公開されました。「学問図鑑」を監修した経緯や、「探究学習の本来のあり様」について述べています。QRコードから無料でダウンロードできます。よければ、ぜひご感想や質問をおよせください。いただけましたら、今後、この紙面を使ってご返答いたします。

人類はどこで間違えたのか

中村桂子 中公新書ラクレ、2024年

雑賀 恵子
文筆家。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)がある。

 「人類はどこで間違えたのか」という問いかけは、現在の有り様は間違っているとの認識が前提となっている。

 なにが間違っているというのだろう。

 近年の気候変動や環境の激変は、地球上の生物全てに影響を及ぼし、生存が危ぶまれる生物種は極めて多く、地球史上、第6番目の大量絶滅期だといわれている。もちろん人間も、その影響は免れない。水や食料問題は今後より一層深刻になってくるだろうと予想される。環境汚染は直接人体に被害を及ぼしているし、細胞レベルにまで入り込むマイクロプラスチックのような、今まで考えられなかったような問題もある。人間の社会では、いまなお、紛争や戦争があちこちで起こっている。科学技術の飛躍的な発展は、文明を繁栄させたと同時に、大量破壊や大量殺害を可能にした。近年いろいろなところで「持続可能な社会」とか「持続可能な発展」といわれるが、これはつまり、わたしたちの社会はこのままでは持続するのが難しいということだ。やはり、どこかおかしい。間違っているのなら、わたしたちのこれから進むべきべつの道を探し求めなければならないのだろうか。  

いや、本書は、べつの道ではなく、人間の本質を見つめて本来歩むはずの道を探すべきだという。本書の問いかけは、人間ではなく、人類だ。著者の中村桂子さんは、生命科学という学問分野を創出した科学者として知られる。生物を分子の機械としてとらえ、その構造と機能を解明するのが生命科学である。しかし、自ら開拓した生命科学の手法や生命観に疑問を持ち、機械ではない生命そのものを探求する「生命誌」というものを構想し、JT生命誌研究館創立に携わった。生命誌のなかに人類を置き、本来の道を探るというのが本書である。 

地球史から見ると、いまいる多種多様な生物はみな同じ40億年まえの始原の細胞に源を発し、多種多様な生物群に広がって進化を遂げてきた。そして、相互に関わりをもって生きている。この生命が織りなす絵巻を生命誌と呼び、そのなかにホモ・サピエンスもいると著者は考える。ホモ・サピエンスは、意識を持ち、抽象的思考を獲得し、技術を生み出し、自然を対象として対峙する「人間」になり文明を築き上げた。生命誌において特異な進化をいかにしてなし遂げたかを辿り、人間を人間とならしめたものはなにかを考察し、そして、絵巻から飛び出ていくのはどの地点かを見ようとする。

 著者の考えでは、農耕に踏み出したことが、生命誌から外れていく大きな分かれ目だ。人類はなにゆえ自然を飼い慣らす農耕を始めたのか、それがもたらしたものはなにか。それを追うことで、これからわたしたちが歩むべき本来の道を探す。もちろん、農耕以前の社会に戻るということではない。

 本書は、いま直面している問題を地面にして、生命始原からいままでの40億年を、分子レベルから地球レベルまでを、行きつ戻りつする。人間とはなにか。生命誌を織りなす糸の一本である人類というところから、「わたしたち」の現在を捉え直し、未来を見通す。「わたしたち」とは、このわたし個人であり、同時に地球生命全てである。本書とともに、問いかけそのものをほぐしながら、応答を試みよう。

第7回 大学ランキングからはわからない大学の実力

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

1960年神奈川県生まれ。教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

地方出身、浪人減少で大学の多様性ははかられるか

 2017年11月、早稲田大はダイバーシティ宣言を発表した。こんなフレーズがある。

「本学には、なお多くの課題があります。新たな Vision を実現するためには、性別、障がい、性的指向・性自認、国籍、エスニシティ、信条、年齢などにかかわらず、本学の構成員の誰もが、尊厳と多様な価値観や生き方を尊重され、各自の個性と能力を十分に発揮できる環境が必要です」

 7年経った現在、どうだろうか。「女性」「国籍」については、女子学生と女性教員、海外からの外国人留学生と外国人教員は順調に増えている。 グローバル化は進んだが、国内、地域別出身者はどうだろうか。早稲田大は全国から多くの学生が集まると言われているが、昨今はそうでもない。

 一般入試合格者において関東1都6県出身(出身高校所在地)の割合について、10年間の推移を見てみよう。76.9%(2015年)→77.5%(16年)→76.2%(17年)→76.9%(18年)→76.9%(19年)→76.5%(2020年)→79.9%(21年)→79.2%(22年)→78.6%(23年)→79.1%(24年)

 関東の高校生が8割に迫る勢いだ。

 2021年はコロナ禍中の入試で、遠隔地に住む高校生が東京への移動を控えたことで地方出身者がかなり減少したと思われる。残念ながら、コロナ禍明けでも地方出身者が戻ってきたとは言い難い。経済的な理由は大きいが、東京に出なくても家から通える大学に通いたい、と望む高校生が増えたようだ。早稲田大というブランド力が今やたいして発揮されていないともいえる。

 2024年、早稲田大一般入試合格者のうち関東以外の上位校は、東海高校80人(40位)、旭丘高校68人(52位)、西大和学園高校65人(55位)だった。なお、1984年の関東以外上位校は広島学院高校84人(15位)、浜松北高校71人(20位)、灘高校70人(24位)となっている。地方の高校は奮わない。

 地元志向の高まりというより、都心回避といえなくもない。

 「年齢」はどうだろうか。一般入試合格者における浪人の割合について、振り返ってみた。 32.0%(2015年)→31.1%(16年)→30.9%(17年)→32.4%(18年)→34.3%(19年)→31.7%(2020年)→27.0%(21年)→24.6%(22年)→24.5%(23年)→22.7%(24年)

 10年間で浪人が10ポイントも減っている。少子化にともない浪人の母数が減ったことによる。かつては「何が何でも早稲田に入りたい」という層が一定数いて浪人したが、いまではそこまで強いこだわりをもつ受験生はいなくなり、現役で合格した大学に進むというケースが増えたからだろう。

 また、中高一貫校の受験指導が徹底されたことも大きい。 2024年の早稲田大一般入試現役合格者の上位は聖光学院高校161人、渋谷教育学園幕張高校155人となっている(附属、系列校を除く)。

 早稲田大はここ数年、学校推薦型選抜、総合型選抜の受け入れ枠を広げてきた。こうした非一般入試が増えることで、現役での合格者、入学者はますます多くなるだろう。早稲田大のキャンパスには9割が20歳前後の学生であふれることになり、年齢の多様化とは逆方向に進んでしまう。

 地方出身者に避けられ関東出身が増加、現役増加で学生の年齢が20歳前後に集中―――は学生の均質化を促し、キャンパスの知的な活性化は望めないのではないか。早稲田大は危機感を持っていい。

 どうしたらいいか。

 地方出身者には特別な奨学金、学生寮(食事付き)を完備する。地方枠を設ける、などを考えてもいい。さまざまな経験を持つ高年齢層を受け入れるためには、学校推薦型選抜、総合型選抜の門戸を広く開放すべきだろう。いずれにも現役に限定(「○○年卒業見込み」という資格)されていない選抜方法があり、既卒者も受けられる。ただ、前年卒つまり1浪までという制限がある。これらを取り払って、すこし年を重ねているがおもしろい人材をたくさん受け入れていい。

 もちろん、これらは早稲田大だけの話ではない。

 おもな私立大学での入学者総数における現役比率(2023年)をみると、専修大89.9%、東海大87.3%、日本大86.8%、法政大86.1%、立教大89.2%、南山大94.4%、立命館大88.1%、関西大91.2%、近畿大89.0%、関西学院大89.9%、福岡大90.9%となっている。 

これらは附属校、系列校、提携校から推薦で現役入学した者が多いからだろう。少子化対策として、定員割れに悩む学校の附属校化、系列校化、そして提携校を多く作ることは募集戦略として間違っていない。成績優秀な学生をしっかり確保できるからだ。  だが、中学高校と同じ環境で育った者が多く集まって均質な集団が形成されないか。ますます多様性からかけ離れないか。心配である。

(出典は早稲田大一般入試合格者、関東1都6県出身(出身高校所在地)の割合は同大学案内2016年版~2023年版。早稲田大一般入試合格者および現役合格者は大学通信。入学者総数における現役比率(2023年)は「大学ランキング 2025」から)

今、あらためて論理力を

未来を支える力を育てるために

水王舎 代表取締役 出口 汪さん

生成AIは、近年急速に発展し、教育現場においてもその活用が広がっています。
とくに英語においては、スピーキングやライティングの練習において
生成AIを利用した指導が注目されているようです。
では、国語教育においてはどのような効果が期待できて、
そのためには何が必要となるのでしょうか。
私が開発した「論理エンジン」教材を使いながら生成AIを利用することで、
国語教育にどのように寄与し得るかについて考察してみたいと思います。

国語教育の現状と課題

 国語教育は、多様な目的を持っています。読解力、表現力、論理的思考力の育成はその中心です。しかし、従来の教育方法でこれらを教え、習得させるためには、さまざまな題がありました。なかでも教科の特性上、生徒一人ひとりの弱点を把握し、理解度や到達度に応じた指導を実践することは、実際にはきわめて困難であるということができます。このような現状において、その解決策のひとつとして生成AIの利用と「論理エンジン」の導入を挙げることができるのです。

「論理エンジン」とは

 「論理エンジン」は、私たちが開発した国語教育プログラムで、生徒の論理的思考力を育成することを目的としています。無学年制を採用し、小学生から高校生(あるいはそれ以上)まで、どの学年からでも学習が可能です。段階的かつ体系的に、一貫して同じ考え方で具体例の整理や要点の把握、文章の要約など、言葉の使い方の規則を身につけるトレーニングをしていくもので、生徒一人ひとりが着実に論理力を身につけていけるように設計されています。

「論理エンジン」の必要性

 では、なぜ生成AIを活用するために「論理エンジン」が必要なのでしょうか。生成AIとはインターネット上に蓄積された膨大な情報から必要な情報を抽出し、最適な形に整えた回答をユーザーに提供するものです。しかし、そのためには的確な形でリクエストを送る必要があります。自分が求めることについて、曖昧さを排除し、要求をきちんと整理して明確にし、正しい日本語で入力できないと、生成AIは欲しい答えを返してくれません。つまり、生成AIは自身の言語力の不足を補ってくれるものではなく、むしろこれまでにも増して論理的な考え方、正確な言葉の使い方を求めてくるものなのです。
 さらに、情報過多ともいえる現在の状況において、生成AIが提供する回答の中には、不要な情報や、誤りではないが正しいとは言い切れない情報が含まれていることもありえます。その中から必要なものを選び取るためには、文章を正確に理解して、論理的に判断する能力がますます重要になってきます。
 また、得られた情報を元にして、自分の意見を論理的に構成し、他者にわかりやすく伝える能力は、これからの情報化社会における基本スキルともいえます。
ここでも、生成AIは自らの意見を構築するヒントを与えてくれるツールとなりますが、質問の難易度が上がる場合はもちろん、AIの完成度が高くなればなるほど、それを使いこなす論理力や思考力が要求されるのです。
 では、論理を意識せずに生成AIを使うことに意味はあるのでしょうか。生成AIを使った授業実践に「ある問いに対するAIの回答と自身の回答との比較」という例があるようです。これは対立関係や対比関係という基本的な論理構造がベースになっています。しかしながら、このようなごく基礎的な論理は、意図的に教え、意識して学ばない限り、「論理」として身に付きにくいものです。したがって、多くの児童、生徒たちは漠然と二つ
を並べたり、感覚的な好き嫌いでどちらかを選んだりするだけで、一つひとつの言葉を意識して対比させたりはしません。つまり、論理を論理として意識する機会がないままに、このような活動を繰り返しても、論理力や思考力はなかなか向上しないものなのです。
 また、ともすれば難解ともいえるAIが示す文章を読むにあたっては、言葉のつながりや一文の意味を正確に捉える基礎力があってこそ生成AIを使うメリットが生まれ、授業への導入が可能になると考えられるのです。

生成AIを利用した指導

 論理エンジンによるトレーニングと並行して、生成AIを国語教育に導入することで、これまでの課題を克服する一助になると考えています。具体的には次のような応用が考えられます。

1.作文や小論文指導

 生成AIは大量の文章データを解析し、瞬時にフィードバックする能力を持っています。すべての生徒に細やかな指導をするのが難しい作文や小論文などの採点や添削において、生成AIは文法の誤りや論理の破綻などを指摘できるため、効率的な学習が可能になると考えられます。

2.自学自習の推進

 「論理エンジン」は自学自習の習慣を育成することを重視していますから、生成AIでその効果を高めることが可能だと考えています。たとえば、問題を解く過程で疑問が生じたとき、生成AIを利用してヒントを得ることができるようになれば、ただ答えを知るのではなく、自分で考える力を伸ばすことができます。これは、他教科のように直接正答につながる回答を得るのではなく、あくまで思考の筋道を立てるためのサポートとして生成AIを利用するというやり方です。この意味において、デジタル教材を利用しにくい教科といわれた国語には、生成AIの適切な利用が向いていると考えられます。
 その他にも、生成AI導入のメリットはありそうです。授業におけるデジタル教科書の利便性は高いものの、紙の教科書や資料に比べて集中力の維持が難しいという報告もあります。そこで、生成AIを活用してインタラクティブな要素を取り入れれば、生徒の興味を引きつけ、より活動的な授業をすることが可能になります。生徒が基本的な論理力を身につけていけば、デジタル化が進むことで、さらに質の高い学びが実現するのではないでしょうか。

おわりに

 生成AIは国語教育において、革新的な変化をもたらす可能性を秘めています。ただし、その目的はあくまで生成AIを使いこなして物事を考え、自分の意見を組み立て、それを話したり書いたりする力をつけることに置かれるべきです。そのためにも、生徒の論理力養成が必要であり、定期的にその力を測定し、客観的な評価として確かめておくことが重要です。
 私が関わる「論理文章能力検定」を受検して、論理力がどの程度身についているかを試すのもひとつの方法でしょう。この検定では、読解力や記述力、要約力など、論理的思考力を分野ごとに細分化して測定し、その到達度を測ることができます。
 論理エンジンや論理文章能力検定を利用して論理力を習得し、それを礎として生成AIを使いこなす力を育てる、このことは未来を生きるうえで欠かすことのできない力を子どもたちに与えることにつながるに違いありません。

出口 汪さん ~Profile~
関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。(株)水王舎代表取締役、広島女学院大学客員教授、出口式みらい学習教室主宰、(一財)基礎力財団理事長。現代文講師として、入試問題を「論理」で読解するスタイルに先鞭をつけ、受験生から絶大なる支持を得る。そして、論理力を養成する画期的なプログラム「論理エンジン」を開発、多くの学校に採用されている。現在は受験界のみならず、大学・一般向けの講演や中学・高校教員の指導など、活動は多岐にわたり、教育界に次々と新規軸を打ち立てている。著書に『出口先生の頭がよくなる漢字』シリーズ、『出口のシステム現代文』、『出口式・新レベル別問題集』シリーズ、『子どもの頭がグンとよくなる!国語の力』(以上水王舎)、『日本語の練習問題』(サンマーク出版)、『出口汪の「日本の名作」が面白いほどわかる』(講談社)、『ビジネスマ ンのための国語力トレーニング』(日経文庫)、『源氏物語が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)、『やりなおし高校国語:教科書で論理力・読解力を鍛える』(筑摩書房)など多数。

書評 紙の魚の棲むところ

――〈書物〉について

(青土社 7月18日刊)

雑賀恵子の書評 特別編
新刊について、自ら書評を書いてみた。
本紙『雑賀恵子の書評』でおなじみの筆者による一人語り。
雑賀 恵子
文筆家。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪教育 大学附属高等学校天王寺学舎出身。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)がある。本誌では、2008年11月発行の79号から、ほぼ毎号、書評を寄稿。

 今回は、わたしの『紙の魚の棲むところ <書物>について』を紹介します。
 紙の魚といえば古紙などにつくシミのことで、部屋に溢れかえった本についての話かしら、と想像されるかもしれません。でも、そういうわけではないのです。
 わたしのいるこの世界が、もし一冊の書物だとしたら、と考えてみましょう。書物ですから、書かれていることには意味があるはずです。その書物の中で、<わたし>という存在も意味のあるものとして、そして役割のあるものとして置かれている。 
 たとえば、わたしを「さ」という文字とします。「さ」そのものは、形はあるけれども、そして誰かに読まれる時には[sa]という発音として声に出されるけれども、「さ」は「さ」であって、それ以上のなにものでもないというか、「さ」としか言いようがない。一方、あらゆる言葉を作る可能性をうちに秘めています。ところが、他に配置された文字との関係で「さくら」になったり、「さびしい」になったり、「さそう」になったりします。それぞれは前後のことばとの関係によって意味を持ちます。そうして、その「さ」は文章の中に閉じ込められます。
 <わたし>は社会の中で、年齢や性別、生まれた場所や所属や地位など、さまざまな網に捉えられてその都度のレッテル=意味をつけられます。レッテルが意味だというのは、貼られたレッテルに相応しい振る舞いや在り方を要求されたり、自分は実はそうではないのだとしてもそういうふうに見られたりするからです。さらに、自分のいま生きている社会は、大きなひとつの物語みたいにすでに決まったものであって、自分ひとりでは変えられないもののように思い込まされたりもします。
 だが、書物の中に巣食っていながら、書物が持つ意味とは無関係に書物を食い荒らすものがいる。小さいけれども、書物に閉じ込められた文字を意味から解放し、「さくら」が「さら」になるように別の可能性を開くこともある。それが紙魚です。厄介ごとをもたらす「巣食う」紙魚は、「救う」紙魚になるかもしれません。
 そのように、社会のなかにありながら社会が押し付ける網に捉われず、自由に泳ぎ、システムをずらしていく在り方を、多分ずっとわたしは探し求めてきた気がします。
 この本は、主として『ユリイカ』という雑誌に書いたものをまとめました。雑誌の特集テーマに沿って、大江健三郎や宮沢賢治、石牟礼道子といった文学者、荒川弘(『鋼の錬金術師』ほか)や赤塚不二夫などの漫画家、『アンパンマン』のやなせたかし、落語家の立川談志、アニメ監督・細田守…そうした作家や作品をめぐって書いたものです。とはいえ、作家/作品論というよりも、どうもわたしは、作家や作品世界の中に、けったいで、不器用で頼りないけれども、システムを奇妙にずらし、綻ばせるものの姿、紙の魚の影を求めて、あちこちと寄り道しながら思考を飛ばしているようです。ですからこの本は、これらの作家や作品を知らなくても読めるエッセイ集です。
 どこに身を置いたらいいのかおぼつかなくて、背骨のあたりがなんだか寒い。自分がなになのだかつかめなくて、心をかたちづくることができなくて、わけもなく苛立たしい。息苦しい。そういう人たちに、いや年齢ばかり重ねても未だわたし自身がそうなのですが、少しばかりの空気を送り込むことができたら、とひそかに願いながら書きました。ちょっと面白いと受け取ってくれたら、嬉しい。ほんとうにそう思っています。

太陽系誕生の謎 | 生命の起源探究から宇宙ビジネスまで

――学部では、物理・数学の基礎を身に付けてほしい

河北 秀世先生 京都産業大学 理学部 教授 河北 秀世先生

~Profile~
京都大学にて情報工学を学んだ後 、電機メーカーに就職。28歳で群馬県立天文台の職員。2005年に京都産業大学講師、2010年から教授。大阪府立工業高等専門学校(現、大阪公立大学工業高等専門学校)出身。

秋本番、天体観察には絶好の季節を迎えました。ただ、近年は、天体に交じり多くの人工衛星の姿も目立ちます。それもそのはず、地上からは今、2日に1回以上の割合でロケットが打ち上げられ、大量の人工衛星が衛星軌道上をめぐっています。今や地球上空や月面など、宇宙空間は、宇宙科学研究だけでなく、通信での利用をはじめ各種の宇宙開発に伴うビジネスの対象にもなっているのです。天体からの微弱な光を「虹に分けて」分析する分光技術を活用し、太陽系をさすらう彗星や恒星の爆発現象などの素顔に迫る研究を推し進め、そのための観測機器の開発や天文台の運営を両輪として、独自の教育・研究の道を歩まれてきた河北先生※に、現在のご研究について、また宇宙ビジネスのこれからと、そのための人材育成についてお聞きしました。
※独学で天文学を学び天文学者になられた河北先生。2004年度には、若くて将来性のある天文学者に送られるゼルドビッチ賞、日本惑星科学会04年度最優秀研究者賞、日本天文学研究奨励賞の3賞を受賞。2015年には学生やアマチュア天文家を巻き込み、彗星の分光観測による生命の起源に迫る研究で第一回地球惑星科学振興西田賞を受賞。

今春、宇宙産業で活躍できる人材育成を目指した「宇宙産業コース」※がスタート

宇宙時代の「常識」をそなえた理系人材の育成を

 「・・・3、2、1。発射!」の声がグラウンドに響くと、固体燃料を用いた小型のモデル・ロケットが燃焼音とともに空へと勢いよく発射された――これは京都産業大学・理学部の物理科学科に設置された「宇宙産業コース」の授業「宇宙工学基礎」(3年生対象)での一幕です。地上の常識が通用しない宇宙空間で動作する機器の製作や宇宙ステーション、月面基地の建設など、これからの宇宙ビジネスで必要とされる「宇宙の常識」は、私たちのふだんの(地上の)身近な体験からは得られません。地上に慣れ親しんだ私たちが、宇宙空間や月面での常識を理解するために役立つのが、この世界のルールである物理学。たとえば、宇宙空間や月面では空気がなく、太陽の光が当たっている場所と日陰の場所では200度以上の温度差が生じ、金属でつくった物体は熱膨張の違いによって、形がゆがんでしまう。また、宇宙線や太陽風と呼ばれるエネルギーの高い粒子がたくさん降り注ぐことで、プラスチックやガラスは劣化する。こうした「宇宙の常識」は、宇宙空間をビジネスの場として活躍することになる今の若い人たちにとって、必須のものとなるでしょう。 
宇宙を舞台として様々なビジネスを展開する時代において、様々な「ものづくり」を進めることができる理系人材を育てていきたい、そんな想いから、京都産業大学では様々な物理学を専門として学ぶ理学部・物理科学科に、「宇宙産業コース」を設置しました。

※物理科学科では、2024年に「宇宙産業コース」とあわせて「半導体産業コース」も開設しています。

これまでの研究を宇宙でも展開、宇宙ビジネスの新たな可能性も探りたい

 今やわたしたちの頭上には、1万を超える人工衛星が飛び交い、ロケットや衛星の開発競争や、各国による月面探査など、宇宙を舞台にした開発やビジネスの話題に接しない日はありません。まさに本格的な宇宙産業革命がおこっており、新時代の幕開けと言っていいでしょう。
 その中で、ロケットの開発/打ち上げに象徴されるように、近年は宇宙ビジネスの民間への移行が急速に進んでいます。予算規模の小さいロケットに搭載する観測機器の開発はまさにその主戦場で、キーワードはコストダウンのための小型化。そのためには観測目的の明確化と、高性能、軽量化が求められていますが、現在、そうした技術開発に世界中がしのぎを削っています。
 私はこれまで、宇宙の天体から届く赤外線を地上の望遠鏡で集め、分析する、という手法で宇宙の謎を探ってきました。そのために必要な高性能の分析装置は、企業との協働によって開発し、世界を相手に成果を競っています※。一方、人工衛星がこれだけ手軽に利用できる状況を受けて、地上からだけではなく宇宙から観測を行うことも視野に入れ、赤外線の分光分析装置を小型化し、これを搭載した超小型衛星を実現しようと開発を始めました【写真右:分光器の原寸大模型】。
 これからは、地球を周回する衛星から「宇宙望遠鏡」として私の研究対象である彗星や新星を観測するだけでなく、地球の大気を観測し、二酸化炭素など温暖化ガスが大量に排出されている地域を常時チェックするなど、ビジネスへの応用も目指せるのではないかと考えています。ここ数年は日本のJAXAや欧州宇宙機関(ESA)が進めている彗星探査計画(Comet Interceptor:コメット・インターセプタ―)にも積極的に関わっていて、いつか自前で超小型衛星を飛ばしたいと考えています。
※京都産業大学は、今年8月に京セラ株式会社および株式会社フォトクロスと包括協定を締結し、3者で協力して宇宙ビジネスの推進にも取り組んでいます。

宇宙はまさにニュービジネスの宝庫

これまでの地上のビジネスのすべてが求められる?

 学術的な科学研究に加えて、さまざまな宇宙利用や資源探査にも注目の集まる宇宙ビジネスですが、それとともに、様々な分野で人材不足が早くも懸念されています。
 一例を上げれば保険分野です。衛星の打ち上げには失敗はつきものですから、大手の保険会社は軒並み宇宙保険を商品化しています。打ち上げに際してのリスクの確率から掛金と補償額を算出し、さらに打ち上げ後に衛星が正常に稼動するかどうかも考慮に入れる。ここで求められるのは、衛星の打ち上げから宇宙での稼動までの成功確率について、物理学の知見をもって判断できる人材です。しかし現時点では、そのような人材は世界中を見渡しても両手で数えられるほどしかいないと言われています。
 法律分野でも課題があります。宇宙ゴミの清掃は誰が責任を負うのかなどです。つまりこれまで人類が営々と築き上げてきた制度、ビジネスのすべてが、そっくり、いわば《宇宙版…》として求められ、それに対応できる人材が求められるようになってきたのです。ますます増え続けていく衛星の数に比例して惹き起こされる様々な課題に、対処できる人材の供給が追いついていないのが現状です。

急がれる人材育成と、大学に求められること

 ではどんな人材育成を企業は大学に求めているのか。あるロケット部品メーカーからは、専門的な技術教育は社内でできるから、大学では、それを学ぶのに必要な基礎力をしっかりと身につけてほしい、という声が聞かれます。例えば、人工衛星の姿勢を変えるのにはどういう原理が働いているかを学んでおいてもらえば、自社製品がどのような工夫で高性能化されているかがスムーズに理解できる、といった具合です。
 科学技術の進展に伴い、学生が学ぶべき理系の知識・技術は増え続けています。一方で高校卒業時に到達する理系のレベルは昔とさほど変わっていない。そのため大学の学部が4年制のままであれば、その間で基礎から最新技術までを網羅的に身に付けるのは現実的には難しいと考えられます。とすると、大学、学部としての選択肢は、基礎教育を多少薄くしてでも実社会で即戦力となる応用を学んでもらうか、基礎教育をしっかり行い、応用については導入を行いつつも本格的には企業の教育に委ねるか、のどちらかしかありません。
 こうした中で本学部では、創立以来の伝統である、「社会を支える科学技術の、その基礎を担う」というスタンスを貫いていきたい。ちなみに本学は今年度、経済産業省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」で「応用基礎レベル」の教育プログラムが認定されましたが、理学部では全国的にも珍しく、こうしたデータサイエンス関連科目を必修科目にしています。理系人材にとって、必須の基礎と考えるからです。
 京都産業大学は1965年、理学部と経済学部の2学部で創立され※、2025年には創立60周年を迎えます。その原点は、現代科学技術と産業の土台である理学と経済・ビジネスを両輪として教育・研究を推進していくというところにあります。これを宇宙ビジネス時代に当てはめれば、理学部においては宇宙ビジネス時代に必要な物理学の基礎を学び、それをビジネスとして産業へ結びつけることができる素養を身につけるということもできます。そしてこれはあくまでも個人的な思いつきですが、自前での衛星開発、さらには衛星の打ち上げは、まさにそれを象徴する一つの事業になるのではないかと考えています。

※宇宙物理学者、天文学者として著名な荒木俊馬博士が創設し、私学では国内最大の望遠鏡を有する。ノーベル賞受賞者の益川敏英博士も理学部教員として活躍した。

高校生へのメッセージ

大事なのは、学び方、研究の仕方を学ぶこと 理系志望者は、常になぜという疑問を持ってほしい

 私は、学部や大学院修士課程は、研究の仕方を身に付ける場だと考えています。工業高等専門学校で電気工学を学び、大学に編入して情報工学を学んで電機メーカーに就職した私は、幼いころからの宇宙への憧れを捨てず、独学で天文学を学び専門家になりました。独学で夢が叶えられたのは、研究の基礎となる部分とその仕方を高専、大学で身に付けていたからだと思っています。一つの分野を突き詰めておけば、その経験が別の分野でも通用する。特に理系ではそれが当てはまるのではないでしょうか。現在、AI、機械学習をベースにした技術革新が社会の注目を集めていますが、機械学習を理解するための代数学の基礎知識があれば、それについていける。そして数十年後、いやもっと早く、次の技術革新が起きた際にも、その元になる基礎を押さえ、研究の仕方を身に付けておけば恐れることはないはずです。
 高校生、特に理系を目指すみなさんには、日頃からなぜという疑問を意識的に持つように《訓練》してほしい。疑問は意識しないと浮かばないものだからです。ニュースであれ教科書の記述であれ、それについて疑問を抱くことが理系の研究の出発点です。もちろん答はすぐに見つからないかもしれません。ただそのなぜを起点に、この原理はどんなものに応用できるだろうかとか、他の何かに使えないのかなどと関心の幅は広がっていきます。大学での学びは、そうした関心の先にあるもの。ぜひ、ふだんからなぜを探してみてください。

高等学校「探究」の現場から その4

高校の探究活動における「高大連携」指導

秋田県立秋田高校 教諭 博士( 生命科学) 遠藤 金吾さん

現在、様々な形で「高大連携事業」が盛んに行われています。
今回は「探究活動」に関する高大連携について、
筆者の勤務校の「生物部」と「東北大学」との連携事例を紹介します。

1 東北大学「科学者の卵養成講座」

 小・中学生、高校生を対象にした講座ですが、高校生向けの事業には「基礎コース」と「発展コース」、「研究推進コース」があります。「基礎コース」では、東北大学の様々な学部の先生たちが高校生に向けて、それぞれの専門分野の講義を行い、それを受けた高校生はレポートを作成。優秀なレポート作成者は発展コースへと進み、東北大学で希望する分野の研究室に通って研究できます。「基礎コース→発展コース」への申し込みは「自己推薦」によって個々で申し込み、高校は関与しません。
 一方、「研究推進コース」は、高校の科学系部活動や理数科のような学科の授業内で実施している「理数探究」などの探究活動を東北大学が支援するというものです。高校生は「基礎コース」同様、講義を受けレポートを提出するなどしますが、「発展コース」の選抜対象にはなりません。申し込みも、「その探究活動を実施するグループ」単位で、学校側の推薦を得て指導教員が付くところも「基礎コース→発展コース」とは違います。また採択されたグループには、探究活動の指導役として、大学院生が「メンター」として
付きます。

2 メンターの役割 ~週報告~

 本校では生物部の研究グループが、この「研究推進コース」に採択されていて、日々学校で行っている研究の進捗状況を、毎週末、メンターに報告しています(週報告)。ただ、東北大学とは地理的に離れているため、報告にはメールやチャットツール、時にはオンライン会議ツールを使います。メンターからは、「こういう条件にしてみては?」「このような可能性はないだろうか?」などのアドバイスが送られてきますが、研究の最前線にいる大学院生からの定期的なメッセージは、高校生にとって何よりの励みになりますし、それがきっかけで研究に新たな方向性が拓かれることもあります。
 ただ、このコースはあくまでも「高校における探究活動」のサポートとして位置づけられているため、探究の過程で「これは大学の最先端の機器を使えば簡単に解決できるのでは?」という状況が生まれても、安易に大学の設備は使わないというのが東北大学の方針です。極力、高校生や大学院生には「若い頭脳」を駆使し、「創意工夫」をこらして代替案を考えてほしい。研究成果が出るに越したことはありませんが、このような過程を通じて彼らの思考力を磨くなど、人材育成を第一に考えたいからとのことです。

どんな週報告?

 以下に高校生が書いた週報告文の一例を紹介します。

今週は薬剤Aと薬剤B処理と薬剤X濃度検討を行いました。 ①薬剤Aと薬剤B処理 薬剤Aを培養前に添加した場合では、薬剤A、薬剤B単独実験区よりも、薬剤A×薬剤Bの実験区の方が、生存率が下がりました。 薬剤Bを加えた後に薬剤Aを添加した場合でも、薬剤Bの効果があまり見られませんでした。 ②薬剤X濃度検討 ほとんどの実験区の生存率が10%以下でした。そのため、実験中にミスをした可能性が高いと思います。

あらかじめ断っておきますが、この報告文は「今週は実験しました。来週も実験したいと思います」で終わっておらず、具体的で相当良いと思います。しかし、せっかくの成長の機会ですので、より良い報告文にするための改善点として、メンターと私は以下を提案しました。
・この条件の実験を何の目的で行っているのかを述べておらず、毎日見ているわけではない相手には伝わらない。
・薬剤の濃度はどうなっているのか、どんな実験区を設けていて、サンプル数はいくつか、など条件を伝えきれていない。
・①に関して、単に「生存率が下がりました」「効果があまり見られませんでした」としか言っておらず、具体的な数値を述べていない。
・①に関して、結果は述べているものの、その結果からどのようなことが考えられるのか(考察)を述べていない。
・②に関して、生存率が10%だとなぜ実験のミスだと言えるのか、その根拠が不明確で、本当にミスと決めつけて良いのか相手からはわからない。
・今回の結果を踏まえて、次回はどのような目的で、何をしようと考えているのかを述べていない。
といった具合です。
 このようなやり取りによって高校生たちは「相手に伝えるための文章作成術」を向上させていきます。そして、具体的な週報告を送ることで、メンターとのディスカッションは活性化され、より的確なアドバイスが得られる可能性が高くなります。また、週報告を行うためには、その前にデータをまとめ、グループ内や指導教員とのディスカッションが必要になります。「データをまとめずに無為に同じことをくり返してしまう」、「指導教員とのディスカッションがないまま、気づいたときにはあらぬ方向に研究が進んでいる」などは、高校生の研究あるあるですが、週報告があることでこのような事態を未然に防ぎ、研究をスムーズに進めることができます。

3 探究活動におけるメンターの役割~発表準備~

 近年、各種学会では「ジュニア部門」として、中高生による発表の場が設けられていることがあります。また、学会以外でも高校生の発表会は数多く実施されています。本校生物部も、研究成果をそれらの場で発表することを目標に日々活動していますが、「研究推進コース」はそのための支援も行ってくれます。
 具体的には、成果発表に必要な「論文作成」「要旨作成」「ポスターorスライド作成」「発表練習」の支援です。高校生は作成した論文、要旨、ポスター、スライドなどを、メンターにメールやチャットで送り、添削を依頼します。発表練習に関しては、オンライン会議ツールで見てもらったり、練習風景の録画を送って感想を求めたりします。いずれの場合もメンターは、「このような表現の方が伝わりやすいのでは?」「このグラフはこのようなデザインの方が見やすいのでは?」といったように助言してくれます。大学院生であるメンターは、学部の卒業論文を書いた経験から、論文の構成や科学用語の使い方を一通り身に付けています。その彼らから「真っ赤」に添削して返却された原稿を修正していく中で、高校生も少しずつ成長していくというわけです。
 加えてこのコースでは、申請すれば旅費も支給されます(支給条件はありますが)。大都市部では実感しにくいかもしれませんが、これは地方の高校生にとってはとてもありがたい制度です。地方はどこに移動するにも長時間かかり、交通費も嵩みます。近隣の県に移動するのに万単位の金額がかかることもざらで、宿泊費が必要となることも少なくないからです。

4 高大連携を行う上での高校教員の心得・高大連携の効果

 では、筆者のような指導教員の役割とは何でしょうか?高校の探究活動と大学連携で最も重要なのは、「高校教員が大学に任せっきりにせず、一緒に取り組むこと」だと思っています。本来指導すべき高校教員が何もしなかったら、メンターも良く思わないでしょうし、日頃からコミュニケーションを取って相互理解をしていないと、いつの間にか「進むべき方向の認識に食い違いが生じていた」ということにもなりかねません。しかしながら、博士号保有者である筆者が最初からコメントや添削をしてしまうとそれが全てになってしまい、メンターが意見を言う余地がなくなってしまいます。そこでまずは、メンターがコメントや添削を行い、その後に筆者が確認し、コメントや添削をするようにしています。
 筆者はこの高大連携事業は、高校の探究活動をアップグレードさせることを通して、高校生が様々な能力を磨き、成長するとともに、大学院生であるメンターが高校生に教えることにより、自らの研究能力を向上させる場になっていると考えています。高校生は、最先端の研究に従事している大学院生というロールモデルを間近に見て刺激を受けますし、大学院生は、限られた時間・設備でも懸命に探究活動に取り組む高校生から刺激を受け、「負けていられない」と自らの研究課題に取り組む意欲を高める。まさに双方に「意識面で相乗効果」が生み出されているのではないかと感じています。なお、メンターには指導時間に応じて、東北大学の規定に従って給与が支払われていますから、生活支援という面でもありがたいと思います。

5 最後に

 東北大学「科学者の卵養成講座」は国立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)による「次世代科学技術チャレンジプログラム」および一般財団法人・三菱みらい育成財団の支援を受け実施されています。国家や大学の予算には限りがありますが、未来の科学技術や社会を担う有為な人材を育成するために、ぜひともこのような事業が継続・拡大し、探究活動における高大連携がさらに活性化していくことを切に願います。

先生 ~Profile~

東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より、秋田県の博士号教員。2016年より、現任校(秋田県立秋田高等学校)に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」。埼玉県立川越高等学校出身。

言葉を覚える、 使えるって?

――幼児・児童英語教育に携わって40年、 日本の子どもたちの英語について考える

アレン 玉井光江先生 青山学院大学 文学部英米文学科 教授 アレン 玉井光江先生

~Profile~

Notre Dame de Namur University英文科卒業後、San Francisco State University 英語専攻 修士課程修了、Temple University 教育学研究科 英語教育学専攻博士課程修了、Temple University Ed.D.(教育学)。1986/04~2007/3文京女子短期大学英語英文学科専任講師から助教授、文京女子大学人間学部教授、文京学院大学、外国語学部教授を経て、2007/4~2010/3千葉大学教育学部・大学院教育学研究科教授。2010年から現職。1991/02~1997/07及び2015/04~2016/03ハーバード大学 大学院教育学研究科客員研究員、専門分野及び関連分野:小学校英語教育、 第二言語教育、 読み書き教育。主な著作に『小学校英語の文字指導 リタラシー指導の理論と実践』(東京書籍)、『小学校英語の教育法 ―理論と実践―』(大修館書店)。広島市立舟入高等学校出身。

みなさんにとっては当たり前の小学校での英語の授業。でもそれはそんなに以前から行われてきたものではありません。長い間、日本の子どもたちにとって、ABCは中学になって初めて学ぶものでした。一昨年から今年にかけて、この英語教育にまた新たな変化が加わろうとしています。生成AIの登場と、今春の小・中学校へのデジタル教科書の他教科に先駆けた本格的な導入です。長年、研究に加えて、日本の児童英語教育を実践してこられた青山学院大学のアレン 玉井先生にこうした状況の中での日本の子どもたちにとっての英語学習についてお聞きしました。

紙かデジタルか?

 デジタル教科書にはいい面がたくさんあると思います。特に英語の場合は音声が出るため、家庭での自学自習にはとてもいい。また各教科書会社の令和6年度版は、令和2年度版に比べ、とても充実しています。
 ただ私は正直、中学校までは必要ないと思っています。現場の先生方からも、利点はあるがマイナス面も多いという声が多く聞かれます。機器の操作中、子どもも先生も画面に目線が釘付けで、インタラクションはほとんどない。この間、準備に手間取ったりすると15分程度かかることもある。毎日ならともかく、公立小学校での英語の授業は今、3、4年生で週1回、5、6年生で週2回、それも各45分。海外と比べ、とても少ない授業時数の中で※1、この時間はもったいない。一つのアクティビティがしっかりできる時間ですから。
 また《文字を読み書きする力(リテラシー)》を育成する視点からは、手で紙に書く作業は欠かせません。新しく外国語を習得するのにも、漢字の修得と同じように、Eye-Hand Coordination ――目で見て、手を動かしてというのはすごく大事だと思っています。
 最近になって私が注目しているのは、ICT教育先進国の一つスウェーデンが、4年ぐらいかけてデジタル教科書を紙の教科書に戻すとの報道です※2。スマートフォンの禁止などは、既にいろんな国で事例が報告されていますが、デジタル教科書を紙に戻すというのは、私の知る限りでは初めてです。

※1 文科省が2013年に出したグローバル化に対応した英語教育改革実施計画では、小学校5、6年生に導入する教科外国語は週3回(モジュールも含め)、3、4年の外国語活動も週2回とされていたが、実施時点では、他教科との調整でそれぞれ1コマずつ減らされた。「世界的には、週1回ということはまずなく、そのために英語を教えるというよりも、楽しめればいい、つまりLanguage Experience Programになった」とアレン先生。
※2 スウェーデンは2010年代から教育のICT化を積極的に推進し、多くの学校でタブレットやPCを1人1台配布し、紙の教科書を原則廃止するなど世界でも最も先進的な取り組みを進めてきた。ただ、デジタルデバイスの使用による健康への悪影響や学習格差の拡大、教師の負担増加など、デジタル教科書の効果に対する疑問も高まり、2023年8月に発表した新学習指導要領で、印刷された教材や静かな読書時間、手書きの練習を重視する方針を打ち出した。

語学教育は肉声と身振り手振りで、五感に訴えたい

 私は、子どもの英語指導では、 声を大切に、五感に訴えることにこだわっていますが、デジタル教科書にはそういう味わいは全くと言っていいほどありません。コロナ下に、マスクをしてその上からマイクを使って授業したこともありましたが、子どもの反応は全然違った。マスク越しで声が聞こえにくいこともあったからかもしれませんが、去年、少し目を悪くしてサングラスをかけて授業した時の反応とも明らかに違う。やはり言葉を語る時に口元を隠すと、表情が見えないことが原因ではなかったか。幼稚園に12年間入った経験でも、授業中、園児たちは私たちの口だけではなく、顔全体をじっと見つめ、確かめるように声を出していました。
 このように考えても、幼児・児童英語教育とICTとはあまり相容れないのではないか。ヴィゴツキー(レフ・ヴィゴツキー:1896~1934年ロシアの心理学者)が、言語獲得も含め、学びはまず人との間で起こり、その後それを自分で落とし込み内面化していくイントラパーソナルなフェーズに移っていくというように、やはり初期の学びには生身の人間がかかわることが必要だと思っています。母語の場合、それはお家の方々であり、英語は、多くの子たちにとっては教室の先生、信頼のおける大人の声ではないでしょうか。

私のメソッド

ジョイント・ストーリーテリング

 昔話やおとぎ話を、児童用に難易度を調整して会話形式に書き換え、授業ではそのセリフを先生のあとについて身振り手振りを加えて発話し、覚えていくというメソッドです。目的の一つは、リーディングの基礎となる豊かな音声言語を作り上げることで、「ジョイント」には、先生と子どもたち、子どもたち同士、そして母語と外国語を結ぶという意味をこめています。
 具体的には、5、6分程度の一回の活動で、児童は先生の言う英語をまねて発話します。この際、日本語訳は一切与えられず、児童は先生のジェスチャーやアメリカ手話をヒントに英語の意味を模索します。そして動作を頼りに長い文章も覚えていきます。このカリキュラムが導入されている地域では、1年で『桃太郎』の簡単バージョン、2年で『ウサギとカメ』と『アリとキリギリス』。3 年では『3匹の熊』と『ミトン』、4年で『大きなカブ』と『浦島太郎』、そして5年で『赤ずきん』、6年で長いバージョンの『桃太郎』を学習しています。低・中学年では英語を簡単に、またお話しも短めなものを選んでいるので、1年で2話、高学年では英語を少し難しくして、1年間で1話にしています。 
子どもたちは、お話を知っているから少々わからない単語でも想像して理解できる。外国語教育で最も大切な「わからなくてもひるまず、がんばろう」という逞しさ、つまり曖昧なことに耐える力を伸ばしていきます。 
しかも、何回も繰り返して自分一人で復唱できるようになれば、言葉は自分のものになる。これを私はLanguage Ownership と呼んでいますが、EFL環境でexposureが少ない【英語に触れる環境にない】中でも言葉が育つ。それとともに心も育つんですね。 
また復唱するだけの中・低学年と違い、5,6年では丸暗記した英語の書かれている原稿を使い、文を読む練習をします。覚えている英語を発話しながら、目でそれらを確認するという活動です。さらに時間があれば、文法への気付きを促したり、CLIL(Content and Language Integrated Learning:内容言語統合型学習)に展開したりもします。

音を大切にしたリテラシー教育

「音を大切に」としているのは、リテラシーには、聞く力・話す力も不可欠だからです。よく言われる4技能ですね。 文字と音との関係を知るためには音韻意識※3の発達が必要だと言われていますが、英語の場合は、それに加えて音素意識※4を高める必要があります。音素に慣れ、操作する力を身につけることが大切なのです。
 一方で、英語は音と文字との関係が非常に複雑な言葉なので、母語話者も読み書き能力の獲得には苦労します。そこで音素体操※5という活動を開発し、音素意識を高め、その後、文字と音との関係を意識的に教えるフォニックスを始めます。その際、短母音については、音の聞き分けが難しいこと、また長母音・二重母音については綴りが複雑になることに留意しています。
 これまで日本の《小学校英語》では取り扱われてこなかったフォニックスですが、文字と音との関係を学ぶことで、文字を通して英語音について意識を高めることができます。日本の外国語学習環境では、英語の音に自然に親しみ、それを獲得していくには摂取量があまりに少なすぎる。そこで、文字に対応する形で英語の音を学習できることは大きな助けになります。
 もちろん英語に限らず、言語はもともと音声しかなかったもので、書き言葉を得たことは人類最大の発明などと言われますが、裏を返せば、書き言葉は自然には身につかないということでもあります。ですから、昔の寺小屋の読み書き算盤ではありませんが、先生の指導はとても大事です。
 音を合わせて単語になることが理解できるようになった子どもたちは、新出単語に出会っても何とか音が出せるようになる。誰でも外国語を音読できると嬉しいし、また、音と文字を一緒に覚えて読めるようになった子は、やはり発音が良いですね。

※3 話されている単語の音の構造を理解できる力
※4 言葉の中にある最も小さな単位である音素に気づき単語の構造が理解できる力
※5 アルファベットの名前を音素で区切り、それらを動作を加えて発音する活動

どうするこれからの日本の英語教育

 かつてカナダの応用言語学者が、英語を習得するには3000時間要ると言っていたのを覚えています。日本はようやく小学校で157時間。中学校はその倍で約300時間程度、高校、大学を入れても、授業時数だけなら1000時間ぐらいにしかならない。よく「中学・高校、大学と10年間も英語を学んできたのに…」と言われてきましたが、反対に言えばそれだけしかやっていないからできない。さらに言えばやればできるんです。受験英語も、否定的に言われることがありますが、一つの大切な基礎を作ってくれているという意味で役に立たないことはありません。
 今みなさんに必要なのは、とにかくできることはやること。learn about English ではなくuse English の風潮下では、小学校では言語活動においてbig voice, gesture, eye contact が評価され、pronunciation や intonation など言語的な側面はまだ十分に評価されていない。そしてその弊害が一番顕著に出るのがリテラシーです。
 かつてよく英語が使えても使わないと言われていたフランス人をはじめ、近年のヨーロッパの人たちの英語力向上には目を見張るものがあります。良くも悪くも止めることはできないグローバル化の中で、英語格差の拡大には歯止めをかけたいもの。情報収集、情報発信を英語でできるかどうかで、世界の広さが変わってくる。その違いは、私たちの若い時とは雲泥の差だと思います。個人レベルでは、それこそ生涯年収に大きな差が出てくるかもしれない。また、「日本は稼ぐ力が弱くなった」と言われていますが、その要因の一つに英語が使えないことはないのか、あらためて考えてほしいものです。
もちろん、直近では機械翻訳の性能向上や生成AIの登場などの好材料もあります。ただそれだけではコミュニケーションの深さは補えない。まして子どもの外国語学習の基本は変わらないと思います。
 言葉は心、言葉が心を育てる。言葉があるから心が育っていく。そしてまた心を表す言葉のみがその人の言葉として残っていく。ストーリー学習で『ミトン』をしていた時、寒い冬に、寒さに震えるネズミさんになったつもりで、Can I come in ? と、心を丸ごと出して英語学習に取り組む子どもたちを見ていると、それが実感できます。だから子どもたちには、デジタルには還元できない人と人とのつながりの中で、生きた言葉を育ててほしい。デジタル音ではなく、肉声で語る言葉に触れ、端末に書かれた文字情報ではなく、人の顔を見て、息遣いを感じて、新しい言葉に接してほしいと思っています。

私と児童英語教育

 アメリカの大学に編入して、卒業時に、当時、女性が仕事を一生持って生きていくことを考えた時には、教師になることぐらいしか思いつかず、英語だけでは難しいだろうと、帰るかどうか迷いました。BAを終えた段階でもう少し頑張ろうと、MAまで続けていった時に、TESL※を知り、それを学び、英語教育の研究者になりたいと思いました。
 82年にアメリカから戻り、最初の勤務先の大学では、研究の傍ら、付属の子ども英語教育センターでも教えました。民間の英会話教室のようなもので、幼稚園や小学校を終えた子どもたちを小人数で教えるんです。それを25年間続け、その大学を辞め他の大学に移りましたが、今度は18年間、東京都のある区でボランティアとして実際に教室で教えながら、研究を続けることになりました。
 当時のその区の教育長さんは新しいことにいろいろ挑戦されていて、英語も、早い段階から教科として小学校1年から入っていました。直接のきっかけは、英語教育を担当されていた小・中学校の先生に「ハードは整っているけど、ソフトがない」と相談されたこと。英語教育に真剣に取り組むその地域に魅力を感じ、関わらせていただくにしました。 
 ちょうど公立小学校で高学年を対象に「外国語活動」が始まった時期でしたが、本格的には、2010年から2014年にかけて、それまで獲得してきた理論や実践を基に公立小学校用にカリキュラムを開発し、一つの学校の高学年生2クラスで実践しました。具体的には、最初に私が5年生を受け持ち、翌年はそのまま持ち上がって6年生を教え、次の5年生は、私のやり方を1年間見ていたゼミ生が教える。そして2年間のプログラムを作っていったのです。
 しばらくして、そのプログラムを修了して中学校に進んだ子たちの英語の試験の成績が、それ以外の子たちに比べてかなり高かったことが教育委員会の調べで分かりました。現場の先生方からの支援もあり、教育委員会は私が開発したプログラムを全区展開することを決めました。現在、小学校、一貫校も含めておそらく37校ぐらいでこのカリキュラムが実施されています。
 よく「子ども大好きですか?」って聞かれます。もちろんですが、それ以上に魅せられるんですね。子どもはかつての自分も含め、人間とはこういうものだということをとてもよく見せてくれる。それが面白くて面白くて、これまでやってきました。

※Teaching English as a Second Language:英語を母語としない人のための英語教授法

もっとリアルにオンラインで

「効き目アリ!」から10年

6Gで巻き返そう

宮田 清蔵 先生 元東京農工大学学長
宮田 清蔵 先生

~Profile~
1969年東京工業大学大学院博士課程修了(工学博士)後、東京農工大学助教授、カリフォルニヤ工科大学客員教授、ベル研究所客員研究員を経て、86年より東京農工大学教授。2001年には同大学学長。05年より独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)シニアプログラムマネージャー等を務めてこられた。

「効き目アリ!」は、東京農工大元学長で、国の科学技術推進において目利き役を果たしてこられた宮田清蔵先生監修の元に、2012年まで続けられた企画です。その第1回【2010年5月25日 vol.87】では、CO2削減等の時代の要請に応える究極の切り札としてホログラム※1技術を使ったテレビ会議システムをご紹介しました。

 新年度に入って、みなさんの多くは、突然のオンライン授業に戸惑っておられるかもしれません。あるいは、来る日も来る日もオンライン授業で、画面に映る先生や仲間、教材にはもう飽きてきたという人もいるでしょう。中には、もっと授業や仲間とのコミュニケ―ションがリアルに近い形になればいいのにと考えている人もいるかもしれません。
 そんな期待に応えられるのが上のマンガでご紹介したホログラムによるテレビ会議です。
 ただ、その実現に必要な情報量を試算すると、たとえば3D画素で4K映像を作るとして、横3,840×縦2,160の平面に、奥行きも横幅と同じ3,840とすると、31,850,496,000=316G画素。1画素につき24bit(RGB8bitずつ)で765Gbit。それを1秒間に30フレーム送るとするとさらに30をかけて22932Gbit/sec=22Tbpsというものすごい通信量になります。かりにこれを1000分の1ぐらいまで圧縮できたとしても22Gbpsとなり、今話題の5G※2でも実現できそうにありません。
 ちなみにこの5G。アメリカと中国の熾烈な主導権争いの中で、日本の存在感は薄く、今からはもう、追いつけないかもしれないとの声も聞かれます。
 「だからこそ6G※3だ」と、宮田先生はおっしゃいます。先生がプロジェクトマネージャーをされてきた国のプロジェクト※4からは、6G時代を支える技術が数多く生まれ、次なる展開に備えています。ホログラム技術の確立もその一つ。これまで経験したことのない危機の中で、次世代科学技術にイノベーションを起こしたいと考える人が現れてくれれば、ピンチもチャンスに変わる。直近では10年後、日本の情報通信産業が6Gで復活するのも夢ではないかもしれません。

※1 平面では紙幣の偽造防止用に使われている。現在開発されている裸眼立体視テレビなど、多くのホログラムと呼ばれるものとは別の技術。
※2 80年代から90年代にかけての「アナログ無線技術のモバイルネットワーク」(第1世代:1G)。90年代のデジタル無線による携帯電話システム(第2世代:2G)。国際連合の専門機関であるITU(国際電気通信連合)によって標準化が進められた3G。「スマートフォンのためのモバイルネットワーク技術」と言われる4Gを経て、5Gでは超高速、多数接続。超低遅延をうたう。
※3 第6世代移動通信システムと言われる。大手キャリアによれば速度、容量とも5Gの10倍を目指すとされ、宇宙旅行や空飛ぶクルマの実用化などに対応して、現在はカバーしきれていない海、空、宇宙での通信を視野に入れる。他に、これまでの携帯電話通信、ロボット、ドローン、ウェアラブルコンピュータ、遠隔医療、拡張現実、仮想現実、複合現実、セキュリティシステム、治安維持機能などのさらなる進化、強化に加え、触覚、嗅覚、味覚などを用いた感覚通信や遠隔ホログラフィックプレゼンスの実現を目指すとする。
※4 JST(日本科学技術振興機構)による10年にわたる(2009~2019)プロジェクト「S-イノベ」。宮田先生はその中の『フォトニックポリマーによる先進情報通信技術の開発』のプログラムオフィサーを務められた。
そこで思いつくのがホログラムです。レーザ光で撮影して画像に情報を盛り込んでおき、 同じレーザ光で再生して、画像を空間に立体的に浮かび上がらせる技術です。

ホログラムによる画像は、被写体から出る光そのもので、立体的に見えるだけでなく普通に見えるものと同じで見る位置によって見え方も変わります。

現在のところは静止画しか作れませんが、膨大な情報を乗せられるようにすれば、動画を作ることも十分可能です。私がホログラムに一番期待を寄せるのは…

テレビ会議のシステムです。ホログラムでは相手の等身大の画像を空間に浮かび上がらせることができますから、情報通信技術と組み合わせれば面と向かって膝を交えて会話しているような状態が作り出せます。
イノベーションを起こそうと思えば、これぐらい大胆な発想も必要だと思います。

世界哲学史

伊藤邦武/山内志朗/中島隆博/納富信留責任編集
ちくま新書

雑賀恵子プロフィ―ル

京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 2020年世界のあちこちで猖獗(しょうけつ)を極めているコロナ禍のなか、君たちはなにを見、なにを聞き、なにを感じ、なにを考えているだろうか。あっという間に、学校生活も、家族の生活も変わってしまい、これからの進路に戸惑いと不安を抱いているかもしれない。
 感染拡大を防ぐという目的で、個人の自由な行動や経済活動を制限するために、すなわち私権を制限するために、行政はどのような手順を踏んだのか。個人と公益の関係はどうなっているのだろう。各国の対応は、どうであるか。独裁的な国家と民主的な国家とでは、このような非常事態に対する政策及びその結果にどのような違いがあり、どう評価したらいいのか。これは戦争だと語った各国指導者も何人かいたが、実際の戦争の場合と、パンデミックによる非常事態とでは、何が異なり、何が同じなのか。
 医療崩壊を起こしたところでは、「命の選別」がやむなくなされたと報道されている。「命の選別」について、生命倫理はどのように語ってきただろうか。また、目に見えないものに対する恐怖から、感染者と目される人々やさらにはその民族への差別や排除もみられたが、大衆の心理はどのように動くのか。
 パンデミックにより新自由主義に支えられたグローバル経済の脆さが露呈されたし、パンデミック自体グローバリゼーションによって蔓延が加速されたとも言える。事態が収束しても、全体的な経済的ダメージは大きく、このダメージは低所得者層ほど苛烈に受けるからさらに格差が広がるのは間違いない。一方で、経済活動の停滞は、深刻な環境汚染を少しばかり改善し、空の青さや河川や運河の透明さに驚いた人々もいる。
 いずれにせよ、君たちは、紛れもなく世界史に記録される大きなイベントに立ち会っているのだ。
 このパンデミックのなかで起こっていることをしっかり観察しよう。そして、パンデミック後の社会や価値観がどう変容していくか、いや、どう変わっていくべきなのかを考えよう。提示された問題群は、現在のものであると同時に、野生から離脱し文明社会を築いてきた人類がその原初から背負ってきた問題でもある。
 そうだ、考えるための武器は、哲学である。今年1月から毎月一冊刊行されている『世界哲学史』は、全8巻の新書シリーズだ。従来哲学史というのは、ギリシア哲学から始まって西洋哲学を中心に語られてきた。そもそもが歴史を記述するという視点、近代という区分そのものが西欧の思想に立脚している。本シリーズは、西洋のみならず、中近東、ロシア、インド、中韓日、東南アジアやアフリカ、オセアニア、ラテンアメリカやネイティブ・アメリカと空間的にも、現在から過去や未来へと時間的にも、地球から宇宙へ、万物へと対象を広げ、世界哲学を描き出す。第一巻序章には、「世界哲学とは、哲学において世界を問い、世界という視野から哲学そのものを問い直す試みなのである。そこでは、人類・地球といった大きな視野と時間の流れから、私たちの伝統と知の可能性を見ていくことになる」と宣言されている。さあ、武器を磨き、身につけよ。この世界で、君が生きるために。

今感じる、大学、学問の役割

京都大学
学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010~14年に文部科学省研究振興局 学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。

 このご時世、大学は閑散。まれに知り合いとすれ違えば「大変ですよね。そちらは大丈夫ですか? 頑張りましょうね」と労をねぎらいあい、2m離れてのマスク越しとはいえ久しぶりの肉声のやり取りに思わず立ち話も長くなるというもの。
 2020年4月中旬の現状では、新入生へのケアやオンライン講義の手法、最低限の保守が必要な実験資料や装置の管理等、この非常事態への対応が急務ではありますが、(希望を込めて)状況が落ち着いた頃には、大学という空間が学生や研究者、教員や職員の集積に依存していたこと、すなわち、学びへの意欲を高め合い、実践し、それを支援する現場であったことがしみじみと再確認されると同時に、そもそも大学ってなんだっけ?という価値の問い直しがはじまることでしょう。
 まだ総括するには時期尚早とお叱りを受けることを覚悟で書きますと、この事態において世間が大学に依存する二つの側面が明確になったように感じます。一つは、感染症や危機管理等、専門知識を直接的に社会活用させる機能です。こういう時にこそ専門知を存分に活用すべきなのはいうまでもありませんが、パンデミック以外にも、世間の動向がどうであれ、「万が一にもことがこうなった場合に一大事となりうるからこれを研究する」といった信念のもとに、(日の目は見なくとも)研究を続ける研究者は他の分野にもいることを忘れてはいけません。とは言っても、社会における大学の存在意義はリスクヘッジであると言い切るほどには、大学という時空は狭くありませんよ。昆虫の生態調査から古代文字の解読など、いうなら世界理解(=人間理解)の端から端までをも網羅しうる、社会における大学の博物的役割とその機能が明らかになったのだと思います。
 もう一つは、精神的支柱としての役割です。この事態が生じた当初から感染症等の研究者だけでなく、著名な哲学者、歴史学者らが文明論的に状況解釈を行う記事を多く見かけます。「かつての経験、歴史に学べ」程度のメッセージではなく、歴史的視点に立った時代理解というものは、事態の対処に追われる日常において「そもそも論」を呼び起こす貴重な言です。いわゆる人社系の識者らの主張はそれぞれ重要と思いつつも、私自身が特に興味深いのは、世間の人(というより記者の方々というべきか)が、なんだかんだいって、日常をメタな視点で原理から見つめなおす視点を学問に求めているのだなあということです。言葉にならない漠とした時代的不安の中、いったい自身の生をどう受け止め、社会の有様(ありよう)をどう考えたらいいのか・・・単発的な情報をもとに安易に政治や他者を批判することで何かを紛らわそうとする空気に嫌気がさし、ふと自分の足元や本来の在り方を意識する時に学問は必要となるのでしょう。これは、「学問とは時代も人も超えた何かへと向けられた眼差しのもとにあるものだ」と世間が感知(期待)している証左です。
 では、その「学問」の側から見たら、この事態がどう映るのか。それを語るには紙面が足りませんのでまた次回に。(続く)

史上初!
全国の浄土宗宗門関係大学9校の学生集い、
地域との「ともいき(共生)」について語る!

– シリーズ 大学が地域の核になる—京都文教大学の挑戦

2019年12月14日(土)京都文教大学・短期大学にて開かれた、年に一度の大学開放イベント「ともいき(共生)フェスティバル2019」。これに併せて開催した学生たちの社会連携活動の報告会と、内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に関するシンポジウムの様子を報告します。

第7回 浄土宗宗門関係大学 社会連携企画報告会
「ともにまなび、ともにくらし、ともにいきる。

浄土宗の宗門関係大学は、本学も含めて全国に9大学あります。京都府に本拠を置く佛教大学、京都華頂大学、華頂短期大学、京都文教大学、京都文教短期大学に愛知県の東海学園大学を加えた「西日本地区」6校と、関東の大正大学、淑徳大学、埼玉工業大学の「東日本地区」3校で、これまでも地区ごとに「報告会」等の催しを開催してきました。
今回、京都文教大学、淑徳大学、埼玉工業大学が協働で取り組む事業が、2019年5月、内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に採択されたことを記念し、初めて浄土宗宗門関係大学9校が一堂に会し「報告会」を開催することとなりました。
各大学の建学の精神・理念の根幹にあるのは浄土宗開祖法然上人の教えである「ともいき」ですが、設置されている学部や大学が所在する地域の特性や状況によってアプローチは異なります。今回の報告会では、正課の学び(大学の授業)以外でも学びを探究し、人や地域との繋がりを広げている学生たちが、具体的な取り組みと、地域との連携で得た「学び」を報告しました。また、ともいきフェスティバルにも参加し、ワークショップや活動紹介を通して、地域住民等との交流も図りました。
【参加大学の発表団体】

  1. 京都華頂大学・華頂短期大学(京都府)「多文化交流サークルLuncheon」
  2. 佛教大学(京都府)「作業療法学科有志学生団体 BUOT」
  3. 東海学園大学(愛知県)「戦略・交渉シミュレーション研究会」
  4. 京都文教短期大学(京都府)「太陽が丘カレープロジェクト」
  5. 京都文教大学(京都府)「商店街活性化隊 しあわせ工房 CanVas」
  6. 埼玉工業大学(埼玉県)「出会いM3ゼミ」
  7. 淑徳大学(千葉県・埼玉県・東京都)「淑徳大学「地域」と学び」
  8. 大正大学(東京都)「とも学び 大正大学×島根大学×島根県益田市の事例から」

内閣府「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に
採択の京都文教大学・淑徳大学・埼玉工業大学が、
「協働連携事業推進に関する協定」を締結。
また記念シンポジウム「地域とともにいきる大学
ともいき(共生)社会の実現をめざして」を開催

「地方と東京圏の大学生対流促進事業」に採択された3校では、「産官学民「ともいき学習」による持続可能な地域社会創造人材育成」プログラムを協働で推進しています。
この日は、3大学が、展開予定の各プログラムを今後円滑に実施するため、淑徳大学学長の磯岡哲也先生、埼玉工業大学学長の内山俊一先生を本学へお招きし、「協働連携事業推進に関する協定」の締結式を挙行しました。
さらに、協定締結を記念して、3大学の学長と同じ浄土宗宗門関係大学である大正大学より佐藤徹明氏(教務部長、地域創生学部学監(代行))をパネリストに迎え、シンポジウム「地域とともにいきる大学」を開催。各大学による地域連携事業の事例報告を交えながら、大学と地域の連携とは、地域から大学が求められることはなにか、それらを正課教育とどのように接続していくのかなどを、各大学の建学の精神の根幹となっている「ともいき(共生)」社会の実現を目指してディスカッションを行いました。

Society5.0のために

何かに夢中になる、熱中する経験を

――文系・理系の垣根が驚くほど低くなる時代はすぐそこに
下條 真司 先生 大阪大学サイバーメディアセンター
センター長(応用情報システム研究部門)
大学院情報科学研究科教授
下條 真司 先生

~Profile~
1986年3月 大阪大学基礎工学部大学院 後期課程修了。1986年大阪大学助手、1991年4月同助教授、1998年4月同教授。2005年8月 大阪大学サイバーメディアセンター センター長、2008年4月 情報通信研究機構大手町ネットワーク研究統括センター センター長/上席研究員、2011年4月 大阪大学 サイバーメディアセンター 教授、2011年4月 情報通信研究機構テストベッド研究開発推進センター センター長。2016年から現職、現在に至る。六甲学院中学校・高等学校出身

Society5.0※1の実現へ向けて、多くの大学でも、そのための研究に加えて教育、人材育成にも力が注がれています。こうした中、平成30年に国の「Society5.0実現化研究拠点支援事業(iLDi :Initiative for Life Design Innovation)」※2に唯一採択されたのが大阪大学。ライフデザイン・イノベーション研究拠点(iLDi)の名のもとに10のプロジェクトが進行中です。その中で、全体の要とも言えるPLRシステムを担当し、サイバーメディアセンターで2度目のセンター長を務める下條先生に、iLDiについて、Society5.0で求められる力、高校までに学んでおきたいこと、経験しておきたいことについてお聞きしました。

※1 IoT(Internet of Things)、ビッグデータ、ロボット技術、人工知能等のイノベーションを、産業や社会生活に活用し、人々が活力に満ちた質の高い生活を実感できる社会。
※2 情報科学技術を基盤として事業や学内組織の垣根を越えて研究成果を統合し、社会実装に向けた取組を加速することでSociety5.0の実現を目指す拠点団体の支援を目的とする事業。

iLDiへの期待と、
そのための課題とは?

 ライフデザイン・イノベーションとは、個々人の医療・健康情報(PHR:Personal Health Recordパーソナルヘルスレコード)と、職場や学校などにおける食事、スポーツなどの日常の活動データ(PLR:Personal Life Recordsパーソナルライフレコード)を蓄積、活用する仕組みを作ることで、より豊かで快適な生活を送ることができる社会が創出されることを言います。IoTを使ったSmartCity構想(図1)に基づくもので、大阪大学では、エデュテインメント(edutainment: entertainmentとeducationの造語)、ライフスタイル、ウェルネスの3分野において、3つの領域にまたがる以下の10のプロジェクトを展開しています。
 ①保健・予防医療プロジェクト(個人の生涯の健康記録を軸とした医療の実現)、②健康・スポーツプロジェクト(パフォーマンス解析からその向上予測と外傷障害予測)、③未来の学校支援プロジェクト(学習や学生生活支援と、ひきこもり、いじめの早期発見)、④共生知能システムプロジェクト(情報メディア、ロボットの活用で高齢者が長期に働けるなど、人口減少時代に向けての新しいQOL(Quality of Life生活の質)を提供)(以上が「未来創生研究」)、そして⑤情報システム基盤プロジェクト(ブロックチェーン(Blockchain)による分散管理、データベース内の個人情報保護などパーソナルデータハンドリング基盤の研究開発)と、⑥行動センシング基盤プロジェクト(スマートフォンや腕時計型センサーなどのIoTを活用)(以上が「データビリティ基礎研究」)。さらに「社会実装のためのプロジェクト」として、⑦実証フィールド整備プロジェクト(実証実験フィールドの設置とデータ利活用基盤の構築)、⑧社会技術研究プロジェクト(個人情報、プライバシー保護などELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)についての研究)、⑨データビリティ人材育成プロジェクト(多種多様な産業で活躍するAI技術の目利き人材育成)、⑩グランドチャレンジ研究プロジェクト(PLR活用拡大のための革新的研究の募集)。
 SmartCityをさらに4つに分けて考えたのが図2で、どのシステムにおいても〈計測・可視化〉〈改善〉〈実現〉のサイクルを繰り返すところに特徴があります。例えばIoTシステムでは、家電にIoTを内蔵することで、ソフトを入れ替えるだけでハードを買い替えずに済むようになるといった具合です。
 基盤となるのが様々なデータの収集と、蓄積、分析を行うためのシステムです。長年、広域環境における大規模データの効率的処理を可視化する研究を続けてきた私は、今回のプロジェクトでは基礎となる部分(プロジェクト⑤)を担当しています。
 Society5.0では、あらゆるものをデータ化し、それらを統一した仕様の下に蓄積することで、AIやIoT、ロボット等を駆動し、人工システムやサイバーシステムだけでなく、人間や自然のシステム、つまり社会政策やサスティナビリティ(Sustainability持続可能性)など、人文社会科学が対象とする課題の解決も図ります。ただその際、〈計測・可視化〉〈改善〉〈実現〉のサイクルの回るスピードが、《人工》《サイバー》システムでは早く、《人間》《自然》のシステムでは遅いことには注意が必要です。《人間》では、法制度や政治、経済、経営など、《自然》では気候変動といったように、長期の観察や計画が必要な課題も多いからです。様々なデータは、集まれば集まるほど利用者の利便性は高まり、社会の課題の多くを解決できるようになるかもしれませんが、一方で、《人間》システムにおける個人情報の取り扱い※3のように、社会の理解や合意、納得を取り付けるためには時間が必要なものも多いからです。

※3 現在、個人情報の取扱いについては、①国家が管理する中国型、②企業に厳しい規制を設けるヨーロッパ型、③緩やかな規制を設けるアメリカ型の3つがあり、今後、日本がどういう方針を取るのかは、目下様々な検討がなされています。

大学は社会の箱庭。
――箕面新キャンパスでプレSociety5.0の実証実験を

 この点で《大学》は、きわめて恵まれたポジションにあると思います。教育・研究の場であることで、もちろん同意を取った上でですが、その目的のために学生個々の情報を収集し活用することができるからです。例えば学生の選択した授業を予め把握することで、空き教室をなくし、ムダな冷暖房を止め、エネルギーを削減できる。顔認証システムを使えば正確な出欠管理、詳細な学修ポートフォリオを作成できるかもしれません。
 大阪大学は2021年春を目指して、豊中の外国語学部のキャンパス移転も含めて、「グローバルキャンパス」「スマートキャンパス」「サスティナブルキャンパス」をコンセプトに、最新鋭のキャンパスを箕面に新設します。石橋と吹田のキャンパスを含めた3キャンパスの交流拠点とするとともに、生きた実験室、“リビングラボ”として、個人情報などのデータ取得とその活用、ロボットの活用やセンシングによる空調などの環境制御、モビリティ(mobility交通)のスマート化など、先端技術を駆使して人文・社会科学系の実証実験なども行い、イノベーションの創出を目指します。もちろん民間企業との共同研究や市民との共創によるオープンイノベーションが前提で、大学をプレSociey5.0の実証実験フィールドとして開放、活用しようと計画しています。
 大学はまた、失敗の許される場でもあります。国によるプロジェクトや企業による事業では、一旦失敗すると、その後2,3年は動きが止まります。しかし教育・研究という大義名分によって、大学には色々な新しいことに挑戦しやすい雰囲気があります。
 もちろん、大学は社会と隔絶されていていいと言っているのではありません。今や大学には、近代のヨーロッパの大学がそうであったように、来るべき時代に向けて新しい社会のモデルを提示することが求められています。オープンイノベーションで企業、社会、人を巻き込み、そこへ学生というニューカマーを受け入れ、何事も懼れないという若者、学生のエネルギーをイノベーションのエンジンにしていかなければなりません。このことはすでに、私たちが梅田のグランフロント大阪において、5年以上に亘って実証してきたことでもあります。大学とはまさに社会の箱舟のようなものであり、これからの大学の存在意義もここにあると思います。

専門に進むまでにしておきたいこと

 大学の情報系学部には、AI、セキュリティ、ネットワーク、計算機科学など様々な選択肢が用意されています。対象も、コンピュータのパワーが大きくなってきた今では、理系に限らず、人文・社会科学系分野までカバーできます。
 一方で、一人の人間が学べることは限られていますから、学部、大学院の修士課程ぐらいまでは、知識であれ技術であれ、何か一つの体系をしっかりと身につけることです。そして以後は、様々な人とそれらを持ち寄って協働すればいいと思います。
 そこで求められるのが、全体を俯瞰する目、専門分野を跨いで協働できる力です。そのためにも、中学高校、場合によっては大学の前半までは、できるだけ様々な分野の知識の体系に触れておくこと。とりわけ今後は、文系・理系ともにしっかり学んでおくことが必要です。
 AIに象徴されるデジタル技術の急速な進展で、人文・社会科学系の学問においても《デジタルヒューマニティ》と呼ばれる分野が拡大しています。本学で言えば、分野融合で学ぶ人間科学部の人気が高まっていますし、個別の研究事例では、文学部の美術史学の藤岡穣先生による、《AIによる仏像の顔画像分析》などがあげられます。また理系の技術や研究開発を目指すにしても、個人情報保護や市民の合意形成など、法律や社会制度といった《人間》システム、またSDGs(持続可能な開発目標)に象徴されるサスティナビリティなどの《自然》システムを視野に入れる必要もあり、文系の知識や知見についても、理解できるようにしておくことが不可欠です。
 さいわいなことに、みなさんは高校、大学と人生の中で最もゆとりをもって学べる時期を迎えられています。研究者であっても、専門家ともなると、自らの領域を深堀りする時間はあっても、分野の異なる研究について調べたり、学んだりする時間は限られてきますから、今、この時期にできるだけ様々な分野について幅広く学んでおくことです。将来その経験や蓄積は、直接的にしろ、間接にしろ、必ず生きてくるはずです。
 進路選択については、確かに今は、学問分野が細分化し、一方で分野融合の研究が求められるなど必ずしも簡単ではないかもしれません。そんな中で、私が特に大事だと考えているのは、何かに夢中になる、熱中する経験をしておくことです。将来、何を選択するにしても、それは必ず、最後までやり遂げるためのエンジン、エネルギーになるはずですし、イノベーションを起こすための必須条件でもあるのです。
 また、長年インターネットに係わってきた者としては当たり前のことですが、コミュニケーション力、人と協調する力も育ててきてほしいと思います。インターネットとは文字通り、人と人とをつなぐものですし、これからの研究開発では多くのメンバーとの協働が欠かせないからです。
 最後に、理系の女子にも選択肢が広がってきていることを付け加えておきます。
 これまで理系の女子、数学のできる女子は、進路選択において医学、薬学、あるいは生命科学などに限定されがちだったかもしれません。しかしコンピュータの性能が高まり、ツールとしてのAIが普及することで、これまでやや敬遠されがちだった工学などへも進出しやすくなってくると思うからです。女性の視点を反映した新しい工学の創出に、ぜひチャレンジしてほしいと思います。


コラム① ご専門は?

スーパーコンピューティングやキャンパス情報ネットワークシステムの構築、運用の経験を活かして、サイバーワールドとリアルワールドを、クラウド、センサーネットワーク、コンピュータネットワークの技術を駆使してシームレスに統合する技術を研究。

コラム② 今、大阪が熱い

本学の箕面新キャンパスの開設に続いて、2022年には全国初となる総合公立大学同士の、大阪府立大学と大阪市立大学の合併が予定されています。目下、Smart Cityを目指して改革を進める大阪市ですが、新大学も、「都市シンクタンク」「技術イノベーション」という2つの機能を掲げ、スマートシティ、パブリックヘルス/スマートエイジング、バイオエンジニアリング、データエンジニアリングの4つの戦略的領域を設け、本学同様、社会との強い結びつきを意識していると聞いています。2025年には、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、「未来社会の実験場」をコンセプトにした大阪万博2025も控えています。これからの5年、大阪からは目が離せないと思います。

「ワンヘルス」や分野融合の学びでSDGsに貢献

ウイルスにも負けない

前田 秋彦 先生 京都産業大学生命科学部
産業生命科学科 教授
前田 秋彦 先生

~Profile~
獣医師。専門はウイルス学、環境衛生学。1992年北海道大学獣医学部獣医学科卒業、1996年同獣医学研究科修了(応用獣医学)。1996年米国テキサス大学博士研究員。2000年国立感染症研究所研究員。その後、帯広畜産大学および北海道大学准教授を経て2010年京都産業大学教授に。兵庫県立生野高校出身。

新型コロナウイルスの感染拡大阻止を目指して、国を挙げての取組が進められている中、ウイルスや感染症について、グローバル社会で求められるバイオや医療、疫学に貢献できる人材像について、京都産業大学生命科学部産業生命科学科の前田秋彦先生にお話をうかがった。産業生命科学科は、“生命科学と社会の架け橋となり、産業分野で広く活躍できる人”の育成を目指して2019年4月に開設された。獣医師でもある前田先生は現在、日本脳炎ウイルスやウエストナイルウイルスなどの蚊が媒介するウイルス、日本の自然界にいるマダニなどによって媒介されるウイルスなどを中心に研究されているが、学部から大学院、アメリカ留学時代にはコロナウイルスについても研究されていた。

新型コロナウイルスの猛威に曝された3ヶ月。
あらためてウイルスについて考える

 休校やスポーツ活動、大規模な集まりの自粛、休止など、みなさんは生まれて初めての体験をされている中で、幼稚園・小学校以来の基本的な生活習慣、手洗いやうがい、栄養や睡眠を十分とるなど、感染予防や免疫力を高めることの大切さを再認識するとともに、ウイルスや感染症の治療や医療体制の在り方に関心を持つようになった人も少なくないのではないでしょうか。

そもそもウイルスとは?

 ウイルスとは生命であるとも、また自己増殖できないため非生命であるとも考えられています。その種類はわかっているだけでも約30000種※とも言われ、人をはじめ動物、植物、細菌、そしてウイルスそのものの中にも存在します。またウイルスの遺伝子とよく似た構造をした遺伝子は生物の体内にもあることから、生物の遺伝子の一部が持ち出されたものがウイルスなのか、ウイルスが生物の中に入り込んできたのかもまだよくわかっていません。多くは病気を起こすものではなく、長い年月をかけて生物と共生してきたと考えられていて、その役割については、進化の過程で、情報の受け渡しを担ってきたのではないかとの説もあります。
 また昆虫に感染するウイルスの中には、感染した虫の幼虫の免疫システムを攪乱するものや、ミツバチの脳内で活性化し、天敵であるスズメバチに対して戦うように仕向けるものなど、寄生した昆虫の行動パターンを変えるものもあります。まさに謎に満ちた存在なのです。
※国際ウイルス分類研究会による

インフルエンザと
新型コロナウイルスの違いは?

 2002年から2003年にかけて、今回の新型コロナウイルス(SARSコロナウイルス2,SARSCo2)とよく似たSARSによる肺炎の流行が脅威となる中、コロナウイルスをよく知る研究者の間には衝撃が走りました。それまで、人のコロナウイルスが引き起こすのは、一般的に、冬の鼻かぜの原因の数10%を占める症状の軽い感染症であると考えられてきたからです。またウイルスとしては形も大きく、エンベロープと呼ばれる脂質で全体が覆われ、アルコールや、石鹸などの界面活性剤で破壊されやすく、紫外線にも弱いとされてきました。
 ところが新型コロナウイルスは、人へ病気を起こす力(病原性)は限定的なのに、感染する力(感染性)が強く感染源を特定するのがむずかしいなど、厄介な特徴を備えています。はたして、まったく新種のコロナウイルスなのか?あるいはこれまでのものが、何らかの理由で大きく変異したものなのか?たしかにウイルスが刻々と姿を変えていくのは珍しいことではありません。コロナウイルスとインフルエンザの両方に感染(共感染)した犬の中で、コロナウイルスはインフルエンザの一部の遺伝子を取り込んでいることも報告されています。

これまでもこれからも
様々なウイルスが人間を襲う

 人類にとって脅威であったウイルスに天然痘の原因となるバリオラウイルス(Variola virus)があります。致死率は20~50%。3千年ほど前の古代エジプトのピラミッドから発見されたミイラからも、その傷跡が発見されています。しかし、WHOは全世界的なワクチネーション(種痘)を徹底させ、1980年に遂に天然痘の根絶を宣言しました。以後、自然界には存在せず、研究目的のためにアメリカと旧ソ連が保持していて、9.11の直後、バイオテロに使われるかもしれないとの情報が広がり、各国がワクチンの備蓄を進めたのは記憶に新しいところです。ちなみに日本では、1976年に天然痘に対する予防接種は中止されました。
 また、狂犬病ウイルスも人類にとって非常に脅威です。致死率はほぼ100%、国内では1956年を最後に人の自然発生例はありませんが、国外で狂犬病の犬に咬まれて感染し、帰国後に発症する事例が報告されています。他の多くの国では、野生のリスやコウモリが感染していることがあり、旅行や留学中には噛まれないよう注意する必要があります。また近年では、国内でも予防接種をしない飼い主も出てきているため、何らかの理由で感染した動物が海外からもたらされるとたいへん危険です。他にもエイズウイルスを筆頭に、ウエストナイルウイルス(脳炎など)、エボラウイルス(出血熱など)、ハンタウイルス(肺症候群)など、世界にはまだまだ人の命を危険にさらすウイルスが数多く存在することを忘れてはいけません。

どんな感染症も、いつか必ず終息する

 今回の新型コロナウイルスによる肺炎の流行はいつ収束するのか?その目安が実効再生産数R(流行が起こってからのある時期に、1人の感染者が何人の非感染者に疾患を伝染(うつす)させることができるのかを示す指標)で、1(1人の感染者が1人に感染を広げる場合)を下回ると流行は下火になると考えられています。すでに予防ワクチンのあるものなら、接種した人が増えれば増えるほどその数値は下がります。ワクチンのない今回の新型コロナウイルスでも、時間が経つにしたがってこのウイルスに対する免疫を持つ人が増え、また外出制限により接触する人の数を減らすことができれば、Rは次第に減少し、この流行は収束していくことと思います。日本は、医療崩壊を防ぎ、重症化した人の治療を適切に行えるようにすることを目的に、長期間かけて感染を抑えようという方針ですが、この期間に、効果的な抗ウイルス薬やワクチンが開発されることが期待されます。

専門に進むまでにしておきたいこと

 今回のパンデミックでは、世界中で多くの方々が亡くなり、経済活動も大きな打撃を受けています。私たちは天然痘を撲滅できたことから、他のウイルスとの戦いにも勝てると考えていました。しかし、21世紀に入ってからも、人におけるSARSや新型インフルエンザ(2008年)、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、家畜では豚熱(少し前まで、豚コレラと呼ばれていました)等と、ウイルスとの戦いはまだまだ続いています。自然界には未知のウイルスが、未だ無数に存在するでしょうし、薬剤耐性ウイルスの出現も脅威です。
 グローバル化した現代社会において、感染症の拡大スピードは早く、あっという間に世界中に拡大することを私たちは目の当たりにしました。同時に、新しいウイルスが原因となる人獣共通感染症など新たな感染症の発生についての予測も、極めて難しいことも経験しました。
 日本ではこれまで、人は医学、動物は獣医学が担当で、自然環境に存在する微生物には理学分野の専門家も加わるといったように分割されていました。行政においても人は厚生労働省、家畜は農林水産省、そして野生動物は環境省というように縦割りで管轄してきました。しかしそれではもはや限界ではないでしょうか。今後は、人も家畜も、野生動物、さらには自然界の生き物すべてを視野に入れたワンヘルスという概念の下、専門や縦割り行政の垣根を越えた研究、対策が求められるようになってきていると思います。
 同時に、感染症の予防や防御、パンデミック時の対応には、医学、薬学、獣医学、理学からのアプローチに加えて、研究やそのためのインフラ作り、行政システムや法整備、緊急事態下での経済対策、あるいは心のケアなど、法律や経済、福祉、心理といった人文・社会科学系の学問からのアプローチも求められます。
 これからの大学では、各自の専門について学ぶだけでなく、異なる分野、あるいは分野横断型の知識を身につけ広い視野を持つ人材の育成がますます求められますし、そのことが、今、地球レベルで求められているSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への一人ひとりの貢献にもつながるのだと思います。その上でも、大学で文系を目指すにしても、AIやバイオを学ぶのに必要な基礎は身につけておく、理系を目指すにしても、政治や公共政策をはじめ、文系に関わる幅広い基礎知識、興味を育てておいてほしいと思います。


大学の研究室でできること

ウイルス感染症の一般的な検査には、ウイルスの遺伝子を検出するPCRやRT-PCR、ウイルスのタンパク質を検出するELISA法、感染したウイルスに対して私たちの体が産生する特異抗体を検査する方法があります。設備に恵まれている日本の大学の多くの研究室には、これらの検査を行うために必要な機材は備わっており、日々、新しい技術が開発されています。最近、ニュースなどでよく耳にするPCRは、対象となるウイルスの遺伝子配列の増幅の様子から陽性か、陰性かを判定できます。また、免疫クロマトグラフィー法は、血液の中の抗体や抗原を調べることで、罹っているかまたは罹っていたかどうか診断します。どれを使うかは感染したあとの時間経過によって判断されます。また診断するには技術が必要で、それを行うのは医師の大切な仕事の一つです。

21世紀こそ子どもの世紀に

小林 登先生 東京大学名誉教授・国立小児病院名誉院長 小林 登先生

~Profile~
1927~2019年 医学博士。昭和29年東京大学卒業。米・英の小児病院留学。東京大学医学部教授(小児科学)、国立小児病院小児医療研究センター初代センター長、国立小児病院院長を歴任。臨時教育審議会委員、国際小児科学会会長等を務めた。東京府立第19中学校(現:都立国立高等学校)出身。

子どもについて学際的に研究し、その成果を現場の実践にも活かしてほしいと始まった子ども学。今日では多くの大学で、学部や学科等の名称にも使われています。昨年12月ご逝去された小林登先生を追悼し、生前いただいたご厚誼に感謝の念を込めながら、先生の子ども学序論を本紙60号(2005年9月27日発行)から再掲載します。

「子ども学」とは

――「子ども」について総合的に学ぶには

 「子ども」は、『生物的存在』として生まれ『社会的存在』として育ちます。『生物的〜』というのは、文字通り、両親から遺伝子をもらった一個の受精卵が胎児となり、やがて新生児となって生まれてくることを言います。『社会的〜』というのは、子どもは親子や家庭という小さな社会、それを取り囲む地域・国という大きな社会、それに保育所や幼稚園、学校というその中間的な社会の中で、文化の影響を受けて、体が成長し心が発達するということです。
子どもについて、子どもの問題について何か考えてみたい、研究してみたい、あるいは将来子どもに関わる仕事をしてみたいと思った時は、まずこの2つの視点を持っておくことが大切です。それは保育・教育ばかりでなく、子どもに関係する機械・校舎、さらに都市計画などをデザインしたいと考えて、工学系を学ぼうとする人にとっても同じです。それでは、この2つの視点に沿って、子どもについて学ぶには、具体的にどんな学問、研究分野があるのか、考えてみることにしましょう。
 まず私の場合ですと、自然科学の中の、自分の専門である小児科学を真っ先に思いつきます。もう少し広くとらえれば小児医療ですね。それに関連して小児保健学、栄養学、そして今の時代なら脳科学や遺伝子についての学問なども思い浮かぶでしょう。(中略)
 人文科学になると、保育学、福祉学、教育学を思いつく人もいるでしょう。これらに隣接して心理学というのもあります。もう少し視野を広げれば社会学や文化人類学、さらに倫理学や哲学なども対象になってくるでしょう。(中略)
 また霊長類を含む、動物に関する様々な研究分野は、人間の子どもを考えるモデルとして、この2つの側面のそれぞれに関わってくるものといえます。遺伝子で決まる行動と生態の関係は重要です。(中略)
 さらに子どもの『生物的存在』、『社会的存在』という2つの側面を結びつけるには、“システム”と“情報”という考えが重要です。生命自身の、また生命をもつ社会的な存在としての人間のシステム情報論はもちろんのこと、ロボット工学などの工学系のシステム情報論は、ひいては子どもの理解に役立つものです。「子ども学」は文理融合科学なのです。(中略)
 子どもについての理解をより深めよう、子どもの問題についてよりよい解決法を見出そうとするなら、今あげた様々な学問分野からできるだけたくさんの知恵を引き出し、それを一箇所に集め、照らし合わせることで、新しい知見や対処方法を導き出すことが必要です。子どもに関わる研究者、実践家が共通の場に集い、共通のテーマを決めてお互いに論じ合って、その解決に真剣に取り組むべきなのです。
 私はこのような場を作るための理念、そのような研究や方法を示す理念を「子ども学」と呼んでみました。英語で言えば、(中略)「CHILD SCIENCE」ですね。そしてそれを新しい一つの学問として体系化して行きたいと考えたのです。

私と子ども学

――30年の軌跡

 私がこういうことを考え始めたのは今から、約30年前でした(掲載当時)。
 私の専門は小児免疫学で、東大病院、国立小児病院時代を通じて、いわゆる小児難病の研究と治療を主な仕事としてきました。同時に、医者としての役割は治療だけでなく、子どもの健全な発達を促すことでもあるという恩師の教えもあって、その頃から「母子相互作用」の研究など、育児についての科学的な研究も始めるようになったのです。
 当時はちょうど、経済の発展が安定期に入り、社会全体は明るい未来を夢見て希望に満ち溢れていました。しかし、豊かな社会が実現されて行くのに合わせて、これまでになかったような問題も起こり始めました。公害、大気汚染、環境破壊…。そして子ども社会にも徐々に変化が起こり始めます。核家族化、女性の社会進出が進み、「かぎっ子」などという言葉が生まれました。都市化の波が広がり、子どもの遊び場が次々と失われて行き、少子高齢化が進み、“子どもが街から消えた”などの表現がマスコミをにぎわせるようにもなりました。熾烈な受験競争、偏差値の弊害、そしてついに校内暴力のような、社会に強いインパクトを与える問題も吹き出してきたのです。(中略)
 1984年に『臨時教育審議会』という首相直属の審議会のメンバーとなった私は、改めて子育て・教育の問題に行政の立場として向き合うことになります。(中略)
 同じ頃、学問・研究の世界にも変化があらわれました。20世紀、学問や研究は専門分野をどんどん深め物事を細かく分析することで、高い成果をあげてきました。しかし20世紀も次第に残り少なくなるにしたがって、これまでのそうしたやり方にも限界が見えてきました。さらに専門分野が狭められることで、かえって問題が見えにくくなっているといった指摘もなされるようになりました。問題をひたすら分析するだけでなくもう一度全体の視点から見直してみる、部分から全体へ、分析から統合へというように学問研究の方向転換も求められるようになったのです。
 複雑で、これまでに前例を求めることのできない「子どもの問題」を数多く目の当たりして、誰もがこれまでの教育観、対応の仕方に限界を感じるようになったのではないでしょうか。
 子どもに対しても、子どもの問題に対しても、これまでにない見方、学問研究の方法を早急に確立しなければならない、私は日増しにその思いを募らせ、国立病院を退官したら、「子ども学」の確立に全力を傾けよう、そう決心したのです。(中略)

「子ども学」の柱

――それは『優しさの科学』である

 「子ども学」を学ぶということは、「子ども」について、「子どもの問題」について、様々な分野から客観的に科学的に学ぶということだけではありません。一番大事なことは、そのことを通じて子どもの体の健やかな成長、心の発達をどれだけ促すことができるか、ということです。そのためにはまず、「優しさ」というものが子どもの成長にとっては欠くことのできないものだということを知っておいてほしいと思います。
 胎児や新生児の研究が進むにつれて、生物学存在としての子どもは、脳の中に心と体のプログラムを前もって備えて生まれてくることがわかってきています。胎児の指しゃぶり、産声とともに始まる呼吸は、体のプログラムに組み込まれたものです。生まれた瞬間の泣き声は、不安や恐怖を感じる心のプログラムが作動したものと考えられています。ただ、これらの働きは、それぞれの時点ではバラバラの動きにすぎません。子どもが人間として成長していくためには、生活環境の情報(文化)によって様々なプログラムが働きながら組み合わされ、知性のコントロールの下に統合されなければなりません。その際、最も大きな影響を持つ情報が「優しさ」です。さらに、「優しさ」は、発育のプログラムを作動させ、体をすくすく育てるのです。
 第2次世界大戦後、イギリス、ドイツ、アメリカで行われた「情緒剥奪症候群」の研究などによって、乳幼児期に大切なのは、「感性の情報」であることが明らかにされましたが、「感性の情報」の代表が、「優しさ」なのです。
 優しく育てられた子どもは心のプログラムをフルに稼動させることができ、体のプログラムも円滑に作動させることができます。優しさを感じると子どもは「生きる喜びいっぱい(joie de vivre)」の状態になります。そうなると体の消化・吸収、ホルモンの分泌、抗体産生などに関係するプログラムがフル回転し、すべての生体機能がよく働き、体の成長が促され、病気の治癒力も強まります。
 「生きる喜びいっぱい」の状態を経験して育った子どもは、体のプログラムばかりでなく、心のプログラムも働かせ、しかもそれらを組み合わせていきます。そして、成長とともに、『周りの人は十分信頼に値するもの、人生は平和なものだ』という、人間に対する「基本的な信頼」(BASIC TRUST)という心のプログラムをもてるようになります。自分というものを肯定的に捉え、同時に他人も大切にするという、人間が社会の中で生きていく上で欠かせない基本的な資質が育まれて行くのです。
 20世紀の初頭、スウェーデンの教育者エレン・ケイは、『20世紀は子どもの世紀にしなければならない』と語りました。しかし私たちは20世紀の終わりを、その反対の思いで迎えたのではなかったでしょうか。
 (中略)皆さんの多くが「子ども学」を学び、子どもにとって優しさがいかに大切なものかを知ってもらえれば、未来の子どもたちは健やかに明るく育つに違いありません。
 私達の力で、21世紀こそ、『子どもの世紀』とすることができるよう願っています。


子どもから見た世界の“今”

 下の絵は、1991年から2016年にかけて、6歳から15歳の子どもを対象に、国連環境計画(UNEP)等が毎年行った「国連子供環境ポスター原画コンテスト」の応募作品。20万点以上に及ぶ全応募作品は国立民族学博物館に寄贈され、その後、総合地球環境学研究所に移管されている。絵を見ていると、昨年末に亡くなられた小林登先生のことを思い出す。20年ほど前、この子どもたちの絵をどのように活用すればいいのか相談したことがあった。記憶に残っているのは、子どもは決して未熟な大人ではなく、独自な世界を持った「人」だと思いなさいと教えられたこと。その時、子どもたちの絵は僕の宝物となったような気がした。じっくり見ていると、細かなところから描き手の思いが伝わってくる。子どもたちの絵から、大人では表せない環境問題への思いと世界観を読み取っていただければと思う。

総合地球環境学研究所教授 阿部健一


大学ジャーナル87号(2010年5月25日発行)進路のヒント:教育・子ども学特集 先生になろう!から
子どもの問題を小児神経科の立場から考える

子どもの発達は
胎児期から始まっている

小西 行郎 先生 前同志社大学赤ちゃん学研究センター長
教授 小西 行郎 先生

~Profile~
1947年~2019年。京都大学医学部卒業後、同大学附属病院未熟児センター助手を経て、1983年福井医科大学小児科講師、88年同大学助教授。89年より文部省(現文部科学省)在外研究員としてオランダ・フローニンゲン大学にて発達行動学を学ぶ。埼玉医科大学小児科教授を経て、2001年10月より東京女子医科大学教授。同年日本赤ちゃん学会を創設。08年10月から同志社大学赤ちゃん学研究センター教授、センター長。専門は小児神経学。『赤ちゃんと脳科学』、『赤ちゃんのからだBOOK』など著書多数。香川県立高松高等学校出身。

 小学生の10人に一人に何らかの発達障害が認められると言われる中で、子どもの発達をもっと医学・医療の立場から捉えるべきだと声をあげられてきた小児神経科の小西行郎先生。さらに小林登先生とともに、工学、心理学、社会学なども加えた学際的アプローチによる「赤ちゃん研究」を目指す〝日本赤ちゃん学会〟を発足。昨年9月にお亡くなりになるまで、その理事長も務められました。また学校教育との連携や胎児の研究にも取り組むかたわら、産科・小児科との連携にも精力的に係わってこられた。小西先生の長年のご研究による知見と、将来、教育者をめざす高校生へのメッセージです。

 生まれたばかりの赤ちゃんはしゃべることができません。そんな赤ちゃんは意思を主張したり周りとのコミュニケーションを、泣いたり笑ったり、見たものに手を出したりする運動によって行っています。
 最近では、こうした運動はお母さんのお腹にいる胎児の間から行われていることがわかってきています。そしてそれは自分の身体の認知につながり、脳を作っているともいわれます※1。これは、ADHD(注意欠陥多動性障害)※2などの発達障害が超低出生体重児(未熟児)では健常児の5から8倍の割合で多く発生していると言われていることとも関係するのではないか、と考えています。
 未熟児とふつうに生まれる子との一番の違いは、子宮内生活の長さです。胎児は動くことによって自分の体や子宮に触れ、自分の体や自分以外のものを認知するのではないかという意見がありますが、だとすると、子宮外に出た胎児は、それまで羊水の中に浮かんでいたのが外の世界の重力にさらされるわけですから、自由な運動がしにくくなり、自分の体を触ることも少なくなって自分の体を認知することが難しくなるのではないかと考えられます。さらに子宮内と違って明るさや騒音などの刺激も強くなることもあります。したがって、感覚能力の発達も違ってくる可能性がある、だから未熟児に発達障害が多く発生するのではないかというのです。
 とはいうものの、胎動※3はいろいろな因子の影響を受けると言われており、また未熟児がすべて発達障害をきたすということではありません。そこで、胎児期から子どもの発達は始まっていて、発達障害はそこからきちんと見ていかないとわからないというのが最近の見解です。
 そしてもう一つ大切なのは、人間は動くことによって自分を知るということ。また動くことによって他人と関わり他人を知るということです。胎児は自発的に動いて、それが触覚によってフィードバックされることで自分や他人を認知して、自分の世界を作っているのです。そのためそれができない子どもが発達障害になるというのは、ある程度納得のいく説明です※4。こうした考えは、新生児において発達障害を持つ子どもは自発運動や原始反射に異常があるとの報告とも密接に関係しているように思います。

※1 手足が子宮の内壁にぶつかることで自分の周りに壁があることや、自分の手足を認知できる。また、羊水の抵抗によって受ける圧力の違いによって腕と手の先を区別すると考えられる。そうしたことで脳に自らの体の地図を創るのではないかといわれている。
※2 Attention Deficit/Hyperactivity Disorder.昔はLD(学習障害)なども含めてMBD(微細脳障害)と診断されていた。
※3 母胎内で胎児が動くこと、その動き。
※4 発達障害の原因はまだはっきりとはしていないが、生後1年以内の調査データから、発達障害の子どもたちに原始反射(生まれつき持っている反射の運動で多くが乳児期の間に消える)が消えない、自発運動がおかしいという結果が出ている。

まず大切なのは子どもと向き合うこと

 昨年(2009年)4月から埼玉県朝霞市の「育み支援バーチャルセンター事業」で、認知心理のわかる心理士や作業療法士などと専門チームを作って、60近くある市内すべての保育園と幼稚園、小学校、中学校を訪問しています。医者が教育の中に入ったのです。
 この取組でよかったのは、医療的な立場から保護者に子どもの話ができることと、認知主義的な観点から現場の先生方にアドバイスができることです。たとえば、黒板に1題だけ問題を書き出すとたちどころに解けるのに、教科書にいくつも問題が並んでいると解けない自閉症の子がいました。情報が多くて混乱してしまうのです。音読しないと情報が処理できない子もいました。それぞれに合わせた対応をすればよいのですが、経験主義的な教育現場では先生が判断を下すのも難しい。発達障害のマニュアルなどはよくありますが、すべての子に当てはまるわけではありません。なぜこの処理ができないのかがわかる医者か認知科学の専門家が、先生の隣で考えてあげることが必要なのです。そのためには認知心理ができる人、アメリカでいう神経心理士の役割を担う人も今後求められてくるでしょう。
 またこの1年間で確信したのは、病院と学校では子どもの表情がまったく違うということです。友達との関係などを見ずに病院だけで診断していては、本当の子どもはわからないと思いました。すぐにMRIや脳波、血液検査あるいはチェックリストなどを用いて診断を下す医者が小児科でも増えていますが、まず大切なのは子どもをしっかりと見ること。そうしないと本当の解決にはなりません。同じように、これから保育士や幼稚園の先生、小学校の先生などを目指す人たちには、色々なチェックリストやマニュアルにとらわれずに、まず子どもと向き合うこと、子どもを観察して、子どもを信じて、子どもとコミュニケーションをとることを大切にしてほしいと思います。


最強の研究仲間、
小西行郎先生を偲ぶ

熊本大学名誉教授
三池 輝久 先生

小西先生と親しく、《眠育》という言葉の生みの親であり、長年、体内時計の混乱に伴う睡眠障害と発達障害や不登校などとの関連を指摘されてこられた熊本大学名誉教授の三池輝久先生から、追悼メッセージをいただきましたのでご紹介します。

 1999年、マレーシアのペナン島で開催されたアジア・オセアニア国際小児神経学会で出会い、意気投合して以来、小西先生はそのお顔の広さと豊富な人脈で私のその後の研究に多大な影響をもたらしてくれました。
 中でも忘れられないのは、小西先生共々多大な後援をいただいた元ニューウェルブランズ・ジャパン合同会社会長・葛西健蔵氏(1926〜2017年:アップリカ・チルドレンズプロダクツ株式会社創業者)との出会い。二度とお目にかかれないような豪快なお人柄でしたが、既に会長とは親しい関係にあった小西先生が、「会長の関心が深い《子どもの幸せ》は睡眠と関係がある」として、当時、乳幼児期の睡眠障害と発達障害の関係を主張し始めていた私のことを伝えてくれたようです。
 小児科医としては一桁、二桁、額の違う研究費を獲得されてくるのも小西先生でした。ただ時に、その歯に衣着せない物言いによって、その本質である子どもに対する心の底からの優しさが見落とされることもあったようです。私にも似たところがあり、「お互いそれが災いしてあまり人に好かれませんね」などと話すうちに、親しみはますます深まってきたようです。
 2006年、小西、榊原洋一(お茶の水女子大学名誉教授、日本子ども学会理事長)の両氏に担がれて日本小児神経学会の理事長に選ばれた私は、当時流行りのマニフェストを作るなど様々に物議を醸しました。この事から一部には、会員に様々な波紋を投げかけその調和を乱したという評価もあったようです。ただ結果的には、学会として法人化を成し遂げることができ、しかもこれは、偏に小西・榊原両先生の先見の明と精力的な活動のおかげであるにも関わらず、学会がこのことに目をつぶっているのは私には公平とは思えないのです。
 2008年、熊本大学を辞した私は葛西健蔵氏のご紹介により兵庫県知事・井戸敏三氏と出会い兵庫県立リハビリテーション中央病院 子どもの睡眠と発達医療センター長として熊本を離れ神戸に赴任しました。この折にも小西先生には、何かとお心遣いをいただき、お手伝いもしていただくなど多大なお世話になりました。そして2013年、私がセンター長を辞して熊本に帰る決心をした折には、次のセンター長をお願いし、お受けいただきました。
 当初は、子どもの睡眠にのめり込むほどの関心はなかったはずの小西先生でしたが、1-2年後には私以上に「眠育」推進に熱弁をふるう存在となられ、会うたびに子どもたちの生活習慣作りの重要性を熱く語り合うようになりました。いわく、「睡眠覚醒リズムを営む体内時計の形成は、胎児期に始まり、形成の未熟性、混乱は、幼小児期には発達障害的症状をもたらし、更には行き渋り、不登校、引きこもり、うつ、成人代謝病、認知症に至る問題の基盤となり得る」「だからこそ、小児科医には治療と予防の可能性があるという事実を社会に知らせていく大事な使命、仕事がある」。これが二人の共通認識であり、同時に多くの小児科医がこのことに無関心であることへの危機感にもつながってきたのです。小西先生が亡くなる数日前に病室を訪れた際も、この同じ思いを二人で握手しながら語りあいました。「先生のおかげでこの年で最後まで心底、打ち込める研究主題を見つけることができて、研究に没頭できたことは医学の臨床研究者として本当に幸せだった。先生に会えてよかった。本当にありがとう。」
 小西さんこれまでありがとう。私はもう少し、君の志と共に生きている間は頑張ってみます。

新型コロナウイルス感染拡大防止と
大学の活動の維持・拡大のために
「大学PCR検査」という選択

緊急事態宣言の解除から5カ月。新型コロナウイルスの感染収束については予断を許さないものの、小・中学校、高等学校がほぼ全面的に再開する中、大学の秋学期の動向に注目が集まっている。その中で、安全・安心のキャンパス実現のために、学内でのPCR検査実施に踏み切る大学も現れ始めた。今春の感染拡大期、PCR検査実施の抑制か拡大かの議論の中でも言及された大学での実施。それを独自のコンセプトで取り入れて事態の打開を目指す取組には、教育的な見地からも注目が集まる。

安全・安心なキャンパスづくりへの
新たな挑戦が始まる
京都の産官学で総力を結集

京都産業大学

 産官学の連携で、今日から稼働したのが、京都産業大学PCR検査センター。医学部・薬学部を持たない総合大学としては初の試みとなる。
9月1日に分析機器や医用機器の大手メーカー、株式会社 島津製作所(本社:京都市中京区)と「包括的連携協力に関する協定」を結び、同社の開発した新型コロナウイルス検出試薬キットを用い、唾液による検査を行う。対象は症状のない学生、教職員。京都府・市との連携では、他大学への情報提供、学生の街・京都における感染拡大防止への貢献も目指す。
教育・研究面では、PCRなど基礎科学を行う生命科学部や感染症分子研究センターと連携して、理系人材の育成にも役立てるとともに、島津製作所と連携して感染防止に向けた新たな研究の展開も目指す。またコロナ禍の中での新しい形の産官学連携の構築も試みる。
設置されたのは、ラーニングコモンズなどのある2013年に新築された雄飛館の4階。診療所の附属機関として、併設する既存の施設を改修した。施設の安全基準はバイオセーフティレベル2+(BSL-2+)で設定。2025年までの運営を予定しているが、衛生検査所としての登録も目指す。学生の負担は900円に抑える。
床面積約88㎡で「検体採取室」(簡易防護対策)、「検体取扱室」(BSL-2+)、「試薬調製室」、「PCR測定室」の4区画に区切られる(図)。常勤スタッフは検査技師など4名で、週5日稼働、午前に検体採取、午後から検査を行い、1日の検査目標数は最大150人。ただ、当面は無理のない範囲の40人分に抑える。無症状感染者による感染リスクへの不安をできるだけ払拭するのが目的で、当初はリスクの高い集団生活をする寮生や、実習・フィールドワーク等で学外へ出向く学生、同居する家族に高齢者のいる学生など約1900人に優先的に声をかける。また全学生に対しては、積極的に情報を開示していくとともに、新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAのインストールを推奨するなど感染意識を高め、行動のさらなる変容を促す。
希望する学生は予約を取り、学内用WEB掲示板から申請書類をダウンロードして印刷、必要事項を記入して来室。入室後すぐに検温し手指を消毒。用意された50mlのチューブを持って3室ある陰圧ブースに一名ずつ入り、自ら唾液を採取し、小窓の中の収納ラックへ入れ扉を閉めて退出する。陰圧ブースは、殺菌灯も備え万全の安全対策を施す。ブースの裏側ではスタッフが待機し、小窓から間接的に検体を回収し、検体取扱室へ送るパスボックスへ入れる。検体取扱室では、検体を遠心分離機にかけたあと、前処理試薬をまぜ、90℃で7分間加熱し、パスボックス経由で試薬調製室へ送る。こうして前処理を済ませた検体は、試薬調製室で検出用の試薬を入れPCR検査器にかけられ測定が行われる。この間の一連の流れが約1,5時間だ。検査で陰性の場合はメールにて連絡。陽性が疑われる場合には、再検査など慎重な対応が予定されている。陽性/陰性の判定、および万が一陽性と判定された場合の保健所への連絡は医師が行う。
PCR検査の大学モデル、コロナ禍での新しい産官学連携のこれからに期待が集まる。

19日に行われた開所式では、近くの上賀茂神社から神職を招き、神事一式を行うとともに【下写真】、その後、除幕式が行われた。

開所式の最後に行われた内覧会で、自らPCR検査について説明する黒坂光新学長。専門は生化学。総合生命科学部長も務めた。新型コロナウイルスについては、「相手を知って正しく恐れよう」と。

来賓として駆けつけた西脇隆俊京都府知事は、この取組が全国のモデルケースとなり、府内の大学や他府県へも波及することを期待するとエールを送った【下写真】。

検査を受けた学生・教職員への啓発用のリーフレット(アマビエ)。上賀茂神社のお守りも兼ねる。

株式会社島津製作所の上田輝久社長は、同社としては医学部、薬学部を持たない大学とは初の連携となるとしたうえで、海外でも感染拡大しており、世界へ発信すべき取組と意気込みを述べた。最後に京都産業大学のスローガン、“むすんで、うみだす。”をひき、学生、教職員、地域の人とむすんで新しいものを生み出してほしいと締めくくった。

PCR検査センターが設置された雄飛館
PCR検査センター啓発パンフレット

16歳からの大学論 第24回

ほんとうの「自由」

京都大学 学際融合教育研究推進センター
准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
京都大学博士(教育学)。専門は高等教育学。関心分野は大学の再編と役割。所属学会は、大学教育学会、日本高等教育学会など。1987年韓国全羅北道出身。九州大学特任助教、三重大学講師を経て現在に至る。韓国忠南大学校師範大学教育学科を卒業した後、2014年に日本国費留学生として渡日し、大阪大学人間科学研究科研究生を経て、京都大学教育学研究科で修士学位及び博士学位を取得。

 このような大げさなタイトルのもとに書くことは著者には荷が重いことは承知の上ですが(例えば、佐伯啓思先生の『自由とは何か』(2004年講談社現代新書)という良書があります)、昨今の騒動をみるにつけ、力不足を認めつつも考えておかなければならないことと思って、自分なりに記します。
言うまでもなく、自分以外の誰かやどこかの組織に、「あなたは自由です」と認められてようやく獲得するような自由は、ほんとうの「自由」ではありません。それは「権利」に近いものでしょう。そのような許可や認定を受けるはるか前から、我々は「自由」です。社会や制度はつまるところ人間が作った(作ってしまった)人工物であり、そういう人工物がどうのこうのという以前に、我々は自由にものを考え自由に行動できる存在という意味です。
「え? 全然、自由じゃないですよ。会社に縛られ、家庭に縛られ、全くやりたいようにやれていません」
なんて思われた方もいるでしょうが、いつ何時でもこの瞬間からでも、それらを手放し何処にだって旅に出かけることができる、つまりそれを「する・しない」のどちらかを選択をしているのはあなた自身であって、やっぱりどう考えても我々は本来的に「自由」です。したがって、極論するなら・・・などという修飾語をつけるまでもなく、すべては自らが選択した結果であり、この世のすべてにおいて誰かや何かのせいにできることなど何一つとしてない、というのは、あまりにも当たり前の事実です。これは小賢しい責任論などではなく、全宇宙の認識についての話であることに注意してください。そう、ほんとうの「自由」とは「孤独」という意味に近いのです。
昨今、責任論の類はよく見かけますが、このような認識論(言うなら、この世や人生への構え)はとんと見かけない。それではいつまでたっても枝葉、末節の域にとどまったままだろう、という苛立ちもまたこのような文章を書くに至ったきっかけですが、「自由=やりたい放題」と考えるのは、自由の対義語を「束縛」や「責任」とする考え方から生じたものです。繰り返しになりますが、それは人工物の域であり枝葉の域です。その束縛とは何か、責任とは何かと考えることこそ、我々の存在の土台の部分について意識を向けることであり-それがすなわち幹の域ですー、我々が持って生まれた本来の性質に気づくことでしょう。
「自由」を「自立」という意味合いで用いたのは福沢諭吉です。彼にとって自立とは、文字通り「自分で立つ」ということであり、自分で食って自分で生きることですから、自由とはやはり、どこか孤独な雰囲気をまとったものになるのではないでしょうか。
あぁ、もし今を生きる人々がこのほんとうの「自由」を認識したなら・・・もっとこの世はさっぱりするのだろうなと思うのです。自分の不都合や不平不満を、誰かやどこかの組織を安易に悪者にした正義論にすり替え、声高に唱えたりしなくなるでしょう。自分が弱者であることを過剰にアピールし、あたかもそのことで自分が正しい側にいるのだと考えたりもしなくなるでしょう。あるいは過剰に熱くなり、なぜみな声をあげないんだ!などと闘志を要請したりすることも。全ては自分の選択であって誰のせいにもできないのですから。
かといって、それは孤独で寂しく、極度に諦めた世界像を抱くことなどでもなく、良いことも悪いことも含めたこの世、この社会に対する覚悟にも似た受諾的態度でもって生きるということなのでしょう。「あぁ、あいつも変なことをしているが、それは自分だってあの立場だったらそうなるかもしれん・・・どうしようもないことをしているとは思うが無碍に責めることもできやしない、なぜなら自分だってそれほど正しくはないのだから。そして、歴史をみればそういうことだってあっただろうし、そういう経緯を経てこの今というものがあるのだから・・・」と。
ほんとうの「自由」の理解は、きっと味わい深い世にいたる第一歩になるのではないでしょうか。(続く)

シリーズ 大学が地域の核になる—京都文教大学の挑戦

地域に愛され、地域と育つクラブチームを目指して!
来春、女子硬式野球部創部!

京都文教大学・短期大学ではこれまでも軟式野球部や女子サッカー部が地域の応援を受けながらスポーツと学業の両立を図ってきました。それらの実績を踏まえ、2021年4月、京都文教短期大学・京都文教大学に新しく「女子硬式野球部」が誕生します。京都府内の大学では初めての設置となる女子硬式野球部。女子プロ野球選手としてワールドカップでの活躍もある小西美加さんを総監督に迎え、地域に必要とされるチームと人材育成に務めていきます。

地域と共に歩む部活動

事例①京都文教女子サッカー部

2008年度から本格的にスタートしたクラブです。地元企業からもご後援いただき、そのサポートを受けながら公式戦出場やサッカーを通じた地域貢献など、多彩な活動に取り組んでいます。2009年からは日韓交流事業「日韓女子サッカー交流フェスティバル」を続けており、本学女子サッカー部と韓国大邱(テグ)広域市の大邱東部高校のサッカー部女子生徒とが、両国を行き来し、各国の文化紹介や親善試合を重ねています。また、京都府立宇治支援学校などでのサッカー教室の実施など、地域の子どもたちがスポーツに親しむイベントの開催なども積極的に行っています。

事例②京都文教大学軟式野球部

大学開学3年目の1998年に創部された歴史あるクラブです。所属する京滋大学軟式野球連盟では、毎年、春と秋にあるリーグ戦が行われ、その勝者が8月に行われる全日本選手権、11月に行われる西日本選手権への出場権を手に入れます。本学野球部は、例年京滋リーグで優秀な成績を修めており、2015年西日本選手権大会優勝、2017年全日本選手権優勝という輝かしい実績を持っています。部員には、大学のある宇治市や近隣の久御山町、城陽市の出身者で地元のリトルリーグにも所属していた選手が多く在籍しており、地元の野球愛好家や地元紙のスポーツ担当記者など、選手達の成長を見守ってくださるファンの方にも恵まれています。一方、軟式野球部も大学のイベント等で地域の子どもたちを対象にした野球教室などを開き、地域貢献にも力を入れています。

2021年春 京都初、女子硬式野球部 誕生!

現在、京都文教短期大学・京都文教大学では、来春に予定する女子硬式野球部の始動に向けて、高校生を対象にした入学相談会や硬式野球体験会を実施しています。
地域に密着した大学だからこそ可能な、スポーツと勉強を両立し、将来を見据えた学びのできるプログラムを紹介します。

大学でも野球を続けたい!
そんな女子の希望を叶える日本に女子プロ野球リーグが誕生したのは、2009年。それ以降、女子硬式野球の人気は上昇し競技人口も増加してきました。京都府内でも福知山成美高校、京都外国語大学西高校、京都明徳高校、両洋高校の4校に女子硬式野球部ができ、野球をしたいと思う女子選手の育成に務めてきました。しかし、高校後の進路として考えられる短大・大学で女子硬式野球部があるのは、全国でわずか8校。近畿圏では大阪体育大学と桃山学院教育大学の2校のみで、高校で野球を辞めざるをえない選手も少なくないと言われていました。

将来に備えた両立プログラム

来春に女子硬式野球部が誕生する本学では、野球をやりたい、続けたいと思う気持ちと、大学での勉強や進路に不安を感じる気持ちに寄り添い、資格取得や就職サポートにも力を入れています。
女子硬式野球部に入部を希望する高校生は、まず京都文教短期大学に入学します。京都文教短期大学では、幼児保育・教育分野、栄養・食物分野の国家資格をはじめ約40もの資格取得を目指すことができます。これらの資格を取得し、進路の基盤を作った後に、京都文教大学へ編入することで、トータル4年間野球に打ち込むことができます。また、短大・大学を卒業後、社会人として働きながらクラブチームで野球選手として活躍する道も開けています。資格に強い短大で学ぶことで、卒業後のあらゆる進路に対応できる環境を整えていきます。

女子硬式野球体験会

8月、本学のオープンキャンパスに併せ、高校生を対象に、女子硬式野球部の体験会を実施しました。体験会では、総監督を務める小西美加氏が指導にあたり、実際の練習さながら約2時間のメニューをこなしました。

地域に根付いた進路サポート

開学以来60年、女子の教育に力を入れてきた京都文教短期大学では、在学中に取得した資格を活かし、保育関係や栄養・食物分野をはじめ、一般企業や福祉施設、公共団体など地元地域に多くの卒業生が就職していきます。また、京都文教大学も地元への就職に力を入れており、在学中のインターンシップや企業と学生との交流会など本学の学生を知っていただく機会も多く設けています。企業や地域団体とのネットワーク強化が、学生たちの安定した進路にも繋がっています。

総監督 小西美加氏

~Profile~
2004年 女子野球日本代表に選出。IBAF女子野球ワールドカップに3度出場。 2006年 (第2回大会)銀メダル/2008年(第3回大会)金メダル 2012年 (第5回)金メダル 2009年 日本女子プロ野球リーグ創設時よりプロ選手として活躍。 「兵庫スイングスマイリーズ」「大阪ブレイビーハニーズ」「ウエスト・フローラ」「京都フローラ」の各球団に在籍し、最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の3冠王に輝くなどの功績を残す。 2019年 プロ野球「京都フローラ」退団

食べることと出すこと

雑賀恵子の書評

頭木弘樹 医学書院 2020年

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 日常を「フツー」に生きていると、「フツー」というのが実は「フツー」ではないことにはなかなか気がつかないものだ。だって、「フツー」なのだから。「フツー」ではない状態になってようやく気がつく、ということがある。「フツー」ではない状態、その一つが、病気だ。
二十歳の普通の大学生だった著者は、突然潰瘍性大腸炎という難病になり、以降35年以上、この病名の身体を抱えて生きることになってしまった。名前から分かる通り、大腸、つまり食べて出す通路に潰瘍ができて、食べると血の混じった激しい下痢を起こしてしまう。食べなければ死ぬけれども、食べると余計に死んでしまいそうになるというわけである。
発病してすぐの治療は、静脈に直接輸液を入れて栄養補給しながら一月以上もなにも口にせず、飲み込むことなく、完全に絶食する、というものだった。そこで、栄養が補給されているのに、飢餓感があることに気がつく。自分の中にあるさまざまな器官、胃袋、喉、顎、舌…。それぞれの輪郭がはっきりして、それぞれが著者に訴えかけるのだ。
絶食が終わった後の食べ物を口にした時の感覚、それから食/味覚に対する劇的な変化。感覚も思考も、慣れを吹き飛ばし、鋭敏に反応するようになった。食べるということが、身体というとても複雑なものと外部とが織りなす重層的な意味を持ったやりとりであり、「食べることは受け入れること」が鮮やかに描き出される。
受け入れるというのには、共に食べることに意味を見出す人間関係も含む。コミュニケーションとしての食事文化がある以上、一緒に食べられない人間は、他人からは面倒な人間だと見られることになる。「受け入れる」ということは、受け入れないものを排除するということと裏腹なのだ。同じものを食べるもの同士はまとまり、そうではないものと分断線をひく。宗教的な食べ物のタブーもここにあると著者は考える。
食べることは人との関係の中で重要だしおおっぴらなのに、出すことは人前ではとても恥ずかしいことであるのはなぜか。出すことの失敗は、人を無力にしてしまう。そして人前で恥ずかしさを感じると、人に服従してしまうという心理に陥る。
緩やかな状態になっても悪い方へぶり返し、治ることの望みがとても薄く、食事の制限も多い上、下痢のために日常生活もカセがはめられるが、直ちに死ぬというわけではない、厄介な病気。
本書は、闘病記ではない。「フツー」でない身体で日常を生きている著者が、自分の身に起こったこと、考えたことを、小説や映画の言葉の引用をちりばめながら、軽やかに、ユーモアを交えて語っていく。「フツー」に思っていたことを著者にひっくり返されて、「フツー」というのは思考の「不通」だったのだなあと、目から鱗の驚きの連続に満ちた本である。

秋冬に備え、新型コロナウイルス感染症の
検査センターの能力を倍増
実習前の学生と受け入れ側に安心感。地域医療への貢献も目指す

長崎国際大学

 6月に、医学部や病院を持たない大学としては初めて、新型コロナウイルス感染の有無を診断する検査センター(「NIU疾患検査センター」)を設置した長崎国際大学(佐世保市ハウステンボス町。人間社会、健康管理、薬学の3学部)。11月からは、秋冬の感染再拡大やインフルエンザの流行も視野に、検査能力を倍増する。
同大は学生や教職員、近隣住民の安全・安心、および長崎県の地域医療に貢献すべく、県から2台の検査機器を無償貸与してもらい、衛生検査所の登録も受けて、7月1日から運用を開始した。「感染者を早期発見、隔離し治療することが大事で、感染が疑われる人がすぐに検査できない状況を少しでも解決したかった」と医師でもある安東由喜雄学長。実際、全学科の学生の間には、実習前に検査を受け、感染していないことを証明してから実習に臨めると安心感が広がるとともに、実習先からは好感を持って受け入れられているようだ。
検査方式は、短時間で結果がわかり、コストを抑えられるLAMP法で、唾液を使う。薬学部の隈博幸教授(臨床検査学)ら8人が土・日曜日を除く週5日対応、検査能力は1日5サイクル最大100件との設定で行っている。9月末までの3カ月間で計618人を検査。うち学生が35%、同一法人の短大などの学生が9%、教職員13%で、残りの43%が一般の受検者だった。
同大では8月に、「利休庵診療所」も開設。学長ら医師免許を持つ教員4人が講義の後などに診療も始めた。そして11月からは、県からさらに2台の貸与を受け、1日200人の検査が可能な体制を整え、佐世保を中心とした長崎県北部、佐賀県の一部の住民への対応も視野に入れている。
長崎国際大学は2000年、学校法人九州文化学園と長崎県及び佐世保市の公私協力方式で開設(安部直樹理事長)。「人間尊重を基本理念に、よりよい人間関係とホスピタリティの探求・実現、並びに文化と健康を大切にする社会の建設に貢献する教育・研究」を建学の理念に掲げ、茶道を必修とするユニークな大学として知られる。

シリコンカーバイド SiC異端からメインストリームへ

イノベーションの軌跡 第3回

SiCパワー半導体がパワーエレクトロニクスのこれからを拓く

松波弘之先生 京都大学名誉教授 松波弘之先生

~Profile~
○研究・教育(39年):1964年4月 京都大学助手。1971年12月 京都大学助教授。1976年9月-1977年7月 米国ノースカロライナ州立大学客員准教授。1983年2月 京都大学教授。2003年3月 京都大学定年退官。○産学連携(12年):2004年4月-2012年3月科学技術振興機構(JST)イノベーションプラザ京都館長。地域の科学技術支援と産学連携(産学連携経験8年)。2013年12月-2018年3月 「JSTスーパークラスタ事業京都」アドバイザ。○現在:2010年度-SiCアライアンス会長。2014年度-NEDO次世代パワーエレクトロニクス・プログラム推進委員。大阪府立市岡高等学校出身。

グローバルITの拡大など、世界中で電気エネルギーへの依存が高まる中、ポストコロナにおいても新たな電源の拡充に加えて、電気エネルギー利用の効率化がSDGs実現の重要なキーであることに変わりはない。そのための有力なアプローチの一つがパワーエレクトロニクス※1の革新、その切り札として急浮上してきたのがシリコンカーバイド(SiC)※2パワー半導体だ。パワー半導体は、PCなどに搭載され消費者にもなじみ深いメモリやCPUなどと同じ半導体だが、家電やエレベータ、鉄道車輌にコンバータ、インバータなどとして搭載され、電源に直結して主に高電圧、高周波の電流や電力を制御する。他にも化学工場などでは、瞬停対策装置に使われ重要な役割を果たす。素材はメモリなどと同様、シリコン(Si)が一般的だが、近年、小型化でき冷却が簡単で、電力損失も少ないSiC素材のものが量産されるようになって状況は一変してきた。“産業のコメ”とも言われ、かつては技術大国日本を象徴する存在だった半導体。メモリなどその多くがその地位を失う中、SiCパワー半導体技術・社会実装技術は、世界をまだ2周回ほどリードしているとも言われる。開発の第一人者と言われ、半世紀以上にわたって研究開発に携わってこられた松波弘之京都大学名誉教授に、反骨者と呼ばれた若手研究者の時代から、表舞台へ躍り出られるまでを振り返っていただくとともに、明日の科学技術を担うみなさんへのメッセージをお聞きした。

※1 power electronics:電力用半導体デバイスを用いた電力変換、電力開閉に関する技術を扱う工学
※2 炭化ケイ素Silicon Carbide:シリコンとカーボンを50対50で混ぜ合わせた化合物

SiCとの出会い、ショックレーの予言

水素を動力に、排出するのは水だけという究極の環境対応車として注目されるホンダの燃料電池車クラリティ【写真1】。

写真1 ホンダの新型燃料電池車 CLARITY FUEL CELL 2016年5月発売開始

水素エネルギーを使った燃料電池に加えて、SiCパワー半導体を使うことでボンネットにコンパクトに収納されたインバータ・コンバータにも特長がある。SiC半導体にはSi素材によるものに比べて優れた特徴が数々あるが【表】、小型化できることもその一つ。この夏からはJR東海の新型新幹線N700Sにも(トランス、コンバータ・インバータ、モータなどを見直すことで車両の軽量化につながる)搭載されるなど、近い将来、パワー半導体素材の地図を塗り替えるのではないかと期待されている。【図1】(図中に使用の用語については、用語集も参照)の赤線で区切られた右側は、デバイスが今後SiCに置き換えられていくであろう領域を示す。ほとんどすべての用途、電力帯(容量)、周波数帯でSiCの優位性が見てとれる。

【表】Si、SiCの比較とSiCパワーバイスのメリット
【図1】パワーデバイスの棲み分けとSiCへの期待
BPT:バイポーラトランジスタ
THY:サイリスタ
GTO:ゲートターンオフサイリスタ
MOSFET:金属・酸化膜・半導体 電界効果トランジスタ
IGBT:絶縁ゲートバイポーラトランジスタ

松波先生によると、パワー半導体にSiCを使うことで、発電から消費までの電力フローの中で、電力変換器の高効率化や、これまで使われてこなかった分野への導入によって、最低でも15%のロスを防げるという。ハイブリッドや燃料電池車が普及し、車が電力フローの中に組み込まれればその割合はさらに高まる。材料調達コストも、Siに炭素(C)が加わるだけだから問題はない。
そんなSiCデバイスの製品化を長年阻んできたのは、技術開発が極めて難しかったからだ。
1950年代、SiCは半導体の材料として、ゲルマニウム(Ge)に続いて大いにもてはやされたが、きれいな結晶が作りにくいところへ、高温動作性がGeよりも優れたSiが現れ、注目の度合いが減っていった。1960年代後半、松波先生が京都大学工学部電子工学研究科の助手時代、SiCに出会った頃には、半導体に使おうとする研究者はほとんどいなくなっていた。
そんな中で松波先生は、高い温度で使え、放射線に対しても強い特性が活かせるSiCへの期待を捨てなかった。様々な半導体で電気の流れを調べ、新材料を見つけようという物性研究全盛の中で、SiCを材料に世の中で使ってもらえるトランジスタを作りたいとの思いを募らせていった。
世界中の研究者がSiやガリウムヒ素を使った研究に参入する中で、大学の中で少人数で立ち向かっても限界があるとの判断もあった。そして、人のしないことをしてみたいという持ち前の反骨精神に火がついた。
もう一つ、今でも松波先生の頭に残る言葉がある。1959年後半の第1回SiC国際会議で、全盛のSiCに対して、トランジスタ生みの親であり、尊敬するノーベル賞受賞者ショックレー(William Bradford Shockley Jr.)が述べた次の言葉だ。
「SiCは結晶成長が難しい点がネックになるかもしれない。しかし、それを乗り越える者が出て来たらとても面白い素材になる」。この言葉に導かれるように、松波先生のSiC研究は、その後進んでいく。

青色発光ダイオードの開発で 凌いだ我慢の10年

 元素であるSiに比べ、カーボンとの化合物であるSiCは単結晶が作りにくい。現在でも、コスト面での問題は100%解決していないが、半導体ウェハに求められる表面が均一な結晶を成長させる方法の確立には、実に20年以上の歳月が費やされた。この間には、いくつものブレークスルーが、またノーベル賞受賞者のエピソードにもよく登場するセレンディピティにも恵まれた。まさに「天の時」「地の利」「人の和」によるところが大きい、と松波先生は振り返る。
SiCウェハの開発は、基になるSiCの単結晶がなかったため、Siを基板としてその上にSiC単結晶厚膜を成長させること(SiC/Si(気相)ヘテロエピタキシャル成長)から始まった。しかし、国の科学技術政策は当時も今も、目に見えて成果の期待できるものにしか資金をつけない。そこで不足する研究費を補うために並行して行ったのが、当時期待の高まる青色発光ダイオードの研究開発。電気を光に変換し発光させる研究(フォトニクス)はレーザー光技術や太陽光発電、LEDにつながるもので、電流制御(エレクトロニクス)と並ぶ、半導体を使った技術のもう一方の柱だ。当時は、RGB(赤(Red)、緑(Green)、青(Blue)の三つの原色)によるフルカラーの白色実現のために、赤、緑に次ぐ第三の色である青の実現が待ち望まれ、研究助成も受けやすかった。
1976年、松波先生らはSiCを使って実用化に成功(LPE液相エピタキシャル法)。ノーベル賞受賞の対象となった窒素ガリウム(GaN)によるもの※3に比べ、光る力がやや弱いが、ヨーロッパ車ではハイビームの表示などで使われた。
一方、SiCウェハの開発の方は試行錯誤の連続で、まさに「我慢の10年だった」と松波先生。ポイントは厚膜の再現性をいかに高めるかだったが、転機となったのは高温のSi表面の原子の活性を抑制するためのバッファ層の導入。Si結晶の上に低温でプロパンガスを流し薄いバッファ層を作るというもので、これがブレークスルーとなり(1980年)、1986年には、これを材料に3C-SiC-MOSFETの試作にも成功した。

※32014年(開発完成1989年)赤崎勇(名城大学教授)、天野浩(名古屋大学教授)先生らによる。
注)赤崎先生達は、GaNのp型が作製できることを見つけられました。簡単なp-n接合では紫色しか発光せず、真の青色発光ダイオードは1993年、日亜の中村修二氏がGaN/InGaN/GaN構造で実用化したのが初めです。

第二のブレークスルーにはセレンディピティも

 成果は、世界初との評価も受け、大学研究室のものとしては満足できるものだったが、SiCとSiとの20%に近い格子定数※4の差で生じる漏洩(リーク)電流を抑えることができず、実用化には程遠かった。「学術的な成果を出すだけでは工学ではない、単なる理論(物理)屋ではなく、社会で実際に使われるものを追い求める」というのが、松波先生の反骨精神と双璧をなすもう一つの信条。
実用化には、やはりSiCの結晶を基板に使うホモエピタキシャル成長しかない、と松波先生の挑戦が再び始まった。
【写真2】はAcheson(アチソン)法で作られたSiCの塊。富山県のある工場で耐火煉瓦の材料や研磨材用に作られていたものを分けてもらったもの。中央にあってきらっと輝いて見えるのがSiCの小さな単結晶で、それを削り出し薄く削って基板にすることから実験は始まる。SiC基板温度をほぼ1500℃に保ち原料ガスを流してSiCの結晶を成長させる。しかしSiCであるため、様々な多形が混じり、思い通りの均一な表面がなかなか作れない。

【写真2】

挑戦が始まって間もない1986年、ブレークスルーのきっかけとなったセレンディピティが、修士課程2年のKさんによってもたらされた。指導教員に倣って人のやらないことをあれこれ試したKさんだったが、ある時たまたま、表面に平行になるよう研磨していた裏面が、やや傾いていたのに気付かず、それを使って結晶を成長させてしまったらしい。通常は表面が結晶軸(c軸)に垂直なオン基板(下図のジャスト基板に同じ)なら、それと平行な裏面もオン基板となるが、少し傾いていたため結晶軸(c軸)に垂直ではないオフ基板になっていた。このことが、それまで“見たこともないものが見えた”という画期的な結果をもたらすことになった。オフ基板が斜め階段状になり、その上に高品質単結晶が成長したのだった。
その後は松波先生が基板の角度を調整するなどして再現性を高める手法を確立。そのメカニズムを「ステップ制御エピタキシャル法」と名付けた【図2】。これはSiC結晶成長の核心的技術として高く評価された。1987年には、それをウェハにしたp-n接合ダイオードが高機能であることを見いだし、以後、傾斜面を使うことが世界の標準となり、ショットキーバリアダイオード(SBD)、MOSトランジスタへと展開していった。

【図2】 ステップ制御エピタキシー

1995年にはSiをはるかに上回る耐圧を示したことでパワーエレクトロニクス用として最適との確証も得られ、“SiCパワー半導体”という新しい概念の生まれるきっかけも作った。2001年には、ドイツのインフィニオン・テクノロジーズ社(情報通信機器等の製造、大手のシーメンス社傘下)がSiCショットキーバリアダイオードとして市販するに至った。

※4結晶軸の長さや軸間角度。単位格子の各稜間の角度(α、β、γ)と各軸の長さ(a、b、c)を表わす6個の定数

SiCパワー半導体導入による電気エネルギーの有効利用、環境負荷低減

「天の時」「地の利」「人の和」

 松波先生のこの技術に、国内で早くから目を付けていたのが地元京都の電子部品メーカーのローム株式会社。松波研究室から卒業生も受け入れていて、研究室の成果をスピーディーに実用化したり、地の利を活かして、企業にない設備を古巣の大学研究室で借りたりするなど、理想的な産学連携が進んでいく。当時の京都大学には手作りながら、高温の炉等、半導体製造に欠かせない設備が揃っていて、それも基礎研究の強みにつながっていたと松波先生。ロームは、2010年に国内で初めてSBDの、同年また、世界で初となるMOSFETの大量生産を行った。そして2015年には世界初のSiCトレンチMOSFET※5を開発。半導体素子製造をLSIに並ぶ柱に成長させ世界展開を加速させていく。
2009年頃には国も動き出し、Lehmanショック後委縮していた超大手企業も国家プロジェクト開始によってSiCパワー半導体に参入し始めた。
かなり早い時期でのインバータエアコンでの採用に続き、その後は地下鉄、私鉄そしてJRと、SiCの高速スイッチを活かし、回生ブレーキを使って電力消費を減らすのに成功している。また小型、薄型の特徴を活かしてHEVや燃料電池車に搭載が続く。他に太陽電池用パワーコントローラーなど、まさにパワーエレクトロニクスという大市場を革新するものとして用途が広がる。隣り合う高速エレベータ同士を結んで、回生ブレーキを使うと使用電力を65%低減させるなど、システムごと作り変える事例や、機電一体型モータの開発、また福島県のベンチャー企業では、SiCの強みを活かした高電圧のパルス電源、直流電源、大電流開閉器などの開発も進む。
国内だけでなく、パワエレのアライアンス(提携、連携)を世界に広げ、応用回路を工夫すれば、世界全体の電気エネルギー消費を50%程度減少させることができると松波先生。もちろん、それには、ウェハの大口径化やコストダウンも必要と課題も指摘する。

※5MOSFET:金属(M)-酸化膜(O)-半導体(S)電界効果トランジスタトレンチMOSFET:SiC層に溝(トレンチ)を掘り、その壁面に沿って電流を流すMOSFET

後輩へのメッセージ

 日本が科学技術力においてかつての優位を取り戻すためには、技術主導ではなく、“What to make” “How to use”を考え、様々な意見を出し、ぶつけ合える若手研究者・技術者の育成が欠かせないと松波先生。また目下問題となっている大学院博士課程進学者の減少については、若手研究者への一層の支援を国に求めるとともに、研究に進む者には、多くの先人や同僚が口にするように「3P(Passion、Persistence、Patience、―-情熱、継続、忍耐)を持って取り組めば、Luck(偶然、幸運)を得るchanceがある」ぐらいのマインド、姿勢を持って欲しいと説く。何事においても予定調和的な今の社会の風潮に背を向け、「人と異なることをする勇気」を持ってほしいとも。最後に、座右の銘としている尊敬するショックレーの言葉“Creative failure”「失敗は成功の基」、“Accident favors prepared mind”「幸運は用意された人のみに宿る」、“Try the simplest case, or approach the simplest case”「もっとも簡単なものを試せ、あるいはもっとも簡単なものに近づけ」を引き、これらの言葉を忘れず、コロナ禍さえも一つの契機としてほしいと力強く語ってくれた。


用語集

SDGs:(Sustainable Development Goals)持続可能な開発目標で17の目標がある。
インバータ:直流電流を交流電流に変換する電気回路。
コンバータ:交流電流を直流電流に変換する電気回路。
瞬停対策装置:UPS(Uninterrupted Power Supply)停電などによって交流電力が断たれた場合にも電池などに蓄えた直流電力をインバータで交流電力に変換して供給し続ける電源装置。
燃料電池:電気化学反応によって燃料の化学エネルギーから電力を取り出す(発電する)電池。SDGs向けには水素と酸素の反応を用いるのが好ましい。
セレンディピティ:素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。
HEV:(Hybrid Electric Vehicle)エンジンと、モータの動力源を同時、または個々に作動さる自動車
パワーコントローラ:(Power controller)太陽光発電で作った直流の電気を交流に変換する機器。インバータのこと。
回生ブレーキ:(Regenerative brake)運動エネルギーを電気エネルギーに変換する装置。
機電一体型モータ:モータの内部にインバータを組み込んだもの。

16歳からの大学論 第41回

高校生と研究ポスターを作っていて気づいたこと

京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授 宮野 公樹先生

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

 今年も「日経STEAM」(日経新聞主催)というイベントのアドバイザーをすることとなり、7月末の研究ポスター発表大会に向けて、今、全国で15校の高校生グループたちと意見交換をしております。今回、その過程で気づいたこと、特に、研究テーマ設定段階で気をつけてほしいことがあるので、記載してみます。
 もちろん、限られた人数で限られた回数の打ち合わせしかできていませんので、下記の考えを一般化するつもりはありません。筆者自身が体験した感想としてお読みください。

◯もっと手を使って考えて!

  研究テーマを複数人で考える際、「あれって大事だよね」「あれはどうなんだろう・・・」とあれこれ話すのはいいのですが、各自がその時々に感じたこと、感情や思いつきに留まっている感じがあります。もっと厳しくいうなら研究テーマが「妄想どまり」なんです。研究者がテーマを考えるときは、調査や実験、あるいは自身の体験など、膨大な経験をもとにします。それを高校生に求めるのは酷なことですが、せめてGoogle等検索サイトで調べながらブレストをしてはどうでしょうか。みなさんが考えているテーマと似たようなものを探し比較することで、みなさん自身の切り口、視点を浮かび上がらせるのです。ホワイトボードなどに書き込みながら話すことも有効です。そうしないと、話が堂々巡りになりがち。僕に送ってくる質問メールの文章を読めばすぐにわかりますよ、これ、ちゃんと考えてないな、思いつきのレベルだなって。しっかりと議論を可視化すれば、「これは本当かな?」「他にも重要な要素ないかな・・・」など色々気づきがでてくるはずです。

◯「褒められること」より「心からやりたいと」を!

 確かに社会は課題だらけ・・・
解決しないといけないことは多いですが、それに取り組むのは「課題解決」であって、本来の「探究」ではありません。探究学習においては、何かを解決することがマストではないのですよ。自分たちの好きを追い求めればいいのです。テーマを考えるときには、まず「問題」から入らないで「関心」から入ってください。みなさんが、気になって仕方ないこと、大好きで仕方ないこと、それらに強い関心があるからこそ気づく「不思議」について深堀りすることが探究なのです。
 もちろん課題解決は大事なこと。みなさんが、それに注力することはとても大切なのですが、以下のポイントにおいて難しい側面もあるのです。

◯テーマの設定の範囲をバグらせないで!

 例えば、シャッター街となった商店街を何とかするといったテーマ。これは、はっきり言ってしまえば、市役所等行政やその地域の住民の方々の仕事(役目)です。それをみなさんが課題にする理由はどこにあるのでしょうか。もちろん、しっかり現状を調査し、その上で行政のやり方に欠点があり、生活者目線からいうともっとこういうことが大事だと思う!という切り口であればよいのですが、単に「・・・が問題。そこでわたし
たちは・・・を提案します」というのでは、テーマ設定としてはあまりに素朴です。研究テーマの設定にあたっては、自分たちができること、自分たちがやる意味を踏まえないと、結果は絵に描いた餅になってしまいます。他にも、「海洋のマイクロプラスチック問題について、私達は・・・という研究をします」といったあまりにも広大なテーマも違和感があります。それは、全世界の行政、または企業が何十億もかけて実施していることであり、高校生のみなさんが太刀打ちできることではないように思います。繰り返しますが、徹底的に調べて「いや、やはりこのやり方は根本的に間違ってる!私達はその一点について、こうやったら良いと思う!その具体案を提案する」というのはアリですよ。しかしそうではなく、ただ重要な課題だからといって自分たちができないこと、責任もとれないことをあれこれ考えても、それは机上の空論になりがちですし、なによりみなさん自身もその研究テーマに熱が入りにくいのではないでしょうか。
 以上、探究学習に関係した研究ポスターのテーマ設定について思ったことを述べました。探究については、今年3月に現代思想(2024Vol.52-5 p.108−115)に論考を掲載したので、もしよければお読みください。(続く)

大学ランキングからはわからない大学の実力 第6回

パレスチナ連帯を訴える学生の憂鬱

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

~Profile~
1 9 6 0 年神奈川県生まれ。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

 今年5月、大妻女子大の学生がXでこうつぶやいていた。
 「正直しんどいですよね 人間の頭や体が吹き飛ばされ、逃げ延びた場所をなお燃やされ続けているのに、私が生活の中で触れ合う学生は誰もその話をしないんだから」。
 パレスチナ・ガザ地区での悲惨な状況をさしており、学生は抗議の意志表示をしたいけれど、話し合う仲間がいない、という訴えだ。
 それでも学生は行動を起こした。「パレスチナに連帯する本よみデモ」を企画した。Xでこう呼びかけたのだ。
 「大妻構内にて、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイド・民族浄化について学び抵抗を示す、読書を通じたデモ活動を始めます。これは、パレスチナに対するイスラエルの大量ぎゃくさつ・民族浄化について学び、抵抗を示す、大妻生有志による静かなデモです。パレスチナに関する本や資料を用意しました。大妻生のみなさん、気軽に参加どうぞ」(5月9日)。
 デモといえば、街頭や大学構内を行進するというイメージを抱かれやすい。1970年前後の学生運動世代にすれば、ヘルメットに覆面姿で石や火炎ビンを投げつけ、機動隊と衝突したことを思い浮かべるかもしれない。
 いまは令和、2020年代だ。半世紀以上前のシーンは現れるわけがない。
デモ=demonstration、つまり意志表示さえできればその手段は創意工夫で何でもありだ。「読書を通じ」「イスラエルの大量ぎゃくさつ・民族浄化について学び、抵抗を示す」デモと、機動隊と角材で対峙したデモのメンタリティは、本質的に変わっていないはずだ。
 だが、大妻女子大の学生はキャンパスで戦争反対を訴え、デモ行進をしたかったのではないか。しかしそんなことをしたら、大学職員が飛んできて事情を聞かれ、大学から厳しい処分を受けかねない。
 大妻女子大にはこんな学則がある。
「大学・短大学則第25 条、大学院学則第38 条に基づき、以下の「本学学生としての本分に反する行為」をした場合は、処分の対象になります。
 学内での喫煙・飲酒、学内での政治活動及び宗教活動・・・・」(大学ウェブサイト)。
 なるほど、読書デモが精一杯である。
これは大妻女子大に限ったことではない、戦争反対を訴えたいが処分される、就職活動で不利益を被ると考えただけで行動を起こせない。学生は社会と向き合い発信しようとすると憂鬱な気分になる。もちろん、大学は読書デモを罰するような焚書坑儒的な処分はしないは
ず。そういう意味で読書デモというアイデアはなかなかのものだ。
 もっとも、多くの学生にすれば、正々堂々とデモを行いたかったはずだ。
たとえば、東京大駒場キャンパスではパレスチナ国旗に模したテントが建てられ、集会を開くと多い時で500人の学生が集まった。早稲田大キャンパスでも100人以上の学生が声をあげている。学生が英語でアジテーション、いやアピールをした。
 上智大では50人が学内などでデモを行っている。大学新聞が学生の訴えをこう伝えた。
 「~~“We will not stand down until publicly call for a ceasefire, and you divest from Tel Aviv University(大学が公に停戦を呼びかけ、テルアビブ大学から手を引くまで、私たちが身を引くことはない)”と主張した」(上智新聞2024年5月21日号)。
 上智大はイスラエルのテルアビブ大と提携しており、その解消を求めたものだ。これに対して、同大学の曄道佳明(てるみち・よしあき)学長は声明を出した。「教皇フランシスコのメッセージにもあるように、国際社会はパレスチナ・ガザ地区に起きている人々の非人道的な状態に極めて大きな憂いと憤りを抱いています。上智大学は、武力行使によって引き起こされる全ての人権侵害に反対するとともに、即時停戦と、人間の尊厳に基づく当該地域の人々の生活の回復、安全を求めます」(2024年5月28日)。
 上智大トップの「大きな憂いと憤り」はイスラエル批判とも受け止められる。実際、駐日パレスチナ常駐総代表部はXで謝意を示した。「上智大学の皆様ありがとうございます」(5月29日)。
 だが、テルアビブ大との提携に触れていない。これに不満な学生はキャンパス内で抗議活動を続けている。
 2024年7月現在、キャンパスでパレスチナ連帯のデモ(テント設営、集会、スタンディング、座り込み、施設にポスター掲示など)が見られたのは、SNSで確認できる限り、東北大、東京大、東京都立大、青山学院大、大妻女子大、国際基督教大、上智大、多摩美術大、東洋大、明治大、早稲田大、大阪大、京都大、立命館大など。
 学問の目的の一つには戦争を起こさせず、平和な社会を追求することがある。そのために研究者は理論を構築し、学生は学び実践する。いま、世界中の大学でパレスチナ連帯の輪が広がっている。だが、日本の大学ではそれほど盛り上がっていない。その理由として、大学の管理が厳しい、学生に意志表示する習慣がなかったことなどがあげられる。戦争に反対する、それは大学での学びでもあることを、大学構成員(学生、教職員)は肝に銘じ、大学は戦争をやめさせる術を研究し、それを行動によって示してほしい。間違っても、学生を憂鬱にさせる指導、管理はやめていただきたい。

杜の都の西北から 第6回

進むか、大学の性的マイノリティ支援

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌(やす)厚(ひろ)さん


~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 大学等における性指向や性自認に関するマイノリティ(性的マイノリティ)学生に対する国の施策の動向について概観する。
マイノリティは、貧困、障がい、発達特性、外国ルーツなどによる社会的少数集団である。マイノリティは、社会的排除の対象となるなど不当な扱いや不利益を被るリスクに直面している。その中でも性的マイノリティは、青年期から孤立や孤独を感じたり、差別、偏見によるリスクを抱えていることが多い。認定NPO法人ReBitが2022年に行った調査によると、十代の性的マイノリティの自殺念慮が全体よりも3.8倍も高かったという*1。こうしたデータは当事者である若者が生きづらさを感じていることの証左であり、大学等が当事者である学生を支援し環境を整える必要性を物語っている。
 性的マイノリティの学生に対する大学等の支援については、国の施策に先んじて、国際基督教大学(ICU)などが先駆的な取り組みに着手している。また、総合大学などにおいても支援体制の整備等を進めている。こうした中、政府は、2018年に大学等教職員向けの啓発資料として、独立行政法人日本学生支援機構による「大学等における性的指向・性自
認の多様な在り方の理解増進に向けて」をとりまとめ公表した。この資料は、大学等が取り組むべき方策として、①学長や副学長等の下で、実効性・機動性を有する組織を立ち上げ、その組織が検討・実行の役割を中心的に担うこと、②各大学等の建学の理念や特色を考慮しながら、自らの基本理念を掲げ主体的に取り組むこと、③基本理念に沿って各場面に必要となる対応等を明示すること、 ④専門的な人材を配置した相談窓口等の体制を整備し情報共有等を図ること、 ⑤雰囲気の醸成、アウティング(当事者の意思に反する暴露)対応、個々の教員・担当者との調整、高等学校との連携などの役割も必要であること、等が具体的に例示されており、大学が取り組みを進める上で
の参考となっている。
 さらに、2023年6月には、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律 」(理解増進法)が公布された*2。
 理解増進法は、国としての「基本理念」を明示し規定している(3条)。基本理念の概略は、①全ての国民が、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるという理念にのっとり関連施策が行われるべきこと、②相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として関連施策が行われるべきこと、③性的指向及び性自認を理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下で関連施策が行われなければならないこと、である。
 理解増進法にはさらに、基本理念に基づく国・地方公共団体、事業主、学校に求められる役割等が明らかにされている(4 ~ 12条)。理解増進法が求める国の役割のうち、推進体制の整備、学術研究の推進、基本理念に基づく基本計画等の策定、施策の実施状況の公表等については政府の義務となっている。なお、本法は大学等(幼稚園等を除く)に求められる役割について規定している*3。大学等の設置者に対しては、性的指向及び性自認の多様性に関する学生等の理解の増進に関し、教育又は啓発、教育環境の整備、相談の機会の確保等を行うことにより、性的指向及び性自認の多様性に関する学生等の理解の増進に自ら努めるとともに国や地方公共団体が行う理解増進策に協力すべきことを規定する。さらに、設置者及び大学等に対しては、学生等が性的指向及び性自認の多様性に関する理解を深めるために、教育又は啓発、教育環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずべきことを求めている((6条③、10条③)。
 同法は政府に対して、基本理念の総合的かつ計画的な推進を図るための基本計画の策定を求めている(8条)。現在、政府において基本計画の検討が進められているという。こんご基本計画が策定され、大学等が取り組むべき施策の方向性がより詳細に示されることで、大学等における、性的マイノリティの学生支援の取組が一層加速されることが期待される。法律がめざす「包括的な共生社会」に向かっていくことを期待したい。

*1 認定NPO法人ReBit「LGBTQ子ども・若者調査2022」についてHPで公表されている調査結果による。同法人はGBTQの子ども・若者の支援をしている団体で2022年9月4日から9月30日までの間、LGBTQなどのセクシュアル・マイノリティの子ども・若者の、学校・暮らし・就活等の現状に係るアンケート調査を実施し、本件引用を含む調査結果を分析し公表している。(本調査の有効回答は2623人)

*2 理解増進法制定以前は、性的マイノリティに関する包括法がなかったため、当事者団体、支援団体、学術団体、法曹界等が新法の制定等を求めてきた。当初の超党派の国会議員による法案作成から最終的な法律となるまでの過程等で曲折があったが、本稿では、理解増進法が制定されたことの意義に着目しその内容を概観することに主眼を置くこととする。なお、本法の規定は施行後3年を目途として、その時の状況等を勘案し検討を加え、その結果に基づき必要な措置が講ぜられることになっている。(附則2条)

*3 理解増進法の条文では大学を含めて「学校」、学生を含めて「児童等」と規定しているが、本稿ではそれぞれ「大学等」「学生等」と称することとした。

創立100周年に向けて 改革を加速する東京都市大学

2029年に創立100周年を迎える東京都市大学。今年1月、新たに学長に就任された野城智也先生は、建築学の新分野であるサステナブル建築を出発点に 技術経営分野のイノベーション・マネジメントまで、分野を超越した、独自のアカデミック・キャリアパスを切り拓いてこられました。教員人生をスタートした場所であり、今また学長として戻られた東京都市大学に、どんな未来を託されるのか。イノベーション・マネジメントの視点も加え、これからの日本に求められる人材の育成について、また高校生へのメッセージをお聞きしました。

イノベーション創出の担い手になるために

――専門性を縦糸に デザイン思考を横糸に

東京都市大学学長 野城 智也先生

野城 智也先生
~Profile~
1980年東京大学工学部建築学科卒業、1985年東京大学工学系研究科建築学博士課程修了(工学博士)。同年4月より建設省建築研究所研究員。1986年同省住宅局住宅建設課係長などを経て 1990年同省建築研究所主任研究員。1991年武蔵工業大学(現東京都市大学)建築学科助教授、1998年東京大学大学院工学系研究科助教授、1999年同学生産技術研究所助教授、2001年同 教授、2007年同副所長、2009年同所長。2013年同学副学長。2018年同学価値創造デザイン人材育成研究機構長。2023年東京都市大学総合研究所特任教授、高知県公立大学法人高知工科大学教授。2024年1月から現職。専門分野はサステナブル建築、イノベーション・マネジメント。東京教育大学附属高等学校(現、筑波大学附属高等学校)出身。

私のアカデミック・キャリアパス

●武蔵工業大学(現東京都市大学)で研究者人生の基盤を固める

 私は、学部・大学院では建築を専攻しました。探索・試行の末に切り拓いたのはサステナブル建築(※1)という、計画・設計、構造・材料、環境工学という確立された建築学三分野を横串で刺したような分野で、地球環境の持続可能性を損なわない建築・都市の在り方を探究しています。具体的には、国内全体の30~40%を占めるとされる建築に起因するCO2などの温室効果ガスの排出をいかに減らすか、また、国全体の資源生産性(※2)を高める観点から、建築・都市を、どのような材料で構成し、どのようにして使いまわしていくべきかなどを研究し、その工学的解決策・緩和策を考案・提案してきました。
サステナブル建築研究の始まりは、1980年代後半。今でこそ、カーボン・ニュートラルという概念は世界中で共有され、建築においてはゼブ(ZEB:Zero-Energy Building)の概念は当たり前になっていますが、私が武蔵工業大学に赴任した1991年当時は、まだバブル経済の余韻が残っていて、建築業界は、スクラップ&ビルドで新築建物をどんどん増やしていくという風潮でした。そんな状況の中で私は、このままこのようなことを続けていっていいはずはないという危機感を抱きました。一部の研究者、建築家も、これからは地球環境に配慮した建築・まちづくりが大事だと考え始めていて、日本建築学会でも1990年に地球環境特別研究委員会が産声をあげていました。
何はともあれ、建築がCO2などの温室効果ガスをどのくらい出しているのかを定量的に測定し評価することが必要だと考えた私は、武蔵工業大学の学生諸君と一緒に、それぞれの建築材料が製造されるまでにどのくらいの温室効果ガスが排出されるのかを調査し、データベースとして発表しました。また、建築材料を使い回して資源生産性を高めるため、彼らと一緒に、建物の解体現場に出向き、それらがどう壊され、材料はどう廃棄されるのか、あるいはどうリユースされるのかを調査しました。そして様々なデータを泥臭く集めて分析して得た知見を英語圏で論文発表したところ、高い評価が得られたことから研究の手応えを感じ、その後の研究の方向性を定めることができました。
サステナブル建築を実現するためには、建築業界だけでなく様々な分野との連携が必要です。国内外の研究者との連携交流から、建築分野以外の企業や研究者とのネットワークも広がっていきました。 このように、私は、当時、武蔵工業大学と呼ばれていたこの東京都市大学で、自らの研究基盤を作ることができました。

※1 サステナブル建築とは、地域レベルおよび地球レベルでの生態系の収容力を維持しうる範囲に収まるように、省エネルギー・省資源・リサイクル・有害物質排出抑制を図り、その地域の伝統・文化を保ちつつ、将来にわたって、人間の生活の質を向上させていくことができる建築。

※2 生み出されたモノ・サービス・付加価値の量(output)÷使用資源量(input)、すなわち、単位量の資源を用いることによって生み出されるモノ・サービス・付加価値の量。経済活動において使用される資源をどれだけ効率的に活用して付加価値を生み出すかを示す指標。

世田谷キャンパス
横浜キャンパス

● 東大ではプロジェクト・マネジメント(※3)研究や、イノベーション・マネジメント
(※4)研究にも先鞭をつける

 1998年、母校、東京大学に教員として着任します。ただその着任先は、卒業・修了した建築学専攻ではなく社会基盤工学(土木工学)専攻でした。「コンストラクション・マネジメント」という新しい研究室の立ち上げに力を貸してほしいという要請に応じたものです。コンストラクション・マネジメントはまさに分野融合の分野でした。その後、急な欠員ができたなどの学内事情から生産技術研究所に移籍し、プロジェクト・マネジメント研究の開拓に従事しました。
その矢先、小宮山宏先生(その後東大総長)からお声がかかります。武蔵工業大学時代からのサステナブル建築に関する研究への取り組みをどこかでお聞きになったようで、先生が立ち上げようとしていたバイオマス(木くず、廃食油など生物由来の有機性資源)活用促進を目的とした研究開発プロジェクトへの参加要請でした。学内外の化学、機械工学、林学など様々な分野の専門家と連携し研究開発に取り組みました。地域に散在するバイオマス資源をどこで、どういう処理をすれば、その運搬収集に要するエネルギー使用も含めた利用効率が最大化できるのかを探究しました。また、当時出始めたバーコードやICタグを活用してバイオマスのトレーサビリティー・システムを開発し、それを森林資源にも適用・試行することで、日本の林業が抱える流通上の問題点も明らかになり、その課題解決にも取り組みました。
こうした異分野の専門家が連携して何かを創り出していった経験は、 MOT(management of technology)を担う技術経営戦略学専攻という新たな専攻を東京大学大学院工学研究科に立ち上げるお手伝いをした際にも活かされました。この新専攻で私は「イノベーション・マネジメント」という授業を託されましたが、この科目は、様々な得意技をもった人々が神輿を担ぐようにして現代のイノベーションが進んでいくことを理解し実践できるようになることが主眼になっています。武蔵工業大学が提供してくれた一年間の英国研修で知己を得たインペリアル・カレッジ・ロンドンのデビット・ギャン教授(のちに同副学長、さらに後にオックスフォード大学副学長)など多くの国内外の先達に示唆・助言をいただきながら、2016年には 、「イノベーション・マネジメント」 [書影]を出版することができました。

※3 独自の目的を期限までに達成していく一連の活動及びプロセスが、適切に動いていくように、種々の対策を施し、価値創造に導いていくこと。

※4 何らかの新たな取り組み・率先により、何らかの、精神的・身体的・経済的な豊かさや潤い、または、人や社会に役立つこと、あるいは、しあわせを創造・増進し、現状を刷新するような社会的な変革が生み出されるように、組織・プロセスを動かしていくこと。

イノベーション・マネジメントの 視点から見た 日本のものづくり産業

――どう活かす?日本の得意技

 かつてナンバーワンとも言われた日本のものづくり企業の多くは、情報技術を駆使して世界規模でサービス・コトを提供し巨万の富を築いている企業に、部品を提供することで売り上げをあげる立場になってしまっています。こうした状況が進んでしまった一因は、創造性の低下や、本質を見抜く力、言い方を変えると洞察力の欠如にあると私は考えています。
それは、日本語にはイノベーションという言葉がなかったため、技術革新と混同されるなど、必ずしもイノベーションが適切に理解されてこなかったこととも無縁ではありません。イノベーションは必ずしも技術革新を伴うものとは限りません。例えば、世界の多くのイノベーションの教科書で紹介されている「ウォークマン」。技術的には殆ど新しいものはあり ませんでした。しかし《音楽を持ち歩く》という新しい意味を創り出したのです。
iPhoneなどスマートフォンの部品の多くは日本製ですが、その新規性は単なる携帯電話ではなく、そこに《サービス端末》という新たな意味を与えたことにあります。
ウォークマン開発を主導した盛田昭夫さんも、iPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズさんも、人間にとっての新たな 《意味を作り》出すことという側面で創造力を発揮したわけで、人工物が人間にもたらす体験の本質を洞察する力がその創造力の基盤にあると考えられます。
これまでの日本の企業、特に製造業の縦割りの事業部制は、既存の人工物を改良、改善していく点では優れていました。 しかし、人にとっての新たな体験、新たな意味を提供する、まったく新しい種類の人工物を創出するためには、不向きの組織構造になってしまっています。
世界は今、GAFAと呼ばれる巨大IT企業が提供するモノ・コトと全く無縁で生活や業務ができなくなっているほどになっています。コロナ禍がもたらしたき方、教育についての大きな変化も、巨大 IT産業には追い風であったと後世の歴史家は評するでしょう。
私は、いまを席巻するこうした企業の本質は、《システムのシステムを構築する》ことにあると思っています。20世紀の日本企業のようにすべてを自前で行おうとするのではなく、Apple Storeに様々な企業が開発販売するアプリが「展示」されていることが象徴するように、何層にも分かれたシステム階層の基盤層、言い換えれば、さまざまなシステムを束ねる システムだけを自ら握るという戦略を組み立てています。
一昨年からは、こうした巨大なシステムの各層に、生成AIが適用されるようになり、教育を含むさまざまな分野で、人々にとっての新たな体験、新たな意味を怒濤のように生み出し始めています。
このように、強大化しつつある枠組みのなかで、少なくとも当面は私たちはこれからの産業のあり方、人材育成を構想せざるをえないと思います。ただ、将来は、この国から、新世代の「システムのシステム」の構築者、担い手が生まれていくよう、私たち大学の教育者は知恵を絞り実行していかねばならないと思っています。

専門性プラスデザイン・ シンキング

――神輿が担げ、二枚腰の人材を育成したい

●デザイン・シンキングのためのプログラム とPBLのさらなる充実を

 このような状況の中で、大学を卒業した後、「人生100年時代」をどう生きて行くのか。そのために必要な能力・スキルとは何か。かつて日本企業がもっていた社内での能力構築が縮退しているなかで、大学は一歩前に出ていかないといけません。
そこで、本学は、工学教育の良き伝統は守りながらも、本質を見抜く力を育成しようとしています。カメラのついた携帯を見たら、「もはやこれは携帯ではなく サービス端末になりうるのだ」と見抜けるような洞察力を、です。
そのためには、座学に加えて課題解決型学習(PBL)の重要性がますます高まってきます。本学では、「ひらめき・こと・もの・くらし・ひと」づくりプログラム等、創造力を育むための授業、言い換えれば、デザイン・シンキングをトレーニングするプログラムが既に始まっていますが、今後それらをさらに本格化していきます。これらの取り組みは、未知の状況で出会った課題に対する解決策を組み上げていく力を育むだけでなく、異分野、異なる学科の仲間と取り組むことが大きな助けになるという体験知も生み出すことになり、こうして育まれた力や知は、将来どこかで、必ず生きてくるはずです。
ちなみに、一人の天才、発明家による業績が歴史を大きく動かすイノベーションは、これからもおきえるでしょう。ただ、イノベーションのやり方の主流は、様々な人が集まり、各自が得意技を出し合いながら生み出していく、いわば《みんなで神輿を担ぐ》ような流儀になっていくであろうと、最新のイノベーション・マネジメント研究では認識されるようになっています。試作されたプロトタイプについて、多様な人々が参画するフォーメーションを作り、みんなで「試作⇨評価⇨ 造り変える」のプロセスを繰り返す、その際、ユーザーと作り手が協働することが必要ならユーザーも巻き込んでいく、といった具合です。こうしたプロセスは、まさにサステナブル建築を開発していく際にも必要なものでした。仲間とのPBL、異分野のメンバーとの協働を通じたデザイン・シンキングの修練は、神輿の担ぎ手に なるための絶好のトレーニングになると思います。

「ひらめき・こと・もの・くらし・ひと」づくりプログラム 授業の様子
●伝統の専門教育をさらに磨きつつ、教養教育も充実させたい

 もちろん専門性を育む教育の質保証はこれまで以上に重視していきたいと考えています。レートスペシャリゼーション傾向にあるように見える大規模大学とは異なり、入学直後から専門性の育成に取り組むことで、“手が動く”、基礎的な能力のある技術者を育てるという、武蔵工業大学時代から積み上げてきた産業界からの信頼をさらに強固にしていきたい。新進企業が興味を示さないニッチな分野で、日本が優位性を保ちながらイノベーションを進めていける余地はまだたくさん残されています。本学では、他大学では看板をおろしてしまったり、担当教員が殆どいなくなっている分野の先生方が力強く活躍されています。例えば、理工学部原子力安全工学科や理工学部電気電子通信工学科の強電分野、あるいは水素エネルギーの利用に関する教育研究については、日本全体を見渡しても私たちは貴重な担い手となりつつあります。これらの技術は、なくてはならぬ技術ですので、様々な挑戦をしつつ技術継承の責務を果たしていきたいと思います。
リベラルアーツ教育も充実させていきたいです。変化の激しい時代を生き抜くには、大学で学んだことだけでなく、《自学自考》、自分で学び、自分で考えつつ、継続的に能力構築していかねばなりません。その基盤となるのがリベラルアーツ教育です。哲学でもいいし、農業、歴史でもいい、専門以外に興味のある分野を見つけ、専門とは違ったアングルでものご とを考えられるようになることはとても大事です。ただ、中規模大学としては、用意できる教科数は大規模大学のように豊富ではないかもしれません。こうした問題意識を共有できる仲間の大学と連携することで、多種多様な科目を用意し、学生 諸君の多様な知的好奇心に応えていきたいです。こうした観点からは、教育コンテンツのデジタル化が進んでいることも追い風です。
創立100周年を迎える2029年以降、私たち大学のあり方とはどのようなものであるべきか。日本の大学というものの本質を見極め、未来の大学のあり方を洞察し、そのために必要な施策を考え実行に移していきたいと思っています。

高校生へのメッセージ

――専門プラスアルファで、先の見えない未来を切り拓く

 本学だけではなく、大学はみな、それぞれの専門領域で、4年間あるいは6年間でどのような能力を身につけていけるかを示しています。ただ、変化・変革の激しい時代には、大学で身につけた能力だけでその後の人生を乗り切っていくのは難しいでしょう。そこで大学で学んだことが陳腐化してしまったとしても、前例のない課題に対処できる能力を生涯に わたって構築していける素養を育成していきたい、本学はそういう思いで教育に取り組んでいます。言い換えれば、《二枚腰》の人材となれるようお手伝いしたいのです。私たちは、皆さんの大学生活が、専攻を縦糸に、自学自考能力を横糸にして、自らの力を磨く機会になるよう努めています。 専門課程の内容に加えて、貴兄貴女にとっての横糸を編み込める可能性も大学選びの観点に加えてみては如何でしょうか。

コラム

リカレントプログラムで、社会人を応援

 社会人を対象に、東京都市大学が得意とする応用的なデジタル・グリーン分野の知識と技術を修得する「東京都市大学リカレントプログラム」を開講。オンデマンドと対面授業を組み合わせた学習を提供。対面での授業は、渋谷サテライトクラスなどで開講される。マイクロクレデンシャル制度をベースに、オープンバッジ(デジタル証明)も発行。

社会人向けのリカレントプログラムを開講

平和な世界を構築するために

――見えない暴力に気づくことから始めよう

ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルとハマスとの紛争など、平和を揺るがすニュースに日々接する中で平和学や平和構築※に注目が集まっています。凄惨な暴力を経験した人々は、どのようにして平和を取り戻せるでしょうか。紛争を再燃させないためには何が必要でしょうか。冷戦後に多発した内戦後の平和構築について、フィールドワークに基づく研究で成果を上げてこられたクロス京子先生に、私たちにできることについてアドバイスをいただくとともに、所属する国際関係学部の学びについてもお聞きしました。

※平和学は、国家間の戦争だけでなく、国家以外の集団間で起きる暴力の発生原因や平和を阻害する要因を分析し、平和の諸条件を分析する学問。
 平和構築は、平和学から発生した概念で、紛争後の復興や再建という意味で1990年代以降、国連の政策用語として広く知られるようになった。

京都産業大学国際関係学部教授 クロス 京子先生

クロス 京子先生 ~Profile~
1971年兵庫県西脇市生まれ。京都外国語大学外国語学部英米学科卒業。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程修了。修士(国際公共政策)。神戸大学大学院法研究科博士課程後期課程修了。博士(政治学)。現在、京都産業大学国際関係学部教授。兵庫県立西脇高等学校出身。

平和学、平和構築との出会い

 私が平和学や平和構築に関心を持ったのは、冷戦が崩壊し、世界中で内戦が勃発していた時期でした。アパルトヘイトという人種隔離政策が撤廃された南アフリカでは、ネルソン・マンデラが大統領に就任した後、白人による黒人差別など過去の不正義をどのように克服するかという重要な課題に直面していました。このとき設置されたのが、「真実和解委員会」でした。この委員会による問題解決は、刑事裁判による処罰でも、誰も罪に問われない恩赦でもない、真実を知ることによって共存の道を探る「第三の道」と評されます。被害者やその家族、加害者などからの聴取を行い、アパルトヘイト下でどのような暴力が誰によって行われたのか、真実の解明を行うとともに、メディアを通じて広く社会全体で事実関係を共有しました。また、公聴会と呼ばれる公開の聞き取り会では、被害者が自分の辛い経験を語り、加害者がそれを傾聴して謝罪するなど、被害者と加害者間の和解のシーンを広く国民が目にし、新生南アフリカの国民を勇気づけることになりました。
 このような紛争解決方法があることを知った私は、紛争を経験した社会がどのように痛ましい過去を克服していくのかを研究するために、シエラレオネやリベリアなどのアフリカ諸国、東ティモールやフィリピンなどの東南アジアの紛争地に赴き、紛争後社会の平和構築の実態をつぶさに研究してきました。あわせて紛争下における女性に対する性暴力や、それらが女性や社会全体に与える影響についても研究してきました。

移行期正義って?

 幅広い活動を含む平和構築の中で、特に私が力を入れて研究してきたのが「移行期正義」(transitional justice)です。南アフリカの真実和解委員会の活動もその一例ですが、紛争後の社会における正義のあり方を意味します。過去の暴力や犯罪に対しては真相究明と責任追及を行い、将来の紛争防止のために制度改革を行う、過去と未来に働きかけるプロセスです。以下の4つが主なもので、紛争の過程や、その規模、原因など、個別の状況に応じて組み合わせることでよりよい道筋を探ります。
① 真実委員会などによる真相究明
② 刑事裁判による責任の所在解明と処罰
③ 警察や軍隊、憲法など国の仕組みを より民主的なものへと改革
④ 補償・賠償(金銭的補償に限らず、博物館や石碑のような過去を忘れないためのシンボル設立も含まれる

遠い世界での紛争を身近に感じるためのトレーニングを

 私が授業やゼミで暴力の構造を説明するときに使うのが、ヨハン・ガルトゥング※の暴力の三角モデルです。紛争に限らず、人々は目に見える「直接的暴力」に目を奪われますが、それは暴力の一部に過ぎず、その水面下には「構造的暴力」と「文化的暴力」と呼ぶ二つの暴力が潜んでいるとする考え方を表わしたものです。
 構造的暴力とは、社会や政治、経済システムの中に組み込まれた差別や不平等を生み出す構造を指し、直接的暴力ではない形で間接的に生命や人生・自己実現の機会を奪う要因とされます。一方、文化的暴力は、直接的暴力や構造的暴力の存在を正当化する偏見や差別的な考え方とされます。
 身近な問題に例えると、「男性はこうあるべきだ」や、「女性はこうあるべきだ」という性別役割分業や家父長的な考え方(文化的暴力)は、女性の経済的自律を阻み男性に依存させるような社会システム(構造的暴力)を正当化し、また女性を劣った存在として従順でない女性への暴力(直接的暴力)を生み出すと考えられます。この考え方に基づけば、障がい者やLGBT、さらには外国人に対する偏見や差別構造など、目には見えない文化的暴力や構造的暴力が存在し、直接的な暴力となって現れる危険性に気づくことができます。こうした日本社会にある身近な問題をこの暴力の三角構造から捉えてみることで、自分たちの周
りには「紛争の種」が転がっていることに気づき、世界の紛争との距離を縮めるトレーニングができます。

※Johan Vincent Galtung:1930年~2024年。ノルウェーの社会学者・数学者、平和学の父と呼ばれた。

高校生へのメッセージ

 平和構築や紛争解決などに興味のある人は、できるだけ広い視野を持つために本や新聞など多様な情報源に当たり、多様な立場を理解する力、理解しようとする態度を養ってほしいと思います。例えば、特定の国の人たちに対する偏見はないでしょうか。一つの情報から判断することなく、どの国にも多様な人々がいてそれぞれの生活があることに気づいてほしいと思います。
 ウクライナ紛争やパレスチナ問題など、目を覆いたくなるような暴力に対し、自分たちに何ができるのかと質問を受けることがよくあります。直接的な支援ではありませんが、日本に住む私たちができることとして、政治に関心を持ち行動することを勧めています。日本政府は世界平和のために何をしているのか。ウクライナ問題や中東の紛争に、日本の政治や経済はどのように関わっているのかなどに関心を持ち、投票行動を通じて自分の意志や意
見を表明するのです。これが、遠く離れた紛争地に対して今すぐ私たちができることです。


大学での研究や高校の探究学習について一言

国際関係学に限らず、明確な答えのない社会科学分野では、学部生レベルでも難しい課題が少なくありません。そんな時は「Why?」ではなく「How?」と問いを変えてみてはどうでしょうか。過程を問う問いに変えることでハードルはずいぶん下がると思います。


コラム

1年次から専門を英語で学べる

国際関係学部の学びと2025年度からのカリキュラム改革

 国際関係学は、政治・経済、法、社会、文化や歴史など、多角的なアプローチが必要な学際的な学問です。グローバルな課題は様々な要素が複雑に絡み合っています。国際関係学では、その複雑な要素を解きほぐしながら、同時に得られた知見を結びつけ、課題の全体像を理解しようとします。
 私たちの学部では、1年次に国際関係学の基礎を広く学び、全員が「海外フィールド・リサーチ」という3週間の海外での現地調査を行います。そこで得た現場感覚をもとに、2年次から「政治」「経済」「共生」の3つのコースに分かれ専門性を高めます。コースに分かれても所属コース以外の講義科目を一定数履修しますので、専門分野を絞りつつ同時に多角的な視点を鍛えることができます。
 2025年度からは一部カリキュラムを改編します。1年次と2年次の学部必修の英語を国際関係英語とし、専門の基礎的概念や理論だけでなく、データ分析、ディベート、プレゼンテーションなどの実践的なスキルも全て英語で習得しかつ発信できるようにします。集大成として、3年次ではグローバルな課題に対する解決策を考察し、英語でのプレゼンテーション・ディベート大会を行います。

よくわかる一神教

雑賀恵子の書評

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる (佐藤 賢一 集英社文庫、2024年)

雑賀 恵子
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身

 宇宙人はいるだろうか? 生命が存在するのに必要な条件やら、星の環境やら、宇宙にはどのくらいの星があるかの推定から、ともかく、宇宙人がいるかどうかということについて客観的に考えて、検討することはできる。では、神はいるだろうか? これは、検討することができない。なぜなら、神とか魂というのは物質ではないので、想像することはできても、客観的に、つまり万人に共通する言葉で検討することはできないからだ。科学的に神がいるともいないとも検証できないから、科学は対象として神を扱わない。神がいるかどうか、というのは、その人が信じるか、信じないかだけなのだ。
 だから、信仰については、害がなければ人それぞれでいいではないかというものだろうが、宗教というのはそう一筋縄にはいかない。人間社会の歴史を振り返ってみても、宗教対立によって戦争まで引き起こされているし、現在でも宗教を理由とした差別や排斥、紛争もある。民族というのは定義が難しいが、分類指標のひとつに宗教が挙げられたり、宗教がその集団のものの考え方や習慣、文化と呼ばれるものの根底をなすこともある。したがって、他文化や歴史、現在の世界で起こっているさまざまな事柄を理解する上で、宗教の知識はあったほうがいい、というより持っておくべきだ。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、すべて同じ唯一神を信仰している。にもかかわらず、全く相容れないものとして対立し、ときには戦争の理由のひとつにまでなってきた。現在のロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナ問題を深く理解するためにも、これら同根の一神教をわかりやすく解説しよう、として書かれたのが本書だ。
 古代のユダヤ教の誕生から、キリスト教の成立、イスラム教の誕生までの歴史を綴ったのが第一部。地理的・歴史的に明快に説明されているので、学校の世界史の補強にもなる。ユダヤ教はなぜ世界宗教にならなかったのか。そこから発生したキリスト教が、世界各地に広まっていき、むしろ欧米の宗教というイメージになったのはなぜか。現在のイスラエルが、イスラエルという地にこだわるのはなぜか、ということなどがすらっと理解できるだろう。
 続く第二部が中世、そして第三部で近代・現代と分けられて、一神教が時間軸に沿って世界史の観点から解き明かされる。教義のややこしい解説はないから、たとえば、キリスト教がイスラム教を排斥するだけではなく、その内部においてもなぜ異端と正系を巡って激しい対立があるのか、などということがむしろはっきりするのではないだろうか。
 著者は、東北大学大学院博士課程まで仏文研究をした知識を活かし、中世/近世のヨーロッパを舞台とした歴史物を中心に数多く書いている小説家。手慣れた文章で、タイトル通り、ほとんど知識のないものにも実によくわかるように書かれている。ただ、わかりやすいだけに逆に、宗教というものの本質に迫るにはほど遠いし、本書の任ではない。世界史や現代の出来事をもっと理解しようとしていく人には、手に取りやすく良き入り口になるに違いない。

高等学校「探究」の現場から その3

高校における「研究倫理」指導

秋田県立秋田高校 教諭博士( 生命科学) 遠藤 金吾さん

遠藤 金吾さん ~Profile~
東北大学農学部卒業。東北大学大学院生命科学研究科博士課程前期・後期修了 博士(生命科学)取得。東北大学加齢医学研究所科学技術振興研究員を経て、2008年より、秋田県の博士号教員。2016年より、現任校(秋田県立秋田高等学 校)に勤務。専門は「DNA修復と突然変異生成機構」。埼玉県立川越高等学校出身。

研究の世界では「研究不正」が起こることがあり、ニュースとして一般にも報道されることもあります。「研究不正」を起こさないために、全国の大学では研究倫理に関する教育が行われています。昨今の高校では、大学で言うところの「研究」に相当する「探究活動」が盛んに行われています。では、高校における「研究倫理教育」はどのように行われているのでしょうか。筆者の実践を交えながら紹介します。

高校「理数科」における「探究」

 筆者の勤務校には「理数科」という学科が設置されています。「科学的、数学的な能力を高め、思考力をもつ人材を育成すること、探究的な活動を通して、専門的な知識や表現力等の育成を行い、医師や研究者、技術者など、専門的な知識・技能を生かして社会に貢献できる人材を育成すること」を設置目的とした学科です(第七次秋田県高等学校総合整備
計画)。原則として「理数探究」を全生徒に履修させるものとされており、筆者の勤務校でも2年次に設定されています。高校で実施する教育活動の内容は「学習指導要領」に細かく定められており、「理数探究」「理数探究基礎」については文部科学省から平成30年に学習指導要領が告示されています。
 「理数探究」を含む「理数」の学習指導要領解説は実に50ページ以上にわたりますが、「理数探究」で実施する内容を抜粋すると次の通りです。
・ 個人又はグループで課題を設定して主体的に探究を行い、その成果などをまとめて発表させる。
・ 課題は数学や理科などに関するものを中心に設定させ、探究の手法としては数学又は理科に基づくことが必要である。
・ 中間発表を行うなど、途中段階での進捗を確認しながら粘り強く取り組ませることが重要である。さらに、探究した成果やその過程を報告書等にまとめさせることが求められる。
 そして、学習指導要領解説の中では、「内容の取扱いに当たっての配慮事項」として次のような記載があります。


高校生として配慮する研究倫理として、次のようなものが考えられる。
・ 探究の過程における不正な行為
・ 探究の過程における人権侵害


探究の過程における不正な行為について

 学習指導要領解説には、「研究活動における不正行為とは、データや研究結果などの『ねつ造』、『改ざん』、『盗用』などがある」と記載されています。
問題①:やり忘れた実験結果を、他の実験区のデータをもとに予想される値を算出し、結果の表に追記した。
問題②:顕微鏡写真を撮影したところ、ゴミのようなものが見えたので、見栄えを良くするために背景部分をコピペして消去した。
問題③:自分の研究と似た研究成果をインターネット上で発見し、発表会のスライドに、出典を明示した上で写真1 枚と文章を 1 文貼り付けた。
問題④:実験結果にばらつきがあったので、明らかにおかしそうだと思った数値を除外して平均値を算出した。
 これらは勤務校の「研究倫理セミナー」の中で出題したクイズです。読者の皆さんも考えてみて下さい。このようなクイズに答えながら、「どこまでは是でどこからが非か」ということを生徒たちは学んでいきます。なかなか難しいのは問題④で、「外れ値は自分
の感性に従って除去して良い」と考えてしまう生徒が意外と多いものです。科学的に判断するためには統計的な知識も必要になります。学習指導要領には「観察、実験、調査等の手法や統計処理の方法などを含んだ探究を遂行する上で必要な知識及び技能を身に付けさせる」とも示されていて、勤務校では「統計処理講座」も実施しています。
 学習指導要領解説は次のようにも述べています。


これら(不正行為)を防ぐため、探究の過程において適宜研究倫理について意識させる場面を設け、信頼できる探究になっているかどうかを確認させることや、探究の過程においてできる限り記録を取り再現性や信頼性を確保させることなどが重要である。


 大人の研究業界で「研究不正」が起きた際に、真偽を判断する情報源となるのは「研究ノート」です。全国の大学の研究室で「不正を疑われないための記録(ノート作成)」の作法についてはみっちりと学生に対して指導が行われています。研究ノートは、後から研究の過程を振り返ることができる「研究者の日記」であると同時に、不正行為を疑われないようにするための「証明書」でもあり、とても重要です。研究室ごとに流儀は多少違いますが、
・付け足しも削除もしていない新品のノートを用意(ルーズリーフ不可)。
・ 消しゴムで消せないようにペンで記載。
・ 修正液は元の記述がわからなくなるから使用不可。
・書き損じのときは、元の記述がわかるように二重線で修正。
・グラフや写真は糊で貼る。セロハンテープは剥がせるので使用不可。
ということを、大学で卒業研究を経験した方は指導教員から教え込まれたのではないでしょうか。高校の探究でも同じことを指導しています。

探究の過程における人権侵害・その他について

 学習指導要領解説には、「個人情報の不適切な扱い等による人権侵害が起こらないよう十分な配慮が必要である」と記載されています。
 では、ここで再びクイズです。
問題⑤:自作の石鹸をクラスの友達に試してもらったが、身近な材料を使ったので危険性は無いと思い、材料や危険性に関しては特に説明しなかった。
問題⑥:誕生月と100m走の記録との関係を調べるために、アンケート調査を行った。氏名・誕生月・100m走の記録欄だけを記したアンケートフォームをweb上に設置した。
 問題⑤は、安全上の問題に関する説明責任を果たしていません。問題⑥とも関わってくることですが、ヒトを対象とした研究は、被験者に対して十分な説明が求められます。昨今、GIGAスクール構想による1人1台端末の配備と校内のネットワークの整備により、webツールを用いてアンケートを配布し、集計することが簡単にできる時代になりました。高校生は安易に「〇〇に関する意識調査」というような研究を実施しがちです。読者の中で、大学の研究者としてアンケート調査を行ったことがある方、高校の先生で大学からのアンケート調査を請け負ったことがある方は、依頼文書はどうあるべきかということをご存じかと思います。
・ 目的や方法など、どんな研究に用いる内容なのか。
・ 参加者には利益や不利益があるのか。
・ 謝礼はあるのか。
・調査結果をどのように利用するのか。学術研究目的で発表に使う可能性があるのか。その場合、成果の権利はどこに帰属するのか。
・ 得た情報は、どのように管理するのか。
・ 学内の倫理委員会(高校の場合は「理数科」「探究活動委員会」などの教職員組織)の審査を経ているか。
・ 研究の責任者は誰なのか。
 これらのことを、事前に被験者に示し、同意を得ることが研究業界では求められますが、冒頭の学習指導要領解説の記述はこのことを示しています。
 動物実験に関する配慮も学習指導要領は示しています。一般財団法人公正研究推進協会「中等教育における研究倫理:基礎編」という教材では、「動物実験の3Rの原則」として、
①できるだけ脊椎動物を使わず、昆虫や微生物で代替(Replace)。
②用いる個体の数を減らす(Reduce)。
③与える痛みや苦痛を最小限に抑える(Refine)。
が掲載されています。生命科学系の大学では必ず指導する内容ですが、同じことを高校でも指導しています。ヒトや動物を対象とした実験に関する倫理規定は、海外の高校生のコンテスト、例えば「ISEF(アイセフ:International Science and Engineering Fair)」では非常に厳しく定められていますが、日本国内の高校の現場にはまだまだ浸透しきっていないというのが現実です。

最後に

 ここまで、「理数科」で実施している研究倫理教育を紹介してきました。大学の先生方は、「今の高校ではここまで指導しているのか」と驚かれたのではないでしょうか。では、「普通科」はどうでしょうか。現在、全国の普通科高校では必修科目として「総合的な探究の時間」が実施されています。現在の「総合的な探究の時間」の学習指導要領には研究倫理に関する記述はありません。しかし、筆者の勤務校では「どんな分野の研究でも大切なこと」「普通科の生徒も、大学で卒業研究に取り組むときのために」ということで普通科においても研究倫理教育を実施しています。本稿を読んでいただいた高校の先生方の参考になればと思います。

※本稿の実践内容の詳細は、筆者が共同執筆した「学校教育の未来を切り拓く 探究学習のすべて:PC×Rサイクルによる指導原理と評価法」(環境探究学研究会(著)・合同出版)に掲載しています。

次号予告 生成AIの登場と大学・高校の英語教育

対談

滋賀県立伊吹高校英語科教諭南部 久貴
VS 京都大学准教授金丸 敏幸

2022年11月末にChatGPTが公開されてから、すでに1年半が過ぎた。この間にも生成AIが提供するサービスは、今年5月に新バージョン・GPT-4omniが公開されるなど、機能性・精度面で向上し続けている。やがてくるであろうAI時代に備えて、教育現場での対応は待ったなしだが、現状は手探りで知見を積み重ねている状況だ。
言語を出力する生成AIは、特に英語教育と親和性が高い。英語教育の方法を根本的に変革させるだけでなく、英語教育の意義をも変えてしまうほどの可能性を秘めている。
 金丸先生は、京都大学の全学英語カリキュラムの改定・実施に携わってこられた。一方の南部先生は、育休中に生成AIと出会い衝撃を受け、その後の実践を昨年「ChatGPT×教師の仕事」(明治図書)として出版した。教育現場で蓄積されたAI活用のノウハウや、また言語を出力するAIの実際の挙動をも踏まえ、英語教育の方法論、さらにはその意義、果ては日本の新たな国際化に至るまで、生成AIと高校・大学の英語教育について様々な観点から語り尽くす。

これまでの大学とは違うけど、キラリと光る大学 第1回

iU情報経営イノベーション専門職大学

大学の新しい形を求めて

――グローバルコミュニケーション×ビジネス×ICTの学びの3本柱で、
グローバルにイノベーションを起こせる人材を育てる

在学中は、全員に起業のチャンスが
1期生卒業記念特別対談 於:墨田キャンパス
情報経営イノベーション学部 阿部川 久広 学部長 VS 安河内 哲也 客員教授

2019年、日本の大学の新しい形をと55年ぶりに新設された専門職大学。専門学校、大学それぞれの長所を取り入れ、日本の大学改革に一石を投じるのが目的だ。2020年に開設されたiU情報経営イノベーション専門職大学もその一つ。2024年春には「変化を楽しみ、自ら学び、革新を創造する」の教育理念の下、未来を先取りしたカリキュラムと教育で、一期生142名を社会へ送り出した。アップル、ディズニーに勤め、CNNキャスターでもあった阿部川先生と、新しい形の大学に大きな期待を寄せ、開学当初年から客員教授を務める大学受験界のカリスマ英語講師安河内先生のお二人に、教育とiUの未来について語っていただいた。

大学英語教育を刷新

ともに英語教育をご担当のお二人の会話は、いきなり生成AIと英語教育の話題から始まった。

安河内:英語教育は今、生成AIの出現により大きく変わろうとしている。その影響を最も受けそうなのが大学英語教育だ。ここで私は、「AI時代に備えて、言語の学び方を変えよう。特にiUの学生は、起業してビジネスを成功させることが目標であって、就職のためにマークシートテストで点数を上げる必要はないのだから、AIをフル活用する方法を学ぼう」と。
阿部川:人間の代わりができるようにと開発されてきたコンピュータが、生成AIを搭載することで能力が極限まで高まりつつある。英語なら単語や文法だけでなく構文でも、膨大な情報を収集、分析して標準的な解釈や使い方を提案してくれる。人間に求められるのはアウトプットやコミュニケーション分野の教育
に絞られてくる。
安河内:コミュニケーションで言えば、エモーションに訴えかけて相手の心をつかむ会話力育成などはその一つ。日本は今、人口が急激に減っている。起業家がインドやアフリカ、東南アジアなど人口が増加傾向にある市場に打って出ることを視野に、彼らの心をつかむ英語コミュニケーション力を鍛えてもらっている。
阿部川:私も英語を勉強するというよりツールにして、グローバルビジネスに求められる力を身に付けてもらえるように講義を工夫している。1、2年生ではビジネスプランやその改善策のピッチ、3年生ではディベート、というかより良いアイデアを出すためのディスカッションを、そして4年生ではプレゼンテー
ションやネゴシエーションをといった具合だ。ブレインストーミングなどは英語の方がやりやすいし、そのまま世界中で使える。
安河内:拝見していると、私が研修を担当している、あるグローバル企業の研修とすごくよく似ています。そこではある国への進出に先立って現地企業相手のビジネスプランのピッチを、社員全員が1年ぐらいかけてやる。
阿部川:こういう機会を提供するのが、大学の英語教育の基本的なスタンスであるべきではないかと思っている。
安河内:もちろん、アウトプットに必要なインプットは、最低限中学、できれば高校の範囲までしっかりとやる。
阿部川:「中学校英語くらいしかできないし喋れない」と言ってくる学生には、それで十分だと言っている(笑)。
安河内:確かに生成AIを使えば後はなんとかなる。難関大学の入試問題や各種の資格試験を解かせると、人間よりもはるかによくできる。これまで理系人材にしか操作できなかったAIが自然言語で動かせるまでに進化してきた今、語学教育を含め、教育は変わらなければならない。怖がるより使ったほうがいいし、上手に効率よく使う術を学ぶ方がいいと思っている。
阿部川: 「答は何ですか?」ではなく、「どうやったら答えが出そうかな」を学ぶのですね。もちろんそのためにはある程度の知識は要る。
安河内:他の教科でも、中学生ぐらいまでは知識を吸収し基礎力を固める従来型の教育は重要だ。高校生ぐらいになったら積極的に生成AIを活用してみたらいいと思う。

大学発ベンチャー増加率2年連続日本一
起業はもちろん、就職にも強く実績は97.5%

「全員起業」「就職率0%」、「失敗大学」などユニークなキャッチフレーズやネーミングを掲げるiUだが、一期生の出口としては有名企業も多かった。

阿部川:一期生で就職せずに起業したのは全体の10%。他大学はどこでも1%未満という数字だから、iUはとても高い。経産省の2023年度の大学発ベンチャー実態調査で、iUは起業率1位、起業増加率1位、起業数も全国6位。中でも増加率は2年連続1位だった【下表】。

安河内:起業には、在学中や卒業直後にするものだけでなく、何年か働いて組織のあり方や動かし方を学んでからというパターンもある。
阿部川:私自身は38歳で、様々な経験をして自信をつけてから起業した。
安河内:成功している起業家にも官僚やビジネスマン経験者は多い。学生時代に起業の仕方を覚えておけば、就職しても普通のサラリーマンにはならない。反対にこのことが高い就職実績につながっているのかもしれない。
心配したインターンも、軽々とクリア
阿部川:就職した学生の就職先のうち、多くが連携企業や実習先企業だった。産業界との連携を重視する専門職大学は、20単位以上を、本学でインターンと呼ぶ企業等での長期実習(臨地実務実習)や、「イノベーションプロジェクト」と呼ばれる演習、実習形式の授業が占める。一般的に就活を始める3年次に配当されていて、考えようによっては不安がないわけではなかった。しかし起業を目指している学生は企業からの評価も高くなる。
安河内:入社後に経営サイドにいろいろな提案もできる。伝統的な日本企業ではあまり好まれないようだが、世界的にはこういう新入社員が尊ばれる。
阿部川:日本企業で合わなければ外資に行けばいい。
安河内:転職サイトを活用してスキルアップもできる。

起業サポート体制が充実

阿部川:花形授業である『イノベーションプロジェクト』に加え、課外では、起業の仕方とベンチャーマインドを、セッション、実践、メンタリングを通じて学べる『アクセラレーションプログラム』がある。また資金面でのサポートでは、iU生のためのベンチャーキャピタルi株式会社と、iU生を含むZ世代のスタートアップ起業家のための合同会社iU Z investmentの2社がある。上記3つがすべて揃っているのは、国内の大学では唯一ではないか。

《好きを学んで卒業できる大学》に
さらに近づけたい

2025年度から新たなカリキュラム改革が始まる?

阿部川:まずは一方的な知識伝達型の授業を、最低限必要なものに絞り、他は学生が自由に選べたり、教員からアドバイスをもらえるラボ制度にしたり、またVODなどで講義が受けられるように将来はしたい。安河内先生のような客員が1100名以上、また研究機構のBlab※では1200名の研究員がおられるから、その中から教材作成に協力してくださる方を募る。
安河内:はい、喜んで。
阿部川:そして教室では、討論や英語でプレゼンするなど、集団ならではの授業に注力したい。また起業には、今の段階ではAIに頼るより、プロジェクトベースで仲間と一緒に議論するほうがずっと良い。せっかくキャンパスがあり仲間がいるんだから。
 もう一つは、各教員が専門性や得意分野を活かしたテーマを中心に据えた《コース》を作って、好きなことを一生懸命追求することが卒業につながるようにしたい。第一弾がeスポーツ。4月には学生が教員と一緒にiU eスポーツ株式会社を起業し、eスポーツルームもオープンした【下写真】。

プレイヤー、コーチ、配信、大会運営など、eスポーツのあらゆる分野でのビジネス展開を目指す。それも先行する海外を視野に入れて。
安河内:スマホでゲームを消費して課金される側ではなく、パソコンを使って課金する側に回ると。
阿部川:はい。こういうのがおそらく、あと20くらいいろんな分野からでてくる。例えばオタク学とか失敗学とか、初音ミクなどのボーカロイドについてとか。僕がやろうとしているのはグローバルマネージメント、グローバルマーケティング、そして企業戦略とアートです。

※大学・研究所、企業、行政、地域、個人を巻き込んだオープンな参加型研究プラットフォ―ム

失敗を恐れない

最後にお二人から、iUを目指す高校生にメッセ―ジをいただきました。

阿部川:やりたいことが決まっている人にはとても楽しいところです。もちろんやりたいことが決まってない人も、いろんなタレントを持った仲間と一緒にワイワイ話しているうちに、「自分もこれなら」と、起業家マインドが目覚めるかもしれない。
安河内:客観的に見てすごくいいところは、時代に合った教育が受けられ、時代の先を見ている仲間と一緒に学べること。そのうえビジネスも一緒にできる。ゲーマーやプログラミングのできる人間と、ピッチがうまい人間が組めば最強のチームになる。
 一方で、高校時代から、何事も先生任せの人にはつらいかもしれない。
阿部川:朝来て、さあ、今日何が起こるのかと待っていても何も起こらないから。
安河内:確かに大学の高校化が進んでそういう子も多いかもしれない。
阿部川:どんどん画一化もしている。
安河内:何事も失敗しないようにと、自分でなかなか決められない。これではイノベーションは起こりにくい。
阿部川:私は、新入生で失敗を怖がる子には、《ここは失敗大学》でもあるから、恐れずやってみればいいと言っている。
安河内:今は起業のハードルが下がっていますからね。それに大学発ベンチャーは制度的にリスクが少ない。
阿部川:やってみてダメなら止めればいい。そういう経験は大学時代にするのがいい。僕らの時代にこういう大学があったらと思いますよ。
安河内:こんな風潮の一方で、通信制高校へ進学する生徒が増えている。学校で同じことを学び、一律に偏差値ランキングで進路を決められることに疑問を持つ、あるいは既存のレールに乗って大学へ進学して30年後は大丈夫かと考える若者だ。
阿部川:iUにもそういう子がたくさん入ってほしい。
安河内:大学も高校も変わらなければならない節目が訪れているのかもしれない。

特別コラム 安河内先生から受験生への提案

AIを使って今までの3倍のタイパで突破しよう!

生成AI時代を生きる今の受験生のみなさんへ、私からの大胆な提案です。
 今後、生成AIが学習のあり方を変えるのは間違いありませんが、それに合わせて大学受験問題が変わるのはおそらくはるか先のこと。
 入試問題が従来通りなら、これまでは紙と鉛筆と動画を使って100時間かけて突破していたものを、今度は生成AIを使ってタイパを極限まで改善し、30時間で突破する方法を開発してはどうでしょう。この経験は、受験勉強だけでなく、将来あらゆることに必ず役立ちます。実際、私が教えている超難関クラスの生徒は、すでに生成AIを日頃の勉強に使っています。特に英語では顕著で、英作文などは、冗談でなく5倍速で習得できます。脳にブースターがついたようです。逆に使ってない人はこれまで通り亀の歩みのままです。AIを使うか使わないかで相当な差が出て
きています。

教える側も変わらなければ

 私自身も含め、教える側にも対応が迫られています。
 自分でコマンドを打って、コンピュータを動かしていた時代からグラフィックインターフェイスとスマホの時代へ、そしてついに自然言語でAIを動かせる時代へと進化しました。一部の理系人材にしか操作できなかったAIが、言葉が書ける人なら全員に開放されたわけです。僕でもアプリが作れ、教材作成なども一瞬でできる。これにはwindowsやスマホの出現同様のインパクトがあると思います。
 学ぶ側の頭脳も、生成AIを使えば、世界最高の頭脳が自分の脳にインストールされているのと同じ状態になる。だから語学教育だけでなく、すべての教育に無視できないものになってくると思います。馬車が自動車になった時、それを否定してもどうしようもなかったように、この流れには抗えないと思います。
 さらに、これまでの知識伝達型の授業が動画に移行しつつあるということもあります。YouTubeの他、今は書籍にQRコードが付いていて、スマホをかざすだけで様々な説明を見ることができます。莫大な予算をかけ、競争原理のもとで作製された動画と競争してもなかなか勝てない。だからこれらの流れには抗わないで、生成AIや動画でできることはそれらに任せ、人と人をつないでコミュニケーションさせるなどの、人にしかできないような教育に転換を図らなければならないと思っています。学校や大学の役割が問われてきていると思います。

安河内 哲也 ~安河内 哲也~
上智大学外国語学部英語学科卒業。一般財団法人実用英語推進機構代表理事、東進ハイスクール・東進ビジネススクール英語科講師、学校法人麹町学園女子英語科特別顧問、福岡県遠賀郡岡垣町英語教育アドバイザー、ふるさと大使、情報経営イノベーション専門職大学客員教授。ICEE(国際コミュニケーション能力検定)2014年優勝、2016年準優勝、2018年優勝。

追悼 北原保雄先生 日本語力を高めよう

本紙127号(2017年5月10日発行)から

北原保雄先生 ~Profile~
昭和43年東京教育大学大学院文学研究科博士課程中退。文学博士(筑波大学)。和光大学人文学部助教授などを経て昭和49年筑波大学文芸・言語学系助教授、同59年9月同教授。その後同学系長、同大学附属図書館長などを経て平成10年4月~16年3月同大学学長。平成16年4月~20年10月独立行政法人日本学生支援機構理事長。この間国語審議会など多数の委員を歴任。その後、地元柏崎の新潟産業大学学長、公益社団法人日本教育会会長などを歴任。新潟県立柏崎高等学校出身。

 2000年代初頭、日本語の乱れが問題視され、それがきっかで起きた日本語ブーム。研究者としてその中心におられたのが、日本語学者の北原保雄先生。都立高校教員から研究者の道へ、第6代の筑波大学学長も務められた。去る2月に、87歳の生涯を閉じられたが、生成AIの登場という日本語にとっても新たなエポックに、日本語、中でも書き言葉の重要性についてのご意見を抜粋してご紹介する。生成AIについてはどんな思いを抱かれていたのか、にこやかにお話されるお顔がしのばれる。

表現に即して理解しよう

 国語教育では「何を」「いかに」表現するかの観点から、「いかに」をしっかり捉えて「何を」にあたるものを教えることが大事だと語られていた北原先生。
 「いかに」が大事なのは、表現されたものをその表現に即して正しく理解する力を付けなければ、深い読解力も豊かな表現力も育たないからだと。「『《要するに》退治』が必要だと私はよく言っていますが、表現の内容を正しく理解しないで、表現から離れて『要するにこういうことだ』で済ませていては国語教育にはなりません」とも。
 続けて、「私がこのように言葉にこだわるのは、幼児がカオスともいえる状態の中から、言葉で物を区別し概念に名を付けていくことで知的に成長していくのを見てもわかるように、言葉の理解が浅いと思考力は深まらないからです。日本語力の低下は読解力、表現力の低下につながり、さらには英語をはじめ全ての学力の向上にも支障をきたします」と北原先生。

語彙を増やし、言葉を深く学ぼう

 それでは言葉を深く学び、読解力・表現力の基礎となる日本語力を高めるにはどうすればいいいのか。それには、まずは当たり前のようだが語彙を増やすことだと北原先生。語彙は増えれば増えるほど、その間の微妙な違いがわかるようになり、表現全体についての理解も深まるからからだと。
 では語彙を増やすには?まず人の話をよく聞き、人の書いたもの、本を読むこと。そのうえで、人に話すときはよく考えて、言葉をしっかり吟味することだと語られます。この点読書は、言語能力の基層を形成する書き言葉を学ぶという意味からも大事だと。
 「古典・漢文について言えば、内容だけでも得るものは多いですが、決して《要するに》で終わらせないことです。あくまでも言葉に即して、できる限り原語、原文で味わってほしい。難解な『源氏物語』もやはり原文に触れないと、本当に読んだこと、本当に理解したことにはなりません。五十四帖すべてを読むのは大変ですが、一帖だけならなんとかなります。それをじっくり味わって読めば、そこに込められた感性の一端に触れることもできるはずです」と。そして、「同じように、漢文なら引き締まった語感や言いまわしを感じ取ることができます。固い果物を齧って食べる代わりにミキサーにかけて飲んでも、摂取できる成分に変わりはありません。しかし味わいは違います。それと同じで、やはり元となるもの、本物に触れないことには、表現者の感性や表現そのものが持つ深さを理解し、それを自らの表現に活かしていくことはできないと思います」と結んでいただきました。

『日本国語大辞典』(小学館、全13巻)『明鏡国語辞典』(大修館書店)『全訳古語例解辞典』(小学館)などの編者。『問題な日本語』は平成16年から平成23年まで全4編が発行され、2017年には100万部を超えて親しまれている。

「細胞死」のまだ秘められた謎を解く

――37兆個の細胞が織りなす細胞社会、それを解明する細胞社会学のこれまでとこれから

京都産業大学 生命科学部准教授 川根公樹先生

~Profile~
1997年京都大学理学部卒業。1998年長田重一教授の研究室で、DNA分解、細胞死に関する研究に従事(2010年まで)1999年大阪大学大学院医学系研究科修士課程医科学専攻修了、2007年京都大学大学院医学研究科助教。2010年フランスのThomas Lecuit博士の研究室で上皮組織の形態形成、上皮細胞の細胞死に関する研究に従事(2013年まで)、2010年日本学術振興会海外特別研究員、2012年上原記念生命科学財団海外リサーチフェローシップ。2013年京都大学大学院医学研究科特任助教、2014年京都産業大学総合生命科学部准教授、広島学院中学校・高等学校出身。

2003年に「ネイチャー・イミュノロジー」、2006年に「ネイチャー」、そして2011年には「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」、2023年には「 Developmental Cell」※1と、世界的に権威ある学術雑誌に論文が掲載された川根先生。研究の主なテーマは大学で興味をもったアポトーシスなどの「細胞死」。学部では分子生物学(細胞生物学)、大学院ではさらに基礎医学と、その探究を深めてこられました。細胞はなぜ自ら死ぬのか?またなぜ一人で死ねないことがあるのか? 21世紀に生まれた細胞社会学※2をライフワークとされる先生に、その探究の一端、並びに高校生へのメッセージをお聞きしました。

※ 1 2003年:Nature immunology/Impaired thymic development in mouse embryos deficient in apoptotic DNA degradation. 2006年:Nature/Chronic polyarthritis caused by mammalian DNA that escapes from degradation in macrophages 2011年:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America/Cytokine-dependent but acquired immunity-independent arthritis caused by DNA escaped from degradation. 2023年:Developmental cell/Apoptotic extracellular vesicle formation via local phosphatidylserine exposure drives efficient cell extrusion.
※2 細胞同士の相互作用、また俯瞰的な観点から細胞理解を深めようという学問。2002年、アメリカの生物学者リー・シルバーらが、雑誌「Nature」に「細胞社会学:新しい生物学のフロンティア」と題する論文を発表、その後、急速に発展した。2008年には、国際細胞社会学会も設立された。

「細胞死」は生命活動?

 ひとりの人間にはおよそ37 兆個の細胞があるとされますが、それらの多くは1日からおよそ1週間単位で新陳代謝を繰り返しています。人間の場合、一日に生まれくる細胞は約3000 億個。それと同数の細胞が死んでいくことで生体は維持され、このバランスが崩れると様々な不都合がおきます。
 細胞を減らすことに大きく貢献しているのがアポトーシスと呼ばれる細胞死。様々な細胞死の中でも、細胞自ら死を選ぶという現象で、生体の維持の他、胎児の水掻きが誕生時には人間らしい指の形になるなどの、発生時の形態形成などにも貢献します。この場合、水掻きの細胞が誕生までに自ら死ぬのです。
 アポトーシスのプログラムはすべての細胞に内蔵されていて、何らかの原因やきっかけ、あるいは指示を受けることでスイッチが入ります。
 なぜ細胞は、自ら死を選ぶことがあるのか。これは生物というものの意思?に反しているのではないか…。現在、アポトーシスは生体がよりよく生きるための営みであり、生命活動の一種であるとされるようになりました。全体を活かすために個が自ら死を選ぶ。細胞死がうまく機能せず、必要な細胞が死に過ぎる場合にはアルツハイマーなどの神経系の疾患に、本来死ぬべき細胞が死なない場合は癌などにつながります。

腸上皮細胞の「細胞脱落」の仕組みの一端を解明

 細胞死の解明は、分子生物学の進展とともに急速に進んできました。しかし個々の細胞がいかに死ぬかはともかく、周りの細胞とのやりとりを含めて実行される死についての理解はまだ遅れています。中でもその典型が腸の上皮細胞などに見られる「細胞脱落」です。 
 上皮とは、皮膚や消化器官など、体や臓器の表面組織で、腸の場合は内側(食べたものが通過していく側)の層にあたります。腸管の内部は、腸内細菌、ウイルスや雑菌で満ちていて、それが体内組織に入り込まないよう、上皮細胞は強い接着力でびっしりと敷き詰められています。とはいえ新陳代謝は必要ですから(腸上皮細胞の入れ替わりのサイクルは極めて短い)、日々一定数の細胞はそこから除去されなければなりません。そのための振る舞いが細胞脱落です。 
 絨(じゅう)毛(もう)の根本、谷の部分で生まれ、先端( 山の部分) へと押し上げられ一定期間経った細胞が、最後に細胞層から離れ腸管内部へと落ちていくのです【図1】。ここでかかわるのが隣接する細胞。アクチンとミオシンで構成されたリングを作り、それで対象となる細胞を取り巻き、絞ることで脱落を促します。死んでいく細胞は、自力ではなく、隣接する細胞に押し出されるのです。

ライブセルイメージング※で新たな機構を発見

 最近私たちは、その瞬間を動画撮影し、さらに詳しく様子を見ることに成功しました【写真】。それによると、脱落する細胞は、自身の下の部分を次第に発芽させるようにして、最終的には自らちぎります(黄色矢印)。このちぎられてできた、膜に包まれた細胞の一部は、これまでアポトーシス小体とも言われてきた細胞外小胞と考えられますが、これは隣接細胞に食べられす。またこの小胞形成の際に、それを形成する細胞膜の構造に変化がおこり、普段は細胞膜の外側には存在しないリン脂質ホスファチジルセリン(PS) が露出することもわかりました。面白いのは、アポトーシス小体が形成されてできた隙間に、周りの細胞が入り込み、脱落する細胞に力を加え押し出しているかのように見えることです【図2】。脱落していく細胞が自らの一部をちぎるとともに、周りの細胞もそれに協力する。細胞社会ではこのように細胞たちが協調・協力して、いらなくなった細胞を除去しているのです。

※生きたままの細胞や組織を動画に撮り、実際に目で見る研究手法。専用の高額な機器が必要で、本格的な研究は大学で。プレパラートを使った観察では、ホルマリン固定によって死んだ細胞が対象になるが、「死んでいるからこそできる染色法もあり、工夫次第では面白い実験も可能」と川根先生。

細胞社会学の観点も取り入れ、腸の未知の機能の解明を

 細胞生物学の知見が積み重なるに連れ、細胞が社会性を持っていること、私達の身体が細胞社会によって成り立っているとの理解が深まってきました。細胞は集まって、細胞社会とも呼べるコミュニティを形成し、コミュニケーションを通じて相互作用している。ここからは、個々の細胞を見るだけでは見えてこなかった仕組も見えてきます。
 細胞社会の性質が最もよく表れているのが上皮組織。腸上皮細胞では、周りの細胞の作用を受け、また自らも動くことが確認できました。今後はここにどのようなコミュニケーションと協働が成り立っているのかの究明が待たれます。いずれにせよ、細胞の理解は個に注目するだけではなく、周囲の細胞とどう関連しているのか、つまりは細胞社会を見ることが必要になってきているのは確実です。
 ちなみに腸については、近年、腸内細菌も含めたその環境が、様々な臓器と連携して、全身の健康、ひいては寿命まで規定しているのではないかという見方がされるようになりました。腸内環境とうつ病との関連も指摘されています。腸上皮における細胞脱落の仕組みのさらなる究明は、基礎医学への貢献も含めてますます大事になってきているのではないでしょうか。

どんな授業、実験?――学生主体で、研究力プラス社会で活躍する力を育成

 授業では、研究に必要な能力と同時に、社会へ出てから求められる能力も養成できるよう工夫しています。実習の授業というと大抵は実験手順が書いてあって、その通りにやって成功したかどうかで終わってしまいがちですが、私の授業では、正体不明のサンプルを渡し、それをさまざまな方法で観察してもらって何かを当てるというクイズ形式で行うこともあります。学生は一つのサンプルを前に観察方法や、その結果を元にどう考察すればいいのかを考える。研究の疑似体験にもなっていると先輩からは好評です。 
演習でのグループワークでは、クイズ番組のような形式で、仲間で共同して一つの答えに辿りつくような活動も取り入れています。学生の多くは企業に就職していくため、チームで成果を上げる取組が学べるよう意図したものです。プレゼンについても丁寧に指導します。研究もしっかり、さらに研究を通じて企業へ就職しても活躍できるような力も身につけてもらいたいと考えています。

高校生へのメッセージ

高校までの生物は暗記科目のような側面があるかもしれませんが、生物の世界にも理屈や論理があって、それに基づいて生命現象、ひいては自分たちのことまでもが、綺麗に説明できるところに面白さがあります。高校時代、そんな面白さを教えてくれた生物の先生との出会いが私の原点です。これらは大学に入って実験を積み重ねていくことで気づく面白さではありますが、高校でも教科書に書いてあることを鵜呑みにせず、なぜこうなっているのか、ここにどういう意味があるのかと問いを立てるようにしてください。生物学はもっともっと面白くなると思います。

これからの大学再編について考える

――韓国の事例に基づいて

北海道大学 高等教育推進機構高等教育研究部 助教 鄭(じょん) 漢模(はんも)

鄭(じょん) 漢模(はんも)先生 ~Profile~
京都大学博士(教育学)。専門は高等教育学。関心分野は大学の再編と役割。所属学会は、大学教育学会、日本高等教育学会など。1987年韓国全羅北道出身。九州大学特任助教、三重大学講師を経て現在に至る。韓国忠南大学校師範大学教育学科を卒業した後、2014年に日本国費留学生として渡日し、大阪大学人間科学研究科研究生を経て、京都大学教育学研究科で修士学位及び博士学位を取得。
大学の「生物学的多様性」とは

 研究者は、自分の専門分野を説明する際に例えを用いることが多々あります。私が大学を説明する際によく用いる例えは、「生物学的多様性」です。
 この概念は一見難しそうですが、実に簡単です。要するに、世の中の生物がそれぞれの生息する環境において生き残るために適応と進化を続けた結果、私たちの周りには多様な生物が暮らすようになっていることを意味します。基本的に大学とは、人類の知的好奇心を満たし、得られた結果の保存と継承のために作られたものだと言えます。しかし各大学が生物と同じく、社会、文化、政治という環境において、適応と進化を繰り返してきた結果、それぞれが個性を競い、大学の世界にも一種の「生物学的多様性」というものが存在するようになったと私は見るのです。

少子化が招いた大学の「氷河期」

 大学を生物に例えるならば、大学にも氷河期といった絶望的危機が訪れてもおかしくありません。 特に18 歳人口が大学入学者の多くを占めている東アジア各国では、国によって度合いは異なるものの18 歳人口の減少が進み、大学の「氷河期」が現在進行中で、大学全体の縮小は不可避であると予想されています。
 中でも隣国である韓国は、非常に大きな変化を経験しています。日本において、2040 年に向けて18 歳人口の減少に備える様々な対策が打ち出されているのと同様、韓国においても2040 年に向けて様々な対策が講じられています。
 また18 歳人口の減少と同時に、地方消滅の問題も浮上しています。人口が減少すればするほど、比較的仕事が見つかりやすく、社会インフラがよく整備されている首都圏に人が集中する現象が起きています。このことは大学にも無関係ではありません。首都圏の大学への異動を望む教員が増え、地方からの頭脳が流出しているのです。2023 年現在、韓国政府による研究費の約60% は首都圏に所在する大学に支給されています。頭脳流出により、こうした傾向は今後一層強まると予想されています。

韓国政府による取組

①財政支援の変化
 韓国政府はこうした人口減少を予想し、2000 年代以降、大学に対する財政支援制度を変化させてきました。その一つの現れが、定員充足率、就職率、教育や研究における成果などに応じた傾斜配分式財政支援です。これによって、大学によっては支援が中止されたり、閉鎖を誘導されたりするところが出てきています。一方、地方の国立大学に対しては支援を拡大しています。代表的な取組は2023 年にスタートした「グローカル大学30」です。2023 年から2025年までに30 大学を選抜し、集中的に財政支援を行うというものです。選考基準には、大学統廃合など、積極的に大学の再編を行っていくことなどが含まれています。
②地域性の強化
 地域性の強化もあげられます。例えば、韓国政府が提案しているのが「共有大学」という新しい大学モデルです。これは各地域の自治体、複数の大学、複数の企業が仮想の大学を共同で設立し、地域に特化した学位課程を編成・運営するというものです。マイクロクレデンシャル(注:学習者の学習成果を証明する単位として、従来の学位よりも細かいものを意味します。集めて基準を満たすと学位が授与される方式になっています)による教育課程を設け、最終的に学生には学位が授与されます。また、「地域革新中心大学支援体系」の構築にも取り組んでいます。目的は、従来政府が持っていた各大学に対する財政支援に関する権限を、各自治体に移譲すること。すでに2023 年にいくつかの地域において施行されており、2025 年にはすべての地域に導入される予定です。

研究開発費の「効率化」

 最後にもう一つの変化として、政府による研究費の効率化があげられます。これは人口減少と直接関係があるとは言えませんが、大学の再編に影響を及ぼすことから、結果的には大学の再編を加速するという側面があります。従来、韓国はGDP(国内総生産)に比べて研究開発費に積極的な投資を行う国としてよく知られています。2021 年には、GDP の約4.93% を研究開発費として策定し、世界1位を記録しました。しかし2024 年に政府は研究開発費の「効率化」を図り、従来の研究費を約14%程度も削減しました。2023 年、韓国の大学における研究開発費の75.7% は政府によるものと言われていますから、各大学は内部の再編が不可避な状況に追い込まれています。これには学界から猛烈な反対が起き、これを受けた政府は2025 年の予算を従来通りに戻すという方針を発表しました。しかし、研究者の間ではまだ不安は消えていません。

大学を「ノアの方舟」に乗せるとしたら

 現在の韓国政府の政策的変化を一言で表すならば、それは「選択と集中」です。これに対して、教職員・学生、地域住民など、大学に直接的・間接的に関わる利害関係者を中心に、反対の声が上がることもけっして少なくありません。しかし一方で、人口や産業構造に比べて大学の数が多いこと、大学教育が就職に役立っていないことなどに、全国民的な共感が集まっているのも確かです。冒頭で私は、大学を生物に例えました。生物学的多様性が豊かな生態系を支えているのと同じように、大学の多様性もまた、社会をより豊かにするうえで非常に大事だと思っています。しかし、私たちに、「ノアの方舟」に乗せる大学を必ず選ばなければならない瞬間が来るとすれば、一体どうすれば良いでしょうか。だからこそ私たちには、こうした最悪の状況に備えるための研究も求められているとも言えるのではないでしょうか。課題は山積みですが、私は各大学固有の価値を守るためにも、大学の役割およびその再編に関する研究を続けていくつもりです。

(出典:ヨン(2021)をもとにハン(2022)が作成した図を筆者が翻訳,修正)ヨン・ドクウォン. (2021). 大学の構造調整の現在と未来(定員政策を中心に).ハン・ユヨン. (2022). 大学定員不充足加速化… 2年後、入学定員8万人不足. 忠清トゥデイ.https://www.cctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=2159357

産業用大麻の安全性のアピールと、新産業創出のための研究拠点を

キラリと光る研究科 三重大学大学院地域イノベーション学研究科

――三重大学神事・産業・医療用大麻研究プロジェクト

三重大学大学院地域イノベーション学研究科長・生物資源学部教授 諏訪部 圭太先生

~Profile~
2000年 三重大学大学院生物資源学研究科博士前期課程修了、2004年博士(学術)。2006年4月~2007年3月英国John Innes Centreマリーキュリーフェロー、2007年4月~2009年1月 東北大学大学院生命科学研究科博士研究員・日本学術振興会特別研究員(PD)、2009年2月~2021年3月三重大学大学院生物資源学研究科 准教授、2021年4月から現職。専門は分子遺伝育種学。三重県立津西高等学校出身。

カーボンニュートラルやCO2削減に向けた取組が様々な分野で進む中、ゴールドラッシュならぬ《グリーンラッシュ》の機運が世界的に高まっている。従来、麻薬との関連から敬遠されてきた大麻の、産業利用を拡大しようという動きだ。国内でも、大麻取締法等の一部が75年ぶりに改正される。神事・伝統文化の継承という課題から、大麻研究の新たな拠点作りを始めた三重大学。それを牽引する地域イノベーション学研究科の諏訪部研究科長に、きっかけや展望を聞いた。

そもそも大麻って?

 大麻は植物分類学上、アサ科アサ属の1年生の草本(学名:Cannabis sativa L. )。農学分野ではアサ、産業分野ではヘンプと呼ばれる。カンナビノイドと言われる生理活性物質を含み、植物体内で各種合成酵素を使って向精神作用がありマリファナの原料として知られるTHC(テトラヒドロカンナビノール)や、向精神作用がなく鎮痛やストレス緩和等に効果のあるCBD(カンナビジオール)を合成できる。サティヴァ亜種、インディカ亜種、ルデラリス亜種の3 種類があり、THC,CBD の含有量には差がある。 一般的に、THC の含有量が一番多いのはインディカ亜種。一方、日本で太古から栽培されてきたサティヴァ亜種は含有量がきわめて少ない。品種や系統によるTHC 含有量にも大きな違いがあり、THC が1.0 ~20% 超のものは薬用型、1.0 ~ 0.3% のものは中間型、0.3% 以下のものは繊維型と分類され、THC1.0% 未満のものは産業用大麻とも呼ばれマリファナ原料にはならない。キノコには毒キノコとそうではないキノコという言い方があるが、そのような呼び方のない大麻でも種類によってそれぐらいの違いがある。我々が研究で扱う大麻は、もちろん産業用大麻である。

きっかけは伊勢からの依頼

 わが国では古来より、大麻は神事・伝統行事においてある意味で主役だった。その茎は神社のお札、しめ縄、神職装束、横綱の化粧まわしから、檜皮葺き屋根の土台、花火の火薬、松明など幅広い用途に使われてきた。またその実は七味唐辛子やいなりずしに入れられているし、その葉は伝統模様として親しまれている【写真】。ところが第2 次大戦後、この状況は一変する。理由はさまざまだが、大麻取締法等が布かれてから、栽培は許認可制となり、麻薬成分の抽出が目的ではないにもかかわらず国の厳しい監督下に置かれるようになった。

その結果、国内農家で栽培を続けているのは2022 年で27 軒、栽培面積も7ha と少ない【図】。品種も、もともと生産地によって多種あったが、現在、商用品種は栃木県産の「とちぎしろ」しかない(これも栃木県外での利用はできない)。当然、神事や伝統行事に使う麻の多くは輸入や模造品に頼らざるをえない状況だ。

 ご利益があるとされるようなものまで輸入に頼っている状況を何とかしたい、と声を上げたのが伊勢神宮のお膝元の企業等で作る社団法人伊勢麻振興協会。伊勢麻の麻とは大麻で、協会の傘下には大麻栽培の許認可業者の一つ( 株) 伊勢麻があり、これまで細々と栽培を続けてきた。 2021 年、同会が県内で生物資源などの研究組織を持つ本学に、大麻の栽培や育種、品種改良、成分分析などについての研究協力を要請。これが産官学による『大麻研究プロジェクト』がスタートするきっかけとなった。以後、本研究科が運営主体となりつつ、2024 年4 月からは理系のみならず文系分野の学部、センターなどが結集し、大学全体で一体となって研究協力する体制を確立してきた。

分野融合、地域や産官学との連携による2大プロジェクトが始まる

 プロジェクトの一つは、きっかけとなった神事・伝統を守り支えるための農業生産基盤の確立や、産業用大麻の社会的認知を高めることを目的に、三重大学の「地域共創展開センター」の中に「神事・産業用大麻研究プロジェクト」として位置づけられた。
  第一弾として2023 年4 月には、伊勢神宮の斎王の御所とされる斎宮【写真】所在地で、古来より大麻を栽培してきた明和町を舞台に、産官学連携で麻産業の振興を目指す『天津(あまつ)菅(すが)麻(そ)プロジェクト』が始動した。これには明和町、(社) 伊勢麻振興協会他5 社2 団体、農家、農業法人、私立大学では皇學館大学が加わった。

提供:三重県明和町

また、高大連携の一環として、三重県立久居農林高等学校との共同研究を開始し、大正時代に作られ現存する物しか残っていない神事用栽培に用いる特殊な播種機も復元した。

 もう一方の柱はバイオ、生物資源や、農学の基礎研究からのアプローチで、本学に9 つある「重点リサーチセンター」の一つ「カンナビス研究基盤創生リサーチセンター」が担う。育種や品種改良、成分分析や毒性の基準づくりから、大麻の幅広い産業応用の基盤となる基礎研究の確立を目指す。
 安全・安心を保障するための基本ともいえる大麻の成分分析体制の確立も目指す。現在、国内での成分分析は、外国の分析機関にサンプルを送って依頼するか、アメリカ企業の持つ検査試薬の輸入に頼っていて、高コストで時間もかかる。また、厳正さが求められるにもかかわらず公的な分析センターもない。そこで、国際標準として使用される成分分析機を2024 年3 月に本学に導入した。この分析機の導入も非常に厳しい審査基準があり、本学に導入されたものが日本国内第1 号である。本分析機と国立大学というポジションニングを活かしつつ、早期に国の認める分析センターの設置を目指したい。
 産業応用では、これまで医療用に加えて、健康・美容のための有効成分に着目したヘンプシードナッツやヘンプシードオイルなどが商品化されているが、睡眠に関するサプリメントへの応用など、新たな知見も取り入れながら、様々な可能性を追及していきたい。
 一年草である大麻は、多くの植物の中で特にCO2 吸収能力にすぐれていると言われていて、伝統的な育種学・作物学による栽培技術の確立や品種改良、新たな品種の開発は、それだけでもカーボンニュートラル、CO2 削減に寄与する。またバイオ燃料としての期待も高まっており、関連企業との産学連携を積極的に進めていきたい。
 工学分野では、茎繊維はカーボンファイバーに負けない剛性を持ち、なおかつ軽量のため、グラスファイバーや金属に替わる車体のパーツ素材としてヨーロッパで使われ始めている。この分野では、「卓越型リサーチセンター」である「エネルギー材料総合研究センター」などと連携し、産学連携を強化していきたいと考えている。
 プロジェクトはまだ始まったばかりで、また日本には70 年を超える研究空白があるため、担当者にとっては未知の分野も多く、手探りで進めなければならないケースも多々ある。しかし世界では、産業用大麻に関する規制の見直し、その法改正が大きく進展し、取り扱いのハードルは大きく下がっている。神事・伝統の維持目的から始まり、地域貢献、さらには新産業創出までの広がりを視野に、本プロジェクトを一歩々々、着実に進めていきたい。

地域イノベーション学研究科とは

 《実社会において、専門知識に基づき、自ら社会課題を発見し、自分の頭で考え、信念を持って行動できる「プロジェクト・マネジメントができる研究開発系人材」と、「地域においてゼロから1を創造できる社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)人材」の育成を目的に、2009年に開設された文理融合(工学、バイオ、人文・社会)の大学院。教員は様々な学部から集まる。教育研究ユニットには、『工学』『バイオ』『社会』の3つに加えて、学際研究を担う文理融合型の『地域新創造ユニット』がある。専門教育を担当するR&D(Research and development)教員に加え、プロジェクト・マネジメント教育を担当するPM(Project Management)教員からも同時に指導を受けられる「サンドイッチ方式教育」と、特に地域の企業等との共同研究におけるプロジェクト・マネジメントについて学ぶOPT(On the Project Training)教育に特徴がある。また、博士前期課程には本格的な「インターンシップ研修」が必修科目として開講され、社会連携を実現する場としてコアラボも設けられている【写真】。2020年度からは、地域創生イノベーター(RRI)養成のための新たな教育コース「地域創生イノベータ―養成プログラム」が導入され、修了者は資格認定される。同年にはまた、博士前期課程地域イノベーション学専攻の正規課程が「職業実践力育成プログラム」(BP)として文部科学省に採択された。社会人にも門戸が開かれていて、2021年には特定教育訓練給付制度の受けられる厚生労働大臣指定の専門実践教育訓練講座として指定を受ける。

杜の都の西北から 第5回

大学にとっての「改正障害者差別解消法」とは?

(学)東北文化学園大学評議員・大学事務局長、弊誌編集委員 小松 悌(やす)厚(ひろ)さん

~Profile~
1989年東京学芸大修士課程修了、同年文部省入省、99年在韓日本大使館、02年文科省大臣官房専門官、初等中等教育局企画官、国立教育政策研究所センター長、総合教育政策局課長等を経て22年退官、この間京都大学総務部長、東京学芸大学参事役、北陸先端大学副学長・理事、国立青少年教育機構理事等を歴任、現在に至る。神奈川県立相模原高等学校出身。

 障害者の権利擁護に向けた政府の取組が進展している。令和6年4月には改正障害者差別解消法が施行され、障害者に対する合理的配慮(reasonable accommodation)の提供が事業者にも法的に義務付けられた。改正法施行に先立ち、令和5年3月には、政府全体の「基本方針」が閣議決定され、この基本方針に即して文部科学省など各府省が所管する事業分野における「対応指針」が分野ごとに策定された。これら政府の基本指針や対応指針等は改正法施行と同じ4月から実施されている。
 一連の制度改正により、合理的な配慮の提供について法的な義務を負うこととなる事業者の中には、私立学校の設置者も含まれる。本年4月から私立大学等も合理的配慮の提供が義務化されたが、それはこのような文脈によるものなので、特別に教育機関のみが改正法の対象となったものではない。
 私立学校における合理的配慮の義務化により、国公私立の全ての大学等が合理的配慮の提供義務を法的に負うこと等を踏まえ、文部科学省は、昨年5月「障害のある学生の修学支援に関する検討会」を立上げた。検討会は大学等が共有すべき「基本的な考え方」などについて審議を重ね、本年3月に報告(第三次まとめ)をとりまとめた。報告は「障害のある学生の現状」、「これまでの取組の進捗状況」など7章と附属資料等で構成されている。ここでは主要な検討テーマである「障害学生支援に関する基本的な考え方」「諸課題の考え方と具体的な対処の取組」の章に掲載された事項のうち、主要な事項の概要を紹介する。文部科学省ホームページから、検討会の報告の主要な文言を抜粋・要約すると以下のようになる。
1.大学等は、自らの価値を高め、学生に対する責務を果たすため、事前的改善措置により教育環境の整備を図るとともに、障害学生支援を障害学生が平等に学ぶ権利を保障する手段であるとの認識の下で、着実に実施することが必要。支援では合理的配慮以外の学生支援リソースも総合的に活用することが望ましい。
2.「障害の社会モデル」の理解に関して、社会的障壁とは、障害がある者にとって生活上の障壁となるような社会における一切のものをいう。この考えに基づくと、障害のない学生を前提とし構築された仕組みや構造が社会的障壁となっている場合がある。このことを大学等の構成員全てが理解し、社会的障壁を除去するとともに、各種支援リソースを総合的に活用しながら取り組むことが必要。
3.障害の根拠資料に関する考え方について、個々の状況を適切に把握するため、学生から根拠資料の提出を求めることが適当。一律に「根拠資料がなければ合理的配慮を提供しない」といった形式的な対応をとらないよう留意する必要がある。
4.責任の所在を明確にし、障害学生支援に取り組むために、教職員の共通認識が不可欠。その手段としては教職員向けの対応要領・ガイドライン等が有効である。
5.学生の状況と授業の状況を総合的に考慮し、オンライン参加の可否を個別に判断すること。対面とオンライン学修を組み合わせたブレンディッド型授業も要考慮。大学等の事情ではなく、本人の意向や教育の質の担保の観点が必要。
6.大学等と国、地域・企業・民間団体等との連携や大学等連携プラットフォームを更に活用すること。
 最後に、本報告は、「大学等が学生を第一に考え、障害のある学生が平等に教育を受ける権利を享受できる環境を構築することは、コンプライアンスの観点からはもちろんのこと、開かれた大学等として価値や魅力を高めるための重要な要素となる。各大学の役員や管理職はこのことを強く認識し、障害学生支援への理解を深めるとともに自大学等の運営方針の一つとして位置づけ、取組を推進していくことが望まれる」としている。このたびの改正法による合理的配慮の義務化を契機として、大学等における障害のある学生への修学支援が一層充実されるとともに、公正な社会の実現に向けた取組が加速化することを期待したい。

雑賀恵子の書評「むなしさ」の味わい方 きたやま おさむ 岩波新書、2002年

雑賀 恵子

~Profile~
京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用』(ちくま新書)。大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。

 白い雲は 流れ流れて/今日も夢はもつれ わびしくゆれる/悲しくて 悲しくて/ とても やりきれない/この限りないむなしさの/救いはないだろうか
「 悲しくてやりきれない」という1968年の歌の2番である。古い歌だが、多くのアーティストにカバーされ、映画やドラマなどでも使用されているので聞いたことがある人も少なくないだろう。歌ったのはザ・フォーク・クルセダーズ、本書の著者であるきたやまおさむ(北山修)はそのメンバーであった。医学生時代にフォークルを結成し、解散後も数々の名曲の作詞なども含めて音楽界で活躍した。一方医大卒業後は精神科医の道に進み、九州大学教授を定年まで勤め上げて現在白鴎大学学長、医学界でも活躍している。精神分析学関係でも文化論関係でも専門書から一般書まで著書は多数、華々しく羨ましい人生だ。そのきたやまおさむが「むなしさ」について書く。
 期待したものに裏切られたり、愛していた相手が亡くなったり、何かを求めていたのに意味のあるものが得られないなどという、自分の外側に空虚なものができてしまう「むなしさ」。自分自身に価値や中身、生きている意味がないと感じるような、自分の内側に空虚なものが生じてしまう「むなしさ」。前者は対象喪失、後者は自己の喪失であり、自己が対象に強く依存しているなら、対象喪失は自己の喪失に結びつき、内も外も空っぽになって深刻な「むなしさ」に陥ることになる。
 本来私たちは、常に「間(ま)」に囲まれている。ところが現代社会では、相手との「間」があってはならないようだ。「間」を埋めるために、溢れるばかりの意味のない言葉や情報、商品が用意されている。ないものはない社会は、「間」つまり喪失を感じさせない社会であり、喪失を喪失した時代だ。しかし意味のない言葉や情報の氾濫している現代は、実は大きな「むなしさ」のそばにある。「むなしさ」はあって当然であり、「むなしさ」に慣れ、呑み込まれない術を身につけなければならない。
 自己と外界とのかかわりの中で「むなしさ」が生まれてくるが、自己と外界をつないで「間」を埋めるのは言葉だ。本書でおもしろいのは、言葉の連想によって意味の連関を分析していくところである。原初的な自己を包摂する母との「チ」のつながり、チは血、乳、父、口、膣、命、大地と私たちに親密で生々しいつながりを連想させる。チの「つながり」に意味が与えられ「通じる」。言葉の「意味(イミ)」が結果という「実(ミ)」をうみ「身(ミ)」になる。私たちの身につけている日本語がほぐされて、意識が読み解かれる。だがなおも分明されない、どろどろと泥(ナズ)む心の沼がある。未処理、未消化のものたちを沈める心の沼は、創造の場でもある。「むなしさ」を混乱させたまま沼におき、たちのぼるもやもやを味わう時間は、人との関係性や自分自身に奥行きを持たせると、きたやまはいう。取り返しのつかない喪失、わりきれない「むなしさ」は味わうしかない。自身いくつも、いくども味わいながら、ここに生きてある北山修だから言い切れるのだろう。

大学ランキングからはわからない大学の実力 第6回

司法試験予備試験という劇薬、天才発掘とその功罪

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

~Profile~
1960年神奈川県生まれ。 教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。

 おもしろいランキングを作ってみた。
 2023年度、司法試験予備試験合格率上位校である。
①奈良大、ロンドン大100%、③東京医科歯科大、静岡県立大33.3% ④東京大15.5% ⑤京都大10.5% ⑥一橋大7.3% ⑦千葉大7.14% ⑧大阪大、静岡大6.25% ⑩慶應義塾大6.2%(奈良大、ロンドン大は受験者1人、合格者1人。東京医科歯科大は受験者6人、合格者2人)。
司法試験の受験資格を得るためには、原則として法科大学院に在学しているか、またはそこを修了していなければならない。しかし、時間の制約や経済的な理由などで法科大学院を経ない者でも、司法試験を受けられる。司法試験予備試験(以下、予備試験)に合格すれば、司法試験の受験資格を得られるという制度だ。
では、肝心の司法試験はどうか。最新データをみてみよう。
2023年、司法試験合格率は45.3%だった。(受験3928人、合格1781人)。 
これを出身ルート別にみると、①予備試験合格者92.6%(受験353人、合格327人)。②法科大学院学生(在学中)59.5%、③法科大学院修了者32.6%となっている。ちなみに司法試験合格率上位の法科大学院は①京都大68.4%、②一橋大67.2%、③慶應義塾大60.0%、④東京大59.1%、⑤神戸大48.6%となっている。合格者を出せなかった法科大学院は13校あった。これでは、司法試験合格実績からみれば、予備試験合格者は法科大学院修了者よりもはるかに優秀という見方が成り立ってしまい、残念だ。
予備試験の内容は、法科大学院修了者と同等の学識を有するかどうかを判定するものだ。それゆえ、法律の知識、運用方法をかなり身につけていなければ受からない。実際、かなりの狭き門で、2023年の合格率は19.0%だった(受験2562人、合格者数487人)。 だが昨今、頭脳に自信がある者が多くチャレンジしている。
 冒頭で紹介した予備試験合格率上位校をあらためてみてほしい。予備試験合格者の9割以上は司法試験に合格しており、近々、奈良大、東京医科歯科大、静岡県立大など法学部、法科大学院のない大学出身者から法曹の道に進む者が出てくるだろう。
 いったい、彼らはいつ、どのように勉強したのだろうか。東京医科歯科大合格者2人は2年生と4年生である。医学部生が医師国家試験受験前に法曹へのもっとも近道である予備試験に合格している。近い将来、2人は法曹、医師の両方の資格を持つことになる。 予備試験合格者の出身校には青山学院大、成蹊大、新潟大、静岡大、熊本大などがある。これらは法科大学院があったものの募集停止したところだ。一方で東京外国語大、三重大のような法科大学院と無縁な大学の出身者もいる。
 予備試験合格者を年齢別、属性別、大学の学年別にみると驚くべきことがわかる。最低年齢16歳、高校在学中1人。高校1年生または2年生だ。大学学年別では東京大1年7人、慶應義塾大5人、明治大2人、京都大1人だった。
高校2年生がどういう勉強をすれば予備試験に受かるのか。
前例があった。2021年に灘高校の2年生が予備試験に受かり、22年に3年生になると司法試験に合格してしまう。彼は翌年、東京大法学部へ推薦入学で進んだ。灘高校関係者によれば「ギフテッドと言っていい、ずば抜けた天才でした」。
もう1つ前例があった。2010年代、慶應義塾高校3年生が予備試験に受かり、慶應義塾大法学部に入学してから7月上旬に行われる司法試験に挑み合格している。しかも年代を違えて2人いて、いずれも19歳での合格だ。これは受験勉強をする必要がない、附属・系列高校出身のなせるわざと言えよう。
 では、入学したばかりの大学1年生はなぜ予備試験に合格できるのか。予備試験は7月下旬に行われる。前述のように、慶應義塾大なら「高大接続」を活用できればいいが、東京大は2月下旬の入試が終わってから、予備試験まで4カ月弱しかない。こんな短期間の勉強で受かるのはギフテッドなのだろう。
 これでは法科大学院の立場がない。2004年、法科大学院制度がスタートしたとき、グローバル化、ハイテク化を見据えさまざまな出来事に対応できる多様な法曹人材の育成が掲げられた。当初74校が設立されたが、2024年までに40校が募集停止となる。残り34校は関東、関西が中心で、北陸、甲信越、四国、山陰はゼロ、九州と沖縄は1校だけだ。そういう意味では予備試験合格者に新潟大、静岡大、西南学院大、熊本大の出身者がおり、結果的に地域格差が是正されているのは悪い話ではない。
 また少子化が進むなか、若く天才肌の人材が予備試験、司法試験を目ざすのも、法曹界にすれば嬉しい話だ。もっともゲーム感覚、資格マニア的に司法試験に挑まれるのはかなわない、法曹界にマイナス、という批判もある。
 お金も時間もかからない予備試験の受験者は増えている。劇薬的魅力と言えようか。法科大学院ルートより予備試験ルートのほうが法曹全体に活性化をもたらすことになれば、法科大学院教育の意義がぼやけてしまう。悩ましい。(データは法務省による)

16歳からの大学論 第40回

生成系AIに問う「大学の意味」とは

京都大学 学際融合教育研究推進センター准教授 宮野 公樹

~Profile~
1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」(講談社)など。

この原稿を書いている4月上旬は、大学入学の時期でもあります。今年度も多くの新入生が期待に胸を膨らませ、日々、キャンパスに通い、思い思いに学びの場についていることでしょう。本紙の読者とは異なるかもしれませんが、彼・彼女ら新入生に向けて、この場にてお祝いの言葉を述べたいと思います。 ただし、普通に書いたのではつまらない。生成系AIに、「大学の意味」というタイトルで入学式の祝辞を書いてもらい、それに対してツッコミをいれるという形で、私のメッセージを伝えられればと思います。以下、どうぞお楽しみください。

『大学の意味』

 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。本日は、皆様にとって待望の大学入学の日であり、新たな人生の門出となる日です。 私は、皆様が今日この日に至るまで、多くの努力を重ねてきたことを知っています。そして、これから始まる大学生活においても、更なる努力と挑戦が必要となることを覚悟していることと思います。 しかし、同時に、皆様は大きな夢と希望に胸を膨らませていることでしょう。大学生活は、専門的な知識を学び、将来のキャリアを築くための貴重な時間です。

 違います。専門的な知識を学ぶのは、専門学校でも可能です。大学は「学問」をする場ですので、「学問に通じた専門(知識)」を学ぶのです。そもそも専門的な知識とはなんですか? それらはもうインターネット上に溢れており、今、それを学ぶことにどれほどの意味があるのですか? かといって、それを使いこなすことが大事、と言いたいのではありませんよ。そもそも、知識とは何か、を問うているのです。そして、このような「問い」を持つことこそが、学問の営みであり、単なる知識習得の学習とは大きく異なる点です。
 そういう観点からすると、大学は「将来のキャリアを築くため」にあるのではないことに気づくでしょう。言うならば、将来とは?キャリアとは?と考えることこそが大学でやらねばならぬことなのです。

 しかし、それ以上に、自分自身を見つめ直し、新たな価値観を創造していくための場でもあります。

 そう、そのとおり。「自分自身を見つめ直す」のが大学での時間です。ただ、これは自分の興味関心や生涯かけてやりたいことは何かと考えることではありませんよ。それは学問ではありません。自分自身=この世、という絶対的事実に向き合うということです。少しわかりにくいかもしれませんが、なんのことはない、「この世は、自分が見たいようにしか見れない」という深い自覚を持つということです。これは、普遍たる学問の大切な立ち位置として、ぜひ大学4年間で感じて頂きたいことです。

 大学は、様々な分野の専門家が集まり、最先端の研究が行われている場所です。

 違います。単なる専門家の集まりが大学ではありません。例えば、最先端の研究がなされていることもさることながら、その「最先端とは何か?」もまた自省的に問い続けることも含んで、大学である、ということです。

 ここでは、これまでとは全く異なる視点から世界を見る機会を得ることができます。また、異なる価値観を持つ人々と出会い、議論することで、自分の考えを深めることができます。

 そのとおりです。素晴らしい。専門を超えた多様な共同、対話があって初めて「大学」であり、それが社会の実験場としての大学の存在意義です。

 大学生活は、決して楽ではありません。時には困難に直面することもあるでしょう。しかし、そのような経験を乗り越えることで、人間として大きく成長することができます。私は、皆様一人ひとりが、大学生活を充実させ、自分自身を成長させていくことを願っています。そして、大学生活を通して、それぞれの「大学の意味」を見つけていってほしいと思っています。

 それぞれの「大学の意味」を見つけることも大事ですが、学問の営みを通じて、誰しもが所有する「意味」というもの、人も、時代も、国も超えて、それが確かに在るのだというあの驚き。「あぁ、なんということだ…」 自分が溶けてなくなるような、精神の呼応にこそ出会わんことを心から願っています。

 大学生活は、自分自身の人生を切り開くためのチャンスです。この貴重な時間を有効活用し、充実した大学生活を送ってください。皆様のご入学を、心よりお祝い申し上げます。◯◯大学 学長 宮野公樹

 以上です。いかがでしたか? 紙面の都合上、極力簡潔にまとめてみましたが、もっと丁寧に説明する必要があったかもしれません。必要であれば拙書「学問からの手紙」(小学館)を手にとって頂ければ幸いです。(続く)

記者席から 第13回 科学の甲子園全国大会特集 その4

実技競技❶ アッピン地質ワールド(地学分野)

 本実技競技では、「アッピン地質ワールド」といわれる仮想の海岸の地質調査を行うことが目的。 
どんな岩石や地層がどのように分布しているかを示した図を地質図といい、これを作るためには岩石の種類や性質、地層の走向・傾斜、厚さ、断層、褶曲、地層の新旧関係などを色々な地点で調べなければならない。これが地質調査である。 
実際に野外で地質調査を行うためには、事前調査によって把握した情報を元に調査ルートを決定し、露頭を探すことから始まる。 多くの露頭を調べ、地層や岩石の繋がりを調べ、ルートマップを作成し、その分布を理解し、地質構造を明らかにしていく。 
こうして、最初は点にすぎなかった露頭の情報も調査が進めば線状につながっていき、情報は点から線(ルートマップ)へ、そして線から面( 地質図)へと広がっていく。 
地質図は2次元の平面図であるが、いわば3 次元の空間情報や時間情報も表している。本課題は地質調査としての特色ある課題が取り上げられており、大きく3つに分かれている。 
【課題1】 では地質構造を明らかに、【課題2】では地質構造の模型作成、【課題3】では岩石標本の製作となっている。

課題1 「海岸に露出している地層の走向・傾斜を測定し、地質構造を明らかにせよ」

 この課題は、実際にクリノメーターを用いて地層の走向・傾斜を測定し、ルートマップを作成し、断面線による地質断面図を作るというもの。クリノメーターと言えば、ハンマー、ルーペと共に地質調査の三種の神器といわれる重要な測定機器である。
 ちなみに大学入試センターが行った平成30年( 2018年)度試行調査の地学の問題で、走向・傾斜についてクリノメーターを用いて適切に読み取ることができるかという問題が出題されたことは記憶に新しい。
 問1は、クリノメーターの方位磁針の東・西の表示が逆になっている理由を問う問題。 他にも、読み取りの便宜上、方位角度が360°表示でなく90°表示になっているのも特徴である。 問2では、地層の上下構造の判定として、堆積構造に関する問題が出題された。 これらの判定では、特徴的な堆積構造として、級化成層(級化層理、級化構造、graded bedding)、斜交層理( 斜交葉理、クロスラミナ、cross-bedding)、漣痕( 砂紋、リップルマーク、ripple mark)、流痕(current mark)、荷重痕(load cast)、生痕(trace fossil) などがある。中でも級化成層は砕屑物が下位から上位に向かって細粒化する構造のことをいい、流水中において堆積する粒径の垂直的な変化のことを、級化(grading)と呼ぶ。
 問3は、実際にクリノメーターを用いて地層を測定し、そこから褶曲を調べ、地質断面図を作成する問題。
 地層の真の傾斜は、走向に垂直な垂直断面でのみ現れるため、それ以外の断面では真の傾斜角よりも小さく見えてしまう。
 そのため、見かけの傾斜角は、真の傾斜角と、傾斜面の走向と断面線のなす角度をもとに求めることになる。
 しかし今回の断面線は、走向に対してピッタリと垂直でないものもあるが、大きく外れていないので、露頭をつなぎ合わせても地層の立体構造は把握できる。

課題2 「トンネルを AR『Augmented Reality (拡張現実) 』で調査し、地質構造の模型をつくれ」

 この課題( 問4 )は、トンネル内部(天井)を観察し、それに基づいて地質構造の模型を作成するというもの。 ARを用いて、トンネルの内部構造を写真および動画により観察し、いかに情報を得ることができるかがポイントとなる。
 一見天井部を見ると、褶曲構造(背斜)に思えるが、左右の壁も合わせて観察することにより、単斜構造であることが分かる。
 これを見抜くことができれば、単斜構造を作成し、その後にトンネル部分を掘り出せば模型は作成できる。

課題3 「地質ワールドで採取できる岩石の標本を製作せよ」

 この課題(問6 )は、実際に海岸に落ちている礫を用いて岩石標本を作成するというもの。普段見かける岩石標本では、同じ大きさ、同じ形に形成されているため、実際の礫から目的の岩石を識別することができるかということがポイントとなる。
 岩石は、その成因により 1862 年にBernhard von Cotta によって、火成岩(マグマが冷え固まった岩石)、堆積岩(礫・砂・泥などの堆積物が長い年月を掛けて固結した岩石)、変成岩( 既存の岩石が変成作用を受けて変化した岩石)の 3 つに大別した類型が元になっている。
 今回は、火成岩2 種類、堆積岩4 種類の合計6 種類が問題として出題された。
 火成岩には火山岩(マグマが地表や地下の浅い所で急速に冷えたもの)と深成岩(マグマが地下の深いところでゆっくりと冷えたもの)とがあり、SiO 2の含有量によって超塩基性岩(超苦鉄質岩)、塩基性岩(苦鉄質岩)、中性岩( 中間質岩)、酸性岩(珪長質岩)と分類される。
閃緑岩は深成岩であるため等粒状組織を持っている中性岩であり、白い地に黒ごまをまぶしたような岩石である。主に石碑や墓石などに使用される。
 安山岩は火山岩であるため斑状組織を持っている中性岩であり、有色鉱物を多く含んでおり、石は灰色、褐色、赤茶色である。また大きな斑晶のあいだを小さな結晶がうめている。主に石垣や石壁、砂利などに使用される。

 堆積岩には砕屑岩(浸食や風化によって岩石から生じた砕屑物によって堆積してできたもの)、火山砕屑岩(火山から噴出された火山砕屑物が堆積してできたもの)、生物岩(生物の遺骸が堆積してできたもの)、化学的沈殿岩(水中に溶解している物質が、化学的変化によって析出し沈澱してできたもの)、蒸発岩(水中に溶けていた成分が、水の蒸発によって析出し固まったもの)などの分類がある。
 さらに、砕屑岩は砕屑物の粒径によって礫岩(平均粒度が2 mm以上)、砂岩(平均粒度が1 / 16 mm以上 2 mm以下)、泥岩( 平均粒度が1 / 16 mm以下)に区分される。
 砂岩は形も色も模様も手触りも様々で、細かな石英の砂粒でできたものが多い。主に土木・建築材や砥石などに使用される。
 泥岩は小麦粉くらいの大きさの粒なので肉眼で確かめることは難しく、色も褐色、黒色、赤色などである。主に瓦や硯などに使用される。さらに、生物岩はもとの生物がどのような成分の殻や外骨格などを持っていたかで再分類できる。
 石灰岩は石灰質遺骸(CaCO 3 )によってできており、表面が白い粉をまぶしたような灰色で、丸みがある。主に大理石として石材に利用されたり、セメント、カーバイト、肥料などの原料や製鉄などに使用される。
 チャートは珪質遺骸(SiO 2 )によってできており、割れたところは鋭い角を持ち、釘などでこすってもほとんど傷が付かないほど非常に硬く、赤色、黒色、灰色、小豆色、緑色、白色など様々な色がある。主に庭石や玉砂利、珪石レンガや耐火レンガ、火打石などに使用される。(足利大学 講師 中川幸一)

実技競技❷ 手のひらの金属鉱山

会場のある茨城県は、古くから多くの金属鉱山があることで知られているが、それに因んだ金属とその化合物に関する化学実験問題である。制限時間は100分、4人で行う競技である。問題用紙には化学の実験だけあって、安全に実験を行うための必要事項、白衣,保護めがね、実験用手袋の着用が明記してある。また実験中のゴミの分別や廃棄も指示されている。またSDGsを意識して、試薬の使用量が少なくなるスモールスケールでの実験を徹底させるため、操作手順、点眼ビンやセルプレートの使い方、綿棒を使ったにおいの確認方法など、写真を使ってかなり細かく説明されている。 
また実験に使用した試薬類が万が一にも口に入ることのないように場内での飲水は禁止。喉の渇いた生徒は監督者の指示のもと、場外で飲むようにとの指示が黄色のマーカーで強調され記載されていた。この指示は,脱水症予防のため、教室に飲み物を持ち込み授業を受ける生徒も多い現状を知る先生方の配慮であろう。

 実験は、14本の点眼ビンに入っている水溶液に含まれている化合物と6種類の金属板の同定である。
 陽イオン8種類+未知の陽イオン2種類と、9種類の陰イオンの組み合わせの表が与えられていて、この表を元に14本の点眼ビンに含まれている陽イオンと陰イオンの種類を決める。また、6種類の金属板は上述の陽イオンを還元して得られる金属である。

 陽イオンの種類は液の色を観て予想できるものもあるが、万能pH 試験紙によるpH測定、セルプレート上での2 液の混合とその変化( 沈殿の色,気泡発生,発生気体の臭い)などから決定していく。また、金属板も特徴のある色、持ち上げた時の重さ(密度)の違いから予想できるものもある。
 陽イオンと陰イオンを特定し点眼ビンに入っている水溶液を特定した後、金属板と水溶液の反応で金属の種類が特定できる。
 実験自体は平易であり、その方法についても写真入りの手引き書があり安全に実施でき、実験後の試薬の処理なども丁寧に記載されていて十分な配慮が感じられた。
 ところでこの問題を見たとき私は、何の違和感もなく妙にすんなり全容を受け入れることができた。そして気付いた。「どこかで見た記憶があるな…、そう、国際化学オリンピックの問題に似ている」と。

 自宅に戻り調べると、私も高校生を引率していた第40 回国際化学オリンピック(ハンガリー・ブタペスト大会)の実験問題3の類題であった(https://icho.csj.jp/index 40 .html)。
 しかも私自身、2008年から第42 回の東京大会に向けてのプレイベントとして、高校生や教員の啓発のための実験教室を「化学実験カー」と銘打って全国展開していたが、その際、リメイクして使っていたのがこの問題であった。(東洋大学元教授 日本化学会フェロー 柄山正樹)

神奈川・栄光学園が大会初の連覇を達成

第13 回 科学の甲子園全国大会

――チームの団結力で通算3度目の総合優勝

総合優勝した神奈川栄光学園高等学校のメンバー
(後列左から)金是佑、大沼拓実、稗田和希、山中秀仁
(前列左から)加藤奏、中川柊哉、藤井悠貴

第13回科学の甲子園全国大会(科学技術振興機構主催、茨城県など共催)が、3月15 ~18日の4日間、つくば市のつくば国際会議場およびつくばカピオで開催されました。昨年度は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、無観客での開催となりましたが、今年度は通常開催となりました。予選を勝ち抜いた全国47都道府県代表校は、1・2年生の6~8人から成るチームで科学に関する知識とその活用能力を駆使してさまざまな課題に挑戦し、総合点を競い合いました。
 筆記競技と3種目の実技競技の得点を合計した総合成績により、神奈川県代表の栄光学高校が大会史上初の連覇を達成し3度目の総合優勝を果たしました。2位は東京都代表筑波大学附属駒場高校、3位は岐阜県代表県立岐阜高校でした。

優勝の喜び 連覇の秘訣は事前練習の積み重ね

 栄光学園高等学校は、神奈川県横須賀市にあるイエズス会によって設立された私立中高一貫校です。「科学の甲子園」全国大会には12回出場しており、第7回大会で初優勝。今回3度目の総合優勝を大会史上初の連覇で飾りました。
 今年のメンバーは金是佑君、加藤奏君、山中秀仁君、大沼拓実君、稗田和希君、中川柊哉君、永田駿平君、藤井悠貴君の8人。表彰式では、他の大会に出場している永田君を除く7人で登壇し優勝旗・トロフィー・金メダルが授与されました。優勝校インタビューでは2大会連続出場の加藤君が「この日の為に県大会の準備も含めて、長い間努力をしてきましたので、それが優勝という一番いい形で報われて本当に嬉しいです」と喜びを表し、連覇できた秘訣をキャプテンの金君が「優勝できた理由として筆記競技で1位となったこと。今回のチームはある一科目に凄く力のある人がいて、そういったメンバーに相談したりして事前に練習を重ねたことが本番で生きたのではないか」と教えてくれました。今夏開催の第56回国際化学オリンピックに出場が決定した大沼君がチームとしての強みを、「個人大会の時は自分一人で処理しなければならないが、実験や筆記競技で自分の知らない知識が問われたりしたときに、その知識を知っていたり処理能力が高い人に任すことができるのはチーム競技として本当に良い面だと思います」と語ってくれました。

第12回大会
第7回大会

704校、8042人がエントリー

 科学の甲子園は、全国の科学好きな生徒らが集い、競い合い、活躍できる場を構築し、提供することで、科学好きの裾野を広げるとともに、トップ層の学力伸長を目的としています。第13回大会には、704校から8042人のエントリーがありました。 
開会式では、司会者から47都道府県の代表校の紹介が行われ、各校が学校名の書かれているフラッグを掲げ、決めのポーズを披露してくれました。また、選手宣誓は1月1日に発生した能登半島地震の被災地である石川県代表・金沢大学人間社会学域学校教育学類附属高校の武川桜太朗君と川原紗和さんが務めました。大会初日は開会式、オリエンテーション、科学に関する知識とその応用力を競う筆記競技を、2日目に実技競技を行い、3日目に表彰式やフェアウェルパーティーなどが行われました。 
「第14回科学の甲子園全国大会」は令和7年3月下旬に茨城県つくば市で開催される予定です。

筆記 教科・科目の枠を超えた融合的な問題にチームで挑む

 筆記競技は各チーム6人を選出して行われました。競技時間は120分。メンバーそれぞれの得意分野を活かしてチームで協力しながら、理科、数学、情報の中から習得した知識をもとにその活用について問う問題で、教科・科目の枠を超えた融合的な問題など計12問に挑みました。例えば第1問、空気鉄砲は昔、竹で作った筒の中に水で濡らして丸めた紙を2つ入れ、竹の棒で押して発射させていました。今は小学校の理科の教材としてプラスチック製のものが販売され、目盛りがついた半透明の筒と、少し柔らかい円筒形の弾が2つ、弾を筒の中に押し込むための持ち手のついた棒という構成となっています。この装置で弾Aを発射できる仕組みについて説明する設問。昭和の時代は、細くて柔らかいタイプの竹で、水鉄砲や空気鉄砲を作った子供がたくさんいました。今も各地の自然教室などで竹の空気鉄砲を作る機会がありますが、最も簡単な原理の説明は、気体の圧力と体積の関係を示したボイル・シャルルの法則です。空気の体積と圧力の関係は小学校4年生の理科で学習しますが、ここでは高校生向けに棒を押し込むときの速さも考慮し、気体の状態変化を断熱変化と考えさせています。
 筆記競技では栄光学園高校(神奈川県)が最高得点をあげ、第1位のスカパーJAST賞を受賞しました。

実技① 地質ワールドフェア・互譲の精神で競技に臨む

 「アッピン地質ワールド」(競技時間100分・配点240点)課題1「海岸に露出している地層の走向・傾斜を測定し、地質構造を明らかにせよ」ではビデオ視聴後にローテーション表の時間内(10分間)に各チームで譲り合って計測などを行い解答しました。課題2「トンネルをAR『Augmented Reality(拡張現実)』で調査し、地質構造の模型をつくれ」も指定の時間内(10分間)に各チームで会場中央の指定場所で観察を行い、粘土模型を製作し、スケッチを行いました。課題3「地質ワールドで採取できる岩石の標本を製作せよ」では岩石標本採取場所で標本を採取し、実技卓で解答しました。課題1の出題意図は「走向・傾斜の測定から大まかな断面図を書く」ことにあり、露頭をつなぎ合わせてできる地層の立体構造が理解できているかが問われました。課題2の模型製作は粘土で単斜構造を製作、その後トンネル部分を地層の重なりが乱れないように慎重に掘れば完成。課題3は標本箱に記された岩石名に従って、採取・鑑定・確認したすべての岩石が、正しい場所に収まっていればよく、「地学」という時間と空間の連なりを視野に入れた、幅広い総合的な学びを大切にしながらフェア・互譲の精神で競技に臨み3つの課題に挑戦して欲しい狙いがありました。県立宮崎西高校(宮崎県)が1位のトヨタ賞に輝きました。

実技② 手のひらの金属鉱山未知化合物や金属板を特定せよ

「手のひらの金属鉱山」(競技時間100分・配点240点)は与えられた①~⑭のラベルの付いた点眼ビンおよび⑮~⑳の6種類の金属板を用いて点眼ビンの水溶液に含まれている未知化合物や6種類の金属板を特定し、それぞれのイオン化学式や化学式で解答を行う競技。無機化合物の定性分析といえば、陽イオンである金属イオンのみを追いかけて沈殿や水溶液の色を手がかりに特定していくことが多いですが、本競技では水溶液中の陰イオンが沈殿などに関わってきます。混合させる水溶液の双方に陽イオンと陰イオンがそれぞれ1種類ずつ入っているため、それらのイオンのどの組み合わせで反応が起こったのかを見つけ出すことが本競技の難しい点です。水溶液中の陽イオンのみに注意を払うのではなく、水溶液中のあらゆるイオンについて考える点が、より実際の定性分析の実験に近いものとなっています。
 この競技は、未知の水溶液同士や金属板との反応から、その変化に気付き、何も反応が起きないことも判断材料としてこの水溶液や金属板は何であるかを仲間と協議し、判断していくものであり、複数の試薬を混合して行う実験のため高い推理能力が求められます。最高得点を獲得した神戸大学附属中等教育学校(兵庫県)が1位に輝き、UBE三菱セメント賞を受賞しました。

実技③ バルーンフェスタ㏌つくば熱気球の昇降運動を科学せよ!

 事前に公開されていた実技競技の「バルーンフェスタ㏌つくば」(競技者4人・競技時間170分)は、指定の材料で3つの要素―ⅰ指定された時間(一定の範囲)で上昇および下降(以下、滞空という)できる。ⅱできるだけ重いおもりを積載して滞空できる。ⅲ滞空後、スタート地点からできるだけ近い場所に着地できる。―を併せ持つ熱気球(以下、気体という)を製作し、限られた時間内で製作された機体に定められた方法で熱風を入れて滞空させ、滞空した時間と積載した重量に基づいて算出される得点を競う競技。全チームが2回の予選チャレンジを行い、上位15チームで決勝チャレンジを行いました。 各チームの順位および競技得点は、決勝チャレンジを行ったチームはその結果で、それ以外のチームは予選チャレンジの得点に基づいて決定されました。県立藤島高校(福井県)が1位となり、学研賞に輝きました。

大学ランキングからはわからない大学の実力 第5回

東大推薦入試の結果から女子優遇措置を考える

教育ジャーナリスト 小林 哲夫さん

 2024年2月13日、東京大で2024年度の学校推薦型選抜(以下、推薦入試)の合格者が発表された。志願者は256人でうち女子は118人(46.1%)。合格者は91人で女子42人(46.2%)だった。女子の人数、比率いずれも過去最高である。
 この結果を「意外」と受け止めた方は少なくないだろう。
2023年、東京大は一般選抜で合格者2997人のうち女子は653人で21.8%で、初めて20%を超えたが、それ以前は20年以上、10%台後半を推移していた。この現実を考えると、女子が半分近いというのは信じがたかったからだ。
 なぜ、推薦入試の合格者で男女がほぼ半々になるのか。高校教員からは「女子はまじめでコツコツ勉強するから」「東大が推薦で求める高校在学中の活動では、女子のほうが意欲的でチャレンジングな成果を残しているから」という話を聞くことがある。もっともらしい意見だが、これらは感覚的
な受け止め方で、「女子だから」という性差に理由を求めており、説得力に欠ける。
 じつは推薦入試において、女子が多いのはそれなりの理由がある。募集要項には、学校長は合計4人まで推
薦でき、その内男女は各3人まで。ただし、男女いずれかのみが在学する学校においては、推薦できる人数は3人までとある。共学校は推薦枠を4人持っているが、男女それぞれ3人までとなっており、4人すべて男子あるいは女子はダメだ。一方、男子校と女子校はそれぞれ推薦枠3人である。共学、女子校いずれも3人志願できるようになった。
 なぜ、共学校に男子校と女子校よりも推薦枠を広げたのか。それはこれまで東京大に合格者を多く出す学校の分析に基づく「政策判断」によるものと読み取れる。2023年、東京大合格者上位5校(開成、筑駒、灘、麻布、聖光学院)はすべて男子校だ。上位21校まで広げるとは男子校14、共学校6、女子校1で、男子校が圧倒的に強い。この状態は30年近く続いている。 
そこで、東京大は「男女いずれかのみが在学する学校」、現実には東京大合格上位常連校の男子校からの推薦枠を制限し、女子を増やそうとしたことがうかがえる。もし、共学校、男子校、女子校の推薦枠が同じ4人ならばどうか。2023年上位14校の男子校に占有され、女子比率はこんなに高くならなかったことは容易に想像できる。
 もちろん、これは女子枠ではない。だが、女子を増やそうという巧妙なやり方と言えよう。東京大は共学校、女子校の女子にウエルカムという姿勢を示したのだ。言葉を変えれば、女子優遇措置である。
 女子を増やしたい。これは多くの大学が望むことである。中長期計画に「○○年まで女子学生を○○割にする」ことを掲げる大学がたくさんある。現在、東京大は女子学生比率を2026年までに3割に引き上げることを目標としている。あと2年後である。しかし2023年は留学生を含んでも23%台。さすがにこれはむずかしい。ならば女子枠を作るしかない…。
 しかしそもそも、女子枠というのは、学生募集には馴染まない。女子に対する特別扱いではないか、という男子側から不満の声を聞くことがある。「アファーマティブ・アクション」によって優秀な人材が高等教育を受けられないというロジックと同じだ。
 だが一歩譲って、わたしは大学で女子枠があってもいい、と考える。日本社会では長い間、さまざまなところで女性が活躍できなかった。大学はその最たるものである。キャンパスが「女子禁制」だったというわけではない。「女子は大学へ行く必要ない」「女子は文科系が合っている」という社会的刷り込みが蔓延していたからだ。その名残は東京大、そして理工系の女子比率の低さに示されている。
 1980年代以降、男女共同参画社会という考え方が広がったとはいえ、男女の役割分担的な考えは染みついている。これを変えるには思い切った政策が必要だ。ショック療法と言ってもいい。女子を優遇して数を増やすという既成事実を作る。女子枠導入で学生のレベルが下がると大学は思っていない。女子学生を教えてきた経験から、その優秀さを認めているからだ。
いくつかの大学は決断した。優れたポテンシャルを秘めた優秀な女子を優遇したいと、理系学部で女子枠を検討するところが続々と現れた。少子化が進むなか、大学の危機感の表れでもある。
 2010年代半ば以降、北見工業大、東京工業大、芝浦工業大、東京理科大、富山大、名古屋大、兵庫県立大、島根大、熊本大などが、学校推薦型選抜、総合型選抜で女子枠を設けた。理系分野で女子を増やすこと。それが日本社会の発展につながると信じたい。

小林 哲夫さん 小林 哲夫さん

~Profile~
1960年神奈川県生まれ。 教育ジャーナリスト。朝日新聞出版「大学ランキング」編集者(1994年~)。近著に『日本の「学歴」』(朝日新聞出版 橘木俊詔氏との共著)。
左図は著者近著