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OPINION

16歳からの大学論 第51回 専門と教養(高校生のみなさんへ)

文:大学ジャーナル編集部

16歳からの大学論 第51回

Profile
1973年石川県生まれ。学問論、大学論。総長学事補佐、文部科学省学術調査官の業務経験も。国際高等研究所主任研究員、日経STEAMアドバイザー。近著「問いの立て方」(ちくま新書)。2025年5月、NHKによる7ヶ月間の密着取材がドキュメンタリー番組に(ETV特集「ねちねちと、問うーある学者の果なき対話ー」)

進路について考える時期になると、「これからの時代は専門性だけじゃなく、幅広い教養も必要だ」なんて言葉をよく耳にするかもしれませんね。

なんだか、「一つのことを狭く深く極める(専門)」ことと、「色々なことを広く知っておく(教養)」という、正反対の二つを同時に求められているようで、プレッシャーに感じてしまう人もいるのではないでしょうか。

でも、安心してください。実は「専門」と「教養」は、対立するものでは全くないんです。

まず、「教養」について考えてみましょう。教養がある人というと、どんな話題でも知っている「物知りな人」を思い浮かべるかもしれません。でも、人間の記憶には限界がありますし、世の中のすべてを知ることは絶対に不可能です。本当に大切なのは、知識の量ではなく「知への構え」です。「あ、自分はこれについて何も知らないな。もっと教えてほしいな」と素直に思える謙虚な心。これこそが教養の本質だと僕は思います。知識をたくさん詰め込むことよりも、「知らない」というスタート地点を大事にできる人のほうが、ずっと豊かに学び続けることができると思います。

次に「専門」についてです。専門というと、特定の分野という「囲い」の中に引きこもって、どんどん細かくてマニアックな知識を増やしていくイメージがあるかもしれません。

でも、「専門」という言葉には「門」という漢字が使われていますよね。そう、専門とは、決して閉ざされた縄張りなんかではなく、広大な世界へ足を踏み入れるための「入り口」のことなんです。

歴史の門、物理の門、文学の門。どこから入っても構いません。一つの道を深く、一生懸命に歩いていくと、やがて不思議なことが起こります。例えば、生物学者が細胞の仕組みを突き詰めて「人間って不思議だな」と驚くとき、宇宙の始まりを探る物理学者や、人間の複雑な心を描く文学者と、実は全く同じ「この世界の不思議」に感動しているんです。

つまり、一つの入り口から「深く」進んでいくことは、やがて他の分野の人たちと交わり、世界を「広く」見渡すことにつながっていく。だから、「深さ」と「広さ」はちゃんと両立するんです。

皆さんが今、学校で学んでいる国語や数学、理科、社会といった科目も、決してバラバラの壁で仕切られたものではありません。

どれも皆さんが「この世界ってなんだろう」と考えるための、たくさんの入り口にすぎないのです。

これから先、皆さんは自分の進むべき「門」を選ぶことになるでしょう。でも、「間違った門を選んだらどうしよう」なんて心配はいりません。

どの門から入っても、真摯に深く歩き続ければ、必ず豊かな未来へとつながっています。「知らない」ことをワクワクしながら楽しめる心を持って、どうか安心して、自分自身の門をノックしてみてください。

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