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自立のための座標軸を定めよう

文:大学ジャーナル編集部

初出: 大学ジャーナル Vol.87(2010 年 5 月)

2008年のノーベル賞では、同大の博士学位取得者から2部門に亘って3人の受賞者を生んだ名古屋大学。旧七帝大の中では最も〝自由闊達〟といわれる研究室の雰囲気や、《誠実、実直、愚直》と語り継がれる学風とがそれに大いにあずかったことは想像に固くありません。氾濫する情報と、激変するグローバル社会の中で、自らを失わず逞しく自立した人間に育ってほしいと願う濵口総長に、大学で学ぶこと、高校時代に身につけて来てほしいことなどを伺いました。

## 大学では一にも二にも自立の準備を

大学の4年間で、何はさておいてもしなければならないことは、一個の人間として自立する準備を整えることです。大学を卒業して、経済的にも社会的にも自立していくための基礎を形作るのです。もちろん単位を取る、就職の内定を得る、何らかの資格を取ったり、それに備えた課程を修了したりするのは当然ですが、何よりも、自分で判断して行動し自立していくことが大切です。

昨今の学生を見ていて気の毒だと感じるのは、多くが大学生になってもなかなか自立できないで《揺れている》、膨大な情報の洪水の中で溺れ泳ぎをしている、という現実です。これはグローバリゼーションの急速な進展とIT・情報通信革命によるもので、しかも両者は相互に働きかけながらますますスピードを上げています。世界のどこにいても、自分の発したメッセージには数秒で返事が返ってきますし、世界企業とは呼べないような小さな会社へ就職しても、次の日に海外赴任を告げられるかもしれません。どんなところへもリアルタイムで《世界》が入り込んできて、かつてのゆったりとした時間と安定した生活空間は失われ、生理的にもたいへん厳しい時代を迎えています。

ネット上には、おそらく20世紀までに人類が蓄積してきたのと同じくらい膨大な情報が行き交っていて、それらを自分の中で処理するだけでもたいへんな時間がかかります。また大学で教えるべき内容も、少し前の100〜200倍。私の専門である医学では、私たちの時代に比べて、それこそ500倍ぐらいに増えているのではないかと感じています。にもかかわらず、大学の学部教育は4年間のままですし、4年後には社会へ出て自立しなければならないことも昔のままです。医学部でも養成期間は変わらない。大学にはその時代の社会の要請に応える責務がありますが、それでは今の社会が大学に求めているものは何なのか。少なくとも40年前と同じものではないはずですが、それについて大学人を始め、政治家、官僚から保護者に至るまで、まだ明確なイメージは描けていないようです。そんな過渡期とでもいうべき中で、大学でなすべきこととして、一つ確実に言えることが、単に就職氷河期に負けずに就職するという意味からだけではなく、自立をはかるということなのです。

## そのためには判断力と行動力を身につけたい

自立するにはまず、的確に情報を見分ける力を身につけることです。真実を見分け、短い時間で的確に裏を取る。これは、どちらかというと決められた勉強、答えのある勉強を黙々と続ける高校時代にはあまりできないことです。さらに、それに基づいて自分で判断を下し行動することが必要です。高校時代は受験勉強が中心で、机上の学問に割く時間が多く、実際に自分で体験する時間は限られます。一方で、何事につけてもマニュアル化が進み、一面的な価値だけが評価されやすい現代社会の中では、体験をたくさん積み、自分の判断を鍛えることが大切です。真実を捉える、的確に判断するには、体験による実感に基づいた理解が欠かせないからです。

そもそも生物としての人間は原始的なもので、IT化に合わせて成長できるものではありません。人を本当に理解するにも、直接会って話をするなど、人間と人間とがぶつかる体験が必要で、メールだけでは不可能なのです。さいわい大学では、サークル活動を筆頭に、組織や人間関係の中で揉まれる機会を様々に提供していますから、学問するだけでなく、それらにも積極的に参加してほしいと思います。それが、情報を的確に見分け、自らの実感をもとに自分なりの座標軸を定め、行動できるようになる近道だと思います。いくら勉強して資格を取っても、行動できなければ何もできないのと同じなのです。

## 古典に学べ

的確に情報を判断し、自ら行動するための座標軸を定めるには、真実に触れることが欠かせません。誰にでもできる、気軽に真実に触れる最適な方法は、古典に親しむことです。様々な情報が行き交う現代社会の中で、私は信頼できる情報の代表は、長い間人々に読み継がれてきた古典だと思っています。文学、歴史、哲学といったジャンルにかかわらず、数限りない人々の眼に晒されながら生き延びてきた古典こそが、真実を語ってくれますし、その美しさがわれわれを感動させてもくれるのです。

ところが最近では、古典を知っている、読んだことがあるという学生でも、よくよく尋ねてみると、読んだのがダイジェスト版だったり、さらにはテストに出た一節だったり、果てはネット上にあるものを部分的にコピーしてつなぎ合わせたものだったりすることが多く驚かされます。たしかに今は昔と違って膨大な量の情報を学ばなければなりませんから、そういう接し方をする気持ちもわからないではありません。しかし、原典を時間をかけて読む、丹念に作者の思考の跡を追っていくことでしか、真実とその美しさは浮かび上がってこないのです。

## 高校時代には読書が大切

名古屋大学の医学部では、2008年度の二次試験から、入試科目に古典を含む国語を復活させました。将来、医学研究者や医師になるにしても、国語の力や古典に関する知識や素養は大学入学までに一定程度は身につけておいてほしいと考えたからです。もっとも私は、大学入学までには最低限これだけの力を身につけてきてほしいという言い方はあまり好きではありません。何でも同じ尺度、同じ言葉で決めつけることは、全てをマニュアル化しようとする考え方と同根で、それが昨今、本来おおらかであるべき日本社会に息苦しさを与えていると思っているからです。また、進歩の速い現代では、最低限の基準そのものも刻々と変わります。さらには昨日まで真実だったことでも、今日は間違いだったということも少なくないのです。

しかしその中で、あえて高校時代取り組んでほしいことを挙げるとすると、やはりそれは読書です。古典だけに限りませんが、たくさんの本、それも原典を読むことです。それらをきちんと読み重ねていくとその時の自分には気づかないことも見えてくるのです。こう言うと、受験勉強に忙しくてなかなか本を読む時間などないと考える高校生も多いかもしれません。しかしTVや携帯メール、インターネットなどに夢中になって無駄な時間を本当に費やしてはいないでしょうか。その気になれば時間はいくらでも捻出できるはずです。

基礎的素養ということでは他に、これは大学でも高校でも大切だと思いますが、科学の世紀に生きるみなさんですから、文系であっても、数学、物理、化学などの自然科学の基本原則はぜひとも理解しておいてほしいと思います。また、グローバル化の進む社会では、道具としての語学はもちろん、その背後にある異文化についての理解も欠かせません。そのためにもっとも有効な方法は、高校や大学時代に海外へ一人で出かけてみることです。世界の中で生きることを実感できるだけでなく、何から何まですべて一人でやらなければなりませんから、自立への貴重な体験ともなるはずです。

## 名古屋大学の使命

今日、一般的に大学の使命は何かと問われれば、成熟した市民を育成するということになるでしょう。もう一方の、地域社会に貢献するという観点からいえば、名古屋大学の使命は、中部の産業、経済の発展に貢献する元気な人材を輩出することといえます。名古屋港は2005年の統計によれば日本の黒字の59%を輸出しています。それを支える中部の産業、経済のポテンシャルは今後も変わらないと思いますから、そこへ元気な人材を輩出することは、日本の産業、経済を元気にすることだと自負しています。

バブル経済以降、日本にも金融経済を重視し、実体経済を軽視するような風潮が高まりましたが、ここ中部圏には、誠実、実直、愚直といわれるように、目の前のことを着実にこなしていくことを大切にする伝統、風土があります。確かに今は情報が多すぎ、それが多くの若者の不安の原因になっています。しかしこれはある意味で、物事を何でも観念的に捉えすぎる結果であって、実際、目の前のことを着実にこなしていきさえすれば、案外、自分の生きていく道が見えてくるということも多いわけです。

現在の日本は、経済的に厳しい状況に置かれているだけでなく、将来の成長・発展という点でも韓国や中国、さらには東アジアの発展途上国などからの激しい追い上げに晒されています。将来の競争力の指標ともいうべき大学における論文数では、すでに中国に抜かれてしまいました。このような危機的状況について、国民一人ひとりにその実感がないのは、みなが高度成長期からバブル期へかけての記憶にまだ支配されているからです。しかし、国の収支や経済指標に表れる今の日本の実態は、いずれ実感となってわれわれの生活に必ず跳ね返ってきます。私たちは、目の前の事実を素直に受け止め、今からそれを乗り越えていく努力をしていかなければならないと思います。

そのためには、これまで同様、付加価値の高い製品、それを生むための新しい技術を開発し、不断に新たな市場を創造していかなければなりません。それが資源に恵まれない日本が生き延びていく、唯一の道なのです。といって、そのためには全ての人が天才にならなければならない、などというつもりはありません。ただ、一人ひとりがしっかりと自立していくこと。それさえできれば、私たちはこれまで同様、多くの困難を乗り越えていけるものと私は信じていますし、私たちの大学こそ、自信を持ってそれを引き受けられる大学でありたいと考えています。

大学ジャーナル Vol.87 掲載

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