量子テレポーテーションのもとになる量子のもつれ状態
初出: 大学ジャーナル Vol.100(2012 年 7 月)
ミクロな世界の奇妙な法則を描き出す物理、量子力学。その不思議な実態にビジュアルで迫る、東京大学大学院の古澤明先生による全5回連載。3回目となる今回のテーマは、アインシュタインらが唱えた「EPRパラドックス」です。「神はサイコロをふらない」という言葉で不確定性原理に反対した21世紀最大の科学者の一人、アインシュタイン。彼は量子力学の不完全さを示すためにこのパラドックスを考え出しました。それは、一体どのようなパラドックスだったのでしょうか?
アインシュタインが唱えた有名な思考実験に「EPRパラドックス」と呼ばれるものがあります。EPRはそれを提唱した科学者、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの頭文字です。これはアインシュタインが、「量子力学は不完全である」ということを論証しようとして提唱したパラドックスです。ある場所(原点0とします)に止まっていた原子核が崩壊して、二つの同じ質量の原子核に分裂したとしましょう。すると、質量が同じなので、片方の運動量を+pとすればもう片方は-pになりますし、片方の位置を+xとすればもう片方は-xになります。このように、片方のある物理量を測定すればもう片方の物理量がわかるような、絡みあった二つの粒子の状態を、エンタングル状態(量子もつれ状態)と呼びます。
このエンタングルした二つの原子核の片方を観測するとします。ここでは、運動量を測定して、+pが得られたとしましょう。すると、もう片方は直接観測しなくても、自動的に-pと運動量が決まります。重要なのは、「観測するまで値は存在しない」という量子力学の根本原理です。その前提の上では、「片方を測定した」瞬間に、その測定結果がもう片方に一瞬で伝わり物理量が決まったことになります。
アインシュタインらは、そのような奇妙な遠隔作用はありえないと考え「観測する前から値は一つに決まっているが、人はそれを予測できないだけ」という「隠れた変数理論」を唱えました。しかし後に、ベルやアスペといった物理学者によって「観測前は本当に値が存在しない」ということが確かめられました。その結果、「片方を測定するという行為がもう片方に影響を及ぼす(波束を収縮させる)」という、非局所的な相関(遠隔作用のこと)を認める説が一般的になりました。
もしも、このような相関が存在するのであれば、エンタングルした二つの粒子が何光年離れていても、瞬時に遠隔作用が伝達しなければなりません。ところが現在、EPRパラドックスは、パラドックスではなく、実際に起こり得ることが証明されています。エンタングルした粒子を用いれば不思議な現象を起こせます。片方で位置や運動量を測定したときに、その結果はもう片方に影響を及ぼすのです。
このような非局所相関を使って情報伝達を行おうというのが、量子テレポーテーションのアイデアです。量子テレポーテーションについては次回で詳しくご説明するとして、ここではこのエンタングル状態の応用として、「光子を一個だけつくる方法」を説明しましょう。一個の光子がどのようなものだったかは、第一回でご紹介しました。
一個の光子だけを作り出すというのは、実は簡単ではありません。例えば、適当な原子を一ヶ所に固定し、別の光を当てて高エネルギー状態にすることで確率的に光子が飛び出すような状況を作ることはできるかもしれませんが、その状態を予測できる形で行うのは不可能です。「光子がある」と一度測定してしまうと、その量子状態は変化してしまうからです。
ここで登場するのが、エンタングル状態です。エンタングルした二つの光子のペアを作ることは、技術的に可能です。この光子ペアを「分割」し、片方だけを測定する検出器を用意します。この検出器が光子を検出し状態を観測したとき、もう片方の光子の存在、状態が決定されます。これは「状態がわかった一つの光子」ができることと同じことです。このような原理で、特定の状態の光子だけを集めようというのが、光パラメトリック増幅器という装置です。この原理は、次回以降ご説明する量子テレポーテーションや量子コンピュータの基盤になっています。
次回は、いよいよ私が世界で初めて実現させた量子テレポーテーションについて、最新の実験成果を踏まえながらお話しましょう。
キャプション
- 光パラメトリック増幅器で作られた量子のペア
プロフィール
1961年生まれ。1998年、世界で初めて量子テレポーテーションの実験を成功させ、アメリカの科学誌『サイエンス』でのその年の10大ニュースに選ばれる。2009年には9光子間の量子もつれ状態での量子テレポーテーションを、2011年にはシュレディンガーの猫状態の量子テレポーテーションをそれぞれ成功させ、次世代コンピュータの最有力候補とされる量子コンピュータの重要な基礎研究で世界をリードする。埼玉県立浦和高等学校出身。



