初出: 大学ジャーナル Vol.90(2010 年 10 月)
ミミズにも知性がある—と認めたのはダーウィン(『ミミズと土』平凡社ライブラリー)だが、ついに、粘菌にも知性があるという先生が出てきた。
ダーウィンの言うミミズの知性とは、ミミズの生態の徹底的な観察によって得られたもので、ミミズの行動は単なる刺激ー反射運動ではなくて、知覚によって得られた情報を識別し、選択し、判断し、行動している—これを知性とよんだのである。自分の生きる場所(環境)がどういうものであるかを知覚で把握し、そこにおいて、柔軟に対応して生きる仕方を確保する、それが知性である、ということだろう。こうしたダーウィンの世界の見方は素敵だ、と思う。日常の会話で用いられる「知性」は、せせこましい意味や価値が絡みつけられていて退屈なことが少なくないけれども、そんなものを吹き飛ばして、あらゆる生き物に内在する力といったものを立ち現せてくれるからだ。
本書の中垣さんも、生き物/生きる、ということの見方をゆるがせてくれるような知見を差し出している。粘菌というのは単細胞で、もちろん神経系などはない。その単細胞生物の動きー生き方を実験、観察しながら、驚くべき知性がある、などということを示してくれているのだ。こうした見方は、中垣さんだけのものではなく、本書にも紹介されている通り、古くから繰り返し強調されてきたものである。
単細胞生物のおもしろさは、「単なる物質が集まって生きたシステムに化ける」ところにある、そうだ。というと、またもや、生物機械論に還元されてしまうのかと危ぶまれるがそうではなく、モノとココロの関係にデリケートに寄り添いながら、人間も含めたあらゆる生き物に備わっている生きる仕組みに迫ろうとしているのである。情報処理の仕組みには、中央演算処理装置が司令官となって判断し指令を出すパソコンのような集中管理方式と、中心となる司令官がなく各人が自律的に動くような自律分散方式がある。前者の場合は、想定外のことが起きたり、いろんなことが同時に輻輳すると、司令官の能力を超えてしまい、システムは破綻する。後者の場合は、全体の調整や秩序がどうなるか不安である。自然界ではイワシの群れやアリの行列のように自律分散方式がたくさんみられ、それでも全体が巧く作動している。生物の情報処理も自律分散的だ。そして、粘菌のように、脳や神経系をもたない生物は、身体運動そのものが情報処理の過程を担っていると考えるのである。
粘菌の知性の「驚くべき」在り方については是非本書を読んでいただきたい。迷路を最短ルートで解き、時間の記憶を持ち、ためらい、判断する。なんて、素敵なんだろう。
世界は、魅力的だ。あらゆる生き物は、だから、この世界にできるだけとどまっていようと生きる仕方を編み出しているのだ。生きるというのは、楽しいことなのじゃないだろうか。
プロフィール
雑賀 恵子大阪教育大学附属高等学校天王寺学舎出身。京都薬科大学を経て、京都大学文学部卒業、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。大阪産業大学他非常勤講師。著書に『空腹について』(青土社)、『エコ・ロゴス 存在と食について』(人文書院)、『快楽の効用(ちくま新書)』。



