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OPINION

16歳からの大学論 第5回 「大学は学問をするところ」について

文:宮野公樹

初出: 大学ジャーナル Vol.120(2016 年 6 月)

前回、「大学は学問をするところです。何のために大学に行くか、という答えにはこの短い一言でこと足ります」と書きました。実はこのたった11文字の文は、極めて根深い議論の出発点でもあります。議論のポイントは《大学》、そして《学問》というそれぞれの言葉の「意味するもの」です。

今日、大学の実態について詳しく見てみると、それは多種多様です。国公私立の違いはもとより、総合大学か単科大学か、医学部が有るか無いか、さらには、短期大学や女子大学、地方か都市かといった違いもあります。また、大学院の有る無し、しかも修士号だけでなく博士号を取得できるかどうか、また法科大学院や経営管理といった高度専門職学位を授与する専門職大学院というものもあります。平成27年4月時点で、我が国の大学数は775校(国立86校、公立86校、私立603校)。これらの大学では当然ながら様々な研究、様々な人材育成が行われており、10年以上も前に文科省が掲げた「個性が輝く大学」という大学改革方針が身を結んでいるとも言えるのではないでしょうか。

そのため、「大学に行く(あるいは行った)」といっても、「それは、どんな大学に?」と質問を続けない限り、あまり意味はありません。「大学」には、共通点がほとんどないのです。「いやいや、入学して一定の課程を修めて学位、卒業証書をもらうという点ではどこも同じでしょ」と思われるかもしれません。しかしここで私がみなさんに問いたいのは、学位取得の「目的」です。

昨今、大学の入学案内をはじめとする広報媒体を調べると、専門的な知識が身につくことをアピールするところや教養の修得をアピールするところ、徹底的に就職に有利であることや資格取得をウリにするところなど、善し悪しは別としてそのあり方は多種多様です。いかに大学とは何か?という質問に答えるのが簡単ではないかがよくわかるのではないでしょうか。

ここで一度、歴史的な観点からも大学を考えてみましょう。そのためにまず、近代の大学の祖といわれる教育改革者で言語学者のドイツ人ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767〜1835年)が、タイムスリップして現在に降り立ったとしましょう。我が国の大学の実態を目にした彼はどう言うか。きっと「こ、これらが大学なのか」と言うに違いありません。

フンボルトが構想した「近代の大学」とは、真理追究、人間精神の完成のための純然たる学問の場であり、学問を通じた育人(教育)と文化の復興により、国の真なる力、基盤的な力を増加させるという役割を担ったものでした。大学は何よりもまず国のために存在したのであり、現在の入学広報にみられるように、「個人のため」というアピールがほとんどという日本の大学の現状は、かなり異様なものとして彼の目に映ることでしょう。もちろんこの「国のため」という言葉の意味合いはそれほど単純ではありません。大学には、国力に資することを追求するだけではなく、国がより正しい道を歩むよう、学問を通じて得られる批判的精神をもって導く役割もある、そういう意味も込められているのです。

ドイツで生まれたといえる近代大学の形ですが、フランスでは高度な職人の育成と知識人の育成とに分かれ、またアメリカでは大学院という制度が発明され、学部は教養、一般教育の上位に専門教育を位置づけた二階建て構造になるなど、各国、様々な経緯を経て現代のような形になってきたというわけです。

日本の大学の今に目を戻すと、センター試験の廃止や東大の推薦入試、京大の特色入試の導入といった入試改革、また東工大における学部制度の実質的解体といった教育改革など、まさに大学が、現在進行形で変わっていることがよくわかります。みなさんの志望する大学が、数年後、入試や教育制度のどれをとっても変わっていないという保証はどこにもありません。さて改めて尋ねます、大学とは何でしょうか。

次回は、議論のもう一つのポイントである《学問》についてお話します(続く)。

プロフィール

1973年石川県生まれ。2010 ~14年に文部科学省研究振興局学術調査官も兼任。2011~2014年総長学事補佐。専門は学問論、大学論、政策科学。南部陽一郎研究奨励賞、日本金属学会論文賞他。著書に「研究を深める5つの問い」講談社など。京都大学 学際融合教育研究推進センター 准教授宮野 公樹先生

大学ジャーナル Vol.120 掲載

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